2010年7月25日日曜日

菅、外遊日程決まらず…首脳外交不発で“日本沈没”へ―左翼系市民運動家に一国の総理大臣が勤まらないというのは当たり前の事実か?

菅、外遊日程決まらず…首脳外交不発で“日本沈没”へ(この内容すでにご存知の方は、この項は読み飛ばしてください)


カナダで開かれたG8首脳会議に出席した菅首相。
オバマ大統領(中)やサルコジ仏大統領とは距離が…

参院選大敗の影響で、菅直人首相(63)が本来担うべき首脳外交が「機能不全」に陥っている。弱体化した政権基盤の立て直しや、9月の民主党代表選での生き残りのために時間を割かれ、外遊日程が決まらないのだ。このままでは、国際社会における日本の存在感は薄れるばかり。「日本沈没の黄信号が灯り始めた」(野党幹部)との指摘も出ている。

「菅外交は顔が見えないどころか、においすらしない」

永田町の一部でこう揶揄される菅首相。6月下旬、外交デビューとしてカナダでのG8(主要国)首脳会議などに出席。「用意周到な準備をして臨んだ」(周辺)が存在感を発揮できず、各国首脳らが集合写真撮影後に談笑していた際も、1人だけ輪に入れずポツンと立ち尽くした。

首脳同士の個別会談にも岡田克也外相(57)が同席する異例の対応で、「これでは他国の首脳と親密な関係を築くのは難しい」(外務省筋)との声すら漏れた。

それでも、菅首相は夏の外遊に意欲を示していたが、参院選大敗ですべて白紙に。

現時点で、韓国など複数の国から届いている訪問要請への返答は先送り。9月上旬にロシアで開かれる国際会議は、鳩山由紀夫前首相(63)に代理出席を要請した。ニューヨークで9月に開かれる国連総会に出席すれば首相として初訪米になるが、秋の臨時国会と日程が重なる可能性もあり、見通しは立たない。

こうした状況に、政府・与党内からも「国際社会の動きに、日本はますます取り残されていく」(民主党中堅)と懸念する声が出ている。経済や安全保障、環境問題など、国際社会の連携は「首脳間の信頼関係がものをいう」(同)からだ。

たとえば、円高対策もそうだ。

首相は今年1月の財務相就任会見で、「1ドル=90円台半ばまで円安が進めばよい」と述べ、為替相場への「口先介入」で波紋を呼んだ。当時は1ドル=92円台を中心に推移していたが、最近はさらに円高が進み、1ドル=86円から87円近辺になっている。党内外から為替介入を求める声は強まっているが、菅内閣が動く気配はみられない。

この理由について、国際経済に詳しい明治大学の高木勝教授は「菅内閣が円高に知らん顔をしているように映るが、単独で為替介入しても効果は薄いためだ。本来なら、日米欧の協調介入に乗り出したいのだろうが、米国は輸出促進方針を取っているうえ、米軍普天間飛行場の移設問題で日米関係がギクシャクしているのも影響して、協調介入に応じてくれないのだろう」と指摘する。

間の悪いことに、普天間問題などをめぐり、日米関係にまたまた暗雲が漂っている。

今年5月の日米合意では、代替施設の位置や工法を「8月末」までに決定することになっていたが、頓挫しそうなのだ。

15、16日に行われた日米協議で、日本側は沖縄の反発が強いとして、8月末の時点では、代替施設の位置や工法について複数案の提示にとどめたいと主張。これに対し、米国側は日米合意の履行を強く要求したという。

菅首相は先月末、カナダでオバマ大統領と会談した際、日米合意について「実現に向けて真剣に取り組む」と明言した。鳩山前首相の「トラスト・ミー」に続き、日本の首相が2代続けて、米大統領に“ウソ”をついたことになりかねない。

さらに菅内閣は、来年3月で在日米軍駐留経費の日本側負担(思いやり予算)に関する日米両国の特別協定が期限切れとなることに伴い、同予算の削減を米側に求める方針も固めたのだ。

