2015年9月20日日曜日

9・3天安門発のブラックジョーク 党指令型不況に気付かぬ首脳達 編集委員・田村秀男―【私の論評】無能な中共政府により、コントロール不能の中国経済は破綻するしかない(゚д゚)!

9・3天安門発のブラックジョーク 党指令型不況に気付かぬ首脳達 編集委員・田村秀男 


抗日戦勝記念パードにのぞむ、左よりプーチン、習近平、朴槿恵

 9月3日、「抗日戦勝記念日」の北京・天安門。習近平中国共産党総書記・国家主席と並んで立つ、ロシアのプーチン大統領や韓国の朴(パク)槿(ク)恵(ネ)大統領の顔が青空のもとで映えた。まるでブラックジョークだ。青天は8月下旬から北京とその周辺の工場、2万社近くに操業停止させた党中央の強権の成果だが、党指令による経済・金融政策はまさに支離滅裂。韓国、ロシアを含む世界のマーケットに巨大な嵐を送り込んでいるのだから。



 中国当局の政策はことごとく逆効果、あるいは裏目に出ている。中国人民銀行は8月下旬に預金金利を追加利下げした。「金融緩和策」と全メディアが報道したが、精査してみると真逆の「金融引き締め」である。短期金融市場では銀行間融通金利上昇が止まらず、6月初めに1%強だった金利は9月2日、2%を超え、預金金利より高くなった。銀行は低い金利で集めた預金を短期金融市場で回せばもうかることになるので、景気てこ入れに必要な貸し出しは増えないだろう。



 量のほうはどうか。中国人民銀行は一貫して発行する資金量(マネタリーベース)を増やす量的緩和を続けてきたが、この3月以降は減らし続けている。つまり、量的引き締め策をとっている。建前は金融緩和なのだが、内実は金融収縮策であり、デフレ圧力をもたらす。



 政策効果を台無しにする主因は資本の対外逃避である。資本流出は2012年から13年の不動産バブル崩壊以降、起こり始めたが、昨年秋から加速している。中国当局は厳しい資本規制を敷いているはずだが、抜け穴だらけだ。党の特権層を中心に香港経由などで巨額の資金が持ち出される。預金金利が下がれば、あるいは人民元安になりそうだと、多くの富裕層が元を外貨に替えて持ち出す。

 資本流出が怖い当局は金融緩和を表看板にしながら、実際には引き締めざるをえない。8月中旬、元相場を切り下げたが、その後は元相場の押し上げにきゅうきゅうとしている。どうみてもめちゃくちゃだ。

 資本が逃げ出す最大の背景は実体経済の不振にあり、上海株価下落は資本流出と同時進行する。不動産バブル崩壊が景気悪化を招いたのだが、もとをたどると、党がカネ、モノ、ヒト、土地の配分や利用を仕切る党指令型経済モデルに行き着く。

 08年9月のリーマンショックを受けて、党中央は資金を不動産開発部門に集中させた。国内総生産(GDP)の5割前後を固定資産投資が占め、いったんは2桁台の経済成長を実現したが、バブル崩壊とともに成長路線が行き詰まった。国有企業などの過剰投資、過剰生産があらわになり、国内では廃棄物や汚染物質をまき散らし、国外には輸出攻勢をかける。

 過剰生産能力はすさまじい規模だ。自動車生産台数はリーマン前の3倍の年産2400万台、国内需要はその半分である。粗鋼生産の過剰能力は日本の4年分の生産量に相当する。

 過剰投資がたたって国有企業などの債務は急増している。習政権は株式ブームを作り上げ、増資や新規上場で調達した資金で企業の債務を減らそうとしたが、株式バブル崩壊とともにもくろみは外れた。不動産開発の失敗で地方政府の債務も膨れ上がっている。党中央は危機を切り抜けようと、円換算で70兆円に達するともみられる資金を株価てこ入れ用に投入したが、不発だ。株価が下落を続けた分、不良債務が増える。



 リーマン後に膨れ上がった中国の生産規模は巨大すぎて調整は進みそうにない。党の強権で1週間程度は生産停止した北京近郊の不採算鉄鋼メーカーも、週明けからは操業を再開するだろう。大手国有企業は党幹部に直結しているのだから、大掛かりな整理淘(とう)汰(た)は無理だろう。




 グラフは、中国の実体景気を比較的正直に反映するとされる鉄道貨物量と、主要な国際商品相場の推移である。一目瞭然、中国景気の下降とともに、商品市況が崩れていく。エネルギー価格下落はロシアを直撃している。一次産品市況の下落は軍事パレードに招かれた一部のアジアやアフリカなどの産出国の首脳たちを苦しめているだろう。天安門で満面の笑みを浮かべた朴大統領は中国市場依存の危うさを感じないのだろうか。



 原油や原材料の消費国日本は商品市況下落の恩恵を受け、いっそうの金融緩和、円安の余地が生まれる。政府は中国景気に振り回されないよう、内需拡大策をとればよい。中国危機は日本にとってチャンスなのだ。

【私の論評】無能な中共政府により、コントロール不能の中国経済の破綻は必定(゚д゚)!


上の記事で、田村氏は、党指令型不況と述べています。これはどういうことかといえば、中国では経済と政治が明確に分離されていないということを意味しています。

中国は、共産主義はやめて資本主義に移行したのですが、資本主義とはいっても、国家が様々な統制や、介入を行う、国家資本主義に移行したのです。

そのため、政治と経済は不可分に結びついています。こういう体制では、株式市場への政府の介入も簡単にできますし、その他実体経済への介入もできます。他の先進国では考えられないことです。

田村氏が語るように、今回の中国の経済の悪化は、経済と政治がはっきりど分離されていないことが原因によるものです。これについては、このブログでは、田村氏とはまた別の切り口で、何度か掲載したことがあります。その最も新しい記事のリンクを以下に掲載します。

"

一番大きいのは、やはり、中国の個人消費はもともと少ないし、この少ない消費が今後さらに低くなる可能性が高いということがあげられると思います。

これについては、以前のブログでも掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
【お金は知っている】中国金融市場の自壊は変えようがない 外貨準備は「張り子の虎」―【私の論評】馬鹿の一つ覚えの経済政策が、今日の危機を招き後は崩壊するだけ(゚д゚)!
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事では日本が酷い円高・デフレだった期間の、日本と中国のGDPに占める個人商品の割合を比較したグラフを掲載しました。そのグラフを以下に掲載します。

名目GDP-民間最終消費支出対GDP比 赤=日本 青=中国
このグラフでわかるのは、中国は1998年からしばらくGDPに占める個人消費の割合が、40%台であったものが、2005年には40%を切り、2008年あたりから、35%で推移していることがわかります。

この間GDPは伸びて、中国はGDPが世界第2の水準になったとして、世界第二の経済大国を自認するようになりました。

しかし、現実には、中国の経済成長によって、個人消費は全く伸びず、そのままだったので、GDPが伸びても、個人消費の割合が減ったということを意味しています。

では、なぜこのようなことになったかといえば、中国の経済発展は、個人消費以外のものが伸びたということです。そうして、その最大のものは、インフラ整備などの公共工事です。鉄道、空港、港湾などの整備です。し

インフラ投資など、最初は実施すれば、それにともない人々の経済活動が活発になり、経済も伸びますが、それにも限界があります。その後、個人消費が伸びなければ、インフラ整備だけ実施しても、実体経済は伸びません。

