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2018年5月24日木曜日

日大悪質タックル問題 醜聞にまみれた米名門大の「前例」―【私の論評】我が国では大学スポーツという巨大資源をガバナンスの範疇から外し腐らせている(゚д゚)!


日大選手の記者会見  写真はブログ管理人挿入

日大アメフト部の悪質タックル問題、2つの会見を経た後も釈然としない思いが残った。立教大学体育会野球部に所属していた過去があり、現在も立教大学非常勤講師として、「スポーツビジネス論~メジャーリーグ1兆円ビジネス」の教鞭を執るスポーツジャーナリストの古内義明氏が指摘する。

* * *

 5月22日に日本記者クラブで、日本大学アメリカンフットボール部の当該選手の会見を見て、胸が痛くなった。日本中が注目し、社会問題となる中、彼は身分を証し、自分の言葉で謝罪する決断をしなければならなかった。会見場には日大アメリカンフットボール部はおろか、日大の関係者の同席もない中で、20歳の若者一人が350人を超えるメディアの前に立つような状況に、なぜ追い込まれてしまったのか、大学スポーツに関わる身として、激しい憤りを感じざるを得なかった。

 コンタクトスポーツの世界において、彼が行った故意によるラフプレイは許されるものでは決してない。しかし、彼が発した「事実を明らかにすることが、償いの第一歩」という真摯な態度は関西学院大学アメリカンフットボール部のクオーターバックの選手とそのご家族、そして関係者の方々に届いていたと信じたい。

 私はアメリカの大学院に進み、スポーツ経営学の修士課程で学ぶ中で、全米大学体育会協会(NCAA)の存在意義、そして、カレッジスポーツの関係者と話す機会に幾度となく恵まれた。その経験から今回の問題で、真っ先にNCAAの歴史に汚点を残したペンシルベニア州立大学のスキャンダルを思い出した。

ペンシルベニア州立大学アメリカンフットボール部の監督だったジョー・パターノ

 ペンシルベニア州立大学アメリカンフットボール部は「ビッグ10カンファレンス」に所属する強豪であり、2度の全米チャンピオンに輝く名門校だ。陣頭指揮を執るジョー・パターノ監督は46年間もサイドラインに立ち続けたカリスマ的な名将であり、カレッジフットボールの殿堂入りも果たしている。

 2011年、その名将の右腕のアシスタントコーチだったジェリー・サンダスキーが15年間に渡り、8人の少年に性的虐待をしていたことが発覚し、全米を震撼させた。大学理事会の対応は迅速だった。事の重大性に鑑みて、元FBI長官のルイス・フリー氏を長とする外部委員会を設置し、調査を依頼。出来上がった報告書によると、「パターノ監督が事件の隠蔽工作を積極的に指揮していた」という衝撃的な事実が明らかになった。

ジェリー・サンダスキー(手前の赤い囚人服の男)

 パターノ監督はシーズン終了後の辞任を表明していたが、大学理事会はそれを許さず、伝説的な名将は解任された。と同時に、学長、副学長、体育局長という大学の要職も解任したのだ。さらに、10万6572人を収容するビーバー・スタジアムの前に立つパターノ監督の銅像も重機によって撤去された。

 統括団体となるNCAAの制裁措置は関係者の予想を上回る徹底したものだった。まずは、パターノ監督が「不祥事を知り得た時点」までさかのぼって、それ以降に記録した111勝は抹消された。これにより409勝の通算勝ち星は298勝となり、「歴代最多勝利監督」という栄誉も剥奪された。また制裁金として、当時のレートで約48億円という巨額の罰金の支払いを命じ、4年間に渡ってプレーオフ進出禁止と毎年10人分の奨学金停止も通達された。

 同校のあるペンシルベニア州のステートカレッジは4万人という小さな町であり、ペンシルベニア州立大学フットボール部はおらが町の誇りだった。スキャンダルが与えた経済的損失はもちろんのこと、何よりも名門校が受けたイメージダウンは避けられないものとなった。それでも、ペンシルベニア州立大学は高等教育機関として、ゼロからの出発を選んだ。監督はもちろんのこと、大学トップをも解任して、自らの襟を正す決断をしたのだ。

 だからこそ、今回の日本大学とアメリカンフットボール部の対応、そして世論との間にこそ大きな「乖離」があると言わざるを得ない。

立教大学第一食堂

 立教大学では「RIKKYO ATHLETE HANDBOOK」を作成し、体育会51部56団体に所属する2400人のすべての部員に配布している。この中には、立教大学の体育会活動を支える考え方をまとめた「立教大学体育会憲章」が掲載され、体育会学生であることの心構えが記載されている。学生は内容を習熟することで、スポーツ活動と学業を両立させる文武両道の精神のもとに、人間性を養うことがうたわれている。

 その憲章の中にある第7条(監督・コーチとの関係)では、「体育会各部の監督・コーチ(以下「指導者」という。)」は、体育会員に技術を指導し、スポーツを理解せしめ、その心身の健全なる育成を行う」(原文ママ)とある。指導者とは技術指導はもちろんのこと、学生に対してルールに基づいたスポーツの本質を教えることで、社会のためになる人間形成が求められている。

 23日夜になって日本大学アメリカンフットボール部の内田正人前監督と井上奨コーチがようやく会見を開いた。だが、該当選手の会見と、内田前監督や井上コーチの会見を聞き比べると、やはり何か釈然としない。また、2人の指導者が質問に対して、的確な回答をせず、どこか他人事であり、全て保身に走る内容という印象が残った。結果、該当選手か、指導者のどちらかが嘘をついていると言わざるを得ない歯切れの悪さが残る会見となった。

 今回の一連の問題で、大学は誰のためにあるのか、指導者は誰を守るのか、という本質論が浮き彫りになった。学生スポーツに関わる大人が、「選手に対して、自分の息子、娘のように考えられるか、どうか」。いま、その姿勢そのものが問われているような気がしてならない。

