2011年7月31日日曜日

大阪幼児虐待死から1年二題―【私の論評】日本国解体を目論む民主党は、ゆっくりとではあるが大津波の波濤(はとう)と同じだが?!!

大阪幼児虐待死から1年二題

柔道整復師として働きながら、友人とフォークデュオ
「やきいも」を結成し、大阪を中心に活動する外山大輔さん(31)。 
幼児虐待死から1年 住民男性、2人に捧げる歌披露
大阪市西区のマンション一室での2児虐待死事件をきっかけに生まれた曲について話す、外山大輔さん(左)と清水隆之さん =30日午後、大阪市中央区(志儀駒貴撮影)
大阪市西区のマンション一室に羽木(はぎ)桜子ちゃん=当時(3)=と楓ちゃん=同(1)=姉弟が母親の下村早苗被告(24)=殺人罪で起訴=に放置され死亡した虐待事件で、同じマンションに住む男性が2人にささげる歌「きせき」を作り、事件の発覚から丸1年となる30日、大阪・ミナミのライブバーで披露。「生きるということ、命を大切にしていこう」と語りかけた。 
■時とともに後悔の念  
外山さんは約3年前からマンションに居住。事件前、幼い子供の泣き声を聞いたことはあったが、同じマンションに住んでいるとは思わなかったといい、「事件後、時間がたつにつれて、何もできなかったという後悔の思いが芽生えてきた」と振り返る。 
■感謝と追悼を形に 
同じような思いを抱える住民同士で、定期的に交流会を開くようになり、「今ではあいさつもするし、お互いの顔も名前も分かる寮のような感じ。2人が、このつながりをもたらしてくれた」という。 
こうした感謝の気持ちや2人への追悼の思いを形にしようと昨年10月、歌を作ることを決意した。 
この日のステージには、同じマンションの住人も参加。「桜のように優しく/楓のように鮮やかに/生きる喜びと命のはかなさを知る/君が教えてくれた/誰も1人じゃないから」。外山さんの歌声が穏やかな伴奏とともに流れると、集まった人たちは2人を思いながら、聞き入っていた。 (産経ニュース)  
大阪幼児放置死:1年「何でこうなったのか」被告の父苦悩
幼児2人の遺体が一室から見つかったマンション
大阪市西区のマンションで幼児2人が放置され、衰弱死した事件から30日で1年を迎えたのを機に、殺人罪で起訴されている母親の元風俗店従業員、下村早苗被告(24)の親族が毎日新聞の取材に胸の内を明かした。父親(50)らは「つらい気持ちに変わりはない。何でこうなったのか」などと苦悩している。 
下村被告は長女の羽木(はぎ)桜子ちゃん(当時3歳)と長男楓(かえで)ちゃん(同1歳)を自宅のワンルームマンションに数週間放置し、餓死させたとして起訴された。裁判員裁判の対象で、現在は公判前整理手続きが進められている。 
三重県内に住む下村被告の父親は「今でも自分を責める。早苗が離婚した後、孫2人を預かっておけばとか。やりきれない」と唇をかんだ。 
大阪拘置所に勾留中の下村被告とはこれまでに3回面会したが、涙を流したり、うつむいたりしたままのことが多く、会話はあまりない。父親は「2人の遺影に毎日祈っている。こんな事件は二度と起きてほしくない」と語った。 
2人の遺骨は下村被告の元夫側が引き取っている。 
親族の一人は「2人が亡くなったことは今もつらい。そっとしておいてほしい」と言葉少なだった。(毎日jp)
【私の論評】日本国解体を目論む民主党は、ゆっくりとではあるが、あの大津波の波濤(はとう)と同じだが?
本日は、あの忌まわしい事件からちょうど一周年ということで、ともあれ、犠牲になった、お二人のご冥福をお祈りさせていただきます。

本日は、これに関連して、二つの新聞記事の内容を掲載させていただきました。産経新聞のほうは、都市部のコミュニティーの崩壊に関したもので、コミュニティーの大切さを、再認識させるものといえます。一方、毎日のほうは、下村早苗の父親に関するもので、ただ、事実を淡々と掲載し、救いも何もないような内容です。

さらにいえば、産経の記事は、この事件を単に、下村早苗のおこした事件という捉え方はせずに、地域コミュニティーの問題意識を高める書き方をしています。それに比して、毎日新聞のほうは、単なる父親の個人の問題のように掲載して、この父親自信も語っているように「なんでこうなったか」には全く踏み込んでいません。

この差は何なのでしょうか?私が思うに、これは、新聞社の方針なのか、それとも、これらの記事を書いた記者の個性の現れなのかは、わかりませんが、産経新聞は、最近の震災によるコミュニティー喪失により、コミュニティーの重要さを意識した書き方となっており、毎日新聞のほうでは、その片鱗も何もなく、個人主義に貫かれた内容になっていると思います。

この父親に関しては、私のブログでは、事件直後にその顔写真も掲載しましたが、これは、意図的なものです。この父親は、下村早苗に対して放任主義だったようです。以下に、その査証とでもいえる、記事の内容を掲載します。これは、2009年9月の産経ニュースです。
虐待女の熱血父“身元引受”拒否「この期に及んでも家庭顧みず」
猛暑のマンションの1室に、3歳の長女と1歳の長男を2カ月近く放置し死亡させたとして、殺人容疑で逮捕された風俗店従業員、下村早苗容疑者(23)。現在は大阪府警本部に拘置されているが、府警との連絡窓口となる親族代表の役割を、実の父親が拒んでいたことが分かった。下村容疑者の人格形成には、父親の放任が影響したと言われているが、逮捕後も放任状態は続いているようだ。 
犯罪で逮捕された容疑者に関しては、親族の代表者が警察とのやり取りや容疑者の所持品引き取り、生活必需品の差し入れなどを引き受けるのが一般的。だが、下村容疑者の父親は大阪府警の要請を拒否したという。母親は容疑者が幼いころに離婚しており音信不通とされている。 
「責任放棄とも言えます。下村容疑者の父親は勤務先の高校のラグビー部指導に入れあげて家庭を顧みる余裕がなかった。離婚後は小学生だった容疑者が妹2人の世話をしていたそうです。結局、容疑者は中学入学後、素行不良になった。さらに高校卒業後、父親は容疑者を東京の知人に預けてしまった。そうした経緯がある娘へのかかわりを、父親は拒んでいるのです」(捜査関係者) 
父親は下村容疑者の母親を含め、少なくとも2度の離婚をしていることが分かっている。現在は三重県内に住んでおり、大阪府警に拘置されている容疑者と面会したり差し入れすることは、それほど大きな負担にはならないはずだ。 
「父親自身はラグビーの競技経験がないにもかかわらず、勤務先の高校ラグビー部を全国屈指の名門に育て上げたほどの人です。教育に関する講演も多くこなしており、周囲からは熱血教師と思われていました。その実の娘が世間を震撼させる事件を起こしただけでも驚きなのに、父親は自らの責任も放棄した。親族代表は結局、大阪府内に住む自分の父親、つまり下村容疑者の祖父に押しつけてしまいました」(同) 
渦中の父親は、事件発覚当初は取材に応じていたものの、その後は学校にも出勤せず、本紙の取材にも応じていない。
私は、この事件に関して、述べたブログの記事には、下村早苗の写真、ブログの内容その他、父親の写真など、手元で調べられて掲載できる内容はすべて掲載しました。なぜ、そこまでしたかというと、やはり、これは、大きな事件であり、犯人などの特殊性に帰してしまうような問題ではないと考えたからです。私は、この事件を単なる置き去り事件ではなく、日本社会の大きな問題を象徴する事件であったと捉えています。

