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2019年3月11日月曜日

「国民を見捨てない」陛下の覚悟さえも貶めた裏切り者の日本人―【私の論評】天皇大権を蔑ろにする「元号の事前公表」黒幕 は誰か?

「国民を見捨てない」陛下の覚悟さえも貶めた裏切り者の日本人
倉山満

 今年元旦から、皇室史学者を名乗ることとした。わが国の皇室のあり方を自分なりに勉強して、陛下が何をなされてきたのか、そして何をなされようとしているのかを、考えるべきではないかと強く思ったからだ。

 現在の象徴天皇制は、古来の伝統法に文明国の通義に合わせて出来上がった明治の立憲君主制が、敗戦による外国勢力の介入に耐えて出来上がっている。そもそも、わが国の伝統法とは何か。戦前は国体と呼んだ。わが国の国体の根源は、君臣の絆(きずな)である。そして、わが国において天皇が民を見捨てることはなかった。

 天災や飢饉が起きたときでさえ、歴代天皇は己の不徳を天に詫びるのが常だった。かの後醍醐天皇ですら、そうだった。古くは元寇に際し、時の治天の君である亀山上皇は「自分の身はどうなろうとも、国と民を守り給え」と皇室の御先祖である神々に祈られた。

 はっきり言えば、亀山上皇や後醍醐天皇はわが国史において暗君ではあるが、外国の君主に両帝のような態度を示した君主が何人いるか。わが国の暗君も、外国では聖主なのである。

 敗戦に際し、昭和天皇が自らの命を懸け、連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサーを説得したのは近代史の出来事である。1990年、どこぞの国の君主は、自国が外国に占領されたとき、国民を見捨てて真っ先に亡命した。わが国の皇室の歴史は、外国とはまったく違うのである。

 戦前憲法学の泰斗であった、佐々木惣一京都帝国大教授の門下生に語り継がれている教えがある。佐々木先生は、憲法改正無限界説を唱え、「アカ」呼ばわりされた。当時の通説である憲法改正限界説が「いかなる憲法改正であっても、皇室を廃止することは許されない」と主張した。通説であり、政府の有権解釈だった。

 これに対し、佐々木先生は「いくら法律の条文や解釈で縛ろうとも、国民が皇室を廃止しようとした場合、止められるものではない。よって、法学者としては限界説を採ることはできない」と反論した。法律論として、不可能は要求できないとする、法実証主義の立場だ。

 ただし、これには続きがある。もし、国民が皇室を見捨てたときのことだ。佐々木先生は、「その時、日本は日本ではなくなる」とおっしゃられたと聞く。「である」論としての法律論と、「べき」論としての政治論は分けておられたのだ。

昭和天皇とマッカーサー元帥=昭和20年5月

 事態は佐々木先生が想像されたよりも早く訪れた。もちろん敗戦である。天皇は「象徴」とされた。ただ、マッカーサーにとって「象徴」とは決して軽い意味ではなかった。日本国憲法の草案はマッカーサーノートと呼ばれるが、そこには「Symbol=Head of state」と走り書きがなされている。象徴とは国家元首の言い換えなのだ。

だが、これを「ロボット」にしたのは裏切り者の日本人だ。東京大法学部教授の宮澤俊義と、当時の内閣法制局長官、吉國一郎だ。

 宮澤は教科書で「天皇はめくら判を捺すロボット」と断言した(『コンメンタール 全訂日本国憲法』74頁)。吉國は、「天皇の行動があらゆる行動を通じて国政に影響を及ぼすことがあってはならない」と言い切った(昭和50年11月20日参議院内閣委員会答弁)。

 しかし、これらの解釈は世界の立憲君主国の標準、すなわち文明国の通義からかけ離れている。

 世界の憲政の模範はイギリスだ。そのイギリスで「権威書」として憲政運用の解釈書として尊重されている、ウォルター・バジョットの『英国憲政論』は、立憲君主とは独裁者ではないと説く。同時に、単なる傀儡(かいらい、ロボット)でもないとも説く。