 【PROFILE】古内義明(ふるうち・よしあき)/立教大学法学部卒、同時に体育会野球部出身。ニューヨーク市立大学大学院修士課程スポーツ経営学修。立教大学では、「スポーツビジネス論~メジャーの1兆円ビジネス」の教鞭を執る。1995年の野茂英雄以降、これまで二千試合を取材するスポーツジャーナリスト。著書に、『メジャーの流儀~イチローのヒット1本が615万円もする理由』(大和書房)など、これまで14冊のメジャー書籍を執筆。(株)マスターズスポーツマネジメント代表取締役、テレビやラジオで高校野球からメジャーリーグ、スポーツビジネスまで多角的に比較・分析している。

【私の論評】我が国では大学スポーツという巨大資源をガバナンスの範疇から外し腐らせている(゚д゚)!

このブログでは、今回の「悪質タックル事件」に関して、統治(ガバナンス)の問題を指摘してきました。しかし、テレビや新聞の報道などでは、この統治の問題については全く指摘されていません。

米国では、20世紀初頭にアメフト競技による死亡・傷害事故が絶えませんでした。憂慮したセオドア・ルーズベルト大統領は、ガバナンス(組織の統治)を強化するために大学スポーツの連合体であるブログ冒頭の記事にもでてくる、NCAA(全米大学体育協会)の設立を主導しました。

日本の大学の場合、ガバナンスが弱いようです。関東学連でも強豪校が力を持ち、OBの影響力もあるので公平に対応するのは難しいようです。今はアメフト部員の入試や就職でも競技歴がものをいうが、規制らしい規制もなく、恣意的に行われてきたところがあります。

一部の大学スポーツは名誉のため、母校のため、監督の地位保全のためなど『悪しき勝利至上主義』になってしまっています。監督は口頭では指示していないと言っても、スポーツの世界には『無言の指示』『雰囲気の指示』も往々にしてあるようです。

関東学連にも、内田監督への抗議や批判を含む問い合わせが殺到、外部からの電話やメールに応対しきれずサーバーの限度を超えるほどの事態もあったといいます。ネット上では「協会が日大を除名するしかない」「連盟は日本大学を除名処分にするくらいの強硬な姿勢で望むべきだ」との声も挙がっています。

過去のブログではガバナンス(組織の統治)についてドラッカーの定義について以下のようにまとめました。
ガバナンスとは、当該組織が社会のために意味ある決定と方向付けを行うことである。組織のエネルギーを結集することである。問題を浮かびあがらせることである。選択を提示することである。 
統治と実行を両立させようとすれば、統治の能力が麻痺する。しかも、決定のための機関に実行させても、貧弱な実行しかできない。それらの機関は、実行に焦点を合わせていない。体制がそうなっていない。そもそも関心が薄い。
また、統治の正当性については、以下のようにまとめました。
社会においてリーダー的な階層にあるということは、本来の機能を果たすだけではすまないということである。成果をあげるだけでは不十分である。正統性が要求される。社会から、正統なものとしてその存在を是認されなければならない。
そのような正統性の根拠は一つしかない。すなわち、人の強みを生かすことである。これが組織なるものの特質である。したがって、マネジメントの権限の基盤となるものである。 
今回の事件においては、すでにこのブログでも述べてきたように、まずは日大側の統治の問題があります。そもそも、内田監督が、人事権を有する常務理事を兼任していることが、非常に問題です。

統治と実行を両立させようとすれば、統治の能力が麻痺するからです。内田監督を常務理事と兼任させている日大という組織は、統治能力が麻痺しているのではないでしょうか。そうだとすると、スポーツ関係だけではなく、他の分野でも様々な問題があるのかもしれません。

実際、この事件が発生してから、今日までの日大の対応ぶりをみると、統治能力が麻痺しているとしかいいようがありません。もし、内田監督が人事権を有するる常務理事を兼任していなければ、かなり大学側としても対応がしやすく、もっと早期に様々な対応ができ、あまり傷口を広げることなく、事件に対応できたと思います。

テレビや、新聞などでは、「危機管理能力」ということが繰り返しいわれていますが、そもそも、実行部門の「危機管理能力」が高かったにしても、統治機能が麻痺していれば、まともな対応などできるはずもありません。

【NCAAファイナルフォー】180の国や地域でテレビ放映されるビッグイベント

次に、日本には、全米大学体育協会(ぜんべいだいがくたいいくきょうかい、略称:NCAA, National Collegiate Athletic Association の略)という組織がないということも問題です。

この協会は主に、大学のスポーツクラブ間の連絡調整、管理など、さまざまな運営支援などを行っています。本部はインディアナ州インディアナポリスに設置されており、協会が運営する競技会の種目は、アメリカンフットボール、バスケットボール、野球、アイスホッケー、テニス、ゴルフ、陸上競技、アマチュアレスリングなど多彩です。

大学体育協会としては世界でも最大規模で、一部の競技ではリーグ戦がテレビ中継されるなど人気が高く、協会の権威や発言力は非常に高いものとなっています。そうして、この協会が、大学スポーツのガバナンスも担っているのです。

このような大学スポーツの統治を担う組織がないということも非常に問題です。以下に現状の日本の大学のスポーツの現状を掲載しておきます。

筑波大学が各スポーツ部(体育会)を一元的にマネジメントする「アスレチックデパートメント」(AD)を設置する方針を発表しました。昨年8月1日付で設置準備室が発足。室長には米大手スポーツ用品メーカー、アンダーアーマー(UA)の日本総代理店「ドーム」(東京・江東)の安田秀一会長兼最高経営責任者(CEO)が客員教授となって就任ましした。現在は各スポーツ部、チームに任されている安全対策や会計管理、コンプライアンス(法令順守)を、新たにADの管理下で強化する狙いがあります。

