2019年12月7日土曜日

異色のアニメ「幸福路のチー」が教える台湾民主化の変化と成長―【私の論評】自らを見つめ直す民主台湾は次のステージに!「幸福路のチー」はその先駆け(゚д゚)!


野嶋 剛 (ジャーナリスト)

 アニメといえばアジアでは完全に日本の独壇場であり、普段は日本のアニメを消費する側だと思われてきた台湾から、日本に輸出される本格的アニメ作品が現れた。11月末から全国上映が始まった『幸福路のチー』である。


「幸福路のチー」より 以下同じ

 いまちょうど台湾では、4年に一度の総統選挙の投票日である1月11日に向けて、選挙運動が盛り上がっている。日本以上に元気のある台湾の民主主義がどうして成り立ったのか知りたい人は、この映画を見ることをオススメしたい。本作は「幸福路」という台湾に実在する場所を舞台に、チーという少女の人生にスポットをあてながら、実は、1980年代までの戒厳令時代から、民主主義の定着、2014年のひまわり運動まで、台湾社会の変化と成長そのものを描き出すという仕掛けになっているからだ。

 宋欣穎(ソン・インシン)監督は、1974年生まれ、京都大学で映画理論を学んだだけあって日本語も達者だ。本作のために、40人のアニメーターを集め、スタジオも作ってしまった。会ってみて思ったが、創作に一切妥協を許さない頑固さと、多くの人々を粘り強くまとめる柔軟さの両方を併せ持った個性の持ち主である。本作刊行と同時に、京都での生活を題材にした短編小説集『いつもひとりだった、京都での日々』(早川書房)の日本語版も日本で同時に出版された。

本作が台湾で公開されたのは2017年だった。ほとんど本格的なアニメ作品がなかった台湾なので、最初の前評判が高かったとは言えなかったが、予想を超えるロングランとなり、世界各地の映画祭で出品作に選ばれ、東京アニメアワードフェスティバル長編コンペティション長編部門グランプリなど多数の映画賞を受賞した。




 本来は極めて台湾ローカルな物語である本作が、どうしてこれだけ世界で幅広評価を受けたのか、ソン監督は、こう振り返る。

「誰もがこの映画を見た人は、自分の人生を思い起こしてしまうそうです。私が育ったのは台北郊外の新荘というところですが、ほかにも台湾にはあちこちに『幸福路』があります。いろんな人から、私たちの家の近くの幸福路ではないですかと尋ねられました。文化や歴史は違うはずなのに、外国人の観客からも、同じことを言われました」

「幸福路」で育ったチーは、両親や地域も期待するほどの優等生だったが、高校生のときに湧き上がった民主化運動に衝撃を受け、医学部の道を捨てて、学生運動に熱中する。だが、卒業後は仕事につけず、やっと探し当てた就職先のメディアでも、ひたすら原稿を書くだけの日々。台湾での生活に見切りをつけ、米国人に渡って結婚したが、可愛がってくれた祖母の死をきっかけに台湾に戻る。祖母との心の中で対話を重ねながら、自分の生い立ちや社会の変化を振り返り、「あの日思い描いた未来に、私は今、立てている?」と自問する。

物語は、ソン監督の歩んできた人生をモデルにしているが、創作の部分もある。ソン監督は「この年代の女性は、周囲の期待に応えようと生きてきて、なんでも望んだものは持っているようにみえて、あまり幸福ではないような心境に陥るのです。英語のタイトルは『オンハピネスロード』となっていますが、本当は『アンハピネスロード』、あるいは『ロード・トゥ・ハピネス』かもしれませんね」と笑った。

自らの才能に限りがあること、周囲の期待を上回れなかったことを受け入れることほど残酷で、苦痛なことはない。そんな挫折も、大半の人が大なり小なり持つことだ。自分の才能の限界を知るところから人生が始まるということは多くの人々が深く共感するところであろう。だからこそ、チーの独白に感情移入することができるのかもしれない。

本作の感動のエンディングを一層美しく彩っている主題歌「幸福路上」を歌うのは、台湾のトップ歌手の一人、蔡依林(ジョリン・ツァイ)だ。作品に感動して主題歌を引き受けた。チー役の声優はこれも台湾のトップ女優の桂綸鎂(グイ・ルンメイ)、チーのいとこ役は台湾を代表する映画監督、魏德聖(ウェイ・ダーシェン)である。無名の監督の初作品で、しかもアニメ作に対して、これだけの有力者がそろって協力したことは、本作の成功に大きなプラスとなった。いずれも本作の構想に触発されて応援団を買って出た人々だ。

「幸福路」の途上にいるというのは、台湾自身も変わらない。

本作のスタートであり、チーが生まれたのは、1975年の蒋介石総統の死去の年。当時の学校では、台湾の地方言語である台湾語は禁止され、世界最長の戒厳令が続いていた。1987年の戒厳令の解除、民主化運動。1999年の台湾大地震と初の政権交代。そして、2014年のひまわり運動に至ったところで映画は幕を引く。

 これらの40年におよぶ台湾の現代史が、すべてこの作品に、巧みに盛り込まれていることに驚かされる。いま、日本の高校から台湾には大勢の学生たちが修学旅行に出かけているが、学校側はまず学生たちにこの映画を見てもらうべきであろう。






『ALWAYS 三丁目の夕日』のようなノスタルジー

 台湾激動の40年をすべて物語の内部のうまく詰め込みながら、お堅い政治映画ではなく、むしろ『ALWAYS 三丁目の夕日』のようなノスタルジーが漂っている。そして、この映画は、何度みても飽きることがない。私は台湾で一度、機内で一度、そして、この映画の日本公開にあわせて試写会で一度。見るたびに異なるシーンに惹きつけられる。

試写会で日本語字幕がついた本作を見たときに、一番グッと来たのは、主人公のチーが、祖母から「不一樣就是力量(違うことが力なのよ)」と言われるところである。




 チーが表の主役だとすれば、最も強いインパクトを与える裏の主役はこの祖母である。原住民のアミ族である祖母は、健康に悪いとされる嗜好品のビンロウを食べたり、飼っているニワトリを捌いたりして、チーに衝撃を与える。チーは同級生から祖母をバカにされ、祖母をいったんは軽蔑しかけるが、そんな孫に対し、祖母はそう語るのである。

同質性の高い日本から台湾に行くと、その多様性には驚かされることが多い。本省人、外省人、客家人、16部族を数えるさまざまな原住民たちが暮らし、他人とは違うことが当たり前、いやむしろ、他人と違うことこそ生きていくうえでのパワーになる、という考え方がある。今後、外国人を多く受け入れることになる日本にもぜひ学んでほしいところだ。

チーのように、激動の時代に生きることは、幸運ではあるが、幸福とは限らない。

「私たちの世代は、私は13歳のときですが、戒厳令が解除された前と後で考え方が大きく違う社会になり、価値観もかなり混乱しています。チーのように、子供のころは、親孝行で勤勉な人間になるように教育で教え込まれました。でも13歳からは自由こそ大切だと教わるようになったのです。民主化運動の時代は、みんなが社会を正しい方向に変えられると信じていました。私も民主化運動に参加しましたが、いまの台湾を見ていると、いろいろな問題も多く、本当にこれでよかったのかと思うことも少なくありません」

そう語るソン監督だが、時代に翻弄された人だけが持つ喪失感も創作力の源なのだろう。ソン監督は、処女作で世界を驚かせた。次の作品は実写映画になるという。ウェイ・ダーシェンの次の世代を担う新しい才能の出現に、期待を持たずにはいられない。

11月29日(金)より新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町他全国順次ロードショー

【私の論評】自らを見つめ直す民主台湾は次のステージに!「幸福路のチー」はその先駆け(゚д゚)!

最初にこのアニメの日本語ダイジェスト版を掲載します。



このアニメの歴史的背景ともなっている、台湾の歴史、是非とも知っておくべきものと思います。その上で、このアニメをご覧になると、一層感動が深まると思います。

台湾の歴史年表を簡単に掲載します。
~1622年   原住民の時代
1622~1661年 オランダ統治時代(39年)
1661~1683年 鄭氏政権時代 (22年)
1683~1895年 清朝時代    (212年)
1895~1945年 日本統治時代 (50年)
1945~現 在  中華民国統治時代
以下に本当に簡単に台湾の現代史を掲載しておきます。この程度の知識でも、ある無しでは随分異なると思います。ただしし、これはほんのさわり程度に過ぎないので、興味のある方は、いずれかの書籍を是非ご覧になってください。

1945年8月、日本は戦争に負けました。このときに、日本が統治していた朝鮮半島、満州とともに台湾を手放すことになりました。

連合国軍の協定に基づき、台湾は蒋介石が率いる中華民国政府に接収されたのです。これを台湾人(俗に本省人という)は喜びました。日本支配の時代がようやく終わり、これで”祖国に復帰”できるのです。これを「光復」と呼びました。

ところが、日本の手から離れた、島国・台湾を統治するために同年10月、中国大陸からやってきた蒋介石の部下・陳儀(ちんぎ)率いる国民党政府は台湾人の期待をみごとに裏切ったのです。

たとえば、役所では大陸からきた中国人たち(外省人)による汚職や腐敗がはびこり、ました。軍隊(やはり外省人)には規律がなく、やりたい放題で民間人をわずらわせ、経済は破綻し、物価の高騰は進む一方でした。

