加計学園問題についてここに来て自民党が巻き返しを図っている。これまでは疑惑を否定するのみで防戦一方だったが、攻撃を仕掛け始めた。
青山繁晴氏の理路整然とした攻撃ラッシュ!
(1)青山繁晴氏による時系列の整理。
新しい需要が獣医師にあるのかないのか、文部科学省に挙証責任が発生。締切を2016年3月31日として説明する責任が生まれた→文部科学省は締切までにできなかった→これを見てか、京都産業大学が名乗りをあげた→安倍政権は文部科学省の敗北とはせず、半年伸ばしてあげた→文部科学省の課長補佐が戦略特区のワーキンググループで「挙証責任はそちらにある」ととんでもなく勘違いした失言をしてしまう→即座に「挙証責任がひっくり返っている」と言い返される(議事録10ページ目)→文部科学省は反論なし→ここで議論は決着がついた(はずだったのに文部科学省は後からごねだした)
(2)総理のご意向と記されたメモ(内部文書)はおかしい。課長級(今回は課長補佐)の交渉で決着したことに改めて内閣総理大臣が口を出すのは行政の現場からしたら信じられないこと。外務省や防衛相の知り合い全てに聞いてもみんなが「あり得ない」と言っていた。
(3)獣医師会の蔵内勇夫会長は西日本新聞のインタビューで「規制緩和が決まった後はせめて1校にして下さいとお願いしました」と言ってる。京都産業大学は次回以降に期待を繋ぐ形で無理をせずに矛を収めた。
(4)青山繁晴「前川さんは『獣医師不足はないから加計学園を作るのは行政を歪められた』と言ってますよね?」
前川喜平「加計学園だけ認められたプロセスが問題だと思っています」
※加戸守行前知事によると、岩盤規制となり52年間も獣医学部新設を認めなかった文部科学省こそが歪んでいる。国家戦略特区はむしろ歪みを正そうとしていた。
加戸守行前知事の証言により安倍総理が潔白であることはすでに多くの国民が納得した。悪者は既得権益にしがみついた獣医師会だったのだ。そして前川喜平氏をはじめとし、文部科学省や民進党、マスコミが結託して誤った事実認識で安倍政権をバッシングしていた。
改めて事実関係を整理してみれば、ここで前川喜平氏が答えられない都合の悪い質問が出てくるのは当然だろう。
参考:「文書を流出させたのは前川さん?YESかNOかで答えて」前川喜平「回答を差し控えたい」うわあああああ
果敢に攻撃を仕掛けた青山繁晴氏は非常にいい仕事をした。もともと一方的に政府を攻撃していた前川喜平氏はいつの間にか自分が防御する立場になっていた。国民はすでに前川喜平氏を疑いの目で見ている。
【私の論評】加計は、大東亜戦争直後に米大統領が勝利のため不正な対日工作をしたというに等しい大フェイク(゚д゚)!
加計問題なる問題は、もともと存在しないという明瞭な事実を青山氏は指摘しています。これは、わたしも全くそのとおりだと思います。上の記事では、これまでは疑惑を否定するのみで防戦一方だったとしていますが、何かあれば別にして、最初から何も問題がないのですから、政府が防戦一方にまわるのは当たり前といえば、当たり前です。
もし、そうではなく何か隠蔽しなければならないような問題があれば、それを払拭するために迅速に動くということもありますが、そうではないので、政府としても何も問題のない事柄にそのような備えをする必要性にも迫られず、防戦一方に回ってきたのは致し方ないのです。それをせめる人もいるようですが、それは筋違いと思います。
上の記事の「(1)青山繁晴氏による時系列の整理。」のところに出て来る、公表されている議事録については、これを含めて他の議事録と他の資料も含めてこのブログで紹介したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
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さて、「国家戦略特区の議事録」とはこのブログでも何度か掲載してきました。それは、おそらく以下のものだと思います。これは、以前このブログにも掲載したものですが、再掲します。
たとえば、①2015年6月8日国家戦略特区ワーキンググループ議事録では、以下のよう牧野課長補佐の発言があります。牧野課長補佐とは、以前にもこのブログに掲載した、伝言ゲームで今回の問題で誤解が広まったその元になった文書を作成した人です。
②の閣議決定では、要求されている獣医学部新設の需要見通しについて、許認可をもち需要見通しの挙証責任がある文科省が、まったくその役割を果たせていないことが分かります。しかも、②では、2015年度内(2016年3月までに)に獣医学部の新設の是非について検討するという期限が切られているのですが、それすら文科省は守れていないことがわかります。
