2011年1月4日火曜日

【大前健一VS堀江貴文】大前氏 アップルは失敗繰り返しアンドロイドに負けると予測―【私の論評】ある条件が満たされれば、満たされる可能性が高いので大前氏の予測はあたる確率が高い!?

大前氏 アップルは失敗繰り返しアンドロイドに負けると予測


グーグルの携帯電話向けOS(基本ソフト)「アンドロイド(Android)」を搭載したタッチパネル方式のスマートフォン(高機能携帯電話)が続々と登場し、アップルの「iPhone」を追撃している。大前研一氏は、そんな状況を以下のように分析する。

大前研一氏
* * *
アップルのCEOのスティーブ・ジョブズは、今まさにパソコンのMac(マッキントッシュ)と同じ失敗を繰り返そうとしているように見える。“Macの失敗”とは、OSを他の企業には売らず、ハードとワンセットで自分で売ろうとしたことである。

その結果、マイクロソフトがIBMと組んでMS/DOS(のちのウィンドウズ)を発売すると、アメリカ、日本、台湾など世界中のパソコンメーカーが雪崩を打ってこれを採用したため、Macは洗練度で高い評価を得ながら、シェア争いで一敗地に塗れ、ジョブズは一時期アップルを追い出された。要するに、OSは搭載されるハードの数を拡大したところが勝つのである。

なぜ未だにジョブズがOSとハードをセット販売し、さらにコンテンツのダウンロードでも儲けるという偏狭な垂直統合モデルに固執するのか理解に苦しむが、おそらく彼は心の奥底ではアップルを“メーカー”と認識しているのだろう。

メーカーだから(実際に製造しているのは世界最大のEMS企業・鴻海精密工業だが)OSとハードをワンセットで設計・製造・販売するのが当たり前と考えているのだと思う。そして彼は商品について非常に強いこだわりがあるので、OSだけでなく細かいハードの見てくれや使い勝手の良さをとことん追求する。

その手法はMacでは失敗したが、iPodとiTunes Store(アップルが運営している音楽、動画、映画などの有料コンテンツ配信サービス)が大成功したことで、ハードで儲けてコンテンツでも儲けるという新しいモデルを構築した、と勘違いしたのではないか。

だからiPhoneではAT&Tやソフトバンクモバイルとだけ組み、そこにハードやコンテンツを乗っけて自分でコントロールしているのだろう。つまり、通信会社の運命さえも支配できる、と考えているに違いない。

だが、そういう強欲な“覇権主義”はスマートフォンでも命取りになる。いま中国では、iPhoneの海賊版がたくさん売られている。通常、iPhoneはSIMカード(電話番号を特定するための固有のID番号が記録されたICカード)がロックされているうえ、筐体を開けることさえできないため、ユーザーは自分でバッテリーも交換できない。…

かたや中国のiPhoneもどきはSIMフリー(どのキャリアのSIMカードでも入れ替えて使える)になっている。もちろんバッテリーは自分で交換でき、なかにはSIMカードを3連装できる機種もある。一番安い商品は15ドルくらいだ。しかし、この使われ方こそが「正解」なのである。

つまり、ジョブズがスマートフォンで勝者になりたいなら、iOSをアンドロイドと同じくオープンソース、あるいはそれに近い方式にして誰でも自由に使えるようにし、SIMカードもフリーにしてユーザーがキャリアを自由に選べるようにすべきなのである。

だが、ジョブズは絶対に自分の主張を曲げないので、今回もその頑固さが災いするかもしれない。言い換えれば、まだジョブズには「プラットフォーム」という概念がないと思われるので、そこが彼の死角であり、限界かもしれない。

※週刊ポスト2011年1月7日号

【私の論評】ある条件が満たされれば、満たされる可能性が高いので大前氏の予測はあたる確率が高い!?
さて、昨年年末にこの記事を読んで、ブログにとりあげようと思ったのですが、さしたる、他の情報源も特にはなかったので、とりあげるのをやめていました。

堀江貴文
しかし、上の記事に関して、あの堀江さんが、ご自身のブログにとりあげていたり、その他の新たな情報も入つてきたので、本日とりあげることにしました。

さて、堀江さんがご自身のブログに取り上げていた内容を以下に掲載しておきます。


dankogaiの大前研一氏のコラムへの反論が面白い。iPhone関連。

2010年のAppleから学ぶべき3つ不等式 - 404 Blog Not Found.

dankogai(ブログ管理者注:上のURLのブログの筆者のこと)の見立ては正しい。というか大前研一氏はメディアとかITの未来予測とか現状分析は不得意のようだ。彼は私がニッポン放送の買収、すなわちフジテレビグループの買収挑戦への批判として、ネットはY!のように各テレビ局からコンテンツを供給してもらう必要があるため、単一の放送局を保有することの愚を説いていた。が、私が注目していたのはテレビ局のコンテンツではない。コンテンツを作っているのは実は放送局ではなく、制作会社でありテレビ局が既存のコンテンツの著作権は押さえているだけで、そんなものに大して価値はない。実際にニコニコ動画などのネット系動画サイトは少しずつではあるが、良質なコンテンツを供給できている。制作会社との連携が上手く行っているからだ。 
私が重要だと思っていたのはテレビ局の圧倒的なリーチ力であり、それを利用して広告モデルでしか収益と立てられていないテレビ局の収益構造をニコ動やNHKのような個人からの会費収入モデルに構造転換することだった。
ま、どっちにしてもappleの強烈な収益力はgoogleに無い物だ。googleはほとんど広告モデルでしか実は収益を得られていない。 
さて、Gayoの失敗、Youtubeの成功が明確化した現在、上の堀江氏の論評は、あまり説得力がないと思います。それに、dankokai氏の論評に関しても、論評の大きな部分が、株価の比較によるものが大きいです。確かに、アップル株価は最近はうなぎのぼりであり、Googleはそうでもありません。

しかし、株価というものは、決してその会社の真の価値を示しているかといえば、そうであるとは限らず、単なる、投資家、投機家の期待感の表れに過ぎないことが多いです。その期待感が必ずしも現実と一致していないことは、私たちは、つい最近の金融危機、リーマンショックで学んだばかりのはずです。サブプライム・ローン、GMのローンの正体を、私たちはいやというほど、見せつけられたはずです。

それに、Gayoの失敗は、収益モデルがはっきりしていなかったことであることは、このブログに掲載しました。無論、堀江さんが、Gayoのようなビジネスモデルを構築しようとしていたのではないことはわかります。しかし、上では、ニコニコ動画の例をあげていますが、YouTubeの成功には触れていません。それに、ニコニコ動画だって、プラットフォームを構築しています。未だに、無料で利用するユーザーも多いです。


私は、このブログで、AppleTVを購入したことをこのブログで掲載したことがあります。実は、AppleTVは第一世代では大失敗しています。しかし、アップルには、この分野に対して相当の思い入れがあるもと見えて、第二世代の新しいAppleTVをだしたわけです。ここで詳細は述べませんが、テレビの世界もこれからは、AppleTVやGoogleTVのようなものが前提となっていくに違いありません。


既存のTVは、従来のTVが、確かに広告を提供するビジネスモデルではありながら、インターネットに比較すれば、プラットフォームを構築できていなかったことに問題があったのだと思います。堀江氏は、既存TVの圧倒的なリーチ力を強調していますが、現在では、テレビの視聴率は年々減少はつつあります。若い世代では、日々テレビをほんど見ないという人も増えてきました。このリーチ力もいつまで続くのかわかったものではありません。このリーチ力は、インターネットがない時代に、いち早く、動画を提供できたのが、TVであったため、それ以外になかっので、獲得できたというだけであって、それ以上でも、それ以下でもありません。私は、堀江氏がテレビ業界に参入できていたとしたら、大きな話題となって、Gayoの宇野氏のように脚光を浴びることはできたかもしれませんが、おそらく失敗したと思います。

YouTubeを含む、Googleの収益の柱は、確かに、堀江氏の言うように、今でもそのほとんどが、広告モデルによるものです。確かに、Googleはいろいろいなことに手をだしていますが、今でも、この事実には変わりがありません。

しかし、私がこのブログで盛んに強調してきたことは、結局eコマースの本質は今でも、広告であり、これを欠いてしまえば、なかなか成り立たないということです。アップルも、この事実に気がついており、だからこそ、iAdをはじめることを、このブログにも掲載しています。


大前氏が盛んに強調しているプラットフォームも、結局は、いくら集客しても、広告がなければ、収益にむすびつけることはできません。ただし、大前氏は、これは当然のこととして、敢えて強調してはいないだけです。大前さんの考えでは、広告とは単なる手法に過ぎず、プラットフォームを構築する事自体が本筋だと考えているのだと思います。それに、集客した人々をビジネスに惹きつける手法が、広告ばかりであるとは言えない面もありますが、それにしても、広告を全くしないということであれば、成功はおぼつかないとは思います。

これに関して、堀江氏は、「googleはほとんど広告モデルでしか実は収益を得られていない」としてかなり軽視しています。しかし、私が以前のこのブログに掲載したように、多くのIT企業が、eコマースの本質は、広告であるという事実を見誤り、敗退していっています。Gayoの宇野氏もまさにそうだったのだと思います。この事実から、私は、すべての、eコマースは、広告を軽視すれば、失敗すると思います。

広告ということになれば、確かに、メーカーと異なり、確かに収益力はどうしても低くなると思います。それは、メーカーなどと比較すれば、当然、小売業などの収益力が低くなるのと同じ事と思います。しかし、収益力が高いからといって、メーカーのほうが、小売業よりも成長性が高いなどということは、誰もいいません。なぜなら、それは、成長性の問題ではなく、業種特性によるものだからです。

大前さんは、上の記事で、「かたや中国のiPhoneもどきはSIMフリー(どのキャリアのSIMカードでも入れ替えて使える)になっている。もちろんバッテリーは自分で交換でき、なかにはSIMカードを3連装できる機種もある。一番安い商品は15ドルくらいだ。しかし、この使われ方こそが「正解」なのである」と書いておられます。


