2012年1月31日火曜日

なぜこんなことを? Googleはサイト閲覧履歴からあなたの年齢と性別を予想している−【私の論評】自分が世の中の中心からかけ離れていないかを見る尺度としても利用できるかも?




みなさんはご存知だっただろうか? 普段使っている検索エンジン「Google」が私たちのサイト閲覧履歴から、私たちの年齢と性別を予測していることを。

まずはこのページ(https://www.google.com/settings/ads/onweb/?hl=ja)へ飛び、Googleがあなたの年齢・性別をどう予想しているのかをご覧頂きたい。

いかがだろうか? そこにはあなたの興味・関心を表す「カテゴリ」、そしてGoogleが予想する年齢と性別を記した「ユーザー属性」というものが示されている。

ちなみに当編集部の男性5名・女性2名に、このページを見てもらったところ、「年齢」も「性別」も7人中5人が的中するという結果になった。

それでは一体、なぜGoogleはこういうことをしているのだろうか? その答えは、いたってシンプル。あなたの興味にあった広告を表示するためである。

例えばあなたがガーデニング関連のサイトを多く見ていたら、恐らくGoogleはガーデニング商品の広告を多く画面に表示させるだろう。(ポルノサイトなどの物議をかもす履歴情報は集めていないらしい)

また、女性のユーザーが多く訪れるサイトにアクセスしていたら、Googleはあなたを女性と予想し、女性向けの広告を出してくるだろう。

しかしこういった形で、個人情報が使われることを嫌うユーザーがいるのもまた事実。そういう方は、画面左上にある「オプトアウト」をクリックして設定を行えば、あなたの興味・ユーザー属性に応じた広告は表示されないようになる。

ただしGoogleが、ブラウザ上で広告を出すこと自体はやめさせられないので、そこはあしからず。

(文=田代大一朗

参照元:Daily Mail(英文)

【私の論評】自分が世の中の中心からかけ離れていないかを見る尺度としても利用できるかも?

本日は、Googleの広告は、自分のどのようなイメージに基づいて出されているのかを、Googleの変わったLOGOの写真(笑)とともに掲載させていただきます!!



私もこのサイトで、自分のものを見てみました。その結果が以下です。

カテゴリ
Google が Cookie に関連付けた興味/関心と推定のユーザー属性を下で確認できます。これらはいつでも削除または編集できます。
コンピュータ、電化製品
ショッピング
ニュース - ビジネス ニュース

ユーザー属性
Google では閲覧したウェブサイトに基づいてユーザーの年齢と性別を推定します。これらはいつでも削除または編集できます。
年齢: 25~34 歳
性別: 男性

ユーザー属性の年齢は、実年齢よりも若くなっていたので、これは喜んでいいのかどうなのか、解釈に苦しむところです。性別は、男性とでていました。これは、男性でありながら、女性と表記される人もいるのでしょうか? とすると、その人は、消費パターンとしては、男性でありながら、女性とみなしても良い消費をしているということでしょうか?他の人の結果も知りたいところです。


それから、ユーザー属性の中には、血液型の予測は入っていません。それは、当たり前のことです。血液型で分類行動などできないからです。日本では、一部の血液型性格診断をお金になるということで、あたかも、それが科学的手法であるかのようにして言う人間もいますが、血液型と性格とは全く関係ありません。無論購買パターンとも全く関係ないので、Googleもこのようなことを実施していません。血液型性格診断は、すでに前世紀に様々な実験や統計から、全く虚偽であることが解明されています。さらに、血液型性格診断を口にするのは、世界では、日本と韓国くらいなものです。海外に行って、これは口にしないほうが良いでしょう。すれば、変人扱いされるだけです。


いずれにせよ、これは、広告をする上での消費パターンの分類ということであり、実年齢とか、当該人物の属性、能力などをはかるものではないと思います。

カテゴリでは、コンビュータ、電化製品がトップになるのは、わかるのですが、ショッピングが2位になっているのは、自分でも驚きでした。とはいえ、結構amazonで買い物をしているのも事実なので、ある意味納得です。


Googleとしては、ユーザー属性に関してこのような予測をたてて、それに基づいて広告を掲載するというのも当然のことと思います。Googleだって、営利企業ですから、ユーザーに様々な便益を提供しつつも、どこかで収益をあげなければならないわけです。Googleの収益の9割以上は、未だに広告によるものであることを忘れてはいけないと思います。

このサイト、他にも利用できそうです。自分の考えが、世の中の中心と考える人も多いようですが、それは、自分ではわからないものです。自分の興味/関心に関してどのような偏りがあるのか、あるいは、実年齢は別にして、推定年齢が、50歳以上であるとか、逆に10代以下であれば、どこかずれているのかもしれないとか。そうした、見方もできるのではないかと思います。


無論この結果がどうでたからといって、気にする必要はないとは思いますがも、とはいいながら、もし、女性なのに男性という結果がでたり、年齢が70歳以上などとでた場合には、やはり、自分の感覚は普通とは、かけ離れているかもしれないと考えたほうが良いかもしれません。無論、だからといって、購買行動を変えるなどのことはする必要は全くないですが、たとえば、マーケティングをしていて、ターゲットを絞っているときなど、自分の感覚が他の人とかけ離れていることを意識しなければならないと思います。


でも、これって、プロのマーケッターには、常識だとは思います。自分が好きだからといって、単純に売れると考える人はプロではないですね。自分が好きであることと、当該製品などを市場に出して売れる売れないは別次元の問題ですから。

皆さんも、ぜひご覧になってください。



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ドコモ、宅配野菜のらでぃっしゅぼーやを買収へ−【私の論評】ドコモが狙うのは何か?

 ドコモ、宅配野菜のらでぃっしゅぼーやを買収へ



NTTドコモが宅配野菜でおなじみ「らでぃっしゅぼーや株式会社」の株式公開買い付けを行います。3月12日まで株式の買い付けを行い、発行株の51%以上を取得することで子会社化を目指す方針。すでにらでぃっしゅぼーや自身や、大株主のジャフコ(系の投資事業有限責任組合)らとの合意を済ませており、近いうちに国内最大の通信キャリアと、国内最大手の宅配野菜サービスによるコラボレーションが実現する見通しです。日経によれば、全株式を取得した場合の買収額は69億円。

また、らでぃっしゅぼーやの子会社化が完了したあと、ドコモは一部株式をローソンへ譲渡する予定。通信キャリア、コンビニ、宅配ビジネスと、面白そうな三角形の業務提携が描かれることになります。産地直送系からネットスーパーまで、宅配サービスが注目を集める今日このごろ。スマートフォンからの野菜注文や、野菜のコンビニ受け取り & 決済はもちろん、農園ゲームでほっこりしながらリアル野菜ゲット、あるいは有機野菜定額プラン、野菜2.0による反撃を楽しみにしたいものです。

【私の論評】ドコモが狙うのは何か?

一連の通信障害を謝罪するドコモ

最近ドコモといえば、例の通信障害が大きな話題となっていましたが、こんなこともやっていたのですね。無論株式の公開買い付けによる、買収ですから、直接ドコモが「らでぃしゅぼーや」を運営するわけではないのでしょうが、それにしても気になる動きです。さらに、一部株式をローソンンに譲渡というのも気になる話です。(下は、ドコモのスマートフォン)
ドコモのスマートフォン

将来的には、これらが共同して、野菜を宅配するのは、もとよりコンビニでも販売するということでしょうか? 「らでぃっしゅぼーや」自体は、宅配ですから、営業店舗そのものは、持っていませんが、全国各地の野菜農家と提携すると共に、全国各地に配送センターを自前でもっています。これを、ドコモは、どうしようというのでしょうか?

