2008年4月24日木曜日

歴史に学ぶ-(1)ミュンヘン会議(1938年9月29日~30日)、チェコスロバキア解体(1939年)

The Munich betrayal 1938

上は、ミュンヘン会議から戻ってきたチェンバレンの動画。当時は、戦争の危機を回避した英雄としてイギリス国民に迎えられた。この宥和政策がかえって、ドイツを増長させ、戦争への道を早めたといわれている。

ミュンヘン会議の裏切り
1938年9月29日~30日、ヨーロッパ列強(英仏独伊)がチェコスロバキア問題を話し合った会議。この会議で、8項目からなる協定書、付属協定、3つの付属宣言が1938年9月29日付けで署名された。

当時、領土拡張を目論むドイツは、ドイツ系住民が多数住むズテーテン地方の割譲をチェコスロバキアに強要したが、チェコスロバキア政府はこれを断固として拒否し、動員令を発令し戦争を辞さない姿勢をとった。また、フランスとソ連(当時)はそれぞれ1924年、 1935年にチェコスロヴァキアに対する援助条約を結んでいたので、ズデーテン・ドイツの問題が大きな戦争に発展する危険が生まれた。

戦争拡大をおそれたヨーロッパ列強は、戦争回避の方法を模索し、イタリアの仲介でミュンヘンでチェコ問題を話し合った。参加国はイギリス(ネヴィル・チェンバレン首相)、フランス(ダラディエ首相)、ドイツ(アドルフ・ヒトラー総統)、イタリア(ベニト・ムッソリーニ首領)。

会議は終始、ヒトラーの独壇場となり、また戦争回避を望む英仏の思惑もあって、この会議で取り決められたミュンヘン協定には、チェコスロバキアの国家主権・領土保全を条件にドイツへのズデーテン地方割譲を認めるというヒトラーの主張がそのまま盛り込まれた。しかし、この協定は、当事国チェコスロバキア(この時、参加が許されず、会議の隣室で結果を待つ身であった。)と、隣国の大国ソ連抜きで行われたこと(このことは後に英仏と、ソ連、チェコスロバキアの間に大きなしこりとなって影響していく)、なにより英仏の譲歩的な態度がヒトラーを増長させる結果となった。

領土割譲を英仏から強いられたチェコスロバキアは当てにしていた国際的な支援の道が絶たれたことに落胆し(1938年9月30日午前2時15分チェンバレンは隣室で待っていたチェコスロヴァキア代表に結果を報告。そのとき代表は落涙したという。)、この要求を受け入れた。これは、同様に領土拡張の野心を持った近隣諸国、ポーランド、ハンガリーを刺激し、チェコスロヴァキア政府に自国民が多数を占める地方、ポーランドはテッシェン地方(1938年8月併合)、ハンガリーは南部スロヴァキア(1938年11月併合)とルテニア地方(1939年3月併合)の割譲を要求した。これに対し、チェコスロヴァキア政府は抗することもできず、唯々諾々とこれを認めてしまう。

さらに1939年3月、ヒトラーは、チェコスロヴァキア大統領ハーハをベルリンに呼びつけ、チェコスロヴァキア政府に対し、ボヘミア、モラヴィア地方をドイツ領とする協定への署名を強要し、署名されない場合は、チェコスロヴァキアの首都プラハを空襲すると脅した。ヒトラーによって周到に仕組まれた国内の民族運動で国内の統一も失われ、ズデーテン要塞地帯を失い丸裸となったチェコスロヴァキア政府はこれに抗することはできず、大統領ハーハは署名し、1939年3月15日~16日、ドイツ軍はチェコに進駐した。同年5月16日にベーメン・メーレン地方はドイツ保護領に、 9月1日にドイツに併合され、チェコスロヴァキアは地図から消滅した。

