2026年1月24日土曜日

アブダビ三者会談が暴く「冷戦後秩序の終わり」──新秩序と排除できない国・日本


まとめ
  • アブダビの米・露・ウクライナ三者会談は、和平の兆しではなく、冷戦後30年続いた秩序が限界に達したことを示す最初の公式シグナルである。本稿は、この会談が「戦争の終わり」ではなく、秩序の清算交渉の始まりであることを、具体的な交渉内容から明らかにする。
  • ウクライナ戦争の真の原因は2022年ではない。1991年、ソ連崩壊後に世界が意図的に放棄した新秩序設計の失敗にある。本稿は、なぜこの戦争が避けられなかったのかを、30年の制度史から読み解く。
  • そして最大の焦点は日本である。日本は無視される国ではない。排除すればアジアの安定が崩れる中核国家である。本稿は、なぜ日本がすでに「受け身の国」ではなく、新秩序を選ぶ側の国になっているのかを示す。

ウクライナ戦争は、もはや単なる地域紛争ではない。それは、冷戦後30年にわたって維持されてきた国際秩序そのものが、ついに再編の局面に入ったことを意味している。ソ連崩壊によって凍結されたまま放置されてきた国境と勢力圏が、いま、武力と交渉によって現実の形に引き直され始めた。その象徴が、2026年1月23日、アブダビで行われたロシア・ウクライナ・米国の三者会談である。戦火が続く最中に、当事国と最大の介入国が公式に同席する協議が開かれるのは異例であり、ここで起きているのは和平の模索ではない。戦後秩序そのものの設計作業である。

1️⃣三者会談は何を決め、何を決めなかったのか

アラブ首長国連邦の首都アブダビ

多くのメディアは、この会談を「和平の兆し」と報じた。しかし、会談の中身を冷静に見れば、そこに「和平」と呼べる合意はほとんど存在しない。各国政府の発表を突き合わせると、議論の中心はきわめて実務的で限定的なものだったことが分かる。ここで行われたのは終戦交渉ではない。戦争を管理するための最初の本格的な実務会談であった。

第一に話し合われたのは、前線の現状凍結ラインである。どこまでを事実上の停戦線として固定するのか、どの地域を今後の交渉対象区域とするのかという戦線管理の問題であり、ここで扱われているのは領土の最終帰属ではない。まず武力の拡大を止めるために、どこで戦線を止めるかという、きわめて現実的な線引きが議題となったのである。

第二に議論されたのが、段階的停戦の条件である。全面停戦ではなく、エネルギー施設への攻撃停止、黒海沿岸での攻撃抑制、特定地域での重火器使用制限など、限定的な措置を積み上げる方式が検討された。これは和平交渉ではない。戦争を制御可能な規模に抑え込むための戦闘管理の協議である。

第三に確認されたのが、捕虜交換と人道回廊の拡充である。これは象徴的な合意であり、政治的成果として最も公表しやすい分野だが、本質ではない。交渉を継続するための最低限の信頼醸成措置にすぎない。

そして最も重要なのは、最終的な和平条件について、ほとんど何も合意されていないという点である。領土問題、NATO加盟、安全保障保証の枠組みについて、三者の立場は依然として大きく隔たったままであり、そこに踏み込む合意は意図的に避けられている。合意されたのは、戦争を終わらせる条件ではなく、戦争をこれ以上悪化させず、交渉を継続する枠組みだけである。

言い換えれば、アブダビで始まったのは終戦交渉ではない。長期戦を前提とした戦争管理体制の構築である。戦争を終わらせる前に、まず戦争を壊滅的な規模にしないことを優先する段階に、大国自身がようやく入ったのである。

2️⃣ソ連崩壊という歴史的好機は、なぜ放棄されたのか

現在でも維持されているロシアの圧倒的な核戦力

ここで初めて、この会談の歴史的位置づけが見えてくる。ウクライナ戦争の起点は2022年ではない。真の起点は1991年のソ連崩壊にある。ソ連の崩壊は、単なる一国の体制転換ではなかった。それは、第二次大戦後につくられた世界秩序を、根本から再設計できる歴史的好機であった。

本来であれば、この時点で、国連安全保障理事会の構成、常任理事国制度、拒否権の扱い、勢力圏と国境線の再定義を含めた、本格的な新秩序設計が行われるべきだった。だが、世界はそれをしなかった。より正確に言えば、意図的にしなかったのである。

冷戦は終わったが、戦後秩序の中核である常任理事国の構成は、ほとんど手をつけられないまま温存された。とりわけ、ロシアと中国を、拒否権を持つ常任理事国の地位に固定したまま新時代に移行したことは、後の不安定を制度として埋め込む決定だった。ロシアは敗戦国ではないまま帝国を失い、中国は民主化も法治化も経ないまま大国として承認された。この2国に、戦後秩序を拒否できる制度的権力を与え続けたことが、世界最大の制度的失策であった。

その結果、冷戦後秩序は、新秩序でもなければ旧秩序の清算でもない、曖昧なまま凍結された未完の秩序として出発することになった。NATOは拡大し、ロシアは後退した。国境線は形式的に固定されたが、勢力圏の実質的な線引きは意図的に先送りされた。その未清算部分が、ミンスク合意に象徴される凍結された紛争となり、30年後、ついに武力として噴き出したのが、ウクライナ戦争である。

今回の三者会談が意味するのは、この設計されなかった新秩序を、いまさらになって大国自身が、現実の力で書き直し始めたという事実である。

3️⃣この会談が我が国に突きつけている現実

横須賀港に停泊する米空母「ジョージ・ワシントン」

ここで、ロシアを正確に位置づける必要がある。ロシアはもはや経済大国ではない。GDP規模ではインドや韓国を下回り、産業基盤も技術力も、中国や欧米に大きく劣る。それでもロシアが交渉の主役に残るのは、世界最大級の核戦力を持ち、国連安保理常任理事国であり、欧州の安全保障とエネルギーを直接揺さぶれる地政学的位置を持っているからである。ロシアは成長する大国ではない。衰退しても排除できない大国である。

だからこそ、この戦争はロシアを倒す戦争にはならない。ロシアをどこに押し込め、どこまで許容するかを決める戦争になる。そしてその整理を行うのは、ウクライナではない。米国とロシアである。小国の戦争は、いつの時代も、経済力ではなく、強大な軍事力を持つ国の都合で整理される。それが国際政治の現実である。

この現実は、我が国にとって決して他人事ではない。ウクライナで起きていることは、台湾有事、朝鮮半島、そして日本周辺有事の構造とほぼ同型だからである。法的に正しい国境があり、同盟国が存在しても、抑止が崩れた瞬間に、現実は武力によって書き換えられる。その後に残されるのは、交渉の席に座れる国と、座れない国の差である。

ここで、我が国自身の位置を冷静に見つめ直す必要がある。我が国は、世界の中で決して小国ではない。GDP規模では長年にわたり世界上位にあり、現在でも主要7か国の一角を占める。外貨準備高は世界有数であり、国際金融市場における円の存在感はいまなお無視できない。半導体製造装置、素材、精密機械といった分野で、我が国は代替不能な地位を占めている。

さらに重要なのは、我が国の地政学的位置である。我が国は、台湾海峡、朝鮮半島、東シナ海、ロシア極東に囲まれた、アジアの安全保障の要衝に位置している。米国のアジア太平洋戦略は、在日米軍基地を中核に組み立てられており、これを欠いた安全保障構造は現実には成立しない。これは理念ではない。米軍の運用計画そのものが、我が国を前提に構築されているという動かしがたい事実である。

加えて、我が国は米国に取ってインド太平洋地域における最大級の同盟拠点であり、自由主義陣営の補給線と後方基盤を支える中心国家である。エネルギー輸送、シーレーン防衛、情報共有、ミサイル防衛、そのいずれにおいても、我が国を欠いた体制は機能しない。我が国は無視できない国ではない。排除できない国なのである。

それにもかかわらず、我が国自身が、その事実を十分に自覚してこなかった。我が国は長く、自らを受動的な同盟国と位置づけ、秩序の受益者であることに満足してきた。しかし現実には、我が国はすでに、秩序を支える側の大国である。自覚の有無にかかわらず、我が国はすでに、大国として扱われている。

もし、我が国がこの秩序形成の場から排除されるならば、その影響は一国にとどまらない。我が国が不在となれば、台湾海峡の抑止は一気に弱体化し、朝鮮半島の均衡は崩れ、東南アジアの安全保障は連鎖的に不安定化する。アジアの安定は、我が国を前提に組み立てられているからである。我が国が無視され、あるいは排除されるという事態は、すなわち、アジアの秩序そのものが崩れ去ることを意味する。

同盟は、国を守ってくれる制度ではない。交渉の席に座る資格を与えてくれる制度にすぎない。抑止を失った国は、理念でも国際世論でも最終的には救われない。救われるのは、軍事力と交渉力を持ち、自ら秩序の形成に関与できる国だけである。

冷戦後30年、我が国は秩序の受益者であることに満足してきた。しかし今始まっているのは、秩序が壊れ、再び作り直される時代である。その時代に、抑止を持たず、交渉力を持たず、現実の力を持たない国は、必ず整理される側に回る。それは今のウクライナを見れば、自明の理である。

世界秩序は正義によって作られない。理念によっても作られない。それを作るのは、抑止と交渉と、そして現実の軍事力を実装できる国である。

アブダビ三者会談は、ウクライナ戦争の終わりではない。戦後世界の設計図が、静かに書き始められた瞬間なのである。

我が国は、この制度設計の失敗の外側に、偶然踏みとどまってきただけにすぎない。

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2026年1月23日金曜日

ウクライナ戦争の核心は依然として未解決──虚構の平和と決別できるか、高市政権と今度の選挙


まとめ
  • ウクライナ戦争は「終わりに向かっている」という演出だけが先行し、領土問題という核心は何ひとつ解決されていない。ダボスでの首脳会談は和平の儀式にはなったが、戦争の根は手つかずのままだ。理念と外交ショーが、現実の戦争を覆い隠している。この構図は、やがて必ず次の危機を生む。
  • この「虚構の平和」は、日本と無関係ではない。台湾海峡、北朝鮮、中国、 北方領土。日本はすでに同じ構造の危機の中にいる。戦争を起きてから止める国で居続けるのか、それとも起こさせず、起きた問題すら解決する国に転じるのか。ウクライナは、日本の未来を映す鏡である。
  • そして、その分水嶺が「今度の選挙」であり、高市政権の行方である。内閣支持率は高いのに、自民党支持率は低い。この乖離は、「高市路線は支持するが、自民党のリベラル・左派は支持しない」という有権者の意思を示している。今回の選挙は、政権を選ぶ選挙ではない。日本が解決国家に転じるかどうかを決める選挙でもある。
世界経済フォーラム2026年会議の舞台、スイス・ダボスで、2026年1月22日、アメリカのドナルド・トランプ大統領とウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領が会談した。外形上は友好的な話し合いだったと報じられたが、会談直後、ウクライナ側は明言した。戦争の核心である領土問題は、何ひとつ解決されていない。

この一言が、今回の会談のすべてを物語っている。

これは単なる外交ニュースではない。現在の国際秩序が抱える根本的な欠陥を、これほど端的に示した出来事は、そう多くない。理念と演出で覆われた平和外交の空洞が、ここではっきりと露呈したのである。

1️⃣平和外交の限界──ダボスで何が起きなかったのか

ダボス会議でのトランプ・ゼレンスキー会談

トランプ政権は発足以来、ウクライナ戦争を終わらせる平和構想を掲げ、ガザ問題も含めた包括的枠組みを国際社会に提示してきた。ダボスという舞台は、その演出に最適の場所だった。