ドコモといえば、携帯電話、最近では、スマートフォンの会社です。これからは、ほとんどがスマートフォンになることでしょうが、こうした会社がなぜ、このようなことをするのか探ってみます。




気になったので、調べてみたところ、すでにローソンでは、 "Radish Lawson  SUPERMARKET"(らでぃっしゅ ローソン)という名称で、サイト(写真上)で野菜などの販売をしていました。

ドコモは従来は携帯電話のキャリヤーであるとともに、ガラケーを販売していましたが、現在スマートフォンを販売しています。しかし、これだけでは、立ち行かなくなるという危機感を抱いているのだと思います。何しろ、ドコモの販売しているスマートフォンは、Androidであり、これは、Googleが規格を定めているものであり、この規格で販売している限り、いくらスマートフォンが売れたにしても、それだけでは、利益幅の少ない素材型産業のようになってしまうことは火を見るより明らかです。キャリアーとしての事業も従来のように旨みはなくなってきました。



これに対して、Googleは、自らもスマートフォンを開発していますが、それも、自ら作成しているわけではありません。他社にアウトソーシングしています。いずれにせよ、Googleにとっては、自社開発の電話や、他社が開発するスマートフォンが売れれば、それをユーザーが使用し、Googleの検索エンジンなどのサービスを利用してGoogle関連のサイトのトラフィックが増すことになり、そこに広告を掲載しておけば、それが、収益になるわけです。トラフイックが増えれば、増えるほど、収益は増えます。Googleは、いろいろなことを手がけていますが、いまだに収益の9割以上は広告収入によるものです。

アッブルも単に、iPhoneを販売しているだけではなく、それを窓口として、iTunesにより、電子書籍、アプリ、音楽など配信していて、それが利益うみだすわけです。

しかし、ドコモが電話を販売してキャリアとして事業をしていても、いまのところアップルや、Googleのようなビジネスモデルはないため、スマートフォンを販売するだけでは、非常に利益率の低い事業になってしまうわけです。だから、今回このようなことを手がけ、他のビジネスモデルを模索しているのだと思います。

最近はeコマースを他のものと差別化することは困難になっています。eコマースは、通常ユーザーが自宅のパソコンから、他社製のブラウザを用いて実施するものです。だらか、ユーザーにとっては、eコマースは、自宅のパソコンから垣間見るいくつもあるサービスのうちの一つという位置づけになります。最初は、eコマースそのものが、物珍しかったのですが、今は当たり前になり、他社との差別化は困難を極めています。だからこそ、Appleや、Amazonは、独自のタブレット端末を導入して、他社との差別化をはかったのです。

最近では、特にスマートフォンを活用したO2O(オンライン・ツー・オフライン)というビジネスが注目されています。このO2Oに関しては、以前にもこのブログに掲載したので、詳細はそちらをご覧いただくものとして、私は、将来、物理的な店舗を多数持つチェーンが、eコマースを行い、さらに、O2Oも実施し、しかも、これらをバラバラに運用するのではなく、統合して運用するようになれば、既存の eコマースにとって、かなりの脅威となることを述べました。そうして、そのようなところで、統合をうまくしたところが、頭角をあらわしていくことになることも掲載しました。


私は、ドコモはスマートフォンを活用したO2Oを模索して、新たなeコマースを開発し、それ自体をビジネス・ソリューションとして製品化するとするとともに、自らもeコマース自体にも進出しようとして模索しているのだと思います。さて、今後この三者の提携どのように発展していくのか、何か新しい動きがあれば、また、掲載させていただきます。


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2012年1月29日日曜日

愚民思想が根強い人気を持つ理由―【私の論評】関西風のほうが、おもろいかも?


愚民思想が根強い人気を持つ理由

今回は宮島理さんのブログ『フリーライター宮島理のプチ論壇』からご寄稿いただきました。

■愚民思想が根強い人気を持つ理由
野田政権の支持率がわずか4カ月で半減した。わずか4カ月で支持から不支持に回った人々は“愚民”なのだろうか。世論調査によれば、野田政権の支持率が急落している。読売新聞社*1の調査では、就任時に65%もあった支持率が、今では37%にまで下落している。続きを読む


【私の論評】関西風のほうが、おもろいかも? 


さて、分析するため、上の記事の核心部分をしたにコピペしておきます。
番組スタッフが綾小路きみまろの毒舌ネタを見せた後に感想を聞くと、多くのファンが「いるよね、こういう人(笑)」という反応を見せていた。ファンにとって、毒舌は自分自身に向けられたものではなく、あくまでも“自分以外のかわいそうな中高年”を綾小路きみまろと一緒になってイジッている感覚だったのだ。
このような鈍感力は、ベストセラーになった『バカの壁』にも通じる。私はこの本を読んだとき、「はいはい、どうせバカで話が通じなくてすみませんね」と、養老センセイに腹を立てたものだったが(笑)、どうも世間の反応は違ったらしい。
 この本を読んだ人の多くは、「いるよね、こういう話の通じないバカ」と、溜飲(りゅういん)を下げていたというのを知って、私は軽くショックを受けた。「みんな、よほど自分に自信があるんだな」と半ばうらやましくなったと同時に、「こういう鈍感力を発揮することで、世の中は丸く収まっているんだな」と、アホみたいな当然の事実に気づかされたのだった。

 世の中には、このような反応を示す人と、上の寄稿の著者のように感じる人と二通りがあるようですね。無論どちらが、正しくて、どちらが間違いということはないと思いますが、私は、どちらかといえば、この寄稿の著者とは反対のタイプのほうです。綾小路のほうは、まだ対象の年齢まではいっていないせいでしょうか、“自分以外のかわいそうな中高年”を綾小路きみまろと一緒になってイジッている感覚です。 とはいっても、限度はわきまえていて、いつも、上限すれすれまではいきますが、それを超えることはありません。さすが、熟達した芸人だと思います。この人なかなか若いときには売れずに、売れ出したのは、齢50くらいのときからというのですからただものではないと思います。


養老センセイの書籍を読むときは、 「いるよね、こういう話の通じないバカ」と、溜飲(りゅういん)を下げているときと、自分のことに当てはめるのと、両方あります。でも、どちらかといえば、溜飲を下げていることのほうが多いです。 

それから、これに関する受け取り方は、関東と関西でも随分違うのではないかと思います。以前テレビで見ていたら、関西人は個人プライベートにも結構入っていく傾向がありますが、関東人にはそのような傾向はなく、そこで関西人と関東人の行き違いが生じることがあるようです。

日常会話で、関西人が、話し相手のボケにどんどん突っ込みを入れていく感覚というのは、関東人にはなかなか理解できないところがあると思います。 先の綾小路さんの例は、関西人からしてみると、やはり、自分のボケに突っ込みを入れられているという感覚に近いのではないかと思います。 もしかすると、養老センセイの著書も関西人には、自分のボケに突っ込まれているという感覚もあるのではないかと思います。それに、「愚民」とはっきり言ってしまうと、救いようがありませんが、「ボケ」なら、救いようがあるような気がします。


ボケにもいろいろなレベルがあります。オオボケから、コボケまで・・・・・。でも、愚民だと、文字通り愚かな民ということで、救いようがないばかりか、こういう言い方は、上から目線に聴こえてしまいます。ボケであれば、あくまでボケであり、オオボケは困りますが、普通のボケならなんとかなるレベルということで、救いようがあります。皆さんは、いかがですか?