私も、今は見えにくいだけであって、この大前氏の見解は、いずれ5年以内には必ずはっきりと誰にも認識できるようになると考えています。


たとえば、最近衝撃的なニュースが入って来ています。それを以下にコピペします。
iPadの成功を追ってタブレット端末が次々に登場する中、「35ドル」という破格の低価格タブレットが名乗りを上げた。インド人的資源開発省は7月22日、タッチ画面を持った安価なコンピューター端末を発表した。高価なパソコンを買うことができない学生や子供たちの利用を想定したもので、2011年から教育機関などで導入を開始する計画だ。このニュースは“世界最安のコンピューター”として世界中に伝えられたが、あまりの安さに実現をいぶかる声も出ている。
詳細は、以下のURLをみていただくとして、これが現実になったとしたらどうでしょうか。
http://cloud.watch.impress.co.jp/docs/column/infostand/20100802_385076.html

現在は円高ですが、この円高だって、いつまで続くかなどわからないので、目見当をつけるため、かなり高めの1ドル=100円で換算してみても、3500円です。中国の、スマートフォンは、一番安くて1500円ということです。


アップルも、これからは、無論製品をどんどん安くするでしょうが、iOSを搭載した、アップルのハードを売るということであれば、ここまで、安くはできないでしょう。

それに、最近、Google Chorm OSを搭載した、ノートパソコンの試用モデルが、応募者に無料で配布され試験に入っています。この試用機、実際販売されるときには、日本円で1万7千円は超えないだろうと言われています。

そうして、私は、このようなことをする、Googleの狙いは何かについて、このブログに掲載したことがあります。それを以下にコピペします。
なぜそんなことをするかといえば、もうすでに先進国などの豊な国では、かなり多くの人々が日々インターネットを使用するようになっています。もう、これらの国では、さらに、Googleのクラウドを訪れるユーザーを増やすことは困難です。 
しかし、世界に目を転ずれば、まだまだ、Googleのクラウドを訪れていない人々はたくさんいます。それは、いわゆる貧困層と呼ばれる人々です。 
世界には、1日2ドル未満で生活する貧困層が40億人います。先進国では経済が成熟化していますが、経済ピラミッドの底辺に位置するこの貧困層(Bottom of the Pyramid=BOP)こそ、今後急速に成長する魅力的な市場になることでしょう。現在、企業は彼らを、慈善や援助の相手としてはなく、ビジネスの対象として重視すべきです。
貧困層を「顧客」や「消費者」に変えるには、先進国向けの製品・サービスに少し手を加えるといった対応では不十分。技術、製品・サービス、ビジネスモデルそのもののイノベーションが欠かせなのです。 
BOP市場の基本となるのは、「パッケージ単位が小さく、1単位当たりの利潤も低い。市場規模は大きいが、少ない運転資本でも利益を出せる」ビジネス。例えば、米P&Gは低収入で現金不足のBOPに消費力を作り出すため、「使い切りパック」のシャンプーを販売しました。ブラジルの家電チェーンは無理のない利子とカウンセリングで、BOPにも高品質な家電が買えるようにしました。その他、にもいろいろあります。 
まさに、Googleは世界に多数存在するBPOの人々を自分たちのクラウドに呼び寄せるために、新たなマシンを提供しようとしているのだと思います。そうして、このような人達にも広告を見てもらい、このBPOビジネスを活発化させることを視野に入れているのだと思います。 
いままで、全くインターネットの恩恵にあずかることのなかった人たちにも、その機会を提供して、自分たちのクラウドを訪れるユーザーを幾何級数的に増やすことが目的なのです。
さて、Googleは着実のこの戦略を実施すると思います。確かに、堀江さんがいうように、このようなビジネスは収益は低いです。しかし、収益性の低い事業がすべからく、成長性や将来性がないといえるのでしょうか?先進国では、確かに少子高齢化ですが、全体では世界の人口は増え続けています。こうしたことから、Googleはさらに爆発的に多数の人々を集客できるでしょうし、さらに、安定したビジネスになることは間違いありません。


さて、今はまだまだ、そのような次元には達していませんから、上記の堀江氏や、dankogai氏の言っていることは一見もっともらしく、聞こえますが、Googleが実際にAndroidや、Google Chrome OSを多くの企業に開放して、インドや、台湾、中国などで、徹底的に廉価なマシンをつくり、どんどん提供し、5000万台以上も行きわたった場合にはどうなるでしょうか?それに、最近では、Adroid内蔵のタブレットPCもどんどんでてきています。Chromeと、Androidの棲み分けなどどうなるかは、わかりませんが、両方ともオープンで、どのマシンにも無料で搭載することができます。


それに、日本ではまだですが、Googleでは、Google Chrome(Googleのブラウザ)で、独自にGoogle Web Storeでアプリを提供しています。Google Chromeの新しいタブをたちあげると、少しまえまでは、良くアクセスするページと、最近閉じたタブなどが表示されるだけだったのが、最近では、Web Storeのアイコンや、ストアで購入した、アプリのアイコンが表示されるようになっています。まだまだ、実数は少なく英語版のみですが、様々なものが提供されています。私も、もうすでに、すべて無料のものばかりですが、9個のアプリを購入しました。どのアプリも無料とは思えないような、高機能なものです。


これらは、無論、無料で提供するだけでは、収益源にも何にもなりません。多くの人々がGoogleのクラウドを訪れる機会を増やすことを目的としていることは明らかです。これを全世界レベルで、いままでは、対象外であった、BOPも巻き込んで展開したとしたらどうなるのでしょうか?


やはり、大筋では大前氏の言っていることの方が、妥当性が高いと思うのは、私だけでしょうか?


ただし、私自身も、iPhoneを使っていますし、AppleTVも所有しています。おそらく、大前氏のいいたいことは、現在でも、全世界で使われているOSのうち、アップルが占めているのは5%未満です。iPhoneなども、将来そのような存在になるといいたいのであって、iPhoneがなくなってしまうとか、アップルがなくなるとか、衰退するなどと言っているのではないと思います。あくまで、シェアのことを言っているのだと思います。


だから、別にアップルが勝とうが負けまいが、将来にわたっても、先進国や、新興国の熱烈なアップルフリークに使われ続けていくことまで否定しているわけではないと思いますし、無論、私もそうです。


iT関連であろうと、他のビジネスであろうと、BOPの存在は大きいです、これから、これらをどのうよに自らのビジネスの顧客とてして取り込んでいいくかが大きな課題になります。そうして、BOPにノウハウ・情報など提供しつつ、BOPが豊になり、自分たちの事業も成功し、成長するという認識の企業はこれからも飛躍的に成長を続けていくと思います。


スマートフォンも、タブレットPCも、それにプラットフォームについても、まだまだ過渡期にあると思います。これに関しては、これからも追跡を続けていきます。そうして、何か変化があれば、再度このブログに掲載していきます。


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2011年1月3日月曜日

イタリア、全土でレジ袋が配布禁止に―【私の論評】地球温暖化詐欺にあっているのは日本だけではない?

イタリア、全土でレジ袋が配布禁止に

イタリアのコープのレジ袋

 イタリア全土の小売店やスーパーマーケットで、1日からビニール製レジ袋の配布が禁止された。買い物客は今後、布バッグや紙袋の持参を求められる。

イタリア人のレジ袋使用は欧州でもずば抜けて高く、1人あたり年間300枚を超えていた。これは、中国やタイ、マレーシアから輸入され欧州全土で使用されている1000億枚近いレジ袋の約4分の1に相当する。

ステファニア・プレスティジャコモ(Stefania Prestigiacomo)環境相は、自然素材やリサイクル製のバッグの使用を奨励するキャンペーンを政府主導で行っていくと述べ、こうしたエコバッグの使用について「実用的なだけでなく、環境に優しいうえに、おしゃれなことだ」と強調した。

【私の論評】地球温暖化詐欺にあっているのは日本だけではない?
このブログでも、2年ほど前までは、環境問題についていろいろと掲載してきました。勿論、地球温暖化二酸化炭素説は虚偽であることと、地球温暖化災厄説は虚偽であることの両方です。

現在全世界的なエコブーム離れの傾向から、これに関するあまりにおかしげとか、奇妙奇天烈な話、明らかにどの方向から誰がみても、間違っているような事柄を声高かに叫びまくるひとはいなくなりました。本当に良いことだと思っていました。

そんなところに、上の記事が飛び込んできました。そうして、何とそれは、イタリアということで、驚きました。中国あたりなら、何も驚かないのですが・・・・・・(笑)確かに、経済的な面ではあまり、ふるわない国ですが、昔から市民運動(共産系でない)も盛んで、公衆感覚の強いイタリアで、これが今頃話題になるとは考えられませんでした。

レジ袋については、このブログにもかれこれ3年以上も前に、掲載し、その後、多くの人が、レジ袋のことや、それこそ、エコバッグの欺瞞性などについていたるとこで、説いたり、書いたりしているので、今では、多くの人が無邪気に信じこむということはなくなったはずです。

しかし、上の記事などみていても、何の注釈もなく、ただ事実を掲載しているだけですので、また、レジ袋を使わないことが、何も、co2削減につながらないことを掲載しておきます。
多くの人は”レジ袋は、石油から作られるプラスチック製品です。レジ袋を使わなければ、その分の石油が節約できます。”と信じているようです。イタリアの、ステファニア・プレスティジャコモ環境相も含めて。 
しかし、レジ袋の原料となっているナフサは、石油を生成する最に発生する2次産物です。この文章で
レジ袋=オカラ
石油=大豆
プラスチック製品=大豆製品
に置き換えて読んでください。 
次のような文章になるはずです。”オカラは、大豆から作られる大豆製品です。オカラを使わなければ、その分の大豆が節約できます。。” 
私はどう考えても、”豆腐をやめないと、大豆の節約につながらない。”と思いますよ。つまり、”石油をやめないと、石油の節約につながらない”ということです。 
「1年間に1人220枚(日本でレジ袋が廃止された当時の実数)、日本中でなんと約280億枚のレジ袋が使用されている」
らしいです。 
「日本の原油輸入量の「1日分の約8割」にも相当」
だそうです。
1日分の約8割って・・・ 
計算式で書くと0.8×1/365=0.0021917…です。レジ袋を仮に100%無くせたとしても0.2%の節約です。 
普段の生活に例えると、年間1000万円も赤字を出している会社に、必死に2万円分の無駄を削減させて満足しているようなものです。(1日あたり54.8円)
当時は書きませんでしたが、レジ袋を廃して、エコバッグを用いることは、レジ袋ばかりつかっているよりも、はるかに環境に負荷を与えるのはあきらかです。なぜなら、石油消費量があまり変りないということを前提とすれば、レジ袋のナフサは、たとえ、レジ袋をつくらなかったとしても、他のものなどに転用されます。にもかかわらず、エコバッグを余分に作るということになれば、明らかに環境に負荷をさらにかけてしまいます。