そこで、台湾人(本省人)の不満はつのりました。「光復」からたった1年後に、新聞の日本語欄はすべて廃止となりました。これにより、台湾人の不満は一層つのりました。

陳儀の国民党政府は、言語・文化政策においても過激でまったく融通がきかなかったのです。それまで台湾語もしくは日本語を使用していた台湾人(本省人)は競うように
「国語(中国語=北京語)」を学んだ。生きるために、学ぶしかなかったのです。

そうして賄賂や汚職にまみれた(大陸からきた)外省人への不満はますますつのり、ついに事件が起きたのです。

1947年2月27日、一人の寡婦が密売していた’やみタバコ’を警官が摘発。許しを請うていた女性を警官は殴打し、商品を没収。これに同情し、多くの本省人が集まり、小競り合いとなりました。

この事件はさらに大きくなり、事件とは関わりのない民衆(本省人)が射殺されたりしてついに本省人の中華民国への怒りと不満が爆発し、翌28日、大規模な、抗議デモに発展したのです。

非武装のデモ隊に対して、国民党政府は無差別に発砲するなど厳しく制圧し、多くの死者を出しました。これが本省人にとって”悪夢のはじまり”と言われる「二・二八事件」(台湾大虐殺)です。

このあと、本省人のエリートや知識階級の人々が国民党政府によって次々と投獄・処刑され始めました。1949年には「戒厳令」が敷かれました。いわゆる軍事統治― 恐怖政治、「白色テロ」時代のはじまりです。

戒厳令は1987年にようやく解除されました。この間(約40年)、台湾では約14万人の人たちが連座し(連座とは=他人の犯罪で連帯責任を問われて罰せられること)、拷問を受け、数千もの人々が処刑されたといいます。

主な罪状は「スパイ容疑」(中国共産党との関わり)や、「台湾独立案件」(中華民国からの独立を画策したという罪)でした。

実際は罪のない人々が濡れ衣を着せられ、次々と投獄され無き者にされたという恐ろしい時代でした。

多くの働き盛りの若者や、将来有望な学生たちが犠牲になりました。運よく生き残った人たちも口をつぐみ、沈黙を守りました。要は常に警戒して暮らしていたのです。当時は、とても日本語の歌など うたえるわけもなかったのです。

戒厳令が解除された、1987年は、つい最近です。ほんの32年前まで台湾がそんな恐ろしい国だったとは信じがたいです。
これは20世紀を通じて世界最長の戒厳である。

この悲しく残酷な時代の台湾が描かれているのが、香港の明星トニー・レオンも出演している超有名な映画『非情城市』です。もちろん、戒厳令解除後の制作です。歴史を踏まえたうえで観ないと、理解できない映画です。


上の記事にもあるように、チーが生まれたのは、1975年の蒋介石総統の死去の年。当時の学校では、台湾の地方言語である台湾語は禁止され、世界最長の戒厳令が続いていた。1987年の戒厳令の解除、民主化運動。1999年の台湾大地震と初の政権交代。そして、2014年のひまわり運動に至ったところで映画は幕を引く。

この時代は激動の時代であったことがおわかりになると思います。これを知らなければ、「幸福路のチー」というアニメの素晴らしいの半分も本当には理解できないと思います。

そうして、民主化などとうてい不可能とも思われていた、台湾が今日は民主化されているのです。大陸中国こそ、台湾の民主化を見習うべきだ思います。

台湾民主化の原動力となったのは、李登輝元総統です。これについては、以下の記事が詳しいです。

李登輝が「台湾民主化は日本のおかげ」と語るワケ
詳細はこの記事をご覧いただくものとして、以下に李登輝が総統だった時の写真と、この記事の最後のしめくくりの部分だけ掲載します。



 李登輝は一連の民主改革を、一滴の血も流さず、一発の銃弾も打つことなく完成させた。「台湾の人々に枕を高くして寝させてあげたかったから」という信念を貫いた李登輝に、その強さの源を聞いて刮目したことがある。 
「日本教育だよ。人間生まれてきたからには『公』のために尽くせ。そう叩き込まれてきたんだ。だから私は国民党の権力を手にしたときも、『私』のことは全く考えることなく『公』のために使おうと決心できたんだ」。

 そして李登輝はこう続けたのである。「だから台湾の民主化が成功したのは、日本のおかげでもあるんだ」と。
『公』に尽くすとは、最近の日本では忘れられがちなことです。 しかし、昔から日本では、国難に遭うと、『公』に尽くす人が出てきて、危機から脱するということがありました。

現在と、未来の日本はどうなるのでしょうか。そのようなことは、『ALWAYS 三丁目の夕日』のようなノスタルジーとして昭和を懐かしむ日本人の心の中だけの存在になってしまったのでしょうか。私は、そうは思いません。現在の若い世代の中から将来そのような人が出てくると期待しています。

そうして、台湾は民主化されてから日が浅いです。様々な文化や、産業力が芽生えるためには、ある程度の平和な状況が続かないと無理であるとの社会学の研究結果が示しています。これからも、台湾の平和と繁栄が長く続いたときにこれらが花咲くことになるのではないかと思います。

台湾映画には、最近は大きな動きがあります。たとえば、興行成績を次々と塗り替えている『返校』です。これは、台湾の白色テロを初めて題材にした作品です。この作品の一番のメッセージが「今ある自由や民権は元からあるものではなく、多くの人の犠牲の上に獲得したのを忘れないで」というものだからです。これは、「幸福路のチー」にも共通しています。

自分を見つめ直すという機運が高まった後に、その国の文化や産業が発展し始めるのではないかと思います。日本も終戦直後には、良くも悪くも、そのような作品で溢れかえっていました。

「幸福路のチー」はこれから台湾が発展していくことを示すその先駆けかもしれません。その時には、宋欣穎(ソン・インシン)以降の新たな世代が台湾を次のステージにあげているのではないか思います。そうして、その時には大陸中国は凋落していると思います。

日本のアニメ界も、イノベーションをしなければ、台湾勢に追い越されるかもしれません。そうして、日本のアニメ界のイノベーションの鍵は、「幸福路のチー」のように自らを見つめ直すことではないかと思います。

李登輝氏が語るように、台湾民主化に大きな影響を与えるほどの大きな潜在能力が日本にはあるようです。それを見直した新たな世代が日本でも日本を次のステージにあげていくのではないかと私は期待しています。

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2019年12月6日金曜日

【東京新聞社説】中村哲さん死亡 憲法の理念を体現した―【私の記事】国際法を理解しないと、問題点の多い日本国憲法ですら正しく理解できない(゚д゚)!

【東京新聞社説】中村哲さん死亡 憲法の理念を体現した

中村哲氏

 平和憲法のもとでの日本の国際貢献のありようを体現した人だった。アフガニスタンで長年、人道支援に取り組んだ医師中村哲さんが現地で襲撃され死亡した。志半ばの死を深く悼む。

 紛争地アフガニスタンでの三十年近くに及ぶ活動の中で、戦争放棄の憲法九条の重みを感じていた人だった。軍事に頼らない日本の戦後復興は現地では好意を持って受け止められていたという。

 政府が人道復興支援を名目に、自衛隊を派遣するためのイラク特措法を成立させた後は、活動用車両から日の丸を取り外した。米国を支援したことで、テロの標的になるという判断だった。現地での活動は続けた。「活動できるのは、日本の軍人が戦闘に参加しないから。九条はまだ辛うじて力を放ち、自分を守ってくれている」。二〇一三年、本紙の取材にそう語っている。

 その後も集団的自衛権の行使容認や安保法制など、憲法の理念をないがしろにして自衛隊の海外派遣を拡大しようとする政府の姿勢を苦々しい思いで見つめていた。

 安倍晋三首相が掲げた「積極的平和主義」を「言葉だけで、平和の反対だと思う」と批判していた中村さんは、真の平和につながる道は「日常の中で、目の前の一人を救うことの積み重ね」と考えていた。

 ハンセン病患者などの治療のため一九八四年にパキスタン入りし、九一年からアフガニスタンでも活動を始めた。「対テロ戦争」を名目とした米英軍の空爆や武装勢力の衝突など戦火は絶えず、大干ばつも地域を襲う。中村さんの目の前には常に不条理な死と苦しむ人々がいた。

 二〇一八年には、アフガニスタンから、日本の民間人としては異例の勲章を受けた。緑化のための用水路建設や、長年の医療活動が高く評価された。国連難民高等弁務官として難民支援に貢献し、先日亡くなった緒方貞子さんとともに、日本が目指すべき国際貢献の姿として、その光を長く記憶にとどめたい。

 今、政府は中東海域への自衛隊派遣の年内決定を目指している。米国が主導する「有志連合」への参加は見送ったものの、派遣の必要性や根拠に乏しい。米軍などの軍事行動と一体化していると見られる懸念は消えない。

 軍事的貢献に傾いていく今の姿を認めてしまってよいのか。中村さんの志を無駄にしないためにも、立ち止まって考えたい。

【私の記事】国際法を理解しないと、問題点の多い日本国憲法ですら正しく理解できない(゚д゚)!

