2010年8月28日土曜日

Hip Live

新発売のジーンズ「Curve ID」を記念したゲリライベント。
都内のビルを占拠して、女の子たちが・・・。

http://hipmail.jp/


かなり目立つイベントですね。

「アメリカ人は単細胞」小沢氏発言、米で波紋(10/08/26)





この発言は、問題ですね。ところで、少し前から、YouTubeで、Bloggerとの共有が簡単にできるようになったので、今後気づいたものありましたら、どんどん掲載していきます。よろしくお願いします!!

Google Japan Blog: リアルタイム検索に新しい機能が加わりました

Google Japan Blog: リアルタイム検索に新しい機能が加わりました

やはり、Googleのブログが一番分かりやすいです。下の記事を読まれた方は、この記事も是非あわせてお読みください。

2010年8月27日金曜日

Googleリアルタイム検索が独立、場所指定やスレッド表示など新機能も―すでに起こった未来?

Googleリアルタイム検索が独立、場所指定やスレッド表示など新機能も(この内容ご存じの方は、この項は読み飛ばしてください)

http://journal.mycom.co.jp/news/2010/08/27/028/index.html


すでに起こった未来?
さてこの検索機能、おそらく、最近のTwitterなどをリアルタイムで検索することなどを目的として開発されたものと思います。確かに、最近は、グルーポンなどの日本上陸などもあって、こうした機能が要請されていたと思います。確かに、この機能事態は、前からGoogleについたのですが、場所指定や、スレッド表示できるなどのことが加わって、ますます使いやすくなったと思います。

さて、こうした機能皆さんならどうやって活かしますか?やはり、思い浮かぶのはリアル・タイムマーケティングです。少し前までのインターネット検索では、インターネットができたことにより、始めて、企業が外の世界を知る手がかりを得ることができました。インターネットが普通に用いられる前までは、企業におけるITとは、すなわち、企業内部のことしか情報として得ることができませんでした。

企業内部しか知ることができなければ、それは、企業内部の管理をするには良いかもしれませんが、市場の動きなど全く見ることができませんでした。そこに、大きな落とし穴がありました。それは、80年代にアメリカでみられた、MBA卒による分析麻痺が多くの企業に機能不全をもたらし、MBA排斥運動がおこったという事実に象徴される一連の出来事です。

その当時のMBAでは、コンピュータを用いた分析が徹底的に開発され、さらに、それを多くの大学院生に教え込み、本当に細かなことまで分析でき、何もかもがうまく行くように思われていました。多くの人が、その当時までは、理論的には判っていても、現実には不可能と思われていた、統計学でいうところの、多変量解析が実際に、しかも、実用的な意味で出来るようになったことに、興奮し、酔っていました。

鳩山さんも、この時代の直前にスタンフォード大学院で、OR(オペレーションズ・リサーチ)を学んでいます。

そうして、多くの大学院で、当時の最新のITを駆使して、分析する技能が多くのMBAに叩き混まれました。そうして、多くの企業が、最新のITを揃え、大量のMBA卒を受け入れました。そうして、多くのMBA卒が企業経営者からも、多大な期待を受け、本人たちも自らも、自身たっぷりで、企業内部を真剣に分析しました。

ところが、こうした努力が、当時実はほとんど実りませんでした。確かに、ごく一部の、昔からある産業においては、役にはたちました。しかし、多くの企業において、ほとんど成果らしい成果があがらず、マスコミなどはこの状況を分析麻痺と呼びました。要するに、企業に入ったMBAたちが、良かれと思い、徹底的に分析をして報告書を出し、その報告に基づいて企業側がいろいろ変えてみたのですが、それがほとんど役にたたなかったのです。

そのため、当時MBAは役立たずということになり、企業にMBA卒はいらないなどと、極端なこともいう人が現れました。

しかし、最近はその反省から MBAでは、コミュニケーション、チームワーク、各国の伝統文化などに力点を置くようになりました。そうして,今日に至っています。ところで、日本ではこのようなことは起こりませんでした。なぜかといえば、日本はアメリカのような学歴社会ではないからです。アメリカなど、完全な学歴社会ですから、MBA卒ともなれば、最初から会社に幹部候補生として入ります。最初から、賃金も、昇進・昇格のシステムも他とは違います。だから、すぐに、会社の内容を分析する機会がおとずれ、上記のような極端なことになってしまったのだと思います。

しかし、ここに着て、いわゆるリアルタイム検索ができるようになりました。ドラッカー氏が言うには、未来を知るには、二通りあるそうです。そのうち一つは、未来を自分でつくることです。これなど、今日それに向かって努力してその方向性に持っていくわけですから、確かに未来を知ることにもなると思います。

それから、もう一つは、現在起こっていることで、今は小さなとるにたらないことで、いずれ大きく影響を及ぼすことになることがらを発見するということです。そうです。現在起こってしまっていることで、将来大きな変化を及ぼすようなことで私たちがすでに判っているものはいくらでもあります。

