2015年10月12日月曜日

クラスほぼ全員でいじめ 担任は放置? 腹蹴り、トイレ閉じ込め―【私の論評】閉じた社会の凄惨さを思い起こせ(゚д゚)! 


中野区立桃園第二小学校6年生「演劇によるいじめ防止事業」2013年7月8日
ブログ管理人注:写真と、記事の内容には、直接関係はありません。
和歌山県かつらぎ町の小学校で、6年の男児2人が複数の同級生からいじめを受けていたことがわかり、事態を重く見た町教委は、弁護士や大学教授ら4人でつくる第三者調査委員会を設置し、町内で12日、初会合を開いた。うち1人は昨年11月から不登校の状態が続いており、町教委は「男児が早く登校できるよう、原因究明と再発防止に努めたい」と話している。

町教委などによると、男児は小学4年だった平成25年ごろから複数の児童に腹を蹴られたり、悪口を言われるなどのいじめをしつこく受けた。翌26年3月、男児の保護者が学校側に訴えて発覚した。

学校側は担任とは別の教員を見守り役として教室に配置するなどの対策を講じたが、休み時間中にトイレの用具入れに閉じ込められるなど、いじめが止まなかったため、男児は吐くなどの体調不良に陥り、11月以降は不登校の状態が続いている。

さらにクラスのほとんどの児童がいじめに関与していたことがわかった上、7月ごろには別の男児へのいじめも発覚。2人ともケガはないが、町教委は「いじめの根は同じ。看過できない」として、第三者委の設置を決めた。池田八主雄教育長は「学校側が主体的に取り組む姿勢は崩していないが、よりタイムリー、より効率的に行うには第三者の意見を聞くことが必要と考えた」と説明する。

初会合では、委員長に勝井映子弁護士を選任。町教委側から、いじめの経緯や、学校と町教委のこれまでの対応などの説明を受けた後、今後の取り組みについて話し合った。勝井委員長は「学校は子供が育つ場なのに、男児が登校できないことは問題。男児の気持ちを大事にすることを一番に心がけてサポートしていきたい」と話した。

不登校中の男児の父親は「なぜクラスの子供らはいじめをし、担任は放置したのか。学校や町教委の対応に問題はなかったのか。それらの点をしっかりと調査して原因を究明し、子供が安心して登校できる状態にしてほしい」と話していた。

【私の論評】閉じた社会の凄惨さを思い起こせ(゚д゚)!

いじめというか、暴行殺人事件に関して、数日前にKAZUYA氏が動画を投稿していました。その動画を以下に掲載します。



この動画でKAZUYA氏が述べているように、この動画の中で示されている事件は「いじめ」などではありません。暴行殺人事件です。KAZUYA 氏の言うとおりです。しかし、何やら

日本では、学校というと特別な社会であるかのような変な風潮があります。学校だって、社会の一部です。特別な存在とみなして、学校の中での暴力や犯罪などを見逃すなどということは到底許容されるものではありません。

ブログ冒頭の記事のような事件だって、今回はかなり規模が大きくなって、それで白日の下に晒されることになったわけですが、ここまで酷くなるのは、やはり学校が閉鎖社会ということにも原因があると思います。開かれた社会であれば、このようなことは起こらなかったか、起こったとしても、未然に防ぐことが可能だったのではないかと思います。

開きれた社会、閉じた社会については、H・ベルクソンが用いた社会類型により、定義がなされています。それについて以下に引用します。

H・ベルクソン
H・ベルクソンが用いた社会類型で、それらは異質な二つの道徳、すなわち閉じた道徳・開いた道徳morale close-morale ouverte(フランス語)に対応する。
 閉じた社会は、本能に近い習慣や制度に由来する社会的義務によって、内から個人を拘束・威圧し、外に対しては排他的であり、自衛と攻撃の用意を怠らぬ閉鎖社会である。原始社会がそれに相当するが、程度の差はあれ、文明社会もまた閉じた社会である。家族も都市も国家も、他者を選別し、排斥し、拒否と闘争を生む。 
この社会の結合原理は、静止した習慣や制度によって個人を社会に服従させる、非人格的で不変の閉じた道徳である。 
 これに対して開いた社会は、有限な、敵対的な閉鎖性を超えた、無限の、開放的な社会であり、人類愛によって全人類を包み込む社会である。ここでの結合原理は、習慣、本能などの自然力に基づく威圧や命令ではなく、自然から人間を解放し、生命の根源に触れる歓喜を目ざして絶えず前進・向上する、人類愛の道徳、開いた道徳である。 
したがって開いた道徳は、習慣や制度といった非人格的な力によって担われるのではなく、選ばれた宗教的・道徳的天才の人格的な「呼び声」(英雄の呼び声)そのものであって、家族や国家の閉じた道徳を超えた、愛において結ばれた人類社会に対応する。 
 ベルクソンは、こうした人類愛を結合原理とするイデアルな開いた社会と、家族愛や祖国愛に基づくリアルな閉じた社会とは、まったく異質の社会であるとし、静的・停滞的な後者から「生命の飛躍」によって動的・創造的な前者に超越できるとした。この2種の社会と道徳の対置によって、ベルクソンはデュルケームの社会学的宗教・道徳理論を哲学的に批判したが、同時に多くの批判を浴びた。[田原音和] 
『H・ベルクソン著、平山高次訳『道徳と宗教の二源泉』(岩波文庫)』
当然のことながら、今の日本の社会では、完璧に開かれた社会も、閉じた社会もありません。日本の社会にも、幾分閉じられている、かなり閉じられている社会が混在しているわけです。その中で、私は今の学校、特に小学校から、高校までは、かなり閉じた社会ではないかと思います。

しかし、本来学校も社会の一部を構成しているものであり、閉じた社会としてしまえば、それこそ、いじめのような問題が発生するのは当然のことです。上の引用でも「閉じた社会は、本能に近い習慣や制度に由来する社会的義務によって、内から個人を拘束・威圧し、外に対しては排他的であり、自衛と攻撃の用意を怠らぬ閉鎖社会である」とあります。

ブログ、冒頭の記事の小学校は、まさにこの「閉じた社会」です。まさに、自衛と攻撃の用意を怠ることのできない社会です。

学校がこのようなことであってはいけないはずです。「いじめ」という言葉は、今の学校という閉じられた社会の中で通用する言葉ではないかと思います。本来、学校が開かれた社会になっていれば、あのようなことにはならかったのではないかと思います。

学校も、もっと開かれた社会にして、それこそ、一般市民が気軽に訪れたり、職員会議の中に入ることができたり、教育の一部を担っても良いのではないかと思います。

そうして、学校内での、腕力などによる暴力、言葉などによる暴力、その他攻撃などに関しては、ことが起こってから、どうのこうのと会議を開いたり、責任を追求するなどということ事後処理などはやめて、最初から法律や条例などや、そこまでしなくても、全国共通の校則などで、手続きを決めておき、何がことが起こったら、粛々とその手続きにのっとり、処理したり、その範囲を超えた場合は、警察に委ねるなどの決まり事を決めておき、まずは、迅速に処理するという体制を築くべきではないでしょうか。

私達の社会にも、法律などの決め事があります。犯罪を犯せば、警察に拘束を受け、裁判を受け、量刑が決まれば、それに従うというのは当然のことです。

学校だけが、独立した社会で、暴力事件などが発生しても、その時々の学校の判断などというのでは、とんでもないです。こんなことでは、学校の先生だって、判断基準がないのも同じて、何か事が起こったとしても、迅速に対応できず、後追いでしか対処できないです。こんなことでは、子どもたちを守ることはできません。

なぜ、日本だけが学校がこのように曖昧な対応しかとれないのか、全く疑問です。外国では、日本とは随分様子が違います。このブログでは、過去にドイツの学校の事例を掲載しました。その記事のリンクを以下に掲載します。
ドイツの教師 校外で煙草吸う生徒目撃しても注意しない理由―【私の論評】何でも学校の管轄とするのはあまりにも無責任!!学校は治外法権ではなく、責任ある社会人の子供が行くところと心得よ!!

詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事は「いじめ」に関するものではありません。「体罰」に関するものです。しかし、根は同じ所にあると思います。以下にドイツの学校のシステムなどについて引用します。

体罰問題を高校野球の監督をしている友人と話していて、彼が自分のこんなエピソードを紹介してくれた。 
 若くして母校の監督に就任して初めて選手の保護者会があったときのこと。リトルリーグの監督もしているという保護者からこんな指摘を受けた。 
「私がグラウンドに来ても誰も選手が挨拶をしない。どういう指導をされているのか」 
 友人は答えた。 
「挨拶といった基本的なシツケは家庭でお願いします」 
 私は「よく言い返した」と思ったが、保護者会では「シラーとした雰囲気が漂った」という。 
 体罰問題が繰り返されで跡を絶たないのは、子どもの教育をなんでも学校に委ねる風潮も、土壌にあるのはではないか。 
「ドイツでは校門から一歩出れば学校の管轄外。煙草を吸っている生徒を目撃しても教師は注意しません」 
 というのは日独ハーフで「生きる力をつけるドイツ流子育てのすすめ」の著者、サンドラ・ヘフェリンさん。ドイツで義務教育を過ごしたサンドラさんは、1度も体罰を受けたことも目撃したこともないという。 
「ドイツでは遅くとも1980年代前半には、体罰が法律で完全に禁止されていました。基本、子供の生活態度の管理をする担当は学校ではない、というのがドイツの共通したスタンスです」 
 サンドラさんによると、ドイツで「問題行為」(授業中に騒ぐなどの行為。髪の毛を染めるような身だしなみや学校外で起こした問題ではない)を起こした生徒には、まず「口頭」で注意される。その「注意」が3回たまると、校長から生徒の家に「問題行動を起こしたことへの注意」が書面で送られる。そしてこの書面が3通たまったら退学、という。 
「ドイツでは教師の家庭訪問もありません。学校と家庭は厳格に区別されています」(サンドラさん) 
 他国のやり方が日本にそのまま適用できるとは思わない。しかし体罰問題を掘り下げていくと「学校教育と家庭教育の峻別」に行き着くのではないか。学校外で生徒を指導してくれる教師を私たちは「面倒見の良い先生」と賞賛してきた。それは教師に本来親がすべきことを押しつけたことにならないか。学校や教師の責任を非難するだけでなく、家庭を含めた私たちの教育観を問い直すべき時期に来ている。 
 冒頭の高校野球の監督をしている友人に「体罰をしたことがあるか」と訊ねると、 
「あのな、野球が下手なぐらいで人を殴れるか」 
 と苦笑した。
ドイツでは家庭に三通目の注意の手紙が行くと、自動的に退学という仕組みです。 日本の学校もこれで良いのではないかと思います。学校で、暴力を働くものに対する仕打ちは、これで良いと思います。日本では、こういう厳しさがないので、暴力行為をしても、本人もその親もあまり重大な問題であると認識しないのだと思います。暴力を繰りかえしても、何の責任も問われないようでは、いわゆる校内暴力はいつまでもはびこると思います。

問題を起こし続けて、どの学校からも放校されるようになれば、さすがに当人もその親も焦ることになります。そういう子供のみ受け付ける刑務所のような学校を作っても良いと思います。こんなところに、人権問題を持ち出す輩は、それこそ暴力を振るわれる側の人権を無視していると思います。

この程度のことは、日本でも実行できるようにしたうえで、さらに、学校を開かれた社会にする方法を導入すべきと思います。

学校も完璧に開かれた社会にすることは無理だとは思いますが、最低限このようなことをできるようにしておくべきです。そうすることによって、教師の責任も明確になります。校内暴力をするからといって、ただ単純に手紙を書いて、さっさと退学させるだけしかしない、無能な教師は、開かれた社会で糾弾されることになると思います。

それにしても、日本はかなり閉じられた社会というか、コミュニティーが多いです。それが、マイナスの現象を生んでしまうことは、昔からあったことです。たとえば、連合赤軍などの過激派はその典型例です。

閉じた社会で、その中だけで、内から個人を拘束・威圧し、外に対しては排他的であり、自衛と攻撃の用意を怠らぬことのできない社会で、最終的には内ゲバで仲間を殺すという凄惨な事件を起こしてしまいました。



閉じた社会は、最終的にはこのようなことになってしまうものです。学校の暴力事件も同じことです。放置した結果が、暴行殺人です。

日本の社会では、ここまでいかなくても、他の社会の常識が通用しない、閉鎖社会が存在しています。そうして、それがたまたま頭をもたげてきて、多くの人々の知るところとなり、大きな社会問題になります。

最近の東芝の不詳事件も同じことです。閉じた社会の中の論理だけで動いて、とんでもないことになってから、社長が陳謝するような体たらくでした。

もっと、歴史を遡れば、大東亜戦争だって同じです、日本軍は中国に進出したのですが、中国で何をするのか、どのようになれば、戦争を終結するのか、ほとんど何も考えないまま誰も責任もとることもなく、いつまでも戦争を続け、挙句の果ては、米英などとも戦をして、それだけにとどまらず、どこまでも戦線を拡大して、とんでもないことになり、敗戦の憂き目を見ました。

このような無責任体制は、当時の軍や政府があまりにも閉じられた社会の中で、誰も責任を取らない状況の中で発生したものです。

戦後も似たようなものです、日本の金融政策は日銀政策決定委員会で決定されますが、その委員が金融政策を間違ったからといって、誰も責任を取ることはありません。おかげて、日本はとんでもないデフレ型不況にみまわれましたが、それでも、日銀も閉じた社会であるため、何の責任も問われることもありません。

それは、財務省も同じことです。これも閉じた社会で、とにかく自分たちの都合で、増税して、特別会計なり複雑な仕組みを構築して、とにかくそこに金を貯めこむということをしました。これも、日本がデフレ型不況を深刻化させ、自殺者が三万人台にまでふくれあがりました。

国でいえば、中国など典型的な閉じた社会です。正当性を欠く、現中国共産党政府が、民主化も、政治と経済の分離も、法治国家化もなおざりにして、自分たちの都合で国を運営しています。そのため、毎年平均 10万件もの暴動が発生しています。無論、基本的人権などないがしろにされています。

結局、閉じた社会は、社会の外側から批判されることもなく、自分たちの社会の都合だけで、動くため無責任体制になるのです。そうして、歯止めがなければ、その無責任体制の行き着く先は、凄惨な殺し合いにまで発展するのです。

さすがに、日本などの場合は、かなり閉じた社会というのは、例外的なので、そこまで行くことは滅多にないですが、ごく一部にはそのような社会も存在して、過激派の凄惨な内ゲバ等にまで発展してしまうのです。

学校などの組織も、閉じた社会のままでは、校内暴力はなくなりません。やはり、一定の決まり事を作成した後に、開かれた社会を目指すべきでしょう。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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2015年10月11日日曜日

【護憲派を斬る】民主主義を殺した卑劣なルール違反 目的が正しければ暴力も正当化―【私の論評】 日本だけが集団的自衛権を行使していない、してはいけないと思い込むのは虚妄にすぎない(゚д゚)!

