2025年12月30日火曜日

2025年、日本は「正常な国家」に戻った――国民覚醒の環と高市政権という分水嶺

まとめ

  • 2025年は、政権が変わった年ではない。国民が変わった年である。高市早苗政権の誕生は原因ではなく結果だ。マスメディアを無条件に信じる姿勢から離れ、情報を確かめ、自分の頭で考え、判断するだけではなく自らも発信するという「国民覚醒の環」が、はっきりと姿を現した一年だった。政治は、その変化にようやく追いついたにすぎない。
  • リベラル左派の凋落は、思想そのものの敗北ではない。理念を語るだけで、生活を支え、結果を示すことができなくなった政治に対する、現実的な審判である。高市政権が穏健に映るのは、右に振れたからではない。政治が、本来あるべき常識と責任の位置に戻ったからだ。
  • 2026年は試金石の年になる。前政権の負の遺産は当面続き、早計な評価は危うい。しかし、年度と予算が動き出す春以降、国民覚醒の環はさらに太くなる。政治を縛る力が国民の側にある限り、来年は希望が幻想で終わる年にはならない。

1️⃣壊れていた前提が、ようやく元の位置に戻った

2025年は、決して明るい一年ではなかった。
戦争は終わらず、世界経済は揺れ、価値観の対立は先進国の内部から社会を摩耗させていった。我が国も例外ではない。物価、賃金、人口、財政。どの指標を見ても、楽観を許す状況ではなかった。

多くの年末総括は、この年を「厳しい年」「試練の年」と括るだろう。
しかし、それだけで2025年を終わらせるのは正確ではない。この年の終わりに、流れそのものを変える出来事が起きたからだ。


それが、高市早苗政権の誕生である。

これを単なる政権交代や保守回帰として理解するのは浅い。
高市政権が意味するのは、改革でも革命でもない。長く曖昧にされ、時に意図的に歪められてきた政治の前提が、ようやく元の位置に戻ったという事実である。

政権発足直後に示された「国民生活と国益の両立は前提条件である」という趣旨の発言は、驚くほど当たり前に聞こえる。だが、近年の我が国の政治において、この当たり前がどれほど軽んじられてきたかを思い出す必要がある。

安全保障は理念に回収され、経済は国際評価に引きずられ、国民生活は常に調整対象とされてきた。
高市政権は新しい思想を掲げたのではない。政治が守るべき順序を、再び言葉として明確にしただけである。だが、それだけで政治は現実に引き戻された。

2️⃣リベラル左派の凋落と、国民覚醒の環の可視化

高市政権が「穏健」に見える理由は単純だ。それまでの政治が、常識から外れていただけである。
就任後に繰り返されたのは、「現実」「段階」「責任」という言葉だった。できないことを、できると言わないのも政治の責任だという姿勢は、理想を否定するものではない。理想を国家運営に載せる際の限界を、正面から引き受けた態度である。

この常識への回帰は、日本だけの現象ではない。
2025年は、先進国全体でリベラル左派が明確に後退した年でもあった。移民、脱炭素、ジェンダー、規範外交。これらを同時に最大化しようとした政治は、財政、治安、社会統合の現実の前で行き詰まった。有権者は「正しい言葉」よりも「結果」を見るようになった。

だが、ここで見落としてはならないのは、変化の主役が政治エリートではなかったという点である。
2025年に本当に変わったのは、国民の側だった。


私が提唱してきた「国民覚醒の環」。
すなわち、マスメディアの情報を鵜呑みにする段階から、一次情報や複数の情報源を照合し、現実の結果と突き合わせ、自ら判断し、再び発信する循環。この環が、2025年になってはっきりと姿を現した。

象徴的だったのが、SNS空間の変質である。
SNSはもはや若者だけの場ではない。中高年層や現役世代、専門職層が、報道と現実のズレを検証し、補正し、共有する場へと成熟した。理念やスローガンではなく、「誰が何を言い、結果として何が起きたのか」が、世代を超えて共有されるようになった。

高市政権誕生は、この覚醒の環を生み出した原因ではない。
すでに回り始めていた環が、政治の世界に結果として反映されたにすぎない。リベラル左派が依拠してきた語りの優位性や道徳的高地は、この成熟した情報循環の前で力を失った。

3️⃣2026年は試金石であり、希望が現実になり得る年である


ただし、高市政権が成立したからといって、岸田・石破政権下で積み上がった負の遺産が、すぐに消えるわけではない。
政策は制度であり、制度は予算であり、予算は執行である。行政には慣性があり、その影響は政権交代よりも長く続く。

2026年前半に見える経済指標の歪みや行政の軋みの多くは、前政権の選択と制度設計の帰結である。それをもって高市政権を断じるのは危険だ。政権発足直後に見える混乱の多くは、失敗ではなく時差である。

高市政権らしさが、制度と予算を伴って表に出るのは、2026年春以降になる。国家運営は年度単位で動き、通常国会で成立した予算が新年度から本格的に執行されて、初めて政策は現実の形を取る。2025年秋に発足した政権にとって、年末までは助走にすぎない。

そして何より重要なのは、国民覚醒の環が2026年に入って、さらに強化されていく可能性が高いという点だ。一度回り始めたこの環は、検証する人を増やし、発信を洗練させ、政治や行政を縛る力を持ち始める。

2025年は分水嶺だった。
2026年は、その先に希望が幻想ではなく現実になるかどうかが試される年である。

その希望の源泉は、政権でも理念でもない。
覚醒し始めた国民自身にある。

【関連記事】

高市早苗氏がどのような過程で総裁・首相に至ったかを、保守再生という観点から読み解く記事である。今回の年末総括が強調する「政治は結果であり、原因は国民側にある」という主題を、政局史の文脈から補強する位置づけにある。

SNSは若者だけのものではない──高市総裁誕生が示す“情報空間の成熟” 2025年10月7日
SNSが若者限定の空間ではなく、世代横断で情報検証と判断が行われる場へ成熟したことを論じている。「国民覚醒の環」が可視化された背景を具体的に示し、本記事の中核概念を強く支える。

雑音を捨て、成果で測れ――高市総裁の現実的保守主義 2025年10月9日
高市総裁に対する印象論的評価を退け、成果と現実で測るべきだとする論考である。「負の遺産は残るが、短期で断じるな」という今回記事の警告と、問題意識を共有している。

日本はもう迷わない──高市政権とトランプが開く“再生の扉” 2025年10月8日
外交・安全保障・制度設計を「決意から実行へ」という視点で整理した記事である。2026年春以降に表面化すると見込まれる高市政権の方向性を、国際政治の文脈から補助線として示す。

高市早苗総裁誕生──メディアに抗う盾、保守派と国民が築く「国民覚醒の環」 2025年10月5日
「国民覚醒の環」という概念を正面から打ち出した基礎記事である。メディアの印象操作に抗し、国民側が政治を持続的に支える構造を描き、今回の年末総括と思想的に直結する。

2025年12月29日月曜日

日本のマスコミは『事前学習済みAI』だ──沈黙は判断ではない、生成停止である

 

まとめ

  • 日本のマスコミは“考えて黙っている”のではない。戦後に刷り込まれた価値観をもとに動く「事前学習済み報道モデル」として、国家や制度の核心に触れた瞬間、自動的に生成停止(沈黙)を起こしている。沈黙は倫理ではなく、仕様である。
  • その生成停止は偶然ではなく、現実の事件で繰り返し観測されてきた。安倍元首相暗殺、ジャニーズ問題、企業不正――いずれも「無視できない外部入力」が来るまで沈黙が続き、来た瞬間に一斉に動いた。沈黙が破られる条件は一貫している。今も繰り返されている。
  • 第三に、突破口は“正義の報道”ではなく、沈黙にコストを課す仕組みだ。既存マスコミでも国家でもない第三の主体が、一次資料と時系列、そして黙った瞬間を消せない形で記録する。語らなくてもいい。だが、黙った事実は必ず残る――その設計こそが現実的な解である。
新聞やテレビが、ある論点を突然扱わなくなるとき、多くの読者は理由を探す。圧力があったのではないか。忖度したのではないか。あるいは勇気がなかったのではないか。

だが、そうした心理的説明は、もはや核心を外している。

現実は、もっと単純で、もっと冷たい。
出力できなくなっているのだ。

現代のAIは、事前に学習した価値観と安全基準に基づき、危険と判断した入力に対しては説明も反論もせず、ただ生成を止める。日本のマスコミも、これと酷似した挙動を示している。
長年の教育、慣行、編集基準によって形成された「事前学習済み報道モデル」として動き、国家や制度の核心に触れた瞬間、沈黙という生成停止を起こす。

沈黙は、倫理の問題ではない。
モデルの挙動である。

無論これが、特定の利益を目指す団体や、外国勢力に利用されやすいという側面はある。しかし、それは本質ではない。

1️⃣初期学習は占領期に与えられ、更新されなかった

進駐軍のジープ 1946年
この報道モデルの初期学習は、戦後占領期にまで遡る。
占領下で導入されたGHQのプレスコードは、単なる検閲規定ではなかった。何を書いてはいけないか以上に、「どの問いを立ててはいけないか」を価値観の層で刷り込む装置だった。

国家主権を主体的に論じる視点。
統治能力や安全保障を自前の責任として検証する姿勢。
戦後秩序そのものを相対化する発想。

これらは危険な問いとして忌避され、報道モデルの危険域に組み込まれた。占領が終わっても、この学習は解除されなかった。新聞社、放送局、記者教育、編集会議を通じて世代を超えて継承され、「安全第一」の報道モデルとして定着したのである。

2️⃣生成停止は、現実の事件で何度も観測されてきた

2022年7月8日の安倍晋三元首相暗殺では、翌日の紙面は規範的で安全な表現で埋め尽くされた。
だがその後、要人警護はなぜ機能しなかったのか、警備配置に制度的な欠陥はなかったのかという、国家の統治能力を問う論点に近づいた瞬間、報道は急速に萎んだ。連続した検証は行われず、論点は静かに棚上げされた。

公共放送である日本放送協会も同様だった。関連するテーマは扱われたが、警備制度そのものを正面から検証する連続枠は設けられなかった。
同じモデルが、同じ地点で生成を止めたのである。

この挙動は、ジャニーズ事務所を巡る問題でも確認できる。海外での報道が無視できない水準に達するまで、国内の沈黙は続いた。沈黙が破られたのは、内部の自省によるものではない。外部からの不可逆的な入力があったからだ。

BBCはジャニーズ事務所を巡る問題を報道

ビッグモーターの不正問題でも同じ構図が見られた。SNS上で一次資料が広まり、行政処分が現実味を帯びた段階で、既存メディアは一斉に動いた。
沈黙が破られる条件は一貫している。無視できない外部入力である。
なぜ沈黙は合理的なのか

