2017年12月21日木曜日

若者の交際キーワードから読み解く「若者のクリスマス離れ」の原因―【私の論評】なぜ日本では金融政策と社会は無縁であるかのような扱いなのか(゚д゚)!


神戸の世界一のクリスマスツリー
株式会社リサーチ・アンド・ディベロプメント(所在地:東京都新宿区、代表取締役:松田 武久)は、首都圏在住の18~79歳の男女3,000人を対象に実施した自主調査を用い、「若者のクリスマス離れ」について分析を行いました。

年々盛り上がりをみせるハロウィンに対し、近年、「若者のクリスマス離れ」が取りざたされ、クリスマスの勢いが弱まりつつあるそうです。若者たちのクリスマスへの関心が弱まっているのはなぜなのか。その要因について考えてみました。

■ 調査結果

・18~24歳の若者は、生活の意識として「自分だけの時間や空間を大事にしたい」が男女ともに6割を超え、他世代と比較して相対的に高い傾向にある。一方で、「色々な人達と積極的につきあい、つきあいの輪をどんどん広げたい」意識もあり、人とのつながりを大事にしたい意識もうかがえる。(図1)

図1 人とのzき合いに関する意識
・18~24歳はスマートフォンで多様なネットサービスを利用しているが、「SNS」「無料通話サービス」「動画投稿配信サイト」といった≪つながる≫≪共有する≫サービスの利用率が高い。

・情報関連の意識態度でも、「個人ネットワークの充実に努めている」「どこでも連絡や情報を受け取りたい」が約半数で、全体と比較して約20pt上回る。一方、他世代と比較して、「常時情報が送られてくるのは煩わしい」が相対的に低く、「いつでも誰かとつながっていないと不安を感じる」が相対的に高い傾向にあることからも、デジタル社会の中での人とのつながり意識も強く現れている。(図2)

図2 情報関連の意識態度(「そう思う」計の比率)
・どこでも情報を受け取りたい&いつでも誰かとつながっていないと不安な層は、「自分のスタイルが仲間から浮かないよう気を配る」「同性からどのように見られているか気になる」「友達に褒められる装いをしたい」がいずれも高めで、他者との同調や共感を意識している傾向がうかがえる。

■ R&D生活者インサイト

以上のように、18~24歳の若者について生活をする上での意識や行動を整理すると、

◇自分だけの時間や空間は大事だが、独りになりたいわけではない
自分一人の時間や空間を大事にしたい意識が高い一方、人とのつきあいについても意欲的である。

◇「ライトで広いつながり」をベースにした若者の交流
思春期あたりからスマートフォンが登場したことで、他の世代に比べ情報スキルも高く、且つ収集量も多い。加えてSNSの浸透が急速に進んだことで直接の知り合いでなくても趣味や嗜好などの共通点を通して広く、ライトに、気軽につながれる交流が増えてきている。

これまで「人との交流=特定の人と深く」というイメージだったものが上述のようなものへと変わってきていると思われる。

◇18~24歳の若者の交際のキーワードは「共感」?「同調」?
スマートフォンでいつでも、どこでも、誰とでもつながれる時代だからこそ、逆につながっていないことへの不安を感じる傾向が見受けられる。また、他者からの評価を意識し、他者に「いいね」をしてもらえないことに対する不安感を持つ者が多い傾向にある。生活には「自由さ」を求めているが、仲間同士の和を乱すことなく無難に楽しく過ごすことに重きをおいており、他者から非難を受けない許容範囲内での「自由」「自分らしさ」「楽しさ」を実践しているようにも感じられる。

◇若者に響くハロウィン/下降気味のクリスマス
当初の問題提起である、イベントの盛り上がりに明暗分かれる件については、18~24 歳の若者のそれぞれのイベントに対するイメージ(定義)として考えると、以下のような特徴として整理される。

・ハロウィン= その場にいる同じ目的の人とライトなつながりで楽しむ
≪場のイベント≫ に対し、
・クリスマス= 特定の親密な人と過ごして関係を深める
≪関係性のイベント≫ と分けられる。

現在の若者のつきあいの感覚からはクリスマスは遠く、逆に、その感覚に親和性のあるハロウィンの普及が本格化しつつあると考えられる。

■ 調査結果グラフ(一部抜粋)
画像1: https://www.atpress.ne.jp/releases/146138/img_146138_2.png
画像2: https://www.atpress.ne.jp/releases/146138/img_146138_3.png

調査結果の詳細は、無料ダウンロードレポート『若者のクリスマス離れは何が原因?』をご覧ください。
本リリースで取り上げた結果以外に、以下の内容を掲載しております。ぜひこちらもご覧ください。
(弊社ホームページよりダウンロードいただけます)
●生活に求めるイメージ
●友達(恋人)と過ごす時間を増やしたい意識
●自分ひとりで過ごす時間を増やしたい意識
●スマートフォンの所有率、利用しているサービス
●同性からどのように見られているか気になる意識
●自分のスタイルが仲間から浮かないよう気を配る意識
●友達にほめられる装いをしたい意識

今回、発表致しましたデータを含むR&D CORE(生活者総合ライフスタイル調査システム)2017単年の集計表を100,000円(税別)にて販売しております。(18~79才まで性年代別等基本分析軸での集計表アウトプット)
R&D CORE(生活者総合ライフスタイル調査システム)を利用した調査・分析:課題の洗い出しから分析アウトプットまで、R&Dスタッフがお手伝いします。

詳細は弊社ホームページ http://www.rad.co.jp/ をご覧ください。

■ CORE2017調査概要
調査名: CORE2017 マスター調査
調査地域: 首都圏40km圏(調査地点 200地点)
調査対象: 18~79歳男女個人
サンプル数: 有効回収 3000サンプル (人口構成比に合わせて、性×年代別を割付)
サンプリング手法: 住宅地図を用いたエリアサンプリングで抽出
調査手法: 訪問・郵送併用の自記入式留置調査
調査実施時期: 2016年10月(毎年1回10月実施)
※『CORE』は、株式会社リサーチ・アンド・ディベロプメントの登録商標です。
※1982年から約30年、生活者理解のために毎年実施している自主調査です。

■ 会社概要
会社名: 株式会社リサーチ・アンド・ディベロプメント
所在地: 〒163-1424 東京都新宿区西新宿3-20-2
代表者: 代表取締役社長 松田 武久
資本金: 30,000千円
設立 : 1968年1月17日
URL: https://www.rad.co.jp
事業内容:マーケティング・リサーチの企画設計、実施及びコンサルテーション/経営・マーケティング活動の評価及びコンサルテーション

【私の論評】なぜ日本では金融政策と社会は無縁であるかのような扱いなのか(゚д゚)!

上の分析なかなか面白いものです。私自身は、若者のクリスマス離れは、もっと単純な背景によるものと思っています。

それは、大部分が過去の経済対策の失敗によるもの、特に金融政策 (雇用と密接に関係がある)の失敗によるものではないかと思っています。

以前このブログにも掲載したように、雇用と金融緩和とは密接に結びついています。これは昔からフリップス曲線として経験的に知られていることです。日本では、金融緩和により物価が2〜3%上昇すると、他には何もしなくても一夜にして雇用が数百万人創造されます。逆にいえば、物価が数%下がると、一夜にして雇用が数百万人失われます。

ハロウィーンに関しては、もともとクリスマスを祝うような人がハロウィーンに対しても親和的であって、ハロウィーンは日本で比較的最近祝われるようになったので、注目度が高いので目立っているだけだと思います。

今年も見られた渋谷でのハロウィーンの斬新な?衣装
それを裏付ける統計資料を以下に掲載します。

若者は高齢者より外出回数が少ない

11月21日、国土交通省が5年に1度実施している全国都市交通特性調査の2015年版の結果が発表されました。


その結果、20代の若者が1日に移動する平均の回数が、70代の高齢者を下回ったことが判明した。若者の外出は減少傾向、対して高齢者の外出は増加傾向にあり、2015年の調査で両者がついに逆転した形です。

若者の移動回数の減少は、日本だけではなくアメリカ・イギリスとも共通の傾向にあります。これは、英米では景気が回復傾向ではあるものの、日本と比較すると新卒採用という制度がない欧米では、若者が以前として就職弱者であるという現実があるのだと思います。一方で、高齢者の外出回数が逆転したのは日本だけです。

特に20代男性の休日の外出回数が減少

さらに男女別では、休日の20代男性の外出回数の減少が顕著でした。

20代男性が1日に移動する平均の回数は平日で1.91回、休日で1.24回。これは調査開始以来、最低となっています。初回調査が行われた1987年は平日が2.98回、休日が2.31回。休日の比較では30年間で47%も減少していました。


移動回数は、自宅にずっといた人が0回。自宅と目的地を往復すれば2回、その途中で立ち寄る場所が別にあれば3回とカウントされます。

家の外に一度でも出た割合を表す「外出率」でも、20代男性は平日が81.2%、休日が51.1%。平均して、休日のうち半分は、家から一度も出ていないことがわかった。

外出の目的別で比較すると、平日は男性の「業務目的」の外出が減少、休日は男性の「買物以外の私用」が大幅に減少しています。

背景に「非正規」労働者の増加?

調査では、関連情報としてインターネットやスマートフォンの普及が急速に進んでいることや、宅配便取り扱い数が増えていることなどを挙げています。平日に家でできる余暇が広がったことや、通信販売を利用する人が増えたことが推測されます。

また、就業形態別の調査で、年齢や平日・休日にかかわらず1日あたりの移動回数は、正規就業者、非正規就業者、非就業者の順に低くなっていることが明らかになっています。


20代の非正規就業者・非就業者の割合は53.5%にまで増加(92年は39%)しており、労働形態の変化との関連についても推測されます。

Twitterでは、以下のような反応が挙がっています。
「もう「貧困化」のことを「○○離れ」って言うのやめた方がよくね」
これに関しては、かなり実体をついたツイートだと思います。「若者の○○離れ」とは結局のところ、若者の貧困化や、しょう
「だって外出したらお金いるじゃん」
若者が貧困化していて、さらに将来に希望が持てなければ、まずはお金のかかることをやめようとするのは当然のことです。
「レジャー代一番最初に削るの当たり前」
若者が貧困化していれば、生活に必須なことにはお金を使っても、レジャー代を削るのは当然のことです。 ただし、「他者とつながっていたい」という願望はあるので、
「30年前のデータと比較されてもな。 1987年ってバブル真っ盛りじゃね?」
これに関しては、誤解があります。バブルの頃は、土地や株価の値上がりは顕著でしたが、 一般物価はさほど値上がりしていませんでした。にもかかわらず、日銀は金融引締めに転じました。これは大失敗でした。

その後も日銀は、基本的に引き締め気味の政策を繰り返しました。さらに、本来大規模に緩和すべきところを逆に引き締めをして、大失敗をしました。

これについては、以前のこのブログにも掲載しています。その記事のリンクを以下に掲載します。
「アラフォー世代は一生貧困を宿命づけられている」クロ現のアラフォークライシス特集にネット阿鼻叫喚 「泣けた」「救いが無くてテレビ消した」 ―【私の論評】対症療法、精神論は無意味!真の打開策はこれだ(゚д゚)!

