2011年7月1日金曜日

『mixi』で自分のマイミク一覧に本名表示 プロフィールに本名を入力してる人は設定を見直そう―【私の論評】ソーシャル・メディアは本名表示が主流になる?

『mixi』で自分のマイミク一覧に本名表示 プロフィールに本名を入力してる人は設定を見直そう


国内最大級SNS『mixi(ミクシィ)』で本名を表示する機能が実装された。自分の『マイミクシィ』(友人、以下『マイミク』)一覧に本名掲載欄が新設され、そこにユーザーが入力した本名が表示される。急なことなので驚いている人もいるようで、せめてアナウンスは欲しかったと言う声が挙がっている。
※7/1追記:
今回の改変は自分の『マイミク』一覧ページについてのみに適用されたもので、記事公開時に記載した「個別ページの本名掲載欄」は従来から存在するものです。

ちなみにプロフィールの本名入力欄は以前から存在し、他人からの見られる範囲も異なっていた。それが今回の改定で自分の『マイミク』一覧ページから閲覧可能となったことから、「ほかのユーザーからも本名が見えてしまうのでは?」と危惧する声が挙がっている。実際には自分の『マイミク』一覧ページで、自分の『マイミク』の本名を見ることしかできない。たとえば、自分の『マイミク』であるユーザーのページを表示して、そのユーザーの『マイミク』一覧ページを見ても本名は表示されていない。

そんな本名表示に対してさっそく『NAVERまとめ』に反応がまとめられている。その一部を紹介したい。

・mixiのマイミク一覧に急にHNの下に名前出るようになった。なにこれきもちわるい
・今回の件でmixiやめるひとがちらほら。
・何がしたいんだ?
・FBのまねごと乙(´ー`)ノシ

『Facebook』が本名記入を半強制していることから、『mixi』も匿名ではなく本名でのコミュニケーションを推進しているのだろうか。急に自分の『マイミク』一覧ページにみんなの本名が表示され焦ったが、『マイミク』一覧ページでほかのユーザーから本名が見えることはないので安心して欲しい。もともとプロフィールで「名前」の欄は入力が必須となっているが、公開範囲は「全体公開」「友人まで公開」「友人の友人まで公開」と設定可能になっている。『マイミク』であっても本名を知られたくないという場合には、これを機に入力内容を見直してみよう。

【私の論評】ソーシャル・メディアは本名表示が主流になる?
このブログでは、過去に過度の匿名は、社会を破壊すると掲載しました。これは、当然の事と思います。日本以外の国で、これほど、ネットが完全匿名があたかも前提のようになっている国はないと思います。

なぜ、このようになってしまったのか、不思議です。実社会においては、人の本名を知ったからといって、それだけでは何も起こらないのですが、やはり、ネットの社会では、本名が知れてしまうと、まずいことがおこるのでしょうか?

私自身は、ブログなどは、一応匿名にはしていますが、現状では、facebookにも参加していることと、さらに、ブログとfacebookをコネクトしているため、実質上実名を明かしているのと同じです。

実名を明かした状態で数年を経過していますが、今のところ、犯罪などに遭遇したことはありません。最近てば、facebookに参加しているおかげで、しばらく、音信が途絶えていたような人々とも、また、音信が回復しました。これは、匿名にしていては、絶対にありえないことです。

mixiに関しては、随分前のまだ招待制だったころに、参加しましたが、ここ5年ほどは、全くといって良いほど、使っていません。やはり、匿名ということがネックになっているのかもしれません。何か、参加していても、距離感があって、こんなことをしているくらいならと思い、自分のブログを開設しました。

自分のブログを開設すると、それに掲載する記事を書くため、必然てきにある程度の時間が必要となり、mixiはほとんど使わなくなりました。そうして、このブログの内容、更新するたびに、mixiはもとより、GoogleBuzz、Twitter、Facebookにも、Google Readerなどに概要やURLが自動的に表示されるようになっているので、あまり、自ら、ソーシャルメディアに直接投稿などということはなくなり、今に至っています。

自分の中では、このブログを開設したということが、非常に大きいです。最近では、日々1000アクセスを超えることも珍しくなくなり、これも、ブログ書くことへの大きな動機付けにもなっています。

また、私のブログへコメントを書きこんでいただける人は、私にとって、お客様のような存在で、こういう人たちは別に匿名でも、mixiなどでの付き合いとは全く異なるような気がします。また、ブログにコメントをしていただける方からは、メールなどもくることがあり、その場合、実名を記している方が、ほとんどです。こういったことから、信頼関係も芽生えていくと思います。

