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2014年12月4日木曜日

朝日新聞の誤報への批判を「いじめ」「脅迫」と主張 慰安婦報道の朝日元記者がNYタイムズ紙取材に応じる―【私の論評】逃げまわる植村が唯一受け付けるNYT!背後にソースロンダリングという反日協同体制があることが再度浮き彫りに(゚д゚)!

朝日新聞の誤報への批判を「いじめ」「脅迫」と主張 慰安婦報道の朝日元記者がNYタイムズ紙取材に応じる 

ニューヨーク・タイムズの反日は今にはじまったことではない

【ニューヨーク=黒沢潤】米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は2日、朝日新聞が今年8月に慰安婦問題の記事を撤回して以来、安倍晋三政権を含む「右派勢力の(朝日新聞)攻撃」が強まっているとする記事を掲載した。

記事は、慰安婦問題の報道に関わり、現在は北星学園大(札幌市)の非常勤講師を務める元朝日新聞記者に取材し、元記者が失職する恐れがあることなどを紹介。元記者は、安倍首相ら国家主義的な政治家たちが「脅迫的な手法で歴史を否定しようとしている」「(右派が)われわれをいじめて黙らせようとしている」などと述べ、朝日新聞や自身への攻撃は不当であると主張した。

記事はまた、「軍が占領地で女性をかき集め、軍が運営する慰安所で働かされた、と主流派の歴史家の大半が見なしている」などとしつつも、「日本軍が韓国で女性の連行に直接関与した証拠はほとんどない」とした。

さらに、慰安婦募集の強制性を認めた河野談話の見直しを求める人たちを「(歴史)修正主義者」と断じた。産経新聞は元記者に取材を申し込んでいるが、元記者は応じていない。

(産経ニュース)

【私の論評】逃げまわる植村が唯一受け付けるNYT!背後にソースロンダリングという反日協同体制があることが再度浮き彫りに(゚д゚)!

上の記事の「現在は北星学園大(札幌市)の非常勤講師を務める元朝日新聞記者に取材」となっていて、名前が出ていませんが、これが植村隆であることは明白です。

なぜ、実名で報道しなかったのか、不思議です。以下に、ニューヨーク・タイムズの元記事のURLとその一部ならびに写真を掲載します。
Rewriting the War, Japanese Right Attacks a Newspaper
北星学園大学構内の植村隆 クリックすると拡大します
SAPPORO, Japan — Takashi Uemura was 33 when he wrote the article that would make his career. Then an investigative reporter for The Asahi Shimbun, Japan’s second-largest newspaper, he examined whether the Imperial Army had forced women to work in military brothels during World War II. His report, under the headline “Remembering Still Brings Tears,” was one of the first to tell the story of a former “comfort woman” from Korea. 

Fast-forward a quarter century, and that article has made Mr. Uemura, now 56 and retired from journalism, a target of Japan’s political right. Tabloids brand him a traitor for disseminating “Korean lies” that they say were part of a smear campaign aimed at settling old scores with Japan. Threats of violence, Mr. Uemura says, have cost him one university teaching job and could soon rob him of a second. Ultranationalists have even gone after his children, posting Internet messages urging people to drive his teenage daughter to suicide. 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

“Abe is using The Asahi’s problems to intimidate other media into self-censorship,” said Jiro Yamaguchi, a political scientist who helped organize a petition to support Mr. Uemura. “This is a new form of McCarthyism.” 

Hokusei Gakuen University, a small Christian college where Mr. Uemura lectures on local culture and history, said it was reviewing his contract because of bomb threats by ultranationalists. On a recent afternoon, some of Mr. Uemura’s supporters gathered to hear a sermon warning against repeating the mistakes of the dark years before the war, when the nation trampled dissent. 
Mr. Uemura did not attend, explaining that he was now reluctant to appear in public. “This is the right’s way of threatening other journalists into silence,” he said. “They don’t want to suffer the same fate that I have.”
読んでいただければ、おわかりになると思いますが、全くの出鱈目です。記者は、"Martin Fackler"となっていました。

植村隆は、産経新聞に限らず日本のメディアには一切受け付けず、逃げまわっています。それに関しては、以下の動画をご覧下さい。


この動画で花田氏が語っているように、朝日新聞の関係者であるときには、会社に迷惑をかけるなどの理由で、取材を受け付けないというのはわかるが、辞めた後で、大学の講師をしているというのなら、取材に応えないというのはおかしな話であると語っています。

にも関わらず、ニューヨーク・タイムズの取材には応じるとは、本当におかしいです。このおかしさの背後に特殊な事情があることは明らかです。それについて、渡辺哲也氏が、以下の動画で解説しています。



この動画では、2月28日の衆議院予算委員会で安倍首相が海外の反日プロパガンダに対抗するために広報活動を行うと発言したことを受けて以下のような解説をしています。

朝日新聞の社内には、ニュヨークタイムズの支局があり、朝日新聞の記者が書いたとんでもない記事をニューヨーク・タイムズが受け、それをニュヨーク・タイムズ自体や、電子版に掲載するというのです。

そうして、そのニューヨーク・タイムズの記事を朝日新聞が、引用する形で、日本国内で報道するということをしているというのです。このようななやり口を渡邉哲也氏は、反日記事のソースロンダリングと呼んでいるのです。

朝日新聞がニューヨークタイムズを使って行っている反日ソースロンダリングを例に出してそれらのプロパガンダが定着しないように逐一反論をしていく必要があると解説しています。

また渡邉哲也氏はやウォールストリートジャーナルなどでも日本の実情と全く違う記事が出されていると危機感を募らせています。

今回の植村インタビューもこうした、ロンダリングの一環なのかもしれません。この記事だけでも、アメリカ国内で、日本政府批判になります。それに、朝日など、いずれこの記事を引用するかもしれません。

こうした形式のソースロンダリングがこれからも、どんどん行なわれていく事が予想できます。われわれもこのようなロンダリングが実行できないように、こういう記事を見つけたらどんどん公開し、ニュヨークタイムズなどに抗議をすべきです。

