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2019年4月5日金曜日

安倍首相は「令和」機に消費税と決別を デフレ不況深刻化の元凶 ―【私の論評】令和年間を「消費税増税」という大間違いから初めてはいけない(゚д゚)!


元号を発表する菅官房長官

 5月から「令和」の時代に移ることになった。漢和辞典によれば、「令」の原義は神々しいお告げのことで、清らかで美しいという意味にもなるという。日本の伝統とも言える「和」の精神にふさわしい。

 だが、ごつごつとした競争を伴う経済社会では、清らかに和やかに、では済まされない。

 野心と挑戦意欲に満ちた若者たちがしのぎを削り合ってこそ、全体として経済が拡大する。経済成長は国家が担う社会保障の財源をつくり出し、競争社会の安全網を充実させ、和を生み出す。社会人になっていく若者たちの負担が軽くなるし、家庭をつくり子育てしていけるという安心感にもつながる。

 そこで、新元号決定直後の安倍晋三首相の会見をチェックしてみると、「次の世代、次代を担う若者たちが、それぞれの夢や希望に向かって頑張っていける社会」「新しい時代には、このような若い世代の皆さんが、それぞれの夢や希望に向かって思う存分活躍することができる、そういう時代であってほしいと思っています。この点が、今回の元号を決める大きなポイント」と「若者」に繰り返し言及し、若者が「令和」時代を担うと期待している。

 だが、超低成長のもとでは「令」も「和」も成り立ち難い。若者は経済成長という上昇気流があってこそ、高く飛べると楽観できる。ゼロ成長の環境下では、殺伐とした生活しか暮らせないケースが増える。

 グラフは、平成元年(1989年)以来の日本の実質経済成長率の推移である。日本と同じく成熟した資本主義の米欧の年平均の実質成長率が2~3%台だというのに、日本はゼロコンマ%台のまま30年が過ぎた。原因は人口構成の高齢化、アジア通貨危機、リーマン・ショックなどを挙げる向きが多いが、ホントにどうなのか。



 高齢化はドイツなど欧州でも進行している。アジア通貨危機では直撃を受けた韓国はV字型回復を遂げたし、リーマンでは震源地の米国が慢性不況を免れた。いずれも日本だけがデフレ不況を深刻化させた。経済失政抜きに日本の停滞は考えにくい。

 最たる失政は消費税にある。政府は平成元年に消費税を導入、9年(97年)、そして26年(2014年)に税率を引き上げた。結果はグラフの通り、実質成長率はよくても1%台に乗るのがやっとで、家計消費はマイナス続き、外需頼みである。

 消費税はデフレ圧力を生み、経済成長を抑圧するばかりではない。所得が少ない若者や、子育てで消費負担が大きい勤労世代に重圧をかける。今秋の消費税率10%への引き上げは、首相が力説した、若者が担うはずの「令和」時代に逆行すると懸念せざるをえない。

 首相はデフレ下の増税に決別し、経済成長最優先という当たり前の基本路線に回帰すべきだ。その宣言は秋の消費税増税中止では物足りない。思い切って消費税率の引き下げを打ち出す。平成が終わり、令和にシフトする今こそ、政策転換のチャンスではないか。(産経新聞特別記者・田村秀男)

【私の論評】令和年間を「消費税増税」という大間違いから初めてはいけない(゚д゚)!

最たる失敗は確かに冒頭の記事にもあるように、諸費税増税です。他が駄目であっても、少なくとも消費税増税をしていなけれは、日本の経済はこれほど低迷することはありませんでした。

トリンプは、2018年11月29日、世相を映すブラジャーの新作として、東京スカイツリーを
モチーフにした「平成ブラ」(非売品)を発表しました。トリンプは1987年から世相を反
映した下着を定期的に発表し、今回が63作目でしたが、世相ブラは今回で終了するそうです。

「平成」には経済に関して本当に良い思い出は少ないです。先進国の中で、日本だけが経済成長しませんでした。世界各国の国内総生産(GDP)の推移をグラフで書くと、日本だけが横ばいで、この意味で「平に成った」と皮肉ることもできるかもしれません。

先進国で唯一ともいっていいくらいの「デフレ」で悩まされました。少なくとも「失われた25年」といえるでしょう。平成30年間のうちの25年ですから、ほとんどの期間が失われていたということになります。

そうして。もう一つ日本を駄目にしたのは、日銀による金融政策です。日本が最初にデフレになったのは、インフレ率が高くないにもかかわらず、日銀がバブル潰しとして金融引き締めを行ったからです。それは間違いだったのに、その後も日銀が間違いを続けたため、日本はデフレ状況から抜け出すことができませんでした。さらに、これに消費税増税が追い打ちをかけました。

新しい元号「令和」の決定を受け、記者会見で談話を発表する安倍首相

しかしそれは、平成最後の安倍晋三政権でただされました。2013年4月から、異次元の金融緩和を行い、日本経済が急速に改善しはじめました。ただし、その後2014年4月から、消費税を8%にあげ、さらには2016年9月で事実上の金融引き締めを行い、景気も17年12月あたりがピークとなってその後下降気味で、すでに腰折れしているようです。

今月1日に公表された日銀短観は、これらを確認するものでした。大企業・製造業の業況判断指数は、前回の昨年12月調査から7ポイント悪化し、悪化幅は12年12月調査以来、6年3カ月ぶりの大きさとなりました。

平成は、日銀の間違いから始まって、間違いで終わるのでしょうか。そうして、「令和」元年は、10%への消費税増税という間違いから始まるのでしょうか。

もし、そうなれば、「若い世代の皆さんが、それぞれの夢や希望に向かって思う存分活躍することができる、そういう時代」とは程遠い時代になります。

また、若者が真っ先に苦しむ時代になります。それだけは、避けたいです。令和年間を「消費税増税」という大間違いから初めてはいけないのです。

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2018年9月27日木曜日

緩和政策「出口論」の実態は金融機関の“愚痴” 日銀が説明避けてきたツケ ―【私の論評】日銀は、金融機関のためではなく日本国民のために存在していることを再認識せよ(゚д゚)!

