日本銀行 |
安倍晋三元首相が「日銀は政府の子会社」と発言したことについて、マスコミや野党から批判の声が上がっている。筆者からみると、数年に一度起こる現象だ。はっきりいえば、無知なマスコミが取り上げて、無知な野党が騒ぐだけだ。
安倍氏が言ったのは、以下の2点だ。
(1)日銀が購入した国債について、政府は利払いをするが、これは政府に戻ってくる
(2)日銀が購入した国債について政府が償還する必要がない
利払い・償還の負担がないことを「日銀は政府の子会社」と表現した。
(1)については、日銀は無コストの日銀券発行により国債を購入するので、政府から受けた利払いは収益になる。その収益は納付金制度があるので、政府に支払という意味で、正しい。また、(2)については、財政法に基づく予算総則の規定により、これも正しい。
安倍氏の発言は正しいので、その表現にも意図するところにも何も問題はない。このようなことが可能になるのは、民間でいえば、親会社と子会社の関係くらいしかないだろう。
「手段の独立性」
では、なぜマスコミは「日銀が政府の子会社」という表現に反応するのか。そもそも、(1)と(2)を正確に理解しているマスコミはほとんどいない。これは学者にもいえる。さらに「日銀の独立性」について、マスコミは正しく理解していない。マスコミのなかには、日銀が政府から独立しているかにように思い込んでいる人も少なくない。
日銀は政府機関であるし、政府は日銀の役員任命権(国会同意が条件)、予算認可権も保持しているので、民間でいえば、まさに「子会社」そのものだ。こうした状況は先進国の中央銀行でも同様だ。
そこで、中央銀行の独立性とは「手段の独立性」であるとされている。この「手段の独立性」とは、中央銀行は大きな目標について政府と共有しながら、日々の金利の上げ下げについて独立して行使する権限が付与されているということだ。これは、民間の親会社が経営目標を子会社に与えるが、日々の細かい経営にまでは口出しせずに子会社に運営を任せるとほぼ同じだ。このため、中央銀行は政府の子会社という比喩が使われることもしばしばだ。
この話は世界では常識だ。筆者は20年以上前に米国留学した際、のちにFRB(連邦準備制度理事会)議長になるバーナンキ教授から教わり、その後何度もいろいろなところで書いている。小泉政権のとき、副長官、幹事長、官房長官であった安倍氏にも何回も説明した。バーナンキ氏がFRBの要職になり来日したときに講演の機会があり、この話をしたが、不思議なことにこの箇所はマスコミで報道されなかった。もちろん、FRBのホームページにはしっかりと英文で書かれている。
政府の対応もお粗末
以上の経緯からみても、安倍氏の発言には何も問題ない。筆者からみると、今回のマスコミ報道は「またか」という印象だ。マスコミの記者は短期間のローテーションで移動するので、まったくの素人であり、「手段の独立性」という言葉も知らないだろう。そこで、トンチンカンなことが繰り返されるのだ。
政府の対応もお粗末だ。松野博一官房長官は「コメントしない」と言いつつ、日銀の自主性を尊重すると言っているが、まともに答えていない。ただし、今回マスコミでこれを追及しているのは、時事通信、毎日新聞、東京新聞くらいしかない。さすがに他紙は深追いしていないので、多少は学習効果があったのか。
それにしても、安倍氏は一部マスコミにとって「アイコン」なのだろう。首相の職から離れてもこれだけ話題になるのは驚かざるを得ない。
(文=高橋洋一/政策工房代表取締役会長、嘉悦大学教授)
●高橋洋一
【私の論評】「政府の借金」という言葉は間違いだが「政府の小会社」は、政府と日銀の関係を適切に表している(゚д゚)!
安倍元総理の発言を巡って、日経新聞は以下のような報道をしています。
財務相「日銀、政府子会社でない」 安倍氏発言を否定
鈴木俊一財務相は13日の閣議後の記者会見で、日銀の独立性に関して「日銀は政府が経営を支配している法人とは言えず、会社法で言うところの子会社にはあたらない」と述べた。「日銀は政府の子会社だ」とした自民党の安倍晋三元首相の発言を否定したものだ。日銀法により「金融政策や業務運営の自主性が認められている」と強調した。日銀は法的には、公的な「認可法人」なので、そもそも会社法とは関係ありません。鈴木財務大臣は、そのことを語ったのであって、安倍発言の特に「「(政府の)1000兆円の借金の半分は日銀に(国債を)買ってもらっている。心配する必要はない」というところまでは否定していません。
鈴木氏は日銀が保有する国債について「日銀が金融政策の一環として買い入れているもので、時々の金融政策によって大きく変動しうる」と指摘した。「永続的に日銀が国債を買い入れる前提に立った財政運営は適切とは考えていない」と訴えた。
安倍氏は9日、大分市で開いた会合で「(政府の)1000兆円の借金の半分は日銀に(国債を)買ってもらっている。心配する必要はない」とも語っていた。
民間の親会社が経営目標を子会社に与えますが、日々の細かい経営にまでは口出しせずに子会社に運営を任せるとほぼ同じだ。このため、中央銀行は政府の子会社という比喩が使われることもしばしばだ手段の独立性の表現として子会社という比喩はよくなされることです。
この比喩は、政府と日銀の関係をよく表しているものと思います。そうして、この「政府の小会社」という比喩は「政府の借金」という言い方に比較すれば、現実を良く表しいるともいえます。
このブログでも以前指摘したように、「政府の借金」という表現は完璧に間違いです。その記事のリンクを以下に掲載します。
日銀保有の国債は借金ではない 財務省の見解が変わらないなら国会の議論に大いに期待―【私の論評】高校の教科書にも出てこない「政府の借金」という言葉を国会で使わなければならない、日本の現状(゚д゚)!