さて、以下に関西と、関東の芸人の芸風について掲載しておきます。


関西芸人
やすしきよし…目のデカさやギャンブル好きを暴露して笑い 
ナイナイ…チビやサル顔や動きで笑い
FUJIWARA…顔のデカさやアホな芸で笑い
ケンコバ…自分の変態ぶりで笑い



 関東芸人
ヨネスケ…素人いじって笑い
とんねるず…他の芸人やスタッフを叩いて笑い
はんにゃ…偉そうな態度をとって笑い
オードリー…偉そうな態度をとって笑い
芸人の自虐ネタが受けて、相手のプラベートにもどんどん突っ込みを入れる関西人のコミュニケーション、関東の若い方には、最初は抵抗があるかもしれませんが、関西弁を使わなくても、こういうことを若いときからやっているのと、やっていないのとでは、後から随分開きがでてくるような気がします。

私は、どんどん相手のボケに突っ込みを入れていく関西風のほうが、コミュニケーション能力も熟達していくと思うのですが、皆さんは、どう思われますか?


 それから、上の著者の方の、「みんな、よほど自分に自信があるんだな」という受け取り方ですが、これは、個人主義と集団主義の違いでもあると思います。完璧に個人主義であれぱ、綾小路さんのギャグや、 養老センセイの書籍など読むと、個人に向けられたものと受け取り、めげてしまうことも多いのでしょうが、集団主義に立脚すれば、「自分もボケている部分もあるが、ボケていない部分もある。他人もボケている部分もあれば、ボケていない部分もある」という考え方になり、多くの人が総体的にボケていなければ、自分がある部分ボケていていも、それは何とかなるという安心感、自信につながります。 


これは、どちらが良くて、どちらが悪いということにはならないと思います。場合によって、つかいわけることが重要だと思います。ある場合は、個人主義的な立場で受け止め、悪いところは素直に反省する。また、ある場合には、集団主義的となり、安心、自信を持つというような、柔軟な姿勢が良いと思います。皆さんは、どうお感じになりますか?

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2012年1月28日土曜日

【朝まで生テレビ】反橋下派に批判殺到「ゴールドマンサックスで働いたら3日でクビ」「薬師院が酷すぎ」−【私の論評】反対派はドラッカーが言うところの"真摯さ"に欠ける!?

【朝まで生テレビ】反橋下派に批判殺到「ゴールドマンサックスで働いたら3日でクビ」「薬師院が酷すぎ」:



本日深夜25 :25から放送されているテレビ朝日の「朝まで生テレビ!」に、国民の注目が集まっている。

今回は橋下徹大阪市長と、彼の政治姿勢に反対する論客たちの議論が放映されているのだが、午前2時半現在のところTwitterやインターネット掲示板でも、ほとんどの人たちが「橋下市長はまっとうなことしか言っていない」や「論客が揚げ足取りばかり」と反橋下派に怒りの声があがっていた。

そのなかでも特に批判を浴びているのが、帝塚山学院大学の薬師院教授だ。彼は執拗に橋下市長に「大阪市を解体するなんて聞いていない!」と文句を言っているにも関わらず、田原総一朗氏に「じゃあ解体されたらどう困るの?」と聞かれても「わからない!」と答えるばかりで、ほとんど揚げ足取りばかりだとインターネット上でも彼の姿勢に疑問を感じている人たちが多いようす。

また、彼のWikipediaも「2012年 朝生でフルボッコを喰らう。」や「2012年 朝まで生テレビでチラシ係」など様々な改変をされ、ヒドいことになっている状態である。知識人もこの番組についてコメントを残しており、ニューヨーク州立大学のビジネススクールで助教授をされている入山章栄さんは「今日の朝生の対橋下論客、ゴールドマンサックスで働かせたら、全員三日もたずにクビになる気がする。」と苦言を呈しており、議論のあまりのレベルの低さに呆れ返っておられるようだ。

更にヒドいことに現在Twitterのトレンドにも「薬師院」や「揚げ足取り」、「言葉尻」などのフレーズが上がっていて、薬師院氏をはじめとした反橋下派に対する炎上はまだまだ続きそうである。(下は、朝まで生テレビのサイトでの告知)




【私の論評】反対派は、ドラッカーいうところの"真摯"さに欠ける!?



私自身は、橋下さんのやっていることは、最終的には歴史が判断するものではあるものの、とにかく何かを変えようとして努力していることは理解でき、共感を覚えています。

今まで、多くの政治家は、まるで評論家のようであり、しかも、間違っているか、あやふやな論拠によって、コメントを行い、結局何もできないでいるというように見えます。しかし、橋下さんの場合は、ともかく変えようとして、日々努力している姿が見えます。これは、言ってしまえば、評論家と実務家の違いのように見えます。実際、橋下さんは、たかじんの"No money"という番組で、「本当に変えるのは、大変ですから。言っているだけと、本当にに変えるということは、全く違いますから。ここにおられるかたも、言っているだけではなく、立候補して、実際に変えて下さい」と語っていました。

上のツイートの"ゴールドマンサックスで働かせたら、全員三日もたずにクビ"とは、こうした評論家と実務家の違いを語っているのだと思います。評論ばかりしていても、金にはなりません。実効性のある実行動をして、はじめて実務が達成できます。

橋下さんに反対する人たちの論拠は、いろいろ語っているものの、橋下市長のキャラクターや振る舞いへの感情的反発、教育を聖域とし政治が介入してくることへの警戒感、とくに教育に競争を持ち込むことへの反発、組合へのシンパシー、体制や仕組みの構造的な変革に対する不安、またそれによって既得権益を失うリスクへの恐れということであり、本当に低レベルなものばかりです。

それに、選挙のさなかに「ファシズム」を意図的に連想させる「ハシズム」キャンペーンなどという愚かなことをやってしまいました。選挙という民主的手段のみで、合法的にやったものが、どこがファシズムなのか全く理解できません。ナチスなら、選挙だけでなく、SAなどがでてきて、実際に暴力をふるっていたのは、歴史的事実です。反対派はこんなことも知らないのでしょうか?(下は、SAのポスター)


それに、彼らは、府民や市民を信頼していません。教育者のほうが正しく、それに府民や市民がかかわることは間違いだとするエリート主義的であり、完璧に上から目線での物言いです。


そうして、このような彼らの物言いを聴いていると、何か思い出されることがあります。それは、ドラッカーの書籍にしばしば出てくる「真摯さ」という言葉です。まさに、彼らには、ドラッカーのいうところの、「真摯さ」に欠けています。これについては、以前にもこのブログに掲載したことがあります。その中の「真摯さ」の意味の部分を以下に掲載します。(上の画像は、映画版「もしドラ」で、南役をした、前田敦子)

うまくいっている組織には、必ず一人は、直接手をとって助けもせず、一見人付き合いも悪いようにみえるボスがいる。この種のボスは、とっつきにくく気難しく、一見わがままなように見えるにもかかわらず、しばしば誰よりも多くの人を育てる。好かれている者よりもはるかに、尊敬を集める。一流の仕事を要求し、自らにも要求する。基準を高く定め、それを守ることを期待する。何が正しいかだけを考え、誰が正しいかを考えない。真摯さよりも知的な能力を評価したりはしない。このような素質を欠く者は、いかに愛想がよく、助けになり、人づきがいがよかろうと、またいかに有能であって聡明であろうと危険である。そのような者は、職業人としても、社会人としても失格である。 

