2014年4月9日水曜日

「教育勅語」の原本発見か 公開へ―【私の論評】教育勅語のような当たり前のど真ん中の基本の徹底を忘れれば、改革など絶対に出来ない、これは政治や商売でも同じである(゚д゚)!

「教育勅語」の原本発見か 公開へ

教育勅語 クリックすると拡大します

明治から戦中にかけて国民道徳の基本とされ、全国の学校で朗読されていた「教育勅語」の原本とみられる文書が50年ぶりに見つかり、文部科学省は「軍国主義教育の象徴のように使われたが、重要な文書だ」として公開していくことを決めました。

文部科学省によりますと、教育勅語は明治23年に発布され、親孝行や法令順守、それに緊急事態が起きたときは身をささげて国のために尽くすことなどが示されていて、戦中にかけ、国民道徳の基本として全国の学校で朗読されていました。

戦後、国家主義的、軍国主義的な教育を一掃するために、衆参両院が教育勅語の排除や失効を確認する決議を行っています。

明治天皇御真影

教育勅語の原本は昭和37年以降、所在が分からなくなっていたということですが、おととし、50年ぶりに東京国立博物館にある文部科学省の保管庫から原本とみられる文書が見つかったということです。

文書は茶色に変色していて、当時の担当者のメモには、関東大震災で文部省庁舎が焼けた際、金庫の中に入れていた教育勅語が熱で劣化したと記されているということです。

文部科学省は今後、この文書を国立公文書館に移して原本かどうか確認するとともに修復し、公開することにしています。

下村文部科学大臣は8日の閣議後の記者会見で「教育勅語は軍国主義教育の象徴のように使われたことが問題だったが、戦前の教育における重要な文書であり国民が教育勅語の位置づけを学ぶことは大切だ」と話しています。

【私の論評】教育勅語のような当たり前のど真ん中の基本の徹底を怠れば、有効な改善・改革など絶対に出来ない!これは教育だけでなく、政治や商売でも同じである(゚д゚)!