たとえば、少子高齢化などはその最たるものです。これらを多く発見することにより、未来を知ることができるのです。

このいわば、すでに起こった未来について、このリアルタイム検索や今回付加された、地域情報などかなり役にたつと思います。

いままで、検索だと、数分とか数時間前ことが最新でしたが、今では、リアルタイムで検索できるわけです。だから、たとえば、テレビでコマーシャルをしたとか、新店をオープンしたりしたときに、利用者な消費者の反応をうかがいながら、いろいろプロモーションをやってみたりして反応をみれば、明日とか、明後日、あるいはこのようなことを多数積み重ねて、いろいろ情報が貯まってくれば、うまくすれば、1~2年後のことまで知ることができるようになるかもしれません。そうして、将来このようなツールが多数開発されることになると思います。

しかしこれに関しても、その限界を知って、気をなければならないと思います。これにあまりのめり込み過ぎると、それこそ、分析麻痺の二の舞になるかもしれません。

ドラッカー氏も語っています。経営は、科学的な技法ではない、人を扱うものであり、リベラルアート(教養)でもあると。このことを忘れずに、限界しりつつ、こうした新しいツールを用いるべきと思います。



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2010年8月26日木曜日

Beat It + epic Crazy Chinese Omnipotent China red army

マイケル・ジャクソンの曲がこんなにフイットするとは、一体どうしてだろう?

小沢氏が出馬表明、民主党代表選 鳩山氏も支持―日本でも、重要なポストに関してはアメリカなみの情報開示が必要では?!

小沢氏が出馬表明、民主党代表選 鳩山氏も支持(この内容すでにご存じの方は、この項は読み飛ばしてください)


 鳩山前首相との会談を終え、引き揚げる民主党の小沢前幹事長=26日午前8時21分、東京都港区
 民主党の小沢一郎前幹事長は26日朝、鳩山由紀夫前首相と都内で会談し、9月の代表選に出馬する考えを伝えた。その後、記者団に対し「鳩山前首相から、出馬を決断するなら全面的に支援していきたいとの言葉を聞いたので、鳩山氏の前で出馬する決意をした」と表明した。

再選を目指す菅直人首相と小沢氏の一騎打ちになる見通し。首相は小沢氏の出馬について「大変いいことだ。民主党は何回も代表選をやったが、それで分裂したことは一度もない」と新人議員との会合で語った。

小沢氏は参院選敗北の責任や衆院選マニフェスト(政権公約)見直し問題で首相を批判。このほか、小沢氏が抱える政治資金問題や「ねじれ国会」対応が争点となる。「9月1日告示―14日投開票」に向け、両陣営の多数派工作が激化する。小沢氏をめぐっては出馬困難との見方があったが、不戦敗による求心力低下を懸念したとみられる。

鳩山氏は、小沢氏支持を表明。羽田孜元首相も小沢氏に支持を伝えた。旧民社党グループ幹部が国会内で対応を協議したが、結論は先送りした。一方、再選を支持する若手が首相を官邸に訪ね、政策提言した。







日本でも、重要なポストに関してはアメリカなみの情報開示が必要では?!
小沢さん、代表戦に出馬するということは、代表に選出されれば、総理大臣になるということです。では、小沢さんは総理大臣として相応しいのでしょうか?

私は、政治献金問題などで、ふさわしくないという方々もおられるようですが、それ以前に小沢さんはふさわしくはないと思っています。

まずは、小沢さん、歴史観が著しく偏向しています。小沢さんの歴史に関する発言いろいろありますが、失言として済まされないものもあります。その一つが下の動画にも掲載されている、天皇家朝鮮ルーツ説です。これは、全く根も葉もない説です。


これに関しては、失言といって済まされるものではなく、歴史の歪曲であり、偽造であるといえます。昨年の韓国訪問時に、ソウルの大学で講演を行った小沢一郎氏であるが、その内容は「天皇家のルーツは朝鮮半島にある」というものでした。いわゆるトンデモ史観で韓国に媚びた、曲学阿世の歴史観であると断じざるをえません。

天皇家とそれをとりまくいわゆる日本における天皇制とは、2670年にもおよびに日本独自に醸成されてきたものであって、これに及ぶものは、世界のどこに探してもありません。ただし、そのルーツになったものはあったようですが、それとても、中国や朝鮮とは全く関係なく南方の島々にあったことが最近の研究によって明らかになっています。これは、アメリカでいえば、アメリカの独立宣言は偽物だったというのと、同程度の歪曲歴史観だったと思います。このような発言をする人は、アメリカでは絶対に大統領にはなれません。

間接侵略を防いできた「神聖首長つまり君主は自我をもっていないけれども神聖で不可侵である」という日本の伝統文化のルーツに関しては、下の動画をごらんになってください。


さて、小沢氏は、上の動画のような発言以外にも、いろいろと失言を繰り返してきました。特に、アメリカに対しては、多いようです。それに関して、アメリカのメディアも報道しています。特に、昨日アメリカ人は単細胞などと語ったことに関しては、皮肉を交えて報道しているようです。

