2011年1月22日土曜日

海外進出進めば「日本で雇用、5分の1」 シャープ会長―【私の論評】本当の国際競争力をつけるには今や日本国内の内需を拡大すること、消費拡大をすることにつきるだが・・・・・?!

海外進出進めば「日本で雇用、5分の1」 シャープ会長


シャープの町田勝彦会長
シャープの町田勝彦会長は21日、副会頭を務める大阪商工会議所の記者会見で、国内の雇用について「電機業界は日本のウエートをどこも5分の1ぐらいにしか考えていない。海外進出を進める限りは雇用も5分の1になる」と語った。円高や負担の重い法人税、貿易自由化の遅れなど国内生産の障害が解消されなければ、雇用は維持できないとの見方を示した発言だ。

12月1日時点の大学生の就職内定率が過去最低の68.8%となったことなどへの感想として述べた。4月に定期採用を行う慣行についても「海外では新卒とかは関係ない。拠点が海外に移って現地採用が増えるなかで、国内での定期採用が何人かと聞かれても、そういうことは考えなくなった」と話した。

来年度の税制改正で、法人税減税が研究開発減税の縮小とセットになったことについては、手代木功副会頭(塩野義製薬社長)が「国内に雇用を残すなら国際競争力のある分野しかないが、研究開発減税を減らされると『研究も米国で』となる」と語った。

【私の論評】本当の国際競争力をつけるには今や日本国内の内需を拡大すること、消費拡大をすることにつきるだが・・・・・?!
法人税減税が、研究開発減税とセットになったことについては、あまり知らない人も多いのではないかと思います。もともと、法人税や、研究開発減税など中小企業などにはあまり縁がない事なので、無理もない事だと思います。

しかし、民主党のやること、何でも似通っているようです。子供手当てなども、マニフェストで公言しておきながら、結局財源不足で満額支給しないとか・・・・。昨年暮に出された、税制改正大綱に関しても非常に評判が悪かったです。将来に向けた改革の姿を描けていないため、場当たり感が強いです。

「とりやすいところを狙った」との批判も多いです。

政府税制調査会が「格差是正」を掲げ、こうして税による所得再分配の機能を生かそうとしていますが、法人税の5%幅引き下げの財源も、なお5千億円ほど不足したまま、見切り発車のような税制改正大綱の決定となりました。これは、今回の税制改正の大きな欠陥の表れであるといえます。


菅政権が消費税の引き上げを含む税制の抜本改革の全体像を描けていないため、財源確保のめどすら立たず、国民が負担を分かち合う構図も見えてこない、ということです。

税制は国民生活の重要な基盤です。どんな社会にするために、どのような税制をめざすかがあいまいなままでは、社会保障の将来像も描けません。

その場しのぎでツギハギを重ねる手法は、いよいよ限界に来ました。やはり抜本改革と 正面から向き合うしかないことは、もはや明らかです。

こんな様子をみていて、多くの経営者が上記のシャープの会長のような考えを持つことは、ある意味致し方のない事だと思います。

しかし、このままでは、雇用もますます悪化、さらには、本来日本の良さを活かして、中国などの新興国にはできない、先進国でありそのなかでも、特に基本的インフラが整っている日本国内での内需拡大、消費拡大などをするなどのことができなくなります。

私は、確かに、多くの企業が海外を志向することになるのは、無理からぬところがあると思いますが、本来的には、もし海外、しかも中国などの新興国での市場にばかり目を向けていては、結局その市場は先進国の50年前の市場のようなものであり、いくら市場を獲得できたとしたって、結局は先進国にとっての新たな展開やイノベーションの機会はなくなる事と思います。

先進国が、仮に、新興国の市場のすべてを席巻できたとして、それが良いことかといえば、決してそうとはいえません。仮に、それに成功したとしても、技術的にはすでに陳腐化したものを展開できるだけで、21世紀の先進国の社会を変える大きな展開を期待することはできません。それに、新興国の市場のみが、先進国が成長できる唯一の市場になったとすれば、新興国の都合などによって、いつも振り回されることになります。

さらには、新興国も技術力をつけてきているので、いずれ自分の国の市場に必要なものは、先進国に頼らなくても、自前で市場に投入できるようになるし、そうすることでしょう。そうなれば、新興国のほうが、はるかに人件費が安いですから、いずれその分野で、逆に、先進国に進出してくることになります。そうなれば、先進国は新興国の後塵を拝するしかなくなります。このことは、このブログでも、再三にわたって掲載してきました。

現在では、先進国は自国の内需拡大、消費拡大を行うべきです。そうすることによって、先進国の進んだ社会におけるイノベーションを期待することができます。

私は、こうしたイノベーションについては、具体的にこのブログで掲載したことはありませんが、少し思いつくだけでも、そのような分野はたくさんあると思います。高度に進んで、ユビキタス化したITを活用して、さらに、家電などスマート化するとか、家屋自体をスマート化、交通システムをスマート化するなど、夢のような分野は沢山あります。さらに、先進国で顕著な少子高齢化に対応することで、大きなイノベーションが期待できると思います。

たとえば、検針メーターなどすべて、スマート化した場合、電気もガスも検針業務がいらなくなるばかりではなく、リアルタイムで、電気の使用量、ガスの使用料がわかるため、地域や、日本全体での電力やガスの供給に対して様々な手を即座に打つことが可能になり、これによってもたらされる、利益は計り知れません。しかし、21世紀のイノベーションは、20世紀末から変化していて、21世紀に顕著になった先進国の大きな社会的大変化に対応する形でなければ、進めることはできないでしょう。このことに、ついては、再度このブログにも掲載していくつもりです。

しかし、新興国の市場では、まだまだ、これを導入するなどの域に達していません、たとえば、中国などでは、沿岸部のごく一部では、その域に達しつつあるところもありますが、少しでも奥地に入ってしまえば、まだまだ、遅れていてその域には達していません。このようなところで、スマート化するといっても、無理があります。部分的スマート化などをするしかないでしょう。

というより、多くの人が、先進国では当たり前になっている、情報端末なども持っていないというのが、実情だと思います。こうしたことに対処して、いわゆるBOPビジネスを展開するのも企業のありかたとして、まともな生き方のひとつである事には違いないと思います。

しかし、本来であれば、日本にこそ、21世紀の特に都市社会のイノベーションの中心となるべき、挑戦の場が至るところにあるはずです。本来であれば、政府はこのようなことのために税制をも含む、インフラを整備すべきです。

私自身は、目先のことを考えて、多くの企業が新興国などにシフトするのは致し方ないことであると考えますが、それでも、日本の市場での開発なども着実に進めていくところが、次代の覇者になると思います。それを忘れた企業には、明日はないでしょう。

それから、かねてから、大企業の経営者の方々の発言にも疑問に思うことがしばしばあります。その典型は、中国幻想であったりしますが、それよりも何よりも、日本国政府に対して、直裁に、マクロ経済学的見地や社会的な観点から、大規模な財政出動をしろ、大規模な金融緩和措置をとれと言わないのでしょうか?なぜ、法人税減税程度のチマチマしたことしか言わないのでしょうか?仮に、法人税減税がたとえば、研究開発促進税制などが廃止されないで、実現したとしても、このデフレ基調ままでは、企業にとっても何らの抜本的解決にはならないはずです。

なぜ、消費税増税など、このデフレ基調が続いている最中に実施するとか、、財政再建をするのは間違いだとはっきり言わないのでしょうか?今の日本では、過去20年間も、失われた20年ということで、基本的にデフレがつづいていて、これは、財政再建などよりもよほど深刻な、人間でいえば癌のような病状にあります。少しでも、デフレ解消の方に傾けば、国内景気も今よりは良くなり、日本国内での、事業展開はやりやすくなるし、それに、雇用も改善できるはずです。本来、このような声が、産業界の大勢を占め、ことあるごとに政府に大して厳しい要求があっても良いはずなのにそうはならないというのはどうしてでしょうか?

残念ながら、大企業の経営者の方も、企業という枠の中では、ものが考えられても、マクロ経済や世界規模の経済などまでには目が向かないということなのでしょうか?不思議です。

最近『ハーバードの「世界を動かす授業」』がビジネス書としては日本国内で7万部以上と破格の売れ筋となった著者のリチャード・ヴィトー氏も最近WBSに取り上げられていて、日本に対して、以下のような提言をしていたことは、このブログでも以前に掲載しました。
日本国内の消費を拡大する。 
海外の事例をみること。
この言葉の持つ意味は深いです。ヴィトー氏は、やはり、日本国内の消費を拡大することを強調しています。そうして、これは、現状のままでは困難なことです。やはり、政府による手助けも必要でしょう。財政再建ばかり注目している場合ではないということです。それに、個々の企業や、経営者の努力も必須であると思います。

それから、海外の事例を見るということは、各国の経済、社会を具体的な数字を見て全体像を理解するということです。そこから、たとえば、その国でビジネスをどのうよにすれば良いのか全体像がみえてくるということです。無論、外国の事例をそのまま日本で実施するわけには、いきませんが、根本を見ることにより、日本での事業も理解できるようになるということだと思います。

逆説的ではありますが、私は、このようなことを通じて、大手企業が日本国内で何をすべきか、それこそ、政治や経済、社会なども含めて、さらに海外のそれをも具体的に理解し海外、特に新興国の市場に進出すれば、成功することもあると思いますが、それなしに海外に短期的利益を求めて進出しても、長期的には成功はおぼつかないと思います。ヴィトー氏の、MBAで教える教科書は、最初の頃から、そうして今日に到るまで、日本の奇跡の経済成長から始まっています。このことは、今日の私たち日本人に意義深いものであり、示唆に富んでいると思います。

こうしたことから、私は、日本国政府に対して厳しい注文をつけない、大企業の経営者の物の見方には疑問を持たざるをえません。現在の大企業の経営者の多くは、80年代までの考え方から変わっていないのではないかと懸念しています。無論、例外はありますし、さらには、あまり報道もされないこともあって、私も含めて、多くの人が気がつかないだけで、実は優秀な企業経営者が沢山いて、もう海外の事例や日本のそれなどの研究など十分にしていて、日本での消費拡大の機会を虎視眈々と狙っているのかもしれません。あるいは、海外の優れた經營者がそれを狙っているのかもしれません。一昔前の、明治維新や、終戦直後の日本のように、近い将来新興勢力が旧い勢力にとって変わるのかもしれません。政治も、産業も本格的な新旧交代(年齢、経験を意味するのではなく、新たな考えと旧い考えの交代という意味)の時代を迎えているのかもしれません。

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政治主導、反省・行き過ぎ… 菅首相「脱・脱官僚宣言」―【私の論評】おしゃべり空き菅に明日はない?!

2011年1月21日金曜日

政治主導、反省・行き過ぎ… 菅首相「脱・脱官僚宣言」―【私の論評】おしゃべり空き菅に明日はない?!