地味なニュースであまり注目はされていませんが、これは日本の学生スポーツが抱える根本的な問題を変革する画期的な試みだと思います。大学スポーツに関して最近、日本版NCAA(全米大学体育協会)という言葉をしばしば聞くようになりましたが、各大学でのADの設置はその実現のための前提となるはずです。

ADとは日本語では大学の体育局と呼ぶのが適当かもしれません。もっとも日本で体育局を設置している大学などほとんどありません。学生スポーツは大学が管理するものではなく、学生の自主的な活動として存在しています。各大学のスポーツ部は通常は任意団体であり、運営は学生やOBに任されている。大学側は部長を置くことはあっても、監督やコーチを選ぶ人事権を持たないし、活動資金を一部補助することがあっても会計報告などは受けません。

日本ではこのやり方がスポーツのあるべき姿のようにも感じるむきもあるようですが、実はさまざまな問題をはらんでいます。

一般的に大学のスポーツ部の運営費は現役部員からの部費がベースです。人気があってブランド力の高い一部のチームは、独自にスポーツ用品メーカーなどからユニホームや用具の提供を受け、リーグからの収益の分配やスポンサー料も入ってきますが、ほとんどのスポーツ部の活動資金は乏しいです。任意団体では赤字を繰り越すこともできないから、足りなくなれば結局、現役部員の負担を増やすことになります。

そんな状況では格闘技やアメリカンフットボール、ラグビーなど深刻な事故の起きやすい競技でも、その防止策にお金をかける余裕はありません。監督やコーチはほとんどのケースで大学と雇用関係のないOBが引き受け、十分な報酬が支払われることもありません。同時に厳格な会計管理が必要ないため、指導者らによる資金の私物化といった不祥事もしばしば起きます。ガバナンス(組織の統治)が効かず、リスク管理のシステムもないのが日本の大学スポーツの実態です。

少子化で学生数が減少する時代を迎え、大学にとって人気のあるスポーツ部は志願者をひき付ける重要なツールになってきました。一方で、スポーツ部で選手や監督の不祥事や練習中の事故など起きれば、大学のブランドは傷つき、イメージダウンとなります。

大学側がスポーツ部を教育を提供する各学部と同様の経営資源と考え、リスクを管理してその価値を最大化しようとするのは当然の流れです。

しかし、実際はその方向には進んではいません。伝統校になるほど学校による管理を学生やOBたちは嫌がります。大学側にもスポーツに新たに投資できるほどの財政的な余裕はありません。先の筑波大の挑戦は民間企業のドームの支援を受けて初めて可能になったものです。

ドームの本社オフィス 世界でもっとも「情報共有・伝達・意思決定」の速いオフィスを実現

ドームは日本のスポーツの産業化を会社の戦略として掲げています。スポーツ用品メーカーの成長にはスポーツ産業の健全な発展が不可欠というわけです。そのターゲットとなるのが大学スポーツ。筑波大のほか、関東学院大、近畿大などと包括的連携に関するパートナーシップを締結、スポーツによって大学のブランド力を向上させて収益につなげる取り組みを始めています。

これは日本版NCAAに向けての第一歩といえるのでしょう。本家のNCAAは約1200大学が関係する巨大組織で、アメフト、バスケットの試合の放映権料を中心に収入は年間1000億円を超えるとされます。これをモデルにスポーツ庁は日本版NCAAとなる統括組織を今年度には創設したいとしていすま。とはいえ、実際に各大学やチーム、リーグ、大会などがどう関わるのでしょうか。華やかなイメージは先行しても、具体的な姿は見えていません。

大学の統治下にないスポーツ部がばらばらに活動している日本の現状では、大学や競技を横断する統括組織を作ったところで機能しないでしょう。米国のNCAAではADがあるのが当たり前です。過度なビジネス化への批判もありますが、学業との両立に配慮して、練習時間の上限や一定以上の成績を収めなければ試合に出場できないことなどが各校共通のルールで定められていまする。「単位より、順位。」という宣伝ポスターが物議を醸した日本の学生スポーツでは考えられないことです。

ドームの安田CEOは「NCAAは各大学の意志の集合体」と言います。しかし、筑波大でもADによる統治をすべてのスポーツ部が了承しているわけではなく、サッカー部などとの個別の交渉はこれから始まります。ドームがほかに業務提携している他の大学では、筑波大のように一歩踏み出した動きはまだみられません。

日本版NCAAに関して、本家のようなスポーツ市場の誕生を期待する声がありますが、それははるかに先の夢物語です。まずはその価値を認めてスポーツ部を自らの責任でマネジメントしようとする大学が続々と登場し、ADの設置が日本の大学の常識となることが前提になります。大学スポーツ改革は10年や20年はかかる大変な作業になることでしょう。 

いずれにせよ、大学側がスポーツを学生の自主的な活動として、積極的にはかかわらないし、統治の範疇からも外すようなことが続けば、今回のような事件はこれからも起こり続けることでしょう。今の日本では、残念ながら、日本大学だけが例外ということではありません。

大学だけではなくNCAAのような団体が、大学スポーツ全体をまともに統治すれば、大学スポーツ自体が富を生み出す強力な資源ともなり得るのです。そうして、富を生み出すだけではなく、社会の中での大学スポーツの価値を高め、社会に貢献することもできるのです。無論それ以前に大学側が、積極的に大学スポーツを資源とみれば、大学スポーツの転機ともなり得ることでしょう。

多くの大学がそのような見方をするようになり、今や独立行政法人となった大学自体も大学スポーツを資源として活用するようになれば、いずれ日本版NCAAも可能になるかもしれません。そうして、この日本版NCAAが、成果をあげるだけではなく、人の強みを生かすことを基盤とすれば、日本社会から、正統なものとしてその存在を是認され、日本の大学スポーツを劇的に変えることになるでしょう。