昨日の記事でも述べたように、護憲派の人々は、中村哲氏を憲法9条の、殉教者にしたいようです。冒頭の記事の、東京新聞もまさにそうです。

これは、昨日も述べたように、死者に対する冒涜以外の内ものでもないようように私には思えます。確かに、中村哲氏の偉業は素晴らしいものですが、それと憲法9条の解釈に関しては明確に分けて論ずるべきです。

たとえば、昨日も解説させていただいたように、9条1項で定めている戦争放棄の条文とは、あくまでも国際法で違法化されている戦争を行わないことを宣言したもので、ほとんどの国の憲法に9条1項と類似した条項があります。

その前提からいえば、多くの日本国民が誤解しているであろう1項「戦争放棄」の条文とはどのような意味なのでしょうか。



本来、9条1項が否定しているのは、あくまでも『国権の発動としての戦争』(国家が宣戦布告して他国を攻撃する行為)と、『国際紛争を解決する手段としての武力による威嚇又は武力の行使』なので、自衛権まで放棄しているとはいえません。

しかし、大半の憲法学者は、『国権の発動たる戦争』=『国際法上の戦争』、『武力の行使』=『事実上の戦争』と勝手に解釈し、これらを論拠に、すべての戦争を日本国憲法は否定していると主張するのです。

国連憲章51条では、「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」と定められています。

個別的、集団的を問わず、自衛権は国際法で認められている権利だということは、多くの日本人が知らない事実かもしれないです。

さらに、9条2項は、国際法で違法となっている戦争(war)を行うための潜在力である戦力(war potential)を保持しないことを日本国民が宣言した条項です。これも1項同様、現代国際法を守るための条文であり、憲法学の通説とされている自衛権行使の手段の不保持が宣言されているわけではありません。

この解釈は、戦後しばらくは憲法学の京都学派の学説として、多くの日本人に知られていたものです。しかし、現在の日本ではこの解釈は忘れ去られ、多くの憲法学者は自衛隊の存在そのものを違憲と考えているのが実態です。

たとえば、安全保障関連法案の議論が白熱していた2015年6月、朝日新聞が憲法学者209人に集団的自衛権や自衛隊に関するアンケート(結果は下のチャート参照)を行い、121人から回答を得ました。その結果、自衛隊は憲法違反にあたると答えたのが50人、憲法違反にあたる可能性があると答えたのが27人と、いわゆる「違憲派」が過半数を超えています。


また、不可解なのは、自衛隊が違憲と主張しながらも、9条を改正する必要があると回答したのは、わずか6人だったことです。違憲状態を放置するのは、憲法をないがしろにする行為以外の何ものでもないはずなのですが、なぜこのようになるのか理解に苦しみます。

憲法に限らず、本来の法律条項の考え方として、2項は、戦争放棄をうたった1項の内容を補強する意図でつくられたとみるべきです。しかし、憲法学者は、国際法をまったく考慮せず、言語感覚のようなものだけに基づいて解釈するがゆえに、自衛権と自衛隊の存在も否定するといった驚くべき結論に至っているのです。

戦力不保持に加えて、もうひとつ2項で言及されているのが交戦権の否認です。交戦権は国際法には存在しない概念で、これを認めないということは国際法を順守するという意味です。

これは、戦前の大日本帝国憲法を根拠にした「交戦権(right of belligerency)」を振りかざして、現代国際法を否定しないことを日本国民が宣言した条項なのです。ただし、憲法学者の勝手な主張によって、9条2項は国際法を順守するのではなく、国際法上の自衛権などを否定する条項と一般に説明されることになっ
たのです。
ここで問題なのが、日本政府もこの「交戦権」否認が国際法順守を意味することを、理解できていない点です。
政府は、「交戦権」を"交戦国が国際法上有するさまざまな権利の総称”と根拠のない勝手な解釈をして、国際法を受け入れないための条項だなどと言っています。そのため、具体例を挙げれば、日本の自衛隊は、海外で活動中に捕虜になっても捕虜条約の適用を受けないといった弊害が出ているのです。
戦争違法化は日本国憲法だけではない

なぜ、日本では国際法が理解されていないのでしょうか。そもそも国際法は、国内法と異なり、国会のような立法機関が存在しません。

したがって国際法が成立するには、複数国間で条約、協定、協約等の形により国家間で国際的な合意をする必要があります。

これとは別に、明文となっていなくとも、一定期間国際社会において一般的慣行として守られてきたルールも、不文律の国際慣習法として国際法を構成します。国際連合成立の根拠となる国連憲章も、国際法規範としての性質をもっています。

古くは、国際連盟規約(1919年)や不戦条約(1928年)等により、戦争を禁止あるいは制限しようとする試みがなされ、現在は、国連憲章で「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を(中略)慎まなければならない」と規定し、戦争のみならず、武力不行使原則が国際法上の義務になっています。

オランダのハーグには国際司法裁判所が存在しますが、国内裁判所のように強制管轄権がありません。そのため、国際法に違反するかを判断し、国際法の遵守を強制する機関はないのが実情です。

例えば、国内刑法であれば、警察・検察が強制捜査し、裁判所が違反の有無(有罪・無罪)を判断し、検察官が刑罰の執行を指揮しますが、国際法分野では、国内の警察・検察、裁判所と同様な強制力・権限をもつ機関がありません。ただし、事実上、強大な軍事力をもつ米国がその役目を果たすことはあります。

むしろ、国際法を強制的に遵守させる権限をもつ国際機関を設置すると、今度はそれ自体が各国の主権を侵害して国際法違反だということになりかねません。

そうなってくると、強制力がない国際法はいわゆる「法」ではないとも考えられ、実際、国際法は道徳にすぎず、任意の合意でしかないという見解もあります。

ニュースで国際法違反の具体的な内容が日本ではあまり聞かれないのは、国際法の曖昧さや特殊性にも原因があると推測されます。ただし、国際法という概念は現実に存在しており、ほとんどの国が確実に国際法違反、あるいはそうではないといえる範囲はその時々で存在しており、これに違反すれば、国際社会から制裁を受けたり、甚だしくは放逐されたりすることも実際にあります。

日本では、世界の国際法の潮流とは全く関係なく、独自の憲法論というより、憲法典論を構築してきたため、国際法の理解が進んでいないのだと考えられます。多くの日本人にとつて、憲法とは憲法典であり、その中に書かれていることは一字一句変えてはならないと思い込んでいる人大勢います。

しかし、憲法典ではない憲法はあります。その典型はイギリス憲法です。国際法も、法典化されているわけではありません。日本国憲法典を一字一句金科玉条のように守るべきと考える人も多い日本人からすると、これはなかなか考えにくいものなのかもしれません。

これは、早急に改めなければならないでしょう。これが改められてないからこそ、日本国憲法も正しく理解できないどころか、世界的潮流からみれば、歪んだ解釈が平気でまかり通ることになってしまったのです。果には、憲法9条の殉教者まで、作り出そうとする輩が出る始末です。

そうして、韓国の場合は、日本よりさらに、深刻な状況になっているのです。そのため、韓国は国際条約でも平気で破ります。さらに酷いのは、中国です。中国にいたっては、国際法も含めて、世界の秩序を自分の都合で作り変えようとさえしています。これによって、大きな迷惑を被っているのは、日本自身でもあります。日本でも国際法の理解をすすめていくべきです。

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アフガニスタン 医師の中村哲さん銃撃 複数の男らの犯行か―【私の論評】パリ不戦条約、国際憲章のコピーの日本国憲法9条に命はかけられない(゚д゚)!




2019年12月5日木曜日

アフガニスタン 医師の中村哲さん銃撃 複数の男らの犯行か―【私の論評】パリ不戦条約、国際憲章のコピーの日本国憲法9条に命はかけられない(゚д゚)!

アフガニスタン 医師の中村哲さん銃撃 複数の男らの犯行か



アフガニスタンで長年、農業用水路の建設など復興に携わってきた医師の中村哲さんが、4日、何者かに銃撃され死亡したことについて、現地では追悼の声が相次いでいます。これまでのところ犯行声明は出ていませんが、銃撃は、複数の男らによる犯行の疑いが強いことが地元の警察への取材で分かりました。

アフガニスタン東部のナンガルハル州ジャララバードで4日、福岡市のNGO、「ペシャワール会」の現地代表の医師、中村哲さん(73)が車で移動中に、何者かに銃撃されました。中村さんは、病院で手当てを受けていましたが、その後、死亡が確認されました。

地元の警察などによりますと、この銃撃で、中村さんや、一緒にいた運転手や警備員など合わせて6人が死亡したということです。

中村さんは長年、農業用水路の建設など復興に携わりながら、地元の人たちとも積極的に交流を続けてきたことから、現地では追悼の声が相次いでいます。

現地時間の4日夜、ジャララバードでは追悼集会が開かれ、多くの人たちがろうそくに火をともして中村さんの死を悼むとともに、功績をたたえました。

農業をしている40代の男性は、「中村さんは、私たちの農地を洪水から守るために数え切れないほどの支援を続けてくれた。彼が亡くなったことを聞き、悲しい思いでいっぱいです」と話していました。

一方、今回の銃撃について、これまでのところ犯行声明は出ていませんが、その後の調べで、銃撃は3人から4人の複数の男らによる犯行の疑いが強いことが地元の警察への取材で分かりました。男らは、1台の乗用車に乗って中村さんたちを待ち伏せし、銃撃したあと、再び同じ車に乗って逃走したということです。

警察は、中村さんをねらった計画的な犯行の疑いもあるとみて、詳しく調べています

治療にあたった病院の担当者

中村さんの治療にあたったナンガルハル州の病院の広報担当者がNHKの取材に応じ、「中村さんが乗った車は午前8時ごろ、武装した何者かに襲われた。5人の遺体とけがをした中村さんが、私たちの病院に運ばれてきた」と当時の様子を説明しました。

また、中村さんの容体については、「腹部に2発の銃弾が撃ち込まれていて、救急処置を行ったが、さらなる治療のために首都カブールに移そうと、地元の空港に向かう途中、けがが原因で亡くなった」と述べました。