中国の公共投資によって建築された建物 誰も使用せず鬼城化している

今まさに、中国の実体経済はそのような状況にあります。詳細に関しては、この記事に掲載してありますので、是非ご覧担ってください。

さて、ニュースを見ていると、日本国内では国内総生産(GDP)の数字が発表されたときに、デパートや飲食店の映像が流され、「背広を新しく買う人が増えた」とか、「外食する人が増た」など、個人消費に関することが報道されることが多いです。

これは日本では個人消費がGDPに占める割合が大きいので、こうした報道がなされるのです。日本の場合、経済成長の原動力は、あくまで、個人消費なのです。テレビなどを見ていると、政府がとてつもない天文学的な資金を投じて、道路や空港、港を整備したりして、その投資の額が頭に残って、莫大であると感じてしまうのですが、日本では、そんなことよりも、個人消費のほうが、経済発展に占める割合が圧倒的に大きいのです。

上のグラフで示したように、デフレのまっただ中でさえ、GDPに占める個人消費の割合は、6割近くあり、最近では6割を超えています。

さて、世界各国の個人消費がGDPに占める割合はどうかといえば、イギリス、ドイツ、フランス、ブラジル、インドなど、先進国の一部の国では、だいたい日本と同じ約6割を維持しています。

アメリカに至っては、個人消費がGDPに占める割合が7割を超えています。これらの国では、さまざまな事情はあるものの、概して、国民が将来に対して楽観的である、と言えると思います。日本で、過去の酷いデフレの期間に、これが60%を切っていたのは、やはり将来に対する不安を感じる人が増えたことによるものと考えられます。

一方で、ロシアの個人消費がGDPに占める割合は約5割、中国に至っては現在でも、35%しかありません。

これもいろいろな事情はあるものの、元々国民の稼ぎが少なく、さらにその少ない稼ぎを消費に回さず、貯蓄して貯め込んだり、不動産などの投資に回してしまっている、という事情があるものと推察されます。

これらの国では、「将来何が起こるか分からない」、「政府が何をするか分からない」、「老後は誰も面倒をみてくれない」などの大きな不安感、恐怖感が、国民を支配し、消費を控えさせ、個人消費がGDPに占める割合を、低いままにさせていると考えられます。

そういった意味では、個人消費がGDPに占める割合が低い国の政治は、国民を不安に陥れるものであり、まさに中国は共産党の一党独裁であり、国民を蔑ろにしているということです。

"

さて、中国は国内のインフラ投資ではもう経済発展はできないことを悟り、海外投資をして儲けようと企みました、それが、過去のアフリカ投資です。しかし、アフリカ投資はことごとく失敗しています。

中国としては、経済の悪化を補うために、最近ではアジア投資を企てました。それが、AIIBです。しかし、日米が加盟しているアジア開発銀行には、資金調達の上で金利も含めて雲泥の差がありますので、最初から競争相手にならず、AIIB構想は、有名無実になることは必至です。

そうなると、最も有望なのは、国内の消費を増やすことです。しかし、これを実行するためには、今の貧富の差の激しい中国では無理な話しです。ごく一部の富裕層が、たとえ経済活動を活発化させたにしても、いかんせん数が少ないので、どうにもなりません。

かといって、富裕層以外の、大多数の貧困層の消費を活発化させようにも、全富裕層を食えても、平均賃金がわずか月4万円の中国では全く無理な話です。

であれば、本当は、中間層を増やして、これらが活発な社会・経済活動をするように仕向けてく必要があります。

そのためには、まずは経済と政治の分離をして、市場に過度に政府が関与しないようにする必要があります。

これを実施するためには、民主化と、法治国家化は必要不可分です。

経済を良くするには、これは必要不可欠です。実際日本は、明治維新以降から、そのような道をたどりました、西欧の先進国などはもっと早い時期から、かなり時間をかけて、そのようにしてきました。

しかし、無能な中国共産党幹部は、自分と自分のファミリーと、ごれらに追従する一部のものたちが富めば、それで良いという考えから抜け出すことができません。

おそらく、本来の資本主義など理解しない、無能な彼らは、これからもぬけ出すことはできないでしょう。そうなると、今後経済が良くなる見込みは、全くありません。彼らは、これかも、神の見えざる手などの考え方など全く理解できず、市場に過度に介入し続け、いずれ中国経済は完全崩壊します。

その果てに、中国共産党幹部と富裕層は、金づるのなくなった、中国から脱出し、中国は内乱状態になり、過去の中国と同じく、分裂することになります。もう、それに向けての条件は整いました。後は、このシナリオどおりに進むことになるだけです。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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2015年9月19日土曜日

【相撲俵論】デモも景気も祭典も「祖国があってこそ」元小結・舞の海秀平
―【私の論評】私たちは、安保法案反対派や、かつての日本画壇のように、閉鎖空間の住人になってはいけない(゚д゚)!

【相撲俵論】デモも景気も祭典も「祖国があってこそ」元小結・舞の海秀平

舞の海秀平氏 写真はブログ管理人挿入以下同じ

今回はどうしても相撲のことを書く気になれない。

テレビの天気図には、初めて耳にする線状降水帯が居座っていた。早く太平洋側にそれてくれないかと、手で払いのけたくなる。

暴れ出した川は堤防を決壊し、民家や田畑を飲み込んでいった。津波よ、雨よ。まだ復興を遂げていない東北を、そして東日本を沈める気か。

現場には勇敢に自然災害に立ち向かい、次から次に命を救う自衛隊員の姿があった。

男性がしがみつく電信柱にもう少し踏ん張ってくれと祈る。男女がそれぞれ抱えた2匹の犬には、ヘリコプターに乗り込むまで大人しく抱かれていてくれと手を合わせた。

クリックすると拡大します
強風で苦戦しながらも必死に助け出す隊員を見ていると、「いとしきニッポン」(石井英夫著、清流出版)の最終章「祖国」で引かれた画家藤田嗣治(つぐはる)のエピソードを思い出した。

彼は戦時下に戦争画を描いたことで「戦争協力者」として、戦後になって画家仲間からの非難を浴びた。人が無数に重なり合って刺し合ったり打ち合ったりする絵を見たことがある。

実際は国民の戦意をあおるものではなく、戦争の恐ろしさを伝える、むしろ“反戦画”だったのではないか。

藤田嗣治画伯

藤田は追われるように日本を離れ、パリに移住。再び祖国の地を踏むことはなかった。

「祖国を捨てたのではない。祖国に捨てられたのだ」と夫人は聞いた。もっとも、繰り返し聞く音楽、普段口にする食事は日本のものばかりだったという。

のちに手記で戦争にまつわる絵を描いた理由について語っている。

「この恐ろしい危機に接して、わが国のため、祖国のため子孫のために戦わぬものがあったろうか。平和になってから自分の仕事をすればいい。戦争になったこの際は、自己の職業をよりよく戦争のために努力して然るべきものだと思った」

言葉を失い、ひれ伏すしかない。

いま、事が起これば存在自体を“違憲”とされがちな自衛隊に頼るしかなくなる。災害だけに限ったことではない。有事が起きたとき、海外で同胞が命の危機にあってもこのままでは黙って見ているしかない。

自衛隊がここまでしてくれたら救えたのにと悔やむのか、自衛隊がここまでしてくれたからこそ救えたと感謝するのか。

デモで声を張り上げるのも、景気対策も、スポーツの祭典も「全ては祖国があってこそ」。藤田はこうも語っている。「何んとでも口は重宝に理屈をつけるが、真の愛情も真の熱情も無い者に何ができるものか」と。(元小結 舞の海秀平)

【私の論評】私たちは、安保法案反対派や、かつての日本画壇のように、閉鎖空間の住人になってはいけない(゚д゚)!

