2011年9月25日日曜日

日本マクドナルドが定年制を復活 「成果主義」思惑はずれ若手育たず―【私の論評】成果主義の陥穽?!

日本マクドナルドが定年制を復活 「成果主義」思惑はずれ若手育たず

マクドナルドの店内
   日本マクドナルドは2012年1月から、60歳定年制を復活する。同社は年功序列の人事・賃金制度の廃止など、成果主義の人事体系を目指しており、その一環として06年に定年制を廃止していた。

   いったん定年制を廃止したものの、復活するケースは非常にめずらしいという。
定年制の廃止「時期尚早だった」

   日本マクドナルドの正社員は約3400人で、現在の平均年齢は35.5歳。今回、定年制の復活と同時に65歳までの再雇用制度を導入。高年齢者雇用安定法に対応し、雇用継続を希望する社員の健康や能力を判断して年間契約で雇用することにした。

   定年制の復活について、同社は「若手社員を伸ばしていく企業文化を根づかせていくため、年功序列を廃止するなど、実力主義への意識を高めようとしたなかで、定年制を廃止すべきと考えたが、時期尚早だった」と説明する。

   定年制の廃止は、ベテラン社員の経験やノウハウ、スキルが活かされるメリットがある。しかし同社によると、経験豊かなベテラン社員が自身の成果をあげることを優先してしまい、若手社員の育成が疎かになってしまったという。ベテラン社員のもつノウハウなどの若手社員への伝承がうまく進まなかったと反省している。

   6年前の廃止時には、「定年制の廃止は20~30歳代の社員のため、実力本位の意識を高めるのが狙い」(原田泳幸会長兼社長)と話し、年齢ではなく、実力本位であることを会社が明確にすることで「若手のモチベーションが高まるはず」としていた。

   ところが、「ベテランが職務に取り組むうえで、仕事の成果と人材育成のバランスのとり方が難しく、仕事の優先順位が崩れてしまった。(定年制を復活することで)人を育てていく企業文化を再度築き上げる」と話している。

定年がない企業はわずか0.8%
   厚生労働省は厚生年金などの支給開始年齢を2025年度に65歳に段階的に引き上げるのに伴い、65歳までの再雇用を義務付ける現行制度を、より厳格化することを検討している。そうした中で「定年制」をどうするか、企業にとっては悩ましい問題だ。 今回、定年制を「復活」する日本マクドナルドは、「将来的に定年制の廃止を目指していることは、変わりがない」という。

   定年制の廃止については、「本人の能力と年齢は無関係」と「歓迎」する考え方がある半面、年功序列が定着している日本では、いざ実際に廃止した場合、日本マクドナルドのような新たな問題点が表面化してくるケースがある。 厚労省の「2010年 就労条件総合調査」によると、企業規模1000人以上で定年を定めていない企業は0.8%しかない。

【私の論評】成果主義の陥穽?!
1990年代に導入が始まり、今や上場企業の8割以上が何らかの形で取り入れていると言われる成果主義型の人事制度ですが、15年以上の年月を経てここまで普及したにもかかわらず、評判が依然として芳しくないようです。成果主義は日本企業にはなじまないのでしょうか。

結局のところ、日本が成果主義のお手本とした外資では、本当は、「客観的」な成果主義などやっていません。外資では、「客観的」な情報は参考にするだけで、むしろ現場責任者が「主観的」に成果を評価しています。

外資では、現場をわかっている現場責任者が、採用・解雇の人事権も持っています。日本では、現場責任者が人事権を持っておらず、いっぽう人事担当は現場をわかっていないというのが実情です。

無論、「外資」や「日本」の例はすべての会社がそうだというわけではなく、一般的な傾向です。しかし、これが、大方の成果主義の失敗の理由であると思います。

本当に「成果主義」をやるのであれば、人事担当ではなく、現場での働きぶりをわかっている現場責任者がやるしかないでしょうし、減給や解雇まで含めた人事権まで現場責任者が持っていなければ、本当の「成果主義」にならないと思います。

日本では、現場責任者に権限がないどころか、会社そのものが、法的に社員に対する減給や解雇がなかなかできないようになっています。減給や解雇ができない上に、現場をわかっていない人事が「客観的」な成果主義をやろうとします。何らかの「客観的に見える数字」をひねりだし、それを根拠にしたりいます。これではうまくいくはずはありませんん。