中村さんを救うため、ナンガルハル州の知事は、中村さんを至急、首都カブール近郊にあるアメリカ軍のバグラム空軍基地に搬送するよう指示していたということです。

10年来の親交の知人「今後、どう中村先生の遺志をつなぐか」

中村哲さんと10年来の親交がある福岡県朝倉市の徳永哲也さん(72)が4日夜、NHKの取材に応じ、「あれだけ命をかけてアフガニスタンの復興にかけている人をなぜ殺すのか、全く理解できません。悔しくてたまりません。こんなことは絶対にあってはならない」と話しました。

徳永さんは、中村さんがアフガニスタンの農地再生事業のモデルとした、江戸時代のかんがい設備、朝倉市の山田堰を管理する土地改良区の元理事長で、ことし4月、中村さんと一緒におよそ10日間、アフガニスタンに滞在し現地を視察したということです。

当時の様子について、徳永さんは「現地の農家の人たちは『中村先生は神様だ』と慕っていました。兵士など5人が24時間、中村先生を警護していたので、そういう環境の中で事件が起きるとは私には理解できないです」と話していました。

中村さんの人柄については、「世間が広く、知識も深く、すごい人だなと感じていました。われわれとつきあうときも、偉ぶるわけでもなく、淡々とお話をしてくださいました。いろんな人に対しても、親切、丁寧に説明をして変わらないで接してくださいました」と話していました。

徳永さんは先月22日にも中村さんと福岡市で会い、今後の取り組みについて話を聞いたばかりだったということで、「われわれが、今後、どう中村先生の遺志をつなぐのか考えていかないといけないと思います」と話していました。

母校の九大の学長「理不尽さに憤り」

中村哲さんは、昭和48年に九州大学医学部を卒業し、平成26年から九州大学高等研究院の特別主幹教授として、年に1回のペースで大学で講演会などを行い、ことしも8月5日に講演していました。

九州大学の久保千春学長は「成し遂げた事業の壮大さに強い感銘を受けるとともに、これまでの経験を通して感じた思いを、率直に丁寧に語られる姿に温かで誠実な人柄を感じてまいりました。現地の復興のために尽力してこられた先生がこのような形で命を落とされることは痛恨の極みであり、その理不尽さに憤りを禁じえません。九州大学教職員・学生を代表し心からご冥福をお祈りいたします」とするコメントを出しました。

国連特別代表「功績は大きく、日本人として誇り」

国連アフガニスタン支援団のトップを務める山本忠通事務総長特別代表は、NHKの電話インタビューに対し、「まさか彼のような人が攻撃を受けるなんて思ってもおらず、驚くとともに腹が立った。亡くなられたのは、大変な損失だ」と述べ、中村さんの死を悼みました。

また、アフガニスタンの復興にあたる中村さんの姿勢について、「どうすればアフガニスタンの国民がよりよい人間らしい生活ができるかを考え、『困難な人たちを助けたい』という純粋な気持ちが伝わる仕事をしてきた。アフガニスタンの人たちは中村さんを非常に尊敬していて、親しんでいた。功績は大きく、日本人として誇りに思う」と振り返りました。

そのうえで山本代表は、「中村さんは非常に謙虚であるとともに信念の強い人だった。中村さんが残した具体的な方法や、現地の一般の人たちを巻き込んで、一緒になって開発を進めるという考えは根づいていると思うので、それが受け継がれ、さらに広がっていくことを期待したい」と話していました。

10月に現地で活動の様子を取材

NHKはことし10月、アフガニスタンに建設された農業用水路を視察する中村哲さんの様子を現地で取材しました。

この時、視察した用水路は、中村さんが活動の拠点としている東部ナンガルハル州にことし2月、新たに完成しました。中村さんは、現地のNGOと連携しながら、用水路などの建設を進めたほか、地元の人たちとも積極的に交流していました。

ただ、中村さんは、現地の治安状況を踏まえて、安全管理を徹底したうえで、視察に訪れていたということです。NHKの映像にも、今回、銃撃を受けた中村さんの車と同じナンバーの車が写っていて、その後ろには、銃を持った警備員が乗った車が同行しています。

また、現地では、山岳地帯の急激な雪どけなどによって、たびたび洪水が発生していましたが、中村さんは、国連と協力して訓練センターを立ち上げ、洪水で破壊された堤防や橋の修復を担う技術者の研修など、人材育成にも熱心に取り組んでいました。

中村さんは、NHKのインタビューに対し、アフガニスタンは、地球温暖化の被害が最も著しい国の1つだと指摘したうえで、「アフガニスタンは戦争では滅びないが、干ばつで滅びる可能性がある。すべての人が力を合わせてこの問題に取り組み、アフガニスタンの深刻な状態に目を向けることが大事だ」と述べ、国際社会に協力を呼びかけていました。

人道援助関係者の死傷者が増加

国連によりますと、アフガニスタン国内で死亡やけがをしたり、誘拐されたりした人道援助関係者の数は、ことし8月の時点で合わせて91人に上り、去年1年間の76人をすでに上回っていました。このうち、ことし死亡した人は、27人に上るということです。

先月24日には、首都カブールで国連の車両をねらった爆発があり、アメリカ人1人が死亡しました。

【私の論評】パリ不戦条約、国際憲章のコピーの日本国憲法9条に命はかけられない(゚д゚)!

中村哲先生の突然の訃報に接し、現地の復興のために尽力してこられた先生が、このような形で命を落とされることは痛恨の極みであり、その理不尽さに憤りを禁じえません。心からご冥福をお祈りいたします。以下に生前の先生の姿をおさめた動画を掲載させていただきます。


中村哲氏については、様々なことが他のメディアでも触れられていますか、あまり報道されていないことの一つが、憲法9条の信奉者でもあったことです。

これに関しては、「マガジン9」というWEB雑誌に掲載されています。

2008年4月の記事です。以下に一部を引用します。

"
■アフガニスタンという国で、9条をバックボーンに活動を続けてきた

久しぶりに帰国された、医師の中村哲さんにお会いしました。もちろん、みなさんご存知のように、中村さんは「ペシャワール会」の代表として、パキスタン、アフガニスタンで、さまざまな活動に携わっておられます。  その中村さんに、現地での活動状況と、特に憲法9条との関連について、お伺いしました。

(※中略)

■「平和国家」日本に期待されていること

編集部
現地では、NGOとか国際機関なんかが襲撃されるということは、かなりあるんですか?

中村
何回も、見聞きしたことはありますよ。でも、我々ペシャワール会が襲われたことは一度もありません

編集部
それだけ、ペシャワール会の活動が現地の方々に浸透しているということでしょうか。

中村
そうですね。アフガンの人たちは、親日感情がとても強いですしね。それに、我々は宗教というものを、大切にしてきましたから。

中村
そうです。それに僕はやっぱり、日本の憲法、ことに憲法9条というものの存在も大きいと思っています。

編集部
憲法9条、ですか。

中村
ええ、9条です。昨年、アフガニスタンの外務大臣が日本を訪問しましたね。そのとき、彼が平和憲法に触れた発言をしていました。アフガンの人たちみんなが、平和憲法やとりわけ9条について知っているわけではありません。でも、外相は「日本にはそういう憲法がある。だから、アフガニスタンとしては、日本に軍事活動を期待しているわけではない。日本は民生分野で平和的な活動を通じて、我々のために素晴らしい活動をしてくれると信じている」というようなことを語っていたんですね。

編集部
平和国家日本、ですね。

中村
ある意味「美しき誤解」かもしれませんが、そういうふうに、日本の平和的なイメージが非常な好印象を、アフガンの人たちに与えていることは事実です。日本人だけは、別格なんですよ。

(※中略)

中村
日本は、軍事力を用いない分野での貢献や援助を果たすべきなんです。現地で活動していると、力の虚しさ、というのがほんとうに身に沁みます。銃で押さえ込めば、銃で反撃されます。当たり前のことです。でも、ようやく流れ始めた用水路を、誰が破壊しますか。緑色に復活した農地に、誰が爆弾を撃ち込みたいと思いますか。それを造ったのが日本人だと分かれば、少し失われた親日感情はすぐに戻ってきます。それが、ほんとうの外交じゃないかと、僕は確信しているんですが。

■9条は、僕らの活動を支えてくれる リアルで大きな力

編集部
そう言えば、雑誌『SIGHT』(07年1月)のインタビューで、「9条がリアルで大きな力だったという現実。これはもっと知られるべきなんじゃないか」とおっしゃっていましたね。

中村
そうなんですよ。ほんとうにそうなんです。僕は憲法9条なんて、特に意識したことはなかった。でもね、向こうに行って、9条がバックボーンとして僕らの活動を支えていてくれる、これが我々を守ってきてくれたんだな、という実感がありますよ。体で感じた想いですよ。

武器など絶対に使用しないで、平和を具現化する。それが具体的な形として存在しているのが日本という国の平和憲法、9条ですよ。それを、現地の人たちも分かってくれているんです。だから、政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない。むしろ、守ってくれているんです。9条があるから、海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。それが、ほんとうの日本の強味なんですよ。

編集部
その体で実感した9条を手放すことには、どうしても納得できない。

中村
具体的に、リアルに、何よりも物理的に、僕らを守ってくれているものを、なんで手放す必要があるんでしょうか。危険だと言われる地域で活動していると、その9条のありがたさをつくづく感じるんです。日本は、その9条にのっとった行動をしてきた。だから、アフガンでも中東でも、いまでも親近感を持たれている。これを外交の基礎にするべきだと、僕は強く思います。
"
全文はソース先で
080430up
http://www.magazine9.jp/interv/tetsu/tetsu.php

