2010年7月23日金曜日

選択的夫婦別姓を明記 第3次男女共同参画基本計画策定に向け答申―日本解体始動!!ゆとり教育の二番煎じになるか?

選択的夫婦別姓を明記 第3次男女共同参画基本計画策定に向け答申(この内容ご存じの方は、この項は読み飛ばしてください)


旧姓で北京五輪に出場した女子マラソンの土佐礼子選手「通称使用」は職場など
でも可能になってきたが、不便さはまだ残るとする声もあるのだが・・・・
(2009年03月10日午後、国立競技場で)


政府の男女共同参画会議(議長・仙谷由人官房長官)は23日、平成23年度から5年間実施する第3次男女共同参画基本計画の策定に向け、選択的夫婦別姓制度導入の必要性などを盛り込んだ「基本的な考え方」をまとめ、菅直人首相に答申した。これまでの基本計画では、夫婦別姓に関するスタンスは明記されていなかったが、民主党政権初の計画策定に向け、答申は制度導入を強く後押しする内容となった。

答申は、喫緊の課題として、多様な生き方を可能にする社会制度の実現に向けて「世帯単位の制度・慣行から個人単位の制度・慣行への移行」を掲げた。その具体的な取り組みとして「家族に関する法制について選択的夫婦別姓制度を含む民法改正が必要」と明記した。

自民党政権下の12年にまとめられた第1次男女共同参画基本計画では、夫婦別姓に関し「国民の意識の動向を踏まえ引き続き検討を進める」と表現。17年の第2次計画でも「国民の議論が深まるよう引き続き努める」と、抑制的な表現にとどめていた。

同会議は今回の答申に先立ち、夫婦別姓の必要性を示した中間整理案を4月に公表し、パブリックコメントを募集。約1万3000件寄せられた意見では、夫婦別姓に関する反対意見が多数あったという。ただ、学識者らで構成する同会議傘下の専門調査会で「男女共同参画の実現には選択的夫婦別姓の導入が必要」と結論付けられ、今回の答申にも盛り込まれた。

また、答申では、女性の管理職登用や育児休業の取得などに積極的な企業に対し、優遇税制や国などの事業発注での優先的扱いを検討するよう求めている。

政府は今回の答申を基に第3次基本計画を策定、年内の閣議決定を目指す。

日本国解体始動!!ゆとり教育の二番煎じになるか?
選択的別姓の真実
さて、男女共同参画会議パブリックコメントを募集。約1万3000件寄せられた意見では、夫婦別姓に関する反対意見が多数あったというにもかかわらず、学識者らで構成する同会議傘下の専門調査会で「男女共同参画の実現には選択的夫婦別姓の導入が必要」ということで、あくまで、導入するつもりのようです。夫婦別姓に関して、少し考えただけでも非常にまずいことがおこることがわかります。

そのうえ、民主党が推進している選択的夫婦別姓制度には以下のような欠陥があります。

●選択的夫婦別姓法案の最大の問題点。それは、夫婦別姓が親子別姓だということです。何人子供がいても子供の姓は皆どちらかひとつに統一されます。いったん決めてしまえば、後で後悔しても同姓に戻すことは許されないのです。

これでは、"選択的"という接頭辞は、単なる見せかけのものにすぎず、子供にとっては、ものごころがつかないころに決められてしまえば、強制的で決して選択的ではありません。

●夫婦別姓の改正民法には「非嫡出子差別の禁止」として不倫で生まれた子供も非嫡出子として財産を平等に与えるよう定めています。

これに関しては、たとえば、中小企業の社長がなくなったりした場合、不倫で生まれた子供に関してはまったく蓄財に寄与しないどころか、養育費や生活費を与えていたとしても、不倫の子供にも平等に財産を与えなければならないことを意味しています。これも、少し考えればどんなことになるかすぐに判ることです。この二つの点に関しては何が何でも、無条件で決定させては絶対にならないことであると思います。

さて、この選択的夫婦別姓に関しては、米国では、現在の日本と同様、結婚によって夫婦は同じ姓になりますが、婚前の姓をミドルネームと言う形で残すのは、普通のことのようです。「私のパパの名前をミドルネームにして使っているの」という女性も多いです。米国では、法律では夫婦別姓に関して決まりはありません。

