2011年9月14日水曜日

フジテレビのドラマで日本を罵倒するスラングが映される 意訳「日本 ファック!(by フジ)」―【私の論評】韓国はものすごい勘違いをしている?!!

フジテレビのドラマで日本を罵倒するスラングが映される 意訳「日本 ファック!(by フジ)」

フジテレビで放送されているドラマ『それでも、生きていく』という番組の中に日本を罵倒する一場面があったとして問題になっている。その場面とは雑誌がゴミ箱に捨てられているシーンでその雑誌の表紙に「JAP18」と書かれているのだ。

JAP(ジャップ)とはもちろん日本の事なのだが、今は日本のことをジャップと呼ぶのは蔑称扱いとなっている。それだけならいいのだが、そのあとに書かれている「18」が大問題だ。この「18」は韓国では「シッパル」と発音し、これに似ている発音の「シッバル」というものがある。この「シッバル」は「この野郎」や「FUCK YOU」という意味を持っているもので、韓国では「18」そのものをスラングとして使うこともある。

つまり「JAP18」を意訳すると「日本 ファック!」ということになる。こんなメッセージをこっそり残したフジテレビは何の意図があるのだろうか。デモに対する報復なのだろうか、それとももっとデモして欲しいという煽りなのだろうか。

ちなみに「シッパル・ニョン」で「糞女」という意味になり、ほかにも罵倒する言葉は「イセッキ(=この野郎)」というものがある。

フジテレビはドラマ『イケメンパラダイス』にて「Little Boy」と書かれたシャツを着て問題視された。もうここまで連続すると意図的としか思えないくらい反日的な感情が見えてくるフジテレビの体制。

今のネット社会でコッソリ仕込めばバレることくらい容易にわかるだろうに……。それとも「JAP18」にほかの意味があったのだろうか。

【私の論評】韓国はものすごい勘違いをしている?!!
この出来事、ひじょうに残念です。しかし、ここまで、いろいろな状況証拠が整えば、これは、意図して意識して行ったものだと思います。しかし、こんなことをして何になるというのでしょうか?全く意味がないです。このように多くの人が気づいて、YouTubeなどにも掲載するから理解するのでしょうが、こういうものを見ない人は、だれも気づきません。古代ギリシャの命題に、次のようなものがあります。

「人里離れた、山奥で、一瞬にして大木が倒れたとする、無論、そばに人がいれば、誰もが、その音に気付く、しかし、誰もいない場合、この木は、本当に倒れたといえるのだろうか」というものです。答えから、言ってしまえば、この木は倒れたことにはなりません。そうです。知覚されないものは、この世に存在しないのと同じことなのです。

私が、言いたいことは、もうお分かりでしょう。確かに、YouTubeなどで、日本蔑視的なことはわかりますが、かといって、こんなことをしたからといって、わかるのは、何らかの意図で、日本人を蔑むような意図があるらしいということであり、本当の意図はわかりません。誰にも、知覚できません。

おそらく、これは、フジテレビの関係者、それも、韓国系もしくは、韓国シンパの方がやったことだと思います。しかし、この方の意図は誰も知覚できないということで、ないのと同じということです。

さて、このようなことがおこるということは、何らかの形で、韓国の意志が働いていると思います。それにしても、幼稚です。

それに、韓国や中国、政府に操られているという側面もあるのでしょうが、何か大きな勘違いをしていると思います。韓国は、このブログにも掲載したように、実質米国経済植民地という状況にあります。この状況は、日本にいやがらせしたり、反日的な態度をとったからといって是正されるわけではありません。

最近フジテレビに対する大規模なデモがあったり、確かに、いらついたり、激昂しやすくなる気持ちになることは良くわかります。しかし、それに関して、日本に責任はありません。責任は、半分は、アメリカにそうして、もう半分は、そうした状況を招いた韓国民にあります。日本は、戦争責任すらありません。韓国というか、朝鮮と日本は、一度も正式に戦争したことはありません。日本の植民地なったことは事実ですが、それを、今の尺度で考えて、侵略とするのは、全く飛躍であり、事実ではありません。

こうした韓国の歴史上の真実に関しては、このブログには、何回も掲載してきたので、ここで、さらに詳細を解説することはしません。

最近、たとえば、韓国資本が、日本の放送関係の会社を含む、様々な会社に入り込んでいるようですが、これを通じて、日本を弱体化しようという意図が背後にあるようです。しかし、日本を弱体化することは、韓国などの国にとって良いことなのでしょうか?私は、逆だと思います。

たとえば、経済的に日本を完璧に弱体化することに成功したとします。それで、何がおこるでしょうか。日本のマスコミもこのようなことを報道はしませんが、もし、日本が財政破綻でもしようものなら、大変なことになります。まず、世界中の株は、紙切れになるでしょう。日本は、世界に一番どこよりも、金融資産を貸し付けてい国です。さらに、日本人の個人の金融資産は、リーマンショックで、アメリカ人の資産が大きく目減りしたにもかかわらず、ほとんど変わらず、よって、アメリカとほぼ同じになりました。

だから、マスコミは、なせが報道しませんが、もし、日本が、財政破綻したとして、世界からひっそり日本だけが消えてなくなるようなことはありません。そうなれば、あの大恐慌をはるかに上回る規模での大世界恐慌になります。人類が今まで、経験したどのような不景気をも、上回るハイパー大不況になります。今や、グローバルな時代ですから、日本のマネーは、世界中にいろいろな形で組み込まれています。アメリはもとより、韓国だって、EUだって、日本のマネーが組み込まれているわけです。

そんなことになれば、韓国はどういうことになるかといえば、もう、皆さんお分かりですね。石器時代に元通りです。それは、韓国だけではないです。世界中のかなりの国々が、そうなります。北朝鮮にいたっては、石器時代よりも前の未開の社会になるかもしれません。そうなれば、中国だって、大変なことになります。アメリカは、完全に金融破綻です。EUも金融破綻するでしょう。よほど、未開の地で文明とは無縁な国でない限り、かなりの打撃を被ることになります。

だから、反日などという馬鹿なことを考えていないで、自分の国をまず何とかするべきです。日本だって、明治維新からすぐに、欧米列強と全く同じ土俵に乗っかったかといえば、そのようなことはありません。江戸幕府が日米和親条約や日米修好通商条約で長崎、下田、箱館、横浜などの開港や在留外国人の治外法権を認めるなどの不平等条約を結ばされ、明治初期には条約改正が外交課題となっていました。これを日本は、外交努力などで努力して、同じ土俵にのることができたのです。

これには、あの小村寿太郎氏などが、尽力したのは、有名な話です。韓国には、このような偉人ともいわれる人々はいないのでしょうか?また、韓国シンパの方も、本当に韓国のことを考えているなら、反日活動などするよりも、やるべきことが他にあるでしょう。一体韓国民の真の自立に動く、偉大な人物は存在しないのでしょうか?

今韓国がやるべきことは、それこそ、明治維新で、私たちの先達がいろいろ努力したように、まずは、米国の経済植民地の地位から、一刻もはやく、脱することであり、それなしに、韓国民の不満を解消する事はできないと思います。そうして、日本も、いつまでも、な戦後何十年などと言っているべきではなく、真の意味て独立すべきときにときに至っていると思います。というより、遅すぎます

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2011年9月13日火曜日

「頭が良い」の定義は変わる。ロジカルシンキングより“メタ思考”―【私の論評】あのドラッカーのマネジメントにでてくる、"真摯さ"の定義を巡って・・・・・・・・・・・・?!

「頭が良い」の定義は変わる。ロジカルシンキングより“メタ思考”



本日は、上の画像とは、一見何も関係ないようにも思える、思考法に関する記事を掲載します。これは、ダイヤモンドオンラインにでていた、興味深い内容のもので、私も、最近、思考方法で考えていたことがあったので、本日は、この記事の要約をまず掲載させていただきます。後で、私自身の論評など掲載させていただきます。
ビジネスパーソンなら、誰しも頭が良くなりたい、と思っている。しかし今日の「頭が良い」とは、一体、何のことだろう? 僕は「メタに考える力」だと思う。それは、「物事を一歩上の次元から見ること」であり、「本質に迫る」ことだ。このメタ思考とは何か?、そのために心がけるべき事は何か?を整理してみた。 
連載もそろそろ大詰めを迎え、ネタに困った僕は、五反田のブックファーストに向かった。最近の出版業界は、付録でもっているといっても過言ではない。 
宝島社の『スッキリ美顔ローラー』は、わずか2日で30万部の重版という記録を成し遂げたというし、結婚情報誌「ゼクシー」の付録には婚姻届がついてくるらしい。 
もはや出版社は、全国15000店もの書店流通網をつかって、文章の“おまけ”がついた「商品」をそのまま売ったほうが儲かるのではないか? ドラッグストアだって、本業の薬品ではなく、実際は食材の安売り販売で儲けているではないか? 
そんなことを考えつつ、ビジネス書のコーナーへ。相変わらず人が多い。ここには、英語の本に並んで、ロジカルシンキングなどの“思考系”の本がずらり。そうか、この分野のニーズは高そうだ。よし、では僕も一つ、「思考力」をテーマにコラムを書こう。5分で「頭の良くなる」(気がする)コラムのはじまりはじまり。 
■頭の良さとは知識や記憶力ではない
ビジネスパーソンなら、誰しも頭が良くなりたい、と思っている。しかし今日の「頭が良い」とは、一体、何のことだろう?知識があること?いや、Wikipediaやgoogle先生に聞けば、大抵のことがわかる今、昔のように「ウルトラクイズ」は流行らない。ハードディスクは外部化され、知識や情報は“つまみぐい”すればいい。記憶力(メモリー)が頭の良さか? 
これも違う。仕事に短期記憶(メモリー)は求められるが、情報の新陳代謝が激しい時代にそれは付加価値にはならない。では頭の良さとは何か?僕は、今日の頭の良さとは、「メタに考える力」だと思う。メタ(抽象的)に考えるとは、物事を一歩上の次元から見ることである。メタ思考の天才がいた。 
あるとき、イギリスのヴィクトリア女王がいよいよ香港の割譲を清の皇帝に迫った。清にはイギリスと戦う余力はない。さて、どうするか? 李鴻章は考えた。 
彼はヴィクトリア女王が派遣した英国大使に向かってこう言った。 「中国には、久久(キュウキュウ)という言葉がある。“永遠”という意味だ。だが、同じキュウキュウという発音で“九九”も指す。そこで香港を、キュウキュウ(永遠に、と同様の言葉である99年間)貸しだそう」ーー。 
久久(永遠)といえば、ヴィクトリア女王の要望に応えているし、九九(99年)の貸し出しであれば、清の最高権力者である西太后のメンツも立つ。彼は中国と英国の要望を同時に満たすことに成功した。 
では、李鴻章はどのように「考えて」この難局を切り抜けたのだろうか?彼は、まず「清」ではなく、その“上位概念”である「中国」のことを考えた。そう考えると清を残すより中国を残すことがより本質的であるとわかる。 
清は風前の灯火にあり戦う余力もないが、中国は100年やそこらでなくならない。そうであれば“99年間、貸し出す”≒“永久に渡す”という解決策はどうだろうか、と考えたのである。そこから、久久(永遠)と九九(99年)を掛け合わせるとんちが生まれた。こうして実際に清は、香港の割譲を逃れ、99年後の1995年に中国に返還されることとなった。 
今日、僕たちが抱える問題は、この李鴻章の問題と似ている。つまり、今日の問題の多くが「対立」をはらんでいる、ということだ。対立とは人が矛盾を望んでいる状態であり、矛盾とは、人がAとBの両者を成り立たせようとして「もがいている」状態である。だから問題解決とは、AとBを両者とも成り立たせるCの発見でなければならない。 
経営者の葛藤もいつもこの矛盾にある。守るべきは「人」か「利益」か、と言うときに、人を切って利益を出すのはある意味簡単だが、両者を同時に満たそうとするから経営者は悩むのである。経営とは要するに「矛盾を統合」する作業である。 
そんな矛盾の統合に、このメタ思考が役に立つ。メタ思考によってより上位から見つめた時に、隠れていた本質的な矛盾を初めて見抜き、その問題が発生している一次元上での“調和”を達成することができるのだ。 
アインシュタインも言うように、 「我々の直面する重要な問題は、その問題を作ったときと同じ考えのレベルでは解決することはできない。」

