2015年9月25日金曜日

反安保の急先鋒となったあの憲法学者の「いかがわしさ」を明かそう ~わずか2年前は「解釈改憲論者」。だから彼らを信用できない!―【私の論評】虚実皮膜の間も成り立たない180度時代に逆行した転換(゚д゚)!

反安保の急先鋒となったあの憲法学者の「いかがわしさ」を明かそう ~わずか2年前は「解釈改憲論者」。だから彼らを信用できない!

長谷川幸洋氏 写真はブログ管理人挿入 以下同じ

ほんの2年前まで、「解釈変更容認論者」だった!

安全保障関連法案(現在は可決成立)をめぐる議論について、先週のコラム(http://gendai.ismedia.jp/articles/premium01/45392)で「野党や反対派は反省せよ」と書いたら、予想以上の反響をいただいた。多くは私の意見に賛成だった。今回はその続きを書こう。

いただいた反響のツイッターを見ていたら、たまたま日本報道検証機構代表で弁護士でもある楊井人文(やないひとふみ)氏が執筆した記事(http://bylines.news.yahoo.co.jp/yanaihitofumi/20150923-00049770/)を見つけた。記事は慶応義塾大学の小林節・名誉教授の言説に言及している。

小林節・慶応義塾大学名誉教授

小林教授は安保関連法案に反対した代表的な憲法学者として著名である。反対派が法案違憲論で盛り上がったのは、反対派の一人として小林教授が国会で意見陳述したのも大いに寄与している。

ところが、楊井氏の記事を読んでびっくりした。小林教授は、ほんの2年前まで集団的自衛権についてバリバリの解釈変更容認論者だったのだ。これは単に私が知らなかっただけで、ネットの世界ではとっくに知られていた事実でもあった。

まさに安倍政権が想定したケース

まず2006年11月11日の産経新聞「正論」欄で、教授は次のように書いていた。

「法令解釈というものは、解釈権を有する者(この場合は政府)が、その責任において、条文の文言とその立法趣旨の許容限度内で行う『選択』である以上、時代状況の変化の中で、説得力のある理由が明示される限り、変更されてよいものであるし、これまでもそうであった」

「だから世界史の現実と東アジアの情勢の中で、わが国の存続と安全にとって日米同盟の強化が不可欠である、と政府が考えるならば、その責任において、上述の2例のような場合に、仮にわが国に対する直接的な攻撃がなかったとしても、それをわが国が座視すれば日米同盟が損なわれることが明白である以上、仮に形式上は集団的自衛活動になろうとも、わが国の存続に『不可欠』な軍事行動は、それを許容する憲法9条に違反するものではあるまい」(http://sakura4987.exblog.jp/4527878/

ここで「上述の2例」とは「公海上でわが国の自衛艦と並走している米国の艦艇が他国から攻撃された場合に、自衛艦が米艦を支援したら、それは集団的自衛権になってしまう」というケースと、「わが国の上空を飛んで米国に向かう他国のミサイルをわが国が撃ち落としたとしたら、それも集団的自衛になってしまう」というケースだ。

まさに安倍政権が想定したケースである。

小林教授はそういう場合に「政府が法令解釈を変更してもいいし、これまでもそうだった」と主張し、かつ「政府が不可欠と考えれば、集団的自衛権に基づく軍事行動も9条に違反しない」とも言っている。小林教授が国会やマスコミで展開してきた反対論とは、まったく正反対なのだ。

賛成派の立場からみれば、まったくその通り、お説ごもっともとしか言いようがない。

これは9年前のコラムだったが、つい2年前の13年7月26日に公開されたダイヤモンド・オンラインのインタビュー記事(http://diamond.jp/articles/-/39334?page=9)でも、次のように主張している。「集団的自衛権の考え方については、どうですか」との質問に教授はこう答えた。

「先にも述べた通り、政府は自国の自衛権の存在を認めています。そうなると、自衛権を持つ独立主権国家が『個別的自衛権』と『集団的自衛権』の両方を持っていると考えるのは、国際法の常識です」

「政府は憲法の立法趣旨に照らして、集団的自衛権を自らの解釈で自制していますが、このままだと日本は、他国に攻められたときに自分たちだけで自衛しなくてはいけません。

しかし、『襲われたら同盟国が報復にゆく』というメッセージを打ち出せる集団的自衛権は、他国の侵略を牽制する意味においてもメリットがあります。だから、改めて『日本は集団的自衛権を持っている』と解釈を変更するべきでしょう」

ここでは明確に「憲法解釈を変更すべきだ」と主張している。インタビューはやや長文だが、確認したい方はぜひ原文を参照してほしい。

これなら素人のほうが健全!

インタビューには後日談もある。14年5月26日の参院憲法審査会で和田政宗参院議員(当時、みんなの党)が「最近では、先生は安倍政権が目指している憲法の解釈改憲は大変、危険だと述べている」と発言の変化を指摘したうえで、あらためて集団的自衛権についてどう考えているのか、真意を質した。(https://www.youtube.com/watch?v=VqtRN8TEu7M&feature=youtu.be&t=9m30s

すると小林教授は、

「いまのネットの記事、私が言ったとは、インタビューを受けたんですが、とうてい信じられない。確認のうえ削除します。もちろん私も人間ですから、議論の中で過去35年、変わってきたので、縦で見れば、私の発言に矛盾はありうると思います。宗教じゃないですからね。日々、議論の中で私は変わってきていると思います」

と述べて、堂々と否定したのだ。

9年前に本人が執筆した記事と合わせて考えれば、小林教授はもともと「集団的自衛権は許容できるし、政府は解釈を変更すべきだ」と考えていたとみて間違いない。それが、いつからか知らないが(2年程度の間に)、180度正反対の論者になったのだ。

ついでに言えば、教授は国会でインタビュー記事を「確認して削除する」と発言しているが、現在も削除されていない。「正論」コラムも国会の録画も同様だ。それはそうだ。本人が意見を変えるのは自由だが、だからといって新聞や雑誌の記事、国会の証言録を後から削除できるわけがない。

そんなことをすれば、自由で独立したジャーナリズムと国会の自殺行為である。明白な間違いでもあるなら別だが、記事は新聞や雑誌のものだ。もしも間違った考えを言ったなら、責任は教授自身にある。教授はそんな言論や報道の自由について、いったいどう考えているのだろうか。まるでお分かりになっていないのではないか。

私は小林教授とテレビの『朝まで生テレビ!』で何度かご一緒したことがある。あるときは教授が私に「もっと勉強してから出てこい」という趣旨のご発言をされたので、私は「『素人』の代表として、このスタジオに座っている。勉強してから出てこいなどと言われたら発言できない」と反論した。

そんな専門家である小林教授はたった2年で考え方を180度変えて、国会やマスコミで平然と発言できる学者だったのだ。これだから、私は「専門家なる人々」を心の底から信用できない。素人のほうがよほど健全である。

「なかったことにする」つもりですか?

かつて賛成していながら反対に意見を変えたのは、小林教授だけではない。実は民主党の岡田克也代表もそうだ。それは国会論議であきらかになった。

自民党の佐藤正久参院議員は9月14日の参院平和安全法制特別委員会で、岡田代表が「いまの憲法はすべての集団的自衛権を認めていないとは言い切っておらず、集団的自衛権の中身を具体的に考えることで十分、整合性を持って説明できる」と03年5月の読売新聞上で発言していたことを指摘した。

さらに、自民党の平沢勝栄衆院議員は、15年6月22日の衆院平和安全法制特別委員会で、参考人の西修駒沢大学名誉教授に対する質疑を通じて、枝野幹事長が13年10月号の文藝春秋誌上で「個別的自衛権か集団的自衛権かという二元論で語ること自体がおかしな話です。そんな議論を行っているのは日本の政治や学者くらいでしょう」と書いていることをあきらかにした。

枝野幹事長はカタログハウスのサイトで「私はこう考える」と題して、こう説明している(https://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/140104/index1.html)。

「日本近海の公海上で、日本を守るために展開している米海軍が攻撃された時に助けに行けるのかについて、他国の軍隊が公海上で攻撃されたという面で捉えれば、行使が認められていない集団的自衛権のように見えます。

でも、わが国を防衛するために展開している艦船だという点に着目すれば、日米安保条約に基づいて自衛隊と同じ任務を負っているのだから、個別的自衛権として行使することができます」

これはまさに、小林教授が2年前のインタビューで「集団的自衛権になってしまう」としたケースである。枝野幹事長と小林教授はいま反対の立場で共通しているが、実は小林教授が「枝野解釈」を否定していたのだ。

小林教授と岡田代表に共通しているのは、程度の差こそあれ、集団的自衛権について当初は容認していた姿勢を後になって修正し、否定する。ところが「転向」を外に向けて説明しない点である。

意見を変えてはいけないとは言わないが、少なくとも小林教授や岡田代表はなぜ変えたのか、本人が説明すべきではないか。私はこれほど重要な問題で、小林教授のように正反対に意見を変えておきながら「私が言ったとはとうてい信じられない」と国会で居直る姿勢には、それこそ信じられない思いがする。

発言自体を「なかったことにする」姿勢は政治やジャーナリズムの世界だったら、完全にアウトだ。学者の世界ではそれが通用するのだろうか。そんな学者のいかがわしさを明白な証拠をもって世間に示したのは、間違いなく小林教授の功績である。

この記事の詳細は、こちらから(゚д゚)!