政治主導、反省・行き過ぎ… 菅首相「脱・脱官僚宣言」



菅直人首相は21日午前、内閣改造を受け各省事務次官らを首相官邸に集めて訓示し、民主党が掲げる政治主導について「現実の政治運営の中で反省なり、行き過ぎなり、不十分なり、いろいろな問題があった」「いい形の協力関係をお願いしたい」と述べた。

事務次官会議の廃止や政務三役中心の政策決定といった政権運営のスタイルは変更しないものの、政策決定などで官僚を排除するのでなく、協力や協調を求める「脱・脱官僚」宣言と言える。

首相は訓示で「(官僚と)政治家との関係は試行錯誤があった。政治家も、『自分たちだけで大丈夫』では物事が進まないことを理解してきている」と発言。首相の言葉に、うなずく次官もいた。

菅政権は鳩山前政権に比べて官僚と共存する姿勢を強めており、昨年末には仙谷由人前官房長官が、政務三役会議に次官や官房長が同席するよう求めている。

【私の論評】おしゃべり空き菅に明日はない?!
民主党の政治主導は、最初から頓挫していました、やはり、思った通りになりました。菅さんは、財務大臣になったときから、もう完璧に財務官僚に取り込まれていたと思います。あの頃から、自らの方針などがないため、何でも財務官僚にいわれたことを、さも自分が考えたかのように語っているだけです。

いろいろと、学者などもアドバイスしているようですが、何人もの学者などの意見で、良いと思ったことをつまみ食いして何やらやってみたり、発言してみたりして、結局失敗や、失言に終わっているようなので、結局は、財務官僚考えが最も強く反映されているに違いありません。

その最たるものは、参議院議員選挙で敗因の一つにもなった、唐突な「消費税増税発言」だと思いす。これに関しては、マクロ経済的な観点からすれば、デフレ・ギャップの最中に実施すべき筋合いのものではありません。これは、以前にもこのブログの記事で掲載しました。

このことに関して、昨日WSJについて掲載しましたが、このWSJが消費税に関して面白い記事を掲載していたので、その部分を下にコピペしておきます。
財政再建のタカ派だが、デフレではハト派-。簡単に言えば、菅直人首相が14日の内閣改造で経済財政担当相に任命した与謝野馨氏はそういう考え方の持ち主だ。
経済拡大もまた大切だ。経済拡大なき財政再建は、抜本的な支出削減と増税なしにはほとんど不可能だ。それが与謝野氏には欠けるところだ。同氏は財政という国の問題の一部に集中しているだけで、もう一つの決定的な課題を無視しているからだ。それは名目成長率を金利以上に押し上げる必要があるというものだ。 
これにはデフレを終息させることが決定的に重要だ。与謝野氏の任命の結果、政府と協調して物価下落を克服するためもっと行動すべき日銀に対する圧力が弱まる可能性がある。2006年の経済担当相時代、与謝野氏は政府の月例経済報告から「デフレ」という言葉を早々と削除し、日銀に対する行動の圧力を弱めた経緯がある。
このデフレの最中に、財政再建だけに注力するのは、明らかに間違いです。このことは、私もこのブログに掲載しましたが、さすが、一流紙WSJだけあって、明瞭に簡潔に、スタイリュにまとめています。与謝野氏は、結局は、マクロ経済的な見方ができず、経済のほんの一側面であるプライマリー・バランスに拘泥している、年寄りにすぎません。

菅さんは、与謝野さんはもともと自民党の人間であり、財政改革は自民党の谷垣総裁も自民党の政策として掲げているものであり、与謝野さんを入閣させれば、自民党が歩み寄ってくる可能性が高いと判断したのだと思います。しかし、これは大きな誤算です。なぜなら、自民党も民主党と同じ寄り合い所帯であり、現行のデフレの最中に、財政再建を優先すれば景気が大きく落ち込むという、マクロ経済的にいえば、当たり前のことを懸念する人も数多くいます。

政権末期になると、与謝野氏は過去においては、いつも当該政権に入閣するということを繰り返しています。政権末期になると、政権内での主導権争いもあり、またさらに泥舟なので、閣僚というエサをまいてもなかなか政治家は寄ってこなくなります。その一方で、政権側は、末期であることを糊塗するために、それなりの人物をそろえなくてはいけません。こういうときに、与謝野氏もあわよくば政権を乗っ取りたいという思惑があるのだろうか、過去においては何とかして政権にもぐりこみ閣僚の席を獲得しました。しかしいままでのところ、その直後に政権は崩壊しています。

これは、小泉政権の末期から繰り返された光景なので、自民党関係者から与謝野氏は「墓堀人」と呼ばれています。

財務官僚など、本気で日本の経済のことなど考えていないと思います。自分たちの既得権益を守るためだけに、行動しているのです。だからこそ、財政再建を強力に推進しようとしているのです。これが、菅総理の目前の目標である、子ども手当の完全給付などマニフェストを実行するための財源探しなどと利害が一致しただけだと思います。それに、与謝野さんが入閣して、ますますこの路線を強化することになりました。

今度の改造内閣では、「増税すれば景気回復する」という菅総理、根っからの財政再建タカ派の与謝野財政担当大臣、「利上げすれば景気回復する」という枝野官房長官、「円高指向、財政再建指向」の藤井副長官と、デフレ・増税論者のそろい踏みです。もしそれが実行されたら、与謝野氏が昨年1月に書いた本の題名通り、「民主党が日本経済を破壊する」ことになるでしょう。

それと、菅さんは、日本の官僚の本質も判っていないと思います。ちなみに、経営学の大家ドラッカー氏は、最後の著書「ネクスト・ソサエティー」において、「日本の官僚に関する異説」を述べています。それを下に引用します。( )内は、ブログ管理人の注釈です。これに関しては、このブログに過去にも何回か引用したことがあります。
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第一が、日本の官僚の優位性はほとんどあらゆる先進国で見られるとの仮説である。アメリカといくつかのあまり人口の多くない英語圏の国、すなわち、オーストラリア、ニュージーランド、カナダのほうが例外である。日本の官僚の優位性は、他の先進国、特にフランスに比べるならまだまだ劣っている。(日本の官僚の数が多いという認識は全くの間違いです。確かにニュージーランドの役人数は少ないですが、ニュージーランドは人口そのものが数百万です。人口比で比較すれば、日本のほうが少ないです。英語圏以外の国では、フランスなどのように役人の権力は日本よりも強大です) 
第二が、日本の官僚は、われわれが考えるよりもはるかに耐久力があるというものである。日本の官僚は、長年の不祥事と無能の暴露にもかかわらず権力を維持してきた。(諸外国に例を見ない、特別会計が100年前から温存されてきたこと自体が、日本の官僚の権力維持能力が強固であることの査証です。民主党はこれを甘くみすぎている) 
第三が、先進国では、アメリカを別として、社会の維持にはエリートの指導力が必要されているというものである。後を継ぐべき者が現れないかぎり、既存の指導層に頼らざるを得ない。今日の日本には、官僚の後を継ぐものは現れそうにない。(残念ながら、今の民主党では、官僚のやっていることを統治することは困難である。政治主導とは幻想に過ぎず、現在の民主党は自らをあまりにも買いかぶりすぎている) 
第四が、日本では先送り戦略が有効であるというものである。日本は、この40年間、解決不能とされていた社会的な問題を、問題の解決よりもむしろ先送りによって二度までも解決してきた(前近代的農業人口の都市部への流入、前近代的な流通システムの改革)。もちろん今日の金融システムにおける構造上の脆弱さと資金的な余力を考えれば、今度ばかりは先送り戦略はうまくいかない(日本の金融機関は豊富な資金力が故に改革が困難である)。しかし経験的には、日本の先送り戦略には一概に不合理とはいえないものがある。(現在の民主党は、とにかく何かをやろうとする、それは、拙速で乱暴でさえある。しかし、今後も何もしないということのほうが、より合理的で、効果のあがる戦略である事案もある。たとえば、普天間問題など)
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このドラッカーの異説より、私は、民主党の政治主導、脱官僚は実際にはかなり難しいと思っていました。実際には、民主党は、政権交代をしてから、ただの一回も政治主導も、脱官僚もできなかったと思います。

それから、政治家と官僚の関係は、企業でいえば、トップ・マネジメントとミドル・マネジメントのような関係にあると思います。トップとミドルの間には、大きな溝があります。トップ・マネジメントは、無論経営者です。ミドル・マネジメントは、たとえ、大所帯のトップであったとしても、従業員であることには変わりありません。

トップ・マネジメントの仕事と、政治家の仕事を対比しつつ以下に掲載します。(  )内が政治家の仕事。

・会社(日本国)のミッション・ビジョン・ゴールの設定と実行

・組織(行政組織)を作り上げ、それを維持する役割‥明日のための人材を育成すること、トップの価値観を示し組織の基準とすること、組織構造を設計すること

・渉外の役割、顧客、取引先、金融機関、政府機関などとの関係を取り結ぶこと。(国内、外国との渉外)

・儀礼的役割、規模の小さい企業ほど逃れることのできない時間のかかる仕事となる。(国や世界の儀礼的役割)

・重大な危険に際して自ら出動する役割(これは政治家もトップマネジメントも同じこと、最近では、口蹄疫での政治家の役割が注目された)

ドラッカーは、これらの仕事は、それぞれ全く性格が異なるので、会社の規模が大きくなれば、経営者が一人で行うのは、不可能としています。そのため、トップ・マネジメント・チームをつくることが重要であるとしています。政治の世界も同じことです。

官僚の仕事は、本来は政治家が行う仕事を補佐するようなものです。それは、企業においては、トップマネジメントが事務や、営業活動を直接行わず、従業員にやらせ、自らは、上記のようなことを行なうのと同じことです。

まともな会社であれば、経営者と、従業員が対立するのではなく、互いに一つ目的に沿って協調するのが当たり前であって、どちらかがいらないなどというものでありません。経営者が存在しなくても、大変なことになりますし、従業員が存在しなければ、経営者も何もできません。

政治家と、役人の関係も同じことです。要するに、民主党は、会社でいえば、人を使えない、経営者ということになると思います。というより、彼らの行動をみていれば、人を使えない管理者にも成りきれていないようです。

しかし、国のあり方として、政治主導は当たり前のことであり、それが、現実に実現されているのか、そこなわれているのかは別にして、本来であれば、わざわざ最初から政治主導とか、脱官僚などという愚かなことは言うべきではなかったはずです。今回の菅さんの発言は、先の愚かな発言に対して、さらに恥の上塗りをしたにすぎません。

菅さんまた、失言してしまいましたね。わざわざ、「脱・脱官僚宣言」などすべきではなかったです。黙って、上記の経営者と従業員のような関係を官僚との間につくるべきだったと思います。いつものように、軽く口でいってしまい、後悔することもなく、おそらく、財務官僚たちを大喜びさせたと思います。

このような幼稚な判断しかできない、菅さん、それに民主党自体ももう、先はありませんね。次の選挙では間違いなく、敗北です。それに、このまま財政再建にのみ地道をあげれば、与謝野氏の著書『民主党が日本経済を破壊する』を実現することになり、多くの国民が離反することになります。このまま、生き恥を晒すくらいであれば、さっさと、衆院を解散して選挙をして自らの去就を国民に問うべきです。

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2011年1月20日木曜日

「脱記者クラブ」を宣言し、巨大広告主を激怒させて「一流紙の名声」を得たWSJ―【私の論評】日本の新聞が一流になれないのは、記者クラブがあるから?