【護憲派を斬る】民主主義を殺した卑劣なルール違反 目的が正しければ暴力も正当化

女性団体が警視庁麹町署に提出した告発状

  護憲派メディアの罪は重い。安全保障関連法案や、与野党5党の合意内容を報じるべき時間を割き、学生グループ「SEALDs(シールズ)」らの絶叫を繰り返し報道した。女子高生の叫び声も垂れ流した。

  選挙権すら持たない高校生や10代の大学生らの無内容な連呼に報道価値があるのだろうか。

  シールズの発起人はマスコミの寵児(ちょうじ)となったが、彼らに被選挙権はない。
  国会議員となる法的資格を欠く若者を、国会に参考人として呼ぶ野党がある。重用する放送局がある。なんとも不思議な感覚ではないか。護憲派タレントや文化人もこぞって若者を持ち上げた。

  学生らは、国会議事堂周辺でデモを繰り広げ、拡声器を使い、一国の首相を「バカ」呼ばわりし、「戦争法案、絶対反対」と連呼した。大学教授までが「お前(総理)は人間じゃない。たたき斬ってやる」と絶叫した。侮辱罪(拘留又は科料)や、脅迫罪(3年以下の懲役)に抵触しかねない暴言である。

  発言内容の前に、国会議事堂等周辺地域及び外国公館等周辺地域の静穏の保持に関する法律で、「当該地域の静穏を害するような方法で拡声機を使用してはならない」(第5条)と定められている。民間人に例外として許されるのは、選挙運動や災害時の使用だけ。警察官の是正命令に違反したら「6カ月以下の懲役又は20万円以下の罰金」(同第7条)だ。

  軽い罪ではない。憲法を守れと叫ぶ前に法律を順守してほしい。

私事で恐縮ながら、有名マンガ家関連のサイトで先日、「潮匡人って男は、見かけはサルだが中身はサル以下」と書かれた。名誉棄損罪(3年以下の懲役)ないし侮辱罪が成立する。護憲派メディアが、彼らを重用するのはなぜか。安倍晋三政権や保守派への批判な
ら、誰が何をしても許されるのか。

議員も例外でない。平和主義を語る前に、平和的に審議してほしい。どさくさに紛れて、自民党の大沼瑞穂参院議員を引きずり倒し、投げ飛ばすなど論外だ。傷害罪(15年以下の懲役)ないし、暴行罪(2年以下の懲役)が成立する。「良識の府」が聞いてあきれる。

自民党大沼瑞穂参院議員を引きずり倒し、投げ飛ばした
民主党参議院議員津田弥太郎

 民主主義を殺したのは安倍政権ではない。暴力や卑劣な実力(セクハラ作戦)を行使した護憲派野党である。安倍批判を合唱した護憲派マスコミである。

  彼らは、目的が正しければ、手段は正当化されると考えているらしい。それでは、ドストエフスキーの長編小説「罪と罰」の主人公、ラスコーリニコフと同じではないか(=信念に基づいて金貸しの老婆を殺害する)。ならば今後一切、「自由と民主主義」を語る資格はない。

  果たして、護憲派の辞書に「悔悟」や「懺悔」の文字はあるのだろうか。 =おわり

潮匡人(うしお・まさと)

【私の論評】 日本だけが集団的自衛権を行使していない、してはいけないと思い込むのは虚妄にすぎない(゚д゚)!

上の、潮匡人氏の主張は、正しいです。マスコミ、憲法学者、デモに参加した各種団体など、ルール違反というより、完璧に常軌を逸していると思います。

まずは、津田弥太郎氏が国会内で自民党女性議員に対して働いた乱暴狼藉の様子をとらえた動画をご覧いただきたいと思います。



これは、完璧に意図して意識した、乱暴狼藉です。
民主党議員津田弥太郎は、2015年9月17日、参院平和安全法制特別委員会での安全­保障関連法案採決時の混乱において、大混乱となった委員長席周辺から離れた場所に立っ­ていた自民党の大沼瑞穂参議院議員を突然後ろから羽交い締めにし、引きずった上に引き­倒すなどの暴行を加えた。 
なお、この暴行により大沼議員は右手の薬指と小指を負傷して­いる。このセクハラ及び暴力行為に対して谷垣禎一自民党幹事長は懲罰動議の検討を表明­した。9月19日未明、産経新聞の取材に対し、津田は「関係ない」との発言を繰り返し­、明確な回答は避けた。(Wikipediaより引用) 
大沼瑞穂議員
大沼 瑞穂(おおぬま みずほ) 
慶應義塾大学法学部卒業の才女。同大学大学院法学研究科修士課程修了後、NHKに報道­記者として入社し、仙台放送局へ赴任。その後、外務省専門調査員として香港総領事館に­赴任。赴任中は尖閣諸島に出航する中国船の確認や情報提供者との接触を担当していた。 
2012年に実施された自民党山形県連の公募に再び応募し、2013年2月4日に行わ­れた党員投票に勝利し公認候補に内定。7月21日、第23回参議院議員通常選挙に自民­党公認で出馬し、初当選した。(Wikipediaより引用) 
これらの証拠があるにもかかわらず、民主党議員辻元清美氏は決議時の自民党の姿勢を批­難するばかり。仮にも国会議員が、国の最高機関である国会において、婦女子に暴行を働­くとは言語道断である。 
しかも、セクハラ反対を唱えていた民主党員が、その舌の根も乾­かぬうちに自民党の女性議員にセクハラ暴行。暴行を受けた大沼議員は、身長160セン­チにも満たない小柄な女性。これは明らかに犯罪である。犯罪者津田与太郎は断罪に処す­べし!
このような犯罪が放置されるようでは、まさに民主主義の敗北であり、死を意味します。このまま、上の記事で示されたことが放置されていれば、日本は法治国家とはいえません。由々しきことです。

そもそも、集団的自衛権に関しては、佐藤内閣以前には当然のこととして認められていたものです。 佐藤内閣によって、国会対策のために、持たないことにするとされただけの話です。そうして、集団的自衛権も、個別自衛権も、国連ではすべての独立国の固有の権利とされているものです。

また、自衛権の行使など、独立国として当然の権利であることから、世界の他の国には、集団的自衛権、個別自衛権ともに、記載のない憲法なども多く存在します。憲法にはっきり記載がないから、集団的・個別的自衛権は、憲法違反だと考える、国民も憲法学者もこの世界には存在しません。

さらには、ドイツには、実質上NATO加盟国として、集団的自衛権は認められていますが、個別的自衛権は認められていません。なぜなら、ドイツが個別的自衛権を行使することができれば、ドイツ単独で戦争ができることにり、周辺国に対して危機をもたらすと考えられているからです。