【私の論評】虚実皮膜の間も成り立たない180度時代に逆行した転換(゚д゚)!

小林節氏の安全保障に関する考え方が、180度転換したことは、以前にもネットで読んだことがあります。しかし、あまり前後関係や背景などは、十分に記載されていなかったため、本日までは掲載しませんでした。しかし、上記の記事は、明確にそれらが示されているので、掲載させていただくことにしました。

上の長谷川幸洋氏の記事を読んでいて思ったのは、立場を180度転換する事自体は、悪いこととは全く思わないのですが、それには条件があるということです。

本日は、それについて掲載して行きたいと思います。

会社で、経営に関わったことのある方なら、時によって180度立場を変えるということもあり得ることは、よくご存知のことと思います。

朝令暮改などということばがあります。この言葉の意味は、「朝に命令を出して夕方それを変えること。法令が出てもすぐあとから改められて、あてにならないこと」です。



この言葉は、ネガティブなイメージがありますが、私自身は肯定的にも捉えています。会社経営をしていると、長期経営計画や、年度計画、短い場合は、月次計画、週次計画、日時計画などがあります。

しかし、私たちは、社会に生きていて、日々社会現象を相手にしています。社会現象は、非常に複雑なものですから、計画をたてたにしても、計画通りに事が運ばなかったり、最初計画をたてたときとは、状況が異なってしまう場合もおうおうにしてあります。

だから、そんな場合は、そもそも元の計画のミッションの部分に着目して、そのミッションを達成して、成果をあげるためには、元のままの計画ではうまく行かない場合には、計画を変更します。そうして、その計画の変更の理由は、周りの人にも伝えて、理解しもらい、其の上で変更します。

無論、計画の変更に対して、おうおうにして反対する人もいます。そのような場合は、説明はしますが、それでも従業員は納得しない場合もありますが、原則として、経営者として、変えるものは変えます。

社会に生きている私達、社会に存立している企業にとって、何事も絶対などということはあり得ません。この絶対ということはないということで、私が良く思い出すのは、「虚実皮膜の間」という言葉です。



これは、原典は詳しくは知りませんが、もともとは芸は実と虚の境の微妙なところにあることを指し。事実と虚構との微妙な境界に芸術の真実があるとする論です。江戸時代、近松門左衛門が唱えたとされる芸術論だそうです。

そこから発展して、現在では、「虚実」はうそとまこと。虚構と事実。「皮膜」は皮膚と粘膜。転じて、区別できないほどの微妙な違いのたとえとされています。「膜」は「にく」とも読みます。

たとえば、会社の中で職位が何であれ、私たちは、組織の中で一人ひとりが独立していなければなりません。自分の足で立っていなければなりません。自分の考えを持たなければなりません。しかし会社組織には、多数決という考え方がないことも事実です。責任範囲の狭い人と、責任の範囲の広い人の考え方が最終的に異なった場合、どんなに反対者が多くても、責任範囲の広い人である職位の高い人の意見が優先するのは言うまでもありません。

ただし、だからといって組織人として、自分の意見がないということも許されるものではありません。だから、上司を信じることは良いのですが、上司に頼りすぎるのも良くありません。また、部下をみる場合には、性善説でみる場合と、性悪説で見る場合とを臨機応変に変えていかなければなりません。性悪説でのみ部下と接すれば、そこには信頼関係がなくなります。そのような見方だけをする上司には、部下は誰もついていきません。

かといって、性善説だけで見れば、管理上のリスクが常について回ることになります。時と場合によって、臨機応変に変えなければなりません。片方の見方しかできないようであれば、管理者失格です。管理者や経営者の立場においては、いずれの立場からでも見られるようにしておかなければなりません。



だから、組織人は、いつもこれらのバランスを図っていく必要があります。そうして、虚実皮膜の間という言葉どおりに、場合によっては性悪説、性善説の間を揺れ動きつつ、その場、その場で判断をしていく必要があります。どんな場合にも、絶対善、絶対悪もないわけで、このバランスをとるという意味合いもこめて、私は「虚実皮膜の間」という言葉を座右の銘としています。

だから、180度転換というこは、会社の中では当然あり得る話です。会社の中では、多数決原理など成り立ちません。特に危機に瀕したときなどそうです。船が沈みそうなときに、乗客と乗組員が話あいをしていては、犠牲者が増すばかりです。だから、航海法などでは、船が危機に至ったときの船長の権限を明確に定めています。それと同じことです。そうでなけば、会社が成り立ちません。

それにしても、これは、あくまで会社の中の話です。社会人たるもの、立場を180度変えても良いですが、変えた場合には、説明責任は果たすべきです。特に安全保障に関するような重要な事柄については、立場を変えれば、説明責任は十分に果たすべきです。

こうしたことから、小林節氏は、立場を180度変えたというのなら、説明責任を果たすべきでした。民主党もそうです。このブログでは、岡田代表や枝野氏のみとどまらず、民主党自体が集団的自衛権の行使を認めていた時期があることも掲載したことがあります。であれば、民主党も説明責任を十分果たすべきでした。

それにしても、安全保障に関してはまさに、「虚実皮膜の間」という考え方が、良く成り立つと思います。第二次世界大戦直前の、イギリスの首相はチェンバレンは、ミュンヘン会議で、対独宥和政策をとり、ドイツのチェコスロバキアのズデーテン地方の併合を許容しました。

チェンバレン(左)とヒトラー(右)

これで、チェンパレンは戦争を回避できたと考え、会議からイギリスに帰ったところ、空港で大勢の市民から「戦争を回避した偉大な首相」ということで、大歓迎を受けました。

しかし、その後どうなったかといえば、戦争は回避されることなく、ドイツはその後ポーランド、フランス、ソ連などに侵略して、第二次世界大戦を招いてしまいました。

チェンバレンは、ドイツに宥和政策などとるべきではありませんでした。ドイツの、ズデーテン地方の併合に関しては、絶対に認めない、併合を続けるなら、武力の行使も辞さないことをヒトラーに明確に伝えるべきでした。

そうして、他国などとも協力して、ドイツがあくまでも併合を続けるならば、武力も行使して徹底抗戦すべきでした。

このように、「安全保障」は自国だけのことを考えていても成就することはできません。相手の出方によって、柔軟に変えていかなけばなりません。まさに、「虚実皮膜の間」であり、チェンバレンの対応は、ヒトラー登場前には正しかったでしょうが、登場後は完璧に間違えでした。

日本の安全保障の環境も、10年ほど以前とは全く異なります。すでに、オバマはアメリカは「世界の警察官」をやめることを宣言しています。中国は、まだ今の水準では、軍事的にはあまり脅威ではありませんが、それでも、毎年軍備を拡張していますし、核兵器は日本に照準をあてています。

最近では、北朝鮮も核開発に成功し、大陸間弾道弾の開発にも成功したようです。それにし、拉致問題は未だ解決していません。拉致問題は、日本にとって大きな安全保障上の問題です。

安保法制も時代に即して変えていくのが当然のことです。ちなみに、小林節氏の従来の安保観は、まさに現在の日本に即したものだと思います。

以下に、小林節氏の2年前よりも以前の安保観を以下に整理しておきます。
法令解釈というものは、解釈権を有する者(この場合は政府)が、その責任において、条文の文言とその立法趣旨の許容限度内で行う『選択』である以上、時代状況の変化の中で、説得力のある理由が明示される限り、変更されてよいものであるし、これまでもそうであった。
だから世界史の現実と東アジアの情勢の中で、わが国の存続と安全にとって日米同盟の強化が不可欠である、と政府が考えるならば、その責任において、上述の2例のような場合に、仮にわが国に対する直接的な攻撃がなかったとしても、それをわが国が座視すれば日米同盟が損なわれることが明白である以上、仮に形式上は集団的自衛活動になろうとも、わが国の存続に『不可欠』な軍事行動は、それを許容する憲法9条に違反するものではあるまい 
政府が不可欠と考えれば、集団的自衛権に基づく軍事行動も9条に違反しない。
まさしく、小林節氏の以前の安保観は、現在の日本に即したものです。最近の、小林氏は、完璧に時代に逆行しているようにしか思えません。

まさに、「虚実皮膜の間」も成り立たない180度時代に逆行した転換だと思います。

どうして、このようなことになってしまうのでしょうか。民主党の転換は、簡単に理解できます。彼らは、安倍政権に対峙して、少しでも選挙に有利になるため、安倍政権にネガティブイメージをつけることが狙いです。

小林節氏の転換はなかなか理解できませんが、やはり彼が、日本の憲法学の主流派に属しており、過去の小林氏の言舌は、小林氏自身の本心であり、最近の転換は、主流派憲法学界に配慮したものだと思います。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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佐々木惣一の「憲法第九条と自衛権」―【私の論評】安保法制=戦争法案としてデモをする人々は、まるで抗日70周年記念軍事パレードをする人民解放軍の若者と同じか?