当時のチェコスロバキアとはどんな国だったか?
現在のチェコスロバキアというと、日本人からすると東欧の一小国というイメージしかないと思われる。しかし、その当時のチェコスロバキアは、非常に豊な国で国民一人当たりのGNPは、アメリカに匹敵するほどだった。その豊かさの背景には、チェコスロバキアは、先進工業国で重工業や、機械製造に優れていたということがあった。特にチェコ製の重火器は世界の最高峰といっもいいくらい優れていた。ドイツとしては、この先進的な工業力を手中におさめ、戦争を優位に進めたいという考えがあったのである。

過去の歴史に学ぶべきこと
理不尽な要求には、絶対に屈しないということにつきる。このときに、イギリスをはじめフランス、ソビエト連邦、ポーランドをはじめとする東欧諸国も構えを崩さず、さらにアメリカの応援も要請して徹底抗戦も辞さずという態度をみせれば、戦争が回避できた可能性もあったはずである。無論、歴史にもしも、という言葉に意味はないが、これからのことを考えるためには役にたつだろう。
現在チベット問題がクローズアップされているが、この問題も絶対に譲歩すべきではないだろう。少なくともチベットの自治は認めさせるべきであるとの意思表示は、はっきりすべきだろう。さらに、中国がこれ以上領土拡張の野心を見せたときは、たとえどのようなことになろうとも、絶対に認めないという姿勢が必要だろう。
さら、福田総理大臣はどうなのだろう。少なくとも日本のチェンバレンと呼ばれるようなことには、なってもらいたくない。

◆関係略歴◆


1938年
9月14日
イギリス政府、ドイツ政府に平和的解決のための緊急会談を申し入れるため、チェンバレン英首相、ミュンヘンへ。ちなみにチェンバレン英首相、生まれて初めて飛行機に乗る。
9月15日
午後12時30分
チェンバレン英首相、ミュンヘン到着。

ヒトラーとチェンバレンの会談でチェンバレンはチェコスロヴァキアからズデーテン地方を分離することに同意し、イギリス帰国後閣議でも同意を取り付ける。
9月18日イギリスとフランス両政府首脳はロンドンで会談し、いかなる代償を払っても戦争を避け、チェコスロヴァキアに「ズデーテン地方をドイツに割譲」という英仏共同提案を受諾させることを話し合った。
9月19日ベネシュ・チェコスロヴァキア大統領、英仏共同提案を拒否。
9月20日クロフタ・チェコスロヴァキア外相、英仏共同提案を拒否。ベネシュ大統領はソ連公使にソ連の意向を打診するが、満足いく協力を得ることができなかった。
9月21日深夜就寝中のベネシュ大統領、英仏両国公使の訪問を受け、英仏提案受諾を強要される。
9月22日 ハンガリーとポーランド両国、チェコスロヴァキア政府にそれぞれ自国人が居住する地域の割譲を要求。
チェコスロヴァキアのホッジャ内閣辞職。
9月24日 ドイツ政府はチェコスロヴァキア政府に対しズデーテン地方の割譲を要求。
フランス、軍動員令を発する。
9月25~26日イギリスとフランスは会談し、「フランスがチェコスロヴァキアとの条約義務で対独戦開始の場合、イギリスはフランスを支援する。」ことを確認。
9月26日 チェコスロヴァキア、国民総動員令を発する。
イギリス、外務省が明確に参戦の意思を表明。
ルーズベルト米大統領、「直接利害のある国家は会談をすべき」と発表。
9月27日 イギリス、軍動員令を発し、学童疎開なども始める。
ユーゴスラヴィアとルーマニアはハンガリーに対し「チェコスロヴァキアを攻撃した場合、両国は軍事行動に出る」と警告を発する。
イタリア、国境に軍隊を移動開始。
9月29日
12時45分
ミュンヘン会議開始。
9月30日
午前1時30分
ミュンヘン会議終了。4ヶ国によってミュンヘン協定が成立し、8項目からなる協定書、付属協定、3つの付属宣言が1938年9月29日付けで署名された。
9月30日
午前2時15分
チェンバレン英首相、隣室で待っていたチェコスロヴァキア代表に結果を報告。代表は落涙。
9月30日
正午頃
チェンバレン英首相、ヒトラーの私邸を訪ね、ドイツ・イギリス共同の不可侵宣言を発表し「平和確保のためのドイツ・イギリス関係の維持」との共同声明を発表。
9月30日チェコスロヴァキア新首相シロヴィー、ミュンヘン協定を受諾。
10月1日ドイツ軍、ズデーテン地方に進軍。
1939年
3月15日~16日
ドイツ軍、チェコに武力進駐。
5月16日ベーメン・メーレン地方はドイツ保護領。
9月1日ベーメン・メーレン地方、ドイツに併合され、チェコスロヴァキアは地図から消滅。