この記事をご覧いただくと、日銀はバブル期の最後と、2006年3月と、リーマン・ショック時に大きな金融政策の間違いを繰り返しています。

金融緩和政策に失敗するということは、若者に対しても重大な悪影響を及ぼします。なぜなら、 上でも述べたように、日本では、金融緩和により物価が2〜3%上昇すると、他には何もしなくても一夜にして雇用が数百万人創造されます。逆にいえば、物価が数%下がると、一夜にして雇用が数百万人失われます。

そうして、雇用が悪化すると、一番先に悪影響を被るのは若者です。企業としては、雇用情勢が悪化したときには、まず最初に若年層の雇用をやめたり、若年層から解雇するからです。そうして、増税などの緊縮財政もそれに追い打ちをかけました。

デフレのときには、金融緩和と、積極財政を行いなるべくはやく、デフレから脱却するのが、経済対策の王道です。しかし、日本では、デフレであるにもかかわらず、

このような日銀の金融政策の失敗により、当時若者だったアラフォーから悪影響を被ることになりました。そうして、この調査がなされたのは2015年のことですから、その当時でも雇用情勢は回復していたのですが、今ほどではありませんでした。

そのため、若者のクリスマス離れがまだみられていたのでしょう。景気というものは不思議なものです、景気が良い時期が続くと、たとえ景気が悪くなっても、多くの人々がまだまだ景気の良い時代は続くとして、それ以前の生活様式を改めることはありません。逆に、景気が悪い時期が続くと、たとえ景気が良くなっても、多くの人々はまだ景気の悪い時代が続くとして、それ以前の生活様式をすぐに改めることはありません。

たとえば、あのバブルの象徴ともいわれる「ジュリアナ東京」はバブルが崩壊した後にできたものです。ジュリアナ東京は、バブル後に設立され、数年営業して閉店しました。

だから、雇用情勢が回復しても、すぐに「若者のクリスマス離れの終焉」はおきないかもしれません。しかし、雇用情勢がしばらく良い状態が続けば、「若者のクリスマス離れ」も終焉するかもしれません。

私は、いつも思うのですが、ブログ冒頭の記事のように社会分析をするにしても、その前後の経済分析も怠ってはならないと思います。経済をみないと、社会の本当の姿を知ることはできません。

今年の「クリスマス」はどうなるのでしょうか。雇用情勢が良くなったので、また若者にクリスマスが復活するかもしれまんし、あるいは来年か再来年あたりになるかもしれません。

あるいは、クリスマスではなく、ハロウィーンがさらに流行るかもしれません。あるは、もっと別なものが流行るのかもしれません。

いずれにせよ、「若者の○○離れ」の背後には、経済政策の良さ、悪さもあることを認識すべきです。それらも、みなければ、本質は見えてきません。

特に、日本では、金融政策と社会とは無縁のような扱いです。このようなことでは、社会の本質は見えません。

【関連記事】

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2017年12月20日水曜日

【中国・連鎖地獄 大失敗の一帯一路】中国に露骨に依存し始めたスー・チー氏 欧米メディアは「平和の天使」から「悪魔の使い」に突き落し―【私の論評】スー・チー氏は悪い人ですか?

【中国・連鎖地獄 大失敗の一帯一路】中国に露骨に依存し始めたスー・チー氏 欧米メディアは「平和の天使」から「悪魔の使い」に突き落し


 ミャンマーのイスラム教徒少数民族ロヒンギャの居住区・西部ラカイン州は、中国・雲南省までのパイプラインの起点である。だからこそ、中国はアウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相を擁護し、ロヒンギャを「テロリスト」と決め付け、国際社会から失笑を買っても平気である。

 ミャンマー軍の軍事作戦を受け、隣国バングラデシュに避難したロヒンギャ難民は70万人近くになった。スー・チー氏は、「民族浄化だ」と批判する国際世論の前でよろめき、欧米に背を向け、中国の政治力に露骨に依存し始めた。

 スー・チー氏は、無思慮にロヒンギャの肩を持つ欧米メディアは自己本位であり、解釈が一方的であり、事態の本質を理解していないと、信頼してきた欧米メディアの激変ぶりに当惑している。

 欧米、特に英国がスー・チー攻撃の最右翼となっている。

 英オックスフォード市議会は11月、スー・チー氏へ授与した称号「オックスフォードの自由」を永久剥奪することを決めた。米国下院のリベラル派も、最高勲章「ゴールド・メダル」の剥奪を要求した。「ノーベル平和賞を返上せよ」と叫ぶ活動家もいる。

ミャンマーの事実上の指導者であるアウン・サン・スー・チー国家顧問の母校、
英オックスフォード大学(University of Oxford )は9月30日、これまで
ホールに展示していたスー・チー氏の肖像画を撤去したことを明らかにした。

国際世論というより、欧米メディアから、スー・チー氏は「平和の天使」から「悪魔の使い」に突き落とされた。それもこれも、「ロヒンギャ難民に対し、ミャンマー政府が弱い者いじめ(弾圧)をしている」という、意図的な世論工作に負けているからである。

 誰がこの印象操作を行ったかといえば、これまでスー・チー氏を「救国のヒロイン」と持ち上げ、前向きな印象操作をしてきた欧米メディアなのだから「現代史のパラドックス」というところだろう。

 中国がしゃしゃり出てきた。ミャンマーに利権を持ち、一度キャンセルになった北辺の水力ダムや港湾施設など、多くのプロジェクトを予定している。中国は、このチャンスを生かすと外交得点も稼げる。

 ミャンマーには7つの主要な少数民族がいる。シャン、カチン、カレン、モン族などに加えて、ワ族がいる。それぞれが武装集団を持ち、国境地帯などに勝手に自治区を広げている。特に、麻薬の密造地帯「ゴールデン・トライアングル」を、麻薬王クンサーの地盤を受け継いで統治し、各地のマフィアと組んでいるため資金も潤沢である。

 ミャンマー政府の統治が及ばない。ほとんどが中国と国境を接している。特に、ミャンマー東部シャン州に盤踞(ばんきょ=根を張って動かないこと)するのがワ族だ。この軍事組織が「ワ州連合軍」(UWSA)で、中国の支援を受けているのだから、ミャンマー情勢はややこしい。

 ■宮崎正弘(みやざき・まさひろ) 評論家、ジャーナリスト。1946年、金沢市生まれ。早大中退。「日本学生新聞」編集長、貿易会社社長を経て、論壇へ。国際政治、経済の舞台裏を独自の情報で解析する評論やルポルタージュに定評があり、同時に中国ウオッチャーの第一人者として健筆を振るう。著書・共著に『韓国は日米に見捨てられ、北朝鮮と中国はジリ貧』(海竜社)、『連鎖地獄-日本を買い占め世界と衝突し自爆する中国』(ビジネス社)など多数。

【私の論評】スー・チー氏は悪い人ですか?

欧米メディアのアウンサンスーチーに対する評価の極端なブレはいただけないです。もっと冷静にみるべきです。日本のメディアも、欧米に追随することなく、独自の視点をもつべきです。そもそも、アウン・サン・スー・チー氏にはいくつか誤解があるようです。以下にそれを掲載します。

アウン・サン・スー・チーは頑固な理想主義者か?

彼女が頑固だという評価は1990年代からありました。いわく「軍政に反対するあまり、自国の経済発展をないがしろにし、軍政と協力してミャンマーの経済開発に協力する姿勢を見せず、徒(いたずら)に民主主義の理想論ばかりを説く」というような評価です。

軍政への彼女の一貫した抵抗姿勢が、逆にこのような受け止め方を一部で生じさせたのでしょう。しかし、アウンサンスーチーはひとつのイデオロギーにこだわるような頑固者ではありません

彼女の思想の最も特徴的な部分を言い表せば、それは「常に変化する現実を客観的に見つめ、そこから正しい目的を導き出し、その目的に相応しい正しい手段だけを用いて行動する」ということに尽きます。彼女にとって目指すべき目的とは、常に変化する現実の中で優先順位がつけられ、変わり得るものとみなされ、より大切な事は、目的達成のための手段が正しいかどうかであるようです。

2013年4月に彼女が日本を公式訪問した際に、東京大学(本郷)で行われた講演で、「たとえ成功できなくても、正しい手段を用いたのであれば自信を持ちなさい」と語っているが、それはまさにこのことを指摘したものです。

2013年4月日本を公式訪問したとき都内で講演するアウン・サン・スー・チー氏
軍事政権下のミャンマーにおいて、彼女は民主主義の実現こそが「いま」この国が必要としている「正しい目的」であると判断しました。その際、それに相応しい「正しい手段」として非暴力闘争を選択しました。

民主主義の確立を目的に設定する以上、民主主義と矛盾する暴力を手段として選択することは本質的に矛盾します。もし暴力を手段として採用すれば、たとえ軍政を倒せたとしても、新しく成立する政府はやはり「暴力で生まれた」と解釈され、反対勢力による新たな暴力で危機に陥り、それを再び暴力で抑圧しようとする「負の連鎖」につながると彼女は考えたのでしょう。

そこには、政治における「暴力の連鎖」に苦しみ続けてきたミャンマーにおいて、国民自らの努力によって「非暴力で政権を交代させる」事例を築き、彼らに自信を持たせたい彼女の戦略的判断も影響していたものと考えられます。

彼女を頑固だと考える人々は、この「正しい手段」にこだわる彼女の姿勢を批判しているのかもしれません。しかし、「目的が正しければ、手段は(非合法でない限り)何を用いても良い」という考え方がもたらす負の側面を私たちは過去にさんざん見せつけられてきたと思います。

手段の選択を間違えると、最初に設定した目的は(いくらそれが正しくても)達成できないことはおうおうにしてあります。彼女がいう「正しい手段」へのこだわりを、「頑固」の一言で片づけてしまうことは安易に過ぎると思います。

アウン・サン・スー・チーは独裁者を目指している?