私は、この事件の背景について、このブロクで以下のように分析しました。
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しかし、この問題の社会的背景は考えてみる必要があります。日本国内でも最近では他にも幼児虐待が頻繁におこっていますが、このようなことが最近とくにおこるのは、戦後の誤った民主主義教育による個人主義的な風潮がこうしたことを助長していることは否めないと思います。戦後どんどん、進んだ成れの果てが、この事件ということではないかと思います。 
日本国解体を推進すれば、さらに誤った個人主義というより、本質的には、利己主義が助長され、こうしたことをさらに推進することになります。こうしたことによる、損害・実害はとても、数字に表すこともできないことも含めて、甚大なものになることでしょう。戦後の誤った民主主義教育や、個人主義的な風潮のなかには、日教組をはじめとする左翼思想が多大影響を与えています。 
特に、民主党が推進する選択的夫婦別姓に関しては、このようなことに拍車をかける可能性が濃厚です。アメリカでは、いわゆるリベラリストの中でもフェミニストという連中が、積極的にライフスタイルとしての実質的な夫婦別姓を主導してきました。その挙句の果てに、アメリカでの、離婚率は現在50%以上です、今日結婚したカップルの実に半数以上が確実に離婚します。 
これにより、おびただしい数の子供たちが犠牲になっています。虐待、ネグレクトはもとより、かなり深刻な事態に陥っています。そこまでいかなくても、経済的に恵まれない子、肉体的、精神的も病む子供かなり増えました。こうしたことの反省に立ち、今のアメリカの女性は、85%以上が仕事よりも家庭のほうが大事だと考えるにいたっています。
このブログでは、以前、アメリカで「ゆとの教育」が大失敗して、転換しようとしているときに、日本では、「ゆとり教育」の準備をして導入しようとしていました。そうして、ものの見事に大失敗しました。でも、アメリカの事例を良く研究すれば、防ぐきことができたはずです。 
選択的夫婦別姓も同じことです。アメリカでは、もう10年ほど前(はっきりと認識されたのは、10年前ということで、現実は、20年ほど前には、もうすでにだい失敗していました)に、リベラル派が推進した、ライフスタイルとしての、夫婦別姓は完膚なきまでに失敗したことが明らかになりました。今では、夫婦別姓など積極的に言う人など誰もいません。たまに、そんなことを言う人がいたとしても、誰もその主張を聴きません。
にもかかわらず、民主党はアメリカですら、実施しなかった、選択的夫婦別姓の立法化を推進しようとしています。先の「ゆとりの教育」では学力が落ちただけで、すみました。これに関しては、現在社会人になったばかりの人たちが犠牲者となっています。しかし、犠牲者とはいっても、人生は長いですから、これから、低学力など自ら克服していく方法はいくらでもあると思います。本人の熱意さえあれば、いくらでも挽回できるチャンスはあると思います。 
しかし、選択的別姓により、アメリカでおこったようなことが日本でもおこり、親にネグレクトされて、命を失ったり、そこまでいかなくても、肉体や精神を患った場合は、そんなに簡単なことではすまなくなります。特に、この事件のように命を失ったりしたら、もう絶対に取り返しがつきません。
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 今後、このようなトンデモない事件がひきおこされることがないよう、民主党の推進する、選択的夫婦別姓を含む、日本国解体三法案には、何がなんでも絶対反対します。これを推進する民主党は、根源まで遡れば、北村早苗のメンタリティーと結局は何も変わりがありません。
この記事を書いたときには、かなりグロな記事のようなきもしましたが、今日、この記事を書いたときと私の信念は少しもかわりません。この信念は、ますます強くなるばかりです。

ただし、当時と少し違うのは、やはり、この父親も終戦から今までのアメリカによる日本の弱体化推進として進められてきた、誤った個人主義などの犠牲者と思えてきたことです。日本でも、昔から、父親は、あまり家族と口をききませんでした。しかし、だからといって、放任主義だったというわけではありません。

いつも、普段は、家族とあまり口をきかなくとも、ここぞというときには、叱ったり、褒めたり、相談にのったりしたものです。こうした父性は、いつも、子供と結びついてる母性とは異なり、子供に社会性を醸成するものでした。父性愛には、時も、空間的隔たりも超越するところがありました。

しかし、戦後の誤った個人主義教育などで、このような父性愛はあまりかえり見られることはなくなりまた。それに、地域の結びつきも薄れました。

そうして、私は、あの残虐行為自体は、絶対に許すことはないにしても、あの下村早苗自身も、こうしたことの犠牲者であったことに思いがいたるようになりました。

なぜか、浅井の名札のついている中学時代の下村早苗
そうして、こうしたことの最大の犠牲者は、あのなくなった二人のお子さんであることには、間違いありません。このお子さんたちは二度とこの世に戻ってくることはありません。生きていれば、どんな人生が待っていのか、つらいこともあるかもしれませんが、生きてさえいれば、良い目をみる機会もあったでしょうが、もう、そんな機会も永遠になくなりました。かえすがえすも無念です。

長女の桜子ちゃん(3) 長男の楓ちゃん(1)
さて、以上のように、戦後の誤った個人主義や、夫婦別姓などなど論議がアメリカの失敗抜きで語られいた昨年でも、以上のような痛ましい事件が起こってしまったのに、このようなことをさらに助長し、さらにもっと多くの奇禍を招くことは必定であるような、日本国解体を強力に進めようとする、日本国解体法案の導入を目指しているのが民主党です。

日本国解体法案については、以前のこのブロク゛ても掲載しましたが、掲載していないようなこともいろいろでてきましので、これを機会に以下に最新のものをまとめておきます。少し、長くなってしまいますが、資料として掲載しておく価値はあると思いますので、掲載します。


外国人・国籍・民族に関する例
外国人参政権法案
多重国籍の導入(但し、川北対合衆国事件に明らかなように戦前の法でも、或いは、アルベルト・フジモリに明らかなように現行法でも、日本国籍を含む多重国籍を有する日本人は、過去にも存在したし、現に存在する。そもそも、国籍というものは、その性質上、国家が独断で付与したり剥奪したり出来るものでもなければ、個人が独断で取得したり放棄(離脱)したり出来るものでもなく、あくまでも国家と個人との合意によって付与・取得や剥奪・放棄(離脱)が許されるものである。よって、多重国籍というものも、「制度」というよりも、「状態」とでもいうべきものであり、一国の国内法で「導入」したり出来る性質のものですらない。よって、「導入」という表現そのものが不適確・不適切であり、「多重国籍の積極的な是認(容認)」とでも表現する方が実態に即している。)
外国人住民基本法案
家族に関する例
選択的夫婦別姓を導入する民法改正案
戸籍制度の廃止[5](但し、戸籍に詳述されているように、そもそも日本に固有の制度でなく、もともと中国に発祥して朝鮮半島や日本を含む東アジアに伝播した制度であり、2008年(平成20年)年に大韓民国が廃止したことにより、現在、中華人民共和国、中華民国、そして日本にのみ存在する制度である。血統主義にもとづく編纂のため、国籍や相続関係の確認など現在も公文書としての重要性がある(住民票は血統関係は公証されない)が本籍など現代の行政において形骸化しているものも含んでいる)
人権に関する例
人権擁護法案 / 人権侵害救済法案
単純所持規制および創作物規制を導入する児童ポルノ禁止法改正
 
戦争・平和に関する例
恒久平和調査局設置法案
戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案
皇統に関する例
女系天皇容認(皇室典範改正)
 
その他の例
国会法改正案(「官僚答弁の禁止」など。「憲法を無視した立法を可能とし、数の暴力による独裁政治への道を開く、全権委任法と変わらない危険な法案である」と批判されている。但し、議院内閣制であるイギリスでも、大統領制であるアメリカでも、そもそも議会で陳述・発言できるのは、その院の議員のみである。全ての大臣が国会議員でなければならないイギリスでも、大臣が両院制の他の院の議員である場合には、陳述・発言できない。連邦行政府の役職と連邦議会議員との兼務を禁じられているアメリカでも、閣僚を含む行政府の職員が議会で陳述・発言できるのは、聴聞会に証人喚問されて宣誓の上で証言する場合のみであり、常に偽証罪のリスクを負う。そもそも、今回の改正案には、「行政機関の職員や学識経験者らからの意見聴取会の開催」制度を新設する内容も含まれる。よって、「官僚答弁の禁止」という表現そのものが不適確・不適切であり、「官僚答弁の廃止」や「官僚や学識経験者らからの意見聴取会の新設」とでも表現する方が実態に即している)。 
このうち、産経新聞の記事が、外国人参政権、夫婦別姓法案、人権侵害救済法案の3つを「与野党の保守系議員らが「日本を日本でなくする国家解体法案」と指摘してきた3つの法案」として取り上げている。また、毎日新聞の報道によれば、岩手県盛岡市内で県建国記念日奉祝会が永住外国人への地方参政権付与法案などを「日本解体法案」として阻止し、政府主催の奉祝行事を要請する決議を採択した
以上は、これから、成立させようするものですが、もうすでに、日本国解体法案の一部は、成立しています。それを以下に掲載します。

