2010年1月4日月曜日

日本の歴史は「怨霊」の歴史だった-自然や自らよりはるかに大きなものへの畏れをなくしたかのように見える日本人よどこへ行く!?

日本の歴史は「怨霊」の歴史だ





■教科書に掲載されない歴史
現代の教科書に掲載されない、歴史というものがあります。明治時代などに、非科学的とされて、あまり掲載されなり、第二次世界大戦後は、事実と確認されるもの以外は完全に排除されてしまったものです。しかし、教科書に正式には掲載はされなかったもののいわゆる「教科書に掲載されなくなった歴史」は、戦前から戦中にかけて親から子へとか、教師から教え子とか、いろいろな形で伝承されてきました。しかし、現代ではあまり伝承されなくなり、今では、知らない人も多くなりました。しかし、現代日本人は、もう一度こうした歴史にも、目を振り向けるべきだと思います。


その歴史の中に、「怨霊」の歴史があります。平安時代は、まさにその「悪霊や怨霊」の時代で、平安京は怨霊に対するシェルターだったとさえ言われています。なんと奈良の大仏様も実は怨霊封じのために建立されたのですが、結局役に立たちませんでした。平城京を捨て、長岡京も捨てて逃げる天皇たちの様は尋常ではありませんでした。優雅な貴族文化といわれる平安時代も、その実態はおどろおどろしい世界でもありました。


時の為政者の仕事は、悪霊や怨霊から国を守ることがその勤めでした。夜中眠っている間に悪霊や怨霊に魂を盗まれると信じた彼らは、夜ごと火を焚いて悪霊たちを近づけないようにしました。そこでは歌が詠まれ、雅楽などが奏でられる祭事がもようされていたのです。現在も政治のことを「政(まつりごと)」と呼ぶのはそのせいです。

■菅原道真の怨霊
大阪梅田から一駅行ったところが南森町があります。すぐ近くには「天神橋商店街」があり、「天神祭り」で有名な「大阪天満宮」があります。天神様が祀られている。天神様とは学問の神様で知られる菅原道真のことです。実は、この菅原道真も怨霊になった1人なのです。そしてそれは、日本史上最大級の怨霊と言われています。では怨霊とは何かといえは。無実の罪でこの世に遺恨を残して死んだ者は、怨霊となって祟りを成すというものです。

901年藤原時平の策略で九州太宰府に左遷された菅原道真は、2年後59歳になくなりました。その後、藤原時平やその一派が命を落とすなど、都では異変が相次ぐことになりました。そして930年清涼殿に落雷があり、多くの死傷者が出ました。ショックで醍醐天皇も亡くなりました。人々はこれら一連の事件を菅原道真の祟りだとし、道真が雷神になったと噂しました。


このため道真は北野天満宮に祀られ、その子孫は充分な待遇を与えられました。そして949年、村上天皇の勅願によって菅原道真を祀る大阪天満宮が始まりました。菅原道真以外にも人が神として祀られることは多いです。そのほとんどは、怨霊信仰によるものでした。


ザビエルに続いて1550年、日本にやって来た宣教師にバルテザル・ガコがいました。このガコの神道についての報告は興味深いものがあります。彼は、母国に「日本では悪魔を崇拝しています。日本人はその悪魔が悪者であることを知りながら、恐怖のためにこれを祀っています」と報告しています。実は、漢語の「神」は祟りをなす悪霊であり、中国での信仰対象は「神」ではなく「天」なのです。


■日本一の大魔王崇徳上皇
ところで「日本一の大魔王」になった怨霊もいます。それは「崇徳上皇」です。5歳の若さで天皇の位についた、崇徳天皇は、父鳥羽上皇から疎まれ、憎まれました。そうして、鳥羽上皇から22歳の若さで天皇の位を奪われた崇徳はクーデターを起こしました。これが「保元の乱」です。ところが、企ては失敗しました。その結果崇徳は四国讃岐に流罪となりました。


許しを乞うが願いは叶わず、しかも、自らの血染めでしたためた、写経を京都に「せめて自分の写経を京にかえしてくれ」との願いもむなしく、それをつき返され、願いもかなわず、激怒した崇徳は誓いを立てました。「日本国の大魔王となり、天皇家を没落させる。天皇家以外の者を王にする」と。そうして、その直後に憤死されたそうです。


恨みを抱いて死んだ者には、菅原道真や後醍醐天皇が思い浮かびます。しかし、正面切って天皇家を呪ったのは崇徳上皇だけです。「崇徳」は「祟徳」となりました。果たしてその呪いは実現しました。崇徳の没後すぐに平家が政権を操るようになりました。そして次に本格的な武家政権、鎌倉幕府が成立しました。これ以降何かことが起こる度に、民衆には崇徳上皇の怨霊の仕業と広く信じられました。


日本の「明治維新」は、こうした崇徳の祟りを恐れ、崇徳を守り神にするという考えのもとで実行されたとう側面もあります。実は崇徳上皇の承認を得るという形式のもとに行われたのです。孝明天皇の崩御で、明治天皇が践祚したのは1867年1月。だが即位はしていませんでした。崇徳上皇の命日である同年8月26日、明治天皇は勅使を讃岐に派遣しました。勅使は上皇の「白峰御陵」の前で、次のような内容の宣命を読み上げています。「新しい宮を建立したので、長年の怨念を捨てて京にお帰りください」。明治天皇の即位の礼は、なんとその翌日8月27日に行われました。


