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岸田文雄首相はひょっとしたら、とんでもない「策士」なのかもしれない。
今年5月19日から21日まで、日本が議長国を務めるG7サミット(先進7カ国首脳会議)が、広島で開催される。なぜ広島開催なのか。
岸田首相は昨年5月23日、ジョー・バイデン米大統領との共同記者会見で、「中国については、最近の中国海軍の活動や、中露両国による共同軍事演習などの動向を注視するとともに、東シナ海や南シナ海における力を背景とした現状変更の試みに強く反対する」と述べたうえで、こう説明している。
「世界が、ウクライナ侵略、大量破壊兵器の使用リスクの高まりという未曽有の危機に直面しているなか、来年のG7サミットでは、武力侵略も核兵器による脅かしも国際秩序の転覆の試みも断固として拒否するというG7の意思を歴史に残る重みをもって示したい」
要は、中国、ロシアなどによる「力による現状変更の試み」「国際秩序の転覆の試み」を断固として拒否する広島サミットにしたいと、その意気込みを述べ、こう付け加えているのだ。
「唯一の戦争被爆国である日本の総理大臣として、私は広島ほど平和へのコミットメントを示すのにふさわしい場所はないと考えています。『核兵器の惨禍を人類が二度と起こさない』との誓いを世界に示し、バイデン大統領をはじめ、G7首脳とともに、平和のモニュメントの前で平和と世界秩序と価値観を守るために結束していくことを確認したい」
広島というと「被爆地」のイメージが強いが、実は日本有数の「軍事拠点」でもあった。
日清戦争の最中である1894年9月には、軍を指揮する「大本営」が、東京から広島に移された。明治天皇も広島城に住まいを移し、東京以外で唯一の国会が開かれ、臨時首都の機能を果たした。広島市郊外の宇品港は日清戦争、日露戦争において朝鮮半島や中国大陸に向かう、兵士や物資の輸送の最前線、つまり後方支援の拠点となった。
ある意味、世界の大国であった清と戦い、打ち破ったときの「軍事拠点」であり、「臨時首都」が広島だったのだ。
ロシアや中国による「国際秩序の転覆の試みも断固として拒否するというG7の意思」を示すうえで、確かに、広島ほどふさわしい場所はないかもしれない。
しかも広島サミットの首脳会議場は「グランドプリンスホテル広島」だ(広島サミット準備会議・第2回会合議事録)。ここは、日清戦争の後方支援の拠点となった宇品港を一望に見渡せる場所にある。
「いまから128年前、日本は大国・清を打ち破ったが、そのときの軍事拠点、臨時首都がここ広島であり、その兵站の拠点が眼下に広がる宇品港だ」
レセプションの席上、岸田首相がこうあいさつをしたら、絶対に歴史に残るスピーチになるのだが…。 =おわり
■江崎道朗(えざき・みちお) 評論家。1962年、東京都生まれ。九州大学卒業後、月刊誌編集や国会議員政策スタッフなどを務め、安全保障やインテリジェンス、近現代史研究などに従事。「江崎塾」を主宰。著書『日本は誰と戦ったのか』(KKベストセラーズ)で2018年、アパ日本再興大賞を受賞、19年はフジサンケイグループの正論新風賞を受賞した。著書・共著に『インテリジェンスで読む日中戦争』(ワニブックス)、『米中ソに翻弄されたアジア史』(扶桑社新書)、『日本の軍事的欠点を敢えて示そう』(かや書房)など多数。
【私の論評】岸田首相は、令和の後白河法皇になるか(゚д゚)!