 バジョットは、『英国憲政論』(『世界の名著』124頁)で「イギリスのような立憲君主制の下では、君主は三つの権利―諮問に対し意見を述べる権利、奨励する権利、警告する権利―をもっている。そして君主がすぐれた感覚や英知をもっているならば、このほかに必要とするものはなにもない。このような君主は、他に何も持っていないので、この三つの権利を非常に効果的に行使できることを知っている」と述べ、以下延々と君主が国政に対し影響を及ぼす方法について述べている。

 君主が国政に影響力を行使してはならない、などとは言っておらず、逆なのだ。その証拠に日本国憲法第4条第1項を見よ。「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」とある。

 権限(権能)がないとは書いているが、影響力を行使してはならないとは、どこにも書いていない。マッカーサーですら象徴天皇とは国家元首だと理解していたが、日本人自らの手で天皇をロボットに叩き落したのだ。そして、戦後教育においては、皇室と国民の絆を断ち切らんとする教育が行われ続けた。

 さて、このような状況で陛下は平成の三十有余年を天皇としてのお務めを全うされた。国事はもちろん、祭祀にも熱心で、さらに国民との絆を保つ活動を、二度の大病を乗り越えて行ってこられた。

 平成23年3月11日の東日本大震災に際し、社会の指導者たるべき人間たちが、原発事故の放射能が怖くて逃げた。あまつさえ、「陛下も京都へ逃げた」とデマを流しながら。

 だが、事実は違った。3月16日、突如として「ビデオメッセージ」が流れてきた。横文字で何のことか分からないが、要するに玉音放送である。ただただ、国民を励まされるだけだった。激励権の行使である。ただし、国民に向けて語りかけられるという異例の形式だが、現行憲法下でも違憲ではない。

仮設住宅を訪れ、出迎えの人たちに手を振って応えられる
天皇、皇后両陛下=2012年5月、宮城県仙台市

 何も言い訳もしないし、ましてや自分を悪(あ)しざまに罵(のの)しった者どもに言い返しもしない。しかし、「決して国民を見捨てて逃げはしない」と明確に訴えられていた。

 幾多の風雪に耐えた平成の御世が終わりかけている、今思う。国体は健在なり。(文中一部敬称略)

【私の論評】天皇大権を蔑ろにする「元号の事前公表」黒幕 は誰か?

天皇をロボットにしてしまった裏切りもの内閣法制局長官、吉國一郎のことが上の記事に掲載されていました。

内閣法制局が入る中央合同庁舎第4号館

では、内閣法制局とは、どんな官庁なのでしょう。これは、憲法を頂点とする日本国の法体系のすべてに責任を持ちます。当然、憲法解釈の全権を一手に握ります。

財務省主計局が予算をつけ、国民の代表である国会が承認した法律であっても、法制局が「憲法違反の疑義がある」と述べれば、執行できないのです。政治家も財務官僚も、法制局の意向に沿うように法律や予算を修正しなければならないのです。財務省の「他は並びの山」の例外が法制局なのです。

ついでに言いますと、安倍晋三が「一強」とよく言われています。いくら腰が引けているとはいえ、安倍総理は確かに財務省相手にはファイティングポーズだけはとっています。

ところが、最初から降参しているようです。これは揶揄ではありません。安倍自民党改憲案を見ると、そのなかで、一文字でも法制局の意向に沿わない文字はありません。

一文字と言うのは大げさでも何でもありません。法制局は、日本国のあらゆる法令の「てにをは」まで監視しているのです。その一文字の誤りで、霞が関の官僚のすべてが畏怖するのです。

財務省も例外ではありません。グーグルマップでも見ると、財務省と法制局の建物は、直通の廊下でつながっています。財務省は法制局に因縁をつけられないよう、日常的に行き来できるようにしているのです。

