2019年12月7日土曜日

異色のアニメ「幸福路のチー」が教える台湾民主化の変化と成長―【私の論評】自らを見つめ直す民主台湾は次のステージに!「幸福路のチー」はその先駆け(゚д゚)!


野嶋 剛 (ジャーナリスト)

 アニメといえばアジアでは完全に日本の独壇場であり、普段は日本のアニメを消費する側だと思われてきた台湾から、日本に輸出される本格的アニメ作品が現れた。11月末から全国上映が始まった『幸福路のチー』である。


「幸福路のチー」より 以下同じ

 いまちょうど台湾では、4年に一度の総統選挙の投票日である1月11日に向けて、選挙運動が盛り上がっている。日本以上に元気のある台湾の民主主義がどうして成り立ったのか知りたい人は、この映画を見ることをオススメしたい。本作は「幸福路」という台湾に実在する場所を舞台に、チーという少女の人生にスポットをあてながら、実は、1980年代までの戒厳令時代から、民主主義の定着、2014年のひまわり運動まで、台湾社会の変化と成長そのものを描き出すという仕掛けになっているからだ。

 宋欣穎(ソン・インシン)監督は、1974年生まれ、京都大学で映画理論を学んだだけあって日本語も達者だ。本作のために、40人のアニメーターを集め、スタジオも作ってしまった。会ってみて思ったが、創作に一切妥協を許さない頑固さと、多くの人々を粘り強くまとめる柔軟さの両方を併せ持った個性の持ち主である。本作刊行と同時に、京都での生活を題材にした短編小説集『いつもひとりだった、京都での日々』(早川書房)の日本語版も日本で同時に出版された。

本作が台湾で公開されたのは2017年だった。ほとんど本格的なアニメ作品がなかった台湾なので、最初の前評判が高かったとは言えなかったが、予想を超えるロングランとなり、世界各地の映画祭で出品作に選ばれ、東京アニメアワードフェスティバル長編コンペティション長編部門グランプリなど多数の映画賞を受賞した。




 本来は極めて台湾ローカルな物語である本作が、どうしてこれだけ世界で幅広評価を受けたのか、ソン監督は、こう振り返る。

「誰もがこの映画を見た人は、自分の人生を思い起こしてしまうそうです。私が育ったのは台北郊外の新荘というところですが、ほかにも台湾にはあちこちに『幸福路』があります。いろんな人から、私たちの家の近くの幸福路ではないですかと尋ねられました。文化や歴史は違うはずなのに、外国人の観客からも、同じことを言われました」

「幸福路」で育ったチーは、両親や地域も期待するほどの優等生だったが、高校生のときに湧き上がった民主化運動に衝撃を受け、医学部の道を捨てて、学生運動に熱中する。だが、卒業後は仕事につけず、やっと探し当てた就職先のメディアでも、ひたすら原稿を書くだけの日々。台湾での生活に見切りをつけ、米国人に渡って結婚したが、可愛がってくれた祖母の死をきっかけに台湾に戻る。祖母との心の中で対話を重ねながら、自分の生い立ちや社会の変化を振り返り、「あの日思い描いた未来に、私は今、立てている?」と自問する。

物語は、ソン監督の歩んできた人生をモデルにしているが、創作の部分もある。ソン監督は「この年代の女性は、周囲の期待に応えようと生きてきて、なんでも望んだものは持っているようにみえて、あまり幸福ではないような心境に陥るのです。英語のタイトルは『オンハピネスロード』となっていますが、本当は『アンハピネスロード』、あるいは『ロード・トゥ・ハピネス』かもしれませんね」と笑った。

自らの才能に限りがあること、周囲の期待を上回れなかったことを受け入れることほど残酷で、苦痛なことはない。そんな挫折も、大半の人が大なり小なり持つことだ。自分の才能の限界を知るところから人生が始まるということは多くの人々が深く共感するところであろう。だからこそ、チーの独白に感情移入することができるのかもしれない。