本日の過去の歴史から学べることは、理不尽な要求に関しては絶対に譲歩しないということだ。特に軍事力が弱い国なら別にして、当時のイギリス、フランスほどの軍事大国であれば、絶対に譲歩をしないということだ。無論、国のやることに私たちは直接手出しをすることはできない。しかし、ブログに書くことで、一定の世論を形成したり、多くの人に賛同してもらうことはできるはずだ。現代の事例として、中国を出したが、私のブログでは「中国分裂の筋書」という記事も掲載してある。現在のチベットの問題や、今後、中国が領土的野心をさらに強めた場合、このような手段で訴えていきたいものだ。そのときの参考として「中国分裂の筋書」とその他中国関係の記事、は役に立つと思うので、そのURLを下に掲載する。以下の反転文字をクリックしてもらえば、当該記事に飛ぶことができる。さらに、その記事の下の方から、すべての連載記事に飛ぶことができる。

■中国ゼリー層-明日の中国を牽引する原動力となるか?

■チャイナ・アート・バブルにも冷めた見方のできる中国ゼリー世代?

■中国分裂の筋書き−(その10)パクスマリーナが拓く世界の平和と大繁栄

■中国分裂の筋書き−(その9)日本の対応は?

■中国分裂の筋書き−(その8)迫られる中国の選択

■中国分裂の筋書き−(その7)忘れてはいけない中国の不良債権

■中国分裂の筋書き−(その6)現代中国の混乱ぶりを現す動画の数々

■中国分裂の筋書き−(その5)他の人達はどう思っているのか?

■中国分裂の筋書き−(その4)毛沢東を統合の象徴にすることができない中国中央政府の苦悩

■中国分裂の筋書き−(その3)中国バブルの真実

■中国分裂の筋書−(その2)革命でもなければ現代中国は変わらない

■中国分裂の筋書−(その1)繰り返される歴史

■中国"義歯"から鉛「安全に問題」

■中国産原料を使ったヘパリン製剤で自主回収へ・・・・米国では死者21名

■世界一人当たりのGDP(国内総生産)と、一人当たり資産−これでも中国は経済大国か?

■南京虐殺記念館に対する日本政府の申し入れに関して考えた、中国のお家事

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2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

中国側は、外交上の切り札をまだ
そこそこ残しているという自負があるように見えます。
フランスなんかも、少し前に
聖火リレーの件で謝ったりしていたようですが…

山田 豊 さんのコメント...

素人a様。コメント有難うございます。まあ、中国あたりは、戦争になってもいいと思っている国などないとたかをくくっているのだと思います。
少なくとも、私は、アメリカはそうではないと思います。現在でも、台湾海峡には米空母3隻が派遣され、これは五月20日の馬英九就任式まで海域に留どまる予定です。無論チベット問題などの不測の事態にも備える目的があると思います。
数年前も、日本海でアメリカのイージス艦が、中国の潜水艦らしきものに、砲撃しているシーンが放映されたことがあります。無論、そのときは、結局は中国の潜水艦ではないことがわかりました。
日本も、もし中国が領土的野心をむき出しにし、アメリカがそれを阻止しようとした場合、断固たる決意を持って、アメリカを支持すべきと思います。

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