2026年2月1日日曜日

今回の選挙で語られないもの──金融に続き、エネルギー政策を国民の手に取り戻せ


まとめ

  • 本稿は、なぜ今回の選挙でエネルギー政策が正面から語られないのかを解き明かす。積極財政は論点になり始めた一方で、金融とエネルギーは依然として「専門家の領域」に閉じ込められている。その構造そのものを問い直す。
  • 第二に、日本はエネルギーで無策だったという通俗的理解を退ける。長期契約と信用の積み重ねによって築かれてきた「天然ガス帝国」の実像を示し、我が国がスポット市場に振り回されない立場を確保してきた理由を明らかにする。
  • 第三に、再エネ、化石燃料、原子力、SMR、核融合を理念ではなく順序の問題として整理し、今回語られないからこそ、高市政権が次の選挙で国民に示すべきエネルギーの設計図を描いた。
金融政策は、長らく「触れてはならない専門領域」とされてきた。しかし、それは本来、国民生活と直結する政治の中枢である。金利、物価、為替は、すべて国民の生活を直接左右する。中央銀行はこれに大きく関与する。それにもかかわらず、「専門家に任せるしかない」という言葉で、議論は長く封じられてきた。

私は昨日のブログで、その前提そのものを疑う必要があると書いた。金融政策は、国民が選択し、政治が責任を負うべき政策論点である。特に、金融政策は雇用とともに語られるべきであることを強調した。そうすることで、初めて国民生活に直接関係する政治のテーマとなり得るからだ。

同じ構造は、金融だけに存在するものではない。むしろ、より長く、より巧妙に政治の外に置かれてきた分野がある。それがエネルギー政策である。

電気代という形で家計に直撃し、産業の競争力を左右し、安全保障の根幹を支えているにもかかわらず、その全体像が国民の前で正面から論じられることはほとんどなかった。

1️⃣我が国は無策ではなかった──「ガス帝国」が示す現実

石狩LNG基地

まず確認しておくべきことがある。我が国は、エネルギー政策で手をこまねいてきた国ではない。

日本は、LNGの輸入量を誇る国ではない。数量だけを見れば、世界最大級と言い切ることはできない。しかし、日本が築いてきた強みは、量ではなく信用である。

日本は、エネルギーをスポット市場で奪い合う国ではなかった。資源国と長期契約を結び、上流開発に資金を投じ、発電や液化、輸送、受け入れに関わる技術を提供し、人材育成やインフラ整備を共に進めてきた。こうした積み重ねによって、日本は単なる「買い手」ではなく、供給体制の一部を担う存在として扱われてきた。

この違いが表面化するのは、有事である。世界的にLNGが不足し、スポット市場が混乱した局面においても、日本は最後尾に並ばされる国ではなかった。契約に基づく供給に加え、融通や振り替えといった調整が働いた。日本は、エネルギーを奪い合う側ではなく、配分に関与できる側に位置を確保していた。

私は過去のブログで、これを「我が国が築いてきたガス帝国」と表現した。これは誇張ではない。電力会社、商社、造船、金融、技術者が一体となり、数十年をかけて築き上げた信用のネットワークである。市場価格だけでは測れない、我が国独自のエネルギー安全保障である。

しかし同時に、重要な欠落があった。このエネルギー政策が、国民の「選択」として語られてこなかったという事実である。原子力、再生可能エネルギー、電力制度改革は、専門家が説明し、政治が追認し、国民が請求書を受け取るという構図に閉じ込められてきた。金融政策と同じ病理である。

2️⃣再エネは実験、化石燃料は技術、原発は管理だ

火力発電所で用いられている蒸気タービンのブレード

再生可能エネルギーについても、冷静な整理が必要である。将来的に、画期的な技術革新が起きる可能性は否定できない。蓄電、材料、制御、変換効率。そのどこかでブレークスルーが生まれる可能性はある。だからこそ、研究と実験は続けるべきだ。

しかし、希望と現実は分けて考えなければならない。現場の不安定な出力、系統制約、コストの問題は、理念では解決しない。再生可能エネルギーは、現時点では社会の基幹インフラを全面的に担える電源ではない。この線引きを曖昧にしてきたことが、政策全体の歪みを生んできた。

現時点で、我が国が化石燃料に依存せざるを得ない現実は否定できない。ただし、それは環境を軽視することと同義ではない。日本は、化石燃料を高効率で使い、環境負荷を抑える技術を積み重ねてきた。同じ燃料を使っても、排出量と安定性は国によって大きく異なる。現実を直視し、技術で最適化する。それが日本のやり方であった。

原子力についても同様である。「止めれば安全になる」という考え方は幻想だ。原発を停止しても、燃料は残り、設備は存在し、管理は続く。危機が消えるわけではない。むしろ、動かさずに老朽化だけが進む方が、管理は難しくなる。危険なのは稼働ではない。管理不能になることだ。

3️⃣SMRから核融合へ──高市政権が次の選挙で示すべき道筋

次の段階として、小型モジュール炉、いわゆるSMRがある。SMRが注目される理由は、その設計思想にある。出力が小さく、物理的に暴走しにくい。外部電源を必要としない受動的安全設計により、異常時でも人の操作を待たずに反応が収束する。

これは机上の理論ではない。原子力潜水艦や原子力空母といった分野では、半世紀以上前から、これに近い設計思想の原子炉が運用されてきた。運用の歴史の中でトラブルがなかったわけではない。しかし、制御不能に陥り、周囲に重大な被害を与える事故は起きていない。過酷な条件下で、管理され続けてきたという事実は重い。

SMRは、突如現れた夢の技術ではない。長年蓄積された運用経験を、民生に転用しようという現実的な試みである。


その先に核融合がある。核融合は、条件が崩れれば反応が止まる。自己増殖的な連鎖反応を起こさない点で、核分裂とは本質的に異なる。ただし、現時点では主力電源ではない。問題は、段階を飛ばして語られてきたことにある。順序を誤れば、理想は空論になる。

我が国は、エネルギーで無策だった国ではない。しかし、エネルギーの未来像を国民が選び、その是非を選挙で問う政治は、まだ始まっていない。重要すぎるがゆえに、今回の選挙では、電気料金や補助金といった分かりやすい論点に収斂し、構造や順序といった核心は語られていない。

だからこそ、その役割を担うのが 高市早苗政権 である。今回の選挙で争点化できなかったからこそ、高市政権は次の選挙で、エネルギー政策を正面から掲げ、国民に選ばせる責任を負う。ガス帝国という信用をどう活かすのか。再エネを実験・研究としてどう位置づけるのか。化石燃料と原子力をどの順序で使い、SMRと核融合へどうつなげるのか。その設計図を示すことから逃げてはならない。

金融の次に、本格的に問われるのはエネルギーである。それは遠い未来の話ではない。高市政権が、次の選挙で真正面から争点に据えるべき、避けて通れない課題である。

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