この誤解は、彼女が2015年11月8日にミャンマー(ビルマ)で行われた総選挙前に「私は大統領より上の存在になる」と公言し、一部のメディアがその発言を問題視したため生じたものでい。確かにこの発言だけを見れば「危ない発言」に映ります。

2015年11月8日にミャンマー(ビルマ)で行われた総選挙でNlDが圧勝
しかし、発言が飛び出た文脈を考える必要がある。ミャンマーの有権者は選挙前、たとえNLD(国民民主連盟)が圧勝しても、軍の特権を保障した憲法の規定のために、アウンサンスーチーが大統領に就任できないとすれば、NLDに投票する意味がどこまであるのかという不安を抱いていました。それを払拭し、有権者を元気づけるため、彼女はこのような発言をしたのです。

憲法の資格条項による制限(=外国籍の子供や配偶者がいる者を正副大統領の資格から除外する規定)のために彼女は大統領に就任できません。である以上、NLD党首としての彼女に残された唯一の選択肢は、自らの意向に従う別の人物を大統領に据え、その人物に影響力を行使することだけです。

その明白な事実を、「大統領より上の存在になる」という、ドラスティックな表現で語ったのだと解釈したほうが自然です。

アウン・サン・スー・チーは日本を嫌っている?
これも一部のメディアが書き、かつ日本人ビジネスマンからよく聞かされる「解釈」であす。しかし、アウン・サン・スー・チーは日本を前向きに評価しており、重要な国として認識していることは間違いない事実です。

アウン・サン・スー・チーが日本を嫌っていると主張する人々には、1988年から2011年まで23年間続いた軍事政権期に、日本政府と日本企業がもっぱら軍政側との交流を重視したため、彼女が日本に不快感を抱いているはずだという「思い込み」があるようです。

したがって、NLD政権が発足すれば日本が「仕返しをされるかもしれない」という恐怖心がどこかにあり、それが「日本嫌いのアウンサンスーチー」という見方を生みだしているのかもしれません。

しかし、彼女は復讐に興味を示さない人間ですし、そもそもそういう行為を国民に対して厳しく諫めてきた人物であす。彼女はまた、「民主主義は規律ある国民の上に花を咲かせる」と認識しています。

日本(および日本国民)はその点で見習うべき存在として高く評価されており、民主化運動にデビューした当初から、民衆への演説でもそのことを何度か指摘している(これについては伊野憲治編訳、『アウンサンスーチー演説集』、みすず書房、1996年を参照)。

さらに、彼女が日本の官僚制を高く評価していることも付け加えておきます。アウン・サン・スー・チーは1回目の自宅軟禁(1989-95)から解放されたあと、民衆に向けた演説の中で、「日本の官僚は前例があれば必ずそれを実行する」ことをほめ、前例があろうがなかろうが動くことなく、軍人に命令されて初めて動くミャンマーの官僚(制)を批判しました。

私たちから見ればネガティヴな受け止め方をする「お役所の前例主義」だが、彼女から見れば「規律ある国民」がつくりあげた長所として評価されているのです。

そのほか、日本ではどこでもゴミが落ちていなくてきれいに維持されていることも、それがミャンマーでは稀な光景だけに、彼女の称賛の的となっていることも知っておくべきです。

彼女はまた、1980年代に2年間、英国のオクスフォード大学で日本語を学び、漢字を1000字以上習得して三島由紀夫の小説を日本語で読めるまでになり、その後、1985年から86年にかけて京都大学東南アジア研究センター(現東南アジア研究所)に訪問研究員として滞在しています。

アウン・サン・スー・チー氏の父 アウンサン将軍
研究テーマは大戦中の日本‐ビルマ関係史で、滞在中、父アウンサン将軍(1915-47)と戦時中に交流した旧日本軍関係者への聞き取りをおこなっています。

アウン・サン・スー・チーは最高権力者?

アウンサンスーチー氏の正式な肩書は「国家顧問」です。先にも述べたように、ミャンマー憲法には、外国籍の配偶者や子供を持つ者の大統領就任を禁じる条項があります。そもそもスーチー氏を念頭において作られたこの禁止条項のため、スーチー氏は現行憲法では大統領になれないのです。そのため新しい「国家顧問」という役職を、スーチー氏は自ら新設したのです。

スーチー氏はミャンマーで、圧倒的に人気の高い政治家です。2015年の総選挙では、国民民主連盟(NLD)を率いて圧勝した。党内と内閣の重要決定のほとんどは、スーチー氏によるもので、外務大臣の地位にも就いています。

ティン・チョー大統領は事実上、スーチー氏に従う立場です。

ミャンマーでは1962年以降、軍部が様々に形を変えながら政権を掌握し続けました。現行憲法は、その軍事政権が制定したもので、信頼性が疑わしい2008年の国民投票で承認されました。当時、NLDもスーチー氏も、この憲法を認めませんでした。

軍事政権が掲げていた「規律ある民主主義」において憲法は、軍が指導的立場を維持するための鍵となる要素でした。この憲法の下、軍人は議会で4分の1の議席を保障されています。

ティン・チョー氏はミャンマーの大統領だが、実際はスーチー氏に従う立場だ
軍は、内務省、国防省、国境省という3つの重要省庁を掌握しています。よって、警察も軍部の統制下にあります。

民主政府を停止できるなど強力な権限を持つ国家防衛安全保障会議(NDSC)についても、メンバー11人のうち、6人は軍が指名します。

上位の文民役職にも多くの軍出身者が就いています。さらに、軍は今でも経済界に大きく関わっています。国防支出は医療予算と教育予算の合計より大きい、国家予算の14%を占めます。

軍部とスーチー氏は20年以上にわたり、激しく対立を続けました。同氏は15年間、自宅軟禁されていたほどです。

一時的に自宅軟禁を解かれた1995年7月、支持者を前に演説するアウンサンスーチー氏
総選挙後のアウン・サン・スー・チー氏と軍部は、協力し合う方法を探る必要がありました。スーチー氏には国民の信任があり、将軍たちは実権を握っていました。

依然として重要な問題については、意見が対立していました。スーチー氏が望む憲法改正しかり、ミャンマー国境付近で70年前から政府と戦ってきた、さまざまな少数民族武装勢力との和平交渉の進捗しかりです。

しかし、経済改革や成長の必要性、急激に変化する緊張が高まる社会に安定をもたらす必要性については、軍部もスーチー氏も同意見でした。(社会の安定について、スーチー氏は「法の支配」という言葉を好んで使います)。

しかしロヒンギャ問題については、スーチー氏は慎重にことを進める必要があります。ミャンマー世論は、ロヒンギャにほとんど同情していないからです。

ミャンマー人の多くは、多くのロヒンギャの家族は何世代も前からミャンマーにいるにもかかわらず、ロヒンギャはミャンマー国民ではなく、バングラデシュからの不法移民だという政府の公式見解に同意しています。

ミン・アウン・フライン将軍はロヒンギャにほとんど同情していないと言明している。写真は今年5月
昨年10月と今年8月に武装勢力の「アラカン・ロヒンギャ救世軍」(ARSA)が複数の警察施設を襲撃したことで、世論の敵意はいっそう高まりました。

ラカイン州では、地元の仏教徒の敵対心は、ますます強まっています。仏教徒がベンガル人と呼ぶロヒンギャと、仏教徒の間の紛争のきっかけは、何十年も前にさかのぼります。

仏教を信仰するラカイン族の多くは、自分たちがいずれは少数派になり、そうすれば自分固有のアイデンティティーが破壊されると懸念しています。同州地元議会は、ラカイン民族党(ANP)が圧倒的多数で支配しています。スーチー氏率いるNLDが支配していない、数少ない地方議会の1つです。

Image copyrightGETTY IMAGESImage captionミン・アウン・フライン将軍はロヒンギャにほとんど同情していないと言明している。写真は今年5月。

警察や軍の間でも、仏教徒への共感は強いのです。警察官の半数近くは仏教徒のラカイン族です。

バングラデシュとの国境沿いにあるラカイン州北部では軍が実権を握っており、人の往来は厳しく管理されています。

加えて、強力な軍部のトップ、ミン・アウン・フライン国軍司令官は、ロヒンギャにほとんど同情していないと言明しています。



フライン将軍は現地で進行中の「掃討」作戦を、1942年にまでさかのぼる問題を終えるために必要なものだと話しています。当時は、旧日本軍と英国軍の戦闘で前線が目まぐるしく変わり、ロヒンギャと仏教徒ラカイン族の間で悲惨な争いがありました。

軍は現在、戦いの相手は外国から資金提供を得ているテロ組織だと認識しており、国民の大半も同じ見方です。

加えて軍部はロヒンギャに対して、他の紛争地域で駆使したのと同じ「4つの分断」戦略を実行しているようです。食糧・資金・情報・徴兵について反政府勢力の地域的連携を断ち、反政府勢力を支援しているらしいコミュニティーを兵士が破壊し、恐怖に陥れる戦略です。



メディアも要因の一つです。ミャンマーでこの5年の間に最も大きく変わったことの中には、新しい独立系メディアの相次ぐ出現と、インターネット利用の激増が含まれます。10年前のミャンマーは、固定電話回線すらほとんどない国でした。

しかしバングラデシュ国内で何が起きているか、あるいはロヒンギャがいかに苦しんでいるかを伝えるメディアは、ほとんどありません。その代わりに多くのメディアは、ラカイン州で住む場所を失った仏教徒やヒンズー教徒について詳しく伝えてきました。

ミャンマーではソーシャルメディアも人気ですが、その分だけ偽情報やヘイトスピーチがたちまち拡散しました。

つまりアウンサンスーチー氏はラカイン州で起きている事態ついて、実際にはほとんど権限を持っていないのです。そしてロヒンギャ支援を表明しようものなら、ほぼ確実に仏教徒の国家主義者たちの怒りを買うはずです。

スーチー氏の道徳的権威をもって、ロヒンギャに対する一般市民の偏見を変えられるかは分からないです。スーチー氏は、ここは賭けに打って出るべきではないと計算したのでしょう。


アウン・サン・スー・チー氏はブログ冒頭の記事のように、ロヒンギャ危機への対応について国際社会から厳しく非難されています。写真は、ロヒンギャ殺害をやめさせるようアウンサンスーチー氏に訴えるプラカードを手にした、ムスリム系インド人の活動家(9月7日、インド・コルカタ)です。

ラカイン州における軍部の行動について、もしアウン・サン・スー・チー氏が批判しやめさせようとした場合、軍部に排除されてしまう危険があるかもしれません。軍部にその力はあります。今の状況では、国民の支持もある程度は得られるかもしれません。

しかし、現在のNLDと軍との権力分割の取り決めはおおむね、軍が2003年に民主化への7段階の行程表を発表した当時から意図していた内容でした。これは念頭におく価値があります。

行程表は発表当時は見せかけに過ぎないと、相手にされませんでした。しかし結局、それから14年の間にミャンマーで起きた政治的展開は、行程表にぴったり沿って実現しました。2015年総選挙で軍系の政党が大敗しても尚、軍は未だに国内で最強の存在です。

ただしこれまで違い今の軍部には、アウン・サン・スー・チー氏という隠れ蓑がいます。おかげで軍の行動について国際社会は、軍部ではなくスーチー氏に徹底的な非難を浴びせているのです。

軍としては、アウン・サン・スー・チー氏を最高権力者とみせかけ、その実今でも多くの権力を手中におさめ、スー・チー氏を隠れ蓑として用いているのでしょう。アウン・サン・スー・チー氏を最高権力者とみるにはまだ無理があるようです。

結論

日本としては、欧米のメディアに追随することなく、アウン・サン・スー・チー氏をもっと冷静に見るべきでしょう。良い人、悪い人という二項分類ではなく、多角的にみていくべきでしょう。

ブログ冒頭の宮崎氏記事には、アウン・サン・スー・チー氏が中国に依存し始めたように書かれていますが、そうとは限りません。スー・チー氏を隠れ蓑にして、軍部が中国依存を始めたのかもしれません。

しかし、軍部とて馬鹿ではありません。チベットなどの例を知っているでしょう。チベットでは最初は中国はアパートをたくさん建設したり、道路を築いたりして、歓迎されました。ところが、その道路をつかって人民解放軍がチベットに侵攻し、現在では中国は中国のチベット自治区になっています。

最初は、安易に依存しても、そのうちその危険に気づくことでしょう。実際、このブログでも述べたように、最近は、中国の一対一路構想から離脱する国々が目立ちます。ミャンマーも「大型水力発電所には関心がない」と表明しています。

日本としては、ロヒンギャ問題なども冷静に見守り、いずれミャンマーを安倍総理の中国封じ込め構想である、安全保障のダイヤモンドに取り込んでいくべきでしょう。

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2017年12月19日火曜日

アベノミクス批判本に徹底反論! なぜ「成果」を過小評価するのか―【私の論評】雇用よりも労働生産性を優先する考え方は著しく不見識(゚д゚)!

