2021年7月1日木曜日

【日本の解き方】中国共産党100年の功罪と今後 経済世界2位に成長させたが…一党独裁では長期的に停滞へ―【私の論評】中国も、他の発展途上国と同じく中所得国の罠から抜け出せないワケ(゚д゚)!

【日本の解き方】中国共産党100年の功罪と今後 経済世界2位に成長させたが…一党独裁では長期的に停滞へ


 中国共産党は7月1日に創立100年の記念日を迎える。この間の同党の功罪はどのようなものがあるのか。そして習近平指導部の一党独裁は今後も続くのだろうか。

 これまで世界で共産党は110ほど結成されている。そのうち現存し、指導政党なのは中国、北朝鮮、キューバ、ラオス、ベトナムの5カ国で、そこでは一党独裁だ。そのほか現存するのは76、解散などで事実上現存しないのは29にのぼる。その中で、共産党(共産主義を掲げる政党)で国会に議席を有するものは、一党独裁の5カ国を含めて56カ国ある。

 世界初の共産党は、1912年1月に結党されたソビエト連邦共産党だ。同党はソ連崩壊とともに、91年12月に解散している。中国共産党の結党は21年7月であるが、それ以前に結党された共産党は世界17カ国にある。そのうち解散した国はソ連など6カ国、民主主義国の中で存在するのは11カ国(うち国会に議席を有するところは7カ国)。ちなみに、日本共産党の創立は22年7月であるので、中国共産党が100周年のときに、99周年となる。

 こうしてみると、中国共産党は長く存在し、今や一党独裁の指導政党になっているのだから、世界の共産党の中では希有(けう)な存在だ。

 中国は政治的には一党独裁であるが、経済面では「社会主義市場経済」と称して、78年以降部分的な開放政策を行い、国内総生産(GDP)は世界2位になっている。経済面で中国を経済大国にしたのは、紛れもなく中国共産党の功績といっていいだろう。

 問題はこれからだ。政治的な独裁は、自由で分権を基調とする資本主義経済とは長期的には相いれないのは、ノーベル経済学賞学者であるフリードマン氏が50年以上も前に『資本主義と自由』で喝破している。

 本コラムでは、そうしたフリードマン氏の主張は、独裁的な政治では民主国家にならず、ある一定以上の民主主義国にならないと1人当たりGDPは長期的には1万ドルを超えにくいという「中所得国の罠」という形で紹介してきた。

 1万ドルの壁を超えるためには、一部の産油国などを例外とすれば、一定の民主主義が必要だ。英エコノミスト誌が公表している民主主義指数でいえば、少なくとも香港と同程度の「6」以上だ。しかし、中国の民主主義指数は「2・3」程度しかない。これから、現在の中国は1万ドル程度だが、1万ドルを長期に超えることはできず最後は民主主義対非民主主義の覇権争いに負けるだろうと予測できる。

 要するに、中国が一党独裁を続けようとすると、中所得国の罠にはまり、長期的な成長はできなくなると筆者はにらんでいる。

 これは習指導部であってもなくても、中国が一党独裁を続ける限り妥当するだろう。

 併せてこの社会科学理論から予測できるのは、現在一党独裁のベトナムは、国有企業改革や資本自由化を含む環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)に加入したので、10年程度以内で政治的な一党独裁を放棄し、民主主義国に転換し資本主義経済に移行することだ。 (元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)

【私の論評】中国も、他の発展途上国と同じく中所得国の罠から抜け出せないワケ(゚д゚)!

中国は、このままだと「中所得国の罠」に嵌るのは確実であり、今後経済が伸び悩むのは当然の帰結です。

このブロクでは、なぜ「中所得国の罠」が存在するかの背景について、民主化、政治と経済の分離、法治国家化がなされないからだとしてきました。

これらが実施されないと、いわゆる「中間層」が成長することなく、たとえ政府が音頭をとって、大金を投入して何らかのイノベーションを行おうとしても、それは点のイノベーションに過ぎず、結局社会に非合理、非効率なことが温存されてしまい、そのため経済も社会も発展しないのです。




「民主化」「政治と経済の分離」「法治国家化」がある程度なされると、多くの中間層がでてくる余地がてできます。様々な地域や、様々な階層の人々の中に、自分の身近な社会の非合理や非効率を是正しようと試みる人がでてきます。

そういう試みを実行することにより、富を得ることができます。そうして、中間層は富裕層ほどではないものの、ある程度の富が得られることになります。

ここが重要なところです。現在の中国のように、富裕層と貧困層ばかりが多い社会においては、富裕層はそもそも社会の非合理、非効率を改革する動機などあまりありません。中には、いるかもしれませんが、それはほんの少数の変わりものです。さらには、何かを変えたいと思っても、そもそも富裕層なので単なるユートピアを夢見ることに終始しがちです。

貧困層に至っては、日々の生活を送ること、生きることに精一杯であり、そもそも社会の非合理や、非効率などには無関心にならざるを得ないです。中には、それを是正しようと試みるものもでるのですが、貧困がゆえに考えるだけに終わってしまうことになります。

これは、100年前の中国ではありません。現代中国です。

この状況が放置されると、社会には非効率と非合理が温存されたままとなり、経済発展もままならなくなります。これが「中所得国の罠」です。中世まではほとんどの国というか、地域がこの状況下にありました。

その壁を最初に破ったのは英国です。英国は他国に先駆けて、国民国家を形成し、国民国家を強くするために、民主化、政治と経済の分離、法治国家化をすすめました。

そうなるとどうなるかといえば、国家の中のあらゆる地域、あらゆる階層に、中間層が輩出することになります。それらが、自由な社会・経済活動を行うことになります。

富裕層から中間層が輩出するというのは、おかしな表現かもしれませんが、元々は富裕層だったもののうち、家督をつがないか、そもそも嫡子でないものが、中間層になり活発な社会経済活動を行うようになります。

そうして、国家の中のあらゆる地域や階層で、星の数ほどの中間層が、あるものは理想に燃えて、ある者は富を求めて、あるいは両方を求めて、爆発的なイノベーション(技術革新ではなく、社会を変革するのが真のイノベーションです)を行うことになるのです。これを促すのが、民主化であり、政治と経済の分離であり、法治国家化なのです。

そうして、社会が豊かになり、経済発展し、軍事力を強化して、英国は世界最初の海洋国となったのです。この状況をみて、自国も強い国にしたいと考えた現在の先進国というわれる国々もこれに追随したのです。

こう言うとイメージがわかないかもしれないので、以下に事例をあげます。これは、「ヒッポウォーターローラー」というものです。


このローラーは、一度に90リットルの水を運ぶことができます。地面を転がす仕組みになっており、ポリウレタン製のローラーは地面の凹凸に反発するデザインになっているため、90kgの水を運んでも体感としては10kg程度の重さにしか感じないといいます。頭上に載せていたポリバケツの4倍以上の水量であり、長ければ7人家族が1週間の生活を営むことができます。

これは、1991年、南アフリカのデザイナーのジョアン・ジョンカーとぺティ・ペッツァーが、これをデザインしました。

それまで南アフリカの女性や子どもが生活用水を運ぶ際に使っていたポリバケツは、約20リットルの水しか入りませんでした。それを頭や肩の上に載せて運ぶため、それ以上重くなると持ち運べなくなるからである。

場所によっては生活に必要な水量を確保するために、給水地と自宅を1日に3往復しなければならなりませんでした。時間を拘束するだけでなく、さらに、20kgの水を頭上に載せて歩くことによって背骨が圧迫され、子どもの健全な成育に支障が出ることも多かったのです。

このような状況を解消するには、富裕層の人間であれば、すぐに水道を導入するなどの方法を考えるでしょう。無論水道を導入すれば良いのでしょうが、たとえそれを実行したにしても、貧困層の人々には水道料を払うことができませんし、水道を完備するためには、かなりの年月を要することになります。

そうして、貧困にあえぐ人達は、何とか水くみの苦しみから逃れたいと思っても、日々生活していくのが精一杯であり、情報を得られることもなく、この苦しみを甘受するしかありません。

しかし、経済的に余裕があり、現地に密着した中間層ならば、「ヒッポウォーターローラー」のような道具を思いつく可能性は高いです。実際、南アフリカのデザイナーのジョアン・ジョンカーとぺティ・ペッツァーも中間層なのだと思います。

これによって、時間とエネルギーが節約されると同時に、背骨への負担を減らすことができました。女性や子どもたちは学んだり遊んだりする時間を手に入れました。実際、多くの集落において教育レベルや識字率が向上し、なかには女性起業家の数が増えた集落もあるといいます。まさに、新たな中間層の登場です。

ローラーの耐用年数は7年間で、販売価格は9,000円。発売された1991年以降、南アフリカ共和国を中心にアフリカ全土で3万2,000個以上のローラーが使われており、22万5,000人以上の生活を変えています。

このイノベーションにより、地域が以前よりは豊かになるはずです。豊かになった地域の中間層は、さらに次のイノベーションにとりかかり、次のイノベーションを生み出すでしょう。さらに豊かになった地域では、水道料が支払えるようになり、水道が導入されるようになるかもしれません。このような地域は、たとえ現在貧乏であっても、将来への希望が見え、明るい社会になります。

このように、「民主化」「政治と経済の分離」「法治国家化」が達成され維持されていれば、戦争や大規模な自然災害でもない限り、地域や階層を問わず、継続的なイノベーションが行われるようになり、いずれの地域であってもどの階層であっても、いずれ一定レベル以上のインフラを獲得できるようになるのです。そうして、豊かな社会となり経済的にも発展することになるのです。

それが、今日の先進国の姿です。しかし、そもそも、「民主化」さえされていない中国は、このようなことは起こり得ず、中国共産党が多額の投資をして、イノベーションを行ったにしても、それは点か、せいぜい線のイノベーションにしかなりえず、先進国にみられる、あるゆる地域、あらゆる階層にまで広がることはなく、継続もされず、その結果として「中進国の罠」から抜け出せなくなるのです。

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2021年6月30日水曜日

インド太平洋地域に英空母“打撃群”派遣 「クイーン・エリザベス」中心に新たな対中包囲網 「連携にためらう必要なし」石平氏―【私の論評】英空母打撃群による香港・マカオの奪還はあり得るシナリオ(゚д゚)!

インド太平洋地域に英空母“打撃群”派遣 「クイーン・エリザベス」中心に新たな対中包囲網 「連携にためらう必要なし」石平氏


 茂木敏充外相はイタリア南部マテーラで29日午後(日本時間同)、英国のドミニク・ラーブ外相と会談し、インド太平洋地域に同国海軍の最新鋭空母「クイーン・エリザベス」を中心とした空母打撃群が派遣されることを歓迎した。中国共産党政権の人権弾圧や軍事的覇権拡大が進むなか、民主主義陣営の結束を示した。


 日英外相会談は、対面で2年ぶりとなる20カ国・地域(G20)外相会合が同地で開催されることに合わせて行われた。

 茂木、ラーブ両氏は、中国を念頭に置いた緊密連携を確認し、インド太平洋地域における日英の安全保障協力を強化する考えで一致した。両氏は5月にも英国で戦略対話を行った。

 「クイーン・エリザベス」は、短距離離陸・垂直着陸が可能な最新鋭ステルス戦闘機「F35B」を搭載する。駆逐艦や潜水艦などを従えて、東アジア地域へ展開し、自衛隊や米軍と共同訓練を行う予定。

 茂木氏は28日、イタリア南部バーリで、オランダのシグリット・カーフ外務・貿易・開発協力相とも会談し、インド太平洋における連携強化で一致した。茂木氏は、英空母打撃群へのオランダ艦船参加や、オランダ独自の「インド太平洋ガイドライン」を歓迎した。


 さらに、茂木氏は29日、イタリアのルイジ・ディマイオ外相とも会談した。

 世界が注目するG20外相会合だが、中国の王毅国務委員兼外相は現地入りを見送った。中国共産党は7月1日、創建100周年を迎える。このタイミングでの民主主義国の結束をどう見るか。

 中国事情に詳しい評論家の石平氏は「中国が独裁を賛美し、国威を発揚している時期だけに、日英などが連携を強化する意味は大きい。先の先進7カ国(G7)や、北大西洋条約機構(NATO)の首脳会議では、共同声明に『中国の脅威』が盛り込まれた。これらが象徴するように、民主主義国の連携は不可欠であり、ためらう必要は何もない」と指摘した。

【私の論評】英空母打撃群による香港・マカオの奪還はあり得るシナリオ(゚д゚)!