そうして、日本版NCAAに関しては、最初からビッグビジネスなどを目指すのではなく、まずは日本の大学スポーツを統治する機構として発足させるというのが正しいあり方だと思います。

米国のNCAAの原型もそのような形でスタートしています。そうして、統治機構はさほど大きな組織でなくても、成果は十分あげられるのです。実際に、エリザベス朝のイギリス政府は、各省に数人の人間が割り当てられていただけでした。

それが、あの植民地を含めた広大な大帝国を統治したのです。他のことはほとんどせず、統治に集中したからこそ、それが可能になったのです。統治のみに集中するなら、日本版NCAAも意外とはやく設立することができ、大きな成果をあげることができるかもしれません。

各大学の「アスレチックデパートメント」(AD)も、当初は統治だけに専念をすれば、かなり成果をあげられると思います。そうして、その後もADは統治と実行を厳密にわけて実行していくべきです。これが曖昧になれば、また不祥事が起こることになります。これは、日本版NCAAも同じことです。大組織の不祥事は、統治と実行が曖昧になったときに発生するのが常です。

日本の大学スポーツが日本という国柄も考慮しつつ、一元的に統治されるようになったその暁には、今回のような事件は、現在の私達が、戦国時代を振り返るような過去のものとなるかもしれません。とにかく、大学スポーツという資源を活用しないままの日本で、大学スポーツが統治の対象から外れていると現状は何がなんでも是正しなければなりません。

そのような時代が本当に来ることを願ってやみません。
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2016年3月31日木曜日

小保方さんの恩師もついに口を開いた!米高級誌が報じたSTAP騒動の「真実」―【私の論評】小保方さんの倫理問題にすり替えるな!理研と文科省のガバナンスの問題こそ本質(゚д゚)!

小保方さんの恩師もついに口を開いた!米高級誌が報じたSTAP騒動の「真実」

小保方晴子さん

小保方さんは間違っていたのか、それとも正しかったのか—アメリカの権威誌に掲載された記事には、日本で報道されていない新たな証言が書かれていた。世界中が彼女に注目し始めている。

すさまじい駆け引き

「私は、STAP細胞は正しい、確かに存在すると100%信じたまま墓場にいくつもりだ」
こう語るのは、小保方晴子さん(32歳)の恩師、アメリカ・ハーバード大学のチャールズ・バカンティ教授だ。バカンティ氏は、小保方さんが発表し、後に撤回された「STAP細胞論文」の共著者でもある。

小保方さんが、自らの言葉で綴った手記『あの日』が、海の向こうでも話題になっている。アメリカで有数の権威を持つ週刊誌『NEW YORKER』(ニューヨーカー)の電子版に、一連のSTAP騒動を検証する記事が掲載されたのだ。筆者は、アメリカ人のデイナ・グッドイヤー女史(39歳)。'07年まで『ニューヨーカー』の編集者として勤務し、その後、ノンフィクション作家として独立した人物である。

冒頭のバカンティ氏の言葉は、グッドイヤー女史のインタビューによって騒動以降、初めて明らかになったものだ。

在米の出版社社員が現地の様子について語る。

「バカンティ教授が取材を受けたのも『ニューヨーカー』だからこそです。それくらいこの雑誌で記事が組まれることはステータスでもあるんです。この記事を掲載するに当たって編集部は約半年にもわたり、準備をしたそうです。かなり気合が入った記事であることは間違いない。小保方さんが手記を出したことで、世界が再び彼女に注目しています」
『ニューヨーカー』はアメリカ雑誌界の最高峰に君臨。読者層は知的好奇心が高く、「高級で権威がある雑誌」と認識されている。紙の雑誌の発行部数は100万部以上。

電子版も好調で、こちらも100万人以上の会員数を誇る。一本一本の記事が丁寧に書かれている総合誌で、非常に読み応えがあるのが特徴だ。

小保方さんに関する記事のタイトルは「THE STRESS TEST」。幹細胞研究の世界はまさに陰謀、欺し合いが錯綜している。そこに細胞に対して行う「ストレス・テスト」を引っかけ、ストレスに弱い者は、科学界で生き残れないことをこの記事は示している。

グッドイヤー女史は日本中を巻き込んだ「STAP」騒動をどう分析しているのか。

まず小保方さんの登場について記事ではこう書かれている。

「この仕事(STAP)の背後にいた『革命児』が小保方晴子であった。彼女は男性中心の日本の科学界に女性として一石を投じた。彼女は他の女性に比べて、男たちとの駆け引きの中で生きることに長けていた。そして独創的な考えの持ち主であると賞賛されていた」(『ニューヨーカー』より・以下カッコ内は同)
その小保方さんを引き上げた人物こそ、バカンティ教授だった。

「小保方がバカンティ教授の研究室にやってきた時、バカンティはすぐに『彼女にはopen‐minded(心の広さ、進取の気性に富む)と、明敏さがある』ことに気づいた。ただしバカンティは当面、細胞にストレスを与えると幹細胞を作り出す可能性があるという仮説を伏せておいた。

彼がもっとも避けたかったのは、留学生が自国に戻って、他の誰かの研究室で彼女のアイディアを展開することにあった。バカンティは私にこう言った。『私の主な懸念は、我々はハルコを信用できるのかだ』と」

「彼女には才能がある」

だが、バカンティ氏の懸念は杞憂に終わる。小保方さんは彼の研究室で信頼を高めていった。

「小保方の下でリサーチ・アシスタントとして働いたジェイソン・ロスはこう言った。『彼女がいかに才能があるかは、誰もが分かった。ハルコのような才能のある人はそう多くはいない』。

