2007年4月17日火曜日

Springtime for Hitler and Germany


前々回掲載した、プロデューサーズですが、写真や言葉だけだとわかりにくいと思いましたので、今回は映画の中の一部を掲載します。

これは、ミュージカル映画です。ミュージカルの中にミュージカルの舞台があります。そのミュージカルの中で演じられている舞台のタイトルが"Springtime for Hitler & Germany"です。何がなにやらわからないでしょう。実はこの映画、1970年代にメルブルックスがミュージカルではない、映画で監督した作品のリメイクです。リメイクとはいってもミュージカル化したものです。無論ブロードウェイでも興業されていたものです。とにかく、春の日のヒトラーとドイツという舞台です。この、映画これだけでは理解できないでしょう。是非一度見ていただきたいものです。

2007年4月15日日曜日

Web2.0的話題-未来社会への変革(ピーター・ドラッカー財団員共著)


上記は平成13年度のサイバーコミュニティーを含む概念図。現実はもっと違った形で進んでいる。
Mixiなどのサイバーコミュニティーが大流行ですね。私は、サイバーコミュニティーは今後の社会変革において必要不可欠と考えています。 このサイバーコミュニティーを的確にあらわしているのが、今回掲載する『未来へ社会への変革』です。私がこの書籍を購入したのは、2000年のことでした。購入した当時は何のことかピンときませんでしたが、最近になって読みかえしてみてその意味するところがわかるようになりました。みなさんも、是非読んで見てください。

初版1999年

                     フォレスト出版

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

利己的人間に満たされた都市は崩壊する。利他的に生きなければ都市に未来はない。組織のメンバーは、とかく組織が自分に何かをしてくれることを期待しがちである。

景気が悪くなれば、政府の景気対策を非難する経営者がそうだ。教育の問題をすべて学校のせいにする親もしかりだ。枚挙にいとまがない。まずは、自分が人のために何ができるかを各人が考え、それをうまく実行するために集まる。こうしてできた共同体が、企業にも、公的機関にも、政府にも、都市のあらゆる組織に自然発生することだけが、都市を救うのだ。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

< 本 文 要 約 >

【1】共同体をつくる

近年、世界中のあらゆる国の主要都市が、混沌たるジャングルのようになった。今後、あらゆる国でこれらの都市を文明化することが最高の優先課題となる。

そのためには、各都市に新たな共同体が築かれなければならない。もともと、都市とは強制的共同体の抑圧から逃れるために構築されたものだ。

しかし、その後都市独自の共同体が築かれなかったために、現在の破滅的状況を招いてしまったのだ。我々人類は、本来的に共同体を必要とする生き物なのだ。自分に似ている人を探し出し、それ以外の人から自分を防衛しようとする。インターネット上のチャットルームはその典型だ。

だから、もし建設的目的のための共同体が築かれなければ、代わりに破壊的、殺人的共同体が出現するのだ。

【2】都市共同体を築く非営利組織
都市における共同体は、自由かつ自発的組織でなければならない。なお、この共同体を築くのは、非政府、非民間の非営利組織の役目だ。

なぜなら、我々が必要としている共同体とは、教育ある知識労働者のための共同体だからである。そして、非営利組織だけが我々の望む多様性に対応できるのだ。

また、この組織は、住民に貢献する有能な市民のニーズにも応えることができる。つまり、ボランティア活動の機会だ。こうした活動が、社会に秩序と変化の両方を実現するのだ。

【3】自発的組織への参加

共同体のメンバーは、真の意味で相互扶助精神を持ち、自分の時間を組織のために自発的にささげるべきだ。ただし、これは強制されたり、政府の支配下におかれたりするべき類のものでもない。