実際には、mixiなどは、登録者の数が多いものの、その実、私のように活動を全く停止している人も多いのではないかと思います。その主な原因としては、やはり、匿名性による、人間関係の希薄さがあるのだと思います。mixi上で知り合ったとしても、どこの誰かもわからず、何に興味があるのか、あるいは、何に関して特に詳しいのか、それは、どの程度なのかということがわからなければ、本来の意味でのコミュニケーションなど、最初から成り立つはずがありません。

実名を旨とする、facebookが、日本国内では、さほどではないものの、世界では最大のソーシャル・メディアとなっていることには、それなりに理由があるのだと思います。

実社会においては、誰か、人とお付き合い願いたいと思ったときは、自分の名前を語るのは、当然ことです。名前を語ることがなければ、誰とも付き合うことなどできないと思います。

結局、ネットの世界でも同じ事なのだと思います。結局匿名では、以前にこのブログでも書いたような、個々の人々の身の丈に合った情報など入ってくるようなことはなく、単なる時間つぶし、暇つぶしだけに終始してしまうのだと思います。

ここで、以前このブログにも書いた、「身の丈にあった情報」の内容を下にコピペしておきます。
私自身は、極度の匿名性のネット社会は、ただの時間つぶしであり、ほとんど益もないと思っています。しいて、あげれば、誰でも手に入るような情報を得ることと、時間つぶしです。ソーシャル・メディア以外のメディアだけで有益な情報やましてや知識が入ってくることはまずありません。 
本当に有益な情報や、知識は、人を介して入ってくるものです。ソーシャルな機能を排除した、ネットから入ってくるのは、情報でも、知識でもなく、単なるデータにすぎないと思います。これをただ眺めている限りは何もおきません。 
ちなみに、ここでいう知識とは、仕事に適用できる情報という意味です。從來、知識という言葉は、情報と同じように受け取られていた時期があります。しかし、現在では知識の意味が変わってきました。現在では、知識は、実務的に仕事に適用できる情報という意味に変わってきています。從來の、本に書かれてあるような内容は、情報といいます。いわゆる、物知りの物の意味です。 
データに関しては、いくら集まっても、結局は、それを分析・整理・統合しなければ、情報や知識とは成り得ません。これから、ネットの世界で、匿名を頑なに守り続ける人にとっては、有益な情報や知識を自分の身の丈に入ってくるチャンスをみすみす、逸することになります。 
この身の丈というところが重要です。たとえば、大学院レベルの生物学を学ばなかった人にとって、生物学のテキストそのものは何の意味ももたないかもしれませんが、特定の生物の分野の持つ意味が、特定の人にとっての意味などは、ソーシャル・メディアなどからもたらされる情報から入ってくる可能性は高いです。そうして、その持つ意味が、あなたの仕事に決定的な大きな影響を及ぼす可能性もあります。 
いまや、いわゆる業界の知識は、業界内からもたらされるのではなく、他の分野からもたらされることがほとんどです。たとえば、ITの世界でも、IBMは、DNAの自己増殖機能を活用した、電子回路の開発を手がけていますが、これは、従来の電子工学などの分野からではなく、生物学の分野からもたらされた、知見にもとづき、開発しています。現在では、このようなことは当たり前のことになっています。自分の属している業界の情報や、知識だけでは、もはや、新たな展開は期待できないのです。
こんなときに、実名でのコメントを旨とする、facebookのようなソーシャル・メディアはかなり威力を発揮すると思います。私自身も、ITなどに関する難しい理論など、自分の業界においては、どのような意味を持つのかなど、ソーシャルメディアから入ってくる確率はかなり高いです。自分も、様々な情報を提供するようにすれば、その率はさらに高まります。たとえば、私も、従来のように、自分のブログを持っていなかった場合と、現在を比較すると、今のほうが、はるかに「身の丈にあった情報」が入ってくる率が高くなったと思います。

このような背景から、メディアの中でも、特にソーシャル・メディアは、今のままの匿名のものは、これから、衰退していくような気がします。そうして、facebookのように最初から、実名を旨とするか、そこまでいかなくても、ある程度親しくなったら、自然と実名が明かされるような仕組みを持った、ソーシャル・メデイアの方が、これからは、伸びていくような気がします。今回の、mixiiの上記の措置は、いずれ、mixiも、facebookのように実名を旨とするものに変えることを前提として、一足飛びにそうしては、多くの人が使わなくなる可能性が高いので、それを目指した布石という意味があるのかもしれません。さて、皆さんは、どう思われますか?


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