既に成立
男女共同参画社会基本法 - 2000年(平成12年) 
国籍法改正 - 2008年(平成20年)(国籍法改正問題も参照)
子ども手当法[要出典] - 2010年(平成22年)(支給要件に国籍条項がないため、「外国人に日本の国富をばらまき、日本人の子供には莫大な借金を残すもの」と批判されている。これは、従来の児童手当法に基づく児童手当においても国籍条項が設けられていなかったのを踏襲したものと説明されている。子ども手当法案の審議に際し、2010年(平成22年)3月5日、田村憲久委員の質疑に対して山井和則厚生労働大臣政務官が答弁で「現在の児童手当制度において、一九八一年の難民の地位に関する条約の加入に当たり、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(国際人権A規約)の趣旨も踏まえ、他の国内関係法と同様、国籍要件を撤廃した。現在は、国籍にかかわらず、親が日本に居住している場合には、その子についての監護が行われ、かつ生計を同一にしているときは、その子が外国に居住していても支給対象となっている、今までどおりの対応となっております。」と説明された。 
東京都青少年の健全な育成に関する条例改正案- 2010年(平成22年)
自治体基本条例  
 自治基本条例は、地域課題への対応やまちづくりを誰がどんな役割を担い、どのような方法で決めていくのかを文章化したもので、自治体の仕組みの基本ルールを定めた条例である。多くの自治体では、情報の共有や市民参加・協働などの自治の基本原則、自治を担う市民、首長・行政等のそれぞれの役割と責任、情報公開、計画・審議会等への市民参加や住民投票など自治を推進する制度について定めている。 
1997年(平成9年)に施行された大阪府箕面市の「まちづくり理念条例」が最初と言われている。その後制定する自治体が急速に増えており、現在もなお制定に向けて検討を行っている自治体が多い。
これに関しては、上の説明文だけ見ていては、何のことだか理解しにくいですし、そもそも、これが、民主党の日本国解体と何の関係があるのかも、わかりません。そのため、以下に動画を掲載しておきます。この動画と、この続きを御覧になっていただければ、十分のその内容が理解できるどころか、これだけこの問題の内容を集約したものは、書籍でも存在しておらず、この問題の現時点での専門家にもなれると思います。是非ごらんになってください。 


民主党、着々とこれらの導入を図っています。今現在は、菅さんなどの問題や、震災の復興などに多くの人の目がいっていますが、それは、表向きのことであり、民主党は、これらの法案を通す機会を虎視眈々と狙っています。

これ以上日本の解体が進んだ場合、上記の下村早苗の例どころか、さらに酷いことが起こるのは、必定です。

それに、国会には現在100名近くもの「朝鮮系の国会議員」がいることをご存知でしょうか。しかも、現在の与党に数多く存在しているのです。あの菅総理も、献金問題等で、北朝鮮との関係が取りざたされています。心は外国人のまま帰化して日本人になりすまし、日本を解体するために意図的に政界に入ってきている人がたくさんいるわけです。もちろん、日本人の国会議員もいますが、法案の危険性すら認識できていない名ばかりの議員が大勢いることも否めません。民主党の多くの日系の議員もそうです。

もし、これらの法案が通った場合、文字通り「日本は解体」し、今のままの形の日本は無くなるわけです。1995年に、李鵬(中国の政治家)が、オーストラリアを訪問したときに、時のオーストラリア首相に「日本などという国は20年後には消えてなくなる」と発言したたことはあまりにも有名です。この時から20年後と言えば、2015年は、今から、4年後です。

日本の存続は、私たち日本国民にかかっています。今や、国会議員もマスメディアも当てにならない状況です。この事実を良く知った上で、日本国民の一人一人が立ち上がるしか方法はないと思います。次の選挙では、何が何でも、民主党の息の根を止めなければなりません。

このままにさせておけば、下村早苗や、その子供たち、あるいは早苗の父親のを襲った不幸は、あなたの子供、あなたの親、あなたの配偶者、あなたの身の回りの人に降り注ぐことになるかもしれません。いや、多くの法案が通れば、それ以上どころでなくなることは必定です。過去に、人為的な複数民族の市民国家であった、ユーゴスラビアが、元の国民国家に戻る際には、それこそ、コソボのような流血の大惨事になったことは皆さんご存知と思いますが、それこそ、あの大惨事が他人ごとではなくなります。

日本では、最近、あの大津波によって、地域社会が、コミュニティーが破壊されました。子どもや、親や、友人、知人を失った人々は数知れずです。あの大津波は、自然災害であり、一瞬のできごとでした。そうして、多くの人が、失われた、コミュニティーの大事さを思い知ることとなりました。家の破壊、家族の破壊、日本社会の破壊を目論む民主党は、ゆっくりとではありますがあの大津波の波濤(はとう)と同じようなものです。このままほおっておけば、大変なことになるのは、必定です。

ただし、おそれることはありません。実は、民主党の連中は、誤った個人主義の信奉者でもあります。これは、あの菅さんの動きをみていれば、良くわかります。さらに、民主党の閣僚などみていれば、良くおわかりになると思います。鳩山さんも、もともとは、自民党でしたが、あのようなものと付き合うようになってから、ご存じのようにルーピーと呼ばれる体たらくで、酷い個人主義に陥ったと思います。

最近では、海江田大臣が、国会で追求され、20分以上問い詰められた末の涙でした。この号泣はどこからきているかといえば、民主党の閣僚である海江田氏は、基本的に誤った個人主義の信奉者であるからです。個人主義者は、歴史的にも空間的にも、まわりの人が分断されています。


個人主義者でない人は、たとえ、国会で厳しく追求されたからといって、追求した国会議員とも、根底ではつながっていて、同胞だと感じることができます。これは、私たちが、朝廷を要とする、日本の伝統文化を担う存在であり、目の前のことでは、対立していたとしても、根は歴史的にも、空間的にたとえ、離れていてもつながっている存在であるという認識があります。結局は、どのように対立していても、同胞のためを思い、同胞の大義のために、対立していると感じることができます。そうです、どんなに対立していても、根は同じなのです。

しかし、個人主義者でそうではありません。彼らは、本当に、今を生きているだけで、歴史的な流れからも、空間的なつながりからも、分断されているのです。そうして、社会も、国も、すべては、個人のためにあるので、個人が個人のために頑張るしかありません。だから、国会で追求されれば、これは、まわりの同胞とは関係なく、自分一人だけに向けられたものであり、耐えられなくなって、泣くしかなくなるのです。人間にとって、大義とは無関係という誤った個人主義ほど、自らを弱くするものはないと思います。

私は、アメリカによる、日本の弱体化、民主党によるさらなる日本の解体の推進で、多くの人が、誤った個人主義にいたり、民主党の隠れ党是による、日本国解体にもやすやすとのせられ、後になってから、後悔の臍を噛むことになるのではないかと危惧していましたが、実は、そうではないことを、今回の震災に耐える震災地の人々みていて、知りました。

それは、このブログにも以前掲載しました。その一分を下にコピペしておきます。
NHKクローズアッフでドナルド・キーンが日本人に魅せられた経緯について説明がありました。 
それは戦時中に書かれた日本人捕虜の日記や、文筆家たちの日記でした。キーン氏は、無名の捕虜たちの日記にも心打たれたそうですが、作家のものにも心を打たれ、その中の一つの例として、高見順のものをあげていました。 
次の文は、東京大空襲で焼け野原となった東京から母を疎開させるため、上野駅にいった作家高見順が、そこで見た秩序正しく、我慢強、列車の順番を待っている無数の人々の姿について書いたものです。 
「私の眼に、いつか涙が沸いていた。いとしさ、愛情で胸がいっぱいだった。私はこうした人々と共に生き、共に死にたいと思った。否、私も、-私は今は罹災民ではないが、こうした人々の内のひとりなのだ。怒声を発し得る権力を与えられていない、何の頼るべき権力もそうして財力も持たない、黙々と我慢している、そして心から日本を愛し信じている庶民の、私もひとりだった」。 
この度の東日本大震災で、世界的に話題となった日本人の秩序正しき姿は、戦前から変わることなく受け継がれていたのです。 
そうして、高見順の語った、こうした人々と共に生き、共に死にたいと思った人々の心は、被災地の人々の中に生き続けています。そうして、自衛隊の方々にも、そうして、私たちの中にも息づいています。 
私も、こうした人々と共に生き、共に死にたいです。被災地の人々や自衛隊の人々のことを見ていて、高見順の気持ちが良くわかりました。また、この高見順の中にある日本人の心に、打たれた、ドナルド・キーンさんの気持ちも本当に良く理解できます。
民主党の多くの議員らは、現在の党内不一致を見てもわかるように、いわゆる、これも誤ったリベラルであり、誤った個人主義を信奉しており、上の日本人の心情、美意識などからは、ほど遠く、そこが彼らの弱みです。個人の力は、弱いです。

私は、この弱みを叩くことによって、民主党は容易に瓦解すると思います。そうして、それを実現するのは、長い歴史と伝統に育まれてきた、私達日本国民です。

こうした日本人の心持ちからすれば、現在の政権など、歴史の悠久の流れの中に咲いた一時の徒花に過ぎません。1,000年に一度の震災も、悠久の歴史を持つ我が国の歴史からみれば、ほんの一時のことに過ぎません。昔から、その時々の為政者の栄枯衰勢など、当たり前のことであり、別に珍しいことでも何でもありません。朝廷をはじめとする私たち日本人の日本の伝統文化、それに勤勉で実直な国民性は、古から今に至るまで、継承されてきました。

今回の大震災の被害甚大なものでしたが、これによっても、私たち日本の心は、うちひしがれることなく、ますます強くなり、これからも悠久の歴史の中に燦然として輝き続けるどころか、さらに輝きを増すことでしょう。そうして、こうした勤勉と実直さを強く継承してきた東日本の人々も近いうちに、復興をなしとげ、悠久の歴史の中で共に燦然と輝くことになることでしょう。


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2011年7月30日土曜日

中国鉄道事故、プログラムソフトに欠陥―【私の論評】中国高速鉄道事故は、ドイツ第三帝国のヒンデンブルク号事故、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故のように国家崩壊の端緒となるか?