このようにして築かれた共同体は、都市住民に達成感と貢献と意義を与えるだろう。

20世紀は、先進国を中心に、政府と企業が成長した時代であった。しかし、21世紀には、都市において共同体を築くことができる組織が成長する必要がある。

【4】通信技術が組織を変える

未来の企業組織は、これまでのようなトップダウン型の「たて型組織」ではなく、いくつもの共同体の組み合わせとして機能するようになるだろう。

もともと、これまでの「たて型組織構造」も、管理のツールとしてではなく、コミュニケーションをより効率よく行うために構築されたものだった。しかし今日では新しい通信技術が登場し、コミュニケーションは非同時的、グローバル、共同作業的になった。

このコミュニケーションは、時間と空間を超えてチームを作ることを可能にし組織の壁を打ちこわし、人々の結びつきをより強くする。これにより、未来の組織は共同体(山田加筆:サイバーコミュニティー)に近づくものと思われる。

【5】共同体の運営

新しいパートナーシップが、共同体を再生する力の源である。これを築くために必要なのは、偉大な社会的リーダーである。ビジネスと同じように、ビジョンを持ち、努力をマネジメントできる指導者が公共、民間、産業の三つの分野を巻き込んでパートナーシップを築いていく。

このパートナーシップが、チームワークを生む。建設的で、人を癒すことができ、指導力のある強力なパートナーの指導のもとで壁を超えることは、未来の共同体建設には不可欠である。

なお、公共への奉仕は、共同体運営の前提条件だ。しかし、この質を維持するためには、努力でなく結果を管理されなければならない。そのためには、意見でなく事実に基づき管理をし、また成果は客観的に測定されなければならない。

また、従来の共同体は、地理的に区分されていた。しかし、未来には価値により区分される。つまりどこに住むかでなく、何を信じるかによって区分される。

共同体とは、本来共通の利害のもとに個人が集合した組織だ。この新しい、利害の共同体は、組織内部にとどまらず、顧客、取引業者、パートナーにも利益を与え、その利益を社会全体に及ぼすことになるはずだ。

これを創造し、運営するには6つの手順と方法がある。すなわち、アイデンティティーを育て、ルールをつくり、情報を共有し、相互奉仕関係をつくり、価値を生みだし、類似性を運用するのだ。


【6】他の人々との連帯

科学技術の発展は目を見張るばかりだが、私たちの倫理はほとんど進歩していない。例えば、私たちは他人の痛みや苦痛に対して敏感であるとは言えない。だから、相変わらず将来に対する不安に怯えているのだ。

我々は今日、世界中の出来事を瞬時に知ることができる。だから、もはや知らなかったということは言い訳にできない。確かにこれを解決するための手段や可能性は限られているが、絶望や努力の放棄は所詮言い訳だ。無関心を生むだけだ。

無関心とは孤独なものである。無関心な人間は、他人を見ていない。だから周囲に何も感じないし、他人の身に何が起きても気にしない。底知れない虚無に包まれ、内面を虚無で満たされている。彼らはいかなる希望も将来も持てない。

我々は、21世紀を迎えるにあたり、弱く、虐げられ、孤独で、病み、絶望している人びとと連帯しなければならない。その思いが、共同体に対して気高く人間的な貢献をしたい!という願望になる。そして、自らが何者であるかでなく、他者にとって何かということで自らを規定するようになる。(了)

2007年4月14日土曜日

ミュージカル・ムービーのプロデューサズはニューヨーク BOBOsの価値観共感度の尺度となりえるか?