それに対して小保方はこう返した。『日本では女性研究者は二流です。たとえ年下の大学生でも、男性が必要としたら、女性は顕微鏡を使うのを諦めないといけません』」

やがてバカンティ教授の元での短期留学を終えた小保方さんは、日本に帰国し、'11年に理化学研究所(CDB)の研究員に。そこで「STAP騒動」のキーパーソンである若山照彦教授のチームに所属する。そして本格的にSTAP細胞の研究に取り組んでいく。

「生物学者の山中伸弥がノーベル賞を受賞したとき、CDBの研究者たちの野心は奮い立った。CDBのチームは、自分たちの発見が山中の発見と張り合う、いや山中の研究をobsolete(時代遅れ、廃れた)にしてしまうとまで考えた」
その一方で、当時の小保方さんについては、

「小保方はCDBでの昇進は早かったが、うまく適応できてなかった。アメリカ的になっていたので、元同僚たちによると小保方は、日本の研究所の厳格なヒエラルキーにイライラしているように見えた」
と記している。
'12年、STAP細胞発見への意欲を見せる小保方さんのもとにもう一人の協力者が現れる。それが騒動中に自殺した笹井芳樹・元CDB副センター長だった。笹井氏のもとで、小保方さんは論文を再構築する。

そして'14年、ついに世界的権威を持つ科学雑誌『ネイチャー』にSTAP論文が掲載される。日本のメディアは割烹着姿で顕微鏡をのぞき込む小保方さんを「リケジョの星」、「ノーベル賞級の発見」と煽り持ち上げた。

だが、風向きが急速に変わり始める—。

「ブランドン・ステルという名の神経科学者が'12年に創設した『PubPeer』というオンライン・フォーラムがあり、そこでは誰もが科学論文を分析して議論することができる。STAP論文は彼らにとってまさに、好奇心をそそる材料であった。2週間も経たないうちに、匿名のユーザーが論文に掲載された画像の2つがほとんど同一のものであることに気づいた」

STAP論文の発表は世界に衝撃を与えると同時に、世界中の研究者からの検証にさらされることにもなった。これこそが「ストレス・テスト」なのだ。このテストにバカンティ氏と小保方さんは耐え抜くことができなかった。

「ハーバード大学の科学者でボストン小児病院の幹細胞移植のディレクターであるジョージ・ダレイは私にこう言った。『当時、世界中の私の同僚たちは、お互いにメールをしあって、おーい、何が起きているんだ。うまくできたか? 誰も成功してないのか、と言い合っていた』」

今も信じている

グッドイヤー女史によると、ダレイは「STAPは幻想である」ことを立証するための論文を『ネイチャー』に発表する準備を始めたという。さらにダレイは2回にわたって、バカンティ氏に間違いを諭そうとしたが、無駄に終わったという。

「ダレイは私に『バカンティは自分が正しいと思い込んでいる』と言った。

そして、昨年の9月、『ネイチャー』はダレイのSTAPに関する論文を掲載した。そこには小保方の主張を正当化すべく7つの研究室が再現をしようとしたが、すべて失敗したと書かれていた。
この論文の共著者であるルドルフ・イェーニッシュは、遠慮することなく私にこう言った。『小保方が若山にいろいろ混ざった細胞を渡したことは明らかだ。若山は彼女のことを信じてそれを注入した。そして美しいキメラができた』」
バカンティ氏は一度、小保方さんに「データの捏造はしてないのか」と尋ねたが、小保方さんの答えは、「それならこんなに時間をかけて実験はしない」だったという。

さらに記事の中には、バカンティ氏は論文撤回後もSTAP細胞作製に向け、いまも研究を続けていると書かれている。

断っておくが、『ニューヨーカー』に掲載されたこの記事は、誰が正しいと断定はしていない。あくまでそれぞれの当事者に取材し、主張を丁寧に拾ったものである。騒動以降、口を閉ざしたままだったバカンティ氏が、今も小保方さんを信じ続けていることは、この記事を読めば十分に伝わってくる。

筆者のグッドイヤー女史は今回、記事を書くにあたって小保方さんとメールでコンタクトを取ったことを明かしている。

「小保方は『私はスケープゴートにされた』と書いてきた。『日本のメディアはすべて、若山先生が犠牲者で、私がまったくのろくでなしと断定した』とも」
小保方さんは今、どんな思いで、何を考え、日々を過ごしているのだろうか。

「週刊現代」2016年3月26日・4月2日合併号より


【私の論評】小保方さんの倫理問題にすり替えるな!理研と文科省のガバナンスの問題こそ本質(゚д゚)!

小保方さんに関しては、本日は以下のようなニュースも掲載されていました。
小保方氏がHP開設、STAP作製“手順”公開…「他の研究者がSTAP細胞の実現を希望」
 STAP細胞論文の著者だった理化学研究所の元研究員、小保方晴子氏(32)が、STAP細胞の作製手順や理研による検証実験の内容を公開するホームページを開設したことが31日、分かった。 
 全文が英語。トップページには3月25日付で小保方氏の名前とともに「他の研究者がSTAP細胞を実現してくれることを希望し、作製手順を公開する」との説明がある。 
 また、「STAP細胞の研究が科学の最前線に戻ることを願う」として、今後も内容の更新を続けると表明。理研が平成26年に実施した検証実験に対しては「厳しい監視の下で行われ、同じ作業を毎日繰り返すことしかできなかった」と批判している。 
 小保方氏は1月には自らの主張をまとめた手記を出版している。
小保方さんのサイトのリンクを以下に掲載しておきます。
STAP HOPE PAGE
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下に、小保方さんが公表したHPのトップページを以下に掲載します。


このサイトが公開され、万が一にも小保方さんとほぼ同じブロトコル(方法)で、STAP現象が確認されたり、あるいは少し改変した形で、STAP細胞ができたとしたら、一体どうなるのでしょうか。