ところが、米国では1960年代からいわゆるリベラリスト(自由主義者)らによるフェミニズムの影響で、男性からの経済的自立で女性は自由を得るという生き方が吹聴され、夫婦別姓や事実婚を推奨する運動が盛んでした。

だから、アメリカでは働く女性が自分の旧姓を名乗り続けるなどのことが、珍しくないことになっていました。あるいは、実質的には夫婦関係にあるにもかかわらず、結婚せずに、夫婦別姓で、いわゆる事実婚という形をとるカップルも増えました。ところが、この法律にもとづかない実質的な夫婦別姓制度が大きな不幸をもたらしました。

夫婦別姓、女性の社会進出、子育ての外注化という流れの中で米国では多くの男性が妻と子供を扶養する責任を感じなくなっていきました。離婚や未婚の母が増加し、家族という生活の基礎的な基盤を失って苦しむ子供たちが急増しました。皆さんご存知でしょうが、現在アメリカで結婚したカップルのうち、半数以上が離婚します。半数以上ですよ!米国では、離婚は当たり前のことになってしまいました。近いところでは、あのおしどり夫婦で有名だったアル・ゴア氏の離婚が有名ですね。

ペンシルベニア州立大学ポール・アマト教授は「安定的な結婚を1980年の水準まで上昇させれば、停学になる子供を50万人、非行、暴力行為に走る子供を20万人、心理療法を受ける子供を25万人、喫煙する子供を25万人、自殺志向の子供を8万人、自殺未遂の子供を2万8千人、それぞれ減らせる」と警鐘を鳴らしました。

「家族の絆(きずな)」よりも「個人の意向」を優先する社会-。これが何をもたらしたか。米国の女性たちは既に教訓を得ました。「(米国女性は)過去25年間で初めて女性の就労率が下降し、女性の86%が『仕事よりも家庭が大事だ』と思っている」(2002年3月12日付『USAトゥデー』)

日本は米国の過ちを繰り返すのでしょうか?米国でのこうした、法律で定められていない、ライフスタイルにもとづく夫婦別姓がこれだけ社会に大弊害をもたらしているのです。日本が法律に基づく夫婦別姓を導入したら一体どういうことになるのでしょうか?

米国での、法律に基づかないライフスタイルとしての夫婦別姓が、このような結果を生んでしまったということを、先の学識者らで構成する男女共同参画会議傘下の専門調査会は知らないのでしょうか?一体専門家とはどういう人達なのでしょうか?

選択的夫婦別姓もゆとり教育の二番煎じになるか?
米国での失敗を学ばないということ、以前にもありましたね、昨日のテレビで「ゆとりの教育」の失敗ということで、結局は「ゆとりの教育」はやめるということが報道されていました。「ゆとりの教育」の導入に当時尽力した中曽根さんがテレビのインタビューを受けていて、「ゆとりの教育」が失敗したことを率直に認めていました。ゆとりの教育に関しては、日本が導入の検討をし始めたときには、アメリカではもうとっくに導入されていたどころか、完全に失敗したことが明らかになったため、とりやめて、逆に「若いうちに詰め込めるだけ詰め込め」が合言葉になっていました。

ゆとり教育に関しては、私自身がその酷さに直面したことがありました。工学部志望の東京大学1年生と話をしていて、ファラディーの右手の法則、左手の法則など当然のこととして話をしたら、何と彼女はこの法則を知りませんでした。良く話しを聴くと、高校では物理は選択制となっており、物理は履修していなかったそうです。現在の入試制度では、将来工学部に進むことができる理Ⅰ類でも、物理の試験は受けなくとも良いということを聴いて驚いてしまいました。

要するに、ゆとりの教育という名の下で、受験に必要のない科目は勉強しなくなても良いということが平気で行われていたということです。だから、世界史など全く知らない東大生もたくさんいます。

アメリカのゆとり教育の時代には、高校ではほとんど勉強せず、基礎学力が落に落ちていました。大学の教養の講座でも、得体のしれない今日ではとっくに消滅した講座がたくさんありました。個性豊かにというキャッチフレーズのもの、たとえば、「結婚式の講座」とか、「カメラの講座(映像美術などとは異なる)」とか、「ポップミュージック講座(音楽史などではない)」「映画鑑賞講座(これも純粋な意味で学問とはとても呼べないしろもの)」とか、学問とは無関係のものが大真面目で大学で教えられていたものでした。その結果、大学生でも、世界地図で、アメリカを指せないとか、アメリカの地図でニューヨークを指すことのできない人が大勢いました。