上の写真はミュージカル・ムービー『プロデューサーズ』宣伝用のピクチャーである。私はこの映画を封切りの時にシネマコンプレックスで見た。その後、DVDを購入して何回も見た。おそらく、トータルで10回以上は見たと思う。

この映画を見ていて思ったのは、この映画はひょっとして、ニューヨークボボズの感性に対する共感度の一つの尺度になるのではないかということである。
私は、ニューヨークに在住したことはない、海外生活も長くはない。せいぜいドイツに一月滞在したのが、最長だ。このときドイツを基点として、ヨーロッパの各国を旅した。このほかに今から思うと素晴らしい親に育てられ、小学校時代からリンガフォンなる高価な教材を与えられ、米語をたたきこまれ、今でも普通の高校の教師よりは英語ができると自負できるようになっている。親に感謝!
大学に入学して、米国人の英語の教師に君はアメリカのどこの高校を卒業したのか、ひょっとしてニュヨークのどこかを卒業したのか?と問われたぐらいだ。本当に親に感謝しなければならない。
おっと自慢話が長くなってしまった。ここで本題に入ろう。皆さんはこの映画をご覧になっただろうか。この映画について周りのひとに聴いてみるとさまざまな反応がある。面白くて面白くて笑い転げてしまったという人と、何が面白いのか良くわからない。私はぜんぜん面白くなかったという人と極端に評価が分かれてしまうということだ。
そこで私は考えた。私やこの映画を見て笑い転げてしまう人は、ちょっと変わっているのかもしれないと。全然面白くないという人の方が平均的なのかもしれないと。
私はこの映画を見ていて、無論日本語のテロップも見ていたが、英語もしっかり聞いていた。英語を聞いていて、ものすごい多量の差別用語のオンパレードである。セールスマンの凍死などの、ブロードウェイで上演されているミュージカルを見ているか、話題を知らないと理解できない内容が満載である。
同じ英語でもアイルランド訛りがある程度理解できないとわからない場面がある。ミュージカルの中ででてくる、CPA(サーティファイド・パブリックアカウンタント)とただのPAの違いが判らないと何のことかも良くわからない場面もある。
さらに、ヒトラーについてアメリカの中でどのような位置づけになっいるのか、さらには、エセルマーマンというアメリカのミュージカルスターの予備知識や、ライザ・ミネリ主演のミュージカル・キャバレーの内容がある程度わかっていないと理解できない内容もでてくる。
いやそれどころか、アメリカの歴史、MGMのミュージカルを見ていないと理解できない事柄、ニュヨークのことがある程度わかっていないと理解できないことが満載である。
しかしながら、私の妻は、アメリカに留学した経験もなく、これらの知識もなく、このムービーを見て笑い転げていた。その一方ニュヨークに留学などで、長い間滞在した人で全く面白くもなんともないなどという人もいる。
これは一体何なんだろうと考えたが、結局出した結論は、このムービーはひよっとして、ニュヨークのボボズ層の感性に共感できるか否かの判定に使えるのではないかということである。感性などというものは、知識、留学などとは全く関係なくして、人類共通のコミュニケーションである。BOBOsも所詮生身の人間なのである。
英語が判ろうが、判らなかろうが、ニューヨークに長く滞在するしないなども別にして、このムービーを見て笑い転げる人は、ニュヨーク・ボボズ層との共感度が高い。そうでない人は共感度が低い。
さて皆さんはどちらに属するのか、もし見たことのない人は是非ご覧になってください。それから、私自身のことだが、所得はどのくらいか、何に興味を持っているいるのかは別にして、気持ちはニュヨークボボズと同じだということである。少なくとも深く共感できる存在だということに気がついた。
それから、ちなみに私は父親に高校時代に三年分のリーダーを丸暗記することを強制された。その当時は大変だったが今では感謝している。英語のできる人は、高校時代に必ずといっていいくらいこれをやっている。もし、皆さんが中高生か、あるいは中高生の子供を持つ親なら、これを自ら実践するか、子供に実践させるべきだ。これをすることによって少なくとも英語の成績に不安を感じることはなくなる。わけのわからない英語塾にかよわせるよりははるかに効果的だ。

なぜ実数が少ないと思われるPOBOBOに注目するか?