ドイツ連邦軍に個別的自衛権は認められていない

集団的自衛権は、自国のみの都合では行使することができず、同盟国との協調によってのみ行使されるものであり、自国の判断のみで戦争はできません。しかし、個別的自衛権ならば、自国の都合のみで、戦争ができてしまうということで、戦争の抑止力としては十分とはいえないと考えられているからです。

さらに、もうひとつ加えると、日本人が自分たちは集団的自衛権を行使していないと思い込むのは、勝手ですが、日本にはアメリカ軍の基地があるということ自体がすでに集団的自衛権を行使していることになります。

いくら、佐藤内閣時代に、日本は集団的自衛権を行使しないことにしたなどと言ってみても、国際的にみれば、日本がアメリカに軍事基地を提供している、そのこと自体が集団的自衛権の行使にあたります。これは、世界の常識です。なぜか、日本だけが集団的自衛権を行使していないという虚妄に取りつかれているようですが、それは完璧な間違いです。

そもそも、集団的自衛権を行使することを認めれば、即戦争になるなどという見解も全くの間違いです。それは、全くの逆です。集団的自衛権のほうが、個別的自衛権よりも、はるかに戦争に対する抑止になります。なぜなら、個別的自衛権は、他国とは全く関係なく、自ら自衛権を発動できますが、集団的自衛権ともなれば、他国の協調で自衛権を発揮しなければならないからです。

だからこそ、ドイツは個別的自衛権を実質上行使できないし、自ら出来ないようにしています。

何やら、日本では集団的自衛権を行使することにすると、戦争になるなどと考える、世界の常識からは、かなりズレている人たちが多いです。というより、これはもう虚妄の水準です。

こんな当たり前の常識を無視して、野党もマスコミも、あたかも日本だけが集団的自衛権を全く行使していないと思い込むのは、精神に異常をきたしているとしか思えません。もう、日本はすでに、部分的に行使しています。そもそも、アメリカ軍の基地が日本に存在するということ自体が、集団的自衛権の行使にあたります。

それに、日本の軍事的な台頭を恐れ、また戦争になることを恐れるならば、個別的自衛権など封印して、集団的自衛権のみを行使できるようにすることのほうが、余程理にかなっています。

戦争するしないは、独立国であれば、最終的に政府が決めます。さらに、集団的自衛権の場合は、政府とさらに同盟国の同意がなければ、余程のことがなけれは、戦争はできません。しかし、個別自衛権ならば、自国の一存で戦争可能です。どちらが戦争になる確率が高いかといえば、個別的自衛権です。

また敵からみれば、一国を相手にするよりも、集団的自衛権で防衛したある国を攻撃するることは、同時に複数の国を敵とするということになり、これは余程の覚悟がいります。だから、戦争の抑止になります。

しかし、日々接する、新聞やテレビなどが、集団的自衛権では、戦争に巻き込まれるなどの、虚妄を振りまいたのですから、多くの人々が最初は幻惑されるのは無理もないと思います。

そもそも、日本が集団的自衛権を発揮していないとか、発揮することは憲法違反であると思い込むのは虚妄です。虚心坦懐に憲法を読めば、日本国憲法は、集団的自衛権、個別自衛権の発揮を禁じているものでありません。あくまで、侵略戦争を禁じているのです。

そうして、侵略戦争は何かといえば、現中国のように、建国当初は自国の領土ではなかった、満州、チベットや、ウイグル、内蒙古に侵略して、自国の領土に併合することをいいます。

護憲派などは、集団的自衛権を行使すると戦争になるなどという虚妄を述べ立てるくらいなら、はっきりと、侵略をした中国を非難すべきです。

中華人民共和国独立直後の版図は上手の赤色部分のみ。その他は、侵略して併合した

そもそも、日本だけが集団的自衛権を行使していない、してはいけないと思い込むのは虚妄に過ぎません。たとえ、日本人がそう思っても、世界はそう見ません。特に、中国はそうです。日本が完璧に、集団的自衛権を放棄すれば、一番喜ぶのは、中国です。

私は、こんな虚妄がいつまでも続くとは考えていません。いずれ、時がたてば、賢明な日本人のことですから、まともに世界の状況を調べたり、調べた多くの人々が、それを世に広めたりすれば、虚妄から開放される人がどんどん増えてくると思います。

その頃には、"集団的自衛権=戦争"などと、言う政党や、団体など急速に力を失っていくことでしょう。

その結果は、早ければ来年の参議院議員選挙において、そのようなことが、みられるものと思います。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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2015年10月10日土曜日

【世界記憶遺産】ユネスコ拠出金見直しへ 「断固たる措置取る」日本政府―【私の論評】常軌を逸した、ユネスコから日本は脱退するべき!それが、ユニセフ等の国際組織をまともにするための近道である(゚д゚)!


犠牲者30万人という数を記した南京大虐殺記念館の壁=中国江蘇省南京市

 中国が申請していた「南京大虐殺文書」が記憶遺産への登録が決まったことに対し、日本政府筋は「断固たる措置を取る」と述べ、ユネスコの分担金拠出などの一時凍結を検討する構えを見せている。

 平成26(2014)年度のユネスコ予算の日本の分担率は米国の22%に次ぐ10・83%で、金額は約37億1800万円。米国が支払いを停止しているため、事実上のトップだ。さらに分担金以外でも、さまざまな事業に対する任意拠出金があり、同年度のユネスコ関係予算は計約54億3270万円に上る。

 外務省首脳は「日本の分担金はトップクラス。(ユネスコ側が)日本からの申し入れに真剣に耳を傾けることに期待したい」として、中国の申請案件の登録が認められた場合は拠出金の凍結もあり得るとのシグナルを送り、慎重な審査を求めていた。

 一方、中国の分担率は6位の5・14%で日本のほぼ半分。任意拠出金も日本より少ない。しかし、中国の動きに詳しい関係者によると、中国は、記憶遺産の周知を図る名目で関係者を中国に招待するなどしているという。記憶遺産事業だけでなく、アフリカでの女子教育などにも中国は積極的に支援を行っており、「さまざまな形でボコバ事務局長の思いに応えている」との指摘もある。

  中国の登録申請を受け、“防戦”に回った日本も傍観していたわけではなかった。「審査を行う国際諮問委員会メンバーに対し、ユネスコ加盟国は働きかけられない」(日本外務省筋)ことから政府はその動きをつまびらかにしていない。しかし、「政府は関係する分野の専門家などと協力し、委員側に日本の主張を伝えてきた」(与党議員)という。民間団体もパリのユネスコ事務局を訪問し、英文の反論文を提出している。

 記憶遺産は、人類にとって歴史的価値のある貴重な文書の保護などを目的とする。中国が日本を貶(おとし)めるために利用する「南京大虐殺文書」の登録が本来の目的にそぐわないことは明らかだ。政府関係者は「今回の申請も受理も理解できない」と述べ、記憶遺産事業の見直しもユネスコに働きかけるべきだと強調した。

【私の論評】常軌を逸したユネスコから日本は、脱退するべき!それが、ユニセフ等の国際組織をまともにするための近道である(゚д゚)!