■物事の本質を押さえると応用可能性が高くなる
メタ思考によって、上位概念を考えるとは、もっと言えば、物事の“本質”に迫ることを意味する。本質には、「普遍性(応用がきくこと)」「不変性(時がたっても変わらないこと)」「単純性(シンプルであること)」という要素があるものだ。 
こういった本質を押さえると応用可能性が高くなる。たとえば、単語の覚え方に「語源」から覚える方法がある。例えば「Sub」の意味は、「下(の)」である。 
ここまでは知っている人も多い。しかし、さらに“本質”を考える人は、実はアルファベット1文字ずつの意味を知っている。 
例えば、“b”や“d”が「何を意味するのか」。“b”は存在や肯定、向上、成長などを意味し、“d”は欠乏や否定を表す。 
だから“b〜”が入っていれば、自然に「ああ、何か肯定的、前向きな意味なんだな」と感じることができるし、“d〜”とくれば「なんとなく、悪い意味が多いぞ」とわかる。
抽象性は高いが、本質的であるからこそ応用が利くのである。頭の良い人は、極めメタ(抽象的)な本質をいくつか押さえており、そこから枝葉末節の問題を難なく解決してしまうものである。

■情報流入を制限し思考量>情報量を意識する
しかし、本質に迫るという作業はたやすいことではない。常に考え続けなければならないからだ。ときには新聞を閉じ、テレビを消し、意識的に情報を遮断する時間が必要だ。
思考力とは筋肉と同じ。フィットネスが大事である。そういう僕自身も20代を通じて、ひたすら考えるということについて考えてきた。その結果、いくつかの「考えるコツ」というものを得たように思う。

■僕が心がけている思考の3つのコツ
思考のコツを三つほど紹介しよう。一つ目は、「すべてのものは有機的なつながりを持っている」という前提に立つことである。「世界は、ひとつである、違うように見えてすべては共通する」という前提にたって考えれば、自然に物事と物事の間の関係が見えてくる。すると物事の上位概念や下位概念、因果関係といったものが明らかになってくるのである。 
二つ目は、「すべては、らせん的に生成・発展している」と考えることである。らせん的に世の中が発展しているという考えは、弁証法の基礎である。すべてがらせん的に発展するという前提に立てば、過去の事象・現在の状態から、次にどの方向に行くか、どういうレベルで上昇・進化するのかを洞察できる。これは未来を推察するための大きな手がかりになる。 
三つ目は、ひたすら考えた後は、「考えるのを止める」ということである。自分自身の経験から究極的に「思考を完全に止めた後に、解が浮かび上がってくる」という状況があった。 
考えに考え、最後に思考を止めたときに、「答えが、自ずから浮かびあがってくる」のだ。それを考えると、本質解は、実は最初から「在る」のではないか、そしてそれに対する「気づき」を得ることの方が重要なのではないか、と思うようになった。 
僕自身はこのような思考の哲学をもって、いつも物事を考えるようにしている。こうした能力は、ちまたで流行っているロジカルシンキング(論理思考)とは異質のものだ。 
そもそも、思考とは、ものごとを抽象的にイメージで捉える力であり、直観や洞察に形を与える作業である。それを糊付けして人に伝えるツールが論理である。だから「論理思考」というものは実は存在しない。 
考えることは、人にとって辛い作業である。ということは、考えるという作業がある種の「意思」であることがわかる。情報の流れに逆らい、自分の頭を使って前提や常識に立ち向かう意思こそが、今の時代に求められるリテラシーだ。ああ、考える意思と努力こそが、日々凝り固まりつづける固定観念への最後の抵抗力となり、世界を自由にする翼なのだなぁ。そんなことを考えながら僕は、ビジネス書のコーナーを後にした。そして、「anan」のセックス特集を手にとって颯爽とレジへと向かった。僕にはこっちの方が必要 
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【私の論評】あのドラッカーのマネジメントにでてくる、"真摯さ"の定義を巡って・・・・・・・・・・・・?!
わたしは、以前このブログにも思考方法について掲載したことがあります。それは、論理的思考、水平的思考、統合的思考という三つの思考方法についてです。

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実は、この二つの記事、いかにも書評の体裁をとっていますが、「私の論評」のところで、述べているのはほんど私の考えです。たまたま、思考に関する書評についてある記事を見つけたので、それを材料として、自分の考えをまとめたという感じてす。

詳細に、ついては、上の記事を読んでいただくものととして、まずは、この記事にも掲載した、この三つの思考法の内容について、以下にコピペしておきます。
ロジカル・シンキング(理論的思考)
物事を広く深く考え、分析し、相手にわかりやすく伝えるために、問題を構造化する思考法のこと。これは、ビジネスの基本です。最低限、この思考法ができない人は、ビジネス・マンとはいえません。特に、新人では、こうした思考法ができない人が多いです。 しかし、こうした思考方法ばかりして、そこから、一歩もはみ出さない人は、発展性がないですし、人間的魅力も感じられませんね。 
しかし、まずは、こうした思考法を身につけるべきです。また、ロジカル・シンキングは、より上位の思考法である、水平思考や、統合思考の基礎なるものです。これができない人に、より上の思考をすることはできません。 
ラテラル・シンキング(水平的思考)
ある問題に対し、今まで行われてきた理論や枠にとらわれずに、全く異なった角度から新しいアイデアを生もうとする思考法のこと。英国のデボノが1967年ころ唱えた。ロジカル・シンキングだけでは、出てくるアイディアは、確実にできるものではあるものの、どうしても月並みなものになってしまいがちです。  
そんなときに、全く見方を変えて、新たなアィデアを出すのがこの考え方です。会社であれば、部長までのクラスの人は、この考え方ができなければ、今の時代は務まりません。 
インテグレーティブ・シンキング(統合的思考)
相克するアイデアや問題事項の対立点を解消することにより、より高次の第三の解答を見つけ出す思考法のこと。さて、理論的思考や、水平思考によって、いろいろなアイディアが浮かんできます。ただし、アイディアがたくさんあるだけでは、実行に移すことはできません。  
それどころか、混乱するだけです。ここで、数多くのアイデアを取捨選択、統合するとともに、実施すべき順番を考える必要があります。また、数多くのアイデアを束ねるだけではなく、一言で言い表したりして、誰にも理解できるようにして、さらに高次元にする必要があります。それが、統合思考です。経営者クラスはここまでできなければなりません。
さて、上の山口さんのいう、メタ思考とは、私の上の分類でいうと、『統合的思考』に当たるものと思います。

それから、私が普段何気なしにやっている思考方法に関して、山口さんの記事で非常に適合するする部分があるので、それも以下に紹介します。

メタ思考によって、上位概念を考えるとは、もっと言えば、物事の“本質”に迫ることを意味する。本質には、「普遍性(応用がきくこと)」「不変性(時がたっても変わらないこと)」「単純性(シンプルであること)」という要素があるものだ。

私自身、たとえば、報告書や企画書などを書くにしても、最終結論はかなりシンプルなものにまとめように心がけています。最近書いた、ものでは、結局最後は、「業務に学習経験曲線効果と、体系的破棄」を盛り込むというシンプルなものでした。 たしか、このようなシンプルなものは、あらゆることに組み込むことができます、応用が広く、社内のいろいろなことに適用できます。

情報流入を制限し思考量>情報量を意識する、ひたすら考えた後は、「考えるのを止める」
このあたりも、身に覚えがあります。企画を考えたりするときには、インターネットで情報を集めたり、本を読んだり、過去の報告書や、企画書を読んだり、外に出かけたり、ひたすら、情報を集めます。そうして、まずは、企画書の章立てを考えたりします。そのときには、大抵、バソコンのマインド・マップソフトを用いて行ないます。このときは、章立てだけではなく、各項目の中身も、キーワードのみ書いて行きます。マインドマップを使うのには、わけがあります、ある項目を上位にもってきたり、あるいは下に下げたりということが簡単にできるからです。

なるべく、章、大項目、小項目まで、キーワードを全部書くつもりでやりますが、どうしても書けないキーワードもありますが、とにかく書けるところは、全部書いてしまいます。そうして、とにかく、章立てが終わってしまったら、キーワードが抜けている場所があっても、まずは、そのままにしておきます。そうして、比較的小さな、内容の報告書などであれば、一晩寝て、次の日にキーワードをも入れて、その次の段階で、報告書を書き始めます。この時には、キーワードも埋まっていますからスラスラ書けます。

しかし、比較的長い内容の報告書、企画書の場合は、場合によっては、1週間も、ほったらかしにしておくこともあります。そうして、これとは、全く別のことをやるようにしています。そうして、1週間くらいして、また、キーワードなどが浮かんできます。場合によっては、この後も調べ物をすることもありますが、それも、かなりスムーズにいって、キーワードを埋め次第、報告書づくりにとりかかると、スムーズに行きます。

そろそろ本題に入りますが、あの経営学の大家ドラッカーは『マネジメン』という書籍の中で、組織の精神に関して、真摯さという言葉を用いて、以下のようなことを書かれています。ちなみに、これは、あの『もしドラ』の作者である、岩崎夏海さんも、『マネジメント』の中で最も感銘を受けた部分であると、独白しているのをテレビで見たことがあります。その部分をコピペします。実は、この「真摯さ」という言葉の中に、「統合的思考ができること」も含まれているのだと思います。
うまくいっている組織には、必ず一人は、直接手をとって助けもせず、一見人付き合いも悪いようにみえるボスがいる。この種のボスは、とっつきにくく気難しく、一見わがままなように見えるにもかかわらず、しばしば誰よりも多くの人を育てる。好かれている者よりもはるかに、尊敬を集める。一流の仕事を要求し、自らにも要求する。基準を高く定め、それを守ることを期待する。何が正しいかだけを考え、誰が正しいかを考えない。真摯さよりも知的な能力を評価したりはしない。このような素質を欠く者は、いかに愛想がよく、助けになり、人づきがいがよかろうと、またいかに有能であって聡明であろうと危険である。そのような者は、職業人としても、社会人としても失格である。 
真摯さを絶対視して、初めてまともな組織といえる。それはまず、人事に関する決定において象徴的に表れる。真摯さは、とってつけるわけにはいかない。すでに身につけていなければならない。ごまかしがきかない。ともに働く者、特に部下に対しては、真摯であるかどうかは二、三週間でわかる。無知や無能、態度の悪さや頼りなさには、寛大たりうる。だが、真摯さの欠如は許されない。
マネジメントにできなけばならないことは、学ぶことができる。しかし、学ぶことのできない資質、後天的に獲得できない資質、初めから身につけていなければならない資質がある。才能ではない、真摯さである。 
実は、真摯さという言葉については、なかなか意味を受け取れず、長い間、腑に落ちていませんでした。しかし、最近、統合的思考について、考える機会があったので、実は、この「真摯さ」という言葉の中に、統合的思考も含まれていること気づきました。以下にそれを掲載します。