「脱記者クラブ」を宣言し、巨大広告主を激怒させて「一流紙の名声」を得たWSJ



現代ビジネスと言うサイトに、牧野洋氏が「ジャーナリズムは死んだか」という興味深いコラムを書かれています。詳細は、以下のURLをご覧いただくこととして、以下にその要約を掲載しました。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/1931
記者クラブは必要なのか。業界団体である日本新聞協会の見解はこうだ。 
「記者クラブは、言論・報道の自由を求め日本の報道界が1世紀以上かけて培ってきた組織・制度なのです。国民の『知る権利』と密接にかかわる記者クラブの目的は、現代においても変わりはありません」 
国民の「知る権利」を守るために有効ならば、なぜ日本以外の主要国に記者クラブはないのだろうか。 
実は、半世紀ほど前のアメリカにも記者クラブはあった。自動車産業の一大集結地デトロイトの自動車記者クラブ、通称「オフレコクラブ(Off-the-Record Club)」だ。業界団体の建物の中に物理的に存在していたわけではないものの、日本の記者クラブと比べても実態は同じだった。 
20世紀は「アメリカの世紀」であり、「自動車の世紀」でもあった。第2次大戦直後の半世紀前はアメリカ自動車産業の絶頂期であり、ゼネラル・モーターズ(GM)は世界最大・最強企業として君臨していた。大手新聞・通信社にとっても、デトロイトはワシントンやニューヨークと並ぶ花形支局だった。 
  オフレコクラブはとっくの昔に解体されている。国民の「知る権利」を守るどころか、逆に損ねていると見なされたからだ。 
デトロイト報道界の記者クラブ的談合体質に反旗を翻したのは、経済紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)だ。1950年代前半、地元報道界の決まり事を無視して独自の報道を展開したことで、同紙は実質的な「出入り禁止」処分にされ、大口自動車広告もキャンセルされた。しかし、同紙が一流の経済紙へ躍進するきっかけにもなったのである。 
オフレコクラブをめぐる騒動については、エドワード・シャーフ著『ウォールストリート・ジャーナル』(ここでは原書『ワールドリー・パワー』を利用)のほか、リチャード・トーフェル著『レストレス・ジーニャス(不屈の天才)---バーニー・キルゴア、ウォールストリート・ジャーナル、近代ジャーナリズムの発明』に書かれている。 
シャーフは「タイム」などの雑誌記者出身だが、トーフェルはWSJの編集局次長を経験しており、内部からWSJの歴史を知る立場にある。現在は有力ネットメディア「プロパブリカ」の幹部だ。2人とも、「WSJ中興の祖」バーニー・キルゴアに焦点を当てながらWSJが一流紙へ脱皮する経緯を描いている。 
以下、シャーフ本とトーフェル本を基にしてWSJ小史を紹介したい。日本の記者クラブ問題を語るうえで貴重な判断材料を提供してくれるからだ。 
オフレコクラブは、大手メディアのデトロイト支局記者と自動車メーカーの経営幹部が定期的に意見交換する懇談会のことだ。 
メーカー側の事情を考えれば当然だった。発表前に新モデルが公にされると、旧モデルが売れなくなってしまう。大幅なモデルチェンジが予定されている場合はなおさらだ。メーカー側としては、旧モデルの在庫を一掃するのを待って新モデルを発表したい。そのためにはモデルチェンジの内容はもちろん、発表タイミングも秘密にする必要がある。 
ここでの「ジャーナリズムとは言えない」とは、「国民の『知る権利』には応えられない」とほぼ同義と見なせるだろう。ちなみに、日本の記者クラブで行われる「オフレコ懇談会」の問題点については、以前の記事(ウォーターゲート事件のディープスロートさえ「オフレコ取材」ではなかった)の中で取り上げた。 
GMだけでなく同業他社からも除け者に
ウィリアムズがWSJ史に残る記事を書いたのは1954年5月28日だ。同日付のWSJ紙面上で、彼は同年秋に発売予定の55年型モデルの詳細をすっぱ抜き、「55年型モデルのデザインは一新される。半世紀に及ぶ自動車業界史上、これほど大幅なデザイン変更は初めて」と書いた。新モデルの完成予想図まで載せた。 
いわゆる「黒板協定」を破ったのと同じだった。日本の記者クラブでは、役所や業界など「取材される側」が今後の発表予定をクラブ内の黒板に書き出す。いったん黒板に書き出せば、発表前にニュースを書かれる心配はなくなる。抜け駆けしてニュースを書いた記者は、クラブの規定に従って除名や出入り禁止などの処分を受けかねないのだ。 
ウィリアムズはオフレコクラブに入会していなかったから、公式に処分されることはなかった。それでも嫌がらせを受け、実質的に出入り禁止にされた。例えば、自動車市場で50%のシェアを握るGMの広報室に電話をかけても、誰も折り返しの電話をくれなくなった。それどころか、毎週金曜日にGMが発表する週間生産台数などの情報も提供されなくなった。
ウィリアムズは同業他社からも除け者にされた。APのデトロイト支局に連絡を入れてGMの週間生産台数を教えてもらおうとすると、冷たく対応された。WSJはAPに加盟料を払って記事の配信を受ける立場にあるのに、である。週間生産台数などの数字を握る自動車業界誌「ウォーズ・オートモティブ・リポート」も読めなかった。一方的に購読契約を解除されていたのだ。 
週刊誌「ニューズウィーク」はウィリアムズに手厳しく、次のように論評した。 
「デトロイト報道界は今回の騒ぎを複雑な思いで見ている。ウィリアムズはちょっとやり過ぎたのはないかという意見もある。(中略)業界のカクテルパーティーに出席中に、取材ノートを取り出してメモを取り始めることもあった。 
それに、新モデルをすっぱ抜いたからといって記者として優秀というわけでもない。なぜなら、『協定』を守るつもりさえなければ、誰にでもすっぱ抜きはできるのだ」 
GMは情報面に加えてカネの面でもWSJに圧力をかけた。広告代理店5社経由でWSJへの広告出稿を全面ストップしたのだ。当時、アメリカ全国の新聞広告のうち自動車は5分の1以上を占めており、その中でも最大手GMの広告は突出していた。 
キルゴアはWSJの論説面を使って、圧力に屈しない姿勢を鮮明にした。 
「新聞は情報を読者に届けるためだけに存在する。ほかに理由はない。読者にとっての新聞の価値とは何か。今何が起きているのかについて真実を明らかにし、きちんと伝えること。これに尽きる。広告主などからの圧力で伝えるべきニュースを伝えなくなったら、新聞は広告主も含め誰にとっても何の役にも立たなくなる。読者を失ってしまうからだ」 
世界の一流紙といわれているウォール・ストリート・ジャーナルのサイト画面
記者クラブから脱退宣言をする新聞社よ、出てこい
GMによる広告ストップや情報提供拒否は1週間以上にわたって公にならなかった。GMは何も発表しなかったし、WSJは何も報道しなかったからだ。 
しかし、WSJが上記の論説を掲載したのとほぼ同じタイミングで、広告専門誌「アドバタイジング・エイジ」がGMによる広告ストップをスクープし、大騒ぎになった。ニューヨーク・タイムズは「WSJをブラックリストに載せるGM」と報じた。 
WSJは当事者であることからニュース面で追いかけるわけにはいかなかった。代わりに、6月21日付の論説面でニューヨーク・タイムズの「WSJをブラックリストに載せるGM」記事をそのまま転載した。その理由について、「WSJ自身が事件の当事者になってしまったので、読者の皆さんには独立した第三者の報道を読んでもらうべきだと判断しました」と説明した。 
GM対WSJの結末は? 結論から言えば、WSJの圧勝だった。 
デトロイトでは自動車業界からも同業他社からも目の敵にされたWSJだが、デトロイト以外では「アメリカ最強の広告主に敢然と立ち向かう新聞」として逆に名声を高めた。2カ月後にはGMも広告ボイコットを取り下げざるを得なくなった。トヨタ自動車が広告の全面ストップという脅しをかけたら、日本の新聞社はどう対応するだろうか。 
取材面でも「出入り禁止」効果は限定的だった。確かにWSJにはデトロイト支局からニュースがなかなか入ってこなくなった。だが、同紙は全国に取材ネットワークを築いており、同支局に頼らなくても自動車業界の情報を収集できた。自動車ニュースについては「よいしょ記事」が減ったことでむしろ紙面の質が高まった。 
目先の巨額広告料と長期的な名声を比べれば、新聞社にとっては明らかに後者が重要だ。WSJの歴史がそれを証明している。同紙は記者クラブ的な談合体質と決別したことで、「アメリカを代表する一流紙」としての地位を確立したのである(ただし、新聞王ルパート・マードック傘下に入ってからの過去数年間は、同紙の質低下が懸念されている)。 
日本新聞協会が言うように、記者クラブは国民の『知る権利』を守るのか。WSJの歴史を教訓とすれば、「記者クラブは国民の『知る権利』を損ねる」とも言えるのではないのか。日本でも記者クラブ脱退を宣言する新聞社が現れれば、日本新聞協会の見解が正しいかどうか検証できるのだが・・・。
【私の論評】日本の新聞が一流になれないのは、記者クラブがあるから?
以下に、この問題に詳しくない人のために、この問題の要点をwikipediaから引用してまとめておきます。詳細は、wikipediaなどご自分で参照してください。
記者クラブは、公的機関や業界団体などの各組織を継続取材しています。おもに大手メディアが構成している組織。英語では「kisha club」ないしは「kisha kurabu」と表記されます。日本外国特派員協会などの、大手メディア以外の記者、ジャーナリストも加盟できる「プレスクラブ」とは全く性格を異にするほぼ日本独特のシステムであり、フリーの記者などに対し排他的であるとして近年、批判を浴びています。 
記者クラブは前述の通り、大手メディアが組織しています。従って会員制と言えますが、大手以外のジャーナリストなどの入会は難しいのが現実です。日本新聞協会は入会資格を「公権力の行使を監視するとともに、公的機関に真の情報公開を求めていく社会的責務」「報道という公共的な目的を共有」「記者クラブの運営に、一定の責任」「最も重要なのは、報道倫理の厳守」と説明しています。 
実際に入会審査するのは各記者クラブですが、審査過程は不透明で、加盟社が1社でも反対すれば入会は認められず事実上、新規参入が阻害されています。外国メディアへの対応もこれと同じで、入会を巡って激しい交渉が行われました。クラブのその排他性から「情報カルテル」「談合」「護送船団方式」と表現されることもあります。取材源側が親睦団体の建前を利用し、「官報接待」などを行うことも多々あります。
入会を希望するジャーナリストの中には、クラブの一員になりたいのではなく、記者会見で取材がしたいだけという者もおり、記者クラブに代わる認定制度・会見制度を求める意見があります。 
また、これまでOECDやEU議会などから記者クラブの改善勧告を受けていますが、一貫して大手メディアは記者クラブに関する事柄を報道しないため、国民は、記者クラブの持つ閉鎖性を知る機会が限られてしまっています。
記者会見・記者室の完全開放を求める会というものが存在しています。この会の目標として、記者クラブに入れないジャーナリストを「記者会見に参加させろ」の趣旨のようです。世界の大勢からすると記者クラブは日本とジンバブエにのみ見られる、極めて珍しい閉鎖的体制ですから、根本的には「グローバル・スタンダード」に則って、進んで記者クラブ側が開放しなければならないものと思います。

しかし、記者クラブ側にそんな気はサラサラないようです。なんと言っても長年築き上げ、享受し続けてて来た「既得権益」ですから、「日本の特殊性」を大義名分として死守する構えを崩しません。この既得権益を譲り渡してしまうと、既存メディアが他のメディアに対して優位に立てる面が乏しくなりますから、まるで聖域のような様相になっています。

それでも記者クラブ問題は、既製メディアの必死の鎮静化にも関らずじわじわと火の手を広げています。背景にはここ数年続いている報道不況があります。既製メディアは新聞を筆頭として、すべてのメディアで退潮傾向が顕著です。業績が苦しくなると、商売でジャーナリストをやっている人たちのパイが少なくなることになります。パイの奪いあいの中で、記者クラブはいまのままでは存続することは不可能になっていくことでしょう。

この傾向は、しばらく続くことでしょう。ネットなどで情報を集める人にとっては、日本のマスコミが非常におかしいことは周知の事実です。政治、経済、社会どの側面をとっても、今の新聞報道は偏りがあります。いわゆる発生した事件のその出来事事態を報道することに関しては、それなりにまともに報道しているようにもみえますが、それでもその背景まで含めた報道はどこか歪でいるとしか思えないような報道がなされているというのが実態です。

記者クラブ問題については、このブログではあまり扱ってはきませんでしたが、新聞報道のおかしさについては再三にわたって掲載してきました。

私は、日本の新聞が、世界の一流紙になれないのは、他の国にはない記者クラブ制度があるからではないかと疑っています。日本の新聞が、他国の新聞などと比較して、根本的劣っているのは、何も今に始まったことではありません。おそらく、100年も前からそうだったのだと思います。

ただし、昔は、一般の人のニュースソースといえば、新聞などのメディアしかなかったので、本当のことを知っていた人は、ごく一握りの人だったからに違いありません。高いコミュニケーション・コストをさいてでも、情報を仕入れるお金持ちか、当事者と当事者のまわり人しか真相は知らなかったのだと思います。だから、マスコミの報道内容に関して、疑問を持つ人は現在から比較すれば、極少数だったのだと思います。私も、はずかしながら、マスコミのおかしさについて、はっきり認識したのは大学に入ってからのことで、そのことについては、環境問題関連のことで、このブログにも掲載したことがあります。

現在では、従来から比較すれば、コミュニケーション・コストが低くなり、インターネットがあり、新聞報道に関する裏づけなど知ろうと思えば、いくらでも調べることができます。実際ネットを見ていると、中高生が「大人って馬鹿だ、インターネットで自分でいろいろ調べれば判ることなのに、新聞報道を鵜呑みにしている」などの書き込みをみたのは、一度や二度ではありません。特に、若い世代で、この裏づけをとるという人か増えつつあります。

今後、アップルTVや、GoogleTVなどが普及してくると、わざわざ、パソコンやiPadなどに向かわなくても、いろいろなニユースを、文字情報、映像にかかわらず、ますます簡単に低コストで入手可能な時代になってきます。きっと、有料であっても、月々数百円で既存のメディアをはるかに凌駕したメディアがいずれできあがります。そんなときに、今のままの新聞などの既存メディアは太刀打ちできなくなります。

現在は、音楽配信サイトがあり、CDの売上が極端に落ちています。私自身も、ここ2~3年はCDを購入した記憶がありません。CDは言うに及ばず、昔のカセットテープ、SP、LPはほとんど姿を消しています。メディアというものは、時代の変遷とともに変わっていくのが当たり前だと思います。音楽コンテンツ自体も、世の中が変わると変遷していきます。クラシックなどの一部を除いては、100年前のポピュラー音楽は今では、ほとんど売れないでしょう。

そのことに気づかないので、多くの新聞社は、音楽の世界でいえば、今やぜんまい仕掛けの蓄音機のような記者クラブにしがみ続けるのだと思います。私は、現状をみれば、かつてのWSJが記者クラブを抜けて、一流紙になったことを思い起こせば、日本の新聞社などの生き残る道は、旧態依然とした記者クラブに居続けるより、そこから抜けて、自ら世界の一流紙を目指す道を選ぶことしかないようにみえます。