中国鉄道事故、プログラムソフトに欠陥

中国浙江省で起きた高速鉄道の事故で、鉄道省の責任者が、運行管理センターのデータを収集する装置のプログラムソフトに欠陥があったことを明らかにしました。

これは、中国鉄道省の責任者が新華社通信の取材に対し明らかにしたものです。責任者は、列車運行管理センターにあるデータ収集装置のプログラムソフトに設計上の欠陥があったため、信号が誤って青になり、追突した側の列車の自動停止装置が働かなかったとしています。

事故原因については、28日、上海鉄道局が温州南駅の信号設備に欠陥があったとしていましたが、鉄道省の当局者が言及したのはこれが初めてです。

一方、事故車両が保管されている温州西駅では、車両にかけられていたシートが外され、遺留品の捜索が行われました。

「事故発生から1週間が経過しました。事故車両は既に撤去されてありませんが、現場には多くの花が手向けられています」(記者)

事故現場には30日も地元の住民などが訪れ、犠牲者を追悼していました。また、いったん事故車両を埋めた穴の周りには柵が設置され、住民たちが中をのぞく姿も見られました。(30日16:43)

【私の論評】中国高速鉄道事故は、ドイツ第三帝国のヒンデンブルク号事故、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故のように国家崩壊の端緒となるか?


さて、中国の高速鉄道については、上の動画をみていただければ、一番よく分かると思います。この動画、中国事情にお詳しい宮崎正弘氏をお迎えし、中国共産党90周年式典から1ヶ月を待つことなく大事故に至ってしまった中国高速鉄道に実際に乗車なさった際の様子や概要につい­て、車両内部や、乗車手続きを待つ乗客で溢れる駅などの写真をご紹介いただきながら お伺いするとともに、開業間もない高速鉄道を敢えて体験なさった理由や、中国の交通インフラの中でも独自の位置を占める「鉄道」を通して見えてくる社会の様相、さらには、­今回の事故が中国共産党内部の権力闘争に及ぼす影響など、宮崎氏ならではの視点に満ちた中国情勢分析を存分に知ることができます。是非ごらんになってください。

この動画でもいっていましたが、日本の整備新幹線など25年かかっても、まだ終わっていないというのに、中国では、なんと、数年でやってしまったということです。やはり、かなり無理があったと思います。特に、上の動画で衝撃的だったのは、中国の高速鉄道をの建設は、測量、設計、工事が同時に行われていたという事実です。

測量、設計くらいは、工期を早めるために、いっしょに行っても良いとは、思いますが、工事まで一緒にやるのは、不味いと思います。

上の記事では、運行管理センターのデータを収集する装置のプログラムソフトに欠陥があったことを明らかにしていますが、これ以外にも、明らかな欠陥があることが明らかになっています。

28日には、米華字ニュースサイト・多維ニュースが、中国の高速鉄道には避雷針がほとんど設置されていないと伝えていました。

浙江省温州市で23日に発生した中国高速鉄道追突・脱線事故について、中国鉄道部は先行していた列車D3115が落雷により停止していたことが原因の一つになったと発表していました。ある鉄道専門家は中国高速鉄道の送電線設備はほとんど避雷針を持っていないと明かしています。

D3115は川崎重工業の技術に基づいて作られたCRH2型だが、同社の大橋忠晴会長は車両には避雷針が設置されていたことを明かしています。車両は対策済みだったが、給電設備などが末対策であるということです。

英紙フィナンシャル・タイムズはこの事故について社説「高速鉄道事故は中国の管理の弊害を反映」を掲載しました。
中国はすでに経済大国への第一歩を踏み出しているかもしれない。しかし、それに見合った管理体制はまだ整っていない。中国には欧米諸国のような「不正を糾弾する機関」がなく、安全面での欠陥や不正が発生しても、メディアが疑問を投げかけるだけで、その軌道を修正する仕組みはない。 
多数の乳幼児が健康被害に遭ったメラミン入り粉ミルク事件や、手抜き工事が原因で建物が倒壊し多くの犠牲を出した四川大地震を考えてみても、政府や生産者の意思決定に市民の声が反映されているとは考えにくい。 
管理体制が未熟で、まだ多くの貧しい地域を抱える今の中国に、果たして高速鉄道が必要だっただろうか?中国が他のどの国よりも短期間で経済成長を遂げることができるというのは、単なる空想にほかならないのではないか?といった疑問を投げかけずにはいられない。
まったく、このとおりだと思います。鉄道は、本来安全に乗客を目的地に届けるためのものです。しかし、中国の高速鉄道は、この本来の目的を忘れています。それどころか、政治的な道具であり、腐敗の温床にしかすぎないものであったことが明らかになっています。
http://diamond.jp/articles/-/13372

数日前に、事故をおこした高速鉄道の車両を穴を掘ってそれに埋めたかと思ったら、またすぐ掘り起こしました。これらに用いられたのは、すべて日本製のショベルカーでした。

クリックすると拡大画像で御覧になれます
上の写真で写っているのは、KomatsuとKobelcoだけですが、確か、数日前に見た動画では、4種類ほど写っていて、すべて日本製でした。この事実をもってしても、中国はかなり無理をしていると思います。いざ、穴をほろうと思えば、中国製のショベルカーなどないのです。

ショベルカーなど、私たちは、日本国内でも、工事現場などでは必ず見かけるものですから、あまりたいしたものとは思わないのですが、実はこれは、かなりのハイテクなのです。特に、ショベルのものに使われる油圧の制御技術は日本が世界一です。その他、制御系なども含めて、中国では、つくることができません。


しかし、こうした制御技術や、油圧の技術など、鉄道にも不可欠なものです。しかし、こうしたショベルカーですら、中国の高速鉄道に使われたのは、すべて日本製でした。こんな、アンバランスなことはないと思います。

これは、本当に象徴的なことだと思います。高速鉄道という華々しいものに関しては、自らの技術でつくったとしながら、それをつくるだめの道具の多くのは日本からの借り物といことです。無理に無理を重ねって高速鉄道をつくった結果がこれです。

これは、ほんの一例にすぎず、中国の鉄道は、日本、フランス、ドイツなど技術の寄せ集めの、寄木細工です。これでは、最初から事故が起こるのは、わかりきっていましたし、これから、何年か後には、かならず、今回にもまして大きな大事故が発生します。

私は、このブロクで従来から、こうした中国の異質ぶりを何度も、掲載してきました。例をあげれば、きりがありませんので、今回は、詳細を掲載することはしません。ただし、下の【関連記事】のところで、その一端を掲載しておきますので、こちらも是非ごらんになってください。

このような国、いずれ体制が変わるのは、当然だと思います。しかし、今の体制のままでは、変わり様がないと思います。体制が変わるときは、中国共産党が崩壊するときだと思います。

私は、以前このブログで、以前ナチスドイツや、旧ソ連のように、全体主義国家がオリンピックを開催すると、その10年後には、国が崩壊している事例をあげて、中国もその例外ではないだろうということを掲載しました。

ナチス・ドイツが、オリンピックを開催したのは、1936年です。その1年後には、ドイツは大事故に見まわれいます。それは、ご存知ヒンデンブルク号の大爆発事故です。


ヒンデンブルク号はドイツの威信を象徴する乗り物であり、さらに外遊先の敵国アメリカで、大事故を起こし全世界に醜態をさらすことなど、国家の体面を非常に気にしていたヒトラーやナチスにとって、国家の威信を傷つける大事件だったと思います。

ソ連邦も、ご存じのようにチェルノブイリの原発事故です。チェルノブイリの原発事故は、1986年に発生しています。モスクワオリンピックは、1980年でした。ソ連崩壊は、1991年です。

私は、中国の高速鉄道の事故が、このヒンデンブルク号の事故やチエルノブイリ原発事故と重なってみえてきます。この事故の8,年後に、ナチスドイツの第三帝国は瓦解しています。ソ連は、原発事故から、5年後に崩壊しています。

ヒンデンブルク後の事故は、あまりはっきりしていないところがありますが、ヒンデンブルク号の飛行中に蓄積された静電気が、着陸の際に着陸用ロープが下ろされた瞬間に、外皮と鉄骨の間の繋ぎ方に問題があったために十分に電気が逃げず、電位差が生じて右舷側尾翼の前方付け根付近で放電が起こったことから外皮が発火・炎上した、というもので、現在ではこの説が有力です。

チェルノブイリに関しては、皆さんご存じのように、福島原発のように大津波に襲われたということもなく、原因は、「事故発生時、4号炉では動作試験が行われていた。試験の内容は、有事に電源が遮断された場合を想定し、非常用ディーゼル発電機が作動するまでの約40秒間、所内の蒸気タービンが慣性で回転することで発電できる電力でシステムが動作不能にならないか確認するというものであった。しかし、責任者の不適切な対応や、炉の特性による予期せぬ事態の発生により、不安定状態から暴走に至り、最終的に爆発した」というものです。

