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岡崎研究所
米ソ冷戦はヨーロッパが中心で、西ヨーロッパ諸国には民主主義国が多かったことはその通りである。
現在は、米中冷戦というか、対立は主としてアジアで繰り広げられることになるが、アジアにおける政治体制は、民主主義が主流であるとは必ずしも言えない。そういう中での民主主義の価値の強調は、米国を中心とする陣営の仲間づくりにマイナスの効果もあることをよく考えておくべきであろう。
ASEAN(東南アジア諸国連合)では、ベトナム、インドネシア、フィリピンが重要であり、それぞれ中国との関係で困難な問題を抱えている。これらの国に民主主義としての結束を説いても、すぐ賛同が得られるとも思えない。
そこで、民主主義というよりも、中国の言動が国際法に反していることを厳しく追及していく方が各国の賛同を得られやすいのではないかと考える。例えば、香港の「一国二制度」の侵害は、英中共同声明という条約、国際法を侵害している事案であって、内政干渉の問題ではないことを強調すべきである。また、南シナ海での行動は、島の造成と軍事化は国際海洋法に反するものであることなどを指摘していき、その是正を求める方が民主主義と専制主義との戦いというより、ずっと進めやすいのではないかと考えている。
まず第1に、中国の対外活動、海洋進出や外国への経済的圧力に注目していくべきであると思う。人権の問題については、南アフリカのアパルトへイト(人種隔離政策)以来、国内問題ではなく、国際関心事項であることが国際社会で確立してきている。この点も指摘していくべきであろう。
バイデン大統領は、民主主義の有用性を示していくのが重要といっているが、例えばコロナの制圧において、民主主義と権威主義の体制のどちらがより良い成果を上げたかなどで競争すべきではないと考えている。政治権力は正統性を持たなければならないという問題であって、正統性はutility(効用)で測られる問題ではないだろう。
ジャナン・ガネシュ氏 |
私自身は、このブログの記事では、経営学の大家ドラッカー氏のことを掲載していますが、最近では米国でドラッカー氏のことが忘れ去られていること、特に経営学会では忘れられていることをを掲載しました。
ドラッカー氏の著作や論文などを読むと、あまり数値は掲げられていません。ドラッカー氏のそれは、叙述的なものが多いのです。そのことが、ドラッカー流マネジメントが特に米国の経営学会で忘れ去られている大きな理由であると、私は考えています。
米国の経営学会ではもう随分前から、因果関係がかなり重要視されていて、米国の現在主流を占める経営学者らは、当然のことながら、因果関係を探るために、分析し、その結果を論文や著作にまとめています。
だから、今日の米国の経営学会では、叙述的なドラッカー流の経営学は、あまりかえりみられなくなってしまったのだと思います。
ただし、ドラッカー氏は、米国の大手優良企業のコンサルタントもしていましたから、当然のことながら、数値分析も行っていたと思います。さらに、ドラッカー氏の書籍や、論文を読んでいると、確かに叙述的な内容が多いのですが、明らかに数値分析もしていることがうかがえます。
ドラッカー氏は自身を社会生態学者と呼んでいましたが、社会を観察するにしても、数値分析をしなければ、最初から見えないものも多くありますし、客観的に社会を見ることもできません。
だから、ドラッカー氏としては、分析はするものの、それは本質ではないと考えていたのでしょう。
実際、ドラッカー氏は、以下のように語っています。
300年前デカルトは、『我思う。ゆえに我あり』と言った。今やわれわれは「我見る。ゆえに我あり」と言わなければならない。(『新しい現実』)デカルト以来、重点は分析に置かれてきました。ドラッカー氏は、これからは分析と知覚とのバランスが不可欠だといいます。
すでに1890年代、形態心理学は、われわれが理解するのは「C」「A」「T」ではなく、「CAT」であることを明らかにしています。以来、心理学のほとんどの分野が、分析から知覚へと重点を移しました。今日の心理学は、人間の心理過程、つまり衝動ではなく、人間そのものを理解しようとします。
最近、企業や政府の計画立案において、シナリオの果たす役割が大きくなりました。シナリオもまた、知覚的な認識です。
生態系なるものは、すべて分析ではなく、知覚の対象です。全体として観察し理解しなければならないのです。部分の和が全体ではありません。部分は全体との関係において存在するにすぎないのです。
ドラッカーは、今日われわれの眼前にある新しい現実は、すべて形態的であって、それらの問題を扱うには、分析とともに知覚が不可欠だといいます。グローバル経済、途上国問題、地球的環境問題、組織社会、教育問題など、すべてが形態的な問題なのです。
今日の生物的な世界では、中心的な役割を果たすべきは知覚的な認識である。しかも知覚的な認識は、訓練し発達させることが可能である。(『新しい現実』)中国に関しても、今日われわれの眼前にある新しい現実は、すべて形態的であって、それらの問題を扱うには、分析とともに知覚が不可欠なのです。
中国の分析に関しては、このブログにも掲載したことがあります。特に高橋洋一が中国に関して分析した内容は注目に値します。それは以前このブログに掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
米中「新冷戦」が始まった…孤立した中国が「やがて没落する」と言える理由―【私の論評】中国政府の発表する昨年のGDP2.3%成長はファンタジー、絶対に信じてはならない(゚д゚)!