英下院は4月22日、中国新疆ウイグル自治区で進行中の弾圧をジェノサイド(集団殺害)と認定する決議を全会一致で可決しました。ウイグル族などのイスラム系少数民族に対する中国の行為については、既に米政府やカナダ、オランダの議会がジェノサイドと認定しています。

中国は新疆各地の施設にここ数年で最大200万人を収容したと批判されており、生存者は洗脳や拷問、レイプ、強制労働を含む広範な虐待の被害を訴えています。一方、中国政府はこのシステムについて、地域の治安確保に不可欠な職業訓練および脱過激化のプログラムだとして擁護してきました。

英下院はこの日の審議を経て、「新疆ウイグル自治区における大規模な人権侵害および人道に対する罪」を非難する拘束力のない決議を可決しました。

    中国政府はウイグル族などの少数民族を100万人近くを、新疆地区の
    収容所で拘束していると非難されている

中国共産党は英国を敵に回してしまったようです。世界でも敵にすべきではない国の筆頭は、実は英国です。英国単独では小さな国であっても、実際は英国は、英国連邦の中心です。しかも、英国はグローバル・ブリテンを目指すことを公にしています。

加・豪は連邦の一員ですから、中国共産党は世界を敵に回しているといっても良いです。英国は用意周到に間接的な戦争で敵国を弱体化させ、それから戦争をします。実は中国共産党はこれに耐えられるものではありません。

しかも、英国は一国二制度を反故にされ、香港から民主主義が奪われています。実は香港人保護を大義名分に、英国は英空母打撃群を用いた奪還作戦が可能です。中国共産党は強気に出ましたが、英国に正当性を与えています。次は英国の外交発言により、英国の出方がわかることになります。そのようなことはあり得ないという人もいますが、

2019年から2021年3月までの中国は強気でした。人民解放軍を使い大規模な軍事演習を世界に見せ付け、中国の存在感をみせつけました。人民解放軍の軍事演習は大規模で、渤海・黄海・東シナ海・南シナ海などの演習が連なり、さらに海岸部と内陸部の軍事演習が行われました。

この時期は、台湾への圧力が激化した時期と一致します。連日のように、人民解放軍機が台湾の国防線に接近。台湾空軍は連日スクランブルで対応。明らかに台湾が劣勢だたのですが、人民解放軍は未だ台湾侵攻しません。

それどころか、米国の台湾支援が強化されることになりました。中国は米国に対して、「米国軍機を台湾に入れたら開戦だ」と脅していました。ところが、米国は輸送機を台湾に入れてこれに応えています。にもかかわらず、中国は開戦しません。沈黙するだけであり、軍事演習で脅すこともしていません。

その後も米軍の動きは続き、駆逐艦を台湾海峡で通過させています。にもかかわらず、中国からの猛烈な抗議は無く、軍事演習による返答もありません。最近では米軍の動きだけが目立ち、人民解放軍の存在は低下しています。しかし香港では民主主義への弾圧を強化し、蘋果日報社は休刊に追い込まれています。

中国がつい最近まで人民解放軍を用いた軍事演習を国内外に喧伝していました。軍事演習の目的は、軍の練度向上と維持です。これは、敵が居ないだけであり実際の戦闘に近いものですから、指揮命令と物資消費は実戦そのものです。そのため、各国の軍隊は、定期的に軍事演習を行います。

軍事演習の裏の意味は、軍事を背景にした外交です。国際社会は軍事を背景に外交を行うのが基本であり、軍事力を見せつけて相手国を恫喝します。軍事力は覇権拡大と維持にもつかわれるのです。

ところが中国は、台湾侵攻を臭わせていますが、未だに実行しません。というより、できないのです。

欧米の軍なら、戦争に先立ち台湾の対岸に10万トン以上の物資を備蓄した基地を複数建設すします。備蓄基地が連なることで、はじめて戦場に物資を補給することが可能になります。ところが中国の海岸部には、台湾侵攻部隊を支援する備蓄基地は確認されていません。

ただし、中国は兵站を無視して人民解放軍を朝鮮戦争で使った過去が有ります。だから台湾侵攻の可能性は捨てきれませ。しかし、これを実行すれば2万人規模の師団単位を、使い捨てとして連続投入することになるでしょう。

人民解放軍の台湾侵攻をシミレートしていみると、人民解放軍の空軍による対地攻撃は週単位で減少していき、いずれ消滅します。その後は、台湾に上陸した人民解放軍だけの持久戦に移行することになるでしょう。

最終的にはゲリラ戦なるでしょう。さらに戦闘が続いた場合は、人民解放軍海軍の定期的な戦力投入。人民解放軍は、初期段階は数で圧倒できるでしょうが、長期化すると、補給が続かずゲリラ戦で挑むことになります。このやり方は生産力が著しく低く、敵に数で勝る場合に使われる方式です。

しかし人民解放軍の台湾侵攻は行われていません。これは、日々人民解放軍が消費する物資に対応できていない可能性が有ります。軍隊では、兵士一人は一ヶ月で食糧・水・弾薬など3トンの物資を必要とします。戦闘に備えるためには、膨大な備蓄も必要になるのです。

物資の流れは、生産・輸送・備蓄・補給ということになりますから、生産には将来のための備蓄と今の消費に対応する補給が同時進行で行われることになります。ところが、生産が低下すると、備蓄よりも補給が優先することになります。こうなれば、人民解放軍は容易には動けない状況になります。

さらに、このブログで日本の静寂性に優れた通常型潜水艦と米軍の攻撃力に優れた原潜が組めば、補給を絶つのは比較的簡単です。

現在の中国は、全域で電力不足になっています。これが事実ならば、人民解放軍を維持するための物資が欠乏している可能性が高いです。ミサイル・砲弾の生産には電気が必要ですし、精密機器のメンテナンスにも電気が必要です。

そうなると、人民解放軍は過去に備蓄した物資しか使えません。それに過去に大規模な軍事演習を行ったことで、本来必要な物資が無くなったはずです。これでは悪循環に陥っており、人民解放軍を使いたくても使えない事態に陥っている可能性があります。

中国は人民解放軍を用いた軍事演習による攻勢の外交を継続してきました。ところが、今では防勢に回っています。中国は香港の一国二制度を破棄し、民主主義を弾圧。その象徴として、蘋果日報社は休刊に追い込まれました。中国が国内への圧力を強化しているのは、人民解放軍が動けないことの裏返しの可能性が高いです。端的に言えば、大々的な軍事演習をやりたくてもできないので、国内向けのパフォーマンスをしているとも見えます。

外交で防勢なら、国内で攻勢に出て、これで中国の恐ろしさを国内外に喧伝するわけです。しかも香港の民主主義を弾圧できるから都合が良いです。

しかし、米軍はこれを見抜いている様で、台湾に輸送機を派遣し、台湾海峡で駆逐艦を航行させています。これは米軍が、人民解放軍は動けないことを見抜いたからでしょう。実際に人民解放軍の、軍事演習は、鳴りを潜めています。

台湾に派遣された米軍輸送機

無論、英国もこれを見抜いています。先に述べた、人民解放軍の物資不足で、動けない状況になっていることは、英国にとっては大きなチャンスです。このチャンスを逃してしまえば、中国は物資を大量に製造した後にチャンスが巡ってくるということになりますが、それにはかなり時間がかかることになります。

それどころか、中国も人民解放軍の兵站の重要性に目覚めて、米軍などのようにこれを充実されせるようになるかもしれません。そうなると、香港奪還は遠のくことになります。

英国が今がチャンスだとみれば、近いうちに英国が香港奪還の挙に出る可能性は十分にあります。そんなことをすれば、中国はミサイルを発射してとんでもないことになるという人もいるかもしれませんが、そうなると、英軍はもちろんのこと、米国、その他の国々にも中国に向けてミサイルを発射することを正当化することになります。

台湾にすら侵攻できない中国がそこまでやるでしょうか。三峡ダムを攻撃され、これが決壊すれば、国土の4割が水害に見舞われるともいわれていますし、核兵器を使わなくても、このような標的は中国国内の各地にあります。

英国空母打撃群が香港とマカオを奪取すれば、人権弾圧を受ける香港人を解放できます。さらに空港を使うことで、人民解放軍を南北に分断することが可能です。しかも内陸部の人民解放軍を空爆することも可能なので、奪取後の長期戦にも耐えられることになります。

そうして、クイーン・エリザベスは英空軍と米海兵隊に所属するF35B戦闘機計18機のほか、攻撃用ヘリや対潜哨戒ヘリなどを搭載。打撃群はこの空母を中心に45型駆逐艦2隻、23型対潜フリゲート艦2隻などで構成され、米軍の駆逐艦とオランダのフリゲート艦も参加している。全体の要員は3700人。英国の空母打撃群は、すでに米国とオランダの軍を含む混成軍なのです。

米英は人権を武器に戦争を行え、しかも中国を弱体化させることができます。戦後のアジアの安定を獲得し、しかも一帯一路構想で奪われた市場を取り戻すことも可能です。そのためのG7だっとしたら、中国はG7連合軍との戦争に怯えていることでしょう。シナリオとして、英空母打撃群の香港・マカオ奪還は十分ありえるのです。

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2021年6月29日火曜日

誰が五輪を「政治利用」するのか 一部野党は政府批判の材料に…日に日に現実離れする中止論 ―【私の論評】世界に先駆けて日本が「人類がコロナ禍に打ち勝てる可能性を世界に示す」 ことの意義は大きい(゚д゚)!