上の写真は、イギリスのバーバリー・ブルーレーベルのアイテムです。ブルーレーベルのコンセプトは、あの女優のオードリー・ヘップバーンが現代に生きていていたとしたら、選ぶような商品というコンセプトでつくられています。
さて、POBOBOについて語るには、早くから成熟化社会に突入した先輩格のイギリスが参考になります。
POBOBOは、団塊の世代ジュニアのリッチプア層で、ファミリー層であると定義しました。そうすると、現代では未婚の人も多いわけですから、実数そのものは、いくら団塊の世代のジュニアで多いとはいっても少なくなります。年収200万以下の人は現在日本に2000万人もいるわけですから、そちらをターゲットにするほうが一見良いかもしれません。でも私はそうは考えません。人口の多い階層が必ずしも世間や時代を代表するわけではないのです。
日本はそろそろ成熟化社会の入り口より奥に入り込んでいます。成熟化した社会になった先輩格のイギリスを見てみましょう。イギリスにはジェントルマンという言葉があります。このジェントルマンはイギリスではイギリスの理想、大儀を代表する言葉です。君の考えはジェントルマン的ではないとか、ジェントルマンたるものそのような行動はすべきでないなど、今でも良く使われる言葉です。
しかし、ここでジェントルマンとはもともとはジェントリーという階層を示す用語です。
Wikipediakの概説では、「ジェントルマン(Gentleman)は地主貴族を核とするイギリスの名望家。16世紀から20世紀初頭にかけて事実上イギリスの支配階級であった。貴族ジェントリを中核とし、経済活動の活発化にともない興隆した中流階級を随時取り込む形でその境界を広めながら支配体制の温存を図った。その為、本来は不労所得者である地主貴族層、特に平民身分の最上層を指す言葉であるが、通常は英国国教会聖職者、高級官吏将校医者などの特定専門職従事者も含めて「ジェントルマン」と見做される。「高貴な」出自とともに身に付けた教養や徳性といった要素がジェントルマンの条件とされたため、「紳士的な」人物に対しての形容として用いられることもある」。
なにやら、難しいことが書いてありますが、結局中央の貴族階級の下に属する地方貴族(領主)ということです。貴族とそれ以外の人々の間に挟まる中産階級ということです。中産階級と書くと日本の人は、中流と意識して数が多いものと考えるかもしれませんが、あくまで中間に属するするということで、実数は多くはありません。おそらく数パーセントに過ぎなかったと思います。
これら数の少ない人々の中から、政治家、思想化、芸術家、その他大勢の傑出した人物を多く排出したことと、礼儀正しさ、鷹揚さ、大儀に殉ずる心意気などから、イギリスの良心を代表するような存在となったのです。
これらの人々に照準を合わせた商品サービスはイギリス人全般に広く受け入れられる存在となっていったのです。たとえば、バーバリーというブランドがあります。これは、ジェントルマン層をターゲットにしたブランドですが、ジェントルマンに照準をあわせたが故に、それよりも下の層や上の層にもこよなく愛されています。ジェントリーの下の層の場合は、普段は着ないが、公の席に出る場合のお洒落着として、上の層の場合は公式の場にはもちろん仕立て屋に注文したものを着ていくが、普段着とてして用いるなどです。
今の日本の現状を考えたとき、格差社会から階層化社会に向かっていく可能性が大です。階層社会までいかなくても、格差社会はこれからも続き、もっと格差は広まっていくものと考えます。これは良い悪いは別にして、成熟化した社会では共通した現象です(かつての共産主義国ソ連でもそのような傾向が見られた)。
こうした最中にあって、年収200万以下の人々のライフスタイルが、数が多いというだけで日本の良心や理想、大儀を代表する存在になるでしょうか?私はそうは思いません。では、ごく少数の年収2000万以上の人々(日本では20万人)がそうなるでしょうか?一般の人々からあまりにもかけ離れているため、これらの人々もそうはなりえないと思います。
そんな時に脚光を浴びのはPOBOBOだと思います。POBOBOこそイギリスにおける、ジェントリーのような国の良心や大儀を代表するは存在になりえます。このことに注目していく必要があります、これを育てていく努力が必要だと考えます。