上の記事では、岸田文雄首相はひょっとしたら、とんでもない「策士」なのかもしれないとしていて、G7の会場選びなどについて言及していますが、それは国内でも発揮されているのかもしれません。
たとえば、林氏を外務大臣にした、岸田氏の内閣人事です。林氏と岸田氏同じ出身派閥(宏池会)であり、岸田氏は総理大臣になってからも、この派閥を抜けていません。岸田氏も林氏も宏池会の中では、有力な政治家であり、岸田氏としては、林氏を入閣させて、側においておくことで、派閥内での勢力拡大を抑止しているものとみられます。これも、一つの「策士」ぶりの発露なのだと思います。
これは、林氏への「位打ち」といえると思います。最近岸田首相は、この位打ちさらなる策士ぶりを発揮しています。それは、林外務大臣に対する位打ちともみられるやり方です。
私は、現代企業の位打ちの実態に何度か遭遇したことがあります。たとえば、昔私はある居酒屋の常連で、ある青年と親しくなって様々な話をするようになったのですが、ある日その青年の会社である人が課長に昇進したというのです。その青年は「あんなヤツがうちの課の課長になるなんて信じられない」と憤っていました。
青年の話を聞いていて、私はこれはひょっとして「位打ち」ではないかと思いました。その青年にその話をして「会社には会社の都合があって、そのような人事をしているのだから、悪口なんていわないで、しばらく様子を見ては?」と話しました。案の定その課長は一年を待たずして、その会社を退社したそうです。マネジメント能力がないのに、それをしなければならない立場に追い込まれたため、能力の限界を感じて自ら辞めたようです。
位打ちとは、昔から日本で用いられてきた手法で、時の権力者が、敵対する新興勢力を自滅させるために、その人物にふさわしくない位階を次々と与えることによって、人格的な平衡感覚を失わせ、自滅させていく手法です。
この「位打ち」の使い手として有名なのが平安時代末期の
後白河法皇で、その対象となった代表格は、平清盛であり源義経です。
岸田首相は、林外務大臣がG20に出席しないことを決めたときには、本来尻を叩いてでも無理にでもいかせるべきだったと思われるのですが、意図的にそうはしなかったのでしょう。これによって、林外相の評判は、自民党内外で地に落ちました。もし、岸田首相が何をさておいても行くべきだと諭していれば、林外務大臣はG20に出席したと思われます。
実際、当初は林外務大臣は出席する意向だったようです。こうして、林外務大臣をG20に出席させないようにしたものの、Quadの会談には出席させ、本格的に日本が外交で不利になることを避けたものとみられます。
さらに、岸田首相は19~21日にインドを訪問し、ナレンドラ・モディ首相と会談する方向で調整に入りました。これは、5月に広島市で開催する先進7か国首脳会議(G7サミット)に向け、主要20か国・地域(G20)議長国のインドと連携を確認する方針です。
G7サミットでは、ウクライナを侵略するロシアへの制裁やウクライナ支援が議題となる見通しです。対露包囲網を形成して圧力をかけるには、G20を構成する多くの新興国との連携が重要となる。このため、広島サミットの前にモディ氏と意見交換しておく必要があると判断したとされています。
首脳会談は20日を予定している。対中国を念頭に置いた「自由で開かれたインド太平洋」の実現に向けた日印の連携のほか、南半球の発展途上国や新興国を中心とする「グローバル・サウス」との協力についても議論する見通しです。
岸田首相は、さらにウクライナに電撃訪問するかもしれません。
これで、岸田首相の林外務大臣に対する、位打ちは、最終段階を迎えたといえます。一連の措置により、林外務大臣の威信は完璧に落ちました。今後は、ただのお飾りになる可能性もでてきました。
これによって、林外務大臣が、宏池会の中で、岸田氏よりも権力を強めるということはなくなったといえます。
身近な政敵を葬った上で、日清戦争の後方支援の拠点となった宇品港を一望に見渡せる「グランドプリンスホテル広島」で、上に記事にもあるようなスピーチをすれば、岸田首相の威信は高まります。
そうして実際にリップサービスだけではなく、中露に対する様々な牽制措置を打ち出した上で、ウクライナに対する支援を行えば、日本の評価、すなわち、岸田首相の評価も否が応でも高まります。
このような、岸田首相とは対照的に、林外務大臣は愛してやまない中国からも、利用価値がなくなったとみなされ、見放されことになるでしょう。頼みの綱の中国からさえ見放されれば、宏池会の中で浮いてしまうことになります。自民党内でも埋没する可能性がでてきました。岸田首相の思惑通りのようです。
最近でも相変わらず岸田政権の支持率は落ちていますが、それでもなかなか表立って「岸田降ろし」の声が、自民党内ではみられません。岸田政権は、LGBT法案の審議等により、自らへの批判は回避しつつ、世論の追い風を利用して党内保守派を抑え込む戦術をとっているようで、予算成立後も自民党内政局は表面的には未だ具体的動きはありません。
これで、少なくともG7までは、岸田政権は安泰のようですが、問題はその後どうなるかです。岸田政権も長期安定政権を目指したいというのなら、何かを変えなければならないです。