民主党が、政権をとる直前に、二酸化炭素削減目標を30%を公言していました。あの頃から、民主党はできもしないことを言うものだと思っていましたが、最近では、そのことが明白になっています。政権交代した後も、鳩山首相が25%削減を全世界に向かって公表していました。全く愚かなことです。

最近では、全世界的にエコブームは去ってしまいました。所詮、環境詐欺グループによる、ブームに過ぎなかったということです。

アメリカのオバマ大統領は、もう、エコに関してはあまり関心がなく、雇用問題に積極的に取り組んで、12年の大統領選挙の準備をしています。今、エコを力説すれば、大統領選は危うくなるでしょう。アメリカといえば、あのゴア氏については、彼の主張は、かなり間違いがあることが明らかになっています。最近では、エコは、もうすでに世界の関心事ではありまん。あのエコ先進国といわれたドイツでさえも、環境投資を大幅に制限することと、現在稼働中の原発の廃止を撤廃し、長期間にわたる使用を決めたばかりです。環境推進派の、オーストラリアの環境推進はのアラン・ラッドは、選挙に負けて失脚しました。

おそらく、少し前に現在のような状況になっていたら、ゴア氏の受賞などなかったかもしれません。

日本でも、最近では、菅直人首相が28日の地球温暖化問題に関する閣僚委員会で、1人当たりの二酸化炭素(CO2)排出量を各国の目標に位置付けるよう国際社会に働きかけていく方針を明らかにしています。新しい目標を示すことで気候変動をめぐる国際的な議論がこう着した現状の打開を図る構えです。同日の会合では国内の排出量取引制度について、検討の凍結を確認、2013年度の導入を事実上見送ることを決めました。結局は、官僚主導によるものだと思います。

こうなることは、最初から判っていたことです。なにせ、二酸化炭素排出を削減したからといって、地球温暖化や大気汚染とは何も関係ないからです。

はっきりいって、サブプライムローンよりはるに、低劣なデリバティブ商品である排出権取引などやってしまったら、日本は、それこそ中国やハンガリーなどに対して、いわれもない金を払うというハメに陥っていた事と思います。相手いわれのない金づるをプレゼントしてしまうことになっていたと思います。

そんなところに、このイタリアの話題です。イタリアにも、日本に劣らずの愚かな人がいるのだと思いました。しかも、レジ袋の廃止といえば、日本では、スーパーやコンビニが自主的に進めたものです。私としては、レジ袋賛成派ではありますが、これらの企業が自主的に廃止したというのではあれば、それはそれで良いことだと思います。なぜなら、確かにその分はわずかではありますが、節約になるからです。最近は、流通業の不況もありますから、致し方なしというところもあります。でも、イタリアでは、国家的規模でやってしまったということです。愚かなことです。

それにしても、しばらく振りに、環境問題に対するお馬鹿な話題をみてしまったので、ついつい長くなってしまいました。いずれにせよ、皆さんも、環境詐欺グループには十分お気をつけください。彼らは、政治家や、市民運動家、学者、放送局などの口を借りて、巧妙に何度でも、詐欺を繰り返しています。どこの国にも、これを取り締まる国内法も存在せず、無論、国際法も存在しないということが、この問題を複雑化しています。

まあ、少なとくとも、今やアメリカやヨーロッパに行って、地球温暖化二酸化炭素説や、地球温暖化災厄説などを、したり顔で話したりすれば、相当知的水準の低い人と見られることは間違いありません。

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2011年1月2日日曜日

「いらない習慣」のもっている2つの問題―【私の論評】時間の使い方が最大の問題だ!!

「いらない習慣」のもっている2つの問題



「予想通りに不合理」「不合理だからすべてがうまくいく」のダン・アリエリー教授が新年にお金の使い方と習慣に関する記事を書かれています。

たとえば街で喉が乾いているときにコーヒーを売っている店を二軒をみつけたとします。片方はドーナツ屋さんの出す安い珈琲で、もう片方は手作りのスペシャリティ珈琲です。値段は後者のほうが $1.75 = 140円だけ高価だとして、どちらに行くでしょうか?

こうした場合、本来なら差額の 140 円で何を購入できるか? 140円にどのような価値があるか? をすべて総合したうえで、2つのどちらを選ぶかを決断するのが「正しい」ことになります。

しかしこうした判断は非常に複雑ですので多くの場合は過去の経験から私たちは判断をすることになります。つまり、以前にどちらのコーヒーショップを利用したことがあるか? いぜん似たような状況で「高い・低い」値段のものを選んだか? といった履歴です。

こうした経験による判断は、二つの問題があります。一つ目は、その判断が実際には価値判断なのではなくて、単なる惰性である点です。スペシャリティーコーヒーを常に選ぶのは値段に対する価値を常に意識しているからではなく、そうすることが習慣になっているからというわけです。

二つ目の問題は、こうした判断が変化に対して脆弱だという点です。たとえばコーヒーの値段が少しずつ高くなっていたり、給料が少なくなったとしても、「コーヒー = スペシャリティコーヒー」という判断が先行しているとなかなか行動は変えられません。

こうした難点は、お金というものが額面だけではすぐに判断できない複雑な価値をもっていることに起因しています。アリエリー教授は「安いものを選ぶようにしよう」というだけではなかなか習慣は変えられないので、難しくても購買におけるクセを探すことで全体をゆるやかに変える視点をもとうということを論じています。

お金だけではない、「いらない習慣」

しかしこの話、お金だけではありません。メールをチェックするのに使う時間を測定してみたら毎日1時間がかかっているとして、それははたして適正なのでしょうか?

あるいは仕事に割り当てている時間、引き受けている責任の数、朝おきる時間、時間の使い方に応用してもいいですし、読んでいる本・読まない本という判断でも同じことがいえそうです。

新年、新しい習慣を作ると同時に、すでに存在している「いらない習慣」、「不必要な惰性」を洗いだしてみるのもよさそうです。

【私の論評】時間の使い方が最大の問題だ!!
上の例では、メールチェックの時間について語っていましたが、いまの中学生はそれどころではないです。実に、中学生の2割が一日にやりとりするメールの数が50通以上だそうで、中には100通を超えるものもいるそうです。これは、完全に時間の無駄遣いですね。こうなると、ただのメール馬鹿で、勉強もできないでしょうし、体力を養う時間もないでしょうね。メール代は昨今、非常に安くなりましたし、スマートフォンとwifi(おどろくことに最近は一体型もでてきましたが)を使えば、いくら使っても定額ですから、昔のようにお金の問題はほとんどなくなりましたが、これって、本当にお金だけではない、「いらない習慣」ですね。

しかし、大人もそんな中学生に対して批判はできないでしょう。それは、恒常的な残業の多い人が存在するということです。一日8時間を大幅に超えて残業する、それも時々ということではなく恒常的といえば、これはもうどこか狂っているとしかいいようがないです。

これは、かつて、昔イトーヨーカドーで調査した結果なのですが、店で働いている人の実働時間が実際には手待ち時間や、準備時間などにほとんどが費やされており、実際に仕事をしている時間はとんでもなく短かったそうです。その当時の記録では、かなり実働時間の高い人でも、本当の仕事の時間というと5時間台だったという信じられないものでした。

これに関しては、無論現在のセブン&アイでは、このような極端なことはありません。無論、ずっと以前から時間管理について徹底的に改善されて、作業割り当てなどが適正に行われるようになったからです。

ちなみに、どうして、そのようになっていたの解りやすい極端な事例をあげておきます。ある数人くらいの人が関わっている売り場では、とにかく、売り場の設定のために、最初に机上で綿密な計画を立てておかずに、中途半端な計画のみで、現場で売り場づくりをはじめてしまうので、とてつもなく時間がかかっていたのです。

現場に行って、中途半端な計画のまま、作業をするので、はなはだしい時には、まずは、最初の計画はご破算になって、最初からやり直すとか、最初からやり直すにしても、また中途半端な計画なので、売り場をつくっている最中に、あれも必要だ、これも必要だ、あれも、これもということになり、そのたびに作業が中断されたり、はなはだしくは、途中で大掛かりな工事が必要になることがわかり、何日が無駄になるとか・・・・・。もし、計画がはっきりしていれば、工事の間に出来ることを平行して進めておくことができたはずです。

そうです。前準備と段取りが徹底的に欠けていたため、このようなことが日々繰り返され、先のような状況になっていたのです。

小売業などもともと、利幅がかなり少ない商売でしたから、上記のようなことを放置して、改善・改革などしていなかったら、今日のセブン&アイなどとうに存続できていなかったかもしれません。

これは、小売業の例ですが、知的労働が主な部署や企業ではもっと酷いことになっているかもしれません。なにせ、人の頭の中のことですから、外部から目立って無駄か、無駄でないかはさっぱりわかりません。しかし、確実に無駄はあるようです。知的労働の最たるものとも考えられていた、ゲームの世界のキャラクターづくりにも、最近で、時間管理が取り入れられ、しかも、請負制として、効率、効果を上げている会社もあるそうです。

いろいろ、仕事の内容を細分化してたり、出来栄えの判断を格付けすることによりこのようなことも可能になるようです。しかし、それにも限界があるものと思います。

しかし、私は、いつも思うのですが、本来知識労働に関しては、たとえば、一時毎日のように残業が続いたとしても、それは一時であり、それが終了すれば、しばらくは早めに帰れたり、休みがいつもよりかなり多くあたるという方式にすべきものと思います。毎日夜遅くまで、知識労働をしていれば、本人たちは、自己満足ができるかもしれませんが、決して良くないことだと思いす。