さて、そのアメリカですが、大統領になる可能性のある人や、政府でも要職につく人に関しては、第三者機関が徹底的に出自は無論のこと、政治的信条や、歴史認識その他、プライベートにかかわることまで徹底的に調査し公表します。

無論オバマ大統領も、大統領選に打って出る前に、まずは候補としてふさわしいかどうか徹底的に調査されています。だから、日本でも、父親や母親のこと、さらには、祖父、祖母に関しても報道されていたことは皆さんの記憶にも新しいことと思います。

母親に抱かれる幼少の頃のオバマ
実際の調査など、少なくとも3代先までさかのぼって行われるようです。これに関しては、アメリカでは、徹底していています。オバマ氏が大統領に就任してから、1年たってから、財務関係の重要な7ポストのうち、5ポストまでが空白のままでした。それは、なぜかといえば、財務関係のポストにつくともなれば、出自はもとより、金のやりとりや、プライベートなことまで徹底的に洗いざらい調べられるので、それをいやがって、なかなかそのポストにつきたがる人がいなかったためです。

アメリカでは、これは、徹底していて、たとえば、アメリカの有名私大・大学院でも同じことです。入学願書を出すと、その志願者の住んでいる近辺に調査員が派遣されます。志願者の素行は、もとより、社会貢献をしているかどうか、いろいろ調べるのです。アメリカは、完全な学歴社会ですから、有名私大・大学院を卒業すると各界の要人になる確率がかなり高いです。

だからこそ、とんでもない人間を入学させ、卒業させてしまっては、学校の信用問題にかかわるので徹底的に調べます。この調査では、たとえば、志願者の親戚などで、偏向した考えを持っている人がいたり、あるいは、その人が志願者と同じ大学の出身者で経済的余裕があるのに、さしたる理由もないのに大学に寄付金を納めていなかったりすると、それだけで入学できないこともあります。

これは、アメリカの私企業でも、共通しています。日本のように、個人情報保護がどうのこうのというような人は、アメリカの上場企業の幹部にはなれません。

それだけ厳しいのです。オバマ氏の出自に関しても、あれだけかなり調べているのにも、かかわらず、未だに本当かどうかはわかりませんが、疑惑がでているくらいです。

こうするには、いわゆる人種差別とか、偏見ということではなく、それなりのわけがあります。アメリカは、いろいろな出自の人がいます。人種の坩堝といわれるくらい、いろいろな国をルーツに持つ人がいます。また、考え方や歴史観なども種々様々です。そうした中には、国籍としてはアメリカ人なのですが、反米的な政治心情を持つ人、反米的な歴史観を持つ人もいます。

こうした人が政府の要人になったり、産業界の要人になっては困るということです。だから、徹底的に調べるのです。特に、スパイに関しては、たとえば、政治の中枢に入った人が、それこそ、入って30年も経過しているのに、実は外国のスパイだったとして摘発を受けたりしています。

最近では、ロシアの美人スパイ事件に関して、皆さんの記憶にも新しいことだと思います。

アンナ・チャップマン

この事件に関しては、FBIニューヨーク支局スパイ対策部の特別捜査チームは2009年、モスクワのSVR本部(通称モスクワセンター)から米国内のスパイに暗号で送られた極秘指令を入手していました。

「重要な任務」について極秘指令には、次のように記載されていたそうです。

《米国において、国家運営に関与しうる政策集団を特定し、関係を発展させ、モスクワセンターに情報を送信することである》

10年以上の長期間にわたって米国に住み、人脈を広げて、国家の政策決定過程に関与できる人物を協力者に仕立て、情報を収集し政策を誘導する。これがチャップマンら今回摘発されたスパイ団の任務でした。

日本では、スパイ防止法もなく、スパイを摘発するにしても、スパイ行為そのものだけで、実害がなければ摘発しようがなく、実害があったときだけ、それに関して摘発や取締りができるというだけです。

非常に甘いです。この甘さ、自民党が政権与党だったときには、遺憾なく発揮されました。新しい総理大臣が決まって、組閣も終わって、半年もしないうちに、多くの閣僚が旧悪が露見して、辞任に追い込まれました。民主党に関して、もっと甘くなって、総理大臣や、閣僚などの旧悪が露見したとしても、そのまま居座っていたりします。もうどうしようもないです。


このブロクでも、何回も掲載してきたように、小沢氏は、いわゆる日本解体法案導入に積極的です。それにアメリカではとても、要人になることはできないような歪んだ歴史観を披瀝しています。

これに関してはどうしてなのか、なかなか理解できない人も多いと思います。しかし、私自身は、判っていましたが、開示されてこなかった小沢氏の出自に関係があるのではないかと思います。