ヒンデンブルク号に関しては、その後有力な物証などでておらず、結局どちらも、人為的なものによるのが、事故の原因と考えられます。今回の中国の高速鉄道の事故は、これらの事故に比較すれば、犠牲者の数は少ないですが、四川地震などの自然災害とは異なる、人間のシステムによる事故ということで共通点があります。これら、全体主義的国家では、これらの事故を防ぐことができなかったと思います。

もし、民主的な国家体制にあれば、そもそも、事故がないか、あったとしても、人為的ミスは最低限にできた可能性が高いです。ここでは、あまり細かいことを述べるつもりはありませんが、全体主義というシステムに根本的欠陥があり、これが、事故ならびに、国家崩壊を招いたという見方もて゛きます。ソ連崩壊については、私にとっても歴史ではなく、リアルタイムで経験したことです。

私は、チェルノブイリ原発事故から数年後、ソ連が崩壊する数年前のときに、大学のある知人に「ソ連は今後10年以内」に必ず崩壊する旨を伝えたところ、その知人は、そのようなことはあり得ないと断定していました。しかし、それは現実のものとなりました。なぜ、このような話をするかといえば、この知人は、その後JAICAに入って、国際的に活躍したからです。このような人でさえ、当時のソ連は鉄壁で強大に見えていて、崩壊することなど絶対にあり得ないと信じ込んでいたということです。

さて、中国はどうなるのでしょうか?私自身は、このブログでも、過去にさんざん、中国の異質性を掲載してきました。ナチスも、ソ連も、全体主義国家であり、異質な国であったことには、変わりありません。ちなみに当時の大日本帝国は、これらの国のような完璧な全体主義国家であったことはありません。

事実、あのゼロ戦が、工場から飛行場に運ぶときに、道路が狭いので牛車で運んでいたので、効率が悪く、軍が道路拡張をしようとしたら、裁判になって、結局軍が負けて、終戦まで、牛車で運んだなどということがあります。大日本帝国憲法は、今からみると古くも見えますが、それは、現在の尺度でみるからであって、当時としては、他の民主的な国家と比較しても、遜色のないものでした。現中国などの法体系および運用は、大日本帝国憲法時の日本のもの以下といって良いと思います。

以上のような背景から、私自身は、中国が、これらの国々と同じ運命をたどっても、少しもおかしいとは思いませんし、そのほうが、自然だと思います。皆さんは、どう思われますか?



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2011年7月29日金曜日

岩手県の経済に明るい動き 個人消費と公共投資が支え―【私の論評】黙っていても、景気が上向き税収増加傾向になるのに、増税論議のでる摩訶不思議?i日本の政治家は、主婦感覚か?

岩手県の経済に明るい動き 個人消費と公共投資が支え

岩手県陸前高田市の惨状
  震災で大きな打撃を受けた岩手県内の経済活動が回復の足取りを速めている。日本銀行盛岡事務所が7月27日に発表した岩手県金融経済概況(おおむね7月半ば時点)によると、内陸部では震災前の水準近くまで回復した分野が増えており、沿岸被災地でも経済活動再開への動きが具体化している。

   概況では、個人消費の大幅な伸びや内陸部での生産回復によって経済活動の「正常化に向けた動きが一段と広がりつつある」と総括している。

   6月の百貨店売上高は前年比で9.0%増えた。スーパーの売上高も6.0%伸びた。ともに7月に入って一段と好調な売れ行きを見せている。震災以来、前年比で大幅なマイナスだった新車登録台数も6月にはプラスに転じた。平泉の世界遺産効果もあって宿泊施設の客足は徐々に戻りつつあるという。

   公共投資は、沿岸部のがれき処理や仮設住宅建設といった復旧工事を中心に前年を上回り、6月の請負額は前年の2.4倍に達した。漁港や防潮堤整備など復興工事の本格化はこれからで、公共工事特需はかなり長期間にわたって続くと見られる。
   住宅投資には持ち直しの兆しはないという。

【私の論評】黙っていても、景気が上向き税収増加傾向になるのに、増税論議のでる摩訶不思議?日本の政治家は、主婦感覚か?
岩手県で、景気が上向いていると事実、やはり、マクロ経済学で教えるところと寸分もたがわず、経過が回復していることの査証だと思います。マクロ経済学というと、その中身を良く知らない人が、現実の経済などから乖離しており、現実を説明できないものの代名詞のように言う人もいます。

しかし、その定義すら良く判らないでこのようなことを言う人々があまりにも多いことに慄然とさせられることがあります。だから、ここでは、一応定義をあげておきます。今回は、wikipediaからコピペしておきます。
マクロ経済学は、経済学の一種で、個別の経済活動を集計した一国経済全体を扱うものである。 
マクロ経済変数の決定と変動に注目し、適切な経済指標とは何か、望ましい経済政策とは何かという考察を行なう。その主要な対象としては国民所得・失業率・インフレーション・投資・貿易収支などの集計量がある。またマクロ経済分析の対象となる市場は、生産物(財・サービス)市場、貨幣(資本・債券)市場、労働市場に分けられる。対語は、経済を構成する個々の主体を問題にするミクロ経済学。 
なお、マクロ経済とミクロ経済との二分法を最初に考案したのは、ノルウェーの経済学者ラグナル・フリッシュ。「ミクロ経済学」と「マクロ経済学」の用語をはじめて用いたのは、オランダの経済学者ウルフ。要するに見方が、異なるのです。 
特に、ミクロとマクロとでは、見方が全く異なるということとです。特に、両者のうちマクロを理解しない人はあまりにも多すぎます。これが、一般の人なら、別に良いのですが、政府の閣僚などが理解しない人が多く、たとえば、この無知を財務省などの官僚に利用されているというのが、今の政治家のほとんどといっても良いと思います。

上のミクロと、マクロ上の説明ではわかりにくいかもしれません。誤解されるかもしれないことを承知で本当に解りやすく、言ってしまえば、最も、大きな違いは、特にお金ですが、 ミクロ経済では、お金は天下のまわり物ではなく、一度、使ったり、消費などしてしまえば、それでおしまいですが、マクロ経済学では、文字通り、金は天下のまわりものという捉え方をします。

本当にこの簡単な理屈がわからずに、ミクロ的にしかもの捉えない政治家が多すぎです。こういう政治家は、たとえば、国のお金を岩手県に注ぎ込めば、それで、注ぎ込んだお金は、消えたものとみなします。

しかし、これは、マクロ経済からみれば、全く違います。マクロ経済では、お金は天下のまわり物とみますから、政府が一度岩手県にお金をつぎ込んだとしても、それで世の中から消えてなくなるわけではなく、国という単位でみれば、存在しているわけです。

このお金が、被災者の人々にも何らかの形で、まわり、そのお金で、被災者の方が消費をします。消費したお金が、他の被災者の方の懐に入ります。また、消費がはじまります。これが、繰り返されます。そうなると、被災者の方に、仕事ができます。そうして、仕事のできた人たちは、働き始め、新たな富をつくりはじめます。その富を被災地ばかりではなく、他県や、場合によっては、他国に売るようになります。そうなると、最初国が投下したお金よりも、多い富ができあがり、被災地も普通の地区と同じような経済の状況となります。そうして、無論増税などしなくても、税収が増えます。

しかし、ミクロ的な見方しかできない人は、このような見方はしません。あくまで、政府は、政府、企業は、企業、被災地の人は被災地の人とみなします。これは、ある意味、一般家庭の主婦のようなものです。一般家庭であれば、世帯の収入は、旦那さんが働いて得た賃金と、自らかパートなどをして得たお金だけであり、それを使ってしまえば何もなくなると考えます。

このような見方しかできなければ、確かに、岩手県などに復興のため大枚をはたいてしまえば、大変なことで、その大枚は、雲散霧消するわけです。ですから、何が何でも、最初に財源を考えておかなければならないわけで、いくら探しても財源がなければ、増税をするというのは、当たり前の真ん中です。

このような、ミクロ的な見方しかできない人からすれば、金は天下のまわりものなどという考え方は、大きな間違いであり、みるからに、胡散臭いインチキ話のように見えるのだと思います。

これは、国についても同じことです。ミクロ的な見方しかできない人は、景気が悪いときに政府が大規模な財政出動をすれば、そのお金は消えてなくなったものとみなします。しかし、現実は、国単位では消えているのではなく、先の被災地のように消費が増え、雇用が増えさらに、消費が増え、そうして景気が上向き、経済活動が増えた結果、増税しなくても、税収が増えるわけです。

景気が悪いときには、政府が財政出動し、金融緩和をし、減税をする。景気が良いときには、政府が緊縮財政をし、金融引き締めをし、増税をする。大規模な自然災害などのときには、その財源は、増税などでまかなわず、国債などであてるというのがマクロ経済の原理原則です。この原理原則は、やり方や、運用方法は、時と場所によって、異なりますが、今でも変わりありません。

むろんこれは、教科書的に書いているのであって、現実はそんなに簡単なものではありません。しかし、方向性としては、いまのところ、いつの時代でも、どこの地域にもあたはまる原理・原則です。景気が悪いときに、緊縮財政をし、金融引き締めをし、増税をした国は、古今東西どこをみまわしても、うまくいった事例は見当たらないと思います。

このような考え方しかできないというのが、現在の民主党の閣僚のほとんどと、自民党の谷垣さんなのだと思います。そうして、このような考え方から逸脱したミクロ的考え方は、手をかえ、品をかえ、財務省などから、吹きこまれていて、すっかり信じこんでいるのだと思います。これに関しては、財務省と新聞社の利害が一致しており、新聞も、こういった考え方を広めるために大きな役割を担っていることを数日前のこのブログに掲載しました。


「米国債はデフォルト危機」と大騒ぎする日本の新聞は「財政破綻」「増税」は好きだが、自分たちだけ「軽減税率」求める浅ましさ ―【私の論評】消費税率アップが、新聞業界と財務省の共通の利益だが、アメリカの利益にはならない!!