知識労働とはいっても、純然たる研究職でもないかぎり、世の中と関係することで働いているはずです。全く今の世の中とかけ離れたことで働いているわけではないと思います。だから、毎日夜遅くまで働いていれば、世の中のことを知る機会も減り、まともな人のまともな生活や、考え方、気持ちなどがわからなくなり、まともな仕事はできないと思います。これは、役人などの場合は、まだ許されるかもしれません。しかし、役人の世界とて、それは良くないことだと思います。なぜなら、税金の無駄遣いになるからです。

私の知る限りでは、あまりに夜遅くまで度々残業する人に限って、さほど成果をあげられないというのが真実です。

まずは、前準備と段取りを徹底的に良くして、そうして、不必要な業務は徹底的に削っていくべきでしょう。今の日本、そうすることにより、次の段階が見えるくるような気がします。何も考えずに、ただ遅くまで、残業するという習慣の付いている人、会社に明日はないと思います。しかし、この現実も多少は変わってきているようではあります。今は、特に不況ですから、仕事が減っているからです。しかし、わずか、数年ほど前までは、東京のお父さんの平均帰宅時間が夜11時だと新聞にも報道されていました。それに、最近でも、たまには過労死のことも未だに報道されています。過労死などもっての他だと思います。

ちなみ、あの経営学ドラッカー氏も、「優れたマネジャーは、計画からスタートしない。まずは、自分の時間が実際にどのように使われているかからスタート」するとしています。そうして、誰もが自分がどのような時間の使い方をしているかの、時々1週間単位くらいで、測定し記録に残すことをすすめています。そうすると、多くの人が自分の時間の遣いかたの酷さに初めて気がつくそうです。

また、ドラッカー氏は「恒常的に同じようなトラブルが頻々と起こる場合、それは、最早システムの問題であり、すみやかにシステムを改善すべき」としています。多くの会社や部署で恒常的な残業がどうしても出てしまうという現行のシステムは間違いであると認識すべきです。

これからの時代、景気が良くなったとしても、すべてが過去に戻るわけではありません。その一つに、われわれの社会はすでに、知識社会に突入していることがあげられます。知識社会においては、「いらない習慣」はもっとも忌むべきものであると考えます。


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2011年1月1日土曜日

人口自然減、初の10万人台突破、22年人口推計―【私の論評】本格的に、規模の経済だけではやっていけなくなる時代がやってきた!!

人口自然減、初の10万人台突破、22年人口推計


厚生労働省は31日、平成22年の人口動態統計の年間推計を発表した。日本在住の日本人の人口は、自然減が12万3000人となる見通しで、初めて自然減が10万人台を突破する。出生数は微増したが、死亡数が昭和22年の統計開始以来最多の119万4000人を記録したため。自然減は4年連続で、人口減少に歯止めがかからなくなっている。

人口動態統計の年間推計は、1月から10月までの速報値を基に1年分を推計している。

出生数は前年比965人増の107万1000人。厚労省では出生数の増加について「推計値なので誤差の範囲内。前年を下回ることもあり得る」と説明している。ただ、出産適齢期の女性が減少する中で出生数が横ばいとなっているため、22年の合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産む子供の平均数の推計値)は前年(1.37)を上回る見通しだ。

死亡数は高齢化が進み前年比5万2000人増となり、8年連続で100万人を超えることになる。婚姻数は70万6000組(前年比約2000組減)で2年連続の減少。離婚数は25万1000組(同約2000組減)で2年ぶりに減少に転じた。

【私の論評】本格的に、規模の経済だけではやっていけなくなる時代がやってきた!!
皆さん明けましておめでとうございます。新年そうそうのブログとして何を書こうかと思いましだか、やはり、上の内容など避けて通れないものなので、本日はこれについての論評を掲載していこうと思いす。

今までは、まだまだ、少子高齢化の影響は少なかったのですが、いよいよ本格的にその影響がやってきそうです。

これを機会に事業をやっている方々は、規模の経済ばかり追いかけるのではなく、範囲の経済も追求していく必要がありそうです。

規模の経済とは、生産量の増大につれて平均費用が減少する結果、利益率が高まる傾向をいいます。同じ意味で、規模に関する収穫逓増、費用逓減といわれることもあります。要するに、同じ事業で、お客さんの数が多くなれば、ますます利益が上がりやすくなることです。

過去の日本では、人口は右肩上がりが当たり前だったので、規模の経済を追求しやすい状況にありました。というより、20年以上前までは、すべての企業が規模の経済で成り立ち、成長してきたということです。

これに対して、範囲の経済とは、企業が複数の事業活動を持つことにより、より経済的な事業運営が可能になることを意味します。

「範囲の経済」は、単一事業において規模が拡大することによる効果ではありません。多様性が増すことにより経済性が高まるのは、何らかの経営資源を共有することで、それを有効に利用できるからである。自社が既存事業において有する販売チャネル、ブランド、固有技術、生産設備などの経営資源やノウハウを複数事業に共用できれば、それだけ経済的です。例えば、ビール会社の医薬品事業への展開は、バイオ事業を共有資源として活用することにより多角化を図る、範囲の経済の典型といえます。

なお注意点として、ある経営資源を有効活用できたとしても、それが複数事業を持つことで生じるマイナスの効果を補えるのかといったことがある。例えば、家庭や職場に飲料を毎朝配る女性配達員を大量に抱える飲料メーカー(ヤクルト)が、彼女らの強力な販売力を活用すべく、化粧品販売に乗り出したことがありました。しかし企業側の期待に反して、顧客は化粧品と飲料を同じ人から買うことに抵抗を示し、成功しませんでした。これは、事業の選択を誤れば、範囲の経済が働かないことを示しています。

平たくいえば、規模の経済では、一度でも買っていただけるお客をとにかく数を増やすということでしたが、範囲の経済では、個々のお客と長い間にわたってお付き合いいただき、なるべく多くの商品やサービスを購入していたたこうというものです。

このヤクルトの失敗は、まだ良いほうです。1980年代においては、闇雲にいわゆる多角化を実施して、既存事業とは全く関係のない事業を展開して、結局は大失敗して、新規事業を手放すという企業が後をたちませんでした。範囲の経済とはいっても、このようなやり方はなかなかうまくいかないということが多くの企業の失敗によって明らかになりました。

しかしながら、1990年代から、eコマースがだんだんと興隆してきて、現在では、いわゆる小売で業績を伸ばしているのは、eコマースだけという状況になっています。eコマースは、どのサイトでも、特に一つのカテゴリーにだけこだわるということはなく、様々なカテゴリーを扱っているいるというのが普通です。これは、範囲の経済によるものと考えて良いと思います。

いずれにせよ、少子高齢化については、かれこれ10年近くも言われ続けてきたのですが、多くの人は、実感があまりなかったかもしれません。しかし、それは、少子高齢化傾向になっても、今までは、その傾向が徐々に強まってきただけであって、それによって人口そのものが激減するという状況ではなかったからです。

これからは、この傾向がますます強くなっていきます。とすれば、規模の経済だけてはなかなか難しい局面を迎えたことは確かです。だからこそ、これからは、範囲経済も考えていかなければ、日本国内ではなかなか難しくなります。こうした範囲の経済を実現するノウハウとしての、ビジネス・部゜ラットフォームを築いていく必要もあります。

しかしながら、日本の人口は、それでも、1億人以上もあることから、規模の経済を追求しつつも、範囲の経済にも配慮する姿勢が必要になってくると私は考えます。

お隣りの韓国では、もともと人口が少なかったものが、日本よりも深刻な少子高齢化、さらに、年間8万ににも及ぶ脱南者と呼ばれる若者を中心とした海外移住者のため、8月末現在の韓国の住民登録人口は4997万6963人で、5000万人に2万3037人足りない状況です。韓国では、これからもますますこの傾向が加速します。こうした、韓国では、企業の海外進出などは当然の成り行きだと思います。

日本の場合は、このような状況から比較すれば、まだまだ、余裕があります。ただし、今年から、しばらくは人口が減り続ける時代がくることか確かです。しかし、こうした人口が減りつつある時代に対処しつつ、規模の経済と、範囲の経済の両方を追求しつつ、その社会に根付いた、商品・サービスなどは必然的に優れたものになるに違いありません。こういった社会にどのように対応していくのか、それを真剣に考えるとともに、社会の変革も必須となることでしょう。日本は、不得手であるとされる社会事業の改革も行われるべきです。

そういった意味で2011年は節目の年になると思います。そうして、これは決して後ろ向きなものではなく、前向きの挑戦になると思います。なぜなら、今日の少子高齢化は、どの国でも、一定以上の経済発展をした国では、起こっていることだからです。決して、後退ではなく前進だからです。私にとっても、皆様にとっても、今年は大きなチャレンジの元年となると思います。

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2010年12月30日木曜日

580人が国外逃亡 経済犯罪容疑で=中国―【私の論評】なぜ逃亡するのか、考えればわかる中国の内情!!