「ペシャワール会」は、福岡市に事務局を置く非政府組織(NGO)で、アフガニスタンやパキスタンで活動する中村哲医師が現地代表を務めます。1983年に結成。84年からパキスタンで治療や医療教育を実施し、2000年からは医療事業の一環としてアフガン東部一帯で水源確保も始めました。

長年の活動で住民の信頼は厚く、中村医師が「アジアのノーベル賞」といわれるマグサイサイ賞を受賞するなど国際的にも評価が高いです。

08年8月、日本人スタッフの伊藤和也さんがアフガン東部ジャララバード近郊で武装グループに拉致され、その後、遺体が発見されました。


伊藤和也氏

伊藤さんを慕った1000人を超える村人が捜索・追跡に加わり、追い詰められた犯人はパニックとなって伊藤さんに発砲、弾は左太ももの動脈を撃ち抜き伊藤さんは出血死しました。


まだ31歳の若さでした。当初は政治目的の誘拐とされ過激派の犯行声明も出ましたが、犯人のうち逮捕された2人は「結局は金目当てだった」と自白。そして「殺さないと思っていたのでボスが撃った時は驚いた」とも供述しました。

二人もの尊い命が犠牲になったということです。中日新聞の社説に「射殺された(中村哲)医師は憲法9条の理念を体現した」と報道していますが、意味が分からないです。同氏の考えは考えとして全面否定はしないですが、9条では命を守れなかったのは現前たる事実です。タリバンも「憲法9条がある日本だから襲撃しない」と言っている訳ではありません。

護憲派の人々は、中村哲氏を殉教者のように扱おうとしているようです。しかし、そのようなことは、死者に対する冒涜であるとしか思えません。

そもそも、憲法9条について、誤解している人が多くいるようです。日本国憲法9条は、1項「戦争放棄」、2項「戦力不保持」「交戦権否認」を定めた条文から構成されています。この9条が由来となり、日本国憲法は「平和憲法」と呼ばれているわけです。

「9条は日本独自のものであり、世界に誇れる憲法」だと考えている人は、案外多いのではないでしょうか。なぜなら専門家である憲法学者のなかでも、そのような口ぶりで主張する人もいるからです。しかし、それは正確な理解ではありません。

9条1項は、1928年のパリ不戦条約と1945年の国連憲章といった国際法規を前提にしてつくられたものです。互いの文言を比べてみると一目瞭然なのですが、ほぼそっくりそのまま書き写している代物です。これらの国際法規範を順守するにすぎないと考えるのが妥当であり、日本だけが特別に設けている条文ではありません。

つまり、9条1項は、国際法を守ると改めて宣言したにすぎず、世界で唯一なわけではまったくありません。

9条1項で定めている戦争放棄の条文とは、あくまでも国際法で違法化されている戦争を行わないことを宣言したもので、ほとんどの国の憲法に9条1項と類似した条項があります。



憲法9条は国際法と密接な関連性があります。にもかかわらず、ほとんどの憲法学者は、国際法を知らないのか、知らないふりをしているのか、まったく言及しません。

2018年10月30日、韓国大法院が新日鉄住金に対して、元徴用工への補償を命じました。その判決に関して、日本政府は「1965年の日韓請求権協定で完全かつ最終的に解決済みで、この判決は国際法に照らしてもあり得ない」と主張しています。

韓国司法の国際法違反とも取れる判決に、日本国内でも批判が高まっているのですが、日本の憲法学者の9条解釈も国際法を理解していない点では同じ穴のムジナなのです。われわれ日本人も国際法を踏まえた上で、憲法9条を理解しなければいけないようです。

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2019年12月4日水曜日

白日の下にさらされた中国のウイグル強硬弾圧―【私の論評】香港・ウイグル人権法の成立により、米中の対立は価値観の対立になりつつある(゚д゚)!

白日の下にさらされた中国のウイグル強硬弾圧
岡崎研究所

 ニューヨーク・タイムズ紙は、中国共産党幹部から入手したらしい(もちろん入手元は安全上の理由から秘密だろう)大量の内部文書(全部で403頁、24文書が含まれていると言う)の内容を紹介する記事を11月16日に掲載した。その内容とは、中国共産党による新疆における大規模な弾圧に関するものである。中国共産党が、習近平総書記の指示の下で、大々的にウイグル族の拘束と弾圧を行なっていることを裏付けるものとなっている。

中国共産党旗とウイグル人女性

 記事によると、現在の新疆におけるウイグル弾圧の大きなきっかけは、2014年の習近平総書記の新疆視察に遡る。その視察前後に、複数の大規模殺傷事件が発生したことを受けて、習近平総書記は一連のスピーチを行なった。習近平は、スピーチの中で、「目には目を、微塵も慈悲を見せてはならない」と話し、新疆において治安を回復するために、強硬路線を取ることを打ち出した。習近平は、イスラム過激主義に対して、「独裁的」手段を用いることも呼びかけている。一方で、習近平はウイグル族を差別してはならず、彼らの信仰の自由と権利を尊重すべきだとも話している。ウイグル族と漢族の間の自然な摩擦に過剰反応したり、中国においてイスラムを完全に消滅させようと考えたりすべきではないとも警告している。とはいえ、習近平が、新疆の弾圧への方向転換を行ったことは間違いない。

 この内部文書の米メディアへの流出で、中国共産党が2014年以来、どのような対新疆政策をとってきたかが白日の下にさらされた。細かな解説はしないが、問題点を列挙するだけで、ものごとの深刻さと重大さは理できるであろう。

 中国共産党内において少数民族政策について強硬策と柔軟策の2つの路線争いは常にある。習近平は強硬策に舵を切った。新疆問題は、香港問題とともに、中国の政局に影響を及ぼす。

 外部と強いコネクションを持つ新疆イスラム教徒の徹底弾圧は不可能だろう。中国の少数民族政策の成否は、生活水準の向上だけではなく、彼らの宗教を含む文化に対する共産党の寛容度、つまり理解と支持がより重要となる。屯田兵を増やし、文化を否定することでは失敗する。アメとムチがいると言うことだが、アメの方が重要だ。中国は内部問題をさらに深刻化させた。

 この時期に内部文書が流出したことの意味は大きい。習近平になり、内部の締め付けを強めたにもかかわらず流出した。中国国内の厳しい監視網をかいくぐって香港まで持ち出せたということになる。

 ここに大きな「政治」を感じる。つまり、この文書が国際社会に流布することに利益を見出す党内グループがあるということだ。習近平のイメージはさらに損なわれる。2012年のブルームバーグによる習近平ファミリーの不正蓄財疑惑報道より打撃は遙かに大きいだろう。

【私の論評】香港・ウイグル人権法の成立により、米中の対立は価値観の対立になりつつある(゚д゚)!

中国西部の新疆ウイグル自治区にある、高度の警備体制が敷かれた収容施設で、中国政府がイスラム教徒のウイグル人を何十万人も組織的に洗脳していることが、流出した文書によって初めて明らかになりました。

中国政府はこれまで一貫して、収容施設では希望者に、過激思想に対抗するための教育と訓練を提供していると説明しています。

ところが、BBCパノラマが確認した公文書は収容者の監禁や教化、懲罰の状況を記録しており、中国政府の説明を覆す内容になっています。

これに対し、中国の駐英大使は、文書は偽物だとしています。

収容施設は過去3年間に、新疆ウイグル自治区内で建設されてきました。イスラム教徒のウイグル人を主体に、100万人近くが裁判を経ずに施設内で拘束されているとみられています。

文書は、国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)が入手しました。

ICIJにはBBCパノラマや英紙ガーディアンなど17の報道機関が参加。今回流出した中国政府の公文書を「中国電報(The China Cables)」と呼んでいます。

文書には、2017年に新疆ウイグル自治区の共産党副書記で治安当局のトップだった朱海侖氏が、収容施設の責任者らに宛てた9ページの連絡文書も含まれています。

その連絡文書では、収容施設を高度に警備された刑務所として運営するよう指示。以下の点を命じています。

  • 「絶対に脱走を許すな」
  • 「違反行動には厳しい規律と懲罰で対応せよ」
  • 「悔い改めと自白を促せ」
  • 「中国標準語への矯正学習を最優先せよ」
  • 「生徒が本当に変わるよう励ませ」
  • 「宿舎と教室に監視カメラを張り巡らせて死角がないことを(確実にしろ)」

流出した文書はまた、収容者の生活が細かく監視、管理されている状況も示しています。
「生徒のベッド、整列場所、教室の座席、技術的作業における持ち場は決められているべきで、変更は厳しく禁じる」
「起床、点呼、洗顔、用便、整理整頓、食事、学習、睡眠、ドアの閉め方などに関して、行動基準と規律要件を徹底せよ」
別の文書からは、ウイグル人の拘束と収容の規模がわかります。

ある文書は、2017年のわずか1週間の間に、新疆ウイグル自治区の南部から1万5000人が収容施設に入れられたとしています。

国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチの中国担当責任者ソフィー・リチャードソン氏は、流出文書は検察当局に活用されるべきだと話します。