だが、現実は冷酷である。

クリミアと東部ドンバスという戦争の核心は、依然として未解決のままだ。戦争終結につながる具体的工程表は存在しない。三者協議も、ようやく準備段階に入ったに過ぎない。それにもかかわらず、国際社会では「和平は前進した」という物語だけが独り歩きする。

私はこれまで、ダボス会議が理念と演出を過剰に重ね、現実の力関係と安全保障を軽視してきたことが、かえって世界の不安定化を招いてきたと書いてきた。今回の会談は、その評価を改めて裏づけるものだった。

だが同時に、トランプの動きを単なる外交ショーと切り捨てるのも正確ではない。

トランプ外交の本質は、ショーと実務を意図的に分離する点にある。表では派手な演出を行い、裏では制裁と軍事圧力と経済圧力を積み上げ、最終的に相手に選択肢のない取引を迫る。この手法は、北朝鮮でも、中国でも、中東でも一貫して用いられてきた。

今回の会談も、領土問題をあえて棚上げし、まず停戦枠組みを作るという、きわめて現実主義的な発想に基づいている。それは理想主義ではない。戦争を終わらせるための冷酷な技術である。

問題は、その技術が、ウクライナ戦争の核心に本当に到達できるかどうかだ。

2️⃣国家は現実をどう扱うか──日本に突きつけられた問い

 日本周辺で中露が行う不穏な動きを示したちず クリックすると拡大します

戦争終結も、国際秩序の再構築も、理念では決まらない。結局は、領土という現実の問題をどう扱うかに尽きる。

今回の会談が示したのは、外交的演出は成立しても、核心は未解決のままであり、多国間フォーラムは実効的な調停の場にはなり得ず、平和構想や保証の約束は軍事現実を抜きにしては意味を持たない、という単純な事実である。

これは日本にとって他人事ではない。

日本は今、台湾海峡、北朝鮮、中国、エネルギー安全保障という複数の戦略課題に同時に直面している。これらはいずれも、理念や演出では解決できない問題だ。現実の力関係と抑止に根ざした戦略判断が不可欠である。

ウクライナ戦争の領土問題は、その象徴だ。どれほど和平演出を重ねても、現実を抜きにした平和構想は、紙に書いた絵に過ぎない。世界は今、表面的な合意を積み重ねながら、核心を先送りし続けている。そして日本もまた、理念の空中戦では勝てない現実に直面している。

3️⃣解決国家への転換──選挙と権力構造の問題

だが、ここで終わってはならない。

この不確かな世界だからこそ、我が国は起こってから対応する国家であってはならない。しかしそれは最低限の条件にすぎない。真に問われているのは、すでに起きてしまった問題すら、解決してしまう国家になれるかどうかである。

北方領土問題は、戦後から続く未解決の現実だ。拉致問題も、長年放置されてきた現実の悲劇である。これらは、記憶と訴えだけで終わらせる問題ではない。解決の方法を探り、現実に解決すべき対象である。

そして重要なのは、これが空想ではないという点だ。国際秩序は転換期に入り、大国間の力関係は流動化し、ロシアも中国も内部に不安定要因を抱え、米国も対外戦略の再構築を迫られている。領土問題や拉致問題が永遠に解決不能である必然性は、もはや存在しない。

必要なのは奇跡ではない。解決を国家目標として明示し、現実的な交渉戦略と圧力手段を組み合わせ、時間を味方につけて実行する持続的な国家意思である。台湾有事は抑止によって起こさせない。同時に、北方領土と拉致問題を、奪還という結果で終わらせる。その積み重ねによってこそ、日本は秩序に従う国から、秩序を更新する国へと転じ得る。

宇宙から見た日本列島

そのために避けて通れないのが、今回の選挙の意味である。

日本が解決国家へ転じるためには、外交・防衛・領土・拉致について明確な方向性を持つ政治体制が不可欠だ。しかし現実には、長年、安全保障を理念論に矮小化し、対中・対露・対北政策を先送りし、抑止を語らない勢力が政治の中枢に居座ってきた。その帰結として、北方領土交渉は凍結し、拉致問題は、2002年から四半世紀近く、実質的に動いていないし、憲法改正は具体化しないまま放置されている。

ここで決定的に重要な現実がある。

高市内閣はすでに誕生し、政権を運営している。そして、内閣支持率は高い水準を維持している一方で、自民党そのものの支持率は低迷している。この異例の乖離は、偶然ではない。

有権者は、高市内閣の対中姿勢、安全保障重視、拉致と領土への明確な姿勢には支持を与えている。しかし同時に、自民党内部に居座るリベラル・左派勢力には、明確な不信と忌避を示している。

内閣支持率は高いが、与党支持率は上がらない。これは、「高市路線は支持するが、自民党のリベラル・左派は支持しない」という、有権者からの明確なメッセージである。

にもかかわらず、この勢力が選挙でも党内人事でも温存され続けるなら、この乖離は必ず政権の足を引っ張る構造的危機に転化する。

今回の選挙は、単に高市内閣を支える選挙ではない。高市内閣の路線と、自民党の内部構造とを、意図的に一致させるための選挙である。

そしてこれは、有権者だけに委ねられる課題ではない。高市内閣自身が、公認、人事、ポスト配分を通じて、自民党リベラル・左派の主導的議員を、意図的に党の中枢から外していかなければならない。

国家戦略の転換とは、政策の変更ではない。人事と権力構造の変更である。

最終結語

不確かな世界に秩序をもたらす国とは、理念を語る国ではない。拍手を集める国でもない。危機を未然に防ぎ、すでに起きた危機すら解決し、現実の力で秩序を実装する国である。

ウクライナ戦争が示したのは、戦争は起きてから止めるものではなく、起きる前に止め、起きてしまった戦争すら終わらせなければならない、という冷酷な教訓だ。

日本は、被害者であり続ける国であってはならない。傍観者であってはならない。台湾有事を起こさせず、北方領土を取り返し、拉致被害者を奪還し、東アジアに新たな秩序をもたらす国。

それこそが、虚構の平和に終止符を打ち、現実の秩序をつくる国家としての我が国の使命である。


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2026年1月22日木曜日

ダボス会議は強欲なグローバリズムで世界を壊した──最大の損害を被ったのは中露、日本の立つべき位置


まとめ
  • ダボス会議が称揚した強欲なグローバリズムは、世界を安定させるどころか国家の土台を壊した。その最大の損害を被っているのは、実は中露であるという逆説を、供給網・人口・エネルギーの現実から示す。
  • 欧米が理念と金融に傾く中、日本は製造の核心と現場、さらにLNGを軸としたエネルギー体制を手放さなかった。この「壊し切らなかった選択」が、今なぜ効いているのかを明らかにする。
  • 協調幻想が終わった世界で、秩序は再び工場と人間の手から生まれる。中露でも欧米でもない中で、日本はどこに立ち、何を担うべきなのか。その現実的な位置を示す。
ダボス会議は、かつて「多国間での繁栄」を掲げた。国境を越えた貿易と投資を拡大し、相互依存を深めれば、国家間の対立は和らぎ、世界は安定する。冷戦後、この理念は疑う余地のない正解として受け入れられ、ダボスはその象徴となった。

だが結論から言えば、この構想は失敗したのではない。最初から無理があったのである。それでも止まらなかった理由は単純だ。そこに理想ではなく、強欲があったからだ。

国家は経済合理性だけで動かない。安全保障、権力、体制維持、国内統治、歴史的経験が絡み合って意思決定を行う。それにもかかわらず、ダボスが称揚してきたのは「繁栄が広がれば国家は理性的に振る舞い、対立は消える」という都合のよい物語だった。その危険性を分かっていてそれを無視したのである。ゆえにこれは稚拙な誤解ではない。強欲なグローバリズムである。

1️⃣強欲なグローバリズムが壊した国家の土台

最初に壊されたのは、国家の目に見えない骨格だ。危機対応能力、供給網の冗長性、技術主権、意思決定の速度、そして抑止力である。平時の効率だけを追い、在庫は削られ、供給網は細く長く引き延ばされ、代替ルートは無駄として切り捨てられた。これは偶然ではない。利益を最大化するために意図的に選ばれた道である。

2020年のパンデミックは、その帰結を誰の目にも明らかにした。米国も欧州も日本も、医療用マスクや手袋、基本的な医療資材を十分に確保できなかった。資金はあった。市場もあった。それでも物は届かなかった。高性能マスクの中核素材であるメルトブローン不織布の生産が、特定地域に極端に集中していたからだ。これは市場の失敗ではない。国家が冗長性を捨てた結果である。


同じ現象は軍事分野でも起きている。ウクライナ戦争は、兵器そのものよりも弾薬と生産能力が戦争の持続性を左右する現実を突きつけた。155ミリ砲弾、ミサイル部品、推進剤。西側諸国は、在庫だけでは戦争を続けられず、生産ラインの再構築に年単位の時間がかかることを思い知らされた。
秩序は、金融や理念からは生まれない。工場と人間の手からしか生まれない。
この単純な事実が、ようやく共有され始めたのである。

欧州連合は、相互依存があれば戦争は起きないという幻想の下、ロシアへのエネルギー依存を深めた。だがエネルギーが武器化された瞬間、欧州は選択肢を失い、産業は疲弊し、国民負担は急増した。市場は安さを与えたが、安全と自由は与えなかった。

中国はこの秩序の最大の受益者となった。西側が効率を理由に生産を委ねる中で、中国は世界の工場となり、やがて供給網と国際標準を押さえる側に回った。しかし強欲は必ず自壊する。不動産バブル、地方債務、人口減少、若年失業。現実を無視した成長は、内側から制度を壊し始めている。

2️⃣我が国は何を失い、何を失わなかったのか

強欲なグローバリズムは、我が国にも影響を与えた。しかし、その負のレガシーを最も重く引き受けている国ではない。中露が内側から歪み、次いで欧米が国家基盤を削り過ぎたのに対し、日本はその外側に踏みとどまった国である。

我が国は自由貿易を信じ、国際分業に深く組み込まれた。その過程で、食料や一部供給網への依存を高め、国家戦略としての言語化を怠った。これは弱点である。
しかし同時に、我が国は製造の核心を差し出さなかった。

多くの産業で、設計だけを残し生産を全面的に外注する道を選ばず、工程と現場を国内に残してきた。内製率を極端に落とさず、素材、精密部品、製造装置、工程技術といった分野で独壇場を維持しているのは、その結果である。効率は犠牲になったが、技術の連続性は守られた。


エネルギー分野でも同様だ。我が国は資源国ではない。しかしその制約を逆手に取り、LNGを軸に、長期契約、輸送、受入基地、再ガス化、需要調整を一体で運用する世界最大級のガス供給ネットワークを築いた。特定国に過度に依存しない分散型の体制は、欧州とは対照的である。これは偶然ではない。エネルギーを安全保障として扱ってきた結果だ。

問題は、これらの強みを戦略として束ね切れていない点にある。能力はある。現場もある。だが「何を国家として最優先で守るのか」を明確に示してこなかった。そのため、作れるが、作らせてもらえない局面が生じている。

それでも事実は変わらない。我が国は、強欲なグローバリズムに参加しながら、核心部分を壊し切らなかった国である。傷は負った。しかし致命傷ではない。

3️⃣理論はどう歪められ、ダボスで何が終わったのか

強欲なグローバリズムは、理論によってまともに見えるように装われてきた。比較優位や自由市場といった概念の一部が切り取られ、国家と安全保障という前提を外したまま拡張された。

