まとめ
- フランスのゲーム会社UBIソフトが発売予定の『アサシン クリード シャドウズ』で、黒人の弥助を主人公の一人にしたことが炎上している。
- 発売中止を求めるオンライン署名の賛同者が約10万人に達し、「日本の文化と歴史に対する侮辱」であるとの声が高まっている
- 弥助が実際に侍だったかどうかについて、SNSで無意味な論争が起きている。
- 日本史に関する誤った認識が海外で拡散されることへの懸念が高まっている。
- UBIは創作表現の自由を主張しつつも、日本の懸念を認識していると声明を出した。
アサシン クリード シャドウズ |
この騒動の主な論点は、弥助の描写、歴史的正確性、黒人奴隷に関する記述、文化的配慮、著作権問題など多岐にわたります。ゲーム内で弥助は「伝説の侍」として描かれていますが、史実では織田信長の従者や荷物持ちだったとする見方が強く、侍であったかどうかは議論の的となっています。また、ゲームの舞台設定や描写に多くの歴史的な誤りがあると指摘されており、例えば桜が咲いている時期に田植えをしているなど、季節感がばらばらであるという批判があります。
さらに、トーマス・ロックリー氏の著書『信長と弥助』に「地元の名士のあいだでは、権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ」という記述があり、これが歴史的事実と異なるとして批判を受けています。日本の文化や歴史に対する理解不足や敬意の欠如が指摘されており、これがアジア人差別につながる可能性があるとの懸念も示されています。また、ゲーム内で使用されているデザインが実在する関ケ原鉄砲隊の旗印を無断で盗用しているとの指摘もあります。
これらの問題に対し、発売中止を求めるオンライン署名が10万人近くの賛同を集めるまでに至りました。Ubisoftは23日に声明を発表し、「創作表現の自由」を強調しつつ、日本の皆様に懸念を生じさせたことについて謝罪しました。しかし、この問題は単なるゲームの内容を超えて、歴史認識や文化的表現の在り方に関する広範な議論を引き起こしています。特に、弥助を通じて日本における黒人奴隷の存在が誤って認識される可能性や、これが「第二の慰安婦問題」のように歴史的事実の歪曲につながる懸念が示されています。
この騒動は、グローバル化が進む現代において、歴史的・文化的な題材をエンターテインメントに取り入れる際の難しさと、それが引き起こす可能性のある問題を浮き彫りにしています。
この記事は、元記事の要約です。詳細は、元記事をご覧になってください。
【私の論評】日本の奴隷制度の真実:黒人奴隷と武士に関するフェイク情報の検証と歴史的事実
まとめ
- 日本の隷属制度(奴婢制度)は西洋の奴隷制度とは本質的に異なり、人種に基づくものではなく、1871年に完全に廃止された。
- 日本で黒人奴隷や黒人武士が広く存在したという主張を裏付ける歴史的証拠は、公式な歴史書や学術研究において見当たらない。
- 日本は歴史的に人種差別に反対する立場を取っており、1919年のパリ講和会議では国際連盟規約に人種差別撤廃条項を提案した。
- 「日本における黒人奴隷や黒人武士」というフェイク情報の広まりは、現代のインターネット環境や国際的な情報流通が一因となっている。
- この誤情報を放置すれば日本の国際的評価や外交関係に悪影響を及ぼす可能性があるため、正確な情報発信と国際社会との対話を通じた事実に基づいた歴史認識の共有が重要である。
「日本における黒人奴隷や黒人武士」というフェイク情報が広まる背景には、複数の要因が絡み合っています。この問題を正確に理解するためには、日本の歴史的背景と隷属制度の実態を把握するとともに、これらの主張を裏付ける歴史的証拠の欠如についても認識する必要があります。
日本の社会構造と隷属制度は、西洋の奴隷制度とは本質的に異なるものでした。日本には「奴婢(ぬひ)」と呼ばれる隷属民が存在しましたが、これは主に債務や犯罪によって自由を失った人々であり、人種に基づくものではありませんでした。
西欧の奴隷制度では、奴隷は家畜同様に扱われ、人権を完全に否定され、売買の対象となっていました。一方、日本の奴婢は、法的に完全な無権利状態ではなく、ある程度の権利を有していました。