日本の大学では、さすがにそこまで乱れなかったのは、幸いなことだったと思います。ただし、日本ではあまりに学生の学力が低いので、大学教育などできる水準ではなく、何と、数学や英語など中学の内容を補講するというところもあるそうです。実際、私も函館大学の英語のテキストなどみて驚いたことがあります。水準として、中学の復習ならびに高校1~2年くらいの内容だったと思います。あれでは、とても大学教育など無理と感じてしまいました。さらに、北海道大学の学生など、昔では考えられないくらい読書をしないということがわかってびっくりしたことがあります。要するに、学校でも、受験には関係ないことは全くさせないとか、本人も受験に関係ないものは見向きもしないということが、ゆとり教育という名の下に繰り広げられてきたということだと思います。ある程度まとまった、書籍を素早く読んで概略をつかむということは、創造性を育むのに必要不可欠なことだと思います。

ゆとり教育時代のアメリカの大学生を見て、誤解した日本人の中には、「アメリカの学生はものすごく勉強する」などと評している人もいましたが、事実は違いました。その当時の日本人のまともな学生なら、別に勉強しなくても知っているような常識的な事柄を高校でまったく学んでこなかったので、大学でまともなレポートを書くように要求されると、ひがな一日図書館などに閉じこもり、常識を調べていたというのが実情です。日本でも、もっと酷い誤解としては、アメリカの大学全般は入るのがやさしくて、卒業するのが難しいというまことしやかな神話などもありました。

これは、日本でもアメリカでも同じことです。昔からアメリカでも、誰でも入れて、だいたい誰もが卒業できる大学がある一方で、誰もが簡単には入れないし、卒業も難しい大学もあります。これは、ゆとり教育が実施されているときでも同じ事だったと思います。アメリカの私学の有名校はそれなりに伝統があるので、ゆとり教育などとは無縁のところもありました。ただし、この時代の誰でも入れる大学や中程度の大学での乱れようや、バカバカしさは筆舌につくしがたいところがあったと思います。

こうした神話が、日本のゆとり教育の導入を助長した面は否めないと思います。アメリカの名門校など、わざわざ調査員を派遣して受験生個々人の素行調査(学力だけでなく、社会貢献なども調べる)まで行なうのと、寄付金(たとえば親が同じ大学卒で経済的に余裕があるにもかかわらず寄付金をはらっていなかったら、合格は望み薄)もからんできますから、場合によっては、日本の大学に入るより難しい場合があります。まあ、日本でまともな大学に入れない人がアメリカに行っても、かえって駄目ですね。日本のまともな大学を卒業して、アメリカの大学院に行くなどとか、あるいは日本でまともな大学に入れる人がアメリカの大学に行くというのなら良いでしょうが・・・・・・・。

アメリカで大失敗した「ゆとり教育」なぜ、日本であまり考えもせずに、導入されてしまったのか、今から考えると不思議でなりません。

90年代の「ゆとり」や「スリム化」に向けた教育改革の背景にあったのは、学校教育の内容を減らして子どもの側にゆとりを作れば、知的な創造性が育成できるはずだ、という考え方でした。

「わが国ではどうも独創性に富んだ人材が少ない」と嘆く財界人も、「子どもたちが詰め込み教育で勉強の意欲を失っている」と嘆く左派の人たちも、多くの人が、「ゆとり」や「スリム化」に向けた改革に、おおむね賛成していきました。「創造性を育むような教育を」というわけです。

しかし、日本では、あまりに性急に、教育の中での創造性の開発を求めすぎていたのではないでしょうか。

特に、まだ十分知識や経験がない段階で、あまりに早くから子どもに知的独創性を求めるのはいかがなものかと思います。その意味で、「ゆとり教育」路線は、せっかちな改革だったと思います。

「ゆとり教育」路線が依拠していた新学力観には、創造性や問題解決型能力の養成ということがうたわれています。経済のあり方が知識集約型に変わっている中で、これまでとは違った能力が必要とされています。財界筋の主張はそこにありました。そこは私も理解できます。

