まとめ
- 騒ぎの起点は、2025年9月22日の自民党総裁選・所見発表演説での高市早苗氏の発言である(奈良公園で一部外国人観光客による鹿への不適切行為を指摘)。
- 9月24日の日本記者クラブ討論会後、奈良県担当者は「外国人による暴行は確認していない」との趣旨を示し、外国人加害の断定を避ける立場を示した。
- 報道とSNSでは限定表現が切り取り一般化され、「外国人全体が鹿を虐待」と読める見出しやデマが拡散したことが炎上を拡大させた。
- 一方、奈良市レベルでは動物愛護管理条例に基づく多言語の注意看板など具体的対応が進み、一部外国人による不適切行為への抑止が図られている。へずまりゅう(原田将大)の長期的な鹿保護活動と市議当選も、課題の現実性を裏づける材料である。
- 奈良の鹿は春日大社の神鹿として日本の「霊性の文化」を象徴する存在であり、この背景を無視した高市氏への攻撃は日本人の潜在意識を逆なでするため、選挙上も有利に働かないだろう。
2025年9月22日、総裁選の所見発表演説で高市早苗氏は「奈良公園で一部の外国人観光客が鹿を蹴ったり殴ったりして怖がらせている」と指摘した。外国人観光客による迷惑行為対策を強化すべきだという文脈の中での発言であった。実際の発言を以下に掲載する。
高市氏は演説冒頭、「皆様、こんにちは。高市早苗、奈良の女です。大和の国で育ちました」と切り出した。
「奈良のシカをですよ、足で蹴り上げる、とんでもない人がいます」
「奈良の女としては奈良公園に1460頭以上住んでいるシカのことを気にかけずにはいられません」とし、万葉集で詠われた和歌を引用した。
「1300年も前から奈良にはもうシカがいて......それも夫婦仲のむつまじいシカがいて、歌になっていたということがわかります」としつつ、「そんな奈良のシカをですよ、足で蹴り上げる、とんでもない人がいます。殴って怖がらせる人がいます。外国から観光に来て日本人が大切にしているものをわざと痛めつけようとする人がいるんだとすれば、皆さん何かが行きすぎていると、そう思われませんか?」と問いかけた。
だが9月24日の日本記者クラブ討論会で根拠を問われた際、高市氏は「自分なりに確認した」と述べたものの、具体的証拠は示さなかった。奈良県の担当者は「把握している限り、殴る・蹴るといった暴行は確認していない」と説明した。この言葉は一見すると鹿への暴行そのものを否定しているようにも聞こえるが、文脈を読めば「外国人による暴行とは確認していない」という意味であることは明らかだ。県は、あくまで外国人が加害者であると断定できていない、という事実を述べているにすぎない。否定も肯定もしていない。
さらに9月25日には高市氏の秘書が「旅館関係者や公園周辺を巡回するボランティアから聞いた話が根拠」と補足した。実際、2024年には「鹿を蹴る、叩く」といった映像がSNSで拡散され、奈良県は2025年4月から県立都市公園条例を改正し、鹿への加害行為を禁止している。ただし、加害者の国籍は特定されていない。
2️⃣報道と切り取りの実態
報道やSNSでの拡散は「切り取り」そのものであった。記事本文では「一部の外国人観光客」と書いていても、見出しには「外国人が鹿を蹴る」といった全体化された表現が躍る。発言の主旨は「外国人の迷惑行為対策の厳格化」だったが、鹿への言及だけを抜き出して広めた結果、あたかも多くの外国人観光客が加害者であるかのような印象を与えた。
しかも、総裁選という政治的文脈の中でこの切り取りは大きく炎上した。行政側は「外国人による暴行は確認していない」と説明し、否定も肯定もしていないにもかかわらず、SNS上では「外国人全体が鹿を虐待している」と誇張されてしまったのである。さらに一部サイトでは「高市氏がインバウンドを全面禁止へ」といったデマまで流布されたが、これはファクトチェックで完全に否定されている。
