在りし日の北海道開拓百年記念塔 |
解体された百年記念塔は、北海道開拓100年を記念して1970年に建設されました。高さ100メートルの塔は、北海道を築いてきた人たちへの感謝とこれからの未来発展への願いが込められたシンボルタワーでした。塔は、老朽化により2014年には立ち入り禁止になっていましたが、2018年には部材が落下し、解体が決定されました。
解体された百年記念塔の跡地には、新たなモニュメントが設置される予定です。モニュメントのデザインは、百年記念塔の建設時の考えや塔に親しみを抱いてくれた方々の思いを引き継ぎ、互いの多様性を認め合う共生を表現しているものとし募集しています。モニュメントの設置は、2023年秋を予定しています。
百年記念塔は、北海道を代表するシンボルタワーでした。解体には多くの人が惜しむ声を上げました。解体された百年記念塔の跡地には、新たなモニュメントが設置され、今後も多くの人々に愛され続けることでしょう。
【私の論評】北海道百年記念塔が失われたことは痛ましいが、これを埋め合わせる方法は必ずある(゚д゚)!
これは、非常に残念なことです。保守派として、私たちは歴史と文化遺産を守らなければならないと信じています。百年記念塔のような象徴的なモニュメントを取り壊すのは茶番です。北海道知事らは、「安全」と「経費削減」のためだと主張していますが、彼らの本当の動機は、私たちの誇り高き歴史を消し去ることとしか思えません。
鈴木北海道知事 |
米国の大統領ロナルド・レーガン氏はかつて、"自由は一世代で消滅することはない "と語りました。私たちは、私たちの存在証明の象徴を取り壊すのではなく、本来後世に伝えていかなければならないはずです。
百年記念塔は、北海道の近代史をゼロから築き上げた開拓者精神の証として建てられたものです。その喪失は、伝統を重んじるすべての保守派にとっての損失です。新しいモニュメントは、意味も心もないモダニズムの抽象的なナンセンスなものになる可能性があります。
それは、あの壮大な古い塔のような継続性を象徴するものとはなり得ないでしょう。これはいわゆるポリティカル・コレクトネスの暴走であり、あの記念碑を守るために法廷で戦ったすべての善良な市民に、たとえ最終的に無駄に終わったとしても、素晴らしいものだと思います。
私たちは、歴史を消し去り忘れ去ろうとする勢力から歴史を守るために闘い続けなければならないです。もし私たちが百年記念塔の記憶を奮い立たせ、北海道を偉大なものにした伝統と価値を守ろうとするならば、百年記念塔が失われたことは決して無駄にはならないでしょう。
米国にはの北海道百年記念等と同じく象徴的なモニュメントやランドマークがいくつもあります。
ラシュモア山-サウスダコタ州のブラックヒルズに彫られた、ワシントン、ジェファーソン、リンカーン、ルーズベルトの顔をかたどった巨大な記念碑(写真下)。これは米国建国の理念と精神を象徴しています。
自由の鐘 。 米国独立と自由の追求を象徴する鐘。専制政治からの独立を目指す米国の戦いの神聖な遺物です。
アーリントン国立墓地 。 アメリカの自由を守るために命を捧げた人々を祀る、尊敬を集める軍人墓地。神聖な地であり、愛国者の犠牲を悼む厳かな記念碑でもあります。
アラモ 。テキサス州サンアントニオにある有名な砦で、デイヴィ・クロケットとテキサスの守備隊がメキシコからの自由のために死闘を繰り広げた場所です。圧倒的な逆境に立ち向かう勇気の象徴となっています。
真珠湾攻撃記念碑 。 沈没したUSSアリゾナの上にある記念碑です。1941年の攻撃で死亡した2,403人のアメリカ人を称えたものです。米国を第二次世界大戦で戦った「グレイテスト・ジェネレーション」の回復力と勇気を記念しています。
またハワイには、World War the Second Valor in the Pacific National Monumentという。真珠湾の戦いの記念館があります。
