上は、沢尻エリカ、プッツンの理由はメイクが間に合わなかったからというテレビの動画
映画「クローズド・ノート」の初日舞台あいさつでの不機嫌な態度が波紋を呼んでいる女優、歌手として活躍中の沢尻エリカさんが、10月4日放送のテレビ朝日「スーパーモーニング」のインタビューで泣き崩れながら反省し、謝罪しました。沢尻エリカさんはスーパーモーニングで謝罪する前に、10月2日に公式ホームページで「諸悪の根源は全て私にあるもので、それを踏まえた上で、責任を取る考えです」と謝罪していました。
さて、この大騒ぎ日本国内では、沢尻エリカさん自身の非常識ばかりが強調されていますが、日本の非常識も認識する必要があるのではないかと思います。
まず、いわゆる芸能人の社会的位置づけですが、これはヨーロッパでは、現在でも相当低いです。良い悪いは別にして、フランスやイギリスなどの階級社会の国で、一国の宰相(総理大臣など)の息子が芸能人になるようなことはまずあり得ません。もしそんなことがあれば、親の方は子供を実質上絶縁するでしょう。
アメリカでは、あまり芸能人の社会的地位は低くはないように見えますが、やはりいわゆる芸能人の経歴を持っている人はエスタブリッシュメント(支配階層)の仲間入りはできないでしょう。レーガンや、シュワルツェネッガーでも、俳優は実質上辞めて、実業家としての力量を発揮したため、政界入りできたのであり、俳優のままでは政治家になることはできなかったでしょう。
これは、私がそれに賛成するとか、反対という価値観の問題はありません。事実がそうだから、そう述べているだけです。いや、日本だって一昔前(約60年以上前)までは、芸能人は賎しい仕事であるとされた時代がありました。良家の子女が、芸能人になるということは、良家からはじき出ることを意味していました。
前にこのような話をある方に話をしていたら、「じゃ。ビートルズはどうなるんですか」という話をされていました。確かにビートルズは金持ちになり、サーの称号は得ていますが、では彼らの身分がイギリス国内で本当に高いのか低いのは別問題です。たとえば、彼らがロンドンのシティー(金融街)に入って働いたり、会社を起こせるかというと、おそらく永遠に無理でしょうという話をしたことがあります。 イギリスで、労働者の子供が偉くなるには、今でも僧侶になるか大学の教授になるくらいのもので、その他の道はほとんどないと言っても過言ではありせん。そんな社会において、芸能人の社会的地位が低いのは当然のことです。無論、社会的地位とは、お金持ちか、貧乏かとか、有名であるかないか、とか上品か下品かということではありません。社会階層の上下を示します。
日本以外の国では、多かれ少なかれ、階層社会ですから、日本の常識は通用しません。芸能人の社会的地位は低いというのが、一般通念です。日本でも、一昔前は芸能人を称して「カワラコジキと同等」と見下げられた時期もありました。
インドにおいては、今でも職業の貴賎ははっきりしており、インドで商売をしようとしたら、日本感覚で相手にしゃべると、商売はうまくいかないようです。日本であれば、自分が頑張れば、自分の先祖が何の仕事をやっていてもほとんど関係ありませんが、インドでは、場合によっては、自分の父方が労働者出身などという言い方をすると、それだけで商売がうまくいかない場合があるそうです。できれは、身分が高いように言った方が、良いそうです。
インドで商売をし始めたある人は自分の父親が普通の大工の親方であったのですが、神社仏閣の修理も行っていたので、「自分の父親は日本の神聖な神社仏閣を守る神聖な宮大工の長だ」と言ったところ、商売相手の理解やコミュニケーションが深まり成功したそうです。誤解を避けるために繰り返し言っておきますが、私は、インドのカースト制(身分制度)が、正しいとか間違いであるかの価値判断を言うつもりはありません。実体としてそうなっているのを述べているだけです。
こういう、職業の貴賎の観念については、もう日本の国にはなくなっています。現代アメリカでもあまりないように見えますが、最近のアンケートで尊敬する職業とは、1位は、消防士で、2位は学校の先生でした。正確に思い出すことはできませんが、芸能人と答えた人はいなかったのではないかと思います。あったとしても印象に残らない程下位だったのだと思います。アメリカでは、一番最低の仕事は何かと問われて「ハンバーガー屋でハンバーガーを焼く仕事」とはっきり答える人も少なくありません。
今の日本、日本以外の国のように、職業の貴賎感がないこと、さらには、平等主義が行き届いていることは結構なのですが、やはり芸能人というものは、普通の人の生き方とは違い、芸能人の間での常識は、それ以外の生き方をしてる人の常識とは異なること、さらには、いわゆる芸能人とは、芸能人以外の人を楽しませるために存在しているのであり、それが芸能人の存在価値であるということを忘れてはならないと思います。これは、まともな商売人がお客さまを大事にするのと同じことだと思います。
こうした感覚が薄れてきて、非常識な芸能人が一般の人に向かって人生訓を垂れてみたり、オピニオンリーダー的なことを言ってみたり、政治の問題に口を挟んでみたり、あるいは芸能人を一般の人が甘やかすような風潮があったり、芸能人ばかりの問題ではなく、芸能人のような学者、弁護士、医師、政治家などがでてきています。このように、芸能人の世界と一般社会の常識の違いが不鮮明になったため、沢尻エリカさんのような芸能人が出てくるようになったのかもしれません。
芸能界の批判ばかり書いてしまいましたが、良識的な芸能人もいます。特に伝統と格式に培われた歌舞伎の世界の人々を思い出していただきたいと思います。私は歌舞伎界のことをすべて知っているわけではないので、ひょっとして例外はあるかもしれませんが、この世界の人々で、一般の人の向かって人生訓を垂れてみたり、オピニオンリーダー的なことを言ってみたり、政治の問題に口を挟んで見たりするような人、私の知る限り存在しません。いつも節度を保って一般の人と接していると思います。このように一部の例外を除いて日本の芸能界に関する常識は世界に通用しません。日本以外の国では、考えられないことです。