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2018年1月29日月曜日

「世界のリーダーの品評会」での黒田日銀総裁の発言に失望した理由ここでビシッと決めてほしかったのに―【私の論評】野党、マスコミ、官僚はマクロ政策に目覚めよ(゚д゚)!

「世界のリーダーの品評会」での黒田日銀総裁の発言に失望した理由ここでビシッと決めてほしかったのに…

髙橋 洋一 経済学者 嘉悦大学教授 プロフィール

「問題発言」の内容

スイス東部のダボスで、1月23日から26日まで、世界経済フォーラムの年次総会、いわゆる「ダボス会議」が開かれていた。今年は、トランプ大統領が初めて出席する関係もあり、例にない警備体制だったという。

周知のとおり、トランプ大統領は、再交渉を前提にTPP(環太平洋パートナーシップ協定)への復帰の可能性を示唆した。アメリカが抜けた後、TPP11というアメリカ除きの自由貿易協定が日本のリーダーシップで既に合意しているので、アメリカも焦ってきたのだろう。

筆者は、トランプ自身は自由貿易論者であり、オバマ前大統領主導のTPPという枠組みが嫌いなだけで、かわりに日米FTAなどの自由貿易を提案してくるとみていたが、結局その通りになった。日本としては、日米FTAとTPP12の両方のカードがあるため、アメリカの出方を待って作戦が取るとれるので、トランプ大統領のこのスタンス変更は歓迎だろう。

さて、ダボス会議は世界のリーダーが集まる会議であり、各リーダーの品評会のようなところだ。小泉政権以降、日本の政治家も積極的にダボス会議に参加していたが、今年はちょっと寂しい状況だ。

ダボス会議に出席した日銀黒田総裁
そのダボス会議において、日銀・黒田総裁が出ていた会合で、金融政策についての興味深いやりとりがあった(https://www.weforum.org/events/world-economic-forum-annual-meeting-2018/sessions/a0Wb000000AlJAXEA3 の55分あたりから)。筆者の知り合いがダボス会議事務局をやっているので、ダボス会議には注目していたが、ネットの一部でもこの会合に出席した黒田総裁の発言を疑問に思う声が出ていた。

なお、マスコミはこのことについてまったく言及していない。黒田総裁の発言は至極重要なはずで、ネットで見られるものであるが、日本のマスコミはおそらく見ていないのだろう(役所の解説がないと記事を書けないマスコミが多いためだろ思われる)。

一部で問題視されているのが、26日に行われた「Global Economic Outlook」での発言である。参加者は、黒田日銀総裁の他に、カーニー・イングランド銀行総裁、ラガルド・IMF専務理事、ラム香港特別区行政長官、フィナンシャルタイムズのウルフ記者らであった。

ウルフ氏が進行役で登壇者に質問していたが、その後の質疑応答の際に、フロアーから「インフレ目標は2%がいいのか」という質問があった。ウルフ氏は、その他の質問も含めて、まずラガルド氏に聞いた。ラガルド氏は、「インフレ目標2%がいいのかどうかは、国によって異なることもある」などと無難に答えた。

ウルフ氏は、「日本はデフレが長かったので、2%では低く、4%目標でもよいのでは」と黒田氏に質問した。それに対する黒田氏の答えは、要約すると次の通りだった。

<インフレ目標の物価統計には上方バイアスがあるので、若干のプラスが必要なこと、ある程度プラスでないと政策の対応余地が少なくなること、先進国間の為替の変動を防ぐことなどの理由で、先進国で2%インフレ目標が確立されてきた。>

ハッキリ言って、役人答弁そのもので、何を言っているのかさっぱり分からなかった。

クルーグマンに問われたこと

実は、筆者は日本では2%ではなく、4%インフレ目標にすべきということを、かつてプリンストン大学でクルーグマン教授に同じことを問われたことがある。その時は筆者は、

「インフレ目標は、フィリップス曲線上でNAIRU(Non-Accelerating Inflation Rate of Unemployment、インフレを加速しない失業率)を達成するための、最低のインフレ率である。

日本では、NAIRUは2.5%程度なので、インフレ目標は2%(が適当だ)。もし2%より高い、例えば4%のインフレ目標にしたら、失業率は2.5%程度でそれ以下には下がらないが、インフレ率だけが高くなるので、無駄で社会的コストが発生するインフレになってしまう」

と答えた。黒田総裁は、世界が注目するダボス会議で日本のリーダーとして男を上げる機会を逸してしまった。ラガルドがちょっと逃げて答えたので、ここでびしっと決めれば格好良かったのに。

おそらくなぜインフレ目標を2%にしているのか、筆者の解答部分の前半について、黒田総裁は明確に理解していないのだろう。それは、日銀事務局も同じである。それは、日銀が毎四半期ごとに出している「経済・物価情勢の展望(展望レポート)」(https://www.boj.or.jp/mopo/outlook/index.htm/)をみればわかる。

その中で、各回レポートに失業率の件があるのだが、直近のものでは「失業率も、足もとでは構造失業率をやや下回る2%台後半となっている」と書かれている。

その注には、「構造失業率には様々な考え方があるが、前掲図表3では、所謂『ベバリッジ曲線』の考え方に基づき、失業率と欠員率が一致する(=ミスマッチを勘案したマクロ的な労働需給が均衡する)場合の失業率として定義している。したがって、ここでの構造失業率は、NAIRU(Non-Accelerating Inflation Rate of Unemployment)の概念と異なり、物価や賃金との直接的な関係を表す訳ではない。」とされている(https://www.boj.or.jp/mopo/outlook/gor1801b.pdf)。

この「構造失業率であって、NAIRU」でないというのは、典型的な役人の言い訳だ。この言い訳が使われたのは、2016年7月のレポートからだ。その直前に、筆者が「日銀の構造失業率は3%台半ばとしており、計算違いである」と指摘した。その理由は簡単だ。構造失業率が、長きにわたって現実の失業率を下回るはずはないからだ。

たしかに「構造失業率」と「NAIRU」とは、その概念は違うが、計算すればほぼ同じ数値になるものだ。どうしても違うというのなら、日銀はNAIRUをいくらと推計しているのか、誰か国会質問で聞いたらいい。これが答えられなくては、中央銀行失格である。NAIRUの代替物として構造失業率を計算しているのではないか。

中央銀行として、NAIRUが重要なのは、それがインフレ目標に直結しているからだ。それは以下の図をみてもわかる。


これが、筆者の解答に書かれている、

「インフレ目標は、フィリップス曲線上でNAIRU(Non-Accelerating Inflation Rate of Unemployment=インフレを加速しない失業率)を達成するために最低のインフレ率である」

というところだ。

では、その次にある

「NAIRUは2.5%程度」

はどうだろうか。日銀のレポートでは間違い続けているが「NAIRUは2.5%程度」というのは、かなり専門的な知識が必要である。

構造失業率でも日銀は間違っている
NAIRUの推計には、UV分析による方法と、潜在GDPによる分析がある。

まず、厚生労働省「職業安定業務統計」による欠員統計の利用が可能であるので、UV分析を若干アレンジしたい。UV分析とは、縦軸に失業率(U、通常は雇用失業率)、横軸に欠員率(V)をとり、失業率を需要不足失業率と構造的・摩擦的失業率に分解し、その動向からNAIRUを算出するものだ。

まず、1963年からのUV図を描いてみよう。欠員率=(有効求人数-就職件数)/(有効求人数-就職件数+雇用者数)、雇用失業率に対応する完全失業率としている。

これを見ると、1980年代は安定しており、左下方にシフトしてNAIRUが低下し、90年代には逆に右上方にシフトしNAIRUが高くなっていることがわかる。動きとしては右回りになっていることもわかる。


そこで、最近の2002年1月から2009年7月までの経路をみると、やはり右回りになっている(もっとも、リーマンショックがあったので、右下までこないままに右回りで一周している)。

最近の2009年8月から現時点までの経路を見ると、筆者の予想線の通りに右下に向かって下がっている。ここで、右回りになるとすると、さらに左下に下がり、完全雇用は下図のようになると、筆者はみている。その点に対応する失業率は2.5%程度であり、これが筆者の考えるNAIRUである。


ちなみに、この分析は、日銀レポートで構造失業率と言っているものと同じである。つまり構造失業率でも日銀は間違っていることを指摘しておこう。

ここでも野党は間抜けな批判を……
次に、潜在GDPからの分析である。この分析のために、内閣府が四半期ごとに公表しているGDPギャップを利用しよう。このGDPギャップとインフレ率と失業率の関係をみるのだ。

GDPギャップとインフレ率の関係は、GDPギャップがプラス方向に大きくなるとインフレ率が上昇する、正の相関関係がある。具体的には、GDPギャップがプラス2%程度になると、インフレ率が2%程度になる。


GDPギャップと失業率は、逆に負の相関関係である。GDPギャップがプラス方向に大きくなると失業率は低下する。具体的には、GDPギャップがプラス2%程度になると、失業率は2.5%程度になる。