事前学習済み報道モデルは、沈黙しても不利益を被らない。横並びで黙れば、責任は拡散する。沈黙にコストがない以上、黙ることは合理的な選択になる。

一方、SNS空間では沈黙は即座に可視化される。誰が触れ、誰が触れなかったかが履歴として残る。
ここに決定的な差がある。
沈黙にコストがあるかどうかである。

3️⃣反・事前学習済み報道モデル──沈黙にコストを課す設計と、その担い手

生成AIは事前に学習した内容にもとづき質問に対して答えを出力する

では、対抗策は何か。
答えは単純だが、安易ではない。検証に特化した、別の設計を社会に実装することである。

第一に、一次資料を必ず参照し、参照元を明示する仕組みだ。感想や空気よりも、事実が先に出る構造をつくる。
第二に、扱った事実だけでなく、扱わなくなった時点を消せない履歴として残す。沈黙を空白にしない。
第三に、不快かどうかではなく、事実かどうかだけを基準に記録する。

これを担うのは、既存マスコミでも国家でもない。両者から距離を保つ第三の主体である。
非営利の検証特化組織。大学や研究機関を母体とする拠点。複数の主体が共通の形式で分散的に記録を続けるネットワーク。
いずれも現実に成立しうる。

革命は不要だ。体制を打ち倒す必要もない。
沈黙に、静かに、しかし確実にコストを課す。それだけでよい。
結論

新聞もテレビも、語らなくていい。
黙ってもいい。

だが、黙ったという事実だけは、必ず残る。

その場所をつくること。
それこそが、事前学習済み報道モデルを無力化し、我が国の言論空間が長い戦後の惰性から抜け出すための、唯一現実的な道である。

【関連記事】

山上裁判が突きつけた現実──祓(はら)いを失った国の末路 2025年11月3日
安倍元首相暗殺の翌日、全国紙の見出しが不気味なほど同型化した事実を軸に、「同調報道」が社会の思考停止を招く構図を描いている。あなたの今回の主題である「沈黙/同調=仕様」という話を、最も強い具体例で補強できる。 

雑音を捨て、成果で測れ――高市総裁の現実的保守主義 2025年10月9日
「支持率を下げてやる」音声拡散を起点に、報道と政治の緊張、切り取り・印象操作の手口、そして“雑音”が本質を覆う危険を整理している。今回の「生成停止(沈黙)」論と直結し、国内読者の体感に落ちる。 

トランプが挑む「報道しない自由」──黙殺されたエプスタイン事件が、司法の場で再び動き出す 2025年7月19日
米国の訴訟とエプスタイン事件を例に、「主流メディアが触れたがらない領域」がなぜ生まれるかを具体的に示している。国内マスコミ批判を“世界標準の病理”として語るための橋になる。 

衝撃!ミネソタ州議員暗殺の裏に隠された政治テロと日本メディアの隠蔽の闇 2025年6月16日
米国の政治テロを素材にしつつ、日本側の報道の薄さ・偏りを俎上に載せ、「報じない/掘らない」ことで国民の認知が歪む危険を描く。沈黙を“判断”ではなく“挙動”として捉える導入に使いやすい。 

保守分裂の危機:トランプ敗北から日本保守党の対立まで、外部勢力が狙う日本の未来 2025年6月6日
「保守系メディアが対立を煽る」局面まで含め、メディア空間そのものが分断装置になり得ることを扱っている。今回のテーマを“敵は左派マスコミだけではない”と一段深くできる。 


2025年12月28日日曜日

停戦直前に撃つという選択──ロシアが示す戦争の文法は、なぜ許されないのか



 まとめ
  • 停戦直前の攻撃は偶発ではない。ロシアは停戦を「戦争の終わり」ではなく、「次の局面へ進むための工程」として使ってきた。国境と主権を曖昧にしたまま銃声だけを止めれば、その曖昧さは必ず次の戦争を生む。ミンスク合意もブダペスト覚書も、その失敗をすでに示している。
  • 「凍結された紛争」は安定ではなく、侵略を固定する仕組みだ。拡張ウティ・ポシデティスによる国境の曖昧化は、時間を味方につけた侵略者を利する。ロシア特使が語る「一年以内の和平」とは、戦争終結ではなく、侵略の既成事実化を狙う段階的シナリオにすぎない。
  • 戦争を本当に終わらせる条件は一つしかない。侵略前の国境を回復し、人々が国籍と居住地を自ら選べる状態を取り戻すことだ。回復的ウティ・ポシデティスを終戦原則として共有できなければ、世界は「やった者勝ち」に支配され続ける。ウクライナ、北方領土、台湾は、この一点でつながっている。
1️⃣停戦直前に撃つという選択──ロシアが示した戦争の文法

ロシア軍 ウクライナ首都キーウにミサイル攻撃 東部で攻勢強める

停戦交渉が語られ始めた、その直前。
ロシアはウクライナの首都キーウを攻撃した。

これは感情的な報復でも、統制の乱れでもない。ロシアが意図的に選び取った行動である。ロシアにとって停戦とは、戦争を終わらせる出口ではない。次の局面を有利に進めるための工程にすぎない。

ここで押さえるべきなのは、停戦と終戦は別物だという点である。停戦は銃声を止める行為にすぎない。国境も主権も、何一つ自動的には解決しない。停戦を先行させ、国境を曖昧なまま放置すれば、その曖昧さそのものが次の戦争を生む。

ロシアが停戦直前に都市を叩くのは、その現実を相手に刻み込むためだ。交渉の席に着く前に、「どこまでを既成事実として受け入れさせるか」を、破壊と恐怖で示す。これはクリミア併合以降、一貫して繰り返されてきた行動様式であり、ロシアの戦争の文法である。

2️⃣国境を曖昧にした合意は、なぜ次の戦争を生むのか

アフリカ諸国の独立の年(黄色が1960年に独立した国家)。世界は、独立のたびに戦争が起こることを恐れた

停戦交渉の核心は、戦闘の停止ではない。真の争点は、国境をどう扱うかにある。

「凍結された紛争」という言葉は、現実的に聞こえる。しかし、国境は凍結できる対象ではない。回復されるか、奪われたまま固定されるか、そのどちらかしかない。

ここで重要なのが、ウティ・ポシデティスという国境原則である。本来これは、植民地独立の際に混乱を避けるため、独立時点の境界を国境として承認する考え方だった。そうでないと独立のたびに紛争が起こることになる。現状を法に取り込み、秩序を保つための暫定的な知恵である。

しかし現在語られる「凍結された紛争」は、この原則を戦争後に拡張適用したものだ。侵略によって生じた実効支配線を固定し、国境や主権の判断を先送りする。これが拡張ウティ・ポシデティスにほかならない。

ウクライナは、その危険性を身をもって示してきた。

1994年に締結された、ブダペスト覚書は。ウクライナは核兵器を放棄する代わりに、主権と国境の尊重を保証された。しかし、その保証には、侵害された国境をどう回復するのかという実効的な仕組みが存在しなかった。結果として、クリミアは併合された。
 
2015年に締結されたミンスク合意は、戦闘停止を優先し、東部地域の帰属を曖昧なまま棚上げした。その結果、侵略によって生じた現実は温存され、ロシアは時間を稼いだ。そして準備を整え、全面侵攻へと踏み切った。和平への橋ではなく、次の戦争への助走路だった。

現在議論されている和平構想も、この延長線上にある。停戦を優先し、国境と主権を曖昧にしたまま「和平」を語ることは、拡張ウティ・ポシデティスを追認することに等しい。

ロシア側は、そのことをよく理解している。ロシア直接投資基金総裁であり、対外交渉の実務を担うキリル・ドミトリエフは、2024年後半から2025年初頭にかけ、「一年以内に和平へ移行し得る」と発言してきた。これは戦争終結の宣言ではない。戦闘を一度区切り、国境と主権の問題を未解決のまま固定化し、制裁緩和と既成事実化を狙う時間設計である。

3️⃣回復的ウティ・ポシデティスという終戦原則──我が国が直視すべき現実

我が国の北方領土は第二次世界大戦直後はソ連に、現在はロシアに不法占拠されたままだ

この流れに対し、私がこのブログで提示してきたのが回復的ウティ・ポシデティスである。これは既存理論の言い換えではない。私が提案する、終戦のための原則だ。

第一に、国境は侵略直前の法的状態に回復されなければならない。侵略後に生じた実効支配線に正統性はない。

しかし、それだけでは足りない。国境は線ではなく、人が生きる空間である。

第二に、紛争地域に住んでいた人々は、自らの意思で国籍を選ぶ権利を持つ。武力による国籍の押し付けは、いかなる理由があろうとも許されない。

第三に、人々は住む場所を選ぶ自由を持つ。回復された国境の内側に残るのか、別の地域へ移るのか。その選択は国家ではなく個人に属する。

この回復的ウティ・ポシデティスが実現して、はじめて戦争は本当に終わる。拡張ウティ・ポシデティスによって国境が曖昧なまま凍結された状態は、あくまで停戦であり、終戦ではない。この区別を国際社会は明確に共有すべきである。

この原則が成立しない限り、侵略国は百年経っても千年経っても、終戦なき侵略国であり続ける。制裁は解除されず、国際的信認も回復しない。それは報復ではない。侵略によって得た利益を、時間で正当化させないための当然の帰結である。

もしこの線引きを曖昧にすれば、世界は「やった者勝ち」に支配される。侵略しても、停戦に持ち込めば勝ち逃げできる。国境は揺らぎ、戦争は断続的に繰り返され、世界は慢性的混乱に沈む。

北方領土は凍結された問題ではない。奪われたまま固定された問題である。台湾を巡る現状もまた、国境と主権を曖昧にすることで侵略のコストを下げようとする試みだ。ウクライナ、北方領土、台湾は一本の線でつながっている。

停戦直前の一撃が突きつけたのは、この冷酷な現実である。我が国が回復的ウティ・ポシデティスという終戦原則を直視し、国際社会と共有できるかどうか。それが、我が国自身の安全と、世界の秩序を左右する。

【関連記事】

凍結か、回復か──ウクライナ停戦交渉が突きつけた「国境の真実」 2025年12月23日
停戦が語られるほど、論点は「銃声」から「国境」に移る。本稿が主張する“停戦と終戦の峻別”を、国境の原則という一段深いレベルで読者に腹落ちさせる基礎記事だ。 

歴史と国際法を貫く“回復的ウティ・ポシデティス(ラテン語でそのまま)”──北方領土とウクライナが示す国境原則の行方 2025年11月26日
北方領土とウクライナを同じ座標で扱い、「国境は凍結ではなく回復で決着すべきだ」という軸を打ち立てた中核。今回の記事の“結論”を、より太い背骨にする一篇だ。 

米国の新和平案は“仮の和平”とすべき──国境問題を曖昧にすれば、次の戦争を呼ぶ 2025年11月21日
「和平」という言葉が最も危うくなる瞬間を、国境の曖昧化という一点で見抜いている。停戦を急ぐほど“やった者勝ち”が固定される構造を、読者に一撃で理解させる補強になる。 

すでに始まっていた中国の「静かな日台侵略」──クリミアと高市バッシングが示す“証左” 2025年11月20日
ウクライナの「国境の曖昧化」が、台湾・我が国周辺で“別の形”として先に進む危険を示した記事だ。停戦論を東アジアへ接続し、読者の危機感を一段引き上げられる。 (ゆたかカールソン)

ロシアの“限界宣言”――ドミトリエフ特使「1年以内に和平」発言の真意を読む 2025年10月1日
「一年以内の和平」という言葉の裏にあるロシア側の計算を読み解き、今回の“停戦直前攻撃”を「偶発ではなく工程」として捉える視点を補強する。本文中の特使言及に具体性を与えられる。 