真摯さとは、英語で〔マネジメント」読んで、判ったことですが、"intigrity"を翻訳者が意訳したものです。辞書をひいてみると、「清廉、 高潔、完全無欠」などを意味するようです。しかし、これは、単純に「まじめ」あるいは「品行方正」などと受け取るべきではないし、それとは全く異質です。「まじめ」で「品行方正」でありながら、清廉さ、高潔さに欠ける人間はいくらでも存在します。特に、「まじめ」だけの人間は、煮ても焼いても食えないと揶揄されるほどですし、マネジメントとしては相応しくありません。真剣さ度合い、本気さ、という言葉があてはまるものと推察します。能力が低くても、それは、マネジメントとして補うことはいくらでもできます。しかし、真剣さ度合いに欠けるものは、失格です。

また、真摯さという言葉の中には、統合的な考え方ができるかどうかも含まれるのだと思います。統合的な考え方といった場合、私の上記の記事では、アインシュタインが、自らの考えと、過去の先人の理論を一つに纏め上げて、それよりもはるかに上の次元の、相対性理論にまとめあげてしまったことや、糸井重里氏のような、ライターが、あるとあらゆる情報をまとめあげ、最終的に一つのキャッチにするなどの、かなり高級な事ばかり、引き合いだしましたので、自分とは全く無縁と考える人も多かったようてです。実際、購読者の中にも、そのようなコメントをされた方もいました。

しかし、そんなことばかりではありません、たとえば、何か商売をしていれば、たとえ、小さな商売をしていたとしても、クレームはつきものです。では、クレームを100%完璧になくすことは可能でしょうか。どんな場合にも、100%なくせというのなら、その方法は一つだけあります。それは、商売そのものをやめてしまうことです。そうなれば、クレームは絶対に発生しません。でも、これは、本来のあり方ではないはずです。まずは、商売をしていれば、ある程度クレームが発生するのは、当たり前のことです。ただし、その中身や、対処が問題です。

うまく対処すれば、お客様との間に強い信頼関係を築くことだって可能です。クレームをなくすにしても、ただ、クレームをなくせば良いということではなく、目の前のことだけではなく、他に考慮しなければいけないことは多くあります。それを総合的に考えることを統合的思考というのだと思います。

統合的思考の必要性については、他にもいろいろあります。

たとえば、最近、POSなどいろいろなところで使われるようになってきました。最近では、iPhoneや、iPadをPOSにしてしまう、かなり低廉なデバイスとアプリまで登場しています。今日、誰もが使えるようになったPOSでは、いわゆる死に筋商品といって、売れない商品を見出すことが簡単にできます。では、売れないからといって死に筋商品を単純に削り続けていったらどうなるだろうか。いずれ、店頭から商品がすべて消えて、商売ができなくなります。

店で売上があがらないからといって、人を単純に削ったらどうなるでしょうか。人を削れば、サービスが低下して、ますます、売上が減ります。売上が減ったからといって、さらに人を削る。これを何回かやっていれば、やがて、店から従業員がいなくなります。

あるいは、利益を得るために、単純に商品の品質を落としたらどうなるでしょうか。これも、何回か繰り返せば、利益どころか、お客様が離れていくだけに終わることになります。

自分の考えや自分の得た情報だけが、最善と思い込む者はマネジメントとしては失格です。組織という有機体を動かすためには、自分の考えや、巷に流れるさまざまな情報、他の人々の様々な考えを、統合して、一段階上のものにまとめあげる能力が必要です。自分の考えも含めて、いろいろな考えから、選択するだけしかできないというのなら、そもそも、マネジメントは失格です。これは、いわゆる、論理的思考、水平的思考とは別次元の思考方法です。論理的思考、水平的思考に優れたものが統合的思考に優れるとは限らないし、その逆もまた真です。

いずれにせよ、この統合思考もしくは、メタ思考という思考方法マネジメント、それも、特にトップマネジメントにとっては、重要な考え方だと思います。このような考え方のできない人は、上記の事例のような例にあたれば、平気で、店や会社を潰してしまうような意思決定をしてしまうのだと思います。だからこそ、職業人としても、社会人としても失格なのだと思います。

そうして、私は、この思考方法は、前は、高級なものと考えていましたが、そうではないことに気づきました。これは、成年に達するまでは、必ず獲得されていなければならない、考え方だということです。それは、最初から、大企業の経営者のように大規模なものではなく、普段意思決定をするときに、そうできなればならないという意味合いで、これができない人は、マネジメントとして最初から持っていなければならない、"真摯さ"に欠けているということなのだと思います。

そういわれてみれば、そのような人いますよね。いわゆる、"軽い"というやつです。あまりに軽い人は、結局は、一生軽くて、まともに統合的思考や、メタ思考もできずに、そのままでは、一生マネジメントしては失格というわけです。とにかく、小さなことでも、何でも良いのですが、とにかく、まずは、このような考え方をできるのであれば、良いのですが、全くできなければ、いかに愛想がよく、助けになり、人づきがいがよかろうと、またいかに有能であって聡明であろうと危険である。そのような者は、職業人としても、社会人としても失格であるということです。考えてみれば、ドラッカーは凄いことを言っているということです。

髪の毛をしばらくぶりにカットして、軽くなった女?中身が軽いわけではありません
考えてみれば、この能力は、アインシュタイン並のすごいことをする人だけか持っているわけではなく、普通の人だって持っているはずです。そうです、たとえば、断捨離ができる人は、その典型かもしれません。家庭の主婦で、冷蔵庫の中にほとんど余り物がなくて、的確に運用している人も、そうだと思います。考えてみれば、家族に飽きさせないで、日々料理をつくることも、統合的思考がなければできないことです。家庭料理を分析的思考で考えてもそれだけでは無理だと思います。水平的な思考でも、突飛なものはできるかもしれませんが、それだけではどうにもなりません。家庭料理は美味しいだけでは、失格です。政治家など、本来は、統合的思考しなければならないその最たるものですが、最近の政治家はそれができていないというところに問題があるのだと思います。

しかし、このような考え方は、先人たちの中で、必ずそういうことをしてきた人がいるはずであり、若い内にそういう人と接して、早い時期にそのような考え方を学ぶ必要があると思います。しかし、いまは、教育がそうはなっていませんから、若い人が会社に入ってきたら、具体例で、何よりも、これを最初に叩きこむ必要がありそうです。最近の若い人たちに関して、仕事などがあまりできない理由として、良く、コミュニケーション能力が低いといって、片付けている面が多いですが、私は、以前からそうではないと思っていました。むろん、それもあるかもしれませんが、本質は、この統合的思考が全くできないということに原因があるのではないかと思っています。

しかし、会社に入ったばかりの人は、マネジャーではありませんから、マネジャーになるために、このような考え方を身につけなければならないということです。これを身につけることさえできたら、マネジャーにしても良いということです。他の、知識や、社交性など、二の次ということだと思います。TOEIC何百点なんて後からでも良いと思います。これは、本当にそう思います。TOEICだけ、点数が良くて、英語が優秀なだけの人を海外に派遣しても、さしたる、成果はあげられないでしよう。まずは、とにかく、小さなことでも良いから、統合的な考え方ができる人を養成するのが、早道だと思います。このような人は、今は、小さなことかもしれませんが、どんどんそのような思考能力をのばしていけば、将来は、アインシュタインや伊藤重里さんのようになる可能性があるということです。 しかし、そのような考え方ができない人は、いくら頭が良く、聡明で、人づきあいが良くても、その可能性は永遠にないということです。





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2011年9月12日月曜日

ユーチューブが韓国を遮断 K-POP宣伝ツールに使った報い―【私の論評】なぜこんなにえげつない真似をするのか?それには、それなりのわけがある米国経済植民地の韓国!!

ユーチューブが韓国を遮断 K-POP宣伝ツールに使った報い


Googleが運営する動画共有サービス「YouTube」が韓国からのアクセスを遮断したと発表。「韓国」と設定されているユーザーは動画をアップロードすることができなくなり、また再生にも規制が掛けられ、再生数も反映されなくなるという。

■テレビの“韓流推し”疑惑 - サーチナ・トピックス

何故このような処置が執られたのだろうか? 実は韓国は国家ぐるみで自国K-POP推しをするために「YouTube」を使い、何百万回と再生数を上げているのだ。通常「YouTube」では同一動画において、1ユーザーにつき1回までしかカウントされないが、韓国ではツールを使い複数のアカウントを切り替え再生数を捏造している。

そのためブリトニー・スピアーズやアヴリル・ラヴィーンといった世界的トップアーティストよりも、少女時代の再生数の方が上になってしまっている。こういったアタック行為に対して処置が執られたという。

韓国は「ブランド委員会」というものがあり、このようなYouTubeの再生数を伸ばす仕事が実在する。もちろん韓国側は表だって認めていない。木村太郎氏がこの件を発言したところ、干されてしまったことは記憶に新しいだろう。この発言により韓国の「ブランド委員会」からクレームが入り、圧力が掛かったと言われている。

しかし今回のようにYouTubeに対策を取られてしまってはどうしようもない。今度はユーザーの設定国を偽装するツールを使ってでもアタックを仕掛けてくるのだろうか?(サーチナ:編集担当:金正一郎)

【私の論評】なぜこんなにえげつない真似をするのか?それには、それなりのわけがある米国経済植民地の韓国!!
上の記事、事実だと思います。なぜかといえば、丁度1週間ほど前に、YouTube musicをみていたら、トップの3つの画像の中の一番右の動画が少女時代でしたし、あと、動画をみていくと、K-popのものが目につき、何か非常に違和感を覚えました。半年ほど前までは、日本国内のYouTubeでも、これほどK-popが露出しているなどということなかったはずです。

K-popといえば、最近、K-popや、韓流ドラマを大量に流す、しフジテレビに対して、大規模な講義デモが何回か実施されています。このようなことをネットで見ていたので、このYouTube musicをみたときに、違和感もありましたが、少し脅威にも感じました。

いくら、テレビなどで、K-popを長時間にわたって、喧伝したとしても、まさか、それに扇動されて、YouTubeのユーザー、それも、日本のユーザーもこんなに見ていて、それが、トップページに影響を与えているなんてと、驚いてしまいました。

しかし、上のような事情があったんですね。少し安心しました。それにしても、これが本当だとすれば、韓国、やり方がエゲツないですね。YouTubeといえば、全部がユーザーなどの投稿によって成り立っているサービスです。だから、ここで、かなり多くの人に見られている動画など、Googleが操作したり、広告料をもらって、露出を多くしたりはしていません。

私たち、ユーザーもそれを前提として、YouTubeを見ています。私も、少し前から、動画で、音楽を見るようになりました。最近では、YouTubeに投稿される動画も、従来よりは、かなり画質も、音質も良くなりましたので、これを、AppleTV経由で、大画面のテレビで見ています。音も、かなり良くなり、Boseのスピーカーで聴いているので、音質的にもまあまあという感じてす。

それに、最近、YouTube musicでは、有名アーティストの動画には、専用ページをつくってあって、年代別に掲載してあります。それを、Vlogという、再生リストに登録すると、この専用ページのミュージックすべてを連続再生することができます。

これを言葉で解説しても、なかなか理解しにくいと思いますので、YouTube musicに関する動画を以下に掲載します。英語で解説していますが、感覚的には、理解できると思います。


最近、このようにYouTube musicを頻繁にみていることから、上記で書いたようにYouTubeの異常にはすぐに気づきました。

 このように、国を挙げての機関が再生数水増しをしているのだとしたら、このK-POP躍進に対し疑惑が深まることは間違いないです。

ちなみに、上の記事は、現時点でサーチナからは、なぜか削除されています。ネット上では、これはデマだとみるべきと意見も多数流布していますが、韓国では昨今、女優が悪質なデマに悩まされ自殺する事件が発生。その他ネット上で根も葉もない誹謗中傷が繰り広げられていたまし。これらを受け、韓国政府はインターネットに実名制を導入しました。しかし、Google側は、匿名性が前提である表現の自由が必要だ、として実名制を拒否。現在では、プロフィール欄の国籍を韓国としているユーザーに対し、動画のアップロードや投稿の機能を制限しているということもあります。