マーティン・ファクラー氏

それから、この記事を書いた記者マーティン・ファクラー氏は、日本のメディアから逃げている植村隆がニューヨーク・タイムズの取材だけを受けるのは、ジャーナリストとして卑怯だとは思わなかったのでしょうか。

それに、無理やり「右翼の安倍首相が朝日をいじめている」という話に仕立てるにはかなり無理があります。現実はそうではありません。これは、朝日新聞自体が、訂正公告を掲載していることからも明らかです。

そもそも、ニューヨーク・タイムズの記事は、「軍が占領地で女性をかき集め、軍が運営する慰安所で働かされた、と主流派の歴史家の大半が見なしている」などして、もう一方では「日本軍が韓国で女性の連行に直接関与した証拠はほとんどない」と掲載しいます。

これは、まったくもって矛盾です。この矛盾を掲載したということは、自分たちが出鱈目を掲載していますと、公告しているようなものです。まともな人であれば、日本の状況を良く知らない人でも、この大きな矛盾に気づくことでしょう。

もともと、「日本軍の性奴隷」というデマが日本や、韓国・中国内にとどまらず米議会をはじめ世界中に広がった最大の責任は、ニュヨークタイムズにあります。そうして、今回の矛盾に満ちたこの記事です。ニューヨーク・タイムズは、このような意味不明な記事を掲載するのではなく、印象操作を反省して、朝日新聞のように訂正記事を出すのが世界の一流紙の矜持だと思います。

それをしない、できないというのなら、ニューヨーク・タイムズは、朝日新聞以下のとんでもない新聞であるといえると思います。とても、一流紙とはいえません。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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【関連図書】

ヘンリー・S・ストークス氏は、イギリス人ジャーナリストであり、ニューヨーク・タイムズ日本支局長をしていたこともあります。ストーク氏の考えは、まともで、今のニュヨーク・タイムズ東京支局などとは大違いです。それは、以下の書籍をご覧いただければ良く理解できます。今の支局は、反日の糞ども集まりに過ぎません。

英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄 祥伝社新書
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なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 祥伝社新書
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ストークス氏の書籍は、ある程度歴史的事実も踏まえていないと理解するのは、難しいです。しかし、以下の書籍は、そんなことはありません。かなり理解しやすいです。

韓国・中国だけが敵じゃない! 国内に潜む反日日本人の危険性をKAZUYAが追求してます(゚д゚)!

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2013年2月11日月曜日

ドイツの教師 校外で煙草吸う生徒目撃しても注意しない理由―【私の論評】何でも学校の管轄とするのはあまりにも無責任!!学校は治外法権ではなく、責任ある社会人の子供が行くところと心得よ!!

ドイツの教師 校外で煙草吸う生徒目撃しても注意しない理由



大阪市立桜宮高校に端を発した体罰問題が広がり続けている。学校教育の体罰について、ドイツの例を参考に考えたい。(取材・執筆=フリーライター・神田憲行)

* * *
体罰問題を高校野球の監督をしている友人と話していて、彼が自分のこんなエピソードを紹介してくれた。

若くして母校の監督に就任して初めて選手の保護者会があったときのこと。リトルリーグの監督もしているという保護者からこんな指... 続きを読む

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【私の論評】何でも学校の管轄とするのはあまりにも無責任!!学校は治外法権ではなく、責任ある社会人の子供が行くところと心得よ!!

ドイツのギムナジウムの保護者会
本日は、建国記念日です。そんなこともあり、国の基は教育ですから、本日は、教育に関係することを掲載しようと思います。詳細は、上の記事をごらんただくものとして、上の記事では、ドイツで「問題行為」(授業中に騒ぐなどの行為。髪の毛を染めるような身だしなみや学校外で起こした問題ではない)を起こした生徒には、まず「口頭」で注意され、その「注意」が3回たまると、校長から生徒の家に「問題行動を起こしたことへの注意」が書面で送られ、そしてこの書面が3通たまったら退学というのが当たり前だそうです。そうして、教師の家庭訪問もなく、学校と家庭は厳格に区別されているとされています。それにしても、校外で煙草を吸っている生徒を見ても、注意しないとは徹底しています。

私は、暴力ではない厳密な意味での体罰にはどちらかといえば賛成なのですが、それにしても、学校内暴力に関しては、大反対でありこのあたり以前のブログに書いていても、すっきりしないところがありました。しかし、上の記事を読んでいてある程度すっきりました。確かに、学校に暴力は必要ないし、暴力をするものは、きちんと手順を踏んだ上で、学校側が排除すれば良いだけです。

そうなんです。大学あたりだと、世の中がおかしかった数十年前の、学生運動が盛んなころは別として、現在なら暴力行為とか、それに類する不埒な行動を大学ですれば、それは犯罪以外の何ものでもないわけであり、大学を放校されるのは当然のことです。たしか、大学ではずっと昔から、同一学年を2回を超えて落第することはできず、三回目の落第が決まれば、自動的に放校です。高校のように、担任がいて、担任が生活指導するなどということはないです。それこそ、自動的にそうなってしまいます。それは、職場でも同じことです。ゆえなく、会社に出て来なければ、普通は連絡がなければ、3日以上無断欠勤が続いた場合、解雇になってしまいます。

実際、私の大学時代にも、そのような人間が幾人かいたことを思い出しました。たいては、大学に来なくなって、休学の届けも何も出さずにそのままというのがほとんどでした。それにしても、このようなけじめは社会人として最低限必要なルールだと思います。こんなこともなければ、大学に通えない人間は、まともな社会人とはいえません。

ただし、最近は、私大の中には、出欠状況をチェックしてわざわざ親にしらせるようなところもあるそうですが、私からいわせればば、そんなものは噴飯もので、もはや、そのような大学は大学とも呼べないと思います。管理されなければ、まともに大学にも通えないような人間は、まともな社会人ではありません。それに驚いたことに、最近では、大学でもイジメがあるとのこと。このようなイジメをする大学生など存在価値がないと思います。それに、そのような問題がおこる大学そのものも存在価値がないのではと思います。