緩和政策「出口論」の実態は金融機関の“愚痴” 日銀が説明避けてきたツケ 

日銀黒田総裁

安倍晋三首相が自民党総裁選で、金融緩和について「ずっとやっていいとは全く思っていない」と述べたことや、黒田東彦(はるひこ)日銀総裁が「早期に物価目標を達成して正常化プロセスに入りたいのは、どこの中央銀行も同じで当然のことだ」との見解を示したことが話題となった。

 金融緩和の「副作用」を主張し、「出口」や「正常化」を強調する市場関係者やメディアは多いが、現状は出口を意識する段階なのか。

 マスコミ報道で「副作用」といっても、中身は「市場機能の低下」と「金融機関経営に及ぼす影響」という抽象的内容だ。

 「市場機能の低下」とは、金融機関の儲けがなくなると金融資本市場がうまく回らなくなって日本経済全体が落ち込む、という市場関係者の脅しにも似たものだ。「金融機関経営に及ぼす影響」も、マイナス金利下の運用金利では調達金利との利ざやがほぼなく金融機関が儲からないことを言い換えただけだ。

 日銀が常日頃、金融機関からこの金利水準では儲からないから何とかしてくれと愚痴を聞かされているので、それを「副作用」と言っているだけだ。

 もちろん、金融政策の本質は雇用政策であり、雇用の確保が最大目標だ。インフレ目標は、雇用を作るが、インフレ率が過度に高まらないようにするため設けられている。本コラムで何度も指摘したように、フィリップス曲線(インフレ率と失業率の逆相関状況)上で下限とされる失業率(NAIRU、インフレを加速しない失業率)に対応するインフレ率がインフレ目標である。

 経済学は精密科学ではないので、コンマ以下まで数値化することはなかなか困難であるが、NAIRUは2%台半ば、インフレ目標は2%程度であると本コラムに書いてきたとおりだ。

 こうした金融政策の基本フレームからみれば、「出口」が来るのは、NAIRUを達成した後、インフレ率が上がり続けるという状況である。失業率を下げずにインフレ率だけを上げ続けるような金融緩和は弊害でしかないから、当然ながら緩和から引き締め基調に転換する。

 もっとも、こうした政策転換を「正常化」というべきではない。「正常化」というのは、過去のある時点を想定して、今が「異常」と思うから出て来る表現であるが、金融政策は失業率やインフレ率を見ながら、他のマクロ政策である財政状況も併せて判断し、実行されるべきものだからだ。

 「出口」や「正常化」を強調する市場関係者やメディアは、マクロ経済政策に関する理解ができていないので、言葉だけが躍っており、とても政策議論に堪えうるものでない。

 日銀も、NAIRUについて定量的な議論をして、本コラムで述べたような金融政策基本フレームをしっかり説明しないと、市場関係者やメディアによる感情的な「出口」論に対抗できない。これまで日銀が雇用の話を避けてきたツケが出ているともいえるのではないだろうか。(元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)

【私の論評】日銀は、金融機関のためではなく日本国民のために存在していることを再認識せよ(゚д゚)!

高橋洋一氏は、上の記事でフィリップス曲線について説明してます。正式名称は「マクロ政策・フィリップス曲線」です。これについての過去の高橋洋一氏説明を以下にグラフとともに掲載します。
 NAIRU(インフレを加速しない失業率)がマクロ経済政策、とりわけ金融政策において重要だと指摘してきた。一般的に、インフレ率と失業率は逆相関であり、NAIRUを達成する最小のインフレ率をインフレ目標に設定するからだ。ここから導かれる金融政策は、失業率がNAIRUに達するほど低くない場合、インフレ率もインフレ目標に達しないので金融緩和、失業率がNAIRUに達すると、その後はインフレ率がインフレ目標よりも高くなれば金融引き締めというのが基本動作である。


 そして、筆者の推計として、NAIRUを「2%台半ば」としてきた。国会の公聴会でも説明したが、経済学は精密科学でないので、小数点以下に大きな意味はないが、あえてイメージをハッキリさせるために、「2%台半ば」を2・5%ということもある。これは、2・7%かもしれないし2・3%かもしれない。2・5%程度というと数字が一人歩きするので、普通は「2%台半ば」といっている。
このグラフが頭に入っていないと、金融緩和と雇用の関係については理解しがたいと思われます。

インフレ率が数%もあがりさえすれば、他は何もせずとも一夜にして日本ならば数百万人の雇用が自動的に発生します。

これは、日本だけでなくどの国でも同じです。米国もEUも中国でも同じことです。ただし、各々の国で様々な基礎的な条件が違うので、数%あがったらどのくらいの雇用が生まれるか、定量的には同じではありませんが、とにかくインフレ率が上がると雇用が増加するということでは、どの国でも同じです。

