日本は強制力のない自粛要請でも感染拡大を
抑え込んだ=9日、東京・原宿の竹下通り
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日本の新型コロナウイルス対策は、都市封鎖など強制力のある措置を取らなかったが、欧米などに比べて感染者数や死者数を抑え込んでいる。その理由を日本の歴史や日本人の衛生観念にあるとみるのは、国際投資アナリストの大原浩氏だ。緊急寄稿で大原氏は、コロナ後に世界経済が大きく変貌するなかでも、日本はV字回復を果たし、黄金時代を迎える可能性があると予測する。
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何があっても安倍晋三首相のせいにする「アベノセイダーズ」は、「モリ・カケ(森友学園、加計学園)」「サクラ(桜を見る会)」に続いて、ウイルスまで政権転覆画策の道具にしている。
偏向メディアも「政府の対応が悪い」の一点張りだが、日本のウイルス対策は結果を見る限り、誇るべきものだ。PCR検査数が少ないから感染者数や死者が少なく報告されるという論調があるが、至近距離で粘膜を採取することで感染を逆に広げる恐れがある検査をやたらに増やすことは危険だ。「抗体検査」も正確性などの点からそれほど意味があるとは思えない。
「超過死亡」という指標は、簡略化すれば「平年に比べてどれほど死者が増えたか」という数字だ。東京で2月に一時的に増えたが、全国的には目立った増加が見られない。検査の数がどうであろうと、はっきり確認できるほど死者は増えていないということである。
日本が成功した要因はいろいろ考えられるが、日本人の衛生観念の高さは重要なものの一つだ。神社で参拝する前に手水(ちょうず)で手を洗う習慣は、古代に感染症が広まったときに始まったとされるし、火葬が早い時期に普及したのも死体からの感染を防ぐためであったと考えられる。
靴を脱いで入る日本の家屋は土足で歩き回る欧米の家よりもはるかに清潔で、握手やハグと違って約1・5メートルの距離を維持できるお辞儀も優れた社会習慣だ。
中古品市場が普及する前の日本人の「新品志向」も理由があったといえる。逆に言えば、これから急速に復活する「新品志向」で、シェアビジネスや中古品市場は大きな打撃を受けると思われる。
また、エネルギー効率の面から機密性が低い日本家屋は非難されてきたが、風通しが良いのは、夏の暑さ対策だけではなく、ウイルス対策の面もあったと思われる。
日本には、少なくとも聖徳太子の時代から約1400年の歴史を持つ「世界最古の国」として「社会的ノウハウ」の蓄積がある。まだ油断すべきではないし、第2波の可能性も高いが、ここまでの「成功の要因」は一般の日本国民の水準にあるといえる。強制的措置を伴わなかったにも関わらずこれだけの成果を残すことができたのは驚異的だ。
経済面でも日本に追い風が吹いている。約260年間鎖国をしていた江戸時代に高度な文化・社会が生まれ、開国後、世界を驚嘆させるスピードで欧米諸国に追いついたのも、江戸時代の豊かな蓄積があったからである。
新型コロナウイルス蔓延(まんえん)で強まる自給自足型経済に日本は向いている。学校では「貿易立国」と教えられてきた日本だが、貿易依存度は、近隣諸国に比べてかなり低い。
不思議なことに、日本は冷戦時代に繁栄した。戦後の大不況で崩壊しかけた日本経済を救った1950年の朝鮮戦争は、東西冷戦の始まりでもあった。冷戦体制は89年のベルリンの壁崩壊で綻(ほころ)び、91年のソ連崩壊で決定づけられた。日本のバブルは90年頃崩壊し、グローバリズム進展の中で経済が低迷してきた。
偶然の一致かもしれないが、感染症対策として国境を越えた人間の移動がこれからかなりの間制限されることなどを考えると、「自給自足」に強い日本経済の黄金時代がやってくると考えるのは合理的だ。ただし、日本のアキレス腱(けん)である食糧とエネルギーについては真剣に考えるべきで、それらの大生産国である米国との緊密な関係は極めて重要である。