しかし、当たり前のことですが、創造性というものは、知識や経験の積み上げの上にあるものです。そりゃ、芸術や数学方面などでは「若くして独創性溢れる」みたいな人物もときおり出現します。でもそれはごく一部の分野の、さらにごく一部のケースに例外的にあてはまることです。

学問だって仕事だって、創造性を発揮するには、ものごとについての十分な理解と、特定の対象についての深い知識が不可欠です。

個々の具体的な対象についてのきちんとした知識や理解がないと、真の意味での批判的な見方はできないし、創造的な思考などできません。

ベストセラーによくある「すぐに役立つ発想法」などという、「万能ナイフ」みたいなノウハウだけで大成した人に、わたしは会ったことがありません。必ず、何かについて、深い専門的な知識を得ています。「クリティカル・シンキング」というのも、考える対象についての十分な知識がないと、独善的な「批判」(=イチャモン)までしかいかないです。それでは浅いのです。

たとえば、ドラッカー書いた論文を読むとしましょう。国語もしくは、英語で読むなら英文の読解力が当然必要なわけですが、必要なものは、それだけではありません。経済、経営ははもとより、場合によっては、日本史や世界史の基礎知識が必要になる場合もあります。高校の政治・経済や倫理・社会で教わるレベルの予備知識が必要なこともあります。たとえば、「神の見えざる手」という言葉が何の説明もなくでてきたりします。ナチスとか、ソビエト、全体主義という言葉が何の説明もなく当然のこととしてでてきたりします。

さらに社会学のある概念をわかっていないと、理解できないこともあります。たとえば、『イデオロギー』が理解できなければ、読み進むことができない場合がります。ドラッカーの書籍には滅多はでてこないのですが、図表の数字が何を意味しているのか理解していないと、著者の主張を鵜呑みにするしかない、ということもありえます。

ドラッカーの論文1本を十分理解するためにだけでも、実は前提として、いろいろな知識が必要です。本当にオリジナルな見方や意見は、そういう知の積み上げと組み合わせのうえに出てくる――そういうものです。

これらの知識がなければ、それこそ、ドラッカーの論文を1本読むにしても、それこそ、ゆとり教育時代のアメリカの大学生のようにひがな一日図書館に詰めるしかなくなります。

読むだけで、こんなに時間がかかっていては、創造性などとても養えるものではありませんね。

数学など、世間一般では、応用がすべてと思われているな科目について、実は私自身は、高校時代に暗記科目だと思っていました。とにかく、公式、定理などはひたすら覚えるし、代表的な問題の解き方などは、暗記してしまいました。それで、大学に入ってから、大学の数学の教授にその話をしてみたら、その答えは驚くべきものでした。その答えとは「その通り」というものでした。難しい話は避けますが、数学のプロのも世界でも、やはり、特定の専門分野の代表的な公理な定理などは覚えてることは無論のこと、その導き出し方や、代表的な問題の解き方など覚えていなければ、話にならず、次の段階にはまったく進めないということでした。

さらに、物理の世界ではあの大天才アインシュタインが、「私が物理の世界でなしとけだことは実は先人の努力に負うところが大きい。99%は先人がやったことであり、私がやったのは、1%付け加えたに過ぎない」と語っていました。要するに、先人の研究を徹底的に研究したということです。研究して記憶していたのはいうまでもないことだと思います。

アインシュタインのような創造性が満ち溢れているような人がこんなことを言うのですから、私たちなどなおさらそうだと思います。先人の知識は謙虚に学ぶ必要があります。私自身は、創造性を育む教育は、大学に入ってからでも遅くはないと思います。それに、本格的な創造性の教育は、大学院や、職場に入ってからでも遅くはないと思っています。それよりも、何よりも、創造的な教育を受けるために、まずはコミュニケーション能力と、基礎的な知識が絶対に必要だと思います。

さて、話が少しずれてしまいしまたが、選択的夫婦別姓もゆとり教育と同じうよなことになると思います。どうして、導入当時アメリカで失敗したゆとり教育について学ばすに失敗したのに、同じような失敗を繰り返そうとしているのでしょうか。なぜせっかちに改革を推進するのでしょうか?なぜ選択的夫婦別姓のアメリカでの現在の大失敗、それも法律ではなくライフスタイルの変化による失敗を学ぼうとしないのでしょうか?