これで、失業率2.5%に対応するのはインフレ率2%程度であり、これがインフレ目標になっているわけだ。

なお、GDPギャップとインフレ率は正の相関、GDPギャップと失業率は負の相関なので、インフレ率と失業率は負の相関になり、これが先の掲げたインフレ率と失業率の関係を表すフィリップス曲線になる。

現状の経済を見ると、失業率は2.7%であり、NAIRUにあと一歩の状況である。この傾向が続き、現実の失業率がNAIRUに近づくと、賃金はかなり上がり出す。現にその傾向は出ているが、今一歩の状況である。

そのためには、あと10兆円弱の有効需要を、金融緩和の継続または財政出動で作ればいい。そうなると、人手不足によって賃金を上げないと企業活動に支障が出てくるようになる。

安倍首相が賃上げを経済界に要請しているのは、こうした現状を踏まえた上のことであって、極めて政治的に巧妙である。経済界も現状をみると、首相に言われなくても賃金を上げないと企業活動に支障が出てくるのはわかっているから、要請に応じた形になるだけだ。決して、マスコミが報道するような「官製賃上げ」ではなく、マクロ経済をわかっていれば、賃上げは自然の動きなのだ。

こうした状況下で、いま、働き方改革が行われている。立憲民主などの旧民主党系の野党は「働き方改革は残業代をゼロにするためのもので、労働者に不利になる」とか言っているが、残業代ゼロでも、人手不足によって手取り給与総額は増えるだろう。何より、雇用を作れなかった旧民主党系の政治家たちがこんなことを言っているのだから、まったくお笑いの世界である。

雇用も作って、その上で給料も上がりそうな状況が出現している。野党は全く安倍政権にお株を奪われた状態なのである。

【私の論評】野党、マスコミ、官僚はマクロ政策に目覚めよ(゚д゚)!

私は、高橋洋一氏のように数学はさほど得意ではないので、上記のような計算はなかなかできないですが、それでも過去の統計資料と、現状の雇用情勢を比較すれば、いわゆる構造的失業率ないしはNAIRUは2%台半ばであることは過去から現在の失業率の統計資料などをみればわかります。

私自身は、以前このブログに掲載したように、大体2.7%ではないか目見当をつけたことがあります。

以下に、その検討をつけたときの資料などを掲載したブログ記事のリンクを掲載します。
「リフレ派敗北」という人の無知と無理解と統計オンチ デフレに逆戻りさせるのか―【私の論評】俗説、珍説を語る輩はエビデンス(証拠・根拠、証言、形跡)を出せ(゚д゚)!
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事より以下にグラフを掲載します。

 
上のグラフをみるだけでも、完全失業率は2%台半ばくらいであることは大体察しがつきます。90年代の半ばあたりからは、日本はデフレ気味であり、97年あたりから完璧にデフレに突入したことを知っていればこのあたりの失業率の値はあまり参考にならないことがわかります。

このときよりも前のデーターを参照すれば、大体2%の半ばくらいと見るのが妥当です。完全失業率はその時々で変わるのではといわれていますが、まともなマクロ経済学のテキストによれば、このくらいの期間ではさほど変わることはなく変わったとしても0.5%くらいといわれています。

これは、1990年代の半ばより以前は、日本では失業率が3%を上回ると、危険信号といわれていたこととも符号します。米国ではずっと前から、米国の構造的失業率は4%くらいであるといわれてきました。それは今でも変わりません。

しかし日本では、2000年代にはいってから、完全失業率が3%台などは当たり前で、4%台や5%台になったこともありました。これは、日銀の金融政策が失敗していたことを物語っています。過去の日銀は、金融緩和すべきときに、金融引締めをするなどの愚策を行ってきたので、このようなことになったのです。

ブログ冒頭の記事で、高橋洋一氏は日本の構造的失業率ないしNAIRUを2.5%程度と考えていることが示されています。

高橋洋一氏は統計的手法を用いて、この試算を実施したのでしょう。おそらく、かなり正確なものと考えられます。

政治家などは、このような試算をすることは難しいかもしれません。しかし、私のように過去の統計などをみれば、どう考えても4%や5%の失業率がまともであるとは思えないはずです。さらに、自分で計算できなくなても、高橋洋一のような人、それも複数の人に計算してもらうことはできるはずです。そうすれば、まともではないということが認識できるはずです。

そのような見方をすれば、何かがおかしいということに気づき、金融政策に問題ありということになるはずです。しかし、多数の政治家はそのような見方がまだできません。特にブログ冒頭で高橋洋一氏が指摘するように野党はそうです。そうして、残念ながら、官僚もマスコミもそのような見方ができない人が多いです。

彼らの頭の中では、雇用とはマクロ経済政策である、金融政策などとは全く関係なく、ミクロ的な見方しかできません。そうして、雇用というと政府にミクロ政策のみを実行せよと迫ります。

これが根本的な誤りです。政府が行うべきはまずは、マクロ政策なのです。その他のミクロ政策は、政府としては法律や規制、インフラの整備はすべきですが、政府自身がミクロ政策を実行してしまえば、ことごとく失敗してしまいます。これがうまくいくというのなら、共産主義は大成功したはずです。でも現実はそうではありません。

だから、ミクロ政策は民間が実行すべきなのです。そうして、日本では民間というと営利企業のみがクローズアップされるのですが、これだけでは不十分で本来ならば民間非営利企業(NPO)が十二分に活躍しなければならないのです。

しかし、日本では未だに民間非営利企業(NPO)が欧米のように発達していないことが問題です。このあたりは、述べると長くなりそうなので、また機会を改めて、掲載します。

そうして、それ以前に日本では、政府は主にマクロ政策を実行すべきものということが、未だ前提となっていないところがあります。特に、雇用はそうです。マクロ政策である金融政策や、財政政策がまともでないときに、ミクロ政策(労務問題の解決など)だけを実行したとしても、雇用は改善できません。

まずは、これを根付ける必要があります。野党の政治家、マスコミ、官僚も政府はマクロ政策を実行する主体であることをはやく認識すべきです。はやく目覚めて欲しいものです。

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2017年11月22日水曜日

「イヴァンカ基金」報道でわかるマスコミの呆れた経済リテラシー―【私の論評】テレビに国際・経済報道を期待でないわけ?

「イヴァンカ基金」報道でわかるマスコミの呆れた経済リテラシー

イヴァンカ・トランプ氏

そもそも「イヴァンカ基金」ではない

トランプ大統領の長女で大統領補佐官を務めるイヴァンカ・トランプ氏が来日し、連日動向がメディアで取り上げられた。そのなかで物議を醸したのが、氏が主導した「イヴァンカ基金」に日本政府が5000万ドル(約57億円)を出資するとしたニュースだ。

国のトップクラスの名前を冠したファンドは珍しいようにも思えるが、そもそもこの基金の目的は何なのか。政府はどのような意味合いで57億円もの巨額を拠出することになったのか。

これについて、各メディアは「安倍首相 イヴァンカ氏基金に57億円」との見出しで報道した。これに否定的な反応を示した人々も少なくない。たとえば社民党の福島瑞穂参議院議員は、ツイッターで「安倍総理がトランプ大統領にプレゼントをしたように見えかねない。なぜこのタイミングなのか?しかも個人的なプレゼントではない。みんなの血税だ」と投稿。

たしかに報道の字面を見ると、安倍首相がトランプ氏一家のご機嫌取りに血税を使ったように取られてもおかしくない。

だが、実際のところ単なる「プレゼント」とは大きく違ったものだ。まず、メディアでは「イヴァンカ基金」と通称で呼んでいるが、正式名称は「女性起業家資金イニシアティブ」といい、イヴァンカ氏個人のファンドではない。途上国の女性起業家が直面する制約を解消することを目指し、ワシントンにある世界銀行に設置されている。

ちなみにこの拠出は'17年7月にすでに発表されていて、日本以外にもすでに12ヵ国が拠出を表明している。つまり、わざわざ今回の訪日に合わせて準備した資金ではないということだ。

ダブルで「おいしい」投資先

そして今回の出資について「血税をつぎこんでいる」というのも、再考の余地がある指摘だ。なぜならこの57億円は、税金主体の一般会計からも拠出できるが、普通であれば政府が保有する「外貨準備」から拠出するのが通例だ。

外貨準備とは、相場の急変動への対応や対外債務の返済に用いられる準備資産であり、そのほとんどが政府の外国為替資金特別会計という名目で保有されている。

外国為替資金特別会計は短期債券を発行し、その資金で外債を購入して運用している。こうして生まれた外貨準備の残高は1・2兆ドル(約137兆円)ほどで、税金そのものを拠出したわけではないといえる。

また、外貨準備は債券が原資であるから、一定の収益がある。現時点でその利回りは1・7%程度といわれるので、単純計算で年間204億ドル(約2・3兆円)の収益がある。

つまり、外貨準備の中から57億円を拠出するというのは、年間収益のわずか0・3%程度を出すだけにすぎない。しかもこの資金はあくまで「拠出」で、タダで寄付しているわけではない。「イヴァンカ基金」が成功すれば日本の国際的評価も上がるはずだ。

いわば、国が財テクで儲けたそのわずか一部を別の分野で再投資しているだけにすぎない。メディアの報道があまりに不十分なことには驚くが、それを鵜呑みにして過剰反応する国会議員にも呆れてしまう。

しっかりと国のおカネの仕組みについて学んでいれば、このようなことも発言しないのだろうが。

【私の論評】テレビに国際・経済報道を期待でないわけ?