真摯さを絶対視して、初めてまともな組織といえる。それはまず、人事に関する決定において象徴的に表れる。真摯さは、とってつけるわけにはいかない。すでに身につけていなければならない。ごまかしがきかない。ともに働く者、特に部下に対しては、真摯であるかどうかは二、三週間でわかる。無知や無能、態度の悪さや頼りなさには、寛大たりうる。だが、真摯さの欠如は許されない。

マネジメントにできなけばならないことは、学ぶことができる。しかし、学ぶことのできない資質、後天的に獲得できない資質、初めから身につけていなければならない資質がある。才能ではない、真摯さである。 

まともな、職業人は、何が正しいかだけを考え、誰が正しいかを考えないのです。誰が、正しいか、間違いかを考え出せば、本質を見失います。人は、おうおうにして間違いをおかします。特定の個人が、いつも、正しいとか、いつも間違いということはあり得ません。反橋下派は、まさに、自分たちが正しく、橋下さんが、間違いであることばかりを主張しています。本来であれば、橋下さんの出す政策なり、ビジョンが正しいか間違いかだけを論じれば良いものを、そうではないのです。だからこそ、説得力に欠けるのです。

帝塚山学院大学の薬師院教授に関しては、地球温暖化CO2説ならびに、災厄説に関しては、まともな論議をしており、このときには、誰が正しい、誰が間違いというような論点はなく、あくまでも、"地球温暖化CO2説"に関して、正しいのか、正しくないのかという論議をしており、私自身も評価をしていたのですが、こと、橋下さんに関して、橋下さんの間違いばかりに集中していて、本当に残念に思っています。このようなある程度年齢もいっており、良識もあるという方が、こういうことをするわけですから、これは、 薬師院氏に限らず、多くの人々が陥りがちな陥穽なのだと思います。

私は、反橋下派への攻撃も、こうした陥穽に落ち込んでいるものもあると思います。反橋下派に対する攻撃も、誰が悪いという論調でやってしまえば、反橋下派と同じことになってしまいます。やはり、反橋下派の論じていることの中の何が間違いであるという論点で、攻撃すべきものと思います。

なお、「真摯さ」については、定義が曖昧ですが、これについては、本日は本題ではないので、ここでは詳細は掲載しません。以下の関連記事のところに、それに関連する記事もコピペしておきますので、それを御覧になってください。

私は日頃、誰が正しいとか、間違いであるなどということばかりを語る者のいう事は信用しません。何が正しくて、何が間違いであるかを論じる人を信用するようにしています。皆さんは、いかがですか?

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2012年1月27日金曜日

「直感」を信じすぎるのは良くないという研究結果―【私の論評】本当に重要なのは直感ではなく、知覚である!!

 「直感」を信じすぎるのは良くないという研究結果



「直感」こそ正しい答えだと考えている人は多いですが、心理科学における最新の研究によると、意思決定のプロセスにおいて「直感」が「論理」を押し潰してしまうこともあるということがわかったそうです。

「論理」も脳にあらかじめ組み込まれた重要かつ直観的なセンスです。しかし、実に多くの人が直感的にわき起こる思考に押し流されて、論理を無視してしまいます。その結果、ステレオタイプな行動をとってしまうこともあるようです。プロセスに何かが足りないと感じながらも、論理的に考えることを怠ってしまうのでしょう。

心理科学者Wim De Neysさんは、自分の思考のクセをよくチェックすべきだと言っています。

「思考プロセスのどこに間違いがあるか」を知ることが重要です。例えば、あなたが「なぜ人はタバコを吸うのかを理解したい」と思ったとします。そして、その原因が「タバコは不健康という論理を理解していないからだ」と考えたとしたら、あなたは喫煙者にタバコの害について説明するでしょう。しかし、実際はタバコの中毒性に原因があるのです。

意思決定プロセスにおいて、「論理」と「直感」のどちらも同等に直感的に働きます。次に何かを決断するときは、自分がどちらの思考に傾いているか、よく確かめてみてください。

【私の論評】本当に重要なのは直感ではなく、知覚である!!

まずは、上の写真んで妊婦がでていますが、これは、妊娠を英語で、pregnancyといい、これは妊娠のほかに、創造性、発明の能力などの意味があり、そこから、日本語では、直感ということなのだと思います。日本では、上の写真をみて、直感と関連づけたり、知覚する人ほとんどいないと思います。これは、知覚の仕方が人によって、あるいは、ひとが背負っている文化によって随分異なることの査証だと思います。この違いは、このブログの後のほうでもでてきますので、以下の文章は、このことを記憶にとどめて読んでいただけれれば幸いです。

私自身は、直感を大事にするほうです。男性と女性を比較すると、男性は論理的で、直観を忌避する傾向が強いですが、女性は、ものごとを直観で悟る能力に秀でています。多くの人が直感を全否定したとしたら、世の中から創造的な仕事のほとんどは消えるに違いないと思います。ただし、直感を大事にするにしても、何から何まで直感だよりということになれば、これは、否定しなければなりません。




私自身は、最初物事を考えるのは、ほとんどが直感です。ほとんどの人がそうだと思います。最初から分析できたりするような事柄には、直感など必要ないと思います。それは、分析する人に任せればい良いわけです。そうではなくて、いままで一度も経験したことがないこと、あるいは全く新しいシステムなど考えるときには、自分の過去の経験に照らして、直感でこのようなものが良いのではなかろうかと考えるわけです。そうして、それをもとにして、自分の意見を持つわけです。

しかし、それだけで、放置しておくわけではありません。むろん、その意見が正しいかどうか、検証を行います。検証を行うために、いろいろデータにあたり、たいていは、分析します。自分が知る限りの様々な手法を用いて分析します。分析して、分析仕切らないことはいくらでもあります。しかし、そうした仮定を経て気づくこと、知覚できることがでてきます。これら分析結果と、知覚できたことから、最終意見をもとめます。これは、たいていは、レポートにまとめるという作業です。

これが、化学現象などであれば、ほとんどが分析でことが済むのでしょうが、たとえば、プロモーションを行うとか、販売システムを変更するとか、新たな業態をつくるなどの社会現象であれば、いくら、検証を重ね、分析を重ね、様々なことがらを知覚できたしても、100%こうであるなどの結論などだすことはできません。最終的には、知覚がものをいうわけです。

ドラッカーは、知覚について、彼の著書に以下のように述べています。

生態系は全体として観察し理解すべきものである。
部分は全体との関連において意味をもつにすぎない。

数学者と論理学者の世界では、知覚的な認識は感覚にすぎず、疑わしいもの、神秘的なもの、捉えがたいもの、不可思議なものだった。機械的な世界観は、知覚的な認識は理性的でなく、したがって趣味の世界にゆだねるべきもの、すなわちそれ抜きでも支障のないものとした。

だが生物的な世界では、中心に位置するものは知覚的な認識である。生態系なるものはすべて、分析ではなく知覚の対象である。それは全体として観察し理解すべきものである。部分は全体との関連において意味をもつにすぎない。三五〇年前、デカルトは「我思う。ゆえに我あり」といった。いまやわれわれは、これと同時に「我見る。ゆえに我あり」といわなければならない。

新しい現実は、すべて形態的である。したがって、それらの問題を扱うには、分析とともに知覚的な認識が必要である。今日の多元社会の不均衡状態、グローバル経済、地球環境問題、緊急に提示することが求められている教育ある人間のモデルなど、すべてが形態的である。