事実として確認できるのは三点だ。高市氏が「一部の外国人観光客による鹿への不適切行為」に言及したこと。奈良県は「暴行自体は事実だが、外国人による暴行に関しては確認していない」と説明していること。そして、条例改正で鹿への加害行為が明確に禁止されたことである。
3️⃣霊性の文化と政治的意味
奈良市のレベルでは事情が違う。市内には「動物愛護管理条例」に基づき、鹿への暴力行為を禁じる看板が日本語だけではなく英語、中国語併記で設置されている(以下写真)。これは、観光客の中でも一部外国人による不適切行為が実際に存在したことを示す証拠である。
こうして整理すると、高市氏の発言は「一部外国人による不適切行為」への現実的な指摘であり、批判は切り取りによる政治利用にすぎない。むしろ彼女は、我が国の深層に流れる「霊性の文化」を理解した上で語っているのである。
アンパンマンが映す日本の本質──天皇の祈りと霊性文化の継承 2025年9月26日
だが9月24日の日本記者クラブ討論会で根拠を問われた際、高市氏は「自分なりに確認した」と述べたものの、具体的証拠は示さなかった。奈良県の担当者は「把握している限り、殴る・蹴るといった暴行は確認していない」と説明した。この言葉は一見すると鹿への暴行そのものを否定しているようにも聞こえるが、文脈を読めば「外国人による暴行とは確認していない」という意味であることは明らかだ。県は、あくまで外国人が加害者であると断定できていない、という事実を述べているにすぎない。否定も肯定もしていない。
さらに9月25日には高市氏の秘書が「旅館関係者や公園周辺を巡回するボランティアから聞いた話が根拠」と補足した。実際、2024年には「鹿を蹴る、叩く」といった映像がSNSで拡散され、奈良県は2025年4月から県立都市公園条例を改正し、鹿への加害行為を禁止している。ただし、加害者の国籍は特定されていない。
2️⃣報道と切り取りの実態
9月24日の日本記者クラブ討論会で発言する高市氏 |
報道やSNSでの拡散は「切り取り」そのものであった。記事本文では「一部の外国人観光客」と書いていても、見出しには「外国人が鹿を蹴る」といった全体化された表現が躍る。発言の主旨は「外国人の迷惑行為対策の厳格化」だったが、鹿への言及だけを抜き出して広めた結果、あたかも多くの外国人観光客が加害者であるかのような印象を与えた。
しかも、総裁選という政治的文脈の中でこの切り取りは大きく炎上した。行政側は「外国人による暴行は確認していない」と説明し、否定も肯定もしていないにもかかわらず、SNS上では「外国人全体が鹿を虐待している」と誇張されてしまったのである。さらに一部サイトでは「高市氏がインバウンドを全面禁止へ」といったデマまで流布されたが、これはファクトチェックで完全に否定されている。
事実として確認できるのは三点だ。高市氏が「一部の外国人観光客による鹿への不適切行為」に言及したこと。奈良県は「暴行自体は事実だが、外国人による暴行に関しては確認していない」と説明していること。そして、条例改正で鹿への加害行為が明確に禁止されたことである。
3️⃣霊性の文化と政治的意味
奈良市のレベルでは事情が違う。市内には「動物愛護管理条例」に基づき、鹿への暴力行為を禁じる看板が日本語だけではなく英語、中国語併記で設置されている(以下写真)。これは、観光客の中でも一部外国人による不適切行為が実際に存在したことを示す証拠である。
迷惑系YouTuberとして知られたへずまりゅう氏(本名・原田将大)は、かつては社会を騒がせたが、やがて心を入れ替え、奈良の鹿の保護活動に長期にわたり尽力し続けている。その活動が注目を集め、市議会議員に当選した事実もある。市レベルでは、一部外国人による鹿虐待が現実の課題であったことは疑いようがない。
