今回の新型コロナウイルスの対応については、大国では官民で巨額な資金が投入され、1年もたたないうちにワクチンが完成した。ワクチンは生物兵器の防御として軍事的な研究の厚みがものをいうので、軍事大国ほど開発が速かった。日本は軍事大国ではない上、日本学術会議が軍事研究を事実上禁止し、重要な基礎研究が十分にできなかったという事情もある。
加えて、日本では1970年代頃から、マスコミがワクチンの副反応を社会問題としてたびたび取り上げた。反ワクチン運動による多くの訴訟が起こり、国の敗訴も多かった。
厚生省(当時)は1994年に予防接種法を改正し、ワクチンは義務接種から任意接種に変更された。それまでもワクチン接種率は低下し新規ワクチン開発も停滞していたが、法改正は国内メーカーのやる気を大いにそいだ。80年代まで日本はワクチン輸出国だったが、今や輸入国になっている。歴史を振り返ると、水痘、日本脳炎などのワクチンは日本が世界に先駆けて開発したものだ。
そうした歴史に加えて、今回のコロナ禍で日本は比較的感染者数が少なかったので、国の承認を得るために必要な臨床試験(データを集めるための人に対する試験)を十分に行うことができなかった。
日本も、いくつかの会社が民間技術で頑張っているが、スピードではかなわない。関係者に聞くと、軍事大国で開発されたワクチンは、自動車に例えると「F1」だという。最高技術をえるために巨額の資金投下をしているからだ。一方、日本企業が目指しているのは、安価な大衆車だ。世界中で50種類以上のワクチン開発がなされ、日本企業は軍事大国のトップグループではないが、その次の2、3番手グループらしい。現時点で今年中の実用化は厳しいかもしれないが、来年以降になると日本の出番も増えてくるかもしれない。
こうした状況は、国難ともいえるので、6月2日の「COVAX(コバックス)ワクチンサミット」で、菅義偉首相は、国産ワクチンの研究開発拠点の整備構想を表明した。遅ればせながらであるが、ワクチン開発環境を一変させる重要な一歩だ。
こうした基礎技術は、何はともあれ、予算を投入しなければ、うまくいかない。ワクチン開発は国防と考え、景気に左右されない安定的な予算を組まないと、いざというときに対応できなくなるだろう。
マスコミも、副反応のみをあおる姿勢を改め、メリットとリスクをバランス良く報道すべきだ。
これまでの偏った報道が結果的に影響した面もあると思うが、日本のワクチン接種率の低さは国益にならない。 (元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)
現実に、生物兵器を作ることを使命としていた旧ソ連の科学者たちの中には、冷戦終結後、米国からの支援を受けて医療研究やワクチン開発に従事している者も多いです。バイオテクノロジー産業機構の年次会議に出席したあるロシア人研究者は、遺伝子操作できわめて毒性の強いウイルスを簡単に作り出せる現状について警告していました。
1990年代のソ連が崩壊する前まで、アミル・マクシュートフ氏は、対米国用の生物兵器として利用する可能性のある、毒性の強いインフルエンザ菌やその他の感染性病原体の開発に従事していました。現在、マクシュートフ氏は、HIV、インフルエンザ、マラリアなどのワクチン開発を進めました。
不気味なソ連の生物兵器工場 |
マクシュートフ氏は、ソ連崩壊後に米国の庇護を受けられる科学者の1人になれて幸運でした。旧ソ連は、きわめて殺傷能力の高い感染性病原体を大量に作り出すために優秀な科学者を大勢雇用していたのですが、冷戦が終わると、多くの研究者は職を失ってしまいました。
マクシュートフ氏は2004年6月7日(米国時間)、バイオテクノロジー産業機構(BIO)の年次会議に出席し、通訳を介して、「殺傷する目的のものを開発するより、(薬を開発する方が)はるかに気分が良い」と語りました。「今、われわれの可能性は非常に強まり、数多くの新薬を開発できるようになった」
マクシュートフ氏は、シベリアのノボシビルスク地方にある国立ウイルス学・バイオテクノロジー研究所(SRC VB VECTOR)の研究員です。マクシュートフ氏によると、この街の住民は全員同研究所と何らかの形で関わる仕事をしているといいます。
「ロシアには才能ある人的資本が豊富にある」と語るのは、マサチューセッツ総合病院で国際医療問題上級アドバイザーを務めるジェフリー・ゲルファンド氏。ゲルファンド氏は、米国務省バイオインダストリー・イニシアチブでロシアにおける研究プロジェクトの確立にも協力しています。「一時期、もう何年も昔の話だが、その資本の使い方を誤っていた時があった。今はそれを正しい方向に導き、人類の役に立てているのだから、実に素晴らしい」
