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http://journal.mycom.co.jp/news/2011/07/15/017/index.html
【私の論評】高齢者の活用が次世代成長の鍵になることは間違いない!!
50代というと、今では、一昔前の中年層といっても良いくらいの状況にあると思います。私は、40代、50代は第二の人生のための、準備期間ではないかと思っています。
この時期に、務めている組織にそのまま残って役員などになるにせよ、一旦定年退職して新たな職につくにしても、この年代で準備をしておかなければ、どちらも無理になるものと思います。
特に、現在は、完璧に知識社会に突入しているので、働き方についても、従来と同じような考え方のままでいるような人には、どちらの機会も訪れることはないでしょう。
あの経営学の大家ドラッカー氏も、『会社オンリーで終わらせない「第二の人生」の準備が必要』という趣旨で、いくつかの書籍に以下のような趣旨のことを掲載しています。
「知識社会に特有の上方への移動は高い代償をともなう。それは、競争にともなう心理的な圧力と精神的なストレスである」(『ネクスト・ソサエティ』)
ドラッカーは、われわれが今、直面している社会を知識社会(ネクスト・ソサエティ)と呼ぶ。知識社会には、3つの特徴がある。
第1に、万人に職業選択の自由がある転職可能な社会である。
第2に、万人に教育の機会が与えられるがゆえに、誰もが出世可能な社会である。
第3に、万人が知識を手に入れ、しかも、万人が勝てるわけではないがゆえに、成功と失敗が併存する社会である。
昔の社会はそうではなかった。無産者の子は、無産者であっても敗者ではなかった。ところが、知識社会では、勝者がいて敗者がいる。全員がいつまでも順風満帆というわけにはいかない。
おまけに、ほとんどの人が、長い第2の人生を持つことになった。
したがって、会社オンリーだとつらいことになる。本人のせいではない。そのような時代になったということである。
そこでドラッカーは、他のことと同様、いつから始めるにせよ、準備が必要だという。この準備定年する人にだけ必要であるわけではありません。役員として会社の残る人も、運良く若いときから役員になれた人は、別として、定年の直前に役員になるような場合は40代くらいからある程度の準備をしなければなりません。
「知識労働者たる者は、若いうちに、非競争的な生活とコミュニティをつくりあげておかなければならない。コミュニティでのボランティア活動、地元のオーケストラへの参加や、小さな町での公職など、仕事以外の関心事を育てておく必要がある」(『ネクスト・ソサエティ』)
というのも、役員ともなれば、若いときの働き方と同じ働き方をしていては、役にたたないからです。若いときと同じ働き方をする、年老いた役員など、何の価値もありません。それなら、若い者の仕事をやらせたほうが良いです。
知識社会に突入した、高齢者は高齢者ならではの働き方をしなければならないからです。では、具体的にどうなのかといえば、このブログで何度か掲載してきた、いわゆる政治家の能力に近いもの持つ必要があります。
これにかんして、過去のブログを見ていただくものとして、まずは、物の考え方としては、世の中で言われていて、様々な書籍などでも、紹介されている分析的思考、水平思考などのような考え方ではなく、いわゆる統合的思考にたけるようにならなければなりません。
統合的思考とは、以下のようなものです。
相克するアイデアや問題事項の対立点を解消することにより、より高次の第三の解答を見つけ出す思考法のこと。さて、理論的思考や、水平思考によって、いろいろなアイディアが浮かんできます。ただし、アイディアがたくさんあるだけでは、実行に移すことはできません。
それどころか、混乱するだけです。ここで、数多くのアイデアを取捨選択、統合するとともに、実施すべき順番を考える必要があります。また、数多くのアイデアを束ねるだけではなく、一言で言い表したりして、誰にも理解できるようにして、さらに高次元にする必要があります。それが、統合思考です。経営者クラスはここまでできなければなりません。この思考方法の詳細に関しましては、ここでは本題ではないので、詳しくは以下のURLをご覧になってください。
BOOK REVIEW 『これからの思考の教科書』- ビジネススキルとしての思考法を順を追って学べる良書―【私の論評】常に革新的であるために、一つの思考方法に凝り固まるな!!アインシュタインと菅総理大臣から真摯に学ぼう!!