それから、これは、以前のブログに書いたことなのですが、意外と知られていないことがあります。大学に経済的な理由でいけないとか、たまたまそのときにやる気が全くでなかったなどの理由で行けなくなった場合は、すみやかに休学届けを出すべきです。わざわざ退学にする必要などありません。復帰できるときに復帰すれば良いのです。何年であろうと、何十年であろうと、休学は休学です。退学とは全く違います。手続きするかしないかで、天地の差があります。

最近亡くなった大島渚監督は、確か、京都大学を休学しており、それこそ、何十年もたってから、手続きし、レポートをいくつが提出するなどして、卒業していました。しかし、理由はなんであれ退学してしまえば、そのようなことは永遠にできません。

大島渚監督
話が少し脱線してしまいましたが、ドイツでは、こうした大学でのような厳しさを高校以下の学校でも、ある程度生徒たちも課しているということです。これは、当然のことだと思います。学校も社会の一部であり、生徒は、社会人の予備軍なのですから・・・・・。なのに、なぜか日本では、高校以下の学校では、何やらまともな社会のようではなく、一種独特の治外法権のように受け取られています。不覚ながら、私も、このような考えに少し汚染されていたと思います。だからこそ、学校教育でも厳密な意味での暴力ではない体罰は必要と以前のブログにも書きました。しかし、それは誤りであるということに上の記事で思い知らされました。

そうして、納得しました。いわゆる暴力ではない厳密な意味での体罰であっても、本来は、学校ではすべきものではないということです。それは、親の役割だということです。このあたり、戦前はどうもそれが当然だったようです。それは、子供の頃、祖父や、父などに聴いてみて、戦前や戦中であっても、学校が今のような状態ではなかったようでした。それに、特に小学校(尋常小学校)などでは、子どもたちというのは、天子(天皇陛下)様の子供ということで、特に平等に扱われていたということもあったようでした。

親が躾けに失敗しても、学校には頼ることができないということです。それは、全く当たり前のことであり、戦前の日本でも当たり前だったと思います。今の日本のように学校だけが、特殊であり、治外法権のようで、あたかも、一般社会と異なるように思うのは本来間違いです。


少年であろうと、学校の規則など守れない場合は、退学になるようにすれば、どうしても守れない子供は、何回も学校を変えなければならないことになります。そうして、自分が傷つくだけであることを思い知ることでしよう。恨みたければ、自分自身や、自分の親を恨めということです。暴力ではない体罰も含む、きちんとした躾けができていなければ、親も子供も不幸になるわけです。

しかし、考えてみれば、人を育てる、特に自分の子供を育てるというということは、元来そういうことのはすです。自分の子供をまともに躾けられないような親は、まともな社会人とはいえません。社会人としての責任を放棄したということになります。


ドイツようなやり方をすれば、体罰やイジメなど、かなりの率でなくなると思います。無論ドイツにも犯罪者がいるので、ドイツ流にしたからといって、何もかも良くなるとは思いません。しかし、学校の先生もかなり楽に、これらの問題に対処できると思います。良心的な先生たちは、躾けは、自分たちの仕事ではないと割り切れるように、学校のシステムを変えていくべきものと思います。

いきなり、このようにするのは、多少混乱を招くかもしれません。しかし、本質的には、ドイツのようなやり方が最もまともなのではないかと思います。今の日本にあったこのようなやり方を構築して、逐次導入していく必要があると思います。先日の大津のいじめ問題では、第三者委員会が、学校側に明確に責任があるという結論を出していました。無論、そうなのでしようが、しかし、今のままシステムを変えなければ、大津のような問題はこれからもおこると思います。それに、体罰の問題もくすぶり続けると思います。

安倍総理は、教育問題に関しても取り組む姿勢をみせています。今すぐとはいかなくても、いずれ、ドイツ流のやり方なども検討していただきたいものです。とにかく、システムづくりはいずれしなければならないでしょうが、まずは、多くの人びとが、何でも学校の管轄とするのはあまりにも無責任であり、学校は治外法権ではなく、責任ある社会人の子供が行くところと心得るように、世論形成をしていく必要がありそうです。私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?



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【from Editor】一定条件下の体罰―【私の論評】体罰肯定派からみれば、言葉遣いの間違いが横行する昨今の治外法権的日本の学校あり方は異常であり、いずれ抜本的に改める必要がある!!



【新聞に喝!】これは反日「デモ」なのか?―【私の論評】新聞は、物事の背景を見ることができないばかりか、言葉遣いまでおかしくなっている!!




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2013年1月27日日曜日

【from Editor】一定条件下の体罰―【私の論評】体罰肯定派からみれば、言葉遣いの間違いが横行する昨今の治外法権的日本の学校あり方は異常であり、いずれ抜本的に改める必要がある!!

【from Editor】一定条件下の体罰:

市立桜宮高校の説明会に出席するため集まった保護者たち=9日夜


大阪市立桜宮高校のバスケットボール部の主将だった2年生が顧問教師の体罰後に自殺したことで、評論家やジャーナリストらの多くが体罰の全面禁止を主張している。大阪市の橋下徹市長も「あらゆる体罰禁止」を打ち出している。国も各自治体も体罰の実態調査に乗り出している。

生徒の自殺は痛ましい。顧問教師は、連日殴ったり、数十発殴ったり、唇を切ったり、「殴られてもええんやな」と発言していたという。これは明らか に教育の範囲を超えている。生徒はおびえ、教師と生徒の信頼関係は崩れていたとしか思えない。だから自殺してしまったのだろう。
こうした事件が起きると、「それでも体罰は必要だ」と言うには勇気がいる。だが、私は、一定の条件下で体罰は必要だと言いたい。それはどのような条件か。

この記事の続きはこちらから!!

【私の論評】体罰肯定派からみれば、言葉遣いの間違いが横行する昨今の治外法権日本の学校あり方は異常であり、いずれ抜本的に改める必要がある!!