アベノミクス批判本に徹底反論! なぜ「成果」を過小評価するのか

田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授)

田中秀臣氏 写真・グラフはブログ管理人挿入 以下同じ
 以前、保守系の討論番組「闘論!倒論!討論!」(日本文化チャンネル桜)に出たときに、出席者のクレディセゾン主任研究員、島倉原(はじめ)氏が、同志社大学教授の服部茂幸氏の『偽りの経済政策』(岩波新書)を援用して、アベノミクスの雇用創出効果について否定的な意見を提起した。服部氏の上記の本では、第二章「雇用は増加していない」という刺激的な見出しがついた、アベノミクスの雇用創出への否定的な意見が確かに展開されている。

同志社大学教授の服部茂幸氏
 そこで服部氏は「日本経済は実体経済が停滞しているだけではなく、雇用も労働生産性も停滞していることを明らかにした」(同書93ページ)とある。また同書を読むと、服部氏のいうアベノミクスはほぼ日本銀行のインフレ目標2%を目指す金融緩和政策、すなわちリフレ政策と同じものとみなしているようだ。

 実は服部氏の所論については、以前に学会の依頼で「アベノミクスをめぐる論争―日本は復活したか、それともまだ罠にはまったままか?」という批判的な書評を書いたことがある。冒頭に紹介したように、討論番組などでその所説が利用されるようならば、改めて服部氏の議論を再検討してみたいと思う。実際に、世論やネットの中では、アベノミクス期間中の雇用の改善を否定し、過小評価する傾向があるからだ。

有効求人倍率が「バブル期並み」の水準まで改善している
 もちろんこの連載の読者ならばおわかりだろうが、雇用状況にはまだまだ改善する余地がある。だが、それは雇用の停滞という状況ではない。雇用はアベノミクス導入以前に比べると改善しているし、その成果は金融緩和の持続に貢献している。それに加えて、もちろん海外経済の好調もある。

 金融緩和の雇用改善効果は、国内的には消費増税、国際的には2015年ごろの世界経済の不安定化によって一時期低迷したが(といっても底堅い状況だった)、現状では再び改善の度合いを深めている。ただし、消費の停滞は消費増税の影響が持続しているとみなしていいので、その面から日本の雇用の改善は抑制されてしまっている。

 金融緩和や財政政策の拡大による経済政策を採用することで、雇用状況はさらに改善するだろう。例えば、より一層の失業率低下や賃金上昇、労働生産性の上昇などがみられるだろう。

 さて、服部氏の主張を簡単にまとめておこう。
1)アベノミクス期間で就業者数は増えた。ただし、それは短時間就業者が増えただけで、「経済学上の正しい雇用あるいは就業の指標」である「延べ就業時間」でみるとむしろ減少した。 
2)また、実質国内総生産(GDP)を述べ就業時間で測った労働生産性だと、その上昇率はほぼゼロにまで低下している。 
3)安倍政権は2%の実質経済成長率を目指しているが、そのためには延べ就業時間を増加させるか、労働生産性を上昇させるか、あるいはその両方が必要である。だが、1)2)により実現は不可能に思える。特に、延べ就業時間増加率は人口構造の変化(現役世代の減少)からゼロとみても楽観的なので、労働生産性次第になる。ところが、2)もほぼゼロなので、安倍政権はその目的を達しない。 
4)「労働生産性の上昇なき雇用の改善は、政策の成果ではなく、失敗なのである」(同書94ページ)。
 以上が、服部氏の「雇用は増加していない」という主張である。働く場が増えることは失業している状況よりも望ましいと思うが、服部氏はそのように考えていないということだろう。

まず延べ就業時間数だが、例えば労働力調査をみてみると非農林業の延べ就業時間(週間)は、民主党政権の終わりの2012年の23・58億時間から2016年は23・60億時間になっている。確かに、この数字だけみると、安倍政権は民主党政権と比べて雇用が全く増えていないということになる。他方で就業者総数は増加しているので、パートや高齢者の再雇用といった短時間労働が貢献しているかのようである。

 だが、現状では、短時間労働の原因ともいえるパート労働などの非正規雇用の増加は頭打ちともいえる状況だ。最新の統計だと、2カ月ぶりに5万人ほど増加したにとどまる。対して正規雇用は、正規の職員・従業員数は3485万人。前年同月に比べ68万人増えて、35カ月連続の増加となっている。

 それに加えて、服部氏はどうも失業よりも雇用された状態がいいとは思っていないのかもしれないが、専業主婦層のパート労働の増加は家計の金銭的補助となるだろうし、また高齢者の再雇用もまた経済的な助力になるだろう。延べ就業時間の「低迷」をいたずらに過大評価すべきではない。服部氏もそれを冒頭の番組で援用した島倉氏も、働くことができる人間的価値を軽視しているのではないか。また、最近では正規雇用の増加が進んでいるので、2017年の統計は服部氏目線でもさらに「改善」されている可能性が大きい。


 次に労働生産性についてである。服部氏の定義だと確かにゼロ成長率になる。ただ、この労働生産性の定義の場合、景気が回復していけば、延べ就業時間総数が一定でも実質GDPは事後的に増加していく。現状のような総需要不足の状況であれば、それを解消していくことで実質GDPは増加し労働生産性も伸びていく。それだけの話にしかすぎない。ちなみに、総需要不足の失業がある段階で、労働生産性の向上を重視するのは奇異ですらある。なぜなら失業のプールから雇用されていく人たちは限界生産性が低い人たちであり、そのため労働生産性は低下するからだ。先に指摘したように、どうも職を得るよりも服部氏らは労働生産性が重要なのだろう。しかしそれでは国民の幸せは向上しないだろう。

 また、労働生産性の伸びがゼロに近くとも、正規雇用が増加し続け、それにより延べ就業時間も増加すれば、服部氏の定義でも問題はないだろう。そうであれば、答えは簡単だ。現状の「雇用の増加」傾向を強めることが必要である。そうである以上、少なくとも現状の金融緩和の継続をやめる理由はないし、また財政政策は現在明るみに出ている事実上の「増税シフト=緊縮主義」をますます正す必要があるだろう。

【私の論評】雇用よりも労働生産性を優先する考え方は著しく不見識(゚д゚)!

田中秀臣氏が主張するように、服部氏のようにアベノミクスを労働生産性の観点から批判するのは大きな間違いです。

もうすでに、有効求人倍率が「バブル期並み」の水準まで改善されています。これは、今ではもはや誰も否定しようがありません。これはすでに今年の5月頃には、明白になっていました。

同志社大学教授の服部茂幸氏の『偽りの経済政策』(岩波新書)は、5月20日に出版されていますから、こうした統計を見逃したのでしょうか。しかし、その前から雇用が改善されているのは誰の目からも明らかでした。

厚生労働省が今年3月に発表した有効求人倍率は、前月より0.02ポイント上昇して1.45倍となりました。これは1990年11月以来、26年4カ月ぶりの高水準です。バブル期のピークは1990年7月の1.46倍でしたので、3月の結果は「バブル期並み」を通り越して「バブル期のピーク並み」と言ってよいでしょう。

これほどに雇用が改善したことで、むしろ人手不足が深刻化していました。変化に敏感な人なら、正月時点で変化に気づいていたことでしょう。これについては、このブログでも掲載しました。
人手不足は金融緩和による雇用改善効果 さらに財政政策と一体発動を―【私の論評】年頭の小さな変化に気づけない大手新聞社は衰退するだけ(゚д゚)!
近所の商店で見かけた貼り紙 元旦の休みは近年なかったことだった
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事で結論部分でこのように締めくくりました。
今年の年頭の人手不足という一見小さくみえる現象は、将来の大きな変化の前触れだと思います。この変化に気づきそれを利用できる人と、利用できない人との間にはこれから、大きな差異が生まれていくものと思います。
今年の正月の時点で、さらなる人手不足が予測されるくらい雇用状況は改善していたことがわかります。

今年は、その後ヤマトホールディングスが1万人を新規採用するとのニュースが話題になりました。宅配業界は人員増加とともに、宅配サービスの見直しや値上げなど業務のあり方そのものを見直さざるをえなくなっています。

産業界では人材確保のため非正規従業員より正規社員の採用を増やしたり、パート従業員の時給をアップするなどの動きが広がり始めていました。総務省の労働力調査によると、3月の雇用者数は正規が前月より26万人増加し、非正規の増加数17万人を上回りまわっていました。

つい2、3年前まで多くの企業は正規従業員の採用をなるべく抑え、非正規従業員でまかなうというのが“常識”でした。2014年は正規雇用が月平均で13万人減少した一方で、非正規は57万人増加しました。ところが15年以降はわずかながら正規雇用の増加数の方が非正規の増加数を上回るようになり、今年1~3月の平均では正規雇用の増加が47万人、非正規が3万人と、その差が拡大しています。待遇の良い正社員の採用を増やして人材確保を図ろうとしている企業の姿が浮き彫りになっていました。

同時に、人材確保のためには非正規従業員の待遇改善も重要になっていました。厚生労働省の毎月勤労統計調査によると、3月(速報)の所定内給与は全体(事業規模5人以上)で前年同月比0.1%減少したのに対し、パート従業員の時給は2.4%増加しました。全体の伸びはこの1~2年は1%未満から横ばい前後で推移していますが、パートの時給の伸びは1%台から2%台へと拡大傾向にあります。直近4カ月連続して2%台の伸びとなっており、特に2月の2.4%という伸び率はアベノミクス景気が始まって以後で最大でした。


変化は今年の春闘にも表れていました。連合(日本労働組合総連合会)の春闘回答集計(4月13日発表)によると、組合員数300人未満の組合が引き出した賃上げ額(定昇分を除くベア)は1373円(賃上げ率は0.56%)で、300人以上の大手組合の1327円(同0.44%)を額、率ともに上回っていました。また300人未満の組合の中でも、99人以下の組合の賃上げ額は1513円(率は0.64%)となっており、規模が小さいほど賃上げが大きくなっていました。

定昇分も含めた賃上げ全体では大手組合の方が上回っていますしたが、ベアで中小組合の方が上回っていることは、わずかながら格差が縮小することを示していました。

こうしてみると、この時点ですでに労働市場の裾野から底上げが進み始めていることがわかります。これまで景気回復を示すデータは多いものの「消費が弱い」、「実感が伴わない」などと指摘されてきたことは周知の通りですが、その大きな原因の一つは賃金がなかなか増加しないことでした。

たしかに全体では賃金の増加は前述のようにまだわずかであり、消費者物価上昇分を差し引いた実質賃金では15年まではマイナス、16年にようやく0.7%増とプラスになった程度。生活水準としては切り下がったままというのが実感だったと思います。