意外とあと20年もしないうちに、「記者クラブ博物館」なるものができて、昔はこのような形で報道が行われていたという内容が陳列されるのではないか思います。そうして、年配者が昔の活版印刷の活字を見るように懐かしむようになるのではないかと思います。その展示物の中には、各社の新聞紙自体も陳列されるのではないかと思います。無論、きっと、iPadのようなタッチパネルの大きな画面でも、それらが参照できるようになっていて、歴史的史実と照らし合わせて、どこに問題があったのかも、豊富な文字情報、動画情報などによって同時に知ることができるようになっているに違いありません。


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2011年1月19日水曜日

もう"音楽プレーヤー"の枠は超えた - iPod touchの目指すところ―【私の論評】確かに超えている!!

http://journal.mycom.co.jp/articles/2011/01/18/ipodtouch/index.html


【私の論評】確かに超えている!!
私は、現在iPhoneを所有しています。そうして、いわゆる携帯電話はこれ一つのみです。所有してから思ったのですが、前の携帯電話はそのま持っていて、iPhoneではなくて、iPod tuchを購入すればよかったと・・・・・。

なぜなら、確かに、iPad touchは、電話機能のないiPhoneと揶揄されているように、iPhoneから形態電話機能を取り除いたものといっても過言ではないからです。であれは、従来の携帯電話はそのまま持っていて、iPod Touchを購入すれば、携帯電話は形態電話で、現在のiPhoneには足りない機能もありますから、それらを使うことができますし、一方iPhoneの機能に関しては、携帯電話だけのぞいてiPod Touchで同等のものが入手できるというわけです。

以前、テレビで、iPhoneと携帯電話の2台を所有している人が、結構いるという内容を見たことがあります。こういう人には、うってつけのやり方だと思います。

今の時代は、やはり、携帯電話でないと、いろいろと都合の悪いこともあるので、やはり、今の時点では、どんな形式であっても携帯電話は一台持っていたほうが良いです。

しかし、iPhoneを持ってから、これで、skypeやviberも使えので、使ってみたら、もう、これって完璧に電話ですね。しかも、通信費が無料というところが素晴らしいです。ただし、今のところ、skypeを使っている人や会社など限られるのと、skypeを待ち受けにしていているとやたら電気が喰うということでやはり、今のところやはり、携帯電話のほうが使い勝手は良いです。

しかし、viberなら待ち受けにしなくても、使えるので、電力消費も少なくて、すみます。これなら、もうほとんど電話と何も変わりません。ただし、これは、skypeよりもさらに、使っている人が少ないので、やはり、今のところは、携帯電話に軍配があがります。

しかし、skypeやViberを使う人が増えた場合、最早、携帯電話はいらなくななりますね。iPodのようなものを使えば、それで良いということになります。ただし、iPodであれば、wifiなどの無線ランが使えないと通信もできないということになってしまいます。

しかし、今なら、ポケットwifiもありますし、それどころか、wifiルーターで、アンドロイド携帯の機能を持っているものまで現れています。私自身も、以前の有線のランは、やめて、今では、wimaxのSpeedwifi(他社でいうところのボケッとwifiと同じ)を用いています。これを持っていれば、ほぼ、どこでも、iPodも使えるというわけです。

さて、私は、上記の記事では、いまやiPodシリーズの中核製品として、たんなる"音楽プレーヤー"を超えたデバイスとして、新たな市場にそのターゲットを定めている。ライバルは音楽プレーヤーではなく携帯ゲーム機としていますが、私は、ジョブスは、ひよっとして現在の携帯電話なるものがこの世から消えてしまうことを視野に入れているのではないかと思っています。

それから、非常に気になるのが、アンドロイドのiPod版のようなものがでてくるのかどうかということです。でも、これに関しては、SIMロックタイプのアンドロイド携帯があるので、SIMカードを入れなければ、携帯電話としては使えないわけですから、わざわざ、iPodのようなものをつくらなくても良いのかもしれません。

いずれにせよ、iPodが今後どのように変遷していくのか、これからも、追いかけて行き、なにか変化があれば、このブログに掲載します。


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2011年1月18日火曜日

Appleを復活させた「魔法使い」、ジョブス氏の休職―【私の論評】ジョブスの生き方は、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という日本人の理想を体現している!?

Appleを復活させた「魔法使い」、ジョブス氏の休職


大衆を魅了し続けるジョブス氏
スティーブ・ジョブズ氏が療養のため休職するが、iPodやiPhoneを生み出した同氏は、多くのAppleファンや投資家から代わりがきかない存在と考えられている。

スティーブ・ジョブズ氏(55)はAppleのCEOを2度にわたって務めた間に、パーソナルコンピューティングの方向を変えた。その間にその独特のスタイルとiPod、iPhone、iPad、Macという象徴的な製品は、同氏の名を世間に知らしめた。

同氏は1月17日、治療に専念するために療養休暇を取ると明らかにした。健康問題による前回の休職から2年ぶりとなる。同氏は、ほかの人では代わりがきかないと多くのAppleファンや投資家に考えられており、過去にはすい臓がんを患ったこともある。

同氏の健康問題についてはこれまで開示が不十分だと批判されているが、同氏は今回も自身の健康状態について何も説明していない。

これまで病気を抱えながら、ジョブズ氏はAppleのイベントで華々しく最新の製品を発表し続け、顧客や社員、アナリストは一様に同氏のやせ細った姿から憶測をめぐらせていた。

同氏は12年ぶりにCEOに復帰した後、Appleをよみがえらせた。それは主に、大人気となったiPodを生み出したデザインへの情熱によるものだ。

iPodは2001年の発売以来、2億5000万台以上売れている。

Appleは2007年、タッチスクリーンのiPhone――半宗教的なファンからは「ジーザスフォン」と呼ばれる――で携帯電話市場を変え、1年前にはiPadを立ち上げてタブレットコンピュータの新たな市場を作った。

「スティーブ・ジョブス氏はマーケットから、Appleの戦略的な方向に強い影響力を持つと見られている」と野村のグローバルテクノロジースペシャリスト、リチャード・ウィンザー氏は17日に語った。

しかし近年では、同氏の健康状態と、Appleを率いる能力への疑問も持ち上がり、同氏の過去の業績と今後の展望に影を投げかけかねない状況にあった。

同氏は2004年に珍しいが治療しやすいタイプのすい臓がんから回復した後、2009年前半に療養休暇を取った。「ホルモンバランスの異常」と説明していた自身の健康問題が、思ったより複雑だったためとしていた。

ブログでは、同氏が以前のがんの合併症にかかっているのではないかとのうわさが飛び交った。同氏は後に、休職中に肝臓移植を受けたことを明らかにした。

今回、一部のアナリストは、ジョブズ氏が引退して後継者――ジョブズ氏不在の間Appleを経営してきたティム・クックCOO(最高執行責任者)かもしれない――に会社を引き渡す準備までしているかもしれないと考えている。

成功、追放、そして復活

ジョブズ氏は仏教徒で、養父母の下で育てられ、大学を中退した経歴を持つ。同氏は1970年代後半に友人のスティーブ・ウォズニアック氏と、シリコンバレーにある自宅のガレージでApple Computerを立ち上げた。

Appleは程なく、「Apple 1」を投入した。だが、大成功を収めたのは「Apple II」で、同製品はAppleを当時緒に付いたばかりのPC業界で重要なプレイヤーの地位に押し上げた。その結果、1980年の株式公開でジョブズ氏は億万長者となった。

1983年に、ジョブズ氏がPepsiのCEOだったジョン・スカリー氏を「残りの人生を砂糖水を売って過ごしたいか、それとも世界を変えるチャンスをつかみたいか」と口説いてAppleのCEOに引き抜いた話は有名だ。

その1年後、使いやすいグラフィカルユーザーインタフェースを備え、世界で初めて成功した商用コンピュータ「Macintosh」が登場した。

Macが成功したにもかかわらず――おそらくはその成功も一因だったのだろうが――ジョブズ氏とスカリー氏の関係は悪化した。1985年には、取締役会がジョブズ氏の権限のほとんどを取り上げ、同氏はAppleを去り、保有していた同社株を1株だけ残して売却した。

その後ジョブズ氏が設立したコンピュータ企業NeXTをAppleが買収することで、1997年に同氏はAppleに復帰した。同氏は暫定CEOとなり、2000年にAppleは肩書きから「暫定」を外した。

2001年にAppleはiPodを立ち上げた。そのエレガントでシンプルなデザインは、テクノロジーとメディアを融合させる革新者としてのジョブズ氏の伝説を揺ぎないものにした。

ジョブズ氏はAppleでの仕事に加えて、1986年にアニメ映画制作会社Pixarをエドウィン・キャットムル氏、アルビー・レイ・スミス氏とともに設立し、Lucasfilmのコンピュータグラフィックス部門を1000万ドルで買収した。

1995年にCGアニメ映画「トイ・ストーリー」を公開。その後アカデミー賞を受賞した「Mr.インクレディブル」「レミーのおいしいレストラン」「モンスターズ・インク」などの作品を投入した。

Walt Disneyが2006年にPixarを買収した際、ジョブズ氏はDisneyの取締役と筆頭株主になった。

(ITMedia)

【私の論評】ジョブスの生き方は、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という日本人の理想を体現している!?
ジョブスの凄さは、何といってもプレゼンのうまさです。特に経営者では、彼の右にでるものはいないでしょう。下の動画を御覧になると、ジョブスのプレゼンの仕方の流儀がわかります。


さて、上の動画で、書籍の編集者が、ジョブスのプレゼンの凄さの秘訣の一つを「一回に覚えられることは三つまでであり、ジョブズはプレゼンのときに要点を三つにまとめる」と語ってしました。下の動画は、プレゼンではありませんが、ジョブスの伝説のスピーチといわれたものの動画です。ここでも、ジョブスは、要点を三つにまとめて語っています。下の動画では、特にジョブスの語る「死を意識することの意義」に着目していただきたいです。




さて、この魅力ある人物について、以前ASCIIが過去にこのように評していました。その一部を下に抜き書きします。
■二面性のある人物像
企業における部下の掌握術のひとつに、「飴と鞭を使い分ける」というものがある。言葉を換えれば、褒めるべきところはしっかり褒め、叱責すべきところはきちんと叱責するということだ。スティーブ・ジョブズは、この面でも非常に長けている。 
あるときには、些細なことから大勢の同僚の前で部下を怒鳴り散らし、自信喪失に至らせてしまう。しかし、それを乗り越えて水準を超える働きをした者には、最大級の賛辞を惜しまない。 
良く言えば感情が豊かであり、悪く言えば気まぐれとも感じられる彼には、その性格を巧みに操って、周囲の人間たちに自らのビジョンを説き、納得させてきた歴史がある。思えば、70年代後半のアップル創生期、同社は「2人のスティーブ」で成り立っていると言われていた。それは、スティーブ・ジョブズと、当時のベストセラー製品だったアップルIIの開発者、スティーブ・ウォズニアックのふたりのことだ。 
そして時は流れても、アップルは相変わらずふたりのスティーブで成り立っていると言える。ジョブズの中に存在する、温厚で人をやる気にさせるグッド・スティーブと、冷酷で人を震え上がらせるバッド・スティーブである。 
■良くも悪くも人をひきつける「カリスマ」
しかし、そのどちらが欠けても魅力的なアップル製品は生まれてこなかっただろう。カリスマ的という言葉で片づけるのは簡単だが、確かにジョブズは、良くも悪くも人を惹きつける魅力と、周囲の人間を巻き込んで何かを成し遂げる力を秘めている。可もなく不可もないような人間からは、そうした推進力は生まれない。 
そのためにスタッフが受けるプレッシャーも相当なものだが、アップルには、ほんの数ヵ月もしないうちに、いたたまれなくなって辞めてしまう人間が居る反面、もう15年以上もジョブズの下で活躍してきたメンバーも存在する。彼らが口々に指摘するのは、自らの限界を超える力を発揮して何かを創造することは、ジョブズなしには不可能だったということだ。
上の二面性のある人物ということでは、優れた経営者はみなそうだと思います。そうでなければ、優れた経営者にはなれません。なぜかといえば、企業のなかで、経営者はトレードオフの問題に適切に対処しなければならないからです。

トレードオフ(trade-off)とは、一方を追求すれば他方を犠牲にせざるを得ないという二律背反の状態・関係のことを意味します。トレードオフのある状況では具体的な選択肢の長所と短所をすべて考慮したうえで決定を行うことが求められます。