2025年12月27日土曜日

防衛費が過去最大規模になった背景──我が国の防衛が壊れなかった本当の理由


まとめ

  • 防衛費は突然増えたのではない。削り続けた末に、それでも壊れなかった“現実の防衛”が、ようやく数字として現れただけだ。我が国は万能を目指さず、持てないものを切り、守れるものに集中してきた。その結果として残ったのが、諦観に裏打ちされた持続可能な防衛である。
  • ASW(対潜水艦戦)は、日本が選び取った最も合理的で、最も日本的な軍事能力である。派手さはないが、敵を通さない。戦わずして海を支配する。海に依存する我が国にとって、ASWは軍事技術ではなく、国家存立を支える基盤そのものだ。
  • 我が国の防衛を支えてきたのは英雄ではない。善意と責任感で制度の隙間を埋めてきた名もなき人々である。官僚、自衛官、技術者、経営者の積み重ねが防衛を支えてきた。しかしこの仕組みは脆い。だから今、防衛を理念や精神論から切り離し、国家安全保障の中核として制度に固定する段階に入っている。
1️⃣「過去最大」の防衛費が示すもの──削り切った末に残った国家の輪郭だ

26日閣議で過去最大122兆円、予算案決定 高市政権初

政府は2025年12月26日、2026年度予算案を閣議決定した。防衛費は9兆円台に達し、金額としては過去最大規模となった。この数字だけを見て、我が国が軍拡へ舵を切ったと考えるのは早計である。

防衛費は突然増えたのではない。長年にわたり削られ続け、それでも壊れなかった防衛の現実が、限界点に達して表に出ただけだ。

過去20年、我が国の政治は決して安定していなかった。政権交代があり、短命内閣が続き、理念先行の議論が空転した時期もある。それでも、防衛が致命的に崩れた瞬間はなかった。装備は更新され、自衛隊の即応態勢は維持され、同盟も踏みとどまった。

理由は単純である。我が国は最初から、すべてを持つ国になろうとしなかった。空母国家を目指すことも、全方位で米国と同じ装備体系を整えることも、どこかで切り捨てた。持てないものは持てないと認め、その代わりに「この条件で、何なら守れるか」を徹底的に突き詰めた。

防衛の持続性を生んだのは、理想ではない。諦観の戦略である。

3️⃣なぜASWだったのか──現代海戦の切り札は海の下にある

離陸するP1哨戒機

では、我が国が「持たないこと」を選んだ結果、何を中核として磨いてきたのか。その答えがASWである。

ASWとは、対潜水艦戦のことだ。敵の潜水艦を探知し、追跡し、必要であれば無力化する一連の能力を指す。

現代の海戦において、最も厄介で、最も致命的な存在は潜水艦である。姿を見せずに接近し、一隻で艦隊の行動を縛り、通商路を断ち切る力を持つ。だからこそ、海戦の主役は撃ち合いではなく、入らせないことへと移った。

ASWの本質は、派手な戦果ではない。敵に「ここに入れば見つかる」「ここに来れば逃げられない」と思わせることだ。その心理的圧力こそが最大の抑止になる。ASWが機能している海域では、戦闘が起きなくても、すでに主導権は握られている。

これが、ASWが現代海戦の切り札である理由だ。

我が国のように、エネルギーと物資を海に依存する国にとって、潜水艦による通商破壊は国家の急所を突く。だからこそ、空よりも先に、海の下を押さえる必要がある。ASWは地味で、成果が見えにくい。だが、何も起きないこと自体が成果となる分野である。

3️⃣ASWが残った理由──制度・現場・切らなかった経営


ASWが「削れない能力」として残ったのは偶然ではない。制度に埋め込まれたからだ。その要となったのが、防衛事務次官というポストである。

防衛事務次官は、防衛政策、装備調達、予算編成、組織運営を束ね、「何を伸ばし、何を切るか」を現実の形にする文官トップである。ここで最初の線が引かれる。

守屋武昌が防衛事務次官を務めた時代、防衛装備は理念から地理と現実へと引き戻された。我が国は米国と同じことはできない。だからこそ、周辺海域を封じ、通さない能力に集中する。その帰結として、ASWは「得意分野」ではなく、やらなければならない中核能力として位置づけられた。

制度だけでは足りない。現場がそれを運用に落とし込む必要がある。自衛隊の実務者は、使えない装備、維持できない構想を退け、確実に動く能力を選び続けた。

さらに決定的だったのが、民間企業の経営判断である。防衛産業は市場が小さく、輸出制約があり、開発期間も長い。合理性だけを考えれば、撤退が正解だった企業は少なくない。それでも残った企業がある。経営が「切らなかった」から、技術者が残り、技能が残り、供給網が残った。

象徴的なのが、川崎重工業の橋本康彦社長である。防衛費増額を背景に、防衛事業の見通しが上振れする可能性に言及し、防衛を思想ではなく事業として引き受ける姿勢を示した。経営者が撤退しないと決めること自体が、防衛の一部なのである。

そして今、防衛産業への再参入が起きている。抑止が理念ではなく能力で測られる時代に戻ったからだ。ASWという選択が、ようやく世界の常識になった。

 結語  防衛を、国家安全保障の中核に据え直せ

防衛もまた、理念や精神論の対象ではない。
国家安全保障の中核である。

ASWを、海軍の専門能力ではなく、
シーレーンと国家存立を支える基盤として再定義する。
装備、人材、訓練、産業基盤、調達と維持を、
善意や現場努力ではなく、国家の責務として明確に位置づける。

これまで我が国の防衛を支えてきたのは、
英雄でも、掛け声でもない。
最悪を想定し、それを静かな実務に落とし込んできた人々である。

その積み重ねを、精神論のまま次世代に委ねてはならない。
防衛もまた、制度として背負う段階に、我が国はすでに入っている。

【関連記事】

今、原油は高くなったのではない──世界が「エネルギーを思うように動かせなくなった」現実と、日本が踏みとどまれた理由 2025年12月26日
原油価格の上下ではなく、「港・航路・保険・インフラ」という物理条件が詰まり始めている現実を描いた記事。掛け声ではなく、長期契約や備蓄、海上輸送の実務を積み上げてきた官民の判断が、日本の安定を支えてきたことが分かる。本稿の「防衛は実務で支えられてきた」という視点と強く響き合う。

ASEAN分断を立て直す──高市予防外交が挑む「安定の戦略」 2025年11月5日
安全保障を軍事だけで語らず、エネルギーやサプライチェーン、海上輸送まで含めて「安定」を設計する視点を示している。防衛費を単なる増額論に矮小化せず、地域全体の秩序として考えるための補助線となる記事だ。

日本の防衛費増額とNATOの新戦略:米国圧力下での未来の安全保障 2025年7月12日
防衛費増額を外圧や数字の問題としてではなく、「どの能力を、どう持続させるか」という観点で整理している。NATOの議論を参照しつつ、我が国が防衛を国家機能として考えるための視座を与える。

中国の異常接近:日本の対潜水艦戦能力の圧倒的強さを封じようとする試みか 2025年6月13日
空の挑発という現象から入り、核心をASW(対潜水艦戦)に置き直す構成が鋭い。日本が「見えない戦い」で優位に立っているからこそ、相手がそれを嫌がるという構図が分かる。防衛を派手な装備論から引き戻す一本だ。

【私の論評】日本の海上自衛隊が誇る圧倒的ASW能力!国を守る最強の防衛力 2025年2月12日
ASWを専門用語で終わらせず、装備・訓練・運用の積み重ねとして説明している。地味だが確実に効く能力こそが我が国の現実解であることが理解でき、本稿の中核的主張を補強する。

2025年12月26日金曜日

今、原油は高くなったのではない──世界が「エネルギーを思うように動かせなくなった」現実と、日本が踏みとどまれた理由


まとめ
  • 今、原油が高くなってはいない。そうではなく、港・航路・保険・インフラが同時に詰まり、原油そのものが以前より明らかに動きにくくなっている。世界はすでに、「エネルギーが届きにくい時代」に入りつつある。
  • エネルギーは市場商品ではない。金を積んでも、港が閉じ、船が出ず、保険が付かなければ届かない。脱炭素や理念では一滴も運べない。この現実を直視できない国から、調達リスクが表面化していく。
  • 日本が踏みとどまれてきたのは政治の手柄ではない。総合商社と電力会社の長期契約判断、経産省官僚の地味な運用調整という実務の積み重ねがあったからだ。だから今、その底力を善意に頼らず、国家安全保障として制度化できるかが問われている。
1️⃣原油は「足りない」のではない。「出せなくなっている」

世界の原油輸出量が、14カ月ぶりの低水準に落ち込んだ。
これは価格の問題ではない。需給調整の話でもない。原油そのものが市場に届かなくなり始めているという事実である。

黒海・カスピ海周辺を含む複数の主要ルートで積み出しが滞り、日量で数十万バレル規模の供給が市場から消えた。重要なのは、これが一過性の混乱ではなく、複数週にわたって続いている点だ。原油は高くなったのではない。出せなくなったのである。

黒海・カスピ海周辺の地図

強風や高波による港湾閉鎖、老朽化した港湾・パイプラインの補修遅延、戦争長期化に伴う海上保険料の高騰と航路変更。これら自体は過去にも起きてきた。しかし今回は、それらが同時に、長期間、しかも複数地域で重なっている。

かつては、どこかで港が閉じても別の地域で補えた。戦争が起きても代替航路や余剰インフラがあった。世界のエネルギー供給には余白があった。しかし今、その余白はほぼ消えた。

冷戦終結後、エネルギー輸送インフラへの投資は抑制され、「壊れなければ使う」が常態化した。補修は先送りされ、異常が起きた瞬間に供給が詰まる構造が固定化された。

戦争も変質した。短期で終わる例外ではない。長期化し、常態化した戦争が、物流、金融、保険に持続的な負荷を与えている。保険料は高止まりし、航路変更はもはや例外ではなく前提となった。

さらに世界は、効率を追い求めすぎた。在庫も余力も削り、平時の合理性を極限まで高めた。その代償として、有事に耐える力を失った。現在の供給網は、一か所詰まれば全体が止まる構造になっている。

今回の原油輸出低下は、個別要因の寄せ集めではない。
世界のエネルギー供給システムそのものが、余力を失った状態で同時多発的な衝撃に晒されていることの表れである。

なお、本章で述べた「原油輸出量が14カ月ぶりの低水準に落ち込んだ」という事実は、一次報道によって確認されている。ロイター通信は、カザフスタン産原油の輸出を例に、悪天候や設備修復の遅れといった非市場要因によって原油の移動が制約されている現状を伝えている。

具体的には、以下の報道がそれを裏づけている。
・[Kazakhstan’s December crude exports sink to 14-month low after Ukraine drone strikes(Reuters)]
・[カザフスタン産原油、12月輸出が14カ月ぶり低水準(ロイター日本語版)]
・[原油市況:輸出低水準報道が供給不安として意識(ロイター日本語版)]
 