仮定の話をしても仕方ありませんが、それにしても、あのSTAP騒動は今に至るまでも、本当に後味の悪いものでした。

そのことについては、このブログでも何度か掲載したことがあります。その代表的な記事のリンクを以下に掲載します。
米国でも「STAP細胞はあります!」 共著者バカンティ氏、研究続ける 「正しいと確信したまま墓場に」―【私の論評】この事件誰が正しいか間違いかではなく、何が正しいか間違いかを検討しなれば、また同じ轍を踏むことになる(゚д゚)!
小保方さん(前列左)とチャールズ・バカンティ氏(前列右)
小島氏(後列左)、大和氏(後列右)
 詳細は、この記事をごらんいただくものとして、以下にこの記事結論部分のみ以下に掲載します。
理研のこの事件に関する、調査は本当にしっくりきません。何やら、責任はすべて小保方さんの倫理観にあるかのような調査結果の内容です。

要するに、理研も「誰が正しいか、誰が間違いか」という観点で調査を行うという過ちを犯しているのだと思います。

このような調査ですませていては、今回自殺者まで出してしまった、事件に関して、一時しのぎはできるかもしれませんが、小保方さんがES細胞を混入させたさせないという観点ではなく、どうしてES細胞が混入するような事態が生じてしまったかという観点で調査すべきです。

小保方さんや、若山さん、あるいは他の人が混入させたにしても、そもそも、なぜ混入などという不祥事が生じてしまったのか、その背景と、それを阻止するための方策にまで言及すべきです。

人間は不完全ですから、誰でも間違いや失敗をすることはあります。しかし、その後でそれを単に個人の倫理観に委ねていては、何も解決しません。単に「あいつが悪い」で終わってしまいます。

そうして、それを起こしてしまった、システムや背景など何も改善されません。マスコミはまるで、倫理判定装置のような見方で報道するのではなく、こうした観点から、報道すべきですし、理研の幹部や、文部省は、このような観点から調査をするのはもとより、その結果から、理研のシステムを変更するとか、危機管理システムを創設するか、内容を変更するなどの具体的な行動をして、このような事件を再発しないように、あるいは似たような事態が生じた場合には、早めにリスク管理行動を起こして、傷口が今回のように大きく広がることを阻止すべきです。
 ブログ冒頭の記事の最後のほうに、「小保方は『私はスケープゴートにされた』と書いてきた。『日本のメディアはすべて、若山先生が犠牲者で、私がまったくのろくでなしと断定した』とも」と掲載されています。

仮に、小保方さんが「まったくのろくでなし」であったとしたら、そこでさらに疑問がわきます。では、なぜ「まったくのろくでなし」をSTAP細胞研究のユニットリーダーに抜擢したのかが疑問です。

理研は小保方さんが、「まったくのろくでなし」あることを見抜く能力がないのか、ないとしたら何に問題があるのか、それを解決する方法や、それを防ぐための「危機管理マニュアル」など存在しないのでしょうか。

理研は、存在しないというのなら、これから作るつもりなのか、それで本当にリスク回避ができるのかを開示すべきです。

また、理研も組織であるので、監査や内部統制はどうなっているのか、今回の出来事で監査が有効に実施されていなかったのは、はっきりしています。どのような監査が行われていたのか、不十分だったのか、不十分であれば、どのように改善するのかをはっきりさせるべきです。

日本版SOX法における内部統制フレームワーク

さらに、内部統制は組織的に実施されていたかの問題もあります。内部統制(ないぶとうせい 英:internal control)とは組織の業務の適正を確保するための体制を構築していくシステムを指します。組織がその目的を有効・効率的かつ適正に達成するために、その組織の内部において適用されるルールや業務プロセスを整備し運用すること、ないしその結果確立されたシステムをいいます。

これは、ガバナンスの要とも言えるもので、近年民間企業においてはその構築と運用が重要視されています。内部監査と密接な関わりがあるので、内部監督と訳されることもありますが、内部統制が一般的な呼び名となっています。

民間企業でわかりやすい事例としては、たとえば、財務部門と経理部門を一つの組織として、1人上長が管理するようなことはすべきではないというものがあります。

財務と経理の仕事は、中小企業などでは特に区分していない企業も多いですが、上場企業においては明確に区分されています。

経理部門が「日々の経費の精算や帳簿の記帳などをする」「事業活動を数字に表していく処理をする」仕事がメインですが、財務部は「経理部門が作成した財務情報を基礎として企業の今後の経営戦略を財務の視点から考える」部署となります。経理部より財務部の方がより専門性が高い業務といえるでしょう。

また、財務部門は、回収と支払いのサイト管理や資金繰りの管理を通して、企業運営を円滑に進められるように、資金が足りないときは外部から調達してくる役割を担っています。

このような区分を考えると、経理部門と財務部門の管理者が同一であるというのは内部統制上良くないことははっきりわかります。内部統制として望ましいのは、これらの部署が互いに他の部門を牽制するような仕組みをつくることこそ、正しい方向性です。

理研も、民間営利企業ではないものの、理研としてこのような内部統制や、監査の仕組みさらに、危機管理体制がマニュアル化などしてあれば、そもそも、今回のような騒動は起こらなかったかもしれませんし、起こったにしも、あのような無様な形で、主に小保方さんの倫理的な問題にして、ようやく決着をつけるということにはならなかったと思います。

理研の実験室など、あのうろたえぶりからすると、このような観点からすれば、たとえば、レイアウトや、入室、退室のさいの手続きとか、実験の各段階における手続きとか、明確になっていたとはとても思えません。

こういうと、私は小保方さんを援護しているように思われるかもしれませんが、そんなことはありません。そもそも、部外者である私は、小保方さんの倫理面や人格等を忖度するような立場にもありません。どんな人なのかもわかりません。だから、小保方さんを援護したり、非難したりする気も全くありません。