特に財務省の本流である主計局の官僚にとって、法制局を敵に回さないことは出世の条件です。法制局の承認を得ていることこそ、他の官庁に威張り散らす権力の源泉なのです。

安倍総理も財務省主計局の権力も、法制局の権威の下での話ということになります。これはローマ教皇の下の皇帝や国王のようなものです。その法制局の権威の源が東大憲法学です。

宮沢の「天皇ロボット説」は単なる学説と片付けても良かったはずなのですが、第四代法制局長官の吉国一郎が政府解釈にしました(昭和50年11月20日参議院内閣委員会答弁)。

これは国会図書館の検索システムで簡単に議事録を確認できるので、皆さんご自身で調べていただきたいです。要するに「天皇は社会に向かってモノを言ってはならない」としたのです。宮沢説を、法制局が─有権解釈─法律的に効力がある政府の解釈にしたのです。

こう考えると、消費増税をめぐる安倍首相と財務省の駆け引きすら「ザコの喧嘩」にすぎないのです。ところが、これが日本の権力構造の真の実態なのです。

このようなことがまともであるといえるのでしょうかか? 
天皇や皇室は本来ならば敗戦の時に全員ギロチンにかけたいが、それも叶わなかったので仕方がないから象徴として残るのは認めてやるが、盲判を捺すロボットでいろ。
これが吉国長官以来約45年間、今の安倍内閣に至るまでの政府見解なのです。一般の日本国民がそういうことを知らなかったのを責める気はないです。しかし、有識者、いやしくも保守を自任する言論人ならばどうでしようか。
4月1日の改元にも大きな問題があります。改元は本来、天皇の大権です。しかし、実態は時の権力者の思惑に左右され続けてきました。最も蔑ろにされてきた天皇大権であると評しても過言ではないです。

だから、改元に際して多少のさざ波が立とうとも、それだけで天皇の権威に瑕がつく訳ではありません。その程度で皇室はビクともしないのです。

しかし改元を利用して、意図的に天皇や皇室の権威を貶めようとする者がいたら、国民はその者の名を心に刻まなければならないです。

明治以降、改元の規定は皇室典範で定められていました。それが敗戦に伴い旧典範は廃止され、元号は成文法上の根拠を喪失、慣習法として存立してきました。

こうしたことから、元号廃止運動が学界や言論界を中心に盛り上がり、逆に元号法制化運動も自民党を中心に進められました。結果、元号法が定められ、成文法としての根拠を回復することとなりました。この法律はたった2条だけです。
第1条 元号は、政令で定める。 
第2条 元号は、皇位の継承があった場合に限り改める。
読めばわかるように、一世一元の制の成文化です。天皇の代替わりの時にしか改元できないのです。そして現行法では、新元号の発表は代替わりの後にしか行えないのです。

昭和から平成への改元も、そうでした。昭和最後の1年間、先帝陛下は重病に苦しまれ、いつ「その日」が来るかと日本中が心配しました。そして昭和64年1月7日に崩御。同日、今上陛下が践祚(せんそ。天皇の位を受け継ぐこと)され、同日に政府が発表、翌日から施行されました。

もちろん政府は事前に新元号を用意していたのですが、公表は新帝践祚(せんそ)の後でした。時の竹下登内閣は、人としての道理を知っていたからです。

一世一元の制の現代において、元号はそのまま天皇の贈り名となります。お亡くなりになられた後に贈られるから、贈り名です。天皇陛下は存命中、「今上天皇」としか呼ばれなません。

昭和天皇、大正天皇と名前で呼ばれるのは崩御の後です。世の中には日本人としての素養がない人がいて、公共の場で「平成天皇」を連呼する御仁がいますが、「勝手に殺すな!」と言う他ありません。