これに関しては、新潮45別冊・小沢一郎研究」に掲載されていたこと、さらに、私自身がサイトなどから拾い集めたものです。そこから少し抜粋します。
小沢の父・佐重喜(さへき)は衆議院議員で第2次吉田内閣で運輸大臣を務めていますが、戦後間もなく隠退蔵物資に絡んで当時、衆院の隠退蔵物資摘発委員会(現在の検察組織)の世耕弘一委員長に怒鳴り飛ばされていたというエピソードは有名です。わらじ履いて水沢から徒歩で上京、苦学の末弁護士になった、という話はよく知られていますが、上記のエピソードを知る者は少ないようです。
多額の政党助成金を衆人監視のもとにも関わらず窃盗(税金泥棒)、あまつさえ、不動産買漁りであくなき蓄財をしている沢一郎という男の破天荒な恥知らずは、まさに親譲りというわけです。なぜかといえば、隠退蔵物資犯罪というのは当時、GHQ(連合国総司令部)直轄で逮捕されれば身柄米本国送りという重犯罪でした。何か、小沢氏が、検察に対して敵愾心を持つのが理解できるようなエピソードです。
小沢の母親・本名・荒木みちにも触れておきます。父・佐重喜の伝記的な刊行物「人間小沢佐重喜」(陸山会発行)によれば、「みち夫人は明治34年2月15日千葉県東葛飾郡風早村に元庄屋・荒木儀助の4女として生まれました。父儀助は千葉県議会議長もやった地方の名望家だった」と母方の家系にも政治家の血が流れていると思わせる記述があります。しかし、これがとんだ大嘘で、「荒木儀助なる千葉県議会議長は過去に実在しておらず、県会議員にもいません」という千葉県議会事務局総務課の証言もあります。なぜこのようなまやかしがまかりとっているのか、不可解な謎です。
謎と言えばもっと不可解な事実があります。この荒木家は現在、みちさんの姪の長男(72)が継いでいますが、この実家の土地登記簿謄本に昭和61年5月、千葉朝鮮信用組合から三億五千万円を限度額とする巨額融資の記載があるのです。債務者は朝鮮名の男になっているが、経済に通じているものならすぐにわかることだが、朝鮮信用組合という金融機関は在日朝鮮人以外の、例えば日本人には融資を行わないという原則があります。
小沢氏の出自は、朝鮮系が混じっていることは、もう、ネット上では公然と語られています。おそらく、事実でしょう。なんでも、小沢氏の母親は、済州島出身で、小沢氏も墓参りに行っていたという事実もあるそうです。

私自身は、小沢氏の出自に朝鮮系が混じっていたからといって、それだけで、彼を排斥するという考えは全くありません。しかし、上の動画での歴史観は捨ておけません。こうした歴史観を持っていることと、日本国解体法案を推進する立場であることから、小沢氏は、日本の総理大臣には出来ないと思います。

いわゆる、小沢氏に関して、ダークヒーロー的に支持する人もいますが、ダークヒーローは、スターウォーズのような映画の世界では成り立つかもしれませんが、現実のそれも、日本国の政治においては成り立たせるべきではありません。小沢氏それなりに、努力もしているし、政治家としては過去には素晴らしい面を持っていた時代もあります。それが、いつの間にか変節してしまいました。今の小沢氏は、総理大臣にさせてはならないと思います。

民主党の代表戦で、小沢氏が代表になることだけは避けたいところです。しかし、民主党に期待してもそれは、無理というものでしょう。やはり、何としても、民主党そのものを政権の座から落とすよりほかに方法はなさそうです。




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2010年8月25日水曜日

訃報:今敏さん46歳=アニメ映画監督、海外でも高い評価―今敏さんの、来歴とネットに掲載された最期の日記

訃報:今敏さん46歳=アニメ映画監督、海外でも高い評価(この内容すでにご存知の方は、この項は読み飛ばしてください)

ヴェネチア国際映画祭のレッドカーペットに立つ今敏監督(左)
海外でも高く評価されたアニメーション映画監督の今敏(こん・さとし)さんが24日、亡くなった。46歳だった。葬儀は近親者で営む。

武蔵野美術大在学中に漫画家としてデビュー。97年、初監督作品の「パーフェクトブルー」で注目された。繊細でリアルな描写で知られ、「千年女優」(02年)が文化庁メディア芸術祭アニメーション部門で大賞を受賞した。また「東京ゴッドファーザーズ」(03年)が米アカデミー賞長編アニメ賞候補作となり、筒井康隆さん原作の「パプリカ」(06年)がベネチア国際映画祭に出品されるなど、日本を代表するアニメ監督の一人だった。新作「夢見る機械」を準備中だった。