ユネスコとはどのような機関なのか、以下に掲載します。
国際連合教育科学文化機関(こくさいれんごうきょういくかがくぶんかきかん、フランス語:Organisation des Nations unies pour l'éducation, la science et la culture、英語:United Nations Educational,Scientific and Cultural Organization ユネスコ)は、国際連合経済社会理事会の下におかれた、教育科学文化の発展と推進を目的として、1945年11月に44カ国の代表が集いロンドンで開催された国連会議"United Nations Conference for the establishment of an educational and cultural organization" (ECO/CONF)において11月16日に採択された「国際連合教育科学文化機関憲章」(ユネスコ憲章)に基づいて1946年11月4日に設立された国際連合の専門機関である。
教育や文化の振興を通じて、戦争の悲劇を繰り返さないとの理念により設立の意義を定めたユネスコ憲章の前文には「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」との文言があり、設立の目的とその精神を顕著に表している。 
活動にあたっては、重点的に推進する目標として「万人のための基礎教育」「文化の多様性の保護および文明間対話の促進」などを定める。それに基づき、例えば前者に関しては識字率の向上や義務教育の普及のための活動、後者については世界遺産の登録と保護、文化多様性条約の採択のほか、歴史的記録遺産を保全するユネスコ記憶遺産(世界の記憶)事業などを実施する。そのほか、極度の貧困の半減、普遍的初等教育の達成、初等・中等教育における男女差別の解消、持続可能な開発のための教育危機に瀕する言語の保護などを内容とするミレニアム開発目標など、国際開発目標達成を目指す。 
1980年代には、放漫財政等のマネージメントの問題に加え、活動が「政治化」していることのほか、当時のムボウ事務局長が提唱した「新世界情報秩序」がジャーナリストの認可制を導入し報道の自由を制限するものだとして、アメリカ合衆国、イギリスが脱退し、ユネスコの存続は危機に立たされた。この間、日本は、ユネスコにとどまり、分担金の約4分の1近くを担う最大の拠出国として、ユネスコの存続に大きな役割を果たした。 
結局、政治的偏向や報道の自由に対する問題を解消したマヨール事務局長につづき、松浦事務局長のもと管理運営についても全般的な改革がなされ、英国が1997年7月に、米国が2003年10月にそれぞれ復帰する。このように、松浦事務局長の改革については高く評価され、総会や執行委員会でも多くの加盟国から繰り返し表明された。一方で、改革の根幹であるRBMの進展やプログラムの整理、官僚主義的な組織機構について、さらなる取組も求められた。
ユニセフは、アグネス・チャンが親善大使となっていることで物議を醸した日本ユニセフとは直接関係のない組織ではありますが、それにしても、このようなことを公然と行う組織に対しては、今後分担金をすべてひきあげても良いのではないかと思います。

いや、それどころか、日本はかつてのアメリカ合衆国や、イギリスのように脱退すべきものと思います。脱退ということは、すべての分担金、拠出金をひきあげるということにもなります。

中国の歴史修正はこのブログにも過去に掲載したことがあります。その記事のURLを以下掲載します。
「恥知らず」ネット大荒れ “毛沢東主役”中国の歪曲映画に非難と嘲笑―【私の論評】自国の歴史修正が人民の反感を買う!日本に対するそれも必ず暴露され、いずれ中国は大炎上する(゚д゚)!
アンディー・ウォーホールの作品 毛沢東 1974年
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詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事では、毛沢東主役の映画で、毛沢東がヤルタ会談に出席したという歴史の歪曲に対して、中国国内でも非難が沸き起こっていたことを掲載しました。この記事では、中国による歴修正の酷さについても徹底的に批判しました。その部分のみ以下にコピペさせていただきます。

それにしても、中国ではこの映画の監督なども含めて、歴史をあまりにも簡単に考えすぎている人が多いようです。
カイロ会談出席メンバー 左より蒋介石、ルーズベルト、チャーチル
もちろん中華民国とは縁もゆかりもない毛沢東は参加していない。
その証拠として、非常に驚いた話があります。ジャーナリストの櫻井よしこさんが、いわゆる日本軍による南京の虐殺に関して、「最初は数万と言いつつ、後に10万人、その後は20万人、さらに30万人、今では40万人という人もいますが、どうしてこんなに虐殺者の数が人によって異なるのですか?」という質問、中国の名門校の精華大学の教授にしたところ、以下のような答えが返ってきたので、驚いたそうです。 
「南京の虐殺者数は、中国人民の感情に比例する」

ジャーナリストの櫻井よしこさん クリックすると拡大します
これは、とてもまともな人間の発言とも思えませんが、これが一応インテリと目される、精華大学の教授の発言ということです。 
ということは、習近平やなどの中国共産党の幹部や、他の官僚や、一般人民などの歴史発言など押してしるべきです。そうです。中国では、感情によって、数が変わったり、歴史が変わるのです。 
彼らにとっては、自分の都合や感情によって、過去の歴史を勝手に変更することはいとも容易いようです。これが、ある程度まともな国の、まともな人間なら、自国の歴史はもとより、他国の歴史についても、少なくとも史実といわれていることについては、勝手に変更はしないし、そもそも出来ないです。 
しかし、このような歴史修正を気軽に続けてきたせいでしょうか、中国人の中には、歴修正の緩みとでも形容しないと説明のつかない事象が発生しています。 
上の記事も、その典型例だと思います。中国における、毛沢東の評価について、知らない世代も増えているようですが、さしずめ、この映画の監督や制作にかかわった人間は、それを知らないようです。 
中国は、本当は「毛沢東」を建国の父として、英雄としてまつりあげ、国家統合の象徴にしたいと考えていた時期があります。 
しかし、それはできない相談でした。なぜなら、中国においては、毛沢東のために犠牲になって殺された人の数があまりにも多く、平均的な中国人であれば、親戚縁者や知人の誰かが、毛沢東の犠牲になっていたという歴史的事実があり、とてもそのような人物を英雄に祀り上げることなどできなかつたという経緯があります。
実際中国では、毛沢東により数千万以上の人間がなくなっています。中国が、日本の歴史を修正するのは、日本を悪者に仕立てあげることによって、過去の中国の人民に対する大虐殺を帳消しにして、中国共産党の一党独裁の正当性を保持するためです。

反日をやめてしまえば、中国共産党の一党独裁政治は全く正当性を失い、現体制は崩壊することになります。

そんな中国による歴史修正に過ぎない、南京虐殺事件30万人説などを受け入れ、登録してしまったユニセフは、全く公平性に欠けるどころか、偏向しています。

それに、南京虐殺は虚構に過ぎないことが、今では周知の事実になっていますし、さらには戦後70年においては、日本は戦争をしていませんし、日本人をはじめとして、他のどの国の人々も虐待などしていません。

対する中国は、終戦直後には、外国であった中国東北部(旧満州)、チベット、ウィグル、内モンゴルなどの武力で侵攻して、自らの領土にしています。

現在も、これらの国々を支配し続け、弾圧しています。他の少数民族に対する虐待も行っいます。それどころか、まとに民主化、政治と経済の分離、法治国家化もされておらず、最近では、暴動の年平均件数が、10万件を超えていると推定されるような国です。教育や文化の振興を通じて、戦争の悲劇を繰り返さないとのユネスコの理念からかけ離れた国です。

