左からケネディー大使、バイデン氏、皇太子殿下(当時) |
バイデン政権の対中政策については大統領選中、バイデン氏が「親中」なので、トランプ政権のものを全てひっくり返すとの観測もあった。具体的には、自身が副大統領を務めたオバマ政権のような対話路線になるというものだ。
これまでのところ、そうした極端な見方は正しくなかったが、トランプ政権を完全に継承したかといえばそうでもない。継続しつつ、一部修正しているというところだ。
少し考えれば当たり前だが、米国の政権は継続しているので、一夜にして大転換というのは考えにくい。修正は徐々に行うものであるが、事前に予想されていたほどには修正が少ないというところだろう。
主要7カ国(G7)首脳会議や北大西洋条約機構(NATO)の首脳会議で分かったことは、バイデン政権は同盟国とともに対中戦略を立てるという大方針だ。この点が、米国一国で対中戦略を行っていたトランプ政権との違いといってもいい。
バイデン政権が今後、現状の対中戦略の方針を大きく変更するかといえば、筆者にはそう思えない。米国一国ではなく、同盟国を巻き込んだものとなっているので、その信頼を失わないためにも、さすがに手のひら返しは難しいだろう。
その背景には、本コラムでも紹介したように、経済安全保障に基づく考え方があるのだと思う。つまり、米中両国間では当面、物理的な軍事衝突は考えにくいが、その前に経済を「武器」にした争いがあるからだ。なお、サイバー空間での前哨戦は既に始まっていると思った方がいい。
米国が中国製品を排除することになるとどうなるか。今の工業製品は、中間財を世界各国に依存するなどサプライチェーン(流通網)が複雑なので、中国製品を排除しても中国が直接打撃を受けるとは限らない。しかし、長期的には対中ビジネスのリスクが顕在化するので、中国へ中間財を輸出している企業が供給停止することも含めて、中国にとって打撃となるのは間違いないだろう。
一方、どこが相対的に有利になるかといえば、韓国や台湾だろう。その意味で、バイデン政権の目指す同盟重視にも長期的にはつながる。
経済安全保障の観点からも、長期的には台湾をも利することになるので説得的だ。なお、安全保障から、台湾を中国の一部ではなく、「同盟国」としてみるという点とも、米国市場からの中国製品排除政策は整合的だ。(元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)
【私の論評】米中対立は「文明の衝突」なのか?そうであれば、日本史の研究が米国の対中戦略立案に役立つ【その2】(゚д゚)!
バイデン政権は外交、軍事、経済政策の基本方針となる「国家安全保障戦略」を今年後半に発表します。3月3日には、その策定に向けた指針を公表しました。注目される中国に関する記述では、「攻撃的かつ威圧的に振る舞い、国際システムの中核をなすルールや価値観を弱体化させている」と中国を強く批判しました。
さらに、「経済、外交、軍事、先端技術の力を組み合わせ、安定的で開かれた国際システムに対抗しうる唯一の競争相手だ」とも指摘しています。バイデン政権は、地球温暖化対策などでは中国との連携を探りますが、人権問題、安全保障問題などでは、日本などの同盟国との連携を強化したうえで、対中強硬姿勢をとっています。
同じ日に演説を行ったブリンケン米国務長官は、中国について、「安定的で開かれた国際秩序に本格的に挑戦する力を有する唯一の国だ」と指摘したうえで、中国との関係を「21世紀における最大の地政学的な試練」と位置づけています。
同じ日に演説を行ったブリンケン米国務長官は、中国について、「安定的で開かれた国際秩序に本格的に挑戦する力を有する唯一の国だ」と指摘したうえで、中国との関係を「21世紀における最大の地政学的な試練」と位置づけています。
また、新疆(しんきょう)ウイグル自治区でのイスラム教徒少数民族への人権侵害や、香港の民主派弾圧に立ち向かい、民主主義や人権重視などの価値観を擁護していく必要があるとしました。
米中の対立は、価値観とそれに立脚する体制を巡る争いの様相を強めている。そして米国内では、中国は価値観を共有できない国、との認識が国民の間で強まっている可能性があるのではないか。ここで思い起こされるのは、2019年に米国務省の高官が米中対立について示した、「文明の衝突」論です。
