- 欧米では宗教離れが進む一方で、瞑想や自然崇拝など霊性を求めるSBNR層が拡大している。
- 日本のSBNRは欧米型の輸入ではなく、八百万の神や祖霊祭祀などの伝統が現代に姿を変えて表れたものにすぎない。米津玄師「Lemon」が震災後の喪失感と鎮魂の心に響いたのはその象徴である。
- 災害・地方・外交において霊性文化が言説や行動に影響している一方、教育無償化やグローバリズム政策などは霊性文化に反している。
- 天皇の祈りと庶民の祈りの二重構造、さらに伊勢神宮の式年遷宮のような制度化された継承が、千年以上にわたり日本の霊性文化を支えてきた。
- ドラッカーは当時の日本の政治を「経済より社会を重視する」と評した。彼の「改革の原理としての保守主義」は、霊性文化の持続性と通底するものだ。
1️⃣世界が求める「目に見えない力」
世界を見渡すと、霊性(スピリチュアル)がかつてないほど注目を浴びている。欧米では宗教離れが進む一方、人々は空虚さを埋めるように瞑想やヨガ、自然崇拝、マインドフルネスに熱心に取り組んでいる。経済的な豊かさだけでは心を満たせないことが明らかになったからだ。宗教に所属しなくても霊的実践を求める人々は増え続け、政治や社会運動においても「スピリチュアルな価値観」が力を持ち始めている。
その象徴がSBNR(Spiritual But Not Religious)である。組織宗教に属さず、精神性や内面の成熟を大切にする立場だ。祈りや瞑想、自然との交感を通じて意味を探り、制度や教義よりも個人の体験を重視する。神ではなく「気」や「宇宙の力」といった曖昧な超越概念に手掛かりを求め、人や自然の中に神聖を見出そうとする。
日本でも2022年の調査で国民の約43%、20代では約48%がSBNR層に属するとされた。「お金より縁を信じる」「学歴より運命を重んじる」という価値観がそれを裏付ける。御朱印収集や寺社参拝は帰属意識とは異なる霊性の実践となり、坐禅や写経、森林浴、サウナの「ととのう」体験までもが現代の霊的実践として受け入れられている。
だが、日本のSBNRは欧米から輸入された潮流ではない。八百万の神、自然崇拝、祖霊祭祀の伝統が古代から受け継がれ、神道は祭祀と自然共生を軸に、仏教は修験道や民間信仰と融合して開かれた。SBNRは日本の精神文化が現代に姿を変えて表れたものにすぎない。
その生きた例が、米津玄師の代表曲「Lemon」である。2018年に発表されたテレビドラマ『アンナチュラル』の主題歌でもあるこの曲は、発売直後からダウンロード数300万を突破し、YouTubeの公式MVは9億回以上再生され、日本音楽史に残る大ヒットとなった。第69回NHK紅白歌合戦で披露されたとき、多くの人々は涙を流しながら耳を傾けた。
Lemon 米津玄師 歌詞付き |
なぜこれほど支持を集めたのか。それは、この曲が単なるJ-popではなく、現代の鎮魂歌として響いたからである。失われた命を悼み、なおも続く絆を歌い上げる「Lemon」のメッセージは、東日本大震災以降の日本人が抱えてきた喪失感と深く結びついた。あの日から多くの人々が亡き人への祈りを胸に生きてきた。米津の歌は、その感情に寄り添い、癒やしと意味を与えるものとして受け止められたのである。
そうしてテレビドラマ『アンナチュラル』も「霊性の文化」を想起させる作品といえる。死因究明を専門とする不自然死究明研究所(UDIラボ)の法医たちが、毎回「なぜ人は死んだのか」を追究していく物語だが、その根底には「亡くなった命を軽んじない」「死者を無名の存在にせず、声なき声を聞く」という姿勢が貫かれている。
これは、表面的には科学ドラマでありながら、日本文化に根ざした 鎮魂や供養の精神 に通じる。死者の魂を慰め、その存在を社会の中で位置づけ直す営みは、古来の祖霊祭祀や弔いの心と同じ地平にある。つまり「アンナチュラル」は、現代的な形式を取りながらも、日本の霊性文化の系譜をなぞっているのである。「Lemon」が主題歌として国民的共感を呼んだのも、ドラマのテーマと同じく「死者と生者をつなぐ祈り」が根底に流れていたからだといえる。
死者を忘れず、悲しみの中に生の意味を見出そうとする姿勢は、祖霊祭祀や供養の心と地続きにある。「Lemon」が国民的支持を集めたのは、日本人の潜在意識に刻まれた霊性文化に響いたからにほかならない。SBNRという言葉が指すものは、実はこのように日本人の生活や文化の中に自然に表れている。
2️⃣霊性文化と政治の歪み
