2024年6月8日土曜日

米国人の過半数、「借金をしてまで大学に行く必要なし」と回答―【私の論評】学生運動の限界:高等教育の歴史と社会変革の未達成


まとめ
  • 大多数の米国人が、学位取得のために多額の借金を背負うことに価値を見出していない。
  • 学生ローン残高の高止まりと授業料の高騰が、その背景にある。
  • 非大卒者の収入は増加基調にあり、大卒者との格差が縮小傾向。
  • 企業が採用で学位取得を必須としなくなる動きもあり、大学の価値が相対的に低下。
  • 調査結果から、良い仕事に就くための大学の重要性が低下していると米国民が認識していることがうかがえる。


米国の有名リサーチ会社、ピュー研究所の最新調査で、米国人の大多数が大学の学位取得のために多額の借金を負うことに価値を見出せていない実態が明らかになった。調査対象者の22%しか「借金を背負ってでも大学に行く価値がある」と答えておらず、47%が「借金がなければ価値がある」、29%が「いずれにしろコストに見合わない」と回答した。すでに大学を卒業した人々の間でも、過半数が借金を払って進学することに懐疑的であった。

こうした見方の背景には、米国での学生ローン残高の高止まりと授業料の高騰があげられる。一方で、最近10年間の収入動向をみると、非大卒の若年層の実質収入は増加基調にあり、大卒者との格差が縮小傾向にある。特に男性非大卒者の収入は1970年代の水準に達していないものの、女性非大卒者と比べると高い。

加えて、多くの企業が採用で学位取得を必須条件としなくなり、スキル重視に転換したことで、「良い仕事に就くための大学の価値」を疑問視する声が高まっている。調査では49%が高給与職への大学の重要性が低下したと答え、65%が重要性は中程度以下と回答した。

こうした結果から、米国社会で大学教育の価値に対する懐疑的な見方が強まり、コスト面でも就職面でも大学進学のメリットが薄れつつあることがうかがえる。

この記事は、元記事の要約です。詳細を知りたい方は、元記事を御覧ください。

【私の論評】学生運動の限界:高等教育の歴史と社会変革の未達成

まとめ
  • 米国では、過去に大学教育が広く奨励され、経済的な障壁なく多くの人に高等教育の門戸を開くことが求められていた。
  • 1960年代の学生運動は、大学教育の機会均等を求める動きの一環として、既存の価値観や体制に対する反発が広がった。
  • ドラッカー氏は、学生運動の背景に若者人口や大学生数の増加があり、これが反抗運動を生んだと分析している。
  • 現在は少子高齢化と大学教育に対する価値観の変化があることと、ドラッカー氏が指摘したように、学生運動が建設的な代替案を提示せず、運動が社会改革に結びつかなかった点が認識されている。
  • 学生運動が長期的に再燃する可能性は低いと考えられる。
過去には、米国社会で大学以上の高等教育を受けることが強く奨励されており、できる限り大学に行くべきだという価値観が広く共有されていました。

米トルーマン大統領

その一例として、1947年に発表された「高等教育のための大衆的機会均等に関する大統領委員会報告書」(通称「トルーマン委員会報告書」)があげられます。この報告書は、戦後の米国社会における高等教育の役割と重要性を強調し、以下のような見解を示しています。

「米国において、高等教育の門戸は、能力さえあれば、あらゆる市民に等しく開かれていなければならない。...中産階級や貧困層出身の有能な学生であっても、経済的理由から高等教育を受ける機会を失うべきではない。」

このように、経済的状況に関わらず、可能な限り多くの人が高等教育を受けることが望ましいと位置づけられていました。

また、1960年代に発表された「高等教育のための機会均等に関する報告書」も、大学教育のさらなる機会拡大を求めています。同報告書は「多くの優秀な学生が経済的理由で大学に行けない」状況を指摘し、連邦政府による財政支援拡充を提言しました。

このように、トルーマン政権時代から1960年代にかけて、大学教育を受けることが個人の社会的上昇に不可欠であり、できる限り多くの人に門戸を開くべきだとの認識が、政策文書からも窺えます。当時は確かに、大学に行くことが一般的な価値観とみなされていたと言えるでしょう。

そうして、この動きは1960年代の米国学生運動にも結びついたと考えられます。

1960年代は世界中で学生運動の嵐が吹き荒れた時代でした。

日本を含めた先進国を中心に、大学生らが従来の価値観や体制に疑問を呈し、大規模なデモやストライキを展開しました。ベトナム戦争への反対、人種差別への抗議、大学の権威主義的体制へのアンチテーゼなどが主な運動の背景にありました。

こうした学生運動の潮流を小説や映画でも取り上げられ、代表作の一つが1970年の映画「The Strawberry Statement」(原題)です。この映画は、ジェームズ・サイモンズの同名小説を映画化した作品です。

物語は1960年代後半のニューヨークの架空の大学を舞台に展開します。主人公のサイモンは、当初は受け身の学生でしたが、やがて学生運動に身を投じ、大学側との対立が深まっていきます。大学は徐々に弾圧的な姿勢を強め、遂には武力鎮圧にまで至ります。