これだけだと、何のことか良く分からないというひともいるかもしれませんので、少々説明させていただきます。デカルトは「システムなどは、小さく分解していき分析すれば、いずれ理解できるものとしました」確かに、普通の機械などそうだと思います。テレビやパソコンなど、確かに、全部の部分を細かく分析して、全体をぶんせきすれば、いずれ、全体がわかります。確かに、多くの製造会社がライバルの製品そのように分解して、分析して、相手の機械を分析して、すべてを理解したうえで、相手に対する対抗策を考えています。

簡単なシステムならそれで良いでしょう。だから、デカルト的な見方は、近代産業の成長にかなり寄与しました。しかし、この見方は、必ずしも世の中の自然現象屋社会現象を理解するには役に立たないと言っているわけです。

それは、単純に考えても、わかることです。たとえば、人体はどうでしょうか。人体をばらばらに分解して、爪は爪、鼻は鼻、脚は脚、心臓は心臓などして分析して、それを細かくさらに分析して、人体のすべてをそのように分析して、その分析結果をすべてあわせたとして、人体がわかるでしょうか?そんなことは、ないです。それは、複数の人間やその他がからむ、社会システムでも同じことです。社会システムでなくても、地球環境のことも、あるは、地球を含めた、太陽系に関しても、全部を細かくわけて、分析して、あとから、その分析結果を統合したからといって、全てが理解できるわけではありません。

だから、こそこのような事柄に関しては、知覚が重要だと言っているのです。それをしないで、デカルト的な分析ばかりくりかえしても、何も理解できないということを言っているのです。このデカルト的な考え方は、西欧近代にすばらしい成果をもたらしましたが、現代では、悪影響が目立ってきています。特に、デカルトの思想が生まれた西欧などで、何にでも、デカルト的に考える人を「デカルトの悪夢におかされた人」などということがあります。デカルトは、大きな誤りをおかしています。「我思うゆえに我あり」これです。進化論は、その逆を教えています。まず人間は存在した、思考はその後です。

 心は脳のソフトウエアのようなものだという考えは、いまでもあります。多くの人は、ほとんどデカルト的心身二元論のように考え、そのように話します。しかし、脳と身体は密接であり、不可分のものです。脳だけをとりあげて人を思考を語ることはできません。何でも、デカルト的に心身二元論のように考えていては、良いことはありません。


デカルト

それは、どういうことかといえば、たとえば、複雑な社会システムである、人間関係を単純に考えてしまうことです。夫婦という小さな社会システムがありますが、こういうシステムであれば、普通なら、デカルト的な考え方で、割り切るなどできないはずなのですが、もう二人には、「愛が」ないという理由だけで、離婚する人がかなりいます。結婚は愛があって、成り立っているもの、愛がなければ、結婚はおしまいというわけです。でも、夫婦という小さな関係であっても「社会システム」であることには変わりはないわけですから、何でも、「白黒」をはっきりつけて、黒なら、全否定というわけには、いかないと思います。欧米などでは、こうした社会システムまで、「白黒」をはっきりつけて、それで、意思決定をする人を「デカルトの悪夢におかされた人」と表現するようです。

このような人日本にも増えてきているようです。何でも、白黒でわりきって、意思決定をするような人が・・・・。そういう人は、社会システムに関しては、大小を問わず、どのようなものでも、まともな意思決定はできないと思います。おそらく、夫婦関係はもとより、親子関係もギクシャクし、 たとえ最初は優秀であっても、 職場でも創造性を発揮できず、いずれ凡庸でつまらない人生を送ることになると思います。

さて、知覚に関しては、その定義など、述べずに上記の論を展開してきましたが、その一般的な定義を以下に掲載しておきます。

知覚(ちかく)とは、動物が外界からの刺激を感じ取り、意味づけすることである。 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、体性感覚、平衡感覚などの感覚情報をもとに、「熱い」「重い」「固い」などという自覚的な体験として再構成する処理であると言える。

上は動物の例ですが、人間なら、自覚的な体験として再構築するということは、様々な感覚情報や、分析などから、特定の現象などに意味付を行うということだと思います。こうしたことができずに、分析するだけでは、社会システムは永遠に理解できないということです。こうした、意味付まですれば、それは、最早直感とはいえず、知覚したということであり、社会システムへの理解が深まったということです。

さて、上で、最初は、直感で意見を持つということを掲載しましたが、これも知覚に関係します。意見を持つということ、ドラッカーは以下に述べています。


「意志決定についての文献のほとんどが事実を探せという。

だが,仕事のできる者が、事実からスタートすることなどできないことを知っている。誰もが意見からスタートする」


(ドラッカー名著集①『経営者の条件』)


 ドラッカーは、事実を探すことから始めるのは感心したことではないとさえいう。なぜなら、誰もがするように、すでに決めている結論を裏付ける事実を探すだけになるからである。見つけたい事実を探せない者はいない。


意志決定も科学と同じように、仮説が唯一の出発点である。


われわれは、仮説をどう扱うかを知っている。論ずべきものではなく、検証すべきものである。


 初めに意見を持つことを奨励しなければならない。そして意見を表明する者に対しては、現実による検証を求めなければならない。


米GMのアルフレッド・P・スローンは


「それではこの決定に関しては、意見が完全に一致していると了解してよろしいか」と聞き、


出席者全員がうなずくときには


「それではこの問題について異なる見解を引き出し、この決定がいかなる意味を持つかを理解するための時間が必要と思われるので、
次回さらに検討することを提案したい」と言ったという。


 不思議なことと言うべきか、当然というべきか、これまでの不祥事の多くが、
役員室で意見の対立を見ることなく行なわれている。


「意志決定において重要なことは、意見の不一致が存在しないときには
決定を行なわないことである」


(『経営者の条件』)

こうした、意見の不一致が、同じ出来事を、めいめいがどのように知覚しているかを明らかにし、問題をいっそう明確にしていくのだと思います。そうして、直感から、知覚へ、そうして、全員が同じできごとをどのように知覚しているかを知ることによって、問題・課題への対処の仕方が明確になって行くのだと思います。

全員の知覚を検証したあとに、出される結論は、もはや直感ではないということになります。何か、このようにしてみていくと、心理学者の実験よりも、こちらのほうがよほど楽しいし、面白いと思うのは私だけでしょうか?こうした、心理学の実験の結果など、おそらく実験などせずとも、長い間経験を積んだ優秀な経営者なら、このようなことを日ごろの業務などから、知覚して認識して実務に役立てていると思うのは、私だけでしょうか?