「これは訴追に使える証拠で、甚だしい人権侵害が記録されている。収容者は全員、少なくとも精神的拷問を受けていると言っていいと思う。自分がいつまでそこにいるのか、まったく分からないからだ」
流出文書はさらに、収容者は自分の行動や信条や言葉を変えたと示すことができて初めて、解放されるのだと詳細に書いている。
「生徒には悔い改めと自白を促し、彼らの過去の活動が違法で犯罪的で危険な性質のものであることを深く理解させよ」
「浅い理解や悪い態度、反抗心すらうかがえる人には(中略)教育改革を実行し、確実に結果を達成しろ」
こうした指示を受けた収容施設について、人権問題に詳しく、ウイグル人組織「世界ウイグル会議」の顧問をつとめる英勅選弁護士のベン・エマーソン氏は、収容者の人格改造が狙いだと話します。
「ひとつの民族コミュニティー全体を対象に作られ実行されている、巨大な集団洗脳計画以外の何かだとみなすのは、非常に難しい。新疆ウイグル自治区にいるイスラム教徒のウイグル人を、個別の文化集団として、地球上から消滅させようとしている。そのために彼らを完全に作り変えることを意図した取り組みだ」
文書によると、収容者は「思想変革、学習と訓練、規律の遵守」について点数が与えられます。

収容者の家族との接触の可否や解放時期は、罰と報酬のシステムにより判定されます。解放は、共産党委員会が変革の証拠を得たときだけ検討されます。

流出文書は、中国政府が集団監視と、個人情報の分析に基づいた予測による取り締まりを実行している様子を明らかにしています。

ある文書には、携帯電話にZapyaというデータシェアリングのアプリを入れていることだけを理由に、180万人が要注意人物とされたことが記されています。

当局は、そのうちの4万557人を「一人ひとり」調べるよう命令。「疑いを晴らすことができなければ」彼らに「強制訓練」を受けさせるべきだと述べたといいます。

流出した文書からは、外国の市民権をもつウイグル人の逮捕や、外国で暮らすウイグル人の追跡に関する明確な指示も読み取れます。

世界規模で捕獲網を張り巡らせるため、中国の大使館や領事館が役割を果たしていることも暗示しています。

中国の劉暁明・駐英大使は、中国の施策は新疆ウイグル自治区の人々を守るためであり、同自治区では過去3年間、テロ攻撃は1件も起きていないと述べました。

「当該地域は現在、社会的に安定し、民族集団もまとまっている。人々は満足と安全を以前よりずっと強く感じ、生活を楽しんでいる」 
「西側には、そうした事実を完全に無視して新疆について中国を熱心に中傷している人々がいる。彼らは、中国の国内問題に介入し、新疆における中国のテロ対策を妨げ、中国の順調な発展を妨害する口実を作ろうとしている」

米下院本会議は3日、中国・新疆ウイグル自治区の少数派イスラム教徒に対する人権侵害を巡り中国政府当局者に制裁を科す法案を賛成407、反対1の圧倒的多数で可決しました。これを受け、中国外務省はさらなる対抗措置を講じるとの声明を発表しました。詳細は示していません。

中国共産党旗を掲げるウイグル人

同法案は9月に全会一致で上院を通過したウイグル族人権法案を修正したものです。採決前に中国共産党機関紙・人民日報系の新聞、環球時報は、中国政府は米企業の制裁につながり得る「信頼できないエンティティー」のリストを公表する可能性があると警告していました。先週には、トランプ大統領の署名により香港人権法が成立しています。

環球時報の胡錫進編集長は3日のツイートで、米当局者へのビザ(査証)発給が制約されたり、新疆ウイグル自治区への立ち入りが禁止されたりする可能性があると指摘しました。

中国は香港人権法への報復措置として、米国の非政府組織(NGO)の一部に制裁を科し、米海軍艦船の香港寄港を当面禁止しました。

人権侵害で中国政府当局者を制裁対象にする法案は議会で超党派の支持を得ています。超党派の支持を得る法案はまれであり、このためトランプ大統領はジレンマに直面しています。議会に反対して有権者の支持を失うこともできないですが、署名をすれば年内の中国との第1段階合意の可能性がさらに後退する可能性があるからです。

下院法案には、ウイグル族抑圧の責任を負う中国当局者への制裁を米大統領に義務付ける条項のほか、ウイグル族や中国市民の通信や動向を制限したり偵察するのに使われ得る機器の輸出規制などが加えられました。

ウイグル人権法案の可決で米中の緊張が高まり、「第1段階」の通商合意の成立が危ぶまれる恐れもあります。対中追加関税の発動期限が迫っており、米中の緊張が一段と高まりかねないです。

米中の対立は価値観の対決になりつつある

米中の対立は、もはや完璧に貿易戦争の次元から、価値観の対立になっており、貿易戦争などはそのための一つのツールに過ぎないものとなりました。両者の対立は、中共が中国の体制を変えるか、それができないなら、中国が経済的にも軍事的にも世界の国々対して影響力を行使できなくなるまで弱体化するまで継続することになりそうです。

貿易戦争から、覇権争いへ、覇権争いから価値観の対立へと軸足を移しつつあります。

まさに、このブログで以前から予想していた通りの展開になりました。

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2019年12月3日火曜日

政府が約160億円で「馬毛島」買収合意を発表―【私の論評】馬毛島の整備によって、日米のアジアでの存在感がさらに高まる(゚д゚)!

政府が約160億円で「馬毛島」買収合意を発表

馬毛島

 菅官房長官は12月2日、米空母艦載機の着陸訓練(FCLP)の移転候補地だった鹿児島県西之表市の馬毛島(まげしま)の地権者との間で買収合意に至ったことを会見で明らかにした。11月29日、地権者と買収価格約160億円で一定の合意に達したという。

東京商工リサーチ(TSR)は11月22日にWeb、本誌では25日号に、政府と地権者との馬毛島買収が大詰めを迎えたことをいち早く報じたが、政府が買収合意を正式に発表した。



菅官房長官は12月2日の会見で、「米空母艦載機着陸訓練、施設の確保は安全保障上の重要な課題であり、早期に恒久的な施設を整備できるよう引き続き取り組む」とコメントした。

地元の理解については、「米空母艦載機の着陸訓練施設などの確保にあたり、地元の理解と協力が極めて大事」と語り、丁寧に説明していく意向を示した。


馬毛島で滑走路工事を見る、タストン・エアポート(株)の立石会長

 馬毛島は開発会社のタストン・エアポート(株)(TSR企業コード:942045602、世田谷区)が所有し、政府との間で売却交渉が続けられていた。今年1月に仮契約を結んだが、タストン・エアポートの社長交代など社内の意見がまとまらず、5月に交渉が打ち切られていた。その後、タストン・エアポートやグループの立石建設(株)(TSR企業コード:290199727、世田谷区)の資金繰りが悪化し、早期売却に向け10月下旬から売却交渉が加速していた。

【私の論評】馬毛島の整備によって、日米のアジアでの存在感がさらに高まる(゚д゚)!

馬毛島は、鹿児島市から南へ115キロ、種子島から西へ12キロのところにあります。以前は、うっそうとした森林に覆われ、動物による豊かな世界が広がっていました。

ところが、1980年代以降、この島に対しては自衛隊が関心を抱いています。自衛隊は過去に、大出力のレーダー設備や石油製品の貯蔵施設、放射性廃棄物の保管施設を同島に配置することを提案。これらの計画が実現されることはありませんでしたが、島に向けられた関心は保たれてきました。

馬毛島は2007年までに、開発会社「タストン・エアポート」(旧・馬毛島開発)が完全に所有するようになりました。この時までのかなり以前に、地元の島民は既に島を去っていました。

同社は2006~2012年、島にあった森林170ヘクタールを伐採し(2002年の時点で、島には441ヘクタールの森林がありました)、2本の巨大な滑走路を建設しました。これらの滑走路は島を南から北へ、また西から東へ、岸から岸まで横断しています。森林は、島の南部ではほとんど完全に伐採され、北部では幅の広い林道が敷設されています。

2009年には、沖縄の普天間基地を馬毛島に移転させることが想定されました。ところが、米側は何らかの理由で満足せず、この提案を拒否しました。

今度は、島を米日共同訓練のための訓練場に変貌させるとの決定が承認されました。まず第1に念頭に置かれているのは、パラシュート降下あるいは航空機の強行着陸によって地上に部隊を展開させる空挺作戦の訓練です。沖縄におけるこのような訓練の実施は、抗議に直面するようになっているため、この目的のためには無人島の方がはるかに良いです。

馬毛島には現在、既に準備が終わった着陸場が複数あります。比較的最近の複数の衛星写真から判断すると、島にある2本の滑走路は完成しておらず、さらにコンクリートも打たれていないようです。

また、航空部隊の基地のインフラも建設が終わってません。今のところは、この島で航空部隊の基地を設営することは不可能です。しかし、このような未舗装滑走路でも、ヘリコプターや、ティルトローター機であるオスプレイの着陸用には利用可能です。

横須賀を母校とする米軍 ワスプ級強襲揚陸艦「ボノム・リシャール」

鹿児島や沖縄、さらに米海軍基地が設置されている佐世保に近い位置に馬毛島があることで、海上部隊や海兵隊の参加を伴う訓練を実施していくことが可能になっています。

同島に訓練場があれば、空爆や空挺部隊の降下、海兵隊の上陸、地上に展開した部隊への航空・海上部隊による支援、島の奥深くへの攻勢の展開、兵站任務の訓練という、地上に部隊を展開させる大規模な作戦の全要素を訓練することができます。馬毛島周辺の水域では、空母が参加する大規模な海上軍事訓練を実施することも可能です。