「文明の衝突」とは、米国の国際政治学者のサミュエル・ハンティントンが1996年に表した著作「文明の衝突と国際秩序の再構築(The Clash of Civilizations And the Remaking of World Order)」で提唱した理論体系です(日本語版の書名は「文明の衝突」)。冷戦後の世界では、異なるイデオロギーではなく異なる文明が対立軸になる、と主張されています。
2019年4月に米国で開かれたシンポジウムで米国務省のキロン・スキナー政策企画局長は、「中国は米国にとって初めての異なるイデオロギーを掲げる強大なライバルであり、米国は非白人国家である中国との『文明の衝突』に備えるべきだ」と発言しました。
米中の対立は、価値観とそれに立脚する体制を巡る争いの様相を強めている。そして米国内では、中国は価値観を共有できない国、との認識が国民の間で強まっている可能性があるのではないか。ここで思い起こされるのは、2019年に米国務省の高官が米中対立について示した、「文明の衝突」論です。
「文明の衝突」とは、米国の国際政治学者のサミュエル・ハンティントンが1996年に表した著作「文明の衝突と国際秩序の再構築(The Clash of Civilizations And the Remaking of World Order)」で提唱した理論体系です(日本語版の書名は「文明の衝突」)。冷戦後の世界では、異なるイデオロギーではなく異なる文明が対立軸になる、と主張されています。
2019年4月に米国で開かれたシンポジウムで米国務省のキロン・スキナー政策企画局長は、「中国は米国にとって初めての異なるイデオロギーを掲げる強大なライバルであり、米国は非白人国家である中国との『文明の衝突』に備えるべきだ」と発言しました。
キロン・スキナー氏 |
中国共産党機関紙・人民日報のニュースサイトである人民網は、この発言を、人種主義色の濃い対中文明衝突論であり、スキナー氏は米国の対中関係に、センセーショナルな「文明の衝突」のレッテルを貼ろうとしている、と強く批判しました。
批判は米国内でも高まった。ワシントン・ポスト紙は、「中国は白人の国でないという理由で、米国は『文明の衝突』を企てている。これは危険だ」とする表題の論説文の中で、「中国人が白人でないがゆえに『文明の衝突』が起こるとする議論には欠陥があり、非常に危険だ」と論じています。
スキナー氏の主張の不正確さも、また、批判の対象となりました。スキナー氏は、「中国との対立は、米国が今まで経験したことのない、異なる文明、異なるイデオロギーとの闘いだ」、「冷戦は西洋諸国(Western Family)の間での戦いだったが、中国は西側の思想、歴史から産まれたものではない。米国は白人以外と初めての大きな対立を経験しようとしている」と発言しています。
これに対してワシントン・ポスト紙の論説は、異なるイデオロギーとの対立は既に米国は経験している、と反論しています。その第1は、第2次世界大戦時のドイツのナチズムとの対立だ。そして第2は、冷戦下でのソ連との対立だ。加えて、ソ連を西側あるいは欧州の国と捉えるのは誤っている、としています。
さらに、スキナー氏が「中国人が白人でない」としていることで、同氏が本当に主張したいのは、文明でもイデオロギーでもなく、人種の違いなのだということを露呈している、ともこの論説は述べています。しかし、第2次世界大戦時に米国は非白人国の日本と戦争をしたことを思い返せば、これについても事実誤認だ、としています。
スキナー氏の発言が、「米国が、中国は人種的に異なる国という考えを軸にして外交政策を行う」ことを意味するもの、と理解されれば、中国は国際社会で人種差別を受けると当然考えるでしょう。そして、国際秩序は不公正であり、中国の居場所がなくなります。そのように考えたら、中国の強硬派はより過激な外交政策を行うようになる、と論説は強く批判しています。
また、米中対立を「文明の衝突」と捉える解釈は、「普遍的価値に基づいていると今まで説明してきた、米国の外交政策の基調を大きく損ねてしまう」との指摘も米国では出されたのです。
米通信社のブルームバーグの記事は、「米国の外交政策の基調である、民主主義的価値と人権は、西洋諸国に限るものではなく人類全体の普遍的な価値である、ということを米国は長く主張してきました。それは、権威主義的な政権を攻撃する際にしばしば用いられてきたレトリックです。例えば、冷戦下でのソ連を攻撃する際などです。しかし、スキナー氏の発言はそうした主張の正当性を突き崩してしまった」としています。