それは、明らかですね、要するに民主党や、民主党によって集められた識者など、実は日本や日本国民のことなど何も考えていないのです。特に、日本という国民国家について何も考えていないのだと思います。その歴史も良く理解していないのだと思います。ただ、彼らの考え方は、単純で、日本という国民国家を解体する(日本を国民国家ではなく、世界市民の国にすることや、個人主義に寄与する)ことは善であり、それにつながるようなことは全部善という事なのだと思います。だからこそ、夫婦別姓を導入しようとしているのだと思います。

しかし、これだけ、過去に真摯に学ばない人たちに、いろいろ、国や教育の制度をいじくられたのではたまったものではありませんね。

選択的夫婦別姓によって、ただでさえ希薄な人間関係がさらに希薄になっていきます。社会から隔絶された、若者や老人が増えていきます。以前なら、家族で助け合えば何とかなったものが、今は派遣村の若者のように個人で頑張らなければならなくなります。そうして、家族が崩壊します。家族崩壊の次は、地域崩壊です、地域崩壊の次は、社会崩壊です。最後には、日本の国民国家の解体ということになってしまいます。これでは、多くの人が幸福になれるどころか、不幸に陥ることは目に見えています。日本国解体絶対反対、だからこそ、選択的夫婦別姓には何か何でも反対すべきです。

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14 件のコメント:

ねこまた さんのコメント...

選択的夫婦別姓制度には基本的には反対ですね。当人にとって選択できる姓は生まれたばかりの子供には選択できない問題がある以上
子供の人権を考えれば、これは親の勝手なエゴでしかありえません。
ねこまたは、子供が幼稚園や保育園に通うようになったときに、「パパとママはどうして名前が違うの?○○ちゃんとことか、○○君のとことか、パパとママの名前は同じなのにどうして?」って疑問に答えられません。
大の大人なら、夫婦別姓制度と答えられますが、4歳ぐらいの子供に理解を求めるのは無理です。そもそも大の大人でもすったもんだしているのに、まだ幼い子供なら尚更です。
ですから、ねこまたは夫婦別姓制度に関しては基本は反対ですが、条件付ならいいかなとも思っています。子供が生まれるまでは別姓を名乗っていてもいいかなと思っています。
事実結婚後も職場では旧姓のままの方もいますしね。
それよりも、まず制度云々よりも自分の配偶者に自分の姓を名乗って貰えば、済む問題じゃないでしょうか?そのほうがよっぽど簡単に解決できます。そもそも自分の配偶者すら納得させられない稚拙な論理で、その他大勢を納得させられると思っているところが、既に大間違いです。

Unknown さんのコメント...

こんにちは^^
コメントありがとうございました。
夫婦別姓は、大家族から核家族、核家族から個人主義とどんどん人の視野を狭くする恐れがあり、一部の人の都合の為に日本全体が落ちて行くものだと思います。

山田 豊 さんのコメント...

ねこまた様 コメント有難うございます。アメリカでは、法律で決めなくても、ライフスタイルとしての夫婦別姓が定着しただけで、いろいろな問題が発生するようになってしまいました。それなのに、日本ではわざわざ、法律で決めてまで、実施するということが、私には全く理解できません。男女共同参画会議傘下の専門調査会のメンバーはきっと、60歳台が多くて、このブログにも掲載したように、若い頃、マルクス・レーニン主義を信奉して、今にも日本に共産主義革命がおこると妄想していた、学生だったのかもしれません。だから、他の世代とは異なり、修正がきかないくらい、頭がおもいっきり左巻きになっているのかもしれません。今度、メンバーの素性など調べてブログに公表しようと思います。
これからも、お気軽にコメント残していただけましたら、幸いです。

山田 豊 さんのコメント...

teiichiro様コメント有難うございます。日本は、戦後アメリカによって、家制度が崩壊し、今は自らの手で、今度は、核家族まで崩壊させ、個々人の利益にもとづく、社会に移行しようとしています。このままだと、さらに、コミュニケーションも希薄、個人の利益しか考えなくなるただの群集の集まりになります。そうして、挙句の果ては、にほんの国民国家が崩壊します。そうして、最期には、リベラリストも、左翼も考えなかった、とんでもない社会になってしまいます。というより、実質的に外国にのっとられたような社会になると思います。その時には、リベラリストも、左翼も迫害されることでしょう。そうなってからは遅いのです。
そんなことをさせないためにも、最低限核家族はまもるべぎてす。これ以上の家庭の破壊、コミュニティーの破壊、社会の破壊など絶対に推進させてはならないと思います。
これからも、お気軽にお立ち寄りください。