改元大権を持ち出すまでもなく、新しい元号は新帝の元号なのである。だから、新帝が位に就かれた後にしか、公表してはならないのです。

どうしても事前公表したいのなら、現行法を改正するなり、いっそ一世一元の制を廃止してからにすれば良いのです。時間などいくらでもありました。それをあえて選挙で選ばれた国会議員による立法ではなく、政府の官僚による解釈で行おうとしているのです。

その意図は明々白々です。一つ、真の立法権は国会議員ではなく官僚にあると知らしめること。一つ、天皇の元号ではなく、政府の元号であると見せつけること。要するに、法の解釈を握るものは、政治家よりも、そして天皇よりも偉いのだと、権威を見せつけようとしているのです。

では、解釈を握る政府の官僚とは誰なのでしょうか。天皇ロボット説の総本山、内閣法制局です。その長官は横畠裕介。この男、自分は天皇を超える「法王」とでも思っているのでしょうか。

だが、国民は皇室を蔑ろにするものを見逃しはしません。賢明な国民は、黒幕が誰かを知っています。「国民を見捨てない」陛下の覚悟さえも貶めた裏切り者の日本人は、内閣法制局長官 横畠裕介です。

内閣法制局長官 横畠裕介

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2017年10月11日水曜日

【ニュースの核心】脅威は北だけではない 小池氏は衆院選操る「暗黒政治家」 適当な人物を首相指名し自分は黒幕に―【私の論評】危機に対応する真のリーダーの姿勢とは?

【ニュースの核心】脅威は北だけではない 小池氏は衆院選操る「暗黒政治家」 適当な人物を首相指名し自分は黒幕に

金正恩
 いま日本は「戦後最大の危機」を迎えている。朝鮮半島情勢が一触即発の状態にあるからだ。そんななか、日本の将来を決める衆院選が10日公示された。私たちは何をどう判断すべきなのか。

 まず、「何を」についてだ。それは消費税の使い道とかアベノミクスではない。何より「日本の平和と安全」である。

 問題を難しく考える必要はない。国の平和と安全が守られなければ成長も繁栄もないからだ。

 日本はいま中国と北朝鮮に脅かされている。北朝鮮は言うに及ばず、中国も沖縄県・尖閣諸島周辺に公船や軍艦を派遣して、隙あらば島を奪取しようともくろんでいる。この現状認識が出発点になる。

 この危機認識を共有できず、「中国も日本と平和共存を望んでいる」などと考える能天気な人々は論外である。これだけで、怪しさを見破れる政治家や政党もあるはずだ。

 では、日本はどう中国や北朝鮮の脅威に対処するのか。

 残念ながら、単独では対抗できない。毎年の中国の軍事費は日本の4倍近くに上り、ベースになる経済力は2倍以上に達している。

 仮に、軍事衝突が起きたとしても、日本は攻撃能力を保有していない。だから攻撃力を持つ米国との同盟を基軸に対抗するしかないのが現状なのだ。ところが、野党は何を言ってきたか。

 ここから「どう判断するか」の問題になる。野党は日米同盟を強化する安全保障関連法に反対し、自衛隊明文化という最小限の憲法改正にも反対してきた。

 本当を言えば、立憲民主党を結成した枝野幸男代表や、民進党を壊した前原誠司代表は月刊誌への寄稿や自分のブログで、実は改憲に賛成していた。

 希望の党に駆け込んだ民進党出身の前議員たちに至っては、「安保関連法反対、改憲反対」を絶叫していたのに、議員バッジ欲しさに一夜にして寝返って支持者を裏切った。

 こうした野党議員は「確固たる信念を持った政治家かどうか」という基準に照らせば、容易に判断できる。

写真はブログ管理人挿入 以下同じ
 希望の党の小池百合子代表(都知事)は立候補を否定した。選挙後の首相指名で「誰に投票するか」については明言を避け、「選挙後に決める」と言っている。

 これが何を意味するか。

 もしも希望の党が過半数をとったら、誰を首相にするか「一切、私に任せてくれ」と言っている。つまり小池氏は適当な人を首相に仕立て上げ、自分は「舞台裏の黒幕」として国を仕切るつもりなのだ。