本当に成果主義を導入するつもりなら、どの職位の現場責任者にするかは、別として現場責任者に人事権まで与え、現場責任者が「主観的」な評価、「主観的」な採用・解雇を行ったとしても、別に問題はないと思います。

確かに、現場責任者が一人で主観的に評価することは問題があるかもしれません。ただし、現場責任者自身は部門の責任者として『成果』と言う客観的なモノサシで、評価されます。現場管理者に対するアナログな評価は直接の上司やら同僚やらからのもになります。

だから、情実評価やらアホな評価をして部下のモチベーションを落としたら、まず自分の『成果』が落ちますし、かつ、自分に対する上やまわりの評価も悪くなります。それをどうやるかということがその現場責任者の「仕事」ですから、もしデタラメにやっていれば、その現場責任者の評価が下がり、減給されたり、降格されたり、クビになったりするだけの話です。

日本では、平等主義という考え方が前提にあるので、このような考え方ができないようです。人事に関する決定に関しては、いくら客観的に公平にしようとしても、ある程度不平等になるのは、当たり前です、何から何まで、平等にするという考えは、もともと、できないことですし、無理にやろうとすれば、結果は不毛です。しかし、会社全体としては、機能していて、人事面で落ち度がない程度にすることはできます。しかし、神でもない人間が、完璧に平等を貫こうとしても、まず、無理です。

そうして、現場責任者の上司もまた、その現場責任者を「主観的」に評価します。だから、現場責任者には「ちゃんとやろう」というインセンティブがあるわけです。現場責任者が、その上司の「主観」をどうしても信頼できないと思ったら、別の会社に行くでしょう。

日本では、全く見られない風景ですが、アメリカだと、現場責任者が、直接部下に「お前は明日からこなくても良い」と、はっきり解雇を言い渡すシーンもありますし、逆に、従業員のほうから、「こんな会社やめてやる」というシーンも良く見受けます。これは、映画でも、良く見るシーンですから、本当にこのようなことが行われているのだと思います。それに、雇用の流動性も日本よりはるかに、高いです。本当の成果主義には、このような条件も揃っていなければならないと思います。

ところが、日本では現場責任者に人事権がないだけでなく、厳密な意味では、会社自体にも解雇の権限がありません。また、雇用の流動性もありません。これでは、根本的に「成果主義」と矛盾せざるをえません。「権限」と「責任」はつねにセットになるものであるにもかかわらず、クビというかたちで「責任」を取ってもらうことができないから、「権限」も与えられないということです。

「責任がなく、権限もない」個人というのは、会社の現場責任者だけでなく、日本のあらゆるところで見られるパターンであり、いわば「日本の縮図」です。日本では、個人にも、会社にも、自治体にもあまり権限がなく、権限はすべて政府に集中しています。権限がないかわりに、みんな「保護」されて、「護送船団方式」で団体旅行のように集団移動するので、誰も責任をとらなくていいのです。

本当の「成果主義」とは、「成果を出したものが報われる」という評価システムのはずです。これをやるためには、現場責任者はもちろん、末端の社員レベルにまで、「権限」と「責任」を委譲するということが不可欠です。「権限」を与え、自由にふるまって成果を出してもらいます。しかし、そこには「責任」もともないます。

つまり、個人に「責任がなく、権限もない」という中央集権的・全体主義的な日本方式では、そもそも「成果主義」はできるはずがないのです。成果や実力ではなく、「身分」で決まっているのがいまの日本です。多くの人は、大企業に勤めるということは、結局「身分」保証のように考えています。だから、前向きに働こうというインセンティブが生まれないし、「希望」もないわけです。

対局的は、そういうことになります。だから、日本では、良くドラッカーのいうところの、「権限、責任」があいまいなところがあります。だから、ドラッカー理論を本当に理解するには、日本以外の企業を前提にしなければならない部分があると思います。

ただし、日本も、随分変わってきています。確かに上記のように日本では、不可能なところもあります。しかし、ある一定年齢以上ともなると、大企業では、大企業には、残ることができず、他社に転籍という形にしているところが多いです。これは、はっきりいえば、本社では、クビということです。

このような会社は大会社であり、星の数ほどある関連会社や系列企業や、提携企業などへの転籍ができます。しかし、マクドナルドなどは、おそらく、企業体そのものは大きいのですが、転籍などの受け皿となる企業もないのだと思います。