自民党ベテランは「菅首相、民主党政権は国と国の約束の重さを分かっていない。米国は民主党政権への不信感が強く、日米合意にわざわざ『いかなる場合でも』という文言を入れさせた。これで、また合意破りをすれば日本の信用は地に落ちる。この時期に、思いやり予算のカットなど、日米関係を破壊する気としか思えない」と語る。

菅外交の機能不全は、米国以外の国々も困惑させている。

その1つは、年内にもGDP(国内総生産)で日本を追い抜く中国。日中外交筋の1人は「何だかんだと言っても、日本は世界有数の経済大国。ここがおかしくなると世界にも甚大な影響を与える。中国としても日本といろいろ協議したいのだが、胡錦濤主席らトップ周辺は、話し相手を誰にしていいのか図りかねている」と打ち明ける。

“逃げ菅”“ダマ菅”作戦で、必死に政権維持を図ろうとする菅首相だが、世界を相手にはとても通用しない。

左翼系市民運動家に一国の総理大臣が勤まらないというのは当たり前の事実か?


はてさて、菅さんは、どうしてまともに総理大臣の職責を果たせないのか、それには、生い立ちなど調べるとなんらかのヒントがあるかもしれません。それで、まずは、生い立ち、年譜など掲載します。
生い立ち
1946年10月10日、岡山県出身の父・菅寿雄の転勤先、山口県宇部市に長男として生まれた。本籍地は岡山県久米郡福渡町(現在の岡山市北区)。父は宇部曹達(現セントラル硝子)に勤める技術者から、のちに常務になる。ごく普通のサラリーマン家庭に育った。
宇部市立神原小学校、琴芝小学校、神原中学校を経て、地元の進学校県立宇部高校に進む。宇部高校2年の夏に、父の転勤に伴って一家は東京三鷹市に引っ越した。都立小山台高校2年に編入し、卒業。
東京工業大学理学部応用物理学科に入学。学生運動にのめり込んだ[。「全学改革推進会議」を立ち上げ、リーダーとして活躍した。
大学紛争の影響で卒業研究が出来なかったため、紛争が収まった後できちんとやりたいとの自身の意向により一年留年し、1970年に東工大を卒業。
卒業後は小田島特許事務所に就職。弁理士をめざし、資格を取得して独立し、「菅特許事務所」を開設する。
弁理士という職種を選んだのは、「社会運動に関わりたい、そのためにはあまり拘束されない自営できる道を確保したい」というのが最大の理由だった。

セントラルガラスは、49年に東証、大証に同時上場していますから、菅さんが物心ついたときには、もう、父親は、大企業の常務になっていたか、役員候補者だったわけです。大企業の役員といえば、現在でも、数は少ないですし、普通のサラリーマンの家庭ではありません。かなり裕福な部類に入ると思います。

菅さんのように、現在の60歳台の人たちは大学に入学して、その大半は、学生運動にのめりこみました。当時の学生運動といえば、いろいろな派閥がありましたが、根底はほとんどが左翼的であり、マルクス・レーニン主義を信奉していました。要するに、日本でも、今にも、階級闘争がおこり、共産主義革命がおこるという妄想をしんじていたということです。その頃の社会は、他の共産主義国だった国々よりもはるかに賃金面でも、階層もなく、政府の規制が網の目のように張り巡らされた、共産主義のような日本でした。これに関しては以前のブログにも掲載しました。

そんな最中にあって、共産主義革命という妄想を多くの学生たちが何の批判もなく信じ込んだのです。菅さんはその急先鋒だつたということです。

その後も、いわゆる企業には、勤めることもなく、弁理士事務所に入り、その事務所も3年もつとめずに、出て独立しています。まあ、弁理士事件はそんなにやさしい試験ではないので、すぐに合格してしまうということは、いわゆるお勉強の頭は、しっかりしているのだと思います。まあ、大学も東工大ですから、優秀なほうですね。