2007年4月13日金曜日

日本のBOBOsとPOBOBOについて-Japanese BOBOs

左の写真は、健康と環境に配慮した生活を志向する層の全般をLOHAS(ロハス)と呼び、LOHAS(ロハス)層の中でも富裕層をターゲットにしたものをBOBOS(ボボス)と呼び、今度はLOHAS(ロハス)層の中の女性層をターゲットにしたものをLUXE(リュクス)と呼ぶそうで、そのリュクスのイメージ映像です。アメリカかフランスの直輸入の概念でしょうか? BOBOsのように日本では、定着するどころか一時的なトレンドにもならないような気がします。日本のマーケターは未だ発想が貧困ですね。かえってスーパーの店頭などで働いている人の眼のほうが確かだと思います。日本と外国では、全く環境などが違うのですから、日本独自のオリジナルな考えをすることはできないのでしょうか?私のPOBOBOの概念はそのまま、日本で普及するとは思いませんが、方向性は正しいと確信していますし、そもそも私自身のオリジナルです。

ところで、日本国内の話では、ここしばらくBOBOsの話は棚上げして、POBOBOばかり掲載してきましたが、日本にも当然BOBOsは存在します。少しこのへんで日本国内の話をおさらいしておきます。私は日本では、少なくとも年収が2,000万以上(日本では年収2000万以上は20万人、200万以下は2000万人)なければ、残念ながらBOBOsにはなりえないと思います。だからこそ、BOBOsは日本では大きなムーブメントになりえなかったのだと思います。それは以前からに述べているように日本では土地や家屋、さらに養育費などが高く、1,000前後の年収ではといもボボズ気分は味わえないからです。

アメリカだとこのくらいの年収でも、BOBOs気分が味わえるし、心情的には完全にBOBOsの人が多いと思います。日本だと、これくらいの水準だと、気分的には一般庶民感覚ということになると思います。だからこそ、わざわざPOBOBOという区分を設定しました。POBOBOは一見普通の人々の中に埋没していますが、普通の人々と際立った違いがあります。それは、商品・サービスへの評価水準が非常に高いことです。 だからこそ、これらの人々に着目することが重要になります。この層の人々が受け入れる商品・サービスはもっと多くの人々にも支援され、受け入れられることになると思います。私はPOBOBOに関心をもつこと、POBOBOであることを彼ら自身に認識させるような活動をすること、育てていくことがこれからの日本の市場に活性化につながっていくものと確信しています。

2007年4月10日火曜日

WEB2.0的話題-Google Trendsについて

上は、googleが提供する、Web2.0的サービスである、Google Trendsのグラフである。Google Trends(グーグルトレンド)とは、検索クエリの傾向(トレンド)を表示するサービスで、キーワードを入力すると過去2年間で世界中のGoogleにおいてそのキーワードで検索されたクエリのサーチ・ボリュームの推移がグラフ表示される。
なお、私としてはWeb2.0に関して「ブラウザをOSのように使用して提供する一群のサービス」と位置づけている。世間ではいろいろなことが言われているがこの定義がすっきりしていて判りやすい。

さらに、News reference volumeといって、ニュースなどに取り扱われた場合のボリュームもグラフとして示される場合がある(ある一定以上のvolumeに達した場合)。検索クエリが発生した地域・都市・言語や検索クエリに関連するニュースなども表示される。日本語のキーワードでも利用できるだけでなく、地域を日本だけに絞り込んで結果を表示することもできる。

上は、「そのまんま東」と言うキーワードで傾向を見たものである。やはり、宮崎県知事選の時に最高の山がきている。さらに、ここには掲載しないが、ボリュームの多かった地域の順位が10位まで表示される。この例の場合は宮崎が一番であった。やはり、必ず世の中の動きにあわせてボリュームが確実に変わっていくことがわかる。