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2012年1月26日木曜日

iPadを低価格にしてもAmazonのKindle Fireが有利な理由−【私の論評】日本のメーカーはiPadとKindle Fireの本質を理解せよ!!

iPadを低価格にしてもAmazonのKindle Fireが有利な理由


 Kindle Fireは、200ドルという価格と『Amazon Prime』およびAmazonエコシステムとの強力な連携により、タブレット経験を試す安価な方法を求めている人たちにとって、最適な選択肢となっている。それは、おもに動画と電子書籍によるコンテンツ消費を中心とする、非常に「Amazon的」なタブレット経験だ。

一方、iPadの潜在顧客は、Apple社の大規模なアプリケーション・ライブラリーはもちろんのこと、iPadのコンテンツ制作ツールにも魅力を感じている人たちだ。新しい『iPad 3』でもこうした機能は拡充される見込みだが、Kindle Fireが対象とする顧客層は、これらに関心を持たないだろう。


一方、米Gartner社のアナリスト、ヴァン・ベイカーは、iPadが値下げされてもFireにとっては大きな脅威にならないが、『Android』タブレットについては脅威になりうると考えている。米Motorola社や韓国Samsung社が出している500ドル台のタブレット機器は、すでに同じ価格帯のiPadに対して十分に対抗できておらず、さらに低価格のiPadが登場したら勝てる見込みはないだろう。それにひきかえ、Amazon社のコンテンツ提供はリッチなので、Fireが対象とする顧客層はiPadの誘惑に負けない可能性がある。

「いまから1年もたてば、『Amazon』はiPadに続く確固たる2番手として、タブレットにおける『Android』と同義語になるだろう」と、米Forrester社のアナリスト、サラ・ロットマン・エプスは昨年8月に書いていた。この予測は正しそうだ。

【私の論評】日本のメーカーはiPadとKindle Fireの本質を理解せよ!!

 iPadとKindle Fireは、アメリカでは実質上すでに、市場を二分しているといっても良い状況です。確かに、累計台数などで比較すればKindle FireはiPadと比較すれば、実際に発売されてから間もないので上の記事のような表現になるのでしょうが、統計をとって比較すれば、もうそれは見えていると思います。昨年でさえ、Kindle Fireはすでに、Android市場の半分を占めていました。これは、驚くべき成長です。




この趨勢は、もう変わることはないでしょう。なぜ、このように伸びるのかということは、このブログに私なりの考えを掲載したことがあります。それは、これからIKEAのような物理的店舗を多数持つチェーンが有利になるという内容の記事のなかにおいてでした。詳細は、その記事をご覧いただくものとして。要点だけ掲載させていただきます。


これらの企業がわざわざ、自社独自のタブレット端末を開発したのは、両社とも独自の窓口を持つためです。eコマースは、提供されたばかりのころは、パソコンを通じての買い物というだけで、他の業態よりも、かなり差別化実現することができました。また、実際に物理的な店舗を持つよりは費用もかからないため、規模の小さなものも含めて、乱立した時期がありました。


しかし、現在では、かなり淘汰されて、弱小eコマースはどんどん消えていきました。なぜかといえば、既存のeコマースは、パソコンのブラウザを仲介して、買い物をするという形式でしたので、顧客からすれば、自宅にあるパソコンから覗き見るいくつもあるサービスの一つということになり、差別化が困難だったからです。既存のAmzonなど、eコマースも様々な手法を駆使して顧客との関係を強化して、差別化を実施してきました。


既存大手eコマースが、それなりの投資をしている状況下で、Appleは、iTunesなどで、eコマースに参入をしはじめました。しかし、Appleにとって、これだけ他社が差別化している状況で、さらに、差別化を図るということは、既存の技術や、手法などでは困難を極めたのだと思います。既存のeコマースでは、ユーザーはwindowsパソコンや、他社製のブラウザによって、eコマースをすることになります。


そうであれば、Appleのeコマースも差別化するのは、困難になります。そこで、スティーブ・ジョブズが、徹底的な差別化をするために、考え出したのが、iPhoneであり、iPadということです。そうして、ご存知のように、iBooksや、これらで用いるアプリなどは、iPhoneやiPadでないと購入することはできません。これは、差別化どころか、分離といっても良い囲い込みです。そうして、これが、iPadやiPhoneの本質です。



この本質に気づいたのが、Amazonであり、これも、他社パソコンや、ブラウザなどとの徹底した差別化を図るためのがジエットです。これによって、Amazonは、窓口を徹底的に差別化できるわけです。さらに、silkというブラウザによって、ユーザーが、Amazonにアクセスする際の最適化も図っています。このようなことによって、両社とも、徹底的に他eコマースに差別優位性を確立することに成功したわけです。


これらのことを両社が進める理由は他にもあります。それは、以前述べたように、物理的店舗を多数持つチェーンが、eコマース、O2Oなどを実施して、これらを統合して新たな業態を創設した場合、両社にとってかなり強力なライバルになることを予期しているからです。O2Oとは、インターネットの情報サイトや電子マネーなどのサービスと実店舗での購買行動などを結ぶビジネスを総称するものです。ここでは、本題ではないので、以前書いたブログの記事を参照して頂きたいと思います。


物理的店舗を多数持つ、チェーンは、一つの目的に向って多くの人を雇って動かさなければならないということで、その運営はeコマースなどと比較すれば経費もかかり大変です。しかし、差別化ということでは、eコマースよりも、かなりしやすいです。何しろ、eコマースは物理的店舗など存在せず、販売員んも存在せず、すべてがバーチャルです。これらのチェーンの物理的店舗そのものは、いままで、顧客接点である顧客と直接的には、ITの恩恵を受けることはありませんでした。むろん、POSなどはありましたが、これは、顧客と直通かかわるものではなく、あくまで、バックヤードのものです。


ところが、O2Oは、直接顧客にかかわるものです。これらを装備した、物理的店舗を多数持つチェーンが、eコマースを本格的にはじめたら、これは、既存のeコマースをかなり脅かす存在になることと思います。だこらこそ、そうした時代に備えるためにも、IPad、Kindle Fireが必要なのです。こうして、考えると、必然であったといっても過言ではないと思います。このことに、随分まえから気づいていたのが、スティーブ・ジョブスです。だからこそ、彼は、Apple Storeを開設したのです。そうして、その試みは、いままで、大成功を収めてきました。それは、Appleが画期的な新製品を発表したときの、Apple Storeでのお祭り騒ぎをみていただければ十分に理解していただけるものと思います。このようなことは、Amazonにはできません。しかし、Amazonには、これを補ってあまりあるほどの、eコマースの実績があります。




しかし、そのことに気づいていない企業がたくさんあります。今日もテレビをみていたら、日本のテレビメーカーが韓国メーカーに負けていることなど放映されていました。日本のメーカーは、Appleや、Amazonが、なぜ独自のタブレットを開発したのか、その真の意味をわかっていないようです。これを理解せずに、単に映りが良いとか、デザインが良いとか、高機能なテレビやタブレット端末、パソコンばかりの製造している限りにおいては、利益が少ない差別化のできていない素材産業のような存在になってしまうと思うのは私だけでしょうか?


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2012年1月25日水曜日

「絆」の次にくる消費は「想い・ストーリーがある商品」−【私の論評】日本のスペンドシフト発進!!



東日本大震災以降、消費の低迷が心配されていたが、実は高級ブランドや高級おせちはバカ売れなのだという。女性セブン1月19日・26日号では、2011年6月から6カ月連続で高額品部門の売り上げが平均前年比4%アップした高島屋広報IR部のコメントを、以下のように紹介している。続きはこちらから。

【私の論評】日本のスペンドシフト発進!!