■大原浩(おおはら・ひろし) 人間経済科学研究所執行パートナーで国際投資アナリスト。仏クレディ・リヨネ銀行などで金融の現場に携わる。夕刊フジで「バフェットの次を行く投資術」(木曜掲載)を連載中。
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■日本の低死亡率「新仮説」に注目
日本の新型コロナウイルス対策は「PCR検査が少ない」「自粛措置が甘い」などの批判もあったが、欧米などに比べて死者数や死亡率がケタ違いに少ない。この謎について、京都大学大学院医学研究科の上久保靖彦特定教授と、吉備国際大学(岡山県)の高橋淳教授らの研究グループは「日本ではすでに新型コロナウイルスに対する集団免疫が確立されている」という仮説を発表して注目。5月9日発行の夕刊フジ紙面に大きな反響があった。
同研究では、感染力や毒性の異なる3つの型のウイルス(S型とK型、G型)の拡散時期が重症化に影響したといい、日本は入国制限が遅れたことが結果的に奏功したとしている。
【私の論評】今後も続く人手不足が、日本を根底から変える。普通の人が普通に努力すれば応分に報いられる時代がやってくる(゚д゚)!
日本では、令和時代に入ってから黄金時代を迎えるだろうという、意見の経済学者も存在していました。私自身は、経済学者ではないですが、そう思っていました。以下では、日本国内ではどうなるかに力点をおいて説明します。
平成時代は、幕開けこそバブルが頂点にさしかかった「日本経済の絶頂期」でしたが、バブルが崩壊してからは、まともな(日本の主流派ではない)エコノミストらが確実に、そうして正確に予想した通り、長期低迷が続き、マクロ経済面ではまことに暗い時代でした。
諸問題の根源は、失業でした。当初はバブルの崩壊や、それに伴う不良債権問題が失業の主因とされていましたが、それが一段落しても失業問題が続いたのは、本源的な理由が別にあったからです。
それは、このブログで何度か掲載したように、バブル絶頂期には、確かに土地や株などはあがっていましたが、一般物価などはあがっておらず、インフレではなかったにも関わらず、日銀が金融緩和をしてしまったことです。更に追い打ちをかけるように、財務省が緊縮財政政策を取り続けたことです。
これによって日本はデフレに陥ったのですが、それでも日銀や、財務省は姿勢を変えず、金融引締と緊縮財政を続けました。平成時代は一部の例外を覗いて全期間がそのような状態でした。
日本では、令和時代に入ってから黄金時代を迎えるだろうという、意見の経済学者も存在していました。私自身は、経済学者ではないですが、そう思っていました。以下では、日本国内ではどうなるかに力点をおいて説明します。
平成時代は、幕開けこそバブルが頂点にさしかかった「日本経済の絶頂期」でしたが、バブルが崩壊してからは、まともな(日本の主流派ではない)エコノミストらが確実に、そうして正確に予想した通り、長期低迷が続き、マクロ経済面ではまことに暗い時代でした。
諸問題の根源は、失業でした。当初はバブルの崩壊や、それに伴う不良債権問題が失業の主因とされていましたが、それが一段落しても失業問題が続いたのは、本源的な理由が別にあったからです。
それは、このブログで何度か掲載したように、バブル絶頂期には、確かに土地や株などはあがっていましたが、一般物価などはあがっておらず、インフレではなかったにも関わらず、日銀が金融緩和をしてしまったことです。更に追い打ちをかけるように、財務省が緊縮財政政策を取り続けたことです。
これによって日本はデフレに陥ったのですが、それでも日銀や、財務省は姿勢を変えず、金融引締と緊縮財政を続けました。平成時代は一部の例外を覗いて全期間がそのような状態でした。
そのため、日本は極度のデフレと円高に見舞われることになったのです。為替相場というと、酷く難しく考える人もいますが、短期的には予測は確かに難しいですが、長期的には、当外国の金融政策により正確に予測できます。