このようなことがウワサになるということは、みな嫌疑の目を持って韓流ブームを見ているからではないだろうか? 今年の初夏には、アメリカのニュース番組CNNが運営する「CNNGo」というサイトで「K-Pop taking over the world? Don't make me laugh」(意訳:韓流が世界中で流行? 笑わせるな)なる記事が掲載された。韓国アーティストの海外での活躍を韓国メディアがおおげさに取り上げていることから始まり、BoAやSe7enやジェイ・パクによる全米進出が成功しているように見えないことに言及。そして、アーティストたちが歌っている曲が、アメリカ人のプロデューサーによって作られていることに対して、本当にK-POPと言えるのかと、疑問を呈しています。

日本でも過去に、フリージャーナリストの木村太郎氏が情報番組『ミヤネ屋』(日本テレビ系)にて、ブランド委員会がK-POPを流行しているように見せるため、動画の再生数の水増しを広告代理店などに依頼していると発言。韓国が文化を伝播しようとする行為については認めるが、YouTubeなどを用いて流行っていないものを流行らせているかのように見せるのは詐欺まがいの行為と批判しました。そして、流行とはコンテンツ提供側がマスメディアと結託し、プロジェクトの一環として行っている。今回の行為も韓国政府が計画的にK-POPブームを作っており、実際には韓流ブームはない、などとも発言しました。

この発言が出た際、「中央日報」は韓国ネット民たちによる反論を掲載。そして国家ブランド委員会対外協力局の事務官からは、「国家が大衆文化をコントロールすることはありえない」とのコメントが出されました。その後、フジテレビは同番組中で木村の発言について謝罪しています。

今回の「YouTubeによる韓国遮断」はニュアンスを歪めて報道された。しかし今後、規制の効果から動画の再生回数などが著しく減ることがあれば、疑惑の目は強いものになるでしょう。次々にアイドルを来日させる韓国だが、もしKARAや少女時代が、国家ブランド委員会によるゴリ押しにより人気を得たとするならば、今後新たにK-POPアイドルが生まれることは難しいのかもしれません。

それにしても、各方面に、エゲツなく、徹底的に攻勢をかける、韓国ですから、フジテレビなどにも、攻勢を徹底的にかけまくっているのは、間違いないものと思います。フジテレビへの抗議デモでは、あの田母神さん主催で、田母神さんも参加していました。田母神さんが、抗議文書を渡そうとしたのですが、結局幹部クラスの人には渡すことはできずに、警備関係の人に渡したようです。下に、その模様を記録した動画を掲載します。


それにしても、数千人規模のかなり大きなデモであり、これに関しては、では海外メディアにも取り上げられましたが、日本のメディアでは、ほとんど報道されませんでした。

そうして、この抗議文に対する解答は、かなりふざけた内容だったようです。それに関しては、以下の動画をご覧になってください。


それにしても、フジテレビは、K-popや、ドラマなど、多数の版権を持っているようで、それを公共の電波使って、どんどん流しているという姿はやはり、かなり異常といえます。やはり、韓国による国ぐるみの、大攻勢があったのだと思うのが、妥当だと思います。

しかし、皆さん、この問題表面だけ捉えていては、本質を見誤ります。韓国が、個人レベルだけではなく、国ぐるみで、上記のような常識的にみれば、かなりエゲツない行動に出るのは、それなりに理由があります。

それに関しては、以前もこのブログに掲載したことがあります。その核心部分を以下に掲載させていただきます。
「脱南者」というと、多くの人には、聞き慣れない言葉ですが、「脱北者」に対するものです。北朝鮮から逃げ出した人を「脱北者」と言うのはほとんどの人はお分かりになるでしょう。これに対して「脱南者」とは韓国を捨て海外に逃げる人のことだといいます。 
その数が年間8万人。多くの日本人のほとんどはこのような状況に気がついていません。ですが、これは韓国政府も発表している事実なのです。日本でも、人口統計などみれば、この数字を見ることができますが、これにはとうてい及びません。  
この事実に限らず、韓国の経済・社会は何かが変です。韓国の国際収支は経常収支が赤字にも関わらず、資本収支(外国からの借り入れなど)の黒字によるウォン高が止まらないという不思議な構造になっています。  
IMF管理下で、韓国の銀行はほとんどが外資の傘下に入ったということは、よく知られていますが、その度合いとなると詳しく知る人は少ないでしょう。実は、韓国の主要銀行7行のうち6行が外資比率は50%以上となっているのです。ゴールドマンサックス、ローン・スター、シティグループといった投資ファンドや銀行が大株主としてズラリと並んでいるのです。  
また、通貨危機以降、韓国の大手企業は外資系銀行や、外資ファンド(ほとんど米国)の資本の支配の元にあり、毎年莫大な配当金をこれら外国人に貢ぎ続けているというのが実情です。06年12月決算の韓国上場企業204社が支払った配当総額は8兆5000億円。このうち、外国人に払われた配当金は4兆4000億円。つまり、半分以上が韓国人ではなく外国人に支払われています。これでは、まるで、韓国は、アメリカの経済植民地のようではありませんか。
韓国がIMFの管理下に入ったのは、アジア通貨危機のときです。このとき、東南アジアの国々は、日本に助けをこうたので、日本も積極的に支援したため、IMFの管理下に入ることはありませんでした。さらに、現在東南アジアの国々が日本の経済植民地になったなどのことはありません。このときに、日本に支援をこわなかった韓国は、IMFの管理下に入り、さらに、国内銀行も実質上外資系にとられてしまったということです。 
韓国を代表する現代自動車の価格も変です。現代の主力車、グレンジャー3・8は、米国での価格は約305万円、これが韓国国内では487万円で売られているのです。ソナタ2・4という車種では、米国価格193万円に対し、韓国国内での価格は308万円といいます。  
あまりにも酷い内外価格差です。韓国企業は国内の韓国国民から利益を搾取し、海外で極端なダンピングを行いシェアを拡大している図式を端的に指摘しています。
そして、衝撃的なのが、冒頭の「脱南者」。北朝鮮から韓国に入国した「脱北者」の数昨年9月末には1万7134でした。ところが、「脱南者」の数はその比ではありません。2002年に1万3000人だった脱南者は2005年には8万1000人、それ以降毎年8万人を上回っています。しかも、韓国統計庁の調査ではその85%が30歳未満の若者といいます。
年間に8万人も若者が消えていく社会など戦争中の国でしかあり得ない現象です。この理由は若者の就職先不足や格差問題のようです。韓国の大卒の有効求人倍率は最近では0・25に過ぎません。4人に1人しか就職できない状況です。  
しかも、韓国の大企業の初任給は、日本の大企業の初任給を超えるところも多いです。しかし、それは極一部の人に過ぎません。大多数は、就職すらできないのです。さらに、韓国社会は格差が日本のそれを数段上回ります。日本の大企業なみの高収入を得る人と時給300円、月給5万円で働く人々の2つ階級の分化が極端に進んでいます。 
 日本の人口は、約1億3千万人ですが、韓国は、4000万人台、北朝鮮にいたって、2000万人台にすぎません。両方あわせても、日本には、及ばないわけです。そうして、人口は、両方とも、どんどん減り続けています。これは、脱北者や、脱南者の問題もありますが、北朝鮮は、慢性的な食糧不足、韓国は、異常に出生率の低さ(日本より低い)ということもあり、これが、複合して、どんどん人口が減り続けているということです。こんな事実を知れば、韓国は、このままでは、亡国の憂き目にあうのは、確かです。だからこそ、若者を中心とした人々が、毎年、韓国を出て、アメリカやヨーロッパなどに移住するのです。だからこそ、昔は、韓国人も、日本人なみに、英語ができなかったのに、最近では、英語教育に熱心なのです。
以上のようなことに加えて、上の文章には、書きませんでしたが、韓国のミュージック市場は、日本の1/10程度しかありません。国内市場だけでは、十分に、稼ぐことができないわけです。だからこそ、日本の市場開拓や、世界の市場開拓にも熱心にならざるをえず、上記のようなエゲツない行動もせざるを得ないというところがあるのだと思います。

まあ、フジテレビも、電通なども、こうした韓国のエゲツない手にのせられているだけだと思います。

東亜日報は本年6月に、「冬のソナタが2003年に日本で一世風靡(ふうび)して以来、韓流という名称で知られるようになった韓国文化は、現在世界的文化となりつつある」と報道。インド東北部のマニプル州に住む子どもたちでさえ「カムサハムニダ(こんにちは)」や「サランヘヨ(愛してるよ)」という簡単な韓国語を話せるといいます。

ウズベキスタンでも国営テレビ局が韓流ドラマを放送しており、当地方の多くの家庭では韓国のドラマや歌が好きという理由で、自然と韓国製品を選ぶようになっているといいます。

さらに東亜日報は、アジア以外にも、北米や南米、ヨーロッパでもK-POPが人気を集めていると報じ、「YouTubeを見ると、シャイニーや2NE1などの人気グループの曲をアフリカの最貧国チャドと中央アフリカ共和国を除いた全域で聞くことができる」と報道、韓流は国家イメージを向上させ、韓国商品の輸出拡大につながっていると伝えました。

中国メディアの環球時報は東亜日報の報道を引用し、「韓流ブームが世界的文化として定着する?」と伝えると、中国のネットユーザーたちから多くのコメントが寄せられた。書き込みの多くは、「韓国メディアはほんとに単純だ、無知だ…」、「ほんと、“寒流”だ、寒くて鳥肌が立つよ」などと反論するコメントでした。

それにしても、韓国のこのうような行動、若者を中心とする、毎年8万人もの人々が国外に出るという状況を変えるにまでは至っていません。こんなことをやったり、反日キャンペーンをやったり、する前に、何か抜本的に改めるべきことがあるのではないかと思います。皆さんは、どう思われますか?
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2011年9月11日日曜日

東大のトイレに「食事禁止」の張り紙? やっぱり「便所飯」は本当なのか―【私の論評】飢えも経験せず、誤った個人主義に浸った若者に明日はない?!