舞の海氏の主張は、正しいです。本当に重要な事柄に関しては、意外と専門家などよりも、他の道で精進した方のほうが正鵠を射た発言をするものです。

その道の専門家であるはずの日本の主流派の憲法学者などは、一つの信条に凝り固まって、少数派の京都学派の「憲法9条は、国際紛争の解決の手段として、武力を行使することは禁じているが、自衛のための武力行使まで禁ずるものではない」という解釈など完璧に無視して、自分たちの考えだけが正しいものとして、安保法案は「違憲」と断定しました。

のみならず、安保法案の違憲、合憲など本来司法が判断すべきものであるにもかかわらず、「違憲」とはっきり断定してしまっています。本来なら、「自分の立場からは違憲の疑いがある」程度の表現にすべきでした。これは、言葉遣いの間違いの次元です。

これにより、日本の主流派の憲法学者らは、安全保障の話をするには不適格であることを暴露ししまったと思います。

舞の海氏の「全ては祖国があってこそ」との指摘は正しいです。憲法は祖国があってこそであり、祖国は憲法があってこそなど全くありえず、本末転倒です。日本の憲法学者らは、憲法を完璧に正しいものとして、そこから現実をみて、現実が正しい、間違いというとんでもない認識を持っています。

本来の憲法学とは、憲法の解釈や適用および憲法上の諸現象を研究する学問です。法学の一分野として、国家の組織及び作用に関する基礎法を研究することを目的としています。現在の日本の主流の憲法学者らは、人間のつくった憲法典をあたかも経典のように、絶対善であるかのごとくにみなして、それに即しているかいないかだけを研究するという態度です。これでは、とても学問と呼べるような代物ではありません。

こういう人たちに、安全保障の問題など語る資格はありません。

本来語る資格のある人たちは、北朝鮮による拉致被害者やその家族や、イラクに派遣された自衛隊員の方々だと思います。実際に、過去の安保の瑕疵等により、被害あわれた方々の意見を聴くべきです。国会で、国会議員や識者などの意見ばかり聴いて、当事者の意見も聴かないというのは全くバランスを欠いています。

そうして、今回の戦争抑止法案を「戦争反対」などと語る方々は、以下の二点を無視しています。

まずは、日本はすでに集団的自衛権を発動しているという事実です。日本にアメリカ軍の基地がある、日本がアメリカにアメリカ軍の基地を提供しているということは、集団的自衛権の発動にほかなりません。

NATOは、集団的自衛権の良い事例です。NATOの条約を締結してる国々が、NATOの指揮下で、ある国の軍隊を他国に駐留させたり、ある国の軍隊が、他国の国の陸上や、領解、領空を通過させることができます。もし、NATOに加盟していない国に対してそのようなことはできません。これを考えれば、日本はすでに集団的自衛権を行使しているし、日本意外の国々はそうみなすのが当然です。

集団的自衛権を完璧に否定するということになれば、アメリカ軍は日本から撤退しなければならなくなります。そうなると、現状と同程度のの安全保障を実現するだけでも、防衛費は10倍以上になるとされています。そんなことは、とても今すぐ実現できるものではありません。

それに、国連憲章のからみもあります。国連憲章では、どの国にも自衛権を認めています。この自衛権は、個別的自衛権と、集団的自衛権の両方を含んでいます。

そうして、国連に加盟している国々に対する義務も定めてあります。もし、戦争が発生した場合、過去の国際連盟のようにただ呼びかけるだけではなく、現実に力で抑えて、平和を守るために加盟国に義務が課されています。

どのような義務かといえば、国連に加盟した国々は、空軍の待機部隊を保持して、戦争が始まった場合世界のどこへ飛んでいけるようにしなさいと明記されています。

この空軍の待機部隊持ってる国というのは、実はごく少ないです。しかし、この日本のように、自衛権を個別的と、集団的とで分けて、過去においては、個別的自衛権だけやってたから、集団的自衛権は認められないというならば、これは本来は、国連の加盟国としての資格がありません。

そもそも、憲法解釈による集団的自衛権の行使を含む安保法制を成立させるべきではないとする方々は、米軍の速やかな撤退と、国際連盟から脱退をする覚悟があって語っているのかはなはだ疑問です。

さて前の海氏は、ブログ包頭の記事で「人が無数に重なり合って刺し合ったり打ち合ったりする絵を見たことがある」と指摘しています。その絵とはおそらく以下のものだと思います。

藤田嗣治作『サイパン島同胞臣節を全うす』
以下では、藤田嗣治とこの絵について掲載します。

戦前のパリで活躍し,乳白色の柔らかな肌の女性ヌード画や子供の柔和な絵で国際的に有名な画家です。

第二次大戦中,日本の軍部は戦地に画家を派遣して国威発揚,戦意高揚のための戦争画を描かせたことは有名です。当時活躍していた有名・無名画家のほとんどがこれに参加し,その中心的な役割を果たしたのが藤田嗣治でした。

そして日本は敗戦を迎えましたが、美術界はGHQの追及を恐れて、「全て藤田がしたことです。私たちは藤田に騙されて絵を書いただけです。悪いのは藤田です」と彼一人に戦争責任を負わせ(実際にはGHQが画家個人の責任を追求したことはなかったが)、自分たちの責任はなかったことにしたのです。

それまで、「私にも戦争画を描かせてください」と藤田に取り入って阿諛追従した画家たちは一夜にして態度を変えたといいます。まさに、「鬼畜米英」から「強くて優しいマッカーサー」の大転換です。これ以後、藤田はそんな日本画壇に嫌気が刺したのか、日本を離れてフランスに帰化し、二度と帰ることはありませんでした。

しかし,戦争翼賛画家の藤田は実は戦争を賛美した絵を描いていなかったのです。それが『サイパン島同胞臣節を全うす』です。この絵画では「バンザイクリフ」に追い詰められ、自決していった日本人の最後の悲惨な姿が描かれています。最後のなけなしの抵抗をする男たち、死ぬ前に赤ん坊に最後の乳を飲ませる母親、小刀で自分の喉をかき切ろうとしている女たち、死化粧にと髪を櫛り最後の身支度をする女たち、そして断崖絶壁から次々に身を投じる女たちの姿が、恐ろしいばかりの迫真性と迫力で描かれています。

しかも藤田は、終戦後もこの絵に、何かに取り憑かれたように筆を入れていたといいます。その結果として生まれた絵には血の匂いと死臭が漂い、絶望と暴力と苛烈な死が生々しく描き尽くされています。

これは絶対に「戦争賛美画」ではありません。これは戦争という暴力と惨禍を容赦なく抉り出した傑作であり、戦争という人類最大の愚行を告発する絵です。軍部翼賛体制に組み込まれたはずの藤田嗣治が、画家の目で戦場を観察し、その本質を抉り出して白日のもとにさらけ出してしまったのです。

戦争を賛美し、戦意高揚のために絵を描いたはずだったのに、絵描きとしての本能がその裏に隠されている死臭を嗅ぎ分け、戦争の愚かしさと醜さを無意識のうちに描いてしまったのだと思います。それは、軍部からの命令でもなければ、犠牲者の追悼でもなければ、悲劇の告発でもありません。画家の本能に従って止むに止まれずに描いたものだろうと思います。