要するに、他国が金融緩和をしているのに、当該国が緩和しなければ、当外国の通貨は希少となり高くなります。平成時代の日本はまさにこの状況でした。
日銀の引き締め傾向のため、人々が勤勉に働いて物(財およびサービス、以下同様)を大量に作り、人々が倹約して物を少ししか買わなかったために、物が大量に売れ残りました。そこで企業は生産量を減らし、雇用を減らしました。それによって、大量の失業者が生まれたのです。
人々がバブル時代と同じように働いて物を作り、バブル時代よりはるかに質素な暮らしをすれば、大量の失業が生まれるのも、仕方なかったといえます。
失業は、失業した人を不幸のどん底に落とし入れます。経済面での苦境のみならず、「自分は世の中で必要とされていないのではないか」といった気持ちにさせることもあるようです。しかし、それだけではありません。
失業者が大勢いると、企業は雇いたい時にいくらでも安い時給で非正規労働者が雇えます。そうなると、労働者を正社員として囲い込む必要がないので、正社員の採用を減らして非正規労働者を大勢雇うようにな。
そうなると、正社員になりたくてもなれず、非正規労働者として生計を立てざるを得ない人が出てきます。当然、時給は低いし雇用は不安定になります。ワーキングプアと呼ばれる人々です。彼らも、失業問題の派生的な被害者です。
増加傾向にあったワーキング・プア |
失業者が大勢いる経済では、労働生産性が改善しません。例えば飲食店は、安い非正規労働者に皿を洗わせることができるため、労働生産性を向上させる自動食器洗い機を購入しなくなります。
また、労働生産性の低い企業が安い賃金で労働者を雇えるため、「安い賃金しか払えない労働生産性の低い企業から、高い賃金の払える労働生産性の高い企業に労働者が移動することで、国全体の労働生産性が改善する」ことも起こりにくくなります。
日本経済はコロナ以前から、労働力不足の時代を迎えたが、アベノミクスの成果である金融緩和によるものです。確かに物価目標は達成はしていないものの、雇用はかつてないほどに改善し、労働力不足になりました。ただし、安倍政権になってからも、2度にわたって増税をしたため、GDPは伸びず、今年になってからはむしろマイナスです。コロナ以前でも、過去の好況時とは比較にならないほど緩やかな景気回復でした。
それでも労働力不足なのは、日銀が、従来の異次元の包括的金融緩和政策から、イールドカーブコントロールに転じて、緩和姿勢を緩めたのですが、それにしても緩和を継続したためです。ただし、そのために未だに物価目標を達成できていません。
コロナ禍後には、この流れは続くでしょう。コロナ禍後は、日銀はさらなる緩和に踏み切ることはあっても、引き締めに踏み切ることはないでしょう。さらに仮に明日から出生率が劇的に上がっても、あと18年は労働市場への新規参入が増えることはありません。子どもが生まれてから、働けるようになるには現在では、少なくとも18年はかかるのです。
つまり、日本経済は当分の間、労働力不足が続く可能性が高いです。あと10年もすれば、「好況時は猛烈な労働力不足、不況時は小幅な労働力不足」といった時代になるでしょう。さらには、失業者が大勢いる経済では、財政赤字が膨らみやすいです。それは景気が悪いので税収が増えず、一方で失業対策の公共投資等も必要になるからですが、それだけではありません。仮に増税しようとすると「増税で景気が悪化して失業者がさらに増えたら困る」という反対論が巻き起こるからです。
そのため、さすがに国民生活は無視してでも、省益のため増税しようという動きは封殺されるどころか、コロナ禍の現状では、減税の声も大きくなっているからです。
今後、労働力不足の時代が来ると、失業に悩む人がいなくなります。これは素晴らしいことです。さらには、今まで仕事探しを諦めていたため失業者の統計に入っていなかった人々までも、仕事にありつけるようになります。つまり、1日4時間程度しか働けない高齢者や子育て中の主婦などでです。実際、現状でもそうなりつつあります。仕事の意欲と能力がある人が全員仕事にありつける経済は、実に素晴らしいです。