誰が五輪を「政治利用」するのか 一部野党は政府批判の材料に…日に日に現実離れする中止論 
高橋洋一 日本の解き方

白血病から復帰した池江璃花子選手

 政府の新型コロナ対策については「東京五輪ありきだ」「五輪を成功させてその後の選挙を有利にする狙いだ」といった批判もある。野党やメディアに対しては、政権批判を目的としたものも少なくないように思われるが、コロナ禍の五輪が「政治利用」されているのか。

 五輪憲章では、「五輪の競技会場などでいかなる種類の政治的、宗教的もしくは人種的な宣伝活動は認められない」と定められている。

 この趣旨からいえば、五輪の政治利用は好ましいことではない。自民党や公明党は、この規定を根拠として、都議選での公約に五輪関係を含めていない。

 一方、都民ファーストの会は「国が有観客での開催を強行する場合、『無観客』での開催を強く求める」、立憲民主党は「延期または中止」、共産党は「中止」をそれぞれ公約に入れている。

 都民ファーストは、小池百合子知事が特別顧問を務め、本来なら五輪を推進する側であるが、国に文句を言いたいので、「国が開催を強行」という意味不明な公約になっている。五輪開催都市契約では、主催者は国際オリンピック委員会(IOC)で、東京都はせいぜい会場管理責任者だが、国は契約当事者でもない。なので、そもそも国には開催権限がないのだ。

 立憲民主党や共産党は、すでに選手の受け入れが始まり、開幕が迫る五輪を止めろというのはあまりに選手らに失礼で、現実離れしている。これらの勢力こそ、五輪を政治利用しているといっていいのではないか。

 国政レベルでも一部野党は、政府・与党が五輪を政治利用していると決めつけている。そうしないと政府批判の迫力がなくなるからだと思われる。

 メディアで五輪批判が多かったのは、一部野党を応援していたからだろう。もっとも、メディアは五輪を報じざるを得ないので、そのうち手のひら返しになるのではないか。

 では、一部野党はなぜ五輪批判をするかといえば、もともと五輪反対の支持層が多いからだろう。政府は五輪を政治利用しにくいので、批判する側が有利という計算もあるはずだ。

 しかも、五輪以外で政府を批判できないからという理由もあるのではないだろうか。

 ワクチン接種については、一部野党の支持層に反ワクチン活動家が多いこともあり、当初は格好の批判材料だったが、国民の多くが接種を希望しているので言えなくなった。しかも、当初は接種が遅れ気味だったので批判もしやすかったが、ここにきて職域接種など接種の多様化を行った結果、予想以上のペースで進んでいるので攻めにくい。そこで、五輪批判なのだろう。

 もっとも、この戦略は五輪が近づくにつれて浮世離れするばかりなので、賢明とはいえないのではないか。7月4日投開票の都議選で、有権者の意向が分かってくるだろう。 (元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)

【私の論評】世界に先駆けて日本が「人類がコロナ禍に打ち勝てる可能性を世界に示す」 ことの意義は大きい(゚д゚)!

現在日本では、急ピッチでワクチン接種がすすんでいます。新型コロナウイルスワクチンの接種率が高まると、接種していない人たちへのウイルス感染も抑止されるとの分析結果を、イスラエルの研究チームが発表しました。免疫を持った人が増え、感染が広がりにくい状況になっているためとみられるといい、論文が米医学誌「ネイチャー・メディシン」に掲載されました。

昨年12月から米ファイザー社製のワクチン接種が始まったイスラエルでは、接種が世界最速ペースで進みました。現在は16歳以上が対象で、既に国民の60%超が1回以上の接種を受けています。

日常を取り戻しつつあるイスラエル

チームは、国内177地域の住民の接種率と検査陽性率を分析。その結果、子供との接触機会が多い16~50歳の接種率が20%程度に達すると、未接種の16歳未満の陽性率が、接種がほとんど進んでいない頃と比べてほぼ半減しました。接種率が20ポイント上がると、さらに陽性率は半減すると推定される。

ただ、免疫がない人にも感染が広まらなくなる「集団免疫」の獲得には、接種などで免疫を持った人が少なくとも60%程度必要と言われています。

日本では、1日百万回のワクチン接種が行われています。1日百万回というと、10日では一千万回、一月では3千万回です。4ヶ月では、1億2千万回です。これは、日本の人口に匹敵します。

もちろんこれは、一人一回ですから、二回接種することを考えると、この倍くらいは期間が必要という計算になります。

それにしても、この速度でワクチン接種をすすめれば、五輪開催時には現在よりかなりの人数になるのは確かです。接種率が高まると摂取していない人たちへのウイルス感染も抑制されることが予想されるわけですから、五輪からパラリンピックにかけての抑制が期待できるわけです。

そうして、この100万回に関しては識者の人でも不可能と語っていました。しかし、この認識は全くの間違いです。

安倍政権だった2020年5月、2次補正予算が成立したときにワクチンに関しては1300億円の補正予算がつけられました。その予算計上の積算においては、ワクチンはファイザー製を用いることが前提でしたから、冷凍施設が必要とされ、これを全国1万ヵ所に設置するという想定で積算したのです。

冷蔵庫を1万ヵ所設置することを前提とすると、そこで1日に100人打つというのは難しい数字ではありません。100人には3時間ほどで打ててしまいます。だから100万回というのは、別にとんでもない数字ではないのです。当時の安倍総理はおそらく、一日100万回はふかのうではないと思っていたと思います。 さらに、ワクチン供給に関しては、2021年3月のときにほぼ決まっていました。さらに菅総理が渡米したときに、ファイザー協議して本決まりになりました。このときに、6月末までに1億回分のワクチンが送られて来ることは決まっていたのです。そうなと、6月末には高齢者はそれで全員接種できるし、2回打っても余ってしまうのです。それはもうわかっていたことです。

一日100万回のワクチン接種は昨年の5月から予定されていた・・・・

1年前に話をもどしますと、契約上五輪開催の4ヵ月間前でないと延期できなくなり、開催するしかなくってしまいます。あのときのベストシナリオは、中止ではなくて延期でした。当時の安倍総理は延期を決断したのです。あとはそれに間に合わせるよう様々ななことを実施しました。ワクチンにかんすね事柄もそれに含まれます。 オリンピックの規定上、延期き難しかったのです。だから安倍総理が延期にかけたというのは1つの勝負だったのです。それとともにワクチンに関しても準備していたのです。それが菅政権に受け継がれ、現在予定通りに進んでいるのです。

こういうことが報道されないから、多くの人が「とんでもない数字だ」とか、「逆算で100万回と言ったのだろう」と言う人もいるのですが、そうではありません。これは、2020年5月から予定されていたことなのです。

だからこそ、先日のG7でも、東京五輪開催に賛成する声はあっても、反対する声はなかったのです。G7の首脳達が、様々な情報を持った上で、賛成しているのです。にもかかわらず、五輪開催をする必要はないと私は考えます。

東京五輪の開催が決まったのは2013年9月。選手たちは7年半前から東京五輪の舞台を目指して準備をしてきたのです。スポーツ選手のピークはさほど長くありません。しかも4年に一度しかない五輪です。今回が最後のチャンスとなる選手もいます。自分の素直な気持ちを発信できず、開催されることを祈りながら、黙々とトレーニングに励んでいる選手たちも多いに違いないです。

緊急事態宣言下でも必要に迫られて通勤電車に揺られて会社に向かう人も少なくないてす。それはコロナとの共存を図りながら、勤務先の企業や経済をまわしていくためでしょう。東京五輪でも「両立」するための手立てはあるはずです。

参考になるのは2月21日まで豪州メルボルンで行われたテニスの4大大会、全豪オープンです。新型コロナウイルス対策が徹底されたなかで全日程を無事に終えました。東京五輪とは大会の規模が異なりますが、開催に向けてのヒントになることがたくさんあり、大会関係者は大いに参考にすべきです。

この大会では、たとえばチャーター機で豪州入りした参加選手や関係者ら1016人に対して約2週間の隔離措置を義務付けました。隔離期間中はコートでの練習は許されましたが、時刻やパートナーを指定され、上限2時間という制限付きでした。

また、紙のチケットを全廃し、観客はスマホに表示した電子チケットのQRコードをゲートでかざして入場。売店での支払いはカード限定にするなど、「接触レス」を徹底しました。開催地ビクトリア州のロックダウン(都市封鎖)発令に伴い、大会期間の途中の5日間を無観客で開催、などのことが実施されました。

全豪オープンで優勝した大阪なおみ選手

いま日本国民にできることは何でしょうか。東京五輪の成功に向けて、一致団結することではないでしょうか。これは精神論ではありません。まず、国内の新規感染者をさらに減らすために、気を緩めずにマスク着用や3密・会食の回避を徹底するのです。ワクチン接種も可能な限りはやくするのです。テレワークを増やすのです。ひとりひとりが最善の感染対策を講じたうえで、ルールを決めて可能な限りの来日者を迎え入れる。それこそがコロナ禍における日本が世界誇る「おもてなし」の心の表現ともなるのではないでしょうかか。

主役となるアスリートたちが気持ちよく競技に向かえる雰囲気をつくり、温かい声援を送るのです。できない理由を並べるより、やれる可能性を探るべきなのです。

これは、コロナ禍で蔓延した“沈んだ空気”をスポーツの力で少しでも明るいものにする機会であり。人類がコロナ禍に打ち勝つ大きな可能性を世界に示す機会でもあるのです。
問題ではなく、機会に焦点を合わせることが必要である。もちろん問題を放っておくわけにはいかない。隠しておけというわけではない。しかし問題の処理では、いかにそれが重大なものであろうとも、成果がもたらされるわけではない。損害を防ぐだけである。成果は機会から生れる。(ドラッカー)

問題ではなく、機会に焦点を合わせるというなら、五輪も中止ではなく、 人類がコロナ禍に打ち勝つ大きな可能性を世界に示す機会に焦点をあてるべきです。

さらに、ドラッカー氏は以下のようなことも述べています。

問題に圧倒されて機会を見失うことがあってはならない。ほとんどの組織の月例報告が第一ページに問題を列挙している。しかし、第一ページには機会を列挙し、問題は第二ページとすべきである。よほどの大事件でも起こらないかぎり、問題を検討するのは、機会を分析しその利用の仕方を決めてからにすべきである。

五輪の危機ばかりを問題として、これの中止を叫ぶのは、五輪という機会を分析してその利用の仕方を決めてからにすべきなのです。私自身は、五輪には、あまり直接的な経済効果は期待していませんが、日本の「おもてなし」の文化を発信できる大きな機会にもなりえると思います。そうして、何よりも世界に先駆けて日本が「人類がコロナ禍に打ち勝てる大きな可能性を世界に示す」 ということの意義はとてつもなく大きいことだと思います。

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2021年6月28日月曜日

「バイデンは国を破壊した」:トランプがオハイオでの集会でバイデンと民主党を非難―【私の論評】米国共産主義の浸透はより深刻になりつつある、これを止められるのは誰か(゚д゚)!

「バイデンは国を破壊した」:トランプがオハイオでの集会でバイデンと民主党を非難

<引用元:デイリー・コーラー 2021.6.26
ドナルド・トランプ前大統領は6月26日夜、オハイオ州ウェリントンでの選挙運動形式の集会で現政権を非難した―ホワイトハウスを去ってから初めての集会だった。
何千人もの支持者を前に、トランプは南部国境の危機に対する対応、米国主要都市で顕著な犯罪増加、また意見が分かれる非科学的な「人種トレーニング」を連邦政府のあらゆるレベルで実施する包括的な大統領令に25日に署名したことについて、ジョー・バイデン大統領の政権を繰り返し追及した。 
バイデンを非難することに加え、トランプはカマラ・ハリス副大統領の南部国境訪問を批判し、彼女が訪問したのは自身が共和党テキサス州のグレッグ・アボット知事と地域を訪問すると発表したために過ぎないと主張した。
また前大統領は自身の政権での成果を強調しながら、ビッグテックにも批判を浴びせ―中でも―COVID-19研究所流出説を検閲したとされることを批判した。
集会はクリーブランドから南西に約40マイル離れたウェリントンの会場で午後7時に始まった。これに続いて今後、6月30日のアボット知事との米メキシコ国境訪問、7月3日のフロリダ州サラソータでの集会でも公の場に姿を現すことになっている。 
トランプが最後に公の場で集会を行ったのは、ジョージア州上院議員選挙前日の1月だった。25日のニュースマックスとのインタビューで、トランプは2024年大統領選の発表について「近い将来」に行う可能性があると述べた
【私の論評】米国共産主義の浸透はより深刻になりつつある、これを止められるのは誰か(゚д゚)!