たとえば、企業は、特に経営者レベルであれば、10年後のことを考えて経営する必要があります。そのために、今から準備していく必要があります。それこそ、10年後の理想の姿にたって、そこから現在をふりかえって現在を考えます。しかし、今のことをおろそかにしていれば、企業が成り立たなくなることさえあります。

今のことを無視して、将来のことばかり考えて、投資などどんどんやってしまえば、今が駄目になってしまいます。かといって、今のことだけ考えて、それに対処しているだけでは、今度は、10年後に企業がだめになって、時代に適応できなくなって潰れてしまいます。あるいは、10年後のことを考えて、現在のことを実施する場合には、今やっていることをやめて新しいやりかたを導入する必要があり、、その新しいやり方をすれば、現在のやり方よりも、効率が一時落ちる場合すらあります。このトレードオフをうまくバランスさせていくのが経営者の大きな役割の一つです。

これは、人に対しても同じことです、ある人に対して、叱責し、ある人には賛辞を惜しまないということはもとより、同じ人に対してさえも、ある時は叱責し、ある時には賛辞をおしまないということは、ジョブスに限らず、優れた経営者ならだれでもそうです。ジョブスも、優れた経営者の一人であるということです。

上記の文章で気になるのは、やはり、「良くも悪くも人をひきつけるカリスマ」というくだりです。

この文章を書いた人が「カリスマ」に対してどのような観念を持っているのかわかりませんが、本人自身が、「カリスマ的という言葉で片づけるのは簡単だが・・・・」と書いてるように、私は、ジョブスを簡単にカリスマと片付ける事はできないと思います。

経営学大家、ドラッカーは、カリスマのことについて、著書に以下のように述べてます。

 「新しい現実を踏まえた政治のモットーは、カリスマを警戒せよでなければならない」(『新しい現実』)

ドラッカーは、20世紀ほどカリスマ的なリーダーに恵まれた世紀はなかったといいます。その代表格が4人の巨大なカリスマ、ヒトラー、レーニン、スターリン、毛沢東でした。

そもそもカリスマは唯一無二とする万能薬まがいのプログラムを手にしない限り、なにもできません。それら万能薬を強制するうえで力を発揮できるにすぎないからです。

ところが、いまやそのようなプログラムが存在しません。したがってカリスマ的リーダーはまったく不要です。リーダーシップは必要です。しかしそれは、今日リーダーシップと名づけられ喧伝されているものとは違います。それはいわゆるリーダー的資質とは関係ありません。カリスマ性とはさらに関係がありません。

リーダーシップにはいささかの神秘性もない。それは平凡で退屈なものです。

リンカーンほどカリスマ性のない人物はいませんでした。チャーチルにもカリスマ性はありませんでした。

それどころかカリスマ性はリーダーたらんとする者を破滅させる。ほかならぬそのカリスマ性が、自らの不滅性を妄信させ、柔軟性を奪い、変化不能とするからである。「リーダーシップの本質は行動にある。リーダーシップそれ自体はよいものでも望ましいものでもない。それは手段である」(『未来企業』)

そうして、さらに、ドラッカーはリーダーシップについて、以下のように述べています。

「リーダーシップとは人を引きつけることではない。そのようなものは煽動的資質にすぎない。仲間をつくり、人に影響を与えることでもない。そのようなものはセールスマンシップにすぎない」(『現代の経営』)

リーダーシップとは仕事であるとドラッカーは断言しています。リーダーシップの素地として、責任の原則、成果の基準、人と仕事への敬意に優るものはありません。

リーダーシップとは、資質でもカリスマ性でもない。意味あるリーダーシップとは、組織の使命を考え抜き、それを目に見えるかたちで確立することです。リーダーとは、目標を定め、優先順位を決め、基準を定め、それを維持する者です。

リーダーは、妥協を受け入れる前に、何が正しく望ましいかを考え抜く。リーダーの仕事は明快な音を出すトランペットになることだとドラッカーは言います

さて、うえの文章では「もう15年以上もジョブズの下で活躍してきたメンバーも存在する。彼らが口々に指摘するのは、自らの限界を超える力を発揮して何かを創造することは、ジョブズなしには不可能だったということだ」としています。

私は、これがジョブスの本質であり、ジョブスのリーダーシップの発揮を端的に物語っている逸話だと思います。まさに、凡人をもって、非凡なことをなさせる技をジョブスは持っているのだと思います。


ドラッカー氏から直接薫陶を受けた、ジェームズ・コリンズ氏も、その著書「ビジョナリー・カンパニー」の中で、「カリスマ性を持った人物が在任中はそれで引っ張れたとしても、退任後、組織がダメになることが多い」と述べています。

むしろ良いリーダーは、「時を告げるのではなく、時計を作る」と述べています。

「時を告げる」というのは、時計が鳴るように、大きな音で目立つパフォーマンスをするという意味のようです。

「時計を作る」というのは、組織を時計のような精密機器に見立てて、それを作り込んでいくような行為のことだ。またあなたが退任しても時を刻み続ける組織を造りなさい、ということを意味しているようです。

さて、ジョブスはどうなのでしょうか?彼は、アップルという組織に、「時計」をつくりこんでいるのでしょうか?個人としての指導者はいかにカリスマ性があってもいつかはこの世を去ります。すばらしいアイデアもいつかは時代遅れになります。ビジョナリーカンパニーは時代を超えて発展する企業です。

ジョブスは、上の動画の中で、「死を意識すること」の意義、特にポジティブな面を強調していました。これは、日本の武士道の中の「葉隠れ」の思想とも根本では相通じるところがあります。まさに、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という言葉を真の意味で実践しているようです。葉隠れは、一部の人々が曲解しているように、死を美化するものではありません。というより、まさに、上の動画でスティーブ・ジョブスが「死を意識すること」の意義と似ています。というより、生まれ育った環境や活躍してる舞台がIT業界であることなど葉隠れの思想がでてきた時代背景とは大きく異なるので、表現や、出てくる行動が少し異なるようにみえても、本質的には同じだと思います。

今の多くの日本人が忘れてしまったこのような生き方、少なくとも、少し前までは、多くの日本人の理想とした生き方、彼の生き方は、それを私たちに思い出させてくれます。だからこそ、日本でもジョブスに人気があるのだと思います。今日本では、産業に活気がありません。ジョブスがやってきたような、イノベーションは、少し前までなら日本が行っていたと思います。私は、そのようなイノベーションが行われなくなった今の日本、背景にはジョブスのような一昔前の日本人が理想とする生き方を多くの日本人が忘れてしまったからではないかと、危惧しています。

さて、そう思って現在のジョブスを見ると、あの有名なプレゼンでみせる、黒を基調とした服装、ジーンズという飾らないいでたち、なにやら、戦に挑む日本の古武士のようにも見えてきます。あの全身全霊を傾けて、ものごとに取り組む姿勢とエネルギーは、本質的には「葉隠れの思想」から沸き出でてくるものであることが、理解できます。今の若い世代には、「葉隠れ」と言っても、ほんどの人が何のことかも理解していないようです。いつから、日本の優れた世界に誇るべき伝統文化が、継承されなくなってしまったのか!!本当に残念なことです。

だから、私は、ジョブスを単純にカリスマとは呼びたくはありません。私は、彼を偉大なリーダーであると呼びたいです。日本にこのような生き方をする政治家や経営者が昨今、非常に少なくなってきたことを残念に思います。

さて、ジョブス氏、容態はどうなのでしょうか?重病説もささやかれていますが、彼は、まだ56歳、これから経営者として円熟味が増してくる年代だと思います。これからは、特に経営者として優れた手腕を発揮していただきたいものです。はやく、病を克服して、カムバックしていただきたいものです。


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2011年1月17日月曜日

情報管理大丈夫?78大学がメールに民間利用―【私の論評】情報や知識が盗まれたことによって、すぐに競争力を失う企業は最早まともな企業とは言いがたい?!

情報管理大丈夫?78大学がメールに民間利用


学内のメールシステムに、グーグルなどの民間企業が無償で提供するクラウド型サービスを採用する大学が増えている。

読売新聞の調べでは、少なくとも全国の78大学が導入。経費を節減したい大学側と、自社サイトの利用率アップを狙う企業側の思惑が一致した結果だが、データを管理するサーバーが海外に置かれるケースもあるとみられ、専門家からは情報管理の安全性について疑問視する声も出ている。



読売新聞が全国の主要大学に聞き取り調査をしたところ、国公立大14校、私大64校がシステムの保守管理を一部または全部、企業に委託していると回答した。これは全国で800近くある大学の約1割を占める。

2007年に日大がグーグルのシステムを採用したのが最初で、その後急増。導入すると、教職員や在学生、卒業生らにメールアドレスが付与され、スケジュール管理機能や、ネット上での文書共有機能も利用できる。アドレス表記は大学で独自運用していた時と同じで、部外者には企業が管理するものとは分からない。

(2011年1月17日03時08分  読売新聞)

【私の論評】情報や知識が盗まれたことによって、すぐに競争力を失う企業は最早まともな企業とは言いがたい?!
このことについては、これをクラウドを用いないで実現するとしたら、とてつもない規模のシステムと労力が必要になることは、以前このブログにも掲載しました。

その内容の一部を下に掲載します。
多くの会社では、Google Apps(一人5000円/年)程度の契約をしています。これで得られる容量は、メールで25Gバイトである。ダウンタイム基準で99.9%のサービスレベルを保証しています。れは、最近さらに改善されました。 
これを従来のように、インターネットやクラウドを使わずに、ベンダーからサーバーを仕入れて、メールサーバー、ファイルサーバー、認証サーバーなどを設定し、社員1名にこれだけの保管領域とサービスレベルを提供するとなれば、膨大な投資を必要とします。 
これが、他のシステムの場合どういうことになるでしょうか?経理のシステムであろうが、CRMであろうが、今では、大人数の人が入力したり、多方面から情報が入ってくるようになっています。そんなとき、上のように自らサーバーを持って実施するということになれば、それこそ、気が遠くなりそうです。
まさに、クラウドを用いなければ、どこの企業でも、とてつもないことになります。しかし、情報資産を一度インターネット上のクラウドに「出してしまえば」、どこからでもアクセスできます。わざわざ、LANとか、WANなどを組む必要性はありません。

それに、Mail、Calendar、ファイルサーバー(ファイル共有)といった、基本的なグループウェアが、今ではまさに、クラウドから超低コストで提供されているのです。

大学に限らず、企業でも、レガシー資産(主に、昨今のようにWeb化が進められる以前に、メインフレームを介してネットワークを構築していたシステムなどの資産)を抱えていたり、グローバルな環境に対応する必要があります。世界の多くの国ではインターネットの利用環境が整っているとは言い難いので、その対応には、多くの労力と時間がかかったりします。これに関しては、あのペンタゴンが9.11の時に使用していた情報機器が相当古かった(7、8年前のパソコンなど使っていた)ことでも、明るみに出たことがありました。

しかし、世の中はすでに、インターネットを前提として進んでいます。以前にも、このブログで掲載したように、Googleは、Chrome OSを搭載した超低価格パソコンにより、貧困層の人々にも自分たちのクラウドを活用できるような体制を整えることを目論んでいます。インターネットそのものは、そもそもデーターが他者のシステムを通過することを前提としているため、ご存じのように最初から情報漏洩に関しては、脆弱性があることははっきりしています。ただし、もともとは、軍事用に作られていて、世界中の拠点(ノード)のほとんどが消滅してしまっても、残っているノードを経由すれば、かなり広範な通信を行うことができるという利点もあります。従来の通信方式ではとてもできないことです。

やはり、こうした危険性がある事を前提とすべきですが、かといって危険に対して過度に神経質になれば、とても使える代物ではありません。

それから、はっきり言えば、大学の情報管理、それに日本の企業などの情報管理も、意外とゆるゆるなところがあります。それは、例の尖閣ビデオが流出した海上保安庁の組織などをみればおわかりになると思います。

あのように、ゆるゆるの組織であれば、かえって、たとえばGoogleのクラウドなどを利用した情報管理システムをもちいたほうがはるかに安全だと思います。

それから、現在は知識社会であるということがあります。あの経営学の大家ドラッカー氏は、知識社会においては、競争力の源泉は情報でも知識でもないとしています。高度の知識社会においては、知識は、いずれ簡単に伝わってしまうので、これを競争力の源泉とすることはできないとしています。では、源泉は何かといえば、それは知識労働者そのものであるとしています。