上のグラフでいえば、場所や地域や、同じところでも時代によってNAIRUそのものの数値や、インフレ目標も異なり、グラフの傾き加減や角度、屈曲の程度が異なりますが、大体このようになります。

積極財政・金融緩和をすれば、インフレ率はあがり失業率は下がります。ただし、インフレ率だけがあがり失業率は差がない場合があります。緊縮財政・金融引締めをすればインフレ率が下がり失業率はあがります。ただし、インフレ率だけが下がって、失業率が上がらない場合もあります。

これは昔から経験則で知られていることです。 例外はありません。まともなマクロ経済のテキストにも、日本をはじめ世界中のテキストで、金融政策と雇用は関連付けられて掲載されています。

これは、米国でもそうですし、日本をはじめとした他のどの国でもこうした傾向があることは同じです。米国あたりの景気の話の場合は、金融緩和と雇用が結び付けられて報道されることが多いです。

米国のこのような報道は、ときどは日本国内でもそのまま直訳されて報道されることもあります。しかし、日本では日銀の金融緩和と雇用が関連づけられて報道されることはまずありません。

そもそも金融緩和と雇用が関連づけられていないので、金融緩和をするとどのように雇用状況が改善されていくかも知られていません。

金融緩和すると、第一段階として、少しタイムラグ(時間のずれ)があって、まず就業者数が増加します。初期段階では、それまで職のなかった人が非正規やアルバイト・パートという形で雇用増加に貢献します。

新たに就業者に加わった非正規やアルバイト・パートの賃金は、既に雇用されている人より低いため、それまでの就業者を合わせた全体の平均賃金を押し下げます。

この点だけをとらえ、就業者数が増えたことを無視して「賃金が下がっている」とあげつらい、金融緩和を否定する人もいますが、経済の波及メカニズムをまったく理解していないだけで、反論にもなっていません。

第二段階として、就業者数が増えてくると、失業率が下がり出し、もうこれ以上就業者数が増えないような完全雇用の状態に近くなります。

そこで賃金が伸び始める。特に、アルバイト・パートの時給や残業代などが上がります。そうなると、下がっていた賃金も反転し上がり出します。雇用形態も徐々に非正規やアルバイト・パートの割合が減り、正規雇用が多くなってきます。

最近は賃金の上昇傾向にある

さらに、給料がすぐ二倍にならないと景気の良さを実感できないという頭の悪い人もいるようですが、緩やかなインフレが続いている間でも、日本をはじめ多くの国々で、同じ仕事についていて、職位も変わらない場合なら給料が倍になるのは20年から30年かかります。

インフレ分を相殺して倍ということになれば、もっとかかります。たぶん30年〜40年はかかるでしょう。普通の人だと、賃金の上昇は1年〜2年では誤差くらいにしか感じられないでしょう。数十年たつと、明らかに理解できるようになるというのが普通です。しかも、これは経済発展していることを前提とした上での話です。

すぐに給料を倍にしたかったら、多少時間をかけて良いなら、努力して職位の階段をどんどん上に登るしかありません。それも嫌というなら、かなり儲かる事業を考えて起業するしかありません。

そうして、もっともどうしようもないのは、雇用が改善されて、物価目標が達成されない現状を良いことか、悪いことかも理解できないことです。

この状態は日本経済にとって決して悪いことではありません。この今の状態が100年続いたとしても、国民にとっては何も悪いことはありません。むしろ良いことです。

これが、良くないのは銀行です。その中でも特に怠惰な銀行にとっては良くないことです。特に、怠惰な銀行関係者は日銀のマイナス金利政策に対して文句を言うようです。これは筋違いです。国債や日銀当座預金を運用して儲けている金融機関がおかしいのです。当座預金など一般企業が銀行に預けても、利息などつきません。しかし、銀行が日銀に当座預金を預けると利子がついていました。

日銀のマイナス金利政策においては、すべての当座預金の金利がマイナスというわけではない


もし一般企業の当座預金に利子がつくということになれば、金を預けてばかりいて、あまり仕事をしなくなるかもしれません。まさしく、多くの怠惰な銀行もそのような状況で、本来の仕事である金貸しをあまりしなくなったのです。

そもそも銀行の社会的使命は企業などに適切な融資を行ない、社会全体の健全な経済発展を資金面からサポートすることです。ところ怠惰な銀行はリスクを極端に怖れて新規融資を避け、国債の運用や日銀への預金、投資信託販売などの手数料収入など、『本来の役割』とは違う業務で儲けてきました。

銀行業は、本来貸出ししなければ元々儲けは出ないのです。マイナス金利はそうしたぬるま湯体質の金融機関をしばくものでもあります。実際、銀行が金貸しにもっと精を出せば、お金はもっと市場に出回るようになるはずです。これに文句を言ったり、金利が高くて儲けられないという金融機関は潰れてしまえと言いたいです。潰してしまった方が日本国や日本人のためになります。

こんな怠惰な銀行を助けるために、物価目標すらまともに達成していない金融緩和を止められたらたまったものではありません。助けるべきは、怠惰な銀行ではなく日本国民です。

そうして、銀行関係者も忘れていることがあります。物価目標が達成され後には、今度は金利を上げるべき時が来るということです。そうなれば、今度はかなり銀行の本業はやりやすくなるはずです。本来、国債や日銀当座預金を運用などは銀行にとっては本命ではなく、副業のようなものであるはずです。