かつて日本を第二次世界大戦で叩きのめした米国は、日本が二度と刃向かうことができないよう、日本人の精神にある種の毒素を注入しました。

その毒は、戦後70年以上が経過した今日においても社民党・吉田党首「九条は神様のプレゼント」(ナチス)ドイツ式敬礼でハイル九条状態にさせるほどの強力なものでした。

 社民党・吉田党首「九条は神様のプレゼント」(ナチス)ドイツ式敬礼でハイル九条状態
 ツイート 2014年12月01

その毒は、現在も学校教育等によって健全な子供たちに注がれ、マスメディアによっても日本全国にまかれ続けています。

しかし現在、日本に毒を盛った側の米国自身にも、それと同種の毒がまわり、のたうち回っています。

なぜこのようなことになったのでしょうか。 話は1920年代にさかのぼります。当時のソビエト連邦で成功した社会主義革命は、西欧には広がらりませんでした。マルクス主義者は、西欧で革命を成就させるには新しいマルクス主義が必要だと考え、敵は資本主義よりも、伝統文化であるとしました。

では、この伝統文化とは何を指しているのでしょうか。

米国は雑多な国で、地域差、人種・民族差、階層差がかなりあるので、これが米国的だと一括りにてきるものはあまりないような気もしますが、1960年代にロビン・ウィリアムスという社会学者が「米国社会・文化を支える価値観」を12個特定し、それにジェームス・ヘンズリンという社会学者が90年代に3つ加えました。ヘンズリン著の社会学原論の教科書の<文化>の章には、以下の15個が載っています。
1.(各個人が競争の末に)達成・成功(すること)
2.個人主義
3.活動・労働
4.能率・実用
5.科学技術
6.(常に)進歩・前進(し続けること)
7.物質的快適さの追求
8.人道主義・博愛主義
9.自由・解放
10.民主主義
11.(全ての人間に機会の)平等(が与えられること)
12.人種主義(個人対個人の人種差別よりはもっと体系的なもの)
ヘンズリンが加えたのは以下の3つです:
13.教育・学歴
14.宗教(ユダヤ=キリスト教的価値観)
15.(人類愛や家族愛と対比して)ロマンチックな愛・恋愛感情
マルクス主義者の戦略は、米国で革命を成就させるためには、これらを破壊するために、被差別意識を作り出す運動を起こし、それにより社会に亀裂を生じさせ、長い時間をかけて国家を崩壊へと向かわせる、というものでした。

そこで重要な働きをするのが「ポリティカル・コレクトネス」(ポリコレ)です。現在米国社会においては、深刻なポリコレが蔓延しています。日本だと冗談ではないかと思われるようなことが、まかり通っています。

ポリコレとは「性・民族・宗教などによる差別や偏見、またはそれに基づく社会制度・言語表現は是正すべきとする考え方」のことです。

米国においてポリコレは、1960年代の反ベトナム戦争の抗議活動の頃から目立つようになりました。

この程度であればまだしも、最近の米国のポリコレは理解しがたいものがある

弱者に対する差別や偏見を是正するのは、誰しも無条件に正義だと考えてしまいます。そのため米国の左派は、黒人、性的マイノリティー、女性といった「社会的弱者」を前面に出し、彼らの意図した通りの方向に社会を変化させていったのです。

左派たちは英語という言語すらつくり直そうとしています。英語の「He(彼)」と「She(彼女)」は、いまのアメリカでは性的な差別用語であると考えられているのです。左派はこれからの性別として、中立的な「Ze」を使うことを勧めています。


カリフォルニア州で結婚式を挙げる場合にも、式の最中に「夫と妻」という言葉を使うことは法律で禁止されています。性的に中立な意味である「配偶者と配偶者」を使わなければなりません。

なぜなら、「夫と妻」という言葉は、同性愛者の結婚に対して失礼に当たるからです。また、もしあなたが米国でビジネスを行っている場合、12月に「メリー・クリスマス」という看板を出すことは危険です。「あなたは、キリスト教の信者ではない人を差別している」と左派から裁判を起こされるかもしれないからです。

オハイオ州のオーバリンの大学では何人かの学生が、食堂で出している寿司とベトナム料理に反対していました。その学生たちの主張では、お米が正しく調理されておらず、文化的な配慮をもってその料理がつくられていないことが問題だというのです。米国はもはや自由に自分の主張を述べることができない国になっているのです。

そのような左派と右派の衝突も激しさを増しています。例えば、2017年、バージニア州シャーロッツビル市でアメリカ南北戦争の英雄ロバート・E・リー将軍の記念碑を撤去しようとする左派の提案に対し、右派が抗議する行進を行いました。

米国南北戦争の時代、特に南部のリーダーたちの多くは黒人の奴隷所有者でした。左派の望みは、南北戦争の記念碑を奴隷制の記念碑に取り換えることにあります。右派の行進は左派の社会主義労働党などから暴力的攻撃を受け、一人が亡くなり、多くの負傷者が出ました。こうした激しい暴力を伴う衝突が米国各地で発生しているのです。

そして、左派の中でも特に過激なのが、白人至上主義や人種差別に反対する反ファシズム運動を展開し、共産主義革命を掲げる「アンティファ」(Anti-Fascist Actionの略)です。実際、当時のトランプ大統領は昨年フロイド氏の事件への平和的な抗議活動が「アンティファ」の扇動によって暴動に発展したことを受けて「アンティファ」をテロ組織に認定しました。当時のバイデン氏は「アンティファ」を意見だとしました。

多くの人が暴動の背後には「アンティファ」の扇動があること考えています。実際そうなのでしょう。極左団体や「アンティファ」が目指すのは米国社会の分断であり、崩壊に他なりません。SNSに投稿された暴動の映像では、暴動が始まる前に黒い服装をした「アンティファ」の構成メンバーが街中にレンガを置いている様子が写っています。


また、暴動開始の直前、「アンティファ」の白人メンバーが黒人たちに何やら命令し立ち去る映像もあります。そして実際に警察と揉み合いになり逮捕されているのは黒人たちです。これが本当に黒人差別を訴えるデモ、暴動なのでしょうか。

米国では、大統領がトランプからバイデンに変わっても、状況は変わっていません。このまま極左の活動が活発化し、右派との暴力的対立が深刻化、激化していけば、バイデン大統領とて「戒厳令」を出す事態になることも考えられます。

そうなれば米国は本格的な「内戦」「内乱」状態に陥り、次の大統領選挙もどうなるか分からないかもしれません。日本もこうした分裂と崩壊に向かいつつある同盟国・アメリカの現実は無関係ではありません。激変する国際情勢に処していかなくてはなりません。

このような暴力は行きすぎた権利主張であっても、異議を唱えることは難しいです。彼らは、自分と異なる意見に対しては「差別だ! 」と大声をあげて黙らせてしまうからです。

姿を変えたマルクス主義は米国の教育、マスメディア、政治、そして社会に浸透し、大きな力を持つに至ったのです。

「メリークリスマス」はキリスト教信者以外の者に対する差別と言われ、結婚式では「夫と妻」ではなく「配偶者と配偶者」と呼ばねばならず、「風と共に去りぬ」が人種差別映画とされ、破壊が要求される記念碑の数は増え続け、些細な言動で人々が失職するようになりました。

このようなポリコレの暴走により、米国左派と右派の間で憎悪が増大し、すでに暴力を伴う左右の衝突が始まっています。

この状況は互いに銃を取って殺し合う、南北戦争以来の内戦にいずれ発展する可能性も大です。まさにマルクス主義者の目論見通りの結果になりつつあるのです。

残念ながら、現在の米国人の本音は、人種や党派性を問わず「会話は闘いである。ビジネスは戦争である。勝たなければ人生に価値がない」「騙されたら、騙された方が悪い」「相手をうまくごまかすのは、頭が良い証拠」というところかもしれません。

これが、社会主義者に利用されたという面はあるでしょう。これでは、以前もこのブログに述べたように、日本では経営学の大家といわれるドラッカーが、米国では忘れされているのも無理はありません。

マイノリテーを守る名目で国家を破壊していく偽善者の白人左翼、自分たちと違う者は徹底排除するキリスト教原理主義者の白人右翼、いまだ虐げられていると恨む黒人コミュニティー。

米国社会の奥底に渦巻く憎悪と我欲が、一触即発で米国を内戦へと引きずり込む可能性が増えてきました。

これは、おそらくもう手遅れかもしれません、内戦を避けることは不可能になりつつあります。

前回の大統領選挙では、誰がトランプ氏を支持したのでしょうか、それは、絶対優位が崩れ去り、自分たちの知る良き米国が失われていくことに危機感を抱いた米白人層でした。だからこそ、伝統的価値観を持つトランプ氏が大統領になったのです。そうして、昨年の選挙でもかなりの票を集めることができたのず。

これには、米白人層だけではなく、他の層でも、極端なポリコレを嫌う人たちも応援したことでしょう。こういう人たちは、未だにトランプを支持しています。

日本では、トランプ氏を狂ったピエロのように報道していますが、それは米国の大手メディアの報道をそのまま垂れ流しているからです。米国の大手メディアのうち大手新聞はすべてリベラルですし、大手テレビ局では、FOXTVを除いて他はすべてリベラルです。

日本の報道や、米国の報道は、米国の半分しか見ることができません。もう半分の保守派の声は、リベラルメデイアでかき消されてしまうのです。しかし、現代では大手メディアがすべてではありません。ネットなどでもう半分の声も知ることができます。

これまで、私達は、日本政治の不甲斐なさに絶望していましたが、それと同じ状況が米国にもあり、それは日を追うごとに酷くなっています。もうすでに、米国のほうが酷い状況になっているようです。

その原因は、先にも述べたようにロシア革命後のコミンテルン(共産主義)戦略の浸透によるもです。その浸透は、戦後70年以上を経て、米国で効果を表しつつあるのです。

米国と同じく、世論を誘導し、政治を操ってきた日本メディア、学者、政治家たちが共産主義に汚染され、日本を解体させる方向で動いているのです。現代社会の底流に流れる共産主義化への道は、是が非でも止めなければならないのです。

米国での共産主義の浸透はより深刻になりつつあります。これを止められるのは誰なのでしょうか。トランプ氏かもしれません。トランプ氏に限らず、伝統的価値観に立脚する、真の意味での保守派の出番だと思います。

ここでいう真の意味での保守派については、このブログの他の記事をご覧になってください。これには、多くの誤解があります。政治的にどのような立場だからとか、こういうことをいう、ああいうことを主張するのが、保守だ、左翼だ、リベラルだという言い方は浅薄です。これでは、ポリコレとあまり変わりありません。本当の保守派とはそのようなものではありません。


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2021年6月27日日曜日

「表現の自由脅かす」批判 吉村知事発言に主催者側―【私の論評】自らの果たすべき貢献は何かという問いからスタートするとき、人は責任をもつがゆえに自由になれる(゚д゚)!

「表現の自由脅かす」批判 吉村知事発言に主催者側

大阪府立労働センター「エル・おおさか」(大阪市中央区)

 大阪市で7月中旬に開催予定だった「表現の不自由展かんさい」の利用許可を会場側が取り消した問題で、大阪府の吉村洋文知事は26日、記者団に「施設の管理運営を考えると取り消すべきだ」と発言、賛意を示した。

 知事発言に対して、主催する実行委員会の一人は同日夜、「憲法に保障されている表現や集会の自由を知事自らが脅かすことに加担している」と厳しく批判した。

 会場は大阪府立労働センター「エル・おおさか」(大阪市中央区)。抗議が相次ぎ利用者らの安全が確保できないとして、25日付で会場側が利用許可を取り消した。

【私の論評】自らの果たすべき貢献は何かという問いからスタートするとき、人は責任をもつがゆえに自由になれる(゚д゚)!