しばしば名前が挙げられるのが ミルトン・フリードマン である。しかし、彼の自由市場論は本来、主権国家と安全保障の存在を前提とした国内経済論だ。国家の消滅や、相互依存による平和を説いたわけではない。
問題は、ダボス的エリートがその思想を都合よく単純化し、国際政治を捨象した形で誤用したことにある。

ミルトン・フリードマン

誤用が止まらなかった理由は単純だ。儲かったからである。
多国籍企業と金融資本は、利益を最大化し、コストとリスクを国家と国民に押し付けた。これは無知ではない。計算された選択だ。

この流れに決定的な区切りを打ったのが、ダボス会議で示された今回のドナルド・トランプ の発言である。経済的繁栄は安全保障の代替にならない。相互依存は抑止にならない。多国間合意は行動の前提ではない。同盟国であっても例外はない。必要とあれば、単独でも動く。これは挑発ではない。行動原則の宣言だ。

その言葉が 世界経済フォーラム の壇上で語られた意味は大きい。この瞬間、ダボスは世界を決める場ではなく、世界がどう動くかを確認する舞台へと変わった。秩序は修正されたのではない。前提ごと終わったのである。

結論 日本は「立て直し役」に立てる国だ

世界を誤らせたのは理論ではない。強欲である。その代償を最も重く引き受けているのは中露であり、次いで欧米だ。日本はその外側に踏みとどまり、製造とエネルギーという現実資産を保持している。

これからの世界秩序は、強欲ではなく抑止によって、正しさを装う理念ではなく実装によって支えられる。秩序は、高邁に見える理想からではない。農場や工場や軍隊、そして人間の手から生まれる。
その条件を、我が国はまだ失っていない。

日本は被害者ではない。
立て直し役になれる国である。

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欧州危機、RESourceEU(EU資源戦略)は間に合うか──世界が最後に頼る国は、日本 2025年12月4日
EUの理想が供給網の現実にぶつかる過程を追い、日本が浮上する理由を示す。ダボス後の世界で、誰が「現実の後始末」を引き受けるのかが分かる。

2026年1月21日水曜日

グリーンランドは次の戦場──北極圏航路で始まった静かな争奪戦


まとめ

  • 北極圏で起きているのは、領土や外交の問題ではない。航路・資源・軍事拠点という、国家の基盤そのものをめぐる争奪戦であり、戦争のはるか前に勝敗が決まる段階が、すでに始まっている。
  • 日本はこの争奪戦に無関係ではない。研究や協力には参加しているが、航路と制度の設計には関与できておらず、かつて港湾と航路で後追いに回った構図が、北極圏でも繰り返されつつある。
  • 覇権を争う国になる必要はない。だが、秩序をつくる側に立たなければ、日本は「利用される国」に回る。北極圏は、日本が次の世界秩序にどう関与するかを決める、静かな分岐点である。

1️⃣武器なき新たな戦争は、すでに始まっている

米国と欧州の間で、グリーンランドをめぐる緊張が表面化した。表向きは外交上の言葉の応酬にすぎない。だが、この問題を単なる米欧の不和として処理するのは、あまりにも危うい。

いま北極圏では、戦争も宣戦布告もないまま、次の時代の覇権を左右する争奪戦が静かに始まっている。グリーンランドは、その最前線に位置する。

最近の北極圏の衛星写真 

今回の問題の本質は、領土ではない。鍵は北極航路であり、資源であり、軍事拠点である。温暖化によって北極海航路が現実の選択肢となり、欧州とアジアを結ぶ物流の地図が書き換えられつつある。これは、スエズ運河を前提としてきた世界の海上交通を根本から組み替える可能性を持つ。

北極圏には、レアアース、天然ガス、石油、戦略鉱物が眠るとされる。エネルギーと鉱物資源を失えば、国家は産業国家であり続けることができない。資源を押さえた国が、最終的に産業と軍事の両方を支配する。この構図は、近代以降の歴史が繰り返し示してきた現実である。

さらに、グリーンランドはミサイル早期警戒と北大西洋防衛の要衝である。ここで起きているのは、領土の争いではない。航路と資源と軍事拠点という、国家の三つの基盤をめぐる争奪戦である。

国家は戦争で滅びる前に、資源とエネルギーと物流と制度を静かに失う。戦争は最後に来る。本当の勝敗は、戦争が始まる前に、すでに決まっている。

2️⃣日本は参加しているが、設計していない

では、日本はこの争奪戦に参加しているのか。この問いを避けて通ることはできない。

現実を直視すれば、日本は北極圏の動きに無関心ではない。研究では参加し、外交では関与し、企業は商機を探っている。観測、実証運航、資源協力といった形で、日本は確かにこの戦略空間の周縁には立っている。

だが、決定的に欠けているものがある。それは、北極圏を日本の国家戦略の中枢に据えるという政治決断である。

米国、ロシア、中国はいずれも、北極圏を安全保障と資源と海上覇権の中核として明確に位置づけている。軍事、航路、資源、制度を一体として設計し、国家の意思として押さえに行っている。

一方、日本の関与は、研究は文部科学省、物流は国交省、資源は経産省、外交は外務省と縦割りに分断され、国家戦略として統合されてはいない。日本は参加しているが、主導してはいない。関与しているが、設計してはいない。

つまり、日本はこの争奪戦の外にいるのではない。
しかし、覇権を取りに行く当事者として、まだ戦場に立ってもいない。

ここに、これまでエネルギー、半導体、サプライチェーン、港湾といった分野で繰り返されてきた、日本の構造的な弱点と同じ構図がある。

近年、日本発の欧州向けコンテナ航路をめぐって、静かな変化が進んできた。

釜山港
主要船社の欧州航路では、日本の主要港を経由しない航路体系への移行が進み、日本発貨物の多くが、釜山や上海などの巨大ハブ港で積み替えられる形に組み替えられてきた。かつて日本の港は、欧州・北米向け基幹航路の起点の一つであった。だが現在では、日本を直接発着する長距離航路は減少し、支線港として国際ハブに接続される立場に後退しつつある。

これは一部の船社の一時的判断ではない。世界の海運は、大型船の効率運航を前提に、寄港地を極限まで絞り、少数の巨大ハブ港に貨物を集約する構造へと転換している。その過程で、日本の港は、コスト、集荷力、運用制度の面で、釜山、上海、シンガポールに後れを取り、基幹航路の拠点から外され始めている。

つまり、ここで起きているのは、単なる「直行便が減った」という話ではない。
世界の航路ネットワークが組み替えられる局面で、日本がその設計の中心に立てず、後追いに回ったという構造問題である。

しかし、これは不可逆の衰退ではない。

実際、日本の港湾政策はすでに方向転換を始めている。2010年代以降、政府は国際基幹港湾への集中的投資と運営の一体化を進め、分散していた港湾機能を国家戦略として再編してきた。大水深バースの整備、ターミナルの統合運用、電子通関の高度化など、基幹航路復帰を意識した投資と制度改正は、すでに現場で積み重ねられている。

港湾の地位が失われたのは、地理のせいではない。制度と投資の選択の結果である。制度と投資を改めれば、回復の余地が残されている分野であることは、すでに実務の現場が示し始めている。

重要なのは、港湾の地位が「場所」で決まるのではなく、国家の意思決定と制度設計で決まるという点である。

そして、北極圏でいま起きていることも、本質は同じである。

3️⃣覇権ではなく、秩序形成国として立つという選択

グリーンランドの米軍基地(チューレ空軍基地)

では、この現実を踏まえて、日本は何をすべきか。

第一に、日本は北極圏政策を「研究協力」から「国家戦略」へと格上げしなければならない。観測や環境協力にとどまらず、北極海航路を日本の物流・産業戦略の中核にどう組み込むかという設計が必要である。北極航路は、欧州―アジア間の距離を大幅に短縮し、将来の基幹航路となり得る。その主導権を他国に委ねたままでは、再び後追い国家になる。

第二に、北極圏政策を省庁横断で統合する政治決断が不可欠である。研究、外交、物流、資源、安全保障を一体として扱う司令塔を持たなければ、日本は個別参加の寄せ集めにとどまり、戦略主体にはなれない。これは、半導体、エネルギー、経済安全保障でようやく始まった統合政策と同じ課題である。

第三に、日本は北極圏に関わる産業競争力を戦略的に育成すべきである。極地対応船、LNG輸送、航路安全技術、氷海観測、環境適応技術は、日本が本来強みを持つ分野である。北極圏を単なる研究対象ではなく、次世代産業の実験場として位置づけるべきである。

第四に、北極圏を安全保障の議題として正面から扱う必要がある。北極圏はすでに軍事空間であり、制度と拠点の設計が将来の同盟構造を左右する。日本は同盟国とともに、北極圏に関する戦略対話と制度設計に主体的に関与すべきである。

ここで、最も重要な一点を明確にしておかなければならない。

もし日本が戦略主体とならなければ、北極圏は米国、中国、ロシアという覇権国家の管理する空間となり、その他の国々は、その覇権の下で利用を許される側に回ることになる。

それを避けるためにも、日本の参加は不可欠である。

しかも日本は、覇権国家になる必要はない。
むしろ、日本が目指すべきは、力で支配する国ではなく、国際ルールと制度の形成に参加し、世界秩序に強い影響を及ぼす国である。

覇権を争うのではなく、
覇権国家が勝手に秩序を決めることを防ぐ側に立つ。
それこそが、日本が取り得る、最も現実的で、最も強い国家戦略である。

最後に、最も重要なのは姿勢の問題である。

日本は、すべての分野で後追いだったわけではない。
エネルギーでは石油危機以降、一貫して先手の安全保障政策を打ち、半導体では失敗を認めたうえで、国家戦略として立て直しに踏み出した。サプライチェーンについても、危機を受けてようやく戦略化に切り替えつつある。

だが、港湾と航路、そして新たに生まれつつある戦略空間において、日本はいまなお決定的な先手を打てていない。

新しい航路が生まれ、物流の地図が書き換えられ、資源と制度の枠組みが先に押さえられていく局面で、日本は「関与はしているが、設計には参加していない」立場にとどまっている。

国家を衰退させるのは、敗戦ではない。
成功体験に安住し、次の戦略空間での決断を先送りすることである。

争奪戦が本格的に始まってから慌てる国は、必ず負ける。
国家の勝敗は、その前に、資源と航路と制度を押さえた国が決める。

グリーンランドと北極航路で起きているのは、まさにその前段階なのである。

【関連記事】

決断しない国は淘汰される──経済が「戦場」になった世界で、来るべき選挙が問うもの 2026年1月17日
グリーンランドを「領土の話」として片付けると、核心を見失う。資源・供給・軍事拠点が一体化した世界で、国家は“決断できるか”で選別されることを解説。今回の記事の「静かな争奪戦」を、経済安全保障という大きな地図に接続する内容。

「米国第一主義は当然、私もジャパン・ファースト」自民・高市早苗氏、トランプ氏に理解―【私の論評】米国第一主義の理念を理解しないととんでもないことになる理由とは? 2025年1月24日
「グリーンランドは次の戦場」という見立てを、米国の現実主義から逆照射した記事。トランプ的発言を“暴言”で終わらせず、航路・資源・同盟の再設計として読み替える視点を提供。米欧の緊張や日本の立ち位置を語るうえで、参考になる。