これぞ畢生の大作であり一世一代の傑作です。恐らく、これに匹敵する戦争画はゴヤの『1808年5月3日』と版画集『戦争の惨禍』くらいしかないと思います。もしも藤田嗣治の作品がこれ一枚しか残っていなかったとしても、彼の名は不朽の画家として記憶されるべきです。

また、藤田嗣治の戦争画を他にもみたことがありますが、『サイパン島同胞臣節を全うす』のような作品化、他のものも戦争を鼓舞するようなものではありませんでした。他のものは、戦争画だというのに、静的であり、穏やかでありとても戦争を彷彿とされるものではありませんでした。

藤田嗣治は、戦争画を描いた動機について、ブログ冒頭の記事で以下のように語っています。

「この恐ろしい危機に接して、わが国のため、祖国のため子孫のために戦わぬものがあったろうか。平和になってから自分の仕事をすればいい。戦争になったこの際は、自己の職業をよりよく戦争のために努力して然るべきものだと思った」

藤田嗣治は戦争について、日本がどうの米国がどうのという次元ではなく、無論かつての日本画壇とも異なる、開かれた空間における人類の愚かさという次元で捉えていたものと思います。

私は、大東亜戦争に関して、日本だけが悪いなどという考えは成り立たないと思います。参加したすべての国々に、落ち度があります。無論日本にも落ち度があります。

ここでは、その落ち度について詳しくは述べませんが、あの戦争に関して日本だけが責められるということでは著しく公平性に欠けると思います。

しかし、当時のすべての国々に落ち度があったことを無視して、当時の日本が悪の権化で、好戦的であり、その悪玉精神が今も残っており、また戦争できるようにするために、安倍自民党が戦争法案を通そうとしているなどの考えにどう考えても同調することはできません。

藤田嗣治が現在存命していたとしたら、無論のこと安保法案には賛成の立場をとったものと思います。彼がフランスから舞い戻って今の日本の状況をみたとしたら、安保法制に反対する愚かな人々を見て、かつて彼を「戦争協力者」として排斥した、日本画壇の人々を見るようで、嫌気がさし、やはりフランスに舞い戻ったことでしょう。

当時の日本画壇も、今の安保法案に反対の人々も、藤田の傑作絵画のように、開かれた意味での、人類共通の愚かさに立脚するものではなく、閉鎖空間における自分たちの理屈のみを絶対視する愚かな集団に過ぎないことを看破したと思います。

そうして、この愚かな集団は、当時の閉鎖空間にの住人であった日本画壇が、藤田嗣治を放逐したような行為を、彼らが閉鎖空間から出ない限り、繰り返すであろうことを予言したと思います。



実際に、閉鎖空間に住み、自分たちの考えだけが正しいという人々は、必ずといっていいほど、分裂し最終的に争いをはじめてとんでもないことをするか、とんでもない状況に追い込まれています。それは、過去の過激派などを見ていても理解できます。

それにしても、当時の日本画壇が藤田嗣治のみを放逐したということで、他に犠牲者が多数出なかったことは幸いといえば、幸いだったと思います。おそらく、藤田嗣治という人がいなければ、犠牲者はもっと多かったかもしれません。

安保法制でも、デモで声を張り上げるのも、景気対策も、スポーツの祭典も「全ては祖国があってこそ」だからこそ、我々は自分だけが正しいという、閉鎖空間の住人になってはいけないし、閉鎖空間があるなら、それを打破するか、なききものにしていく必要があるのです。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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2015年9月18日金曜日

【堀江貴文氏ブログより】私がSEALDsをdisる理由―【私の論評】ホリエモンも瀬戸内寂聴も見えない、安保の当たり前のど真ん中(゚д゚)!

【堀江貴文氏ブログより】私がSEALDsをdisる理由



Newspicksのコメントでも書きましたが改めて。

なんで私がこれだけ彼らの行動をしつこくdisるのか。それはこういう小さい動きから国全体が間違った方向に導かれる事が多いからだ。

幾つか論点があって、一つは今回の安全保障法案は戦争法案ではないし、徴兵制に向かうものでもない。積極的に戦争を仕掛けようというものではない。特にアメリカという同盟国に依存してきた人命を伴う安全保障にかかわる任務を日本も分担するという事。つまりアメリカ人が死ぬのか日本人が死ぬのかって話で、それってアメリカ人だったらいいの?そうじゃなくて応分の分担は必要だよねって事だ。それを戦争法案っていうのは幾ら何でも言い過ぎだ。

確かに法案成立のプロセスは強引だ。しかし、いまデモに来てる人たちを100%納得させるためには憲法改正が必要になるが、その時の反発はこのレベルでは済まないだろう。だからこれまでやってきた通り、憲法を都合よく解釈する事で成立させようとしているだけだ。反対派の論理で言えば自衛隊だって違憲になる。極端な意見だ。

そして、デモに参加してる人たちの多くは法案を理解せず、本気で戦争になると思って参加してる雰囲気に流される人達だ。こういう人は、得てして例えば戦争になったら戦争を煽る方向に行ったりする。戦争中は朝日新聞だって戦争を礼賛していたよね。論理的に間違っている事を盲信して、雰囲気に流されて体が動いてしまう人は私は危険だと思う。だからしつこく否定する。

【私の論評】ホリエモンも瀬戸内寂聴も見えない、安保の当たり前のど真ん中(゚д゚)!

堀江貴文氏といえば、特に説明の必要もないくらい、多くの人が知っている人だし、ネットを検索すれば、彼にまつわる様々な情報が掲載されているので、ここでほとんど説明はしません。

堀江氏の安全保障に関する考え方には何度か聴いたことがありますが、その度に、全く賛同することはできませんでした。

それが、頂点に達したのは、瀬戸内寂聴さんとの対談本の内容でした。それも、そんなに前のことではありません。昨年のことです。

その対談本のタイトルは『死ぬってどういうことですか』というものです。この書籍から、寂聴さんと、堀江さんの安保に関する考え方は、両極端ではありますが、どちらも正しいものとは考えられませんでした。以下にその対談本の表紙の写真を掲載します。


この対談では、「戦争、するの?ないの?」と題された章では、2人の考え方がすれ違っていました。堀江氏の「戦争になれば逃げる」発言に、瀬戸内氏が激怒していました。

この対談本の中で、1922年(大正11年)生まれの御歳92歳の寂聴は今の状況に相当な危機感を抱いているようでした。東京女子大学に入学して1年後に真珠湾攻撃が起きました。そのころから「だんだんとものが言えなくなってきた」といいます。そして自身の経験から「なんか、今の時代の空気が戦前と同じ臭いなんですよ。本当に似ているんだもの。具体的には例えば特定秘密保護法なんて、あれは前の戦争のときとおんなじ感じですよね」と語り、"戦争を知らない世代"に釘を指しました。

「もうかわいそうでほんとに涙が出て止まらなかったですよ。同い年ぐらいの優秀な男の子たちがほとんど殺されてるでしょ。ほんとにそれはもう考えられないくらい恐ろしいことですよ。今の若い人は、日頃ちゃらちゃらしてるのはまあいいとして、戦争のニオイにだけはいつも敏感になっていなければいけませんよ。気がついたときには船に、飛行機に乗せられているんだから。ずっとそういう歴史だったじゃないの。庶民がやられる歴史だったじゃない」

そして「安倍総理は戦争がしたいんでしょ?」「だって安倍さんが言ってること、してること見たら、いかにも戦争をこれからしよう! って感じじゃないですか?」と、安倍首相を徹底的に批判していました。