元記事は、高橋洋一氏の記事です。詳細は、この記事をご覧いただものとして、そこから、一部を引用します。
開発経済学では「中所得国の罠」というのがしばしば話題になる。一種の経験則であるが、発展途上国が一定の中所得までは経済発展するが、その後は成長が鈍化し、なかなか高所得になれないのだ。ここで、中所得の国とは、一人あたりGDPが3000~10000ドルあたりの国をいうことが多い。
これをG20諸国の時系列データで見てみよう。1980年以降、一人あたりGDPがほぼ1万ドルを超えているのは、G7(日、米、加、英、独、仏、伊)とオーストラリアだけだ。
以上のG20の状況をまとめると、高所得国はもともとG7諸国とオーストラリアであった。それに1万ドルの壁を破った韓国、サウジ。残りは中所得国で、1万ドルの壁に跳ね返されたアルゼンチン、ブラジル、メキシコ、ロシア、南アフリカ、トルコの6ヶ国、まだそれに至らないインドとインドネシア。それに1万ドルになったと思われる中国だ。
さらに、世界銀行のデータにより2000年以降20年間の一人当たりGDPの平均を算出し、上の民主主義指数を組み合わせてみると、面白い。中所得国の罠がきちんとデータにでている。
民主主義指数が6程度以下の国・地域は、一人当たりGDPは1万ドルにほとんど達しない。ただし、その例外が10ヶ国ある。その内訳は、カタール、UAEなどの産油国8ヶ国と、シンガポールと香港だ。
ここでシンガポールと香港の民主主義指数はそれぞれ、6.03と5.57だ。民主主義指数6というのは、メキシコなどと同じ程度で、民主主義国としてはギリギリだ。
もっとも、民主主義指数6を超えると、一人当たりGDPは民主主義度に応じて伸びる。一人当たりGDPが1万ドル超の国で、一人当たりGDPと民主主義指数の相関係数は0.71と高い。
さて、中国の一人当たりGDPはようやく1万ドル程度になったので、これからどうなるか。中国の民主主義指数は2.27なので、6にはほど遠く、今の程度のGDPを20年間も維持できる確率はかなり低い。
中所得国の罠をクリアするためには、民主主義の度合を高めないといけない。それと同時に、各種の経済構造の転換が必要だといわれる。
その一例として、国有企業改革や対外取引自由化などが必要だが、本コラムで再三強調してきたとおり、一党独裁の共産主義国の中国はそれらができない。
共産主義国家では、資本主義国家とは異なり生産手段の国有が国家運営の大原則であるからだ。アリババへの中国政府の統制をみると、やはりだ。
こう考えると、中国が民主化をしないままでは、中所得国の罠にはまり、これから経済発展する可能性は少ないと筆者は見ている。一時的に1万ドルを突破しても跳ね返され、長期的に1万ドル以上にならない。10年程度で行き詰まりが見えてくるのではないだろうか。
中国はどの程度の民主化をすればいいかというと、民主主義指数6程度の香港並みをせめてやるべきであった。しかし、逆に香港を中国本土並みにしたので、香港の没落も確実だし、中国もダメだろう。
私自身も中国はこれからは経済発展はしないと思います。中国が2028年、米国を抜いて世界トップの経済規模になる――こんな見通しを英民間調査機関「経済・ビジネス研究センター」(CEBR)が昨年の12月26日発表しました。
新型コロナウイルスの世界的大流行(パンデミック)にもかかわらず、当初の見通しより5年早く“世界一”を達成するという見通しです。これはありえないでしょう。
高橋洋一氏は、元記事で以下のようにも述べています。
中所得国の罠をクリアするためには、民主主義の度合を高めないといけない。それと同時に、各種の経済構造の転換が必要だといわれる。
上のグラフで、高橋洋一氏が示したように、民主化ができない国は経済発展しないのです。そうして、高橋洋一の語っている各種の経済構造の転換とは、ざっくり言ってしまうと「経済と政治の分離」「法治国家化」です。