しかし、今見てきたように正規従業員の増加、パートの時給アップ、中小企業の賃上げなどは明らかに新しい変化でした。人手不足が賃金アップをもたらしつつあったわけです。この動きは一時的あるいは散発的なものではなく、労働市場の構造を変える可能性を持っていると見ることができました。


これは、やがて消費増加につながっていくことが期待できました。実際の消費の動きを追うと、その兆しが出始めていました。経済産業省が毎月発表している商業動態統計によると、3月の小売業販売額は前年同月比2.1%増で、5カ月連続の増加となりました。しかも、2.1%という増加率は、消費増税(14年4月)後では実質的に最大です。

小売業販売額の統計は全国の大手百貨店、スーパー、コンビニの他、小規模小売店も調査対象に加えており、小売販売の実態をかなり広範囲にとらえた統計です。我が国では消費に関する網羅的かつ正確な統計があまりないことが問題点として指摘されていますが、その中にあってこの小売業販売額のデータは消費の動向を比較的正確に反映して表しているといえます。

同統計には外食や旅行、交通費、ネット通販などのサービス支出が含まれていないことに注意が必要ですが、少なくとも同じ「小売業販売額」の時系列での変化を見れば、一進一退が長く続いていた消費がようやく上向く兆しが出てきたと解釈することが可能でした。

最新の統計をみてみると、経済産業省公表の 10 月分の小売業販売額(税込み)を指数化し、季節調整を行っ た指数水準(平成 27 年=100)は 101.1 となり、季節調整済指数前月比は 0.0%の横ばいとなりました。

後方3か月移動平均で前月比をみると▲0.3%の低下 となりました。 後方3か月移動平均の前月比を個別の業種ごとにみると、通信家電に買い 控えのみられた機械器具小売業が同▲1.3%の低下、自動車小売業が同▲ 0.7%の低下、農産品の相場安から飲食料品小売業が同▲0.3%の低下となっりました。

 一方、石油製品価格の上昇から燃料小売業が同 1.7%の上昇となりました。 これらを踏まえて、同省の季節調整済指数前月比の 10 月までのトレンドでは「持 ち直しの動きがみられる小売業販売」としたとしています。

目覚ましい上昇などはみられませんが、「持ち直しの動き」がみられることには変わりはありません。多少の減少はあるものの大勢では「持ち直しの動き」にあるとみているのでしょう。

一方雇用に関しては、ブログ冒頭の田中秀臣氏の記事でも触れているように、良いことはあっても、悪い動きはありません。  これは、アベノミクスが機能して、良くなったということです。雇用が良くなっていることは最早誰にも否定できません。

にもかかわらず、服部氏はこれを否定しています。ブログ冒頭の記事で田中秀臣氏は、以下のように述べています。
次に労働生産性についてである。服部氏の定義だと確かにゼロ成長率になる。ただ、この労働生産性の定義の場合、景気が回復していけば、延べ就業時間総数が一定でも実質GDPは事後的に増加していく。現状のような総需要不足の状況であれば、それを解消していくことで実質GDPは増加し労働生産性も伸びていく。それだけの話にしかすぎない。ちなみに、総需要不足の失業がある段階で、労働生産性の向上を重視するのは奇異ですらある。なぜなら失業のプールから雇用されていく人たちは限界生産性が低い人たちであり、そのため労働生産性は低下するからだ。先に指摘したように、どうも職を得るよりも服部氏らは労働生産性が重要なのだろう。しかしそれでは国民の幸せは向上しないだろう。
「失業のプールから雇用されていく人たちは限界生産性が低い人たち」というのは、平たくいうと、失業していて雇用される人たちは、労働生産性が低いということです。

それは、当然のことです、たとえ能力的に高い人であっても、しばらく失業して、新たな職場に就いた場合、最初は生産性が低いです。低いどころか、最初は賃金を支給されながら、教育・訓練を受けたりします。そうなれば、当然ながら生産性は低下しますし、就業者全員の就業時間を平均すると、新たに人を採用した分だけ、平均では下がってしまいます。

企業が新人を採用すれば、最初は教育・訓練などでろうとせう生産性は落ちる
しかし、この人たちが教育・訓練の時期を終え、実際に仕事をすれば、生産性はあがります。さらに、この人たちが職場で仕事になれればさらに生産性はあがります。

それだけの話です。こんなことは、別に経済理論を知らなくても誰にも理解できることです。生産性のみを追求するなら、新たに人を雇用しないほうが良いということになります。

これは、ある意味、金融緩和をはじめて、雇用が増えて、実質賃金が下がったことをもって、アベノミクスは失敗したと批判したことに似ています。

これも、難しい経済理論を知らなくても理解できます。ある企業が、業容を拡大するために、大量に新人を雇ったとします。新人の場合、賃金は既存の就労者よりも低いのが普通です。

そうすると、新人を大量に雇えば、就労者全員の平均賃金は下がります。しかし、それでも、人手不足が続き、それでも新人を雇わなければならなくなれば、新人の賃金を他社なみか、他社より高くしなければ、新人を雇用できません。

新人の賃金をあげれば、既存の社員の賃金もあげなければならなくなります。そうでないと、既存の社員は不満を抱くようになり、他社に転職するようになります。こうして、社員全体の実質賃金も上がっていくことになります。

雇用よりも、労働生産性、賃金を重視するという考え方は明らかに間違いです。そういう考え方にたてば、どの企業も新人は雇用しないほうが良いということになります。

そんなことでは、企業は発展できませんし、若者にとっても良いことはありません。これでは、長い間にすべての企業が衰退することになります。よって、これをもって、アベノミクスを否定するという考え方は、著しく不見識といわざるをえません。

労働生産についてさらに付け加えれば、たとえば小売の店舗で、サービス向上を目指すとします。具体的にサービス向上を目指せば、それによって生産性は低下することになります。労働生産性だけを追求すれば、サービスなど何もしないほうが良いことになります。

しかし、同じ価格帯ならお客は、サービスの悪い店舗で購入するよりも、サービスの良い店で購入したいと思うに違いありません。単純に生産性で割り切るわけにはいきません。

私自身もこのブログの読者であれば、知っているようにアベノミクスの批判をすることがあります。しかし、アベノミックスの成果特に雇用状況がかなり良くなったことを無視したり、成果がないなどとは言ってはいません。あくまで、成果は認めた上で、さらにやるべきことや、足りないことを批判しているだけです。

しかし、彼らはアベノミクスの成果である雇用の改善そのものを批判しています。これでは、批判の方向が完璧に間違っています。現状で、アベノミクス特に金融緩和をやめてしまえば、また雇用が悪化するだけです。

このよう考え方をする人は、日本国の経済を考えるどころか、企業の経営も満足にできないと思います。こんな人たちにアベノミクスを過小評価されてはたまったものでありません。

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2017年12月18日月曜日

病的ともいえる日本の「増税第一主義」の問題点―【私の論評】いずれの経済対策も中途半端をすれば失敗する(゚д゚)!

病的ともいえる日本の「増税第一主義」の問題点
上げりゃいいってもんじゃない

財務省に気を使ったの…?


税制改革が話題になっているが、アメリカでも税制改革が行われており、比較すると、日米での改革が好対照な状況になっている。

アメリカでは、共和党が35%の連邦法人税率を2018年から21%に引き下げる大型減税法案を決定した。個人所得税の最高税率も現在39.6%から37%に下げ、概算控除も2倍に増やすという。その結果、全体の減税規模は10年間で1.5兆ドル、年間円換算で17兆円となる。この減税規模は、過去最大とされた2001年の「ブッシュ減税」を上回るものとなる。

一方、日本では、自民党の税制改正大綱が決定され、法人税では「事業継承税制「賃上げ・設備投資減税」があったが、結果として「増税減税ゼロ」「所得税は900億円増税」、たばこ税は2400億円増税などで、結果的に全体で2800億円の増税である。

アメリカと比べて日本の状況をみると、なんとも寂しい気持ちになってくる。今の自民党税調の主要メンバーは財務省OBなので、ほぼ財務省の意向と同じ方向で行動しているからこうなるのだろう。

今回は予算編成の真っ最中に衆院解散・総選挙があった。その際、2019年の消費増税は予定通りとして、同時に財政再建は棚上げにした。官邸は財務省と交渉して「消費増税は飲むが財政再建は飲まない」としたのだ。

しかし、増税するがそれを財政再建には充てず、支出に使うというのは、経済学者から見れば、あまり賢いやり方とは言えない。本来なら増税なしで歳入をそのままとして、歳出の中身を入れ替えるべきだからだ。

ところが、政治の世界では、歳出の中身の変更は、個別分野の利益代表による反対が生じるので難しい。それよりも増税に反対する方が少ないと判断される場合には、増税で歳出増が選択される傾向にある。今回の場合、経済界が消費増税に賛成なので、「消費増税で財政再建棚上げ」という選択肢が取られることになった。

結局は財政再建路線か…


財務省は経済界に消費増税を賛成してもらったので、その見返りに、法人税、租税特別措置には手をつけられない。特に、経団連企業は、租税特別措置で大きな利益を得ているので、この見直しは政治的には不可能に近かった。

また、いくら企業の内部留保が大きすぎると指摘されても、それへの課税は検討されることはなかった。麻生財務大臣は、何度も内部留保が大きいことを指摘していたが、結局それへの課税(実質的に法人税増税)を言及せず、逆に内部留保の活用をした企業には減税措置をする、と言い出す始末だった。

こうして、消費税も法人税も何も手をつけられないとなれば、消去法として、所得税しか手をつけられない。その結果、今回の税制改正は所得税が中心となったわけだ。

といっても、実は本格的な所得税改正ではない。税率変更となると、所得再分配をどうするかという大きな政治問題にもつながるのだが、控除額の増減という技術論でごまかしたという印象である。これ以降、官邸としては自民党税調・財務省にお任せになる。税制中立であればまだわかるが、結局少ない額とはいえ、不公平な増税になったことには間違いない。

「税率変更はしていないので大改正ではない」「控除額の変更で所得再分配をした」といいながら、細かな増税の積み重ねで、税収の確保はちゃっかり実行するという、いかにも財務省のやりそうな税制改正、というのが感想だ。実際、細かな増税策が積み重なると、結局は財政再建路線が進められるおそれがある。

危険な議論


財務省が進める財政再建路線をサポートするものとして、「将来の日本のために、いまは痛みに耐えるべきだ」という議論がある。これは、いまだに学者やメディアの見解で見受けられる。

「痛みに耐える」論の有名なものとして、「米百俵の精神」というものがある。これは小泉政権発足直後の国会の所信表明演説に引用されたことで有名になったが、長岡藩の藩士小林虎三郎による教育にまつわる故事であり、百俵の米を食べずに売却して、学校設立資金に充てたという話だ。

今の財政で考えると、政府支出をする際、消費支出を削って投資支出に振り替えたことに相当する。当面の消費支出を我慢できるのであれば、将来投資にかけてみるというのは、(それが正しい投資であれば)妥当な判断になる。

いまは、その故事を曲解して使っているのが問題なのである。しばしばいわれるのが、「いま消費増税をして、日本の債務を返済して、将来の不安を解消しよう」という類いである。

いま消費増税するのは、いま政府支出を削減することと、マクロ経済から見れば同じである。そこでとりあえず(その是非は別として)、消費増税と歳出削減は実質的に同じとして話を進めよう。