ホリエモンは、この寂聴の危機感たっぷりの発言に"日本は戦争なんてしない"と冷たく言い放っていました。

「いやいや。それは言いすぎじゃないですか? (安倍首相は戦争を)別にしたくはないでしょ」

その理由はコストに見合わないからだという説明をしました。

「戦争が起こると対中貿易とかって完全にしぼんじゃうんで、そりゃあ絶対にないですよ。経済的結びつきが強すぎるんで」

寂聴が「なんで? だって今のまんまで行ったら、戦争よ。安倍さんだったら徴兵制敷きそう」とくいさがっても、堀江は「いやあ、ないでしょ。それはないでしょ。そもそも人なんていらないですもん。人は高いんですよ。日本人って高いんで、コストが」と一蹴しました。

堀江氏からすれば、戦争は「完全に経済の問題」であり、近代化を成し遂げた社会では「コスト」に見合わないから必然的に回避されるということです。もっぱら人間は経済的効率性を最優先にするものであり、ゆえに明らかに"損"が予想される行動をとるはずがない、という理屈です。

寂聴から「そのコストを計算できない人たちじゃないの? あの人たちは」とつっこまれても、「いや、コストで動きますよ。彼らができないんじゃなくて、経済的にそういうふうな状況になっていくんですよね」と自説を曲げませんでした。

その上て、堀江氏はこんな発言もしていました。
「僕は、(中略)戦争が起こったら、真っ先に逃げますよ。当たり前ですよ」

これに驚いた寂聴は「どこに逃げられる? 逃げる場所がある?」と聞きますが、堀江氏は「逃げる場所あるでしょ。第三国に逃げればいいじゃないですか」と、淡々と返えしました。

そして、寂聴から「行かれない人はどうするのよ」と突っ込まれると、ホリエモンは冷徹にこう語りました。

「行かれない人はしょうがないんじゃないですか?」
もともとホリエモンは究極的には、人間はすべて経済合理性に従うと考えています。彼にとっての関心事はグローバル化する世界の中で企業や個人がどんな経済活動をしていくか、その一点だけだけのようです。国家などは全く価値がないばかりか、それを阻害する邪魔な存在でしかないようです。

ホリエモンが見誤っていることもります。それは、ホリエモンが「しょうがない」「知らない」と切り捨てた弱者こそが熱狂するナショナリズムの発火点になっていることです。

「それはグローバル化に対するアンチなんですね。グローバル化によって貧しくなる人たちが抵抗してるにすぎないんで。そういうネトウヨ的な人たちもそうなんですけど、日本人であることだけが彼らのプライドの源泉なんですよね。だから『もう鎖国をしろ』とか『戦争しろ』とか言うのは、その人たちですよね」


ホリエモンには、「そんな連中はとるにたらない」「影響力をもてるわけがない」という意識が見え隠れします。しかし、世界を見渡せば、そのグローバル化に取り残された人々がナショナリズムや民族主義に熱狂し、紛争の火種になっています。そして、中国でもそういう事態にエスカレートしないという保証はありません。日本のすぐ隣にそういう国があるということが、日本にとってかなりの脅威です。

寂聴は、ホリエモンの姿勢に苛立ち、最後はキレ気味になって、こう叫んでいました。

「もう私は本当に死にたいの、つまらないから。つまらない。くだらない。ひどい。私は堀江さんと違って、戦争が起こると思ってるからね。もう見たくないと思う。あれを二度と見たくないの。でもいいわ。『戦争しない』っていう、こういうふうに堀江さんのように言い切れたらね、言い切る人が出てきたら、それは英雄ね。それはみんな喜ぶんじゃないかしら、枕を高くして寝られるんじゃないかしら。そして、そのときに、ばーっとやられるんですよ」

この二人は、本当に極端です。寂聴といえば、このブログにも掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
瀬戸内寂聴さんに、習近平に「戦争するな」と諭して欲しい件―【私の論評】寂聴さんにISILの幹部も諭してもらおう(゚д゚)!
 

 詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事では、瀬戸内寂聴が安保法制反対デモにおいて、戦争反対という発言をしたことを受けて、石平氏のTweetを掲載し、それに対する私の論評を掲載しました。この記事の結論のみを以下にコピペします。
それにしても、寂聴さん若い頃から、平和運動をしてきたようではありますが、どう考えても安全保証の専門家ではありません。結局は、マスコミなどの報道に幻惑されたり、左翼運動家らの口車にのったとしか思えません。芸能界や文壇には、そのような人が多いです。 
石平氏は、習近平を諭して欲しいとTweetしましたが、日本は尖閣問題で直接中国の脅威があることはあるのですが、それ以外にも世界には戦乱にあけくれるている地域が今でも多くあります。 
ISILもその一つです。寂聴さんはどうせやるなら、日本国内の現状の平和という生ぬるいお湯に浸っていることなく、ISILにでも乗り込んで、幹部らを諭していただきたいものです。
そうすれば、厳しい国際環境を寂聴さんも理解されるのではないかと思います。ただし、そうすれば、命の保証はありませんが・・・・・・。寂聴さんは、「死に支度」という書籍もだされていますから、それこそ「死に支度」の一環として実践されたら良いのではないかと思います。 
私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?
結局のところ、私も、石平氏も、「安保法案」は「戦争抑止法案」であり、寂聴さんの語っていることは明らかな間違いであることを言っているということだと思います。

私や、石平氏も堀江氏とは異なり、戦争が起こる可能性を前提として、戦争を抑止するための法案が必要であると考えているわけです。そこのところが、寂聴さんとは違います。寂聴さんは、「戦争抑止法案」を成立させて施行すると、戦争が起こるというか、日本が戦前のように戦争に走るという考えです。

一方堀江氏は、「経済的合理性」から人間は絶対に戦争しないと主張しています。しかし、人間にとって経済だけがすべてではありません。経済だけが良くなっても、決して社会は良くはなりません。経済そのものは、人間の営みのなかのほんの一部でしかありません。

だから、人間は経済合理性だけでは説明のつかない複雑な行動するものです。だから、マクロでみれば、どう考えてもあり得ないような行動をとることもあります。たとえば、日銀が本来金融緩和をすべきときにも、金融引き締を行い、それを継続して、過去の日本はとんでもないデフレにみまわれました。多くの人が、これを理解せずに、デフレが放置された結果、日本は15年以上もデフレ・円高が続くというとんでもない状況にみまわれました。

また、デフレから完璧に抜けきっていないのに、なぜか昨年の4月に8%増税に踏切り、そのせいで本来経済がまだまだ良くなっているはずなのに、今年に入ってからも4〜6 月期には、マイナス成長になりました。多くの、政治家、経済学者、官僚などが、増税の影響は軽微といっていたにもかかわらず、このような結果になってしまいました。

人間がすべからく、「経済合理的」に動くというのなら、こんなことはあり得ないはずです。しかし、現実はそうではありません。

それに、経済合理性だけを見るというのなら、人間の複雑な面を見失ってしまいます。経済学の大家ドラッカー氏は、経済統計だけをみたとしてら、後世の歴史家は、第二次世界大戦が起こったことなど、気づかないだろうとしています。


確かに、第二次世界大戦は世界中に大惨禍をもたらし、大勢の人が亡くなり、社会が混乱しましたが、経済統計だけを見ているとそうではないというのです。

これは、にわかには信じがたいことですが、第二次世界大戦で敗北した、ドイツや日本でも、確かに戦争の惨禍で、とんでもない状況にはなりましたし、物資も不足はしましたが、それでも、戦争中には普段よりもかなり多く、兵器を製造したり、軍隊にそれを支給したりして、大きな経済活動が営まれました。