【ロシア制裁で起こる“もう一つの戦争”】バルト海でのロシア・NATO衝突の火種―【私の論評】ロシアのバルト海と北極圏における軍事的存在感の増強が日本に与える影響 2025年1月14日
北極圏の争奪戦は「氷の下」だけで起きているのではない。バルト海・海底ケーブル・ハイブリッド戦まで含めた“海の安全保障”としてつながっていることを、具体的に解説。北極航路が開くほど、日本の貿易とインフラ防衛は同時に試される──その怖さが実感できる記事。

グリーンランドの防衛費拡大へ トランプ氏の「購入」に反発―【私の論評】中露の北極圏覇権と米国の安全保障: グリーンランドの重要性と未来 2024年12月26日
グリーンランドの「防衛費」という現実の動きから、北極圏がすでに安全保障の最前線に入ったことを示した。ロシアの北極海航路沿いの軍事化、中国の北極関与、米軍基地の意味まで、一つの流れで追える。今「なぜグリーンランドなのか」かが理解できる。

<北極圏を侵食する中国とロシア>着実に進める軍事的拡大、新たな国の関与も―【私の論評】中露の北極圏戦略が日本の安全保障に与える影響とその対策 2024年10月29日
“静かな争奪戦”の中身を、軍事・投資・研究拠点・インフラの具体像として描いた。中国の関与がグリーンランドや周辺地域にも及ぶ点、日本の安全保障・エネルギー輸送への波及まで踏み込んでいる。今回の記事で「米中露が主役、その他は利用者」という構図を語る際、その根拠となる記事。

2026年1月20日火曜日

高市解散は「政局」ではない──予算と政策、そして世界秩序の転換点を読み違えるな


まとめ
  • 今回の解散が問うているのは、政局でも人気でもない。争点は多い。しかしその核心は、来年度の予算を「誰の思想」で執行するかにある。選挙をしなければ、高市政権は事実上、石破政権の予算を一年間引き継ぐことになる。今回の解散は、国家の財政と政策の主導権を誰に委ねるかを決める選挙なのである。
  • 多くの人は、解散は停滞を招くと考えるだろう。しかし今回は逆だ。制度の制約の下では、解散しなければ改革はできない。改革のために解散するという逆説が、いま現実になっている。
  • そして、これは国内政治だけの話ではない。世界はすでに次の秩序へ進んでいる。日本だけが、なお過去の幻想に取り残されている。今回の選挙は政権選択ではない。現実の世界に戻るかどうかを決める選挙である。
高市総理による衆議院解散表明をめぐり、主要メディアの多くが「大義なき解散」「支持率頼み」「独断専行」「財源なき減税」といった否定的な言葉を並べている。だが、冷静に報道の中身と制度の現実を点検すれば、これらの批判の多くは、事実ではなく評価を事実のように語ったものにすぎない。

今回の解散は、単なる政局ではない。政策転換、予算転換、そして国際秩序の転換を、国民の信任として最終確認するための選挙である。この点を見誤った瞬間、議論は根本から歪む。

1️⃣解散批判の多くは「事実」ではなく「評価」にすぎない


まず「大義なき解散」という言葉が独り歩きしている。しかし海外の通信社や主要紙を読めば、今回の選挙の争点はきわめて明確である。食料品の消費税を時限的に停止するのか、歳出を拡大して物価と成長をどう両立させるのか、防衛力をどの水準まで引き上げるのか。いずれも税制、財政、安全保障という国家の根幹にかかわる政策であり、国民に信を問うに十分な争点である。

「大義がない」という断定は、事実ではない。それは単なる価値判断である。争点が存在しないのではない。争点から目を背けているだけだ。

次に語られるのが「独断専行」「根回しなし」という物語である。しかし実際には、解散日程は与党幹部や連立相手と共有され、公示日と投票日まで調整されたうえで発表されている。衝動的な解散ではない。「周囲が何も知らなかった」という描写は、事実ではなく演出である。

財源論も同様だ。政策発表後に長期金利が上昇したことは事実である。だがそれは、市場が財政拡張シグナルに反応したという範囲にとどまる。危機でもなければ、信認崩壊でもない。しかも今回の減税は恒久措置ではなく時限措置である。物価高局面への限定的な対策であり、財政放棄とは性質がまったく異なる。

「国会軽視」という言葉も、政治的スローガンにすぎない。選挙は国会を回避する行為ではない。むしろ税制、財政、防衛という最重要政策を、国会の外に出し、主権者に直接判断してもらうための最も正統な政治手続きである。

結局のところ、今回の解散批判の多くは、事実の指摘ではなく、評価語を事実のように語っているにすぎない。その瞬間、議論は政策から逸れ、印象論へと変質する。

2️⃣問われているのは「予算の中身」──選挙をしなければ、我が国は1年間「石破予算」を執行することに

現状の新年度予算は、石破政権のカラーが色濃く出たものである

今回の解散の意味を理解するうえで、最も重要で、しかも多くの報道が意図的に触れない論点がある。それは、選挙の有無が来年度予算の性格を決定的に左右するという事実である。

現在編成が進んでいる2026年度予算案は、石破政権時代の政策思想を色濃く反映した内容である。財政健全化を優先し、給付と補助金を中心に物価対策を行い、防衛増額と同時に歳出抑制をかける。これが、いわゆる「石破カラー」の強い予算である。

問題は、この予算をいま国会で本予算として成立させてしまえば、高市政権は来年度1年間、この路線をそのまま執行しなければならなくなるという点にある。予算は一度成立すれば、政権が変わっても原則として1年間は動かせない。高市政権が自らの政策色を反映できるのは、早くても次の年度予算からになる。

つまり、選挙を行わずに国会日程を通常通り進めれば、高市政権は事実上1年間、「石破カラーの予算」をそのまま執行する政権になる。

ここで決定的に重要なのは、この状態が何を意味するかである。

予算を石破カラーのまま執行するということは、スローガンだけが変わっても、実際にやっていることは石破政権と同じになるということである。減税を掲げても給付中心の構造は変えられない。防衛を語っても歳出配分は旧来路線のままである。エネルギーや産業を語っても、予算が動かなければ政策は動かない。

つまり選挙をしなければ、高市政権は名前だけが変わった石破政権として1年間を過ごすことになる。

しかも制度上の制約はさらに厳しい。現在の政権は、昨年10月21日に発足したばかりである。年度途中に誕生した政権が、前政権の「骨太の方針」を根本から書き換え、それを反映した予算を通常国会の審議だけで成立させることは、制度上ほぼ不可能である。各省の概算要求はすでに前政権の枠組みで作られている。限られた審議時間でこれを全面的に組み替えることは、現実にはできない。

つまり、選挙をしなければ、高市政権は必然的に、石破カラーの強い予算を執行せざるを得なくなる。

ここに、今回の解散の本質がある。

選挙を行えば審議時間は足りなくなり、暫定予算が組まれ、選挙後に本予算を編成し直す余地が生まれる。これは制度上まったく正当な手続きである。今回の解散は、「石破カラーの予算を固定するのか」、それとも「高市政権の思想を来年度予算から反映させるのか」を国民に直接問う選挙なのである。

3️⃣グローバリズムの終焉と我が国──世界は現実に目を向け、日本だけがまだ幻想に縛られている

トランプ米大統領のダボス会議直接参加は6年ぶり

国際環境はすでに決定的に変わっている。

ダボス会議については、すでに本ブログで詳しく論じている。
今年のダボス会議でトランプが主役になる──世界秩序は、すでに次の段階へ移っていた
詳細はそちらに譲るが、ここで確認すべきなのは、世界の実務者たちがすでにグローバリズムの終焉を前提に思考を切り替えているという事実である。

会議に先立って公表された世界経済フォーラムのリスク評価では、最大のリスクは戦争でも感染症でもなく、大国間の経済対立と国際秩序の分断であると明記された。これは予測ではない。すでに起きた現実を総括した結論である。

世界の実務者たちは、市場万能論も自由貿易万能論も、すでに捨てている。エネルギー、食料、半導体、防衛、金融、通貨。すべてが国家の生存条件であり、国家が責任を持って確保すべき対象であると受け入れている。

そして彼らは、グローバリズムが善意の理想として終わったのではなく、中国やロシアによって制度ごと悪用され、自壊したという現実を共有している。

この世界の変化の前で、日本だけがいまだに過去の幻想から抜け出せていない。親中という名の思考停止が、与野党を問わず、財界にも官僚機構にもそうしてマスコミに蔓延している。

技術は奪われ、市場は閉ざされ、資源は人質に取られ、安全保障は空洞化し、主権は静かに侵食されてきた。それでも彼らは言い続ける。関係を壊すな、摩擦を避けろ、現実より空気を読め。

これは外交ではない。国家に対する怠慢であり、背信であり、思考放棄である。

今回の選挙は、単なる政権選択ではない。こうした勢力と訣別するための選挙でもある。

以上を総合すれば、今回の解散を党利党略や支持率頼みと片づける論調が、いかに浅薄かは明らかである。予算はまだ決まっていない。税制と財政の思想はいま選択の分岐点にある。国際秩序はすでに次の段階に入っている。

いま我が国が問われているのは、内閣の人気ではない。
国家として、現実の世界を生き抜く覚悟があるのかどうかである。

それを決めるのは評論家ではない。新聞社でもない。
決めるのは、選挙において意思を示す、我が国の国民である。

【関連記事】

今年のダボス会議でトランプが主役になる──世界秩序は、すでに次の段階へ移っていた 2026年1月19日
「グローバリズムの総本山」と見なされてきたダボスで、反グローバリズムの象徴が主役になる。この“ねじれ”が意味するのは人物ニュースではなく、秩序そのものの更新だ。

世界経済フォーラムの警告 ──グローバリズムが壊れた世界でこそ日本が必要とされる 2026年1月15日
ダボス会議前に出されるリスク評価を手がかりに、「世界の実務者が何を最大リスクと見ているか」を真正面から整理した。理想論ではなく、現実の座標軸で世界を見直した。

なぜ冒頭解散すべきなのか──岸田・石破が残した「決めない政治文化」との決別 2026年1月11日
「政局ではない」という言い回しが、ただの決め台詞ではなくなる。国が動けなくなった理由を“政治文化”という根にまで掘り下げ、親中や増税の空気がなぜ強くなるのかまで繋げた。

「対中ファラ法」強化で中国の影響力を封じ込めろ──米国の世論はすでに“戦場”だ、日本は? 2025年7月23日
「グローバリズムが悪用される」とは何かを、抽象論ではなく制度と実例で明らかにした。米国が透明化と防波堤づくりへ動く一方、我が国が無防備である現実が浮かび上がる。

衆参同日選で激動!石破政権の終焉と保守再編の未来 2025年6月8日
解散・選挙が「権力闘争」ではなく「政治の方向を切り替える装置」になり得ることを、ダイナミックに描いた。今回記事の“予算と制度”の論点を、より大きな政治の地殻変動として描いた。


2026年1月19日月曜日

今年のダボス会議でトランプが主役になる──世界秩序は、すでに次の段階へ移っていた


まとめ
  • 自由貿易と国際協調の象徴であるダボス会議で、反グローバリズムの象徴であるトランプが主役になるという事実は、単なる人物ニュースではない。世界の支配層自身が、グローバリズムの時代が終わったことを認め始めた兆候である。本稿は、その転換がなぜ起きたのかを解き明かす。
  • いま世界で進んでいるのは、砲弾ではなく通商と通貨による戦争である。関税、制裁、輸出規制、金融遮断。撃たずに国家を衰弱させる戦いが日常化した。本稿は、世界がすでにどの段階の秩序に入ったのかを示す。
  • そして最も危険なのは、日本がいまなお「貿易立国」という幻想に縛られていることである。実は日米はいずれも内需国であり、この認識の誤りこそが、対外戦略と経済政策を誤らせてきた。本稿は、日本はいまどこに立ち、何を見誤っているのかを浮き彫りにする。
2026年1月、スイス東部の山岳都市ダボスで開かれる世界経済フォーラム年次総会に、ドナルド・トランプ米大統領が出席することが明らかになった。ところが日本では、この事実自体がほとんど報じられていない。多くの読者は、この出来事を知らないままでいる可能性が高い。