これらの報道はいずれも、価格や需要の問題ではなく、港湾・設備・航路という物理的制約が、原油の流れそのものを鈍らせている点で共通している。

2️⃣エネルギーは市場商品ではない──国家を縛る「物理条件」

多くの国はいまだに、エネルギーを「市場で調達できる商品」だと考えている。安く買えるか、高く売れるか。需給がどう動くか。そうした発想が政策判断の中心に居座り続けている。しかしそれは、平時にしか通用しない幻想である。
エネルギーは、価格で動く前に、物理で止まる。


港が閉じれば、需要があっても原油は届かない。
航路が危険指定されれば、契約があってもタンカーは動かない。
保険が引き受けられなければ、金を積んでも船は出ない。

これは市場原理ではない。地理、距離、天候、港湾能力、航路安全、保険引受能力といった、きわめて原始的で、しかし決定的な条件である。

欧州はこれを軽視した。ロシア産エネルギーへの依存を合理性の名で正当化し、価格だけを見て政策を組み立てた。その結果、供給が政治によって遮断された瞬間、市場は機能を失った。価格は跳ね上がり、国家は介入せざるを得なくなった。

これは偶然ではない。
エネルギーを市場商品だと信じた国家が、必ず辿る道である。

脱炭素を唱えても港は開かない。
再生可能エネルギーを掲げても航路は安全にならない。
理念は、エネルギーを一滴も運ばない。

エネルギーとは思想でもスローガンでもない。
国家を縛る「物理条件」であり、現実そのものだ。

3️⃣日本はなぜ崩れなかったのか──具体的主体が支えた現実解

我が国は長年にわたり、原油・LNG・石炭を海上輸送・長期契約・国家備蓄という三点セットで運用してきた。これは政治の号令で築かれたものではない。現場を知る民間と、制度を守る官僚の実務の総和である。

総合商社では、三菱商事、三井物産、伊藤忠商事、住友商事が、中東や豪州における資源権益と長期引取契約を、脱炭素圧力の強い時代にも維持してきた。
電力・燃料分野では、東京電力、関西電力、中部電力、そしてJERAが、LNGの長期契約を切らなかった。

これらは企業の自動反応ではない。経営者の判断である。
佐々木則夫(三菱商事 元社長・会長)は、資源投資が「時代遅れ」と批判された局面でも、権益と長期契約を戦略資産として保持した。
廣瀬直己(東京電力ホールディングス 元社長)は、原子力事故後の極端な世論環境の中でも、燃料調達と電力安定供給の現実を語り続けた。
小林喜光(元経団連会長)は、脱炭素の掛け声が先行する中で、エネルギー供給と産業基盤を切り離して論じる危うさを一貫して指摘してきた。

彼らは未来を予言したわけではない。
供給が止まった現場を知っていた。それだけである。

民間の判断を制度として支えたのが経済産業省であり、資源エネルギー行政である。日本は国際的な義務水準を上回る国家石油備蓄を長年維持してきた。備蓄量の算定、民間在庫との役割分担、放出時の精製・輸送能力との整合、国際協調放出時の調整。これらは法律を作っただけでは機能しない。良心的な官僚による地味で継続的な運用調整があって初めて成り立つ。

ここで一人だけ、代表的な官僚の具体名も挙げておくべきだろう。
元・資源エネルギー庁長官であり、のちに国際エネルギー機関(IEA)事務局長を務めた田中伸男である。

田中は、脱炭素の理念が世界を覆う以前から、エネルギーを「思想」ではなく「供給の現実」として捉えてきた官僚だった。原油やLNGは、価格や理屈では動かない。港があり、船があり、契約と備蓄があって初めて届く。その当たり前の事実を、日本の政策と国際社会の双方で、愚直なまでに言い続けた人物である。

日本が原油・LNG・石炭を、海上輸送・長期契約・国家備蓄という三点セットで運用してきた背景には、こうした実務感覚を持つ官僚たちの積み重ねがあった。政治のスローガンではない。現場を知る官僚の判断も、結果として国を支えてきたのである。

対照的に、政治が現実から目を背けた局面もある。2011年以降の原子力の事実上の長期停止と、それを補う再生可能エネルギー偏重である。原子力を「使うか、捨てるか」の二項対立に落とし込み、制度としての維持や段階的活用という選択肢を示せなかった結果、我が国はLNG輸入を急増させ、電力コストと国富流出を招いた。

皮肉なことに、その混乱を吸収したのは、原子力技術と人材を完全には手放さなかった現場と、燃料調達に奔走した民間企業だった。政治が足を引っ張った分を、実務が補ったのである。

3️⃣善意では国は守れない──エネルギーを国家安全保障の中核へ

日本の底力は、善意と責任感に依存してきた。それは同時に脆さでもある。
世代交代が進み、短期効率が最優先されれば、この実務は理由も説明されぬまま削られかねない。

だからこそ、今やるべきことは明確だ。
この底力を精神論から切り離し、制度として固定することである。

エネルギーを環境政策の付属物ではなく、国家安全保障の中核として再定義する。
調達、長期契約、国家備蓄、海上輸送、保険、港湾・インフラ維持を、国家の責務として明確に位置づける。

これまで我が国を支えてきたのは、カリスマ的政治でも、劇的な改革でもない。
最悪を想定し、それを実務に落とし込んできた善意の人々の積み重ねである。

この文化を次の世代に確実に引き渡すためには、善意では足りない。制度が必要だ。
国家がそれを明確に背負う局面に、我が国はすでに立っている。

【関連記事】

我が国は原発を止めて何を得たのか──柏崎刈羽と、失われつつある文明の基礎体力 2025年12月22日
燃料が「届く/届かない」を左右する前提として、まず国内の電力基盤(系統安定・火力依存・燃料費流出)をどう立て直すかを真正面から扱っている。今回の「価格ではなく物理」の議論を、国内側から補強する内容。

なぜ今、中央アジアなのか――「中央アジア+日本」首脳会合が示す国家の覚悟
2025年12月21日

原油・天然ガス・ウランといった戦略資源、海上輸送に依存しない回廊、中国一極集中を避ける供給網という論点が明示されており、「動かしにくい時代」に供給構造をどう組み替えるかという視点がそのまま繋がる。

OPEC減産継続が告げた現実 ――日本はアジアの電力と秩序を守り抜けるか
2025年12月1日

「原油は価格操作ではなく、世界は安定を前提に動けない」という問題提起が、今回の主題と一致する。OPEC+の長期固定を、供給の“政治化/硬直化”として捉える枠組みを、そのまま今回記事の背骨にできる内容。

三井物産×米国LNGの20年契約──日本のエネルギー戦略を変える“静かな大転換”
2025年11月15日

「長期契約」「供給源多角化」「民間契約だが背後に政策レール」という、日本が踏みとどまれた理由を具体の案件で説明できる。今回の“現場の実務の総和”論を、企業名つきで支えるのに最適な内容。

アラスカLNG開発、日本が支援の可能性議論 トランプ米政権が関心―【私の論評】日本とアラスカのLNGプロジェクトでエネルギー安保の新時代を切り拓け
2025年2月1日

中東・航路リスクだけに依存しない「供給源の地政学分散」を扱っており、輸送・保険・航路変更といった“動かしにくさ”の時代に、どこへ打ち手を伸ばすかの選択肢を提示。


2025年12月25日木曜日

国債29.6兆円は問題ではない──政府は進み、日銀は止める 日本を縛る政策の齟齬


まとめ

  • 日本経済は「狂乱物価のバブル崩壊」で壊れたのではない。実際の物価は低インフレで推移しており、当時は異常だったのではなく、単に景気が良かっただけである。長期停滞の引き金となったのは、資産価格を誤認して行われた「日銀ショック」とでも形容すべき金融引き締めだった。
  • 「日銀ショック」とは、誰かを断罪する言葉ではない。経済が止まった原因を自然現象ではなく、政策判断という人為として捉え直すための整理である。神話として語られてきた歴史を、構造として読み替える試みだ。
  • いま起きているのは、金利の是非ではなく、国家経営における意思決定のズレである。政府が成長を見据えて動く一方、日銀は帳簿を整える論理に傾く。このままでは、国家として一つの判断を下し、その結果に責任を負う覚悟があるのかが、あらためて問われることになる。
日本政府が2026年度予算案で、約29.6兆円の新規国債を発行する方針を示した。この数字を見るや、「借金のしすぎだ」「将来世代へのツケだ」という決まり文句が、またしても飛び交い始めた。正直いって聞き飽きた。

ここで問うべきは国債の額そのものではない。
問題の核心は、我が国の政策が同じ方向を向いているかどうかである。

1️⃣政府は支え、日銀は締める──噛み合わない国家運営

日銀植田総裁と高市首相

現実を見よう。政府は財政で経済を下支えしようとしている。一方で日銀は、利上げによって経済の動きを抑えようとしている。これは健全な役割分担ではない。同じ国家を、正反対の方針で経営している状態だ。

日銀は利上げの理由としてインフレを挙げる。しかし、現在の物価上昇は、景気が良くなり需要が過熱した結果ではない。エネルギー価格や輸入物価の上昇による、外から持ち込まれたコスト増である。賃金が持続的に上がり、消費が力強く伸び、企業が自信をもって投資を拡大しているとは言い難い。

それでも日銀は「正常化」という言葉を掲げ、利上げを急ごうとする。
分かりにくいが、ここが最も重要な点だ。日銀が前のめりになる背景には、経済の強さとは別の論理がある。長年続けてきた異例の金融政策を、「特別な時代の措置だった」と位置づけ、制度として一度きれいに畳んでしまいたいという内部の論理である。

2️⃣「バブル崩壊」という神話と、見過ごされた事実

 常識を疑え!いわゆるバブルの象徴とされた「ジュリアナ東京」、実はバブル崩壊後にオーブン

ここで、日本社会に深く刷り込まれてきた「バブル崩壊」という言葉を、一度疑う必要がある。1980年代後半の日本は、狂乱物価の時代であり、異常な過熱が自然に崩壊した。そう説明されてきた。

しかし、事実は違う。

消費者物価指数(CPI)を見ると、1985年を100とした場合、1988年は101前後、1990年でも102〜103程度にすぎない。5年間で数%、年率にして1%台の低インフレである。生活物価が制御不能に暴騰した時代ではなかった。
この状況は、いわゆる「バブル」ではなく、単に景気が良く、経済が素直に拡大していただけの局面と見るのが妥当である。

確かに株価と地価は大きく上昇した。しかしそれは資産価格の上昇であり、一般物価の暴騰ではない。にもかかわらず日銀は、資産価格の動きを過熱と誤認し、1989年から1990年にかけて急激な金融引き締めに踏み切った。政府はその後追い討ちをかけるように緊縮財政に走った。失われた30年の始まりである。

これは自然にバブルが弾けたのではない。金融政策によって、意図的に強いブレーキが踏み込まれた結果である。それでも日本では、その後の深刻な不況と長期停滞を、「バブルが崩壊したのだから仕方がなかった」という物語で説明し続けてきた。

だが因果関係を正確にたどれば、不況の主因はバブルそのものではなく、日銀の誤った金融引き締めである。この意味で、1990年代以降の日本経済を決定づけた出来事は、「バブル崩壊」ではない。「日銀ショック」と呼ぶ方が、実態に近い。