「表現の自由」の「自由」という言葉について、誤解している人も多いのではないでしょうか。

自由は、英語で"freedom"と"liberty"と訳されますが、この2つの言葉には根本的に違いがあります。

日本語では同じ自由だからと言って、同じように使ってしまうと、状況によっては意味が伝わらなくなってしまう可能性があります。

“freedom”が意味する「自由」は「受動的」なイメージです。

そのままそこにいればいい、何もしなくていい、ただ与えられるものなのです。ある意味、あって当然という感覚です。

例えば、「表現の自由」というのは”freedom”を使って表現されます。”freedom of the speech”と言います。

何かを表現する自由というのはあって当たり前という感覚なんですね。別に掴み取りに行くものではありません。

言論統制などされている国はありますが、本来「表現の自由」というのは誰にでも与えられているものですから、”freedom”で表現します。

では、”freedom”を使った例文を見ながら、そのニュアンスを感じとっていただきたいです。

We have the freedom to give our opinions about anything.
(私たちは何に関しても意見を述べる自由があります。)

「意見を述べる」という「自由」も、あるのが当たり前のものです。人間なら誰しも持っている「自由」です。だから、”freedom”で表現するのです。

「あって当然」という感覚ですから、“freedom”が意味する「自由」は最初からあるものなんです。

何かに押さえつけられていたり縛られてたりしている状況は存在しません。つまり、なんの制約もないような状態なのです。

Children naturally have the freedom to be what they want to be.
(子供というのは、本来なりたいものになれる自由というのを持っている。)
様々な状況で夢をあきらめなければいけないという状況は当然ありますが、そういうのを抜きにして考えた場合、「なりたいものになる自由」というのは誰にでもあります。

制約がなく「最初からある自由」なのです。そのため、”freedom”の持つニュアンスです。

“liberty”が表す「自由」は”freedom”と違い、「能動的」なイメージです。

“freedom”を掴むために争ったり闘ったりする必要はありませんが、“liberty”を掴むためには争ったりしながら自らが取りに行かなければならないのです。

つまり、「自らがすすんで勝ち取る自由」という意味です。周りと争ったり闘ったりしながら、自分の「自由」の権利を主張して掴み取るものなのです。

例えば、米国にある「自由の女神」を英語で言うと、”The Statue of Liberty”です。なぜ、これは”liberty”が使われているのでしょうか?

「自由の女神」というのは、米合衆国独立の象徴です。人々は「自由」を得るために戦って、「自由」を掴み取り、そして独立したのです。

だから、その象徴である「自由の女神」の「自由」は”liberty”なのです。

以下の例文で確認しながら、”liberty”のニュアンスを感じ取っていただきたいです。
In many countries, many people have had to fight to receive liberty in past eras.
(過去、多くの国の多くの人々が自由を得るために闘わなければならなかった。)
「自由を得るために闘わなければならなかった」という状況ですから、自ら「自由」を求めにいってるということです。つまり「能動的」ということです。だから、”liberty”を使っていめりです。

“liberty”が意味する「自由」は、自分で掴み取るもの。つまり、元々は自由ではなかったことを意味します。

何らかの制約や縛りがあったりと不自由な状態から抜け出して得た「自由」ということです。
Our ancestors got liberty from the dictator a long time ago.
(遠い昔、私たちの先祖は独裁者から自由を得た。)
「独裁者にいろいろと抑えつけられていた状況」というのはいろいろと制約があったりして不自由です。「そういった状況から抜け出して自由を得た」ということなので”liberty”を使って表現するのが適しているのです

このように、何か不自由な状態があって初めて”liberty”が生まれるのです。

日本語では同じ言葉でも、英語の”freedom”と”liberty”には意味合いの違いがあるんですね。ちなみに、意味合い以外にも「”freedom”は古ゲルマン語、”liberty”はラテン語」という語源の違いもあります。

そうして、責任という観点でみると、両者の言葉がより一層明確になります。"libery"である状態にあるということは、それは誰にでも認められた当然の権利という意味合いがあります。"liberty"である状態にある人には何の責任も問われません。

一方"freedom"はそうはいきません。経営学の大家ドラッカー氏は"freedom"について以下のように述べています。


これを直訳すると「自由は解放ではない。それは何かをするかしないかを選択する自由である」

これだけだと理解しにくいと思いますので、『産業人の未来』というドラッカー氏の著作の和訳から「自由(freedom)」に関する部分を引用します。
自由は解放ではない。責任である。楽しいどころか一人ひとりの人間にとって重い負担である。それは、自らの行為、および社会の行為について自ら意思決定を行うことである。そしてそれらの意思決定に責任を負うことである。
(産業人の未来)

 libertyであることはすでに権利となったものですから、"liberty"の状態にあることに責任は伴ないわないのですが、freedomには意思決定が伴い、そうしてその意思決定には責任が伴うのです。

このあたりを誤解している人は多いのではないかと思います。表現の自由にも"自由"という言葉があるからには責任が伴うのです。

We have the freedom to give our opinions about anything.
(私たちは何に関しても意見を述べる自由があります。)

この言葉においても、何か意見を述べるという意思決定をして、そうした場合、責任が伴うということです。であれば、「表現の自由」にも責任が伴うということです。

なにやら、小難しいことをグニャグニャと述べてきましたが、本日は「自由」に関するアニメをTwitterに掲載されているのを見て、これはわかり易いと思いましたので以下に掲載します。


ソース元のツイートを以下に掲載しておきます。



 このアニメ単純に見えますが、意味するところは深いです。

ドラッカー氏は現代人、特に民主主義社会に生きる人々には、自由の代価として何をしたいかを問われているとしています。

選択肢を前にした若者が答えるべき問題は、正確には、何をしたらよいかではなく、自分を使って何をしたいかである。多元社会は一人ひとりの人間に対し、自分は何か、何をしたらよいか、自分を使って何をしたいかを問うことを求める。この問いは就職上の選択の問題に見えながら、実は自らの実存にかかわる問題である。(『断絶の時代』)

 多くの若者にとって、自分が得意とするものが何かはまだわからないです。それどころか、自分の「値打ちがある」とするものが何かさえ、まだわからないのです。

ほとんどの人が親の後を継いで農民になる以外になかった時代は、歴史的にみればついこの前のことです。しかし、いまや選択肢は無数にあるのです。

だから就職に悩みます。しばしフリーターともなります。その間に、せっかく身に付けた知識が陳腐化するという悲劇も起こるのです。

ドラッカーによれば、17世紀にデカルトが精神の実存を無視して以来、西洋では、いかにして人間の実存は可能かではなく、いかにして社会の存在は可能かが問われてきました。こうしてこの2世紀の間、世の関心は社会に向けられてきました。

 今日ふたたびわれわれは、昔からの問いである一人ひとりの人間の意味、目的、自由という根源的な問題に直面している。世界中の若者に見られる疎外の問題が、この問いに答えるべきことを迫っている。組織社会が、選択の機会を与えることによって、一人ひとりの人間に意思決定を迫る。自由の代価として責任を求める。(『断絶の時代』)

一方ドラッカー氏は、以下のようにも語っています。
自らの果たすべき貢献は何かという問いからスタートするとき、人は自由となる。責任をもつがゆえに自由となる。(『明日を支配するもの』P218)
これは、私の好きな言葉でもあります。この言葉を噛み砕くと他人を助けるという視点で、一つ一つを積み重ねていくということです。それも自分のできることで、できれば他人になかなかできないことで積み重ねていくということです。

一つ一つ積み重ねることで、やがて自らの強み、仕事の仕方、組織の価値観を知り、機会をつかむ用意が出来るということなのです。そういう機会を多くの組織が提供すべきてなのです。組織というと、なにやら悪いことのように考える人もいるようですが、現代は組織社会であり、多くの人が組織に属していることを思い起こしてください。さらには、現代人は悪い組織から抜け出し、まともな組織に移る自由もあるのです。

「自分には、夢や希望が湧いてこない」という悲痛な叫びを見聞きすることがありますが、文章の主語は何になっているでしょうか?

「自分には」という主語に、他人に貢献する、組織に貢献するという気持ちは入っていません。こういうことを言うだけの人には、実は自由ではないのです。人は、自分の果たすべき貢献は何かを考えることにより、はじめて責任を持ち自由になり強くなれるのです。

そのようなことは、一昔の日本人なら当然のこととして知っていたはずです。しかし、現代ではドラッカー氏の言葉などを引用しないとなかなか理解してもらえないところがあります。そうして、これは日本だけの現象ではないようです。米国ではドラッカー氏のことがわすさられているようです。本当に残念なことです。

この文脈では、これも私の好きな言葉である三島由紀夫の「人間というのは自分のためだけに生きて、自分のためだけに死んでいけるほど強くない」という言葉を思い出します。


「自分のためだけ」に生きる人、自分の自由だけ考える人は、強くはなれず、必ずすぐに限界にぶち当たります。自分のためではなく、親のため、子供のため、家族のため、恋人のため、仲間のため、地域のため、会社のため、国のために生きる人、いいかえると自分を超えた何らかの大義に生きる人は、応分の自由を得て強くなれるのです。

そのことを多くの現代人は忘れてしまっているのではないでしょうか。

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米国の対中〝戦略的競争〟には戦略が足りない―【私の論評】米中対立は「文明の衝突」なのか?そうであれば、日本史の研究が米国の対中戦略立案に役立つ(゚д゚)!

2021年6月26日土曜日

【日本の解き方】米当局の中国製品排除方針、経済を「武器」にした戦いとなる 台湾が利する安全保障の狙いも―【私の論評】米中対立は「文明の衝突」なのか?そうであれば、日本史の研究が米国の対中戦略立案に役立つ【その2】(゚д゚)!

【日本の解き方】米当局の中国製品排除方針、経済を「武器」にした戦いとなる 台湾が利する安全保障の狙いも

左からケネディー大使、バイデン氏、皇太子殿下(当時)

 米連邦通信委員会(FCC)は17日、国家安全保障を脅かすと指定した中国企業の製品を認証しない方針を発表した。通信機器の華為技術(ファーウェイ)や監視カメラの杭州海康威視数字技術(ハイクビジョン)など5社が対象で、米国で販売できなくなる可能性があると報じられている。

 バイデン政権の対中政策については大統領選中、バイデン氏が「親中」なので、トランプ政権のものを全てひっくり返すとの観測もあった。具体的には、自身が副大統領を務めたオバマ政権のような対話路線になるというものだ。

 これまでのところ、そうした極端な見方は正しくなかったが、トランプ政権を完全に継承したかといえばそうでもない。継続しつつ、一部修正しているというところだ。

 少し考えれば当たり前だが、米国の政権は継続しているので、一夜にして大転換というのは考えにくい。修正は徐々に行うものであるが、事前に予想されていたほどには修正が少ないというところだろう。

 主要7カ国(G7)首脳会議や北大西洋条約機構(NATO)の首脳会議で分かったことは、バイデン政権は同盟国とともに対中戦略を立てるという大方針だ。この点が、米国一国で対中戦略を行っていたトランプ政権との違いといってもいい。

 バイデン政権が今後、現状の対中戦略の方針を大きく変更するかといえば、筆者にはそう思えない。米国一国ではなく、同盟国を巻き込んだものとなっているので、その信頼を失わないためにも、さすがに手のひら返しは難しいだろう。

 その背景には、本コラムでも紹介したように、経済安全保障に基づく考え方があるのだと思う。つまり、米中両国間では当面、物理的な軍事衝突は考えにくいが、その前に経済を「武器」にした争いがあるからだ。なお、サイバー空間での前哨戦は既に始まっていると思った方がいい。

 米国が中国製品を排除することになるとどうなるか。今の工業製品は、中間財を世界各国に依存するなどサプライチェーン(流通網)が複雑なので、中国製品を排除しても中国が直接打撃を受けるとは限らない。しかし、長期的には対中ビジネスのリスクが顕在化するので、中国へ中間財を輸出している企業が供給停止することも含めて、中国にとって打撃となるのは間違いないだろう。

 一方、どこが相対的に有利になるかといえば、韓国や台湾だろう。その意味で、バイデン政権の目指す同盟重視にも長期的にはつながる。

 経済安全保障の観点からも、長期的には台湾をも利することになるので説得的だ。なお、安全保障から、台湾を中国の一部ではなく、「同盟国」としてみるという点とも、米国市場からの中国製品排除政策は整合的だ。(元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)

【私の論評】米中対立は「文明の衝突」なのか?そうであれば、日本史の研究が米国の対中戦略立案に役立つ【その2】(゚д゚)!