これでは、文科省の完敗です。加計問題に係る規制緩和の議論は、課長レベルの事務交渉で決着がついてしまっていたののです。総理の参加する諮問会議の前にこれだけ完膚なきまでに文部省は負けてしまい、さらにはその無能ぶりまでさらけ出してしまってるのです。この問題のいずれかの過程で「総理の意向」が出てくる余地はまったくありません。
閣議決定と、議事録は、公文書です。しかも一般公開されているものですから、閣議参加者、会議出席者の了承を得たものを掲載しています。文部省内のパソコンにある職員のメモ書きとは全く性質が異なるものです。どちらが、信憑性が高いかといえば、メモ書きよりも、公文書のほうがはるかに信憑性が高いです。
仮に、この問題が裁判などになった場合、公文書はそのまま証拠として提出できますが、メモ書きはそれだけでは証拠にはなりません。
これらの文書と、別の記事に掲載した以下の時系列の表を照らし合わせると、いわゆる「総理のご意向」などがあったなどとは到底考えられないです。
2016年9月16日の段階で、特区グループヒアリングが行われています。その内容は議事録にも掲載されています。その内容は、上でも示したように文部省側の完敗です。
その後に、「総理の意向」などという文言の入った、文部省内の2016年9月26日のメモ書きがでてきましたが、この内容が本当だとすると、9月16日のワーキング・グループの議事録とは完璧に矛盾します。
もうすでに、課長レベルの話し合いで、9月16日に文部省は完敗しているのに、その後に「総理のご意向」などでてくる余地などありません。総理のご意向などなくても、獣医学部新設は決まっていたのです。
この状況をたとえていうと、あまり良いたとえではないかもしれませんが、大東亜戦争直後に米大統領が対日勝利のため不正な対日工作をしたというのに等しい大フェイクです。
このような作り話で、当時の米大統領を失脚させようなどと目論んだとしても、誰が考えても無理な話です。
このようなことは、議事録を読んだり、時系列で物事を考えれば誰にでもも簡単にできることです。
しかし、マスコミも野党もこの議事録は完璧に無視しています。本当に不思議です。この議事録は誰もが読めるものであり、加計問題なるものが存在するというのなら、文部省内のメモ書きなどの文書よりも、まず最初にこれらの文書を読み内容を解析すべきです。
そうすれば、マスコミ・野党の立場にたったとしても、これは安倍政権を追求するには、あまりに筋悪であることが最初からわかったはずです。
にもかかわらず、マスコミや野党がこのような追求を今に至るまで続けるのか、全く理解に苦しみます。
なぜそうするのか、2つしか考えられません。頭が悪すぎて、読解力がないのか、悪意に満ちているかのいずれかです。
私としては、悪意に満ちていたとしても、ある程度頭が働けば、加計問題で政府を追求するのは、あまりに筋悪であることに気づき、多少は追求するとしても、やめるはずです。
ということは、マスコミも野党も頭が悪いということになりそうです。
私からすれば、字が読めないレベルなのではないかと思ってしまうほどです。無論、字は読めて、字を読んでその内容を口で発語することはできるのでしょうが、1議事録など読んでも、その意味するところが理解できないのではないかと思います。
このような症状を機能的識字というそうです。機能的非識字(きのうてきひしきじ、英語:Functional illiteracy)とは、個人が日常生活において、読み書き計算を機能的に満足に使いこなせない状態を指します。機能的文盲ともいいます。
読み書き計算を機能的に使いこなせる状態である機能的識字、機能的リテラシー(Functional literacy)と対義語的に用いられます。これに対して、簡単な読み書きや計算のみできる状態を識字、ごく簡単な文章の読み書きや計算もできない状態は非識字、といいます。
非識字者は、読み書きが全くできません。これとは対照的に、機能的非識字者は、母語における読み書きの基本的な識字能力は有していながら、さまざまな段階の文法的正確さや文体などが水準に及ばないのです。
つまり、機能的非識字の成人は、印刷物に直面しても、現代社会において機能する行動ができないし、たとえば 履歴書を書く、法的な契約書を理解する、指示を書面から理解する、新聞記事を読む、交通標識を読みとる、辞書を引く、バスの運行スケジュールを理解する、などの基本的な社会行動をとることができないのです。