安全保障について、良く考えるための書籍を以下に掲載させていただきました。

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2015年9月24日木曜日

【HBR】なぜ動き回っていると働いている気になるのか―【私の論評】獲得すべきは、成果!民主党のように忙しく動きまわることではない(゚д゚)!


中央にいるキーパーがボールを止める確率は最も高く、33.3%なのだが?

フランチェスカ・ジーノ,ブラッドレイ・スターツ

ハーバード・ビジネス・レビューより

多忙による生産性の低下――つまり活動量と成果が比例していない状況に、どう対処すべきか。誰もが持つアクション・バイアス(とにかく行動しようという姿勢)を抑えることが有効だ。

自分は忙しいと感じている人は、手を挙げてほしい。その忙しさによって、むしろ生産性に支障が出ているという人はいるだろうか。ならばこの先を読み進めてほしい。

人はいとも簡単に、「忙しくしていたい」という誘惑に屈してしまう。たとえそれが生産性を下げることになってもである。私たちの脳がそのようにできているのだ。しかし生来のその性質を、成果へと転換できる方策がある。

諸研究を見ると、私たちがしばしば忙しいと感じる(しかし生産的だとは必ずしも感じられない)理由が2つある。どちらも、みずからが招いているものだ。

●人は何もしていない状態を嫌う
あなたの周囲にも、車の運転で数分間の信号待ちを避けるために、もっと時間がかかると知りつつ回り道を選ぶ人がいるはずだ。研究によれば、同じことが仕事にも当てはまるという。つまり、私たちが選んでいる行動の多くは、自分自身を暇にさせないための手段にすぎないのだ(英語論文)。

●人はアクション・バイアス(行動ありきの姿勢)を持つ
私たちは不確実性の高い状況や問題に直面すると、何か行動を起こそうとする。たとえそれが逆効果であり、何もしないことが最善の策であったとしてもである。

プロサッカーのゴールキーパーの場合を考えてみよう。ペナルティーキックでボールを止めるのに最も効果的な戦略は何だろうか。ほとんどの人は、自分なら右か左にジャンプするだろうと考える。だが最善の策は、中央に留まることなのだ。イスラエルの研究者らの調査によれば、右に飛んだキーパーがボールを止める確率は12.6%で、左に飛んだ場合は少しだけましな14.2%だった。一方、中央にいたキーパーがボールを止める確率は最も高く、33.3%であった(英語論文。世界各地のトップリーグに所属するキーパーを対象に286本のPKを分析)。

ところが、キーパーが中央に留まる頻度はわずか6.3%なのだ。どうしてだろうか。それは、反対の方向にダイブ(という行動)をしてボールを止められなかったほうが、動かずにいてボールが通り過ぎるのを横目で見ている屈辱と比べたら、まだ格好がつくし、気持ちも楽だからだ。アクション・バイアスはたいていの場合、「何をすべきかわかっていなくても、何か行動すべきだ」という感覚に基づく感情面の反応である。しかし行動を控え、観察し、状況を見極めるほうが良い選択となることは多い。

アクション・バイアスを持っていると、問題について十分に理解する前に、一足飛びに解決策を求めようとしてしまう。我々が実施したある実験では、被験者は課題を計画している時よりも、課題を実行している時のほうが生産的だと感じていた。特に時間の制約がある場合には、計画は時間の無駄だと考えられがちだった。課題にいきなり取り掛かるよりも、計画を立てるほうが実際には優れた成果に結びつくにもかかわらずである。

本当の成果よりも、「忙しくしていること」を選ぶのはたやすい。だが実際に生産的になることは、はるかに難しい。ではどうすればよいか。「振り返りの時間を持つ」ことが生産性を高めるのに役立つ、という事実を忘れずにいればよい。

我々はインドのバンガロールに拠点を置くビジネス・プロセス・アウトソーシング会社ウィプロで、技術サポートのコールセンターを対象にある実験を行った。そこでわかったのは、考えるという作業がパフォーマンスを向上させるということだ。研修を受けている従業員たちの中で、1つのグループには毎日講習の最後の15分間を使って、その日に学んだ内容を振り返って文章に記すよう求めた。別のグループは対照群として、振り返りの15分を与えず時間いっぱいまで講習を受けてもらった。すると1カ月後の最終テストで、毎日振り返りをしたグループは、対照群(振り返りをしない分、講習を15分長く受けていたグループ)よりも平均で22.8%良い成績を収めた。

振り返りによって、パフォーマンスがこれほど向上するのだ。なぜなら、そうすることで自分の今の状態をしっかり認識でき、進捗具合を把握でき、課題と目標を達成するうえで必要な自信が持てるからである。

このような思考は、計画の立案という形で実践しても有効だ。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスのオリアナ・バンディエラの研究チームはあるフィールド実験で、インドの上場製造企業のCEO354人を対象に、仕事に関わる活動を1週間記録した。そして研究チームはCEOを2種類に分けた。タイプ①は、事前に計画を立て、直属の部下たちと多くの時間を過ごし、自社のさまざまな職能にある多くの人々と会議をするCEO。タイプ②は、事前に計画していない行動を多く取り、自社の従業員よりも社外の人と1対1で会う時間が多いCEOだ。すると分析の結果、より計画的なタイプ①のほうが、全社レベルでのより高い生産性と収益性に寄与していた(英語論文)。

優れたゴールキーパーのように中央に留まる姿勢を会得するためには、一歩下がり、考えることだけに時間を取り、その後に初めて行動を起こすことだ。振り返りの時間を持つことで、自分が何をやろうとしているのか、それが生産性を高めるのかを吟味できる。かつて、筆者の1人にとってのメンターである人物がこう言った――「忙しくすることで、考えることを避けようとしてはならない」と。

【私の論評】獲得すべきは、成果!民主党のように忙しく動きまわることではない(゚д゚)!

ハーバード・ビジネス・レビュー(HBR)はアメリカの有名な経営関係の論文を掲載する雑誌です。数年前までは、私も購読していました。最近は、時々気に入ったものが掲載されていると年に数回購入する程度です。

HDRの最新号の表紙

HBRを購読し続けていて、思ったのは、やはり記事のほとんどが、米国のものがほとんどで、扱われる問題が、日本とはまた異なるということでした。日本ほど長い間、デフレに見舞われた国はないので、日本の課題は過去15年くらいはデフレからの脱却や、デフレ経済下における対処法であったのですが、アメリカでは全く異なるということで、日本では大事ことが忘れ去られていることを実感させられました。

たとえば、人材採用についても、米国では様々なことが論じられていたものの、日本での採用の現場では、デフレでものが売れないため、結局採用するにしても、デフレの最中で無難な人材を採用するということで、いわゆる「コミュニケーション能力」の高い人材がもてはやされるという具合でした。

本当は、日本も高度知識社会に突入しているわけですから、コミュニケーション能力とともに、新しい事柄を短時間に自分で学び、それを仕事に適用していける力こそ、重要なのですが、モノの売れない時代には、このような能力があっても仕方ないので、そんなことよりも、共感力を含むコミュニケーション能力が重視されたのです。

そんなわけで、私は、HDRは少し前までの日本の状況とは異なる米国の状況に即した内容の論文を掲載していると感じたので、読んでもすぐに役に立つということもないと考え、定期購読はやめてしまったのです。

しかし、久しぶりで、上の記事を読んだところ、これは、今日の日本の状況を説明するために非常に役立つと考えたので、掲載させていただくこととしました。

さて、前置きが長くなってしまいましたので、そろそろ本題に入ります。

まずは、この論文は、なぜ民主党が安保法制反対の立場であのように動きまわっていたのかの理由を明らかにすると思います。

民主党が安保法案に反対した理由は、以下の三点につきます。これは、民主党のサイトから引用したものです。


政府の集団的自衛権行使を認める「新3要件」は基準があいまいで、自衛隊の海外での活動の歯止めにはなりません。

「新3要件」は立憲主義に反した便宜的・意図的な解釈変更であり、専守防衛の原則から明らかに逸脱しています。

政府が集団的自衛権を行使して対応すべきとする事例は蓋然性や切迫性が認めらません。邦人輸送中の米艦防護の事例は集団的自衛権の行使とは解されませんし、ホルムズ海峡の海上封鎖については日本が武力行使で解決すべき「日本の存立を脅かす事態」とは考えられません。


民主党のこの反対の理由は、あまりにも単純で、これらが間違いというか、見当違いであることはすぐに論破できます。「新3要件」に関しては、演繹法的、帰納法的な考えの区別がつけば、すぐに解消するものです。