オバマ政権は2期目に外交政策の重点を中東に移す中、中国とは対話路線を模索しました。これが後に「対中弱腰外交」との批判を内外から受けることになりました。バイデン政権は、オバマ政権時の「対中弱腰外交」に戻るとの観測を払しょくするために、対中強硬姿勢をことさら強調しています。

バイデン政権は外交、軍事、経済政策の基本方針となる「国家安全保障戦略」を今年後半に発表します。3月3日には、その策定に向けた指針を公表しました。注目される中国に関する記述では、「攻撃的かつ威圧的に振る舞い、国際システムの中核をなすルールや価値観を弱体化させている」と中国を強く批判しました。

さらに、「経済、外交、軍事、先端技術の力を組み合わせ、安定的で開かれた国際システムに対抗しうる唯一の競争相手だ」とも指摘しています。バイデン政権は、地球温暖化対策などでは中国との連携を探りますが、人権問題、安全保障問題などでは、日本などの同盟国との連携を強化したうえで、対中強硬姿勢をとっています。

同じ日に演説を行ったブリンケン米国務長官は、中国について、「安定的で開かれた国際秩序に本格的に挑戦する力を有する唯一の国だ」と指摘したうえで、中国との関係を「21世紀における最大の地政学的な試練」と位置づけています。

また、新疆(しんきょう)ウイグル自治区でのイスラム教徒少数民族への人権侵害や、香港の民主派弾圧に立ち向かい、民主主義や人権重視などの価値観を擁護していく必要があるとしました。

米中の対立は、価値観とそれに立脚する体制を巡る争いの様相を強めている。そして米国内では、中国は価値観を共有できない国、との認識が国民の間で強まっている可能性があるのではないか。ここで思い起こされるのは、2019年に米国務省の高官が米中対立について示した、「文明の衝突」論です。

文明の衝突」とは、米国の国際政治学者のサミュエル・ハンティントンが1996年に表した著作「文明の衝突と国際秩序の再構築(The Clash of Civilizations And the Remaking of World Order)」で提唱した理論体系です(日本語版の書名は「文明の衝突」)。冷戦後の世界では、異なるイデオロギーではなく異なる文明が対立軸になる、と主張されています。

2019年4月に米国で開かれたシンポジウムで米国務省のキロン・スキナー政策企画局長は、「中国は米国にとって初めての異なるイデオロギーを掲げる強大なライバルであり、米国は非白人国家である中国との『文明の衝突』に備えるべきだ」と発言しました。

キロン・スキナー氏

中国共産党機関紙・人民日報のニュースサイトである人民網は、この発言を、人種主義色の濃い対中文明衝突論であり、スキナー氏は米国の対中関係に、センセーショナルな「文明の衝突」のレッテルを貼ろうとしている、と強く批判しました。

批判は米国内でも高まった。ワシントン・ポスト紙は、「中国は白人の国でないという理由で、米国は『文明の衝突』を企てている。これは危険だ」とする表題の論説文の中で、「中国人が白人でないがゆえに『文明の衝突』が起こるとする議論には欠陥があり、非常に危険だ」と論じています。

スキナー氏の主張の不正確さも、また、批判の対象となりました。スキナー氏は、「中国との対立は、米国が今まで経験したことのない、異なる文明、異なるイデオロギーとの闘いだ」、「冷戦は西洋諸国(Western Family)の間での戦いだったが、中国は西側の思想、歴史から産まれたものではない。米国は白人以外と初めての大きな対立を経験しようとしている」と発言しています。

これに対してワシントン・ポスト紙の論説は、異なるイデオロギーとの対立は既に米国は経験している、と反論しています。その第1は、第2次世界大戦時のドイツのナチズムとの対立だ。そして第2は、冷戦下でのソ連との対立だ。加えて、ソ連を西側あるいは欧州の国と捉えるのは誤っている、としています。

さらに、スキナー氏が「中国人が白人でない」としていることで、同氏が本当に主張したいのは、文明でもイデオロギーでもなく、人種の違いなのだということを露呈している、ともこの論説は述べています。しかし、第2次世界大戦時に米国は非白人国の日本と戦争をしたことを思い返せば、これについても事実誤認だ、としています。

スキナー氏の発言が、「米国が、中国は人種的に異なる国という考えを軸にして外交政策を行う」ことを意味するもの、と理解されれば、中国は国際社会で人種差別を受けると当然考えるでしょう。そして、国際秩序は不公正であり、中国の居場所がなくなります。そのように考えたら、中国の強硬派はより過激な外交政策を行うようになる、と論説は強く批判しています。

また、米中対立を「文明の衝突」と捉える解釈は、「普遍的価値に基づいていると今まで説明してきた、米国の外交政策の基調を大きく損ねてしまう」との指摘も米国では出されたのです。

米通信社のブルームバーグの記事は、「米国の外交政策の基調である、民主主義的価値と人権は、西洋諸国に限るものではなく人類全体の普遍的な価値である、ということを米国は長く主張してきました。それは、権威主義的な政権を攻撃する際にしばしば用いられてきたレトリックです。例えば、冷戦下でのソ連を攻撃する際などです。しかし、スキナー氏の発言はそうした主張の正当性を突き崩してしまった」としています。

さらに、「このことは、中国が現在の政治体制維持を正当化する根拠を与えてしまう」とも、この記事は指摘しています。米国あるいは西洋社会が主張する民主主義的価値と人権は、西洋社会の概念であり、中国文明の伝統と比較することはできない、と中国は主張してきたのです。「文明の衝突」は、こうした中国の主張を助けるものとなり、米国が求める政治の民主化を拒む根拠を中国政府に与えてしまう、と指摘しています。

また、中国は長らく、世界を文明で東西2つに分けるべきだ、と主張してきたと言われます。そうして、共通の文明を持つアジアから異なる文明の米国は手を引き、中国にアジアを支配するように働きかけてきた、とも言われています。スキナー氏の発言は、そうした中国の志向や行動を正当化してしまうだろうというのです。また、中国が、アジアの他の国々を自らの影響下に取り込んでいくことを助けてしまう、とブルームバーグの記事は指摘しています。

世界は2つの文明に分けられるほど単純ではない

仮に、中国がそのような展望を抱いているとすれば、それは日本としても当然看過できないことです。他方、スキナー氏の発言にも、世界が東西の文明で2分されることを正当化する要素が含意されており、非常に危険であると言えるでしょう。

そうして、ここで思い出すべき重要なことがあります。それは、『文明の衝突』の文明の分類では、日本は中国の文化圏には入っておらず、日本は日本文化圏という範疇に収まっています。

著者のサミュエル・ハンティントン自身が、後に「最初は、日本も中国文明の大きな影響を受けているので、中国文明に入れようと考えたのだが、調べれば、調べるほど日本はユニークであり、日本は日本文明圏にあるとした」と述懐しています。

この点が米国では、すっかり忘れ去られています。スキナー氏の主張にもこれが出てこないし、ワシントン・ポストなどのメデイアの論調もそうでし、中国もそうです。日本文明があるにもかかわらず、世界が東西の文明で2分されることを正当化などとして、日本文明の存在を無視しています。中等やアフリカも無視しています。

なぜそうなのでしょうか。日米が現在は互いに重要な同盟国同士であり、現在では価値観を同じくしている部分が大きいので、遠慮しているという部分もあるかもしれません。

しかし「文明の衝突」という次元で過去の日米の戦いやその後の日米関係を論じていくと、米国にとっては不都合なことがかなり出てくるということもあるのではないでしょうか。それにしても、文明を東西2つに分類するのはあまりに乱暴です。

先日も述べたように、経済学の大家ドラッカー氏は、コミュニティの伝統と朝廷を含む独自の価値観を近代社会の成立に生かしたことこそ、他の非西欧諸国が近代化に失敗したなかにあって、日本だけが成功した原因だといいます。

ドラッカー氏

そのドラッカー氏は、マネジメントは、個人、コミュニティ、社会の価値、願望、伝統を生産的なものとしなければならないし、もしマネジメントが、それぞれの国に特有の文化を生かすことに成功しなければ、世界の真の発展は望みえないとしています。米国をはじめ、西欧諸国はこれを怠ってきた点は否めません。

そうして、先日もこのブログで述べた通り、ドラッカー氏は、世界は日本に学ばなければならないといいます。ドラッカー氏に言わせれば、今世界は、世界的な規模において、明治維新の必要に直面しているといいます。それは、中国も例外ではありません。いやむしろ中国こそ必要です。

そうして、実は米国など西欧諸国もそうなのだと思います。無論現代日本もそうです。

中国との対立においては、日本や欧米諸国が中国に一方的に要求をつきつけるだけではなく、中国への要求とともに、日米欧も明治維新に匹敵するような変革が必要なのです。ただし、もちろん現在行われている中国の人権侵害を容認しろなどとは言ってはいません。これは、ただちにやめるように中国に伝えるべきですし、それに対して制裁もすべきです。ただ、それだけで終わらせるなと言っているのです。

中国、欧米、日本の文明は、それぞれの文化の基礎となっています。各々の社会のコミュニティーの伝統と独自の価値観を活かす形で、新たな社会を構築しなおさなければならないのです。これをもって、中国に日本や西欧が迎合するというのではありません。中国に厳しい要求をつきつける一方で我々自身が変わることがなければ、「文明の衝突」は避けられないと言っているのです。

そうでなければ、中国と欧米の文明の衝突はこれから終わり見えない果てしない戦いになるでしょう。「文明の衝突」という考え方を忌避して、米中対立を短期的なものととらえ、短期的な戦略で米中対立を終わらせようとしても、終了しない可能性が大きいです。

先日このブログにも述べたように、楊 海英氏は、中国が変わるには、300年かかるとしています。実際「文明の衝突」を放置しておき、小手先だけの対中国制裁を繰り返せば、300年はかかるかもしれません。中国も頑なにこれに反発し続けてけば、疲弊していくだけです。世界も疲弊していくことになるでしょう。かといって中途半端にしていては、何も変わりません。短期で終わらせようとすれば、世界大戦しかないかもしれません。

しかし、そのようなことは絶対に回避すべきです。そうして、先日も述べたように、「文明の衝突」を避けるための大きなヒントがあるのです。それは、日本史の研究です。

コミュニティの伝統と朝廷を含む独自の価値観を近代社会の成立に生かした日本のあり方を、学ぶべきなのです。無論、日本もそれを当然とするのではなく、「文明の衝突」という観点から見直すべきです。

ドラッカー氏は日本について次のように語っています。
日本は、外国からの影響を自らの経験の一部とする。外国の影響のなかから自らの価値、信条、伝統、目的、関係を強化するものだけを抽出する。その結果は混合ではない。15世紀や18世紀の日本画が示すように、一体化である。これこそが、真に日本に固有の特性である。(『日本 成功の代償』)
ドラッカー氏は、日本は導入した文物を急速に消化し、改善するといいます。筆づかいの巧みさにおいて、15世紀の山水画家・雪舟に肩を並べる者は、中国にはほとんどいません。企業組織と経営技術において、日本の大商社に肩を並べうる企業も、欧米にはほとんどないとしてます。

その日本が、仏教と中国の文物が洪水となって入ってきた6世紀、世界に門戸を開いた19世紀を超えるスケールで、外の世界と一体化しつつあるとしています。

ドラッカー氏は、日本が今後とも、外国の非日本的な文化、行動、倫理、美意識を吸収し、日本的なものに変えていくことを期待するとしています。

歴史上、ほとんどあらゆる非西洋の国が、自らの西洋化を試みて失敗しました。ところが日本は、明治維新では、西洋化を試みませんでした。ドラッカー氏は「日本が行なったのは西洋の日本化だった」と言います。だから成功したのです。
私は、日本が歴史上繰り返し行ってきたことを再び行うよう望む。今日世界は、近代的であると同時に際立って非西洋的な文化を必要とする。世界は、ニューヨークまがいやロサンゼルスまがい、あるいはフランクフルトまがいの日本ではなく、日本的な日本を必要とする。(『日本 成功の代償』)
経営学大家であるドラッカー氏は、日本の明治維新を賞賛し、日本は全体的なコンセンサスがとれた場合は一夜にして変わることができるとしていました。

日本がどのようにして西洋文明に対処すべく明治維新においてコミュニティの伝統と朝廷を含む独自の価値観を近代社会の成立に活かすことができたのか、それも西欧の革命と比較すれば、はるかに犠牲が少なく、無血革命とでもいえる大イノベーション一夜にしてなしとげることができたのか、まずは私達自身が学び、中国等との対応に役立てていくべきです。

いずれにせよ、日本も欧米も、中国も、その他の文明圏の国々も、一方的に自分の価値観を押し付けるだけでは何も解決しないことだけは確かです。

2021年6月25日金曜日

宮内庁長官発言の波紋 天皇陛下の五輪受け止めに「開催が感染拡大につながらないか…ご心配であると『拝察』」 八木氏「表に出してはいけない言葉」 ―【私の論評】勅を捏造する者共は朝敵(゚д゚)!