加計問題なる問題は、もともと存在しないという明瞭な事実を青山氏は指摘しています。これは、わたしも全くそのとおりだと思います。上の記事では、これまでは疑惑を否定するのみで防戦一方だったとしていますが、何かあれば別にして、最初から何も問題がないのですから、政府が防戦一方にまわるのは当たり前といえば、当たり前です。
もし、そうではなく何か隠蔽しなければならないような問題があれば、それを払拭するために迅速に動くということもありますが、そうではないので、政府としても何も問題のない事柄にそのような備えをする必要性にも迫られず、防戦一方に回ってきたのは致し方ないのです。それをせめる人もいるようですが、それは筋違いと思います。
上の記事の「(1)青山繁晴氏による時系列の整理。」のところに出て来る、公表されている議事録については、これを含めて他の議事録と他の資料も含めてこのブログで紹介したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
クロ現5分延長の謎 NHK内部で政治部vs社会部が表面化―【私の論評】全国視聴者の前で政治部にケンカを売ったNHK社会部は馬鹿さ加減をさらけ出した(゚д゚)!詳細は、この記事をご覧いただくものとして、
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さて、「国家戦略特区の議事録」とはこのブログでも何度か掲載してきました。それは、おそらく以下のものだと思います。これは、以前このブログにも掲載したものですが、再掲します。
①2015年6月8日国家戦略特区ワーキンググループ議事録(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc_wg/hearing_s/150608_gijiyoushi_02.pdf)
②2015年6月29日閣議決定(文科省部分、http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu22/siryo/__icsFiles/afieldfile/2015/09/02/1361479_14.pdf)
③2016年9月16日国家戦略特区ワーキンググループ議事録(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc_wg/h28/shouchou/160916_gijiyoushi_2.pdf)これらの文書を読めば、文科省はワーキンググループの時点で、完敗していることが手にとるようにわかります。
たとえば、①2015年6月8日国家戦略特区ワーキンググループ議事録では、以下のよう牧野課長補佐の発言があります。牧野課長補佐とは、以前にもこのブログに掲載した、伝言ゲームで今回の問題で誤解が広まったその元になった文書を作成した人です。
課長補佐の牧野美穂氏(33) |
○牧野課長補佐 そこまでは言っていませんけれども、既存の獣医師養成の分野に関して は少なくとも今足りているというように我々は農水省さんから聞いておりますので、その 上で関係者も納得するような、これは新しい構想だというようなものを具体的な需要の数 までも示した上でお示しいただければ、こちらとしても一緒に検討していきたいというこ とでございます。
○原委員 挙証責任がひっくり返っている。
ここで、原委員の言う「挙証責任がひっくり返っている」という発言の意味するところは、本来既存の獣医師数が足りているのか足りていないのか、あるいは新しい構想による獣医師の需要数など、本来文科省が示すべきなのに、あたかも農水省にその責任があるかのように牧野氏が述べていることに対するものです。
そうなのです。本来規制する側が、需要は足りているということを示すことをしなければならないはずです。新しく、獣医学部を設立することを認可しないというのであれば、それを誰もが納得できる形で、データに基づいた資料を提示して説明する責任があるのです。
にもかかわらず、牧野氏は農水省などにこの説明責任を転嫁しているのです。これでは、話にも何もなりません。無責任そのものですし、これでは、新設獣医学部を規制することは到底不可能です。
③2016年9月16日国家戦略特区ワーキンググループ議事録には、以下のような浅野課長の発言がしるされています。
浅野 敦行 文部科学省高等教育局専門教育課長 |
○浅野課長 御指摘いただいたように、もう繰り返しになりますので申し上げませんけれ ども、我々としては先ほど本間先生からも御指摘いただいたように、既存の獣医師でない 構想、獣医師養成でない構想が具体化し、かつライフサイエンスなどの獣医師が新たに対 応すべき分野における具体的な需要が明らかになって、既存の大学・学部では対応困難だ ということであれば、そういったこともしっかり検討していくというつもりでございます。