その上で、その次にくるのが「債務削減」である。ここがポイントであるが、「債務削減」と「投資支出」は似て非なるものだ。

こういうと、「痛みに耐える」論者からの反論がある。債務はマイナスの投資であり、それを削減することは実質的に投資を行うことと同じ、というものだ。そのうえで、いま消費増税(歳出削減)して債務を返済するのは、米百俵の精神に合致するという。

しかし、正しい投資であれば、投資による将来の収益は、債務による将来の利払いを上回るものだ。たしかに、債務はマイナスの投資の側面はあるものの、その収益率を考えると、債務のマイナスの収益率は、投資の収益率を下回る。つまり、消費増税(歳出削減)したら、債務の返済に回すのではなく、適切な分野を選んで将来投資するのが正しい政策となる。

次に、消費増税(歳出削減)という前提が正しいのかどうか。米百俵の場合、米が他藩から送られてきたという他力的なところから事実がスタートしている。しかし、消費増税(歳出削減)は他力ではなく主体的に行うものだ。

さて、マクロ経済からみれば、失業をなくすのが人的資源の最高活用になる。そうでないと物的資源も活用できない。つまり投資不足にもなる。投資不足になると社会的な人的・物的投資が最適水準より低くなって、将来の富をも減少させる。

そのため、失業率が最低水準で完全雇用の状態でなければ、消費増税(歳出削減)は、将来のマクロ経済状況を悪化させ、ひいては将来の財政事情も危うくするので、不適切な選択となる。「痛みに耐える」論は、本来の趣旨から逸脱しているのみならず、現在の人をも痛め、さらに将来の人をも痛める可能性がある危険な議論なのだ。

安倍政権になってから…


マクロ経済からみると、経済運営の良しあしが見やすくなる。マクロ経済政策としては、金融政策と財政政策があるが、それらは下図のように運営されるべきである。


マクロ経済状況で着目すべきは、インフレ率と失業率である。周知のようにインフレ率と失業率は逆相関関係(フィリップス関係)にある。ただし、失業率はある一定からは下がらない(経済学でいうインフレ率を加速させない失業率NAIRUとほぼ同じ)。それを達成する最低のインフレ率を「インフレ目標」とする。

失業率がNAIRU、インフレ率がインフレ目標であれば、雇用状況は完璧であり、賃金上昇もあり、その結果として適度なインフレ率になるので、これが理想的な経済状況「最適点」となる(図の中の黒丸)。この場合、名目成長もベストになるので、財政問題も自ずと改善する。
マクロ経済運営としては、「最適点」の左側では金融緩和・積極財政、右側になったら金融引締・緊縮財政を採る、というのが基本である。

日本の場合、インフレ目標2%、NAIRU2%台半ば、というのが現状だ。5年前の民主党政権時代では、遙か左であったが、安倍政権になってから、徐々に右にシフトしてきた。2014年の消費増税は失敗であったが、それでも何とか「最適点」に近づいてきた。とはいえ、まだ左である(10月のインフレ率(消費者物価総合)0.2%、失業率2.8%)。

なお、8月21日の本コラム(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52640)において、2%台半ばの失業率と2%インフレを達成するために、GDPの4.5%程度の有効需要が必要であると書いたが、2%程度のミスタイプであったので、訂正しておきたい。

「緊縮病」に陥ってやいないか


さて、日銀は昨年9月から長期金利をゼロ%程度にするように調整しており、その意味では、マネタリーベースの増加額は金利維持のために必要な額となるので、長期金利がゼロ%になっていれば、それが低下すること自体はさほど意味があるわけでない。

12月4日、新発10年国債の利回りは0.035%であり、ほぼゼロ%金利水準は達成されていると言えよう。今年初めからの動きをみても、概ね0~0.1%の範囲になっているので、日銀の意図した金利になったとも言える。問題は、それでインフレ目標2%が達成できるかどうかである。

過去10年間の10年国債利回りの推移をみると、昨年9月以前はマイナスレンジであったが、日銀がゼロ金利を打ち出してから、若干のプラスレンジになっている。それとほぼ同時期に、日銀のマネタリーベースの増加額が減少し始めるが、それは日銀の国債購入額の減少によるものだ。つまり、国債購入額の減少が長期金利の若干の金利高をもたらしている。

こういう日銀のオペレーションは、はたしてインフレ目標達成のための近道になっているのだろうか。

データを見る限り、失業率の低下は足踏み状態だし、インフレ率についても、11月の全品目消費者物価異数対前年同月比は0.2%。生鮮食品を除いてみると0.8%、食料とエネルギーを除くと0.3%であり、インフレ目標2%にはほど遠い状況だ。こうしたデータから、筆者は、日銀のオペレーションは短期的には正しい方向に進んでいるとは見ていない。

さらに、今回の税制改正である。これでは、財政面でも日銀の目標達成を後押ししているとはいいがたい。要するに、まだ日本経済は最適点の左なのに、(最適点を目指すために)金融緩和・積極財政を進めようとしているとは言いがたいのだ。

一方、アメリカの場合、インフレ目標2%、NAIRU4%程度である。今は、ほぼ「最適点」であるが、少しだけ左側だ(10月のインフレ率(PCE)1.6%、失業率4.1%。)。

アメリカの金融政策はやや引き締め基調になっている。また、財政面では、今回の減税政策から積極財政に入っている。やや金融引き締め・積極財政なので、アメリカ経済を最適点にさらに近づけるかややインフレ気味の過熱経済を目指しているかのようだ。

先進国では、「痛みに耐える」論のような緊縮財政への訴えがしばしば聞かれる。しかし、今回の税制改正を見る限り、やはり「痛みに耐えるべき」と訴えるのは、ある種「緊縮病」というべき異様さを感じざるをえない。

【私の論評】経済対策は中途半端をすれば失敗する(゚д゚)!

ブログ冒頭の高橋洋一氏の記事にもあるように、日経新聞などメディアや学界の多数派は財務官僚に同調し、まるで念仏を唱えるかのように緊縮財政に固執していますが、米国ではデフレ圧力のもとでは財政赤字が有効という財政論「シムズ理論」が主流になりつつあります。日本の“主流派”もいい加減、目覚めたらどうなのでしょうか。

安倍総理の経済アドバイザーを務める浜田宏一内閣官房参与(米エール大学名誉教授)、彼をして「目から鱗」と言わしめたのが、いわゆる「シムズ理論」です。これは2011年にノーベル経済学賞を受賞した米プリンストン大学のクリストファー・シムズ教授の「物価水準の財政理論 (FTPL)」を言います。

米プリンストン大学のクリストファー・シムズ教
これはざっくり言えば、物価目標を達成するには金融政策では限界があるとして、財政支出を拡大し、増税は先送りして、国民に「政府は債務を返済できない」と不安がらせ、返済しきれない分を物価上昇で穴埋めする、という考え方です。つまり、政府の無責任によって国の信用を低下させ、通貨価値を下落させることで物価を押し上げようというものです。

シムズ教授は、日本の消費税増税後のデフレ圧力を念頭に、金融緩和を生かすためには財政支出拡大が必要と論じています。日銀はマイナス金利政策を続けていますが、マイナス金利は政府の金利負担を減らす代わりに、家計など民間の金利所得を減らすことになります。収益の減少を恐れる銀行は融資を渋るので、デフレ不況になります。それを回避するためには、政府が財政赤字にこだわらず財政支出を拡大すべきで、消費税率引き上げは脱デフレを達成した後に繰り延べるべきだという理論です。

先進国の間ではすでに財政による成長支援、インフレ率引き上げが採用されつつあり、その流れの中にあって、日本も積極財政に転換しました。そこへこの「シムズ理論」が入ってきたために、政府は公然と「2020年度もプライマリーバランスは均衡せず、8兆円以上の赤字が残る」と言ってはばかりません。

この「シムズ理論」の核心は、政府の「いい加減さ」にあり、国債も全部は償還できない、財政赤字を増税などで穴埋めもしない、と言って国民を不安に陥れることにあります。そして2017年度予算が通りました。歳出が97兆4500億円、税収は57兆7100億円で、前年に比べて税収が1000億円増加する一方、歳出は7000億円増加し、「いい加減さ」は見せました。

ところが、この2017年度予算に対して、財務省幹部は「管理された財政拡張」つまり、歳出増大によって借金は増えるが、まだ財政当局のコントロール下にある、と言っています。これは、ある意味では「シムズ理論」の「邪魔」になります。国民に不安にさせるのが「シムズ理論」のミソですが、当局の管理下にあると説明しては、いずれ赤字削減策がとられると期待させてしまいます。

そうなると、将来の増税、歳出削減などを国民が予想するので、結果的にデフレになる、とシムズ教授自ら指摘しています。日本はこれまでさんざん財政赤字を拡大し、世界の主要国の間でも最もGDP比で債務残高が大きな国となりました。

とは、いいながら、これはこのブログで何度か説明してきたことですが、実は日本政府には世界一の資産、それも金融資産を所有しているので、これを相殺すれば、さほどの金額ではなく、むしろ米英よりもGDP比では政府債務は少ないです。

ただし、財務省は日本のメディアや識者を利用して、日本の財政赤字を大問題として煽ってきました。そのため、実体はどうなのかは別にして、大多数の国民は、日本政府の借金はとんでもないことになっていると思い込んでいるのです。

それでもインフレにならない理由として、シムズ教授は「いずれ増税で穴埋めされる」との国民の期待がデフレをもたらしていると説明しているのです。


今の日本は、このシムズ理論を中途半端に利用しようとしているように見えます。財政赤字拡大を正当化する裏付け理論としてシムズ理論を使いながら、その処方箋に従わず、財政赤字は当局の管理下にある、としています。これでは不安からくる通貨価値の下落にはつながりません。

もっとも、当局が言うほど、今の日本では財政赤字が当局のコントロール下にあるとも思えません。そうなると、都合の良い所だけシムズ理論を使って財政赤字を正当化し、それでも将来の赤字補てんをイメージさせるために、かえって赤字がデフレ要因となり、従ってインフレ目標はいつになっても達成されず、ずるずると財政赤字だけが拡大する形になります。

ガスに火をつければお湯も沸き、料理もできますが、ガスを全開にしながら火をつけなければ、ガス中毒になって倒れてしまいます。抗生物質も菌が死ぬまで飲み切らずに、中途半端に止めてしまうと、抗生物質の利かない菌が発生して手に負えなくなります。

シムズ理論に絶対的な評価をするのであれば、とことんその処方箋に従って使う必要があり、インフレの実現が見えれば早急に引き締め転換する必要があります。逆に、シムズ理論が望ましい成果をもたらさないとの疑問があれば、中途半端にこれを使わず、つまり安易に財政赤字を拡大しないことです。

財政赤字の縮小に目途が立ち、年金など将来の不安もなくなれば、消費者も安心して消費を拡大し、需要の拡大、成長促進となり、デフレも心配なくなるかもしれません。そもそも、国民は物価が上がらない状況に不満はなく、逆に賃金が上がらないままインフレになることこそ、国民の敵です。国民生活を犠牲にして政府の債務負担だけ軽減されるインフレは誰も望んでいません。

ただし、日本の財政赤字は上でも示したように、財務省が創造した幻想に過ぎません。であれば、理屈から言って財政赤字が多少増えたにしても、何の問題もないわけですから、ここはやはりシムズ理論に処方箋も含めて素直に従うべきでしょう。

日本ではシムズ理論は、政府債務の削減を目標とするのではなく、あくまでも物価目標を達成するために実行すべきです。そうして、ブログ冒頭の高橋洋一氏の経済対策も、結局NAIRUなどの指標を用いているものの、結局シムズ理論の適用に近いものになると思います。

経済を良くするのは、結局アプローチが違っても似たようなものになるのでしょう。金融緩和をしながら一方では、増税などの緊縮策をするというのは、全くおかしいです。甚だしい中途半端です。車でいえば、一方でアクセルを踏みながら、他方でブレーキをかけているようなものです。

いずれにしても、中途半端はいけません。中途半端をすれば、どんな経済政策でもいずれ必ず失敗します。

【私の論評】

「アラフォー世代は一生貧困を宿命づけられている」クロ現のアラフォークライシス特集にネット阿鼻叫喚 「泣けた」「救いが無くてテレビ消した」 ―【私の論評】対症療法、精神論は無意味!真の打開策はこれだ(゚д゚)!