 国会議員でないから、国会で説明責任も求められない。彼女が言う「情報公開」とか「透明性強化」など、とんだお笑い草である。

 こんな人物が代表を務める希望の党が権力を握ったら、日本はとんでもない「ブラックボックス政治」「暗黒政治」になってしまうに違いない。

 日本を脅かしているのは、北朝鮮の「核・ミサイル」だけではない。ポピュリストの仮面をかぶった「暗黒政治家」にも脅かされているのだ。

 ■長谷川幸洋(はせがわ・ゆきひろ) ジャーナリスト。東京新聞論説委員。1953年、千葉県生まれ。慶大経済卒、ジョンズホプキンス大学大学院(SAIS)修了。政治や経済、外交・安全保障の問題について、独自情報に基づく解説に定評がある。政府の規制改革推進会議委員などの公職も務める。著書『日本国の正体 政治家・官僚・メディア-本当の権力者は誰か』(講談社)で山本七平賞受賞。最新刊に『ケント&幸洋の大放言!』(ビジネス社)がある。

長谷川博之氏

【私の論評】危機に対応する真のリーダーの姿勢とは?

ブログ冒頭の長谷川幸洋氏の記事のように、いま日本は「戦後最大の危機」を迎えています。このような危機にある日本は、今真の意味でのリーダーが必要不可欠です。

優れたリーダーについて、経営学の大家ドラッカー氏は以下のように述べています。
優れたリーダーは、“私”とは言わない。意識して言わないのではない。“私”を考えないのである。いつも、“われわれ”を考える。チームを考える。彼らは、自分の仕事がチームを機能させることだということを知っている。責任を引き受け、逃げることをしない。成果は“われわれ”のものとする。考えることは、なされるべきことと、チームのことだけである。そこから信頼が生まれ、なされるべきことがなされる。(ドラッカー名著集(4)『非営利組織の経営』)
これを今の日本即して言い換えると、以下のようになると思います。

優れたリーダーは、"私"とはいわないのです。意識して言わないのではありません。"私"を考えないのです。いつも"日本"を考えるのです。政府のことを考えるのです。優れたリーダーは、自分の仕事が政府を機能させることだということを知っているのです。責任を引受け、逃げることをしない。成果は"日本国"のものとするのです。考えることは、なされるべきことと、日本のことだけです。そこから信頼が生まれ、なされるべきことがなされるのです。

ドラッカーは、リーダー用の資質などというものはないと言います。リーダーにはいろいろなタイプがあります。しかし、リーダーたるために必要とされる姿勢は、いくつかあります。

 第1が、人に聞くことである。聞くことは、スキルではなく姿勢です。

 第2が、自らの考えを理解してもらう意欲です。そのためには何度も言い、身をもって示すことです。

 第3が、言い訳やごまかしをしないことです。何事にも本気であることです。

 第4が、仕事の重要性に比べれば、自分など取るに足りない存在であるとの認識です。仕事と自らを一体化しないことです。仕事とは、リーダーよりも重要であって、リーダーとは別個の存在です。

リーダーの姿勢として、現在の日本で一番重要なのは、特に第4の姿勢だと思います。北朝鮮に対応することの重要性に比べれば、自分など取るに足りない存在であるとの認識です。仕事と自らを一体化しないことです。北朝鮮への対応は、リーダーよりも重要であって、リーダーとは別個の存在です。

ドラッカーは、真のリーダーについて、こう言っています。「私の知っているほとんどのリーダーが、生まれつきのリーダーでも、育てられたリーダーでもなかった。自らをリーダーとして作り上げた人たちだった」。

ソ連封じ込めに尽力したハリー・トルーマン
トルーマン大統領は、ルーズベルト大統領の突然の死によって大統領になったとき、今米国のリーダーとしてなすべき最も重要な仕事は何かを考え、急きょ、不得意だった国際問題に取り組み、旧ソ連の封じ込めに成功しました。