本作の感動のエンディングを一層美しく彩っている主題歌「幸福路上」を歌うのは、台湾のトップ歌手の一人、蔡依林(ジョリン・ツァイ)だ。作品に感動して主題歌を引き受けた。チー役の声優はこれも台湾のトップ女優の桂綸鎂(グイ・ルンメイ)、チーのいとこ役は台湾を代表する映画監督、魏德聖(ウェイ・ダーシェン)である。無名の監督の初作品で、しかもアニメ作に対して、これだけの有力者がそろって協力したことは、本作の成功に大きなプラスとなった。いずれも本作の構想に触発されて応援団を買って出た人々だ。

「幸福路」の途上にいるというのは、台湾自身も変わらない。

本作のスタートであり、チーが生まれたのは、1975年の蒋介石総統の死去の年。当時の学校では、台湾の地方言語である台湾語は禁止され、世界最長の戒厳令が続いていた。1987年の戒厳令の解除、民主化運動。1999年の台湾大地震と初の政権交代。そして、2014年のひまわり運動に至ったところで映画は幕を引く。

 これらの40年におよぶ台湾の現代史が、すべてこの作品に、巧みに盛り込まれていることに驚かされる。いま、日本の高校から台湾には大勢の学生たちが修学旅行に出かけているが、学校側はまず学生たちにこの映画を見てもらうべきであろう。






『ALWAYS 三丁目の夕日』のようなノスタルジー

 台湾激動の40年をすべて物語の内部のうまく詰め込みながら、お堅い政治映画ではなく、むしろ『ALWAYS 三丁目の夕日』のようなノスタルジーが漂っている。そして、この映画は、何度みても飽きることがない。私は台湾で一度、機内で一度、そして、この映画の日本公開にあわせて試写会で一度。見るたびに異なるシーンに惹きつけられる。

試写会で日本語字幕がついた本作を見たときに、一番グッと来たのは、主人公のチーが、祖母から「不一樣就是力量(違うことが力なのよ)」と言われるところである。




 チーが表の主役だとすれば、最も強いインパクトを与える裏の主役はこの祖母である。原住民のアミ族である祖母は、健康に悪いとされる嗜好品のビンロウを食べたり、飼っているニワトリを捌いたりして、チーに衝撃を与える。チーは同級生から祖母をバカにされ、祖母をいったんは軽蔑しかけるが、そんな孫に対し、祖母はそう語るのである。

同質性の高い日本から台湾に行くと、その多様性には驚かされることが多い。本省人、外省人、客家人、16部族を数えるさまざまな原住民たちが暮らし、他人とは違うことが当たり前、いやむしろ、他人と違うことこそ生きていくうえでのパワーになる、という考え方がある。今後、外国人を多く受け入れることになる日本にもぜひ学んでほしいところだ。

チーのように、激動の時代に生きることは、幸運ではあるが、幸福とは限らない。

「私たちの世代は、私は13歳のときですが、戒厳令が解除された前と後で考え方が大きく違う社会になり、価値観もかなり混乱しています。チーのように、子供のころは、親孝行で勤勉な人間になるように教育で教え込まれました。でも13歳からは自由こそ大切だと教わるようになったのです。民主化運動の時代は、みんなが社会を正しい方向に変えられると信じていました。私も民主化運動に参加しましたが、いまの台湾を見ていると、いろいろな問題も多く、本当にこれでよかったのかと思うことも少なくありません」

そう語るソン監督だが、時代に翻弄された人だけが持つ喪失感も創作力の源なのだろう。ソン監督は、処女作で世界を驚かせた。次の作品は実写映画になるという。ウェイ・ダーシェンの次の世代を担う新しい才能の出現に、期待を持たずにはいられない。

11月29日(金)より新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町他全国順次ロードショー

【私の論評】自らを見つめ直す民主台湾は次のステージに!「幸福路のチー」はその先駆け(゚д゚)!