匿名 さんのコメント...

yutakarlson様
コメントを有難うございました。
選択的夫婦別姓は、これだけ国民に反対が多いのに、何故、民主党はその実現に拘るのでしょうか。
この制度は、日本の良き伝統である夫婦同姓によって結婚の絆を強くする家族制度の崩壊につながると思います。
結婚しても、しなくても、姓が変わらないとすれば、これは事実婚と変わらないのではないでしょうか。いずれにしても従来の婚姻制度を乱し、多夫多妻制を招きかねない大問題だと思います。民主党は、どうしてこのような危険な制度の導入に熱心なのでしょうか。 東郷幹夫

山田 豊 さんのコメント...

こんにちは。全くおっしゃる通りです。アメリカでも、リベラル派が推進した、ライフスタイルとしての実質的な夫婦別姓があのような災厄をまねいています。そうした事実を無視して導入を図るには、それなりの背景があります。民主党の菅さんをはじめとする左翼は、学生時代の学生運動をやっていたころと頭の中が変わっていないということです。それについては、また、改めて
http://goo.gl/B8SD
に掲載しましたので是非御覧になってください。菅さん、マルクス・レーニン主義など信奉している人、ましてや国民国家の解体などを信奉している人など、G8や、G20には一人もいないということを知って自分たちの考えが、海外では全く通用しないということを思い知ったことでしょう。これからも、海外では、菅さん一人が浮いてしまいまともな外交など不可能でしょう。
一番良い解決法は、菅さん謙虚に反省して、沢入大臣の職を辞し、民主党内の左派全員をひきつれてお遍路の旅にでて二度と政界にもどらないようにすることだと思います。
これからも、お気軽にコメントを残していただければ、幸いです。

安藤奈津雄 さんのコメント...

安藤奈津雄です。
http://yutakarlson.blogspot.com/2010/07/blog-post_29.html
↑こちらを紹介されたのですが、ここに興味深いものを発見したので、こちらにコメントを入れさせてください。

選択的夫婦別姓については、また、民法改正案が出たときにでも書きましょう。(?)
婚外子差別は、最高裁で、違憲判決が出るようですよ、、、。

そして、Yutakarlsonさんが、ここでかなりの量を割いてる「ゆとり教育」について。
私は、「ゆとり教育」は間違ってないと考えております。
子供時代は、のんびりしてていいと思います。

そのために、授業時間を減らしたり、教える内容を削ったりしたのは、正しい対応だったと思います。
ただ足りなかったのは、小中高でゆるい教育を受ければ、学力が下がるのは当然で、大学が、「近頃の学生は学力が低い」と嘆いてるだけで、それに対する対策を取らなかったことです。

Yutakarlsonも
>アメリカの大学生のようにひがな一日図書館に詰めるしかなくなります。
と書いてらっしゃるように、日本でも、アルバイトする暇もないくらい、大学生を鍛えればよかったのです!

大切なのは、社会人になるときの学力であって、小学校や中学校のときの、世界で何位かという順位ではないと思うのですが。
そんなに競争したいのなら、大人がすればいいと思いますよ~。
30歳代の歴史の試験とか40代の物理の試験とか。

まぁ、国際競争力とか生産性とかで評価されるのかもしれませんが、大人になると、、、。

山田 豊 さんのコメント...

安藤奈津雄様、コメント有難うございます。
大学が、「近頃の学生は学力が低い」と嘆いてるだけで、それに対する対策を取らなかったことです。されていますが、大学や大学院は、もともと、大学ではそれまでの教育の締めくくりであり、大学院は、それが終了して、自ら研究をする能力を身につけさせることが主眼となります。

学力の低い学生がわざわざ、大学や大学院に行く必要はないと思います。というより、そのの資格がないということだと思います。高校は実質上義務教育ですが、大学以上は義務教育ではないわけですから・・・・。まあ、高校での教育をきちんとしているということが条件にはなると思いますが・・・・・。そうして、当の学生も、きちんと学習していることが条件になりますが・・・・。