だが、これは単なる人物ニュースではない。
国際秩序が静かに、しかし確実に次の段階へ移行したことを告げる象徴的な出来事である。

世界経済フォーラムの年次総会、いわゆるダボス会議は、毎年一月下旬に開催される世界最大級の国際会議である。各国首脳、中央銀行総裁、国連やIMFなどの国際機関幹部、多国籍企業の経営者、金融資本の中枢が一堂に会し、その年の世界経済、地政学、安全保障をめぐる最重要課題を議論する。表向きの議題は多岐にわたるが、その本質は常に一つしかない。「世界秩序を、誰が、どの原理で管理するのか」である。

このダボス会議は、長らくグローバリズムの総本山であった。自由貿易、多国籍資本、国際機関による秩序管理。そこで主役を張ってきたのは、EU官僚、国連関係者、国際金融資本の代表、そして「規範」と「協調」を語る政治家たちである。

そこに登場したトランプは、本来であれば最も場違いな存在であったはずだ。国連を軽視し、WTOを事実上無力化し、同盟を条件付きにし、関税と制裁を武器に国家を屈服させる政治家。グローバリズムの象徴たるダボスと、トランプは本質的に水と油である。

それでも、いまダボスで最も注目されているのがトランプであるという現実がある。ここに、世界のエリート自身が旧秩序の終焉を受け入れ始めた兆候を見るべきである。

1️⃣グローバリズムは「理想」ではなく「敗北」として終わった



彼らが変わり始めた理由は、思想の転換ではない。
グローバリズムは、実践できるほど世界は甘くなかった。それを、ようやく思い知ったのである。

自由貿易、国際協調、規範支配という理想は、美しい。しかしそれは、参加者が同じ価値観を共有している場合にしか機能しない。現実の世界には、その前提を最初から持たない国々が存在した。

しかも彼らは、理想を拒否するのではない。
理想を逆手に取って、自国に有利なように利用することに長けていた。

市場開放を要求しながら、自国市場は閉じる。
自由貿易を唱えながら、国家補助金で産業を育成する。
国際ルールを尊重すると言いながら、都合が悪くなれば無視する。
人権や環境を掲げながら、競争相手の産業だけを規制で締め上げる。

グローバリズムは、善意と相互主義を前提に設計された。
だが現実には、善意を守る側だけが損をし、利用する側だけが得をする構造になっていた。

中国はその典型である。WTOに参加し、市場開放を約束しながら、国家資本主義で産業を育成し、技術移転を事実上強要し、補助金で企業を支え、規範の隙間を突いて世界市場を席巻した。ロシアはエネルギーを武器にし、新興国の一部は環境や人権を外交カードとして使い分けた。

理想を守った国ほど産業を失い、
理想を利用した国ほど力を蓄えた。

この現実を、世界のエリートはようやく直視し始めたのである。

2️⃣経済戦争の時代と「貿易立国・日本」という神話の崩壊

今回、ダボス会議を前に公表された最新のリスク評価は象徴的である。短期的に世界へ最も深刻な影響を与える最大のリスクとして挙げられたのは、戦争でも感染症でもなく、「大国間の経済対立」であった。

現代の戦争は、砲弾ではなく通商と通貨で行われる。関税、制裁、輸出規制、金融遮断。国家は武器を撃たなくても、相手国を衰弱させることができる。そしてこの戦いを最も早く、最も露骨な形で体現してきた政治家こそ、トランプであった。

世界はすでに、自由貿易体制の延長にはいない。国家が供給網・通商・金融を戦略的に管理する時代に入っている。しかもそれは、全面遮断ではない。重要分野だけを選別して囲い込む、選択的・戦略的分断である。これはブロック経済ではない。経済の軍事化である。

この変化が、我が国にとって持つ意味は極めて大きい。だがその前に、日本社会に刷り込まれてきた幻想を一つ、打ち破っておく必要がある。
それは、「日本は貿易立国であり、外需に依存しなければ生きていけない」という通念である。


現実はまったく違う。日本のGDPに占める輸出の割合は、近年17〜20%前後にすぎない。米国はさらに低く、10〜12%程度である。両国はいずれも、経済の大半を国内需要で回す内需国である。

しかも歴史的に見れば、この水準ですら高い。高度成長期から1980年代前半にかけて、日本の輸出比率は7〜9%前後、米国は5〜7%程度にとどまっていた。日米はいずれも、戦後の長い期間、ほぼ完全な内需国として成長してきたのである。

現在の水準は、1990年代以降のグローバリズム拡張局面で一時的に外需比重が高まった結果にすぎない。にもかかわらず、日本はあたかも生来の輸出国家であるかのように語られてきた。

真の輸出国家は別に存在する。ドイツ、韓国、オランダ、シンガポール。輸出比率30〜50%の国々である。これらの国は、制裁や市場喪失の衝撃を経済全体がまともに受ける。

内需国である日米は違う。巨大な国内市場は、経済戦争の時代において強力な緩衝材となる。皮肉にも、これは現代における大きな強みである。

3️⃣第三章 緊縮の失敗と基盤喪失──国家はどうして弱くなったのか

問題は、我が国の政治と政策当局が、この現実にいまだ十分向き合っていないことである。いまなお、「国際協調」「多国間主義」「自由貿易体制」という言葉が、呪文のように唱えられている。その背後には、長年にわたる金融引き締めと緊縮財政という大失敗がある。

日本は景気回復局面でも引き締めに転じ、増税と歳出抑制を繰り返し、成長力を自ら削いできた。その結果、「内需では成長できない」「外に頼るしかない」という発想が定着した。こうして、グローバリズムは政策失敗を覆い隠す免罪符として過信されてきたのである。

だが、その代償を払っているのは日本だけではない。米国自身が、その典型となりつつある。

製造業は海外へ流出し、軍需産業すら効率化と外注に委ねた。その結果、産業基盤と軍事基盤は目に見えて痩せた。艦艇の建造と修理は遅延が常態化し、即応力は低下している。通常型潜水艦を自国で量産する能力すら失い、同盟国に依存せざるを得ない。造船業の能力不足は、すでに戦略上の弱点として顕在化している。

ドックに入った軍艦 米国

これは偶然ではない。
グローバリズムを過信し、国家が基盤産業を管理しなかった帰結である。

しかし世界は、すでにその前提を捨て始めている。国連は前提ではなくなり、WTOは機能不全に陥り、同盟すら条件付きの時代である。ダボスでトランプが主役になるという光景は、秩序の中心がグローバリズムから国家主導の対立秩序へ移ったことを、誰の目にも見える形で示している。

ここで問われるのは、我が国がどこに立つのかである。供給網をどう守るのか。エネルギーをどう確保するのか。通貨と金融をどう守るのか。これらはいずれも理念ではなく、生存の問題である。

ダボスでトランプが主役になる。この一場面は単なる国際ニュースではない。それは、グローバル秩序の終焉、経済戦争の本格化、国家の生存競争の再開を象徴する、時代の転換点である。いま我々が生きているのは戦後秩序の延長ではない。すでに次の世界である。問題は、我が国の政治と社会が、その事実をどこまで自覚しているかである。


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決断しない国は淘汰される──経済が「戦場」になった世界で、来るべき選挙が問うもの 2026年1月17日
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2026年1月18日日曜日

中国経済の虚構と、日本が持つべきリアリズム──崩壊しないのではなく、崩壊できないのだ


まとめ
  • 中国経済が「まだ持っている」ように見えるのは、強さの証明ではない。問題を解決せず、弥縫策を繰り返してきた結果、崩壊が許されない構造に追い込まれているだけだ。崩れないのではなく、崩れられない。この逆転を理解しなければ、中国経済を見誤まる。
  • しかも、その延命は経済政策だけで成り立っていない。監視と弾圧で不満を抑え込み、日本や西欧を「外部の敵」に仕立てることで、国民の怒りが体制に向かうのを避けている。経済停滞と対外強硬が同時に進むのは、体制維持のために選ばれた必然だ。
  • この構造を最も分かりやすく示すのが台湾問題である。台湾は地政学的争点であると同時に、国内不満を外に逃がすための装置だ。中国経済と台湾問題を切り離して考える限り、我が国は現実を見誤り続ける。

中国経済は崩壊はしていない。GDPは統計上、なお成長を示し、工業生産も完全には止まっていない。そのため、「中国崩壊論は誇張だ」とする声はいまも根強い。しかし、それは中国経済が健全であることを意味しない。問題の核心は別にある。中国経済はすでに、国家の正当性を支える装置として機能不全に陥っているという点だ。

この点については、拙稿
中国経済は『崩壊』していない ──だが中国共産党の正当性は、すでに回復不能点を超えた
で詳しく論じた。そこで示したのは、中国共産党が経済成長という交換条件を失い、体制の正当性がすでに回復不能点を越えているという現実である。

本稿は、その議論を前提に、さらに踏み込む。問いは単純だ。
正当性を失ったにもかかわらず、なぜ中国経済は「今も動いている」ように見えるのか。

1️⃣不可解さの正体──体制優先という国家像


従来から中国経済には、経済合理性だけでは説明できない現象が続いてきた。不動産市場は事実上崩壊しているにもかかわらず、金融危機は表面化しない。地方政府は深刻な債務を抱えながら、破綻処理は行われない。若年失業は社会問題化しているはずなのに、統計から忽然と姿を消した。外資は明確に撤退しているのに、国家は危機感を示さない。

これらは確かに不可解に見える。しかし、不可解なのは現象そのものではない。中国をどのような国家として認識するかという、認識の仕方の誤りに原因がある。

中国を「経済成長を最優先する国家」と認識すれば、これらの動きは理解不能になる。しかし視点を変えれば、すべては一本の線でつながる。中国共産党は、経済よりも体制維持を最優先している。この単純な事実を見落とすと、中国経済は永遠に理解できない。

その典型例が、2020年から2022年にかけてのゼロコロナ政策である。都市封鎖、物流停止、工場閉鎖が繰り返され、中国経済は自ら深刻な打撃を受けた。それでも政策は長期間維持された。経済合理性が優先される国家であれば、早期に修正されていたはずだ。だが、そうはならなかった。ゼロコロナは感染症対策ではない。社会統制の完成度を高めるための実験だったのである。

同じ構図は、民間IT企業への締め付けにも現れている。巨大IT企業は、ある日を境に厳しい統制下に置かれた。問題は独占ではない。国家の管理外で影響力を持つ存在を許さない、ただそれだけの理由だ。さらに象徴的なのが、若年失業率の統計公表停止である。失業を減らせないなら、数字を消す。これは経済を優先する国家の判断ではない。体制の方を重視する国家の判断である。

2️⃣弥縫策の積み重ねと、統治技術による延命

もっとも、中国経済の異様さは体制優先だけでは説明しきれない。もう一つの要因がある。それは、中国経済が問題を解決せず、弥縫策を繰り返してきたという事実だ。

不動産バブルが崩れれば、市場清算は行わず、地方政府や国有銀行に負担を回す。地方政府が行き詰まれば破綻処理は避け、融資を継ぎ足す。失業が深刻化すれば、雇用対策ではなく統計そのものを消す。これらは改革ではない。時間を買うための弥縫策である。