さらに、日本を例をとり、後世の歴史家が経済指標だけ見ていたら、大東亜戦争があったことなど気づかないかもしれないことを実証してみせようと思います。

以下は、最近読んだ古谷経衡氏の『戦後イデオロギーは日本人を幸せにしたか』という書籍に掲載されていた、統計資料です。

クリックすると拡大します
この統計資料に関して、古谷氏は、以下のような説明をしています。
 これを見ると、日本は先の大戦で、すべての国富のうち、その4分の1を失ったことになるが、逆説的に言えば、4分の3は残存していると見なすことができ、その水準はおおむね1935年のそれであった。

簡単に言えば、日本は1935年から1944年までの拡大分が戦争最後の1年、つまり戦争末期の大空襲であらかた吹き飛び、日本の敗戦時の国富は終戦時点の10年前である1935年の水準に逆戻りしたと考えればわかりやすい。 
 よって、「日本は敗戦でゼロからのスタート」を余儀なくされたのではなく、「敗戦により、おおむね1935年の国富水準からスタート」と言い換えることができるのだ。
1935年のレベルといえば、言うまでもなくアジアの中ではトップクラスです。戦後の日本の復興は、「ゼロからのスタート」とするのは程遠い実態です。

終戦直後にこの状況であり、温存された国富の源となった、爆撃されなかった町や村などは生産活動を継続し、さらに戦争遂行のための様々な経済活動なども加えれば、日本も経済指標だけみていれば、戦争のあったことなど後世の歴史家は気づかないかもしれません。

そうはいいながら、大東亜戦争は、日本の社会に経済とは別に深刻な悪い影響を及ぼしたことは明らかです。誰も、このような戦争を二度と味わいたくはないと思ったことでしょう。

終戦直後の焼け野が原の東京
ちなみに、日銀の金融政策の間違いにより、日本経済は停滞しまたが、この期間に日本が戦争をして、日銀がまともな金融政策をとるか、あるいは戦費調達のため大規模な金融緩和をして、戦争を遂行し、甚大な被害を受けていたとしても、経済指標だけを見れば、何も変わりないかもしれません。

経済統計からみれば同じような停滞かもしれませんが、の戦争と、金融政策のまずさによる停滞とどちらが良いかといえば、無論誰もが後者のほうがましというに違いありません。

いずれにせよ、堀江氏のように、「人間は経済合理的な動きをするから、戦争しない」という考えはあてはまならいように思います。

それにしても、以上のようなことを考えた場合、「経済合理性」を絶対視する堀江氏が、SEALDsに危機感を感じるというのは、ある意味不思議です。

本来、人間が、経済合理性だけを追求するなら、安保反対運動などしないはずです。60年安保、70年安保、PKO法案成立のときも、反対派は「戦争になる、徴兵される」などをキャッチフレーズとして、大きな運動を展開しましたが、さしたる成果はありませんでした。

であれば、本来は「経済合理性の観点」からは、今回あのようなデモではなく、別なことをするというのが、合理的なはずです。しないはずの、デモが実際には行われているので、堀江氏は危機感を感じているのかもしれません。

これを機会に堀江氏も、安全保障に関する考え方を変えたかもしれません。「戦争が始まったら逃げる」などということは言わなくなるかもしれません。当たり前のことですが、戦争などないほうが良いに決まっています。誰であっても、最初から積極的に戦争したいなどと思う人はいません。

今回の、憲法解釈の変更による、集団的自衛権を含む、安保法制の審議に関しては、上記のように様々な反応がありました。

いずれにしても、寂聴さんのように、ただただ、「戦争反対」を唱えるだけで戦争は回避できませんし、堀江氏のような経済合理性だけでも、「戦争などしない」などとも断定できません。

やはり、戦争は場合によっては、起こりえるものと想定して、そのための準備はしつつ、抑止力を高め、戦争に巻き込まれないように最大限の努力をするということが、当たり前といえば、当たり前ですが、それが王道だと思います。

その王道である当たり前のど真ん中が、従来の日本ではなかなかできなかったのですが、今回の安保法案の成立を機にできるようにしていくべきです。

実は、今回の安保法案に関しては、様々な疑問もあります。無論、安保反対派のように、「戦争になる」などという馬鹿げた理由からではありません。戦争抑止法案とみても、疑問な点があります。

成立後には、「戦争はない」とか「戦争になる」などというくだらない議論はせずに、戦争を抑止するために、いずれ憲法改正も視野に入れつつ、今の憲法の範囲で洗足抑止ために何ができるかを論議するべきものと思います。そうして、憲法改正する前にできることはどんどん実施できるようにすべきです。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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【関連図書】

安全保障について、良く考えるための書籍を以下に掲載させていただきました。

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2015年9月17日木曜日

安保国会、未明の醜態 野党が委員長“監禁” 屋山太郎氏「野党は芝居止めろ」 ―【私の論評】戦争法案と発言していた無責任議員に、確実に責任を取らせる方法はこれだ(゚д゚)!


参院平和安全法制委員会の開会を宣言した鴻池祥肇委員長(左)に詰め寄る野党の理事ら=17日午前
参院第1委員会室

安全保障関連法案をめぐる参院審議が大混乱している。今週中に法案を成立させたい与党側は16日夜から17日未明にかけて、特別委員会での締めくくりの総括質疑の開催を目指したが、民主党などが激しく抵抗したため開けなかったのだ。野党側は17日午前にも、鴻池祥肇委員長の不信任動議を提出するなどして、採決の先送りを狙った。16日夜の攻防では、女性議員を理事会室前に多数配置する「女の壁」を築き、74歳の鴻池氏を“監禁”までした。「言論の府」「良識の府」が醜態の場になってしまった。

「みんな理事会室で待っているだろ!」

17日午前9時前、鴻池氏が委員会室の委員長席に座ると、野党の理事らが取り囲んで一斉に批判を浴びせた。

「生活の党と山本太郎となかまたち」の山本太郎共同代表は、委員長席に駆け寄って鴻池氏からマイクを奪い、与党筆頭理事を務める自民党の佐藤正久国防部会長らをにらみつけた。

いやしくも公党の代表である山本氏が“鉄砲玉”のような役回りを演じる光景にはゲンナリするが、野党側は「約束守れ」「嘘つき」などと怒号をヒートアップさせ、室内は騒然となった。

委員会に先立つ理事会は、理事会室で開かれるのが通例だが、鴻池氏が「だまし討ち」(民主党の福山哲郎幹事長代理)に出たのも無理はない。前夜から未明にかけて、野党は前夜、鴻池氏を理事会室に“軟禁”し、委員会を開かせないようにする暴挙に出たからだ。
 特別委員会は16日午後6時半から、安倍晋三首相が出席して締めくくりの総括質疑を行う予定だった。だが、民主党などが理事会で、与党と次世代の党など野党3党との合意内容について説明を求めるなどし、理事会は開催と休憩を繰り返した。

 この間、数十人の衆参野党議員が理事会室や委員会室前で人垣をつくり、「廃案!」などと大声で叫び続け、鴻池氏らが移動できない状態となった。開会をめぐって与党議員と激しくもみ合い、怒号も飛び交った。