このような中国こそ、ユネスコの理念からすれば、そもそも参加させるべきではありません。にもかかわらず、中国の歴史修正をよく確かめもしないで、「南京大虐殺文書」が記憶遺産への登録するなど、全く常軌を逸しているとしかいいようがありません。

このような組織が本当にまともに、理念通りの活動をしているのかどうかも疑わしいです。日本側としては、まずはこの組織の内部監査を要求すべきです。日本では、「国際」というレッテルがつく組織というと、単純に「正義」とか「正しい」と無条件に思ってしまう人が多いです、しかし、それは全くの間違いです。

国際組織の現実は、多くの国々の利害が対立する場でもあります。多くの日本人が思っているように善意や理想にのっとり、国際的に活動する場所ではありません。

それは、今回のこのユニセフの事例でも十分におわかりいただけるものと思います。

そうして、このような国際組織を懲らしめるためにも、日本は脱退するべきです。それが、ユニセフなどの国際組織をまともな組織にするための近道です。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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2015年10月9日金曜日

米海軍の艦艇、南シナ海の中国人工島に急派へ 英紙FT「大きな衝突に発展も」―【私の論評】衝突してもすぐ決着がつき中国軍の弱体ぶりが世界にむかって曝露されるだけ(゚д゚)!


米海軍のイージス巡洋艦

 中国が、南シナ海の岩礁を一方的に埋め立てて軍事基地化している問題で、オバマ米政権が近く海軍の艦艇を、中国が「領海」と主張する人工島の12カイリ(約22キロ)内で航行させる見通しであることが分かった。先月末、ワシントンで行われた米中首脳会談は、南シナ海やサイバー攻撃の問題でほぼ平行線に終わった。オバマ大統領もやっと、中国に断固とした姿勢を示すのか。

 注目のニュースは、英紙フィナンシャル・タイムズ電子版が8日、米政府高官の話として伝えた。2週間以内に踏み切る可能性があるという。

 人工島を中国の領土と認めない米国の立場を行動で示し、海洋進出を活発化させる中国をけん制するのが狙いだ。

 中国は現在、南シナ海のほぼ全域を囲む9つの線からなる「九段線」(赤い舌)を引き、国際法を無視して南シナ海の大部分を「自国の領海だ」と主張。領有権を争うフィリピンやマレーシア、ベトナムなどの周辺国を力で恫喝し、岩礁を埋め立てて軍事基地を建設している。

 この問題が浮上した今年5月末、バイデン米副大統領は、メリーランド州アナポリスの海軍士官学校卒業式で、「公平で平和的な紛争解決と航行の自由のために、米国はたじろぐことなく立ち上がる」「米国が(中国の)領有権の主張に特権を与えることはない」と演説した。

 中国の暴挙に対する「重大警告」であり、米国防総省は米海軍の艦艇や航空機の派遣・出撃を検討してきた。

南シナ海で中国が埋め立て、滑走路を整備した人工島

 先月25日の米中首脳会談でも、この問題は大きな焦点となった。

 オバマ大統領が南シナ海での人工島建設に「重大な懸念」を伝えたのに対し、中国の習近平国家主席は「古代からこれらの島々は中国固有の領土」だと強く反論した。米国を軽んじたといえる。

 サイバー攻撃の問題も同様だった。オバマ氏が再三中止を求めても、習氏は「中国も被害者だ」とシラを切った。チベットやウイグルの人権問題についても、習氏は「各国の事情」と取り合わず、米国側を激怒させた。

 今回、米艦艇を人工島の12カイリで航行させることは、「公海である南シナ海の『航行の自由』を脅かすことは受け入れられない」とのメッセージを中国に送ることになる。

 中国が反発するのは必至で、米中の緊張関係が一層高まりそうだ。

 国際政治学者の藤井厳喜氏は「米国は本来、米中首脳会談の前に艦艇を送り、サイバー攻撃への制裁をすべきだった」といい、続けた。

 「オバマ氏は『やりたくない』と先延ばしにした。首脳会談で、習氏は『協力する』と言ったが、何も実行されず、南シナ海の岩礁の軍事基地化は着々と進んでいる。このままでは、中国の国際法違反を事実上認めることになりかねない。軍からの突き上げもあったのだろう。米艦艇を派遣すれば、当然、中国側は警告を発する。米艦艇はそれを無視するから、小さな発砲もあるかもしれない。大きな衝突に発展する可能性もある。日本は『公海の航行の自由』を守るためにも、フィリピンやベトナムとともに米国を支持すべきだ」

【私の論評】もし衝突しても、すぐ決着がつき中国軍の弱体ぶりが世界にむかって曝露されるだけ(゚д゚)!

すでにレームダックかして、外交をおざなりにしてきたため、中国にいいように、小突き回されてきた及び腰オバマも、今度ばかりはとうとう、軍やアメリカ議会などにさらに小突き回され、いやいやながら、イージス艦の派遣も認めたのでしょう。

及び腰オバマ

そもそも、南シナ海の問題は、無論中国に大きな責任があるのは間違いのないことですが、これを誘発し、さらには拡大させてしまったのは、オバマの責任です。日本の尖閣問題もオバマがより複雑化してしまいました。

それに及ばず、ISの台頭や、シリア問題の複雑化、ウクライナ問題などもオバマの及び腰によるところが大きいです。これらも、問題が複雑化する前に外交や軍事的手段をはやめにとっていれば、あれほど大きな問題にはならなかったはずです。

なぜこのようなことを確信を持って言えるかといえば、過去の大統領はオバマのように及び腰ではなく、場合によっては中国に対して軍事行動も実行したことがあるからです。

それは、たとえば過去の第三次台湾海峡危機の時でも実証ずみです。1995年-1996年台湾海峡危機又は1996年台湾危機とも呼ばれる第三次台湾海峡危機は、1995年7月21日から1996年3月23日まで台湾海峡を含む中華民国周辺海域で中華人民共和国が行った一連のミサイル試験の影響でした。

1995年半ばから後半にかけて発射された最初のミサイルは、一つの中国から中華人民共和国外交政策を引き離すものと見られていた李登輝の下の中華民国政府に対する強力な信号を送ろうとしたものです。第二波のミサイルは、1996年初めに発射され、1996年中華民国総統選挙への準備段階の台湾総統選挙に対する脅迫の意図がありました。

アメリカ合衆国政府はベトナム戦争以来の最大級の軍事力を行使して反応した。クリントン大統領は1996年3月にこの地域に向けて艦船の増強を命じた。ニミッツを中心とした二つの航空母艦群や第7航空母艦群、インディペンデンスを中心にした第5航空母艦群が、この地域に存在し、台湾海峡に入ったと公式発表しました。これ以降、中国はミサイルを発射しなくなりました。

今日の南シナ海、東シナ海、尖閣などの問題は、最初に中国が行動をおこした時に、オバマが激しく中国を非難し、非難するだけではなく、実際にイージス艦や空母を派遣するなどのことをして、はっきりと「中国の好き勝手には絶対にさせない」とのメッセージを送れば、中国が増長することもなく、現状のような傍若無人な振る舞いはしなかったことでしょう。

それにしても、オバマの及び腰が、残り少ないとはいいながら、まだある任期中にさらにアメリカの国益や、アメリカの同盟国の国益をこれ以上失うことがあってはいけないと思います。