マッカーサー元帥は、自分よりも頭のよい者はいないはずと自負しながらも、部下の言に耳を傾けて最強のチームをつくり上げました。気性には合わなかったのですが、それがリーダーの役割だということを知っていました。
リーダーたるものは、献身しつつも個たりえなければならない。そのとき仕事もうまくいく。自らを仕事の外に置かなければならない。(『非営利組織の経営』)
北朝鮮の危機の前に、安倍総理に衆院を解散し、衆院選に突入したことによって多くのことが明るみにでました。

現状の衆院選の様子をみると、多くの政治家がとにかく北朝鮮の脅威などは二の次にして、選挙において何とか生き残るとか、選挙において少しでも有利に戦い、自らの権力を拡大することにばかりに汲々としているようにしかみえません。

特に「安倍一強を倒す」という野党のリーダーたちのスローガンはお粗末です。確かに日本人は強力なリーダーシップを嫌う傾向にあるので、なんとなく強い人物を倒すというと、情緒的には訴えるものがあるのかもしれません。

しかし、一強のどこが悪いのでしょうか。どのような組織でも、先見性のあるリーダーが強力な力を持つことがプラスに作用することのほうが多いです。安倍政権を倒した後に、どうするのかも言わずに、政治家が務まれば、本当に気楽なものです。

これでは、とてもリーダーにふさわしいとはいえません。小池東京知事に至っては、自らが女性初の総理大臣になることを目指しているためか、北朝鮮の危機などおかまいなしに、自らの権謀術数をはりめぐらして、少しでも有利に動こうとしているようにしかみえません。やり方が、姑息で意地汚いです。

とても、北朝鮮に対応することの重要性に比べれば、自分など取るに足りない存在であるとの認識があるようにはみえません。

安倍総理としては、様々な情報源から、北朝鮮の脅威は年内には顕在化せず、来年あたりに顕在化するものとみて、その時に選挙をするよりは、今のうちにやっておいたほうが、対応しやすいということで、今回解散選挙に踏み切ったのでしょう。

だから、今回の選挙で本来もっとも問われなければならないのは安全保障政策であるのは、あまりにもはっきりしすぎています。他の問題は、無視しても良いくらいです。特に「森友問題・加計問題」などは本当にどうでも良い問題であり、今となってはそもそも何が問題なのかもわかりません。

森友に関しては、すでに篭池氏が逮捕されており、国会など関与しなくても、司法がこれを明らかにしつつあります。

加計問題も、そもそも公開されている戦略特区ワーキング・グルーブの議事録を読んだり、加戸氏の証言により、獣医学部設立にどう考えても安倍総理がかかわっている明白な証拠などあり得ないことも明らかになっています。にもかかわらず、小池知事も他の野党の代表などもこれを追求し続けるといいます。

そもそも、これで安倍総理や政権を追求したとしても、無意味であり、これをやり続けることは時間の無駄です。こうした無駄時間を費やしたことが、民進党崩壊の大きな要因の一つになっていることは明らかです。

平成27年に成立した安保関連法に対する各党の姿勢はさまざまで、仮にリベラル派勢力が議席を伸ばすようなことになれば、自衛隊の活動が制限され、北朝鮮のミサイルを日米が連携して迎撃する態勢が揺るぎかねないです。

憲法改正で自衛隊を明記するかどうかも含め、各党は国民の生命をどう守るのか、具体的な政策を訴えるべきです。それが、現状のそれぞれの党のリーダー役割です。それを国民もしっかりと見極め、投票すべきです。

そうして、今本当に必要なリーダーを定めるべきです。選挙が終わったら、野党のリーダーは、こと北朝鮮対応に関しては、党派を超えて政府に協力する旨を申し出るべきです。そのようなことをするリーダーこそ、仕事の重要性に比べれば、自分など取るに足りない存在であるとの認識する真のリーダーです。

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