この記事は、4月11日の参院決算委員会で、西田昌司議員が、政府の借金は日銀が保有する国債を除いて考えるべきだとの持論に、鈴木俊一財務相が、「その通りだなという気がする」と答えたと報じられたものに関するものです。
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、金融上の常識として、日銀保有の国債は借金ではないですし、そもそも「政府の借金」という言い方自体が全く間違いであり、これは政府や日銀の金融行動と個人の行動を同事件に扱うことからでてくる間違いです。それに関する部分をこの記事より抜粋します。
日銀は政府の子会社だから親会社の子会社に対する借金は、借金ではない、という話でしたが、親会社と子会社の間であろうが、借金は借金じゃないか、と素朴に感じる方もおられるかもしれません。仮に日銀は政府とは別の組織だと考えたとしても、日銀による政府に対する貸し出しは、私たち一般の国民が銀行や消費者金融からおカネを借りる、いわゆる「借金」とは全く異なります。第一に、日銀は政府に対して「貸したカネを耳をそろえて返せ!」という圧力はかけません。日銀はいくらでもおカネをつくり出せる存在ですから、貸したカネを返してほしい、という動機がそもそもありません。日銀以外の存在にとっては、おカネは大変に貴重な代物ですが、日銀にとっておカネは別に貴重でも何でもありません。なんといっても、おカネは「日本銀行券」であって、日銀が自らいくらでもつくり出すことができるのです。もちろん、借金の返済期日が来れば、政府は借りたおカネを返さなければなりません。でも、そのおカネを、政府はまた日銀から借りることができるのです。一般にこれは「借り換え」といわれます。つまり10万円を1年間借りていたとしても、1年後にまた10万円を同じ人から借りる、というのを延々と繰り返すことができるわけです。そうなれば実際、その借りたおカネを返す必要が延々となくなります。それと同じことが、政府は日銀に対してできるわけです。 第二に、普通、借金すると利子を払わないといけませんが、さきほども指摘したように、政府が日銀からおカネを借りた場合、利子を払う必要がありません。これが、法律で定められています。 だから、あっさりいうと、日銀から政府がおカネを借りた場合、政府はその利子を払わなくてもいいし、元本そのものも延々と返さなくてもいいのです。返さなくてもいいし利子もない借金など、もう一般社会における借金ではありません。はっきりいって、「もらった」のと全く同じ。 なぜ、そんなふうに「日銀から政府への貸し出し」は、私たちの借金と違ってものすごく優遇されているのかというと、それはひとえに日銀が政府の子会社だからです。したがって、日銀が政府の一部だと考えても、そう考えずに独立の存在だと考えても、結局は、日銀から政府が借りたおカネは、いわゆる普通の「借金」としては考えなくても良いのです。ということになるんです。 たとえば、政府と日銀はものすごく仲の良い親子がいて、子どもが親からおカネを借りて、一応親は「貸した」とはいってるけど、利子も取らないし、返せともいわない、というのと同じような関係といえます。それも親密な親子関係は、いつまで続くとも限りませんが、日銀と政府の関係は法律で規定されています。以上は、おカネについてある程度知っている銀行員や税理士、財務官僚なら、「当たり前の常識」として知っている事実です。高校の「政治経済」にも当たり前に解説されていることです。ただ、もともと「借金」などではないので、高校の教科書では「借金」という言葉は使わないので、多くの人が別の話として理解していないのかもしれません。
この記事でも、日銀を「政府の子会社」と表現しています。これは、日銀と政府の関係を比喩的ではありますが、正しく表しているからです。
ただ、厳密にいえば、日銀は会社法等で定めらた小会社ではありませんから、厳密にはそうではありませんが、比喩的に使うならば正しいです。そうして、「政府の借金」という言葉は、個人の行動と政府・日銀などの金融行動を同次元に扱っているという点で全くの間違いですし、誤解を招きやすいてす。
この記事でも述べたのですが、西田昌司議員が、「政府の借金」という言葉を用いたのは、あまりにこの言葉が使われてしまっているので、その言葉を使わなければ説明できないから使ったのでしょうが、彼自身は「政府の借金」なる言葉は、不適切と思っていることでしょう。国会で質問する西田昌司議員 |
鈴木俊一財務相が、「その通りだなという気がする」と答えたのは、そもそも「政府の借金」なる言葉は適切ではないで、「その通り」とは言い切れないからでしょう。無論、鈴木氏がそう考えて発言したかどうかは、定かではありませんが、国会の答弁の雛形は財務省が作成するので、さすが財務省も「政府の借金」という言葉を国会で認めるわけにもいかず、「その通りだという気がする」という雛形を作成したのかもしれません。
言葉というものは、厳密に使わないと、誤解を招くことになりますが「政府の小会社」という言葉は比喩としてはかなり理解しやすいです。比喩として用いるなら全く問題はないです。問題がないどころか、政府と日銀の関係を適切に表しています。
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