以下に、演繹と帰納についてwikipediaから掲載します。
演繹(えんえき、: deduction)は、一般的・普遍的な前提から、より個別的・特殊的な結論を得る論理的推論の方法です。帰納の導出関係は蓋然的に正しいのみですが、演繹の導出関係は前提を認めるなら絶対的、必然的に正しいのです。したがって実際上は、前提が間違っていたり適切でない前提が用いられれば、誤った結論が導き出されることがあります。近代的には、演繹法とは記号論理学によって記述できる論法の事を指します。

これだけでは、何のことやら良く理解できないですから、以下に具体例をこれもwikipedia
から掲載します。
例えば、物体が落下するとき、重いものほど速く落ちるというのがかつての常識であった。これに対して詳しい実験からガリレオ・ガリレイは物体の落下時間が質量比例するものではないことを示ししました。これは帰納的な判断です。 
また、ここから彼は物体の落下速度は質量にかかわらず一定だろうと判断した。これはアブダクション(仮説形成)である。その後、様々な実験や研究から物体がそれに従うべき法則として万有引力の法則運動の法則が設定されました。

これが認められた後は、物体を落下させる実験を行わなくても、その落下時間は計算できるし、全く異なる条件下、たとえば金星で同じ実験を行った場合の結果についても値を得られます。これが演繹的な判断です。仮に実験結果が異なった値を取れば、実験の失敗を疑うか、そこに差を与える他の要素を探求することになるでしょう。なぜならば、その実験の範囲では、前提とする法則が正しいものと判断できた上での結果だからです。
法律は、帰納的に個別のものを扱うことにでもなれば、ありとあらゆる事例を対象としなければならないことになります。そんなことは、事実上不可能です。演繹的に考えて、定めるのは当然のことです。

ホルムズ海峡のときはどう、イラクの時はどう、朝鮮の場合はどう、中国の場合はどう、人質が絡んだ複数のパターンはの場合はどうなどと一々法律を定めていては際限がありません。法律は元々演繹的なものになるのが当たり前のことです。

民主党の主張のように、あのときはどう、このときはどうなどと言い出したら際限がなくなり、簡単な法律一つ定めるにしても、とんでもない数の条項が必要とされるようになります。これは、不可能です。

さらに、帰納的に様々な例をあげて論じることは、安全保障の面からも、非常に良くないことです。これは、敵国や、スパイなどに対して、日本の自衛隊や警察は、どのような状況になれば、どのような行動をとるのか、わかりやすく教えるようなものです。

こんなことは、どこの国でも実施してはいません。日本も当然、例外になるべきではありません。演繹的な考えで作成する法律には、場合によっては、法の隙間ができることは避けられません。この隙間は、附則をつけることで補ったり、それでも、対処できなければ、改定すれば良いわけです。

さらに、時の政府が法の隙間を利用して、悪事を働くというのなら、そのときこそ国民は、選挙で時の政府を潰せば良いのです。それが、民主的手続きというものです。だから、新三要件に関する民主党の指摘は全く妥当ではありません。

さて、次に集団的自衛権に関する民主党の反対なのですが、これも、民主党が基本的なことをわかっていないことを露呈しています。

そもそも、集団安全保障と、集団的自衛権は異なります。民主党は、これ自体も良く理解していないようです。

集団安全保障とは、潜在的な敵国も含めた国際的な集団を構築し、不当に平和を破壊した国に対しては、その他の国々が集団で制裁するという国際安全保障体制の一種です。

これに対して、集団的自衛権とは、ある国家が武力攻撃を受けた場合に直接に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行う国際法上の権利です。その本質は、直接に攻撃を受けている他国を援助し、これと共同で武力攻撃に対処するというところにあります

国連が本来、想定しているのは集団安全保障のための国連軍であり、その手続きは国連憲章の第7章にくわしく書かれています。集団的自衛権は、その末尾(第51条)に書かれているだけです。これは各国の「権利」を書いただけで、国連の活動についての規定ではありません。

これは、きわめて重要な相違です。集団安全保障は、憲法が想定している「諸国民の公正と信義に信頼して」行なう国連活動なのです。これを禁止すると、湾岸戦争ときのように世界から馬鹿にされることになるというだけではなく、いざというとき国連に助けてもらえないことになります。

しかし正式の国連軍は、朝鮮戦争や湾岸戦争を除いては、一度も結成されたことはありません。なぜなら、安保理事会で拒否権が発動されるからです。この難点を回避するために利用されるのが集団的自衛権です。国家の自衛権は自然権(国家として当然の権利)であり、国連が認める必要はありません。集団的自衛権は安保条約でも、国連憲章で最初から認められている権利であり、本来今さら閣議決定するような問題ではないのです。

ただし、国連の集団安全保障体制が機能しない現状には問題があります。集団的自衛権が違憲とする民主党は、「何でも反対」を叫ぶのではなく、国連部隊がもっと機動的に活動できる国連改革を提案すべきなのです。

一歩引いて、いろいろ情報を集めて、考えると、民主党の主張は全く的を射ていないことが良くわかります。

どうして、このようなことになるかといえば、このブログ冒頭の記事をご覧いただければ、良くご理解いただけると思います。以下の二点につきるのです。

●人は何もしていない状態を嫌う
●人は行動ありきの姿勢を持つ

民主党は、人ではありませんが、民主党という組織は人で構成されていて、その行動は幹部によって定められます。幹部が、何もしない状態を嫌い、行動ありきの姿勢を持っているから、安保法制に関しても、反対の行動ありきということで、動いたので、非生産的な結果を招いてしまったのです。

実際、政党支持率など見れば、良くわかります。

最近の調査では、民主党の支持率は、下がっています。自民党もさがっていますが、もともと30%台の支持率が、数%下がったという状態で、10%台の民主党も数%下がっていますから、この下がり方は、かなりのものです。実際には、自民党の下がり方よりも、さらに下がっています。

さて、ブログ冒頭の記事には、以下のようにこれらに対する対処法が書かれています。
本当の成果よりも、「忙しくしていること」を選ぶのはたやすい。だが実際に生産的になることは、はるかに難しい。ではどうすればよいか。「振り返りの時間を持つ」ことが生産性を高めるのに役立つ、という事実を忘れずにいればよい。
民主党は、本当の成果をあげることは捨て去り、安保法案に対案を出すこともなく、ただただ反対の行動をとり、国会でも皆さんご存知のように、委員長を監禁してみたり、必要もないくらい長い演説をしてみたりして、本当に生産性の低い行動を繰り返していました。

とにかく、民主党は重要なことには何でも反対です。それも、反対するならするで、それなりに、時間をかけて対案を出すということもせず、何をしているのかはわかりませんが、とにかく何か動いているようではありますし、安保法案審議のときには、下の写真のように、ものすごい動き方をしました。しかし、何も成果をあげていません。


これは、民主党の幹部が、「振り返りの時間」を持たずに、 本当の成果よりも、「忙しくしていること」を選ぶという安易な道を選んでいるからです。

そうして、これは民主党だけとは限りません、他の共産党などの安保に反対する野党も同じことです。そうして、「違憲」とか「戦争法案」などという報道を垂れ流したマスコミも同じことです。

安保反対デモなどをした人々や、SIELDsなどの若者も同じことです。無論、彼らのデモなどは、彼らの仕事ではありませんが、彼らも成果をあげることもなく、忙しく動くことで、意味のあること、意義のあることをしていると錯覚しているだけです。

結局彼らは、振り返る時間、考える時間を持たずに、行動を繰り返し、過去の60年安保、70年安保、PKO法案のときと同じく、何の成果もだせないのです。


いや、それだけに及びません。左翼だけではなく、ヘイトスピーチなどを繰り返す、右翼なども同じことです。実際、ヘイトスピーチだけでは、何の成果もあげることはできません。ただし、最近は安保反対で、マスコミが一斉に左翼の運動の報道をしたので目立っただけです。右、左、上下に関係なく、このような落とし穴にはまっている人は大勢います。

私たちは、このような愚かな行動をすべきではありません。一見何も行動していないように見える時間を持つことを恐れず、行動ありきという誘惑を絶ち、行動する前や、行動した後に「振り返る時間」を持ち、非生産的な行動を繰り返すことは慎み、成果をあげるための行動をすべきです。まさしく、忙しくすることで、考えることを避けようとしては、破滅的な結果を招くだけなのです。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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2015年9月23日水曜日

「沖縄で人権侵害ない」「知事は尖閣狙う中国の脅威を無視」 国連人権理で辺野古賛成派が反論―【私の論評】完璧に習近平の走狗に成り果てた愚か者翁長(゚д゚)!