580人が国外逃亡 経済犯罪容疑で=中国

お宝文化財をニセモノにすり替えて売却した悪徳
官僚の死刑確定―中国では珍しくない事件だ
【大紀元日本12月30日】中国英字紙「チャイナ・デイリー」28日の記事によると、経済犯罪の容疑で中国から海外へ逃亡した者は580人に上ったという。公安部の経済犯捜査担当局長・孟慶豊氏が同紙の取材に対して明らかにした。

同局長によると、経済犯罪の容疑は詐欺や汚職などがほとんどで、容疑者らの主要な逃亡先は北米と東南アジアであるという。2007年から公安当局によって身柄を拘束された年度別の国外逃亡者人数は毎年、最多記録を更新している。

当局は2006年から、カナダや米国など20以上の国や地域に逃げた計250人を拘束したという。

過去30年間、国外に逃亡した中国当局の幹部は約4千人、500億ドルの資金が流出したと政府メディアは今年初めに報じた。また、逃亡犯の多くは企業のトップや銀行の幹部である。

中国では幹部の汚職は常態化しており、巨額の資金を巻き上げて国外に逃亡する事件が後を絶たない。しかし、犯罪人引き渡し協定を結んでいない国も多く、捜査継続が困難な現状だと同局長は話し、「今後国外捜査を強化するほか、外国の司法機関との連携を深めていくとの考えを示した。

BBC中国語ネット版では、「一党独裁の政治体制下で、独立した司法機関とメディアによる監督がなく、幹部の汚職を防ぐのは至難だ」という専門家の見解を紹介した。

【私の論評】なぜ逃亡するのか、考えればわかる中国の内情!!
このニュースに関しては、以前にもこのブログで掲載したことがあります。今年、2月のことです。ということは、今年も500名も超えるものが同じように逃亡したということです。

大量の中共の高官たちは次から次へと国外へ逃亡し、中共を見捨てている。それは中共内部が腐敗して広く蔓延し、綱紀がすでになくなったことを示していると考えられます。表面的には強大にみえる中共の船が次第に転覆していくのを予告しているものといえます。

これは、以前のブログにもかきましたが、中国の人口は日本の10倍ですから、580をそのままでは評価できないと思います。では、1/10の58人ではどうでしょうか?確かに、日本でも贈収賄で逮捕されたりする官僚も後をたちませんが、年間で58名もの官僚が金を巻きあげて、海外逃亡をしたなどという話は聞いたことがありません。

元々、中国の場合日本などと比較すれば、民度がかなり低いので、こうしたことは日本などに比べれば、多くなるのは当然といえば、当然ですが、それにしても多すぎです。

マスコミなど軍事力を含め、中国脅威論を煽りますが、中国の実体はこんな有様です。中国に対ししては、別に強大な軍事力を使わなくても良いかもしれません。中国高官のかなりの部分の連中に、金や、女や、名誉などを餌にスパイ戦をまともにやれば、内部からすぐに崩壊するかもしれません。

絶大な権力を握る中国の官僚。後ろめたいことも多いため、その多
くがネットで悪行をばらされることを恐れているという。写真は
南京国際展覧センター。無線ランに接続する会議参加者。
こうした弱みのある中国、まともに、軍事的に攻めることを考えていては、どうにもなりませんが、いろいろな諜報戦で対処すれば、意外とはやく分裂してしまうと思います。

そうして、アメリカ、ロシアなどはすでに実行していると思います。諜報戦とはいっても、何も007のようなことをしなくてもいくらでもできます。無論、金で、情報を得るとか、いろいろな情報を出したり、隠したりで、中国共産党内部の対立を煽り、何人かを失脚させるとか・・・・。民主勢力を応援するとか・・・・。

私は、中国官僚の逃亡者数のこの多さの背景には、中国人の民度の低さにつけこんだ、アメリカやロシアのスパイ活動があると思います。

そういった観点から、ロシア、アメリカなど中国を崩壊させるいくつものシナリオや、スケジュールを持っていると思います。

本来ならば、日本も参加すべきものと思います。何しろ、前にも述べたように、冷戦は終了したのですが、アジアだけが、中共も、北朝鮮も何も体制が変わらず不安定要因として残ってしまいました。これは、いずれ、変えなければならないからです。そのまま温存することは、世界の安定にとってあまりに危険です。

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2010年12月29日水曜日

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中国初の空母、来年にも誕生か 軍事拡張への疑念が強まる



【大紀元日本12月28日】中国が購入した旧ソ連製空母ワリャーグの修復作業は、米軍事専門家の当初の予想より1年早く進んでおり、来年の7月1日、中国共産党建党90周年のタイミングで運用が始まる可能性が高い。また、ワリャーグを参考に、純国産空母2隻の建造も同時に進められている。23日のロイター通信が報じた。

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一方、中国国家海洋局が今年5月に発表した「中国海洋発展報告2010」に、「2009年、中国は空母建造の構想と計画を定めた」との一文をそっと登場させていた。空母保有へ闊歩する姿や、空母計画を当局出版物の中に隠すように公表するやり方に対し、中国の軍事的意図に対する国際社会の疑念がさらに強まった。

空母建造の狙いについて、ロイターの同報道によると、中国の消息筋は「空母があれば、南シナ海の主権は守れる。我々(中国)には覇権の野心はない」と話しており、中国の空母建造はアメリカと競争するためではないと主張している。

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中国国防部は空母についてのコメントを避けている。

一方、台湾元防務高官・林仲斌氏は、ワリャーグはマラッカ海峡に配備され、中国のインド洋における石油航路の安全確保に利用されると推測している。また、中国は空母の配備で、南沙諸島(スプラトリー諸島)への勢力拡大も目論んでいると指摘した。

23日の米軍事ウェブサイトstrategypageによると、ワリャーグはすでに「施琅号」と改名したという。「施琅」は清の康煕帝配下の海軍名将の名前で、1683年に清が台湾を治めたことから、今回の空母命名で台湾に脅威を与える狙いもあるとみている。

ワリャーグは旧ソ連時代に建造された空母だが、ソ連の崩壊で建造が中止された。1998年に2千万ドルで香港の会社に海上カジノの名義で売却されたが、背後にある本当の買い主は中国当局だった。2002年にワリャーグは大連港に入り、そこで改修作業が進められてきたという。

一方、空母の建造はスタートにすぎず、空母のもつ戦闘力を発揮させるには数十年かかることもある、とカナダの防衛評論家ロバート・カーニオルはロイターに語った。中国軍筋も、中国はまだ空母で戦闘機を発着させる技術をマスターしていないとロイターに話している。「この技術の習得には巨大な財力と命の代価を伴うことも認識してほしい」と米海軍専門家は指摘した。

なお、ロイター通信は中国軍筋の話として、中国国産空母2隻の建造は世界最大の造船所・上海江南造船所で行われていると明かした。

【私の論評】いたずらに、危機を煽る必要はないが事実として認識すべき
さて、空母の脅威に関しては、過去に掲載もしたことなので、ここでことさら詳細を掲載するつもりはありません。しかし、上の記事にもあるように、空母を持ったからといってすぐに、軍事力となるとおもうべきではないと思います。

これは、軍事の常識ですが、たとえば、戦車を導入したからといって、すぐに戦力にはならないのと同じことです。戦車も、操縦士、砲手、車長らの連携がうまくいかなければ、ほんど戦力となりません。

ちなみに、これらの役割を簡単に以下に掲載しておきます。


車長 戦車単体の指揮官。操縦手に前進、停止や方向の指示を出したり、砲手に射撃目標を指示するなどその戦車単体の指揮を担当する。

砲手 主砲、同軸機関銃などの照準、射撃を担当する。

操縦手 車体の操縦を担当する”運転手”


イメージ 6
90式戦車
さて、これらの三者の連携がうまくいったからといって、それだけでは、多少の戦力とはなりえますが、それでもまだ十分な軍事力とはなりえません。なぜなら、場合によっては、他の歩兵や、野砲などとの連携、他の戦車との連携も必要になるからです。

さらに、実際の戦争になれば、実際に戦争に参加する軍団の中での位置づけなどもはっきり認識していなければ、無用の長物になってしまいます。さらには、燃料、弾薬の補充、乗員の食料の補給などの兵站も考慮しなければなりません。

さて、わざわざ、戦車の例を出したのは、戦車の乗員はわずか3名ですが、それでも、これだけ考慮しなければならないことがあるということを示したかったからです。

空母に関しても、空母のみを軍事力にするわけにはいきません。やはり、艦隊を組んで派遣する必要があります。そうなると、その艦隊の乗組員だけでも数千人も要することになります。そうなると、空母を建造しただけで、すぐに軍事力になるわけなどないわけです。

艦隊をひとまとめにして動かすだけでも、かなりの練度を必要とします。さらに、これを特定の軍事目的にそって機能させるためには、ただ動くだけでは駄目で、軍事目的に沿った連携を行わなければなりません。そのためには、特定の軍事目的のための演習を少なくとも、机上や、実践も含めて、10回くらいはしなければ、実戦には役立たないということになります。

だからこそ、中国も今にいたるまで、空母を持つことなど考えなかったのです。というより、持てなかったというのが事実だと思います。世界を見回しても、空母を持っている国は少ないです。これは、空母を運用するということ自体が、その国の工学、軍事、通信、コミュニケーションなどをはじめとする、その国の知的水準の粋を集めなければできないためです。

開発途上国などが、空母を持ったとしても宝の持ち腐れになってしまうことでしょう。そう考えると、日本が第二次世界大戦中に空母を運用していたということは、すごいことだと思います。

おそらく、中国が空母を建造したとしても、実際に軍事力まで高めるためには、30年くらいかかるものと思います。

中国の軍事力を過大評価する人たちは、今回の空母の配備について脅威を煽ることでしょうが、少なくとも、ここ10年くらいの間は、たとえ中国の空母艦隊が日本に迫ってくるようなことがあっても、日本の潜水艦の対潜能力が中国のそれよりもはるかに高いため、日本の自衛隊だけでも、全艦撃沈可能です。これに、アメリカ軍なども加わった場合も想定すれば、ほとんど問題外でしょう。

しかし、われわれがここで注視しなければならないことは、中国が空母を必要とする国家戦略を持ったということです。空母を必要とする国家戦略とは、少なくとも日本や、東南アジアなどを自らの覇権ま傘下に収めるということです。さらに、一歩進めれば、日本や、東南アジアなどを自らの領土にするということです。

日本は、こうした中国の国家戦略を前提として、安全保証や、国防、軍事の問題を考えていかなければ、ならなくなったということです。これに関して、少なくとも、10年以内には、日本は現状のあり方を崩し、いずれかの道に進まなければならないということです。

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2010年12月28日火曜日

首相の「地元」民主惨敗 西東京市議選―【私の論評】なぜ政治不在でも、日本の社会はかくも安定しているのか?ニッポン人の大きな忘れ物?