上の記事、非常に歯切れが悪いと思います。体罰肯定なら肯定、反対なら反対とはっきり表明すべきと思います。私自身は、肯定派です。まずは、はっきり自分の立場を表明させていただいた上で、なぜそう思うのか説明させていただきます。

それ説明するための下準備としてまずは、下の記事を読んでいただきたいと思います。この記事は、大阪市の現橋下市長が、大阪府知事だったときに、体罰容認の発言をしたという内容です。2008年の新聞記事です。
橋下知事「手を出さないとしょうがない」 体罰容認発言
 大阪府の橋下徹知事は26日、堺市で開かれた「大阪の教育を考える府民討論会」(府、府教委主催)に出席、学力向上のための緊急対策に盛り込んだ反復学習の実施に理解を求めた。一方、「口で言って聞かないと手を出さないとしょうがない」と体罰を容認する発言をした。
 知事は「私は学力を必ず上げます」と断言、「子どもが社会に出て壁にぶつかったとき、乗り越えられる能力が絶対必要だ」と訴えた。一方で「子どもが走り回って授業にならない。ちょっとしかって頭でもコツンとしようものなら、やれ体罰だと叫んでくる。これで赤の他人の先生が教育をできるか」と話し、どこまでを教育と認めるか合意形成が必要だとした。
 また、質問に立った日教組の組合員という小学校職員が、「日教組の強いところは学力が低い」などと発言した中山前国土交通相を知事が擁護したことを批判。その後、知事を非難するヤジが続くと、知事は「中山発言正しいじゃないですか」「これが大阪の教育現場。こういう教師が現場で暴れ放題する」「9割の先生は一生懸命やってる。1割のどうしようもない先生を排除してください」と激しい口調で話した。
 討論会後、報道陣から体罰を容認するのかと聞かれた知事は「体罰という言葉にとらわれる必要はない」と答えた。これに対し、討論会に同席した生野照子・府教育委員長は「体罰に関する発言は間違っている」と話した。
この時の発言の動画を以下に掲載します。


過去に橋本市長が上記のような発言をしていたからといって 現在の橋下市長が、今回の体罰の次元を超えた暴力に関しては、高校入試の廃止や、教師の入れ替えなどかなり厳しい措置をしようとしていることに、矛盾があるという批判が多いです。

しか、私は何も矛盾しているとは思いません。なぜなら、体罰、いじめと暴力とは明らかに言葉が異なるからです。その意味では、上の産経の記事も間違いです。ある一定条件下での体罰という表現はあり得ません。体罰と暴力は異なり、同じではありません。

無論体罰、いじめと、暴力が区別がつきにくく、灰色のゾーンはあるかとは思いますが、今回の事例は、どうみても暴力です。明らかに体罰の域を超えています。これは、はっきりしています。4発けがをしない程度に殴るのと、軽かろうが重かろうが、40発殴るのとでは全く異なります。40発殴るのは、明らかに暴力です。

最近の特にマスコミなどの言葉遣いかなりおかしいです。それについては、過去にこのブログにもいくつか掲載したことがあります。以下は、「反日デモ」という言葉遣いのおかしさについて掲載したブログ記事のURLです。
【新聞に喝!】これは反日「デモ」なのか?―【私の論評】新聞は、物事の背景を見ることができないばかりか、言葉遣いまでおかしくなっている!!
詳細は、上の記事をご覧いただくものとして、この記事では、「反日デモ」という言葉のデモという言葉の定義をあげて、その定義にてらしあわせて、「反日デモ」はおかしいこと、正しくは「反日テロ(テロル)」が正しいことをあけました。中国政府あたりが、官製デモであることを隠蔽しつつ、「反日デモ」というのならまだわかりますが、日本側のメディアが「反日デモ」というのは、明らかに言葉遣いの間違いです。この言葉遣いでは、真実を覆い隠すばかりで真実を伝えることにはなりません。

それから、例の大津のいじめ問題についても、言葉遣いのおかしさをこのブログに掲載したことがあります。 その記事のURLを以下に掲載します。

いじめ 警察に被害訴える動き相次ぐ―【私の論評】「いじめ」という言葉は間違いではないか!!

詳細はこの記事をご覧いただくものとして、暴力を「いじめ」と表する言葉遣いのおかしさについてこの記事では以下のように締めくくりました。

今後、私たちは「いじめ」の問題を語るのではなく、「学校犯罪」という行為をどうするかという視点でものごとをみていくべきです。そうして、自らも犯罪者 にならないように、絶対に見過ごさないようにすべきです。そう思うのは、私だけでしょうか?皆さんは、どう思われますか?

 要するに、「いじめ」=「暴力」、「体罰」=「暴力」ではないのです。これらは、「いじめ」や「体罰」の域を超して、「暴力」になっても、なぜか、「暴力」とはマスコミなども呼ばずあくまで、「いじめ」「体罰」といいます。世間一般的にもなぜかそういう風潮があります。これは、非常におかしなことです。学校以外の一般社会で、このような暴力が行われた場合、それは、「暴力」であって、「いじめ」や「体罰」ではありません。>それが、なぜか、学校、それも高校以下の学校では、「暴力」と呼ばれることはありません。それは、全くおかしなこと異常なことです。へたをすると、大学でも、体育系のクラブ活動などでも、「暴力」と呼ばれないことがります。全く異常です。なにやら、学校という組織は、日本では治外法権のように思わているような気がしてなりません。
 

橋下市長は、今回の厳しい措置に対して動画で以下のように述べています。

橋下市長は、動画の中で「事の重大さ」という言葉遣いをしています。橋下市長が、今回のこの事件を単なる「体罰」とみているのではなく、重大な「学校犯罪」と見ていることは確かだと思います。

 また、大津のあのいじめ事件については以下の動画のように述べています。

 

私は、先にも述べたように、体罰肯定派です。しかし、それは、あくまで言葉の定義通りの意味で肯定しているということであり、何も暴力を肯定しているわけではありません。

この言葉の定義としてしては、いろいろ解釈があるとは思いますが、だいたい以下のとおりだと思います。
体罰は、父母や教員などが、子供や生徒などの管理責任の下にあると考えられる相手に対し、教育的な目的を持って、肉体的な苦痛を与える罰を加えることを指す。この場合の苦痛とは、叩くなどの直接的なものから、立たせたり座らせるなどして動くことを禁ずるなど間接的なものも含む。ただし、苦痛とは言っても明らかに負傷やPDSと認められるような措置は、体罰ではなく暴力である。
このような定義であれば、私自身子供の頃や、小学、中学では頻繁に、高校に入ってからは、稀に体罰を受けたことがあります。子供のころは、姿勢が悪かったり、ご飯の食べかた、お茶の飲み方が悪かった場合は、母に和裁に用いるときの、鯨尺というモノサシで、手や背中を叩かれたことよくありました。ただし、多少は痛いですが、叩かれた跡が残るということはありませんでした。

