台湾の李登輝元総統の遺影に花を手向ける森元首相=9日 |
75年後の同日、台湾・台北の午後の気温は33度。うだるような暑さの中を、黒い服に身を包んだ日本の男たちが集まった。先月30日に逝去した「民主台湾の父」李登輝元総統への弔問に、外国から一番乗りした日本の国会議員弔問団だった。団長は森喜朗元首相。先週の本コラムでも触れたが、森氏が団長を務めた理由や経緯を知らない人のために、いま一度、大事な逸話を書いておく。
李氏と森氏の浅からぬ縁の1つの始まりは、2001年の「李登輝訪日問題」にある。1年ほど前に、総統を退いて、「私人」となっていた李氏が、心臓の持病治療を理由に訪日を希望したことがきっかけだった。
この李氏訪日を阻止する方向で動いたのが、外務省のチャイナスクールであり、これに同調した当時の外相、河野洋平氏だった。
対して、「李氏の入国を認めないことは人権問題だ」として、毅然(きぜん)と「ビザ発給」を決めたのが首相だった森氏であり、ともにビザ発給を強く主張したのが、官房副長官だった現在の安倍晋三首相である。この時の様子を、森氏は台北での記者会見で、次のように述懐した。
「中国・北京の方から働きかけがあったといいましょうか、(外務省から)『台湾の政治指導者は日本に入れないんだ』という話がありました。『日本政府はビザの発給について慎重であれ』というのが、ずっと懸案事項となっていました。結論から言えば、私が総理の時に『(李氏が)日本にお帰りになることは人道上正しいことだ』と判断し、ビザの発給を認めたということです」
現下の国際情勢にあって、日本の元首相が、かくも赤裸々に「中国の浸透」を公言したことは大きなニュースであろう。だが、この台北での森発言を大きく報じた日本の大メディアはなかった。蔡英文総統との会談の席で森氏はさらに言った。
「安倍総理から電話があり、『体のことがあるので森先生には頼みにくいが、誰に弔問に行ってもらうか悩んでいる』とおっしゃった。『あ、これは私に行けということだな』と思って引き受けました。しかも、私がちゃんと務めを果たすか、弟(=安倍首相の実弟、岸信夫衆院議員)に監視させて(笑)」
森氏の弔問が安倍首相の意向によるもの、「事実上の首相特使」だと明言したのである。だが、この発言もほとんど報じられなかった。
安倍晋三氏と握手を交わす李登輝氏 2010年台北 |
森氏率いる日本の弔問団が台北を去ったのと入れ替わりに、米国のアレックス・アザー厚生長官が台北に到着。海外メディアは「(米台)断交以来、最高位の訪問」と劇的に報じた。日米相次いでの大物弔問の様子は、台北での発言も含め、北京にとって、さぞ忌々(いまいま)しいものとなったにちがいない。
がんの加療中、人工透析も受けている森氏は、台北賓館の入り口で一瞬、足元おぼつかない様子を見せた。しかし、その後の弔辞、記者会見、蔡英文総統との会談では、一貫して堂々と和やか、時折ユーモアまで交えた見事な弁舌で、「横綱相撲」の貫禄を見せつけた。
感謝を伝えたく思い、帰国後の森氏に電話した。
「日本と台湾が最も互いを必要としている今、命懸けで台湾へ行ってくださり有難うございます」
すると、森氏はこう答えた。
「口幅(くちはば)ったく聞こえるかもしれないが、私が総理の時に入国をお認めした方です。それから幾度も来日されるようになり、日本人に多くのことを教えてくださった。その方への最期のお別れは、私がするのが務めと思ってね」
首相を退いて20年近くがたってなお、ザ・政治家。見事、国際政治のひのき舞台のど真ん中に立って、北京に痛烈な一矢を放った森氏に、最高の敬意と感謝の拍手を送りたい。
■有本香(ありもと・かおり) ジャーナリスト。1962年、奈良市生まれ。東京外国語大学卒業。旅行雑誌の編集長や企業広報を経て独立。国際関係や、日本の政治をテーマに取材・執筆活動を行う。著書・共著に『中国の「日本買収」計画』(ワック)、『「小池劇場」の真実』(幻冬舎文庫)、『「日本国紀」の副読本 学校が教えない日本史』『「日本国紀」の天皇論』(ともに産経新聞出版)など多数。
【私の論評】安倍総理の優れた人選と、その期待に100%以上のパフォーマンス応えた森氏に、中国はだんまり(゚д゚)!