重要なのは、これが一時的対応ではなく、二十年以上にわたり繰り返されてきた点だ。その結果、中国経済は「崩れない」のではなく、崩れきれず、歪みを内部に溜め込み続ける構造になった。外から見れば粘り強く映るが、それは健全さの証明ではない。

中国の監視カメラ

さらに近年、中国共産党の延命は、弥縫策だけでは成り立たなくなっている。経済的な継ぎはぎの背後で稼働しているのが、監視・弾圧・外部敵視という統治技術である。個人の移動、通信、消費、交友関係を可視化し、不満の芽を初期段階で摘み取る。弾圧は全面的ではない。選別的に行い、見せしめと自己検閲によって沈黙を内面化させる。

こうして不満は噴き出さない。しかし消えもしない。行き場を失った怒りは圧縮される。その圧力を逃がすために必要なのが、外部の敵である。経済不振は外国の妨害、技術停滞は西側の制裁、日本や西欧諸国は怒りを受け止めるための格好の対象となる。これは偶然ではない。体制維持に不可欠な工程だ。

ここで、はっきりさせておくべき事実がある。
経済は、適切な形で一度崩壊した方が、国家として健全になる場合がある。

その典型が、1997年の通貨危機を経験した韓国である。韓国経済は当時、財閥主導の過剰投資と不透明な金融慣行によって深刻な歪みを抱えていた。危機は痛みを伴ったが、破綻処理と構造改革を受け入れた結果、財務体質は改善され、企業統治も透明化された。失われた信用は、改革を通じて取り戻されたのである。崩壊は終わりではなかった。再生の起点だった。

さらに遡れば、デンマークもまた、国家としての再出発を経験している。1980年代、デンマークは高失業率、慢性的な財政赤字、競争力の低下という「国家病」に陥っていた。しかし政府は問題を先送りせず、痛みを伴う財政再建と制度改革を断行した。結果として、デンマークは「高福祉・高競争力」を両立する国家へと転じた。ここでも、必要だったのは延命ではなく、一度壊して組み直す覚悟だった。

この二つの事例が示すのは単純な教訓である。
崩壊そのものが国家を滅ぼすのではない。崩壊を恐れて歪みを放置することが、国家を蝕む。

中国経済は、まさにその逆を選び続けてきた。過剰債務は整理されず、不動産バブルは清算されない。問題は解決されることなく、弥縫策によって覆い隠される。その代償として、監視と弾圧が強化され、外部に敵が作られる。これは再生への道ではない。破断を先送りすることで、より大きな不安定を蓄積する道である。

韓国やデンマークが選んだのは、短期的な痛みを受け入れる代わりに、長期的な安定を取り戻す道だった。中国が選んでいるのは、痛みを受け入れずに、国家全体を不安定な均衡に閉じ込める道である。この差は決定的だ。

3️⃣台湾問題は、地政学だけではなく国内統治の延長でもある

この視点から見れば、台湾問題は驚くほど理解しやすくなる。台湾は軍事的要衝である。それは否定しない。しかし同時に、中国共産党にとって国内統治のための装置でもある。

経済不安が高まり、若年層の不満が蓄積する局面で、「統一」という大義は国民の視線を一気に外へ向ける力を持つ。体制が直接批判を浴びそうになるたびに、焦点を外に移す。その役割を、台湾ほど効果的に果たせる対象はない。

注目すべきは、台湾問題が常に温度管理されている点だ。全面戦争に踏み切るわけでもなく、完全に沈静化させるわけでもない。軍事演習、威嚇、強硬な言辞──それらは国外向けであると同時に、国内向けの演出でもある。

中国と台湾

台湾問題が未解決であり続けること自体が、体制にとって都合がよい。解決してしまえば、新たな外部敵視の対象を用意しなければならない。だから中国共産党は、台湾問題を解決しない。使い続ける。尖閣問題も同じ構造である。

ここまで見れば、中国経済の不可解さはもはや不可解ではない。
弥縫策で経済を塞ぎ、監視と弾圧で不満を圧縮し、外部敵視で怒りを転嫁する。この三つが組み合わさることで、中国は「崩れないが、健全でもない」状態を維持している。

しかし、この構造はきわめて危うい。いずれか一つが機能しなくなった瞬間、圧縮されてきたものは一気に噴き出す。そのとき起きるのは、穏健な改革ではない。制御不能な破断である。

日本が警戒すべきは、「中国はいずれ崩壊する」という安易な崩壊論ではない。崩壊自体はプラスとは言えないものの、崩壊してしまえば、現体制は崩れ民主的な体制に転換する可能性がある。真に危険なのは、崩壊しないまま、不安定な状態が長く続く中国である。

幻想にすがる国は、必ず現実に殴られる。
我が国に必要なのは善意ではない。
冷徹なリアリズムである。

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2026年1月17日土曜日

決断しない国は淘汰される──経済が「戦場」になった世界で、来るべき選挙が問うもの



まとめ
  • 世界はすでに「決断を前提に動く段階」に入っている。経済は中立な市場ではなく、資源・技術・供給網・情報が国家間競争そのものになった。決断できる国だけが枠内に残り、迷い続ける国は敵視される前に「相手にされなくなる」現実が始まっている。
  • 日本は立ち遅れているのではない。だが、前提が社会全体で共有されていない。政策中枢では経済安保への対応が進み、リスクは確実に下がっている。一方で、世論や報道は旧来の前提に引きずられがちだ。この認識の段差が、次の判断を誤らせる最大の要因になっている。
  • 来るべき選挙で問われるのは、政策の細部ではなく前提の理解だ。給付か減税かではない。経済が戦場になった世界を前提に判断できるかどうかである。決断しない国が淘汰される時代に、有権者自身の認識が、そのまま国家の進路を決める。
先日このブログに掲載した、世界経済フォーラム(通称ダボス会議)の警告は、もはや予測でも議論でもない。現実である。グローバリズムが機能不全に陥り、経済そのものが国家間対立の主戦場になったという事実は、すでに動かしようがない前提となった。

それでも、あらためてこのテーマを取り上げる理由は一つしかない。ここ数日の世界の動きですら、それまで「警告」として受け止められていたものを、各国が実際に行動を決めるための前提条件へと明確に押し上げてしまったからだ。世界は今、前提を切り替えた国と、切り替えられない国を、静かに選別し始めている。

1️⃣経済はすでに戦場になった──トランプ発言と世界の前提転換


その象徴が、ドナルド・トランプ大統領によるグリーンランドをめぐる発言である。米国大統領が、同盟国デンマーク領であるグリーンランドに対し、安全保障と資源の観点から強い関心を示した。この発言を、日本の多くの報道は「突飛」「過激」と片付けた。しかし世界は違う受け止め方をしている。

グリーンランドには、レアアース、ウラン、北極航路、米軍基地がある。これは領土欲ではない。資源・供給・軍事拠点を一体で押さえるという、現代国家戦略が露骨な形で言語化された瞬間である。この一言で、「資源は市場で買えばいい」「経済と安全保障は別物だ」という前提は、事実上崩壊した。

この変化を裏付けたのが、世界経済フォーラムの年次リスク評価である。短期的に世界へ最も深刻な影響を与える最大のリスクとして挙げられたのは、戦争でも気候変動でもない。大国間の経済対立だった。英米欧では、これは分析材料ではない。政策立案と投資判断の前提として、すでに共有されている認識である。

一方、日本ではどうか。「国際会議の一報告」「そういう見方もある」という扱いにとどまり、前提が切り替わったという自覚は乏しい。この温度差が、国家の行動速度を決定的に分けている。

2️⃣日本は本当に遅れているのか──高市氏の先見性と、伝えられない前提

高市早苗氏は経済安保の書籍を執筆していた

ここで一つ、修正しておかなければならない誤解がある。
日本は「最近になって慌てて経済安全保障を語り始めた国」ではない。

高市早苗氏は、政権発足以前から一貫して、経済・技術・供給網・情報保全を国家安全保障の中核に据えるべきだと主張してきた。半導体、エネルギー、先端技術、研究情報、対中依存リスクに関する発言を振り返れば、その一貫性は明白である。現在の政策転換は、場当たり的な対応ではない。従来からの問題意識が、世界の前提転換によって政策として表に出ただけだ。

この点で、従来の政権と現在を同列に論じるのは正確ではない。少なくとも政策中枢レベルでは、経済安全保障に関するリスクは明確に低減している。経済安保は周辺論点から政策の中核へ移動し、理念ではなく「継続できるか」「制御できるか」という基準で評価されるようになった。これは、何もしていない国と、最低限の前提更新を終えた国との差である。

にもかかわらず、日本社会全体ではその変化が十分に共有されていない。その大きな要因が、日本のマスコミ報道の構造にある。日本の報道は出来事を伝えることには長けているが、「前提そのものが変わった」という変化を扱う設計になっていない。誰が何を言ったか、何が起きたか、賛否はどうか。そこまでは伝える。しかし、なぜその判断が不可避になったのかという前提は、あまり語られない。

その結果、日本では「経済安保は規制強化だ」「自由貿易への逆行だ」といった表層的な理解が先行する。政権中枢では前提が更新されているのに、社会全体では共有されない。この認識の段差こそが、現在の日本の不安定さの正体である。

3️⃣制度としての守りと、有権者が示し始めた分岐点

経済が戦場になった世界では、技術、研究成果、企業内部情報、データはすべて戦略資産である。それにもかかわらず、これらを海外勢力による流出から守る制度が弱ければ、産業政策は必ず空洞化する。

ここで核心をはっきりさせる。スパイ防止法は「あれば望ましい制度」ではない。経済が戦場になった世界では、不可欠な国家インフラである。研究所や大学、企業からの技術流出、サプライチェーン内部情報、重要インフラの設計データ。これらは、戦車やミサイルと同じく国家の競争力そのものだ。守れない国は、同盟からも投資からも、静かに外される。

では、有権者はこの前提を理解しているのか。
必ずしも悲観する必要はない。その根拠の一つが、昨年の石丸慎二氏の敗北(都議選全敗、参院選議席獲得ならず)である。


石丸氏の政治姿勢は、極めて純化されたグローバリズムに立脚していた。市場原理と制度改革を万能視し、国家主権や経済安全保障を前面に出さない。一方で、供給網断絶や技術流出といった現実的リスクに対する制度論は乏しかった。これは人物評価の問題ではない。前提がすでに崩れた世界観に立っていたことが決定的だった。

広範な支持を得られなかった背景には、有権者が「その前提では国は持たない」と直感的に理解し始めていた現実がある。他方で、グローバリズムを単純に善と信じる層が消えたわけではない。その象徴が鈴木直道北海道知事である。理念先行の国際協調や外資依存を疑わない姿勢は、旧来の前提がなお一定の支持を持つことを示している。

日本社会は今、前提を更新した層と、更新できていない層が併存する分岐点に立っている。

結論──問われているのは新たな覚悟ではなく、整理である

日本が捨てるべきなのは、「曖昧でいることが安全だ」という幻想である。この世界で曖昧な国は、敵にも味方にもならない。ただ、計画から外されるだけだ。一方、日本が取り戻すべきものは新しくない。約束を守る制度、政策の連続性、技術と現場を尊重する文化。これらは、すでに日本が持っているものだ。