軽い体罰として古典的なバケツ持ち


小学、中学では、担任の先生などにげんこつはられたこともありましたが、げんこつとはいっても、多少痛いという程度で、それによってタコができるとか、完璧な負傷ということはありませんでした。廊下にバケツを持って立たされたこともありました。高校時代には、顧問の先生に、平手うちをくらったり、グランド何周といわれて、グランドを何周か走ったことなどもありました。しかし、こうしたことで、怖いとか、負傷したり、心に傷を負ったということはありません。ましてや、40発も連続で叩かれたなどということは一回もありません。 というより、あきらかに負い目があったので、むしろ、体罰を受けたほうが、せいせいしました。体罰を受けることにより、逆に気分がすっきりしました。過去の悪いことは消え、そうして、将来は、二度とこのようなことはしないようにと、心の中で誓いました。

社会常識が身についていない子供は、時に残酷、残虐にもなる!!

このようなことは、日常茶飯事で、それ自体が問題となるとか、あるいは、それで自殺者が出るなどということなど考えたこともありません。これらは、明らかに「体罰」の限度内に収まっており、暴力ではなかったからだと思います。

体罰度を超して鼻血が出るとか骨折するような暴力や、度を超して健康を害するとか死の危険が伴うようなしごきは問題ですが、本来の言葉の意味での体罰であれば、有っても構わないはずだとと言うよりも、全く体罰が無い学校の方が危険だといえます。

体罰として古典的な廊下ふき


例えば、生徒によるいじめ事件があれば、教師がいじめを行った生徒を平手打ち(ビンタ)することは仕方がないです。それは必要悪というものです。

まずは言葉で注意すべきであることは言うまでもないですが、言葉で言っても解らない人間には、体罰をもって教えるしかありません。他人の痛みが解らない人間には、自らも痛みをもって解らせるしか方法がありません。

正気を失った犯罪者を警官が暴力行為によって諌めるのと同様、他人を傷付けても心が痛まない異常者には正義の鉄槌が時には必要です。学校には子供を叱るべき親がいないのだから、親に代わって教師が体罰を与える行為は事情によっては認めるべきです。しかし、体罰を超えるような制裁が必要であれば、それはもはや学校の問題ではなく、法治国家として社会の問題として警察権力や司法当局の介入も仕方ないとみなすべきです。このあたりが、今の学校ではなぜかうやむやにされています。

まともな体罰までも禁止にすれば、元々、事勿れ主義で無法化している現在の学校が更なる無法地帯と化し、野獣の如く野放し状態となったいじめっこは、ますます手が付けられなくなってしまい、いじめの範疇を超えた学校暴力による自殺問題は更にエスカレートすることになります。そんな地獄のような学校なら、存在自体が悪でありこのような施設はいらないということになります。「体罰は絶対悪」と言っているような人は、学校の更なる地獄化を望んでいるとしか思えません。

体罰が全くない学校は無法地帯に!!?

家庭内でキッチリと子供の教育ができない不出来な親が「教師が生徒を殴ってはいけない」などと言う資格は無いし、まともな教師がそんなクレーマーのような親の存在を許しておく必要もありません。教師も生徒も言いたいことをハッキリと言える学校にすることこそが、今回のような問題を防ぐには最も重要なことだと思います。

今回、自殺した生徒も、おそらくは多くの学校内暴力による自殺者と同様、「逃げ場が無い」と思ったのだろうと思います。単に暴力が嫌だったのではなく、クラブのキャプテンという責任ある立場(または将来ある地位)にいながら、期待通りにいかない状況に不安を感じ、そこに教師からの体罰という名の暴力が重なり、自殺に追い込まれたのだろうと推察します。

実際はもっと複雑が事情が絡んでいるのかもしれないですが、結局のところ、いじめ自殺問題同様、閉鎖された教育空間が齎した悲劇であることには違いはないでしょう。そうして、こうした、学校の治外法権のようなあり方をマスコミが、「暴力」という言葉を遣わないことにより、さらに助長しているのだと思います。

想像を絶する韓国の解散させられた一陣会の悪行 恐喝・暴力・輪姦は日常茶飯事

学校の問題など、表面面だけみていては、何もわかりません。考えてみれば、歴史的にみれば、現在の教育制度など、GHQが日本の弱体化をはかるために、その基本的なあり方を決めたものです。その基本的なありかたが、戦後60年を経てもいまだ続いているわけです。日教組などは、その先兵です。悪名高い教育委員会制度もGHQが導入したものです。マスコミもこうした、治外法権的学校のあり方を日本弱体化の立場から支援しているのだと思います。橋下市長が 「事の重大さ」と述べたり、安倍総理が教育に力をいれると表明するのは、こうした治外法権的な日本の教育現場を正そうという意図があるのだと思います。

本当に、私のような本来の意味での体罰肯定派からみれば、言葉遣いの間違いが横行する昨今の治外法権的日本の学校のあり方は全く異常です。やはり、戦後体制の脱却という観点からも、日本の教育はいずれ抜本的に改めていかなければならないと私は思います。皆さんはどう思われますか?

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2012年9月23日日曜日

【新聞に喝!】これは反日「デモ」なのか?―【私の論評】新聞は、物事の背景を見ることができないばかりか、言葉遣いまでおかしくなっている!!