○八田座長 そうであるかどうかという判定というのはもう今、進めていらっしゃるので すか。それとももう少し提案者等からのヒアリングが必要だということですか。
○浅野課長 恐らくこれは文科省だけでは決められないと思いますので、きちっとしかる べく多分政府全体として、需要と供給の問題も全く関係ないわけではありませんので。
○八田座長 それは関係ないでしょう。文科省は研究が必要かどうか、その観点からやる から文科省に権限があるので、実際の人たちの損得を斟酌するなどということはあり得な いでしょう。文科省は研究の必要性、ちゃんと需要が十分ある研究者を養成するというこ とが必要なら、それは当然やるべきではないですか。ほかのところを見る必要などは何も ないでしょう。
これを読むと、浅野課長は何とか新設獣医学部の設立を阻止しようとしているのですが、その根拠があまりに脆弱なので、やり込められていことが良くわかります。
以前このブログでも示したように、①と③を読むと、内閣府・特区有識者委員と文科省(農水省)による規制緩和議論は、前者の規制緩和推進派の完勝であることがわかります。
②の閣議決定では、要求されている獣医学部新設の需要見通しについて、許認可をもち需要見通しの挙証責任がある文科省が、まったくその役割を果たせていないことが分かります。しかも、②では、2015年度内(2016年3月までに)に獣医学部の新設の是非について検討するという期限が切られているのですが、それすら文科省は守れていないことがわかります。
これでは、文科省の完敗です。加計問題に係る規制緩和の議論は、課長レベルの事務交渉で決着がついてしまっていたののです。総理の参加する諮問会議の前にこれだけ完膚なきまでに文部省は負けてしまい、さらにはその無能ぶりまでさらけ出してしまってるのです。この問題のいずれかの過程で「総理の意向」が出てくる余地はまったくありません。
加問題に関しては、なにやら怪文書のような公文書でもない、メモ書きのものが発見されていたり、野党やマスコミが大騒ぎするので、その本質を見失っている人も多いかもしれません。とにかくこれらのほとんどは、倒閣に結びつけようという悪意に基づくものなので、その本質はかなり見えづらいものになっています。このような、余計なアーティファクト(人工物)を取り除いて、真実を見ることが重要だと思います。
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ちなみに、①が青山繁晴氏が指摘している議事録です。②の閣議決定、③のワーキング・グループの議事録もあわせて読んでいただくと、青山繁晴氏の主張が正しいことがご理解いただけるものと思います。閣議決定と、議事録は、公文書です。しかも一般公開されているものですから、閣議参加者、会議出席者の了承を得たものを掲載しています。文部省内のパソコンにある職員のメモ書きとは全く性質が異なるものです。どちらが、信憑性が高いかといえば、メモ書きよりも、公文書のほうがはるかに信憑性が高いです。
仮に、この問題が裁判などになった場合、公文書はそのまま証拠として提出できますが、メモ書きはそれだけでは証拠にはなりません。
これらの文書と、別の記事に掲載した以下の時系列の表を照らし合わせると、いわゆる「総理のご意向」などがあったなどとは到底考えられないです。
その後に、「総理の意向」などという文言の入った、文部省内の2016年9月26日のメモ書きがでてきましたが、この内容が本当だとすると、9月16日のワーキング・グループの議事録とは完璧に矛盾します。
もうすでに、課長レベルの話し合いで、9月16日に文部省は完敗しているのに、その後に「総理のご意向」などでてくる余地などありません。総理のご意向などなくても、獣医学部新設は決まっていたのです。
この状況をたとえていうと、あまり良いたとえではないかもしれませんが、大東亜戦争直後に米大統領が対日勝利のため不正な対日工作をしたというのに等しい大フェイクです。
このような作り話で、当時の米大統領を失脚させようなどと目論んだとしても、誰が考えても無理な話です。
このようなことは、議事録を読んだり、時系列で物事を考えれば誰にでもも簡単にできることです。
しかし、マスコミも野党もこの議事録は完璧に無視しています。本当に不思議です。この議事録は誰もが読めるものであり、加計問題なるものが存在するというのなら、文部省内のメモ書きなどの文書よりも、まず最初にこれらの文書を読み内容を解析すべきです。
そうすれば、マスコミ・野党の立場にたったとしても、これは安倍政権を追求するには、あまりに筋悪であることが最初からわかったはずです。