詳細は、上の記事をみていただくものとして、最近の消費に関して気がついたことをまた掲載しようと思います。

まずは、上の記事の結論部分を掲載しておきます。

「ただ安いから、流行っているからでなく、どういう背景がある商品なのか(職人のこだわりや質の良さ、どういう想いで作られた商品・施策なのか)をしっかり聞いて下さるお客さまが多い」

と話す。それは贈り物に限った話ではなく、自分で使うものに対してもそうだというのだ。

そして、これからはどんな消費が来るのか。丑田さんは「よく考えられた、意味がある消費が一層進行する」と予想する。そして、具体的にどんな商品が売れるのかについては「作り手の想いなどのストーリーがある商品やアート要素の強い商品、チャリティ的な切り口の商品が売れるのでは」とみている。

私は、この動きそう単純なものではないと考えています。絆の消費もこれからも続くでしょうし、ストーリーのある商品、アート要素の強い商品、チャリティ的な消費は震災の数年前から盛んになっていました。皆さんも、記憶にあるでしょうが、たとえば、ソフトバンクの白戸家のコマーシャルは、はちゃめちゃですが、ある意味ストーリーです。これは、やはり、その当時から、ただ機能や低価格などだけでは売れないことがはっきりしていたので、CMにストーリーをもたせ、商品にもストーリー性を持たせようと試みたものだと思います。これは、トミー・リー・ジョーンズの缶コーヒーのCMにも同じような傾向がみられます。このことについては、以前のこのブログにも掲載したことがあります。その要点だけ、以下にコピペしておきます。


結局のところ、現代では、第一には、新しい商品・製品・サービスを提供するには、敢えて矛盾や、不条理をつくりだし、それをものともせずに、笑い飛ばすとか、日常的で何の不安もないことを訴求することが新たなストーリーを生み出し、顧客に対して訴求する事ができるのです。

そうして、第二に、自ら提供する新しい、商品・製品・サービスに関して、直裁に説明し、その説明によって顧客のライフスタイルをどのように変えることができるか提案できるかが、訴求のポイントとなるということです。

 それと、チャリティ的な切り口の商品がよく売れるということは、このブログでは書いたことがないですが、これも従来から社会貢献というキーワードともに、指摘されてきたことです。社会問問題解消などにつなげた商品、エコにつながる商品など、良く売れていました。それに、神戸女学院などのような典型的なお嬢様大学でも、最近の卒論の内容が、消費トレンドなどはすっかり影をひそめ、社会問題に関するものが、9割以上になっています。(下の写真は、神戸女学院)


他の大学の文科系では、むろんそのような傾向にあります。また、車はあまり買わなくなった若者が、たとえば、社会貢献プログラムの井戸掘りなどのツアーには、大枚をはたいて、喜々として出かけるということも珍しくなくなりました。数年前だと、マスコミが良く報道していましたが、最近では珍しくもないので、ほとんどみなくなりました。

日本では、失われた20年ということもあって、デフレが続き、消費者の節約志向は、何も一部の人のものというわけではなく、多くの人の基本的なライフスタイルになったものと思います。しかし、こうした節約というのも、長い間続けていれば、何のためにという考えが、多くの人の脳裏に浮かんでくるのは、当然のことと思います。

節約したお金をただ、貯め込むだけではむなしいものがあります。だから、最初は、生活防衛のためだけにやりはじめた、節約で貯まったお金でたまには消費をしたいと願うようになるのは、当然の流れと思います。そうして、そのような消費は、従来のバブルのような消費で単にブランドものに走るというものとは一線を画するのは当然のことと思います。

このようなことから、以前このブログにも掲載したように、やはり、いわゆるスペンドシフトという流れかでてくるのは、当然の流れと思います。スペンドシフトに関しては、以前このブログに掲載していますが、ご覧になっていないかたのために、以下にその要点を掲載します。

自分を飾るより ⇒ 自分を賢くするためにお金を使う。
ただ安く買うより ⇒ 地域が潤うようにお金を使う。
モノを手に入れるより ⇒ 絆を強めるためにお金を使う。
有名企業でなくても ⇒ 信頼できる企業から買う。
消費するだけでなく ⇒ 自ら創造する人になる。

さて、この流れ、以前からも顕著になりつつありましたが、一層顕著になってきたようです。まさに、日本のスペンドシフト発進というところだと思います。今後も、これに関して、何かを気づいたことがあれば掲載させていただきます。

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2012年1月24日火曜日

【きょうの名言】好きなことを仕事にする意味―【私の論評】好きなことだけをする人は、大成しない、大成するには、規律が不可欠である!!

【きょうの名言】好きなことを仕事にする意味:

好きなことを仕事にする。よく言われるフレーズではあるが、みなさんの解釈はどのようなものだろうか。ゆかしメディア読者のみなさんは、おおむね次のような解釈をしているのではないか。

@tanakayoshikazuさんがツイートする。

「好きなことをしている、とよく言われる。ただ、僕が好きなことをやるために、どれだけ楽しくなく、苦痛なことを、粘り強く、諦めずやり続け、何かを捨て、多くを犠牲にしているのか、知らない人や想像できない人には、簡単に言われたくないし、自分も同じだと言われると、同じではないと思う」

ツイート主は言うまでもなく、グリー創業者の田中良和氏。


好きなことを仕事にしても、辛いことの方がはるかに多い。ただ、好きだからやり遂げるまで頑張ることができる。楽をしたいならば、好きなことを仕事にしない方が良いだろう。
好きなことを仕事にする、とはそういう意味だ。

【私の論評】好きなことだけをする人は、大成しない、大成するには、規律が不可欠である!!


昔まだ、私がこどもだった時に、あるプロのヴァイオリニストに、「ヴァイオリンを演奏するのは好きですか?好きだとしたら、好きなことを職業とすることは、楽しいことですか」と聴いたことがあります。彼女の答えは、以下のようなものでした。

「私は、ヴァイオリンを演奏するのは、本当に好きです。でも、それを職業とすることは、楽しいことであるとは限りません。どんなときにでも、演奏すべきときには、演奏しなければなりません。また、どんなときでも、日々練習を欠かすことはできまぜん。そうして、プロとして、いつも、技量を落とさないように、さらにうまくなるようにしなければなりません。これが、趣味であれば、どんなに良いことかと思います。あなたが、どう思っているか判りませんが、本当に好きなことは、職業にはせずに、趣味にしておいたほうが良いと私は思います」。

その頃は、そんなものかと思い、長い間忘れていたのですが、あるときこの言葉をはっきりと、思い起こされることがありました。

それは、ドラッカーの書籍を読んだときに、「好きなこととうまくできることは違う」という話が掲載されているのを読んだときです。

人は好きなことを中心に物事を考えがちですが、ドラッカーはそれは違うといいます。お客様に求められ、喜ばれることでうまくできることに焦点を当てるべきなのです。

バイオリンを演奏するアインシュタイン

ドラッカーは、物理学者のアインシュタインが大変なバイオリン好きで、「オーケストラのメンバーになれるほどの技量が得られるならノーベル賞と引き換えにしてもよい」といったというエピソードを取り上げています。
彼は弦楽器を弾くことが好きで日に四時間も弾いて楽しんだ。しかし弾くことはかれの強みではなかった。彼は数学をやるのは嫌いだといつも言っていた。しかし、彼が天才だったのは数学においてだけだった。
『非営利組織の経営』より
 これは極端なエピソードですが仕事というものの本質を表していると思います。似た話ですが、プロ野球の城島捕手は大変な釣り好きだそうで、釣り雑誌の連載も持っているプロはだしの腕前の持ち主だそうです。

 あるインタビューで「釣りを職業にしたい気持ちがありますか?」と尋ねられて「野球と同じ年俸をもらえるなら釣り師になる」といっているのを見ましたつまり城島捕手にとって、釣りの方が野球よりはるかに好きであるということです。

仕事でも好きなやり方で成果が上がらなければ、より成果の上がるやり方が強みであるわけです。それは趣味ではありませんから好きなやり方ではなく成果のあがるやり方を選ぶべきなのです。