東大のトイレに「食事禁止」の張り紙? やっぱり「便所飯」は本当なのか


   ひとりっきりで食事をしている姿を見られないように、人から離れてトイレの個室にこもって飲食するという「便所飯」。その真偽のほどが議論を呼んでいるが、インターネット上には「トイレで食事をしてはダメ」との張り紙を撮影したと見られる画像が出回っている。
   探してみると、東京大学がトイレでの食事を禁じた張り紙の画像まで見つかった。東大でも「便所飯問題」が起きているのか。

隣の個室に人が入った時点で食欲が完全喪失

東大生も「ひとりランチ」に悩んでいるのか。

   「便所飯」の話題は、今もたびたびネットをにぎわす。ネット掲示板では「便所飯がつらい」「高校時代に実際にやった」といったコメントが並ぶ。

   トイレで食事をしないように促す張り紙の画像まであった。そのひとつが東京大学名になっている。「トイレ個室内での以下のような行為を禁止します」としたうえで喫煙、落書きと並んで「食事」とある。偽造写真の可能性もあるが、仮に本物であれば東大までもが「便所飯」を問題視して「撲滅」に乗り出した、と考えられなくもない。

   だが東大広報課に聞いてみると、「そのような張り紙をしている、ということはありません」との回答だ。

   実際に東大に行ってみた。本郷キャンパスは9月に入って学生も徐々に戻ってきたようだ。広大なキャンパスには、歴史を感じさせる建物から新築でモダンな研究棟まで数多く点在している。そこで、いくつかの男性用トイレに手当たり次第入ってみた。建物自体が古くても、トイレは清潔さが保たれている。個室の中には、「きちんと流す」「次に使う人のためにきれいに使う」といった注意書きがあるが、「食事禁止」には触れていない。別のトイレでは「禁煙」「節水」と大きく書かれていたものの、ここでも飲食を禁じる張り紙はなかった。

   「食べてはいけない」ことはなさそうなので記者は、実際に「便所飯体験」をしてみた。個室の中で菓子パンの袋を開けたが、清潔とはいえそこはトイレ、薄暗いうえにイヤでも便器が目に入り、食欲がわく環境とは言い難い。少しだけパンをかじったところで、隣の個室に誰かが入った音がした。その時点で食べ続ける意欲が完全に失せ、わずか数分で中止した。「便所飯」は何ともいえずむなしいものだと実感した。

ツイッターに「ひとりで昼食はイヤだな」
   大学生でも特に入学したばかりの新入生は、新生活のなかで友人関係が築けるまで「誰と一緒に昼ご飯を食べようか」と悩むケースが多いようだ。横浜国立大学に通う藤塚紗良さんも、「入学時は誰も友人がおらず、キャンパスで昼食をとらずに済むように時間をずらして登校していました」と打ち明ける。

   藤塚さんは現在、「便所飯」問題を解決しようと、「ランチcom」というスマートフォンベースのSNSの運営に携わっている。藤塚さん自身はトイレで食事をしている人を目撃したことはないが、周囲から「ランチを一緒に食べる人がいなくてどうしよう」と悩む声を聞くそうだ。

   「ランチcom」ではひとりぼっち解消のため、ツイッターと連動して、相互フォローをしているユーザー同士で同じ大学に通っている人に「この人とランチしては」という「お勧めサービス」を提供する。ただし1対1で会うのには抵抗があるという学生向けに、「グループでランチ」という選択肢も加えて紹介の幅を広げている。「ツイッターを見るとよく『ひとりで昼食はイヤだな』という呟きが見られます」と藤塚さん。そのツイッターを活用して一緒にランチをとる相手を見つけてあげようというのがねらいだ。

   本当にトイレで食事をしている学生がどれほどいるかどうかは不明だが、少なくとも「ひとりランチはしたくない」と頭を抱える若者が少なくないことは確かなようだ。「友達づくり、友人関係の構築は本当に深刻な問題」と、藤塚さんは指摘する。

【私の論評】飢えも経験せず、誤った個人主義に浸った若者に明日はない?!


私が便所飯のことをはじめて知ったのは、東京都副知事の猪瀬さんのツイートでした。だから、その時に、ブログに便所飯のことを掲載しようと思いましたが、やめました。私自身は、いわゆる、便所食は、本当にごくわずかの人がやっている異常行動に過ぎないと思っています。とはいっても、日本には1億3千万人も人がいますから、異常行動をする人の実数も結構あるのかもしれません。しかし、極少数であることにはかわりないと思います。統計的にいえば、無視しうる人がこのような異常行動をしているのだと思います。

それが、なぜ、このように大きな話題になるかといえば、「犬が人を噛んでもニュースには、ならないが、人が犬を噛めばニュースになる」という類のことであり、マスコミなどが、さも社会現象ように報道しているだけだと思います。

何かの都合で、1~2度やってしまったという人もいるかもしれませんが、それにしても、そういう人も極わずかで、恒常的に実施している人はほとんどいないのでは、ないかと思います。何しろ、マスコミの報道は、このブログでも何回も掲載してきたように、偏向していることが多いですから、たとえば、マスコミの報道だけ見聞きしていると、何やら、最近凶悪犯罪も含めた犯罪が、だんだん増えて行っているような気になりますが、事実は、逆です、事実は、誰でも見ることができる、警察庁の統計資料をみればわかることですが、凶悪犯罪も含めて、全体では2004年意向減少しています。

ちなみに、その統計資料の最新のものから一部掲載します。
刑法犯の認知件数は、平成 14 年まで7年連続して戦後最多を記録していたが、平成 15 年は前年に比べ2.2%減少し、以後、平成 16 年は 8.1%、平成 17 年は 11.5%、平成 18 年は 9.6%、平成 19 年は 6.9%、平成 20 年は 4.8%、平成 21 年は 6.3%、平成 22 年は 6.9%と8年連続減少しており、平成 23 年上半期にあっても、前年同期に比べ5万 4,781 件(7.1%)減少している。 
特に、凶悪犯罪などが、増えているようでもなく、過去においても、極端に上下しているなどのこともなく、徐々に減りつつありというのが実体です。

では、なぜ、犯罪が増えているように感じたりするのかといえば、マスコミが、コンビニ強盗や、外国人犯罪が増えていることなどを報道し、全体では、どうなっているのかを報道しないからです。確かに、コンビニなどは、飽和状況にあるといいながら、毎年のように数が増えています。外国人の数だって、どんどん増えているわけですから、それにつれて、犯罪が起こる確率だって増えているわけですから、当たり前といえば、当たり前です。

「便所食」だって、それに近いものがあるのではないかと思います。なにせ、これは、多くの人々の関心を呼ぶようなことではあると思います。

猪瀬さんは、現在、ボットでつぶやいています。何やら、若者などの無責任なツイートが多くて、いちいち、答えるのも面倒ということのようです。猪瀬さんは、たびたび、便所食について、ツイートして時期があります。今から、かれこれ、1年くらい前でしょうか。あまり度々そのようなことをツイートしていることと、何かというと、「今の若いもんは」的な発言が多いので、少々辟易としたので、悪いとは思ったのですが、猪瀬さんに対して、「便所食は、ごく少数による異常行動にすぎないこと、それに、あまり、今の若者がどうのこうのという発言を繰り返すということは、猪瀬さん自体が年老いたということではありませんか?」という趣旨のメッセージを発信したことがありました。

それ以来、あまり、猪瀬さんのツイートは見ていませんでしたが、ひよっとして、あのメッセージで、気を悪くし、フォローを打ち切られているのではないかと思い、確認してみたところ、今でも、フォローはされていることが確認できました。

それにしても、一人飯がいやだから、便所食という心理はほとんど理解しがたいです。私は、大学にいたときには、一人飯などしばしばありました。なにせ、理系で、生物系だったものですから、実験その他は、生き物が相手ですから、一度実験などしはじめたら、いつ終わるかもわからない場合もあるので、昼飯時間がずれることなどよくありました。それに、まわりは、まわりで、他の実験をやっているので、時間もあわず、昼飯を3時頃に一人でとっているなどのことはしよっちゅうありました。

それに、中には、昼飯時には、大勢の学生で食堂がメチャクチャ混むので、それがいやで、わざと時間をずらして、2時頃に食事をとるようにしていた人もいました。そういう人は、大抵、ひとりメシでした。

第一、大学の食堂など、そのような人もたくさんいるし、教官もいれば、外からも大勢人がくるし、私だって、少し前までは、学生のリクルートをしていたことがあったので、いろいろな大学の学食で一人飯を食べたこともあります。そうしたほうが、外に出るよりもはるかに効率的でした。特に、総合大学はそうです。東大に限らず、筑波や北海道大学などのキャンパスの敷地の広いところは特にそうです。学生が一人で飯を食っていたからといって、珍しくもなんともない風景であり、だれも、気にもとめないことだし、そんなことを気にしてわざわざ、便所飯なんてのは、全く理解ができないことです。


上の写真は、東大の学食の様子です。しかし、このような座敷がついているような学食は、全国的にも非常に珍しいです。それに、東大でも、ほんのごく一部です。もともと、学食は、家族とか同僚とか、何人かのグループで食べることなど想定されていません。

  
上は、法政大学の学食(カフェテリア)ですが、複数のテーブルがくっついていて、テーブル一卓を独立させて、その一卓が家族用とか、グループ用というように独立させるなどという意図はありません。そりゃそうですね、本当に混んで来たら、相席でも食べますから、このように設置してあるわけです。ということは、混んでいるときには、一人飯をかなりやりやすい状況になっているともいえます。それに、上の写真で、一人飯の人もいますね。この光景学食ではありふれた光景です。それに、それに総合大学ともなれば、学生総数は、1万を超えるところも珍しくもありません。そうなれば、こういう食堂に行っても、ほとんど知らない人ばかりというのが、ほとんどです。そんなところで、一人飯をして恥ずかしいなんていうのは、病的といわざるをえません。


上は、北海道大学の中央食堂です。地方に行っても、総合大学であれば、似たようなものです。昼ごはんどきになれば、このような長い行列があるのが普通です。こんな、行列ができているくらいですから、ゆっくりご飯を食べて、その後も長く、談笑しているなんてこともできません。食べたら、原則、すぐに席をたつというのが普通です。こんなに混んでいるところで、相席をするのは、当たり前で、一応、「ここいいですか」くらいの、確認はしますが、確認を得たら、相席で、見ず知らずの人と一緒に食事をするというのは、ごく普通の光景です。

便所食など、人数の少ない高校だとか、人数の少ない、単科大学なら、そんなことがあるのかもしれませんが、東大などの総合大学などでは、ほとんど考えられません。それに、どうしても、ひとりメシを学食で食べたくなければ、パンでも買ってきて、どこかで、食べればそれですむことだと思います。事実、食堂の混雑をきらってそうする人も大勢います。広いキャンパスなら、芝生や、ベンチくらいあります。学生や、院生の控え室などもありますし、便所食などするくらいなら、そのほうがよほどましだと思います。だから、東大便所飯は、フィクションだと思います。それこそ、厨ニ病にでもかかっている子供が、想像たくましく、抱いた妄想だと思います。

それに、上の記事を書いた人、かなり東大コンプレックスがあると思います。東大だからって、たまたま、高校時代のお勉強頭がすぐれていただけであって、実際には普通の若者です。こういっちゃ何ですが、毎年、3000人以上も、卒業するわけですから、上のほうは、優秀だとは思いますが、下の方の2割はただの馬鹿です。

何か、偉そうなことを言っているように思われるかもしれませんが、これも真実です。ドラッカーは本当に、優秀な技術者を一人得たいと思うなら、少なくとも優秀と定評のある6人を雇えと提言しています。一人だけの優秀な技術者を雇えば、実際に仕事をさせれば、大抵は凡庸な仕事になってしまいます。しかし、優秀で定評のある人6人を雇えば少なくとも、一人は、際立った仕事をします。あとの何人かは、一人よりは際立ちませんが、それなりに優れた仕事をします。残りは、凡庸な仕事しかしません。これが真実です。これは、どんな組織にもあてはまることです。有名大企業で入るのが難しいところでも、なぜか下の20%はできが悪いです。入るのが簡単な、中小企業でも、なぜか、上の数パーセントは優秀だったりします。東大卒業者だって、例外ではありません。

大学院はどうかといえば、無論、優秀なところもありますが、これもわけのわからないものも増えてきて、東大大学院だからといって、必ずしも、優秀とはいえません。最近では、学歴ロンダリングにつかわてしまったりしています。今なら、全く人気のない、マル経の大学院なら、行けば歓待されると思います。東京大学にまともに受験して入るよりもはるかに簡単にはいれます。東大のネームバリューだけ欲しい人は、こういう選択肢もあると思います。しかし、実力がつくかどうかは、また別次元の問題です。

それにしても、日本はどうしてこんな、大学による学歴偏重など起こってしまったのでしょう。アメリカなら、ハーバード大学を卒業したからといって、特に高学歴にはみなされません。無論ハーバードの大学院にいけば、高学歴ということになりますが、大学は、大学であって、いくら有名大学を卒業したからといって、高学歴とはみなされません。これが、本来の学歴偏重社会と言うものだと思います。