 「触るな! セクハラだ!」

 「自民党の○○○○議員がセクハラしました!」

 理事会室前には、ピンクのハチマキを頭に巻いた野党の女性議員が多数陣取り、排除しようとする与党議員の体が触れるたび、大声を張り上げて抵抗した。


言論の府である国会で、委員会開会を阻止しようと理事会
室前に立ちふさがる野党の女性議員ら=16日、国会内
 女性であれば、男性の与党議員や衛視らが体に手を掛けて移動させることが難しい、との判断とみられる。騒然とする理事会室前。質疑開始を妨害する意図は明らかだ。

 山崎正昭参院議長は女性の衛視を投入するなどして収拾に努めたが、民主党の小宮山泰子衆院議員は「女を利用するな! こんな時だけ女性を前に出して。女をこうやって使うんだな!」などと絶叫した。

 自分たちのハチマキに「怒れる女性議員の会」と書かれていることを、忘れているのか…。

 院内の廊下では、携帯電話のカメラを頭上に掲げて、笑顔で「自撮り」する女性議員らの姿も散見された。


理事会の開会を前に集結、記念撮影する共産、民主の女性議員=16日午後、国会内

こうした経緯があり、鴻池氏は17日は委員長室で理事会の開始を宣言し、同日午前9時45分ごろ、委員会を再開した。しかし、野党は鴻池氏の不信任動議を提出、鴻池氏は退席し、委員会は正午現在、休憩の状態が続いている。

 野党側の異例の妨害に、政府・与党内では今後、衆院再可決・成立が可能となる「60日ルール」の適用を模索する動きも本格化しそうだ。自民党の佐藤勉国対委員長は17日午前の党会合で「衆院で再可決する60日ルールの行使も視野に入れなければならない」と発言した。

 安保法案については、与党側が中国の急激な軍事的覇権主義を踏まえて「国民の命と平和な暮らしを守るために絶対に必要な法案」(自民党の高村正彦副総裁)と訴えたのに対し、野党側は「憲法違反」「戦争法案」「徴兵制につながる」などと反対し、衆参で約200時間の審議を行ったが、議論はほぼ平行線だった。

 民主主義国家の国会としては、最後は採決して結論を得るのは当然だが、野党側は国会前に集結する反対派に力を得たのか、徹底抗戦に出ている。「民主政治」「多数決原理」を理解していないとしか考えられない。

理事会室前で通路を確保しようとする衛視ともみ合う議員=16日午後、国会内
評論家の屋山太郎氏は「野党には『芝居を止めろ!』と言いたい。日本を取りまく安全保障環境が激変するなか、与党は安保法案の成立を目指しているが、野党は『戦争法案』『憲法違反』とレッテル貼りをして、国民の不安を煽っているだけだ。野党からは理に適った主張を聞いたことがない。そして、最後の最後に、肉体的に阻止しようとしている。このままでは、憲法を守って国が滅びることになりかねない。こんな茶番劇を続けていたら、事の本質が見えなくなる。国が危うくなる」と語っている。

【私の論評】戦争法案と発言していた無責任議員に、確実に責任を取らせる方法はこれだ(゚д゚)!


本当に、どうしようもない国会の痴態です。それにしても、このようになる予兆は前からありました。特に、民主党はそうでした。それについては、このブログにも以前取り上げたことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
派遣法改正案 民主党、「委員長に飛びかかるよう」文書で指示―【私の論評】今回の出来事は、民主党の無知に起因するものだが、議会制民主主義を踏みにじる暴挙以外の何ものでもない(゚д゚)!
衆院厚生労働委に臨み、野党議員らにもみくちゃにされる渡辺博道委員長=6月12日午前
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事では 民主党が意図して、意識して、衆院厚生労働委員会で委員長にとびかかるように文書で支持を出していたことを掲載しました。以下にその部分のみコピペさせていただきます。

衆議院の厚生労働委員会は12日、労働者派遣法改正案に反対する民主党などの野党議員が、開会を阻止しようとして、大混乱となった。 
厚生労働委員会は、派遣法改正案の審議と採決に反対する民主党議員らが、渡辺委員長の入室を阻止しようとして、もみ合いになった。 
渡辺氏は、この際、首に手をかけられたり、けられたりしたという。 
FNNが入手した民主党議員作成の文書では、「委員長にとびかかるのは委員会メンバー」などと、身体的に物理的な力を行使して、採決を阻止するよう指示が明記されている。 
渡辺厚労委員長は、「議論をしないで、暴力で自分たちの思いを成し遂げようということであっては、これは国会の機能は果たすことができません」と述べた。 
首をコルセットで固定した渡辺氏は、診断書を示しながら、全治2週間の頸椎捻挫(けいついねんざ)を負い、痛み止めの注射を打ったと訴えた。 
委員会は、民主党と共産党が審議を欠席し、結局、12日の採決は見送られた。
今回の安保国会も、民主党は、この出来事の延長線上で、他党も巻き込んで大規模に暴力を行使したということです。短期間に同じことを繰り返すのですから、もうこれは、完璧に民主党の本質であるといえると思います。

これら一連の、醜態に関して、作家の百田尚樹氏が興味深いTweetをしています。
まさに、百田氏のおっしゃる通りです。そうして、この写真をみると、集団的自衛権が絶対に必要であることを、民主党をはじめとする野党の面々がこっけいなくらい実証してしまっています。

そうして、以下の動画をご覧いただくと、本当に集団的自衛権の重要性を野党の皆さんが実証してしまっています。
民主主義的な手続きで、委員会を開催しようとしたのを暴力で妨害して、最終段階には、ダイブまでして、阻止しようとする姿は、まさに暴力であり、これに対して与党の議員らが、複数名で委員長を守ろうとしている姿は、集団的自衛権を彷彿とさせます。

今回の暴挙で、彼らは集団的自衛権の必要性をかなり効果的に国民にアピールして、国民に対して素晴らしい啓蒙をしたと私は、思います。

それにしても、民主党をはじめとするほんどの野党は、戦争抑止法案を戦争法案として、批判していました。

その立場を堅持するなら、本法案が最終的に可決され、施行されたあかつきには、彼らは戦争が始まると主張しています。

それなら、それなりの行動をとってもらわないと困ります。

戦争が始まるというのなら、それなりの準備が必要です。たとえ、政府が主導しなくても、自主避難したり、防空壕掘ったり、様々な具体的な行動があるはずです。

いっそのこと、たとえば中国等にでも避難されたらいかがでしょうか。政治家としての発言は大きいです。このようなことを大々的に喧伝したのですから、それにふさわしい行動をとっていただきたいものです。

安保法案を戦争法案として報道をしていたマスコミの方々や、安保法案を違憲としていた、憲法学者の皆さんや、違憲としていた法曹関係の方々や、安保法案に反対してデモをしていた人々に対しても戦争の危機を回避すべきことを説得して、中国等に大量に移民されてはいかがですか。

このような行動を起こす議員は、それなりに信念にしたがって、行動しているのでしょうから、それ以上に責任は問いません。しかし、このような行動もとらず、そのまま議員として踏みとどまるような議員は、到底許容できません。

もし、そのような行動を取らず、さらに戦争がいつまでたっても起こらない場合、過去の60年安保、70年安保、PKO法案の時のように、その後野党は急速に支持を失っていくことになると思います。

しかし、このような事になる前には数年はかかります、そんなに長い間待っていては、無責任議員がはびこることになってしまいます。しかし、無責任議員の責任をとらわることは、私達にもできます。それは、以下のTweetをご覧になって下さい。
このようなリストがあれば、責任を取らない無責任議員をはっきり特定できます。そうして、そのような人に有権者として投票しないということで、無責任議員を放逐することができます。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

それにしても、鴻池委員長は、本当にお疲れ様でした。安倍総理や、戦争抑止法案賛成の皆々さまがた、本当にお疲れ様でした。連休前には、確実に法案を成立させて、ごゆっくりお休み下さい!