こんなことを招かないための方法について、このブログにも以前掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。

【主張】米中首脳会談 南シナ海の懸念強まった―【私の論評】口先オバマと中国に侮られぬよう、日本とアメリカ議会と有権者はオバマの動きを牽制せよ(゚д゚)!
オバマ習近平会談
詳細はこの記事をご覧いただくものとして、以下に結論部分のみ引用します。
オバマは、習近平から「サイバー攻撃しない」との約束を取りつけた上で4.5兆円の飛行機の爆買いもさせました。その一方、習近平が喉から手が出るほど欲しかった「中国と新型大国関係でいくぞ」との一言を絶体口にしませんでした。 
ただし、オバマは口先オバマといわれる通りに、今後も具体的な行動を起こす段になれば、逡巡して、さらに中国を勢いづけるかもしれません。
口先だけで世界は動かないことを実証した口先オバマ
しかし、今度は、アメリカ議会と有権者が、それを許容しないことでしょう。 
いずれにせよ、無能なオバマが、大統領のうちは、議会がこれを牽制し、アメリカと日本を含む他の同盟国の利益をこれ以上失われないようにすべきです。
次の大統領には、中国に厳しい対応してもらいたいです。南シナ海と東シナ海に空母を派遣して、中国を牽制するくらいの胆力のある人が大統領になっていただきたいものです。 
そうして、日本としては、アメリカの議会と有権者の動きを睨みながら、徹底的に中国に対峙して、日本とアジアと世界の平和と安定のために、中国の海洋進出の野望を粉砕すべきです。
今回のアメリカの南シナ海へのイージス艦の派遣の検討は、オバマの及び腰を牽制するための、アメリカ議会の圧力によるものと思います。さらに、上でも述べたように、軍の突き上げもあったことでしょう。

イージス艦派遣に関しては、オバマがどのような態度をみせてたしても、議会で決定されれば、可能になることと思います。

過去のオバマを見ていれば、今回も実際に派遣することとなると、逡巡して、とりやめということも十分ありえます。そんなことをすれば、また中国が増長するだけです。そんなことにならないように、アメリカ議会に頑張っていただきたいものです。

イージス艦を数隻派遣すれば、中国は海洋進出の野望を諦めることになると思います。なぜなら、アメリカの最新鋭のイージス艦には、中国は何をもってしても全くかなわず、歯がたたないことを彼ら自身が知っているからです。

そもそも、中国と米国の軍事技術には赤ん坊と、大学院生くらいの差異があます。中国の最新鋭の艦船でも、米国の数十年前の技術水準に過ぎません。最初から勝負にも何にもなりません。勝負をするというのなら、ある程度の水準になっていなければ、できません。

しかし、中国の艦船の建造技術は、アメリカの数十年前の水準です。航空機も、アメリカが第五世代戦闘機を導入しつつあるというのに、中国の最新鋭戦闘機「殲20」は第三世代の技術水神のものです。その他、ミサイルやレーダーなどの技術もアメリカの数十年前の水準です。

 中国の最新鋭戦闘機「殲20」

中国が何らかの軍事行動を起こした場合、米国の思う壺です。ほとんど何もしないうちから、艦艇は即座に海の藻屑と消えます。航空機も、あっという間に撃ち落とされ、全く勝負にならないことでしょう。

ブログ冒頭で、英紙FT「大きな衝突に発展も」と懸念を表明していますが、米軍と中国軍との軍事能力にはあまり開きが大きいため、中国はいくら頑張っても大きな衝突はできません。あっという間に、決着がつき中国軍の弱体ぶりが世界にむかって曝露されるだけです。

そもそも、中国は最初から完膚なきまでに負けることがわかっている、戦いに挑むことはないでしょう。そんなことをすれば、弱い中国軍のイメージがついてしまい、他国に侮られそれこそ、中国の核心的利益に反することになります。何が何でも避けることでしょう。

そうして、日本としてはブログ冒頭の記事で藤井厳喜氏が主張しているように、公海の航行の自由』を守るためにも、フィリピンやベトナムとともに米国を支持すべきです。当然のことながら、米国のイージス艦を日本の港にも寄港させるなどの集団的自衛権を発揮して、協力すべきです。

そうすることにより、尖閣問題にも良い影響が及び、中国の傍若無人ぶりも是正されることになると思います。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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【主張】米中首脳会談 南シナ海の懸念強まった―【私の論評】口先オバマと中国に侮られぬよう、日本とアメリカ議会と有権者はオバマの動きを牽制せよ(゚д゚)!



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南シナ海、東シナ海、尖閣で傍若無人に振る舞う中国。その背景には、中国の現体制の崩壊の危機があります。それを実感できる書籍を以下に掲載させていただきました。

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2015年10月8日木曜日

村上春樹氏、受賞逃す ノーベル文学賞はベラルーシの作家に―【私の論評】村上氏、日本でなくても成り立つ小説の舞台がアダとなっているのかも?

村上春樹氏、受賞逃す ノーベル文学賞はベラルーシの作家に

ベラルーシの作家、スベトラーナ・アレクシエービッチ氏
スウェーデン・アカデミーは8日、2015年のノーベル文学賞をベラルーシの作家、スベトラーナ・アレクシエービッチ氏(67)に授与すると発表した。

授賞理由では「私たちの時代の人々の困難や勇気を、聞き書きを通じて多層的に描き出した」などと評価した。

賞金は800万クローナ(約1億1600万円)。授賞式は12月10日、ストックホルムで行われる。

有力候補と目された村上春樹氏(66)は受賞を逃した。

【私の論評】村上氏、日本でなくても成り立つ小説の舞台がアダとなっているのかも?

スベトラーナ・アレクシェービッチ氏に関しては、私はこの方の書籍を一度も読んだことはないですし、どんな人なのか全く知りません。以下にウィキペディアより引用します。

スヴェトラーナ・アレクサンドローブナ・アレクシエーヴィッチロシア語Светлана Алексиевич英語Svetlana Alexievich1948年5月31日 - )は、ベラルーシ作家ジャーナリスト。「スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ」、「スベトラーナ・アレクシエービッチ」表記もある。2015年ジャーナリストとして初めてノーベル文学賞を受賞した 