要するに、知識労働者が生み出した、情報や知識などインターネットを通じて、他社に漏洩したとしても、その事自体は、本質的なことではないというのです。この事例として解りやすいのは、トヨタです。トヨタは、見学に行く人に対しては、聴かれれば、何でも開示するそうです。要するに、トヨタの強みは、情報や知識ではなく、トヨタで働いている人そのもの、トヨタの企業文化そのものにあるということです。

トヨタで働いている人や、トヨタの企業文化のない他の企業がトヨタのやりかたを、文書や動画などや、中で働いている人から逐一、詳細に聴きだしたとしても、それらが存在しない企業では、トヨタのようにはできないということです。

また、最近ではアップルなどの企業で特に顕著なのですが、たとえば、あの超薄型ノートパソコンである、アップル・エアーを販売する1年以上も前から、アップル社は、エアーに関する情報を自社のサイトや、YouTubeに発表していました。それも結構な情報を公開していました。そのためですか、多くの人が販売されたときには、すでに形や、従来のものとの違いなど、ほとんど知っているような状態でした。そうして、販売の数ヶ月前には、すでにエアーの偽物が中国で発売されているというような状況でした。

このように、最近のIT企業はプロダクト情報に限らず、長期戦略までも、前もって発表してしまうということがしばしば行われています。そうして、こうした発表自体がプロモーションにもなっています。こういう発表をすることにより、黙っていても、ブロガーなどがサイトにこうした情報プラスアルファを掲載し、多くの人日度の関心を惹きこれに関係したプロダクトなどの販売初日は大盛況ということになります。そうして、前もって発表した戦略を着実に実行していく企業に人気が集まり、株価も上がるというわけです。

アップルのiPhone4や、iPadなどにも同じようなことがあてはまります。アップルは、iAdに関する長期的な戦略も発表しており、多くの企業の関心を呼び起こしています。旧来の企業のように、何でかんでも、隠蔽し、直前あるいは販売直後に明かすというようなところは、販売初日にお祭り騒ぎになるということはないです。最近の日本企業による新製品発表など、まさにそのような状況です。確かに、アップル製品の詳細を知ったから、あるいはアップルの戦略の詳細を知ったからといって、同じことを他の人や、他の企業ができるわけではありません。ジョブスのようにアップルで働いている人や、アップルの企業文化があるからこそ、アップルの事業ができるのであり、それ以外の企業が似たようなことをしても、それは単なる模倣でしかありません。

現在の高度な知識社会において、情報や、知識が盗まれた事により、すぐに競争力を失ってしまうような企業や、有能な知識労働者を多数惹きつけなおかつ動機付けのできないような企業は、最早最初から競争力のない企業であるとみなすべきでしょう。

こうしたことを考えれば、コミュニケーション・コストや、投資コストを大幅に下げるために、クラウドを使うのは当然のことだと思います。それに、最近では、重要なものに対しては暗号使うとか、セールス・ドットコムのように、日本国内にサーバーを設置するところもでてきます。クラウドを使うことは、確かに諸刃の剣であることは否めませんし、個人情報などは大切に保管しなければならないことには変わりはありませんが、現在の世の中の移り変わりの激しさを考慮した場合、何らかの形で使うことを検討し、長期戦略に組み入れない企業に明日はないでしょう。

大学も、企業もおそれることなく、反面情報管理などへの備えは怠らず、クラウドを前提として情報戦略を組んでいくべきでしょう。そうしないところは、時代の趨勢から取り残されていくことになります。あまりに、情報漏洩防止などに過度に固執して、クラウドを使うことを検討もしない企業や個人も、知識社会の中では淘汰されていくことになることでしょう。

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クラウド普及でベンダーに試練 - IDC Japanが2011年の国内IT主要10項目発表―【私の論評】クラウドを戦略として組み込んでいない企業は時代遅れ?

2011年1月16日日曜日

ツイッター暴露の女子大生、4時間後に“丸裸”で自爆―【私の論評】こんなことする奴には当然の報い!!

ツイッター暴露の女子大生、4時間後に“丸裸”で自爆

女子大生が書き込んだとみられる、Twitterの文言

大桃美代子(45)のつぶやきで、不倫があぶり出された麻木久仁子(48)がテレビ画面から一時的に去ったが、「日本人は忘れっぽい。4月の番組改編で復帰では」(民放編成マン)という声が聞こえる。
そんなツイッター騒動が、まったく教訓にならなかったのか。ウェスティンホテル東京のレストラン従業員のアルバイト女子大生による暴露騒ぎが勃発した。

女子大生はJリーガーと人気モデルの“デート現場”や有名企業社長と日銀総裁の密談をツイッター上で、つぶやいた。

この女子大生のつぶやいたとされる、Tweetの内容のlogを以下に掲載します。
http://megalodon.jp/2011-0112-0337-27/twilog.org/aoi_tkng


このツイートしたのは、竹永葵さん。 私立女子学院中・高卒の才媛。現在は中央大学理工学部情報工学科に通学するかたわらウェスティンホテル東京 22F 「鉄板焼 恵比寿」でバイトをしていた。

彼女がTwitterで暴露した著名人は以下。
・稲本潤一&田中美保の密会デート
・大沢たかお/EXILEのUSAのプライベート食事
・スティービーワンダー、タイガー・ウッズのプライベート
竹永葵 (1990年9月8日生まれ) 
東京都目黒区在住とされる写真 


このことに対する、ホテルのサイトに掲載されたお詫びをそのまま下に掲載しておきます。


[総配人より] お詫びとご報告

お客様各位

平素はウェスティンホテル東京へ格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。
このたび、弊社のアルバイト従業員がお客様のレストランご来店情報をブログ等で流出させていたことが、2011年1月12日に判明いたしました。
関係者の皆様及びお客様には多大なご迷惑とご心配をおかけいたしましたこと、深くお詫び申し上げます。

・経緯について
弊社では社員・アルバイトにかかわらず全ての従業員は、入社時にお客様情報の守秘義務等に関する研修を行った上、誓約書への署名をしております。しかしながら、当該従業員は個人のツイッターアカウントより、特定のお客様がホテル内レストランへ来店されたことについて発信していたことが判明いたしました。

・今後の対応について
このたびご迷惑をお掛けした方々には、既にご報告の上、お詫び申し上げております。
また、当該従業員には厳しい処分を下すと共に、全従業員へのお客様情報の守秘義務等に関する教育を再度徹底し、再発防止に全力を挙げて取り組んでまいります。

このたびは、皆様に多大なるご迷惑とご心配をおかけいたしましたこと、改めまして深くお詫び申し上げます。
今回の事態を厳粛に受け止め、今後このようなことが発生しないよう、再発防止に努めると共に、信頼回復に向けて邁進していく所存でございますので、今後ともご愛顧を賜りますようよろしくお願い申し上げます。


総支配人
アンドレアス・トラウトマンスドルフ



「ホテルは、すぐに陳謝したが、それより早かったのが“スネーク”と呼ばれるネット上の自主的な調査グループたち。つぶやきが発覚したとたん、『2ちゃんねる』で犯人探しが始まり、すぐ個人名を特定。住まい、誕生日、大学名、サークルなど全部丸裸にされていった。彼女が不用意に、つぶやいてから約4時間。ざっくり返り血を浴びていましたよ」(IT専門誌記者)

【私の論評】こんなことする奴には当然の報い!!
このようなことをする人、このような目にあっても自分から招いた結果ですから仕方ないですね。しかし、それにしても、インターネットにおける匿名性があるからこそ、こんなことも起こってしまうという事だと思います。

私自身は、匿名性自体については、否定的です。だから、facebookのように実名でないと入れないSNNは、非常に良いと思っています。facebookあたりだと、はっきり実名が出ていますから、気軽にこのようなことをする人はまずはいないと思います。そんなことをすれば、すぐに素性がわかってしまいます。

インターネットにおける匿名性に関しては、以前「ソーシャル・ネットワーク」という映画に関する論評や、mixiのメアド検索実装に関する論評などに掲載しました。その時の結論を下にコピペしておきます。
どんな世界でも、それが、現実世界であろうと、バーチャルの世界であろうと、まともな付き合いをするのであれば、自分の素性や、考えや、嗜好など表にださなければ、できない事だと思います。それが、表に出ると困るというのなら、ソーシャルメディアは一切使うべきではありません。人とと関わっていく中で、自分と他の人との考えや趣味・嗜好が異なったり、相反するのは当たり前であって、それを避けて通っていては、もともと人間関係など構築できません。その違いを乗り越えて、妥協点を見出すというのが、人間関係というものです。どうしても、自己を偽らないと他者との付き合いが出来ない人は、すでに自分の精神が崩壊しているとみなすべきです。
そうして、インターネットの匿名性が、日本で新たなイノベーションが起こらないことの背景にあるのではないかということも掲載しました。その内容を以下にコピペします。
 日本のように、あまりに匿名性ばかりにこだわっていては、まともな付き合いもできないし、有用な情報も入ってこないということになります。それに、Facebookの中で行われているようなビジネスチャンスをつかむこともできないと思います。ビジネスチャンスまでいかなくても、SNSのなかにいろいろと転がっているべき機会など、受けることも提供することもできなくなります。そうして、ただのバーチャルワールドの中で時間つぶしにすぎなくなると思います。 
日本では、いわゆる技術的なイノベーションは世界トップクラスですが、社会的イノベーションについては今一歩というところがあります。だからこそ、最近では、日本ではアップルがひきおこしたようなな社会的イノベーションもあまり見かけなくなったのだと思います。私は、その原因の一つとして、上記のような匿名性による弊害もあるのではないかと危惧しています。
匿名に関しては、相手が良くわからないうちとか、安全を危惧してのことであれば、問題はないですが、どこまでも、自己を偽ってでないとインターネットを使えないような人は、すくなくとも、twitterやその他のSNSなどのソーシャル・メデアは使うべきではありませんね。そういう人は、ソーシャル・メディアの中では、この女子大生と変わらず、他の人に迷惑をかけるだけの存在だからです。

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2011年1月15日土曜日

全国に広がる“タイガーマスク”現象―【私の論評】この現象は、財務官僚が財政民主主義的立場を堅持することから、やむなく発生してきたものという見方もできる?!

全国に広がる“タイガーマスク”現象


●政治・経済の停滞と関係あり!?

タイガーマスクの活躍で日本列島は大騒ぎだ。きっかけは12月25日、群馬県前橋市の児童養護施設に「タイガーマスク」の主人公・伊達直人を名乗る人物がランドセル10個を贈ったこと。これがニュースで報じられるや、全国の施設などに伊達の名でランドセルや現金が贈られるようになり、「あしたのジョー」の主人公・矢吹丈や「肝っ玉かあさん 京塚昌子」なんて名前も現れた。すでに90件以上に達している。

タイガーもジョーも肝っ玉かあさんも、1970年前後にテレビ放映された人気番組。彼らを名乗るのはどんな人たちなのか。明大講師の関修氏(心理学)が分析する。

「少年期にタイガーやジョーを見ていた50代の男性が中心でしょう。欧米人と違って、日本人は慈善活動で名前を売りたがらない。だけど何か善いことをしたいと思っている。そこで誰かが行動すると、自分もやりたいと思ってこっそり動くのです。いい意味での便乗です。善意のタイガーさんたちは普段は地味な仕事をコツコツしているタイプ。社会に喜ばれることで満足し、生きる励みにする人たちです。目立とう精神はありません」

いまや世の中は真っ暗闇。政治は迷走し、景気回復の手だても打てない。そうした現実もタイガー現象を後押ししているようだ。社会学者で作家の岳真也氏が言う。

「たしかに目頭が熱くなる美談ですが、その裏には一向に暮らしが良くならない現実に不満と不安を募らせる国民感情もあると思います。“景気が良くならないのなら、自分たちで明るい社会にしてみせる”と大衆が相互扶助に走っているのです。社会不安が善意に駆り立てていると言ってもいいでしょう」

政治の無策がもたらしたタイガー現象。菅首相はこれをどう見る?