さらに、当然経営者としては、戦術ばかり考えているようでは失格で、戦略を考えるようにしなければなりません。戦略を考えるには、物事の考え方の道筋を根本的に改める必要があります。
まずは、一般的な問題を例外の連続と見るようなことはやめなけばなりません。これに関しても、ドラッカー氏は興味深いことを言っています。
最も多く見られる誤りは一般的な問題を例外の連続とすることである。
あらゆる問題が四つに分類できる。第一が、一般的な問題である。第二が、自分にとってははじめてという一般的な問題である。第三が、真に例外的な問題である。第四が、例外的に見えながら一般的な問題のはじめてのケースである。
一般的な問題は一般的な解決を必要とする。それらの問題は、原則と方針によって解決しなければならない。状況に応じて原則を適用することで処理する。
もちろん、例外的な問題は個別に処理しなければならない。しかし、真に例外的な問題というものは稀である。とくに組織が直面する種類の問題は、ほとんどすべてどこかの誰かが解決したことのある問題である。したがって、ほとんどの問題は原則と方針を適用することによって解決できる。戦略的意思決定をするためには、まずは、上記のような一般的な問題を認識できる思考力が必要不可欠です。さらに、それだけでも、できません。さらに下のようなことが必要となります。
戦略的な意思決定では、範囲、複雑さ、重要さがどうであっても、初めから答えを得ようとしてはならない。重要なことは、正しい答えを見つけることではない。正しい、問いを見つけることである。
教科書は事実を収集せよという。だが、 問題を定義し分類しないことには、それは不可能である。問題の定義と分類によって、関係のあるデータ、すなわち事実が何であるかを知る。
一見して重要な要因が本当に重要であったり、そもそも関係があったりすることは稀である。それらののは、せいぜい兆候にすぎない。しかも、最も目立つ兆候が問題の鍵であることは稀でもある。意思決定においての最初の仕事は、問題を見つけて、それを明らかにすることである。この段階ではいくら時間をかけてもかけすぎるということはない。
意思決定についてのかなりの部分が、問題の解決すなわち答えを出すことに集中している。間違った焦点の合わせ方である。問題の解決だけを重視して良い意思決定は、さして重要ではない日常の戦術的な意思決定だけである。
以上に関しては、昨日、蓮紡さんのツイッターが炎上したことについてのある記事の解説のところで同じことを掲載しています。詳細を知りたいかたは、是非昨日のブログをご覧になってください。下にURLを掲載しておきます。
まあ、上記のことがら、年代が若い人が理解できなくても、仕方ないと思います。しかし、40代を超えた人の場合は、ある程度理解できないようであれば、将来的に役員などのような高い地位につくことは諦めるべきだと思います。
しかし、これは、政治家にも共通事だと思います。政治家は、他の職業と比較すれば、年配の方が多いですが、ある程度経験を積まないと上記のような考え方はなかなかできないので、年配の方が多いという傾向があると思うのですか、残念ながら、最近の政治家をみていると上記のような考え方をできる人が少なくなっているのではないかと思います。
このような考え方が本当にできるようにするよう、40代~50代で準備するが将来会社に長くいて、役員などをする人のすべきことと思います。この思考方法の転換、言うはやすしで、行うはかたしというところだと思います。
しかし、役員として残れるような人は、どの会社でも、ほんの一握りです。他の人は、定年して、新たな仕事につくことをこれも、やはり、40代~50代にしておくべきです。以下の内容は、これまた、ドラッカーで、『会社オンリーで終わらせない「第二の人生」の準備』ということで、これもいくつかの書籍からまとめたものです。
「退職した人と働く人との比率を、少なくとも1対3に抑えることが、あらゆる先進国の社会政策と経済政策の中心的な目標とされなくてはならない」(ドラッカー名言集『歴史の哲学』)
ドラッカーは、いかなる社会といえども、多くの数の高年者を扶養することはできないという。社会が重荷に耐えられない。しかしドラッカーは、今日の65歳の平均余命と健康度は、1920年代の52~53歳に相当するという。
仕事はおもしろい。それは社会との絆でもある。加えて、高年者の発言力は増大する。かくして定年制の緩和が不可避となる。それは、社会的、経済的、人道的見地からの必然である。
やがて六五歳定年制は、パートタイムでも働きたいとの欲求を持つ健康な人たちに、怠惰を押し付け、無用の存在たることを強制するだけのものと受け取られるようになる。