今敏さんの、来歴とネットに掲載された最期の日記




来歴
父の転勤により、小学4年生の時から中学2年生まで札幌で過ごす。漫画家の滝沢聖峰は札幌での同級生であり、親しい友人でもあった。北海道釧路湖陵高等学校時代にアニメーターを志し、また、筒井康隆の短編に影響を受けた漫画を描いている。その後武蔵野美術大学でグラフィックを学ぶ。
大学在学中に、『週刊ヤングマガジン』(講談社)にて『虜 -とりこ-』(1984年)でちばてつや賞を受賞し、漫画家としてデビュー。大学在学中は大友克洋のアシスタントとして働く。大学卒業後、『海帰線』(1990年)、『ワールドアパートメントホラー』(大友克洋による映画を漫画化したもの、デビュー作から大友作品による影響が強い)などを発表。
その後、アニメーションの仕事を手がけるようになり、『パーフェクトブルー』で監督デビューを果たした。『千年女優』で宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』と共に文化庁メディア芸術祭で大賞を受賞し、話題となった。
音楽家の平沢進のファンであり、近年の作品では音楽を依頼している。また、大学時代に筒井康隆の作品に出会い、監督作品の随所にその影響が見られる。後に対談も果たしており、『パプリカ』で監督を担当したきっかけでもある。
2010年8月24日、膵臓癌で死去[3]。没時46歳。



■ブログに掲載された最期の日記

忘れもしない今年の5月18日。 武蔵野赤十字病院、循環器科の医師から次のような宣告を受けた。 「膵臓ガン末期、骨の随所に転移あり。余命長くて半年」 妻と二人で聞いた。二人の腕だけでは受け止められないほど、唐突で理不尽な運命だった。 普段から心底思ってはいた。 「いつ死んでも仕方ない」 とはいえあまりに突然だった。


確かに兆候はあったと言えるかもしれない。その2~3ヶ月前から背中の各所、脚の付け根などに強い痛みを感じ、右脚には力が入らなくなり、歩行にも大きく困難を生じ、鍼灸師やカイロプラクティックなどに通っていたのだが、改善されることはなく、MRIやPET-CTなどの精密機器で検査した結果、いきなりの余命宣告となった次第である。 気がつけば死がすぐ背後にいたようなもので、私にはどうにも手の打ちようもなかったのだ。


宣告の後、生き延びるための方法を妻と模索してきた。それこそ必死だ。 頼もしい友人や強力この上ない方の支援も得てきた。抗ガン剤は拒否し、世間一般とは少々異なる世界観を信じて生きようとした。「普通」を拒否するあたりが私らしくていいような気がした。どうせいつだって多数派に身の置き所なんかなかったように思う。医療についてだって同じだ。現代医療の主流派の裏にどんなカラクリがあるのかもあれこれ思い知った。 「自分の選んだ世界観で生き延びてやろうじゃないか!」 しかし。気力だけではままならないのは作品制作とご同様。 病状は確実に進行する日々だった。


一方私だって一社会人として世間一般の世界観も、半分くらいは受け入れて生きている。ちゃんと税金だって払ってるんだから。立派には縁遠いが歴とした日本社会のフルメンバーの1人だ。 だから生き延びるための私的世界観の準備とは別に、 「ちゃんと死ぬための用意」 にも手を回してきたつもりだ。全然ちゃんと出来なかったけど。 その一つが、信頼のおける二人の友人に協力してもらい、今 敏の持つ儚いとはいえ著作権などの管理を任せる会社を作ること。 もう一つは、たくさんはないが財産を円滑に家内に譲り渡せるように遺言書を作ることだった。無論遺産争いがこじれるようなことはないが、この世に残る妻の不安を一つでも取り除いてやりたいし、それがちょいと向こうに旅立つ私の安心に繋がるというもの。


手続きにまつわる、私や家内の苦手な事務処理や、下調べなどは素晴らしき友人の手によってスピーディに進めてもらった。 後日、肺炎による危篤状態の中で、朦朧としつつ遺言書に最後のサインをしたときは、とりあえず、これで死ぬのも仕方ないと思ったくらいだった。 「はぁ…やっと死ねる」 なにしろ、その二日前に救急で武蔵野赤十字に運ばれ、一日おいてまた救急で同じ病院へ運ばれた。さすがにここで入院して細かい検査となったわけだ。結果は肺炎の併発、胸水も相当溜まっている。医師にはっきり聞いたところ、答えは大変事務的で、ある意味ありがたかった。 「持って…一日二日……これを越えても今月いっぱいくらいでしょう」 聞きながら「天気予報みたいだな」と思ったが事態は切迫していた。 それが7月7日のこと。なかなか過酷な七夕だったことだよ。


ということで早速腹はきまった。 私は自宅で死にたい。 周囲の人間に対して最後の大迷惑になるかもしれないが、なんとしてでも自宅へ脱出する方法をあたってもらった。 妻の頑張りと、病院のあきらめたかのような態度でありつつも実は実に助かる協力、外部医院の甚大な支援、そして多くの天恵としか思えぬ偶然の数々。 あんなに上手く偶然や必然が隙間なくはまった様が現実にあるとは信じられないくらいだ。「東京ゴッドファーザーズ」じゃあるまいし。