ワーキングプアの生活も、マシになっていくでしょう。非正規労働者の待遇は、労働力需給を素直に反映するからです。労働力不足になれば、時給を上げないと労働力が確保できないし、現在の労働者も引き抜かれてしまうので、雇い主は非正規労働者を確保するために時給を上げざるを得なくなるのです。
一方で、正社員の給料はそれほど上がらないかもしれません。若手の給料は、採用難から上がっていく可能性もありますが、中高年社員の給料が上がることはあまり期待できないかもしれません。
特に雇用自体が身分保障のような大企業では、正社員は、中高年になってから辞めると損なので、彼らは給料を上げなくても辞めません。したがって、雇い主としては彼らの給料を上げるインセンティブを持たないからです。
そうなると、やがて同一労働同一賃金に近づいていくことになります。最も恵まれない人々が仕事にありつき、ワーキングプアの待遇が改善し、中高年正社員の給料が上がらないと、格差は縮小してゆくことになります。
ただし、当然のこと本当能力のある人は、昇進の階段を素早く上り、給料もあがることになります。その機会は、従来よりもかなり増えることになります。本当に能力のある人とそうではない人との間に差がつくのは当然です。本当に能力のある人とは、人手あまりのときに重用された調整型ではなく、人手あまりのときにはあまり必要のなかった、本当にマネジメント能力や、イノベーション能力のある人です。それでも、飽き足らない人は新規開業するでしょう。そのようなチャンスも多くなります。
人手あまりのときに、起業が重視した要素はコミニケーション能力=調整能力 |
ブラック企業もホワイト化せざるを得なです。社員が「辞めても転職が容易だ」と思えば、次々と辞めていくから、ホワイト化しないと社員がいなくなってしまうからです。パワハラ上司やセクハラ上司もいなくなるでしょう。理不尽なことをすれば、社員はすぐに辞めて他の会社に移ることになるからです。
日本経済の効率化も進むはずです。労働力不足に悩む企業は、省力化投資に注力するため、省力化が劇的に進むでしょう。これまで省力化投資のインセンティブが乏しかった分だけ、日本企業は省力化投資で効率化する余地が大きいからです。コロナ禍はこれに更に拍車をかけることになるからです。
日本経済の労働生産性が上がる理由は他にもあります。失業対策としての公共投資は不要になるし、生産性が低くて高い賃金の払えない企業から労働者が抜け、生産性が高くて高い賃金の払える企業に労働者が移るからです。
さて、上の記事で、「コロナ禍後には、学校では「貿易立国」と教えられてきた日本だが、貿易依存度は、近隣諸国に比べてかなり低い」としていますが、実際どのくらいかといえば、日本は十数%です。中国や、韓国は数十パーセントです。ちなみに、米国は8%前後です。日米の貿易がGDP占める割合は、世界順位でいうと最下位に近いです。
日米などは、もともと内需の大きい国なのです。しかし、学校で習った「日本=貿易立国」が頭から抜けきらない高齢者などは、「いや確かに、自動車などを輸出している輸出企業は、日本全体からみれば、少数かもしれないが、それが他産業に及ぼす影響は計り知れないので、日本は貿易なしではやっていけない。それに、昔はもっと輸出の比率は高かったはずだ」等というかもしれません。
しかし、20以上以上前というと、日本では、輸出がGDPに占める割合は、現在の米国に近い8%くらいなものでした。
輸出産業は裾野が広いというのは、事実そうなのかもしれませんが、同じ手法をつかって統計をとって、日本は輸出がGDPに占める割合が低いのですから、米国と同じように内需で伸びてきた国ということができます。ただし、平成期間中はほとんどがデフレだったので、国内では物を作っても売れないので、輸出が増え8%台から10%台にまで増えたということです。