ブログ冒頭に掲載させていただきましたがの、教育勅語の原文です。文語体であり、句読点もなく、仮名字が片仮名で濁点を付けない形で書かれていますので、お読みいただくために、難しい漢字に振り仮名を付け、濁点と句読点を入れて、横書きにしてみました。
朕(ちん)惟(おも)フニ、我(わ)ガ皇祖皇宗(こうそこうそう)國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ、德ヲ樹(た)ツルコト深厚ナリ。我(わ)ガ臣民(しんみん)克(よ)ク忠ニ克(よ)ク孝ニ、億兆(おくちょう)心ヲ一(いつ)ニシテ世世(よよ)厥(そ)ノ美ヲ濟(な)セルハ、此(こ)レ我(わ)ガ國體(こくたい)ノ精華ニシテ、教育ノ淵源(えんげん)亦(また)實(じつ)ニ此(ここ)ニ存ス。爾(なんじ)臣民(しんみん)父母(ふぼ)ニ孝ニ、兄弟(けいてい)ニ友(ゆう)ニ、夫婦相(あい)和シ、朋友(ほうゆう)相(あい)信ジ、恭儉(きょうけん)己(おの)レヲ持(じ)シ、博愛衆ニ及ボシ、學(がく)ヲ修(おさ)メ、業(ぎょう)ヲ習(なら)ヒ、以(もっ)テ智能ヲ啓發シ、德器(とっき)ヲ成就シ、進(すすん)デ公益ヲ廣(ひろ)メ、世務(せいむ)ヲ開キ、常ニ國憲(こっけん)ヲ重(おもん)ジ、國法(こくほう)ニ遵(したが)ヒ、一旦(いったん)緩急(かんきゅう)アレバ義勇(ぎゆう)公(こう)ニ奉(ほう)ジ、以(もっ)テ天壤無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運(こううん)ヲ扶翼(ふよく)スベシ。是(かく)ノ如(ごと)キハ獨(ひと)リ朕(ちん)ガ忠良(ちゅうりょう)ノ臣民(しんみん)タルノミナラズ、又(また)以(もっ)テ爾(なんじ)祖先ノ遺風ヲ顯彰(けんしょう)スルニ足(た)ラン。
斯(こ)ノ道ハ實(じつ)ニ我ガ皇祖皇宗(こうそこうそう)ノ遺訓ニシテ、子孫臣民(しんみん)ノ倶(とも)ニ遵守(じゅんしゅ)スベキ所(ところ)、之(これ)ヲ古今(ここん)ニ通(つう)ジテ謬(あやま)ラズ、之ヲ中外(ちゅうがい)ニ施シテ悖(もと)ラズ。朕(ちん)爾(なんじ)臣民(しんみん)ト倶(とも)ニ拳々服膺(けんけんふくよう)シテ、咸(みな)其(その)德ヲ一(いつ)ニセンコトヲ庶幾(こいねが)フ。
明治二十三年十月三十日
御名御璽(ぎょめいぎょじ)
以下に教育勅語に掲載されている言葉で、現在ではあまり遣わていない言葉の説明を掲載させていただきます。
【 朕 】 天子の自称。中国古代では一般人の第一人称だったが、秦(しん)の始皇帝(しこうてい)のときから天子のみの自称となった。
【皇祖皇宗】 天照大神(あまてらすおおみかみ)に始まる天皇歴代の祖先。
【億 兆】 限りなく大きい数。転じて万民を指す。
【恭 儉】 人にはうやうやしく、自分の行いはつつしみ深いこと。
【徳 器】 徳行と器量。道徳にかなった良い行いと、それぞれの地位や役目にふさわしい才能や人柄。
【世 務】 世の中のつとめ。
【緩 急】 緩やかなことときびしいこと。急なこと。危急の場合。
【天壌無窮】 天地と共にきわまりのないこと。「日本書紀」の天照大神の神勅(しんちょく)に由来する言葉。
【拳々服膺】 胸中に銘記して忘れず守ること。中国の古書「中庸」にある言葉。
教育勅語は、用語や文体が今では大変難しいとされ、多くの人により現代語訳が行なわれています。国民道徳協会の現代語訳がよく知られていますが、かなり意訳されていますので、僭越ですが自分なりに次のように現代語訳をいたしました。
私が思うには、我が皇室の先祖が国を始められたのは、はるかに遠い昔のことで、代々築かれてきた徳は深く厚いものでした。我が国民は忠義と孝行を尽くし、全国民が心を一つにして、世々にわたって立派な行いをしてきたことは、わが国のすぐれたところであり、教育の根源もまたそこにあります。 
あなたたち国民は、父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は仲むつまじく、友達とは互いに信じあい、行動は慎み深く、他人に博愛の手を差し伸べ、学問を修め、仕事を習い、それによって知能をさらに開き起こし、徳と才能を磨き上げ、進んで公共の利益や世間の務めに尽力し、いつも憲法を重んじ、法律に従いなさい。 
そしてもし危急の事態が生じたら、正義心から勇気を持って公のために奉仕し、それによって永遠に続く皇室の運命を助けるようにしなさい。これらのことは、単にあなた方が忠義心あつく善良な国民であるということだけではなく、あなた方の祖先が残した良い風習を褒め称えることでもあります。 
このような道は、実にわが皇室の祖先が残された教訓であり、その子孫と国民が共に守っていかねばならぬことで、昔も今も変わらず、国の内外をも問わず、間違いのない道理です。私はあなた方国民と共にこの教えを胸中に銘記して守り、皆一致して立派な行いをしてゆくことを切に願っています。
明治二十三年十月三十日
天皇の署名と印
この現代語訳など読んでいただき書かれた時代背景などを考えれば、教育勅語とはほんとうに、当たり前のど真ん中のことが書かれているものと、理解できます。

上の記事に関して、あの石平氏が以下のようなツイートをしています。
全くおっしゃる通りだと思います。私は、飲食業のチェーンの事業に長い間携わってきたので、このことの重要さは良く理解できます。そうして、これは、商売にとどまらず政治でも企業どんな世界にでもあてはまることです。

飲食の世界、例えばレストランであれば、本当に腕の良いシェフを見分けるには、厨房を見てみればすぐにわかります。本当に腕の良いシェフの厨房は、シミ一つなくピカピカです。日々のクリンリネスが行き届いているのがすぐにわかります。

家庭の主婦でも、女子でもキッチンをみればその人の人柄がわかります

そうではないシェフに関しては、創作料理など一見素晴らしい料理を創作してみせたり新しい試みをしてみたりして、凄いように見えるのですが、その実基本ができておらず、駄目なことがほとんどです。