22日、スイス・ジュネーブの国連人権理事会で演説する名護市民の我那覇真子さん

 沖縄県の翁長雄志知事(64)は21日、スイス・ジュネーブの国連人権理事会で演説し、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の名護市辺野古への移設で「人権侵害が行われている」と訴えた。一方、22日には辺野古移設賛成派が「沖縄で人権侵害はない」「知事は尖閣諸島を狙う中国の脅威を無視している」と反論。人権理事会は、沖縄の基地問題で論争が交わされる異例の事態となった。

 翁長氏は21日午後(日本時間同日深夜)、沖縄に米軍基地が集中する現状を紹介し、「人々は自己決定権や人権をないがしろにされている。あらゆる手段で新基地建設を止める覚悟だ」と主張した。

 翁長氏が人権理事会で基地問題を持ち出したのは、この問題を国際世論に訴えかけ、移設をめぐり対立する日本政府を牽制する狙いがあるとみられる。

 これに対し、駐ジュネーブの日本政府代表が21日、発言を求め、「日本の平和と安全を確保することが何より重要だ」と強調。長い時間をかけて辺野古移設を検討し沖縄県と合意した経緯を明らかにし、今後も県民に説明し、法に則して解決していくと語った。

 22日には、別の非政府組織(NGO)が「日本政府は沖縄の先住民の自己決定権を尊重すべきだ」と述べ、翁長氏に同調する動きをみせた。

 一方で移設賛成派にも発言の機会が設けられ、沖縄県名護市の我那覇真子(がなはまさこ)さん(26)が22日、翁長氏の「人権侵害」発言は「真実ではない。プロパガンダ(政治宣伝)を信じないでください」と呼びかけた。

 沖縄生まれの我那覇さんは、沖縄が日本の他の地域と同様に人権が守られていると明言。「沖縄が先住民の土地だと主張することで沖縄を独立に導こうとする人たち、それを支持する中国こそが地域の平和と安定を脅かし、人権への脅威だ」と報告した。

【私の論評】完璧に習近平の走狗に成り果てた愚か者翁長(゚д゚)!

翁長は、ももとそうだったのですが、今回のこの出来事で完璧に習近平の走狗と成り果ててしまっていることが良く理解できます。

それは、習近平が今何をしているかを考えれば、良くわかります。習近平は22日、彭麗媛夫人らと特別機でワシントン州シアトルに到着し、公式訪米を開始しました。米中関係が視界不良に陥るなか、習氏はまず米経済界など民間へのアピールを通じ、米国内の中国経済に対する失速懸念を押さえ込み、安全保障問題の懸案が山積するオバマ米大統領との首脳会談に臨む構えです。

22日、米シアトルで開かれた夕食会で演説する中国の習近平
習の訪米は2013年のカリフォルニア州訪問以来、2年ぶりです。国家副主席時代から米中の「新型大国関係」という持論を掲げ、米側に対等な地位を認めさせたいという考えは、経済が減速期に入った現在も変わっていません。

翁長の動きは、この習の動きとシンクロしています。翁長は、習近平の「米中による新型大国関係」の成立を少しでも有利にすすめるため、習を援護射撃をしているのです。

中国は、経済が停滞しつつある、ありふれた一党独裁国家に過ぎません。一党独裁国家は、シンガポールのような小さな国では一見成功を収めたかのようにみえまずか、これとて未来永劫にわたって繁栄し続けることなど考えられず、過去においてはすべての一党独裁国家が経済的に発展しないか、いっとき繁栄したかにみえても、その後没落するか、消滅しています。中国もその例外ではありません。

習近平はかつて「太平洋は米中の両国が共生するのを受け入れるだけの広さがある」と言いましたが、その見方の中にこそ、中国側の真意が見えています。これは、胡錦濤時代の末期に解放軍将校が、米国防長官に対し、米中はハワイを起点にして、太平洋の東側を米国が、西側を中国が分割して管理してはどうか、と述べたことと軌を一にしています。

中国が「新型の大国関係」という時、何よりも、それは米国が中国の「勢力範囲」を容認することを狙っていると見るべきです。例えば、まず第一に、東シナ海、南シナ海、さらには自らが規定する「第一列島線」内を自らの内海のように扱うことを意図しているに違いありません。さらに重要なことは、中国が自称する「核心的利益」の対象である台湾、チベット、ウイグルについては米国がそれらを中国の内政問題として干渉しないことを意図しているものと思われます。この三者の中では、実質的に中国の統治下にない台湾の扱いは格段に重要です。

外交能力が極端に低い及び腰のオバマ政権が過去の米中首脳会談で、「新型の大国間関係」論を全面的に拒否しなかったことは、米中関係に中国のスローガンを持ち込む余地を与え、大きな失敗でした。ただ、オバマ政権といえども、中国が既存の国際規範に遵うよう、より強く要求するようにはなって来ています。今年の一般教書演説でも、「世界で最も繁栄しているアジアにおいて、中国にルールを決めさせてよいのか」と述べています。中国が力をもって新しい国際規範を構築しようとすればするほど、現状維持勢力として米国は強い態度で臨むべきであり、特に今回の会談では、そうせざるを得なくなるでしょう。

2年前のオバマ・習近平会談
今年の4月に、中国を訪れていた翁長雄志は4月14日、北京の人民大会堂で李克強首相に対して、中国福建省と沖縄県との間の定期航空便開設など経済的な関係強化を図るよう要請しました。

李首相は「両国の地方政府同士の交流を支持する。沖縄を含むすべての地方との交流を開放していきたい」と述べています。

知事は、河野洋平元衆院議長らに同席して李首相と会談。アジアとの交流で栄えた琉球王国の歴史に触れ「アジアの発展が著しい中、沖縄が注目されてきていることを、ぜひご認識いただきたい」と語っていました。

北京の人民大会堂で中国の李克強首相(右)と握手する沖縄県の翁長雄志知事
このようなことから、情況証拠しかありませんが、それにしても、現実には翁長は習近平に対する援護射撃をするに及んで、完璧に習近平の走狗に成り果てたとみなしても良いと思います。

翁長は上記の訪中の際、65名の『日本国際貿易促進協会』の面々に同行する形を取っていましたが、実は習政権が呼び寄せたともっぱらの評判です。中国の狙いは米軍普天間基地の辺野古への移設阻止で、同氏の懐柔を図った可能性が高いです。

翁長知事は『中国観光客のさらなる誘致』を目的に渡航したと伝えられていますが、裏では中国側から沖縄独立への打診があったともいわれているます。これがすぐさま具体化することはあり得ないですが、中国側の長期的な目論みが沖縄の実効支配にあるのは確実なです。

そのため、習政権下では貿易や観光客の増加とともに、現地の不動産や企業を支配下に置く戦略が練られています。沖縄が中国経済圏に入れば、同県に属する尖閣問題も有利に働くと算段しているようです。

ちなみに、翁長氏は那覇市長に就任後、急速に中国に傾倒していったことでも知られる人物です。'05年には中国・福州市から名誉市民称号を授与され、さらに昨年12月の知事選前には那覇市内に龍柱の建設を決定して、これを中国に発注。一部市民団体の猛反発を食らった経歴をもっています。

出来上がった龍柱のイメージ 高さは15m
「龍柱」とは冊封体制の象徴です。冊封体制とは、中国の歴代王朝が、東アジアの諸国・民族との華夷秩序(主従関係)を維持するために用いた対外政策のことです。周辺諸国の君主に爵位などを与えて統治を認め(冊封)、君臣関係を結ぶものです。

翁長知事が、「龍柱」を建てるということは、沖縄が中国の支配下に入ることの象徴の意味もあります。

習政権を後ろ盾とする翁長知事が独立をチラつかせ、基地の移設だけではなく、尖閣問題に異論を唱えだす可能性も高いです。本年4月5日に普天間移設工事の対立を危惧した菅義偉官房長官が初会談に及びましたが、この裏テーマは沖縄県が中国の傘下とならないよう、翁長知事の腹を探るためでもあったと考えられます。

それにしても、翁長は、沖縄で人権侵害しているなどと訴えるなら、その前にまずは、中国における、酷い人権侵害を訴えるべきです。

沖縄に人権侵害などありません。中国こそ、民主化、政治と経済の分離、法治国家化もなされておらず、酷い人権侵害が横行しています。先日も、人権派弁護士が大量に拘束されたばかりです。

以上のようなことを考えると、翁長は完璧に習近平の走狗に成り果てた大馬鹿者であるということができると思います。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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【中国の本性】翁長知事の危険な中国接近 左翼活動家や沖縄メディアが触れない南シナ海問題 ―【私の論評】沖縄左翼のゴネ得を間近で見た私の結論は、結局奴らへの対処は毅然として絶対に妥協はしないこと(゚д゚)!






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2015年9月22日火曜日

大丈夫か? 民主党 このままでは「第二の社会党」になる―【私の論評】安保はもう終了!来年の衆参同時w選挙で、民主党は完璧に凋落しかつての社会党なみになる(゚д゚)!

大丈夫か? 民主党 このままでは「第二の社会党」になる

安保審議「引き延ばし」に失敗、公募は激減!