【新聞に喝!】これは反日「デモ」なのか?(京大大学院教育学研究科准教授・佐藤卓己)


日本政府による尖閣諸島の国有化に反発する中国の「反日デモ」が激化した。

16日付産経1面(大阪本社発行版)は、「パナ工場など襲撃」の見出しで中国各地の日系工場が襲撃された様子を報じた。そこには、「山東省青島で炎上するトヨタ自動車の販売店」とのネット掲載写真が添えられていた。

中国の「反日デモ」については、中国国内の格差問題に起因する鬱憤晴らしがその背景にあると解説されることも多い。同記事も次のように結ばれていた。

「言論や集会の自由を制限されている民衆の不満が政府に向かう恐れもある。中国当局の出方が大きな焦点になってきた」


その通りには違いがないのだが、各紙の「反日デモ」関連記事を読んで不思議に思うことがある。

一つは、中国民衆の不満が反政府運動に発展することを日本のメディアがなぜかくも心配する必要があるのかという疑問である。特に共産党一党独裁を批判してきたはずの保守系メディアが、中国の民主化よりも現指導部の安定化を願うのは矛盾ではないだろうか。経済重視の事なかれ主義ということであれば、さんざんに批判した丹羽宇一郎前駐中国大使(元伊藤忠商事会長)と同じことだろう。

一方で、逆に首相官邸前で繰り返される脱原発の金曜デモに関して、「デモをする社会の到来」と礼賛した市民運動家にもぜひ聞いておきたい。あなた方は中国の「反政府デモ」をどう評価するのか。あの混乱を見ても、こううそぶくのだろうか。

「市民が主権者であるような社会は、代議士の選挙によってではなく、デモによってもたらされる」、と。

であるならば、「反日デモ」が「反独裁デモ」に転化することは、民主主義にとって最大の僥倖(ぎょうこう)ではないのか。もちろん、逃げ口上は用意しているのだろう。普通の市民が主体となる自分たちのデモは、「独裁と暴力」から限りなく離れている、と。


もしそうならば、いま日本で「デモ」の必要性を訴える者は、中国の反日暴動は「デモ」ではなく「テロル」だと声を上げるべきだろう。投石も放火も略奪も「暴力」である。これを正確に表現すれば、「反日テロル」ではあるまいか。しかし、新聞各紙は「暴力」シーンの写真を掲載しながら、「反日デモ」と表記している。

新聞紙面のよく似た事例は、「いじめ」という表記である。「テロル」を「デモ」とくくる言語感覚は、学校内の暴行や恐喝など「犯罪」を「いじめ」と表現する教育委員会的な心性と変わらないではないか。                                     


【プロフィル】佐藤卓己

さとう・たくみ 昭和35年広島県出身。京都大大学院修了、文学博士。専門はメディア史。

(非常に重要な論考だと思いますので、特に新聞サイトは時がたつと、削除されてしまうので、敢えて全文掲載させていただきました)

【私の論評】新聞は、物事の背景を見ることができないばかりか、言葉遣いまでおかしくなっている!!

上の佐藤氏の意見もっともだと思います。


反日デモの背景は、はっきりしています。これは、完璧な官製デモであり、派閥のある中国政府のかなり高いレベルで実施されたものであり、派閥内の権力闘争があることははっきりしています。特に、習近平が、しばらく消息不明だったことも考え合わせると、かなり熾烈な権力闘争があることははっきりしています。

今回の反日デモにそのような背景があることは、はっきりしています。特に、最近では、中国版ツイッター微博で、デモの呼びかけがことごとく削除されていることも考え合わせると、はっきりしています。このデモは、中国政府が総意で、やめさせようとすれば、やめさせることができたということです。中国政府のコントロール下にあったということです。尖閣問題にも、そのような側面があります。もちろん、あわよくば、領土にできたらしたいという下心はありますが、当面の権力闘争の材料にされたということです。


私自身は、どこのデモがどこの派閥によって実行されたのか、あるいは尖閣に対する傍若無人なふるまいは、どこの派閥によるものなかのかまではわかりませんが、内実はそういうことです。尖閣に関しては、主流派閥が行ったことであれば、反主流派につけいる隙を与えないように、示威行動をとったということであり、反主流派が行ったのであれば、主流派閥に対してつけいる隙を得るために、過激な行動をとったということです。それに、中国は、一枚岩ではなく、様々派閥がありますから、実体はもっと複雑だと思います。

私は、最近中国の反日デモに関して、その背景など上記のようにこのブログに掲載してきましたが、書いていてどうも、すっきりしない部分がありました。それは、やはり、「反日デモ」という言葉です。新聞各社は、「デモ」という言葉の意味をわかっているのでしょうか、以下にデモの定義の一部をwikipediaから、コピペしておきます。
デモ活動(デモかつどう)は、ある特定の意思・主張をもった人々が集まり、集団でそれら意思や主張を他に示す行為である。デモとはデモンストレーションの略であり、示威行為、示威行進、デモ行進、デモ集会、あるいは単にデモとも呼ばれる。 
デモ活動は、公の場で集団で自らの意思や主張を示す行為である。事実上の責任者や決定者がいる施設の前にいながらプラカードなどを掲げる場合もある。「デモ行進」のように徒歩で一定区間を移動しながら行われるものもみられる。大きなものでは数万人から百万人の規模が参加する一種の集会のようなものもあれば、その一方で参加人数はともかくとして、非常に遠距離(都市間など)を移動しながら主張を掲げ続ける場合もある。主張されるテーマは、政治や経済・社会に対するものなど多岐に渡り、それらは個人的な主張から、社会問題を示して世間にアピールすることを目的とするものまで、さまざまである。
デモとは、何も乱暴狼藉を働くものというわけではありません。ごく最近盛んに行われるようになった、日本のデモなど、乱暴狼藉を働くものはほとんどありません。それは、下の動画などご覧いたたければよくわかると思います。

 