「経済と政治の分離」が行われないと、政治が恣意的に経済に介入して、健全な経済発展を歪めてしまいます。それでは、経済成長はできません。現在の中国はまさに中国共産党により、経済への介入が何度も行われ、結果として中国経済はそうとう歪んでいます。
それを象徴するのが、現在の中国が「国際金融のトリレンマ(三すくみ)」にはまり込んでしまい、独立した金融政策が実行できない状況になっていることです。
これについては、述べていると長くなってしまうので、以下のリンクを参照してください。
https://yutakarlson.blogspot.com/2021/04/blog-post_9.html
独立した金融政策が実行できないと、雇用対策ができません。一昔前の中国だと、景気が悪くなると、政府は大規模な財政出動をし、人民銀行は大規模な金融緩和を行い、インフレ傾向になれば、それを中止しました。また、景気が悪くなると大規模な財政出動と、金融緩和を行い不況から素早く脱出していました。それによって、「保8」を維持してきました。
「保8」とは、経済成長8%を維持するという意味です。中国は発展途上でだったので、経済成長が最低8%でないと失業が深刻になるので、それを防ぐために経済成長8%を死守するのが中共政府の基本的な経済政策だったのです。
平成年間の日本は、デフレ傾向であっても、緊縮財政、金融引締を行い続け、そのため深刻なデフレと円高に悩まされたのとは対照的でした。
しかし、単純明快ともいえる中国の経済対策は現状できなくなってしまったのです。 「保8」は随分前からできなくなり、独立した金融政策もできなくなりました。
これでは、中国は経済發展できません。そうして、経済発展できない根本要因は中国が民主化されていないからです。
民主化されていなければ、当然のことながら、「政治と経済の分離」も行われません。「法治国家化」も無理です。だからこそ、「民主化」と一人あたりのGDPには相関関係あるのでしょう。
私自身は、「民主化」、「政治と経済の分離」、「法治国家化」がある程度以上実施されていない国では、経済発展しないのは当然のことだと思います。
これからがある程度以上実施されていなければ、中国のように富裕層は生まれるかもしれませんが、いわゆる中間層が生まれません。
以下に、分析ではなく私自身の知覚による見方を掲載します。
先進国においては、「民主化」をすすめ、「政治と経済の分離」を行い、「法治国家化」をすすめました。そのため、星の数ほどの多くの中間層が輩出され、これらが自由に社会経済活動を行い、あらゆる地域、あらゆる階層において、イノベーション(技術革新ではありません、社会を変革するものです)が行われ、それによって富が蓄積され、今日先進国になったのです。
「民主化」それに続く「政治と経済の分離」「法治国家化」が行われなければ、多数の中間層が生まれることもなく、今日の中国のように、いくら政府が音頭をとって巨額の投資をして、イノベーションをうながしたとしても、それは地域的にも、階層的にも、点のイノベーションにしかなりえず、一部の富裕層が豊かになるだけです。
そうして、あらゆる地域、あらゆる階層(特に多数の低所得層と数少ない中間層)の社会に非合理、非効率が温存され、旧態依然とした社会が残り、経済発展できないのです。
ジャナン・ガネシュ氏は、バイデン政権が対中戦略において仲間を増やしたいならば、あまり民主主義の旗を掲げるのは得策ではないとしていますが、これは当面は正しいとは思います。ただし、いずれ中国をはじめ多くの国々が、経済発展をしたければ「民主化」は避けて通れないことも周知徹底すべきです。
先進国が、故なく先進国になったのではなくそれにはまず「民主化」をすすめ、その後「政治と経済の分離」「法治国家化」をすすめたからこそ、先進国になったのであり、そうしなければ、「中進国の罠」に阻まれ、先進国になることはなかったのです。
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