画像をクリックすると拡大します。 常に自分が望むものが手に入るとは限りません。また、自分ひとりでは成し遂げられない望みを叶えるには味方の存在が必要です。信頼できる味方が増えれば、結果的に手に入れられるチャンスも増えるのです。しかし、自分の振る舞いや話し方で、他人は味方にも敵にもなります。そこでイラストレーターYumi Sakugawa氏のインフォコミックに描かれた9つの心構えが役に立ちそうです。
さて、9つの心構えとは、詳細は、Lifehackの元記事をご覧いただくものとして、柱は、以下の9つです。
1. 魅力的な人間になること
2. 鏡のように相手と同じような行動をする
3. 会話の最初に相手が賛同するようなことを言う
4. 相手を尊重し大切に扱う
5. 具体的なことより感覚的なことを言う
6. 想像力に訴えかける
7. 相手に親切にする
8. あえて反対のことを言って挑発する
9. 思いやりのある人間だと思わせる
【私の論評】自分のためではなく、人のために生きよ!!人のために生きることとは、大儀である!!
さて、皆さん、上記の柱を見てどうお感じになったでしょうか?私は、非常に安っぽく感じました。かなり、浅薄な印象を受けました。アメリカ人は、上記のようなことで、本当に自分の味方ができると思っているのでしょうか?私には、にわかには信じがたいです。同じアメリカ人でも、Leader to Leader 財団(旧ドラッカー財団)の人なら、もっとまともなことを言うのではないかと思います。本日は、絆をイメージさせる画像とともに掲載させていただきます。
そうして、上記のような安っぽい考えは、確かに少し前のアメリカ人の価値観を体現していたのかもしれません。しかし、それが、911の頃から、そうして、リーマンショック以降から、随分変わってきたように思います。そのことに関しては、以前にもこのブログに掲載した。アメリカで普通に見られるようになってきた"スペンド・シフト"という動きです。
自分を飾るより ⇒ 自分を賢くするためにお金を使う。これは、アメリカの消費傾向についての書籍『スペンドシフト』に掲載されていたことです。この書籍は、主に消費について語っているので、まとめると上の4本の柱のようになります。しかし、その根底には、「社会」「地域」というキーワードが浮かびあがってくることがわかります。 これはもとりもなおさず、「人のために生きる」ことを意味しています。
ただ安く買うより ⇒ 地域が潤うようにお金を使う。
モノを手に入れるより ⇒ 絆を強めるためにお金を使う。
有名企業でなくても ⇒ 信頼できる企業から買う。
消費するだけでなく ⇒ 自ら創造する人になる。
こんな、浅薄なことをいくつもするより、本当の意味での、自分にとっての味方を得たいと思えば、まずは、上の9本の柱などどうでも良く、その根本には、「人のために生きる」という精神が重要なはずです。
根底に、まずその考えがあって、上記の柱というのなら、まだわかりますが、最初から、上の柱では、味方というより、単なるその時々の利益を共にする集団しかつくれないと思います。今の政局と同じです。
「人のために生きる」とは、自分のために生きるのではなく、まずは、親や子供のために生きること。家族のために生きること、地域のために生きること、社会のために生きること、広くは、日本のため、世界のため生きるということです。人
社会に大きな影響を及ぼした、元アップルCEOの故スティーブ・ジョブズ氏は、生前「社会に、one more thing を付け加えよ」と力説していました。この"社会"という言葉に注目していただきたいです。この言葉の意味するところは、無論、「人のために生きる」ということです。ただし、人ためというとその範囲がはっきりしないので、敢えて人々の集まりである「社会」という言葉を使ったのだと思います。
そうして、日本では、古から、「人のために生きる」ことを「大儀」と呼んでいます。さて、大儀という言葉、以前にもこのブログに掲載したことがあります。それを下に画像、動画も含めてコピペしておきます。
そうして、この「大儀」という言葉は、41年前の、11月25日に自決された故三島由紀夫先生のことを思い起こさせます。無論、先生は、ご存知のように大儀に殉じたわけですが、先生は、生前からこの「大儀」という言葉をしばしば口にしておられました。
しかし、三島先生が語っていた「大儀」は、無論ビジョナリーなども含むし、日本国とか、地域のためとか、会社のため、自分の属する組織のためということもありますが、私が最も印象に残っているの以下のような言葉です。
「人間は、自分のことだけ考えて、生きて死んでいけるほど強くない。自分のこと以外を考えなければ、生きていけない。この自分のこと以外というものが、大儀であります」
三島先生の語り口は、いつもこのような感じでした。一つも押し付けがましいことはいわず、真理をついている言葉だったと思います。
この言葉の持つ意味、誤った個人主義が跋扈する今はほとんど忘れさられているようにも思われましたが、私は、あの東日本大震災で、そうではなかったことを思い知らされました。そうです。あの震災直後の被災地の人々の沈着冷静さです。それに、自分の命もかえりみず、地域の人々を助けようと奔走した人々です。食料や水の配給のときも、列を乱さずに、騒ぐこともなく、じっと耐えながら待っていた多くの人々です。
そうして、あの状況の中本当に粉骨砕身して、生存者を救うばかりか、ご遺体の収集に奔走した自衛隊員たちです。これらは、まさに、自分自身のことだけを考えている人の所業ではありません。普段は、そうでもないように見えていても、いざというときに、出てきた、多くの人々の本当の姿だと思います。
ちなみに、この言葉を語っている先生の生前のインタビューの動画がありますので、それを下に掲載します。
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