2017年12月17日日曜日

有本香「憲法9条で日本の平和が守られるというのは勘違い。だって9条は他の国には何の関係もないから」―【私の論評】安全保証には幼稚な議論ではなく成熟した議論が必要(゚д゚)!

有本香「憲法9条で日本の平和が守られるというのは勘違い。だって9条は他の国には何の関係もないから」
ジャーナリストの有本香が憲法9条について「あくまで自国内のルールなので他国には有効に機能しない」と重要な指摘を行った。

北朝鮮が挑発を繰り返す中、憲法9条は何の役にも立っていない。

有本香「国防というものを考えなくていい時間が長すぎちゃったわけですよ。だけど本来は国にとっては国防はなくてはならないことでしょ」

小藪千豊「ある一定の人たちは『うちは9条あるから日本の安全が守られてきた』と。『国防なんて考えなくていい』という人たちがたくさんいますもんね」

有本香「でもそれは論理としては完全に破綻している話で、国内で憲法9条をもっていても他の国には何の関係もない話ですからね」

小藪千豊「うん」

本来、日本の平和を守るための憲法9条が無意味になっているという今の状態は極めて深刻に捉えないといけない。金正恩にとって日本は絶対に反撃してこない腰抜けでミサイルで威嚇して交渉の材料として利用するにはもってこい。

netgeekでは以前「憲法9条を変えたほうが戦争は防げる」という漫画を紹介していた。

参考:漫画「憲法9条を改正したほうが戦争を防げる」が大反響


今の日本の状態は相当危ないのではないだろうか。他国が武力を使わないで国を乗っ取っていく経緯にぴったり当てはまる。


あとは移民が大量に日本に来るようになったらもうおしまい。そうなる前に憲法9条を改正して日本が強い国に生まれ変わらないといけない。平和ボケしている日本人は国防について真剣に考える必要がある。

【私の論評】安全保証には幼稚な議論ではなく成熟した議論が必要(゚д゚)!

有本香さんに指摘されるまでもなく、憲法9条で日本の平和が守られるなどという考えは最初から成り立たないことは明らかです。

日本国憲法は、日本国に適用されるものであって、他国には適用などできません。国連憲章では、独立国の自衛戦争が認められています。これは、逆の方向からみれば、自衛戦争もしない国は国際的に独立国とはみなされないということです。


そうなると、現在自衛戦争すらおぼつかない日本は、独立国ではないということになります。まずは日本を独立国にしなければなりません。そのためには、憲法解釈の変更するか、改憲をして日本を自衛戦争ができる国にする必要があります。

このようなことを考えれば、国内で憲法9条をもっていても他の国には何の関係のないことは明らかです。

護憲派といわれる人々は、このような常識も働かないようです。そうして、こういう人たちは、安全保証に関して幼稚な考えしか持っていません。そうして、改憲派といわれる人たちにもそのような傾向があります。

今年の8月11日の朝まで生テレビで、司会の田原総一朗氏が「国民には国を守る義務がある」との発言に対して、村本氏が「それをね絶対に戦争に行くことのない年寄りに言われても何もピントも来ないんですよ」と反論したことが話題になっていました。



そうして、終戦記念日の15日、ツイッターで村本氏は「僕は国よりも自分のことが好きなので絶対に戦争が起きても行きません よろしく」と宣言し、賛否を呼んでいました。
この番組を見ていると、田原さんも村本さんも、どうも前提にしているのは「日本が本土決戦に追い込まれて敵が目の前にいるときに自分がゲリラとしてその辺にある物を持って対抗するかどうか」という前提で安全保障や国防を考えているようです。

そもそも、「戦争に行く」って言い方ですから、歩兵としてどこかで戦うこと想定しているようです。戦争というと、汗塗れになって塹壕を掘って、その塹壕から目に見える敵に向けて、小銃を撃ちまくるのが戦争だと思っているようです。

第一次世界大戦の塹壕戦
このように多くの日本人は、安全保障というと、このような全近代的な前提でものを考えているのではないかと思い一抹の不安を覚えます。こんなことでは、日本人は日清日露戦争では勝利できても、現代戦では勝つことはできないのではと思ってしまいます。

日本は海洋国家ですから、敵が侵略してくるなら海を越えてこないといけません。自衛隊は敵を目にすることができない水平線の向こうにいる敵を撃破します。敵の潜水艦も対潜哨戒機で上空から攻撃します。

現代の戦争は相手の姿を見る前にほぼ決着がついてしまいます。村本さんに召集令状が届く前に、スイッチを「ポチッと」押してそれで戦争の大勢は決まってしまいます。

というか、そのように終わるような備えをしてないと現代戦では絶対に戦争に負けます。

現在フィリピンが中国の海洋侵略に苦労してますが、これは現代戦への備えが足りないのでそのようなことになっているのです。フイリピンはアメリカが現代戦を一緒に戦うように備えてくれていたにもかかわらず、ずいぶん前に追い出してしまいました。


現在の日本の自衛隊は敵が日本に上陸してくるような事態にならないように、また仮に上陸したとしても数日、または数週間で奪還できるような戦略を立てています。そもそも、最初から国民のゲリラ戦は想定してません。

仮にそういう状況が発生したとしたら、全力で戦闘地域から逃げて足手まといにならないようにすることが「戦う」ことです。そもそも、現代戦はかなり高度な知識を駆使して戦いますから、そのような高度な知識を持たない民間人は、現代戦には役にたちません。だからこそ、現代戦を戦うことを想定している多くの国々では、徴兵制が廃止されているのです。

朝ナマでの田原氏の言い方からは、日本が完全に敵に占領されてる状態で抵抗することを想定しているとしか思えません。

それこそ、ポツダム宣言受諾後にやってきた進駐軍にテロ攻撃する究極の選択を第一問目に持ってきているという有様で、最初から想定が狂っています。村本さんの安全保障に対する認識に問題があるのを割り引いたとしても、さすがにこの質問の仕方は異様です。

まさに、卵が先か、鶏が先かを論ずるような机上の空論に過ぎませんでした。そうして、この番組は「実際にその2つを持ってこい!」で終了してしまいました。

そもそも、先程述べたように、現代戦において村本さんが戦場で活躍する機会はありません。現代戦は資本集約型の戦争です。高度なハイテク兵器で戦いますから素人が戦場に行っても足手まといにしかならないのです。部外者ができることは、しっかり働いて税金を払うことです。そうして、田原さんの想定している戦争も現代戦ではなく、一昔前の戦争です。

上のように考えると、田原氏の「あなたは戦いますか?」という質問がいかにほとんど無意味なことが良く理解できます。こういう質問を誰かに受けたら即座に「はい、納税することでいますでに私は戦ってます」と言い返すべきです。

本屋でおかしげな本、例えば日本が国家破産するとか、金融緩和するとハイパーインフレになるなどという内容の書籍を見つけたら抗議するとか、偏向報道を見つけたら抗議するとか、これも戦いです。

今の戦争は目に見えないサイバー戦、心理戦、宇宙戦戦場ですでに始まっているのです。こんな時代にいきなり本土決戦を想定した、と逆質問してもいいと思います。

ゲリラ戦のために、ベトコンが掘った全長250kmにわたる地下道
本土決戦でゲリラ戦みたいな状況に追い込まれないためには、必要以上に自衛隊の手足を縛っているいまの状況を変えるべきです。その方法は、憲法を改正するのでも、解釈の変更でも良い思います。

つい最近まで、護憲派は同盟国の艦船が攻撃を受けていてもそれを援護したら「侵略行為だ!」とか愚かなこと言ってました。安保法制のバカ騒ぎはまさにこれです。

日本に味方してくれる国の部隊が敵に攻撃されてたら、一緒に守るのは当然のことです。そんなのはスターウォーズなどの映画でも見れば理解できます。異星人だって地球に味方してくれるなら同盟軍として一緒に戦うのは、当たり前です。

日本の安全保障に関する議論にはこういう「いきなり本土決戦」のような雑な議論が多いです。このような議論は時間の無駄です。

安全保証に関しては、このような幼稚な議論ではなく、成熟した議論が必要です。

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2017年12月16日土曜日

「アラフォー世代は一生貧困を宿命づけられている」クロ現のアラフォークライシス特集にネット阿鼻叫喚 「泣けた」「救いが無くてテレビ消した」 ―【私の論評】対症療法、精神論は無意味!真の打開策はこれだ(゚д゚)!



NHKが12月14日の「クローズアップ現代+」で取り上げた「アラフォークライシス」特集に、悲鳴が上がっている。番組では、5年前との給与を比較したデータを紹介。他の世代は額の大小はあれいずれも増額しているのに、35歳~39歳、40歳~44歳のアラフォー世代だけがマイナスになっている。40代前半に至っては、2万3300円もの減額だった。


給与が上がらないのには複数原因があるが、大量採用されたバブル期世代が上につかえ、昇格・昇進のスピードが遅いこと、アラフォー世代が20代の頃、企業が能力開発にかける費用を減らしたために、今、充分なスキルが身に付いていないことなど、どれも社会のせいとしか言いようがないものばかりだ。

■70代の親の年金収入が頼みの綱になっている40代も 


勤続年数の短さも要因の1つだ。就職氷河期に就活を強いられたアラフォーは、新卒時に運よく正社員になれても、希望の会社への就職を目指して転職する人が多かったという。同じ企業に15年以上務めたアラフォー世代の割合は、バブル期に就職した上の世代より9ポイントほど低い。勤続年数は給与額に影響するため、結果的に増額幅も小さくなる。

正社員より深刻なのは、就職氷河期から非正規として働き、その後リーマンショックで派遣切りされるなど散々な目に遭ってきた非正規労働者たちだ。 

番組では、有名私立大学の理工学部を卒業し派遣やアルバイトを転々とした後、現在は市の臨時職員として働く40代男性が紹介されていた。これから転職しようにも、30代・40代に求められるマネジメント経験を積んでいないため面接に呼ばれることすらなく、人手不足に湧く求人市場の盛り上がりに取り残されていると話していた。

 
また、70代に入った親の年金収入に養われる無職の40代の存在、「7040問題」も紹介されていた。親が亡くなれば収入が途絶え、生活が立ち行かなくなる。番組に出ていた社会福祉士は

「アラフォー世代は一生涯貧困になるのを宿命づけられている状況。このままだと、下流老人、高齢期の貧困を想定せざるを得ない」

と警笛を鳴らす。

「これが自己責任なら政府はいつの時代も何もしなくていいて話だからな」

ネットではこの放送に、大きな反響が上がった。多いのはやはり、当事者であるアラサー世代たちからの声だ。「身につまされすぎて言葉もない」「特集がきつくて泣けた」「救いが無くてテレビ消した」など、現実を突きつけられたアラサー世代の悲嘆が数多く見られる。また、「取り上げるの10年遅い」「どこかで考えていたらなんとかなっていたんじゃない?」と、もっともな意見もあった。

非正規雇用者の雇用の不安定さは言うまでもなく、40代無職と70代親の同居が起こる可能性は、パラサイトシングルという言葉が出始めた時から予想できたはずだ。それでも救済策が取られてこなかった現状に、「これが自己責任なら政府はいつの時代も何もしなくていいて話だからな」と、国の対応の不十分さを指摘する声も多かった。

【私の論評】対症療法、精神論は無意味!真の打開策はこれだ(゚д゚)!

