まとめ
- 万博の裏で未払い問題が多発:大阪・関西万博で海外パビリオンの建設に関わった日本の下請け業者19社以上が、発注元からの工事代金未払いを訴えており、経営に深刻な影響が出ている。
- 1970年の大阪万博は国家が全面主導:当時の政府は国債を発行し、財政・運営・外交すべてを主導。国家の威信をかけた総力戦として万博を成功させた。
- 2025年万博は地方と民間に丸投げ:政府は形式的な後方支援にとどまり、建設や運営の責任は大阪府・経済界・民間に押しつけている。国家としての関与が著しく薄い。
- 緊縮財政が公共投資を抑制:「プライマリーバランス黒字化」などの目標に縛られ、国債による積極的な投資が行われず、国家としての責任ある財政運営が失われている。
- 国家ビジョンと責任感の喪失:1970年にはあった「未来像」が2025年には見えず、国は大阪に責任を押しつけるだけの存在に。日本の国家機能の空洞化が万博で露呈している。
2025年春、華やかに幕を開けた大阪・関西万博。しかし、開幕早々、信じがたい事態が表面化している。アメリカやドイツ、中国など七か国のパビリオン建設を担った日本の下請け業者が、「発注元から代金が支払われていない」と声を上げ始めたのだ。少なくとも十九社にのぼる業者が被害を訴え、中には一億円を超える債権を抱える企業もある。すでに従業員の給料すら払えない事態に陥っているところもあるという。
しかも問題は一社二社の未払いではない。一次下請けが支払いを受けられず、さらにその下の二次・三次下請けへも資金が回らないという“未払いの連鎖”が起きている。発注元の企業は「契約に不履行があった」などと主張しているが、現場の混乱は明白だ。NHKの報道によれば、未払いが発生したパビリオンはアメリカ、アンゴラ、セルビア、中国、ドイツ、マルタ、ルーマニアの七か国にわたり、金額は一社あたり百万円から一億円超に及ぶ(出典:NHKニュース、2025年7月25日報道)。
この騒動の背景にあるのは、短すぎる工期と不明確な契約条件、そして海外発注者との意思疎通の難しさだと指摘されている。筑波大学の楠茂樹教授は、博覧会協会が工事プロセスの妥当性を検証すべきだと述べている。だが本来、こうした事態を未然に防ぐべきだったのは、政府である。これは単なる民間同士のトラブルではない。国が招致し、国が開催を認めた“国家イベント”の現場で起きている混乱だ。
国が責任を持った1970年、逃げた2025年
思えば、1970年の大阪万博は、まったく違っていた。あのときの日本には覚悟があった。政府は国の威信をかけて先頭に立ち、会場建設からインフラ整備までを一体で推進した。首相だった佐藤栄作は、万博を「日本の未来を世界に見せる祭典」と位置づけ、財源の確保にもためらいがなかった。実際、会場整備には国債が投入され、大規模な公共投資が断行された。国家が責任を持ち、国債を発行することを当然の責務として、日本の未来を切り拓こうとしていた。
対して2025年。政府は表向きには万博を支援していると言いながら、実務の多くを大阪府や経済界に丸投げしている。建設の責任も、運営の現場も、実質的には地方任せだ。国家イベントでありながら、国家の影が極めて薄い。予算も抑えられ、国債による直接支援は一切ない。そのうえ、外国発注者との契約で混乱が生じても、政府も博覧会協会も調整に出てこない。責任の所在が不明なまま、現場の中小業者が泣き寝入りしている。
緊縮主義が国家を壊す
この変化の根底には、財政運営の考え方の劣化がある。1970年当時の日本は、「未来への投資は国の責務」という信念を持っていた。国家は、自らの手で成長の基盤を築くことを当然の務めとしていた。ところが今、「プライマリーバランスの黒字化」なる財政目標がすべてに優先され、必要な公共投資すら後回しにされている。国は金を出さず、責任も取らず、それでいて「支援はしている」と言い張る。そんな政府を、誰が信用できるというのか。
クリツクすると拡大します |
そして何より深刻なのは、国家のビジョンそのものが失われていることである。1970年の日本には、「我々はここへ向かうのだ」という未来像があった。万博はその象徴だった。だが今、2025年の万博にそれがあるだろうか。会場の設計は外国頼み、展示の中身も漠然としていて、何を世界に示したいのかが見えてこない。「いのち輝く未来社会のデザイン」──耳障りはいいが、実態が伴っていない。
「大阪任せ」という国の無責任、そして維新の逃避
大阪は、かつてこの国の活力の象徴だった。経済、文化、技術、人の熱気──すべてがここにあった。だからこそ、1970年の万博は大阪で開かれた。それが今や、「大阪に任せておけばいい」という空気が政府中枢から漂っている。地方分権を盾にして、国は自らの責任を放棄しているのである。
それならば、大阪府自身が地方債──すなわち府債を発行して、財源を自力で確保する道もあったはずだ。実際、インフラ整備や大規模公共事業のために地方債を発行することは、自治体の正当な手段である。だが大阪府は、万博に対して専用の府債を発行していない。財政調整基金などを取り崩す対応にとどまり、その分、将来の財政圧迫を残すかたちとなった。
その背景には、大阪を長年実効支配してきた「大阪維新の会」の強固な緊縮志向がある。「身を切る改革」という看板のもと、財政支出を抑えること自体が目的化し、必要な投資すら躊躇する姿勢が根を張っている。万博のように将来への布石となる国家的事業であっても、支出を「悪」と決めつけ、結果として必要な整備すら不十分なまま迎えた現実。これでは“改革”どころか、未来の芽を自ら潰しているようなものだ。
地方自治体であっても「未来のために投資する」という気概があれば、堂々と債を発行すべきだった。それすらもやらないのは、国だけでなく地方までもが「責任から逃げる時代」に突入している証ではないか。
国が主語でなくなったとき、国は国でなくなる。
大阪万博2025は、令和日本がいかに国家としての覚悟を失ったか、その現実を世界にさらしている。これは単なるイベントの話ではない。国家とは何か、国民をどう守り、どう導くのか──その根幹が、静かに、しかし確実に崩れているのである。
【関連記事】
減税と積極財政は国家を救う──歴史が語る“経済の常識”(2025年7月25日公開)
関東大震災後の歴史事例を通じ、積極財政の意義と有効性を説く。
国の借金1323兆円、9年連続過去最高 24年度末時点—【私の論評】政府の借金1300兆円の真実:日本経済を惑わす誤解を解く(2025年5月10日公開)
「借金=悪」というレトリックを批判し、国債と財政の本質に迫る。
「大好きな父が突如居なくなった事実を信じることも出来ません」 八潮陥没事故 …事故の真相:緊縮財政とB/C評価が招いた人災を暴く(2025年5月2日公開)
インフラ崩落事故を契機に、財務省主導の緊縮体質が人命・安全を犠牲にした事例を分析。
自公決裂なら〝自民大物ら〟60人落選危機 公明側「信頼関係は地 …(2023年5月公開)
維新と連携しての予算修正や政策動向を取り上げ、緊縮的財政運営に与党・維新が与えた影響を含む考察。
明確な定義なく「煽る」だけ…非論理的な財政破綻論者 不要な緊縮招く危険な存在(2018年6月13日公開)
危機を誇張するだけの財政破綻論を批判し、緊縮政策の危うさを警告。
0 件のコメント:
コメントを投稿