(日刊ゲンダイ2011年1月12日掲載)

【私の論評】この現象は、財務官僚が財政民主主義的立場を堅持することから、やむなく発生してきたものという見方もできる?!
このタイガーマスク現象、確かに良いことであり、善意の人々が、善行を行うことに対して、私は何も反対するものではないし、非常に良いことだと思います。しかし、私はなぜか、これに対してしっくりこないところがあります。それは、何も、上記の心理学者や、社会学者の語っていることだけではなく、彼らが全く見えていない別の背景があります。本日はそれについて掲載します。

実は2年前までは、頻繁に書いていたのですが、特に人々の関心をひくでもなく、反応もほとんどないので、最近は掲載しなくなったことがあります。

それは、日本では一般的ではない、欧米型NPOのことです。これに関しては、あのドラッカーも、これからの特に都市社会においては、20世紀に政府や民間営利企業のような組織が興隆したのと同じように、21世紀には興隆しなければならないとしていますが、日本ではそのことについて、誰も論評を行ないません。

特に最近では、「もしドラ」などで、ドラッカーが見直されていますが、ドラッカーが「非営利組織のマネジメント」というNPOに関する書籍を書かれていることなど本当に全く誰も触れません。まるで、ドラッカーは、営利企業のマネジメントのグルであり、それ以外の何者でもないというような扱いです。しかし、ドラッカーは非営利組織が都市部のコミュニティーの復活に欠かせない存在であると終生強調し続けました。

さて、今回のこの現象について、結論からいいますが、私は、日本では、アメリカなどのようにたとえば、施設の子供たちを支援するような有力なNPOや、NPOに対して、多くの寄付金が集まる仕組みなどがないため、「タイガーマスク」のような人たちが、具体的に行動しようにもできないため、いわゆる現在いわれている「タイガーマスク現象」のような行動をしているのではないかと思うのです。

自分の善意を届けたいと思った場合、アメリカなどの場合は、子どもたちを支援するようなNPOが全国に星の数ほどあり、たいていのNPOは地域に密着しているので、かなり、具体的で本当に役立つ末永い活動ができます。しかも、身近な存在なので、寄付したり、何か行動しようとした場合に、誰もが思い立ったらすぐできます。

NPOというと、日本の場合は、あまりに規模小さく、それに経済的にも非力な組織が多いため、本当に限定的な活動しかできないためほとんど目立ちません。さらに、日本では、未だに多くの人々が「NPOとは、奇特な人々が手弁当で集まってやる事業」くらいの認識しか持ち合わせていないようです。そうして、ボランティアの意味をとり違えています。ボランティアの意味は、本来は、他人の意思や、地域とのしがらみなどで実施するのではなく、あくまで自分の意思で行うことを意味するのであって、もともとは、軍隊に志願するときなどに使われた言葉です、無給、無賃金で労働することを意味するものではありません。実際、アメリカでは有給のボランティア活動もいくらでもあります。

このあたり、なかなか理解してもらえないと思いますので、まずは資金面からお話してみようと思いす。

アメリカなどでは、まず、寄付金の文化が根づいています。何と、NPOなどに対して人々が行う寄付金は、年間で日本円で、9兆円にものぼります。イギリスでも、1兆円を超えています。しかし、こんなに豊な日本であるにもかかわらず、日本のそれは、1兆円はおろか全部合わせても数千億にすぎません。これでは、アメリカやイギリスに比較して、NPOも本当に限定的な活動しかできません。いくら、人々が思い立って、何かをしようと考えても、善意だけでは何もできません。

では、アメリカ人やイギリス人が日本人と比較して、道義心に溢れていて、日本人はそうではないから、寄付金が集まらないのかといえば、そんなことはありません。無論道義心の片鱗もなければ、寄付などできないとは思いますが、まず、イギリスやアメリカでは、個人でも、法人でもNPOなどに寄付をするとかなりの税制上の優遇措置を受けられます。それから、無論、政府からも熱い支援があります。これらをあわせると、アメリカのNPOの年間の歳入はアメリカの国家予算に匹敵するほどのものになります。

アメリカ、イギリスなどでは、国が認めたNPOに関しては、との組織に対しても寄付をすれば、すべて税制上の優遇措置が受けられます。これに対して、日本では、いわゆる寄付して税制上の優遇措置を受けられる対象があまりに限定されています。確か、何かの資料で見たところよると、日本全国で1000くらいしかないそうです。それに、寄付をするときに、手続きが煩雑であることと、それに、なんというか、書類でも何でも、「寄付をさせてやる」というような取り扱いだそうです。以前、自分の卒業した大学に寄付をした人がこのことについて、ぼやいていたのが思い出されます。これは、私学の学長として必要な能力として、寄付金集めもかなり上位にあげられるようなアメリカとは非常に異なります。

それからアメリカなどでは、NPOに関しては、日本よりもはるかに規模が大きいです。これは、法律が異なるので、日本とは単純比較はできませんが、いわゆる私立の大学、病院、それから、子供たちの入る福祉施設を含めた種種様々な非営利の福祉関連施設まで、NPOという位置づけで、日本よりはるかに奥行きも深く、間口も広いのがアメリカのNPOです。それこそ、これは政府のやるべきものだろうというものまで、NPOが実施しています。

このNPOの実体を知らない日本人には驚きですが、たとえば、デトロイトなどでは、都市計画のほとんどすべてをNPOが実施していて、かなり大きな成果を上げています。市は管理するだけで、実働するのは、NPOです。また、大きな都市には、たいてい、低所得層向け住居を提供するNPOがあって、これらが、あのサブ・プライム・ローンでアメリカの投資銀行が大失敗している最中でも、住宅を提供し続けており、大成功をおさめていました。

こういった、NPOの中には、銀行や、建築会社などがその構成員の中に最初から含まれていて、政府からの支援もうけつつ、日本などでは考えられないような大きな活動をしています。NPOで、有給で働く、正規職員の数も、給料自体も日本のそれよりはるかに上回っています。先立つものや、実際に実働する人もいなければ、NPOとて善意だけでは何もできないのです。そうして、NPOの仕事も、アメリカ人は、ビジネスといいます。決して、営利企業のそれと分けて考えてはいません。だからこそ、有名企業のCEOなどが、NPOのCEOに転身するなどということはアメリカでは、当たり前のことです。また、有名大学院の卒業生が、NPOに有給の正規職員として就職するというのも、普通に見られることです。中には、社会に役立つことを夢見て、最初からNPOに勤めようと強い動機を持っている人もいます。

これらのNPOは大抵、地元に蜜着しているため、それこそ、政府ではできないような、痒いところに手がとどくような、支援を行っています。低所得者に住宅を提供してそれでおしまいということはありません。たいていは、金融面での支援、職業訓練、就職の支援、他の家族や子供たちの支援まで含んだ包括的なプログラムを提供していることが多いです。

子供たちの支援でも、それこそ、様々なNPOがあり、素晴らしい包括的プログラムを提供しているNPOがあります。たとえば、あるNPOで運営している職業訓練学校では、複数の企業から委託を受けていて、職業訓練を引き受け、特定の企業に学校の卒業生を送り出すと、一人あたりいくらなどとして委託料を受け取るものもあります。このプログラムを受けたあるアフリカから移民してきた10代少女は最初はストリート・チルドレンをしていたのに、こプログラムにより、ある中堅企業に就職し、その後の努力の結果当該企業の社長にまで、上り詰めたなどというまさに、アメリカンドリームの典型的な美談などもあります。

こう書くと、良いことづくめのようですが、このような、日本から比較すれば、大きな力と組織力を持つNPOであるにもかかわらず、やはり、限界もあり、山積する社会問題をすべて解決するには程遠いというのが実情です。だから、こそ、アメリカでも、残念ながら多くの社会問題がまだまだ山積みになっていることも事実です。また、知識のない人、デジタルデバイドの人々が、こうしたNPOにアクセスする術を持たないため、こうしたNPOの恩恵にあずかることのできない場合もかなりあります。

しかしながら、これらのNPO、多くの人達の「何とかしたい、自分のできることで役立つことをしたい」という多くの人々の要求の受け皿になっていることは間違いありません。お金のある人は、お金を寄付し、お金がなくても、協力したい人は、ボランティアとして働くこともできます。アメリカの映画などみていると、有閑マダムがNPO活動を熱心にしていたり、子どもがクッキーを焼いて、近所のお宅を訪問して、それを売って、NPOの活動資金にするなどというシーンなどよくでてきます。おそらく、このシーンを見ても多くの日本人はほとんどその真の意味を理解できないかもしれません。

要するに、アメリカやイギリスでは、日本とは違い、誰もが、「タイガーマスク」のような活動をしたいと思えば、子供の頃から自分の意志で、やりたいと思えば、それをすることができるということです。お金がなければ、労働力を提供できるということです。知恵や、知識のある人は、それを提供できます。アメリカでは、16歳以上の人で、NPOでボランティアをする人々の割合は28%程度と、日本などに比較すると格段に高いです。この人達がNPOで働く時間は、中央値で年間52時間程度でした。無理せずに、できるときにできることをするということがわかるような数字です。これら詳細については、以下のURLをご覧になってください。

http://www.mext.go.jp/a_menu/shougai/houshi/07101511/004.pdf

さて、話が少しずれでしまいました。本筋に戻ります。先ほどのいわゆる「タイガーマスク現象」を引き起こしている人たち、もし、日本にアメリカのように、社会事業を行うNPOが沢山あれば、その中から自分の意図に沿った働きをしているNPOをみつけだし、そこに、寄付したり、あるいは、自分の知識や知恵をそこで役立てる道を選択できたかもしれません。

しかし、日本では、そのような組織がないため、考えあぐねた結果、自ら直接行動に出ているのだと思います。だから、本当は、日本にも、アメリカのようなNPOができる素地は十分にあるのだと思います。

しかし、日本がアメリカのように有力なNPOができないのには、それなりに理由と背景があります。それは、一つとして、まずは、まずは、日本は、アメリカやイギリスのようなNPOの歴史がないことがあげられます。実は、戦前には、アメリカやイギリスなどでは、現在の社会福祉のような事業はほとんどNPOがやっていたという歴史があります。その後、低調になりましたが、それについてはここでは詳細は述べません。また、30年前くらいから興隆してきたという事実があります。だから、NPOの活動が人々の生活に根付いています。

しかし、日本では、そのような歴史はありません。だから、NPOを理解しない日本人が少ないのも無理からぬ所だと思います。

それに、寄付金の文化が根づいていないことには、先に述べたように、日本では寄付をしても、税制上の優遇措置が少ないことを述べました。では、これは、なぜなのでしょうか?

これに関しては、財務省の官僚が関係しているようです。要するに、財務省側としては、財政民主主義の立場から、多くの資金が、直接NPOに寄付金などの形で集まるのは望ましくないとしていて、これが、日本では寄付をしても、税制上の優遇措置がほとんど受けられないことの背景にあります。

それであれば、補助金などの形で、もっともっと大きな資金がNPOに渡るようにすれば良いと思うのですが、そうではないです。財務省では、あの悪名高い特別会計とやらで、貯めこんで、このようなことには資金を提供しようとはしません。特別会計に関しては、日本が貧乏国だったころには、突然の災害に備えるためや、長期にわたって国のインフラを整備するためなどに必要不可欠のだったと思いますが、今では、その意味をほとんど失っていると思います。ちなみに、欧米はおろか、世界中を見回しても、特別会計なる不思議な制度は日本だけです。政府そのものが、これほど膨大な金融資産を有してる国は世界でも日本だけです。

これに関して、過去において小泉さんや、麻生さん、それに現政権でさえも、NPOに取り組もうとして形跡がありました。しかし、いずれも形跡だけで終わっています。やはり、現在でいえば、民主党がかがけた「政治主導」と同じようなものであり、おそらく財務官僚などの壁が予想以上に厚く、なかなか変えられないというのが実情なのだと思います。

なにか、風が吹くと桶屋が儲かる式の論法になってきましたが、あの、「タイガーマスク現象」が、何と、財務官僚が財政民主主義立場を堅持することから、やむなく発生したきたものという見方もできるということです。

日本が、いわゆる先進国でありながら、社会事業を実現する主体であるNPOの活動が低調であること、これは、何とか改革していく必要があるものと思います。というより、まずは、多くの日本人に啓蒙していく必要があると思います。なぜなら、日本では、社会問題に対処するセクターは、政府と、営利企業しかないと思い込んでいて、自分が何かやりたいと思っても、思っているだけで、結局は何もできず、閉塞感にさいなまされているような人が多数いるからです。また、多くの社会問題に日々さいなまされている人々は、これを、政府にぶつけても、民間企業にぶつけても解消の糸口もつかめず、本当に困っていると思います。

日本のように豊な社会になってからも、このような基本的な社会システムが整っておらず、人々の善意にだけ頼っているのは恥ずかしいことだと思います。また、タイガーマスク現象にも限界があります。大勢の子供たちの中には、ランドセルが足りないことだけが問題ではなく、他にも様々な社会問題が山積しています。

今の日本では、こうした子供たちに関わる社会問題はもとより、政府や民間企業などでは解決できない社会問題が山積しています。このままだと、金銭的には豊な社会であるはずなのに、このような問題は手付かずで放置されることになってしまいます。しかし、有力なNPOが日本にも存在すれば、すべての問題を解消できないまでも、多くの「タイガーマスク」のような人々が、少しずつでも、お金や、自分の時間を社会問題に割き、それぞれの特有の使命を持つNPOがその使命にこの人たちの力を結集すれば、少なくとも解決の糸口をつかみ、すこしずつでも前進することができるはすです。

さらには、国家予算に匹敵するような資金が実際にNPOを通じて動くわけですから、実体経済にもかなり良い影響を及ぼすように思います。こんなこと、日本ではできないと思われる方もいるかもしれませんが、日本にはあの特別予算というわけのわからない、予算があります。これの何分の1かでも、NPOにあてられたら、日本でも十分にできるはずです。それから、アメリカでは、NPOが政府に対しての報告制度や、監査制度なども、日本よりはるかに充実しています。また、自由主義経済のアメリカですから、NPO自体にもこの原則があてはめられ、使命を遂行できないNPOは毎年たくさん姿を消す代わりに、新しいNPOを数多く輩出し、新陳代謝が活発に行われています。これに関しては、ここで掲載すると長くなってしまうので、また別の機会に譲りたいと思います。

さて、上のようなことを考え合わせると、確かに、「タイガーマスク現象」は良いことであり、何も、反対したり、反論する気など毛頭はないのですが、もっと何とかならないものかという考えが頭をよぎり、私は、すっきりしないのです。皆さんは、どう思われますか?