昨年の大統領戦記では、ほぼすべての日本のマスコミがトランプ大統領の登場を予測することができませんでした。これには、それなりの背景があります。それは、今でも変わっていません。だからこそ、今回のいわゆる「イヴァンカ基金」についてもまともな報道ができないのです。そもそも、正しい報道をして欲しいと願うこと自体が間違いなのです。

民放では日々国際ニュースが流されているがその信憑性は?
今回は、主にテレビ報道について述べます。

そもそも、日本の特に大手メディアのワシントン支局に何人くらいテレビ局員いるのでしょうか。

これは、テレビ局によって多少の違いはありますが、基本的には2人です。支局長と平の人と、あとは現地採用の人です。あわせ、4人から5人というところです。NHKは、これよりは少しは多いくらいのものです。

この状況で、東京から送り込まれてニュースを日本全国に届けるわけですが、これでは、取材力がないわけです。では、どのようにして、選挙情勢分析してるいるのかといえば、それぞれ系列局と報道協定結んで報道をしているのです。

たとえば、米国ABCと日本のNHK、日本テレビとNBC、CBSとTBSが、報道協定を結んでいます。日本のテレビ局が、報道協定を結んだ先の米国のテレビ局が出した情報をそのまま日本で報道してしまいます。

米国のテレビ局は基本的にリベラルに占められていて偏っています。テレ朝などは、完全に米CNNの情報絶対に正しいという前提で、報道しています。

さらに、日本のテレビ局の、多くが駐在するワシントンにいるとさらに、それが全然わからなくなってしまいます。昨年の大統領選挙戦で、得票数見れば、ワシントンでは93%もクリントンに入れています。

ワシントンにいるとクリントンが勝って当然だという感覚になるのです。昨年の大統領戦では、トランプが勝利宣言をすることになったわけですが、これに対する日本のテレビ局の準備がほとんど出来ていませんでした。

クリントンが勝つから、クリントン側から勝利宣言を夕方中継するということで、キャスターはスタンバイ始めるわけですが、パスを取らないとそこには入れません。そうして、そのパスをクリントン側からしか取っていないと、急にトランプ勝ちそうだぞとなってももうトランプ側の勝利宣言の場には、行くことができないのです。

このような準備が全く不足していて、日本のテレビ局のほとんどが、トランプの勝利宣言をほとんど報道できなかったのです。これは、当時池上氏の選挙特番でもそうでした。

池上氏の選挙特番では、安藤ゆうこキャスターは現地に行ってから、日本で言われているように、ヒラー優勢ではなく、トランプ優勢であることを初めて気付き、突然レポートの内容が変えました。
一方で池上彰氏は直前に1回アメリカに行っにもかかわらず、ヒラリーが絶対に優勢という前提で、全部原稿準備していたので、特番の中では、ヒラリーに関することしか言えないような状況になっていました。

池上彰氏の米大統領選挙特番
日本のメディア、テレビ局は、このような手薄な状況で、アメリカの内情分析をしているのが実体なのです。

これは、本当に手薄で、その場で必要がなければ翻訳の人が常時いるわけではないですから、今日はニュースは無いというときには支局員は支局に詰めることもなく帰宅していまうのです。

そのため、アメリカで何か大きな事件が急に起こった場合には、支局長が支局員に電話して報道局来てもらわないと支局は機能しません。だから、急に大きな事件が発生すると、報道にタイムラグがおきてしまったりします。国内のように、泊まり番というのはいないのです。

ただし、NHKは泊まり番も存在しますが、その中には、中国人のスパイ等がなにくわぬ顔で潜り込んでいて、それが大きな事件が起こったときに偶然泊まり番をしていて、直後の報道がかなり偏っていたりすることもあるのです。

そもそも、日本のテレビ局は、情報分析能力自体が、かなり手薄なのです。あまりにも手薄なので、ある民法は、アメリカ大統領選挙はどうなるのかという番組では、自分の局の米国駐在員の話を報道するのではなく、日本人の商社関連の識者を呼んでき報道するというようなことをしていました。

本来商社の人に話を聴いても、正しい情報が得られるとは限らないのですが、それでもなぜそのようなことになかといえば、そのような商社員に毎月勉強会という形でアメリカ事情を語ってもらう勉強会をやっているからなのです。

この局の報道関連の人達は、きっと彼は情報を持っていて正しい判断をするに違いないと信じているようで、だからこそ勉強会をやっその情報を結構アテにするのです。

結構そういう有名商社の誰々という権威に結構頼ってしまったりするのです。これは、何も国際報道に限った話ではありません。例えば捜査系の報道、特捜部系の報道では、元特捜OBのコメンテーターの人が番組に登場することが多いです。

そういう人が勉強会をやっていて、後輩捜査員に対して「おぅどういうネタがあるんだ?」などと聴いて集めて報道ネタにするということが良くあります。昔若狭さんがそれやっていました。

経済ネタでは、例えば竹中平蔵氏がテレビ局の報道関係者を受講者に含む勉強会を主催していました。報道関係者は自分の足でネタを得るこもなく、そこから放送ネタを得てきて、報道するというようなことが行われていましたし、今でもそのようなことが行われています。放送局の報道は、このようにしてなされているわけで、これでは情報内容は偏ってしまいます。

そもそも、偏るというよりは、まともなリサーチャーもアナリストもいないということです。日本では、良くテレビなどはリベラル左翼側に偏向していると批判されることも多いですが、本当はそれ以前にこのような根本的な欠陥があるのです。

根本的には、思想が右か左などというレベルではなく、そもそもレベルが上か下という問題です。NHKがかなり偏向しているということで批判される人々も多いですが、さすがにNHKは少なくともレベル的には上です。それには、報道局に十分な予算が割かれているということが大きいです。

ある民放局では、どうせニュースなんかスポンサーまともに付かないし、儲からない部署ということで、赤字部門扱いされてしまい、その局の有名会長が報道局部門のリストラを実行してしまいました。それに他局も右ならえをしてしまい、全民放が過去にかなりリストラをやってしまいました。そのため、現在ではどの民放もそもそも報道局は、予算もあまりつかないですし、報道局などに在籍しても出世のためには良いことではないのです。

再び昨年の、米国の大統領選挙にもどすと、トランプを一生懸命支えたネットニュースのブライドバードニュースがあります。ここの報道など当時の日本のテレビは全く触れませんでした。しかし、あのニュースを視聴していれば、トランプ陣営がどう動いてるのだとか、どういうことをやろうとしているのか、すぐにわかりました。

このサイトは、米国内でも有名でしたし、日本国内でも米国事情通の間では有名でしたが、日本の民放関係者は、このサイトの存在も知らなかったのです。

テレビ局のブレーンになるようなコメンテーターのおじさんおばさんは、このようなサイトをチエックすることもなく、恣意的にコメントするだけです。まともな識者がブレーンになっていれば、勉強会をまともなり、上で述べたようなことにはならないはずです。ブレーン選びがそもそも間違っているわけです。

例えば毎月勉強会をしなくても、こういうことが起きたから、こういう本を出した先生を一回呼んで勉強会やりましょうということで勉強会をすれば良いのでしょうが、そのような形式では行われていません。レギュラー番組のキャスター等を呼んで勉強会をするというようなことが行われています。

日本の日米関係は重要であるとするマスコミの大統領の報道でさえこのような状況の中で行われていたということです。

米国大統領選の報道ですら、この体たらくですから、普段のニュースはもっと酷いのです。それこそ、日本の民放の報道は、ADさんが貧乏物語に支えられるといっても良いくらいです。

たとえば、昨年の大統領戦記でレディー・ガガの掲げた「love trumps hate」を誤訳してしまった人は、年収200万くらいで、極端んことをいうと段ボールで寝てて、ロケ弁をタレントさんが置いてったものを2つ3つ持って帰って家で食べる飢えをしのいでいるような人かもしれません。


テレビ局の正社員は20歳代でも、平均で900万1000万程の給料を守らているのが普通です。ところがその下で実務の仕事をしている人たちは、年収200万くらいで、ブラック的な環境に甘んじているわけです。これでは、取材もまともにできないです。

そもそも、現在ではコスト削減でもうカメラ出すこともできない程なのです昔は1日で3か所取材などのことがあって、ADの人たちも、仕事させすぎだろ殺す気かって怒ってたほどなのです。今は1日1回出動するかしないかです。

だから経済産業省とか省庁の取材系は、昔はカメラマンもいて、カメラマンが映像をとって取材は取材に集中できました。しかし、今は記者が自分で回すのです。
メモをとれないのでボイスレコーダーで録音しながら、自分でカメラで撮影するのです。