それに、現役の東京大学の学生も昔と比較すれば、相当レベルが落ちています。「ゆとりの教育」と東大は無縁かと思っていましたが、私は、数年前に、何と、「ファラデーの法則」を知らない現役の、工学部の学生がいることを知って驚いたことがあります。なんでも、受験のとき物理が選択科目だったので、物理を高校の時に履修しなかったので知らないというのです。これには、本当に驚いてしまいました。

そんなわけで、少し話しがずれてしまいましたが、上の記事では、便所飯は、東大にはなかったということです。そうでしょうね。

ただし、便所飯をする人、これは異常だと思います。精神に異常をきたしている人もいるかもしれません、そうでなくても、そのようなことをする人は、精神的にかなりプレッシャーを受けている可能性も高いと思います。こんな人は、飢えも経験したことがなく、戦後の誤った個人主義教育により、個性豊になりすぎたというより、わがままになったのだと思います。完璧な自意識過剰です。学食なんかで、一人飯しているの、当たり前で、普通ですから、数人集まって、食べているほうが余程異常だと思います。そういう機会は、飲み会などで持てば良いことであり、学食をその舞台にする必要性など全くありません。いや、昼ごはん時なら、混雑してそもそも、そんなことできないと思います。

いずれにしても、便所食は、異常です。これは、社会現象になるほど実数は多くはならないと思いますから、そういう方は是非、ご自分で、病院にいって、診てもらうべきと思います。これは、自分では、そのようなことをしていないのに、あたかも、自分も便所飯をしたことがあるかのように語る人も同じ事だと思います。

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2011年9月10日土曜日

鉢呂経産相が辞任!「放射能」発言で引責…就任直後政権に打撃―【私の論評】私の野田?内閣への見方が正しかったことの査証か?

鉢呂経産相が辞任!「放射能」発言で引責…就任直後政権に打撃


東京電力福島第1原発を視察した際の鉢呂吉雄経済産業相(左)。中央は野田佳彦首相、は
細野豪志原発事故担当相=福島第1原発の免震重要棟で2011年9月8日、内閣広報室提供
鉢呂吉雄経済産業相は10日、東京電力福島第1原発の周辺市町村を「死の町」と表現し、「放射能をうつす」という趣旨の発言をしたことの責任を取り、野田佳彦首相に辞表を提出、受理された。2日発足したばかりの野田内閣で就任9日目となる初の閣僚辞任。野党は野田首相の任命責任を追及する構え。政権運営に打撃となるのは必至だ。

鉢呂氏は福島第1原発事故を受けたエネルギー政策の見直しを所管しており、事故対応を政権の最優先課題に掲げる野田首相は早急な態勢立て直しを迫られる。停止中の原発再稼働をめぐる地元自治体との協議にも影響を与えそうだ。

鉢呂氏は8日、首相とともに原発周辺地域を視察。翌9日の記者会見で「残念ながら周辺市町村の市街地は人っ子一人いない『死の町』だった」と発言した。また視察後の8日夜、都内で報道陣の一人に防災服をすりつけるしぐさをし、「放射能をうつす」という趣旨の発言をしていたことも分かった。

首相は「不穏当な発言だ」と不快感を表明。鉢呂氏はあらためて記者会見し「被災地の皆さんに誤解を与える表現で軽率だった。大変申し訳ない」と発言を撤回し陳謝したが、野党は「被災者の希望を奪う発言で、閣僚失格だ」(自民党の大島理森副総裁)などと一斉に批判。鉢呂氏は13日に召集される臨時国会の審議への影響を懸念し、辞任を決断した。

鉢呂吉雄経済産業相の原発視察に関する一連の発言要旨は次の通り。

【9日午前の記者会見】野田佳彦首相と一緒に視察した福島第1原発事故の現場は、まだ高濃度で汚染され、大変厳しい状況が続いている。残念ながら周辺の市町村の市街地は人っ子一人いない、まさに死の町という形だった。

【午後の2度目の記者会見】午前の記者会見での私の発言は、表現が十分でなかったと反省している。全体の私の思いは皆さんにもご理解いただけると思っているが、表現自体、大変被災地の皆さんに誤解を与える表現だったと真摯に反省し、この表現を撤回をさせていただき、深く陳謝を申し上げる。大変申し訳なく思っている。

【「放射能をうつす」という趣旨の発言に関し9日夜、記者団に】私の真意は、放射能汚染で大変苦しんでいる皆さんの厳しい思いを現地で確認してきたということだ。誤解がないようにしてもらいたい。汚染で苦しむ皆さんのことをマスコミの皆さんにも共有してもらって難局を乗り越えていきたいということだ。


【私の論評】私の野田?内閣への見方が正しかったことの査証か?


上記の、辞任のもとになった、発言に関する鉢呂氏の釈明を下に掲載しておきます。

◆経産相の「ほら、放射能」発言への釈明の要旨◆
8日夜11時過ぎ、(衆院議員)宿舎に帰って来てから、記者との立っての非公式な懇談を5分ないし10分くらい行った。被曝の線量の話があったので、計数的な話をした際、記者にも厳しい状況を伝えたかった。(記者に)囲まれていたから一歩くらい近づいたというような記憶しかないが、大半は真剣な話をしたと記憶している。

(「ほら、放射能」との)発言自体はどういう風に言ったか、ちょっとニュアンスが違うし、行動としては若干(記者に)近づいた程度で、腕を取るとかは一切なかった。しぐさはあったかも分からないが、言葉は正確に記憶していない。

◆鉢呂経産相の「死のまち」発言の要旨◆(9日の記者会見より)

福島の汚染が経産省の一つの原点と捉えてそこから出発すべきだということを感じた。事故現場の作業員、そしてまた管理している方々は予想以上に前向きで明るく活力をもって取り組んでいる。

残念ながら(原発)周辺の市町の市街地は、人っ子一人いない。まさに死のまちという形だった。私からももちろんだが、野田総理からも「福島の再生なくして、日本の元気な再生はない」と、これを第一の柱に野田内閣としてやっていると至る所で話した。

ちなみに鉢呂氏のことは、あまり知らない人もいるのではないかと思いますので、以下に略歴を掲載します。
北海道樺戸郡新十津川町出身。北海道滝川高等学校を経て1971年北海道大学農学部を卒業し、今金町農業協同組合に勤務。 
農協・旧社会党の出身で「農業の鉢呂」として地元北海道での選挙などで影響力が大きい。 
国対畑の経験が長く、与野党に人脈を持つ。 
2007年9月に民主党のテロ特措法延長問題の責任者として「次の内閣」の人事で外務担当となり、衆院テロ防止特別委員会の筆頭理事に就任した。「外務防衛について何も知らない」(民主党中堅)との指摘に見られるように、安保の専門家ではなかったが、旧社会党議員として与党に対して断固反対の姿勢を貫けるとの小沢代表の目論見が決め手となった。 
党内では脱小沢派であり、2010年9月に行われた民主党代表選挙では小沢一郎と対立する菅首相側の推薦人になった。
鉢呂氏については、ここ函館にも近い、道南の今金町の農協に勤務していたということもあり、今金町の人から鉢呂氏のこともうかがったことがありますので、その内容を簡単に掲載しておきます。

鉢呂氏は、北海道大学を卒業して、特に就職もしないで、新十津川の自宅で過ごしていたのを、今金町農協の人が、空知郡新十津川町まで、わざわざ出向いて、リクルートしたそうです。

ただし、鉢呂氏は、農業には全く経験がないため、まずは1年間今金町の農家で研修をすることになったそうです。ところが、わずか2ヶ月研修をした後に、耐えられなくなって、農家を抜け出し、新十津川の自宅に篭っていたそうですが、それをさらに今金町農協の人が説得して、連れ戻したそうです。

そこからは、研修をやり通して、その後、農協に勤務したそうです。

まあ、田舎の社会性のない純真な青年だったのでしょう。この青年は、大学にはいって、当時流行りの左翼思想に洗礼されたのだと思います。しかし、もともと純真な彼には、それについていくこともできず、かといってまともに就職することもできずに、家で篭って、おそらくそのままであれば、凡庸な人生を送ったものを無理やり、今金町の農協の人が彼の運命を変えてしまったということです。

この純真な青年は、そのうち、その純真さからおそらく、その後何の疑念も持たず、社会主義思想にはまっていったのだと思います。そうして、いつの間にか国会議員になり、そうして、大臣にまで上り詰めてしまったというわけです。ここまでは、ドリームだったのですが、農協に勤務しはじめてから数十年たって今日の結果になったというわけです。

鉢呂氏など、自分も、まわりの人も、過去においては、まさか、将来大臣になるなど誰も考えることなどなかったことでしょう。本人は、覚悟も準備もなにもないうちに、閣僚になってしまったのだと思います。だからこそ、今日の不祥事に結びついてしまったのだと思います。

民主党には、このような人が多すぎます。要するに、人材が少ないということです。人材が少ないことの理由として、上で述べたような鉢呂氏の経歴にみられるような社会性の欠如もあるでしょうが、それだけではないと思います。

おそらく、民主党をはじめとする、左翼の人々のほとんどは、生粋の個人主義者でもあるため、親兄弟や、先祖から根本的なものの考え方や、ものごとの基本に関して引き継いだり、地域から引き継いだりするものがなく、さらに、職場でも、左翼系という個人主義の閉鎖社会に浸り個々人で分断されているのだと思います。それに、彼らのバックボーンや精神的支柱ともなる考え方は、すでにソビエト連邦の社会主義や、西欧の先進国でも福祉国家という形で壮大な実験が行われ、大失敗して破綻しています。もう、たよるべきものは、自分自身や、その時々での、同じ考えもつ人間しかいないということです。もう、彼らには、たよるべき最後の縁(よすが)としての、物事の本質である、原理・原則すら崩壊しているのです。それに、個人主義者は時間的にも分断されています。

だからこそ、社会性や、常識的な振る舞いのもとになるバックボーンになるものもなく、酷いことには、国すらも、解体の対象でしかないのです。これでは、鳩山さん、菅さんのように、軟体動物のように、ぐにゃぐにゃで掴みどころのない、人間の本質が、野党なり、プロ市民でいるうちは、あまり表にはでてきませんが、総理大臣や、閣僚の高い地位につけば、鉢呂氏のように表にでてくるようになり、不祥事につながるのだと思います。

私は、野田さんが、総理大臣になったばかりのとき、3週間以内に不祥事が発生し、それが元で、野田さんは半年以内に、辞任するであろうことをこのブログに掲載しました。本日の鉢呂氏の不祥事による辞任では、そこまで発展する可能性はないでしょうが、なにせ、わずか、数日での辞任劇です。これからも、様々な不祥事が発生することが予想されることから、これは、私の予測もあたる確率も高くなってきたと確信しました。

さて、野田さんが、辞任したあかつきには、無論、総選挙を実施すべきです。しかし、ここで自民党も、ぬか喜びしているだけではどうしようもありません。自民党にも、あの軟体動物のような連中が巣くっています。そうです。あのリベラルとか称する連中のことです。彼らも、出自は異なりますが、軟体動物であることにはかわりありません。彼らをそのままにしておけば、自民党も民主党と変わりがないことになってしまいます。きたるべき、総選挙に備えて、これらを排除するべきです。排除できないというのなら、少なくとも、党内での彼らの力を削いでおく必要があります。その覚悟がない限り、自民党が政権の座についても、民主党よりはまし程度ということになり、同じような運命を辿ることは必定です。

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2011年9月9日金曜日

なぜ今、円高なの?―【私の論評】もっとまともな報道をしなければ、いずれ新聞・テレビから購読者・視聴者は離れる?

