上は活気あふれるベトナムの市場の映像です。数十年前の日本のようです。日本も敗戦の焼け跡から現在の日本にまで経済が拡大しました。日本と比較すると圧倒的に若者が多いです。日本でも巣鴨の商店街などにいくと、活気がありますが、その活気の担い手は元気な高齢者です。日本では終戦後10年以内に創業した企業が日経平均の主要銘柄になっています。ベトナムでも現在創業している企業や、これから数年以内に創業する企業がベトナム株式市場の主要銘柄になっていくことが期待できます。こうした意味では、ベトナム株はベトナムの将来を担う企業に対して投資をしてベトナムの将来を開拓していくという意味で、期待感もあり、夢の多い投資であるといえます。 ワールドワイド・パートナーズのサイトは
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ベトナム株 式市場はまだ出来てほんの数年です。
ベトナム の証券会社も外国人の対応にまだ慣れておらず手探りの状態で取引が続いています。
ベトナム は社会主義国でありながらドイモイ政策※注1)のもとで積極的に市場原理を取り込んでいます。
ベトナム株 の将来の大きなリターンを夢見て株式投資をしましょう。あなたの投資がベトナムを画期的にそして、構造的に変革するかもしれません。ベトナムはまだまだ、発展途上国ではありますが、これから飛躍的な成長を期待できます。さらに、中国株などと比較すると比較的安定していくことが予測できます。
ベトナムと中国とを比較すると、無論ベトナムの経済はまだまだ小さく、領土も小さく今の現状だけを見ていると中国株が良いように感じられますが、私は以下の理由でこれからはまず
ベトナム株 の方が買いだと考えています。
1.ベトナムは国が小さいので分裂のおそれなどカントリーリスクが少ない。
中国は一つの省が国であり、中国全体はいくつかの国の集合体と見たほうが良いです。こうした構造のためか、5年をスパンにあるときは地方政府(省)の力が伸びて、様々な規制緩和が実現したりするのですが、やはり5年おきに中央政府の力が強くなるため、こうなると規制が強化されたり、安定性が欠けます。ベトナムは小さな国なのでこのような心配はありません。
2.ベトナムは国家統合の象徴がはっきりしている
ベトナムで最大の国家的英雄といえば、ホー・チ・ミンです。ベトナム戦争の時の国家主席で、あの戦争を勝ち抜いた英雄として国民の中に強く根付いています。それと比較すると、中国でははっきりとした国家的英雄は存在しません。たとえば、毛沢東についても、歴史に埋もれさせてしまいましたが、独立の頃やその後にも、そうして比較的記憶に新しい文化大革命の時期などにも、毛沢東の名のもとに大量虐殺を行っています。国家主席であり中国独立の父なのですが、あまりの大量虐殺なので、そのときに罪もなく処刑された人々の家族、親戚縁者の中にその生々しい記憶が残っており、完全な統合の象徴としにくいという背景があります。
かつて鄧小平氏が鄭和※注)を統合の国家統合の象徴としようとしたのですが、漢民族ではなく、イスラム教徒であることから、これもなかなか中国の統合の象徴にはしにくいということがあり、中国には残念ながら、各省には英雄はいても全土を統合する象徴はいません。そのため、中国中央政府としては、日本という憎しみの対象をつくることにより、中国人民を一つのまとめ、内部の深刻な問題から目をそらさせるということが必要になってきます。そのため、ことさら反日教育などを強化しているのが実情と考えられます。ベトナムでは国家の英雄がはっきりしていますから、このようなことは必要がありません。
こうしたことより、将来もベトナム株の方が安定性が高いものと考えられます。
3.小さい国のため地方による格差は中国国内ほどではない