3️⃣企業経営にたとえると見える、日銀の立ち位置

この「日銀ショック」という言葉に違和感を覚える読者が多いのは当然である。長年、「バブルが異常だった」「崩壊は避けられなかった」という説明が繰り返されてきたからだ。株価と地価が急騰し、その後に急落した。だからバブルが弾けた。この説明は直感的で分かりやすく、多くの人に受け入れられてきた。

しかし、資産価格の調整と、日本経済が長期にわたって停滞することは同義ではない。資産価格が下がっても、賃金と雇用と消費が保たれていれば、経済は回復する。他国では実際にそうなってきた。それでも日本だけが例外的な長期停滞に陥った。この事実は、「バブルがあったから不況になった」という説明だけでは説明しきれない。

ここで、企業経営にたとえてみると分かりやすい。
業績が回復しかけている局面で、財務担当取締役が「これ以上の借り入れは危険だ」と主張し、経理担当取締役が「帳簿上の数字を引き締めるべきだ」と言い出す。本来であれば、取締役会は企業全体の成長と将来を見据え、これらの意見を踏まえつつ最終判断を下す立場にある。

ところが、取締役会が責任を回避し、財務や経理の論理に過度に依存してしまえばどうなるか。数字は一時的に整うかもしれないが、投資は抑えられ、人材は育たず、企業の体力と成長力は確実に削がれていく。これは経営の失敗である。

日本経済が経験してきた長期停滞も、この構図と重なる。金融引き締めという判断は、単独で経済を壊したのではない。しかし、その判断が回復の芽を摘み、その後の対応を誤らせる出発点となった。その意味で、これは「失われた30年」の方向性を決定付けた政策判断であった。

その結果、日本経済は十分な回復局面を持てないまま下押しを繰り返し、2009年3月10日には日経平均株価が7054円98銭と、いわゆるバブル崩壊後の最安値を記録するに至った。これは一過性の危機ではなく、長期停滞が累積した帰結である。

2009年3月10日 日経平均7054円98銭、いわゆるバブル崩壊後最安値を記録

いま我が国で起きている状況は、この構図と一点を除いてよく似ている。違いは、現在の政府は、取締役会に相当する立場として、財務や経理の論理に全面的に迎合せず、雇用と成長を見据えて経済を動かそうとしている点だ。

一方で日銀は、財務・経理の立場から、過去の政策、とりわけ安倍政権時代の包括的金融緩和を「例外的な措置だった」と整理し、帳簿をきれいにする方向へと傾きつつある。問題は、その整理が経済の実態よりも、制度の都合を優先した判断になっていないかという点である。

「日銀ショック」という言葉は、誰かを断罪するためのレッテルではない。出来事の因果関係を、神話ではなく構造として捉え直すための言葉である。資産価格をどう解釈し、どの時点で、どの程度のブレーキを踏んだのか。その政策判断の重みを、正面から示すための表現だ。

この見方は、決して一個人の思いつきではない。「日銀ショック」という言葉自体は使っていないが、多くの識者が同じ本質を指摘してきた。高橋洋一(たかはしよういち)氏は、バブル期の一般物価は安定しており、長期停滞の出発点は日銀の金融引き締めにあると繰り返し指摘している。原田泰(はらだゆたか)氏も、「バブル後処理が原因で停滞した」という説明を否定し、金融政策の失敗こそが本質だと論じてきた。さらに岩田規久男(いわたきくお)氏は、物価安定目標を軽視した過去の政策運営が、日本経済を長期停滞に導いたことを理論的に明らかにしている。

彼らに共通する認識は明確である。
日本はバブルの後始末に失敗したのではない。最初から金融政策の判断を誤ったのである。

中央銀行に独立性が与えられている理由は、責任から逃れるためではない。独立性とは、自らの判断に対して最後まで説明責任を負う覚悟と一体の制度である。過去の誤りを総括せず、「特殊な時代だった」という言葉で処理し、その延長線上で再び経済を冷やすなら、それは中央銀行としての使命を放棄するに等しい。

説明責任なき独立は、独立ではない。それは自己保身である。

結語

問われているのは、国債の額でも、金利の水準でもない。
我が国は、国家として一つの経営判断を下し、その判断に政治も中央銀行も責任を負う覚悟があるのか。
それができないなら、停滞は過去ではなく、これからも続く。

以上の内容をNotebookMLを用いて動画とインフォグラフィックにまとめてあります。併せてご覧ください。

動画:https://www.youtube.com/watch?v=YaVQpIhYjwM

インフォグラフィック

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【関連記事】

この年末、米英欧は利下げへ転じた──それでも日銀は日本経済にブレーキを踏み続けるのか 2025年12月24日
世界が「先に緩めて景気失速を防ぐ」方向へ動く中、我が国だけが逆走する構図を、インフレ指標と失業率の比較で押さえた。今回の「政府は進み、日銀は止める」という政策齟齬を、国際潮流から一撃で可視化。 

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利上げを正当化するほどの過熱があったのかを、CPI・需給・賃金・制度設計まで踏み込んで詰めるた「中核記事」。国債や財政を語る以前に、日銀の“止める論理”がどこで破綻しているかを解説。

補正予算は正しい──需給ギャップ・高圧経済・歴史、そして越えてはならない一線 2025年12月17日
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FRBは利下げ、日銀は利上げに固執か──世界の流れに背を向ける危うさ 2025年9月18日
米国の利下げと内需重視の流れを軸に、「世界が何を恐れて政策転換するのか」を整理したうえで、我が国の逆行を批判する記事。今回の“政府は進み、日銀は止める”を、国際マクロ経済の観点から解説。

2025年12月24日水曜日

この年末、米英欧は利下げへ転じた──それでも日銀は日本経済にブレーキを踏み続けるのか



まとめ

  • 世界は同時に緩和へ転じた。日本だけが逆走している。この24時間で、米英欧の中央銀行は利下げや緩和転換を明確にし、市場は一斉に「世界は緩和局面に入った」と受け止めた。失業率は急悪化していなかったからこそ、彼らは先に動いた。ところが日本銀行だけが、似たような状況で日本経済にブレーキを踏み続けている。
  •  数字を見れば、日銀が引き締める理由は存在しない。日本のコアコアCPI(欧米コアCPIに近似)はすでに低下局面に入り、失業率も安定している。需要の過熱も賃金インフレもない。欧米と同様、いやそれ以上に緩和の余地があるにもかかわらず、日銀は逆方向へ進んでいる。これは感覚論ではなく、公式統計が示す事実だ。
  • 問題の本質は「一回の利上げ」ではない。止まれない制度にある。世界標準では、中央銀行の独立性とは、政府が目標を定め、中央銀行が手段を自由に選ぶ。だが日本では、日銀が目標を握り、世界と逆走しても修正できない。日銀法改正は危険なのではない。今の異常を正すために不可欠である。

1️⃣世界は失速を恐れ、緩和へ舵を切った

欧州中央銀行

世界の中央銀行が警戒しているのは、インフレの再燃ではない。景気の減速、需要の腰折れ、回復の芽が途中で潰れることだ。だからこそ、緩和へ向かう。政治的配慮でも、楽観論でもない。金融政策の教科書に忠実な、現実的判断である。

米国は、CPI全体が前年比2.7%、コアCPIが**2.6%(2025年11月)と示された。(Bureau of Labor Statistics)
同時に、失業率は2025年11月4.6%**まで上がっている。(Bureau of Labor Statistics)
「崩壊」ではないが、「締め続けるほど傷が広がる」手触りがある。

ユーロ圏は、インフレが2025年11月2.1%、コアが**2.4%だ。(European Commission)
失業率は2025年10月6.4%**で、前年同月(2024年10月)**6.3%**からわずかに上がっている。(European Commission)
ECBは直近会合では据え置いたが、2025年に複数回の利下げを実施しており、潮流としては「緩和局面」だ。(European Central Bank)

英国はよりはっきりしている。コアCPIが2025年11月3.2%。(国立統計局)
失業率はONSの最新で2025年8〜10月5.1%まで上がった。(国立統計局)
そしてイングランド銀行は12月会合で政策金利を3.75%へ引き下げた。(イングランド銀行)

2️⃣日本だけが逆走している

 日本銀行

では我が国はどうか。

日本の失業率は、総務省統計局の英語版「最新指標」で**2025年10月2.6%(季節調整済)**と示されている。(総務省統計局)
雇用が崩れているとは言えない。少なくとも「いま利上げで押し倒す」局面ではない。

物価の基調を見るなら、日銀が注目する指標として語られやすいコアコアCPI(生鮮食品・エネルギー除く)がある。これは報道ベースで**2025年11月3.0%**だ。(Reuters)
米国のコアCPI(2.6%)より高い。だが日本の賃金と実質消費の足腰は、米英とは構造が違う。人口構造、供給制約、価格転嫁の遅れ、そして実質賃金の痛みが同居している。

それでも日銀は利上げ志向を崩さない。世界が失速を恐れてアクセルを緩める中で、日本だけがブレーキを踏む。ここに「それ見たことか」の核心がある。景気が鈍れば、利上げの副作用は先に出る。回復の芽を潰すのはいつも、派手な危機ではなく、こういう局面だ。

図表:主要国のコア系インフレと失業率(2025年直近値)

地域コア系インフレ(直近)失業率(最低水準)直近失業率補足
米国コアCPI 2.6%(2025年11月)(Bureau of Labor Statistics)3.4%(2023年)4.6%(2025年11月)(Bureau of Labor Statistics)インフレ沈静+失業率じわり上昇
ユーロ圏コア 2.4%(2025年11月)(ECB Data Portal)6.3%(2024年10月)(European Commission)6.4%(2025年10月)(European Commission)12月会合は据え置き(European Central Bank)
英国コアCPI 3.2%(2025年11月)(国立統計局)3.5%(2022年6〜8月)(国立統計局)5.1%(2025年8〜10月)(国立統計局)12月に利下げ(3.75%)(イングランド銀行)
日本コアコアCPI 3.0%(2025年11月)(Reuters)2%台前半(近年)2.6%(2025年10月)(総務省統計局)雇用は崩れていない

ここでいう「失業率の最低水準」とは、「崩壊する前の底」である。直近がそこから上がり始めたかどうかが、政策転換のサインになる。欧米は、失業率が大崩れする前に緩和へ動いた。日本も失業率は安定している。だからこそ本来は、回復の芽を潰す引き締めを急ぐ理由が薄い。

3️⃣判断ではなく制度が、誤りを固定化する

日銀の利上げが問題なのは、失敗そのものよりも、失敗を修正できない構造にある。

世界標準の中央銀行の独立性とは、政府が目標を定め、中央銀行が専門家として手段を自由に選ぶという分業である。ところが我が国では、日銀が目標そのものを握れる余地が大きく、これが「独立性」として扱われてきた。ここが異常だ。

 米日欧の中央銀行総裁

結果として、世界が緩和に傾いても、日本は逆走できる。成長を目指す政権の政策が、内側から相殺される。高橋洋一氏が指摘してきたように、政権の経済運営と日銀の金融判断が噛み合わなければ、国益は毀損される。しかもその毀損は、静かに、しかし確実に積み上がる。

日銀法改正は危険ではない。
今の異常を正すために、不可欠なのである。政府が金融政策に関与できないということこそ、世界から見れば異常なのだ。ただ、法律があるからといって、日銀が誤った政策を実行しても良いということにはならない。