■採決強行の引き金を引かせたのは民主党だ

戦後の安全保障政策を大転換した安全保障法成立後、民主党幹部に「民主党は勝ったんですか、負けたんですか」と尋ねた。その幹部はしばらく間を置いた後、絞りだすような声で「負けたのだと思います」と語った。

この幹部は非執行部系だが、民主党執行部は対決路線を選択し、最後は徹底的な引き延ばし戦術を展開した。その姿は1992年の国連平和維持活動(PKO)協力法審議当時の社会党のようだった。

社会党は共産党とともに徹底抗戦し、参院で「牛歩戦術」を展開し、衆院では最後、全員の議員辞職願を提出した。衆院議長・桜内義雄が受け取りを拒否したため収まったが、社会党はこれを機に没落した。

与野党攻防の舞台となった参院平和安全法制特別委員会で、与党が17日、安保法案の採決に踏み切った。自民党議員が委員長席に押し寄せ、スクラムを組んで委員長を守り、それを突破して採決を阻止しようとする野党議員の姿が繰り返し放送された。法案に反対するメディアはこの異常さを強く訴えた。

翌18日朝刊ではいずれも1面トップでこの事実を伝えた。だが、伝え方が違った。朝日、毎日、東京の3紙は「強行」という見出しを取り、読売、日経、産経の3紙は単に「可決」と伝えた。安保法案への賛否と同じスタンスと言える。だが、野党のうち3党、つまり元気、次世代、改革が賛成したこと、かつ前日の出来事に目をふさがなければ、「強行」という見出しを取れなかったはずである。

前日の16日夕、民主党など野党は女性議員を先頭に立て、第1理事会室の前を占拠し、特別委員長・鴻池祥肇らの出入りを妨害した。採決が野党にとって「不意打ち」なら、この妨害は与党にとって「不意打ち」だった。民主党などの女性議員は排除しようとすると「触るな!セクハラだ」と叫んだ。

民主党などは女性議員にはちまきを準備した。一部議員から「たすきでいいのでは?」との意見もあったが、はちまきを選択した。戦う姿を見せたかったのだろう。民主党代表・岡田克也が「あらゆる手段で阻止する」と言明した作戦の一貫だった。

このために、自民党は週内の可決・成立が難しくなるのではないかという不安を抱いた。週内が困難になると、シルバーウィークに入り、26日からは首相・安倍晋三が国連総会出席を予定している。その間の24、25両日だけでは、野党が牛歩戦術などを展開したら成立させられなくなる。その焦りが委員会採決につながった。

委員会採決を「強行」と非難されるかたちになれば、自民党への批判は確実に高まる。それが分かっていても、採決に踏み切らざるを得なかった点において、民主党の作戦は成功したと言える。自民党の「横暴さ」を際立たせることができたからである。しかし、それが民主党にとっての勝利なのか?

■公募の応募者がかつての10分の1に!

民主党公募の案内
民主党内ではかねて、対案を提出し、自民、公明両党との修正協議を目指そうという動きがあった。政調会長・細野剛志、元代表で外相を経験した前原誠司、元外相・松本剛明、防衛副大臣などを経験し安保政策に精通した長島昭久らである。彼らの意見が生かされることはなかった。

代表・岡田克也の下で、実際に方針を決めているのは、幹事長・枝野幸男と、幹事長代理の参院議員・福山哲郎だ。枝野は衆院段階で安保政策の専門家ではない元厚生労働相・長妻昭や辻元清美を重用した。参院では、福山が指揮を執った。

枝野、福山は野党再編にも消極的で、維新の党とともに新党を結成する構想に否定的だ。しかし、この路線で民主党の政権復帰はあり得るのか。ひとつ、隠された事実を明らかにしよう。

今年に入って民主党が行った公募に応募する人が激減したことだ。民主党は女性を対象にした第1次と、性別を問わない第2次を実施した。第2弾では「反骨のエキスパートへ。」と題するポスターに、

<休みはなくなる。批判にさらされる。からだはきつい。収入は減る。当選の保証なし。しかも民主党だ>

と、刺激的なメッセージを添えた。

応募人数を公表していないが、関係者に聞くとこうだった。

「第1弾で集まった女性は約30人、第2弾では約200人でした。これは、最盛期のころの10分の1程度にすぎません。しかも、女性の中には元議員も複数含まれていた」

昨年暮れの衆院選で初当選した民主党議員は、比例代表で復活した元参院議員、たった1人だった。

新入社員が入ってこない会社に未来はない。安保法案に強硬に反対し続けた民主党は、第2の社会党にならないと言い切れるのだろうか。(敬称略)

【私の論評】安保はもう終了!来年の衆参同時w選挙で、民主党は完璧に凋落しかつての社会党なみになる(゚д゚)!

民主党の横暴については、高橋洋一氏も批判しています。その記事のリンクを以下に掲載します。
なんという皮肉……民主党議員の「暴力行為」が、集団的自衛権の必要性を証明してしまった!

何やら、上の写真を見ているだけで、高橋洋一氏の言わんとするところが良くわかります。詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事の結論部分のみ以下に掲載させていただきます。

これは、津田弥太郎参院議員の暴行に関わる内容です。

津田弥太郎参院議員の大沼瑞穂議員への暴行は動画でも見ることができる
 津田弥太郎参院議員の暴行疑惑については、民主党自ら、集団的自衛権を認めると、戦争に巻き込まれるという事例をいいたかったのかと、邪推してしまう。 
 たしかに大沼氏は、大混乱となった委員長席周辺という「戦場」にほど遠い通路にいた。ところが、不意に後ろから津田氏の攻撃を受けてしまった。この意味では、「戦争に巻き込まれた」のである。 
 もし、近くに自民党議員でもいれば、佐藤氏と同様に「正当防衛」で大沼氏を守っただろうが、実際には大沼氏への攻撃もわからなかったようだ。 
 しかし、大沼氏は自民党議員なので、自民党も黙っていないはずだ。この点は、自民党が安保法案のメリットとして主張した「抑止論」の説明に役立つ。 
 「抑止論」は抽象的でわかりにくい。集団的自衛権を行使すると、その集団に相手は攻撃しなくなるので、戦争になりにくいという話だ。しかし、相手によっては、どのように反撃されるかを理解せずに、攻撃してくることもある。その場合、相手を徹底的に叩くことによって、二度と攻撃しないように学習させるわけだ。 
 大沼氏に攻撃した津田氏がその例だ。津田氏は、近くに自民党議員がいなかったか、大沼氏が女性で反撃できないことを知っていて、大沼氏を攻撃したのだろう。そうした輩には、徹底的な反撃をすることでわからせ、二度とできないようにするのだ。 
 大沼氏の個別的な反撃ではなく、同盟をしている自民党による反撃である。辻元氏は、議運でしっかり調査するとテレビで話していたが、調査すべき舞台は議運ではなく、懲罰委員会で、である。 
 津田氏の暴行疑惑は明白なので、議長が職権または自民党議員が懲罰動議を提出することで、懲罰委員会に付託される。懲罰の種類は、公開議場における戒告、公開議場における陳謝、一定期間の登院停止、除名がある。 
 「抑止論」はたしかにわかりにくい。筆者は、本コラムにおいて過去の戦争データから、集団的自衛 権が同盟強化になるので、最大40%の戦争リスクを減らすと説明してきた(2015年7月20日付け本コラム「集団的自衛権巡る愚論に終止符を打つ!戦争を防ぐための「平和の五要件」を教えよう」 https://twitter.com/YoichiTakahashi/status/644725585596428288)。
 この議論も歴史データとはいえ、専門家以外の人にとっては、わかりにくいだろう。しかし、津田氏の暴行はわかりやすい例になる。 
 津田氏に懲罰が出された時、津田氏に今後暴行を起こすかどうかを是非聞いたらいいだろう。少しでも反省していれば、それは懲罰が「抑止力」になっていることを示しているはずだ。いくら何でも、またやりますとはいわないはずだ。
まさに、民主党は集団的自衛権の必要性を示す格好の事例を私達に示してくれたと思います。

現在は、民主党や共産党などの煽りによって、多くの人々が「戦争抑止法案」である安保法案を「戦争法案」と信じこみ、「戦争反対」などと奇妙な声をあげていますが、これもいずれかなり沈静化すると思います。

これらの人の大部分は、半年もすれば、そもそも日本が外国に攻めこむなどという途方も無い虚妄よりも、現実的な中国・北朝鮮などの脅威への対応のほうが重要であることに目覚めることになり、過去のPKO法案のときと同じく、安保反対の熱は急速に冷めることになるのは、必定です。

PKO法案反対デモ
さて、そのような状況になったところで、来年の参議院議員選挙があるわけです。そうして、この選挙、私が昨日のこのブログに述べたように、衆参同時選挙になることが十分にありえます。

昨日も掲載したように、おそらく安倍総理は、10%増税阻止も公約に掲げて衆参同時解散、総選挙に挑むものとみられます。そうなると、民主党は増税反対の立場です。ここからして、民主党は不利です。

安保に関しては、ブログ冒頭の記事や、高橋洋一氏の記事でもわかるように、民主党にとって有利になることはまずありません。

経済については、増税でも、金融緩和でも全く整合性のない頓珍漢なことを語ってきた民主党です。

さらに、極めつけは、ブログ冒頭にも紹介されていた、民主党の候補者の公募のサイトのキャッチです。結局のところ、自民党に対峙することばかりで、民主党はどうしたいのか、全くみえないものです。