東京五輪モニュメント

 宮内庁の西村泰彦長官が24日の定例会見で、コロナ禍での東京五輪・パラリンピックをめぐる天皇陛下の受け止めについて、「開催が感染拡大につながらないかご懸念されている、ご心配であると『拝察』しています」と述べたことが波紋を広げている。天皇陛下は憲法上、政治的発言ができないが、西村氏の発言がさまざまな影響力を及ぼしかねないからだ。

 「宮内庁長官自身の考え方を述べられたと承知している」「安全、安心な環境確保を最優先に、準備を着実に進めていきたい」

 加藤勝信官房長官は24日の記者会見で、こう語った。

 東京五輪・パラリンピック組織委員会の武藤敏郎事務総長も同日、「国民、都民の不安がない安全、安心な大会を開催することが責務。その実現に向けて最善を尽くしたい」と述べた。ともに沈静化を図ったようだ。

 天皇陛下は、東京五輪・パラリンピックの名誉総裁に就任されており、それぞれの開会式で開会宣言をされる方向で調整が進められている。

 こうしたなかで、西村氏の発言が飛び出した。

 西村氏は会見で、「陛下から直接そういうお言葉を聞いたことはありません」「日々、陛下とお話しするなかで私が、肌感覚として受け止めているということです」「感染が拡大するような事態にならないよう、組織委員会をはじめ、関係機関が連携して感染防止に万全を期してほしい」と説明したが、ネット上では、五輪中止派が発言を「錦の御旗」のように取り上げている。

西村泰彦宮内庁長官

 西村氏は警視総監を務めた元警察官僚で、内閣危機管理監や宮内庁次長を経て、2019年に宮内庁長官に就任した。

 冷静で手堅い官僚というイメージだが、西村氏は4月、秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまの婚約内定相手、小室圭さんが、母親と元婚約者の男性との「金銭トラブル」について、代理人を通じて計28枚もの文書を発表した際、「非常に丁寧に説明されているという印象だ」と評価する発言をし、多くの国民は首をかしげた。

 今回の西村氏の発言をどうみるか。

 皇室事情に詳しい麗澤大学の八木秀次教授は「憲法上、天皇陛下は国民全体を超越してまとめられ、統合するお立場である。西村氏の発言は『皇室を代表した発言』と受け取られかねない。五輪を中止に追い込みたい人々は必ず政治利用するだろう。敵と味方をつくることにもなりかねない。これは陛下のお立場として望ましくない。『拝察』発言は表に出してはいけない言葉だったのではないか」と語っている。

【私の論評】勅を捏造する者共は朝敵(゚д゚)!

麻生太郎財務大臣は、以下のように発言しています。今回の出来事は、これに尽きます。

 これは、西村泰彦氏の単なる、自分の感想であつて、それ以下でも以上でもありません。

宮内庁長官が勝手に陛下の思いを拝察するわけがありません。拝察という言葉あったのかもしれませんが、それはまた別の意味で語っていた可能性もあります。

西村長官「天皇陛下が、五輪の開催が感染拡大に繋がらないかご懸念されている」としたあとで、「ただ陛下から直接そういうお言葉を聞いたことはありません。そこは誤解ないようにお願いします」等と語ったようですが、これは苦しいいいわけです。

「陛下は五輪開催を懸念しているはず。だから、陛下のご意向を無視するな。五輪中止しろ」とは、思い込みに立脚した詭弁であるだけでなく、天皇陛下の政治利用そのものです。

そもそも、西村泰彦氏の発言そのものの動画も、記録も存在しません。宮内庁のホームページを閲覧しても現時点では掲載されていません。マスコミは西村氏の発言を脚色し自分の都合良いようにつくりかえて、報道しているとしか思えません。

マスコミ・左翼は自分のイデオロギーのためなら何でも利用し、挙げ句の果に宮内庁長官の発言まで利用するという己のさもしさを恥じるべきです。

ただ、西村泰彦氏もなんらかの形で誤解を招くような発言をしたのかもしれません。そうだとすれば、とんでもないことです。結果として、勅を捏造したことになりかねません。そもそも、宮内庁とは、皇室が政治も含めて他の目的に利用されないように監視する機関であり、そこの長たるものがこのようなことをするは許されることではありません。

宮内庁庁舎

これが、政治利用されてしまえば、とんでもないことになることを西村泰彦氏は良く理解していないのかもしれません。

天皇発言の政治利用は現在でもかなり危険なことです。たとえば、終戦後のGHQ「何で日本兵はあんなに粛々と武装解除できたんだ考えられない」質問に対して、ある日本人が応えています。「承詔必謹、当然だです」。

十七条憲法 の中の第三条 に「承詔必謹」という条文があります。

これは、文字通り「詔(みことのり)を承れば必ず謹(つつし)めという意味です。そうして、十七条憲法自体、天皇(当時は大王)の名において出された勅です。

勅や詔は勅や詔でないと取り消しできません、そのため、十七条憲法は、終戦時はおろか現代でも有効なのです。なぜなら、現在にいたるまで、いずれの天皇もこれに対して廃止するとか、改変するとの勅を出していないからです。

十七条の憲法は『日本書紀』に記載がある

古来よりどのような戦であっても日本国内では朝敵になった方がほんんど負けます。それどころか、その軍勢に協力した勢力も朝敵になってしまいます。一度朝敵になってしまえば、天皇自らの「許し」の勅がでなければ、いつまでたっても、百年たとうが千年たとうが朝敵です。

それぐらい日本人にとては大事なのが天皇による勅や詔なのです。

政府が「コロナを蔓延させないために、自粛してください」といっても言うこと聞かない人もいまずが、実際にはあり得ないことですが、陛下が「自粛してむください」勅を下せばたいがいの人は従います。

そんなときに、フラフラ出歩けば朝敵になってしまうからです。誰でもなりたくないのです。そんな理屈もわからない馬鹿者も最近では大勢でてきてはいますが、まともな家系ではいまでもそうです。一度「朝敵」と天皇が勅を出してしまえば、その後天皇による勅許がない限り「朝敵」です。まともな家系の人々はそれを恐るのです。

これに関して、源頼朝「天皇に逆らう者、この日の本に居場所無し」と言いました。現在ではそこまでにはなりませんが、それにしても、天皇の朝敵という汚名は、代々続くことになります。

宮内庁長官が、意図的に勅を捏造したというというのなら、これは大罪です。世が世なら打ち首獄門不可避です。切腹もさせてもらえないでしょう。西村家は、閉門蟄居となるでしょう。

現在ではそのようなことはなくなりましたが、勅の捏造はそれだけ罪深いことであることを多くの人が肝に命ずるべきです。

ちなみに日教組が目の敵にして存在を消したい教育勅語も取り消しの勅はないので今でも有効です。

教育勅語にあるように、孝行しましょう、精進しましょう、努力して社会貢献しましょう、このような当たり前のことが書いてある「教育勅語」を目の敵にする精神が全くもってりかいできません。

教育勅語にある「万機公論に決すべし」も有効です。だとすれば、国会審議を度々拒否する野党も朝敵です。そうして、共産党は皇室打倒を堂々と党の方針に謳ってる隠してない公然の朝敵です。

今の日本では、朝敵なる言葉は死語に近いものがありますし、朝敵になるようなことをしたからといって、厳罰が下るということはありませんが、それにしても、天皇の存在をないがしろにする人が、この日本では長期間にわたって良い目をみることはないでしょう。

そういう人たちは、結局大金持ちになっても、多くの名誉を得ることができたとしても、精神的な安定は得られず、結果として不幸な人生を歩むことになると思います。

石平手記「天皇陛下は無私だからこそ無敵」―【私の論評】知っておくべき、これからも私達が天皇とともに歩み、「世界史の奇跡」を更新し続けるワケ(゚д゚)!

【主張】天皇誕生日 令和の「行幸」国民の力に―【私の論評】全体主義とは対局にある日本の天皇、天皇弥栄(゚д゚)!

2021年6月24日木曜日

米国の対中〝戦略的競争〟には戦略が足りない―【私の論評】米中対立は「文明の衝突」なのか?そうであれば、日本史の研究が米国の対中戦略立案に役立つ(゚д゚)!

米国の対中〝戦略的競争〟には戦略が足りない

岡崎研究所

 6月4日付のワシントン・ポスト紙で、同紙コラムニストでCNNの政治アナリストのジョシュ・ロウギンが、米政府の誰もが、中国との戦略的競争が米外交政策の最も重要な問題であることに合意しているようだが、この問題にどう対処すべきかについては合意が無いようである、と述べている。


 最近アメリカでは、米中関係について、香港情勢や新疆ウイグル地区での虐待などに関心が高まっている。米政府関係者の間でも、中国との戦略的競争が米外交政策の最も重要な問題であるとのコンセンサスができているようである。

 この背景にあるのが、戦略的競争で中国に押されているという危機感である。この危機感の内容としては、1)中国共産党は冷戦以来見られなかったような水準で、米国の知的財産権の盗用と米国におけるスパイ活動を行っている、2)中国の長期的な戦略的競争にいかに対処すべきかの議論はもっと早く始めるべきであった、3)議会は中国の挑戦に直接焦点を当てた法案を通すべきである、といったものがある。

 しかし、このような危機感の共有にもかかわらず、この問題にどう対処すべきかについては合意が無いようであるとの指摘がされている。ロウギンの論説はこの点を説明している。その一つが、議会に提案された「米国革新・競争法」であり、本来中国との戦略的競争にいかに対処すべきかが法案の趣旨であるべきところ、実際には半導体対策に焦点が当てられているという。確かに半導体は米国が最近中国に遅れをとっている戦略物資であり、大きな課題ではあるが、専ら半導体対策に重点が置かれ、その背景にある中国との戦略的競争にいかに対処すべきかについて重点が置かれていないのは問題である。米政府が中国との戦略的競争が米外交政策の最も重要な問題であると言っておきながら、それに対する政策を掘り下げて議論していないというのでは、危機感がどれほど深刻なものかを問わざるを得ない。

 ただ、中国との戦略的競争にいかに対処すべきであるかについて、米国内が機能不全に陥っているというのはいささか言い過ぎの感じがする。

 現に、ロウギンの論説でも触れられた「米国革新・競争法」(通称「エンドレス・フロンティア法案」)は、6月8日、米上院で、賛成68、反対32で可決された。丁度、バイデン大統領が、初の外遊としてG7サミットやNATO首脳会議のため訪欧に出発する前日である。同法案は、安全保障とも密接に関係する次世代通信網や半導体、AI(人工知能)等に、5年間で2500億ドル(約27兆円)という巨額の予算を投じることを可能とするものである。日本を含む同盟諸国との連携強化も視野に入れている。ロウギンは、この法案が下院に行くと骨抜きにされてしまうのではないかと懸念しているようであるが、そういう論説が出ることによって、下院での審議を後押しすることになるかもしれない。いずれにせよ、米国経済を強固なものにすることに反対する議員はいないだろうから、「米国革新・競争法」は、バイデン政権の政策を支える重要な法案として、いずれ成立するだろう。それは、超党派で一致している、中国の挑戦に対抗する手段の一つには成り得よう。

【私の論評】米中対立は「文明の衝突」なのか?そうであれば、日本史研究が米対中戦略立案に役立つ(゚д゚)!