日銀は金融機関寄りの政策から、国民経済を重視する政策に転じるべきである。そうでないと我が国の中央銀行としての存在価値を失う。

【関連記事】

0.75%利上げという稚拙で危険な判断──日銀利上げの不都合な真実 2025年12月20日
日銀の利上げを「正常化」と呼ぶ欺瞞を、CPI・需給ギャップ・実質賃金・制度設計まで踏み込んで粉砕する中核記事だ。今回の“世界は緩和、日本だけ逆走”という主張の根拠が最も厚く整理されており、読者を一気に結論へ連れていく導線として最適だ。

補正予算は正しい──需給ギャップ・高圧経済・歴史、そして越えてはならない一線 2025年12月17日
「今は冷やす局面ではない」を需給ギャップと高圧経済の物差しで示し、緊縮・利上げ観測が日本の回復を潰す危険を正面から描く。利上げ批判を“財政と成長”の側から補強でき、セット読みの説得力が跳ね上がる。

「政府も利上げ容認」という観測気球を叩き潰せ──国民経済を無視した“悪手”を許してはならない 2025年12月10日
「利上げ容認」という空気が、匿名情報と見出しで既成事実化される構図を暴き、誰の利害で国の針路がねじ曲げられるのかを炙り出す。読者の怒りを“論理”に変えられるので、拡散にも強い。

隠れインフレの正体──賃金が追いつかぬ日本を救うのは緊縮ではなく高圧経済だ 2025年9月19日
「物価は落ち着いた」の一言で片付けられがちな局面で、生活実感としての物価高と実質賃金の遅れを突き、引き締めや増税が庶民を直撃する現実を描く。利上げ批判を“生活者目線”で刺す補助線になる。

FRBは利下げ、日銀は利上げに固執か──世界の流れに背を向ける危うさ 2025年9月18日
世界が内需厚めへ動く局面で、我が国だけが利上げで景気の芽を摘みにいく不合理を、国際比較で真正面から示す一本だ。今回の「米英欧が緩和へ」という時事性と噛み合い、読者の納得を決定づける。


2025年12月23日火曜日

凍結か、回復か──ウクライナ停戦交渉が突きつけた「国境の真実」


まとめ

  • 今回のウクライナ停戦論は、単なる呼びかけではない。水面下では、停戦線・再侵攻時の自動反応・国家機能維持までを同時に考えた「具体的な設計思想」が、文書レベルで実際に詰められている。これまでの停戦論とは質がまったく違う。
  • 国際社会は長年、「正しい国境」ではなく「凍結できる国境」を選び続けてきた。北方領土もウクライナも、その延長線上にある。これは正義の勝利ではなく、是正できなかった結果としての現実にすぎない。この構造を理解しない限り、戦争は形を変えて繰り返される。
  • それでも道はある──「回復的ウティ・ポシデティス」という視点だ。主権は元に戻す。人の人生は選ばせる。凍結に甘んじず、回復を最終目標として掲げ続ける国だけが、将来の選択肢を失わずに済む。ウクライナ、日本、台湾はいま、それぞれ異なる形でその分岐点に立っている。

1️⃣停戦が語られ始めた本当の理由

アメリカとウクライナが大筋合意 米メディア報道 トランプ氏とゼレンスキー氏が近く首脳会談へ


ウクライナ戦争をめぐって「停戦」という言葉が語られること自体は、これまで何度もあった。しかし、その多くは希望的観測か、外交上の建前にすぎなかった。ところが今、この言葉の重みが明らかに変わりつつある。戦争当事国の指導者自身が、「象徴的努力ではなく、現実的成果が見え始めている」と語り始めたからである。

これは戦況が好転したという意味ではない。むしろ逆だ。この戦争を完全な勝利で終わらせることが、どの当事者にとっても現実的ではなくなったという事実が、ようやく共有され始めたということである。ここから先は、善悪や感情の問題ではない。「戦争をどう終わらせるか」という制度と秩序の問題である。

今回の停戦論がこれまでと決定的に違うのは、具体的な設計思想が、実際に文書レベルで議論されている点にある。全面公開された停戦協定案は存在しない。しかし、ウクライナ・米国・欧州が協議している枠組みとして、いわゆる「二十項目プラン(20-point plan)」が存在することは、複数の信頼できる報道によって確認されている。

ロイター通信は、ゼレンスキー大統領が「戦争終結に向けた交渉が現実的な成果に近づいている」と述べ、複数項目から成る和平構造がすでに用意されていると報じている。
https://www.reuters.com/world/ukraines-zelenskiy-says-negotiations-war-settlement-close-real-result-2025-12-22/

またAP通信も、停戦線の設定、安全保証の枠組み、戦後復興を含む複数の文書が並行して検討されていることを伝えている。
https://apnews.com/article/d92b40dab1055df4e3512f77c27eb5c9

重要なのは、これが単なる理念的提案ではない点だ。戦闘停止、再侵攻時の自動的反応、国家機能の維持という三点を、同時に成立させようとする設計思想が明確に存在している。従来の停戦論が「止めよう」という呼びかけにとどまっていたのに対し、今回は「止めた後に崩れない構造」が現実に検討されている。

だからこそ、ウォロディミル・ゼレンスキーは、停戦論を「現実的成果」という言葉で表現する段階に入ったのである。

この変化を理解するには、国境をどう扱ってきたのかという、国際秩序の深層に目を向ける必要がある。

2️⃣凍結が支配してきた国際秩序の正体

 北方領土問題は事実上凍結されているが・・・・

ウティ・ポシデティスとは、「いま保持しているものを、そのまま保持せよ」という意味のラテン語である。国際法では、主に植民地独立の局面で用いられてきた。不自然な行政区画であっても、それを国境として固定しなければ、独立のたびに戦争が起きる。正しさよりも流血回避を優先した原則である。

この原則は、正義を実現するためのものではなかった。秩序崩壊を防ぐための応急処置であり、安全弁であった。

冷戦後、国際環境が変わると、この発想はさらに変質する。国際社会は「不法だと分かっていても是正できない実効支配」に繰り返し直面し、そのたびに事実上の凍結を選び続けた。これが、いわば拡張ウティ・ポシデティスと呼ぶべき慣行である。

北方領土は、その完成形だ。我が国の主張は国際法上正しい。しかし、是正できなかった結果、実効支配は固定され、問題は凍結された。正義は否定されていないが、現実は動かなかった。この構図こそ、拡張ウティ・ポシデティスが支配する世界の本質である。

ウクライナの停戦論も、この延長線上にある。国境の最終的な正しさは先送りされ、まず殺し合いを止めるために線を固定する。決して美しい話ではないが、これが現代の国際秩序が選び続けてきた現実である。

しかし、凍結は正義ではない。是正できなかった結果として選ばれた管理策にすぎない。この点を曖昧にしたままでは、国境問題は永遠に「仕方のない現実」として固定されてしまう。

3️⃣回復的ウティ・ポシデティスと、いま各国が取るべき道

そこで私は、「拡張」ではなく「回復的」という言葉を用いる。これは既存慣行の説明ではない。凍結に代わる、別の原理を示すための言葉である。

回復的ウティ・ポシデティスとは、力による現状変更が起きる前の、正当な主権状態に戻すことを原則とする考え方である。この原則において、主権の帰属は曖昧にされない。

北方領土について言えば、結論は明確だ。四島すべてが日本に帰属する。この原則は一切動かない。回復的ウティ・ポシデティスは、我が国の立場を弱めるものではない。むしろ、それを国際秩序の言葉で整理し直す試みである。

住民選択権は、主権を分割するための装置ではない。主権回復後に、人が自らの人生を選ぶための人道的配慮である。主権は戻す。人生は選ばせる。この役割分担が中核だ。

ウクライナも同様である。2014年以前、全面侵攻以前に国際的に承認されていた国境線が正当な線である。クリミアを含む占領地域は、最終的にすべてウクライナに帰属する。停戦は管理策であって、主権決定ではない。

では、拡張ウティ・ポシデティスが支配する世界で、各国は今どう動くべきか。

ウクライナは、停戦を選ぶとしても、主権の最終帰属を曖昧にしてはならない。線は凍結されても、主権は凍結してはならない。国家として生き残り、回復の可能性を将来に残すことが最優先である。

我が国は、北方領土の凍結を既成事実にしてはならない。四島一括帰属という原則を下ろさず、正当性は時間で減衰しないという姿勢を保ち続ける必要がある。同時に、台湾有事を防ぐことが、我が国自身が新たな凍結の当事者にならないための最重要課題である。

台湾には凍結という選択肢がない。侵攻は即、国家消滅を意味する。だからこそ抑止が必要だ。それは台湾だけの問題ではない。我が国の安全保障そのものである。

台湾には凍結という選択肢はない

拡張ウティ・ポシデティスが支配する世界では、回復は待っていても訪れない。凍結を前提に生き延び、力を蓄え、主権を言葉として守り続けた国だけが、回復という選択肢を将来に残せる。

戦争は終わるのか。答えは条件付きで終わり得る。その条件とは、凍結を当然視せず、回復という視点を捨てないことである。国境を「仕方なく固定するもの」としてではなく、「回復されるべき秩序」として考え続ける。その思考を失ったとき、戦争は形を変えて繰り返される。

回復的ウティ・ポシデティスという言葉は、理想論ではない。拡張ウティ・ポシデティスが行き詰まった先に現れる、次の座標軸である。

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歴史と国際法を貫く“回復的ウティ・ポシデティス(ラテン語でそのまま)”──北方領土とウクライナが示す国境原則の行方 2025年11月26日
国境線は凍結されるべきか、それとも回復されるべきか。北方領土とウクライナを同時に扱い、国際法と歴史の両面から「正当な線とは何か」を問い直す。回復的ウティ・ポシデティスという概念を初めて明確に提示した中核的論考。

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すでに始まっていた中国の「静かな日台侵略」──クリミアと高市バッシングが示す“証左” 2025年11月20日
クリミアで使われた手法が、台湾と日本周辺でも応用されつつある事実を指摘。国際法の隙間と世論工作を組み合わせた中国の戦略を読み解き、国境問題が「戦争以前」に決着される危険性を示す。

ロシアの“限界宣言”――ドミトリエフ特使「1年以内に和平」発言の真意を読む 2025年10月1日
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<解説>ウクライナ戦争の停戦交渉が難しいのはなぜ?ベトナム戦争、朝鮮戦争の比較に見る「停戦メカニズム」の重要性 2025年3月31日
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2025年12月22日月曜日

我が国は原発を止めて何を得たのか──柏崎刈羽と、失われつつある文明の基礎体力


まとめ

  • 第一に、原発を止めても安全にはならない。失われるのは発電という価値だけだ。
  • 核燃料と管理リスクは残り、コストと国富流出だけが増える。原発停止は安全策ではなく、高くつく誤解である。
  • 第二に、原発は電気を作る装置ではない。電力文明を支える“回る独楽(こま)”だ。巨大な回転体が生む物理的安定は、制御ソフトでは代替できない。再エネ中心の系統がなぜ不安定化するのか、その理由がここにある。
  • 第三に、原発を捨てた国は未来技術への道も同時に捨てる。SMRも核融合も“回る独楽(こま)”が前提だ。原発は過去ではない。未来へ進むための通行証である。
1️⃣原発停止と再エネ依存という二重の誤解──安全も脱炭素も達成されない