妻が脱出の段取りに走り回る一方、私はと言えば、医師に対して「半日でも一日でも家にいられればまだ出来ることがあるんです!」と訴えた後は、陰気な病室で一人死を待ち受けていた。 寂しくはあったが考えていたのはこんなこと。 「死ぬってのも悪くないかもな」 理由が特にあるわけもなく、そうとでも思わないといられなかったのかもしれないが、気持ちは自分でもびっくりするほど穏やかだった。 ただ、一つだけどうしても気に入らない。 「この場所で死ぬのだけは嫌だなぁ…」 と、見ると壁のカレンダーから何か動き出して部屋に広がり始めるし。 「やれやれ…カレンダーから行列とはな。私の幻覚はちっとも個性的じゃないなぁ」 こんな時だって職業意識が働くものだと微笑ましく感じたが、全くこの時が一番死の世界に近寄っていたのかもしれない。本当に死を間近に感じた。 死の世界とシーツにくるまれながら、多くの人の尽力のおかげで奇跡的に武蔵野赤十字を脱出して、自宅に辿り付いた。 死ぬのもツライよ。 断っておくが、別に武蔵野赤十字への批判や嫌悪はないので、誤解なきよう。 ただ、私は自分の家に帰りたかっただけなのだ。 私が暮らしているあの家へ。


少しばかり驚いたのは、自宅の茶の間に運びこまれるとき、臨死体験でおなじみの「高所から自分が部屋に運ばれる姿を見る」なんていうオマケがついたことだった。 自分と自分を含む風景を、地上数メートルくらいからだろうか、ワイド気味のレンズで真俯瞰で見ていた。部屋中央のベッドの四角がやけに大きく印象的で、シーツにくるまれた自分がその四角に下ろされる。あんまり丁寧な感じじゃなかったが、文句は言うまい。


さて、あとは自宅で死を待つばかりのはずだった。 ところが。 肺炎の山を難なく越えてしまったらしい。 ありゃ? ある意味、こう思った。 「死にそびれたか(笑)」 その後、死のことしか考えられなかった私は一度たしかに死んだように思う。朦朧とした意識の奥の方で「reborn」という言葉が何度か揺れた。 不思議なことに、その翌日再び気力が再起動した。 妻を始め、見舞いに来て気力を分け与えてくれた方々、応援してくれた友人、医師や看護師、ケアマネージャなど携わってくれている人すべてのおかげだと思う。本当に素直に心の底から。


生きる気力が再起動したからには、ぼんやりしているわけにはいかない。 エクストラで与えられたような命だと肝に命じて、大事に使わねばならない。 そこで現世に残した不義理を一つでも減らしたいと思った。 実はガンのことはごくごく身の回りの人間にしか伝えていなかった。両親にも知らせていなかったくらいだ。特に仕事上においては色々なしがらみがあり、言うに言えなかった。 インターネット上でガンの宣言をして、残りの人生を日々報告したい気持ちもあったのだが、今 敏の死が予定されることは、小さいとはいえ諸々影響が懸念されると思えたし、それがゆえに身近な知り合いにも不義理を重ねてしまっていた。まことに申し訳ない。


死ぬ前にせめて一度会って、一言でも挨拶したい人はたくさんいる。 家族や親戚、古くは小中学校からの友人や高校の同級生、大学で知り合った仲間、漫画の世界で出会い多くの刺激を交換した人たち、アニメの世界で机を並べ、一緒に酒を飲み、同じ作品で腕前を刺激しあい、楽しみも苦しみも分け合った多くの仲間たち、監督という立場のおかげで知り会えた数知れないほどたくさんの人びと、日本のみならず世界各地でファンだといってくれる人たちにも出会うことが出来た。ウェブを通じて知り合った友人もいる。


出来れば一目会いたい人はたくさんいるが(会いたくないのもいるけれど)、会えば「この人ともう会えなくなるんだな」という思いばかりが溜まっていきそうで、上手く死を迎えられなくなってしまいそうな気がした。回復されたとはいえ私に残る気力はわずかで、会うにはよほどの覚悟がいる。会いたい人ほど会うのがつらい。皮肉な話だ。 それに、骨への転移への影響で下半身が麻痺してほぼ寝たきりになり、痩せ細った姿を見られたくもなかった。多くの知り合いの中で元気な頃の今 敏を覚えていて欲しいと思った。 病状を知らせなかった親戚、あらゆる友人、すべての知人の皆さん、この場を借りて不義理をお詫びします。でも、今 敏のわがままも理解してやっていただきたい。 だって、「そういうやつ」だったでしょ、今 敏って。 顔を思い出せば、いい思い出と笑顔が思い起こされます。 みんな、本当にいい思い出をたくさんありがとう。 自分の生きた世界を愛している。 そう思えることそのものが幸せだ。