なぜ今、円高なの?

■アメリカのデフォルト回避と円高の関係性

本稿の執筆時点では、アメリカのデフォルト危機がひとまず回避されて、安堵(あんど)感が漂っているところだ。同時に、円高が大きく進行して日本の輸出産業にとって大問題となりつつある。

さて、この問題については、ついにドル崩壊だとか、これだから財政規律は重要だとか、きいたふうな口をきく人がたくさん出た。でも、経済だろうとなんだろうと、絶対に当てはまる法則がある。

「Action speaks louder than words」。

あれこれ口先だけの評論家よりも、実際にそれに直接の利害を持っている人の行動を見よう。米国債の返済が滞って一番困るのは、米国債を持っている人々だ。デフォルトの危機があると思ったら、みんな売り逃げようとするから安値になる、つまり利回りがリスク分上がるはずだ。

そして今回、アメリカ国債利回りがどうなったかというと、ほとんど変わらなかった。だれも本当にデフォルトするとは思っていなかったわけだ。

なぜかといえば話は簡単。今回の危機は単に、アメリカが財政規律のためと称して借り入れの上限なんていう変なものを作り、そして共和党がオバマ政権への嫌がらせとして、この上限の引き上げに対して散々ごねただけの、極めて人工的なものだったからだ。

これが問題になりはじめた7月初頭時点で、イギリスの『エコノミスト』誌はこの件について共和党を批判する記事を載せていた。国の信用を掛け金にしてくだらないチキンゲームをするなといって。

そして共和党だって、本当にアメリカが債務不履行を起こしたら財政規律どころでないことは知っている。本当に突っ張って、本当にアメリカ国債がデフォルトしたら、そんな事態を引き起こした共和党が大バッシングにあうから、どっかで手打ちせざるを得ないのはみんな知っている。

ただ正直、ここまでごねまくるとは思わなかった。それが結果的に、国そのものに対する通俗的な信頼を揺るがせたことで、共和党はかえって株を下げた。

と書いているうちに、アメリカ国債が格下げになって、またもやニュースや通俗評論家は大騒ぎ。でもこれまた国債の利回りは全然上がっていない(債券は、ヤバイと思われたら利回りが上がる)。市場で実際に投資をしている人々はアメリカ国債がやばくなったとは、まったく思っていないわけだ。

でも、それをどう評価するにしても、実際の利害を持つ人々がまったく動じていない、という点は留意していいんじゃないだろうか。

さてそれについて日本で大騒ぎしてみせる人々は、単に無知なのか、あるいは魂胆を持っている。日本の場合、それは日本の財政赤字がヤバイと言って、話を増税に持って行きたいという魂胆であることが多い。

さて円高のほうも、ドルの動きやユーロ圏の状況など、いろいろ要因はある。でも為替は基本的には、それぞれの通貨の相対的な量で決まってくる。円高を阻止したければ、日銀がもっとお金を刷ると明言し、国内の通貨量を増やせばすむ。ちなみにそうすれば、震災復興にも役立つ。

円と同じく通貨が高くなってしまったスイスは、ちゃんと金融緩和を発表して、きちんと通貨を引き下げた。が、日銀は輸出業界が悲鳴を上げてもひたすら「注視する」というだけで何もしない。デフレで景気が低迷しても何もだ。

いまの日銀はいったい何のために存在しているのか、というのは多くの人が抱いている疑問だ。そうすると、なぜ自分たちが何もしないか、というのだけはえらく雄弁に弁解する。そしてそのお先棒をかつぐ学者も多い。しかし、日銀の中には、「金融を緩和したら負けで、金融を引き締めると勝ち」、という価値観がある、という話も。

インフレが問題だった時代には、それは適切な態度だっただろう。でも状況が変わった今もそうした昔のやり方を変えられずにいるとすれば、本当に日銀が何を目的として政策運営をすべきかについては、きちんと見直して外から枠をはめたほうがいいのかもしれない。そうでないと、デフレも円高も絶対なくなりそうにない。

山形 浩生(やまがた・ひろお)

1964年、東京生まれ。東京大学卒業後、マサチューセッツ工科大学修士課程修了。某大手シンクタンクに勤めるかたわら共著、『暴走する「地球温暖化」論ー洗脳・煽動・歪曲の数々』(文藝春秋)、『要するに』(河出文庫)など著作訳書多数。
【ネタりかより】

【私の論評】もっとまともな報道をしなければ、いずれ新聞・テレビから購読者・視聴者は離れる?
上の、山形氏の行っていることは、ほぼ妥当だと思います。残念ながら、私自身は、この方のことは、本日上の記事を読むまでは、存じ上げませんでした。ネットで少し調べたので、顔写真と略歴だけ下に掲載しておきます。

山形 浩生氏
略歴
小学校1年生の秋から約1年半、父親の海外勤務でアメリカに居住。麻布中学校・高等学校卒業後、東京大学理科Ⅰ類入学。東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻を経て、野村総合研究所研究員となる。1993年からマサチューセッツ工科大学に留学し、マサチューセッツ工科大学不動産センター修士課程を修了。1998年、プロジェクト杉田玄白を創設。

野村総合研究所で開発コンサルタントとして勤務する傍ら評論活動を行っている。また先鋭的なSFや、前衛文学、経済書や環境問題に関する本の翻訳を多数手がけている。

上の山形氏の次の文章のうち、以下のものは、

『日本で大騒ぎしてみせる人々は、単に無知なのか、あるいは魂胆を持っている。日本の場合、それは日本の財政赤字がヤバイと言って、話を増税に持って行きたいという魂胆であることが多い』に関しては、まさにその通りで、このブログではも何回となく掲載してきたことです。


「米国債はデフォルト危機」と大騒ぎする日本の新聞は「財政破綻」「増税」は好きだが、自分たちだけ「軽減税率」求める浅ましさ ―【私の論評】消費税率アップが、新聞業界と財務省の共通の利益だが、アメリカの利益にはならない!!


この記事では、まずは、以下のようなことを掲載しました。
しばしば日本国政府の債務残高がGDPの2倍あるとかいうが、日本国政府のバランスシートの資産もGDPの1.3倍もある。債務も世界一なら資産も世界一なのだ。何よりソブリンCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)は1%にも満たずギリシャの20%に比べると雲泥の差だ。だから日本国政府が財政破綻という話は国際金融市場では出ていない。
実際、国際金融市場で日本国政府が財政破綻という話は、でていません。いっとき、ゴールドマン・サックスなどは、日本のソブリンリスクの喧伝を行っていましたが、それによって、 それこそ、上の記事で、山本氏が語っているように「あれこれ口先だけの評論家よりも、実際にそれに直接の利害を持っている人の行動」は全く変化することもなく、さすがに、今では影を潜めました。彼らにとっては、日本のソブリンリスクを演出してみたところで、誰も、のってこなかったので、金儲けにもつながることもなく、やめたというところだと思います。全く、金融馬鹿や、賭博師は、困ったものです。

そうして、新聞と、消費税の関係に関しては、以下のようなことを掲載しました。財務省は、増税をすることは、省益に利することであり、新聞が、日本の財政破綻をゆえなく、報道をすることは都合が良く、両者の利益は、合致しているという内容です。
新聞は消費税アップによっても新聞代の引き上げを避けられる。一方財務省にも利権が発生する。というのは、消費税率がアップすると、必ず軽減税率やゼロ税率の話が出てくる。新聞業界もそのひとつだ。社会的使命を主張しながら、消費税の軽減税率を財務省に働きかけている。これはもちろん新聞では報道されないが事実だ。どの業界に軽減税率を適用するかどうかは財務省の胸先三寸である。 
財務省の事務次官であった丹呉泰健氏が読売新聞に天下りしたことは昨年11月22日の本コラムで述べている。消費税率引き上 げと新聞業界の軽減税率・ゼロ税率の願望とは無縁とはいえない。  
新聞業界と財務省は既に蜜月関係にあると見ていいだろう。だから、新聞が行う世論調査で、増税が必要かというものはあてにならないことを留意する必要がある。そんなものは質問の仕方によってかなり変わるからだ。

昨日も、ある経済学者のコメンテーターがWBSに出演していて、日本の財政破綻に関して、Facebookによる視聴者からの質問されてて、非常に歯切れの悪い解答をしていました。この人など、経済学者なのですから、上のようなことは、知っているというよ、知っていなかったら、単なる馬鹿です。

しかし、政府におもねっているのか、あるいは、テレビ局におもねっているのか、わかりませんが、財政破綻の危機に関して、はっきりとは否定せず、うやむやな答えに終始していました。

しかし、伊藤元重氏も、はっきり言えない事情があるのかもしれません。あの番組に限らず、日本のテレビは、討論番組のようなものでも、デイレクターの誘導によって、最終結論が出されるようになっているくらいですから、自由な発言ができないのかもしれません。

しかし、そうであれば、出演しなければ、良いと思います。実際、大前研一氏は、こうしたテレビの体質を嫌って、最近では、普通のテレビにはほとんど出演していません。最近では、もっぱら、インターネットを用いた独自の媒体の中で活躍されています。

新聞は、財政破綻危機を煽ることで、財務省による、消費税増税後の軽減などの措置を期待しているようですが、テレビもそのようなことがあるのでしょぅか?いずれにしても、何かメリットがあるからこのようなことをするのだと思います。

いずれにしても、このブログにも、テレビや新聞の劣化については、たびたび指摘してきましたが、先のWBSも相当レベルが落ちてきたように思います。わずか、10年ほどまえまでは、野村総合研究所のリチャード・クー氏や、あの植草さんが出演していて、いまから、比較すると本当にまともでした。

特に、リチャード・クー氏は、この番組でも、早々と、「バランス・シート不況」について、述べていて、なかなか、当時不況の理由が何を見ても、理解できなかったのに、リチャード・クー氏のこの話をきいて、納得がいき、さすが、「日本通」と思わず、唸ってしまったものです。今のWBSにはそのようなことは全くありません。もう、あまり見ることもありません。この番組では、昔、自分の会社が紹介されたこともあり、長い間ファンだったのですが、今では、本当に面白くもなんともない、番組になってしまったと思います。

この番組など、今のままでは、どんどと視聴者が減少していくと思います。そういわれてみれば、大前研一氏も、最近では、ほとんど、出演しませんね。それでも、1年少し前には、確か、「ビジネス・プラットフォーム」に関して話をしたのが最後ではなかったかと思います。

いずれにせよ、テレビでも、新聞でも、上記の山形氏のような人にもっと、もっと、話をさせたり、書かせたりすべきと思います。このままで、今のメディアはユーザーからの信頼を失い、没落してくのみとなると思います。


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2011年9月8日木曜日

【現代ビジネス―経済ニュースの裏側】野田首相はやはり財務省傀儡なのか―【私の論評】野田氏は、財務省の傀儡というより、物事の原理・原則を知らないだけ、だから結果として傀儡のようにみえるだけ?