怠惰な銀行はそのこともあま理解していないようです。そもそも、私自身以前メガバンクの幹部と話をしていて、その人物が金融政策と雇用の関係を理解していないことに気づき、かなり驚いたことがあります。ちなみに、その幹部は増税も必要と考えていて二度びっくりしました。

このようなことですから、怠惰な銀行の多くは、目先ばかりを考えてはやくマイナス金利を終わらせて、国債や日銀当座預金を運用して儲けたいと考えているのかもしれませんが、「ちょっと待て」と言いたいです。その儲け方は、あくまでデフレの時の儲け方であると・・・・・・。

本来デフレでなければ、まともな銀行はもっと金を貸してまともに儲けられたはずだと・・・・。であれば、デフレから完全脱却するための金融緩和に対して反対するようなことはやめるべきどころか、強力にさらなる量的緩和を実施すべことを主張すべきです。さらには、増税にも大反対すべきです。

でも、やはり今の一部の怠惰な銀行は、今でも本来の使命を忘れてどこまでも国債や日銀当座預金で儲けたいと考えるようになってしまったのでしょうか。そんな考えに支配されているような銀行なら、もうおしまいです。潰れてしまえと言いたいです。

さらに、日銀に対しては、金融政策基本フレームをしっかりと銀行や市場関係者に説明したうえで、さらなる量的緩和を実施、政府に対して増税をやめるべきことも主張して、はやくデフレから完全脱却することを宣言すべきです。そうして、実行すべきです。

そうして、いつまでも国債、日銀当座預金で儲けたい銀行などは冷酷に切り捨てるべきです。そんな銀行は、本来は日銀にとっても邪魔なはずです。

こんなことを言うと、冷酷なように思われるかもしれませんが、これは普通の企業を思い浮かべていただければ、良くわかると思います。

自動車メーカーが自動車の製造などの本業はあまりやらないで、国債や日銀当座預金で儲けて本業をおろそかにしているとしたらどう考えるでしょうか。そんな自動車メーカーは潰れるほかないのです。銀行とて例外ではないです。

今までの日本は銀行にあまりにも甘すぎ、一般国民や民間企業に過剰に厳しすぎたと思います。欧米なみにしばかないと、怠惰な銀行はまともになりません。日銀は、日本や日本人のために存在するのであって、銀行のために存在しているわけではないことを強く認識していただきたいものです。

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2018年1月20日土曜日

【主張】トランプ政権1年 「孤立主義」と決別せよ―【私の論評】経済が上々のトランプ政権は「孤立主義」になる心配は全くない(゚д゚)!

【主張】トランプ政権1年 「孤立主義」と決別せよ

トランプ米大統領
 ■真のアジア回帰へ日本も動け

 トランプ大統領が就任演説で掲げた「米国第一主義」は、強いアメリカを取り戻すことに主眼があったはずである。

 本来その源泉は、米国が重視してきた自由と民主主義の普遍的価値、国際秩序を守ることにある。だが、トランプ氏は必ずしも重きを置いていない。

 その結果、南シナ海などで、中国にわが物顔の振る舞いを許してしまった。中国は軍事、経済の両面で、米国が主導し、国際社会が繁栄の基盤としてきた既成秩序の破壊を狙っている。

 《中国の台頭は秩序壊す》

 米国をも脅かそうとする、北朝鮮の核・ミサイル問題への対応という変数もあった。日米が足並みをそろえ、圧力路線を推し進めた点は評価できる。だがそれは、米国が中国を押さえ込み、アジア太平洋地域の安全保障に積極的に関与することを直ちに保証するものにはみえない。

 米政権の行方は同盟国日本の針路を左右する。安倍晋三首相が、緊密な関係をもつトランプ氏に対し、替え難い価値観や秩序の重要性を説き、共有を促し続けていくことは極めて重要だ。

 昨年1月20日に就任したトランプ氏が真っ先に表明したのは、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)からの離脱だった。

 TPPには、自由主義経済の大国である日米が連携し、中国の覇権主義を押さえ込む戦略性があった。アジア回帰を唱えたオバマ前政権は、実際には中国による南シナ海の人工島建設を看過した。ただ、TPP構想は辛うじて中国を牽制(けんせい)するものだった。

 米国の撤退は、中国の「国家資本主義」という独善性を解き放ってしまった。現代版シルクロード経済圏構想「一帯一路」を起爆剤に、中国に都合の良い規制やシステムを各国に押しつける動きに拍車がかかっている。

アジア諸国には、インフラ投資や経済援助をエサに、中国に切り崩される例が出ている。

 中国は昨年1年間で、南シナ海で29万平方メートルの軍事関連施設を整備した。東シナ海では尖閣諸島への領土的野心を募らせている。

 安倍首相が提唱し、トランプ氏が受け入れた「インド太平洋戦略」は、軍事、経済の両面で中国に対抗する狙いがあるが、まだ緒についたばかりだ。

 トランプ政権は昨年12月、国家安全保障戦略報告で「力による平和の維持」を打ち出した。中国をロシアとともに、既存秩序の変更をたくらむ「現状変更国家」と位置づけたのは妥当だ。

 北朝鮮問題では、米国は軍事的手段の選択肢を残し、圧力を強める姿勢を貫いた。国連安全保障理事会では制裁決議採択を主導した。いずれも日本が支持してきた点である。政権内の人事が停滞する中でも、マティス国防長官やマクマスター大統領補佐官ら有能な外交安保チームが仕事をした。