このような酷い状況の中で、こういうテレビ番組を見て政治家などがアメリカ情勢をもし判断しているとすると、これブラックジョークの世界です。政治家や、政府関係者はそもそも(民放ニュースを)信用すべきではないです。

外務省も金が無くて情報収集分析が全然出来ない状況で、人と会うためのお金ももらえないから困っているようなところがありますが、テレビ局もお金が無いから情報収集できない状況です。特に、現場の記者は全部自腹といっても良い状況です。
2000年より前は、逆に使い過ぎてたくらいでした。たとえば、ロシア、モスクワで一番羽振りがいいのはテレビ局の記者なんじゃないかってくらい遊んでいた時代がありました。

それが、ある日突然あるテレビ局の某経営者がいきなりリストラクチャリングを始め報道局の人を減らし、取材コストを下げるってことが始まったのです。この方は、もう亡くなられた経営者で渡辺恒雄さんの友人ですが、その人がそれで結構コストを下げて経営がうまくいったので、どの局もみなリストラに走り現在のような状況になってしまいました。

先にも述べたように、結局今の日本のメディアって右左という問題ではなく、能力が下になってさらに、下に下がり、調査も分析も全然出来ない状況の中で、結果的にアメリカの提携テレビ局の言っている情報を鵜呑みして、それを横文字を縦文字にするのも間違えるくらいの状況に置かれているということです。

上で述べたように、大統領選挙ですら、民放は、正しく報道できなかったわけですから、「イヴァンカ基金」に関して報道できないのは当然といえば、当然です。

新聞報道は、テレビ局とは状況が異なりますが、こちらもまともな報道ができない状況にあります。こちらは、すでにこのブログでも何度か述べていますが、いずれまた別の機会に現状を掲載していこうと思います。

【私の論評】

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2017年11月14日火曜日

フェイクニュースにいかに対処するか―【私の論評】マスコミや野党は、全体主義的手法を用いることはもうやめるべき(゚д゚)!

フェイクニュースにいかに対処するか

朝日などのリベラル系マスコミの「報道しない自由」は偏向報道だ


米ハワイで、日本に向かうため大統領専用機に乗り込む際に手を振る
ドナルド・トランプ米大統領(2017年11月4日撮影)
 今年の新聞週間の標語は「新聞で 見分けるフェイク 知るファクト」であった。この標語からも今年の流行語に「フェイク」は「忖度」と共に選ばれる資格があるであろう。

 フェイクは米国の大統領予備選時に、ドナルド・トランプ氏の言動をCNNやニュヨーク・タイムズなどのリベラル系マスコミが悪意的に報道したことに対して、トランプ氏が「フェイク・ニュース(偽記事)」だと反撃したことで表舞台に華々しく登場してきた感がある。

 日本では通常国会の終盤で加計問題が浮上し、「行政が歪められた」という前川喜平氏の発言や野党の追及だけが大々的に報道され、誘致当事者の「歪められた行政が正された」という証言はほとんど報道されなかった。

 こうしたことから「報道しない自由」が「編集権を盾に都合の悪い情報は報道しないメディアを嘲笑するネットスラング(用語)」(宮脇睦「ネットバスターズ」『正論』2017年9月号所収)として話題になった。

 マスコミが恣意的に印象操作して「火のないところに煙を立てる」フェイク・ニュースを作り出すのであれば、「正確と公正」などを掲げる新聞倫理綱領や公正中立を旨とする放送法に違反する。

第1次大戦で出現した宣伝戦

戦争プロパガンダでは敵の残虐性を強調し、自国の軍隊は国民のためはもちろん、他国の民衆をも救うためにも活動し、残虐行為など行うはずもないという好印象を植えつける。

 第1次世界大戦では宣伝戦が大々的に活用された。その1つに、敵が捕虜の指を切り落とす残虐行為を行っているとの報道もあり、帰還兵たちは出迎えた人たちに指を出して「自分の指はあるよ」とVサインして見せた。ヴィクトリーのVに通じていることは言うまでもない。

第一次世界大戦中のドイツの徴兵用のポスター
写真はブログ管理人挿入 以下同じ
 フランクリン・ルーズベルト大統領は米国を第2次世界大戦に参戦させないことを公約して3選された。しかし、英国の苦戦を見かねた大統領は米国世論を参戦に誘導する。ドイツ挑発に失敗した大統領は日本を参戦させるように動く。

 日華事変では蒋介石を支援して宣教師を中心に反日宣伝戦に協力。国民党軍の戦いぶりを見た米国人ジャーナリストが「蒋介石はプリンターで戦っている」と書いたように、国民党軍はフェイク・ニュースを垂れ流して戦局を有利にする戦いを展開した。

 中国から帰米後、日華事変に関わる中国発の対日情報がフェイクであることを米国人に訴える努力をした上記ジャーナリストや元駐中国外交官らは、日米戦争が始まると「妨害者」として収監される。

 中国発のフェイク・ニュースがルーズベルト政権にいた200人を超す共産主義スパイによって拡大・拡散され、米国民を参戦に導き、また戦意を向上させるために使われたのである。

 戦闘行為の一環としての南京事件が「南京大虐殺」として今日世界に拡散するのも、東京裁判などにおける米国人宣教師たちのフェイク情報に負うところが大きい。

米国宣教師マギーにより撮影されたとされる、南京虐殺当時の南京市民の写真
多く女性が平静であるようにみえる、特に最前列の女性は満面の笑み。
 米国内では日本の南進に抗議して鉄屑など必需品の日本への輸出を禁止し、最後には血の一滴と称された原油の全面禁輸に踏み切る。「窮鼠猫を噛む」状況に追い詰められた日本はパール・ハーバー攻撃を行う。

 資源小国であった日本は原材料の輸入が制限されては付加価値を生む製品が作れないし、石油がストップされては国家機能が麻痺してしまう。

 ダグラス・マッカーサー元帥が解任され帰国後に議会で証言したように、「(日本は)安全保障上の必要」からABCD(米英中蘭)包囲網を打開する必要性に迫られ、やむを得ず開戦に踏み切ったのだ。

 しかし、戦争挑発人の大統領は日本が宣戦布告もしないで奇襲攻撃を仕かけたとするフェイク・ニュースを流し、「リメンバー・パールハーバー」を合言葉に米国民を戦争へ駆り立てた。

 「リメンバー・パールハーバー」はスペイン領フィリッピンを手に入れるために米兵が乗ったメーン号をスペインが爆破したように見せかけ、「リメンバー・メーン」を呼号して米国民を米西戦争に導いた43年前の再現であった。

 こうした宣伝戦は開戦や戦勝を勝ち取る手段で、年月を経て歴史家などがフェイクであったことを明らかにしてきた。

 しかし、中国の宣伝戦は日本を「悪徳国家」に落して、自国を倫理的に優位な立場に置き、共産主義の素晴らしさを人民に見せる建前上、一過性で終わらない。

戦争をプレイアップしたマスコミ

『朝日新聞の戦争責任』(安田将三・石橋孝太郎共著、太田出版、1995年8月刊)を読むと、「当時から日本を代表する(朝日)新聞」が「いかに虚報と偏向報道に明け暮れ、国民を戦争に導いたか」が分かる。

 本書は『読んでびっくり 朝日新聞の太平洋戦争記事』としてリヨン社から前年7月発刊され、版を重ねるが4か月後に朝日新聞社から著作権を理由に抗議され、絶版となる。

『読んでびっくり 朝日新聞の太平洋戦争記事』の表紙
 そこで著者は編集方法に工夫を凝らして改訂・再編集して上梓する。著者は「(朝日新聞が)戦争を美化、正当化し、国民の戦争熱を煽っている」状況を、記事そのものを通じて読者に伝えたかったと語り、あえて初版本の復刻版と呼んでいる。

 当時は戦争に悪影響を受ける部分は削除や書き換えるなどの検閲があり、統制を受けていた。

 しかし「統制を受ける前に、自発的に先回りして、統制側が望んだものよりも進んだ、より激しい戦争遂行、戦意高揚を説く記事を載せたらしいことが、記事を読めば伝わってくる」とも書いている。

 これは今日言うところのフェイク・ニュースであり、朝日が戦前・戦中、権力機構にいかに寄り添い、多くの日本人を死地に送り込んだかの証しでもある。だから、著作権を理由に、絶版に追い込んだとみられる。

 その朝日新聞は今や人権擁護、反戦反安保で護憲のエース格とみられている。慰安婦問題では意に反する強制連行をしたとして32年間も日本を難詰し続けてきた。

 しかし、「強制連行」がフェイクであることが分かると、「強制性」があったとする主張に替え、慰安婦像や慰安婦碑が世界に拡散する大本を作った。

 朝日は元記者の長谷川煕氏が言うように、共産党員でなければ朝日の記者に非ずといった雰囲気の中で読者を伸ばしてきた新聞であるから、当然の報道姿勢かもしれない。

 日本新聞協会は創立(昭和21年)に当って新聞倫理綱領を定めたが、環境が激変した中で21世紀にふさわしい規範として平成12(2000)年に新しい倫理綱領を制定した。