にもかかわらず、マスコミや野党がこのような追求を今に至るまで続けるのか、全く理解に苦しみます。
なぜそうするのか、2つしか考えられません。頭が悪すぎて、読解力がないのか、悪意に満ちているかのいずれかです。
私としては、悪意に満ちていたとしても、ある程度頭が働けば、加計問題で政府を追求するのは、あまりに筋悪であることに気づき、多少は追求するとしても、やめるはずです。
ということは、マスコミも野党も頭が悪いということになりそうです。
私からすれば、字が読めないレベルなのではないかと思ってしまうほどです。無論、字は読めて、字を読んでその内容を口で発語することはできるのでしょうが、1議事録など読んでも、その意味するところが理解できないのではないかと思います。
このような症状を機能的識字というそうです。機能的非識字(きのうてきひしきじ、英語:Functional illiteracy)とは、個人が日常生活において、読み書き計算を機能的に満足に使いこなせない状態を指します。機能的文盲ともいいます。
読み書き計算を機能的に使いこなせる状態である機能的識字、機能的リテラシー(Functional literacy)と対義語的に用いられます。これに対して、簡単な読み書きや計算のみできる状態を識字、ごく簡単な文章の読み書きや計算もできない状態は非識字、といいます。
非識字者は、読み書きが全くできません。これとは対照的に、機能的非識字者は、母語における読み書きの基本的な識字能力は有していながら、さまざまな段階の文法的正確さや文体などが水準に及ばないのです。
つまり、機能的非識字の成人は、印刷物に直面しても、現代社会において機能する行動ができないし、たとえば 履歴書を書く、法的な契約書を理解する、指示を書面から理解する、新聞記事を読む、交通標識を読みとる、辞書を引く、バスの運行スケジュールを理解する、などの基本的な社会行動をとることができないのです。
新たな「非識字者」が増えている:Facebookを読めても、現実は理解できない人たち |
機能的非識字の場合はまた、情報技術にかかわることが難しいのです。たとえばパソコンで文書作成やウェブ閲覧をしたり、表計算ソフトの利用ができない、携帯電話を効果的に使えない、などの弊害もあるそうです。
無論、メディア関係や野党の人々は、ここまで酷い機能的非識字ではないのでしょうが、それにしても、印刷物に直面しても、現代社会において、たとえばマクロ経済のまともな書籍を読んでも、それに対して機能する行動ができず、デフレのときに増税すべきなどというとんでもない記事を書いたり、報道したりするのでしょう。
無論、メディア関係や野党の人々は、ここまで酷い機能的非識字ではないのでしょうが、それにしても、印刷物に直面しても、現代社会において、たとえばマクロ経済のまともな書籍を読んでも、それに対して機能する行動ができず、デフレのときに増税すべきなどというとんでもない記事を書いたり、報道したりするのでしょう。
あるいは、そもそも、経済記事を書いていても、マクロ経済に関する知識を得る必要性など感じず、ただただ、財務省などの発表をそのまま記事にするなどの行動に出るのだと思います。
そうして、今回の加計問題では、「総理ご意向」があるはず、なければならないはずだ、という過度の思い込みから、情報を収集するため、本来まともに読めば、理解できるはずのものを理解できない状況に陥っているのだと思います。
こんなこと長年続けていれば、最初は頭の良かった人も悪くなってしまうと思います。
だから、このようなはっきりとした大フェイクに未だにしがみついているのだと思います。このような報道をされたり、国会での論議を見せつけられる視聴者はたまったものではありません。
私のように、当初から議事録などの情報にあたった側からすると、現在のいわゆる加計問題の野党による追求や、マスコミの報道は、非常に腹立たしいです。ただし、最初はそうだったのですが、最近では腹立たしさなど通り過ぎて、虚脱感すら感じます。
そうでない人にとっても、マスコミの報道や野党の追求をみていても、元々何も問題のないものに関して、問題ありとしているわけですから、かなり無理があり、最初のうちは注目を浴びても、その後はかなりの消化不良気味な状況にあると思います。
野党やマスコミ、こんなことを続けていると、多くの人から完璧に飽きられてしまうか、フェイクであることを見破られ、怒りを買い、視聴率や支持率などをかなり下げてしまうことになるでしょう。
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