 《自由貿易の価値重視を》

 それでも、北朝鮮包囲網の強化にあたり、中国への依存を強めざるを得なかった。中国が原油の全面禁輸を拒む限り、早急な核放棄の実現は至難である。対北政策の舵(かじ)取りは極めて難しい。

 金正恩政権は平昌五輪を「人質」に、韓国の文在寅政権の懐柔を図っている。それを許容した点で米国に油断はないか。南北融和ムードが醸し出され、米本土を狙う大陸間弾道ミサイル(ICBM)を完成させる時間を北朝鮮に与えかねない。トランプ氏が批判した「過去25年間の失敗」を繰り返してはならない。

 価値や秩序の重要性に目を向けず、北朝鮮やその庇護(ひご)者である中国と妥協する懸念も残る。日本はトランプ氏に真のアジア回帰を促すべきだが、それには日本自身の役割拡大を示す必要がある。

 昨年末に成立した大規模減税と好調な景気は政権に追い風となっている。ロシアによる大統領選介入疑惑は、政権中枢まで捜査の手が及ぶ気配だ。危うさが拭えない政権運営を立て直せるか。

 11月の米中間選挙で、共和党が上下両院の過半数を失えば、トランプ氏弾劾の動きが勢いづく。

 そうした事態を避けるため、白人労働者の支持層をつなぎ留めようと「内向き」政策に拍車がかかる懸念は残る。貿易赤字の是正に躍起となって、相手国を恫喝(どうかつ)する通商交渉を激化させれば、米国は孤立し、威信そのものが損なわれよう。

【私の論評】経済が上々のトランプ政権は「孤立主義」になる心配は全くない(゚д゚)!

トランプ政権もはやいもので、もう1年が過ぎました。その間、米国経済はどうなったのか、以下に掲載します。

株価は、下記の通り右肩上がりで上がりました。


以下に、主な経済指標のトランプ氏就任前と、直近の経済指標をあげておきます。


この中で、貿易赤字のみは少し大きくなっています。トランプ氏は貿易赤字を縮小することを公約に掲げたため、これを批判するむきもありますが、これは貿易赤字に対するトランプ氏の認識のほうが間違っているともいえます。

先日もこのブログで掲載したばかりですが、ユーロ圏では日本のように安易に国債発行やはできません。統一通貨の問題点です。特に為替レートにも関係ないので各国間の格差は拡大します。だからユーロ圏では特に「輸出額=輸入額」ということが必要になります。

米国、日本、中国のような国では、自国で自国通貨を擦り増しできるので、そのようなことはありません。本来、貿易黒字がどうの赤字がどうのと騒ぐ必要性など全くないです。

実際、経済が成長していると、輸入が増えて、貿易赤字は増える傾向にあります。この場合、貿易赤字が単純に悪いとはいえません。貿易赤字に関しては、あくまで中身を検討した上で良い悪いを判断すべきなのです。

トランプ政権の過去の1年では、経済成長をしつつ貿易赤字が減らなかったということですから、これはほとんど問題などありません。

むしろ、先程も言ったように、トランプ氏は大統領選挙中に語っていたような、あかも貿易赤字そのものが悪であるような考え方は改めるべきです。

その他、CPI(物価指数)、Civilian Unemployment Rate(失業率)、10-Yr.Treasury Rate(10年国債金利)、IP(鉱工業指数)、Payroll Employment(雇用者増加数)などの指標を以下に掲載します。


米国内でも日本でも、トランプ大統領を批判する人が多いですが、経済パフォーマンスに関しては上記の指標を見る限り文句のつけようがない程良いです。過去の米政権をみると、経済がよければ、他で批判されても結構長持ちすることが多いです。

アメリカのNAIRU(構造的失業率)は4%程度であり、インフレ目標2%はほぼクリアしています。その結果として経済成長率は3%超えています。これは、かなり良いです。これだと今後も、大減税しつつ金融引締めでこの良さを維持できる確率がかなりあります。

そうなれば、11月の米中間選挙で、共和党が上下両院の過半数を失うということもないでしょう。となると、元々ほとんど不可能(米国大統領で弾劾された人はいない)だったトランプ氏弾劾の動きはさらに下火になることでしょう。トランプ大統領弾劾の動きは、トランプ氏を貶めるための印象操作であると考えられます。

このような事態を避けるため、トランプ氏が、白人労働者の支持層をつなぎ留めようと「内向き」政策に拍車がかかる懸念も払拭されると思います。

さらに、国内経済が良いことから、トランプ氏が貿易赤字の是正に躍起となって、相手国を恫喝(どうかつ)する通商交渉を激化させることもないでしょうし、そのため米国は孤立し、威信そのものが損なわれることもないでしょう。

この状況は、たとえると安倍政権が成立してから、増税をする前までの1年間のように良い状況です。今後安倍政権が犯した唯一の誤りである、消費増税のような、マクロ経済的に明らかな間違いを犯さない限り、トランプ政権は安定するでしょう。

ブログ冒頭の記事のように、トランプ政権の政策的態度を「孤立主義」という言葉で描写しようとするコメンテーターが多いように感じます。

トランプはグローバル化に取り残された白人層を支持基盤としたグローバル化に抵抗している大統領だ、というイメージが、「孤立主義」とか「保護貿易」といった言葉のイメージに合致するのでしょう。