詳細は、上の記事を読んでいただければ、お分かりになると思いますが、あの日本の国の財政破綻という話も、いろいろと話を巧妙につくっているだけで、結局は、上記のマクロ経済をすっかり無視した、ミクロ的見方をしているにすぎません。これに関しては、上記の記事を読んでいたたげれば、良く理解できますので、是非ご覧になってください。

もう、こんな簡単な話には、ごまかされるようなことは願い下げですね。しかし、こんなことに惑わされる閣僚なども、本当に困ったものです。こういう人たちは、企業経営で必要な、PLも、BSも、キャッシュフローもみえず、経理担当者に惑わされているトンチンカンなことをいう経営者と何もかわりません。

今の財務省はまさしく、このような経理担当者のようなものです。たとえば、キャッシュフローがたくさんあるのに、利益がないと大騒ぎするとか、また、逆にキャッシュフローがないのに、利益が膨大にでているようにするだとか、あるいは、BSの一項目をもって、左右のバランスをみずに、危機的状況にあると騒ぎ立てるとか・・・・。そうして、自らの保身や、自らの利益ばかりをはかる近視眼的な経理担当者のようなものです。本当に、困ったものです。

ミクロ的な見方しかできないような人は、政治家としてはふさわしくありません。もう、現役から退くべきです。馬渕さんが、増税反対の立場で、民主党の代表選にでる覚悟を決めたようです。ただし、馬渕さんも、増税しないというだけではなく、きちんと、マクロ的見方ができるなら良いですが、単に今のタイミンクででは、増税しないほうが良いという程度の認識しかない人なら、願い下げです。今は、良いかもしれませんが、いずれ増税すべきときに、増税しないどころか、減税を行うようなことになりかねないからです。今後経済でも、安全保障でも、マクロ的考え方のできる人が、政治家になるべきと思います。このような世界の常識ともいうべきまともな感覚を備えている人が、政治家になるような政治風土を日本でも形成していくべきと思います。

いずれにせよ、国でも、企業でも、個人でも、すべての事柄についてバランス感覚が重要です。あるゆる意味で、バランス感覚に欠ける人は、人の上に立つべきではありません。

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2011年7月28日木曜日

ちょっと肉屋で不思議な出来事があったので報告いたします―【私の論評】牛肉をめぐる最近のことども?日本人には覚悟が必要?

ちょっと肉屋で不思議な出来事があったので報告いたします

レディ・ガガの牛肉のドレスは話題になったが、日本では、
セシュウムで汚染された牛肉がみつかり、パニック気味だ
今回は、知人のインターネット系ニュース記者から聞いたお話をお伝えしようと思います。以下は、その記者が話していた実話です。2011年7月の出来事とのこと。それではどうぞ。

とあるデパートの地下食品売り場で牛肉を買いに行ったのですが、いつも100グラム900円前後で売られているローストビーフ用和牛が、なぜか100グラム400円で売られていたのです。ほぼ半額です。100グラム900円の肉なんて手が出ませんから、いつも眺めているだけでしたので、急に400円になって驚きました。

私からすると400円でも高いのですが、「いつかは食べてみたい」と思っていたので買っちゃおうかなと思いました。でも待って? これは900円の肉と別物なのでは? そう思ったので店員に「この400円のお肉は、いつも900円のお肉ですか?」と聞いたところ、「はいそうです」とのことでした。やはりあの高級和牛だ!

でも「セール品」とも「おつとめプライス」とも書かれていません。閉店前の割引価格でもありません。もしかしてセシウム騒動が関連しているのでは……? でもお肉屋さんに「セシウム騒動が関連してるんですか?」と聞く度胸はありませんでした。なので「どうして安いんですか?」と聞きました。

するとお肉屋さんは「特に意味はないのですが、お求めやすい価格にしています」とのこと。さらに「いつ元の価格(900円)に戻すかわかりません」とも話していたので、一時的なのでしょう。現に、数日してから同店に行ってみると900円に値が戻っていました。900円の和牛がセールでもないのに400円になり、そしてまた900円に戻ったのです。5年以上前からこのお肉屋さんに行っていますが、このような急激な価格変動は、私は初めてでした。

美味しいお肉をお安く買えるのはとても嬉しいのですが、「セシウム騒動の時期に半額になった和牛」ということで、どうしても深く考えてしまうのが消費者としての本心です。いっそのこと「セールです」と言ってくれたほうが安心できたのですが……。セシウム騒動で牛肉が売れなくなり、仕入れ値がガクンと下がった可能性もあります。

さて、奮発して購入した400円の和牛ですが、美味しく料理していただきました。けっきょく、私はお肉屋さんを信じることにしました。セシウム騒動の影響で安全な牛も売れなくなってしまい、仕入れ値が下がったので安く売っている……、と思うことにしました。安全なのであれば、高級和牛を半額で買えたことは消費者の私からするとお得な買い物ができたので良かったです。
【ネタりかより】

【私の論評】牛肉をめぐることども。日本人には覚悟が必要?


このブロクの冒頭の写真は、昨年12日に米ロサンゼルス(Los Angeles)で開催されたMTVミュージック・ビデオ・アワードの授賞式で8冠に輝いたレディー・ガガ(Lady Gaga)だが、授賞式で着用していた生肉ドレスのものです。この少し前には、VOGUEにも上のような表紙が掲載され物議を醸していました。日本での牛肉事情とはあまり関係はないですが、同じ牛肉の話題なので掲載してみました

レディ・ガガのこの動きについて、動物愛護団体PETA(動物の倫理的扱いを求める人々の会)は、「食肉に感動した人よりも動揺した人の方が多いということを、誰かが彼女の耳元でささやいてやるべきだ。肉は死にたくなかった動物が虐待され解体されたもので、照明の下で時間が経つにつれ、腐った肉の臭いを発し、うじ虫の中をはい回っているようなものだっただろう」と非難しました。

ガガ本人はのちに、菜食主義者でもあるエレン・デジェネレス(Ellen DeGeneres)のトーク番組に出演し、この衣装には「多くの解釈がある」と説明した。同性愛者であることを公言して軍務に就くことを禁じた米軍の規定に反対し、同性愛の米軍人を支援する意味もあるといいます。

「菜食主義者を見下しているわけではない。私たちが信じるもの、そして私たちの権利を守るために闘わなければ、すぐに私たちの骨についた肉ほどの権利しか持てなくなる。私は一片の肉じゃない」

ちなみに、オバマ米政権は今月22日、自らが同性愛者であることを公言して軍に入隊することを制限する規制を9月20日から撤廃すると決めました。昨年12月の規制撤廃法の成立を受け、軍規律などに影響がないかを検証してきた国防総省が同日、撤廃を正式に受け入れました。規制撤廃は大統領選から掲げてきた公約の一つでしたた。

同性愛者の従軍を制限する規定はクリントン政権時代の1993年に導入された「Don’t ask、don’t tell」(聞かず、言わざる)と呼ばれます。同性愛者かどうかを問わないことで入隊を認める規定ですが、実態は同性愛者であることが判明すれば除隊を求められる差別規定とされてきました。

今回の制限撤廃を受けて、過去に除隊を迫られた同性愛者も再入隊を求めることができます。大統領は「ゲイやレズビアンであることだけを理由に愛国心のあるアメリカ人が排除されることはなくなる」との声明を発表しました。

さて、レディ・ガガのこの牛肉のドレスはかなりショッキングなものでしたが、最近日本国内で、セシュウムで汚染させれた、牛肉が発見されたというニュースは、ショッキングを通り越して、パニックに近いものになったと思います。

レディ・ガガがこのプロテストを思いついたのには、牛肉がかなりアメリカの人の生活に密接に結びついているものということもあると思います。日本でも、牛肉といえば、かなり生活に密着したものになっています。毎日のようにとは思いませんが、誰でも、たまには美味しい牛肉を食べたいと思っているに違いありません。