米国の対中戦略はすでに、定められていようではありますが、著者が伏せられているなどて、あまり普及していないようです。それについては、以前このブログにも掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
習近平も青ざめる…中国共産党「内部崩壊」を指摘した“ヤバすぎる論文”の内容―【私の論評】日本は、アジアにおいて強い存在感を示し、対中政策に関しては米国を牽引していくくらいのリーダーシップを発揮すべき(゚д゚)!


これは、今年2月19日の記事です。 詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事の元記事より一部を以下に引用します。
匿名の筆者が米国の対中戦略を提言した1本の報告書が、世界で大反響を巻き起こしている。米国は「中国共産党ではなく、党内で批判勢力との亀裂を深める習近平総書記に攻撃の的を絞るべきだ」と主張しているのだ。中国は当然、猛反発した。米国はどうするのか。
「より長い電報:米国の新たな対中戦略に向けて」と題された報告書は1月28日、米国の超党派シンクタンクである大西洋評議会から発表された(https://www.atlanticcouncil.org/content-series/atlantic-council-strategy-paper-series/the-longer-telegram/)。本文は85ページ。プロでなければ書けないような図表(別掲)と詳細な注釈付きだ。
この表題を見て、ピンときた読者も少なくないだろう。

このタイトルは米国の外交官、故・ジョージ・ケナンが1946年、国務省に送った「長い電報」から援用している。ケナンは電報でソ連に対する「封じ込め戦略」を提唱し、その後の米ソ冷戦を戦う外交政策の基礎を作った。今回の「より長い電報」は、米中新冷戦での対中戦略を提言している。

同じ論文の要約版も同日、米国の政治メディア「ポリティコ」に掲載された(https://www.politico.com/news/magazine/2021/01/28/china-foreign-policy-long-telegram-anonymous-463120)。こちらも匿名である。ただ、タイトルは「中国の台頭に対抗するために、米国は習氏に焦点を当てよ」と、より刺激的だ。

筆者は不明だが、ポリティコの紹介文によれば「中国問題を扱うのに、十分な専門性と経験を持つ元政府高官」とされている。実名を明かせば、外交サークルでは、だれもが知る人物かもしれない。現実の米中外交に悪影響を及ぼすのを懸念した可能性もある。
この報告書の内容に関して詳細は、この記事をご覧いただくものとして、ざっくり言いますと、習氏と不満分子との亀裂を深めて、習氏を権力の座から退場させる。そして、あわよくば、米国と良好な関係を築ける穏健な後継者の登場を促そう、としています。ターゲットは中国共産党ではなく。習氏その人なのです。

ジョージ・ケナンの論文は、当時「X論文」と呼ばれました、今回の著者不明のこの論文は米国内では「第2のX論文」とも呼ばれています。

この論文に関して、私自身は、キロン・スキャナー氏によるものではないかと推測しましたが、彼女の経歴などをみると、「大西洋評議会」に属していたこともなく、現在も関係はありません。おそらく、彼女ではないのでしょう。

そもそも、キロン・スキャナー氏は中国との対峙を、「文明の衝突」の観点から捉えています。この観点からとらえると、習近平が失脚して、他の指導者になったとしても中国は変わらないということになります。こうした主張をする彼女が、習近平個人を権力の座から落とす戦略を主張することはないと考えられます。

キロン・スキナー氏

この見方に関しては、いわゆるモンゴル人で現在日本人に帰化している人で主張している人もいます。それは、楊海英氏です。楊海英氏は、最近『中国の暴虐』という鼎談(櫻井よしこ (著), 楊逸 (著), 楊海英)の内容の書籍を出しています。

楊 海英(よう かいえい、ヤン・ハイイン、1964年(昭和39年)9月15日 - )は、内モンゴル(南モンゴル)出身の文化人類学、歴史人類学者。静岡大学人文社会科学部教授。モンゴル名はオーノス・チョクト、帰化後の日本名は大野旭(おおの あきら)。楊海英は中国名のペンネームです。

楊 逸(ヤン イー、本名:劉 莜(りゅう・ちょう、「ちょう」は草冠に「攸」)、1964年6月18日 - )は、日本の小説家です。中国ハルビン市出身。2008年、「時が滲む朝」で第139回芥川賞受賞。中国籍(当時)の作家として、また日本語以外の言語を母語とする作家として史上初めての受賞となりました。2012年ごろ、日本国籍を取得しています。

この内容については、この書籍、興味のある方は是非読んで頂くものとして、ざっくりいうと、中国共産党が崩壊しても中国は変わらないということが書かれています。なぜなら、中国の暴虐ぶりは、文化や、文明などによるものであるので、変わりようがないというのです。

たとえ中国共産党が倒れて、支配されている民族が独立しようとも、それは決して明るい未来を約束するものではないのです。モンゴル国、ウイグル国、チベット国などという国を立ちあげたところで、その国で各々の民族が考える民主的な政治を行えばどうなるでしょうか。すぐに多数派となった漢民族の思い通りの政治が行われるのです。その中でむしろ異民族は今よりもっと酷い形で弾圧され虐殺されかねないのです。

私たち日本人は中国共産党の独裁体制が崩れて、彼らが晴れて独立することがバラ色の最善の道である、と単純にそう思っていますが、実際には事はそんな単純なものではなく、よくよく考えてみれば、独立しても悲劇が待ち構えてることが容易に想像されるのであって、それはすでに遅きに失していると彼らは口を揃えています。

楊 海英氏は、この書籍を話題とした動画に出演しています。その動画を下に掲載します。


楊 海英自身は、現在の中国の暴虐性を文明によるものとは直接は言っていませんが、結局それを意味していることを語っています。中国が変わるには、300年かかるという言葉がそれを雄弁に物語っています。

楊 海英氏が語っていることが事実だとすれば、「第2のX論文」では中国を変えられないことになります。

やはり、キロン・スキャナー氏のように中国との対峙を、「文明の衝突」の観点から捉える必要があることになります。

トランプ政権のときの、米国務省のキロン・スキナー政策企画局長は、「中国を念頭に置いた『X書簡』のような、深遠で広範囲にまたがる対中取り組みを検討中」だとされていました。

私自身は、この試みは、トランプ政権終了後もスキナー氏などによって何らかの形で、継承されていていずれ公表されるのではないかと思っています。

深遠で広範囲にまたがる対中取り組みということばからも想像できるように、習近平を失脚させるというようなものではなく、かなり奥まで踏み込んだものであると考えられます。

これが、本当の意味での米国の中国戦略になる可能性もあります。

ただ、中国問題は習氏と不満分子との亀裂を深めて、習氏を権力の座から退場させ米国と良好な関係を築ける穏健な後継者を登場させることで解決するような単純なものではなく「文明の衝突」という観点から見るべきように思われる一方で、中国共産党の非常にわかり易い行動をみていると、それで中国問題が解決するようにも思えます。

この状況では、冒頭の記事での「中国との戦略的競争にいかに対処すべきであるかについて、米国内が機能不全に陥っている」とのジョシュ・ロウギンの見方は正しくもあり、間違いでもあるということになります。

こういう場合には、演繹的な手法と、帰納的な手法を組み合わせて考えていくしかないようにも思われます。前者は物事の原理を追求し、後者は事例から逆算するものです。

まずは、キロン・スキャナー氏のように米国と中国の対峙を「文明の衝突」という観点から見るために長期戦略を練ることです。これには、まだ時間を要することでしょう、何しろ考慮すべきこと、読むべき文献も膨大なものになります。今後少なくとも2年〜3年の時間を要すると思います。それでも、ようやっと原型が作れるだけかもしれません。

一方これとは、別にその時々で、「米国革新・競争法」などを実際に施行して、中国共産党がどのような反応をするのか、これ以外にも効果があるとみられる方法をいくつかやってみて、それに対して中国共産党がどのような反応をするかによって、中国共産党の真の姿をあぶり出していくのです。その中には、無論習近平の失脚も含む場合もありえると思います。

さらに、この帰納的手法によって得た結果を演繹的な手法で作成する戦略にフィードバックしていくのです。このフィードバックにより、米中対立が「文明の衝突」の次元か、そうではないかあるいはどれくらいの比重を占めるのかを見極めて、戦略が定まれば、その線でどんどん戦術を繰り出すようにするべきと思います。

このようなことが行われていないので、一抹の不安を感じたジョシュ・ロウギンが、米政府の誰もが、中国との戦略的競争が米外交政策の最も重要な問題であることに合意しているようだが、この問題にどう対処すべきかについては合意が無いようである、と述べたのでしょう。

実際、米中の対立が「文明の衝突」という深い次元のものであった場合、米国の繰り出す様座な戦術はあまり効果を上げることなく失敗することになり、それを予期していない場合は、泥沼化する可能性があります。

ただ、そもそも文明の衝突とは言っても、それはどの次元で衝突しているのか、それを特定できたとして、それをどのように回避するのか、あるいは、その部分は中国が従わざるを得ないようにするのか。

そのヒントは意外と身近なところにあります。それは、日本です。

経営学の大家ドラッカー氏は、マネジメントは、個人、コミュニティ、社会の価値、願望、伝統を生産的なものとしなければならないし、もしマネジメントが、それぞれの国に特有の文化を生かすことに成功しなければ、世界の真の発展は望みえないとしています。

ここでドラッカーは、世界は日本に学ばなければならないといいます。ドラッカーに言わせれば、今世界は、世界的な規模において、明治維新の必要に直面しているといいます。それは、中国も例外ではありません。いやむしろ中国こそ必要です。

ドラッカーは、コミュニティの伝統と朝廷を含む独自の価値観を近代社会の成立に生かしたことこそ、他の非西欧諸国が近代化に失敗したなかにあって、日本だけが成功(発展途上国から先進国になったということ)した原因だといいます。

このように考えると「文明の衝突」を回避することは相当難しいのです。米国が一方的に中国にすべてを変えることを要求してもうまくいきませんし、一方中国が頑なに何も変えないと言い張っても何もうまくはいきません。

中国は王朝がコロコロ変わる易姓革命を繰り返したため、天皇のような国家の中核存在を持つことができませんでした。維新の革命者が孫文のように共和主義を掲げ、朝廷を廃止していたならば、日本も中国と同じように、無秩序と混乱に陥っていたことでしょう。

中国の無秩序と混乱を終わらせるためには、多少の荒療治も必要でしょうが、それにしても無秩序な荒療治はかえて混乱を招くだけです。

スキナー氏のように「文明の衝突」の次元で、戦略を考える人は是非日本史を研究していただきたいものです。

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