ウクライナ・ソビエト社会主義共和国に生まれる。ベラルーシ人の父とウクライナ人の母をもつ。父親が第二次世界大戦後に軍隊を除隊すると、ベラルーシ・ソビエト社会主義共和国に移住し、両親は教師となった。スヴェトラーナはベラルーシ大学でジャーナリズムを専攻し、卒業後はジャーナリストとして活動。聞き書きを通して、大事件や社会問題を描く。 
第1作『戦争は女の顔をしていない』では、第二次世界大戦に従軍した女性や関係者を取材。第2作『ボタン穴から見た戦争』では、第二次世界大戦のドイツ軍侵攻当時に子供だった人々の体験談を集めた。1988年にはソヴィエト連邦の介入下にあるアフガニスタンを取材し、『アフガン帰還兵の証言』でアフガニスタン侵攻に従軍した人々や家族の証言を集めたが、一般のソヴィエト国民に隠されていた事実が次々と明らかにされ、軍や共産党の新聞はアレクシエーヴィッチを一斉に攻撃した。『チェルノブイリの祈り』では、チェルノブイリ原子力発電所事故に遭遇した人々の証言を取り上げているが、ベラルーシでは未だに事故に対する言論統制が敷かれている。2003年に来日し、チェルノブイリを主題に講演を行なった。 
『戦争は女の顔をしていない』は舞台化や映画化をされており、劇はソ連各地で上演され、映画はソヴィエト連邦国家賞ライプツィヒ国際ドキュメンタリー映画祭の銀の鳩賞を受賞した。『チェルノブイリの祈り』は、講談師神田香織によって講談作品となっている。 
1992年には『アフガン帰還兵の証言』の内容をめぐり、一部の帰還兵やその母親から、戦争に従軍した兵士の英雄的名誉を毀損したとして政治裁判に訴えられたが、海外の著名知識人の弁護により一時中断となった。『死に魅入られた人びと』ではソ連崩壊からの急激な体制転換期に生きる支えを失って自殺を試みた人々を取材している。 
『チェルノブイリの祈り』は、ロシアの大勝利賞、ライプツィヒのヨーロッパ相互理解賞、ドイツの最優秀政治書籍賞を受賞したが、ベラルーシでの出版は独裁政権による言論統制のために取り消された。1996年スウェーデンPENクラブよりクルト・トゥホルスキー賞受賞。2013年ドイツ・ブックトレード平和賞受賞。 
ルカシェンコ独裁政権の圧力や言論統制を避けるため、2000年にベラルーシを脱出し、西ヨーロッパを転々としたが、2011年には帰国した。

一方、村上春樹氏は、今まで何度も受賞の候補にあがっていましたが、今年も逃しました。 あれだけ候補にのぼりながら、その都度のがしているにはそれなりの背景があると思います。

村上春樹氏

それに関しては、中央大学文学部の宇佐美毅教授の論評を掲載したウォールストリト・ジャーナルの記事を以下に引用します。この論評は、2013年のものです。

村上氏は、これまで何度も候補に挙がったが、受賞を逃してきた。2012年にも、最も有力な候補者と見られたが、受賞したのは中国の莫言氏であっ た。 
ウォール・ストリート・ジャーナル紙は、中央大学文学部の宇佐美毅教授による、過去の日本人文学賞受賞者(1968年受賞の川端康成氏や1994年受賞の大江健三郎氏)との比較を紹介している。 
同教授(写真左)は、例えば大江氏の作品では、社会の中で少数派の人々の葛藤や原子力問題など、政治的・社会的問題が扱われるのに比べ、村上氏の作品はあまりそういう要素がみられない、と指摘している。このため、同氏の作品は強力なテーマや目的が欠けているとみられており、それがノーベル賞をいまだに受賞できない理由のひとつだろう、とみているようだ。
実際、村上氏はこれまで、公の場に姿を現すことはあまりなく、政治的な発言もほとんどしてこなかった。しかし、2012年、日本と中国の領土問題に関する緊張の高まりを受け、朝日新聞に寄稿している。同氏はその中で、日本が中国と対立し国家主義の傾向を強めることは、安酒を飲むようなもので、酔が回るのは早いが、ひどい二日酔いになる、と冷静な対処を求める意見を述べた。 
また2009年には、エルサレム賞授賞式で、イスラエルによるパレスチナ人の扱いを非難した。 
評論家の一部は、これらはノーベル賞を意識しての政治的発言ではないか、と幾分皮肉な見方をしているようだ。
確かに、今年の受賞者の作品は、ウイキペディアにあるように、政治的・社会的問題を真正面から取り上げているようですが、村上氏の作品には、そのような部分は希薄なところがあります。

1Q84は、社会問題を扱っているようにも思いますが、そこはかとない不安は煽るものの、そこから深く切り込むという部分は希薄でした。

そもそも、村上氏の書籍をあまり読んだことのない私ですが、その読んだ範囲内では、村上氏の作品は、特定の国をあまり意識させるものではありません。小説の舞台が、日本のどこの地方だろうが、それどころか他の外国であろうが、どこであろうが、成り立ってしまうようなストーリーでした。

そのためでしょうか、文章が平易であることもあいまって、世界中に多くのファンが存在
するようです。一度、テレビで台湾などの熱狂的なファンなどが紹介されていたのを覚えています。

無論、数冊しか読んだことのない私が、村上氏の作品全体がそうだとも言い切れるわけもないのですが、読ませていただいた範囲ではそのような感想を持ちました。

このようなことから、上の中央大学文学部の宇佐美毅教授の論評は的を射ているように思います。

ノーベル文学賞の受賞には、政治的・社会的問題を扱うことが不可欠なのだとすれば、確かに村上氏の作品にはそれが希薄です。

村上氏の小説には料理よく料理がでてくる上は『ねじまき鳥クロニクル』
という小説に掲載されていた「トマトとチーズをはさんだサンドウィッチ」

そもそも、外国であろうが、どこてあろうが成り立ってしまうようなストーリーの小説であれば、政治・社会問題を深く掘り下げられるわけもないです。

もし掘り下げるとすれば、日本人の作家であれば、最も長く住んだ自分の国、日本を舞台として作品を書くことが近道であると思います。そうでなければ、政治はもとより、社会問題への深い関与など不可能です。日本の社会を理解するだけでも、長い年月と深い観察眼が必要なのに、それがどの社会でも成り立ってしまうような小説では、その社会特有の社会問題など掘り下げることはできません。

これに比較すると、ベラルーシの作家、スベトラーナ・アレクシエービッチ氏の作品は、確かに、彼女が住んだ国である、かつてのソ連や、ベラルーシのチェルノブイリ等を舞台としています。

村上氏のように、どこの国でも成り立つストーリーの小説は、結局政治・社会問題に深く切り込むことはできないのだと思います。村上氏は、これからも自分の知り抜いた日本を舞台としたもので、政治・社会に深く切り込んだ小説をものにしなければ、今後も受賞することはないのかも知れません。

それと、私は思うのですが、ノーベル賞の受賞に影響力を与えるとされているようである、政治・社会問題ですが、対象者が、政治的に左翼的とか、右翼的とかなどとは関係ないように私は思います。

そんなことよりも、より本質的な社会的な問題をとりあげたほうがが普遍的で、より深く切り込むことができる受賞に近づくのではないかと思います。おそらく、社会問題は、政治的な問題にも深く影響を受けていることが多いので、政治的な問題も関係しているというだけなのではないかと私は思います。

だとすれば、村上氏がかつて、竹島・尖閣問題で、領土を主張する日本の政治家や論客に対し「せっかく、これから良い関係を築いていけそうな中韓に対し、領土問題で揉める事をするな」と読み取れる主張を、彼らをヒトラーとか安酒に例えて揶揄する文章にし、朝日新聞に載せたように、左翼的発言をしたとしても、受賞には何も影響しないのだと思います。

そのようなことよりも、今私達が普通に暮らしているこの社会の大きくて深い問題を数十年後の人たちからすれば、誰もが容易に理解できることなのに、現在の私達が当たり前過ぎて気づかないような社会に深く根ざす問題を提起し、さらにそれに対する指針のようなものをテーマとした小説などを村上氏が書いていればかなり受賞に近づいたのではないかと思います。

勝手な私の思い込みかもしれませんが、私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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