この映画は、ベトナム戦争をはじめとする時代の矛盾に疑問を投げかける学生たちの思いと、それに対する体制側の威圧的な反応を描き出しています。タイトルの"Strawberry Statement"は、作者が風刺的に用いた言葉が由来だと言われています。

つまり「The Strawberry Statement」は、1960年代の学生運動の実相を活写した問題作であり、当時の大学生の価値観の変容と体制側との対立を象徴的に表した作品と言えるでしょう。

映画『いちご白書』のポスター

最近米国では学生運動が再燃しています。パレスチナ・ガザ地区でのイスラエルの軍事作戦を受け、米国の大学キャンパスでパレスチナ支持の学生運動が活発化しました。一部の運動はイスラエル批判を越え、反ユダヤ主義的とみなされる言動に走る事態となりました。

コロンビア大学などでは、学生による構内占拠が起き、連邦議会から大学への介入要求が相次ぎました。学長は辞任に追い込まれる事態にまで発展しました。

今回の米国の学生運動が1968年のような規模の暴力的運動に発展するかは不透明ですが、コロンビア大学では卒業式の中止が決定される事態となり、大学側の対応が試される事態となっています。

このような学生運動の展開は、1968年の世界的な大学紛争の嵐を想起させます。フランス、米国、日本などで当時は激しい学生運動が起きていました。日本では東大の機動隊導入で運動が過激化し、入試中止にまで至りました。

この事実をもって米国で学生運動の嵐が再燃したり、これが日本などの他の国々でも、飛び火するのではと懸念する人もいます。しかし、私は学生運動は短期的に再燃することはあっても、長期的に再燃し続けることはないと思います。

 経営学の大家ドラッカー氏は、1960年代後半の学生運動の背景の1つとして、若者人口の増加や大学生の絶対数の増加をあげていました。

具体的には、以下の著書の中でそのように述べています。

『マネジメント 課題、責任、実践』(Management: Tasks, Responsibilities, Practices, 1973年)

  • この中で、ドラッカーは「ベビーブーム世代が大学に入ったことで、学生数が爆発的に増えた」と指摘しています。
  • そして「大量の若者が集まれば、必ず何らかの反抗運動が起こる」と分析しています。

つまり、ドラッカー氏は学生運動が活発化した背景として、若者人口や大学生の絶対数の増加という量的な要因を1つの原因とみなしていたということがわかります。

無論それだけではなく、価値観の変化や大学教育の問題点など、質的な要因もありました。ただし若者人口の絶対数増加は、学生運動が巨大な社会現象として興隆する上で必要不可欠な量的基盤であり、ドラッカーもそれを重視していたと理解できます。

今日の少子高齢化の社会においては、若者人口の絶対数増加はなく、絶対数の減少が顕著になっています。

さらに、上の記事にもある近年の調査結果が示すように、高等教育を巡る価値観は大きく変容しつつあり、借金を払ってまでも大学に行く必要性については、米国社会で疑問視される傾向が強まっています。

社会の大勢が、大学は行けるなら行くべきものという考え方が主流で、しかも若者の人口が増えつつある社会においては、学生運動が興隆しますが、大学に借金してまで積極的にいくべきところではないという価値観が大勢をしめ、少子化で若者が減少する社会においては学生運動が、一時的に興隆するようにみえても、長く続くことはないでしょう。

1960年代の日本の学生デモ

さらに学生運動が社会に改革をもたらさなかったことも、学生運動が今後再燃することはないことの根拠になりえると思います。

ドラッカーも学生運動を評価してはいません。ドラッカーが1960年代後半の学生運動について言及している主な著書は以下のとおりです。

『断絶の時代』(The Age of Discontinuity, 1969年)

  • この著書の中で、ドラッカーは学生運動を「権力の空白」と呼び、既存の制度や権威に対する挑戦と位置づけています。
  • しかし同時に、学生運動が建設的な代替案を提示していないことを批判しています。
『新しい現実』(The New Realities, 1989年)

  • この著書でも1968年の学生運動を取り上げ、「反体制的」であり「単なる抗議」に終始したと評価しています。
  • 学生たちが大学の既得権益に反発しつつ、自分たちも将来の既得権益層になろうとしていた矛盾を指摘しています。
『マネジメント 課題、責任、実践』(Management: Tasks, Responsibilities, Practices, 1973年)
  • この著作では、学生運動に関する直接的な言及はありませんが、大学教育の改革の必要性を説いています。
  • 専門教育に偏重し、人間性や倫理教育が軽視されていることを危惧しています。

ドラッカーは学生運動の一時的なインパクトは認めつつも、その目的や手段、大学体制への批判の一貫性のなさに疑問を呈していたことがわかります。

いわゆる学生運動が、何らかの改革や、改善に結びつき、社会を良い方向に変えていたのなら別ですが、そうではなかったのですから、これが長続きする可能性は低いでしょう。無論これは、米国だけではなく、先進国に共通することであり、日本などで学生運動が再燃する可能性はかなり低いでしょう。

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