問われているのは、新たな覚悟ではない。
すでにある覚悟を、現実に耐える形へと鍛え直すことである。

世界はすでに前提を切り替えた。有権者もまた、その現実をかなりの程度まで理解し始めている。問題は、それを制度として完成させるかどうかだ。

来るべき衆院選は、過去の前提に投票するのか、それとも現実の前提を定着させるのかを問う選挙になる。

条件は、すでに揃っている。
覚悟も、すでにある。

あとは、それを使い切るかどうかだけだ。

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来るべき衆院選の最大争点は「対中」だ──決められない政治を終わらせる選挙 2026年1月12日
「決めない政治」が最も濃縮されて現れるのは対中国だ、と真正面から突きつける一編だ。経済・安保・外国人政策が一本の線でつながり、選挙とは結局「前提を更新できるか」を問う場だと分かる。いまの迷いが、どうやって日本の選択肢そのものを削ってきたかが腑に落ちる。 

なぜ冒頭解散すべきなのか──岸田・石破が残した「決めない政治文化」との決別 2026年1月11日
「検討する」を連呼しながら最終判断を避ける政治が、安保・経済・外交・エネルギーを一気に空洞化させる。その構図を一つの流れとして描き、なぜ強い手段が必要になるのかを政局ではなく政治文化の問題である。

国連はもはや前提ではない──国際機関・国際条約から距離を取ったトランプ政権と、日本に巡ってきた静かな主役交代 2026年1月9日
国際機関を「前提」として語ること自体が時代遅れになった、という現実を突きつける。米国の動きを孤立ではなく合理的撤退として読み替え、空白が生まれたとき日本は傍観者でいられるのかを迫る。グローバリズム後の世界観を一段深く理解できる。 

国は戦争で滅びるという思い込みが、なぜ危険なのか──国家を殺すのは『連続性の断絶』だ 2026年1月7日
「崩壊は戦場で始まるのではない」という視点が、いまの経済安保の議論に直結する。国家は派手な事件で死ぬのではなく、連続性が断たれた瞬間に終わる。だからこそ、日々の先送りが一番危ないのだ。

半導体補助金に「サイバー義務化」──高市政権が動かす“止まらないものづくり国家” 2025年11月25日
経済安保が「掛け声」ではなく制度に落ちていく瞬間を描いた具体例だ。補助金が単なる支援ではなく、国家の生命線を守る仕組みに変わるという転換が分かる。経済が戦場になった世界で、何を守るべきか。

2026年1月16日金曜日

立憲と公明のようなリベラル・左派と宗教的中道派は、なぜ必ず決裂するのか ──理念で引き合い、理念の暴走で壊れる政治連携の宿命


まとめ
  • この論考は、「なぜ連携が失敗したのか」ではなく、「なぜ必ず失敗する構造なのか」を解き明かす。立憲と公明に限らず、海外でも繰り返されてきたリベラル・左派と宗教的中道派の決裂は、偶然や相性の問題ではない。理念で引き合いながら、理念の扱い方の違いによって必然的に壊れる。その構造を、具体例とともに描き出す。
  • 同時に、改革を可能にする条件として「改革の原理としての保守主義」を捉え直す。保守主義とは反改革でも反理念でもない。理念が暴走しないよう、現実側に制御装置を組み込む思考法である。理念が正しいほど危うくなる瞬間があるという逆説を通じて、なぜ理念主導の政治が社会工学実験へと傾きやすいのかを示す。
  • そして本稿は、次の選挙で有権者が何を見ているのかを「壊れにくさ」という感覚から描く。経済、安全保障、外交、エネルギー、社会構造、移民、親中。有権者は理念の是非ではなく、理念が暴走したときに社会と国家が耐えられるかを測っている。この静かなブレーキこそが、これからの政治を左右する核心である。

1️⃣改革の原理としての保守主義──理念は必要だが、暴走は許されない

経営学の大家ドラッカーも著書で「改革の原理としての保守主義」を主張

本稿の出発点は、「改革の原理としての保守主義」にある。
ここで言う保守主義とは、懐古でも現状維持でもない。ましてや、理念を否定する思想でもない。理念を持たない政治は、方向を失い、漂流するだけである。

元来、保守主義とは「改革を否定する思想」ではなかった。
それはむしろ、改革が避けられないことを前提としたうえで、社会が耐えられる速度と範囲を管理しようとする思考であった。社会は一度壊れれば元に戻らない。人間は理念通りに設計できる存在ではない。制度は完成形ではなく、妥協と修正の積み重ねでしか機能しない。こうした現実認識こそが、保守主義の原点である。

したがって、改革の原理としての保守主義が問題にするのは、理念そのものではない。
問題にするのは、理念が検証や修正を拒み、自己目的化したときに起きる「理念の暴走」である。

保守主義が改革に条件を付けるのは、そのためだ。
速度を制限し、影響範囲を区切り、途中で立ち止まり、引き返す余地を残す。
それは理念を抑圧するためではない。理念が現実を壊さないよう制御するためである。

この視点を欠いた政治は、善意であっても必ず危うくなる。
そして、リベラル・左派と宗教的中道派の政治連携が、繰り返し同じ地点で破綻してきた理由も、ここにある。

2️⃣理念で引き合い、中国との親和性が高く、理念の暴走で壊れる政治連携

立憲民主党と公明党という組み合わせは、日本では「現実的な選択肢」として語られがちだ。しかし、この構図は日本固有のものではない。海外ではすでに何度も試され、そのたびに同じ結末を迎えてきた。

イタリア、ドイツ、韓国、スペインに共通するのは、リベラル・左派と宗教的中道派が、ともに理念を政治の中心に据えた点だ。リベラル・左派は普遍的正義や進歩を掲げ、宗教的中道派は信仰や倫理といった超越的価値を重んじる。一見すると対立しているようで、両者は「理念を軽視しない」という一点で強く引き合う。

しかし、この親和性こそが不安定さの源泉になる。
リベラル・左派の理念は、社会を作り替える方向へ向かう。
宗教的中道派の理念は、社会に内在する秩序を前提に、それを導こうとする。
理念を重んじる点では一致しても、理念の向きは決定的に異なる。

無論現在の公明党を宗教的中道派と呼べるのかと考える人も多いだろう。少なくとも、公明党の現執行部を中道派と呼ぶことはできない。

むしろ、リベラル・左派的という評価の方が正しいだろう。しかし、支持母体の多くの創価学会員は、本来の宗教的中道派的な考えが強いのではないか。

だから、立憲はリベラル・左派的な傾向を強く打ち出すことはせず、中道色を打ち出すのではないか。

ここにもう一つ重要な要素が加わる。
それが、中国との親和性である。

リベラル・左派は、理念を制度に直接実装しようとする点で、社会を設計可能な対象として捉えがちだ。宗教的中道派もまた、倫理や信仰という「上位原理」を社会に投影しようとする点で、理念を現実より優先する傾向を持つ。この二つは方向こそ異なるが、理念を統治原理の上位に置くという点で、中国の体制と親和性を持ちうる。

中国の一人っ子政策は、壮大な社会工学実験の一つ

中国は、社会を自生的秩序ではなく、設計・管理される対象として扱う国家である。理念と統治が直結し、検証や修正よりも一貫性が重んじられる。この構造に対し、リベラル・左派は「進歩」や「普遍性」の名で、宗教的中道派は「倫理」や「調和」の名で、距離を詰めやすい。

だが、その結果として生じるのは、理念を止める装置を欠いた政治である。
理念の正しさが、そのまま実装の正当性にすり替わり、改革は調整ではなく実験へと変質する。
海外で繰り返された連携崩壊は、この構造の帰結だ。

自民党と公明党の連携が長年続いた理由も理念で説明がつく。両党の連立は、理念の一致にあったのではない。自民党は多様な派閥と業界団体を抱える典型的な利権集団であり、党内は一枚岩ではなかった。

公明党も宗教的理念を国家改造の原理として前面に押し出すことを避け、両党は理念よりも政策ごとの利害調整を重ねてきた。その結果、この連携は理想ではなく、時には公明党の理念が自民の足を引っ張ることもあったが、それでも理念が暴走しにくい現実対応の構造として機能してきたのである。しかし、理念色が強い立憲とは最初から反りが合わないだろう。

3️⃣有権者が選挙で測る「壊れにくさ」という感覚

この構造を踏まえるなら、我が国の次の選挙で起き得るのは、理念的な大転換ではない。むしろ、海外でも見られた有権者が無意識に理念の暴走にブレーキをかける現象である。


有権者が見ているのは、正しさではない。
社会と国家が耐えられるかどうかだ。

経済は壊れないか。そんなことよりも、はるかに現実的である。
安全保障は空洞化しないか。
外交は不可逆な孤立へ向かわないか。
エネルギーは不安定化しないか。
社会構造は急進的改変によって空白を生まないか。

そして近年、移民政策と親中姿勢が、この「壊れにくさ」を測る最大の指標になっている。移民は速度と統合の失敗が社会分断を生む。親中はさらに深刻で、国家の自己決定能力そのものを削る。昨年の世界は、その傾向だったし、日本も同傾向であった。高市政権成立がそれを十二分に示したと言える。

しかし、有権者が嫌うのは理念そのものではない。
理念が暴走し、止められなくなる状態である。

結論──改革とは、理念を掲げるだけでない

政治に理念は不可欠だ。
だが、理念を現実の上位に置き、検証も修正も許さなくなった瞬間、政治は社会工学実験へと変質する。

改革とは、理念を一足飛びに実現することではない。それは改革ではなく破壊である。
理念が暴走しないよう、現実の中に制御装置を組み込むことである。それで初めて改革は、現実的となり成功の見込みが立つ。それなしの、改革は改革ではなく理念の暴走に過ぎない。

それこそが、元来の意味における「改革の原理としての保守主義」であり、
リベラル・左派と宗教的中道派の連携が共有できなかった決定的な存立の前提である。

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2026年1月15日木曜日

世界経済フォーラムの警告 ──グローバリズムが壊れた世界でこそ日本が必要とされる


1️⃣世界はどこで変わったのか──グローバリズムの前提が崩れた瞬間

世界はすでに、引き返せない地点を越えている。その変化を、感覚や雰囲気ではなく、言葉として整理してきた場がある。それが 世界経済フォーラム(WEF)である。

WEFは毎年、スイス・ダボスで年次総会を開き、各国の政治指導者、中央銀行総裁、企業トップ、研究者らが集まり、世界経済と国際秩序のリスクを共有してきた。その過程で公表される年次のリスク評価は、特定の国益や思想を主張するものではない。世界の意思決定層が、いま何を最大の不安要因として認識しているかを可視化したものである。

直近では、2026年1月、ダボス会議を前に公表された最新のリスク評価において、短期的に世界へ最も深刻な影響を与える最大のリスクとして挙げられたのが、戦争や感染症ではなく、大国間の経済対立であった。これは予測ではない。すでに起きた現実を踏まえた総括である。

WEFの会場

ここで注目すべきは、この指摘を行った主体がWEFであるという事実そのものだ。WEFは長年にわたり、自由貿易、国境を越えた資本移動、国際分業といったグローバリズムを前提とする世界観を共有してきた場である。すなわち、経済的相互依存が深まれば国家間の対立は抑制され、世界はより安定するという発想を、最も強く信じてきた側の集まりであった。

そのWEFが、最大のリスクとして「大国間の経済対立」を挙げたという事実は、単なる危機認識の更新ではない。グローバリズムを前提としてきた側自身が、その前提がすでに崩れ、経済が協調の手段ではなく、対立と分断の道具に変質した現実を公式に認めたという意味を持つ。これは楽観論の修正ではない。グローバリズムという世界秩序の基盤が揺らいでいることの確認である。