ここには、当時の海軍力において日本が最先端で、米国より上で、特に、大きな軍艦ではなくて、飛行機こそ、大事だということを教えてくれたと書いてあります。教えられたのが真珠湾攻撃であって、真珠湾で徹底的にやられたので、米国は日本の方が正しいと反省をして、そして航空戦力を強くして、翌年の1942年6月のミッドウェー海戦でやり返して祖国を守ったと書いてあります、非常にフェアな、展示がしてあります。日本を貶めることが目的の、中国や韓国などの記念館とは明らかに異なります。
自由の女神 。 ニューヨーク港に立つフランスからの象徴的な贈り物。自由の女神は何百万人もの移民を迎え入れ、何世代にもわたって希望、自由、アメリカンドリームを象徴してきました。
これらのどれもが、取り壊しや閉鎖の危機にさらされれば、保守派から同様の落胆を呼び起こすでしょう。これらは、愛国心の強い米国人を結びつけ、過去の世代の犠牲と彼らを結びつける生きた歴史を象徴しています。
北海道にとって百年記念塔が失われたように、これらを失うことは米国にとって悲劇的でしょう。米国の保守派は、米国を特別なものにしている価値観、精神、共有されたアイデンティティを思い出させるものとして、これらのシンボルを保存し、その意味を子孫に伝えることを目指しています。
北海道開拓100年記念塔の解体に変わるような比較的低予算でできることはあります。たとえば、北海道庁所在地の札幌市民の憩いの場でもある大通り公園を「北海道開拓記念公園」と名称を変え、開拓のモニュメント等を公園内にいくつか設置することです。
これは北海道の開拓者を称え、市民や観光客の間でこの重要な歴史に対する認識を高めることにもつながるでしょう。米国には、ロナルド・レーガン・ナショナル空港やジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港のように、歴史上の人物を記念して名付けられた場所は多いです。
また、ボストン・コモン(マサチューセッツ州ボストン市中心部にある公園)のボストン大虐殺記念碑のように、重要な出来事の記念碑がある公園もあります。
特に適切な例としては、ニュージャージー州のリバティ・パークがあります。以前はコミュニポー・セントラル鉄道ターミナル公園と呼ばれていたのですが、1950年代に、何百万人もの移民が初めてアメリカに足を踏み入れた、近くのコミュニポー・ターミナルでの歴史的な出来事に敬意を表して改名されました。
現在、公園には有名な移民や自由の象徴を称えるモニュメントがあります。公園を改名し、これらの記念碑を追加することで、自由とアメリカンドリームへの重要な玄関口であるこの公園に対する認識を高めることができました。
同様に、大通公園を改名し、その中に記念碑を設置することは、北海道の歴史に敬意を表し、市民を啓蒙し、百年記念塔の喪失を埋め合わせる理想的な方法です。後世の道民は、北海道を発展させた先人たちの犠牲について学びながら、公園を楽しむことができます。
単なる記念碑ではなく、生きた記念碑となるのです。このような草の根的な解決策は、まさに保守派が支持するタイプの行動です。政府だけに頼るのではなく、個々の市民や地域団体が率先して歴史を認識し、保存していくべきだという市民的責任を多くの人達と共有できます。
このアイデアを提案し推進することで、国民的アイデンティティを築き、文化的基盤を強化するような市民精神を示すことができます。これは、北海道内外の保守派の人々にとって大きな誇りになるでしょう。
北海道は、米国と似て近代化の歴史が新しく、歴史が新しいからこそ、歴史を重んじ、伝統を継承しようとする気風があります。無論、先住民が存在した米国と、そうではない北海道とてでは、異なる面があるものの(いわゆるアイヌ人は先住民とはいえない)、近代化が比較的新しいというその意味で、米国には参考なる事例が豊富です。北海道百年記念塔が失われたことは痛ましいことですが、これを埋め合わせる方法は必ずあると信じます。
先住民については、ここで述べると長くなるので、また別の機会で述べようと思います。
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