日本では、中国の経済発展の率にだけ目を奪われていて、その本質が報道されることはありませんが、中国を一国と見た場合、今後現在の経済発展が20年間引き続き達成された後の中国の国民一人あたりのGDPは日本の1/10に過ぎません。テレビで報道される、驚異的な経済発展や上海や北京などで企業を経営しているお金持ちなどばかり見ている人には、イメージがわかないかもしれません。しかしこれは、はっきりしているのですが、中国では地方と中央との差がかなり大きいということを示しているのです。経済発展をしているのは、主に沿海部の一部に過ぎません。どうしても、報道の目はそうした経済発展している華やかなところばかりに集中しがちです。それに、個人間の格差も広がる一方です。日本でいわれている格差社会など中国の格差から比べれば、まっ平らであるといっても過言ではありません。都市部の農村の格差も広がっています。中国でもこの格差を狭めるべく、西方開発など行いつつありますが、その成果が実を結ぶのは数十年後だと考えられます。ベトナムに関しても、勿論差はありますが、中国の差異と比較すれば微々たるものです。
現状を比較すると、過去の日本のような比較的皆が平等だった時代の高度成長に近い成長をこれから、達成できる国は中国よりベトナムだといわざるを得ません。
4.これからの飛躍的伸びが期待できる
中国に関しては、食の問題その他、モラルの問題など経済発展に伴い様々な問題が噴出していいますが、ベトナムではまだその水準には達していません。おそらく、そのような問題が噴出するようになっても国が小さくまとまりが良いので、中国などの大所帯の国よりは解決しやすいと思います。さらに、中国には元々中華思想というやっかいな思想があり、中国が世界の中心であるという観念があります。しかし、ベトナムではもともとそのような考えはありません。おそらく、いろいろな難題にぶつかっても、比較的柔軟に解決していくことでしょう。
ただし、上記の背景は歴史的なものですから、あまり変わりはないでしょうが、国際情勢やその他の情勢はいつ変わるかは判りません。ベトナム株 の海外投資は無論リスクを伴います。リスクを十分理解した方のみ
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※注1)ドイモイ(ベトナム語 :Đổi mới、「刷新」の意)は、1986年 のベトナム共産党 ・第六回大会で提起されたスローガン であり、主に経済 (価格の自由化、国際分業 型産業構造、生産性の向上)、社会思想面で新方向への転換を目指すものである。 市場メカニズム や対外開放政策が導入され、経済面では大きな成果をあげてきた。ただ、共産党 一党支配体制は堅持されている。 切り離せないのは、「社会主義 指向型発展」の理念である。ドイモイの思想分野の一部で、民富や強国・民主・文明社会を掲げて発展するという理念。これは中国 が目指す「2050年、文明社会主義国 」の系譜を辿っているという見解もある。 どちらにしても、社会主義国 の官から民へ経済思考がシフトしている。 ※注2)鄭 和(てい わ、Zhèng Hé, 1371年 - 1434年 )は、中国 明 代の武将 。永楽帝 に宦官 として仕えるも軍功をあげて重用され、南海への七度の大航海の指揮を委ねられた。 本姓は馬、初名は三保で、宦官の最高位である太監であったことから、中国では三保太監あるいは三宝太監の通称で知られる。 鄭和の船団は東南アジア 、インド からアラビア半島 、アフリカ にまで航海し、最も遠い地点ではアフリカ東海岸のマリンディ (現ケニア のマリンディ)まで到達した。彼の指揮した船団の中で、最大の船は宝船(ほうせん)と呼ばれその全長は120メートルを超えるような大型船だったとされる。
馬三保、すなわちのちの鄭和は、馬哈只の子として雲南 でムスリム (イスラム教徒)として生まれた。姓の馬は預言者ムハンマド の子孫であることを示し、父の名はイスラム教 の聖地マッカ (メッカ)への巡礼者に与えられる尊称ハッジ に由来する。先祖はチンギス・ハーン の中央アジア 遠征のときモンゴル に帰順し、元 の世祖クビライ のとき雲南の開発に尽力した色目人 政治家サイイド・アジャッル (賽典赤)である。彼がイスラム教徒の出身であったことは、のちに永楽帝をして鄭和を航海の長として使おうと考えた理由の一つだと考えられる。朱元璋 が明を建てると、元の影響下にあったこの地は討伐を受け、まだ少年だった鄭和は捕らえられて去勢 され、宦官として当時燕 王であった朱棣(のちの永楽帝)に献上された。 朱元璋の死後、永楽帝が帝位を奪取する靖難の変 において馬三保は功績を挙げ、永楽帝より鄭の姓を下賜され、宦官の最高職である太監とされた。