ただし、日本では、牛肉に関しては、アメリカほど生活に根付いていないので、レディ・ガガのような牛肉のドレスを着たとしても、プロテストしているなどとは見られないでしょう。さらに、牛肉に関しては、悪いイメージもあります。あのBSE騒動を覚えているかたも多いと思います。

BSE事件は、2001年9月10日に千葉県で BSE の疑いがある牛が発見されたと農水省が発表。10月に食用牛の全頭検査が導入されるなどの対応がされましたが、翌年、雪印食品の産地を偽装した事件が混乱に輪をかけたこともあって、牛肉を扱う一部の食品・飲食店業者・外食産業企業などに大きな打撃を与え深刻な社会問題となりました。

また、アメリカでもBSEが発生していて、そのためもあって、日本では、2003年12月時点で、牛肉輸入を禁止しました。その後、全頭検査をして認める形をとっていて、現在に至っていることは皆さんご存じだと思います。ただし、結局いまのところ、日本国内では、BSEの罹患者は一人も見つかっていません。

さらに、今年は、あの牛肉の生肉をつかったユッケで食中毒で人が死亡しました。

その後アメリカでは、牛肉が生活にしっかりと根付いているせいでしょうか、牛肉の消費が特に減っているということはないです。

BSE問題が起きて、アメリカ牛を日本が購入しない事がアメリカの肉生産者を打撃するという報道を見たように記憶しているが、実態は異なります。

実はアメリカの肉国内消費量は生産量を上回っており、輸出しなくても国内でまかなえると言う。以下の数字を見てもらいたい。以下は、2005年の数値です。
アメリカ 生産量11560<消費量12986
輸入量1679>輸出量284 
カナダ  生産量1570>消費量1040
輸入量100<輸出量625 
オーストラリア  生産量2170<消費量794
輸入量7<輸出量1400 
日本   生産量505>消費量1131
輸入量625<輸出量ー 
(単位 千トン~週間ダイヤモンド)
上記を見れば明らかなようにアメリカの肉消費はむしろ輸入に頼っているくらいです。正確には自給自足しています

しかも他国に比べて消費量は10倍強です。日本人が肉をよく食べるようになったと言ってもアメリカの1/10、人口比でも1/5です。いかにアメリカ人の食生活が肉に依存しているかがわかります。さらにBSE問題はアメリカ政府が言う事を聞かない日本に対して圧力をかけてきただけで、実質日本からノーといわれてもこたえないだけの需要基盤をもっていたことになります。

日本人が年間に食べる牛肉量は年間12kg、1ケ月では1kg。牛肉国として知られるアメリカ、オーストラリアの約3割前後となっています。牛肉を最も食べる国民が多いのがアルゼンチンで、日本人の約6倍の量を食べ、牛肉が主食化しています。一方、日本の牛肉輸入はアメリカ、オーストラリアに二分されています。

日本人は、まだまだ消費量が少ない牛肉です。だからこそ、今回の放射能汚染もあの程度の騒ぎで住んだのだと思います。

これが、米だと、事情が違いますね。米は、日本人とは、切っても切れない縁がありますから、もし、米から放射能が発見されれば、大パニックになると思います。

今のところ、今流通している米は、原発以前のに収穫されたものばかりです。今秋には、原発事故以降初めての米が流通することになります。それに、野菜などは、もう、原発以降のものが主流だと思います。

そうなると、ありとあらゆるものに放射能が含まれるという事態が予想されます。その意味では、日本人には、そうなっても慌てふためくことのないよう、覚悟を決める必要ガあると思います。慌てても、仕方ないです。

このブログの記事にも掲載したように、あのチエルノブイリの被害にあったベラルーシのように放射能に対する対処は十分にして、あとは、覚悟を決めて、パニックに陥ることだけは避けたいものです。小売業界や、ファストフードでは、従来からそうでしたが、最近でも、鶏肉に力を入れいることは、以前このブログにも掲載しました。これも世相を反映してのことだと思ます。

でも、人間って、以外としぶといですから、アメリカ人がBSEの直後であっても、牛肉の消費量を減らさなかったどころか増えたように、日本も、米などの消費量が増えるかもしれません。そうして、私として、変にパニックに陥るよりも、このほうがよほど良いと思います。

このブログの冒頭に掲載した、安い牛肉があったので、店員さんの言うことを信じて購入したというのがやはり正解です。こんなときに老舗のデパートまで疑っては、きりがありません。ひよっとすると、今は牛肉の値段が下がって、いままでは食べることできなかったような高価な牛肉を食べるチャンスかもしれません。アメリカでその後BSEの罹患者が特に増えたかといえば、そんなこともないようです。変にパニックをおこすとか、販売店のことをうたがてみるよりも、落ち着いた態度が良いと思います。


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2011年7月27日水曜日

大人たちの間で超難解な数学が密かなブームに―【私の論評】このブームが行き着く先は?

大人たちの間で超難解な数学が密かなブームに

最近の数学ブームをつくりだした書籍
子どもの理数離れとは裏腹に、今、大人たちの間で数学がブームになっている。

以前は文系講座が主流だったカルチャーセンターでも、最近「数学I」「微分積分」などの数学講座が人気。

「理系講座には人が集まらないのではと心配しましたが、実際は大好評でした」(工学院大学・朝日カレッジ講座企画担当 新海太郎氏)

受講者層は二十〜八十代と幅広い。

「昔ちゃんと学んでなかったから、など学び直し目的の方が多い印象です」(同前)

学び直しを後押しする書籍も多数出版されている。昨年七月に発行された数学解説書『もう一度高校数学』(日本実業出版社)は「難問は避け、基礎を理解しやすい構成にしたところ、現在までに五万部を記録。弊社の他の数学書の倍以上の売れ行きです」(同社第一編集部 生田敏郎氏)。

〇七〜〇九年にかけて、数学をテーマにした小説『数学ガール』(ソフトバンククリエイティブ)も出版された。高校生が、高校数学やフェルマーの最終定理などの難問に挑戦していく物語で、小説自体はライトノベル風だが、数学的にはかなり難易度が高い。

http://bunshun.jp/shukanbunshun/thisweek_life/100729_2.html

【私の論評】このブームが行き着く先は?


映画『博士の愛した数式』のヒットを受けて、書店には数学に関する書籍が多く並べられるようになりました。入門書もあれば、数学の難問と呼ばれる問題について書かれた本もあります。映画の中で、博士がこよやく愛した“オイラーの公式”に関するものも数多く出まわっています。

それ以外にも、“フェルマーの最終定理”、地図を塗るときに必要な“四色問題”、まだ解き明かされていない“ポアンカレ予想”、素数に関する“リーマン予想”などなどです。

映画『博士の愛した数式』に関しては、ご存じの方も多いと思います。これは、2006年1月21日公開。第18回東京国際映画祭特別招待作品、芸術文化振興基金助成事業作品です。

「私」の視点で描かれた原作に対し、映画では中学校の数学教師になった29歳のルート(原作に準ずれば教員生活7年目)が、あるクラスの最初の授業で博士との思い出を語るというものになっています。また、原作では深く描かれなかった博士と未亡人の関係についても触れていること(二人が不義の関係にあった事を窺わせる叙述)などの違いはありますが、原作をほぼ忠実に映画化しています。

あらすじを簡単に紹介しておくと、「家政婦紹介組合から『私』が派遣された先は、80分しか記憶が持たない元数学者「博士」の家だった。こよなく数学を愛し、他に全く興味を示さない博士に、「私」は少なからず困惑する。ある日、「私」に10歳の息子がいることを知った博士は、幼い子供が独りぼっちで母親の帰りを待っていることに居たたまれなくなり、次の日からは息子を連れてくるようにと言う。次の日連れてきた「私」の息子の頭を撫でながら、博士は彼を「ルート」と名付け、その日から3人の日々は温かさに満ちたものに変わってゆく・・・」というものです。