さて、次は年譜をみていきましょう。
年譜 
1946年10月10日、山口県宇部市で出生(父・寿雄、母・純子)。本籍地は岡山県久米郡福渡町(のち御津郡建部町、現岡山市北区建部町)。
1959年3月、宇部市立琴芝小学校卒業。
1962年3月、宇部市立神原中学校卒業。
1962年4月、山口県立宇部高等学校入学。
1963年夏、父親の転勤に伴い、東京都立小山台高等学校に編入。
1965年3月、東京都立小山台高等学校卒業
1965年4月、父親の母校でもある東京工業大学理学部応用物理学科に入学。
1970年3月、東京工業大学理学部応用物理学科を卒業。
1971年、弁理士試験に合格。
1974年、市川房枝を第10回参議院議員通常選挙に担ぎ、選挙事務長を務め、当選させる。
1976年12月5日、第34回衆議院議員総選挙に旧東京7区から無所属で出馬し落選。
1977年7月10日、第11回参議院議員通常選挙で社会市民連合から出馬し落選。
1978年、社会民主連合副代表に就任。
1979年10月7日、第35回衆議院議員総選挙で社会民主連合から出馬し落選。
1980年6月22日、第36回衆議院議員総選挙で初当選。
1983年12月18日、第37回衆議院議員総選挙で当選(2期目)。
1985年、党副書記長兼政策委員長に就任。
1986年7月6日、第38回衆議院議員総選挙で当選(3期目)。
1990年2月18日、第39回衆議院議員総選挙で当選(4期目)。
1993年7月18日、第40回衆議院議員総選挙で当選(5期目)。
1994年、社会民主連合の解散に伴い、新党さきがけに入党。後に党政策調査会長に就任。
1996年1月11日、第1次橋本内閣で厚生大臣(第74代)として入閣。
1996年9月28日、鳩山由紀夫と民主党を結成。鳩山と共に共同代表に就任。
1996年10月20日、第41回衆議院議員総選挙に東京18区より立候補し当選(6期目)。
1998年4月27日、新民主党の代表に就任。
1999年9月、党代表選挙で鳩山由紀夫に敗北。党政策調査会長に就任。
2000年、党幹事長に就任。
2000年6月25日、第42回衆議院議員総選挙で当選(7期目)。
2002年12月、代表選挙で岡田克也を破り党代表に就任。
2003年11月9日、第43回衆議院議員総選挙でともに旧民主党結党時のメンバーだった自民党公認の鳩山邦夫を破って当選(8期目)。鳩山邦夫は比例で復活。
2004年5月、年金未納が発覚して代表を辞任。
2005年4月、法政大学大学院の客員教授に就任、講義を行う(2005年10月まで)。
2005年9月11日、第44回衆議院議員総選挙で地方選挙で長年の宿敵であった土屋正忠前武蔵野市長を小選挙区で破り当選(9期目)。土屋正忠は比例で復活。東京の小選挙区では唯一の当選者となる。
2005年9月17日、衆院選敗北を受けて岡田が党代表を辞任する。党代表選挙に立候補して、前原誠司に敗北。
2006年4月7日、堀江メール問題で前原執行部が退陣。党代表選挙に再度立候補して小沢一郎に敗北。党代表代行に就任。
2009年5月17日、小沢に替わり党代表となっている鳩山由紀夫により党代表代行に再任。
2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙で当選(10期目)。
2009年9月16日、鳩山由紀夫内閣の副総理兼内閣府特命担当大臣に就任。
2010年1月7日、財務大臣に就任。同時に国家戦略担当国務大臣及び科学技術政策担当国務大臣は退任。
2010年3月19日、民主党東京都連会長辞任(後任は、民主党東京都連通常総会開催まで海江田万里衆議院議員が民主党東京都連会長職務代行に就任)。
2010年6月4日、民主党第8代代表に就任。同日、第94代内閣総理大臣に指名。同年6月8日、内閣総理大臣に就任。
年譜でみても、わかる通り、弁理士として独立してからは、すぐに政界に入りました。政界に入ってからは、野党ばかりです。つい最近はじめて、与党となることができ、それから間もなく総理大臣です。