 新綱領の前文では「国民の『知る権利』は民主主義社会をささえる普遍の原理である。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである」(概要)と述べ、本文においては、「自由と責任」「正確と公正」「独立と寛容」「人権の尊重」「品格と節度」の5項目を掲げている。

 新聞の責務の大なることを綱領で謳いながら、正確でも公正でもなく、人権を蹂躙し、また日本の品格と日本人の名誉を貶めるフェイク・ニュースを流し続けることは、国家の崩壊につながりかねない重大事である。

都議選や倒閣に多用されたフェイク報道

都議選時(今年7月)の小池百合子東京都知事は国政にも大きな影響をもたらす存在であった。そこで、安倍一強を好ましく思っていなかった多くのマスコミが小池氏の影響力の極大化に尽力したことは言うまでもない。

 小池氏が知事就任直後のあいさつ回りで、自民党の都議会議長に握手を拒否されたとする映像が流された。

悪手拒否があったとされた、フェイク報道のキャプチャー画面
 都議選で自民党が惨敗した翌日のTBS「ひるおび!」がこの映像を流し、キャスターがこうした態度が(自民党)惨敗の理由の1つだとして、「握手ぐらいすればよいのに」と嘲笑する。

 しかし、前出『正論』によると、ネット民の検証で、実際は握手をしていることが判明しており、「同番組は握手をする直前と直後の映像をつないで放映」したのだ。


 宮脇氏は「TBSの報道ぶりは酷すぎる」と批判しているが、これは「報道しない自由」ではなく「捏造」である。

 野党は安保法案を「戦争法案」と喧伝し、テロ準備罪の法案審議では「喫茶店で話し合っただけで(犯罪者に仕立てられる)」かのように恐怖心を煽った。視聴者受けを狙った言い掛かり質問もいいところで、フェイク報道と言っていいだろう。

 野党が目指すのは安倍一強政治の打破であり、そのために「女の壁」をつくり、それを「強行採決」で突破する「暴走内閣!」に仕立てた。それでも、国民の間には安保法制やテロ準備罪も必要不可欠な法律との認識が強く、成立した。

女の壁=馬鹿の壁?
 しかし、加計学園の獣医学部新設問題が政府・自民党に与えた影響は大きかった。

 ほとんどのメディアが前川氏の発言を写真入り、スポーツ紙並みの大活字で取り上げた。朝日や毎日系の新聞テレビは「報道しない自由」を偏向報道に置き換えてフェイク報道をし続け、国民に誤った印象を与えて恣意的に安倍一強に打撃を加え続けた。

フェイク報道をした朝日新聞
 当事者であり、安倍第1次政権以前から誘致してきた元愛媛県知事の加戸守行氏は「取材は沢山きたが、都合の良いところだけ使われた」と語った通りで、こと加計問題では印象操作によるフェイク報道が横行した。

 その流れで、都議選では「報道しない自由」が効果的に活用され、自民党に大打撃与える結果となり、安倍一強打倒への声は非常な高まりを見せた。

夢と消えた共産主義社会

こうした状況下で、北朝鮮の核と弾道ミサイルの脅威が一段と現実味を帯びてきた。しかし、中長期的には中国の野望への対処が重要である。

 中国では汚職が蔓延して貧富の差が拡大し、年間の暴動が20万件以上という報道もあった。習近平総書記が進めた汚職追放が歓迎された。

 さらに運動を進めるためには強大な力が必要である。また貧富の差がなく、皆がひとしく生活を享受できるとするマルクス・レーニンの共産主義が提示する社会は、夢のような世界として期待されよう。

 そのためには歯ブラシ1本、靴下1足という細部に至るまでの国家による計画経済が不可欠である。

 数人の友人や家族においてさえ意見の衝突が起きる人間社会において、数万、数十万の地方自治体や、数百万、数千万の国家において矛盾を生じない方がおかしい。まししてや中国は13億人超の人口を有する国である。

 ちなみに、中国には現在400万人超の死刑囚がいると言われ、日本に換算するとほぼ40万である。戦後日本の実際の死刑は年間2~41人(1952年)であるところからも、社会主義は犯罪者を大量に生み出すシステムにほかならない。

 理論では夢の世界を抱かせた共産主義国家ソ連であったが、現実の過程では地獄の悪夢しか与えることができず、70年余で消滅した。その教訓から中国が学ぶところは大きかったに違いない。

 習総書記が掲げる「中華民族の偉大な復興」という中国夢を実現するためには、「戦争」で破壊をもたらしてはならない。当然ながら世界一の軍事力を背景にしながらも三戦をはじめとした超限戦を駆使して、孫子のいう「戦わずに勝つ」方策を追求することになる。

 「新時代の中国の特色ある社会主義思想」と名づけられた習思想の主な柱は、経済、政治、文化、社会、エコロジー文明の建設を総合的に進める「五位一体」と、小康社会の建設、改革の深化、法による政治、党の綱紀粛正を全面的に進める「四つの全面」とされる。

 反腐敗運動をさらに進め、政治・思想・組織に限ったこれまでの指導から、党政軍民学と東西南北中の一切を指導するとしているから、党による統制強化が一段と図られるということである。

 2012年ハリウッドでリメイクされた映画「1984年」より
 このためには徹底した監視と強力な統制が必要になる。そうした社会が何をもたらすか。すでにスターリン治下のソ連と毛沢東治下の中国で経験されたことではないだろうか。いや、習思想は、さらに統制を強めるという意味ではジョージ・オーウェルの『1984年』そのものの世界に近いかもしれない。

日本の対処

国家の名誉ある存続のためには、時には自衛戦争を含む強硬な態度をとることもやむを得ない場合がある。自衛力の保有は自然権であるが、条文上からは交戦権を認めないので、有効に活用できない。

 これでは脅威が存在する現実の国際社会で主権を行使して生き延びることはできない。

 日本の領土が不法に占拠され、国民が連れ去られる事案はこうした状況下で起きた。日本は9条ゆえに、自分自身で自国の首を絞める主権放棄にも等しい国家に成り下がっていたのだ。

 憲法前文は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と述べる。そもそも「平和を愛する諸国民」という認識がフェイクである。

 現実は国益を競う権謀術策の諸国家が存在する。そうした国家を信頼して「安全と生存を保持」するにはただ一つの地球共同体(国家)となる以外にないであろう。現在のところ、地球共同体は仮想世界でしかない。

 憲法の前文を受けて、第9条がある。そこで、現実に生き延びるために解釈改憲を重ねてきた。それでも、矛の部分は米国に依存し、日本は盾の部分だけしか保有していない。

 同盟国相互が信じ合うことは素晴らしいが、国益が衝突すれば同盟が一瞬にして崩壊することは歴史が教えている。

 習総書記の共産党大会における発言を見る限り、一党独裁体制をますます強め、言論の自由は制限され、国内の不満は圧殺されて聞こえ難くなる。

今年の共産党大会で挙手をする習近平
亡命中国人などは、習思想が「世界秩序を破壊し、民主国家を脅かす」とみている。先の党大会では中国に批判的なマスコミが排除された。この一事は今後の予兆であろう。

 特異な社会主義大国を目指す中国に対し、日本は盾と矛をバランスよく備えた「自分の国は自分で守る」意志と能力を備えた自己完結型国家を目指すべきではなかろうか。

 また、日本国民は一向に気にかけていないが、中国は北朝鮮以上の核兵器を保有し、現実に日本を目標にした弾道ミサイルを配備している。中国の大国志向から、日本への(核)ミサイルの脅威が登場しないとも限らない。

 今こそ、掘り下げた「核論議」(核装備ではない)をしておくことが必要ではないだろうか。

 覇権大国を目指す中国は、超限戦を駆使して南京事件以上のフェイク・ニュースで日本に汚名を着せ、また世論を分断して混乱と弱体化を企図するであろう。韓国もフェイク・ニュースで嫌がらせを続けている。

 法の支配は言うまでもないが、自由で民主主義、人権を重んじ、貴賤を区別しない日本であるファクトを世界に発信することが大切である。

 同時に、万葉集の「言霊の幸はふ国」であり、「言葉」に霊力が宿るとして、ファクトを重視する日本であることも再確認する必要がある。

【私の論評】マスコミや野党は、全体主義的手法を用いることはもうやめるべき(゚д゚)!