今回の森元首相の台湾弔問は、米国に対しても、台湾に対しても日本には、二階氏のような親中派の政治家だけではないことを強く印象づけることになったと思います。その意味では本当に良かったと思います。
今回の森元首相の台湾弔問は、米国に対しても、台湾に対しても日本には、二階氏のような親中派の政治家だけではないことを強く印象づけることになったと思います。その意味では本当に良かったと思います。
李登輝氏遺影 |
日本の国会議員団は、党を超えて李登輝先生のお話を聞くことに大変関心を持っている。それは日本人が知らなかったことをむしろよく知っておられたからだ。
日本が敗戦の中でどちらかというと自虐的になり、自分たちの国の責任と言うことにあまりに思いを強くしたために、日本に対する自信を持っていなかった。
李登輝先生は勇気をもって、日本人がもっと自分たちの国に誇りを持つべきだよと強くおっしゃっておられ、もっともっと日本人が日本人として国際的な貢献ができるように努力をしろと、そういう李登輝先生の教えだった。
日本に対し自信を持ちなさいと言って、敗戦国の日本が今日まで頑張り抜いてこられたのは李登輝先生の教えによるものが大きかった
このように、森元首相は、李登輝氏の「日本は自信・誇りをもつべきだ」、「日本として積極的に国際貢献すべきだ」とのメッセージが日本にとって重要だったと指摘しましした。
また、森元首相は自らの首相在任時に、李登輝氏が学生時代に学んだ日本を訪問したいという希望を、中国の反対を押し切って実現させた際のことについて語りました。
李登輝閣下が総統も終えられた後に、昔自分が学ばれた日本に行って体の治療、健康のこともあるので日本に入りたいと希望があった。 その時に中国・北京の方からも働きかけがあったというか、台湾の政治指導者は日本には入れないという話があった。
色々複雑なものがあった。日本政府はビザの発給について慎重であれと言うことが懸案事項になっていた。 私が総理の時に、日本にお帰りになることは健康上の問題、人道上の問題として正しいと判断しビザの発給を認めた。今も、遺族から感謝しているという話をいただいた。そして、森元首相は弔辞の中で、日本と台湾の関係について「台湾はあなた(李登輝元総統)が理想とした民主化を成し遂げ、台湾と日本は普遍的な価値を共有する素晴らしい友好関係を築き上げた」と強調し、李登輝氏の功績を讃えました。
弔問団には、自民党の古屋元国家公安委員長、安倍首相の実弟である岸信夫元外務副大臣、 立憲民主党の中川元文科相ら与野党の政治家が参加し、李登輝氏への弔意を表しました。
団員は弔問前に蔡英文総統とも会談。安倍晋三首相の事実上の名代として訪台したことを打ち明けた森氏に対し、蔡氏は感謝の意を伝えています。
森・蔡英文会談 |
中国は今のところ、森氏の台湾弔問に対して、表立った批判はしていません。というより、できないのでしょう。これは、民間人の森氏が実質上の団長としての弔問であり、これに対して中国が批判しても日本はそれに反応のしようがないわけで、批判をしても何の反応も期待できず、面子が潰れるだけだからです。
似たようなケースの場合では、みてみぬふりをするのが外交の常識ですが、今回はさすがに中国くも常識に従わざるを得なかつたのでしょう。
森氏を選んだ安倍総理も素晴らしいですし、その期待に応えて100%以上のパフォーマンスを発揮した森氏も素晴らしいです。
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