だからこそ、マクドナルドでは、成果主義が難しいのだと思います。いずれにしても、成果主義という美名に隠れて、日本で、アメリカのような厳しい「権限と責任」もはっきりせず、ロワー、ミドル、トップマネジメントに必要とされ、いわゆる、ドラッカーのいうところの、「真摯さ」に欠ける人物が高評価を得る仕組みにおちいっているのではないかと思います。これに対して、アメリカでは、上記のように、厳しい「権限と責任」の枠組みの中で、「真摯さ」を発揮する上司が、たとえ最高位のものではなくても、職場ごとに、1人や2人必ずいるのだと思ます。また、結局はそれを理想としているのだ思います。

この〔真摯さ」という言葉は、以前にも、このブログに掲載したことがあります。これは、ドラッカーの書籍では、『マネジメント』をはじめとして、多くの書籍に頻出するものです。詳細は、そのブログをご覧いただくものとして、ここでは、その核心部分を掲載します。
うまくいっている組織には、必ず一人は、直接手をとって助けもせず、一見人付き合いも悪いようにみえるボスがいる。この種のボスは、とっつきにくく気難しく、一見わがままなように見えるにもかかわらず、しばしば誰よりも多くの人を育てる。好かれている者よりもはるかに、尊敬を集める。一流の仕事を要求し、自らにも要求する。基準を高く定め、それを守ることを期待する。何が正しいかだけを考え、誰が正しいかを考えない。真摯さよりも知的な能力を評価したりはしない。このような素質を欠く者は、いかに愛想がよく、助けになり、人づきがいがよかろうと、またいかに有能であって聡明であろうと危険である。そのような者は、職業人としても、社会人としても失格である。  
真摯さを絶対視して、初めてまともな組織といえる。それはまず、人事に関する決定において象徴的に表れる。真摯さは、とってつけるわけにはいかない。すでに身につけていなければならない。ごまかしがきかない。ともに働く者、特に部下に対しては、真摯であるかどうかは二、三週間でわかる。無知や無能、態度の悪さや頼りなさには、寛大たりうる。だが、真摯さの欠如は許されない。 
マネジメントにできなけばならないことは、学ぶことができる。しかし、学ぶことのできない資質、後天的に獲得できない資質、初めから身につけていなければならない資質がある。才能ではない、真摯さである。 
この真摯さということばは、マネジメンをはじめとして、ドラッカーの著書には、しばしば出てくる言葉ですり"integrity"を翻訳者が意訳したものです。辞書をひいてみると、「清廉、 高潔、完全無欠」などを意味するようです。しかし、これは、単純に「まじめ」あるいは「品行方正」などと受け取るべきではないし、それとは全く異質です。「まじめ」で「品行方正」でありながら、清廉さ、高潔さに欠ける人間はいくらでも存在します。

特に、「まじめ」だけの人間は、煮ても焼いても食えないと揶揄されるほどですし、マネジメントとしては相応しくありません。真剣さ度合い、本気さ、という言葉があてはまるものと推察します。能力が低くても、それは、マネジメントとして補うことはいくらでもできます。しかし、真剣さ度合いに欠けるものは、失格です。

また、真摯さという言葉の中には、統合的な考え方ができるかどうかも含まれるのだと思います。このあたりについては、本題ではないので、詳細を知りたいかたは、是非以前のブログをごらんになってください。

とくに、真摯さという資質を兼ね備えているボスは、「しばしば誰よりも多くの人を育てる」とありますが、これは、無論、単純にOJTや、OFFJTを時間的に誰よりも多く実践しているなどというような、単純なものではありません。本当の意味で育てているという意味です。

マクドナルドでも、たとえば、本当の意味で、人を育てるという項目が、成果主義の評価には含まれていなかっのだと思います。たとえば、現場であれば、誰よりも、多く店長になれる人材を本当の意味で、育てているということなどに相当すると思います。

日本では、上記のように、本当の意味で、「権限と責任」が明確ではありません、だから、職場で幼稚なイジメが発生したりします。しかし、日本では、日本でのやり方で、こうした「真摯さ」を評価することは可能ではないかと思います。

それなしに、単にアメリカの成果主義を導入したとしても、マクドナルドのように形骸化して終わってしまうのだと思います。結局、成果主義そのものを導入することが目的となっていて、本来の意味てでの成果主義がなおざりにされているのだと思います。

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2 件のコメント:

うつ さんのコメント...

恐れ入りました。
非常に、わたしのブログでは
そこまでその表現には思い至りませんです。

山田 豊 さんのコメント...

うつ様コメント有難うございます。これからも、お気軽にお立ち寄りください。

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