この感覚は政治にも及ぶ。欧米ではSBNR層が環境や人権を霊的価値として政策に反映させているが、日本でも災害時に「命の尊厳」、地方では「家族」「郷土」、外交では「和」「共生」が言説として現れる。合理主義では補えないものを、霊性文化が支えているのである。
一方で、霊性文化に反する政策も目立つ。教育無償化や子育て支援を国家が肩代わりする発想は、家庭や地域の責任感を弱める。LGBT施策は家族と世代継承を揺るがし、アイヌ新法は地域社会を分断する。グローバリズムは土地や共同体への愛着を壊し、人を「労働力」「消費単位」に矮小化する。伝統行事や祭祀を軽んじる政策も同様だ。
財政・金融政策もまた霊性文化を損なってきた。財政緊縮を絶対視して帳簿の均衡を優先すれば、人の営みを軽んじることになる。数値目標やインフレ率に固執する金融政策は、生活実感や地域循環といった霊的基盤を切り捨てる。これらは国民を無視した官僚本位の政策であり、社会の根を弱らせてきた。
自民党がこうした誤った方向に傾斜してきたことは致命的である。このままではどのような看板政策を掲げても、国民の心をつかむことはできない。
では、何を守り、何を変えるべきか。保守とは過去に戻ることではない。潜在する霊性を損なわずに改革を進めることだ。家族や地域の自発性を支える制度、自然を神聖視する防災と環境政策、外交における「和」と「共生」。これらは理念ではなく、現実を動かす力である。
3️⃣祈りと制度継承の一体性
この営みの中核にあるのが祈りである。宮中祭祀を通じて五穀豊穣と国民安寧を祈る天皇の祈り。そして鎮守の森や祖霊祭祀、村落の祭礼や家族の供養といった庶民の祈り。この二重構造こそが、日本の霊性文化を千年以上支え続けてきた仕組みだ。制度と生活、中心と周縁が呼応し、国を形づくってきたのである。
天皇の祈りは、大嘗祭や新嘗祭に象徴される。大嘗祭は新天皇が即位の後に一度だけ執り行う祭祀であり、新嘗祭は毎年の収穫を感謝する恒例の儀式である。これらは単なる宮中行事ではなく、国家と自然、祖先と国民をつなぐ祈りであり、霊性文化の中枢を担ってきた。
庶民は村の鎮守祭や盆の祖霊供養を通じて、自らの暮らしの中で祈りを積み重ねてきた。田植えや収穫を祝う行事もまた、自然への畏れと感謝を形にする営みである。上下の祈りが重なり合うことで、国全体の霊性文化は力強く継承されてきた。
さらに、伊勢神宮の式年遷宮は祈りと制度継承が一体となった典型である。二十年ごとに社殿を造り替え、神宝を新調する営みは、単なる建築技術の伝承ではない。祈りそのものを更新し、常若の精神を制度化する仕組みである。人々は代々その営みに参加し、技を磨き、森を育て、祈りを未来へと手渡してきた。ここに祈りと制度継承が不可分の形で存在している。
この構造の妥当性は、ドラッカーも見抜いた。彼は社会の基盤に潜む価値を持続させることの重要性を指摘し、それを「改革の原理としての保守主義」と呼んだ。さらに当時の日本の政治家を評して「経済よりも社会を重視している。社会が毀損されなければよしとする」と述べ(『断絶の時代』1969年/日本語版1970年、『新しい現実』1989年/日本語版1990年)、日本型組織を「社会の安定を支える器」として高く評価した。
霊性文化は潜在意識に宿り、共同体と世代をつなぐ。経済は表層にすぎず、根幹をなすのは社会である。いかなる経済政策も社会を毀損するものてあってはならない。祈りと制度の継承を両立させながら更新を続ける作法――それこそがドラッカーの説いた「改革の原理としての保守主義」と響き合う。
この構造の妥当性は、ドラッカーも見抜いた。彼は社会の基盤に潜む価値を持続させることの重要性を指摘し、それを「改革の原理としての保守主義」と呼んだ。さらに当時の日本の政治家を評して「経済よりも社会を重視している。社会が毀損されなければよしとする」と述べ(『断絶の時代』1969年/日本語版1970年、『新しい現実』1989年/日本語版1990年)、日本型組織を「社会の安定を支える器」として高く評価した。
霊性文化は潜在意識に宿り、共同体と世代をつなぐ。経済は表層にすぎず、根幹をなすのは社会である。いかなる経済政策も社会を毀損するものてあってはならない。祈りと制度の継承を両立させながら更新を続ける作法――それこそがドラッカーの説いた「改革の原理としての保守主義」と響き合う。
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