ブログ冒頭の記事、結局現在のマスコミのフェイクニュースに関して、全体主義の脅威・危機にについて警鐘を鳴らしているのだと思います。それは、2つの側面があります。一つは、日本の近隣の北朝鮮や中国のような全体主義国家による危機です。もう一つは、マスコミが煽る日本国内の全体主義化の危機です。

特に国内危機としては、マスコミや野党が、自分たちの使命は「政権や権力と戦うこと」であり、「アベ政治を許さない」と言う揺るがない信念をもって報道したり、国会で論戦をしたていることです。しかし、これが多くの日本国民の民意でないなら、自分たちにの価値観の押し付けであり、これが成就すれば、全体主義へ大きく舵をきることになります。

確かに、今回の選挙では結局、与党側が大勝し、マスコミの目指す方向にはならなかったのですが、これは多くの人々がマスコミの価値観を拒否したということです。そうはいいながら、確かに大きな危機でもあったことは間違いありません。そうしてこれには、ネットの力が大きく作用したことはいうまでもないと思います。

もし、ネットが存在せず、多くの人々がマスコミの垂れ流すフェイク・ニュースを鵜呑みにしたとしたら、とんでもないことになっていたかもしれません。

現在では、若い層を中心に、テレビはあまり視聴せず、新聞はほとんど読まず、情報はもっぱらネットからという人が増えています。もし、この状況がなければ、とんでもないことになっていたでしょう。



2000年以前、インターネットを使うためには、まず「電話を掛ける」事が必要でした。常にインターネットを利用できる「常時接続」は大学や企業の研究所だけでした。

家庭では、3分10円の電話代を気にしながらの「ダイヤルアップ接続」が主流でした。事前にメールを書き溜めておき、電話を掛けるとまとめてメールの送受信を実行、その間にせかせかとホームページを見て回り、用事が済むとすぐにネットから切断するような使い方でした。

深夜23時以降に電話料金が定額になる割引サービスの利用者も多かったのですが、その影響で夜はネットが大混雑。電話を掛けてもプロバイダのアクセスポイントの回線が全部埋まっていてネットが利用できません。「話し中」の通知音を聞きながら、リダイヤルを繰り返すのが日課でした。

一方、携帯電話も普及しておらず、家庭の電話は家族共用。ネットの最中に家族がうっかり受話器を上げてしまい、通信エラーで強制切断、など事もよくありました。

私は、パソコン通信の時代からネットを利用していましたが、この時代はもっと悲惨で、ネット上で少し複雑なことや、時間のかかることをしてしまうと、電話代が4万円以上にもなっしまいました。これでは、とてもじゃないですが、ネットが情報源になるというようなことは期待できませんでした。

実際、パソコン通信やインターネットが普及し始めた頃は、私自身テレビや新聞の報道にあまり違和感を抱くことはありませんでした。ネットが普及したばかりの頃までは、私を含めて多くの人が新聞やテレビに相当印象操作をされていたのだと思います。



しかし、それもだんだんと変わってきました。その変化は、最初に携帯電話からおこりました。「通話」のためのものだった携帯電話に、「メール機能」がついたのは20世紀から21世紀に変わる間際でした。

「ケータイのメール」は瞬く間に日本中に広がり、ゼロ年代のコミュニケーションの主役に躍り出ました。とはいえ、携帯電話のエリア整備はまだ不十分で、「電波のいい」場所を探してうろうろする事もありました。

小さな画面、少ない文字数で多くの情報を伝えるために考案された「絵文字」が、大切な気持ちを伝えるための小道具として多用されるようになったのもこの頃でした。

各社が競うように種類を増やした「絵文字」は、その後海外でも注目を集め、いまや「emoji」として世界中で使われるようになりました。振り返ってみると、現在使われているネット上のサービスの多くが、この時代に生まれた考え方を下敷きにしている事に驚かされます。このあたりから、インターネットも常時接続が普及していきました。この頃から、ネットからの情報も豊富になっていきました。今や高齢層しか利用しないとされている「2チャンネル」もこの頃でできました。

iPhone3GS

2010年代に入ったころから急速に普及を始めたスマートフォン。私自身は、iPhone3GSが最初のスマートフォンでした。これは、2009年に発売されています。これは、基本的には今のスマホとほとんど変わりません。私の記憶では、このあたりではまだまだスマートフォンを普及せず、iPhone4でかなり売れだし、iPhone4Sでかなり売れだしたという記憶があります。

これにより、従来の携帯電話にはなかったバラエティ豊かなアプリ・サービスが生まれますが、その背景にはインターネットの技術がありました。この頃に現在のスマホから、様々な情報が入ってくるようになりました。現在の主だったSNSもこの前後にでてきたものです。

従来の携帯電話と比べ高い処理能力を持つスマートフォンでは、スマートフォン自身で高度なプログラムを動かす事ができ、また、直接インターネット上のサーバと通信が行えるようになったのです。

また、スマートフォンは、プラットフォームが世界共通になったという事も大きな出来事の1つです。海外で始まったSNSが日本でも定着し、インターネットの新しい使い方が広がりました。

メールのような1対1のコミュニケーションと、ホームページのような意識的な情報発信の中間のような形で、特に宛先なく気持ちをつぶやき、そしてそれを見たどこかの誰かが「いいね」を返す、そんな緩やかなつながりがインターネットを通して世界を覆うようになりました。

現在のインターネットは格段に使いやすくなった
このような時代では、マスコミや野党が、自分たちの使命は「政権や権力と戦うこと」であり、「アベ政治を許さない」と言う揺るがない信念をもって報道したり、国会で論戦したとしても、自分たちの望む方向に世論を誘導することは難しくなりました。

特に若い世代は、安倍政権を支援するということで、保守化したなどと誤った認識を持つ識者などもいますが、それは間違いであり、若者は単純に雇用が良くなったことを評価しているだけであることをこのブログに以前紹介しました。

多数の若者は、マスコミがいくらフェイク・ニュースを流したとしても、ネット上で、安倍政権が雇用に関して、かつてないほどに改善したことを知ったのです。そうして、その継続を臨んだのです。だからこそ、若者を中心に安倍政権を支持したため、今回の選挙で大勝したのです。

野党、マスコミはそろそろ気づくべきです。どんな組織も、外に永遠に敵を作り続けることはできないのです。外に敵をつくり続けるということでは、韓国も、中国も同じです。

韓国と中国は、歴史の修正を行い、日本を意図して意識して、悪者にしたてあげ、国内での秩序を保っています。というより、そうしなければ、国民の巨大な憤怒のマグマが自分たちに直接向くと、自分たちは崩壊するしかなくなるので、それを日本に向けるようにして、一時しのぎをしているだけです。しかし、それはどう考えても長続きはしません。

野党、マスコミも同じことです。事実の修正(フェイク)で、安倍総理個人、与党を意図して意識して、悪者にしたてあげ、自分たちの存続を図っているのです。

考えてみると、これは全体主義に共通するやりかたです。

ナチスやスターリンなどの全体主義のシステムには最初から大きな欠陥があります。それは以下の三点に集約されます。
・永遠に敵を作り続けなければいけない(外にケンカ売る)
・外部からの資源の調達コストが上がり続ける(外から嫌われる)
・経済が破綻し、戦争に負ける(負けたら終わり)
 ナチスは連合軍を始め世界の大半を敵に回したため、資源の調達のためにポーランドやウクライナなど東欧の侵略をせざるを得ず、戦争の収拾がつかなくなりました。


経済システムの限界、そして独裁者という「絶対的個」はいつか死ぬという避けられないシステム不備があります。しかもそこに、国民個人の自由や幸福の追求はなく、生活水準もどんどん下がっていくことになります。
ナチス党大会
にもかかわらず、ドイツ国民はなぜ全体主義を支持したのでしょうか。
それはその当時代替案がなかったからです。全体主義は、格差と失業に苦しむ民にとっての短期的なソリューションだが、長期的に考えると破滅が待っています。しかし、絶望に苦しむ民にとって「無いよりまし」なのです。
「全体主義は間違っている」と反対しても、状況を変えるのは難しいのです。なぜなら全体主義は民にとって災厄ではなく「ソリューション」であったからです。
まずそのことを認めたうえで、必要なのは「あ、なるほど。そっちの方がより良い」と思える長期的な成功モデルの構築なのです
安倍政権は、長期的な成功モデルとして、金融政策を示して実際に成功しました。さらに、安全保障に関しても、新機軸を打ち出しつつあります。さらに、決して十分とはいえないものの、ここ20年で経済的は最もパフォーマンスが良く、安全保障の面でも高い能力を発揮しています。
しかし、野党やマスコミはそれを示せていません。ただただ「安倍政権を潰す」ことだけを表明するだけです。その後に何があるのか彼らは示しません。これも全体主義的です。全体主義では、具体的なビジョンはなく、既存の体制の批判をドグマ(教義)とします。

ヒトラーもそうでしたし、スターリンもそうでした。習近平もそうです。習近平が今年共産党大会で語ったことには、長期的な成功モデルの片鱗もありませんでした。あの悪名高い、毛沢東(大躍進、文革)や鄧小平(天安門事件)のほうがはるかにましです。

これからも、日本ではインターネットという「長期的な成功モデル」の一つであるインフラがある限り、政治的にも極端に全体主義的な方向に走ることはないでしょう。マスコミや立憲民主党や希望の党などの野党は、全体主義的手法を用いることはもうやめるべきです。そうでなければ、いくら既存の方向で努力したとしても、今回の選挙結果にみられるように衰退するばかりです。