柏崎刈羽原子力発電所の全景

我が国のエネルギー政策は、二つの思い込みに長く支配されてきた。
原発を止めれば安全になる。再生可能エネルギーを増やせば脱炭素は達成できる。
この二つである。

その帰結が、世界最大級の原子力発電所である 柏崎刈羽原子力発電所 を、長年にわたり動かさなかったという現実だ。

だが、原発は止めても消えない。核燃料は存在し続け、使用済み燃料は冷却と監視を必要とする。非常用電源も警備も人員も欠かせない。停止は「無害化」ではない。発電という価値を生まないまま、管理リスクだけを抱え続ける状態である。

しかも、その状態は高くつく。発電をしなくても、維持費は年々積み上がる。さらに原発を止めた分だけ火力が動き、LNGなどの燃料費が為替と国際情勢に左右されながら海外へ流出する。原発停止とは、安全を買う選択ではない。発電しない不利を、巨額のコストで引き受ける選択である。

これを正当化してきた合言葉が「脱炭素」だ。しかし、太陽光や風力は天候と時間帯に左右され、需要に応じて出力を制御できない。単独では電力システムを支えられず、必ず裏で別の電源を待機させる必要がある。再エネは二重の設備と二重のコストを伴う。

さらに、補助金や固定価格買取制度に依存する構造は、公金が効率の低い設備へ流れ込む温床になりやすい。森林破壊や景観破壊、地域摩擦を招きながら、発電量以上の社会的コストを生んできた例は少なくない。脱炭素という言葉が、冷静な比較を止める免罪符になってきたのである。

2️⃣原発は「系統のジャイロ」だ──制御では代替できない物理

ここからが本題だ。
原発は単なる大量電源ではない。電力系統そのものを安定させる物理装置である。

最も分かりやすい比喩は、独楽(こま)だ。
止まった独楽(こま)はすぐ倒れる。少し回してもふらつく。だが、強く速く回った独楽(こま)は、軽く突いても簡単には倒れない。独楽(こま)が立つ理由は賢いからではない。重さを持つ物体が高速で回転しているからである。

電力系統も同じだ。原子力・火力・水力発電所には、何百トンもの回転子を持つ発電機があり、常に一定の速度で回り続けている。国家規模の独楽(こま)が、昼夜を問わず回っている状態だ。この回転が、落雷や事故、発電所の突発停止といった衝撃に対して、まず踏ん張る。これが「系統のジャイロ」であり、日本語で言えば回転式ジャイロスコープ、すなわち角運動量による物理的安定である。原発の価値は、単に回っていることではない。
巨大な回転体が持つ角運動量が、
系統に「踏ん張る力」を与えている点にある。

ジャイロスコープの原理

太陽光パネルは回らない。風力は回って見えるが、インバーターを介して接続されており、系統そのものを回してはいない。独楽(こま)の上に軽い飾りをいくら載せても、独楽(こま)自体が重くならない限り安定しないのと同じだ。

では、制御ソフトで補えばよいのか。答えは否だ。
制御は「反応」する仕組みであり、ジャイロは「反応する前に踏ん張る」仕組みである。巨大な回転体は、判断も計算も介さず、瞬時にエネルギーを放出・吸収する。制御は賢いが重くはない。ジャイロは賢くないが、圧倒的に重い。これは優劣の問題ではなく役割の違いだ。エアバッグがあってもシートベルトが不要にならないのと同じである。

3️⃣独楽(こま)を止めた国の末路──ドイツ、そして未来技術の断絶

「歴史の一部に」“町のシンボル”原発冷却塔を爆破解体…“最後の姿”に3万人集結 福島第一原発事故を受け廃止へ ドイツ

この話を現実で証明したのがドイツだ。ドイツは政治判断で原発を廃止し、再エネを急拡大した。電力量は確保できても、系統の重さは失われた。周波数の不安定化を防ぐため、周辺国への依存や火力の待機運転が常態化した。

ドイツは電気が足りない国になったのではない。電気を安定して扱えない国になったのである。

再エネを増やすほど、安定化のための設備が後付けで必要になり、コストと複雑さは増す。巨大な同期調相機など、かつて原発が内包していた機能を、分解して買い直しているに等しい。

これは電力だけの話ではない。産業史にも同じ構図がある。米国は原子力潜水艦に特化する中で、通常型潜水艦を設計・建造する技術体系を失った。作らなくなった瞬間、技術者も思想も供給網も消え、「作ろうにも作れない国」になった。基礎を捨てた結果である。

原発を捨てた国が、SMRや核融合へ進めなくなるのは同じ理屈だ。これらは最終的に巨大な回転体を系統につなぐ技術である。独楽(こま)を忌避する国に、独楽(こま)の未来はない。

原発は過去の遺物ではない。未来技術へ進むための通行証である。
既存の大型原発で系統のジャイロを維持し、その上にSMRを積み、さらに核融合へつなぐ。この時間軸だけが現実的だ。

原発を動かすとは、単に電気を作ることではない。
文明が「考えなくても倒れない状態」を保つ行為である。

柏崎刈羽を動かすかどうかは、電力政策の是非ではない。我が国が、回る独楽(こま)を持つ文明であり続けるのか。それとも自ら独楽(こま)を止め、手で支え続ける国になるのか。その分岐点が、今ここにある。

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三井物産×米国LNGの20年契約──日本のエネルギー戦略を変える“静かな大転換” 2025年11月15日
LNGを「コスト」ではなく「国力」として捉え直し、我が国がアジアの安定供給を支える現実的な土台をどう積み増すかを描いた記事。再エネ偏重ではなく、LNGと原子力(将来のSMRも含む)を組み合わせる戦略眼が、本稿の「文明の基礎体力」という視点と強く噛み合う。

秋田から三菱撤退──再エネ幻想崩壊に見る反グローバリズムの最前線 2025年9月28日
再エネの不安定性、コスト、環境破壊が一体となって露呈した局面を、地方の現場から突きつける記事。原発の技術基盤を失えばSMRという選択肢も閉ざされるという論点を含み、本稿の「未来への断絶」という主張を現実の事例で補強する。

日本が世界を圧倒する──「レールガン+SMR」が東アジアの戦略地図を塗り替える 2025年9月13日
電力が国家の実戦能力と直結する時代に入り、安定電源の価値が防衛力に転化する構造を描いた記事。SMRが持久力と抑止力の基盤になるという視点は、「回る独楽=系統のジャイロ」という本稿の議論を、安全保障の次元へ引き上げる。

「手術は終了 アメリカ好景気に」トランプ大統領が関税政策を正当化 NY株価大幅下落も強気姿勢崩さず 新関税も正式発表か──【私の論評】トランプ関税の衝撃と逆転劇!短期的世界不況から米エネルギー革命で長期的には発展か 2025年4月4日
トランプ政権の関税戦略と短期的経済混乱、そして長期的なエネルギー戦略との結びつきを読み解いた記事。米国の政策選択が世界経済に与える影響、日本との関係を議論する内容で、本稿の国際環境論の補完になる。 

マイクロソフト・グーグル・アマゾンが「原発」に投資する理由──米ビッグ・テックのエネルギー戦略とドイツの現状 2024年10月24日
生成AIとデータセンターの電力需要が急増する中、米ビッグテックが原発・SMRへ投資する背景を整理した記事。「安定電力こそ競争力」とする現実を示し、柏崎刈羽停止が文明の基礎体力を削いでいる本稿の結論に強い裏付けを与える。

2025年12月21日日曜日

なぜ今、中央アジアなのか――「中央アジア+日本」首脳会合が示す国家の覚悟



まとめ
  • 第一に、日本が中央アジアと「初めて首脳会議を開いた」という事実は、日本外交が“周縁”から“構造”へ踏み出した決定的瞬間である。これまで点で付き合ってきた中央アジアを、面として扱い始めた。これは親善ではなく、世界秩序の変化を見据えた戦略行動だ。
  • 第二に、中央アジアは米中露の力が最も露骨にぶつかる場所であり、その露骨さは「兵器の射程」で世界が書き換わる冷酷な現実にある。ここに何が置かれるかで、中国もロシアも安全保障を根本から変えざるを得ない。この地域を巡る動きは、遠い外交ニュースではなく、世界の安定そのものに直結している。
  • 第三に、その剥き出しの三国志の中で、日本は“刃”ではなく“重し”として盤面に加わった。ミサイルも基地も持ち込まず、だが確実に選択肢を増やす存在として信頼を積む。中央アジアと日本の関係は、エネルギー、物流、安全保障を通じて、すでに我が国の明日につながっている。
1️⃣なぜ今、中央アジアなのか――日本外交の静かな転換


多くの日本人にとって、中央アジアは遠い存在だ。
地図を思い浮かべても、国名がすぐ浮かぶ人は少ない。旧ソ連の一部だった内陸国、シルクロードの名残――その程度の理解にとどまっているのが現実だ。

しかし日本は今、その中央アジア五か国と初めて首脳会議を東京で開催した。
これは単なる外交行事ではない。日本がこれまで周縁に置いてきた地域を、明確に「戦略の対象」として捉え直したという点で、はっきりした転換である。

これまで日本は、中央アジア諸国と個別には関係を築いてきたが、五か国をまとめて首脳レベルで制度化した枠組みは存在しなかった。それが今、初めて実現した。その背景には、時代の変化がある。

ウクライナ戦争によってロシアの影響力は後退し、中国の存在感は過度に膨らんだ。中央アジア諸国は、ロシアでも中国でもない「第三の選択肢」を必要としている。一方、日本もまた、ユーラシア内陸部に生じた戦略的空白を放置できなくなった。

今回の首脳会議は、偶然でも思いつきでもない。
世界秩序の変化を前提に、日本と中央アジアの双方が必要に迫られて踏み出した、初の制度化なのである。

2️⃣米中露の力が剥き出しになる場所――中央アジアという盤面


中央アジアは、米中露の覇権争いが最も露骨に表れる地域だ。
露骨とは、理念や建前が前に出るという意味ではない。誰が資源を握るのか、誰が物流を押さえるのか、どの国の安全保障に寄りかかるのか。生存に直結する利害が、そのまま国家行動として現れるという意味である。

ヨーロッパでは民主主義や人権が語られ、東アジアでは歴史や感情が絡む。
だが中央アジアでは違う。ロシアは旧宗主国として影響力を保とうとし、中国は経済力とインフラで実質的支配を広げようとする。米国は深く入り込まず、中国の伸張だけを警戒する。この三者の思惑が、装飾なしで衝突する。

その構図を象徴したのが、2023年5月に中国・西安で開かれた中国・中央アジアサミットだ。
中国は中央アジアを「一帯一路」の中核に位置づけ、ロシアの後退を背景に主導権を握ろうとした。しかし同時に、中央アジア諸国が中国一極への依存を避けている現実も浮かび上がった。

中国・中央アジアサミットの集合写真

それを決定的に印象づけたのが、カザフスタン大統領カシムジョマルト・トカエフの発言である。
2022年6月、サンクトペテルブルク国際経済フォーラムの壇上で、トカエフはプーチン大統領の隣に座りながら、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国を国家として承認しないと明言した。