ロシアはウクライナ侵攻後、金融制裁によって巨額の外貨資産を事実上使えなくなった。一方、ロシア産エネルギーへの依存を急激に断った欧州、とりわけドイツは、エネルギー価格の高騰に直撃され、製造業の競争力を大きく損ねた。制裁される側だけが傷ついたのではない。経済対立とは、相互依存を前提に築かれた秩序そのものを壊す行為であり、仕掛けた側もまた必ず代償を払う。

米中対立も同じ構図にある。先端半導体、製造装置、設計ソフトを一体で封じることで、中国の先端開発は世代単位で遅れた。これは市場競争ではない。相手を技術的に到達不能にする政策である。経済はもはや効率や利益の道具ではない。相手の選択肢を奪うための武器として使われている。

2️⃣日本は何を持ち、なぜ迷っているのか──強みと主導権、そして判断が下されなかった構造

世界中の半導体工場で日本の原材料が用いられている

この世界において、「日本は無防備だ」という評価は正確ではない。我が国は、代替が極めて困難な強みを数多く持っている。半導体材料分野だけを見ても、フォトレジスト、シリコンウエハ、精密研磨材、洗浄・成膜関連材料など、日本の供給が止まれば世界の製造ラインが止まる領域は少なくない。

象徴的なのが、先端半導体パッケージに不可欠なABFである。これを事実上独占的に供給しているのが 味の素 だ。ABFはCPUやGPUの基板に欠かせない材料であり、代替技術は長年試みられてきたが、量産性と信頼性の壁を越えられていない。これは高いシェアという話ではない。他に選択肢が存在しないという意味での独壇場である。

日本の強みは半導体材料に限られない。超精密工作機械、特殊鋼、炭素繊維、高機能磁性材料、精密部品。航空宇宙、防衛、エネルギー、医療といった分野で求められる水準を、安定して満たせる国は多くない。我が国は、世界の産業を下から支える不可欠な力を、すでに握っている。

それでも危うさが消えないのは、これらの強みが国家の主導権に転換されていないからだ。日本は産業の「喉元」を押さえているが、設計思想や標準、投資判断といった「頭脳」と「心臓」は海外にある。最も現実的なリスクは全面遮断ではない。材料は買われ続けるが、次世代の議論から静かに外される。強みを持ちながら、戦略の中心から外されることこそが最大の危機である。

この状況を生んだのは、政治・官僚・企業の分業構造である。政治は票にならず短期成果も見えない領域に踏み込まなかった。官僚は与えられた前提を最適化することには長けていたが、その前提が崩れる事態を想定し、壊す権限を持たなかった。企業は政治と距離を取ることで成功してきた合理的判断の結果、国家戦略から距離を置いた。三者はそれぞれ合理的だったが、合成すると誰も全体判断を下さない構造が完成した。

3️⃣それでも日本は選び直せる──現実主義による主導権回復

2023年、札幌で開催された。G7気候・エネルギー・環境大臣会合

この構造を壊す方法は、空想ではない。必要なのは、政治主導による前提転換である。半導体材料や精密加工技術を、単なる産業競争力ではなく国家安全保障資産として明確に位置づけ、何を守り、何を交渉カードとして使うのかを言語化することだ。これは管理や統制ではない。国家としての意思表示である。

同時に、非常時を想定した制度設計を平時から行う必要がある。遮断が起きてから考える国は、必ず後手に回る。供給の優先順位や同盟国との補完関係を、事前に共有しておくことが不可欠だ。

ここで重要な示唆を与えるのが、欧州連合(EU)の規範主導である。EUは、規制や基準を通じて市場参加の条件そのものを書き換えてきた。環境規制やデータ保護、製品安全基準は、EU域内のルールでありながら、結果として世界標準となり、各国企業の行動を縛る力を持った。

しかし同時に、EUの規範主導は万能ではない。理念が先行し、現実の産業構造や技術成熟度を十分に踏まえなかった結果、自縄自縛に陥った例も少なくない。エネルギー政策や自動車分野における規制の迷走は、その象徴である。規範は強力だが、運用を誤れば自らの競争力を削ぐ。

この点で、日本はEUと決定的に異なる立ち位置にある。日本は、実際に作り、壊れ方を知り、直してきた国である。現場を知るがゆえに、理念先行ではなく、実装可能性を前提にした規範を示すことができる。技術、供給、信頼、そして規範を束ねたとき、日本は単なる部品供給国ではなく、産業秩序の設計者になれる。

最終結論──日本は今こそ世界にとって不可欠な国である

強みを持たない国が周縁に置かれるのは、国際社会の自然な流れである。しかし日本は、その側にはいない。我が国は、世界が本気で必要とする強みを、すでに持っている。半導体材料、ABF、精密加工、高機能素材、そして長年積み上げてきた信頼。これは偶然でも、過去の遺産でもない。世界の産業が現実に依存してきた力である。

ここで見落としてはならないのは、日本が周縁国になってしまえば、それは日本だけの損失ではないという点だ。日本の強みは、他国を押しのけるための力ではない。世界の産業が安定して動き続けるための、静かな土台である。その土台が弱まれば、サプライチェーンは不安定化し、技術の信頼性は揺らぎ、結果として世界全体が不確実性を背負う。

日本は、供給を振り回す国ではない。約束を守り、品質を守り、淡々と責任を果たしてきた国である。だからこそ日本は、力の誇示ではなく、信頼によって世界の中枢に位置してきた。その日本が周縁に退くことは、世界にとって「安全装置」を一つ失うことに等しい。

問題は、日本に力があるかどうかではない。その力を、国家として使う決断をするかどうかである。周縁国とは、最初から選ばれなかった国だ。しかし日本は違う。日本は、選ばれる資格を持ち続けている国であり、同時に世界から期待され続けてきた国でもある。

世界は今、誰が声を張り上げるかではなく、誰が現実を支えられるかを見ている。日本が自らの強みを国家の意思として位置づけ、同盟と規範の中で静かに、しかし確実に使うなら、日本は周縁に追いやられるどころか、世界にとって不可欠な存在として再び中心に立つ。

日本は終わる国ではない。
選び直せる国である。
しかもそれは、日本のためだけではない。
世界にとって必要な選択である。

条件は、すでに揃っている。
残されているのは、覚悟だけだ。

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2026年1月14日水曜日

彼らはどこで道を誤ったのか──ベネズエラ、イランを巡るリベラル・左派思想の自己崩壊

まとめ

  • ベネズエラとイランで、リベラル・左派は人々の苦境よりも、米国が関与する可能性に強く反応した。本稿は、民衆から体制へと主語がすり替わった瞬間を具体例で追う。
  • 国際法は本来、人命を守るための規範だった。それがいつ、どのようにして、行動しないことを正当化する盾へと変質したのかを検証する。
  • 誰が何をしたかではなく、誰がどの属性に属しているかで善悪を決める思考は、米国発のアイデンティティー政治に起源を持つ。本稿は、その判断の型が国際政治に持ち込まれ、思想が内側から崩れていく過程を描く。

1️⃣民衆より体制が選ばれた瞬間──ベネズエラとイラン

イランの反体制派デモ

「もう世界のリベラル・左派は終わりではないか」。
これは感情論ではない。事実を時系列で追えば、誰にでも同じ結論に到達するという意味での判断である。

私たちは、ベネズエラとイランという二つの現場で、リベラル・左派が歴史の分岐点において誰を守り、誰を後景に退かせたのかをリアルタイムで目撃した。それは理念の問題ではない。選択の問題である。

ベネズエラでは、経済崩壊、食料・医薬品不足、反政府デモへの暴力的弾圧が長期にわたって続いてきた。にもかかわらず、国際的なリベラル言説が決定的に熱を帯びたのは、民衆の苦境が極限に達した時ではなかった。米国が軍事介入を排除しない姿勢を示したと受け止められた瞬間である。

その途端、議論の主語は人々の生活から外れ、「主権」「国際法」「内政不干渉」へと一斉に移動した。守られたのは民衆ではなく、体制の不可侵性だった。

イランでも構図は同じである。抗議運動が拡大し、死者が増え、弾圧の実態が可視化されても、初動は抑制的だった。転換点は、事態が深刻化する中でアメリカ合衆国が大量殺戮を看過しない可能性を示唆したと受け止められた段階である。この瞬間、焦点は現に起きている殺害から、「まだ起きていない軍事行動の是非」へとすり替わった。優先順位が明確に逆転したのである。

2️⃣国際法という「盾」──人道が退いた思想の縮退


ここで問うべき核心は、リベラル・左派が国際法をどう使ったかである。国際法は本来、暴力を抑制し、人の尊厳を守るための枠組みだ。ところがこの局面での国際法は、行動しないことを正当化する盾として機能した。

主権不干渉が絶対化され、国家が自国民に深刻な被害を与えても、「内政」という一語で思考が停止する。これは法の尊重ではない。法を用いた回避である。

この反応は偶然ではない。被害が可視化されると限定的な批判は行われるが、外部の圧力が意識された瞬間、論点は一斉に移動する。殺されている人ではなく、「西側、とりわけ米国が何をするか」が主語になる。この同時性は、思想的反射と呼ぶほかない。

ここで断定しておくべきことがある。
この思考様式の原型は、米国内で成熟したアイデンティティー政治にある。

誰が何をしたかではなく、誰がどの属性に属しているかを先に固定し、被害者と加害者を自動的に割り当てる判断の型である。この思考は、米国内の社会運動、大学、メディア空間で形成され、政治言語として定着した。

重要なのは、それが米国内にとどまらなかった点だ。この判断様式は、学界、NGO、メディアを媒介として西側諸国に輸出され、国際政治の解釈枠組みとして移植された。その結果、「非西側」「反米」という属性が先に被害者性を帯び、現実の弾圧や殺害は後景に退くという倒錯が生じた。

この文脈で、「人道的介入」という言葉はリベラル・左派の語彙から消えた。冷戦後、主権より人命を重視すると語ってきた当事者自身によってである。これは成熟ではない。思想の縮退である。

3️⃣同型は日本にもある──橋下徹氏、主要メディア、海外知識人


この構造は、海外の人権団体や欧米の一部知識人だけのものではない。日本の言論空間にも、ほぼ同型の反応が存在する。

その最も分かりやすい例が、橋下徹氏の見解である。橋下氏は一貫して、国際問題を論じる際に国際法を最上位の基準に据え、「侵略や武力行使は誰であれ同じ基準で批判されるべきだ」と主張してきた。一見すると公平で理性的に映る。

しかし問題は、その公平性が文脈を切り落とした抽象的平等にとどまっている点にある。国家行動は、目的、代替手段の有無、行動しないことがもたらす結果まで含めて評価される。それらを捨象し、「国際法違反か否か」という一点で思考を止めれば、結論は必ず同じになる。行動すべきではない。現状を維持すべきだ。

だがその現状とは、すでに人が殺され、抑圧されている状態である。橋下氏が独裁や弾圧を肯定しているわけではない。しかし論理を貫けば、結果として体制の継続を事実上容認する側に立つ。

日本の主要メディアでも同型の反応は繰り返されてきた。朝日新聞や毎日新聞の論調を見れば、体制の人権侵害を指摘しつつも、最終的な力点は常に「外部からの圧力は慎むべきだ」「国際法秩序を壊すな」に置かれる。主語は「いま殺されている人々」ではなく、「西側はどう振る舞うべきか」である。

海外でも同じ型が確認できる。ノーム・チョムスキーやバーニー・サンダースに代表される言説は、外部介入への警戒を最優先し、結果として行動しない理由だけを精緻化してきた。

結論

世界が力と秩序の再編期に入った今、理念に逃げる国から崩れていく。
現実を直視し、決断の責任を引き受けた国だけが生き残る。
日本もまた、その選別から逃れることはできない。

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