上の動画のような行動が、デモ(デモンストレーション:demonstration)というものです。ただし、日本以外の国、あるいは、日本でもここ数年の最近のデモでは、いわゆる暴動がつきものです。しかし、「デモ=暴動」ではありません。そうして、この暴力は、テロリズム(上の記事の作者はテロルとしていますが、同意)です。以外テロリズムに関する定義をこれも、wikipediaから掲載しておきます。
テロリズム(英語: terrorism)とは、恐怖心を引き起こすことにより特定の政治的目的を達成しようとする組織的暴力の行使、およびそれを容認する主義のことである。テロリズムに則った行為・手段、およびそれらによって敵対者を威嚇することをテロル(ドイツ語: Terror)と呼ぶ。日本では一般にテロリズムとテロルの双方を指してテロと略す。またテロリズムを標榜しテロルを行う者をテロリストと呼ぶ。
これが定義であれば、確かに上の記事の佐藤氏が言うように、反日デモも、尖閣問題も、中国によるテロリズム以外の何ものでもありません。こうして考えると、反日テロも、尖閣問題も同じく日本に対するテロリズムであるということです。テロリズムととらえると、中国内のテロも、尖閣に対するテロも、同じ穴のムジナのようなものであることが良く理解できます。


それに日本政府は、自国の都合によって、反日テロを許容する中国には、断固たる態度で臨むべきだと思います。今回も、中国政国内の反日テロに対する謝罪と、弁済をもとめるべきです。相手がどのような態度にでたとしても、そんなことはお構いなしにまずは、意図をはっきり伝えるべきです。

それから、尖閣テロ問題についても、はっきりした態度を示すべきです。中国は、1970年代にも、尖閣テロリズム問題を起こしたことがあります。その当時は、鄧小平が、一時棚上げにするとして、事態は収束しました。しかし、もともと、日本の領土であることがはっきりしている問題に関して、棚上げなどという理屈が成り立つはずがありません。これは、本来、その時に棚上げなどする必要性などないことをはっきり、日本政府が相手方に伝えるべきことを怠ったのだと思います。


だからこそ、現在でも、尖閣テロリズム問題が、起こってしまうのです。これから、このようなことが起こらないようにするためにも、中国側に、はっきり尖閣テロはやめるように伝えるべきです。それをしない限り、このテロ問題はいつまでも尾を引きます。

これからは、このブログでも、反日デモなどとは表記せず、正しく反日テロリズムなどと表記します。それから、尖閣問題も改め、尖閣テロリズム問題などと表記することにします。

それにしても、今の日本の新聞は、反日テロや、尖閣テロリズム問題などの背景も、良くわかっていないし、そもそも、言葉遣いも間違っているということで、本当に情けない限りです。


それから、上の記事では、一番最後に、「新聞紙面のよく似た事例は、「いじめ」という表記である。「テロル」を「デモ」とくくる言語感覚は、学校内の暴行や恐喝など「犯罪」を「いじめ」と表現する教育委員会的な心性と変わらないではないか」として、締めくくっていますが、まさにその通りです。

このことに関しては、私もこのブログに掲載したことがあります。


いじめ 警察に被害訴える動き相次ぐ―【私の論評】「いじめ」という言葉は間違いではないか!!

詳細は、上記のURLをご覧いただくものとして、この記事では、最後に以下のように締めくくりました。
今後、私たちは「いじめ」の問題を語るのではなく、「学校犯罪」という行為をどうするかという視点でものごとをみていくべきです。そうして、自らも犯罪者にならないように、絶対に見過ごさないようにすべきです。そう思うのは、私だけでしょうか?皆さんは、どう思われますか? 
全く佐藤氏のいう通りです。まさに、我が意を得たりという心持ちがします。私は、「いじめ」という言葉遣いは完全に間違いだと思います。やはり「学校犯罪」という言葉を遣うべきと思います。最初は、「校内犯罪」という言葉でも良いとは思いましたが、「校内」というくくりがあれば、学校の生徒間で発生した犯罪であっても、学校以外であれば、対象外ということになりますので、「学校」というものが関わっている「犯罪」ということで、「学校犯罪」という言葉がもっとも実体を表していると思います。

大津の学校犯罪事件では、学校や、教育委員会の連中が、「学校犯罪」があったことを知りつつ、「いじめ」という言葉遣いで、犯罪などなかったように糊塗しているだけの話だと思いますが。だからこそ、警察も異例の家宅捜索に入ったのです。もう、マスコミも、この種の出来事に関しては、「いじめ」などという言葉遣いはせずに、「学校犯罪」という言葉遣いをすべきです。

カッパじゃ「教育委員」は無理?(笑)

「デモ」といい、「いじめ」といい、言葉遣い一つの間違いでも、本当に大事な背景を見逃してしまうことになりかねないという良い事例だと思います。このようなこと、探せば他にもいくらでもあります。これは、新聞に限らず、テレビや、ラジオなどのマスメディアをはじめとして、あらゆる組織で、あることかもしれません。私たちは、言葉の本来の意味を意識して、意図して意識して、コミュニケーションを図っていく必要がありそうです。そう思うのは私だけでしょうか?皆さんは、どうお考えになりますか?



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2012年8月9日木曜日

いじめ 警察に被害訴える動き相次ぐ―【私の論評】「いじめ」という言葉は間違いではないか!!

いじめ 警察に被害訴える動き相次ぐ

アメリカでは、いじめを"bully"という。アメリカでもその被害は甚大だ!!

同級生から暴行を受けたなどとして、いじめの被害を訴える子どもやその家族が、警察に被害届を出したり、捜査を求めたりする動きが相次いでいます。

今月6日、仙台市の高校2年生の男子生徒が、同級生から腕にたばこの火を20回以上にわたって押しつけられるなどの暴行を受け、登校できなくなったとして、警察に被害届を出しました。

また、7日、新潟県長岡市の高校1年生の男子生徒が、中学時代に同級生から受けた暴行がいじめだったとして、警察に捜査を求めました。

16年前、中学生の息子を自殺で亡くした、大分県佐伯市の大沢秀明さん(68)は、NPO法人「全国いじめ被害者の会」の代表を務め、いじめの被害を訴える子どもや保護者を支援する活動をしています。

大沢さんのもとには、全国からいじめに関する相談が寄せられていて、大津市で中学2年生の男子生徒が自殺した問題のあとは特に増えているということです。

大沢さんは、「子どもや親たちは学校や教育委員会にいじめについて相談してきたが、納得のいく対応をしてもらえず、頼ることはできないと感じている。いじめを『犯罪』として警察に捜査してもらうなど、より踏み込んだ対応も必要ではないか」と話しています。

【私の論評】「いじめ」という言葉は間違いではないか!!