しかし、コロナ後は、またこの数値が8%くらいまで低くなるかもしれません。なぜなら、コロナ禍で、マスク等がなくなってしまったようなことがないように、多くの産業が国内回帰するか、日本が信頼できる国に生産拠点を移すことが考えられるからです。
そうなると、内需が増えて、人手不足はまだ続きそうです。そうなると、企業にとっては日本国内での競争の激しい時代になるのは明らかですが、それにしても、コロナ禍で不安定な世界情勢を考えれば、カントリーリスクや、為替リクスを回避するためには、日本国内で競争せざるをえず、人手不足はますます深刻になり、多くの国民にとっては黄金時代に迎えることになるのは、確かなようです。
ただ、日銀が金融引締に、財務省がコロナ禍終息後に増税するなどのことが考えられますが、すでに、平成年間の大失敗の理由は明らかになりつつあるととにも、日銀、財務省のような省庁や政治家の事務所においても、人手不足になるのは、目に見えており、これに合理的な対応をしつつ、他方で非合理な金融政策、財政政策をするなどのことは考えにくいです。
今までは、企業も官庁も、政治家も、人手が余っていたので、それこそ、経営者や高級官僚が、従業員や国民のことなど真摯にそうして、親身に考える必要もなく、替わりの人間などすぐに得ることができたので、小人閑居して不善を成すを地で行くような自堕落な働きかたをしてこれました。皆さんも、「なんであんな馬鹿な人間が、高級官僚や、大企業の経営者になれたのだろう」と不思議に思ったこともあったかもしれません。
人手あまりの時代には、マネジメント能力やイノベーション能力がなくても、調整型の極端なことをいえば、今話題の人のように、夜中まで麻雀ができる人間が、重宝されたのです。下手にまともに管理をしたり、イノベーションをする人は疎まれることも多かったのです。
馬鹿な人間は、国民が困っていようと、大きな危機が迫っていても、呑気でおられたのですが、今後そのような人間は、あらゆる方面で、淘汰されることになります。人手不足がそれを許さなくなるからです。
これから、官庁の仕事だって、大きな部分が民間に委託されて、官僚はそれを管理するだけということにもなるかもしれないのです。人手不足の時代は、今まで考えられなかったことが、起こるのです。しかし、このような変化は以前も述べたように、コロナ禍によって引き起こされるのではなく、起こるべくして起こるのであり、コロナはそれを顕にしたに過ぎません。
日本では、まずはコロナ後は世の中が根底から変わる未曾有のレジームチェンジが起こるというより、既存の知識で考えて不合理なこと、まともな世の中では不都合なことが急速に変革されていくことになるでしょう。
民間企業では、アウトソーシングがさらに進むことになるでしょう。ぼんやりしていると、入社時と同じ仕事をしているにもかかわらず、会社は別会社になってしまっているということが起こり得るのです。
本当に賢い人だけが、入社時より高い管理能力や革新能力を身につけ成長して、入社時と同じ会社の残ることができるかもしれません。それに飽き足りない人は、先にも述べたように起業することになるでしょう。そうして、終戦直後のように、日本で次世代を担うような革新的な起業が輩出することになるでしょう。
普通の人が困らず生活できて、努力すれば応分に認められ、リーダーを目指す人や、現状リーダーである人には、カリスマ性や、セールスマンシップや調整力ではなく、真の意味でのリーダーシップが求められるようになるのです。
普通の人が困らず生活できて、努力すれば応分に認められ、リーダーを目指す人や、現状リーダーである人には、カリスマ性や、セールスマンシップや調整力ではなく、真の意味でのリーダーシップが求められるようになるのです。
常に人手不足にさらされるこれからの時代には、合理性を無視した極端な緊縮財政や極端な金融引締は回避されるのではないかと思います。であれば、日本は黄金時代を迎えるのは、間違いないと思います。
ただ、日銀や財務省は、国民による厳しい監視を続け、昨年の増税などの非合理な動きをしたときには、厳しく糾弾していく必要性は、ここしばらくはありそうです。