それを岸田氏が本気で考えれば、何かを変えるかもしれません。その最たるものは、財政政策、金融政策を変えることです。財務省のいいなりで、増税などの緊縮財政や、日銀が金融引締に走ってしまえば、自民党内の積極財政派からも、国民からも離反されるのは確実です。
何かを変えるための準備段階として岸田総理は次期日銀総裁候補として、植田和男氏を選んだ可能性が高いです。植田氏の金融政策の関する考えは、金融システム重視なのですが、学者ということもあり、財務省の息はかかってはおらず、どちらかというと、岸田政権が意のままに動かしやすいです。
岸田首相としては、植田氏は財務省や日銀官僚などの意向よりは、岸田首相の言う通りの政策を実行する可能性が高いので、選んだと見えます。今後、金融引締に走るにしても、緩和を継続するにしても、岸田氏の思う通りに動く可能性が高いです。
財政政策に関しても、少子化対策を進めるための財源について、自民党の税制調査会で幹部を務める甘利前幹事長は、5日将来的な消費税率の引き上げも検討の対象になるという認識を示していたものが、3月5日のフジテレビの番組で、少子化対策の財源確保に向けた消費増税について慎重な姿勢を示しました。岸田文雄首相が掲げる「異次元の少子化対策」の財源をめぐり、「よほど景気がよくならないと、(消費増税は)相当景気に影響するというのが経験値だ」と述べました。
甘利氏の発言はいずれも、岸田政権の意向を踏まえたものであると考えられます。岸田首相としては、政権を長期に安定的に維持するためには、財務省の意向通りに、増税したり、日銀に金融引締をさせれば、マイナスになると判断しつつあるのかもしれません。
ただ、財務省と真っ向勝負すれば、財務省からの反発は凄まじいものになるでしょうし、それこそ、『安倍晋三回顧録』に書かれてあるとおり、財務省は倒閣運動に本格的に動くかもしれません。かといって財務省の意向通りにだけ動けば、自民党内の積極財政派からの反発は凄まじいものになり、国民からの反発も必至ということになり、長期政権は望みようもなくなるので、これは何かを変えなければならなくなるとは考えているのでしょう。
そこで解決策として、後白河法皇のようなやり方に傾きつつあるのかもしれません。後白河法皇のようなやり方とは、
源平合戦を中心とする政争・戦乱の陰の演出者として後白河法皇が動いたやり方です。
実際、岸田総理は、自民党内で、積極財政派と財政再建派に議論をさせ、財政政策で自民党内では、自らは火の粉をかぶらないような状況を作り出しました。自民党内の会合では、怒号が飛び交うような事態にもなっていました。ただ、数的には積極財政派が優勢でした。
しかし、これだけでは決着がつなかい状況になっています。今後は、自民党対財務省という流れをつくりだし、自らは火の粉を被らず、両者を戦わせようと画策している節があります。
自民党対財務省の戦いということなれば、壮絶な戦いになることが予想されます。それこそ、自民党内の積極財政派の議員の中には財務省によって政治生命を絶たれるものもでてくるかもしれません。財務官僚もただごとでははすまないかもしれません。自民党側が勝てば、財務省は消えるかもしれません。
ただ、岸田総理としては、こうした画策を始めるということは、後白河法皇が平家を潰す方向に動いたように、財務省を潰す方向で動くことになるでしょう。ただし、後白河法皇のように、表向きはそのようなことには全く関与していないように振る舞うでしょうし、その目的は平家、源の双方を弱らせ、自らの権力を強化することにありましたが、実際には揺るぎない武士の時代を開くことになりました。
この戦いは結構長引くでしょうが、その間、後白河法皇が権力を維持したように、岸田政権が続くことになるでしょう。これで岸田政権自体は長期安定政権になる可能性もあります。
こうして、最終的に自民党側が財務省に勝った場合どうなるでしょうか。後白河法皇が没した後には、本格的な武士の時代が来ました。自民党側が財務省に勝った場合は、宏池会の天下となるわけではなく、いわゆる政治主導が日本でも達成され、役人はあくまで政治家を補佐する役割に徹するようになるかもしれません。
これは、私の単なる推測かもしれませんが、岸田首相の考えはどうであろうと、この方向に動いていく可能性はあると思います。そもそも、後白河法皇の時代においても、平家が我が者顔で振る舞う様は、異常でしたから、それを廃する方向に歴史が動くのは当然のことで、現代でも、国民から選ばれてもいない財務省が大きな政治組織のように動くのは異常なことですから、それを廃する方向に歴史が動くことは十分あり得ることだと思います。
省益を増すためだけに、国民経済を無視して、増税に走る様は、平家が驕り高ぶったのとよく似ています。
そのようになれば、国民としては大歓迎です。とにかく、財務省の横暴はいつか誰かが止めなければなりません。どんな形であれ、これが成就すれば、日本にとって良いことです。
さて、岸田首相が令和の後白河法皇のようになるかどうかは、まだわかりませんが、岸田氏がそうなる可能性は捨てきれません。これは、興味深いテーマなので、これからも追求していきます。何か新しい動きがあれば、またレポートしています。
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