最初にこのアニメの日本語ダイジェスト版を掲載します。



このアニメの歴史的背景ともなっている、台湾の歴史、是非とも知っておくべきものと思います。その上で、このアニメをご覧になると、一層感動が深まると思います。

台湾の歴史年表を簡単に掲載します。
~1622年   原住民の時代
1622~1661年 オランダ統治時代(39年)
1661~1683年 鄭氏政権時代 (22年)
1683~1895年 清朝時代    (212年)
1895~1945年 日本統治時代 (50年)
1945~現 在  中華民国統治時代
以下に本当に簡単に台湾の現代史を掲載しておきます。この程度の知識でも、ある無しでは随分異なると思います。ただしし、これはほんのさわり程度に過ぎないので、興味のある方は、いずれかの書籍を是非ご覧になってください。

1945年8月、日本は戦争に負けました。このときに、日本が統治していた朝鮮半島、満州とともに台湾を手放すことになりました。

連合国軍の協定に基づき、台湾は蒋介石が率いる中華民国政府に接収されたのです。これを台湾人(俗に本省人という)は喜びました。日本支配の時代がようやく終わり、これで”祖国に復帰”できるのです。これを「光復」と呼びました。

ところが、日本の手から離れた、島国・台湾を統治するために同年10月、中国大陸からやってきた蒋介石の部下・陳儀(ちんぎ)率いる国民党政府は台湾人の期待をみごとに裏切ったのです。

たとえば、役所では大陸からきた中国人たち(外省人)による汚職や腐敗がはびこり、ました。軍隊(やはり外省人)には規律がなく、やりたい放題で民間人をわずらわせ、経済は破綻し、物価の高騰は進む一方でした。

そこで、台湾人(本省人)の不満はつのりました。「光復」からたった1年後に、新聞の日本語欄はすべて廃止となりました。これにより、台湾人の不満は一層つのりました。

陳儀の国民党政府は、言語・文化政策においても過激でまったく融通がきかなかったのです。それまで台湾語もしくは日本語を使用していた台湾人(本省人)は競うように
「国語(中国語=北京語)」を学んだ。生きるために、学ぶしかなかったのです。

そうして賄賂や汚職にまみれた(大陸からきた)外省人への不満はますますつのり、ついに事件が起きたのです。

1947年2月27日、一人の寡婦が密売していた’やみタバコ’を警官が摘発。許しを請うていた女性を警官は殴打し、商品を没収。これに同情し、多くの本省人が集まり、小競り合いとなりました。

この事件はさらに大きくなり、事件とは関わりのない民衆(本省人)が射殺されたりしてついに本省人の中華民国への怒りと不満が爆発し、翌28日、大規模な、抗議デモに発展したのです。

非武装のデモ隊に対して、国民党政府は無差別に発砲するなど厳しく制圧し、多くの死者を出しました。これが本省人にとって”悪夢のはじまり”と言われる「二・二八事件」(台湾大虐殺)です。

このあと、本省人のエリートや知識階級の人々が国民党政府によって次々と投獄・処刑され始めました。1949年には「戒厳令」が敷かれました。いわゆる軍事統治― 恐怖政治、「白色テロ」時代のはじまりです。

戒厳令は1987年にようやく解除されました。この間(約40年)、台湾では約14万人の人たちが連座し(連座とは=他人の犯罪で連帯責任を問われて罰せられること)、拷問を受け、数千もの人々が処刑されたといいます。

主な罪状は「スパイ容疑」(中国共産党との関わり)や、「台湾独立案件」(中華民国からの独立を画策したという罪)でした。

実際は罪のない人々が濡れ衣を着せられ、次々と投獄され無き者にされたという恐ろしい時代でした。

多くの働き盛りの若者や、将来有望な学生たちが犠牲になりました。運よく生き残った人たちも口をつぐみ、沈黙を守りました。要は常に警戒して暮らしていたのです。当時は、とても日本語の歌など うたえるわけもなかったのです。