そんなことよりも、たとえ小保方さんが「まったくのろくでなし」であろうが、なかろうが、あるいは悪人であろうが、なかろうが、私はそんなことよりも、たとえ狡猾でかなり頭の良い極悪人が運悪く研究所内に潜り込んだとしても、何か普段では考えられないような危機が発生したとしても、余程のことがない限り、間違いが起こらないようなシステムを構築すべきということを言いたいのです。そうして、仮に間違いが起こっても、早期に収拾できるリスク管理体制を構築すべきであることを言っているのです。

倫理観に基づく、良き意図は大事です。しかし、良き意図だけでは何もできません。何も守れません。何も変えられません。そもそも、理研など国の最先端の研究機関であれば、このあたり、二重三重に備えをしておかなければ、妨害されたり、邪魔をされたり、成果を盗まれたり、あらぬ方向に操作されたりするので、そのようなことが絶対にないように、その備えを固めよと言いたいのです。

そうして、そのような備えを固めることによって、まともなガバナンス(統治)を実行するための基礎ともなると言いたいのです。このようなことを疎かにするような、理研や文科省であれば、統治の正当性が疑われるということを言いたいのです。

もし、理研や文部省がまともなガバナンスができないというのであれば、ガバナンスがまともにできる民間研究所に委託するか、全く新たな組織を作ったほうが良いということを言いたいのです。

ブログ冒頭の記事では、NEW YORKERに小保方さんに関する記事が掲載されたとしていますが、理研や文科省のガバナンスに関する観点については掲載されていませんでした。関係者へのインタビューなどは掲載されているようですが、これではあまり意味がないと思います。ただし、NEW YORKERのもとの記事には触れられているのかもしれません。機会があったら、当該記事を読んで見たいものです。

いずれにしても、理研に限らず、最先端の研究をしている民間の研究所や、大学の研究室など、今回のような出来事は明日は我が身ということにもなりかねません。まずはできることからで良いので、リスク管理、内部統制、監査、ガバナンスに関してもう一度見直し、脆弱なところがあれば、補強しておくべきものと思います。

それから、マスコミにも注文をつけたいです。STAP騒動におけるマスコミの報道ぶりは最悪でした。まるで、マスコミは倫理審判団のように、小保方さんを糾弾し、STAP現象を完璧にまがい物扱いしました。STAP現象は、いまのところは作業仮説ですが、まがい物ではありません。

あのような報道では、全く無意味です。倫理問題など従の扱いで、もっと本質的なガバナンスや危機管理の点からの報道をもっとすべきでした。

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「小保方さんがかけたきた涙の電話  若山照彦」というタイトルの記事が掲載されています。

2013年8月8日木曜日

社会保障制度改革の“皮肉な教訓” 重要問題は会議で決めるな―【私の論評】ガバナンスで時間稼ぎをした民主党、ガバナンスではなく反日で時間稼ぎをしている中韓!!時間稼ぎは、結局大失敗に終わるだけ(゚д゚)!

社会保障制度改革の“皮肉な教訓” 重要問題は会議で決めるな

消費増税派に利用される社会保障制度改革国民会議

民主党が社会保障制度改革国民会議から離脱する。消費税率を引き上げたいと考えている人々から見ると、社会保障制度改革国民会議は、単にこなすべき手続きというだけ。議事をまとめる上では手間を取らせる存在になるはずの民主党が離脱することは歓迎だろう。

有識者の会議で検討したというアリバイを得ながら、抜本的に変えたくはない社会保障制度に触れずに、消費税率の引き上げだけ達成できる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<中略>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

一般に「重要な問題」にあっては、それが存在すること自体が示唆するように、検討に参加する有識者の意見は簡単にはまとまらない。

つまり、重要な問題を有識者会議の検討に委ねるということは、少なくともその問題の結論を先送りすることを意味する。

加えて、会議の結論は、あらかた「事務局」がコントロールできる。

ビジネスの場合でもそうだが、大きな会議は、情報の周知の役に立つことはあっても、そこで議論が深まることはない。

社会保障制度改革国民会議がわれわれに与えてくれる教訓は、真に重要な問題は、後の会議の検討に委ねるのではなく、その場で先に決めてしまわねばならないということだ。政府であっても、会社であっても、会議というものは、しばしば、「結論の先送り」か「既にある結論のアリバイ作り」に使われる。

そう考えると、結局、民主党にとって社会保障は真に重要な問題ではなかったのだろう。民主党の「魂」は、あの時点で既に抜けていたのだと考えるのが妥当だ。(経済評論家・山崎元)

この記事の詳細はこちらから!!

【私の論評】ガバナンスで時間稼ぎをした民主党、ガバナンスではなく反日で時間稼ぎをしている中韓!!時間稼ぎは、結局大失敗に終わるだけ(゚д゚)!

会議の役割は情報の周知と、意思決定である
民主党政権時代には社会制度改革国民会議にかぎらず、様々な識者会議とか、○○会議とか、あのわけのわからない事業仕分など、とにかく様々な会議が催されました。゜これは、結局上の記事でも指摘しているように、「結論の先送り」か「既にある結論のアリバイ作り」ということです。

そうして、多くの無意味な会議の本質は何かといえば、本来やるべきことをしないというより、やるべきことができないため、何もしなければ国民から本当は何も仕事をしていないことや、能力がないのを見破られててしまうため、それを忌避するため、会議を開催し、あたかも仕事をしているかのように見せかけるためということがあります。

要するに、何か仕事をやっているようにみせかけ時間稼ぎをするためのものが、大きな会議の頻発ということです。そうして、これは何も日本の民主党ことだけではありません。世界中に蔓延していることです。ことに、リーターに決断力がないとか、能力がないという場合には頻々と行なわれることです。