しかしこれらの言葉を使ってトランプ政権の政策的方向性を描写するのは、あまり妥当なこととは思えません。むしろこれらの概念は、かえってわれわれのトランプ政権の理解を阻害するように思われる。

「孤立主義」という日本の学校教科書などで19世紀アメリカ外交の描写として使われている概念は、20世紀になってから用いられるようになった概念であり、しかも極めて「ヨーロッパ中心主義的」な概念です。

第一次世界大戦の後、議会の反対で国際連盟に加入しなかったアメリカの外交政策を「孤立主義」と形容したのは、失望したヨーロッパ人たちでした。アメリカ人が「孤立」した状態を望んだということではありません。

そもそも19世紀の「モンロー・ドクトリン」の場合ですら、「孤立」はアメリカ人自身が目指した理念ではありません。19世紀前半にアメリカ合衆国は、ヨーロッパ列強が繰り広げていた「勢力均衡」の権力政治には加担しないことを宣言しました。

その「錯綜関係回避」の原則は、「新世界」に作り上げた「共和主義」の独立国を維持するためには、汚れた「旧世界」の権力闘争から隔絶させておくことが必要だという洞察にもとづいた政策でした。

しかしそれはアメリカ合衆国を国際社会から本当に「孤立」させることを目指した政策などではありませんでした。そもそも当時のアメリカ合衆国はすでに、いわゆる「明白な運命」論にしたがって、領土を拡大させ続けた「拡張主義」国家でした。

トランプ大統領が「孤立主義」的に見えるのは、「アメリカ第一」を唱え、TPP脱退などの政策によって国際協調を軽視しているというイメージがあるからでしょう。しかし、TPPから離脱しただけで「保護主義」者や「孤立主義」者になるかは、はなはだ疑問です。

そもそもTPPは太平洋地域の一部の諸国が加入するだけの地域的自由貿易協定にすぎず、全く「グローバル」なものではありません。中国包囲網としての性格も自明であったので、アメリカを中心とする太平洋地域自由主義諸国による関税同盟としての政治的性格が強かったと言えます。ただし、トランプ氏はこの「中国包囲網」としてTPPを理解して欲しいものとは思います。

トランプ政権は、TPP脱退やNAFTA再交渉の代替策として、カナダ、イギリス、日本などとの二国間貿易協定を結ぶことへの関心を表明しています。為替の自由化を求めてWTOを活用する方法も模索しているトランプ政権が、根本的に反自由貿易主義的だと言えるかは疑問です。

安全保障面では、トランプ政権は、NATO構成諸国にいっそうの防衛費拡大の努力を促しています。日本を含む他の同盟諸国にも同じような態度をとっています。

しかし、それは「テロとの戦争」などをふまえて同盟ネットワークのさらなる活性化を狙っているからであり、決して「孤立」したいからではないことは言うまでもないでしょう。

トランプ政権は「孤立主義」でもなかったし、これからも「孤立主義」に至ることはないでしょう。特に今年1年は現時点で経済が良いこと、さらに特に悪くなる要素もないことから、全くその心配をする必要はありません。

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2017年10月14日土曜日

【日本の選択】今の日本に必要な「ガラパゴス左翼」との決別 本来の「リベラル」とかけ離れた思想は国民にとって不幸―【私の論評】意味が理解出来ない言葉を平気つかう人はまともな社会人にさえなれない(゚д゚)!

【日本の選択】今の日本に必要な「ガラパゴス左翼」との決別 本来の「リベラル」とかけ離れた思想は国民にとって不幸

ガラパゴス諸島に生育するイグアナ
政治思想の観点から今回の衆院選を分析すると、実に興味深い点がある。自民党、希望の党、立憲民主党のそれぞれが「保守」を掲げている点である。

 自民党が、保守政党であることは周知の通りだ。希望の党は、自らの政党の理念を「社会の分断を包摂する、寛容な改革保守政党を目指す」としている。安全保障政策において非現実的な主張を繰り返した民進党左派を「排除」し、保守政党の覚悟を示してもいる。

 問題は、立憲民主党である。

 驚く方も多かろうが、立憲民主党の枝野幸男代表は自らを「保守」と位置付けている。枝野氏は自分自身が「保守」「リベラル保守」であるとの主張をかねてより繰り返しているのだ。

 私自身も、リベラルな保守主義者を自任しているので、「リベラル」と「保守」が必ずしも対立する概念ではない-という枝野氏の論理を歓迎している。「多数者の専制」に陥りがちな民主主義社会の中で、少数者、弱者の声に耳を傾けるというリベラルな姿勢、社会の中の多様性を擁護するリベラルな姿勢は、政治家にとって重要だ。

 こうしたリベラルな姿勢と、わが国の伝統や文化に対して敬意を抱くという保守的な姿勢とは、必然的に対立するものではない。枝野氏が抽象的に「リベラルな保守」について語るとき、私はそれほど違和感を覚えない。

 だが、日本では「リベラル」とは、特別な意味で語られることが多い。これが厄介だ。「憲法9条を守っていれば平和が維持できる」「集団的自衛権の行使容認で徴兵制がやってくる」といった、非現実主義的な「平和主義」を信奉する人々を「リベラル」と呼ぶことが多い。

 こういう人々は本来「保守」でも「リベラル」でもない。愚かなだけである。日本列島に生き残る「ガラパゴス左翼」と呼ぶべき勢力なのだ。彼らの特徴は極端に非現実的な主張であり、盲目的に憲法9条に拝跪(はいき=ひざまずいておがむこと)する様は、一種の宗教儀式を連想させるものだ。