それに関しては、このブログにも以前掲載したことがありますので、その記事のリンクを以下に掲載します。
<民主党>自民党政権と対決する覚悟ある人公募―【私の論評】キャッチをみれば、民主党の末路が見える(゚д゚)!
民主党の候補者公募サイト 何をしたいのか、理解できないキャッチ

詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下にこの記事の結論部分のみを掲載させていただきます。
結局自分たちは何をしたいのか、日本という国をどのようにしたいのか、全くそれがみえてきません。だから、先にあげた、人材募集においても、あのような到底理解しがたい、まるでブラック企業のようなキャッチ・コピーしか出来ないのだと思います。 
民主党政権の三年間も酷いものでした、結局何も決められず漂流していただけです。 
キャッチコピーをつくるのは、おそらく民主党でも、他の党でもその道のプロが作成するのだと思います。そうして、作成するときには、幹部などから民主党をどのようにしたいのかとか、日本をどうしたいのかということをインタビューし、その他要望も聴き出すでしょう。誰が作成するにしても、キャッチコピーをつくるには、この手続きは欠かせません。 
しかし、民主党には明確なそれがなかったので、キャッチコピーもあのようなものになってしまったのだと思います。 
もう民主党の行く先は、見えてきたようです。結局、安倍総理個人や、自公政権に対してネガティブ・キャンペーンばかり繰り返し、衰退して過去の社会党のようになるのが関の山です。 
私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?
このサイトのキャッチと同じように、結局のところ民主党は安保法案に関しても、反対するばかりで、自分たちはどうしたいのか、はっきりと示すことはありませんでした。

牛歩戦術などのPKO法案への反対は、結局のところ当時の社会党には何も利することはなかった
これは、従来からの民主党の大きな特徴です。そもそも、党の綱領があるにはありますが、それが実行に移そうとはしません。

たとえば、「新しい公共」なる言葉が掲載されていますが、では何か具体的な行動をしたかといえば、何もしていないと言っても良いくらいのことしかしていません。

確かに、日本の場合欧米に比較すると、NPOをはじめとする、公共政策はお粗末です。そもそも、日本には寄付金の文化がなく、それを阻止しているのは、財政民主主義を建前とす、財務省です。

彼らは、大勢の金持ちが多額の寄付をすることは、財政民主主義の立場からすれば良くないとしています。しかし、現実には、財務省は多額の税金を特別予算として貯めこんでもみたり、官僚による得体のしれない金を使い方をして、財政民主主義とはかけ離れたことをしています。

このあたりをどうにかしなければならないはずなのに、民主党ではそのような動きは見られません。とにかく、自民党に反対するばかりで、自分たちはどうするのか、どうしたのかということが見られません。無論、個々の議員には、それがあるようなのですが、なぜか民主党という組織になるとそれが見えません。

そうなると、来年の選挙が衆参同時w選挙ということになれば、民主党には勝ち目がないどころか、かつての社会党のように急速に凋落して、それこそかつての社会党なみの政党になってしまう可能性が大きいです。

それにしても、民主党は個人ではそれなりに優秀な人もいるようですが、民主党という組織になると全く駄目になってしまいます。安保でも、わずか10年ほど前のPKO法案のときの、社会党の牛歩戦術などの大失敗などに学ぶことはできませんでした。

民主党という組織は、政局でも、10年のスパンでものごとを考えられず、数ヶ月単位で考えて、結局何も対処できず、漂流しているようです。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?


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2015年9月21日月曜日

財務省が軽減税率で無理筋の還付案を出した狙い―【私の論評】安保法制が通った今、日本最大の危機である増税呪詛を回避する方法はこれ一つ(゚д゚)!

財務省が軽減税率で無理筋の還付案を出した狙い

週刊ダイヤモンド編集部

財務省が2017年4月予定の消費増税に合わせて導入する「日本型軽減税率制度」を提案した。なぜ、天下の財務省が突っ込みどころ満載の案を出したのか。ある財務省OBは「レースはまだ競技場を出たばかり、この案が本命とは限らない」と言う。財務省の深謀遠慮はどこに。(「週刊ダイヤモンド」編集部 原 英次郎)

マイナンバーカードを活用した軽減税率制度は、持ち歩く消費者にも、事務作業が増す小売業者
にも負担と、悪評高い。だが、批判続出も財務省にとっては想定内というのだが・・・・・・・

 「ほんとマスコミは単純だな。この案が本命であるとは限らないよ」。財務省の手練手管を熟知している同省OBの見立てだ。

 その案とは、去る10日に財務省が与党税制協議会に提示した「日本型軽減税率制度」。案が提示されるや否や、メディアのみならず、自民・公明の与党内からも問題点の指摘が相次いでいる。

 財務省案は、2017年4月に予定される消費税の8%から10%への引き上げに際し、軽減税率対象品目の2%を払い戻す還付制度を導入するというもの。対象品目は外食を含む飲食料品。還付の上限金額は4000円との報道もあったが、今後の検討課題とされた。

 具体的なやり方としては、16年1月から始まるマイナンバー(社会保障・税共通番号)制度で、希望者に配布されるマイナンバーカードを使う。各個人がレジでマイナンバーカードをかざし、消費税2%分の「還付ポイント」を得る。対象商品の購入情報は政府が新たに設立する「還付ポイント蓄積センター」に送られて蓄積され、パソコンなどで請求すれば、振込口座に税が還付される。

「財務省の苦肉の策」と評価するのは、財務省OBで明治大学大学院の田中秀明教授だ。軽減税率は15年度の与党税制改正大綱で、消費税率10%時に導入するとされており、この5月には与党税制協議会で、対象品目を「酒類を除く食料品」「生鮮食品」「精米」の三つに分けて検討されたが、課題が多く、結論が先送りされていた。

 そもそも消費税は税率が同じであるため、所得に占める消費の割合が高い低所得者層の負担が重いという逆進性の問題を抱えている。消費税率が上がればその負担はさらに重くなる。そこで、EU(欧州連合)では、食料品など生活必需品には標準税率より低い軽減税率を適用している国が多く、特に公明党がその導入を強く主張していた。

 だが、軽減税率は対象商品の線引きが難しい。例えば、英国では同じバナナでありながら、店内で食べると標準税率で、持ち帰ると税率の低い食品扱いというおかしなことも起こっている。そして何より、軽減税率はお金持ちにも同様に適用されるため、逆進性の改善効果がない。

現在、住民税が非課税となっている低所得者に、「簡素な給付措置」として一律6000円が給付されている。図は中央大学法科大学院の森信茂樹教授が、この給付措置よりさらに進んだ、所得に応じて税金を還付する「給付付き税額控除」と軽減税率の効果を試算したもの。明らかに前者の方が、逆進性改善の効果が大きい。

 財務省案は、還付金額に上限を設けることで、逆進性をいくばくか改善し、マイナンバーカードを使うことで事業者の負担を減らし、対象品目を設定することで、軽減税率の性格を併せ持った苦肉の策というわけだ。

欠点多い案を出し批判を噴出させるのが財務省の本当の狙い
 ところが、この「日本型軽減税率制度」については、議論百出だ。

 まず実現可能性の問題。マイナンバーカード自体がこれからスタートする。果たして普及するかどうかさえ不明なものをインフラとして使えるのか。またカードを読み取り、ポイントを蓄積するためには、小売店の店頭に読み取り用の端末を設置するなど、システム構築が必要になる。マイナンバーカードの通信機能は速度が遅いとの指摘もある。消費増税は社会保障費に充当し、財政再建を目指すために行われるのに、システム費用が膨らめば、何のための増税か、本末転倒とのそしりを免れない。

 個人のプライバシー保護の問題もあるし、軽減税率の形を採っているため、対象品目の線引きの問題も残る。まさに突っ込みどころ満載なのだ。

 財務省OBの嘉悦大学の高橋洋一教授によれば、税還付の仕組みとして簡単でコストが掛からないのは、順に(1)簡素な給付、(2)領収書による一種の確定申告、(3)マイナンバーカードになる。なぜ財務省は(3)という一番高い球を投げたのか。高橋氏は「次の引き上げの17年4月ごろは、中国経済の減速で日本経済もどうなっているか分からない。還付措置にメディアの議論を集中させることで、消費再増税は既定路線と国民に刷り込むことが狙い」と、読み解く。

 別の財務省OBも「検討してみるとあまりにも問題点が多いので、原点に返ろうという話になり、結局、簡素な給付措置に持っていく財務省一流の戦術ではないか」とみる。12月に与党の税制改正大綱が決まるまでには時間がある。「日本型軽減税率制度」が本命と決め付けて騒ぐのは、財務省の術中にはまるということかもしれない。本来、議論すべきはあるべき税の姿と、消費増税の是非である。

【私の論評】安保法制が通った今、日本最大の危機である増税呪詛を回避する方法はこれ一つ(゚д゚)!