私の人生で出会った少なからぬ人たちは、肯定的否定的どちらであっても、やっぱり今 敏という人間の形成にはどこか必要だっただろうし、全ての出会いに感謝している。その結果が四十代半ばの早い死であったとしても、これはこれとして他ならぬ私の運命と受け止めている。いい思いだって随分させてもらったのだ。 いま死について思うのはこういうこと。 「残念としかいいようがないな」 本当に。


しかし、多くの不義理は仕方ないと諦めるにせよ、私がどうしても気に病んで仕方なかったことがある。 両親とマッドハウス丸山さんだ。 今 敏の本当の親と、アニメ監督の親。 遅くなったとはいえ、洗いざらい本当のことを告げる以外にない。 許しを乞いたいような気持ちだった。


自宅に見舞いに来てくれた丸山さんの顔を見た途端、流れ出る涙と情けない気持ちが止めどなかった。 「すいません、こんな姿になってしまいました…」 丸山さんは何も言わず、顔を振り両手を握ってくれた。 感謝の気持ちでいっぱいになった。 怒涛のように、この人と仕事が出来たことへの感謝なんて言葉ではいえないほどの歓喜が押し寄せた。大袈裟な表現に聞こえるかもしれないが、そうとしか言いようがない。 勝手かもしれないが一挙に赦された思いがした。


一番の心残りは映画「夢みる機械」のことだ。 映画そのものも勿論、参加してくれているスタッフのことも気がかりで仕方ない。だって、下手をすればこれまでに血道をあげて描いて来たカットたちが誰の目にも触れない可能性が十分以上にあるのだ。 何せ今 敏が原作、脚本、キャラクターと世界観設定、絵コンテ、音楽イメージ…ありとあらゆるイメージソースを抱え込んでいるのだ。 もちろん、作画監督、美術監督はじめ、多くのスタッフと共有していることもたくさんあるが、基本的には今 敏でなければ分からない、作れないことばかりの内容だ。そう仕向けたのは私の責任と言われればそれまでだが、私の方から世界観を共有するために少なからぬ努力はして来たつもりだ。だが、こうとなっては不徳のいたすところだけが骨に響いて軋んだ痛みを上げる。 スタッフのみんなにはまことに申し訳ないと思う。 けれど少しは理解もしてやって欲しい。 だって、今 敏って「そういうやつ」で、だからこそ多少なりとも他とはちょっと違うヘンナモノを凝縮したアニメを作り得てきたとも言えるんだから。 かなり傲慢な物言いかもしれないが、ガンに免じて許してやってくれ。


私も漫然と死を待っていたわけでなく、今 敏亡き後も何とか作品が存続するべく、ない頭を捻って来た。しかしそれも浅知恵。 丸山さんに「夢みる機械」の懸念を伝えると、 「大丈夫。なんとでもするから心配ない」 とのこと。 泣けた。 もう号泣。 これまでの映画制作においても予算においても不義理ばかり重ねて来て、でも結局はいつだって丸山さんに何とかしてもらって来た。 今回も同じだ。私も進歩がない。 丸山さんとはたっぷり話をする時間が持てた。おかげで、今 敏の才能や技術がいまの業界においてかなり貴重なものであることを少しだけ実感させてもらった。 才能が惜しい。何とかおいていってもらいたい。 何しろザ・マッドハウス丸山さんが仰るのだから多少の自信を土産に冥途に行けるというものだ。 確かに他人に言われるまでもなく、変な発想や細かい描写の技術がこのまま失われるのは単純に勿体ないと思うが、いた仕方ない。 それらを世間に出す機会を与えてくれた丸山さんには心から感謝している。本当ににありがとうございました。 今 敏はアニメーション監督としても幸せ者でした。


両親に告げるのは本当に切なかった。 本当なら、まだ身体の自由がきくうちに札幌に住む両親にガンの報告に行くつもりだったが、病気の進行は悔しいほど韋駄天で、結局、死に一番近づいた病室から唐突極まりない電話をすることになってしまった。 「オレ、膵臓ガン末期でもうすぐ死ぬから。お父さんとお母さんの子供に生まれて来て本当に良かった。ありがとう」 突然聞かされた方は溜まったものではないだろうが、何せその時はもう死ぬという予感に包まれていたのだ。


それが自宅に帰り、肺炎の危篤を何とか越えて来た頃。 一大決心をして親に会うことにした。 両親だって会いたがっていた。 しかし会えば辛いし、会う気力もなかったのだが、どうしても一目親の顔を見たくなった。直接、この世に産んでもらった感謝を伝えたかった。 私は本当に幸せだった。 ちょっと他の人より生き急いでしまったのは、妻にも両親にも、私が好きな人たちみんなに申し訳ないけれど。 私のわがままにすぐ対応してくれて、翌日には札幌から両親が自宅についた。 寝たきりとなった私を一目見るなり母が言った言葉が忘れられない。 「ごめんねぇ!丈夫に産んでやれなくて!」 何も言えなかった。