そうして、これが度をすぎるともっと酷いことになります。それは、中韓に見られる反日活動です。昨年の中国人民代表大会の内容をみると、国家的危機に対して結局中国共産党は何もしないということを公表しただけです。これに関しては、以前のこのブログでも掲載したことがあるので、以下にそのURLを掲載します。
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、結局昨年の中国全人代では結局「3つの自信」(道路自信、理論自信、制度自信)である。要約すれば、党は正しく、「このままで良い」と言っているに等しいことを確認しただけです。



今の中国共産党には、中国を改革する力も、するつもりもないのです。しかし、だからといって、何もしなければ人民の不満のマグマはさら強くなりいずれ大噴火します。これを防ぐために、最初は軍事力を使って人民を弾圧しましたが、これにも限界があります。

その後何をしたかといえば、そうです。皆さんご存知、80年代から江沢民が先頭に立って始めた国家レベルの体系的な半日教育です。これは、かなり時間稼ぎに寄与しました。

しかし、国内の反日活動だけでは時間稼ぎができなくなってきたため、今度は、南沙諸島や日本の尖閣での示威行動です。これも時間稼ぎです。しかし、これも中国にとっては危険な綱渡りです。いつまでも、尖閣問題などを現状のままにしておけば、時間稼ぎはできなくなります。かといって、尖閣など占拠するなどの行動をとれば、日本も米国もこれを許しはしないでしょう。日本は、本格的に戦後体制が脱却し、中国を迎え撃ち、中国の行動を挫くでしょう。

そうなれば、時間稼ぎどころか、人民の憤怒のマグマは爆発して、中国は内乱状態になってしまうことでしょう。それを中国共産党中央政府は恐れています。だから、尖閣周辺の中国によるデモンストレーションは日々派手になっているのですが、かといって本格的にもならないのです。そうして、情報筋によれば、中国は国内で日本との戦争に備えている様子は全くありません。

本来中国がやるべきことは、民主化、経済と政治の分離、法治国家化による社会変革を行い、一部の富裕層だけが潤うのではなく、いわゆる中間層を育てることです。これは、西欧諸国をはじめ、日本も通ってきた道です。

方向性ははっきりしています。これなしに、現在の中国に未来はありません。しかし、民主主義や、経済と政治の分離、法治国家化に関して、中国共産党幹部は知識もありませんし、そのための意思決定もできないまま今の状態に至っているのです。

それに、中国の場合、社会が日本と比較してかなり遅れているため、日本の民主党政権のように大きな会議を頻発して、時間稼ぎをすることもできません。中国で、民主党がやった、事業仕分けなどしようものなら、腐れ役人のとんでもない実体がさらに大きく浮かび上がり、人民の憤怒にさらに拍車をかけるだけです。ですから、中国では、日本の民主党政権のように、会議の頻発を時間稼ぎには用いることができないのです。

日本では、すでに国政におけるガバメントとガバナンスは不十分ながらできているので、会議を頻発することもかのうです。

ガバナンスとは、統治のことです。『ガバメント』とは対照的な統治として位置づけられます。ガバメントは政府が上の立場から行なう、法的拘束力のある統治システムです。一方、ガバナンスは組織や社会に関与するメンバーが主体的に関与を行なう、意思決定、合意形成のシステムです。このガバナンスの意味をもとに、経営学の分野でも、「ITガバナンス」や「コーポレートガバナンス」という言葉が使われるようになりました。これらは、株主や経営陣による企業の管理、統治という意味合いも含まれてはいる。だが、企業の利害関係者(株主、経営者、従業員、取引先など)の主体的な作用による、意思決定、合意形成のシステムが、本来の意味に近いです。


そうして、ガバメントとガバナンスは、互いにバランスを保って、事にあたらなければなりません。特に、ガバメントは、現在の中国のように、本当の危機が間近に迫っているときは、ガバメントが優勢になり、危機管理、危機回避をしなければなりません。

たとえば、船が沈没しそうなときに、皆で話あいをして、意思決定、合意形成などしていれば、犠牲者が増えるだけです。このようなときは、船におけるガバメントの最高権力者である船長がすみやかに乗客、乗員の被害をなるべく低くなるよう意思決定をして、すみやかに、乗客・乗員に行動をとらせる権限が付与されています。これは、航海法で定められています。これは、国でも、企業でも同じことです。国では、総理大臣・大統領レベル、企業で社長といわれる人々の最大の仕事がこの危機管理・危機回避です。

日本の民主党は、危機にあたって能力がないため、ガバナンスを発動して、様々な会議を開催して、時間稼ぎをしました。中国は、ガバナンスを発動することはできないため、国家レベルの体系的反日活動を時間稼ぎに活用しています。韓国も、中国とは少し違いますが、朴槿恵大統領は、本来やるべきことをせずに、国家レベルの反日路線に走り、時間稼ぎをしているだけです。


ご存知のように、民主党は、何も決められなく、意思決定をずるずる引き伸ばし、そのために様々な会議を頻発してきました。その結果どうなったかといえば、昨年の暮れの衆院選で政権は崩壊。今年の参院選でも、さらに議席数が激減して、少数野党政党の仲間入りです。

中韓も同じことです。時間稼ぎなどせずに、当面の経済対策・社会改革という仕事に本気に取り組み、行動を起こさなければ、日本民主党と同じ末路をたどることになります。

とにかく、本当に大事なことに取り組まないで、日本民主党のように会議を頻発したり、中韓のように共通の敵を外につくりだして煽ったとしても、単なる時間稼ぎになるばかりで、根本的に何も解決できず、いずれ崩壊するということです。時間稼ぎするにしても、時間稼ぎの後に何かがあって、時間稼ぎは意図して意識してやっているというのならわかりますが、そうではなく、単なる時間稼ぎだけしていても、事態は何も変わらないどころか、日増しに悪くなっていくだけです。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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