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2011年1月14日金曜日

菅改造内閣発足、財政改革への意気込み示す―【私の論評】デフレの最中に、財政改革を推進のため消費税増税は愚かなり!!日本経済をさらに低迷させるのは必定だ!!

菅改造内閣発足、財政改革への意気込み示す

認証式を終え、官邸に戻る菅直人首相(14日)
菅直人首相は14日、自由貿易支持派と財政保守派を擁する改造内閣を発足させた。内閣改造は、低迷する支持率の押し上げと野党の懐柔が目的だ。

菅氏は野田佳彦氏を財務相に留めた一方、自民党出身のベテラン政治家、与謝野馨氏を経済財政担当相に起用した。これまで経済財政担当相を務めていた海江田万里氏については、経済産業相に横滑りさせた。

経験豊かな政治家により構成されたこの経済チームは、米国が主導する環太平洋経済連携協定(TPP)への参加に向けた菅氏の意気込みを示すものだ。日本の大手輸出企業がTPPへの参加を強力に支持する一方、伝統的な農業ロビー団体はこれに反対している。

この経済チームは、民主党の政権獲得の一助となった大衆迎合的なばらまき政策からの脱却も示唆している。菅氏は、増大する公的債務に対処するため、増税を模索している。

野村証券のシニア政治アナリスト、川崎研一氏は「キーワードは増税とTPPだ。意義的には野党対応の改造内閣だったが、そうすることによって少なくとも強化体制を敷けた」と述べた。

野田氏は10人の留任組の1人だ。与党が参院で過半数を持たない「ねじれ国会」で、2011年度予算案の成立に向けて険しい道のりが見込まれるなか、菅氏が信頼感を維持するには予算案の中心的立案者である野田氏の留任が必要だったと政治評論家はみている。

前日まで野党のメンバーだった与謝野氏の起用は予想外だった。増え続ける社会保障コストに対処するため、現在5%の消費税を2倍にする必要があると説く与謝野氏は13日、6人の国会議員で構成される政党「たちあがれ日本」を離れた。与謝野氏は社会保障・税の一体改革なども担当する。

72歳の与謝野氏は、自民党政権時代に経済関連の閣僚ポストを歴任しており、経済通として知られる。野村証券の川崎氏は「党を渡り歩いているという批判も出るかもしれないが、逆に言えば超党派で動けるという強みにもなる」との見方を示した。

【私の論評】デフレの最中に、財政改革を推進のため消費税増税は愚かなり!!日本経済をさらに低迷させるのは必定だ!!
さて、本日は、今回の組閣で一躍脚光浴びた、与謝野さん、実は彼は、2009年5月にアメリカのノーベル経済学賞学者である、ホール・クルーグマンと会談しています。本日は、その時の話を中心に掲載します。

これに関しては、以前もこのブログに動画つきで掲載したことがあります。それに関しては、以前のものを見ていただくものとして、以下にクルーグマン氏が同じ時に日本の商店街を訪問した様子の動画を掲載します。日本の経済現在もこのときと比較して根本的には何も変わっていません。

ただし、麻生さんが大規模な財政出動をしている最中だったので、景気が良くなる兆しがありましたが、いまではそれもありません。昨年の年初から春にかけて、少し景気が良くなる傾向がみられましたが、それは、麻生政権のときの大規模な財政出動の効果がでてきたということです。民主党政権の経済運営とは全く関係ありません。



さて、今回のこの内閣の最大の特徴は、何をさしおいても、やはり与謝野さんの入閣が最も大きいです。そうして、与謝野さんは、増税論者であり、菅首相は今後増税一直線で突っ走る腹だと思います。

このブログでは、過去に消費税増税の完全な誤りであることや、財政改革の前に、デフレ克服のほうがはるかに優先順位が高いことを掲載してきました。また、デフレを克服するには、国債をどんどんすって、公共工事などを多めに(無論、必要もないハコモノをつくれという意味ではありません)行ない、景気を回復、内需拡大、消費を回復すべきことも述べました。

ここ20年間、デフレ基調の最中、管さんをはじめとして、小泉さんも、いや、小渕さんと、麻生さんを除いて、すべての歴代の内閣が緊縮財政を実行してきました。その結果がどうなったかといえば、皆さんよくご存知だと思います。

表向きはいろいろ異なったことをいいますが、結局は、管さんも、与謝野さんの力を借りながら、緊縮財政をやるということです。今回の組閣でそれがはっきりしました。

与謝野さんといえば、以前、ボール・クルーグマン(米国のノーベル経済学賞受賞の経済学者)が来日したときに、会談をしているはずです。その時の動画をこのブログにも掲載しました。

そのブログにクルーグマン氏の提言も掲載しました(2010年8月20日金曜日)。詳細は、このブログの記事を読んでいただくものとして、その内容の要約を以下に掲載しておきます。
今年後半、二番底の可能性がある/日銀が「インフレなどとんでもない」と言い続ければ、日本は破産する/消費税アップのタイミングはこの大不況真っ只中の時ではない。日本はアメリカより深刻な不況にあることを理解すべきだ/財政赤字の問題を優先させれば、デフレ・スパイラルを加速させるだけである。 
菅首相は一刻も早く消費税アップに向けた議論を始めたがっている。しかし、舌鋒鋭い「闘う経済学者」はこう言った。「急ぐ必要はない」と。また、法人税に関しては、「法人税の引き下げが取り沙汰されていますが、各企業の経営者にとって、『法人税が高すぎる』と主張するのは、当然でしょう。ただし、今の税率が歳入や景気に悪影響を及ぼしているという確たる証拠がない以上、それほど重要な問題だとは考えていません」財政再建よりも先に、日本がまずなすべきこととは、「マクロ経済学がやるべきだと説いていることを実行しないことである」としています。 
まず必要なのは、経済を回復軌道に乗せうる、大型の財政刺激策です。これはアメリカではまだ行われていないし、日本でもまだまだです。1990年代を通して、少しずつやったに過ぎません。 
また金融政策面では、日銀自体にやる気がないので大変難しいことですが、インフレ・ターゲット政策を採用させる必要がある。本当に人々が今後、年間1・5%でなく、4%の物価上昇率になると信じれば、景気回復に向かう可能性が大きいからです。4%はほぼ市場の期待値でもあります。 
いま、現金を溜め込んでいる人は、インフレがどんどん進んでいく前に、何かモノを買えばいい。そこがインフレ・ターゲット政策の狙いです。
そうなのです、今というより、過去20年間もそうでしたし、現在でも財政再建など後回しにして、デフレの克服に邁進すべきときなのです。財政再建を優先させれば、デフレ・スパイラルをさらに加速させるだけなのです。そもそも、日本の財政は、さほど心配するにはあたらないのです。これも、過去にこのブログで何回も書いてきたので、もう詳細を記すことはしませんが、ここでは、簡単に触れておきます。

財政の歳入、歳出だけをみていれば、900兆円以上もの、大赤字のようにみえますが、日本は他の財政破綻しかけている国などとは全く異なります。まずは、日本国政府は、特別会計などの形で、他国に見られないほど数百億の金融資産を有しています。外国には特別予算などありません。それに、日本は外国から外貨建てでお金を借りているわけでもありません。現実は、過去19年間対外債権は世界一です。そうです、世界で一番外国にお金を貸している国なのです。

それに、国債に関しては赤字などといわれますが、これも、上でクルーグマンがいうように、日本の国債の買い手ほとんど日本国内の企業や、個人であり、これも、日本国単位でみれば、借金でもなんでありません。これも、数百兆円に登ります。これを考え合わせれば、何も、日本は借金大国でも何でもありません。

確かに、財政赤字はあまり良いことではないですが、これを優先する必要性など全くないし、そのために、増税などやってしまえば、さらに消費が冷え込み、デフレ・スパイラルをさらに加速させて、日本経済は、失われた20年どころか、失われた30年になる可能性だってあります。現在のデフレ基調では、減税をすべきであって、増税などとんでもありません。まさに、マクロ経済的な立場からいえば、増税はやるべきことの反対をするようなものです。

それにしても、与謝野さん、クルーグマン氏との面談のときなどのときでも、クルーグマン氏の日本への提言に関して、吟味をする時間は十分あったと思います。それなのに、なぜ、消費税増税なのでしょうか?

もうこうなると、単なる思い込みの激しい頑迷固陋な、一老人にすぎませんね。与謝野さんに関しては、麻生内閣でもそれなりのことをしていたので、今回の出来事で、与謝野さんの化けの皮が剥がれたという感じがして、本当にがっかりです。それと、空き菅さんとのコンビでは、どうしようもありません。このままでは、今年も、消費税増税などでデフレ・スパイラルが加速してとんでもないことになってしまいます。

それにしても、自民党も、民主党も、個人的には異なる意見の人もいるのですが、党レベルでは、どちらも、結局は財政再建のため、緊縮財政をする政策を支持しています。どうにもなりませんね。もう、先に述べたように、20年以上も、小渕、麻生さん以外の政権は、すべて、緊縮財政を行ってきました。それで、いつまでも、吹かず飛ばずで、失敗してきたわけですから、もうそろそろ、歴代の政権の反対のことをしようとすることを党の方針にすべきではないでしょうか?

医学の世界でも、いろいろ変わっていることがあります。昔は、ある症状に対する治療方が、「あたためて、なるべく動かさないようにする、マッサージなどとんでもない」というものが、20年経ったら、研究が進み、「冷やして、マッサージをする」などと変わっているようなこといくらでもあります。

これは、最初は、症例も少なく、誤った治療法で、実際にはますます症状を悪化させていたのに誰も気づかないでいたのが、いろいろ研究して、逆をやった方が良いということに気付いた医師がいて、それが、広まった結果だと思います。要するに、理論だけではなく、実証的な臨床治療の結果などがフィード・バックされて、だんだん正しい治療法が確率されたという事だと思います。

これは、おそらく、観察力の優れた医師がいたのだと思います。たとえば、病院にあまり行きたがらない患者が、素人の生兵法で、「冷やしてマッサージ」をして、少し良くなってから、病院に治療を受けに来たりして、問診をした医師がそのことに気づき、記録にとどめておいて、ある時、逆療法をやってみたらやっぱり結果が良かったとか。

今の日本の経済、医学の世界でいえば、無論例外もありますが、昔のやり方を踏襲しているだけで、何も変えない、旧守派の医師集団のようです。先のような、治療法を変えてみるような医師のような政治家が、今の日本には必要だとつくづく思います。

しかし、日本経済どうなってしまうのでしょうか?日本は、可能性に満ちた国であり、本来こんになに経済が悪くなるはずがありません。まるで、政治家が皆でよってたかって、悪い方へ悪いほうへと誘導しているように見えるのは、私だけでしょうか?もういい加減にして欲しいです。やはり、もう、企業や個人も、もう政府はあてにできないということでしょうか?

本日は、このこと、何回も過去にブログに掲載してきましたが、今回の組閣によって、デフレがさらに加速する危険が増してきたので敢えて、掲載しました。

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