アインシュタインや、城島捕手の話などから、子供の頃聴いたヴァイオリニストの言ったことの意味が良くわかりました。

なお、ドラッカーは、このことに関連して、別の書籍で以下のようなこともいっています。

「(アメリカで学生運動が運動が盛んだった頃の)学生がいう、好きなことをするという考えは間違いである。事実、好きなことで、大成したものは一人もいなかった。物事を大成するために、必要なのは、好きなことをやることではない。必要なのは、規律である」

どの書籍であるか、思い出せないのですが、確かにこのようなことを言っていました。物事を大成するには、好きなことをするとかしないとかいうことは、ほとんど関係ないということです。それには、規律(discipline)が必要不可欠ということです。本当にそうだと思います。習い事などで本当に好きなことで、趣味でやっているにしても、上達するには、ある程度の規律が必ず必要です。やりたいときだけやって、あとはやらないというのでは、いつまでたっても上達はしません。

たとえ、好きなことであっても、仕事であれば、成果をあげなければなりません。成果をあげるためには、規律が必要だということです。規律なしには、どんなことでも、大成はしないということです。 田中良和氏の言っていることは、そういうことだと思います。 



一流のプロが仕事でやるようなことは、一見どんなに、優雅で美しく魅惑的なことに見えることだって、どれだけ楽しくなく、苦痛なことを、粘り強く、諦めずやり続け、何かを捨て、多くを犠牲にして成就していることか。それに、思いが至る人のみが偉大なことを成し遂げられるのだと思います。

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2012年1月23日月曜日

「iPad教育」は普通の教科書より有効:調査結果―【私の論評】この社会では、誰もが、低価格でたやすく情報にアクセスできなければならない!!



『iPad』利用の教科書は、紙の教科書より教育効果が高いという調査結果が発表された。代数Iの理解度が上級または熟達と評価された生徒の割合は、紙の教科書利用者より約20ポイント多かったという。

【私の論評】この社会では、誰もが、低価格でたやすく情報にアクセスできなければならない!!

詳細は、上のwired.comの記事をみていただくものとして、私も、IPadでいろいろことを実際に学んでみた経験があるので、上の記事の内容など、いかにもありそうなことだと思いました。


私が最近学ぶのは、英語です。これに関しては、以前このブログにも掲載したことがあので、詳細はこのブログの一番下の【関連記事】の関連記事のところに掲載しておきますので、そちらを読んだいただきたいと思います。とにかく、英語の場合は、様々なアプリあり、さらには、様々なサイトがありで、本当に良くなったと思います。幼児教育用から、大学レベル、あるいは、かなり上のレベルまで、様々なものがあるので、本当に良いです。私は、英語の場合、IPhone用のアプリをIPadに入れて使っていますが、これは、IPadは、IPhone用のアプリを2倍にしてみることができるので、非常に見やすいのと、やはり、IPad用のものよりは、かなり種類が豊富だからです。


アプリだけではなく、オンラインでの辞書もたくさんありますし、これも大満足です。それに、何か調べたいと思えない、wikipediaもありますし、とにかく、願ったり叶ったりの環境になったと思います。これらが、無料とか、あるいは、せいせぃ高くても、数百円とかでかなり出来の良いアプリになっている環境は、昔はなかったと思います。そういう意味では、英語などの語学を学習する現代の若者たちが本当にに羨ましいです。


それにしても、最近英語学習のアブリなど、ほとんどゲーム感覚でできてしまうので、何かを勉強しているというよりは、楽しんているうちに、学習が終わるという感じです。これらで、勉強する若者たちは、きっと私たちが昔学んだよりもはるかに短時間で上のレベルまで、学習することが可能だと思います。

NASAが提供するプログラムをiPadで見る子供たち

それから、最近IPadにmindmap用の無料のアプリのを入れてみましたが、これもかなり効果があると思いました。特にに、歴史や、経済に関するような学習の場合は、覚えなければならないことが山のようにありますが、これは、手書きのマインドマップにすると良いといわれています。しかし、IPadだと手書きには及びませんが、PCで入力するよりは、かなり手作り感があります。

色もかなり使えますし、写真なども、好きに貼り付けることができます。慣れると、手書きものより、はるかにはやくできますし、変更もかなり用意です。かなり、作ってしまってから、ツリーのノードを全く別なところに持っていくとか複数のツリーを一度に移動するなど、本当に簡単にできます。

それに、iPadのmindmapは、手書きとは、異なり、ノードを広げたり、縮めたりすることが簡単です。だから、何かマップを作成したら、ノードをすべて折りたたんで、少しずつ展開していくようなことをすれば、暗記などにももってこいだと思います。これで、日本史、世界史、地理などの科目を覚えたら、芋ズル式に答えがでてくるようになり、試験でも困らなくなると思います。私の場合は、仕事のでの使用でも随分役立っています。

ibooks2アプリの紹介

それから、こんなこと書いていると、やはり、最近あった、Appleの教育関連のイベントでの発表を思い出してしまいます。皆さも、あの発表や、発表された、iBooks2やTextbooks、iTunesUなど、実際にご覧になったかたもいらっしゃると思いますが、どちらも本当にに素晴らしいものでした。それに、アップルのパソコン用に、電子書籍を作成するアプリ(iBooks Author)が無料で提供されたということで、これも本当にに素晴らしいことだと思います。

iBooks2の画面
これによって、誰もがテキストブックなどを作成して、ibooks2で提供できるようになったということです。これから、このアプリを利用して、どのような書籍ができあがるのか、本当に楽しみです。

iBooks Author

さて、電子書籍それも教育というと、私は、ドラッカーが語っていた、ネクスト・ソサエティーを思い出してしまいます。ネクスト・ソサエティとは、アメリカでは、1990年代の後半、日本などの他の先進国や、新興国などは、21世紀にはいってから、それまでとは、全く異なる社会に突入しており、その社会をネクスト・ソサエティーといいます。

ドラッカーは、「ネクスト・ソサエティ」という10年ほど前の書籍で、以下のように述べています。
ネクスト・ソサエティがやってくることはまちがいない。しかも万が一、ニューエコノミーが実現するとしても、ネクスト・ソサエティのほうがはるかに大きな意味をもつ。ネクスト・ソサエティは知識社会である。知識が中核の資源となり、知識労働者が中核の働き手となる。知識社会としてのネクスト・ソサエティには3つの特徴がある。
知識は資金よりも容易に移動するがゆえに、いかなる境界もない社会となる。
万人に教育の機会が与えられるがゆえに、上方への移動が自由な社会となる。
万人が生産手段としての知識を手に入れ、しかも万人が勝てるわけではないがゆえに、成功と失敗の並存する社会となる。
これら3つの特質のゆえに、ネクスト・ソサエティは、組織にとっても1人ひとりの人間にとっても、高度に競争的な社会となる。
 確かに、現在は、高度に競争的な社会となっています。そうして、こうした社会には、上記のiPadによる教科書のような電子書籍などに、誰もが、容易にアクセスできるようになるはずです。また、そうしなければなりません。そうでなければ、成り立たない社会ということなると思います。これに関して、著しい不平等などかあってはいけないと思います。


特に子供たちに関しては、どの国のどのような家庭に生まれたとしても、このような情報にアクセスできるようにすべきと思います。そうして、この地球上のすべての子供たちが、iPadのようなガジェットで学習の楽しみ、喜びを知ることができるように、私たちが、環境を整えていくべきと思います。また、大人でも、学生の頃にならった知識など、すぐに陳腐化しますから、このような機器で、楽に簡単に、低コストで、アクセスできるようにすべきものと思います。

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