さらに、「このことは、中国が現在の政治体制維持を正当化する根拠を与えてしまう」とも、この記事は指摘しています。米国あるいは西洋社会が主張する民主主義的価値と人権は、西洋社会の概念であり、中国文明の伝統と比較することはできない、と中国は主張してきたのです。「文明の衝突」は、こうした中国の主張を助けるものとなり、米国が求める政治の民主化を拒む根拠を中国政府に与えてしまう、と指摘しています。
また、中国は長らく、世界を文明で東西2つに分けるべきだ、と主張してきたと言われます。そうして、共通の文明を持つアジアから異なる文明の米国は手を引き、中国にアジアを支配するように働きかけてきた、とも言われています。スキナー氏の発言は、そうした中国の志向や行動を正当化してしまうだろうというのです。また、中国が、アジアの他の国々を自らの影響下に取り込んでいくことを助けてしまう、とブルームバーグの記事は指摘しています。
また、米中対立を「文明の衝突」と捉える解釈は、「普遍的価値に基づいていると今まで説明してきた、米国の外交政策の基調を大きく損ねてしまう」との指摘も米国では出されたのです。
米通信社のブルームバーグの記事は、「米国の外交政策の基調である、民主主義的価値と人権は、西洋諸国に限るものではなく人類全体の普遍的な価値である、ということを米国は長く主張してきました。それは、権威主義的な政権を攻撃する際にしばしば用いられてきたレトリックです。例えば、冷戦下でのソ連を攻撃する際などです。しかし、スキナー氏の発言はそうした主張の正当性を突き崩してしまった」としています。
さらに、「このことは、中国が現在の政治体制維持を正当化する根拠を与えてしまう」とも、この記事は指摘しています。米国あるいは西洋社会が主張する民主主義的価値と人権は、西洋社会の概念であり、中国文明の伝統と比較することはできない、と中国は主張してきたのです。「文明の衝突」は、こうした中国の主張を助けるものとなり、米国が求める政治の民主化を拒む根拠を中国政府に与えてしまう、と指摘しています。
また、中国は長らく、世界を文明で東西2つに分けるべきだ、と主張してきたと言われます。そうして、共通の文明を持つアジアから異なる文明の米国は手を引き、中国にアジアを支配するように働きかけてきた、とも言われています。スキナー氏の発言は、そうした中国の志向や行動を正当化してしまうだろうというのです。また、中国が、アジアの他の国々を自らの影響下に取り込んでいくことを助けてしまう、とブルームバーグの記事は指摘しています。
世界は2つの文明に分けられるほど単純ではない |
仮に、中国がそのような展望を抱いているとすれば、それは日本としても当然看過できないことです。他方、スキナー氏の発言にも、世界が東西の文明で2分されることを正当化する要素が含意されており、非常に危険であると言えるでしょう。
そうして、ここで思い出すべき重要なことがあります。それは、『文明の衝突』の文明の分類では、日本は中国の文化圏には入っておらず、日本は日本文化圏という範疇に収まっています。
著者のサミュエル・ハンティントン自身が、後に「最初は、日本も中国文明の大きな影響を受けているので、中国文明に入れようと考えたのだが、調べれば、調べるほど日本はユニークであり、日本は日本文明圏にあるとした」と述懐しています。
この点が米国では、すっかり忘れ去られています。スキナー氏の主張にもこれが出てこないし、ワシントン・ポストなどのメデイアの論調もそうでし、中国もそうです。日本文明があるにもかかわらず、世界が東西の文明で2分されることを正当化などとして、日本文明の存在を無視しています。中等やアフリカも無視しています。
なぜそうなのでしょうか。日米が現在は互いに重要な同盟国同士であり、現在では価値観を同じくしている部分が大きいので、遠慮しているという部分もあるかもしれません。
しかし「文明の衝突」という次元で過去の日米の戦いやその後の日米関係を論じていくと、米国にとっては不都合なことがかなり出てくるということもあるのではないでしょうか。それにしても、文明を東西2つに分類するのはあまりに乱暴です。
先日も述べたように、経済学の大家ドラッカー氏は、コミュニティの伝統と朝廷を含む独自の価値観を近代社会の成立に生かしたことこそ、他の非西欧諸国が近代化に失敗したなかにあって、日本だけが成功した原因だといいます。
そのドラッカー氏は、マネジメントは、個人、コミュニティ、社会の価値、願望、伝統を生産的なものとしなければならないし、もしマネジメントが、それぞれの国に特有の文化を生かすことに成功しなければ、世界の真の発展は望みえないとしています。米国をはじめ、西欧諸国はこれを怠ってきた点は否めません。