【現代ビジネス―経済ニュースの裏側】野田首相はやはり財務省傀儡なのか

どじょうすくいをする?野田總理大臣

野田佳彦・新首相は財務省の傀儡だという見方が根強い。何より、民主党への政権交代後、野田氏が副大臣・大臣と、一貫して財務省を担当してきたことが大きいだろう。財務大臣在任中にすっかり増税論者になった菅直人・前首相と二重写しになっていることもある。民主党代表選挙で早い段階から増税を口にしていたことも、国民に「やはり」と思わせた主因だろう。

だが、「もしかしたら違うのではないか」と思わせる動きが組閣で起きた。古川元久・元官房副長官を国家戦略相兼経済財政政策担当相に任命。政官民による「国家戦略会議」の設置を表明したことだ。

組閣2日後の9月4日付けの日本経済新聞は1面トップで、国家戦略会議の新設を「首相方針」と伝えた。また、「予算編成や税制改正、社会保障改革、環太平洋経済連携協定(TPP)など多国間・2国間の経済連携といった重要政策の指針作り」が会議の役割になると報じた。要は、小泉純一郎首相が構造改革時にフル活用した「経済財政諮問会議」の役割を復活させる、ということに他ならない。

(続きはこちらから)

上の記事で、野田氏が財務省の傀儡ではないかもしれないという趣旨のことが述べられています。その論拠として、小泉純一郎首相が、構造改革時にフル活用した「経済財政諮問会議」を復活させる、ことをあけでいます。

しかし、これは、有力な論拠とはなりえません。なぜなら、小泉純一郎氏も、結局は、財務省が推進する、緊縮財政を実施した本人だからです。普通なら、構造改革をするにしても、ある程度経済を良くしてからいろいろなことに取り組むのが当たり前ですが、そんなことは一切せずに、結局は緊縮財政を行いながら、構造改革を推し進めしまた。そのため、経済は、疲弊しました。特に、地方の疲弊は酷かったことは、皆さんご記憶にとどめておられるでしょう。

このブログでも、小泉構造改革は、順番を間違えたことを何回か指摘したことがあります。改革なるものは、経済を良くしてから行うべきものであり、完璧に間違えたと思います。しかし、これも、結局は、財務省の暑い壁を打ち破ることができなかったことの結果でもあると思います。

小泉さんも、結局は、財務官僚の厚い壁に阻まれ、デフレで景気が悪いときには、減税をして、積極財政をやるべきなのに、緊縮財政をやらざるをえず、緊縮財政をしたまま、構造改革をしたため、一気に日本の経済が打撃を受けた、特に地方が疲弊してしまったのです。小泉さんは、結局は、財務省の傀儡ではなかったかもしれませんが、財務省の壁を崩せなかったのです。

これは、何も小泉さんに限ったことではありません。20年前のバブル崩壊以降、歴代の政権は、小渕政権と、麻生政権を例外として、他の国ではあり得ない、デフレの最中に緊縮財政を行うという愚策を実施してきました。これは、鳩山さんも、菅さんも例外ではありません。

野田さんも、結局は、小泉さんの二の舞を舞うことになるだけです。財務省は、省益を最優先させて、国民がどうなろうと、政府がどうなろうと、多額の金融資産を自らの手中におさめておきたいだけです。

野田さんが、結局は、財務省の傀儡めいたことをやっていることは、もう明白です。たとえば、最近の『しんぶん赤旗』には、以下のような記事が掲載されています。
30日に国会で首相指名をうけた野田佳彦新首相が、2007年、08年の2回、国会へ提出された消費税引き上げなど大衆増税に反対する請願の紹介議員になっていたことが30日わかりました。野田氏は財務相として、震災復興増税や消費税率引き上げに積極姿勢を示し、民主党代表選で同様の主張をくり返しました。同氏を紹介者にした請願者3140人と国会への背信行為との批判を浴びるのは必至です。 
野田氏が紹介議員になっている請願は07年9月20日と08年10月2日に、それぞれ国会へ提出された「消費税率の引き上げ・大衆増税反対に関する請願」です。(写真) 

請願書は(1)所得税・地方税の各所得控除・給与所得控除の縮小・廃止などを行わず、応能負担の強化で税負担の公平を図ること(2)消費税率の引き上げを行わないこと(3)零細事業者への経費概算控除制度を導入しないこと―を求めています、 
請願書の07年分には千葉市稲毛区在住の男性ほか1123人、08年分は千葉県銚子市在住の男性ほか2017人の署名がそれぞれ添えられています。 
野田氏は先の民主党代表選の政見で「震災対策における財源措置を含め……歳入面での改革も合わせて実行」「社会保障と税の一体改革を実現」として復興増税、消費税を2010年代半ばまで段階的に10%へ引き上げる方向を明示しています。

ニューディール政策がアメリカで実施されて以来、少なくともまともな近代的な形態を整えた、国家では、いや、そうではない中国などのような国でさえ、デフレのときに増税するようなバカ真似はしません。これは、誰でもすぐに調べれば判ることです。

それから、復興のための財源をかつて、増税でまかったことがあるかといえば、日本国内に限ってみれば、一度もありません。また、海外でも例はありません。これらは、すべて、日本でも、海外でも、長期国債で賄われています。これも、誰でも調べれば、判ることです。

この「誰にも調べればわかること」に関して、私は、過去に、このブログにいくつか、「誰でも調べればわかること」を掲載したことがあります。

一つ目は、「ゆとりの教育大失敗例」です。

二つ目は、「夫婦別姓の大失敗例」です。

以下に、その核心部分をコピペしておきます。

夫婦別姓に関しては、アメリカで法制化ではなく、ライフスタイルとして導入されましたが、離婚率50%以上などというとんでもない結果を招き大失敗したことが明らかになっています。しかし、このようなこと、マスコミも報道せず、政府も公表しません。これには、隠れた意図があると断定せざるをえません。 
すなわち、戦後60年にわたり、アメリカの日本弱体化政策による家の破壊により、日本の家庭はほとんど核家族化されましたが、今度はそれに続き、家族の破壊です。これによって、日本の国民国家を破壊することです。 
「ゆとりの教育」は、日本で導入時には、アメリカでは随分前から導入されていて、大失敗したことが明々白々になっていて、世論は「若いうちに詰め込めるだけ詰め込んでおけ」というように変わっている時でした。無論アメリカでは、ゆとり教育はすぐにやめました。日本は、ご存知のように導入して思ったとおりの大失敗です。夫婦別姓も現在導入すれば、大失敗どころか、大きな災厄をもたらすことははっきりしています。
この中で、「ゆとりの教育」に関しては、前政権の行ったことです。そうして、アメリカで大失敗したことが明らかになっている時期に、導入しました。「夫婦別姓」に関しては、現政府が実現しようとして、いまだ、実現できないでいることです。なかなか、実現できないことは、当然のことだと思います。なぜなら、もう、アメリカで数十年前に法制化ではなく、ライフスタイルとして導入されて、大失敗しているからです。

統計資料や、海外のそれを調べれば、すくに分かりそうな事柄に関しても、良く調べもせずに、ことをおこして、失敗するとか、失敗しそうだというようなことが、日本では、あまりに多すぎです。

少し思いつくものだけあげてみましょう。たとえば、「日本は借金だらけ」というものです。これに関しては、日本は、世界で一番金融資産を貸し付けてい国であり、真実ではありません。だから、ギリシャなどのようにソブリンリスクなどありません。それに、日本が財政破綻したら、確実に世界大恐慌になります。それも、1930年代におこった、恐慌の数倍の規模になります。日本だけが、世界の中からひっそりと消えるように破綻するわけではありません。このへんも、マスコミは、報道せずに、全く無責任なことばかりいいたてています。

役人の数が多いというのも真っ赤な嘘です。先進国と比較すれば、日本は、対人口非出、比較すれば、少ないほうの部類にはいります。一時、ニュージーランドは役人が少ないなどといわれていました。しかし、ニュージーランドは、人口が数百万しかいないわけですから、実数が少ないのは、当たり前のことです。日本と比較すれば、対人口比では、ニュージーランドのほうが、かなり、役人の数は多いです。この事実が広まったせいでしょうか、最近では、役人の数をめぐって、ニュージーランドをひきあいに出すような、政治家や、マスコミも影を潜めました。

最近犯罪そのものや、凶悪犯罪が増えいるというのも、嘘です。これは、警視庁の出している統計資料を見ればすぐにわかります。現実には、2004年を境に、毎年少しづつ犯罪は減っています。凶悪犯罪も同じことです。ただし、外国人犯罪や、コンビニ強盗は以前より増えています。しかし、これは、当たり前といえば、当たり前です。なぜなら、外国人の数、コンビニの数は以前より増えているからです。マスコミは、こうしたことは報道しますが、犯罪が2004年より減り続けていることなど報道しません。

公共工事が多い、道路が多すぎというのも真っ赤な嘘です。公共工事に関しては、今の水準は、20年以上前よりも低い状況にあります。このような国は、特に先進国では、他に類を見ません。道路に関しても、世界の他の国と同じ尺度で比較すれば、決して多いということはないです。少ないくらいです。現状は、公共工事の水準はかなり低い状況にあります。これでは、景気が悪いのも当然といえば、当然です。

日本の食料自給率が極端に低くて、40%を切っているなどというのも嘘です。実は、これは、カロリーベースで比較するから低くなるのであって、海外と同じような指標で計算すれば、もっともっと、自給率が高く、日本は、世界第6位の農業生産国であるという試算もあるくらいです。実際、食卓に登る野菜・果物のことなど考えてみれば判ることです。皆さんは、米、ジャガイモ、サツマイモ、里芋、卵、白菜、玉ねぎ、人参、りんご、なし、ブドウ、桜んぽなど、一体どこの国のものを食べていますか?無論、ほとんど国産でしょう。国産どころか、最近だと、地産地消の影響もあって、自分のすんでいる地域のものもかなり食されているのではありませんか?

日本は、輸出大国であるとか、輸出立国であるかのような考えが流布されていますが、これも真っ赤な嘘です。輸出産業は、日本国内では、少数派です。そんな馬鹿なと思う方がいらっしゃたら、実際に調べてください。輸出が日本のGDPに占める割合は、15~16%内外です。他の先進国では、40%を超えている国は、珍しくありません。中国も、ドイツも当然超えています。このように、低いのは、世界の中では、アメリカくらいなものです。そんな国のどこが、輸出大国だというのでしょうか?

これに関しては、今年の年度の初めのほうで、ある銀行が、円高は、企業運営に影響を及ぼすかというアンケートを中小企業にしてみたところ、「16%」の企業のみが影響があると答えていました。この16%という数字をみると、やはり、先程のGDPに占める輸出の割合と同じである、やはり、符号していると納得しました。要するに、確かに円高になると、中小企業は大変ですが、それは、全体からみれば、少数派だということです。

もう、あげれば、きりがないですから、もうやめますが、これらのこと、日本は、情報は比較的自由に集められるので、「誰でも調べればわかること」です。

このあたりで話を本題に戻します。自然災害の復興に「増税」で賄うことや、デフレの時に「増税」することなど、歴史上どこの国でも行われたことがないことは、「誰にでも調べればわかること」です。それを平気で口にする野田さんは、財務省の傀儡というより、物事の原理原則がわからないだけです。だから、傀儡のようにみえているだけです。

原理原則がわかっていない人は、誰かが何かを熱心に唱えれば、すぐに、動かされるのだと思いす。私は、野田さんなどをはじめ、菅さん、鳩山さんも、原理原則が全くわからない人なのだと思います。前原さんも、原理原則がわからないのだと思います。それこそ、民主党の閣僚の大部分が、それを理解していないと思います。あの経営学の大家ドラッカー氏は、国に限らず、組織のマネジメンドには、時代が変わっても、変らない、原理・原理原則があると語っています。それは、ハト派であろうが、タカ派であろうが、右翼、左翼であろが、全く変りない、そのようなことを超えた原理・原則があります。

新しいことは、目先で新しいだけであって、このような原理・原則を知らなければ、どんな組織でも、混乱するばかりです。このような観点から、野田さんが、傀儡であろうが、なかろうが、何も変わりがないと思います。というより、完璧な傀儡よりも、まだ始末が悪いです。完璧な傀儡であれば、この先何をしようとするのか、大体予測がつきます。だから、野党なども、対処法も自ずから、だいたいあたりをつけることができます。しかし、野田政権には、そのようなことは当てはまりません。
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