函館市長、市事業助成「廃止」を批判 職員向けメルマガで(この内容、すでにご存知の方は、この項は読み飛ばしてください)
財政ゾンビは手ごわい!!結局事業仕分けの委員も、函館市長も財政ゾンビにもてあそばれているだけだ。
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函館地域には水産食品加工業の長い歴史と高度な技術の集積があり、また加工残渣から機能性物質を製造する特異的な技術を有する企業も存在します。 最近、地域の水産資源(バイオマス)の高度有効利用や高付加価値化を目的とした、健康食品・化粧品・医薬品などの製品開発が活発に進められていることから、(財)函館地域産業振興財団が中核機関となってバイオ関連の産官学による「函館地域バイオ産業クラスター」を形成しました。 本事業では ●参加企業・機関の連携推進 ●新技術や新製品の用途・販路・市場などの調査 ●新技術や新製品の展示会への出展とプレゼンテーションの実施。 ●参加企業が保有する技術などの情報発信
などを行い、新製品開発や新事業・ベンチャー企業の創出を図ります。 |
上は、「函館マリンバイオクラスター推進事業」の概要をサイトからコピペしたものです。
【函館】政府の行政刷新会議の事業仕分けで函館市が進める研究開発事業「函館マリンバイオクラスター」への文部科学省の助成が「廃止」と判定されたことを受け、西尾正範市長は16日、民主党政権を痛烈に批判する職員向けのメールマガジンを全職場に配信した。
同事業は、函館地域産業振興財団が中核となり、海洋環境調査や資源増養殖などを進める研究開発プロジェクトで、同省が今年7月、5カ年で計約15億円の助成を決めていた。
西尾市長は「内容すら理解していない委員が10分や20分の検討でバッサリ判定するのは乱暴で理不尽」と刷新会議のやり方を批判。「劇場型事業仕分けをテレビで見ていると、日本はおかしくなっている」とした上で、17日からの中央への要望活動で「全力で各界に訴えたい」と助成復活に執念をみせた。民主党が地方の陳情取りまとめを党幹事長室に一元化することにも「一党独裁につながっていく」と懸念を示した。
本当は私たちは、財政ゾンビの手のひらで操られ遊ばされているだけだ!!
本日の夕方のNHKテレビ北海道版では、西尾市長はこの件で意見を求められて「内容を理解していない委員が、ばっさり判定して否定するなど、無礼だ」と語っていました。このくらい言われるので、さて、どのような事業なのかということで、函館マリンバイオクラスター推進事業ウェブサイトを探してみてみしました。 その中で、事業計画というものが掲載されていましたので、下のそれをコピペしておきます。
<事業計画>
1.ネットワーク形成事業 |
クラスター連携推進会議の開催 産官学で構成する「クラスター連携会議」を設置し、本事業の実施計画、進捗状況、成果等を検討するとともに、参加機関や企業の情報交換を通じて提携を促進します。 企業の技術情報の収集とデータベース化 参加企業が保有する特色ある技術や製品情報を収集・データベース化し、企業間の情報交換や連携に活用します。 |
2.新事業創出支援 |
水産素材等に関する新製品・技術評価 水産素材等を活用した研究開発成果の用途や製品化、新製品の販路や市場に関する調査を実施します。 |
3.連携促進事業 |
展示会等への出展やプレゼンテーションの実施 北海道バイオ産業クラスターと連携し、研究開発成果や新製品を道内外の展示会へ共同で出展するとともに、プレゼンテーションを実施します。 |
4.販路開拓支援事業 |
「バイオ・ジャパン」などの道内外の大規模なビジネスフォーラムに参加し、参加企業の製品等の販路拡大等を推進します。 |
5.情報提供事業 |
パブリシティ事業 参加企業が保有する特色ある技術や製品に関する情報を、ホームページやパンフレットなどで全国に発信します。 |
まあ、地元の函館市がやろうとしていることですから、何とか支援したいという気持ちもあったのですが、これを見ていると、いわゆる方法論ばかりで、結局何がやりたいのか見えてきません。一体何がどうなるのか、ゴールが見えてきません。事業計画とはいっても、ここに掲載してあるのは、無論その骨子だけなのでしょうが、それにしても、ビジョンもミッションも、目的、目標も何も見えません。活動実績も見てみたのですが、これなら、別に函館市が絡んで、実施することの意味も見えてきません。
もし、事業計画の中に将来的に、大規模海洋牧場を開発して、将来の世界の海産物の需要に応えるとか、海草によるバイオ・エタノールを開発して、代替エネルギーを生み出すなどのことが掲載されていれば、話は違ってくるのでしょうが、何も具体的なことは示されてはおらず、このままでは、残念ながら、行政仕分けで廃止と判定されてもいたし方ないと思います。
もし、この事業計画を私の会社などで、会議などに提出しようものなら、最初から廃止と決まったようなものです。いや、それどころか、激しい、叱責と罵声を浴びることでしよう。これは、どこの会社でも同じことだと思います。ただし、西尾市長がこだわったのは、地元で折角何かしようとしているのに、それを傍若無人に何が何でも廃止してしまえという姿勢が気に食わなかったのだと思います。
さて、この両者の言い分、このままだと平行性をたどりそうですが、これを何とかうまくまとめる方法はないものでしょうか?