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2015年9月16日水曜日

安保法案 地方公聴会で公述人が賛否―【私の論評】安保反対派のウイスキーCMのような「何も足さない、何も引かない」式の頑固さにはもううんざり(゚д゚)!



安全保障関連法案を審議している参議院の特別委員会は、横浜市で地方公聴会を開き、公述人からは、平和の維持に必要な抑止力を高めるものだとして法案の早期成立を求める意見が出された一方、憲法の平和主義を変えようとする内容で反対の声が広がっているとして廃案にすべきだという意見が出されました。

このなかで、与党が推薦した海上自衛隊の元海将の伊藤俊幸氏は「わが国の平和と独立を守るのが自衛隊の使命だ。今の平和の状態を維持するための手段の1つが、抑止力を高めることだ。これまでは、わが国を守ってくれているにもかかわらず、他国軍隊にふりかかる火の粉を払ってあげることもできなかった。できるようにすることで、緊密な信頼関係を構築し抑止力がさらに高まる。今回の平和安全法制の1日も早い可決を望む」と述べました。

野党が推薦した専修大学教授の広渡清吾氏は「法案反対の運動は、学者だけでなく、高校生、大学生、高齢者など国民の全階層に広がっている。それは、戦後70年の間、日本国憲法の下で作られてきた、平和主義、民主主義、そして立憲主義が危機にあると認識しているからだ。安保法案は、憲法の平和主義を変えようとする、重大な内容を含むもので、国民の反対と不安をしっかり認識し法案の違憲性を判断して廃案にしてもらいたい」と述べました。

与党が推薦した東京財団上席研究員の渡部恒雄氏は「日本の限られた資源と防衛力だけでは、日本の安全を守れないことは明らかで、米国という世界最強の軍事力を持つ同盟国との共同対処が想定されているからこそ、少ない予算とリスクで自国の安全を確実に守ることができる。法律は万能ではなく、国際情勢や軍事力が変われば、変えなければならない」と述べました。

野党が推薦した弁護士の水上貴央氏は「単なるセレモニーでなく、公聴会を開いたかいがあったと言えるだけの十分かつ慎重な審議をお願いしたい。法案は、戦闘地域に隣接する地域で戦闘機への弾薬の補給などまで行える運用にしており、武力行使との一体化で憲法第9条に反する。重要な問題が明確になる中、法案を通せば、単なる多数決主義であり民主主義ではない」と述べました。

【私の論評】安保反対派のウイスキーCMのような「何も足さない、何も引かない」式の頑固さにはもううんざり(゚д゚)!

憲法解釈の変更による、集団的自衛権を含む安保法案は、合憲であり、戦争の抑止に資するものです。これに関しては、この法案を通すということを公約にして、安倍総理は過去三回も国政選挙に挑み、三回とも大勝利しました。

もし、安倍総理が安保法案に関して何もしなければ、公約違反ということになります。こういうことをこの法案に反対する野党や、反対デモをしている人たちはどのように受け止めているのでしょうか。

私からいわせると、成立間際のこの体たらくぶりは、いかんともしがたいものと思います。知的退廃以外のなにものでもないと思います。過去三回の選挙のときは、安保法案にさほど反対もしていないのに、成立間際になってから、大騒ぎするとは、あまりに往生際が悪すぎます。

このような考え方をするのは、私だけではないようです。たとえば、経済学者の田中秀臣氏は、以下のようなTweetをしています。
田中秀臣氏の指摘は正しいです。デモなどみていると、シールズなどの若者はごく一部で50歳台〜70歳台の一部の人たちの、過去の60年安保、70年安保、PKO法案での失敗を何も反省していないのが本当に不思議です。

この態度まるで、1995年頃のウィスキーのCMを思い出してしまいます。そのCM、YouTubeを検索していたら、見つかったので、以下に掲載します。



この動画、1995年頃のCM サントリーウイスキー山崎 「何も足さない。何も引かない」というものです。

これは、ウィスキーのことですから、味を頑固に守りつづけるということで、それはそれで良いですが、こと安保に関して、自分たちの考え方に、何も足さない、何も引かないなどという考え方は、どう考えても成り立たないです。

ウィスキーの熟成期間は、せいぜい数十年です。安全保障に関する考え方など、数百年のスパンで考えると、その間違いにはすぐに気づきます。

まさか、現在でも江戸時代のような考え方で、安全保障を考えていて良いはずはありません。江戸時代の頃と比較すれば、安全保障環境など、随分変わっています。それを無視して、江戸時代の考え方に、何も足さない、何も引かないで安全保障を考えても、何も得るところはありません。

安保法制を数十年前の考え方で、何も足さない、何も加えない方式で、考えて「戦争法案」とか、「徴兵制」がどうのとかと「違憲」とみなすのは、どう考えてもまともではありません。まるで、60年安保の頃から変わらない、頑固なウィスキーのシングルモルトのようです。

しかし、良く考えてみると、上の考えは、ウィスキーを醸造している人たちに失礼な言い方だったかもしれません。

彼らは、意図して意識して「何も足さない。何も引かない」のではありません。彼らは、「何も足せない。何も引けない」のです。

石平氏は以下のようにTweetしています。
「何も足せない。何も引けない」人たちは、なぜか、自分たちか多数派であると信じたいようです。しかし、もはやそうではないです。おそらく、意図して、意識して、安保法案に賛成している人と、反対している人とを比較すれば、賛成の人が多いのではないかと思います。

おそらく、これ以外の人たちは、意図して意識してではなく、漠然と反対、あるいは漠然と賛成しているだけであって、何が何でも成立させようとか、何が何でも廃案にしようと考えている人たちではありません。

その構造は、60年代安保、70年代安保、PKO法案のときと同じです。にもかかわらず、「何も足せない。何も引けない」人たちは、また同じことを繰り返そうとしています。

以下の写真は、1996年の、 サントリーウイスキー 「山崎」の雑誌広告です。 「何も足さない 何も引かない・・・」をもじって、 「何も足せない 何も引けない 難儀な年頃・・ダメオ55歳の賀状」。オン・ザ・ロックのグラスにはまりこんだ場面です。


何やら、この広告その後のPKO法案、今日の安保法案に反対する人たちの将来を予言していたような感じがします。

1996年というと、今から19年前です。当時、55歳だった人は、今は74歳です。なにやら、年齢層まで予言しているようです。

この状況何とかしてほしいものです。一部の人が、「何も足せない。何も引けない」ことにより、国会の審議がほとんど無駄時間になり、国会付近が騒然として、ごく一部の若者は、その悪影響をもろにこうむっています。

本当に困ったものです。この種の人たちがいくら反対しようとも、とにかくまずは、今の形でも良いですから、安保法案通って欲しいものです。本日中もしくは、明日未明には決着をつけるべきです。

安保反対派のまるで、ウイスキーCMのような反省のなさにはもううんざりです。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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【関連図書】

「何も足せない、何も引けない」人を飲み干すつもりで、山崎を飲んではいかがですか?

その他、安保関連の書籍二冊を掲載させていただきました。


憲法9条、集団的自衛権に関す書籍を以下に掲載させていただきます。

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