最近は、安保問題がクローズアッブされ、テレビも新聞も安保一色という様相を呈していました。安全保障に関しては、今のままでは戦争を誘発するようなもので、日本の最大の危機であり、このような様相を呈するのは当たり前のことですが、それにしても、これだけが、日本の危機ではありません。

安保法制が可決された、現在で直近で、最も大きな日本の危機は、10%増税です。

上の記事で論評をしている高橋洋一氏は他でも、財務省に対する批判をしています。その記事のリンクを以下に掲載します。

「消費税10%」まだ決まっていない 増税前提の還付議論に踊らされるな
G20に参加のため出発した麻生財務大臣 背後には財務省の企みが・・・・・・・?

詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事の結論部分のみ以下にコピペさせいただきます。
この財務省案の出し方からみても、財務省の仕掛けの意図が感じられる。今月初めのトルコでのG20で、麻生財務相から同行記者へ出した。このため、G20の内容よりも、消費税還付のほうが日本の紙面をとった。実は、G20では、中国経済の先行き不安定ばかりが議論された。中国経済が怪しいなら、2017年4月からの10%への消費再増税は、世界経済にとってはやってはいけない愚策である。 
日本経済をよくして、世界経済の牽引になるべきところが、消費増税では逆政策である。 
日本で消費税還付ばかりが議論になって、その前提である消費増税について、この時期の世界経済にとっていかにマイナスであるかという、本質的な議論ができなくなっている。 
法律で消費再増税は決まっているといっても、昨(14)年12月の解散総選挙をみれば、17年4月からの消費再増税も政治的には変更可能であることが明らかだ。国民に信を問い、法律を変えれば良いのだ。安倍首相は、「アベノミクス解散」と命名した14年の解散総選挙で、当初予定されていた今(15)年10月からの10%への消費再増税の延期を決めたことも争点に挙げた。
それにしても、今の経済情勢を考えるだに、昨年の解散 
総選挙がなければ、今年10月から消費再増税となっていたかと思うとぞっとする。しかも、昨年の解散総選挙では、マスコミは消費増税に賛成していたので延期を批判していた。今回、マスコミは消費増税そのものには反対できずに、還付の問題点だけを取り上げることを、財務省は読んでいて、消費税還付案を出してきたのだろう。しかも、新聞への軽減税率の適用の話は置き去りで、その怒りは消費税還付に向かうこともわかっているはずだ。 
消費再増税は政治的にはまったく白紙であるにも関わらず、こうして、マスコミは財務省の手のひらの上で踊り、17年4月からの10%への消費再増税が既成事実化していっている。
中国経済の崩壊が明らかになっている現在、確かに増税するのは大きな間違いであり、愚策以外の何ものでもありません。

しかし、財務省は増税ありきで、増税のための下準備を着々と行っています。軽減税率は、上で高橋洋一氏が指摘するように、財務省による、増税の既定路線化の一環であることは間違いありません。

そうして、このままでは、大失敗であった8%増税が実現したように、10%増税も既定路線となり、実現されてしまう可能性がかなり高いです。

日本では、リーマンショッ直後のときには、他国が大々的に金融緩和をするなか、日銀が金融引き締め政策を継続したため、本来日本は悪影響が少ないはずなのに、日本はとんでもないデフレ・円高に見舞われることになりました。そのため、震源地である、アメリカや、悪影響をもろに受けたEUなどは日本よりもはるかに経済の立ち直りがはやく、日本のみがひとり負けの状況になりました。

その後も日本国内では、日銀の金融政策がまずすぎて、その後もデフレ・円高が続きましたが、安倍政権が成立して、2013年4月より、日銀は金融緩和に転じたために、円高は払拭され、様々な経済指標が好転しました。

しかし、このような政策に転じることを、嫌がる人々が大勢存在し、金融緩和をすればハイパーインフレになるとか、国債が暴落するなどと盛んに意味不明のことを言い立てていましたが、現在に至るまでそのようなことは起こりませんでした。

結局、このようなことを発言、何も正当性はなく、単なる屁理屈であったことが明るみに出たということです。これらの人たちは、結局のところ、金融呪詛(金融に関するのろい)の言葉を吐いていたに過ぎません。


我が国には、金融・増税呪詛をされる方々が大勢存在する

さて、金融緩和でせっかく経済が上向きつつあったにも関わらず、昨年4月からは8%増税が実現されてしまい、その結果はとんでもない大失敗であったことが明らかになっています。この増税のときにも、増税呪詛(増税に関するのろい)の言葉を吐いた人々が大勢いました。その典型的なものは、あらゆる屁理屈をつけながら、8%増税の経済への影響は軽微であり、増税しないと大変なことになるとするものです。

これら増税呪詛の方々もかなり人数が多く、それも、与野党の政治家から、マスコミ、識者まで、呪詛一色となり、安倍総理もやむなく増税に踏み切りましたが、その結果は、増税直後から大失敗であることが明らかになりました。

そうして、皆さんご存知のように、安倍総理は、昨年12月の衆院選を10%増税見送りを公約にかかげて、大勝利し増税は見送られることになりました。

この時も、大勢の増税呪詛の方々が、増税しないと大変なことになると呪詛を言い立てたのですが、8%増税で失敗しているのに、財政が破綻するなどとして10%増税しろというのは、単なる呪詛以外の何もでもありません。

今後、増税呪詛はさらに激しくなり、8%増税のように政治家、マスコミ、官僚、識者がありとあらゆる呪詛を吐き散らし、増税を既定路線化し、これをもって、実際に増税をして、日本国民を呪詛により苦しめようと必死で画策をはじめます。

このような状況では、私たちは呪詛から逃れる術はないのでしょうか。いや、一つだけ方法かあります。それは、このブログにも以前掲載したことがあります。

その記事のリンクを以下に掲載します。

安倍政権「消費増税再見送り」で来年7月衆参ダブル選へ!―【私の論評】来年の衆参同時解散総選挙というシナリオの確率はかなり高い!これに気づかない政治家・マスコミは、完璧に蚊帳の外(゚д゚)!
安倍総理は、増税呪詛返しをする?
詳細、この記事をご覧いただくものとして、長谷川幸洋による元記事において、長谷川氏は以下のような結論を述べています。
10%引き上げを先送りするなら、安倍政権は来年7月のタイミングで衆参ダブル選に持ち込むのではないか。安倍政権の内閣支持率は終戦70年談話の発表後、持ち直しているが(たとえば産経・FNN合同世論調査で3.8%増の43.1%)、政権選択選挙でない参院選は、強すぎる与党を嫌う国民のバランス感覚が働きやすい。 
増税先送りは与党に追い風をもたらす。それならダブル選で政権選択選挙に持ち込み、勢いに乗って参院選も有利に戦う。そんな政治判断は合理的である。
私は2016年ダブル選予想を7月12日放送のテレビ番組『そこまで言って委員会NP』で初めて話した。コラムは同17日発売『週刊ポスト』の「長谷川幸洋の反主流派宣言」(http://www.news-postseven.com/archives/20150717_336635.html)が初出である。そちらもご参考に。いずれマスコミも安保関連法案の熱狂が覚めれば、報じ始めるだろう。
私も、この長谷川氏の主張は正しいと思います。財務省は、これからも徹底的に増税既定路線化をありとあらゆる手段で実行します。これによって、増税呪詛の政治家、官僚、識者など、大いに奮い立って、8%増税の再来としての10%増税を確かにものにしようと躍起になるはずです。

だから、増税ストップはかなり難しいです。増税に関する事項を以下に整理しておきます。゜

民主党時代に制定された消費増税法はまだ生きています。その中には17年4月からの消費増税は既に法定化されています。

昨年12月の衆院選で、安倍晋三政権は今年10月から予定されていた10%への消費再増税の実施時期を17年4月に延期しました。

延期の際、景気情勢によって増税を停止できる「景気条項」を削除しました。その解釈として、「景気がどうなっても消費再増税する」という話が流れましたが、まったくの事実誤認です。

そもそも消費増税法の付則であった景気条項は、消費増税を止めるためにはまったく役立たないものでした。

17年4月からの消費再増税を止めるには、遅くとも16年9月までに、安倍自民党は意思を固めて国民の審判を受ける必要があります。その審判とは16年7月の参院選です。

ただし、通常の参院選であれば、財務省がこれを潰す確率が高くなります。それを封じるには、その時衆院を解散してダブル選挙にした方が、成功する確率は高くなります。これ以外に、10%増税を阻止する方法はありません。

安倍総理大臣は山梨県鳴沢村で記者団に対し、政権発足から本日21日で1000日となることに関連し、「これからも強い経済を作っていくために頑張っていきたい」と述べ、引き続き、経済の再生を最優先に政権運営にあたっていく考えを示しました。

私は、これは、安倍総理は、来年10%増税の阻止も公約に掲げ、衆参解散解散をしてダブル選挙にするという決意の表明であると思います。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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