それに、アメリカでも、日本でも、授業時間を減らしたり、教える内容を削ったりした結果が現在の状況をもたらしたのであり、両国とも失敗しているし、それをはっきり認めて、現在変更をしつつあるわけです。まあ、どの程度復活するかは別問題としてやはり少なくしすぎたことは否めないと思います。数年前に、小学校の教科書をみたら、薄くて、カラフルでなにやら教科書というより、パンフレットのようだったのでショックを受けました。

それから、小学校や、中学校のときに世界で何位かということについては、私自身もほとんど気にはしていないです。それよりも、将来社会人になるとき、あるいはさらに上位の学校に進むため必要な基本的な学力は絶対に必要です。これを欠いていては、次のステップに進めないからです。

現在は、知識社会に突入していますから、知識は誰でも得られるということから、必然的に競争的になるのは仕方のないことだと思います。そのための、本当の意味でのセーフティーネットを用意しておくなどということについては、やぶさかではありません。

日本が、アメリカや、韓国のように完璧な学歴社会になることはのぞんでいませんが、それにしても、社会人になってから仕事をできる能力、大学に入って、そこでついていけるだけの学力はつけておくべきです。

ちなみに、アメリカの場合は、ほとんどの会社で、高卒、大卒、大学院卒は、最初から入り口が違います。賃金、週給、昇格についても、最初からコースが異なります。完全な学歴社会です。高卒の人が、大卒や、大学院卒より高い地位にまで上ることはほとんどないです。

韓国にいたっては、特定の大学を出ていないと、会社である程度以上昇進することはまず絶対にできません。いや、いわゆる良い企業といわれているところには、絶対に入れません。日本の場合、有名大学を卒業している人のほうが、昇進、昇格がはやかったり、高い地位についている人が多いようですがそれは、結果にすぎません。ところが、韓国では、もうそれでほとんど将来が確定してしまいます。そのため、韓国では「あなたはどこの大学出身ですか」という質問は禁忌になっています。なぜなら、高学歴社会の韓国では、このような質問をするのは、「おまえは、高級な人間か、低級な人間か」と聴くことに等しいからです。それに、毎年年明けに、韓国の大学入試の模様がテレビなどで報道されていますが、あれには、こうした背景があるからです。

それからすれば、日本は、もともと、よほど良い環境にあると思います。それから、子供はもともと、好奇心が旺盛ですし、記憶力もかなり良いですから、やり方しだいのところもありますが、大人が思っている以上にキャパ(容量)は、大きいです。子供がものを記憶することを、大人感覚で苦行と思うのは、まちがいだと思います。

先ほどいったように、現在は知識社会にありますから、会社に入れば、所与の仕事など少なく、自ら仕事を創造し、推進していかなくてはならなくなりました。そのため、何をするにしても、結構な量の知識が必要です。知識の偏在に関しては、これを是正する必要はありますが、やはり、創造性が必要であり、ある程度の知識が基本としてなければ、創造性も発揮できず、まともな仕事にはならないと思います。ゆとりの教育を受けた人たちは、これから大変だと思います。そういう意味では、彼らは犠牲者だと思います。このような犠牲者をださないために、現在教育の変更が行われているのです。

歴史の試験とか、物理の試験に関しても、本当にそれが必要な部署の場合は、試験をするかしない別ににして、ある程度の基礎がなければ、その仕事には従事させることはできません。歴史といえば、グローバル化した時代に特に世界史、政治家や外交官その他、現在では、経営層にも必要不可欠です。最近では、MBAでも、このあたりを教えるようにしています。無論、ただの暗記というわけでなく、政策や、経営という切り口から教えられています。技術畑で、専門分野以外でもある程度の知識がなければ、やっていけません。なぜなら、最近の新たな技術は、全く他の分野から発生することのほうが多いからです。たとえば、製薬会社なら、従来は、化学、薬学などの知識ですみましたが、細菌は、バイオテクノロジーの知識は必須となってきています。管理職であっても、ある程度の知識がなければ、勤まりません。

また、知識はすぐに陳腐化してしまいます。医学の世界では、医学部を卒業して、10年もたてば、大学で習得した知識のほとんどは役に立たなくなってしまいます。それは、ITの世界でも同じです。これに対処するには、新たな知識を独力で、短期間に身につける能力が必須です。そのためにも、ある程度は、基礎学力をみにつけさせることが絶対に必要であり、その過程で自ら学習する能力をみにつけさせることが重要になってきます。