さらには、馬毛島が数年後に航空部隊の大規模な基地になる可能性もあります。2本の滑走路は完成する可能性があり、そうなると馬毛島は、地域全体で最大規模の航空部隊基地の1つに変貌することになります。

そのような基地は、あらゆるタイプの飛行機を受け入れることができるでしょうし、数百機の飛行機が同時に拠点を置くことができ、さらに東シナ海上空における日米両国のプレゼンスを急激に強化することになります。もし、この飛行場にF35の全ての派生型が拠点を置くことになれば、それらの戦闘行動半径は上海に達することになります。

今のところ、航空部隊基地の完成に関する決定は、見たところではまだ下されていないようです。しかし、建設を完了させる根本的な可能性は残っています。建設が完成すれば、日米の緊急のときの航空機の分散配置場の一つにもなりえます。以下に、馬毛島の今後の考えうる用途をチャートにまとめたものを掲載します。





さらに、馬毛島の取得は、海上自衛隊の護衛艦「いずも」の空母化とも無縁ではないでしょう。2018年12月に閣議決定した新「防衛計画の大綱」「中期防衛力整備計画」などによって、「いずも」型の空母化と搭載機として垂直離着陸ができるF35B戦闘機を42機導入することが決まりました。

F35Bが配備される基地は未定ですが、空母化した「いずも」は南西防衛に活用することから、宮崎県の新田原(にゅうたばる)基地が有力視されています。

南西諸島に向かう空母「いずも」は海上自衛隊横須賀基地から出港し、訓練海域のある四国沖で新田原基地から飛来したF35Bを搭載。さらに南下して、馬毛島を利用した離発着訓練や対地攻撃訓練が実施されることになるでしょう。


様々な可能性を秘めている馬毛島が整備されれば、日米のアジアにおけるプレゼンスが一層高まるのは確実です。

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2019年12月2日月曜日

中国の息の根、止めてやる。香港人権法案を成立させた米の本気度―【私の論評】日本は習近平を国賓として迎えることを拒否し、本気度を示せ(゚д゚)!

中国の息の根、止めてやる。香港人権法案を成立させた米の本気度



混乱が続く香港情勢を受け、ついに11月27日、「香港人権法案」に署名したトランプ大統領。これにより、香港問題は新たなステージに突入したことになりますが、識者は今後の動きをどう見るのでしょうか。台湾出身の評論家・黄文雄さんは今回、メルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』で、香港へのアメリカの介入により、「米中の対立が経済問題から人権・自由といった価値観の問題へと明確に転換した」と断言するとともに、香港デモが長期化する背景について解説しています。


※ 本記事は有料メルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』2019年11月28日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。



プロフィール:黄文雄(こう・ぶんゆう)
1938年、台湾生まれ。1964年来日。早稲田大学商学部卒業、明治大学大学院修士課程修了。『中国の没落』(台湾・前衛出版社)が大反響を呼び、評論家活動へ。著書に17万部のベストセラーとなった『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか』(徳間書店)など多数。

【中国】アメリカで「香港人権法案」が成立、今後何が起こるのか?

トランプ大統領は、アメリカ議会を圧倒的賛成多数で通過した「香港人権法案」に署名したことで、同法案が成立しました。

トランプ大統領の署名で香港人権法が成立-中国はあらためて報復警告

この法案は、香港に高度の自治を認めた「一国二制度」が守られているかどうかについて、毎年の検証を義務付けるとともに、香港の「基本的自由・自治」が損なわれたり、市民の人権が侵害されたりした場合、その責任者や当局者、加担した企業などに制裁を科すものです。

また、アメリカは一国二制度を前提に、香港の関税などを中国本土よりも優遇していますが、中国の支配が強まった場合には、優遇制度の見直しも示唆しており、そうなると、資源や穀物など、ドル決済のために香港経由で輸入をしている中国にも大きなダメージとなる可能性があります。

中国はこの法案に猛烈に反対していましたが、成立したことで、香港問題はさらに大きな転機を迎えたことになります。

11月24日に行われた区議会選挙では、民主派が改選452議席のうち80%をこす380議席以上に達し、圧勝しました。民主派にとっては、アメリカのこの決定は追い風になります。

しかし選挙結果を受けて会見を開いた香港行政庁感の林鄭月娥(キャリー・ラム)は、政府に対する有権者の不満を認め、抗議参加者に対して平和的な対話を呼び掛けたものの、新たな譲歩は一切示しませんでした。

香港行政長官、新たな譲歩示さず-騒乱と暴力続く恐れ

そのため、まだまだ混乱は続くと見られていましたが、ここへアメリカが介入してくることになるわけであり、米中貿易戦争という「経済」の問題から、「人権・自由」といった価値観の問題へと明確に転換したことになるわけです。

私は、米中貿易戦争は単なる貿易や経済の問題ではないと言ってきましたが、まさしく価値観や文明をめぐる衝突が展開されることになったわけです。そしてこれは、台湾問題にもつながっていきます。

この香港問題は、どういう結末を迎えようと、21世紀の人類史に残る事件となるに違いありません。デモの長期化は21世紀の一事件にとどまらず、今後の一大課題として提起されるでしょう。

もともと香港は珠江デルタに位置する人口5,000人の漁村でした。アヘン戦争(英語ではTrade War)後、イギリスが最初に欲しがっていたのは長江出口の船山群島でしたが、南京条約で香港の割譲が決まりました。1997年に返還された際、香港の人口が既に700万人以上、かつての1,000倍を超えていました。

アヘン戦争後は香港以外にも、各大都市に租界(外国人居留地)が設けられて「東洋の宝石」と呼ばれ、反中勢力の駆け込み寺となりました。。そこは生命財産を守られる「自由の地」であり、中国人にとってのユートピアでもあったのです。

今でも中国中国人にとっての「桃源郷」は中国以外の地であり、中国人の3人に2人が「祖国」から逃げ出したいと考えています。大手ネット「網易」の調査によれば、「生まれ変わっても中国になりたくない」理由のトップは「人間としての尊厳がない」からだといいます。日本は中国と近すぎるため、なるべく遠くに逃げたい中国人にとって、欧米がユートピアとなります。

易姓革命を繰り返してきた中国は、決して安定するところはありません。「中国の振り子」といわれるように、中華人民共和国になってからも、大躍進政策から文化大革命、天安門事件といった動乱を繰り返し、改革開放、さらには習近平政権を経て、左のコミュニズムからファシズムの全体主義へと大きく転換してきました。

これほど激しく揺れ動く背景には、中国国内の内ゲバも大きく関係しています。中央の覇権主義と、地方との争いは、数千年をへて現在も続いている。晋や明の時代には、地方分権といった「一国二制度」もありましたが、ほとんど有名無実化しました。

現在の香港問題をみるときは、こうした史実をふまえることが不可欠です。

香港デモの主役を見ると、多くが返還後に愛国教育を受けた若者たちです。武装警察の暴走や暴力、女性へのセクハラなども数多く報道されています。ただし、香港デモについての日本の報道については、「なぜ香港返還後に愛国教育を受けた若者たちが命をかけてまで中国に対抗しているのか」「香港人の要求は、単に『一国二制度』維持の約束を守れということではないのか」「警察がなぜ同胞の香港人をここまで弾圧するのか」といった視点に欠けており、ややもするとデモ側の行動を単なる「暴動」として報じるケースも見られます。

中国政府はしきりに恫喝を繰り返していますが、人民解放軍が暴乱鎮圧に来るのは「いつ」なのかが注目されています。もちろん第二の天安門事件を起こすのは避けたいでしょう。軍を動員すれば「一国両制」の看板を下ろさざるをえなくなるし、香港経由で行ってきた科学技術の横取りも不可能になります。

デモが長期化したのには様々な理由があります。香港は都市国家だからこそ独自の存在なのであって、中国の一都市になったらその輝きを失うのは間違いありません。それをいちばん知っているのは中国であり、だからこそ「一国両制」という策を出したのです。

秦の始皇帝の天下統一後、「統一」こそが最高の政治的価値となりました。武帝の代には、それまで見向きもされなかった孔子や孟子らの儒家思想が「天下統一」のための国教とされるようになったのです。しかし中国はモザイク国家であり、求心力と遠心力の反発によって一治一乱・一分一合のような統一と分断を繰り返しています。


易姓革命を繰り返す王朝の皇帝にとって統一は夢ですが、熱力学の法則によればエネルギーは拡散し無秩序へと向かうのであって、統一など「百害あって一理なし」です。また歴史学者アーノルド・J・トインビーは、小国乱立から統一帝国の出現へというプロセスが「文明没落の現象」だと説いています。人類学や生物学でも、生存の原理は多様性を守ることにあり、統一は淘汰や退化、死滅につながるとされます。

現在、香港や上海でも独立を目指す動きが相次ぎ、かつて五胡の反乱を「五胡乱華」と呼んだのにならって「五独乱華(チベット・ウイグル・モンゴル・香港・上海)」とマスメディアは報じています。

香港デモの長期化は、世界潮流としてのナショナリズムがユーラシア大陸の東側まで及んできたことを意味しており、人類の夢と中国の夢による「文明の衝突」「文化摩擦」も背景にあります。

香港問題が、中国の国内問題という一言で片付けられないのは、こうしたアイデンティティーの対立が根底にあるからなのです。


【私の論評】日本は習近平を国賓として迎えることを拒否し、本気度を示せ(゚д゚)!

