まとめ
- 日本大学のアメリカンフットボール部が違法薬物問題で廃部が決定された。
- 複数の部員の逮捕や18年の悪質タックル問題から来季の降格は確定していたが、廃部となった。
- アメフト部は名門であり、甲子園ボウルやライスボウルで優勝し、大学を代表する部活動だった。
- 事件を巡り、部員の逮捕や関連する措置が重ねられ、関東学生連盟からも出場停止が科された。
- 問題は経営陣の内紛や損害賠償訴訟にまで発展し、大学側は経緯や理由を部員に説明する方針を持っている。
沢田副学長(左)が林真理子理事長(右)を訴える事態にまで発展した日大の内紛 |
日本大学のアメリカンフットボール部が違法薬物問題により深刻な状況に直面し、その結果、28日に部の廃部が確定したことが報じられました。大学本部は競技スポーツ運営委員会を開催し、部の存続を認めず廃止することを決定したと複数の関係者が伝えました。
過去数ヶ月に渡り、警視庁薬物銃器対策課による逮捕や問題の発覚により、この部は厳しい状況に置かれていました。8月に寮での家宅捜索が行われた後、複数の部員が違法薬物の疑いで逮捕され、部全体の存続が危ぶまれていました。関東大学リーグ1部下位BIG8への降格は既に確定しており、廃部はそのさらなる深刻な結末となったのです。
このアメリカンフットボール部は、日本大学を代表する歴史ある部活動であり、関東最多の21回の優勝を誇る甲子園ボウルなどで著名な成績を残してきました。しかし、18年の悪質タックル問題以来、部内での問題が表面化し、今回の廃部決定に至ったとされています。
さらに、この問題は大学内部でも波紋を広げ、経営陣の辞任や損害賠償訴訟なども含まれる複雑な展開を見せています。大学側は今後、経緯や理由について部員たちに説明する方針を持っているようですが、これまでの経緯や部の歴史、そして問題の発端となった悪質タックル問題などが、このアメリカンフットボール部の複雑な状況を物語っています。
【私の論評】日本大学のガバナンス危機:違法薬物問題で廃部決定、統治の課題と歴史的背景
まとめ
- 日大のガバナンス問題としして、理事長権限の過度、理事会の機能不全、監事の監視不足があげられる。
- 問題発生の背景として、私大の内部運営のみで政府の監督を受けていなかったことがあると考えられる。
- 理事長権限の制限、理事会・監事の強化で再発防止を図る
- ガバナンスの強化には時間と関係者協力が不可欠
- ガバナンスの定義をしっかり認識したうえで、ガバナンスの改善には統治と実行の分離は必要不可欠との認識でのぞむべき
日大アメフト部グラウンド |
今回の一連の出来事に関して、日大のガバナンスに問題があったことは、明らかだと思います。
具体的には、以下の点が問題として指摘されています。
具体的には、以下の点が問題として指摘されています。
- 理事長の権限が強すぎること
- 理事会が機能していないこと
- 監事の監視機能が働いていなかったこと
これらの問題は、日大が私立大学であり、大学の運営が理事会などの内部関係者のみで行われていることに起因しています。私立大学は、政府からの直接的な監督を受けないことから、ガバナンスの強化が求められています。
日大は、これらの問題を改善するために、以下の対策を講じています。理事長の権限を制限する
- 理事会の機能を強化する
- 監事の監視機能を強化する
しかし、ガバナンスの強化には、時間と労力が必要です。また、理事会や監事などの内部関係者だけでなく、学生や教職員、卒業生など、大学に関わるすべての人々が、ガバナンスの重要性を理解し、協力していくことが重要です。
そうして、そもそもガバナンスとは何なのかについて認識すべきです。この言葉くらい現在の日本で曖昧に使われている言葉はありません。ガバナンスとは日本語では「統治」です。これは政府の「統治」といわれるように、元々は政府のそれを意味していたのですが、今日の政府はあまりに巨大化して「政府の統治」は、それこそガバナンスの例としては良い事例とはいえなくなりました。
今日むしろ悪い事例であるといえます。特に、日本の政府は、世界の他の政府と比較すると統治と実行がほとんど分離されておらず、最悪の部類といえます。
「政府の統治」が民間企業の参考にされ、コーポレート・ガバナンスとして取り入れられたのは、昔のことです。リンカーンの政府は、通信士と閣僚含めて全部で7人だったとされています。昔の政府はいずれの政府もこのように非常に少ない人数で構成されていて、それでも現在からみれば、非常に優れていて、的確な統治をしていたのです。