そうして、先日もこのブログで述べた通り、ドラッカー氏は、世界は日本に学ばなければならないといいます。ドラッカー氏に言わせれば、今世界は、世界的な規模において、明治維新の必要に直面しているといいます。それは、中国も例外ではありません。いやむしろ中国こそ必要です。
そうして、実は米国など西欧諸国もそうなのだと思います。無論現代日本もそうです。
中国との対立においては、日本や欧米諸国が中国に一方的に要求をつきつけるだけではなく、中国への要求とともに、日米欧も明治維新に匹敵するような変革が必要なのです。ただし、もちろん現在行われている中国の人権侵害を容認しろなどとは言ってはいません。これは、ただちにやめるように中国に伝えるべきですし、それに対して制裁もすべきです。ただ、それだけで終わらせるなと言っているのです。
中国、欧米、日本の文明は、それぞれの文化の基礎となっています。各々の社会のコミュニティーの伝統と独自の価値観を活かす形で、新たな社会を構築しなおさなければならないのです。これをもって、中国に日本や西欧が迎合するというのではありません。中国に厳しい要求をつきつける一方で我々自身が変わることがなければ、「文明の衝突」は避けられないと言っているのです。
先日このブログにも述べたように、楊 海英氏は、中国が変わるには、300年かかるとしています。実際「文明の衝突」を放置しておき、小手先だけの対中国制裁を繰り返せば、300年はかかるかもしれません。中国も頑なにこれに反発し続けてけば、疲弊していくだけです。世界も疲弊していくことになるでしょう。かといって中途半端にしていては、何も変わりません。短期で終わらせようとすれば、世界大戦しかないかもしれません。
しかし、そのようなことは絶対に回避すべきです。そうして、先日も述べたように、「文明の衝突」を避けるための大きなヒントがあるのです。それは、日本史の研究です。
コミュニティの伝統と朝廷を含む独自の価値観を近代社会の成立に生かした日本のあり方を、学ぶべきなのです。無論、日本もそれを当然とするのではなく、「文明の衝突」という観点から見直すべきです。
日本は、外国からの影響を自らの経験の一部とする。外国の影響のなかから自らの価値、信条、伝統、目的、関係を強化するものだけを抽出する。その結果は混合ではない。15世紀や18世紀の日本画が示すように、一体化である。これこそが、真に日本に固有の特性である。(『日本 成功の代償』)ドラッカー氏は、日本は導入した文物を急速に消化し、改善するといいます。筆づかいの巧みさにおいて、15世紀の山水画家・雪舟に肩を並べる者は、中国にはほとんどいません。企業組織と経営技術において、日本の大商社に肩を並べうる企業も、欧米にはほとんどないとしてます。
その日本が、仏教と中国の文物が洪水となって入ってきた6世紀、世界に門戸を開いた19世紀を超えるスケールで、外の世界と一体化しつつあるとしています。
ドラッカー氏は、日本が今後とも、外国の非日本的な文化、行動、倫理、美意識を吸収し、日本的なものに変えていくことを期待するとしています。
歴史上、ほとんどあらゆる非西洋の国が、自らの西洋化を試みて失敗しました。ところが日本は、明治維新では、西洋化を試みませんでした。ドラッカー氏は「日本が行なったのは西洋の日本化だった」と言います。だから成功したのです。
私は、日本が歴史上繰り返し行ってきたことを再び行うよう望む。今日世界は、近代的であると同時に際立って非西洋的な文化を必要とする。世界は、ニューヨークまがいやロサンゼルスまがい、あるいはフランクフルトまがいの日本ではなく、日本的な日本を必要とする。(『日本 成功の代償』)経営学大家であるドラッカー氏は、日本の明治維新を賞賛し、日本は全体的なコンセンサスがとれた場合は一夜にして変わることができるとしていました。
日本がどのようにして西洋文明に対処すべく明治維新においてコミュニティの伝統と朝廷を含む独自の価値観を近代社会の成立に活かすことができたのか、それも西欧の革命と比較すれば、はるかに犠牲が少なく、無血革命とでもいえる大イノベーション一夜にしてなしとげることができたのか、まずは私達自身が学び、中国等との対応に役立てていくべきです。
いずれにせよ、日本も欧米も、中国も、その他の文明圏の国々も、一方的に自分の価値観を押し付けるだけでは何も解決しないことだけは確かです。
0 件のコメント:
コメントを投稿