両親とは短い間しか過ごさなかったが、それで十分だった。 顔を見れば、それですべてわかるような気がしたし、実際そうだった。


ありがとう、お父さん、お母さん。 二人の間の子供としてこの世に生を受けたことが何よりの幸せでした。 数えきれないほどの思い出と感謝で胸がいっぱいになります。 幸せそのものも大事だけれど、幸せを感じる力を育ててもらったことに感謝してもしきれません。 本当にありがとうございました。


親に先立つのはあまりに親不孝だが、この十数年の間、アニメーション監督として自分の好きに腕を振るい、目標を達成し、評価もそれなりに得た。あまり売れなかったのはちょいと残念だが、分相応だと思っている。 特にこの十数年、他人の何倍かの密度で生きていたように思うし、両親も私の胸のうちを分かってくれていたことだろう。


両親と丸山さんに直接話が出来たことで、肩の荷が下りたように思う。


最後に、誰よりも気がかりで、けれど最後まで頼りになってくれた妻へ。 あの余命宣告以来何度も二人で涙にくれた。お互い、身体的にも精神的にも過酷な毎日だった。言葉にすることなんて出来ないくらい。 でも、そんなしんどくも切ない日々を何とか越えて来られたのは、あの宣告後すぐに言ってくれた力強い言葉のおかげだと私は思っている。 「私、最後までちゃんと伴走するからね」 その言葉の通り、私の心配など追い越すかのように、怒濤のごとく押し寄せるあちらこちらからの要求や請求を交通整理し、亭主の介護を見よう見まねですぐに覚え、テキパキとこなす姿に私は感動を覚えた。 「私の妻はすごいぞ」 今さらながら言うな?って。いやいや、今まで思っていた以上なんだと実感した次第だ。 私が死んだ後も、きっと上手いこと今 敏を送り出してくれると信じている。 思い起こせば、結婚以来「仕事仕事」の毎日で、自宅でゆっくり出来る時間が出来たと思えばガンだった、ではあんまりだ。 けれど、仕事に没頭する人であること、そこに才能があることを間近にいてよく理解してくれていたね。私は幸せだったよ、本当に。 生きることについても死を迎えるにあたっても、どれほど感謝してもしきれない。ありがとう。


気がかりなことはもちろんまだまだあるが、数え上げればキリがない。物事にも終わりが必要だ。 最後に、今どきはなかなか受け入れてもらいにくいであろう、自宅での終末ケアを引き受けてくれた主治医のH先生、そしてその奥様で看護師のKさんに深い感謝の気持ちをお伝えしたい。 自宅という医療には不便きわまりない状況のなか、ガンの疼痛をあれやこれやの方法で粘り強く取り除いていただき、死というゴールまでの間を少しでも快適に過ごせるようご尽力いただき、どれほど助けられたことでしょう。 しかも、ただでさえ面倒くさく図体と態度の大きな患者に、単なる仕事の枠組みをはるかに越え、何より人間的に接していただいたことにどれほど私たち夫婦が支えられ、救われたか分かりません。先生方御夫婦のお人柄にも励まされることも多々ありました。 深く深く感謝いたしております。


そして、いよいよ最後になりますが、5月半ばに余命宣告を受けてすぐの頃から、公私に渡って尋常ではないほどの協力と尽力、精神的な支えにもなってくれた二人の友人。株式会社KON’STONEのメンバーでもある高校時代からの友人Tと、プロデューサーHに心からの感謝を送ります。 本当にありがとう。私の貧相なボキャブラリーから、適切な感謝の言葉を探すのも難しいほど、夫婦揃って世話になった。 2人がいなければ死はもっとつらい形で私や、そばで看取る家内を呑み込んでいたことでしょう。 何から何まで、本当に世話になった。 で。世話になりついでですまんのだが、死んだあとの送り出しまで、家内に協力してやってくれぬか。 そうすりゃ、私も安心してフライトに乗れる。 心から頼む。


さて、ここまで長々とこの文章におつき合いしてくれた皆さん、どうもありがとう。 世界中に存する善きものすべてに感謝したい気持ちと共に、筆をおくことにしよう。


じゃ、お先に。


今 敏


今敏さんの死、あまりに唐突といえるくらいです。だれも、お亡くなりになるなんて考えていなかったでしょう。本人も勿論そうだったに違いありません。上は、公式ブログに掲載されていた内容です。まわりの人に対する思いやりや、愛情が滲み溢れています。

最期の日記ですから、万感の思い出書かれたと思います。私は、いつもはブログに掲載したものに関しては、できるだけ詳しく解説するのですが、上の文章圧巻で、もう、何も余計な説明はいらないと思います。一言だけ、付け加えさせていただくと、今敏さんにかかわらず、人間はいつ亡くなるかわかりません。少なくとも、後100年もすれば、今いきている、赤ん坊からお年寄りまで、ごく一部の例外はあるかもしれませんが、すべてあの世に行っているということです。

上の文章を読んでいて、普段から自分の想いを伝えていない人、たくさんいると想いました。ことあるごとに伝えていいきたいと想いました。




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