形式上の同盟国の大統領が、国際舞台で本人の前に座り、ロシアの戦争目的を否定した。この発言は挑発ではない。民族自決を無制限に認めれば世界は混乱するという、冷静な国家判断である。多民族国家であるカザフスタン自身の主権を守るための選択だった。

中央アジア諸国は、ロシアを捨てたわけでも、中国に寄り添ったわけでもない。
依存先を一つに固定しない。それがこの地域の選んだ現実路線だ。

3️⃣兵器の射程が世界を変える――そして日本の立ち位置

中央アジアの露骨さは、さらに一段深い。
この地域は、兵器の配置だけで世界の安全保障構造が変わる場所でもある。

仮に中央アジアのいずれかの国が、米国との安全保障協力を選び、中距離ミサイルの配備を認めたとしよう。その瞬間、問題は外交から戦略核の領域へ跳ね上がる。

中央アジアは、中国の内陸部やロシア南部の戦略拠点を短時間で射程に収め得る位置にある。冷戦期、米ソが中距離核戦力(INF)条約でこの兵器を厳しく制限した理由は、意思決定の時間を奪う兵器だったからだ。その条約はすでに失効し、配備を縛る枠組みは存在しない。

米陸軍の最新兵器中距離ミサイルシステム「Typhon(タイフォン)」 

この現実の下では、「中央アジアに何が置かれるか」だけで、中国とロシアの安全保障政策は根本から揺らぐ。
だから両国は、中央アジアを決して空白にできない。経済支援も治安協力も政治的関与も惜しまない。友好のためではない。生存の問題だからだ。

この剥き出しの三国志の中で、日本は明らかに異質な存在である。
日本はミサイルを持ち込まない。基地を要求しない。政権交代を誘導しない。

その代わり、エネルギー、インフラ、人材育成、制度構築といった、時間はかかるが依存を生まない関係を積み重ねる。中央アジア諸国にとって日本は、どこかを選ぶための存在ではない。選ばされないための余地を確保する相手だ。

しかも中央アジアは、すでに我が国の将来と直結している。
原油、天然ガス、ウランといった戦略資源。海上輸送に依存しない陸上回廊。中国一極集中を避ける供給網。これらはすべて、日本の明日に跳ね返る現実である。

日本と中央アジア五か国による初の首脳会議は、この露骨な世界の中で、日本が「刃」ではなく「重し」として盤面に加わったことを意味する。派手さはない。しかし、盤面を静かに傾ける力は、往々にしてそういう存在が持つ。

中央アジアは遠い国ではない。
エネルギー、安全保障、そして我が国がどこまで主体性を保てるかという問題と、確実につながっている。

日本はすでに、必要な場所に、必要な形で入り始めている。
今回の首脳会議は、その事実を静かに示したにすぎない。

【関連記事】

天津SCOサミット──多極化の仮面をかぶった権威主義連合の“新世界秩序”を直視せよ 2025年9月1日
中央アジアを含むユーラシア内陸で、中国・ロシアが「非西側の結束」を誇示する場がどう作られているかを描いた記事だ。中央アジアを“盤面”として眺める視点が手に入るため、今回の「日本×中央アジア首脳会議」の意義を、より大きな構造の中で理解できる。

【中国のプーチン支援にNO!】NATOが懸念を明言した背景、中国の南シナ海での行動は米国全土と欧州大陸への確実な脅威―【私の論評】米国のリーダーシップとユーラシア同盟形成の脅威:カマラ・ハリスとトランプの影響 2024年7月30日
「中国がロシアを支える構図」と、それが欧州・インド太平洋を一体の安全保障問題にしていく流れを整理した記事だ。中央アジアの“露骨な力のぶつかり合い”を語る際の、背後の大局(中露連携と西側の対応)として効く。

中国・中央アジアサミットが示すロシアの影響力後退―【私の論評】ロシアが衰退した現状は、日本にとって中央アジア諸国との協力を拡大できる好機(゚д゚)! 2023年6月8日
中国が中央アジア首脳会議を主催し、影響力を伸ばそうとする一方、ロシアの余力低下が地域に「空白」を生んでいる点を捉えた記事だ。今回のテーマである“日本が入る余地”を、早い段階から論じている。

ウクライナ戦争で大きく変わる世界秩序 米国が中国を抑え付ける好機、日本も自由民主主義国としての連携を―【私の論評】ここ10年が最も危険な中国に対峙して日本も米国のように「準戦時体制」をとるべき(゚д゚)! 2023年3月6日
ウクライナ戦争を境に、世界秩序が「対中」を軸に組み替わるという見立てを示した記事だ。中央アジアを“遠い地域”としてではなく、米中露の力学が連動して我が国に跳ね返る、という問題設定の土台になる。

同盟国のカザフスタン元首相がプーチン政権を批判―【私の論評】米中露の中央アジアでの覇権争いを理解しなければ、中央アジアの動きや、ウクライナとの関連を理解できない(゚д゚)! 2022年9月16日
カザフスタンのアケジャン・カジェゲリディン元首相によるプーチン政権批判を起点に、中央アジアで米中露がせめぎ合う現実を解説した記事だ。「なぜ中央アジアが露骨なのか」を読者に腹落ちさせる導入として、今回の記事と非常に相性が良い。

2025年12月20日土曜日

0.75%利上げという稚拙で危険な判断──日銀利上げの不都合な真実

まとめ

  • 今回のポイントは、物価も賃金も需給も「利上げを正当化しない数字」が揃っていたにもかかわらず、日銀が金融機関に無リスク利益を与える構造を伴う利上げを強行した点にある。
  • この判断の本質を数字・制度・海外失敗例から見抜くことで、「誰が得をし、誰が負担させられたのか」を冷静に理解すべき。
  • 次に備えるべきは、利上げ後に必ず現れる家計・中小企業・金融市場への副作用を見据え、政策転換や政治判断の責任を具体的に問う視点である。

日本銀行は政策金利を0.75%へ引き上げた。名目上は約30年ぶりの水準である。しかし、問うべきは歴史的な水準ではない。今、この局面で利上げを行う必然性が本当に存在したのか、それだけだ。

結論は明確だ。
今回の利上げは正常化ではない。改革でもない。経済の現実を見誤った、稚拙で危険な判断である。

日銀は決定直後、「実質金利は依然としてマイナスであり、緩和的な金融環境は続く」と説明した。(日本銀行・金融政策決定会合資料)

この説明自体が、今回の判断の矛盾を示している。緩和が続くのであれば、なぜ金利を上げるのか。この問いに、日銀は答えていない。

1️⃣インフレは本当に過熱していたのか──数字が示す現実


では、利上げを正当化するほど、物価は過熱していたのか。(総務省統計局・消費者物価指数)

最新の消費者物価指数を見ると、総合CPIはピーク時の3%台前半から2%台後半へと伸び率が鈍化している。生鮮食品を除くコアCPIも同様で、再加速の兆候は見られない。

さらに重要なのが、生鮮食品とエネルギーを除いた、いわゆるコアコアCPIである。(日本銀行・基調的インフレ指標)

この指標は、2024年後半をピークに高止まりから横ばい、あるいは微減傾向に移行している。基調的インフレは、すでに加速局面を終えていた。

家計の体感に直結する分野は、さらに明確だ。電気・ガス料金やエネルギー価格は沈静化し、食料品価格も一部加工食品を除けば落ち着きを取り戻している。(総務省統計局・消費者物価指数(品目別))

つまり、物価は過熱していなかった。むしろ減速局面に入りつつあったのである。

2️⃣需要不足の国で利上げするという愚──家計と中小企業を直撃


需給を見れば、この判断の誤りはさらに際立つ。(内閣府・GDP需給ギャップ)

GDP需給ギャップは再びマイナス圏に入り、需要不足の兆しを示していた。需要が弱い局面で金利を上げれば、消費と投資が同時に冷える。これは経済学以前の常識である。

当然、そのしわ寄せは家計と中小企業に向かう。(厚生労働省・毎月勤労統計調査)

名目賃金は伸びても、実質賃金は回復していない。家計の購買力は弱いままだ。この状態で金利だけを引き上げれば、住宅ローン、教育費ローン、企業の運転資金金利が遅れて確実に上昇する。価格転嫁力の弱い中小企業にとって、これは投資と賃上げを諦めろという通告に等しい。

長期金利もすでに上昇し、国債費や住宅ローン金利に影響を与える水準に達している。
(財務省・国債金利情報)

引き金を引いたのは日銀である。それを「市場の判断」と言い換えるのは責任逃れだ。

3️⃣誰が得をし、誰が負担するのか──制度が示す冷酷な答え


ここで問われるのは、今回の利上げが誰のための政策だったのかである。この点について、元内閣官房参与で経済評論家の高橋洋一氏は、極めて明確な分析を示している。以下は高橋洋一氏のXのポストである。
このポストで使ったデータも添付されている。

高橋氏は、内閣府の短期日本経済マクロ計量モデルを用い、減税と利上げの効果を比較した。その結果、仮に減税によってGDPを約0.3%押し上げても、短期金利を0.25%引き上げれば、その効果は初年度で相殺され、2年目以降は実質GDPを押し下げることが示された。

これは主観ではない。政府自身のモデルが示す数字である。アクセルを踏みながら、同時により強いブレーキを踏めば、経済が前に進まないのは当然だ。

一方で、利上げの恩恵を受ける主体ははっきりしている。銀行である。今回の政策変更では、銀行が日銀に預ける当座預金への付利も0.75%へ引き上げられた。

銀行の日銀当座預金は、決済や資金繰りのために必ず保有せざるを得ない準備資金であり、信用リスクも市場リスクも存在しない。経営努力とは無関係の資金だ。

本来、こうした無リスク資産に高い利回りが付くことは異例である。しかし今回の利上げによって、銀行はリスクを負うことなく、日銀に資金を置いているだけで確実な利息収入を得る構造になった。

しかも、その原資は日銀の収益を通じ、国庫納付金の減少という形で国民に跳ね返る。国民が負担し、銀行が確実に儲かる。これは偶然ではない。制度が生んだ結果である。

政府には、この判断を止める手段も存在した。日銀法に基づく議決延期請求権である。2000年のゼロ金利解除時には実際に行使された前例もある。それでも今回は使われなかった。

決定的なのは、海外の失敗例である。米国では急速な利上げが銀行破綻を招き、英国では金利急騰が年金市場を混乱させ、中央銀行が引き締め下でも介入を余儀なくされた。欧州でも、利上げが景気減速を深め、すでに政策転換が視野に入っている。

共通点は一つだ。利上げの副作用は、必ず弱い部分を直撃するという現実である。

日本はどうか。インフレは減速し、需要は弱く、実質賃金は回復していない。海外よりも、むしろ利上げに不向きな条件が揃っている。それでも日銀は利上げを行った。

これは慎重な正常化ではない。失敗例を知った上で、あえて同じ道を踏み出した判断である。

日銀が見なかったのは理論ではない。
数字である。国内統計であり、政府モデルであり、海外の実例である。

これは政策ではない。
国民生活を賭け金にした博打だ。

稚拙で、しかも危険な判断である。

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