ここで重要なのは、日本の「霊性の文化」である。奈良の鹿は春日大社の神鹿として古代から神聖視され、人々の生活や信仰に深く根付いてきた。そうして、朝廷がその継続を天皇の祈りとともに担保してきた。
ここで重要なのは、日本の「霊性の文化」である。奈良の鹿は春日大社の神鹿として古代から神聖視され、人々の生活や信仰に深く根付いてきた。そうして、朝廷がその継続を天皇の祈りとともに担保してきた。
「霊性」という言葉は日常的には用いられないため誤解されがちだが、本来は自然や生命に宿る尊さ、目に見えない価値を深く受け止める心の働きを指す。鹿は単なる観光資源ではなく、我が国の霊性の象徴である。その鹿が一部外国人に蹴られ虐待されることは、肉体的加害にとどまらず、日本文化の根幹を傷つける行為に等しい。
この文化的背景を理解せずに高市氏を「外国人排斥的だ」と批判する報道やSNSの論調は、表層的であり、日本人の精神性を軽んじている。高市氏は奈良出身であり、春日大社や神鹿の歴史的背景にたびたび言及してきた政治家だ。つまり彼女の発言には「霊性の文化」への配慮が込められている。逆に、攻撃する側の論調にはその視点が欠落している。
選挙のさなかには揚げ足取りや誇張が横行する。警察が動いたとしても調査が終わる頃には選挙が終わっていることが多く、結局「言ったもの勝ち」となるのが常だ。だが今回の件は違う。霊性の文化に根差す日本人の潜在意識を逆なでするものであり、切り取りをした側がむしろ反発を受けるだろう。
事実、自民党が直近の衆院、都議選、参院で三連敗を喫した背景には外国人問題が大きく影を落としていた。その根底には、日本人の潜在意識に刻まれた「霊性の文化」が作用している可能性が高い。霊性の文化自体は、外国人や他宗教を排除するどころむしろ寛容に受け入れる立場だ。しかし、これをグローバリスや拝金主義者らが悪用して場当たり的に外国人を多数受け入れることは、むしろ「霊性の文化」を毀損することになりかねないことに、多くの国民が目覚めたり、無意識にでも反発したのだと思われる。
この文化的背景を理解せずに高市氏を「外国人排斥的だ」と批判する報道やSNSの論調は、表層的であり、日本人の精神性を軽んじている。高市氏は奈良出身であり、春日大社や神鹿の歴史的背景にたびたび言及してきた政治家だ。つまり彼女の発言には「霊性の文化」への配慮が込められている。逆に、攻撃する側の論調にはその視点が欠落している。
選挙のさなかには揚げ足取りや誇張が横行する。警察が動いたとしても調査が終わる頃には選挙が終わっていることが多く、結局「言ったもの勝ち」となるのが常だ。だが今回の件は違う。霊性の文化に根差す日本人の潜在意識を逆なでするものであり、切り取りをした側がむしろ反発を受けるだろう。
事実、自民党が直近の衆院、都議選、参院で三連敗を喫した背景には外国人問題が大きく影を落としていた。その根底には、日本人の潜在意識に刻まれた「霊性の文化」が作用している可能性が高い。霊性の文化自体は、外国人や他宗教を排除するどころむしろ寛容に受け入れる立場だ。しかし、これをグローバリスや拝金主義者らが悪用して場当たり的に外国人を多数受け入れることは、むしろ「霊性の文化」を毀損することになりかねないことに、多くの国民が目覚めたり、無意識にでも反発したのだと思われる。
これを軽んじれば必ず国民の強い反発に直面する。目に見えないが確かに存在する力であり、無視すれば大きなしっぺ返しを受けるのだ。
こうして整理すると、高市氏の発言は「一部外国人による不適切行為」への現実的な指摘であり、批判は切り取りによる政治利用にすぎない。むしろ彼女は、我が国の深層に流れる「霊性の文化」を理解した上で語っているのである。
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