私は、あると思います。なぜ、そう思うのか、それを実現するためには、どうした良いのかなどを本日は掲載します。
まずは、役所としては、地元を何とかしようという気持ちがあるのはわかりますが、やはり、役所が主体になって実施してしまうと、このようなやり方にならざるを得ないのだと思います。何しろ、役所というところは、もともと事業を推進するところではありません。特に、いわゆる経済性を尺度とする、民間営利企業のような事業を推進する力はありません。
しかし、役所としては、税金や、場合によっては、国のお金などを使っていろいろな事業ができますから、地元のために何とかしたいという気持ちもあり、こうした事業を手を出すのだと思います。それに、いろいろな経済的な事業を推進するにしても、特に基本的なノウハウなどを生み出すためには最初は、経済性・採算性などある程度度外視しなければ、そんなに易々と新しいノウハウが生まれてくるわけではありません。経済性だけを考えていれば、やはり、事業仕分けのように、最初からこのような事業には、手をつけないほうが良いに決まっています。
しかし、私たちの今では、ある程度豊になった社会において、最初から経済性だけを追求していたら、新しい発想や、新しいノウハウが生まれてくる可能性はかなり低くなると思います。これが、中国や、東南アジアのように未だ経済的に恵まれていない社会(中国は、人口が多いので、対外的に経済は強いですが、社会は未だに発展途上です)であれば、経済性だけを追求していても、新たな発想が生まれてくる可能性は十分あります。実際、日本も戦後の復興期は非常に貧乏でしたが、その頃に、オムロンとか、ソニー、ホンダなどの名だたる企業が出てきて、新たなアイディアでいろいろなことに挑戦しました。いわゆる、貧乏というものは、多くの人に貧乏から抜け出すために、いろいろなアイディアをひねらせる役割を果たすもののようです。
しかし、豊な社会では、それだけでは、なかなか新しい発想など生まれてきません。それは、社会がある程度豊になっていて、新しいことに挑戦しなくても、今の生活を維持していけるからです。こういうことを言うと、多くの人が「そんなことはない、私のところは生活が苦しい」などといわれるかもしれませんが、では、40年前、50年前と比較したらどうでしょうか?現在のほうがはるかに良く、豊で、楽な生活を送っていて、昔に戻りたいと思う人は誰もいないと思います。
そんな社会においては、昔政府や地方自治体などが、自ら行ってきたような事柄でも、民間に移管してやってもらったほうが余程効率や成果があがり、さらには、新たな斬新なアイディアが生まれる可能性がずっと高くなります。
ただし、だからといって、従来政府や、地方自治体がやってきたような仕事のうち社会的な事業も含めて全部を民間営利企業にやらせた場合、失敗することも多々あります。それは、小泉構造改革などで私たちは骨身に染みたと思います。たとえば、小泉路線で解禁された、いわゆる株式会社大学などほとんど全部が失敗に終わっています。やはり、教育であるとか、その他、社会福祉の分野などの社会事業では、民間営利企業が実施すると失敗します。それは、はっきりしています。民間営利企業の成果は、経済的な尺度だからです。経済的な尺度ではない、尺度で図られる事業などは、やはり、民間栄企業では無理です。かといって、先ほど述べたように、政府や地方自治体が実施するのも無理です。
では、どうすれば良いのかといえば、やはり、特定狭い範囲の社会的使命を達成するためのNPO(民間日営利企業)を活用することだと思います。NPOというと、日本では、弱小なイメージしかありません。日本人の多くは、善意と熱意に溢れる人たちが手弁当で集まって実施する奇特な事業という意識しかないと思います。しかし、アメリカなどでは違います。アメリカでは、営利事業であろうが、非営利事業であろうが、ビジネスです。事業という言葉の直訳もそうですが、人々の意識の上でも、同じことです。
非営利だからといって、弱小とか、通常の事業とは異なるなどという考え方はしていません。アメリカなどでは、数万人の正規職員が給料をもらいながら、さらに、ボランティアも雇用しているなどという巨大組織もあります。イギリスでも、NPOが法律的にも位置づけられ、大きな活動をしています。日本では、このような大きな活動は、皆無です。なぜ皆無かというと、日本では、NPOが大きく活躍できるような土壌が醸成されていないからです。
特に寄付金の文化が根付いていません、アメリカでは寄付金の文化が根付いていること、さらには、政府の補助金なども日本よりは、多いこととあいまって、アメリカ国内の前NPOの歳入は国家予算に匹敵するほどになっています。日本などでは、比較の対象にもならないくらい、予算でNPOが細々と零細事業を実施しています。