首相の「地元」民主惨敗 西東京市議選


26日に投票された西東京市議選(定数28)で、7人を公認した民主は現職4人が落選し、議席数を5から3に減らす惨敗となった。統一地方選の前哨戦として注目された選挙で、菅直人首相のおひざ元での敗退とあって、民主への逆風を強く印象づけた。

今回の市議選では、各党が統一地方選の行方を占う選挙と位置づけ、党首級が次々と地元に乗り込んだ。中でも民主は、同市が中選挙区時代の菅首相の選挙区に含まれていたこともあり、選挙期間中は菅首相の妻伸子さんや、蓮舫行政刷新担当相らが続々と応援に駆けつけた。

だが、結果は惨敗。現職5人と新顔2人を公認したが、議席獲得は現職1人、新顔2人にとどまった。

これに対し、自民は公認7人と推薦2人のうち、公認1人を除く8人が当選した。

公明は6人、共産は4人が当選。民主と会派を組んでいた社民は議席を失う一方で、みんなは現職1人を含む3人全員が当選した。西東京・生活者ネットの当選者は2人、無所属は4人だった。

選挙前から、民主の現職議員らは、国政の逆風が吹く中、都連が新顔2人を公認したことに疑問や不安を募らせていたが、それが的中した。5人の公認候補全員が当選した前回の総得票数は1万629票。7人の今回は9442票と約1200票減らしたうえ、各候補に票が分散した。

党の市支部副代表を務める二木孝之氏は落選。「新人を2人立てたので前回より自分の票が減ることは予想していたが、思った以上に逆風が厳しかった」と振り返った。森信一氏も議席を失い、「国政に対する批判の影響もあったと思う」と肩を落とした。(菅野みゆき)

◇「国政への不満を反映」民主都連
「大変厳しい結果だ。国政に満足していない有権者の思いが反映された」。民主党都連副会長の大沢昇都議は27日、支持率低下が続く政権運営が西東京市議選の惨敗につながったとの見方を示した。

多摩地域のある都議は、尖閣諸島や小沢一郎元代表の「政治とカネ」など、同党が直面する問題を踏まえ、「有権者が背を向ける原因は多岐にわたる。根本的な解決策が見つからないのが一番の問題」と話す。

「外交が任せられない」「政治とカネの問題がおかしい」「子ども手当は全額支給されないのか」……。西東京市議選の応援で市内を回った際、有権者の批判が相次いだという。

都連は10月の都連大会で、以後の都内の区市町村議選について、「定数の4分の1以上の議席獲得」を目標に掲げた。だが、政権支持率に好転の兆しが見えない中、西東京市議選では定数28人に対して公認7人を擁立しながら当選は3人にとどまった。

都連幹部は「多くの候補者を立てても共倒れになっては仕方がない。戦略見直しが必要かもしれない」と漏らした。

私の論評】なぜ政治不在でも、日本の社会はかくも安定しているのか?ニッポン人の大きな忘れ物?
今回の市議選は、まさに、昨年の政権交代の前のいろいろな都議会、市議会、県議会の選挙を彷彿とさせます。無論、与党と野党が入れ替わっています。しかし、わずかの期間でこれほどの激変です。多くの人は、あまり気にもとめてもいないようてすが、これはとてつもないことです。

二大政党の国で、二つの政党が交代しているだけなら、あまり混乱しないのも理解できますが、そうではない国の場合、とてつもないことになるのが普通です。普通の国なら場合によっては、ゼネストなどが多発したり、混乱や暴動、内乱になる場合だってあります。 ハング・パーラメントによる二大政党制の危機もあったイギリスの先回の選挙の結果保守党が返り咲得ていますが、その後イギリスでは、経済も不振ですし、学費値上げに反対する学生の大規模なデモが話題になっていました。

政治の世界がこんなに激変しているのに、日本の社会はそうでもないです。確かに経済はふるわないですが、日本の円は高い傾向にあります。円高の理由はいろいろありますが、それでも、円高ということは、日本国内ばかりではなく、外国も日本の円が安全だとみていることに他ありません。これには、日本の社会の安定性が随分寄与してるものと考えます。これに関して、山崎元氏が、ダイヤモンド・オンラインで『政治不在は日本の「強み」の表れかも知れない』というタイトルで、執筆されていました。詳細は、その記事そのものを見ていただくものとして、その結論部分のみ下にコピペしておきます。
誰も突出できないし、急激な変化を起こすことはできず、時に変化へのあこがれはあっても、現実問題としては、変化を好まない集団が変化を押さえつけて、国民全体も変化への不安からこれに同意するという構造だ。 
集団的にすくみ合うようにして、安定への求心力が働く社会は、すっきりしないが、意外に強い社会であるのかも知れない。
政府も政策もあてにできない。しかし、この現実を認めて、その前提で、過ごすなら、個人にとっても、企業にとっても、案外居心地のいい環境だ。
山崎元氏の論点は良く理解できます。そうして、短期的な見方によれば、それは正しい事と思います。ただし、日本の社会が長期的に安定している理由はそれだけではありません。それには、もっと深い日本人のバックボーンに根付いたものがあります。

実は、ドラッカー氏も、日本社会の安定性について言及しており、日本の政治家、官僚はともに、経済よりも社会を優先してきたということを語っています。それに加えて、ドラッカー氏は、明治維新を例にあげて、日本人は国内で一旦コンセンサスが成り立てば、一夜にして、大変化を成し遂げることができると論評しています。

このことは、前にもこのブログに書いています。ドラッカー氏は、日本の美術などにも造詣が深く、日本の歴史なども熟知しています。しかし、上のような日本の強みに対して、その原因や源は何なのかについては、あえて述べようとはしませんでした。私は、それについて、ドラッカー氏も西欧人であり、西欧人であるが故の限界であると、このブログに掲載しました。かといって、ドラッカー氏の偉業については、決して色あせることはないことも掲載しました。

さて、ドラッカー氏も述べなかった、日本の真の強み、そうして、さきほども述べたように、山崎氏も気づいていないようである、日本の社会が長期的に安定している理由とは、その源は何なのでしょうか?

それは、無論、朝廷です。朝廷があるが故に、わたしたち日本人は、昔から分裂、内乱などを避けることができたのです。明治維新などのドラッカー氏が絶賛する、無血革命も、互いに敵同士に別れても、天皇を頂点とした、日の本の国の人として、気脈を通じることができたからです。

特に、朝廷に関しては、日本人にとっては神道や他の伝統文化等と渾然一体となっていて、意図して、意識しなくても、子供の頃から、潜在意識に埋め込まれ、自分の皮膚のようになっていると言えると思います。本来、日本の長期的な安定性は、朝廷を抜きにして語ることはできません。山崎氏は、このことを忘れ、全く頭の片隅にもないニッポン人なのかもしれません。

最近では、山崎氏のように、顕在意識からそれが完全に離れてしまっているニッポン人も増えてきました。かつての日本では、朝廷はあまりに当たり前だったので、ことさら、それを強調しなくても良かったことや、戦後60年を超える米国の日本弱体化政策や、その尻馬にのった、戦後の民主主義教育や、個人主義教育がこのような多くのニッポン人を生みだして来たのだと思います。良く考え見てください、日本が戦争に敗れたあとで、アメリカ軍が進駐してきましたが、それでも、朝廷を崩すことはできませんでした。何度も存続の危機にあいながらも、このような長い2670年にも及び、朝廷のようなシステムを長期間維持してきた国は他にあるでしょうか?

どこにもないですね。イギリスには王室がありますが、日本の朝廷と比較すれば、歴史など及ぶべくもありません。また、イギリスの王室はあくまで、為政者の末裔であり、日本の朝廷とは根本的に異なります。

私は、こうした安定システムでもある、朝廷は古の日本人の空前絶後の卓越した知恵であり、これからも、維持発展させていくべきものと思います。

先に掲載したドラッカー氏、現在の価値観が多数存在する、多元的な社会について、「多元性のある社会は強く、健全である。全体主義的なカリスマに支配されるような社会は脆弱で不健全である。私たちは害悪の根源たるカリスマの出現に常に目を光らせていなければならない」としています。しかし、多元的な社会を統合することについては、必要性は述べているものの、その答えは述べていません。しかし、多元的な価値観だけが、存在する社会は分裂するものです。

やはり、多元的な社会を統合する理念や、哲学が必要です。日本では、西欧の伝統文化においては、ドラッカー氏ですら、結論を出すことができない、多元的な社会を統合する要としての天皇を、古来から設けて、維持してきたということです。西欧文化においては、従来これは宗教が担ってきました。しかし、宗教に限界があったことは、今では周知の事実です。

しかし、日本には、古来から朝廷があり現在まで存続しているということは、本当に日本独自の強みです。日本の天皇は、他国のように為政者がなるものではありません。だから、ドラッカー氏が述べている、ヒトラーや、現在であれば、中国共産党や、北朝鮮、古くはナポレオンなどのような全体的なカリスマとは根本的に異なります。むしろ、古の日本人は、このようなカリスマが出現することを恐れ、さらには予知していたがゆえに、為政者とは異なる朝廷を設立したのです。これほど、類稀な安定システムは日本独自のもので、他国にはありません。

多くのニッポン人は、そのことをすっかり忘れているようです。しかし、私を含めて、日本には、まだまだ、多くの日本人がいます。私は、日本人が日本人たるためには、天皇は絶対に避けて通る事はできないと思います。それを忘れてしまえば、日本人はたとえDNAが日本人ではあっても、文化的には日本人ではなく、ニッポン人になってしまいます。ニッポン人が多数になってしまうような日本は、きっと、極めて不安定な社会になることでしょう。一時安定したように見えても、長期では不安定化し、混乱することでしょう。そうして、一時、日本にも、ニッポン人が増えてしまったようですが、これからは、本来の意味での日本人をどんどん増やしていくべきと思います。

先に述べたような、政治の世界のことなど、悠久の朝廷やそれを生み出した日本人の精神からすれば、太洋のなかに生じた小波程度のことでしかありません。これからも、悠久の歴史の中で、燦然と輝いてきた朝廷を頂点とする日本の伝統文化は、未来においても輝き続けることでしょう。これからも、日本人はイノベーティブでありつつも、古き伝統で変えてはいけないものは、守り続けていくべきです。

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2010年12月27日月曜日

インド人学生自殺 ズボン脱がされ、あだ名は「ビンラディン」 親友が“いじめ”証言―【私の論評】いじめに関与したものは、追跡調査し大学卒業資格を剥奪せよ!!