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2017年11月13日月曜日

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加計学園報道、もうマスコミは「敗北」を認めた方がいい

間違った指摘を繰り返すなら意味がない


経済学者 嘉悦大学教 高橋洋一


さすがに黙っていられない

文部科学省の大学設置・学校法人審議会(設置審)が、11月9日、加計学園の獣医学部新設計画に対し「可」とする答申を行った(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/attach/1398164.htm , http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/attach/__icsFiles/afieldfile/2017/11/10/1398164_1.pdf)。

それに対して、マスコミがいろいろと報道をしているが、未だにお粗末であるから嘆かわしい。筆者は過去に何度も加計学園についての「疑惑報道」の問題点を指摘したが、本稿を改めて書いてみようと思ったのは、10日のNHKの報道(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171110/k10011219211000.html)があまりに酷かったからだ。

これを見ると、NHKは特区の役割と文科省設置審の役割がまったくわかっていないようだ。それであるのに、「文科省認可がおかしい」というトーンで報じている。

これらの報道を見ているときに思うことは、まず、マスコミは基本的なリテラシーがないということだ。役所から出す情報は、①法律・政省令・告示の公文書、②統計データ、③答申が基本である。ところがマスコミは、これらの基本情報すら読めない。これは筆者が官僚だった時代の実感でもある。

特に①と②については全滅、つまり理解できないのである。そこで、なんとか理解しようと官僚のレク(説明)を求めるのだが、こうなると官僚が記者を操作することが可能になる(いわゆる「役所ポチ」の誕生だ)。

さて、加計報道に関しては、まずメディアが①を読んでいないという致命的な欠陥が浮かんでくる。

本コラムの読者であれば、筆者が早い段階からこの問題について何度も書いてきたことをご承知だろう。その中で、一貫してマスコミは「加計学園獣医学部の設立に関しては、総理の意向があった」というが、各種の公表資料を見たうえで、「そんな意向はなかった」といってきた。

もちろん、マスコミが決定的な証拠を出せば、筆者の負けであるが、これまで週刊誌がこの問題を最初に報道してから9ヶ月程度がたっており、国会での関係者の証言などもあったが、総理の意向を証明するものはなかった。
マスコミにとっては、元文部科学省事務次官の前川喜平氏の証言だけが頼りであったが、結局前川氏も国会で明確にその「意向」を立証できず、その他の関係者は総理の意向を完全に否定していた。

筆者がなぜそうした結論に達したかは簡単だ。加計学園を特区で扱ったのは、大学学部認可の申請を行えるように告示改正をしたからだ。文科省設置審は、認可申請の後に認可審査を行うところであるのだが、NHK報道はこの点を無視しているのか、まったく言及していない。

大学学部認可というと大げさにみえるが、行政法では、「運転免許」と同じようなものである。行政の世界では、大学学部認可の申請といえば、大学が「自動車学校」に入学するような話であり、大学学部認可とは、大学に「運転免許」を与えることを意味する。その後、文科省の設置審が「可」の答申を出すことは、自動車学校において、学科・実地試験に合格することと同じである。

このたとえで、加計学園の問題の本質がわかるだろう。次ページでその本質を説明しよう。

文科省の開き直り

要するに、加計学園はもともと自動車学校へ入学する(新たな学部の申請を行う)という段階で、免許合格までは保障されたものではない。メディアはこの段階で「総理の意向があったはずだ」というのだが、そんな初期の段階で、偉い人の助けを借りるだろうか。筆者の役人の時の経験からいっても、入学の段階でわざわざ総理の意向なんて介在する余地などない。

しかも、大学学部認可は、50年以上も申請させていなかったという。これは本コラムで、認可制度の運用として、違法まがいであることを指摘してきた。たとえばある学生には自動車学校への入学をさせない、という規制であり、現実にそんなものがあれば問題になるだろう。

しかも、申請させないという規制は、法律ではなく告示という形でなされた、文科省だけの判断によるものである。

このたびの加計学園の問題では、50年以上も新学部の申請をさせないという「ゆがんだ行政」が、申請できるように「正された」だけである。

筆者がはじめて加計学園の問題を聞いたとき、認可の申請をさせるような規制緩和(告示改正)なら簡単にできると直感した。公表されている内閣府と文科省との間の議論をみれば内閣府の完勝である。だから、総理の意向なんてありえないと思ったところだ。

ところが、文科省は卑劣にも「総理の意向があった」と文科省内文書に書き、それをマスコミにリークした。それがほぼ半年前である。そのときは、安倍総理が改憲の意向を強めているという新聞記事が出た直後なので、改憲潰しに加計問題を利用するつもりかと思ったくらいだ。

そのとき、出てきたのが前川喜平氏である。筆者は、自らが手がけた天下り規制がようやく本格的に適用できた文科省の組織ぐるみの天下り斡旋問題で、その首謀者に前川氏がなっていたことを知っていた。

それが明るみに出たのが今年初めであり、前川氏は文科省天下りを組織ぐるみで行っていた責任をとって今年3月に辞任した。本来であれば懲戒免職ではないかと思い、官邸関係者に聞いたこともある。

しかも前川氏は、新国立競技場の建設をめぐっても、高額発注で問題を起こしたことがある人物だ。その段階で通常であれば役人を辞めるのだが、文科省ではなぜか生き残ってきたのは、役人の経験がある筆者から見れば不思議だった。文科省は一般に三流官庁と言われているため、人材が不足しているのだろう。

これ以上は、税金の無駄遣いでは…?

いずれにしても、マスコミが問題をみつけた当初の段階で「疑惑」と報道するのはいい。それは彼らの重要な役割でもある。しかし、最初の週刊誌報道から9か月も経っている。文科省文書のリークを朝日新聞が報じてからも半年経っている。その間、マスコミは疑惑を言い続けているが、何も新たな決定的な証拠を示していない。

もともと、これは「悪魔の証明」であり、「そんなものはない」という人に挙証責任を負わせるべきものではなく、疑惑を指摘する側のマスコミが決定的な証拠を示さないと話にならない。

疑惑と言い続けているのは、マスコミが仕事をできないことを白状しているようなものだ。普通の民間企業であれば、半年も進展のないプロジェクトであれば、もう終わりにすべきだろう。

また、これを延々追及する国会議員も情けない。もちろん、これもマスコミと同じで、決定的な証拠をつかめたのなら話は別だ。ただ、彼らもさんざん血税を使って調べたはずだろう。それでも答えを出せないものを追及するのは、税金の無駄使いでしかない。

去る10日には、毎日新聞が改めて前川氏の話を聞いて「(加計学園獣医学部)「認可すべきではない」前川氏が疑問呈す」と報じた(https://mainichi.jp/articles/20171111/k00/00m/040/101000c)が、これも酷かった。

認可すべきでない、というのなら、どうして現役の官僚の時に、そうした行動をとらなかったのか。不思議で仕方ない。前川氏については、本コラムで何度もその主張の問題点を書いてきたが、この記事の中でも致命的なものがある。

ネットでは、前川氏の「(加計学園には)博士課程もないのに先端研究ができるわけがない」という主張に対して、飯田泰之氏が「一期生が最終学年になるまで博士課程は設置できない」といったことが取り上げられていた(https://anonymous-post.com/archives/15671)。

しかし、これはやや勘違いだろう。大学院は、大学院大学と言うくらいで、学部とは独立した存在である。学部のない大学院大学もある。つまり、学部がなくても大学院は設置できるわけだ。

そうであるので、飯田氏のいう「一期生が最終学年になるまで博士課程は設置できない!」というのは、ちょっと勘違いだとは思う。大学院設置の関係文書をみても、そうした規制は筆者の見る限りない。

医学部が37年ぶりに新設され、加計学園と並んで話題になった国際医療福祉大は、昨年の17年度に学部を開設している(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/attach/1376289.htm http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/attach/__icsFiles/afieldfile/2016/08/26/1376289_02_2.pdf)。

そして大学院は、今年の18年度大学院開設になっている(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/attach/1398164.htm http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/attach/__icsFiles/afieldfile/2017/11/10/1398164_2.pdf)。

これを見れば、学部と大学院は同時に開設しなくてもよいことが分かる。常識的に考えても、大学は学部申請をするだけで忙しく、大学院も同時に申請することはできないだろう。しかも、昨年の国際医療福祉大医学部の時には、前川氏が事務次官であったときだ。そのとき、大学院はまだ認可していない。

それにもかかわらず、今回の加計学園で「加計学園には大学院がないから問題」ということは、自分が現役官僚時代にやったこと否定するもので、いかにも前川氏らしい、二枚舌・ダブルスタンダードであり、自分への大ブーメランとなっている。

こんな人のコメントを載せるぐらいしか「追及」の方法がないのなら、もう報道する価値はないはずである。いったいいつまでマスコミはこのことについて報道するのか、さすがにあきれてしまう。

最後に、マスコミ報道も「やり過ぎ」というレベルになれば、「根拠なく加計学園の名誉を毀損し、営業を妨害した」となりかねないのではないだろうか…という懸念を表明しておきたい。

【私の論評】現状のままでは野党もマスコミもかつてない程弱体化する(゚д゚)!