これ以上、紹介すると、これから、書籍を読んだり、映画をみたりする人には、最初から手品の種明かしをするようなものなので、やめておきます。

それにしても、現在どうして、このようなブームが起こったのか、本日は、その話を掲載しようと思います。

この数学ブームについて、いくつかみてみましたが、ITプロに「数学ができた人の復権」という記事の中に、日経の吉次弘志経済金融部次長の意見として以下のようなことが掲載されていました。
景気もいまひとつぱっとせず、政治も混迷し、グローバル化の進展で今まで頼りになった会社や地域社会などもガタガタになった。そんな不安が絶対確実なものの代名詞、数学への憧憬につながり、静かなブームを生んでいるのかもしれない。
一方この記事を書いた、記者は、また別の見解を述べていました。
数学書が売れている理由を自分なりに考えてみたが、記者になって脱落したとはいえ、もともと数学の世界にいただけに、客観視することが難しい。「数学書が本来売れるべき数量に達しただけ。ようやく普通の状態になったわけで、ブームなんかではない」と思ってしまう。 
「どうにも好きになれない」「嫌い」と思う方々には失礼だが、要するに数学の成績が悪かったということだろう。人それぞれであり、数学が苦手だったことを恥じる必要はない。しかし、数学ができて理工系に進んだ人、数学が好きな人に対して、からかうような態度をとることは慎んでいただきたい。念のため補足すると「数学ができない奴はダメだ」などと言うつもりはない。 
書いているうちにやや興奮し、話がそれた。要するに、数学は面白いものの一つであり、その面白さを解説した本が一定の冊数売れるのは当たり前であると言いたい。
この二つの意見、もっともだと思います。両方共、間違いではないと思います。本日は、NHKの「クローズアップ現代」でも、この、「数学ブーム」について、報道していました。この報道の中では、数学が苦手で挫折経験を持つ方が、“オイラーの公式”に挑戦して、この公式を証明したことが報道されていました。この番組の中ではほとんど報道されていませんでしたが、この方などは先の、日経の吉次弘志経済金融部次長の分析のような動機で始めたように思います。

一方、上記の記者のように数学の得意だった人については、上記のような考えを持つ人が多いのだと思います。このような二つの傾向があって、最近また、数学が見直されているのだと思います。そうして、これは、後のほうの記者の意見のように、ブームでは、終わらない可能性もあると思います。

このブームと似た様なことで、「もしドラ」という書籍が売れていることをこのブログに掲載したことがあります。その記事の中で、私は、「もしドラ」が売れる要因を以下のように分析しました。詳細は、当該記事を読んでいただくものとして、以下に分析の一部をコピペしておきます。
・・・・・・・・・・・(略)・・・・・・・・・・・・・・・・・
そうして、今までのように節約一辺倒に走るだけではなく、政府による社会的救済や、企業レベルの救済など当てにしていては、どうしようもないということに気づきはじめて、何とか自分でも何かやりたいとか、何かに取り組み少しでも、自分の身の回りから良くしていきたい、変えていきたいという気持ちに変わってきているのだと思います。ただし、多くの人が自分にはできるのかどうか疑心暗鬼なのだと思います。 
そんなところに、「一見非力に見える女子高生でも、闇雲に頑張るだけではなく、ドラッカーのマネジメント理論に従い正しい努力をすることによって、とてつもなく大きな成果をあげることができる」ことをテーマとした「もしドラ」が出てきたわけです。  
「もしドラ」はまさしく、そのような空気の世の中に、ぴたりと当てはまったのだと思います。ドラッカーのもともとの書籍だと、イメージ的に、経営者ということで、一般の人からすれば並外れた能力などをイメージさせて、とっつきにくく自分の身近な存在として考えられなかったものが、「もしドラ」の主人公は女子高生であり、しかもAKB48のメンバーということで、多くの人に親しみやすかったに違いありません。
この見方、扱っているものは、違うのですが、これは、先の、日経の吉次弘志経済金融部次長の意見と似通った所があると思います。

なぜそんなことになるかといえば、やはり、失われた20年というネガティブな期間があまりに長かったことと、それに、最近の政局の混迷などもかなり影響していると思います。これをみていると、誰もがどこかがおかしい、どこかが間違っていると感じるはずです。

ドラッカーは、問題についていかのようなことを著書に書いています。
あらゆる問題が四つに分類できる。第一が、一般的な問題である。第二が、自分にとってははじめてという一般的な問題である。第三が、真に例外的な問題である。第四が、例外的に見えながら一般的な問題のはじめてのケースである。 
一般的な問題は一般的な解決を必要とする。それらの問題は、原則と方針によって解決しなければならない。状況に応じて原則を適用することで処理する。 
もちろん、例外的な問題は個別に処理しなければならない。しかし、真に例外的な問題というものは稀である。とくに組織が直面する種類の問題は、ほとんどすべてどこかの誰かが解決したことのある問題である。したがって、ほとんどの問題は原則と方針を適用することによって解決できる。最も多く見られる誤りは一般的な問題を例外の連続とすることである。
私は、昨日のブログでも、現在の増税問題に関して掲載して、最後にこのように結びました。
最も、まずいのは、原理原則に則って解決できる問題を、財務省とか新聞社などが、喧伝するように、日本だけの特殊事情とみて、場当たり的に解決することだと思います。多くの人に、あさましい人々の意見に惑わされず、自らの見識を持っていただきたいものです。それに、あさましい学者の方々には、今からでも遅くありません、真実を語ってほしいものです。
確かに政治でも、会社の仕事でも、本当に例外の問題というものは存在しているとは思います。しかし、それは、そうそう頻繁にあるものではありません。世界中の事例をみたり、過去の事例をみたりすれば、いくらでも似たような問題の解放のしかたはあるでしょうし、それらは、原則と、方針を適用することでほとんどが実務的に解決することができるはずです。

そのことに、多くの人が気がつきつつあり、その気づきの結果として、「もとドラ」や「数学ブーム」などがあるのではないかと思います。

ところで、私は、以前、「もしドラ」と「コクリコ坂から」が、このブロクで、非常に対比的あることを指摘しました。手短に掲載すると、「もしドラ」は、一見非力に見える女子高生が、ドラッカーのマネジメントを駆使することで、野球チームをマネジメントすることで、甲子園にまで連れて行くというストーリーです。一方「コクリコ坂から」は、「もしドラ」と同じように女子高生を主人公とはしていますが、このストーリーの時代背景は、高度成長期の60年代の日本であり、作者らは、「時代の応援歌」という位置づけを公表していますが、そこには、今の時代に通用するような理論なり、物の考え方があるわけででも、何の具体性もなく、単なる応援歌というものです。

これらの対比から、私は、以下のことを見れば、これからの時流を見抜けると考えました。その部分を以下にコピペしておきます。
『もしドラ』の映画のほうが、圧倒的に興行成績が良くて、この種の映画では考えられないくらいの興行成績をあげて、「コクリコ坂」が良くなければ、上の推論はかなりあたっているということです。世相は変わっていくということです。とにかく、世の中を変えていこうという機運が顕著になってくるということです。 
その逆で「コクリコ坂」が圧倒的に興行成績が良くて、過去のジブリ映画のヒット作と比較しても遜色がないとか、それを上回る興行成績をあげて、『もしドラ』が良くなければ、上の推論は外れたということです。そうです。まだまだ、日本の世相は、上の推論のような状況にはなっていないということです。多くの人、特に中高年以上の層は、過去のノスタルジアに浸り、それ以下の人々はまだまだ、節約に走るだけで、新たな動きは出てこないということです。
さて、「もしドラ」は、映画では、前評判は芳しくはなかったものの、興行収入は初動で1億8000万と決して悪くはないものでした。ただし、映画自体の評判はあまり良くはないです。「コクリコ坂から」はまだ、興行をしはじめたばかりです。

「コクリコ坂から」は、定評あるジブリ映画ですから、それなりの成績を収めることでしょう。こんなこともあって、両者から時流を極めることは、かなり困難なことになると思います。

しかし、そんなところに、数学ブームが起こっており、この趨勢を見極めることも時流を見る一助になるものと思います。

このブーム再度、分析すると、やはり、世の中今世紀に入ってから、ドラッカーの言ったように、知識が富の源泉とされる知識社会に入ったのだと思います。こうした社会では、やはり、問題(トラブルではなく、クエスチョンという意味で)を正しくとらえ、解決する力が問われているのだと思います。

多くの人がそのことに気づきはじめ、「もしドラ」はマネジメントの原理原則を、「数学ブーム」は問題を解く際の原理原則をという具合に、どちらも原理原則を適用することにより、一般的問題をすばやく解決するためということで、多くの人の支持を得るようになったのだと思います。

数学ブームに関しては、今のところは、数学の問題ということにばかり重点がおかれているようですが、数学を含めて、人々のの関心は、ものの考え方の基本に進んでいくのではないかと思います。

知識社会にはいった現在、ものの考え方の基本をおさえていれば、これほど力強いことはないと思います。昨日も、経済の基本を考える上で原理原則となる経済をマクロ的にみる見方について掲載しました。これがないので、いまの政治家は、本当に右往左往して、完璧に原理原則から逸脱した行動をしています。

しかし、原理原則を知っていれば、具体的なやり方には、いろいろなやり方がありますが、方向性としは、はっきり定めることができます。そうすることによって、発言や、行動にも、自信と確信がうまれてきます。やはり、原理原則を学ぶということは、時代をこえて、空間をこえて重要なことです。これに対して、原理原則を知らない人は、いつも揺らいで自信がありません。

ドラッカーは、問題の設定に関しての重要性を指摘しており、問題を設定するには、まずは、自ら意見を持ち、その意見を検証することの重要性や、さらに、事実を分類することなどが重要であることも説いていますが、本日は、これは、本題ではないので、また別の機会に改めて掲載します。

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