NHKのクローズアップ現代『アラフォークライシス』をご覧になっていない方は、以下のリンクをご覧担って下さい。番組の概要が掲載されています。
アラフォー・クライシス
NHKのクロ現はじめとして、マスコミは中途半端な報道しかしません。この『アラフォークライシス』も現象面しか報道しておらず、真の原因すらも明らかにしていませんし、対処法についても、対症療法的なものしか提供していません。

これでは、社会不安を増すばかりで、この番組の意味が全くありません。

結論からいうと、『アラフォー・クライシス』の真の原因は、過去の金融・財政政策のまずさです。この問題の解決をするのは、まずは、現状の過去よりははるかにましながら、未だ物価目標2%を達成できていない中途半端金融緩和政策をやめて、さらなる量的金融緩和を実施することです。

それとともに、アラフォー世代というか、高校・大学・大学院をすでに卒業した人たちのための新たな教育・訓練システムの開発です。

過去の金融・財政政策のまずさについては、以下のグラフをみていただけると良くご理解いただけるものと思います。


雇用と金融緩和とは密接に結びついています。これは昔からフリップス曲線として経験的に知られていることです。日本では、金融緩和により物価が2〜3%上昇すると、他には何もしなくても一夜にして雇用が数百万人創造されます。逆にいえば、物価が数%下がると、一夜にして雇用が数百万人失われます。

この事実に関しては、日本ではなぜか完璧に無視されているようです。特にマスコミはこのことを理解していません。NHKもそうです。だから、クロ現でも金融政策については、完璧にスルーです。

この雇用に重要な政策である金融政策に日銀は大失敗しています。

まず第一回目の大きな失敗は、過去の金融政策の失敗について説明します。「バブル期はどんどん物価が上がった。すごいインフレ状態だった」というイメージを持っている人も多いようです。たしかに、バブル世代の人々が、なぜか自慢げに語る当時の武勇伝(「こんなに金を使えた」「接待に次ぐ接待で大変だった」「予算は青天井」などなど)を聞くと、その話は、あたかも真実であるかのように響きます。

しかし、バブル期とされる1987~90年の一般物価の上昇率は、実は0・1~3・1%。ごく健全な物価上昇率であって、「ものすごいインフレ状態」とは、とてもいえないものでした。

バル期に異様に高騰していたのは、株式と土地などの資産価格だけでした。「一般物価」と「資産価格」を切り離して考える必要があり、バブル期の実態は「資産価格のバブル」だったのです。

ところが、当時の日銀はバブルの状況分析と原因分析を正しくできず、政策金利(当時は公定歩合)を引き上げて金融引き締めをしました。資産バブルを生んだ原因は、金融面ではなく、法の不備を突いた「営業特金(売買を証券会社に一任勘定する仕組み)」や「土地転がし」などによる資産売買の回転率の高さだったのですが、日銀は原因分析を間違えて、利上げという策を実施しました。

第二回目の失敗は、2006年3月に量的緩和政策を、7月にはゼロ金利政策をそれぞれ解除したことです。その後も引き続き超低金利政策を維持、景気は内需中心の回復軌道に入ったとされていました。しかし、景気は2007年に減速し、実質GDP成長率も低下しました。量的緩和の解除を短期集中的に行ったことが金融市場と景気にショックを与えた影響は甚大なものでした。

しかし、日銀はこれらの失敗に懲りることなく、また三回目の失敗をしています。


この図は、2007年1月時点での各国のマネタリーベースの量を100として、その後の各国のマネタリーベースの量の変化を表したものです。

さて、上の図を見るとFRB、イングランド銀行、欧州中央銀行(ECB)は2008年の9月にマネタリーベースを急激に増加させています。2007年1月に比べてFRBは2.5倍、イングランド銀行は3倍、ECBは1.5倍、マネタリーベースを増やしています。08年9月にアメリカ第4位の投資銀行リーマン・ブラザーズが破綻したことにより、金融危機のダメージを防ぐために、各国の中央銀行はマネタリーベースをかなり増やして金融緩和を行いました。

ところが、日銀はほとんどマネタリーベースを増やしませんでした。上の図を見ると、明らかなように同じ時期の日本のマネタリーベースの量は2007年1月と同じくほぼ100のままです。

他国が金融緩和をしているにもかかわらず、日本だけが金融緩和をしないということになれば、日本の円だけが高くなってしまいます。そのため、この時期には未曾有の円高になってしまいました。

このためいわゆるリーマンショックは、米国発祥であり、イギリスなどもサブプライムローンの悪影響をもろにかぶりましたが、本来サブプライムローンとはほぼ無縁であったはずの日本は、日銀が金融緩和をしなかったために、震源地の米国や英国が金融緩和ですばやく危機から脱出したにもかかわらず、一人負けの状態になりました。

当然、このような金融政策の失敗をすると、雇用にもかなり悪影響を及ぼします。アラフォーがリーマンショックで派遣切りされたのもこの時期です。

このような大失敗の他に、日銀は小泉政権のときに一時量的緩和をしたのですが、それ以外はほとんど引き締めをしており、これも当然のことながら、雇用に悪影響を与えました。

金融引締めにより、金融政策に失敗すると、まずは雇用弱者である若者が悪影響をこうむり、若者の失業率が増えます。それでも金融引締めを続けていると、今度は実質賃金が下がりはじめます。「アラフォー」はその時々で、最も悪い局面に当たっていたのです。それは下の図と先のグラフなどを見比べるとより鮮明になります。


そうして、日本は消費税を3%から5%に上げた直後に、完璧にデフレに突入しました。デフレに突入した場合に、通常とられる政策は、金融緩和と積極財政です。これにより、デフレから脱却することができます。

しかし、政府は消費税増税という緊縮財政を繰り返しました。そのため、GDPの60%以上を占める、個人消費が減退して、上のグラフにも示したように名目GDPは頭打ちとなりました。

GDPが伸びなければ、企業は雇用を控え、設備投資も控えるようになりました。これも、雇用に打撃を与えました。そうして、『アラフォー世代』はその悪影響に直撃されたのです。

この状況を打開するためには、まずはさらになる金融緩和が必要です。これについては、最近このブログにも掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
【日本の解き方】日銀の資金供給量鈍化でインフレ目標達成できるのか 国民経済のための金融政策を―【私の論評】年長者こそ、正しい金融政策に目覚めよ(゚д゚)!
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下に一部を引用します。
日本で具体的に言えば、NAIRU(インフレを加速しない失業率)は2%台半ばであり、そのために必要なインフレ率は2%であるので、それをインフレ目標としているわけだ。 
現時点では、失業率3%弱、インフレ率0%強という程度で、最適点には民主党時代よりかなり近づいたが、いま一歩のところで足踏みをしている。
まずは、失業率を2%台半ば、物価目標を2%を達成するまで、追加の量的金融緩和を続けること、達成したからといって、すぐにやめるのではなく、これが安定するまで継続することが必要です。

まずは、これを実行しない限り、他の対症療法をしても『アラフォークライシス』は打開できません。まずは、これが絶対条件です。

その他、この金融緩和の良い影響を迅速に波及させるために、積極財政を打つことです。その手法としては、消費税減税などが考えられますが、それが無理というのなら、ここでは詳細は掲載しませんが、デフレ・ギャップを解消するために20兆円の経済対策を打つべきです。

それが無理というのなら、最低10兆円の経済対策を打つべきです。ただし、この場合は単年度に終わらせることなく、最低2年は継続し、できれば完璧にデフレギャプがなくなるまで継続することです。

これらを達成して、物価目標やNAIRUを達成すれば、『アラフォークライシス』はある程度は、解消できます。これだけで、自力で脱却できる人も存在すると思います。それでも過去の金融・財政政策のまずさを起因とする『アラフォー』特有の問題が残っています。

それは、『アラフォークライシス』に悩まされる人たちは、30代・40代に求められるマネジメント経験等を積んでいないという現実があるからです。そうして、自力では学ぶ機会も得られないという現実があるからです。

私は、アラフォー世代の人たちと話をしていると、確かにマネジメントの経験がないことを痛感することがよくあります。

たとえば、この世代の人たちにマネジメント原則がわかりやすく掲載されているドラッカーの書籍などを読ませて、感想などを聞くことがあるのですが、特にこの年代の人たちが、書籍を読んでも字面を追いかけているだけで、わかったつもりになっているだけで、実際には理解していないと感じることが多いです。

規模の大小を問わずある程度、まともな会社であれば、たとえばドラッカー流のマネジメントの原則を知っていれば、職場で発生する様々な問題や課題のほとんどは解決できるはすです。しかし、これを学んでいないため、悩んだり、いたずらに時間を費やしたり、努力の方向を間違えたりしている「アラフォー」の人が多いように感じています。

これは、学び直す以外に方法はないと思います。これを実行するためには、たとえ学校を卒業したにしても、何らかの方法で、継続学習が可能なシステムを構築すべきだと思います。成人が学校へ戻って継続学習・研究ができることが常識になる社会を構築すべきです。そうして、まずは『アラフォー・クライシス』に悩まされている人々を優先的に継続学習ができるようにすべきでしょう。

マネジメントに限らず、学校を卒業した後でも、企業を運営するために必要な新たな知識を得たり、研究することができる社会を構築すべきなのです。これについては、述べていると長くなりますので、別の機会にまた述べたいと思います。ただし、知識社会に突入した現在、富の源泉は知識に移っており、こうした社会ではいずれ、働く者に継続学習の機会を提供することは当たり前のことになります。実際、欧米ではそのような方向に動きつつある国々もあります。

ただし、いくら継続学習ができるシステムを社会に取り入れたとしても、他の対症療法や、精神論を語ってみたとしても、今の日本ではまずは正しい金融政策を実行して、NAIRU(インフレを加速しない失業率)2%台半を達成するべきであることを忘れるべきではありません。

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