遠くない未来において、高年者をいかにマネジメントするかが、中心的な課題の一つとなる。高年者の強みを引き出すマネジメントこそ、先進国社会において最も重要なこととされるようになる。
1つだけ難問が残る。身体的あるいは知的な能力が低下して満足な仕事のできなくなった者に退職を納得してもらうための基準である。これこそ最大の難問であり、緊急の課題である。
「定年制によって65歳で退職した者も、退職後まもなく、欲しかったものは長期休暇にすぎなかったことを知る」(ドラッカー名言集『歴史の哲学』)このようなこと、日本ではまだまだという感じではありますが、実は、アメリカでは随分前から、実現されています。もう、アメリカでは70歳定年が当たり前です。70歳までは、高齢という理由だけで、採用を拒んだり、解雇したりすれば、違法ということになります。これは、いずれ日本でも、実現されることになると思います。というより、世界のほんどの先進国がそうなると思います。なぜなら、どこの国でも、あの悪名高き年金が破綻しかけていますから、これをしのぐためは、定年を延長しなければなりません。
さて、上記は、働く物からの見方です。しかし、高齢者を雇用する側からの見方もドラッカー氏、いろいろな著書において、知識労働者としての高齢者について書いていました。最後の著書となった「ネクスト・ソサエティー」にも繰り返し書かれていました。
以下に私が記憶しているその要旨を掲載しておきます。詳しく知りたい方は、是非「ネクスト?ソサエティー」などを参照してください。
一昔前の肉体労働者(実際ほとんどの労働者がこの範疇で、これらの多くは、モノ運んだり、つくったり、農業、漁業などの労働者であり、それが大勢を占めていた)であれば、55歳にもなればもう十分働いたという感覚であり、そこから働きたいなどというものはほとんどいませんでした。多くの人が、50歳にもなれば、定年して引退生活することを心待ちにしていました。
しかし、知識労働者は違います。彼らは、まだまだ、健康で頑丈であるばかりではなく、まだまだ働く能力が十分にあり、また、定年した後でもそうしたいと願っています。ただし、ここでいう知識とは仕事に適用できる知識を意味します。本や百科事典に書かれてあるようなものは、仕事に直接適用することはできず、単なる情報にすぎません。
年金が破綻すると思われる日本でも、おそらく、アメリカの後を追い、いずれ定年が70歳まで、引き上げられるか、今アメリカで検討されている、実質上の定年撤廃(働けるまで働く)という時代がやってくるかもれしません。
ドラッカーは、これに続けて、若年層は、少子高齢化で数が少なくなっているため、雇うのが困難になりつつあること、さらには、若年層は、企業で再教育が必要ですが、高齢者、特に高学歴の知識労働者については、その必要もないことを説いています。ただし、若年層はフル・タイムで働くことを前提とした人事・労務管理が行われてしかるべきだが、高齢者に関しては、臨時とか、契約、コンサルタントなど、多様な就労形態による人事・労務管理が重要であることを説いています。
それと、いずれ、高学歴の高齢な知識労働者の奪いあいになるとなどとも語っています。これに関して、実際には、アメリカでも、日本でもそのような状況にはないようですが、それは、今は、金融危機・リーマンショックの余波の最中にあり、若者や中年層まで、職がないありさまです。
しかし、今後、景気が上向いた場合、そのころには、さらに少子高齢化が進んでいることが予想されるため、上記のようなこと記憶にとどめておいて、手をうつべきと思います。なにせ、ドラッカーの予想は、ソビエト崩壊をはじめ、ほとんどが当たっています。ただし、これは、未来を予測したのではなく、ドラッカーがいうところの「すでに起こった未来」を真摯に見つめた結果だと思います。それに関して、ここで書くとまだ長くなってしまいますので、また別の機会に改めて書きます。さて、私の本日書いたこと、「定年後の仕事に関する意識調査」という上の記事に触発されて書いたものですが、皆さんは、動思われますか?非常識だと思われますか?しかし、常識というものも、時代とともに変わっていくものです。上記のアメリカの定年70歳に関しては、ドラッカーが20年もしないうちにそうなるであろうと、提唱してから、10年を経ずして実現しました。これを考慮にいれれば、日本でも、十分に上記のようなことを真摯に考慮しておかなければならない時代がまもなくやってくると思います。
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