いわゆる「いじめ」に見られる行為の多くは、刑法などに記載された犯罪行為です。「いじめ」という言葉は曖昧ですが、犯罪行為ということであれば、定義が明瞭です。以下に、いわゆる「いじめ」という言葉で曖昧にされている犯罪への刑法の適用事例など掲載してみます。
殴る・蹴るなどの暴力
→ 暴行罪(ぼうこうざい・2年以下の懲役)

暴力行為によって怪我をさせる
→ 傷害罪(しょうがいざい・15年以下の懲役)
→ 殺人未遂罪(さつじんみすいざい・5年以上の懲役など)

所持品を壊す、教科書やノートに悪口を書き殴る
→ 器物損壊罪(きぶつそんかいざい・3年以下の懲役)

所持品を隠す
→ 窃盗罪(せっとうざい・10年以下の懲役)

悪口を言う、悪口を黒板いっぱいに書く
→ 名誉毀損罪(めいよきそんざい・3年以下の懲役)
→ 侮辱罪(ぶじょくざい・拘留または科料)
※ こういった行為が原因でPTSDと診断された場合は、傷害罪が適用されることもあります。
相手が嫌がることを脅しや暴力などの手段を使って無理強いする(「パシリ」など)
→ 強要罪(きょうようざい・3年以下の懲役)
→ 脅迫罪(きょうはくざい・2年以下の懲役)
暴力や脅しを使って、お金を出させる
→ 恐喝罪(きょうかつざい・10年以下の懲役)

◆ 罪名、量刑は刑法による
◆ 量刑は懲役刑(刑務所に入るもの)のみ記載。
      懲役刑のないものは他の刑を記載。
◆ 親告罪(告訴の必要なもの)もあります。

もっとも、法律で定められていても、上記のような行為があれば直ちに処罰されるものでもありません。実際に警察などに届けても、証拠物や目撃情報などが明らかでない場合も多く、また、何度も言っていますが、被害者本人も心の傷やトラウマなどから自分がされたことをうまく話せず、そういう部分で警察側も「あなたが言わなければ、何もわからないんだよ!」と怒鳴ったりすることもあるので、弁護士などが付き添ったり、警察側も余程の理解がないと捜査まで行くことはないでしょう。余計に許せないことです。


その上、加害者も未成年の場合が多いので、少年法も適用され、上記のような罰則が課されることはまずないと思います。もっとも、「未成年だから、何をやってもかまわない」と思っているのなら、それ自体が最悪です。

もちろん、「陰口を言う」など上記にはないものもありますが、それでも道徳上「やってはならない」ことですし、それを実行する者自身の評価を下げることにもなります。そのあたりを十分認識させるべきです。


学校内ということで、上記の犯罪行為が「いじめ」という言葉で曖昧にされているだと思います。犯罪を見逃すという行為は、犯罪です。犯罪を見逃してきた、教育委員会や、学校の先生も犯罪者集団になると思います。いじめ被害者も、いじめ加害者だけではなく、こうした集団犯罪者も訴えるべきです。


これは、最早いじめではない傷害罪だ!!

大阪市の橋下徹市長は7日、市役所で市教育委員と意見交換し、いじめ問題の指導について、「多数で少数をいじめるなんてことをやったら、ぶちのめしたらいいと思うんですよ」と述べ、いじめた側への厳しい対処の必要性を強調しました。

市の「教育振興基本計画」改定のための協議での発言。 
各地で深刻なケースが発覚しているいじめ問題について、教師側が踏み込んだ指導ができていないことを指摘。「生徒の支援と同時に先生の支援を、法律家ががっちりくんでルール化し、手順を踏みながら、いじめはいけない、という明確な方針を(立てるべきだ)。一線を越えたら厳しく対処するという姿勢が必要だ」と話し、いじめを把握した際の生徒指導の方針作りや、教師を支える支援体制の構築などを提案しました。
この橋下市長の発言に関して、古賀茂明氏は、現代ビジネスにコラムを寄せています。


詳細は、当該コラムをご覧いただくものとして、以下に要旨だけ掲載しておきます。 
教育に関して強大な権限を独占している教育委員会が、教師と役人の保身の組織であり文科省の御用機関であるという構造に陥っていると何が起きるか。今回の大津市の事例がこれを如実に示した。 
やはり、住民の選挙という審判を受ける自治体首長に、教育に関するより大きな責任を負わせる仕組みを作っていくべきだということだ。「教育に政治的介入を許すな」というのもわかるが、今は、「教育を教師と役人から住民の手に取り戻せ」ということを重視すべきだと思う。
古賀氏のいうことは、もっともです。時間をかけて、じっくりと取り組むべき課題であると思います。しかし、これを実行するためには、システム、法律、条例などを変更する必要があります。そうなると結構時間もかかります。それに、官僚組織にはありがちなことですが、結局法律など変更したり、システムを変えても、いろいろな方策を考えて骨抜きにします。そうして、従来と全く変わらず有名無実にすることなど得意中の得意です。古賀氏は、そのような実体を嫌というほど、見せつけられてきていると思います。

多数で少数を「いじめ」の中の多数には、「いじめ」を見逃した者も含まれると思います。であれば、教育委員会や、学校の教師も含まれると思います。無論、現在の法律や条例などでは難しい面もありますが、「いじめ」を刑法犯罪として捉えれば、そのようなことも十分可能であり、法律や、条例を変えたり、付加しなくても、できることはかなりあります。明らかな刑法犯罪が、「いじめ」という名のもとで、見過ごされることがあってはならないことです。


実際にそのようなことで職を失ったり、刑務所に入る教師や、教育委員などでてくれば、いじめの問題などもかなり解消されるのではないかと思います。このような責任が生じてくれば、教育委員会や、教師もいじめに対して責任を意識し、まともに対策をやらざるをえなくなります。

今後、私たちは「いじめ」の問題を語るのではなく、「学校犯罪」という行為をどうするかという視点でものごとをみていくべきです。そうして、自らも犯罪者にならないように、絶対に見過ごさないようにすべきです。そう思うのは、私だけでしょうか?皆さんは、どう思われますか?





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