グーグルトレンドでみてみると誰もがいろいろなことを分析できる。いくつかの日本の一部市上場大企業のキーワードを入れてみると、共通点があった。キーワードのボリューム・トレンドは全体的にゆるやかな低落傾向だが、News referenceのボリュームはあがったりさがったりはしているが、全体的に下降状況にはない。最初これが何を意味するのか判らなかったが、これは、いわゆるニュースを製作している企業が配信している内容の中のキーワードと、これよりもはるかに大きなボリュームのある一般社会の人々がパソコンに打ち込むキーワードにズレが生じているのではないかと考える。

さらに、アメリカの企業のキーワードを入力してみると、「マイクロソフト」は完全に低落傾向にあるが、google、Yahooなどはでこぼこはあるが上昇傾向にある。日本の一部上場企業やマイクロソフトなどのような企業はサイバーコミュニティー、さらにはそれらがいくつも合わさったサイバーソサエティーの中では影が薄くなりつつあるのではないだろうか。

このような時代が来たことを喜ぶべきか、それとも悲しむべきなのだろうか。あなたも、自分の会社のことや、気になることを調べてみては?きっと面白い発見があるに違いない。そして、サイバーソサエティーの中で影が薄くなっているようであれば、何か手を打たなくては!

BOBOSとPOBOBOはサイバーオタク?



上は、tec talk というYouTubeに投稿された画像です。とにかく「超サイバー・オタク」がいっぱい出てきます。あまり気持ちの良いものではありませんが、よろしかったら見て下さい。

さて、先回はサイバーオタク度の話を掲載しましたが、今回はBOBOsとPOBOBOのサイバーオタク度を考えて見たいと思います。BOBOsに関しては、IT関連企業の人も多いし、情報収集の必要性から、サイバーオタク度は相当高いものと考えます。

POBOBOも相当サイバーオタク度は高いものと思います。昨年の調査によると東京のお父さん達が帰宅する時間は、夜の11時だということです。結構遅くまで仕事をしていたり、通勤時間が長かったり、飲みに行ったりすることが多いのだと思います。無論POBOBOも似たような傾向があるものと思います。
帰宅時間が遅いと、普通の日にコンビニ以外の普通のお店に行ったりするのはほとんどないことになります。友人・知人などとも普段は普通の手段だとなかなか連絡もつけられないことになります。ただし、一緒に飲みに行っていることもあるかもしれませんが。現代のPOBOBO会社ではパソコンやインターネットを使用するのは当たり前のことですから、インターネットで専門店のサイトから買い物をするとか、メールやgoogle groupeや、Mixiなど使って疎遠になりがちな友人・知人とコミュニティーをつくるということは容易に考え付くことだと思います。そうして、かなり利用・活用しているものと思います。無論、お父さん以外の女性のBOBOsも専業主婦をやっていれば、社会の疎遠にならないため、仕事をしているのであれば、お父さん達と同じような理由から使いこなすことと思います。これらのことから、POBOBOのサイバーオタク度は必然的にサイバーオタク度は相当高まることと思います。

これらのことから、BOBOsやPOBOBOに対して何らかの訴求をしようとした場合、通常のメディアと同様か、それ以上にサイバー的な手段を適用しなければならないといえます。

西側諸国、北朝鮮を甘く見るなら我が身の危険を覚悟すべし――ギデオン・ラックマン―【私の論評】北朝鮮のウクライナ派兵とロシア連携がもたらす脅威 - 日本が取るべき対策とは

西側諸国、北朝鮮を甘く見るなら我が身の危険を覚悟すべし――ギデオン・ラックマン (英フィナンシャル・タイムズ紙 2024年10月29日付) まとめ ウクライナのゼレンスキー大統領は、北朝鮮兵士がロシア・ウクライナ紛争に参加する可能性を懸念している。 西側諸国は、ロシア、北朝鮮、イ...