政府は、少ない人数ながら、もっぱら統治に専念するというか、せざるを得ず、統治と実行は完璧に分離されていました。しかし、効率良く的確な統治ができていました。だかこそ、民間企業のお手本になりましたし、今日世界で「小さな政府」を希求する声が高まっているのです。このあたの状況については、以前のこのブログにも述べています。その記事のリンクを以下に掲載します。
森永卓郎氏 岸田首相が小学生に説いた権力論をチクリ「見栄っ張り」「プライド捨てボケろ」―【私の論評】政治家はなぜ卑小みえるのか?民間企業には、みられるガバナンスの欠如がその原因
岸田首相 |
この記事では、ガバナンス(統治)が民間企業に取り入れた経緯や、経営学の大家ドラッカー氏の統治(ガバナンス)の定義を掲載しました。
この記事に掲載したドラッカー氏による統治(ガバナンス)の定義を以下に再掲します。
"
経営学の大家ドラッカー氏は政府の役割について以下のように語っています。
政府の役割は、社会のために意味ある決定と方向付けを行うことである。社会のエネルギーを結集することである。問題を浮かびあがらせることである。選択を提示することである。(ドラッカー名著集(7)『断絶の時代』)この政府の役割をドラッカーは統治と名づけ、実行とは両立しないとしました。
統治と実行を両立させようとすれば、統治の能力が麻痺する。しかも、決定のための機関に実行させても、貧弱な実行しかできない。それらの機関は、実行に焦点を合わせていない。体制がそうなっていない。そもそも関心が薄い。 といいます。
"
ガバナンスの定義について、それこそインターネットを検索すれば、山のようにでてきます。しかし、なかなかしっくりくるものはありません。わたしには、このドラッカーの定義が一番しっくりました。そうして、ガバナンスを語るときに、些末なことは認識しながらも、このような本筋を認識しないからこそ、混乱したり、本筋を離れた議論しかできないというのが実情ではないかと思います。
経営学の大家 ドラッカー氏 |
統治と実行を曖昧に行うことの弊害は、日大にも顕著にありました。
日大では、1962年から1982年まで、アメフト部の監督であった内田正人氏が、1965年から1982年まで、理事を務めていました。また、1988年から1992年まで、アメフト部の監督であった山本泰一郎氏が、1991年から1992年まで、理事長を務めていました。
内田氏は、日大のアメフト部を全国優勝に導いた名将として知られています。山本氏は、日大のアメフト部を再建に導いた功労者として知られています。
しかし、これらの事例は、日大のガバナンスに問題があったことを示すものとして、批判されています。アメフト部の監督は、運動部の部長という立場であり、大学の運営に直接関わる立場ではありません。そのため、理事や理事長を兼務することは、大学の運営と運動部の運営の両立が困難になるという指摘があります。
日大は、2018年に発生したアメフト部の悪質タックル問題を受け、ガバナンスの強化を図っています。その一環として、アメフト部の監督が理事や理事長を兼務することを禁止する規定を定めました。
ガバナンスについて十分認識されている組織においては、このようなことは絶対にあり得ません。このようなことを平気でする日大は、適切なガバナンスが行われていなかったのは、明らかです。
しかし、ガバナンスの歴史的背景や、その定義をしっかりと認識していなければ、日大のガバナンスを変えることはできません。
日大のガバナンスの問題は、以下の三点であることを先に示しました。
- 理事長の権限が強すぎること
- 理事会が機能していないこと
- 監事の監視機能が働いていなかったこと
まず理事長の権限が強すぎるということは、理事長が統治だけではなく、実行にも大きく関わっていることを示していると考えられます。統治に関して理事長の権限は強くてしかるべきですが、実行には一切関わるべきではありません。
理事会も、統治に関わる部分だけの意思決定をすべきです。実行に関わる意思決定は関わらないようにするべきです。
監事の監視機能も統治と実行が曖昧になっている部分を正すという姿勢で行うべきなのです。統治と実行の区分が曖昧な部分もあるとは思いますが、少なくとも分離しようという認識のもとに組織や運営の仕方を考えて改善するべきです。それなしに、改善してもますます混乱するだけです。
このようなことを曖昧にしていて、人の資質や、能力や、モチベーション、それにコミュニケーションを改善しても、組織の機能不全は改善・改革できません。そうして、それは、日大にとどまらず、政府も含むありとあらゆる組織にあてはまる原則です。
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