重要な歴史的事実として、1587年に豊臣秀吉が伴天連追放令を出した背景があります。秀吉は、ポルトガルやスペインの商人が日本人を奴隷として海外に売り飛ばしていたことを知り、激怒しました。これは日本人の尊厳を守るための措置であり、同時にキリスト教の布教を制限する目的もありました。
さらに、日本の人種差別に対する姿勢を示す重要な事例として、1919年のパリ講和会議における日本の提案があります。日本は国際連盟規約に人種差別撤廃条項を盛り込むよう提案しました。この提案は当時の世界情勢において画期的なものでしたが、残念ながら採択されませんでした。しかし、この事実は日本が早い段階から人種差別に反対する立場を国際社会で表明していたことを示しています。
パリ講和会議日本全権及び随員記念写真 ホテル・ブリストルにて 大正9年6月 クリックすると拡大します |
また、日本の奴婢制度は明治時代に入ると正式に廃止されました。1871年の解放令(賤民解放令)により、奴婢を含む全ての隷属身分が法的に廃止されました。これにより、日本は法的に隷属制度を完全に撤廃し、全ての人々に法的な自由と平等を保障する社会へと移行しました。
日本が組織的な奴隷制度を採用していなかった理由の一つは、日本の社会が比較的閉鎖的で、大規模な外国人労働力を必要としなかったことにあります。また、日本の農業システムは小規模な家族経営が中心であり、大規模なプランテーション経済が発達しなかったことも要因の一つです。
重要なのは、日本で黒人奴隷や黒人武士が広く存在したという主張を裏付ける歴史的証拠が、日本の公式な歴史書や学術研究において見当たらないという事実です。日本の歴史書、古文書、公文書などには、黒人奴隷制度や黒人武士の存在を示す記録がほとんどありません。
このような歴史的証拠の欠如にもかかわらず、「日本における黒人奴隷や黒人武士」というフェイク情報が広まる背景には、現代のインターネット環境や国際的な情報の流通が関係しています。例えば、2016年に出版された『African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan』(写真下)は、弥助の物語を紹介していますが、その内容が誤解を招きやすいものであったため、誤情報が広まりました。
さらに、Wikipediaなどのオンライン情報源が誤情報を拡散する一因となり、主要メディアに引用されることで誤った情報が広く認識されるようになりました。日本の歴史や文化に詳しくない外国人にとっては、これらの情報の真偽を判断することが難しい場合があります。
このような誤情報が広まることの影響として、日本の国際的なイメージや外交関係に悪影響を及ぼす可能性があります。特に、人種差別や歴史的な不正義に対する感受性が高い国々では、誤情報が日本に対する批判や誤解を招くことがあります。
したがって、日本の歴史や社会構造について正確な情報を発信し、誤解を解消するための努力が重要です。日本が組織的な奴隷制度を採用していなかった事実を、歴史的背景や社会構造の違いとともに説明し、さらに歴史的証拠の欠如を指摘することで、より深い理解を促すことができるでしょう。
国際社会との対話を通じて、事実に基づいた歴史認識を共有することが必要です。この点を怠れば、「日本における黒人奴隷や黒人武士」の問題が、第二の慰安婦問題や徴用工問題になりかねません。これらの問題では、歴史認識の相違が長年にわたる外交問題や国際的な批判につながりました。同様に、黒人奴隷や黒人武士に関する誤った情報が広まり、それが定着してしまえば、日本の国際的な評価を損ない、外交関係に深刻な影響を与える可能性があります。
特に、人種問題に敏感な国々との関係において、このような誤解は重大な問題となる可能性があります。誤った歴史認識が広まれば、それを訂正するのは非常に困難になり、長期にわたって日本の外交や国際関係に悪影響を及ぼす可能性があります。
したがって、早い段階で正確な情報を積極的に発信し、誤解を解消するための努力を行うことが極めて重要です。同時に、国際社会との建設的な対話を通じて、相互理解を深め、事実に基づいた歴史認識を共有することが不可欠です。このような取り組みによって、将来的な外交問題や国際的な批判を未然に防ぐことができるでしょう。
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