 残念ながら、集団的自衛権の行使容認に関する枝野氏の主張は、本来の「リベラル」とはまったく無関係な「ガラパゴス左翼」の論理そのものだった。

 政党が「保守」「保守」と唱えるのは結構だが、今の日本に本当に必要なのは、「ガラパゴス左翼」と決別した真っ当な意味でのリベラルだ。安全保障政策において現実主義の立場に立ち、共産党とは一線を画したうえで、国内政策においては弱者の立場に立つ。

 「リベラル」との言葉が、ほとんど「愚かしさ」と同義語になってしまっているのは、日本国民にとって極めて不幸なことだと思わざるを得ない。

 ■岩田温(いわた・あつし) 1983年、静岡県生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、同大学院修士課程修了。拓殖大学客員研究員などを経て、現在、大和大学政治経済学部政治行政学科専任講師。専攻は政治哲学。著書に『逆説の政治哲学』(ベスト新書)、『平和の敵 偽りの立憲主義』(並木書房)、『人種差別から読み解く大東亜戦争』(彩図社)など。

【私の論評】意味が理解出来ない言葉を平気つかう人はまともな社会人にさえなれない(゚д゚)!

リベラル(liberal)という言葉を大辞林で調べると以下のように記されています。
1 政治的に穏健な革新をめざす立場をとるさま。本来は個人の自由を重んじる思想全般の意だが、主に1980年代の米国レーガン政権以降は、保守主義の立場から、逆に個人の財産権などを軽視して福祉を過度に重視する考えとして、革新派を批判的にいう場合が多い。自由主義的。「リベラルな思想」 
2 因習などにとらわれないさま。「リベラルな校風」
1.の意味に関しては、このブログでも以前掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
小池都知事の「排除」も「寛容」も、まったく心に響かない単純な理由―【私の論評】小池氏は、政策論争の前に簡明な言葉遣いをすべき(゚д゚)!
フーヴァー大統領(左)とルーズベルト大統領
詳細はこの記事をご覧いただくものとして、この記事の論評元の記事で、山口真由氏は、リベラルと、保守について以下のように述べています。
リベラルは「人間の理性」を絶対的に信じる。経済不況や格差は政府の積極的な介入によって解決し、野蛮な帝国は軍事介入によって折伏する。そうやって理性的な人間がコントロールできる領域を広げれば、多様な人間が共存できる理想的な社会ができ上がる。こうした一種の理想主義は、自然を耕し、従えるという発想につながる。 
対する保守は、人間に対する深い懐疑がその源にある。荒野の開拓者を原風景とする彼らにとって、大いなる自然の前に人間はあまりにちっぽけだった。だから、彼らは自然を支配するなどというおこがましい発想を捨て、政府の介入は最小限にし、市場は自由競争に委ねようと考える。 
そんなわけで、アメリカのリベラルは、憲法改正反対や原発再稼働反対を主張する日本のリベラルとは、真逆の立場をとる。
日本のリベラルは、米国のリベラルとも全く異なるどころか、真逆の立場であることになります。

この1の意味でいうと、リベラルと保守とは相対するものであり、リベラルな保守など存在し得ないことになります。

しかし、 "2 因習などにとらわれないさま。"という、より根源的な意味のリベラルであれば、確かにリベラルな保守とは、「因習にとらわれないリベラル」ということになり、これは十分に存在し得る概念です。

さて、この意味でのリベラルで身近なものでは、リベラル・アーツという言葉があります。



リベラルアーツという言葉は元々ギリシャ・ローマ時代の「自由7科」(文法、修辞、弁証、算術、幾何、天文、音楽)に起源を持っています。その時代に自由人として生きるための学問がリベラルアーツの起源でした。「リベラル・アーツ」、つまり人間を自由にする技ということです。

リベラルアーツとは「因習にとらわれないための学問」ということのようです。

「リベラルアーツ」という言葉が大学教育の中でよく聞かれるようになってきました。日本語に直すと「教養課程」等がいちばん近いのですが、内容はちょっと違います。教養という言葉には悪い意味はありませんが、これまで大学における「教養課程」という言葉には「専門教育」の前に学習する一段低い教育といった意味がつきまとっていました。ですからリベラルアーツ教育と言うときには、昔の「教養教育」とは違うんだぞという意味合いが含まれています。

最近まで多くの大学は「役に立つ人材」を育てようということで、なるべく早く専門教育を行い、その専門のスペシャリストを育てようという傾向がありました。しかしそうなると自分の専門のことは詳しいけれど、それ以外のことはあまり知らないという人たちが生みだされてしまいます。これでは、教養ある人間とはいえないです。

やはり、本来のリベラルアーツとは「因習にとらわれないようにするための教養」というあたりが本来の意味であると考えられます。

リベラルを自称する人たちは、言葉の本来の意味からすれば、「因習にとらわれて」はいけないのです。過去にとらわれ極端に非現実的な主張をしてみたり、ましてや盲目的に憲法9条に拝跪するようでは、とてもリベラルとはいえないのです。