インド人学生自殺 ズボン脱がされ、あだ名は「ビンラディン」 親友が“いじめ”証言


すごく変なコマーシャルですね・・・・・。

追手門学院大学(大阪府茨木市)に通っていた在日インド人の男子学生=当時(20)=が大学でいじめを受け続けたとする遺書を残して自殺した問題で、男子学生が複数の学生から人前でズボンを脱がされたり、イスラム過激派テロリスト「ビンラディン」とのあだ名で呼ばれるなどの嫌がらせを受けていたことが26日、分かった。男子学生の親友が証言した。大学側はこれまでいじめの事実を強く否定してきたが、男子学生が、こうした嫌がらせをいじめと受け止め、自殺を図った疑いが強まった。

いじめとみられる嫌がらせの具体的内容が判明するのは初めて。男子学生の友人らが結成した「自殺事件原因追及の会」に対し、男子学生と特に親しかった友人の1人が証言した。

それによると、男子学生がたびたび嫌がらせを受けていたのは、遊び仲間だった複数の学生。人前でズボンを脱がされたり、花火を直接向けられたりしたほか、本名ではなく、「ビンラディン」と呼ばれるなどしていたという。

また「お前をいじることが最近一番楽しい」「お前を見ているとなんかイライラする」などの暴言を吐かれることもあったという。

男子学生は親友に対し、「最近、パシらされる(使い走りをさせられる)ことが多い」などと打ち明けることもあったという。

親友は男子学生が自殺を図った後、「もっと彼を守ってあげることができればよかったと悩み苦しんだ」と話している。

当時3年だった男子学生は平成19年6月、神戸市の自宅マンションから飛び降り自殺。遺書やメールには大学でのいじめを強く示唆する文面が記されており、遺族は調査を要望したが、大学側は3年以上放置。このため、遺族は今年8月、大阪弁護士会に人権救済を申し立てていた。

大学側は産経新聞の報道を受けた8月の記者会見で、いじめの事実を強く否定したが、10月に弁護士らでつくる第三者委員会を設置し、自殺の原因などを調査しており、27日に記者会見を開き、調査結果を公表する予定。

この問題をめぐっては、男子学生のゼミ担当教授が産経新聞の取材に対し、「大学はいじめ自殺の可能性が高いことを把握しながら調査せず隠蔽(いんぺい)した」と証言している。

【私の論評】いじめに関与したものは、追跡調査し大学卒業資格を剥奪せよ!!
追手門大学の今回のいじめに関する報道には主に二つの大きな問題点があると思います。

一つ目としては、大学生にもなって、中学生なみの頭しかないものがいるということです。現在の大学生生の就職難に関しては、確かに現在不況という側面はありますが、それ以外にも、現役大学生の中に、中学生なみの頭しかないものも結構多いという現実もあるのではないかと思います。

企業側からすれば、社会性が全くなく、コミュニケーションも満足にとれなく、そうして、上記のように中学生波の頭の大学生など、採用しても、教育・訓練して、さらに、社会性を身につけさせる手間を考えた場合、二の足を踏むのは当たり前のことと思います。

二つ目としては、大学側の対応です。速やかに発見して、中学生並の頭の馬鹿な学生はさっさと除名処分にするべきだったでしょう。そのほうが、むしろまともな大学としての評価が高まったではないかと思います。大学生にもなって、いじめをするというのは、断じて大学の責任ではなく、本人たちの責任です。全く大学には関係ないことです。ただし、誤解のないように掲載しておきますが、事件発生後にすみやかに対応して、処分なり何なりをしなかったことに関しては、大学側に大きな責任があると思います。

しかし、それにしても、今の大学二流校以下にもなると、何と、出欠の報告をわざわざ親にするそうです。私からいわせれば、そんなのは、本人に任せるべきであって、それで、本人が大学に来なくなって、放校になったとしても、大学には全く責任はありません。それは、断じて本人の責任です。もし、こんなところに、モンスターペアレントが出てきたとしても、そんなものは、一向に構う必要はありません。もし干渉してきたとしても、無視すれば良いことです。

そんなことに対して、非難をするような人間がいたとしたら、それは、そいつがおかしいということです。大学側は非難されることは全くありません。

今回の事件でも、責任は、いじめをやった馬鹿者に帰属するものであり、大学にも、親にも責任はありません。その責任はすべて、通常の社会のルール通りに、自分たちが贖えば良いことです。当然、大学として、大学卒業資格の取消、もし、本人たちが、会社に就職していたとすれば、会社側としては、入社のときの面接で、虚偽の申告をしたということで、会社も解雇で良いと思います。

それにしても、インドは親日国だというのに、残念です。いじめをしていた連中も中学生並の頭なので、そんなことは知らなかったのだと思います。

最近の大学生の質は「ゆとりの教育」もあって、かなり学力が落ちています。さらに、社会性も低いときています。コミュニケーション能力も低いです。さらに、少子高齢化の傾向から、数そのものも少ないです。

このような現象について、かつてドラッカーは、かれこれ、30年以上前から予想していて、企業に対して、高齢者、その中でも、高学歴の知識労働者の活用を推奨していました。これは、このブログにも何回か掲載してきました。10年程前でも、そのような推奨内容など、それが実現するなどとは、とても思えませんでしたが、しかし、最近になってそれが、上のような記事をみていて、現実味を帯びてきたと思います。

現在その傾向はまだ、日本に限らず、世界的にも顕著ではありません。それは、リーマン・ショック以降の経済が良くないということもあるのだと思います。しかし、上の記事などを見ていると、もし、景気が回復したとしても、もう、雇用状況などもとに戻らないのではないかと思います。

30年ほど前までは、大学の進学率など、高卒の30%前後でした。それが、最近では、50%以上になっているそうです。その結果が、上の記事のような、中学生なみの頭しかない大学生の出現です。このような状況を考えれば、もう、2流、3流であっても、あるいは1流であっても、何の才能もなく、社会性もないような大学生など、大学を卒業しただけで、中堅どころ以上の企業にほぼ無条件で就職できるという幸福な時代は終わったのではないかと思います。

しかし、それも、しかたのない事と思います。現在の大学生の質低すぎです。無論全部とはいいませんが、卒業者の何割かは、知識労働には相応しくないです。みずからにあった職業選択をすべきと思います。しかし、それは、それで良い事と思います。一昔前に戻るというだけの話ですから。現在は、どこかが狂っているだけで、本来なら大学に入れてはいけないような馬鹿者も入っているというように、認識を改めていく必要があると思います。そうして、まともな企業はそのように改めつつあると思います。

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2010年12月26日日曜日

【内田樹の研究室】才能の枯渇について―【私の補足】利他的な動機から本当の知恵が生まれてくる!!

【内田樹の研究室】才能の枯渇について

典型的なお嬢様大学といわれる神戸女学院の内田研究室。最近
の卒論のテーマは、社会問題が多いということを聞いたことがある。
「内田樹の研究室」という有名なブログがあります。私も、時折参照させていただいています。そこに多くの「才能の枯渇について」という内容の興味ぶかい記事が掲載されていたので、以下のその要約を掲載します。
クリエイティヴ・ライティングの今年最後の授業で、「才能」について考える。天賦の才能というものがある。自己努力の成果として獲得した知識や技術とは違う、「なんだか知らないけれど、できちゃうこと」が人間にはある。 
「天賦」という言葉が示すように、それは天から与えられたものである。外部からの贈り物である。私たちは才能を「自分の中深くにあったものが発現した」というふうな言い方でとらえるけれど、それは正確ではない。才能は「贈り物」である。
外来のもので、たまたま今は私の手元に預けられているだけである。それは一時的に私に負託され、それを「うまく」使うことが私に委ねられている。どう使うのが「うまく使う」ことであるかを私は自分で考えなければならない。私はそのように考えている。 
才能を「うまく使う」というのは、それから最大の利益を引き出すということではない。
私がこれまで見聞きしてきた限りのことを申し上げると、才能は自己利益のために用いると失われる。 
「世のため人のため」に使っているうちに、才能はだんだんその人に血肉化してゆき、やがて、その人の本性の一部になる。そこまで内面化した才能はもう揺るがない。
でも、逆に天賦の才能をもっぱら自己利益のために使うと、才能はゆっくり目減りしてくる。 
でも、ある程度生きてくれば、現在自分の享受している社会的なアドバンテージのかなりの部分が「自己努力」による獲得物ではなく、天賦の贈り物だということに気づくはずである。 
それに対して「反対給付義務」を感じるかどうか、それが才能の死活の分岐点である。
反対給付義務とは、この贈り物に対して返礼の義務が自分にはあると感じることである。 
世界で最初に贈与した人間が「いちばんえらい」のである。その原初の一撃(le premier coup)はどのような返礼を以てしても償却することができない。それゆえ、返礼義務は「贈与者」に対して、債務の相殺を求めてなされてはならない。 
してもいいけれど、「贈与を始めた」というアドバンテージはどのような返礼によっても、相殺できないからやっても無意味なのである。この被贈与者が贈与者に対して感じる負債感は、自分自身を別の人にとっての「贈与者」たらしめることによってしか相殺できない。 
自分が新たな贈与サイクルの創始者になるときはじめて負債感はその切迫を緩和する。そのようにして、贈与はドミノ倒しのように、最初に一人が始めると、あとは無限に連鎖してゆくプロセスなのである。 
才能はある種の贈り物である。それに対する反対給付義務は、その贈り物のもたらした利益を別の誰かに向けて、いかなる対価も求めない純粋贈与として差し出すことによってしか果たされない。 
けれども実に多くの「才能ある若者」たちは、返礼義務を怠ってしまう。「自分の才能が自分にもたらした利益はすべて自分の私有財産である。誰ともこれをシェアする必要を私は認めない」という利己的な構えを「危険だ」というふうに思う人はしだいに稀な存在になりつつある。 
でも、ほんとうに危険なのである。『贈与論』でモースが書いているとおり、贈り物がもたらした利得を退蔵すると「何か悪いことが起こり、死ぬ」のである別にオカルト的な話ではなくて、人間の人間性がそのように構造化されているのである。
だから、人間らしいふるまいを怠ると、「人間的に悪いことが起こり、人間的に死ぬ」のである。生物学的には何も起こらず、長命健康を保っていても、「人間的には死ぬ」ということがある。 
贈与のもたらす利得を退蔵した人には「次の贈り物」はもう届けられない。そこに贈与しても、そこを起点として新しい贈与のサイクルが始まらないとわかると、「天」は贈与を止めてしまうからである。天賦の才能というのは、いわば「呼び水」なのである。 
その才能の「使いっぷり」を見て、次の贈り物のスケールとクオリティが決まる。天賦の才能を専一的に自己利益の増大に費やした子どもは、最初はそれによって大きな利益を得るが、やがて、ありあまるほどにあるかに見えた才能が枯渇する日を迎えることになる。 
前に「スランプ」について書いたことがある。スランプというのは「私たちがそれまでできていたことができなくなること」ではない。できることは、いつでもできる。そうではなくて、スランプというのは「私たちにできるはずがないのに、軽々とできていたこと」ができなくなることを言うのである。 
「できるから、できる」ことと、「できるはずがないのに、できる」ことはまるで別のことである。「できるはずのないことが、自分にはできる(だから、この能力は私物ではない)」と自覚しえたものだけが、次の贈与サイクルの創始者になることができる。 
自分は世のため人のために何をなしうるか、という問いを切実に引き受けるものだけが、才能の枯渇をまぬかれることができる。「自分は世のため人のために何をなしうるか」という問いは、自分の才能の成り立ちと機能についての徹底的な省察を要求するからである。 
自分が成し遂げたことのうち、「これだけは自分が創造したものだ」「これは誰にも依存しないオリジナルだ」と言いうるようなものは、ほとんど一つもないことを思い知らせてくれるからである。才能の消長について語る人があまりいないので、ここに経験的知見を記すのである。
【私の補足】利他的な動機から本当の知恵が生まれる!!
内田 樹氏(うちだ たつる、1950年9月30日 - )は、日本のエッセイスト、元フランス文学研究者、翻訳家、神戸女学院大学教授です。詳細な経歴などは、ウィキペディアなどで御覧になってください。

