ウクライナ軍は欧米諸国からの武器などを供与されているが、仮にロシアがこの侵攻に「成功」してウクライナを事実上の占領下に置いたとしても、ソ連やロシアの占領者としての過去の実績からみて、そうした占領状態を維持できるかは疑問視されている。
ロシアがこの戦争に勝っても、ウクライナ軍は「抵抗軍」として戦闘を続けると専門家は予想している。占領者ロシアはウクライナ国内に、反抗する武装勢力を抱え込むことになるということだ。こうした武装勢力は正規軍に比べ縛られるルールが少なく、機敏で、ゲリラ戦法をとることが多い。そのため、伝統的な軍部隊が見つけ出して抑え込むのも難しくなる。
こうした反抗勢力の鎮圧を目的とする「対反乱作戦(COIN)」で、ソ連やロシアの軍隊が過去に散々な結果だったことは、よく引用されるランド研究所の論文でも示されている。たとえば1992年のアフガニスタン占領失敗は、対反乱作戦の専門家であるアンソニー・ジェームズ・ジョーズによって「大国がどうしてゲリラとの戦争に勝てないかを示す教科書的な研究事例」に挙げられているほどだ。
ロシアが対反乱作戦に繰り返し失敗している要因のひとつとして、ランド研究所は「鉄拳(iron fist)」アプローチとも言われる軍事力頼みのやり方を挙げている。1994年にチェチェン共和国の独立派武装勢力をつぶそうとした際も、ロシアの軍隊は戦略や装備、士気の問題に直面しただけでなく、地元住民の支持もまったく得られず、鎮圧に失敗した。ロシア側はそもそも、武装勢力から民心が離れるように住民の不満点を改善することなどに関心を払っていなかった。
ランド研究所の研究によれば、軍事力だけに頼った対反乱作戦が成功した事例は過去にほとんどなく、通常は非軍事手段も用いたほうがはるかに効果的だった。脅迫や集団的懲罰、汚職、略奪なども対反乱作戦の成功を妨げる要因として挙げられており、もちろん外国からの反抗勢力への支援が戦いを複雑にすることもある。
1960年代から70年代にかけて南ベトナム、カンボジア、ラオスの政権とともに現地の共産勢力と戦った米軍は、対反乱作戦の手際はロシア以上にまずかったと評価されている。世界でもっとも高い能力をもつ米軍ですら、東南アジアのゲリラに対応して制圧することはできず、1975年に敗退した。
歴史的に、対反乱作戦のやり方が巧みだったとされるのは英国だ。大英帝国の植民地だった国に関係したものだけでなく、北アイルランドでの紛争でもその手並みは比較的すぐれていたとみられている。
英国も大半のケースで武力に訴えているが、少なくとも1948年に当時のマラヤ連邦(現マレーシア)で起きた共産主義者の蜂起や、1969年から99年まで北アイルランドでアイルランド共和軍(IRA)が繰り広げた反政府活動では、戦闘手段と非軍事手段を組み合わせ、最終的により望ましい結果をもたらしている。
ランド研究所は武力行使のほか民衆の支持や政府改革なども考慮して過去59件の対反乱作戦の巧拙を評価し、点数化したランキングを発表している。一部を紹介しておこう(最高は15点、最低はマイナス11点)。
米国
・南ベトナム(1960〜75年):マイナス11点
・カンボジア(1967〜75年):マイナス7点
・ラオス(1959〜75年):マイナス5点
ロシア/ソ連
・チェチェン(1994〜96年):マイナス6点
・アフガニスタン(1978〜92年):マイナス3点
英国
・オマーン(1957〜59年):3点
・北アイルランド(1969〜99年):8点
・ギリシャ(1945〜49年):10点
・マラヤ連邦(1948〜55年):11点
3月27になった今日でも、この地図の状況はほとんど変わっていない |
ルドスコイ将軍は、ロシア軍は今後「ドンバスの完全解放」に注力していくと述べた。ドンバスとは、ウクライナ東部でロシアが後押しする分離派が実効支配する地域のことです。
ロシア軍は、一方的な独立宣言をロシア政府が承認した「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」と、ドンバス地域内でもウクライナが支配する地域との境界線を、さらに西へ移動させようとするものとみられます。
ウクライナの他地域でロシア軍は、遅々として進んでいません。これは、先にも述べたようにロシア軍の兵站が脆弱であることに起因していると考えられます。
ロシアが首都制圧を諦めたと結論するのは、まだあまりに早すぎるかもしれません。しかし、ロシア軍は失点に次ぐ失点を重ねていると、西側当局は語っています。キーウ付近で、ロシア軍が塹壕を掘って守備を固めているという情報か本当であれば、ロシア軍はドンパス地域での戦闘を有利に運ぶために、ウクライナ軍を分断するために、キーウ近くに軍を配置したままにするつもりなのかもしれません。
西側当局筋は25日、ロシア軍が7人目の将軍を失ったと明らかにしました。一部の部隊では、士気はこれ以上下がりようのないところまで下がっているとも話しました。
ルドスコイ将軍の今回の発表は、開戦前にロシアが計画していた野心的な戦略は失敗したと、ロシアが承知していることの表れのように見えます。
複数の軸で同時に作戦展開するのは無理だと、ロシアは認識し始めているようです。
現在最大10の大隊戦術群が新たに編成され、ドンバスへ向かっているといいます。
そしてついにロシアがアゾフ海に面した南東部の港湾都市マリウポリを完全制圧したあかつきには、他の部隊は北上してJFOの包囲を完了する可能性もあります。
ただ、マリウポリの防衛部隊はすさまじい徹底抗戦を繰り広げている、そのため、ドンバスからクリミア半島までの陸路を確保するという開戦前のロシアの目標は実現していません。
しかし、仮にロシア政府が、少なくとも当面は、個々の目的をひとつずつ実現することに集中した方が賢明だと結論したなら、おそらく攻撃力を集約してくるでしょう。特に空からの爆撃はそうでしょう。
もし今後数日の間に、ロシア軍がドンバスに注力し始めたとしても、だからといってロシア政府が大きな野望を諦めたことにはならないです。
実際ロシアは、侵略作戦全体の再評価をしている様子は見られません。
第2次世界大戦よりもはるか昔から、戦争のあり方を規定し、その勝敗を分けてきたのは、戦略よりもむしろ兵站だったというのです。端的に言えば兵士1人当たり1日3000kcalの食糧をどれだけ前線に送り込めるかという補給の限界が、戦争の形を規定してきたというのです。
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現実の戦いは常に不確実であり、作戦計画通りになど行かないです。計画の実行を阻む予測不可能な障害や過失、偶発的出来事に充ち満ちています。
史上最高の戦略家とされるカール・フォン・クラウゼビッツはそれを「摩擦」と呼び、その対応いかんによって最終的な勝敗まで逆転することもあると指摘しています。
そのことを身を持って知る軍人や戦史家たちの多くは、「戦争のプロは兵站を語り、素人は戦略を語る」と口にします。文字通り、「腹が減っては戦はできぬ」なのです。