戒厳令が解除された、1987年は、つい最近です。ほんの32年前まで台湾がそんな恐ろしい国だったとは信じがたいです。
これは20世紀を通じて世界最長の戒厳である。

この悲しく残酷な時代の台湾が描かれているのが、香港の明星トニー・レオンも出演している超有名な映画『非情城市』です。もちろん、戒厳令解除後の制作です。歴史を踏まえたうえで観ないと、理解できない映画です。


上の記事にもあるように、チーが生まれたのは、1975年の蒋介石総統の死去の年。当時の学校では、台湾の地方言語である台湾語は禁止され、世界最長の戒厳令が続いていた。1987年の戒厳令の解除、民主化運動。1999年の台湾大地震と初の政権交代。そして、2014年のひまわり運動に至ったところで映画は幕を引く。

この時代は激動の時代であったことがおわかりになると思います。これを知らなければ、「幸福路のチー」というアニメの素晴らしいの半分も本当には理解できないと思います。

そうして、民主化などとうてい不可能とも思われていた、台湾が今日は民主化されているのです。大陸中国こそ、台湾の民主化を見習うべきだ思います。

台湾民主化の原動力となったのは、李登輝元総統です。これについては、以下の記事が詳しいです。

李登輝が「台湾民主化は日本のおかげ」と語るワケ
詳細はこの記事をご覧いただくものとして、以下に李登輝が総統だった時の写真と、この記事の最後のしめくくりの部分だけ掲載します。



 李登輝は一連の民主改革を、一滴の血も流さず、一発の銃弾も打つことなく完成させた。「台湾の人々に枕を高くして寝させてあげたかったから」という信念を貫いた李登輝に、その強さの源を聞いて刮目したことがある。 
「日本教育だよ。人間生まれてきたからには『公』のために尽くせ。そう叩き込まれてきたんだ。だから私は国民党の権力を手にしたときも、『私』のことは全く考えることなく『公』のために使おうと決心できたんだ」。

 そして李登輝はこう続けたのである。「だから台湾の民主化が成功したのは、日本のおかげでもあるんだ」と。
『公』に尽くすとは、最近の日本では忘れられがちなことです。 しかし、昔から日本では、国難に遭うと、『公』に尽くす人が出てきて、危機から脱するということがありました。

現在と、未来の日本はどうなるのでしょうか。そのようなことは、『ALWAYS 三丁目の夕日』のようなノスタルジーとして昭和を懐かしむ日本人の心の中だけの存在になってしまったのでしょうか。私は、そうは思いません。現在の若い世代の中から将来そのような人が出てくると期待しています。

そうして、台湾は民主化されてから日が浅いです。様々な文化や、産業力が芽生えるためには、ある程度の平和な状況が続かないと無理であるとの社会学の研究結果が示しています。これからも、台湾の平和と繁栄が長く続いたときにこれらが花咲くことになるのではないかと思います。

台湾映画には、最近は大きな動きがあります。たとえば、興行成績を次々と塗り替えている『返校』です。これは、台湾の白色テロを初めて題材にした作品です。この作品の一番のメッセージが「今ある自由や民権は元からあるものではなく、多くの人の犠牲の上に獲得したのを忘れないで」というものだからです。これは、「幸福路のチー」にも共通しています。

自分を見つめ直すという機運が高まった後に、その国の文化や産業が発展し始めるのではないかと思います。日本も終戦直後には、良くも悪くも、そのような作品で溢れかえっていました。

「幸福路のチー」はこれから台湾が発展していくことを示すその先駆けかもしれません。その時には、宋欣穎(ソン・インシン)以降の新たな世代が台湾を次のステージにあげているのではないか思います。そうして、その時には大陸中国は凋落していると思います。

日本のアニメ界も、イノベーションをしなければ、台湾勢に追い越されるかもしれません。そうして、日本のアニメ界のイノベーションの鍵は、「幸福路のチー」のように自らを見つめ直すことではないかと思います。

李登輝氏が語るように、台湾民主化に大きな影響を与えるほどの大きな潜在能力が日本にはあるようです。それを見直した新たな世代が日本でも日本を次のステージにあげていくのではないかと私は期待しています。

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