そして9月6日崇徳上皇の霊は移され、700年ぶりに京へ帰って来ました。「明治」と改元されたのはその翌々日、1867年9月8日だったのです。今の世で怨霊を信じる信じないは勝手です。ただ、当時の人たちが信じたことだけは確かです。そうして、日本は「明治維新」という歴史上稀に見る、「明治維新」を大成功させ、その後の日本の発展は目覚しく大躍進しました。そうして、日清・日露の両戦役にも大勝利して、近代化の道を歩むことになったのです。


■現代まで祟り続ける怨霊
先の菅原道真の怨霊は939年、「平将門」に「新皇即位」をけしかけたとされています。平将門と藤原純友の「承平・天慶の乱」にも、道真公の怨霊が背景にあったとされています。このように、道真の怨霊は実に執念深かかったのですが、ご存知太宰府天満宮に「学問の神様」と祭られて鎮まったされています。


ところが、現代まで祟り続ける怨霊がまだいたのです。平将門その人です。1309年平将門の霊を祀ったのが、「銭形平次」でおなじみの「神田明神」でした。1616年徳川2代将軍「秀忠」が現在の場所に移し、江戸城の鬼門の守護神としました。平将門の怨霊に関する話は、映画「帝都物語」でも触れられています。平将門の怨霊を招喚し、魔人「加藤保憲」が帝都東京の壊滅を企む物語です。実際、1923年関東大震災や1945年東京大空襲。帝都は2度までも灰燼に帰しました。


さらに、将門の「首塚」をぞんざいに扱った祟りで、怪奇現象が続発しました。平将門のその首塚は、東京都千代田区大手町オフィスビルの谷間にあります。関東大震災後、大蔵省仮庁舎を建設しようとしたときに、大臣以下関係者が次々と急死しました。また終戦後、GHQが首塚を撤去しようとして、死傷者が出る事故も起こりました。


現在その脇に立つ高層ビルディングは、旧「日本長期信用銀行」本店ビルです。長銀は日本大手銀行として、戦後初めて破綻認定を受け特別公的管理下に置かれました。平将門の怨念でしょうか。信じる人には、祟り以外の何ものでもないに違いありません。そういえば、当ビルは上部が大きく、頭部の形に見えなくもありません。


自然や自らよりはるかに大きなものへの畏れをなくしたかのように見える日本人よどこへ行く!?






今年も大勢の人が新年の参拝に訪れる明治神宮ですが、この明治神宮は、明治天皇と明治天皇が崩御されてまもなくお隠れあそばされた昭憲皇太后を祀る神社です。実は、この明治神宮を中心に広がる代々木の杜は、ほとんどが、もともとは人工林であったことはあまり知られていません。しかも、その意味するところは、出雲大社の祭神である大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)のみならず、先に述べた、崇徳上皇をも、国の守り神にするという意味あいがあるということは、あまり知られていないようです。大国大神については、簡単に述べておくと、それこの日本の国ができあがったばかりの頃、現世の政(まつりごと)は天皇に任せることとし、魂の世界を司るとして自らは西方(さいほう、黄泉の国)に立ち去ったと言われています。


ここには、その由来などあまり掲載はしませんが、本来的にはそういう意味があり、明治神宮の森は、霊験あらたかなものであるということだけは、ご存知のない方は、ご記憶にとどめていただきたいと思います。興味のある方は、是非これを機会にインターネットなどでお調べいただければ、必ず行き当たるものと思います。

現在は、こうした明治神宮の杜の由来や、先に述べた、「怨霊の歴史」、出雲大社の由来なども、多くの人が知らないようです。しかし、家には神棚があったり、お正月になると近くの神社に多数の人が初詣をしたりします。明治神宮には、今年も、例年に劣らず、多数の人が参拝に訪れたようです。

私は「怨霊」の歴史をそのまま信ずるものではありません。しかし、教科書に掲載されなくなった歴史の中には、今日の私たちが決して忘れてはいけないことがあると思います。

それは、自然に対する畏れであり、どんなことがあっても、世の中には自分自らではどうにもならないことが厳然と存在していること、さらには、世の中には、自分などはるかに超えた大きなものや価値観が身近に存在しているということです。

「怨霊の歴史」の中には、無論、大昔は科学技術が進んでいなかったので、当時の人々が全くその理由が理解できず、ただただ恐れいったという事柄もあると思います。ただし、すべてをそうした迷信として片付けることはできません。自然の力や、正当性のある怨念など、そのままほっておけば、多くの人々の心の中に滓(おり)のように沈殿していきます。そうして、情念の中にその滓が積み重なっていきます。

怨霊を祀るということは、そうした滓で穢されてしまった、情念を清めるという意味があったのだと思います。そうして、それは、現代の言葉でいえば精神衛生上にも、群集心理的にも、脳科学的にいっても、かなりの効果があったのではないかと思います。もし、怨霊を祀ることがなければ、人々の根深層心理のなかに滓がたまりつづけ、ある一定限度を超えると、とてつもないことになっていたかもしれません。争いごとや、紛争の火種になっていたと思います。現代ではこうした日本の伝統文化、ほとんどなくなってしまったようにも見えます。それどころか、ないがしろにされている側面もみられます。たとえば最近の、「天皇のお言葉発言」とか、「天皇陛下の政治利用」に関するものです。

しかし、こうした伝統文化、私たちの身近に、今でも多くの人が初詣に出かけるとか、験(げん)かつぎをするなどの形で残っています。こうしたことを振り返り、自然の力を畏れたり、古の人々の想いをときおり振り返ったり、この世の中には、自分よりはるかに大きなものや、価値観や情念などが厳然として存在していることに気づかない人や組織は、どんなに成功しているように見えても、最終的には道を誤ると思います。本日は、まだ年明け早々ということもあり、普段とは異なる視点から、いわゆる「教科書に掲載されない歴史」について掲載してみました。
 





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