教育勅語とは、飲食業界でいえば、クリンリネスのようなものではないかと思います。この精神を忘れた飲食業は、一時良いように見えてもいずれ駄目になるのは必定です。

なぜなら、この基本の精神を忘れた飲食業は改革・改善などできなくなるからです。

私は、飲食業の改革・改善などには、まずはクリンリネスを徹底することから始めるべきと思います。こんなことを言うと、そんなことは当たり前ではないかという人もいるかもしれません。

不振店の対策として、クリンリネスは本当に有効な手段です。飲食や、小売業の不振店は、ほとんどの場合これが疎かにされていることが多いものです。小売業などにおいては、不振店では、商品があまり売れないために、商品の陳列面(フェイス)など崩れることなく整然としているのが普通です。売れる店では次から次へと売れているため、この陳列面があちこち多少崩れていたりします。

いつも整然としている売り場は、問題をかかえていることもある

しかし、売れている店では、陳列面の多少の崩れがあったとしても、概して他のクリンリネスはかなり行き届いています。ところが、不振店では売れないがために、陳列面が崩れず、売り場は一般に整然としていることが多いものです。ところが、その他のクリンリネスは疎かにされていることが多いものです。

これは、飲食業でも同じです。売れてないところでは、客席など客が少ないので、整然としているのですが、厨房はクリンリネスが疎かになっているのが目立つのが普通です。

こうした店においては、まずクリンリネスを徹底することが不振店を抜け出す最初の手立てとなります。ただし、クリンリスの徹底とはいっても、単に掃除を普段よりもこま目にするなどというくらいのことで済ませるわけではありません。

普段は、あまり実施しないところでも、ありとあらゆるところを徹底的に掃除して、売り場や厨房だけではなく、人もクリンリネスします。人のクリンリネスといえば、制服・帽子、身だしなみ、しくざ、態度まで徹底的に掃除をします。

小売店なら、歩く速度を普段よりもはやくさせ、少なくとも、不振店対策のリーダーよりも遅く歩いている人がいたら、その場で注意して、速く歩かせるようにします。

これらが完璧にできるようになった後に、前々から考えていた不振店対策を実行させます。そうすると、対策はスムーズにすすみ、余程のことがない限り、不振店は蘇ります。

しかし、多くの人は、このクリンリネスの徹底ということをせずにいきなり不振店対策を行い、結局失敗します。

そうなのです。ここでいう、飲食店などのクリンリネスの徹底は、従業員の意識改革ということなのです。当たり前のど真ん中を、徹底してやれば、誰の目にも見えて理解できるようになります。これによって、従業員の心を変えて、「これからやることは、今までと違うんだ、今までのままではいけないんいだ」ということを理解してもらうです。

この理解ができたところに、改革・改善案を実行すれば、これらはスムーズに進みますが、これなしに実行しても従業員の意識改革ができていなので、ほとんどの場合はうまくいかないのです。これなしに、うまく行くとすれば、それは従業員の意思とは全く関係ない、什器備品、システムなどの変更くらいかもしれません。しかし、そのようなことはあまりにありませんし、改革・改善の度合いも低いのが普通です。

素晴らしいイノベーションも人々の意識改革抜きにはできない(゚д゚)!

まずは、従業員の意識改革が最も重要です。そのようなことを、忘れて、従業員の本当の意味での意識改革をなおざりにした、改革・改善はほとんどが失敗します。

教育の世界も同じです。まずは、当たり前のど真ん中の『教育勅語』というものがなければなりません。そうして、学校で何かを改革・改善しようとしたときには、この『教育勅語』の中の全部ではなく、何か、それも目に見えて明らかことをまずは徹底するようにします。それは、無論、生徒だけではなく、教師もそうです。そうして、まずは誰にでも目に見える、誰にでも理解できることをモノサシも明らかにして、徹底して、それができたことが確認出来た後で、具体的な改革案・改善案を導入するようにすれば、改革・改善もスムーズにできるはずです。

しかし、現在の教育現場ではそのようなことは行なわれいません。当たり前のど真ん中の基本を忘れ、何も改革・改善できずにいます。

熊本県で毎年行なわれている教育勅語奉読会

そうして、これは、何も商売や、教育現場に限った話しではありません。政治や経済、企業経営においても、同じようなことが繰り返されています。基本の徹底による意識改革が行われることもなく、改革・改善の必要性が叫ばれているにも関わらず、結局大きな改革・改善はなかなか進みません。

今こそ、まさに石平氏が、ツイートされているように、あらゆる方面で、教育勅語の精神そのものを取り戻す必要があると思います。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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