さて、経営学の大家である、ドラッカー氏はマネジメントとリベラルアーツに関して次のように述べています。
マネジメントとは、仕事である。その成否は、結果で判定される。すなわち、それは技能である。しかし同時に、マネジメントとは、人に関わるものであり、価値観と成長に関わるものである。したがってそれは、まさに伝統的な意味における教養(英語ではリベラルアーツ)である。(『チェンジ・リーダーの条件』)
そうして、ドラッカー氏はリベラルアーツであるマネジメントについて次のように語っています。
マネジメントとは何か。諸々の手法と手品の詰め合わせか。それとも、ビジネススクールで教えるように、分析道具のセットか。もちろん、道具としてのマネジメントも重要である。体温計や解剖学が、医者にとって大切であるのと同じである。だが、マネジメントの歴史、すなわちその成功と失敗の数々は、マネジメントとは、何にもまして、ものの考え方であることを教えている。(『チェンジ・リーダーの条件』)

それでは、マネジメントとは、いかなるものの考え方なのでしょうか。以下にそれについてドラッカー氏が語っていることを簡単にまとめます。
第1に、マネジメントとは、人の強みを発揮させ、弱みを無意味にすることである。つまりそれは、人にかかわることである。 
第2に、マネジメントとは、それぞれの国や土地の伝統、歴史、文化を仕事に組み込むことである。つまりそれは、人の関係にかかわることである。 
第3に、マネジメントとは、組織の目的、価値観、目標を明確にしてから、周知徹底し、常時確認することである。つまりそれは、組織の目的にかかわることである。 
第4に、マネジメントとは、組織の人間を成長させることである。つまりそれは、組織の人間の訓練と啓発にかかわることである。 
第5に、マネジメントとは、意思の疎通と個人の責任を確立することである。 
第6に、マネジメントとは、マーケティング、イノベーション、生産性、人材育成、人、もの、カネ、社会的責任など、成果の尺度を明らかにして、測定し、向上させることである。 
第7に、マネジメントとは、組織の外に成果をもたらすことである。優れた財・サービスの提供によって、世の中に貢献することである。
ドラッカーは、マネジメントを志す者は、心理学、哲学、倫理学、経済学、歴史などを身につけよといっています。要するに、リベラルアートを学べと言うのです。それらの知識によって、成果を出せといいます。病人の治療、学生の教育、橋の建設、ソフトの設計に使えといっているのです。

リベラルアートを身につけた上で、医学・教育・工学・ITの分野にもそれを適用せよといっているのです。

平たくいうと、マネジメントを実行するには、真の意味での教養がなければならないということです。

そうして、この考えの前提には、やはり「因習からとらわれることがないこと」すなわち「自由」があるのです。

一方、保守主義についても誤解があります。本来の保守主義は政治的にどのような立場をとっているなどということは全く関係ありません。これもドラッカー氏の言葉を引用して説明させていただきます。
保守主義とは、明日のために、すでに存在するものを基盤とし、すでに知られている方法を使い、自由で機能する社会をもつための必要条件に反しないかたちで具体的な問題を解決していくという原理である。これ以外の原理では、すべて目を覆う結果をもたらすこと必定である。(ドラッカー名著集(10)『産業人の未来』)
つまり、改革をするときにそれまでに見たことも聴いたこともないような新しいやり方はせず、すでに存在するものを基盤とし、すでに知られている方法を使い、自由で機能する社会をもつための必要条件に反しないかたちで具体的な問題を解決していくという立場をいうのです。改憲論者だから保守というわけではないのです。

これでは、何も新しいことができないではないかと言う人もいるかもしれませんが、これは無論政治的改革をするときの話であって、政治以外にもマネジメントをはじめ、心理学、哲学、倫理学、経済学、歴史など世の中には様々な分野があり、その分野で新しく確立された手法を政治的改革に用いることを前提としています。

しかし、政治的改革の中で、見たことも聴いたこともないような、新手法をいきなり取り入れると、ドラッカー氏の言うように目を覆うような結果をもたらすことになります。共産主義などその最たる例です。

『共産主義黒書』に掲載されている、共産主義による死者数
過去の金融政策・財政政策もその典型例かもしれません。デフレの最中に、過去に見たことも聴いたこともない、金融引締め、緊縮財政をしたため、日本経済は目を覆うような結果を招いてしまいました。

一方、安倍政権はデフレの時には金融緩和をすべきという、すでに存在するものを基盤とし、すでに知られている方法を使い雇用状況を劇的に変化させることに成功しました。

保守派を自称する人たちも、保守の意味を取り違えている人も多いのではないでしょうか。

言葉の本来の意味を取り違えていては、まともな政策論争もできないのではないかと思います。

政治家がよく「政治家の言葉は重い」といいますが、これは言葉と政治とは切っても切り離せないからです。

政治とは合意を得るための過程であり、国家を存続させるための行動であり、国民(特に弱者)を救うための行為です。本来はそこで用いられる言葉は、極めて厳密なものであり、多くの経験値と実践知の集合体でもあるはずです。

学問の世界で言葉の定義が非常に大事にされるのは、そこに嘘や”誤解”がはいるとそれは学問ではなく単なる虚構になってしまうからです。政治における言葉も本来は学問のように厳密でなければならないのです。

従って政治家は言葉を重んじなければならないはずなのです。もっともメディアや言論界なども、言葉を重んじなければならないはずなのですが、特に政治家はそうでなければならないのです。

保守派も、リベラルもまずは言葉の本来の意味を知ってから政策論争をすべきです。特に基本的な保守とか、リベラルなどの基本的な言葉の本当の意味がわからないでつかうような人は、本来政治家になるべきではないです。

本来、意味を理解出来ない言葉を平気つかう人はまともな社会人にさえなれないはずです。

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