「香港人権・民主主義法」の成立をもって米国は、香港の人権、自由、民主主義を守る姿勢を明確に示しました。同時に、中国政府の弾圧政策を容認しないことも示したことになります。

しかし、日本政府は、これまで香港情勢に対しては「懸念」を表明するだけで、なにもしてきませんでした。さらに、安倍政権は、来春、中国の習近平主席を“国賓”として迎えるというのだから、常軌を逸していると言わざるをエません。

なぜなら、そのことで日本が世界に人権と自由、民主主義を破壊する中国の行動を認めるメッセージを送るということになるから。習近平 “国賓”来日は、はっきり言って亡国行為といっても良いかもしれません。

なぜそういえるのでしょうか、それは最近の2ヶ月間を振り返ってみれば、わかることです。これについては、このブログにも断片的は掲載してありますが、以下に2ヶ月分をまとめて掲載します。

[10月16日]米国務省は、米国駐在の中国外交官に対し、米国の政府職員や地方の州、市などの地方自治体の職員と面会したり、米国の大学や研究機関を公式訪問したりする際に、国務省に事前に届け出ることを義務づけると発表。

この措置は、1979年の米中国交樹立以来、初めて取られた措置。旧冷戦でソ連に対して取ったものと同じで、中国はこれにより、明らかに米国の敵国となったのです。


[10月24日]イク・ペンス副大統領が、ウィルソンセンターで「対中冷戦宣言」第2弾とも言うべき演説を行いました。

ペンス副大統領は、中国を「安全保障と経済上の競争相手」と位置付け、対決姿勢を明確に打ち出しました。そうして、中国政府を、宗教の自由を圧迫し、100万人のウイグル・ムスリムを監禁・迫害していると非難しました。そのため先月、トランプ大統領は中国の監視等に関わる公安部門と8つの企業に制裁を加えたと述べましたた。

(この企業とは、監視カメラ大手のハイクビジョンや顔認証大手のセンスタイムなど。これらの企業がファーウェイと同じくエンティティー・リスト入りしました)

さらに、ペンス副大統領は、台湾を「中華文化における民主と自由の灯台の一つ」とし、台湾支持を明確化しました。さらに、香港のデモにも言及し、香港市民の人権と自由、民主主義を守るため米国はメッセージを発し続けるとしました。

このペンス演説で特筆すべきは、尖閣諸島問題にも触れ、中国の行動を非難したことです。

[11月5日]米議会で中国の人権状況を監視する「中国問題に関する連邦議会・行政府委員会」(CECC)は米国税関・国境警備局(CBP)に書簡を送り、拘束されているウイグル族の強制労働により製造された衣料品の輸入を禁じるよう要請しました。

すでに、人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチによって、ウイグル製の「新疆綿」を使用したアパレルメーカーが告発されており、そのなかには日本の「ユニクロ」や「無印良品」も含まれていました。


[11月16日]ニューヨーク・タイムズが、電子版で、中国政府が新疆ウイグル自治区でウイグル族を強制的に収容していることを示す内部文書400ページ余りを入手したと報道。

 中国政府がテロ対策を目的に職業訓練を行っていると主張する施設では、外部と通信が遮断され、厳格な規律の下で、徹底した“思想教育”が行われていると指摘。2014年、習近平主席は新疆ウイグル自治区で行った演説で、取締りについて「いっさい容赦するな」などと指示したといいます。

[11月22日]米連邦通信委員会(FCC)は、政府の補助金「Universal Service Fund」(USF)を受ける通信事業者が、ファーウェイやZTEから製品やサービスの購入を禁止することを決定しました。

これにより、5Gと安全保障において、中国企業の排除を決定的に行っていくことがはっきりしました。

以上のように、表向きの貿易戦争とは別に、米国は対中冷戦を戦っているのです。この戦争は長期戦であり、中国経済が米国覇権を脅かさない程度に衰退するか、北京政府が体制崩壊するまで続きます。貿易戦争の矢面にはトランプ大統領が立っていますが、米中冷戦は、共和党も民主党も一枚岩で、議会をあげての戦いです。

さて、この間、日本はなにをしていたのでしょうか。 

外交的には韓国との「 GSOMIA」問題がありましたが、対中政策は一貫して「友好関係」維持でした。

[10月22日]天皇陛下の「即位礼正殿の儀」(即位の礼)に、中国から王岐山国家副主席が来日し参列。

王岐山氏は、政治局常務委員を引退したものの、その後も党内序列を超えた別格の存在。平成2年11月の即位の礼には当時の呉学謙副首相が参列しましたが、王岐山氏はそれより格上。このような大物を出してきたことは、米中冷戦で窮地に陥りそうな中国が日本を懐柔しようという意図が見え見えです。

[10月25日]ロイターが英半導体設計大手ARMが、ファーウェイへの半導体技術の供給を継続すると表明したと報道。

英ARMは、ファーウェイ傘下の半導体企業ハイシリコンに、同社が製造する半導体のアーキテクチャーを提供しています。これがないとファーウェイは機器をつくるのが困難になります。いわば、窮地にあるのに、英企業ということで米国の規制外にあることを理由に供給を継続しました。しかし、英ARM は、ソフトバンクグループが巨額買収した、いわば日本企業です。


[11月4日]安倍首相は、東南アジア諸国連合(ASEAN)関連会合のために訪問したバンコク郊外で中国の李克強首相と約25分間会談。

李首相は12月に中国・成都で日中韓首脳会談を開く方針を表明し、安倍首相はこれを期待すると表明。また、来春に予定する習近平国家主席の“国賓”来日に向けて協力することも確認しました。この日中韓首脳会談は、約2年ぶりのことになります。

[11月25日]安倍首相は、中国の王毅国務委員兼外相と官邸で会談。来春に予定する習近平国家主席の国賓としての来日に向けた連携を確認した。

この会談の冒頭で、安倍首相は習氏の“国賓”来日について「日中新時代にふさわしい、有意義なものになるよう双方で努力していきたい」と述べ、これに対して、王氏は「中日関係は当面、正常な発展軌道に戻った。安倍首相が重要な役割を果たしたことに称賛の意を申し上げたい」と応じました。

安倍首相が、習近平主席の来日を正式に要請したのは、今年6月のG20サミット(大阪)での習主席との会談の席でした。すでに、香港ではデモが始まり、米議会は超党派で「現在の危険に関する委員会:中国」(Committee on the Present Danger:China)を設置していまし。

米議会は超党派で"Committee on the Present Danger:China"を設置

米議会で、このような委員会が設置されたことは、第二次世界大戦後、3度しかありません。


1回目は1952年、トルーマン政権のときで、これは朝鮮戦争の勃発を受けて、ソ連の脅威に対抗するために設置されました。2回目は1976年、レーガン政権時で、このときもソ連の脅威に対処するためでした。3回目は2004年、ブッシュ・ジュニア政権時で、このときはテロとの戦いが目的で設立されました。

安倍首相が言う「日中新時代」とは何なのでしょうか。

米国の明確な敵となった中国に対し、米国との「希望の同盟」(安倍首相自身が米議会の演説で述べた言葉)を維持しながら、さらに仲良くしていくということなのでしょうか。

トランプとも習近平とも仲良くしたい。もし、それができれば、安倍総理は大物宰相といえるかもしれません。

大阪G20 左からトランプ大統領,安倍総理,習近平主席

しかし、歴史的に見て、2大国のどちらにもいい顔をして媚びへつらった国は、たいてい滅んでいる。ただし、以前このブログに掲載したように、安倍政権の中国に対する現在の対応は、戦術的なものという可能性もあります。戦略的には中国を脅威とみなしていることには変わりないという見方もできます。


しかし、いくら戦術的なものであったとしても、米国と比較すれば、あまりに中国に対して譲歩しすぎているようにみえます。

国賓について宮内庁のホームページに以下のように掲載されています


「国賓とは、政府が儀礼を尽くして公式に接遇し、皇室の接遇にあずかる外国の元首やこれに準ずる者で、その招へい・接遇は、閣議において決定されます。皇室における国賓のご接遇には、両陛下を中心とする歓迎行事、ご会見、宮中晩餐、ご訪問がありますが、両陛下はじめ皇族方は心をこめて国賓のご接遇をなさっています」。

ところで、ファシズムは次のように定義できます。

国家主義的な独裁を永遠の統治原理としつつ、資本主義のエネルギーを抑圧体制活性化のために用いる体制。

現代中国こそは典型的なファシズム体制であり、習近平氏こそは世界最大のファシストであす。

そうした人物への「心をこめた接遇」を政府が天皇皇后両陛下に強いることは許されないです。

誰を国賓とし、誰をしないか、線引きは簡単です。香港人権法設立を機会として、「普通選挙を実施している国の首脳」を国賓招待とする際の第1条件にすれば良いです。


多くの人が勘違いしていますが、中国には先進国でいうところの、政治家は1人も存在しません。なぜなら、中国では先進国では当たり前になっている普通選挙が実施されていないからです。ロシアですら、選挙が行われているのに、中国ではありません。主席を選ぶのも選挙ではなく、指名制です。

正確にいうと、中国には政治家は存在せず、存在するのは官僚だけです。習近平も政治家ではなく、最高級官僚です。毛沢東も、鄧小平も正確には政治家ではありません。

首脳間でいかにウマが合わなかったとしても、普通選挙で選ばれた大統領や首相は、その国の国民の意思を反映した存在です。両陛下が温かく接遇されることが、民主国家日本の理念に叶います。

世界的にこれだけ中国共産党政権への批判が高まっている時に、そのトップの国賓招待はありえないです。この機会に原則を確立すべきです。

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