ゲルファンド氏によると、ロシア人研究者は往々にして、米国人ならおそらく思いつかない方法でプロジェクトにアプローチするといいます。たとえば、マクシュートフ氏は、HIVウイルスがワクチンからの攻撃を避けるために突然変異するパターンが4万6000通りもあることを発見した。そこでマクシュートフ氏は、この4万6000通りの突然変異の1つ1つにカウンターパンチを加えられるワクチンを開発しました。
国立ウイルス学・バイオテクノロジー研究所(SRC VB VECTOR) |
「われわれの柔軟性を欠いた考え方からすれば、そんなものが効くはずがない、ということになっただろう」とゲルファンド氏。しかし、ウサギを使った実験でワクチンは効果を発揮し、国務省がその後の実験を支援することになったのです。
フセボロト・キセリョフ博士もまた、生物兵器の研究者から医学界に奇跡をもたらす人物へと転身した科学者の1人でした。キセリョフ博士は現在、モスクワにある分子診断治療研究所の生物工学研究室責任者として、『ヒト乳頭腫ウイルス』(HPV)と闘うワクチンの開発に取り組んでいる。
HPVの一種から発症する喉頭乳頭腫は、幼児の気道内にイボを作って呼吸困難を引き起こしたり、場合によっては死に至らしめたりもする。米国務省からの資金提供を受け、キセリョフ博士は、新しいワクチンのみならず、ワクチンを作るまったく新しい技術まで開発することに成功した。
「ワクチンというものは通常弱く、十分な防御にはならない」とキセリョフ博士は述べました。「私は、その防御レベルを著しく改善する技術を開発した――少量のワクチンで高いレベルの防御が得られ、副作用はない」
このワクチンは当時はまだ初期段階にありました。動物での実験が終了すれば、技術を他の種類のワクチンに応用できる可能性もあるとキセリョフ博士は語りました。
こうした前進にもかかわらず、米国が旧ソ連の生物兵器科学者たち全員を魅了するのに成功しているわけではありませんでした。マクシュートフ氏によると、米国からの資金提供が生物兵器の拡散防止に役立ってきたことは事実でしたが、もっと努力を重ねる必要があると語りました。マクシュートフ氏は、「人類に対して友好的でない研究施設」が今から5〜10年の間に生物兵器を開発するのではないかと憂慮するとしていました。
「今の生物工学のレベルは非常に高いので、遺伝子操作したインフルエンザ・ウイルスなど、きわめて危険な新ウイルスを作り出すことも可能だ」とマクシュートフ氏。「1918年のスペイン風邪の大流行でさえ、小さく見せてしまうほどのものだ。こういった潜在的な危険性を秘めたウイルスは、厳しい監視体制の下に置いておかなければならない」
マクシュートフ氏はさらに、ワクチン開発に向け、インフルエンザ・ウイルスの構造や働きの研究も行なっていました。
「私は、さらに毒性の強いウイルスを作る方法をよく知っている。残念ながら、それは本当に簡単な方法だ」とマクシュートフ氏は語りました。まだ真相は明らかになっていませんが、今日マクシュートフ氏の予言は当たってしまったかもしれません。
確かに安定した生物兵器を、作るのは現在でも困難です。いかに毒性が強いウイルスを開発できたにしても、それを単純に散布してしまえば、敵国だけではなく、自国もその毒性の強いウイルスに滅ぼされてしまうことになります。
やはり、ウイルス等の予防法などを確立した上で、散布するなどのことをしなければならなくなります。ただし、ワクチンを事前に、多くの国民や特に軍人などに接種すれば、何のためにそれを実施するのかが問われ、最悪自国が敵国に攻撃されることになります。
さらに、ウイルスや病原菌など、思いの外弱く、すぐに活性を失ったり死滅したりします。それを安定させ、目的地まで運ぶのは困難です。さらに、それを何らかの方法で多くの人々に感染させることはかなりの困難を伴います。そのため、ウイルスや病原菌などを安定した兵器にするのは今でも困難です。しかし、完成された兵器にするのは難しいかもしれませんが、イスラム過激派の自爆テロのように、死を覚悟ということなら、ウイルスや病原菌も兵器の変わりに使うことはできるかもしれません。
たとえば、多くの人がご存知の地下鉄サリン事件においては、「サリンのパックを傘で刺し、逃走」などと実行の様子が記載されています。「パック」とは何なのか、どの程度の穴をいくつ開けたのかなどは、公表されていませんが、何らかの容器に入れたサリンを容器に穴をあけるという方式で散布したようです。