高橋洋一氏の以下の主張を私なりにもう少しわかりやすくしてみようと思います。
加計学園はもともと自動車学校へ入学する(新たな学部の申請を行う)という段階で、免許合格までは保障されたものではない。メディアはこの段階で「総理の意向があったはずだ」というのだが、そんな初期の段階で、偉い人の助けを借りるだろうか。
加計学園を受験生とします。これが、文部省大学という大学の入学試験を受けることになつたとします。この受験生は文部省大学に対して、受験の申請を行い、文部省大学が加計受験生に対して、受験票を交付しました。無論受験票を交付されたらといって、大学に即合格というわけではありません。

この受験生は、文部省大学が指定する、日付・日時に試験場におもむき、所定の試験を受けて、その後試験結果の判定を受けて合否が決定され、合格ということになれば、はじめて文部省大学に入学することができます。この段階では、文部省大学に入学できるかできないかは、受験生はもとより、文部省大学側もわかりません。(いわゆる加計問題で、大学学部認可の申請に相当する)

大学入試では受験票を交付されたからといって合格するわけではない。受験生は
大学等が指定する受験会場に所定の時間におもむき試験を受けなければならない
この段階で、この受験生は不正入試をしたと疑われ、学長と受験生は友達関係にあり、文部省大学は不正行為をしたとされ、マスコミがこれを報道し、国会議員は国会でこれを追求しました。こんなことは、あり得ないだろうと高橋洋一氏は主張しているわけです。

ただし、この段階でこの受験生が何やら不正をしていたことがはっきりとわかるような証拠があれば、にわかには信じられないとはしても、確かに不正があったとできるかもしれないですが、数ヶ月たっても何の証拠もあがってきていないのです。

そうして、その後文部省大学の、入試担当の教員(いわゆる加計問題での文部科学省の大学設置・学校法人審議会にあたる)が、11月9日、加計学園の獣医学部新設計画に対し「可」とする答申を行ったが所定の手続きにより、この受験生の合格を決定したということです。

この段階で、不正があったというのなら、まだ話は理解しやすいです。ただし、この段階ばすでに不正があったとするのも、不自然です。受験票の交付の段階で、不正ありとすでに疑われていたのですから、その後入試担当の教員らがわざわざ不正行為をすることは考えにくいです。教員らは所定の手続きにしたがって、合否を判定したと考えられます。そうて、その後不正行為をしたという証拠も無論あがっていません。

それに、この疑惑は、受験票の交付時点での疑惑が主なものであり、そもそも、マスコミも野党の政治家も最初から筋悪の追求をしていたとしか思えません。

高橋洋一氏は、さらに以下のような主張をしています。
マスコミは基本的なリテラシーがないということだ。役所から出す情報は、①法律・政省令・告示の公文書、②統計データ、③答申が基本である。ところがマスコミは、これらの基本情報すら読めない。これは筆者が官僚だった時代の実感でもある。 
特に①と②については全滅、つまり理解できないのである。そこで、なんとか理解しようと官僚のレク(説明)を求めるのだが、こうなると官僚が記者を操作することが可能になる(いわゆる「役所ポチ」の誕生だ)。
①については、特区のワーキング・グループの議事録なども、私はこのブログにも掲載し、不正行為があり得ないことを主張しましたが、 マスコミはそれすらもしていません。マスコミや野党も、②の統計もほとんど閲覧している様子は伺えませんでした。

やはり、マスコミも野党も、基本的なリテラシーに欠けているとしか思えません。これは、財務省や日銀関連の報道にも良くみられることです。マスコミは、役所の発表した資料や官僚が説明をした内容を咀嚼することもなく、そのまま報道していることがほとんでです。経済に関するまともな知見などないのでしょう。

このブログでは、マネジメントの原則から見た民進党消滅の要因を掲載したことがあります。これは、民進党に限らず、マスコミにもあてはまると思います。その記事のリンクを以下に掲載します。
リベラル勢力たちの自業自得 「反安倍なら何でもあり」では国民から見捨てられるだけ―【私の論評】マネジメントの原則から見る民進党消滅の要因(゚д゚)! 
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下に短くまとめます。
第1は、自分たちの使命は「政権や権力と戦うこと」と定義してしまうと、本来の使命を考えなくなってしまうことです。

これは、誰が考えてもわかります。「政権や権力と戦うこと」自体は、手段に過ぎません。「政権や権力」と戦って、相手を潰したり、あるいは弱めたりすれば、自分たちの主張が通りやすくなります。 
これは、あくまで自分たちの主張を通すための手段です。戦って、相手を潰したり、弱めた後には、自分たちは何をしたいのか、何をするのかはっきりしていなければ、全く意味がありません。 
経営学の大家であるドラッカー氏はリーダーシップと、使命について以下のように語っています。
真のリーダーは、妥協を受け入れる前に、何が正しく、望ましいかを考え抜く。リーダーの仕事は、明快な音を出すトランペットになることである。(『プロフェッショナルの条件』)
ドラッカーは、リーダーシップとは、人を引きつける個性のことではないといいます。そのようなものは煽動的資質にすぎないとしています。まさに、「安倍政治を許さない」は、扇動的キャッチフレーズに過ぎないものです。
第2に、「アベ政治を許さない」では、まともな意思決定ができないということがあります。経営学の大家ドラッカー氏は、意思決定について以下のように述べています。
決定においては何が正しいかを考えなければならない。やがては妥協が必要になるからこそ、最初から誰が正しいか、何が受け入れられやすいかという観点からスタートしてはならない。(『経営者の条件』)
決定においては何が正しいかを考えなければならないというのは、別な方面からると、誰が正しいか、誰が間違いであるかを考えてはならないということです。

これは、誰でも理解できます。社会問題を解決したり議論するときに、「誰が正しい、誰が間違い」などと議論することは不毛な結果しか招きません。やはり、「何が正しい、何が間違い」という議論をすべきです。
第3に、民進党は、「アベ政治を許さない」という信念に凝り固まって、妥協の仕方が下手だということもあります。ドラッカーは次のようにも述べています。
頭のよい人、しかも責任感のある人は、せっかくの意思決定も実行されなければ意味がないと思う。そのため、最初から落としどころとしての妥協を考える。(『経営者の条件』)
安倍総理は、意思決定においては、最初から落とし所の妥協を考えているわけではありません。無論政治の世界には妥協はつきものなので、全く考えないということはないですが、少なくとも、野党と比較するとその度合いはかなり少ないです。

ドラッカーは、妥協について以下のように述べています。
妥協には2つの種類がある。1つは古い諺の「半切れのパンでも、ないよりはまし」、1つはソロモンの裁きの「半分の赤ん坊は、いないより悪い」との認識に基づく。前者では半分は必要条件を満足させる。パンの目的は食用であり、半切れのパンは食用となる。半分の赤ん坊では妥協にもならない。(『経営者の条件』)
ソロモン王の裁きの故事に基づく絵画 「ジェームズ・ティソ作 19世紀」


この3つの要因は、そのままマスコミにも良くあてはまっていると思います。ただし、第3の項目は、さほど当てはまってはいないようにもみえます。政治の世界は、何を行うにしても妥協の産物にならざるをえないところがありますが、マスコミはビジネスであり、政治の世界ほどは妥協は少ないからです。

それにしても、ある程度は妥協は必要ですが、マスコミも妥協の仕方は下手なようです。おそらく、「加計問題」でも、正しい妥協ができないマスコミがでてくるのではないかと思います。

いくら自分たちの使命は「政権や権力と戦うこと」であり、「アベ政治を許さない」と言う揺るがない信念をもって報道にあたっても、今回の選挙でも野党はボロ負けしています。

希望の党と、立憲民主党をあわせて、130以上の議席でも獲得できれば、野党として政治にある程度大きく関与できたでしょうが、現実には105です。これでは、まともに立ち直るだけでも数年はかかるでしょう。

マスコミは良かれと思い、「加計問題」でも、野党を応援するような報道を行ったにもかかわらず、この有様です。

今後も筋悪の「加計問題」を追求し続ければ、野党にとっては良いようにもみえますが、最初から何の生産性もない問題に野党を拘泥させることになり、野党は政策も、政局も見失いますます衰退していくことになると思います。

野党がますます衰退することになれば、今のままではあれば、マスコミも衰退することになるでしょう。この場合、マスコミも妥協を行い、「加計問題」からは距離をおくなどの正しい妥協を行えばよいのでしょうが、妥協の仕方を誤れば大変なことになるでしょう。

今回は、加計問題を受験生にたとえてみましたが、この架空の受験生のようなことが本当に起こったとして、私や私の家族がこの受験生だったとしたら、マスコミが疑惑を報道しつづけるというのなら、私は確実にマスコミや野党の議員を訴えます。

これは、高橋洋一氏も指摘していますが、今までも酷かったですが、これからも酷いことをすれば、加計学園が訴訟を起こすことになりかねません。そうなれば、当然のことながら、野党の関与も調べられることになります。不正の証拠がないということになれば、有罪になる可能性は高いです。

そうなれば、野党もマスコミもかつてないほどに、弱体化することになると思います。そうして、今のところはその確率が非常に高いと思います。

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