このブログでも、従来から何回か、主張してきましたが、やはり、日本でも、アメリカ型のNPOを根付け「函館マリンバイオクラスター推進事業」のようなものは、主に二つに分割して、基礎研究・開発のようなものは、非営利企業に、その後の実用化の段階の量産化や、マーケティングなどに関しては営利企業に任せるようにすれば良いと思います。
函館市の役割として、これらを公募する役割を果たします。募集の対象も函館のみでなく、世界中とします。こうすることによって、先に述べたような、もっとはっきりしたビジョンの事業が推進できる体制が整います。思ってもいなような営利・非営利企業が応募してくるのではないかと思います。そうして、函館市が助成するだけではなく、広く企業や、一般個人から寄付金を募るようにします。これによって、大きな活動が可能になります。さらに、この事業の推進母体などが、決まったら、函館市は口を出さずに、これらの主体に任せることです。さらには、設立後は、これらの母体が自由に個人や法人から寄付金を集められるようにすべきです。
ただし、現状のままでは、これはなかなか成就できません。なぜなら、先ほど述べたように、日本では、NPOが大きく活躍できるような土壌が醸成されていないからです。まずは、日本には、財政民主主義という大きな壁があるからです。ただし、財政民主主義とはいいながら、その本質は、全く異なる似非財政民主主義という大きな壁が立ちはだかっています。
似非財政民主主義に関しては、過去にもこのブログで掲載したので、詳しくはそちらの記事をみてもらうこととして、結局どういうことかというと、財務省のこうした似非財政民主主義を信奉する財政ゾンビにいわせると、NPOなどに多くの国の財貨を振り向けたり、あるいは、寄付金などNPOに集まる仕組みなどは、財政民主主義の立場からは望ましくないとしているのです。そうして、こうした考えにもとづき、特別会計などが組まれていて、NPOが自由に活動できるような状況になっていないのです。
だから、日本では、NPOが活動して、いろいろな有用な事業を展開することができないのです。そのよなうことをするかわりに、日本ではいろいろな天下りとか、独立行政法人などに無駄なお金が使われているのです。また、NPOが寄付金を独自で集めようとしても、アメリカのように寄付をする法人や個人が税制上の優遇を受けられないので、あまり活発ではありません。
だから、これを改革するためには、まずは、事業仕分けでも、函館市などの事業にかまける前に、財務省に踏み込む必要があるのです。似非財政民主主義を信奉する財務ゾンビの暗躍を停止させる必要があるのです。この財務ゾンビに対して、引導をわたすことが、本来の事業仕分けの最も優先順位の高いことがらであり、民主党政権の最優先事項なのです。これが、外交や安全保障を除くと日本国内では最も重要な案件です。
ただし、以前にもこのブログに掲載した記事の中でドラッカー氏の著書から引用した日本の官僚に関する異説(本人は、異説というものは、しばしば本質をついていると述べている)のように、財務ゾンビは、相当しぶといし、倒しても倒しても、新たなゾンビが生まれてきて、同じことの繰り返しになりますから、それこそ、法律の改定、組織の改定、その他ある程度の超法規的事柄を実施しないと無理かも(私は、こういう観点から、小沢氏権力集中には注目しています)しれません。これは、自民党が長年わたって何とかしようとしてできなかったことであり、政権交代があったからといってもその状況が変わったわけではありません。
今の、私は、今の上っ面だけの、民主党政権による事業仕分けなどみていると、民主党には無理かもしれないとも思っています。
しかし、函館マリンバイオクラスター推進事業など、このままでは、何も成就しないと思います。かといって、事業仕分けで廃止したとしても、実質上何も変わらないと思います。いずれ、また、何か新しい事業が生まれてくるだけです。やはり、誰かが何とかして、本丸である財政ゾンビを片付ける必要があります。
特に日本国内ではこれを成就しない限り、何も進展しません。おそらく、経済なども先細り、社会不安も増して、いずれ日本は、傾いていくことでしょう。いずれにせよ、事業仕分けの方向性も間違っていますし、函館市長の怒りをぶつける方向も間違っています。今回は、函館の話題を例にあげて、解説しましたが、何も函館の事業に限らず、政府や地方自治体などが運営しているほとんどの事業に当てはまることです。両者とも、結局財政ゾンビの手のひらの中で操られているようなものです。
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