菅さんと同じ年代の学生運動にのめり込んだ学生も、その多くは、企業や役所に務めたと思います。そういう人たちの大部分は、先程述べたような学生運動による妄想から、現実世界へと覚醒したのだと思います。それは、そうです。企業や役所には、それなりの使命、目的があります。さらには、組織特有の序列があります。これらは、学生運動のときの妄想のような世界からは程遠いものです。

組織に属したからには、使命や目的を共有しなければ、組織に属することはできません。組織に属さなければ、生きてはいけません。だかからこそ、学生運動に参画した人たちも否応なしに現実世界に目覚めなければなりませんでした。そうして、多くの人は、学生時代の妄想は捨て去ったのです。

ところが、菅さんの場合、組織に属することもなく、政界に入り、しかもその政界が、左翼的なところばかりです。だからこそ、学生時代からの妄想から決別できないまま、大人になり、総理大臣になってしまったということです。

それに、野党の場合は、ある意味、政権を担当していませんから、責任というものが全くありません。しかし、それなりに政治家としての面子は保つことはできます。この責任を全く持たないということは、人を駄目にするノだと思います。しかし、5年以上も企業などのまともな組織に務めた経験があれば、責任ということの意味を理解したでしょうが、菅さんの場合それすらもないのです。

菅さん学生時代の妄想がまだ、頭にこびりついて、頭が左にねじれたままなのだと思います。

冒頭の写真で、菅さんはG8首脳会議に出席した菅首相は、オバマ大統領やサルコジ仏大統領とは距離を置いていました。これは、英語がでない為など解釈している人もいますが、良く考えてみてください。菅さんは、大学は東工大ですし、それよりも、何よりも、大学卒業後、すぐに弁理士の試験に合格したくらいですから、いわゆるお勉強の頭はあるのです。だから、簡単な挨拶程度の英語であればすぐに学習できるはずです。

それなのに、距離をおくのは、少なくとも、オバマやサルコジに限らず、G8に出席しているような人の中には、菅さんが信奉するマルクス・レーニン主義など信じているものは誰もいないからです。ましてや様々な人生を歩んできていますが、少なくとも共産主義など過去のことだと思っている人たちの集まりだからです。こうした人の中にも、頭の良い人、悪い人などがいたり、たまには、こういった人の中にも、リベラル派の人もいますか、それにしても、自国の国民国家の解体を善であると信じている人は誰もいません。そんなことは、当たり前のことで、すべての人が、国民国家の国家の元首であり、国民国家の代表だからです。あの、中国ですら、中国共産党による統一国家中国の解体を善などとは思っていません。それに、共産党などとは名乗っていますが、もう、マルクス・レーニン主義など誰も信じていません。彼らが信奉するのは、国家資本主義です。

そんな中では、菅さんのような人は、たとえ言語の障壁など全くなくても、コミュニケーションなど交わすこともできないでしょう。菅さん一人が浮いてしまったのだと思います。それに、他国の人たちは、菅さんの行動や発言を見聞きして、異質なものを感じたに違いありません。きっと、腹の中では、「どうせ、奴もすぐに総理大臣などできなくなるのだろう」と思ったと思います。

総理大臣でも、このありさまですから、現在の民主党の中には、菅さんにメンタリティーの近い人が大勢いると思います。しかし、こうしたメンタリティーなど、日本国内でだけ通用するのであって、海外では全く通用しません。

こうした、頭が左巻きにねじりきれて、もとに戻らない人たちによって、日本国解体法案などを通されて、日本国解体を推進されたのではたまったものではありません。

もう、60歳台にもなってしまえば、それまで持っていた基本的な考え方など、矯正することなど不可能でしょう。もう、生きている限りは、左巻きねじれ頭のままで変えようがないと思います。

菅首相ならびに、左巻きねじれ頭の方々は、もう政治家などやめて、菅さんといつしょにお遍路の旅に出て、二度と政界にもどらないようにしたほうが、日本国のためになるでしょう。

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