大人としての、能力も、小学校や、中学高校で身につけた知識が基本になっていますし、大学や大学院などでは、直接関係のない分野に進んだにしても、必要な資料の集め方、企画をたてたりするために、ものの考え方、道筋のつけ方など、役に立つものだと思います。

以上のことなど、総合的に勘案すれば、やはり、「ゆとりの教育」は、間違いだったと思います。「ゆとりの教育」を受けた人たちは、これから、そうでない人たち、彼らの先輩や、彼らの後からはいってくる人たちに伍して頑張っていかなくてはならなくなります。これは、かなりの苦行だと思います。他の人たちより、かなり努力しなけば、ついていけなくなるでしょう。だから、早い時期にあまりにゆとりをつくりすぎれば、それは決して良いことではなく、社会人になってから苦労しなければならなくなります。社会生活を送る上でゆとりがなくなります。だから、ゆとりの教育は、決してゆとりを生むものではないです。

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安藤奈津雄 さんのコメント...

再び安藤奈津雄です。
GOOGLEのアラートに登録してある「森喜朗」に、↓
http://yutakarlson.blogspot.com/2010/07/blog-post_31.html
yutakarlsonさんのブログが載ってましたよ。
もうひとつ関係ないことですが、↓。
名作「時計じかけのオレンジ」を小栗旬主演で舞台化
http://www.theaterguide.co.jp/theater_news/2010/07/28_02.php
写真に「時計じかけのオレンジ」を使ってらっしゃるので、、、。

さて、本題ですが。あっ、その前に、保守の人というのは、「子供には勉強させなければならない」という価値観をお持ちなんでしょうか?
まぁ、それはともかく。

>大学ではそれまでの教育の締めくくりであり
ということでは、大学が学生を鍛えあげることに反対する理由にはならないのでは?

私の主張ですが、
「小・中・高・大」で、「6・3・3・4」という、これは年数ではなく、学習量の数字と見て欲しいのですが。
合計「16」とします。

これを、ゆとり教育で、小中高の「12」を、たとえば、「9」に減らします。
大学がそのままだと、プラス「4」ですから、「13」で大学を卒業することになります。
それでは、「学力が低下した~!」となります。
だから、大学は、土日もなく、夏休みもなく、そのくらい学生を鍛えて、「9」に「7」をプラスするくらい教育する。

それで、従来の「16」で卒業できるという話です。
>「ゆとりの教育」を受けた人たちは~
>他の人たちより、かなり努力しなけば、ついていけなくなるでしょう。
とyutakarlsonさんも書いてらっしゃいますが、その努力を大学ですればいいのでは!?

小中高とゆるりとした分、大学で猛勉強してもらわないと、おかしなことになるのでは、、、?
そして、そのおかしなことになったのが、日本のゆとり教育だったような、、、。

山田 豊 さんのコメント...

安藤奈津雄様コメント有難うごとうございます。森喜朗さん、最近あまり目立つ活動をしていませんから、私のようなものが少し書いただけでも、アラートされるのだと思います。

日本の学生や院生など、私は、鍛えるなとはいっていません。むしろ鍛えるべきです。ただし、彼らは、詰め込みというよりは、自分でものを考える必要があります。あるいは、創造して良く必要があります。それまでの詰め込みがある程度なければ、それはなかなかできません。

アメリカの大学生が日がな一日、図書館にいるという例は、当時の彼らがあまりに詰め込みが足りないために、本来なら知っていてもおかしくないことを図書館で調べていたということです。本来であれば、研究のために、人あって話をしているか、研究室にいるべきときにも、図書館にいて調べ物をしていたという意味です。

最近、映画の字幕つくりが大変なようです。たとえば、ナチスとか、ソ連と書いても、理解しない若者がいるそうです。まあ、たとえが悪いですが、あの頃のアメリカの大学生は、このレベルですね。そんな人が、ヨーロッパの歴史を研究しようとても、無理ですね。それに近いようなことが、過去のアメリカにあったということです。

まあ、あれでは、なかなか大学の学問には、まともについてはいけなかったのが実情だと思います。ゆとり教育は、結局それに近いものになったと思います。

だからこそ、あなたの言うとおり、大学生を鍛えるためにも、基礎学力は必要になります。そのための基礎学力を学ぶのが苦痛だというなら、大学に行かなければ良いですないですか、それで良いと思いますが>

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