私は、内田氏のブログの内容をみて、自分なりに啓発されるところがあったので、本日はその内容を書きます。その内容は、内田氏の論を強化するための補足ということになると思います。

クリエイティブ・シンキングというよりは、そのもととなるクリエイティブ・シンキングに関して、私は従来から興味があり、以前から調べたりしていました。そうして、内田氏の上の記事で言われることはまさにその通りと思います。以前このブログにも掲載した、最近ノーベル化学賞を受賞された、鈴木氏、根岸氏とも受賞のもとになったカッフリング反応に関する、特許などは取得していませんでした。

もし、特許を取得していたら、巨万の富を得ていたでしょう。しかし、彼らは、そうはしませんでした。それは、彼らなりに上で内田氏が述べていたようなことを覚っていたからにほかなりません。というより、もし、彼らが若い頃、巨万の富を目指して、研究をしていたら、とても、ノーベル賞受賞級の研究などできなかったかもしれません。

化学の世界特に、近代アカデミックの世界ではもともと、贈与サイクルで成り立っている世界です。自分の研究は、次の人のために貢献できるように、隠し立てすることなく、論文にして公表するのが不文律の世界です。現在では、ケミカル・アブストラクトなどというデーターベースがインターネット上で、公表され誰もが、最新の物質の情報を得られるようになっています。私も、昔は、生化学の分野で良く参照していたことがあります。

なぜ、このような不文律や、考え方が生まれてきたかといえば、化学の研究など一般の人が想像するよりもはるかに地味な研究だからです。日々、実験の積み重ねであり、失敗の連続です。いつ実るかもわからないある意味では先の見えない研究に長い間没頭しなければ、とうてい成果をあげられません。そんな中で中世の錬金術師のような秘密主義などとっていれば、誰も成果をあげられず、化学の進歩もなかったことでしょう。

ノーベル賞級の研究をした後も、彼らは、研究者としてとどまり、後輩の支援や、企業に対する指導などを継続しました。その成果の表れが、今日の日本の様々な分野の強みにつながつています。彼らが、若い頃から巨万の富を得ることのみに集中していたら、とてもこのようなことまではできず、今日ノーベル賞を受賞するなどのことはできなかったでしょう。

また、上の内田氏のことを裏付けるような発言を、アインシュタインがしていることも、このブログに掲載しました。

その内容を下に記します。
現代では、昔言われていた、本に書いてある内容など、知識とはいいません。今では情報という言い方をします。知識は何かといえば、そうした情報を取捨選択、統合して、実際に仕事に適用する能力をいます。 
ただし、知識を得るためには、かなり膨大な情報を予め頭の中にインプットしておく必要があります。いまなら、情報化が進んでいますから、情報は昔と比較すれば、かなり容易に、しかも迅速に入るようになっています。しかし、とはいっても、ある程度の情報、特に基本的な情報がある程度頭の中にインプットされていなければ、調べるだけでも、膨大になってしまい、そこから知識を生み出すことはできなくなくなります。 
このような真の意味での、知識のない人は、いまでは、仕事ができません。そうして、知識を得るためにこそ、膨大な情報を必要とします。 
このことを端的に示しているのが、アインシュタインです。アインシュタインといえば、あの相対性理論で有名です。特にその中でも、「E=MC2」という式は、統合的思考の産物です。わずか、この一行の式の持つ意味はまるで、広大な宇宙のようです。 
こうした、アインシュタイン自身が自分の業績について語った言葉が印象的です。「私の理論は、すでに先人がそのほとんどすべてを開拓したものです。私が付け加えたのは最後のほんの!%程度くらいにすぎません」。これは、かなり、謙遜した言葉と受け取られるかもしれません。しかし、真実です。 
アインシュタインは、先人が開拓した物理の理論を情報として、徹底的に、頭の中にインプットしたのだと思います。そうして、そこから、様々な知識を生み出し、その過程で、無論、論理的思考と、水平的思考を駆使し、最後の最後で、統合的思考方法を適用して、壮大な理論を「E=MC2」という、単純な公式としてまとめあげたのです。わずか、!%といいながら、その1%は、偉大であり、人類の金字塔となったのです。
実は、アインシュタインが語っていることは、まさに、内田氏がいうところの、先達から受け継いだ贈与により、次の贈与サイクルの創始者になることができたからこそ、あの特殊相対性理論を打ち立てることができたということを示しているのだと思ます。鈴木氏や、根岸氏も、やはり同じ事だと思います。

両氏とも、パデュー大学のホウ素の化学で高名をはせたH.C.ブラウンに師事を受けています。まさらに、彼らは、H.C.ブラウン氏などから受け継いだ贈与により、次の贈与サイクルの創始者になることができたため、ノーベル賞に結びつくような研究ができたのだと思います。もし、ブラウン氏の師事を受けていなかったら、ノーベル賞など叶わなかったに違いありません。

誰でも、大きな成果を挙げる人には、直接師事を受けた、受けないに限らす、こういった先達がいるのだと思います。そうした、先達から贈与を受けて、次の贈与サイクルの創始者になれる人のみが、大きな成果をあげられるのです。

にもかかわらず、内田氏がいうように、実に多くの「才能ある若者」たちは、返礼義務を怠ってしまうのです。「自分の才能が自分にもたらした利益はすべて自分の私有財産である。誰ともこれをシェアする必要を私は認めない」という利己的な構えを「危険だ」というふうに思う人はしだいに稀な存在になりつつあるのだと思います。しかし、そういう若者は、結局才能が枯渇するのだと思います。

そうして、この考え方について、私なりに付加しておきます。上のアインシュタインの引用の中に、統合的思考という言葉がでてきました。思考方法については、大まかにいうと、論理的思考、水平的思考、統合的思考の三つの方法があります。これに関しては、先のブログにその意味を掲載しましたので、その内容はそれを見ていただくものとして、ここでは詳細を説明はしません。

私は、内田氏の上の論に対して、さらに補足したいと思います。多くの人の才能が枯渇してしまうのは、おそらく、思考方法でいえば、論理的思考、水平的思考までで止まってしまい、アインシュタインや、鈴木氏、根岸氏、あるいは優れた経営者のように統合的思考にまで到達できないからではないかと思います。

若いうちは、利己的に、頭を使い、論理的、水平的思考のみで、何とか世の中をわたっていけるのだと思います。しかし、利己的であっては、そこで小さくまとまって、次の、ステップに進めなくなるのだと思います。これが、いわゆる才能の枯渇なのだと思います。多くの利己的な愚かな若者が、人生の最初の部分では、論理的思考だけで何とかなるのだと思います。そこで、成功して、うまくいかなくなったとしても、水平的思考で何か珍奇な考えをだし、それで成功するというわけです。そうして、人の才能とは、論理的思考、水平的思考のみであり、それ以外にないと思い込んでいるのだと思います。しかし、次のステップに進むためには、それだけではすまないということです。

私は、統合的思考について、先のブログで以下のように述べました。
統合的思考方法は、最早、ツールに依存するものではなく、会社であれば、その会社の経営者の個性であり、もっといってしまえば、それは技法などという枠を超えたアートなのかもしれません。アートに便利なツールなどありません。どんなに、高価な絵筆や、キャンバスなどを購入したからといって、一流の画家になることはできません。
そうして、このアートがどこから湧きいでてくるのかといえば、無論、利他的な動機からであり、身近には家族のため、友人のため、仲間のため、会社のため、地域のため、国のため、世界のためという考えからであると思います。まさに、先達から贈与を受けて、それに感謝して、意図して意識して、次の贈与サイクルの創始者になり、これらの人たちに贈与をするという固い決心をすることから、これが湧きい出てくるのです。それなしに、統合的思考などしようにも望むべくもないのです。

そうです。そう考えると、何も統合的思考方法をするのは、ノーベル賞を受賞するような偉業を達成する人たちばかりではありません。良き夫、良き妻もそのような考えをしています、良き親もそうです。中小企業の経営者だってそのような考えをしている人もいます。学校の先生だって、そんな考え方をしている人もいます。皆さんの、身近にいる信頼できる人は、特に意識せずとも、きっと皆このような考えをしているのだと思います。ただ、ノーベル賞受賞者等からみれば、その適用範囲が狭いだけです。それでも、本当に立派なことです。

そうして、これこそが、古から言われている知恵というものです。上で述べたような決心をしない人からは、自己保身以外の何物も生まれてこないのです。利己的な現代人の多くは、このことを忘れて、八方塞の堂々巡りをしているのだと思います。結論をいえば、誰もが自分のためにだけものを考えていたのでは、限界があるということです。しかし、利他的に物を考えたときに、それまでの思考段階を突破し、統合的思考の段階に到達し、その限界を突破することができるということです。


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